文章のクオリティを上げる方法(井庭研レクチャーズ vol.3)
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2013年度 慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)井庭崇研究会 レクチャー映像→ http://youtu.be/4ggzY-rlVDATRANSCRIPT
文章のクオリティを上げる方法
井庭 崇(Takashi Iba)慶應義塾大学SFC 総合政策学部准教授
井庭研レクチャーズ Vol.3
takashiiba
2013年5月9日
「書き上げた」は道半ばラーニング・パターン No.35http://learningpatterns.sfc.keio.ac.jp/
内容を「書き上げた」という段階の文章は、他の人にとっては理解が難しい。
書きあげた後、自分のなかに「他者の眼」をもって、理解しやすいかどうかを考えながらブラッシュアップしていく。
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「初稿はだいたいにおいて混乱しています。ずいぶん何度も書き直しをします。そのままでは作品になりません。」
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(村上春樹, 文藝春秋, 2012)
初稿は…
「場合によって違うけど、だいたい四回か五回くらいかな。場合によって違います。初稿に六ヶ月をかけた場合なら、同じくらいの時間を改稿にかけます。」
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(村上春樹, 文藝春秋, 2012)
―――だいたい何度くらい改稿をするのですか?
何回も時間をかけて改稿する
「『スプートニクの恋人』は徹底的にネジを締める小説なんですね。あらゆる部品のネジを、ギリギリギリギリ締められるだけ締めていく。『ねじまき鳥クロニクル』の場合は、逆にネジを緩ませて、そこから何が出てくるかを見る。」
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(村上春樹, 文藝春秋, 2012)
ネジを締める
「『ねじまき鳥クロニクル』の文章に関しては、正直言って僕は不満があるんです。あれだけ大きくて複雑な物語を一つの世界にまとめるためには、なによりリアルタイムの動き方が大事だった。文章にいちいち引っかかっていたら、話に追いつかなくなるから、あえて文章は締めていない。ストーリーのために文章を犠牲にし、自分の美学みたいなものもある程度あきらめてやってるわけで、たまにパラパラめくると気に入らない文章が目に入るけれど、でも、それはしようがないんですね。」
ネジを緩めた場合
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(村上春樹, 文藝春秋, 2012)
「だけど、『スプートニクの恋人』は、とにかく全部ネジを締め、余計なものはすべてはずして、自分が納得いくものだけを文体に詰めこんでみようと思ったんです。だから、最初の何十頁かは、もう文体締めにつぐ文体締め。」
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(村上春樹, 文藝春秋, 2012)
ネジを締める
「文体の隙をなくし、よじれをなくし、たるみをなくす。つまり、文体のフィットネスですね。」
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(村上春樹, 文藝春秋, 2012)
すき
ネジを締める
「僕は徹底的に書き直します。『スプートニクの恋人』だって、書き上げてから一年以上かけて、何十回か書き直してる。」
――― そこで行われるのは、おもに文体を整える作業?
「そう、ネジ締めです。」
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(村上春樹, 文藝春秋, 2012)
ネジを締める
「一つの文章を書くと、次の文章って来るんです。で、それをキュキュっと締めると、また次が出てきて、それをまたキュッキュッと締めて、次が来る。そうやって、話は進んで行く。」
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(村上春樹, 文藝春秋, 2012)
ネジを締める
「作家はどちらかといえば孤独な職業である。一人きりで書斎にこもり、何時間も机の前に座り、意識を集中して文字の配列と格闘する。そのような作業が、来る日も来る日も続くことになる。」
『雑文集』(村上春樹, 新潮社, 2011)
文字の配列との格闘
『スティーヴン・キング 小説作法』( スティーヴン・キング, アーティストハウス, 2001)
「原稿が仕上がると、私は一息入れて、作品の底流にある傾向を探りながら読み返す。そこにはきっと何かがあるはずだから、見極めたものを取り出して、くっきりと浮き彫りにする意識で第二稿を書く。というわけで、二稿の担う働きは二つ、シンボリズムの増幅と主題の補強である。」
初稿から第二稿へ
『スティーヴン・キング 小説作法』( スティーヴン・キング, アーティストハウス, 2001)
