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要 旨 「源氏後集余情」は、柳亭種彦(1783 ~ 1842)作、歌川国貞(三代豊国、1786 ~ 1869)画の『偐紫田舎源氏』(1829 ~ 42)に由来する源氏絵である。旧来、源 氏絵とは『源氏物語』の情景を描いた絵画を指していたが、幕末に『偐紫田舎源氏』 の主人公である足利光氏を描いた錦絵が多数制作されるに至って、これらも源氏 絵と総称されるようになった。「源氏後集余情」は二枚続大判錦絵の揃物で、国貞 が安政四年から文久元年(1857 ~ 1861)にかけて制作したものであるが、その詳 細はいまだ明らかになっていない。 本稿の課題は、国貞が「源氏後集余情」という揃物を制作するにあたって、『偐 紫田舎源氏』の表紙や口絵、挿絵をどのように編集、改変することによって、ど のような受容者の、どのような欲望に訴えかけようとしたのかを考察することで ある。 そのために、典拠となった『偐紫田舎源氏』の図様と「源氏後集余情」の図様 を比較、分析する。その結果、男女一対の図様に編集したり、大名を連想させる 文様や歌舞伎の衣裳に改変したりすることによって、大名の夫人に仕える御殿女 中や、その予備軍である嫁入り前の富裕な町人や下級武士の子女の関心に応えよ うとしていた可能性を指摘する。「源氏後集余情」の図様は、御殿女中にとっては、 生来の身分から脱却して職業的自立や栄達への欲求を、またその予備軍である少 女たちにとっては、豪奢な生活空間への憧れに訴えかけ、それぞれの理想的な人 生設計を視覚化したものであったと考えられる。 キーワード 日本語 日本文化 美術史 源氏絵 偐紫田舎源氏 歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について -受容者としての御殿女中- Utagawa Kunisadas Genji Goju Yojo, the set of large-sized nishiki-e prints based on the serialized novel Nise Murasaki Inaka Genji : waiting women in a shogun or daimyo's palace as its receiver 村木 桂子 57 『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第14号  pp. 57 - 78(2016. 3)

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  • 要 旨 「源氏後集余情」は、柳亭種彦(1783 ~ 1842)作、歌川国貞(三代豊国、1786

    ~ 1869)画の『偐紫田舎源氏』(1829 ~ 42)に由来する源氏絵である。旧来、源

    氏絵とは『源氏物語』の情景を描いた絵画を指していたが、幕末に『偐紫田舎源氏』

    の主人公である足利光氏を描いた錦絵が多数制作されるに至って、これらも源氏

    絵と総称されるようになった。「源氏後集余情」は二枚続大判錦絵の揃物で、国貞

    が安政四年から文久元年(1857 ~ 1861)にかけて制作したものであるが、その詳

    細はいまだ明らかになっていない。

     本稿の課題は、国貞が「源氏後集余情」という揃物を制作するにあたって、『偐

    紫田舎源氏』の表紙や口絵、挿絵をどのように編集、改変することによって、ど

    のような受容者の、どのような欲望に訴えかけようとしたのかを考察することで

    ある。

     そのために、典拠となった『偐紫田舎源氏』の図様と「源氏後集余情」の図様

    を比較、分析する。その結果、男女一対の図様に編集したり、大名を連想させる

    文様や歌舞伎の衣裳に改変したりすることによって、大名の夫人に仕える御殿女

    中や、その予備軍である嫁入り前の富裕な町人や下級武士の子女の関心に応えよ

    うとしていた可能性を指摘する。「源氏後集余情」の図様は、御殿女中にとっては、

    生来の身分から脱却して職業的自立や栄達への欲求を、またその予備軍である少

    女たちにとっては、豪奢な生活空間への憧れに訴えかけ、それぞれの理想的な人

    生設計を視覚化したものであったと考えられる。

    キーワード日本語 日本文化 美術史 源氏絵 偐紫田舎源氏

    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-

    Utagawa Kunisada’s Genji Goju Yojo, the set of large-sized nishiki-e prints based on the serialized novel Nise Murasaki Inaka Genji : waiting women in a shogun or daimyo's palace

    as its receiver

    村木 桂子

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号  pp. 57 - 78(2016. 3)

