30.神経ステロイドを指標とした漢方薬・生薬の薬...

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30. 神経ステロイドを指標とした漢方薬・生薬の薬効評価と生理活性物質の探索 鳥居塚 和生 Key words:geniposide,GABA 受容体,加味逍遙散, 漢方薬,神経ステロイド 昭和大学 薬学部 生薬学・植物薬品化学 高齢化社会が進行しつつある現在,これと併行して認知障害やストレス由来の不安症・抑うつ症の増加が深刻な社会問題とな っている.特に更年期以降では不安・抑うつなどの不定愁訴が多く発現し,生活の質にも影響を及ぼす場合が多い.これらに対 して有効かつ安全性の高い治療薬の開発が望まれている. 漢方医学では,更年期不定愁訴に対して古くから当帰芍薬散,加味逍遙散,桂枝茯苓丸,温経湯などの方剤が用いら れ,現在でも既存の抗不安薬で効を奏しない患者の治療に効果を挙げている. 著者は漢方処方の中枢神経系に対する作用を検討してきている 1, 2) が,上記4種の漢方処方について行動薬理学的検討を 行い,加味逍遙散が摂食促進作用を伴わない強い抗不安作用を発現することを見出し,作用機序としてアロプレグネノロン様 の性ステロイド代謝物が関与する可能性を認めた 3) 近年,GABA 受容体機能を調節するステロイド代謝物が不安や抑うつなどの気分障害や記憶学習能に関わることや,エスト ロゲンが神経成長因子類似の作用を持ち,アミロイド蓄積を抑制することが知られるようになってきた 4) .このことは,記憶学習 障害や気分障害に脳内ステロイド(神経ステロイド)の代謝物が密接に関わっていることを示唆する. 本研究はこの点に着目し,(1) 加味逍遙散の抗不安作用に構成生薬の山梔子(サンシシ)が関与することを見出したことか 5) ,主要成分である各種イリドイド類の効果を比較検討し,(2) 作用機序を,神経ステロイドや GABA 受容体と関連づけて解 明する,(3)加味逍遙散の抗うつ作用についても明らかにすること等を目的として実験を行った. 1. 薬物と投与方法 生薬エキスは,生薬1日量に水 600 ml を加えて半量になるまで煎じ,煎液を熱時濾過・遠心分離し上清を減圧濾過後,凍 結乾燥して作成した.各種イリドイド類(図1)は,実験直前に必要量を蒸留水に溶解しマウス体重 10 g あたり 0.1 ml を経 口投与した.阻害剤としては flumazenil, NAN-190, finasteride を用いた. 2. 実験動物 雄性 ddY マウスを用い1週間以上群居飼育し,実験には予め試験室に 90 分以上放置・馴化したものを用いた. 3. Social Interaction (SI) 試験 抗不安作用は Social Interaction (SI) 試験で評価した.SI 試験は別々のホームケージで飼育した2匹のマウスに被験薬 物を投与し(単回投与),試験時2つのホームケージより1匹ずつ取り出して観察ケージ内で対面させ,始めの5分間に 2匹 間で見られる SI 行動の総合累積時間を測定することで評価した. 4. 強制水泳試験(FST) 抗うつ作用は強制水泳試験 (FST)で評価した.FST は 1.5 L の水(24±1℃)を入れた 2 L ビーカーにマウスを入れ,15 分間予備水泳させ,予備水泳直後およびその 23 時間後に薬物を投与し,さらにその 1 時間後に本試験を行った.本試験では 水中にマウスを入れ,初めの 5 分間をビデオで録画し,無動時間(Immobility),泳いでいる時間(Swimming),壁を登ろ うとする時間(Climbing)の各累積時間を測定した. 5. GABA A 受容体結合実験 上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009) 1

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30. 神経ステロイドを指標とした漢方薬・生薬の薬効評価と生理活性物質の探索

鳥居塚 和生

Key words:geniposide,GABA受容体,加味逍遙散,漢方薬,神経ステロイド

昭和大学 薬学部 生薬学・植物薬品化学

緒 言

 高齢化社会が進行しつつある現在,これと併行して認知障害やストレス由来の不安症・抑うつ症の増加が深刻な社会問題となっている.特に更年期以降では不安・抑うつなどの不定愁訴が多く発現し,生活の質にも影響を及ぼす場合が多い.これらに対して有効かつ安全性の高い治療薬の開発が望まれている. 漢方医学では,更年期不定愁訴に対して古くから当帰芍薬散,加味逍遙散,桂枝茯苓丸,温経湯などの方剤が用いられ,現在でも既存の抗不安薬で効を奏しない患者の治療に効果を挙げている. 著者は漢方処方の中枢神経系に対する作用を検討してきている 1, 2)が,上記4種の漢方処方について行動薬理学的検討を行い,加味逍遙散が摂食促進作用を伴わない強い抗不安作用を発現することを見出し,作用機序としてアロプレグネノロン様の性ステロイド代謝物が関与する可能性を認めた 3). 近年,GABA 受容体機能を調節するステロイド代謝物が不安や抑うつなどの気分障害や記憶学習能に関わることや,エストロゲンが神経成長因子類似の作用を持ち,アミロイド蓄積を抑制することが知られるようになってきた 4).このことは,記憶学習障害や気分障害に脳内ステロイド(神経ステロイド)の代謝物が密接に関わっていることを示唆する. 本研究はこの点に着目し,(1) 加味逍遙散の抗不安作用に構成生薬の山梔子(サンシシ)が関与することを見出したことから 5),主要成分である各種イリドイド類の効果を比較検討し,(2) 作用機序を,神経ステロイドや GABA受容体と関連づけて解明する,(3)加味逍遙散の抗うつ作用についても明らかにすること等を目的として実験を行った.

