2 戦乱の世に備えた 石灯籠は信州高遠の小林運八の作です。€¦ ·...

至高湯街道 至高湯街道 至国道115号 至国道115号 至飯坂温泉 至飯坂温泉 至赤岩駅 至赤岩駅 湯町 小森 金腐 宮下 大町 中原 東原 下原 荒町 横町 遠窪 北原 中通 内町 石塚 畑外 狐林 休所 小峠 小道 新町 花沢 呑塚 塚田 女石 男石 愛宕堂 見附堂 原ノ内 杉ノ上 杉ノ下 松ノ下 柿ノ下 一本杉 小丸山 森ノ前 膳橋 後生老 堀ノ内 庭坂駅 庭坂駅 奥羽本線 奥羽本線 JA JA にわさか保育園 にわさか保育園 いちい いちい 梅の木公園 梅の木公園 旅館山根荘 旅館山根荘 旅館食堂叶屋 旅館食堂叶屋 食堂旅館 八島屋 食堂旅館 八島屋 あんざい果樹園 あんざい果樹園 わんわんハウス オオゼキ わんわんハウス オオゼキ 大町集会所 大町集会所 長沼集会所 長沼集会所 佐藤菓子店 佐藤菓子店 旅館むかいや 旅館むかいや たんぽぽ亭 (お弁当) たんぽぽ亭 (お弁当) 福島県運転免許センター 福島県運転免許センター 直売所 直売所 庭坂小 熊野神社 熊野神社 湯町 湯町 庭塚入口 庭塚入口 内町 内町 庭坂荒町 庭坂荒町 原の内 原の内 原の内 原の内 試験場 試験場 大原 大原 内町 内町 庭坂駅前 庭坂駅前 小峠 小峠 遊郭跡 元庭坂宿 脇本陣 天戸座跡 湯殿神社 官宅跡 共同館跡 庭坂木戸跡 庭坂宿本陣跡 秋葉大権現碑 青柳隼人佐の墓 町尻の道標 庭坂砦跡 庭坂山 青柳寺 庭坂 機関庫跡 永昌山 清水寺 愛宕神社 庭坂 銀行跡 守子観音 鷲神社参道石塔群 米沢街道 鷲神社 赤レンガ油保管庫 湯町 庭坂宿 燻製たまご わたなべ ながおかお惣菜店 ろーたす FUKUKAN いやしカフェ コロッケなどのお惣菜のほか 定食やラーメンにも定評あり ヘルシーな本場韓国料理で おもてなし ! 辛いのが苦手 な方も安心のメニューあり こだわりの自家焙煎 コーヒー豆を販売 1週間もスモークした 手作り無添加の“くんたま” 売り切れごめんの人気です 庭坂は鉄道で 発展しました 庭坂駅 スタート・ ゴール地点 庭坂銀行(信夫銀行)跡 明治 12 年に庭坂銀行として開業。明治 14 年 に信夫銀行と改称し飯坂支店を開設するほどで あったが、まもなく閉業した。(清水寺に記念碑 があります) 米沢街道と庭坂宿 米沢街道は奥羽山脈を越え奥州街道と米沢城下 をつなぐ街道で、米沢藩専用道路でした。戦国時 代に米沢城の伊達氏が大森城を拠点に勢力を伸ば す軍用道路として八丁目(松川)までの街道(大 森道)が整備されました。上杉氏が米沢に移封さ れた江戸時代初期に庭坂宿の外、李平・笹木野の 宿場が整備されますと庭坂から福島への道が本街 道(福島道)となります。 庭坂宿は庭坂砦を中心に設けられた宿場で、階 段状に連続する鉤型道路・街道沿いに掘られたつ るべ井戸などが特徴で、宿場全体が砦のようです。 上杉氏初期の参勤交代の宿泊地でした。 鷲神社参道石塔群 参道が奥羽本線によって分断されております が、庭坂宿の木戸口として多くの石塔が遺され ています。大きな岩は庭坂宿の目印となった六 地蔵の台座です。 赤レンガ油保管庫 奥羽南線(現・奥羽本線)が開通した明治32年 に建てられた耐火倉庫です。産業発展の歴史を 伝える土木構造物として平成 11 年に産業考古 学会の「推薦産業遺産」に選ばれています。 明治 14 年万世大路が開通すると米沢 街道の交通量は減少しました。明治 18 年柴山信夫郡長はかつての繁栄を取り戻 そうと高湯から引湯をして湯町を建設し たのです。延長 500m、幅員 18m の道 路両側に3カ所の湯小屋・旅館・料理屋・ 商店・遊郭が建ち並び活況を呈しました。 一画には高級役人の公舎があり、2頭立 ての馬車で福島に通ったとの話は有名で す。しかし、湯漏れなどから反対運動が 起こり明治 31 年に引湯を廃止しました。 愛宕神社 江戸時代は勝軍 地蔵を祀っており ましたが、現在は 加具都智命を祀っ た内町の氏神。生 糸の祭礼市が開か れ、桑折の代官所 から警備の足軽が 出張してきたほど 賑わったといいま す。 鷲神社 文永 2 年(1265)に堂石山より現在地に遷 座したと伝えられています。村人を困らせてい た大蛇を退治した大鷲を祀ったものだともいわ れております。 もり 観音 千手観音が祀られておりますが、堂内に慈母 観音も祀られていることから「守子観音」と呼 ばれています。江戸時代中期の建築様式です。 石灯籠は信州高遠の小林運八の作です。 戦乱の世に備えた 街と歓楽の街 庭坂宿と、うたかたの歓楽街『湯町』を歩く 吾妻 2 湯町の図(高湯温泉場全図銅版画) 道中絵図「庭坂宿」宝暦11年(1761) (米沢益田兵馬喜満 筆/笹木野 藤田辰雄 写)