  • 1 はじめに 王朝文学の華である『源氏物語』の情趣ある情景を絵画化したものは「源氏絵」と呼ばれ、やまと絵の主要な画題として描き継がれてきた 1。ところが、十七世紀になると出版文化の発達にともなって、『源氏物語』のダイジェスト版である『絵入源氏物語』(承応三年、1654)が出版され、この絵入り版本を媒介としてこれまで『源氏物語』に無縁であった町人やその子女にも王朝文化が享受されるようになった 2。そればかりでない。十九世紀には、柳亭種彦(1783 ~ 1842)が『源氏物語』を室町時代の足利将軍家に翻案した合巻『偐紫田舎源氏』(1829 ~ 42)を出版し、歌川国貞(三代豊国、1786 ~ 1869、以下国貞と称す)が当世風俗にやつして描いた挿絵が大評判になり、その流行にあやかって主人公の足利光氏を描いた錦絵が多数制作されるようになった 3。そのため、『偐紫田舎源氏』を典拠とする錦絵も「源氏絵」と称されるようになり、幕末の源氏絵といえば、国貞をはじめとする歌川派の浮世絵師によって描かれた足利光氏の絵を指すほどであった。千点を超える夥しい数の錦絵が制作されたというが、本論で取り上げる「源氏後集余情」もその一種である 4。 「源氏後集余情」は、『偐紫田舎源氏』の挿絵を描いた国貞自身が、安政四(1857)年から文久元(1861)年にかけて制作した二枚続大判錦絵の揃物である。ただし、錦絵の源氏絵そのものがこれまであまり顧みられてこなかったようで、「源氏後集余情」についてもその詳細が明らかになっているわけではない。そのような状況下で、2008年に京都文化博物館で開催された「読む、見る、遊ぶ 源氏物語の世界―浮世絵から源氏意匠まで―」は、「庶民の源氏受容のエネルギー表出の一例」として、錦絵の源氏絵を多数紹介した画期的な展覧会として注目に値する 5。たしかに、佐藤悟が指摘しているように、『偐紫田舎源氏』の挿絵と源氏絵を比較することは、錦絵における源氏絵の研究および再評価のためにも不可欠な作業であることは言うまでもない 6。もっとも、ここで言う「庶民」という概念はきわめて外延が広く、漠然としている。したがって、それぞれの源氏絵が、受容者としてどのような社会集団を想定しているのかを、具体的に検討する必要があるように思われる。 本稿の課題は、国貞が「源氏後集余情」という揃物を制作するにあたって、『偐紫田舎源氏』の表紙や口絵、挿絵をどのように編集、改変することによって、どのような受容者の、どのような欲望に訴えかけようとしたのかを考察することである。 そのために、『偐紫田舎源氏』の表紙、口絵、挿絵と「源氏後集余情」の図様を比較、分析し、その構成や図様の特徴を明らかにすることを試みる。まず、現存する「源氏後集余情」の揃物として、最も収集枚数が多く、完全なものに近いと思われる国会図書館A本を取り上げ、作品の概要と全体の構成を概観する。次に、画中の色紙形に『源氏物語』五十四帖の名を記し、料紙装飾風の紙を用いるなど、王朝的要素が見受けられることを指摘する。そのうえで「源氏後集余情」の図様が『偐紫田舎源氏』の表紙、口絵、挿絵をどのように編集し、改変しているのかを分析する。分析の結果、男女一

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号

  • 対の図様に編集したり、将軍や大名を連想させる文様や歌舞伎の衣裳に改変したりすることによって、受容者の興味や関心に応えるべく図様を変容させたことを指摘する。 おわりに、以上のことを踏まえて、国貞は「源氏後集余情」の受容者として、大名の夫人や姫君に仕えた御殿女中と、良縁を得るためのステータスである御殿女中に憧れていた富裕な町人や下級武士の子女などのいわば御殿女中予備軍というべき人々を想定していた可能性を指摘する。すなわち、御殿女中として奉公している者にとっては、その職制に入ることによって職業的に自立し、かつ栄達への道が開ける可能性があり、地位、財力、美貌を兼ね備えた光氏と女性が一対となった「源氏後集余情」は、生来の社会的階層を越境しようとする欲望を掻き立てるものであったことだろう。また、その予備軍である子女にとっては、「源氏後集余情」は、華美な生活や芝居などの流行を享受できる御殿女中になりたいという憧憬を増幅させるものであったにちがいない。つまり「源氏後集余情」は、御殿女中そのものとその予備軍にとって、理想的な人生設計を視覚化したものであった可能性に言及する。