方 法

1. 薬物と投与方法 生薬エキスは,生薬1日量に水 600 ml を加えて半量になるまで煎じ,煎液を熱時濾過・遠心分離し上清を減圧濾過後,凍結乾燥して作成した.各種イリドイド類(図1)は,実験直前に必要量を蒸留水に溶解しマウス体重 10 g あたり 0.1 ml を経口投与した.阻害剤としては flumazenil, NAN-190, finasteride を用いた.2. 実験動物 雄性 ddY マウスを用い1週間以上群居飼育し,実験には予め試験室に 90分以上放置・馴化したものを用いた.3. Social Interaction (SI) 試験 抗不安作用は Social Interaction (SI) 試験で評価した.SI 試験は別々のホームケージで飼育した2匹のマウスに被験薬物を投与し(単回投与),試験時2つのホームケージより1匹ずつ取り出して観察ケージ内で対面させ,始めの5分間に 2 匹間で見られる SI 行動の総合累積時間を測定することで評価した.4. 強制水泳試験(FST) 抗うつ作用は強制水泳試験 (FST)で評価した.FST は 1.5 L の水(24±1℃)を入れた 2 L ビーカーにマウスを入れ,15分間予備水泳させ,予備水泳直後およびその 23 時間後に薬物を投与し,さらにその 1 時間後に本試験を行った.本試験では水中にマウスを入れ,初めの 5分間をビデオで録画し,無動時間(Immobility),泳いでいる時間(Swimming),壁を登ろうとする時間(Climbing)の各累積時間を測定した.5. GABAA 受容体結合実験

 上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009)

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  FST を行ったマウスの大脳皮質および海馬から分画・調製した膜標品(タンパク量 0.2 ~ 0.4 mg)を 5 nM [3H]-muscimol,50 mM Tris-HCl 緩衝液(pH 7.4)と室温下 60 分間反応させた.非特異的結合測定には 1 mM GABA を添加して反応させた.反応終了後,反応液をセルハーベスターおよび GF/C ろ紙でろ過し,結合量を液体シンチレーションカウンターにて測定した. 

 図 1. サンシシ(山梔子)由来のイリドイド化合物.

サンシシ(山梔子)Gardeniae Fructus 由来のイリドイド化合物の geniposide, genipin, gardenoside, geniposidicacid の化学構造

 

結 果

1. 加味逍遙散の抗不安作用と山梔子のイリドイド類の効果 山梔子主要成分のイリドイド類 geniposide, gardenoside, geniposidic acid, genipine について,5, 10, 20, 40 mg/kg経口投与が SI 時間に及ぼす影響を検討した.Geniposide は 20, 40 mg/kg の用量で SI 時間を有意に延長した(図 2).

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 図 2. Geniposide の Social Interaction 試験に対する効果.

山梔子の主成分 geniposide について SI 試験を行った結果, 20 および 40 mg/kg の用量で有意に SocialInteraction 時間を延長した.

 Gardenoside と geniposidic acid は 5, 10, 20, 40 mg/kg のいずれの用量においても Social Interaction(SI)時間延長を示さなかった.しかしながら geniposide のアグリコンである genipin は,5, 10 mg/kg の用量で有意な SI 時間延長を示した(図 3).各種阻害剤を用いて検討した結果,geniposide の SI 時間延長作用は,GABAA 受容体のベンゾジアゼピン結合部位阻害剤 flumazenil により消失あるいは有意に低下したが,5-HT1A 受容体阻害剤 NAN-190 には影響されなかった.また geniposide の SI 時間の延長作用は 5α-reductase 阻害剤 finasteride によって有意に低下した.

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 図 3. Geniposide のアグリコンである genipin の Social Interaction 試験に対する効果.

アグリコン(非糖部)の genipin は SI 試験 30 分前に投与した時に,5, 10 mg/kgの用量で有意に SI 時間を延長した.

 2. 加味逍遙散の抗うつ作用の検討  FST を用いて加味逍遙散の単回投与および4週間投与による検討を行った.加味逍遙散の単回投与,4 週間投与によりimmobility の減少,swimming の増加が 100 ~ 400 mg/kg の範囲で認められたが,climing の変化は認められなかった(図 4, 5). 