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Post on 21-May-2020

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Page 1: 2 戦乱の世に備えた 石灯籠は信州高遠の小林運八の作です。€¦ · ¯é¿srwS ÜJw T ï å Ýït °K Ôç³ s Ô gp S os` MwUä s M úwÝÇá K \i w×H ¿ ¯

至笹木野駅

至笹木野駅

至李平

至李平

至笹木野

至笹木野

至高湯街道至高湯街道至国道115号至国道115号

至飯坂温泉至飯坂温泉至赤岩駅至赤岩駅

湯 町

小 森

金 腐

宮 下

大 町

中 原

東 原

下 原

荒 町

横 町遠 窪

北 原

中 通

内 町石 塚

畑 外 狐 林

休 所

小 峠

小 道

新 町

花 沢呑 塚塚 田

女 石

男 石

愛宕堂

見附堂

原ノ内

杉ノ上

杉ノ下

松ノ下

柿ノ下

一本杉

小丸山

森ノ前

大膳橋

後生老

堀ノ内

庭坂駅庭坂駅奥 羽 本 線奥 羽 本 線

JAJA

寝具の吉野

寝具の吉野

にわさか保育園にわさか保育園

いちいいちい

梅の木公園梅の木公園

旅館山根荘旅館山根荘

旅館食堂叶屋旅館食堂叶屋食堂旅館八島屋食堂旅館八島屋あんざい果樹園あんざい果樹園

フル

ーツライン

フル

ーツライン

吉川屋

吉川屋

わんわんハウスオオゼキ

わんわんハウスオオゼキ

大町集会所大町集会所

長沼集会所長沼集会所

佐藤菓子店佐藤菓子店

旅館むかいや旅館むかいや

たんぽぽ亭(お弁当)たんぽぽ亭(お弁当)