    2 「源氏後集余情」の概要2.1 揃物の諸本

     歌川国貞が描いた《今様見立士農工商 商人》(大判錦絵、三枚続、安政四年、図1)は、「源氏後集余情」についての興味深い描写がある。これは、江戸時代末期に上野広小路に店を構えた地本問屋の魚屋栄吉の店先の様子を描いた錦絵である。地本問屋とは、地元江戸で出版された錦絵や草双紙、浄瑠璃本などの通俗的出版物を発行する版元であると同時に、小売業も兼ねており、なかでも魚屋栄吉は幕末の有力な地本問屋の一つであった 7。 画面左端の壁には「一立斎広重筆 名所江戸百景 大にしき百番つづき」と広重最晩年の大作の名称が掲げられ、続いて「一陽斎豊国画一世一代 源氏後集余情 極彩色大錦画 二枚続五十四番」と書かれた大きな広告文字が見て取れる 8。ここで宣伝されている「源氏後集余情」が魚屋栄吉で最初に出版されたのは、現存作品に残る改印から安政四年(1857)十二月以降であることがわかる 9。つまり、安政四年八月の改印がある《今様見立士農工商 商人》が発売された時点において、すでに「源氏後集余情」が二枚続五十四組の揃物として企画されていたことが知られるのである。 ところが、現在までに確認出来た「源氏後集余情」を一覧にした【別表1】をみると、収集枚数が最も多い国会図書館A本でさえも、二枚続三十八組であり、《今様見立士農工商 商人》で広告が示している五十四組がすべて実見できているわけではない。もちろん「源氏後集余情」には、【別表1】に挙げた以外に未確認の作品がある可能性も否定できない。ただし、現存する「源氏後集余情」の揃物として、最も収集枚数が多く、完全なものに近いと考えられる国会図書館A本が最適であることから、本稿では、「源氏後集余情」の全容を解明する手掛かりとして、国会図書館A本を考察の対象に取り

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    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-(村木 桂子)

  • 上げることにする。

    【図1】 歌川国貞(三代豊国)画《今様見立士農工商 商人》魚屋栄吉版、大判錦絵、三枚続、安政四年(1857)八月、国立歴史民俗博物館

    2.2 国会図書館A本の概要

     【別表1】は、現在までに確認出来た「源氏後集余情」の揃物一覧である。表の左から、画中に記された巻数、巻名および巻名に対応する『源氏物語』帖数を示し、版元、刊行年、刊行月、所蔵先を記したものである。版元の魚屋栄吉をA、林屋庄五郎をB、若狭屋与市をC、恵比須屋庄七をDで示し、刊行年は西暦下二桁で表示した。 これによると、「源氏後集余情」(国会図書館A本)は安政四年(1857)十二月から文久元年(1861)の五年間にかけて、魚屋栄吉、林屋庄五郎、若狭屋与市、恵比須屋庄七の四軒の版元から合梓された揃物であることがわかる。版元と揃物については第三節で後述する。 まず作品を見ると、大判錦絵の乳白色の地紙に黄色、薄茶色、薄緑色などを用いて、金銀の切箔や砂子を模した文様を摺り込んでおり、料紙装飾を彷彿とさせる。一部に縮緬状の皺が見られることから、儀礼用の紙として用いられた檀紙のような風合いで格調の高さが感じられる。さらに二枚で一対をなす画面には、一枚ずつに短冊形とその左隣に色紙形が摺り込まれ、あたかも紅色に染めた短冊や打曇を施した色紙形を料紙に貼り付けたように見える。 第一巻桐壺を例に挙げると、二枚続の画面にはそれぞれに短冊形の中に「源氏後集余情」と揃物の名称を記し、短冊形に隣接する色紙形の中に左は「第一の巻」と巻数を、右は「桐壺」と巻名を記している。以下、巻数、巻名は【別表1】のとおりで、巻名は『源氏物語』五十四帖の帖名を記したようである。色紙形に記された巻数と巻名は、二枚続の左右いずれかに付されており、その配置については、画面の外側、内側などさまざまで、特に法則性は認められない。さしずめ、人物を配置したあとで画全体のバラ

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号

  • ンスを見て余白に配したものだろう。 画中の人物については第四章で後述するが、無背景の画面に主たる人物である『偐紫田舎源氏』の足利光氏と女性を対にして描き、呼応もしくは連続する構図を作り上げている。光氏であることは、海老茶筅髷という光氏のトレードマークともいうべき特徴的な髷の形でそれと知れる。調度品、衣裳、髪形、小物などは精緻な文様が施され、そこには多彩な重ね摺りや繊細なぼかし摺りが施されている。例えば夏用の着物である絽は、襦袢の色が透けて見える織物の特徴まで正確に表現するなど、細部までゆるがせにしない巧みな描写である。これらは嘉永以後の国貞の役者絵や美人画を手がけた著名な彫師である「彫竹」こと横川竹二郎によるものが多く見られ 10、絵師だけでなく、彫師、摺師の卓抜とした技量に支えられて、豪華で上質な錦絵を創り上げている。