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 図 4. 加味逍遙散単回投与による抗うつ様作用.

強制水泳試験を用いて加味逍遙散の単回投与による検討を行った.加味逍遙散の単回投与により immobility の減少,swimming の増加が認められたが,climbing の変化は認められなかった.

  

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 図 5. 加味逍遙散4週間投与による抗うつ様作用.

強制水泳試験を用いて加味逍遙散の4週間投与による検討を行った.加味逍遙散の4週間投与により immobility の減少,swimming の増加が認められたが,climbing の変化は認められなかった.

 3. マウス脳GABAA 受容体に及ぼす影響 加味逍遙散の単回投与で海馬における GABAA 受容体への結合量の増加が見られ,また 4 週間連続投与においては大脳皮質における結合量の増加が見られた(図 6).

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 図 6. 加味逍遙散単回投与および4週間投与による[3 H]-muscimol 結合量への影響.

加味逍遙散 200 および 400 mg/kg を単回投与したときの海馬,および 400 mg/kg を 4 週間連続投与したときの大脳皮質において, [3H]-muscimol 結合量は有意に増加した.

 

考 察

山梔子の主成分 geniposide および genipin に SI 時間延長作用が認められたが,類似のイリドイド化合物の gardenoside とgeniposidic acid には認められなかった.この作用は,経口投与後に消化管における消化酵素により糖が脱離して活性を示すことが示唆された.また finasteride により geniposide および genipin の SI 時間延長作用が消失したことから,これらの抗不安作用は,神経活性ステロイド代謝系と GABAA 受容体を介して発現することが示された.  FST により加味逍遙散には抗不安作用に加えて抗うつ作用が認められた.一般に抗うつ薬は効果が発現するまでに2~3週間を要する.今回の実験では単回投与においても,海馬でGABAA 受容体の結合量が変化した.これは抗不安作用発現に神経ステロイドを介する GABA受容体への関与という結果を,結合実験の面からも支持したものと考えられる. 本研究では神経ステロイドという視点を加えて,漢方方剤の作用について検討した結果,加味逍遙散,構成生薬の山梔子および含有成分の geniposide, genipin の抗不安作用を明らかにした.また,その作用機序はステロイド代謝系を介するGABA受容体への作用という新たな作用機序であることを示した.このことは漢方処方や生薬の有効性に EBMを与えるとともに,患者のQOL の向上のための新たな作用機序をもつ治療薬開発に繋がるものと期待できる.

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 本研究の共同研究者は,昭和大学薬学部 生薬学・植物薬品化学の堀由美子,福村基徳,渥美聡孝,薬用植物園の平井康昭,磯田 進である. なお本研究の一部は下記の論文として報告または準備中である.(a)  Toriizuka, K., Hori, Y., Fukumura, M., Isoda, S., Hirai, Y. & Ida, Y.: Investigation of the anxiolytic effectsof Kampo formulation, Kamishoyosan, used for treating menopausal psychotic syndromes in women. InTransmitters and Modulators in Health and Disease, ed. by Shioda, S., Homma, I. & Kato, N., Springer, Tokyo,Berlin, Heidelberg, New York, pp183-189, 2009.(b)  Toriizuka, K., et al.: Anxiolytic effect of geniposide, gardenoside, geniposidic acid, and related aglyconesobtained from Gardeniae Fructus in social interaction behavior in mice. J. Nat. Med. (投稿準備中)

文 献

1) Yabe, T., Toriizuka, K. & Yamada, H.: Choline acetyltransferase activity enhancing effects of Kami-untan-to (KUT) on basal forebrain cultured neurons and lesioned rats. Phytomedicine, 2(1), 41-46,1995.

2) Toriizuka, K., Hou, P., Yabe, T., Iijima, K., Hanawa, T. & Cyong, J-C.: Effects of Kampo medicine,Toki-shakuyaku-san(Tang-kuei-shao-yao-san), on choline acetyltransferase activity andnorepinephrine contents in brain regions, and mitogenic activity of splenic lymphocytes inovariectomized mice. J. Ethnopharmacology, 71: 133-143, 2000.

3) Mizowaki, M., Toriizuka, K. & Hanawa, T.: Anxiolytic effect of Kami-shoyo-san (TJ-24) in mice,Possible mediation of neurosteroid synthesis. Life Sci., 69: 2167-2177, 2001.

4) 鳥居塚和生,溝脇万帆,花輪壽彦:更年期不定愁訴と抗不安薬.日本薬理学会雑誌,115: 21-28, 2000.5) Toriizuka, K., Kamiki, H., Ohmura (Yoshikawa), N., Fujii, M., Hori, Y., Fukumura, M., Hirai, Y., Isoda,

S., Nemoto, Y. & Ida, Y.: Anxiolytic effect of Gardeniae Fructus-extract containing active ingredientfrom Kamishoyosan (KSS), a Japanese traditional Kampo medicine. Life Sci., 77: 3010-3020, 2005.

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