「書いている間、作者は来る日も来る日も木を観察し、同定することに余念がない。が、書き終えたら、作者は後ろへ下がって森全体を眺めなくてはならない。」
一歩下がって森を眺める
『スティーヴン・キング 小説作法』( スティーヴン・キング, アーティストハウス, 2001)
「執筆中、あるいは脱稿直後、自分はそこで何を語ろうとしているか、確認することは作家の務めである。その確認したところをさらに鮮明にするのが第二稿の役割で、そのためには、時に大幅な加筆訂正もやむを得ない。」
自分が何を語ろうとしているかの確認
『スティーヴン・キング 小説作法』( スティーヴン・キング, アーティストハウス, 2001)
「第一稿は仕上がった。……作者は大仕事を終えたところである。まずは休息が必要だ。どれだけ休むかは個人差があって一概には言えないが……少なくとも、一日二日は頭を空にすることだ。」
間をあける
『スティーヴン・キング 小説作法』( スティーヴン・キング, アーティストハウス, 2001)
「原稿をどれだけ寝かせるかは作者の勘一つだが、私は六週間を最低の目安としている。」
間をあける
『スティーヴン・キング 小説作法』( スティーヴン・キング, アーティストハウス, 2001)
「本が完成するまでには何十回も読む計算で、ほぼ全編を暗唱できるまでになる。」
暗唱できるほど何十回も読む
『スティーヴン・キング 小説作法』( スティーヴン・キング, アーティストハウス, 2001)
「筋立てに一貫性を求めるなら、無駄な枝葉は刈り込まなくてはならない。」
無駄な枝葉を刈り込む
『スティーヴン・キング 小説作法』( スティーヴン・キング, アーティストハウス, 2001)
書き直しの公式第二稿 = 初稿 ー 10%
無駄な枝葉を刈り込む
『スティーヴン・キング 小説作法』( スティーヴン・キング, アーティストハウス, 2001)
「今も私は、短編の初稿が四千語なら、二稿は三千六百語を目安にしている。長編の場合は、初稿が三十五万語なら、書き直して三十一万語、できれば三十万語を超えないように努力する。それでおさまらないことはほとんどない。」
書き直しの公式第二稿 = 初稿 ー 10%
『スティーヴン・キング 小説作法』( スティーヴン・キング, アーティストハウス, 2001)
「作品の本筋と味わいを損なわずに十パーセントの削除が不可能だとしたら、努力が足りないのである。」
書き直しの公式第二稿 = 初稿 ー 10%
『私という小説家の作り方』(大江健三郎, 新潮社, 1998)
「書きなおしを開始するには,自分の書いたものに直面する勇気が必要である。」
書き直すためには
『私という小説家の作り方』(大江健三郎, 新潮社, 1998)
「書きなおしは、自分で自分にこの種の「暴力」を加えることである。それをやられる自分、つまり書きおえたばかりで、まだ草稿と血のつながっている ――― というよりもっと即物的に血管がつながっている ――― 自分にも、やる自分にも勇気がいる。また、書きなおすためには、書いた言葉、書いた文章を客観化して見なおすことのできる、批評的な態度が必要だ。」
書き直すためには
『私という小説家の作り方』(大江健三郎, 新潮社, 1998)
「自分が書いた文章を読みなおすと、単語について、文節、文章、そしてもっと大きいかたまりとしての文章について、これはこのままにしておいてはならない、と感じられるところが眼につく。少なくとも違和感がある。そこでその点をいじってみる。そこから、書きなおしの作業が始まるのだ。」
違和感
『ひとは情熱がなければ生きていけない』(浅田次郎, 講談社, 2007)
「文章とは言葉の配列による意思の伝達形式である。ここでも、まず初めに言葉の選別があり、選ばれた言葉の配列によって文章が作り出され、それらの壮大な集積が物語を形成する。」
必然的な表現へと向かう
『ひとは情熱がなければ生きていけない』(浅田次郎, 講談社, 2007)
「ひとつの動きを表現するためにはひとつの動詞しかなく、ひとつの形容をなすためにはひとつの形容詞しかないと言い切るフローベルの訓えは至言である。言語の選別とは、あたかも科学的定理のように、必ず存在する絶対的表現を模索することであろうと私は思う。」
、、、、、、、、、、、おし しげん
必然的な表現へと向かう
『詩を書く:私はなぜ詩をつくるのか』(谷川俊太郎, 思想社, 2006)
「最終的には語と語の順列組合わせでしかない文章というものにおいて、私たちは或る一語の次に他の一語を択ぶ。その選択には動かすことのできない必然性があると私たちは感じている。」
必然的な表現へと向かう
『詩を書く:私はなぜ詩をつくるのか』(谷川俊太郎, 思想社, 2006)
「私たちは言語に対して常に能動的に択ぶことが可能だろうか。時には私たち自身の意志に反して、言葉が吸い寄せられてくる、或いはむしろ言葉のほうが私たちを択んでくると言ったほうがいい状態があるのではないだろうか。」
必然的な表現へと向かう
『詩を書く:私はなぜ詩をつくるのか』(谷川俊太郎, 思想社, 2006)
「言葉を択び、ひとつの方向に整える力は私たちの内在している。だが、それに応える力もまた言語に内在しているのだ。文章は個人によって生まれながら、個人を超えたものを指し示す。そこに言語の底知れぬ深みがある。」
必然的な表現へと向かう
ここで、自分のことを振り返ってみよう。
経験豊富な「言葉の職人」でさえ、しっかり取っている改稿の時間を、僕らはきちんと取っているだろうか?
