薩埵峠suruga-aind.com/navi/satta/pamphlet_satta.pdf薩埵峠 薩埵峠 薩埵峠 望嶽亭藤屋...
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東海道にある5つの峠のひとつ、
薩埵峠。
足利尊氏兄弟、武田軍と
今川・北条軍などが戦った古戦
場です。
箱根と並ぶ交通の難所
であり、古来より、崖下の波うち
寄せる下道は「親知らず子知ら
ず」といわれていました。
この難
所を越えるため、何度も道が作
り直され、現在のルートは朝鮮通
信使のために整備された道です。
地すべり多発地帯に東名高速道
路、国道1号、JR東海道本線が
集中しているため、24時間体制で
監視し、道を守っています。
東海道
峠道をゆく
薩 峠
東海道
峠道をゆく
薩 峠
東海道
峠道をゆく
薩 峠
東海道
峠道をゆく
薩 峠
東海道
峠道をゆく
薩 峠 二峠六宿道旅推進実行委員会
平成29年度文化芸術振興補助金
静岡二峠六宿街道観光協議会http://suruga-aind.com/
文化庁
2峠6宿ナビさった峠
薩埵峠
薩埵峠
薩埵峠
望嶽亭藤屋 隠し階段
由比宿 東海道あかりの博物館由比宿 東海道あかりの博物館
特産品のみかん特産品のみかん
東海道名主の館 小池邸東海道名主の館 小池邸
間宿 倉沢間宿 倉沢
歌川広重の東海道五十三次の浮世絵で、薩埵峠は16番目の由比宿として描かれています。時代が移り、広重がみた風景のほとんどが大きく変貌しているなか、この薩埵峠からの富士山、駿河湾への眺望は変わることはありません。富士山があでやかに見える12月~3月上旬には、多くのウォーカーが散策を楽しんでいます。
1868年(慶応4年)3月7日、西郷隆盛と江戸城無血開城の話し合いため、府中に向かっていた山岡鉄舟が官軍に追われて逃げ込んだのが間宿倉沢にある望嶽亭です。亭主は鉄舟を漁民の姿に変え、この隠し階段から船で江尻宿、清水の次郎長まで逃がしたといわれています。次郎長は3月9日の会談に、鉄舟を武士の姿に整えさせ、松崎屋(現ペガサート)まで送り届けたといわれています。
東海道は情報や物資を次の宿場まで届ける宿駅制度が設けられ、宿場でのみ宿泊・休憩が許されていましたが、宿場との間が長い所、交通の難所には休憩ができる間宿が設けられました。薩埵峠から由比宿の間には間宿倉沢があります。この倉沢から寺尾、由比宿まで、明治・大正・昭和の戦前に建てられた建物が多く残り、軒先を長く見せる出桁、火災のおまじない懸魚などが見られます。
あいのしゅく
だし けた
げ ぎょ
あいのしゅく