福島県運転免許センター福島県運転免許センター直売所直売所

庭坂小

熊野神社熊野神社

湯町湯町

庭塚入口庭塚入口

内町内町

庭坂荒町庭坂荒町

原の内原の内

原の内原の内 試験場試験場 大原大原

内町内町

庭坂駅前庭坂駅前

小峠小峠

遊郭跡

元庭坂宿脇本陣

天戸座跡

湯殿神社官宅跡

共同館跡

庭坂木戸跡

庭坂宿本陣跡

秋葉大権現碑

青柳隼人佐の墓

町尻の道標

庭坂砦跡

庭坂山青柳寺

庭坂機関庫跡

永昌山清水寺

❻❻愛宕神社

❺❺庭坂銀行跡

❷❷

❸❸

❹❹

守子観音

鷲神社参道石塔群

米沢街道

鷲神社

❶❶赤レンガ油保管庫

湯 町

庭 坂 宿

燻製たまご わたなべ

ながおかお惣菜店

ろーたす

FUKUKANいやしカフェ

コロッケなどのお惣菜のほか定食やラーメンにも定評あり

ヘルシーな本場韓国料理でおもてなし! 辛いのが苦手な方も安心のメニューあり

こだわりの自家焙煎コーヒー豆を販売

1週間もスモークした手作り無添加の“くんたま”売り切れごめんの人気です

庭坂は鉄道で発展しました

庭坂駅

スタート・ゴール地点

❺庭坂銀行(信夫銀行)跡明治12年に庭坂銀行として開業。明治14年に信夫銀行と改称し飯坂支店を開設するほどであったが、まもなく閉業した。(清水寺に記念碑があります)

米沢街道と庭坂宿米沢街道は奥羽山脈を越え奥州街道と米沢城下をつなぐ街道で、米沢藩専用道路でした。戦国時代に米沢城の伊達氏が大森城を拠点に勢力を伸ばす軍用道路として八丁目(松川)までの街道(大森道)が整備されました。上杉氏が米沢に移封された江戸時代初期に庭坂宿の外、李平・笹木野の

宿場が整備されますと庭坂から福島への道が本街道(福島道)となります。庭坂宿は庭坂砦を中心に設けられた宿場で、階段状に連続する鉤型道路・街道沿いに掘られたつるべ井戸などが特徴で、宿場全体が砦のようです。上杉氏初期の参勤交代の宿泊地でした。

❸鷲神社参道石塔群参道が奥羽本線によって分断されておりますが、庭坂宿の木戸口として多くの石塔が遺されています。大きな岩は庭坂宿の目印となった六地蔵の台座です。

❶赤レンガ油保管庫奥羽南線(現・奥羽本線)が開通した明治32年に建てられた耐火倉庫です。産業発展の歴史を伝える土木構造物として平成 11年に産業考古学会の「推薦産業遺産」に選ばれています。

明治 14年万世大路が開通すると米沢街道の交通量は減少しました。明治 18年柴山信夫郡長はかつての繁栄を取り戻そうと高湯から引湯をして湯町を建設したのです。延長 500m、幅員 18mの道路両側に3カ所の湯小屋・旅館・料理屋・商店・遊郭が建ち並び活況を呈しました。一画には高級役人の公舎があり、2頭立ての馬車で福島に通ったとの話は有名です。しかし、湯漏れなどから反対運動が起こり明治 31年に引湯を廃止しました。

❻愛宕神社江戸時代は勝軍地蔵を祀っておりましたが、現在は加具都智命を祀った内町の氏神。生糸の祭礼市が開かれ、桑折の代官所から警備の足軽が出張してきたほど賑わったといいます。

❹鷲神社文永 2年(1265)に堂石山より現在地に遷座したと伝えられています。村人を困らせていた大蛇を退治した大鷲を祀ったものだともいわれております。

❷守もり

子こ

観音千手観音が祀られておりますが、堂内に慈母観音も祀られていることから「守子観音」と呼ばれています。江戸時代中期の建築様式です。石灯籠は信州高遠の小林運八の作です。戦乱の世に備えた

街と歓楽の街庭坂宿と、うたかたの歓楽街『湯町』を歩く

吾妻

2湯町の図(高湯温泉場全図銅版画)

道中絵図「庭坂宿」宝暦 11 年(1761) (米沢益田兵馬喜満 筆/笹木野 藤田辰雄 写)