何回も時間をかけて改稿する
「書き上げた」は道半ば
経験豊富な「言葉の職人」が、これだけの労力をかけてやっていることを、僕らはどれだけきちんとできているだろうか?
ネジを締める
文字の配列との格闘一歩下がって森を眺める
無駄な枝葉を刈り込む
自分が何を語ろうとしているかの確認暗唱できるほど何十回も読む
言葉を必然的なレベルの表現にしようとしているだろうか?
必然的な表現へと向かう
創造システム(発見の連鎖)
心的システム(意識の連鎖)
《創造》
《発見》《発見》
《発見》
その《創造》における《発見》が次々と続いていくこと
創造的creative
オートポイエーシスautopoiesis
《創造》
《発見》《発見》
《発見》
オートポイエーシスautopoiesis
文章を書くという創造行為は、内容と表現をめぐる「発見」の生成・連鎖である。
文章を書くという創造行為は、内容と表現をめぐる「発見」の生成・連鎖である。
内容を深める「発見」の生成・連鎖が中心
よりよい表現をめぐる「発見」の生成・連鎖
文章の書き直しとは、より適切な表現をめぐる「発見」の生成・連鎖である。
『私という小説家の作り方』(大江健三郎, 新潮社, 1998)
「書きなおしは、自分で自分にこの種の「暴力」を加えることである。それをやられる自分、つまり書きおえたばかりで、まだ草稿と血のつながっている ――― というよりもっと即物的に血管がつながっている ――― 自分にも、やる自分にも勇気がいる。また、書きなおすためには、書いた言葉、書いた文章を客観化して見なおすことのできる、批評的な態度が必要だ。」
書き直すためには
文章の書き直しとは、より適切な表現をめぐる「発見」の生成・連鎖である。
「自分」から離れて、発見を連鎖させていく感覚をもつ。
「自分が書いた文章を読みなおすと、単語について、文節、文章、そしてもっと大きいかたまりとしての文章について、これはこのままにしておいてはならない、と感じられるところが眼につく。少なくとも違和感がある。そこでその点をいじってみる。そこから、書きなおしの作業が始まるのだ。」
違和感
文章の書き直しとは、より適切な表現をめぐる「発見」の生成・連鎖である。
「表現の上」での違和感の発見 → その修正のよい案の発見
『私という小説家の作り方』(大江健三郎, 新潮社, 1998)
文章の書き直しとは、より適切な表現をめぐる「発見」の生成・連鎖である。
『ひとは情熱がなければ生きていけない』(浅田次郎, 講談社, 2007)
必然的な表現へと向かう「ひとつの動きを表現するためにはひとつの動詞しかなく、ひとつの形容をなすためにはひとつの形容詞しかないと言い切るフローベルの訓えは至言である。言語の選別とは、あたかも科学的定理のように、必ず存在する絶対的表現を模索することであろうと私は思う。」
、、、、、、、、、、、おし しげん
絶対的表現へと向かって、表現の発見を連鎖させていく。
『詩を書く:私はなぜ詩をつくるのか』(谷川俊太郎, 思想社, 2006)
「最終的には語と語の順列組合わせでしかない文章というものにおいて、私たちは或る一語の次に他の一語を択ぶ。その選択には動かすことのできない必然性があると私たちは感じている。」
文章の書き直しとは、より適切な表現をめぐる「発見」の生成・連鎖である。
必然的な表現へと向かう
「自分」にとってではなく、表現の中でのフィットネス
『詩を書く:私はなぜ詩をつくるのか』(谷川俊太郎, 思想社, 2006)
文章の書き直しとは、より適切な表現をめぐる「発見」の生成・連鎖である。
必然的な表現へと向かう
「私たちは言語に対して常に能動的に択ぶことが可能だろうか。時には私たち自身の意志に反して、言葉が吸い寄せられてくる、或いはむしろ言葉のほうが私たちを択んでくると言ったほうがいい状態があるのではないだろうか。」
「自分」にとってではなく、表現の中でのフィットネス
★改稿の時間をしっかり取る。
★より適切な表現をめぐる「発見」の生成・連鎖を続ける。
★表現を必然的なレベルにもっていくことを目指す。
ネジを締める
文字の配列との格闘一歩下がって森を眺める
無駄な枝葉を刈り込む
自分が何を語ろうとしているかの確認暗唱できるほど何十回も読む
必然的な表現へと向かう
何回も時間をかけて改稿する
文章のクオリティを上げる方法
『社会システム理論:不透明な社会を捉える知の技法』井庭 崇 編著, 宮台 真司. 熊坂 賢次, 公文 俊平,
慶應義塾大学出版会, 2011の
プロローグ
(僕なりに)ネジを締めた文章
文章のクオリティを上げる方法
井庭 崇(Takashi Iba)慶應義塾大学SFC 総合政策学部准教授
井庭研レクチャーズ Vol.3
takashiiba
2013年5月9日