    2.3 版元と揃物

     【別表1】で国会図書館A本における版元の割合をみると、Aの魚屋栄吉が 37 パーセント、Cの若狭屋与市が 26 パーセント、Bの林屋庄五郎が 19 パーセント、Dの恵比須屋庄七が 18 パーセントを占めている。このように「源氏後集余情」のシリーズは、単独で揃物を出版する際のリスクを回避し、資金面での安全性を確保するため、四軒の版元が共同出版する合板がおこなわれ、共存共栄の関係を築いていた 11。 年代順にみると、安政四年(1857)十一月の改印がある林屋庄五郎版の「第二巻はゝき木」、「第六巻わかむらさき」、十二月の改印がある魚屋栄吉版「第四巻末摘花」、「第十四巻あふひ」、「第三十一巻をとめ」の都合五件が最初に出版されている。このような出版状況をみると、第一巻の桐壺から順次発売していったのではなく、一見何の脈絡もなく順不同に発売されたように見える。 しかしながら、浮世絵の新板が正月に発売される慣例があったことを踏まえて改めて画を見ると、魚屋栄吉版の二件は新春の発売に加えて、揃物のスタートに相応しい吉祥性や祝儀性を備えた図様であることがわかる 12。なぜなら、「第三十一巻をとめ」で雪洞に掛けた振袖の松竹梅は正月を言祝ぐ吉祥柄であり、衝立に描かれた鴛鴦と梅竹は夫婦和合を象徴するモチーフであり 13、男(氏仲)の衣裳に描かれた杜若は、『伊勢物語』の八橋で妻への愛情を詠った「唐衣」の歌を連想させるからである。そのうえ光氏と紫の新枕の翌朝の情景を描いた「第十四巻あふひ」も婚礼の祝儀性を感じさせる図様である。 安政五(1858)年になると、魚屋栄吉が十件、林屋庄五郎が五件、さらに新たに参入した若狭屋与市が八件と前年の五倍の二十五件が出版されていることから、「源氏後集余情」が揃物として流行し、堅調な売り上げを保っていたことは相違ない。ところが安政六年には、魚屋栄吉が一件、新規参入の恵比須屋庄七が五件、文久元年には若狭屋与市の二件と流行の波が急速に引いていった様子が窺える。 揃物という商品形態は、数年にわたって発売される過程で、時流の変化や顧客の動

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    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-(村木 桂子)

  • 向によって売り上げが左右されるため、必ずしも当初の計画に則って販売されたわけではないようである。例えば、葛飾北斎の《富嶽三十六景》(天保二~四年、1831 ~35、永寿堂西村屋与八)は、当初は作品名に掲げられた三十六景の揃物として出版されたが、あまりに評判が高かったことから、後に十図を追加して四十六景になったという。このように、揃物の出版は売り上げ次第では、当初の計画に拘らずに変更されたことを示しているが、売り上げ不振であった場合は、シリーズ化の中断があったにことは想像に難くない。そうであるならば、「源氏後集余情」においても、五十四組という当初の出版計画が、何らかの事情で頓挫したか、あるいは変更を余儀なくされた可能性も考えられるだろう。

    2.4 国会図書館A本の構成

     国会図書館A本は、現在一冊の画帖に纏められている。浅葱色の表紙に「源氏後集余情 一陽斎豊国筆」と記した題簽がある。冒頭には和歌三神が貼付されている。「源氏後集余情」と同じく大判錦絵で料紙装飾に擬えた紙に短冊形をあしらい、その中に「和哥三人 左 柿本人麻呂」「和哥さん人 中 玉津島明神」「和哥さん人 右 山辺の赤人」と書き入れている。紫雲たなびく背景に歌人を描き、縁の和歌を付しており、画は香蝶楼国貞である。版元は古賀勝であるが、制作年代は不明である。落款、版元が「源氏後集余情」と異なるため、当初から一具として制作されたというよりは、後に組み合わされた可能性が高いように思われる。しかしながら、料紙装飾風の地紙や無背景に人物を配する画面構成は「源氏後集余情」と近似している。 つぎに短冊形に「源氏後集余情 発端」、色紙形に「石山寺源氏の間」と書き込まれ、「一陽斎歌川豊国筆」の落款がある。文机に向かって源氏物語を創作する紫式部は、見返って窓の外の月を眺めているかのような姿で描かれている。その後に【別表1】にあるように『源氏物語』の帖名を記した「源氏後集余情」の「第一巻桐壺」から「第五十一巻うきふね」までの三十八組七十六枚が続いており、概ね男女交互に配されている。 このような画帖の構成は、冒頭に和歌の神と崇拝される歌人と『源氏物語』の作者という王朝文学を代表する人物を配することによって、「源氏後集余情」は王朝文学の雰囲気を色濃く表している。

    3 『源氏物語』五十四帖との関係3.1 作品名

     「源氏後集余情」を『国書総目録』で調べると、以下のような記述を見つけることができる。「源氏後集余情 げんじこうしゅうよじょう 一帖 歌川豊国画 国会・早大」、また別項目には、「源氏五十四帖 一冊 絵画 歌川豊国 国会(東海道五十三次を付す)・岩瀬」というものもある 14。いずれも一帖、一冊という員数であることから、こ

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号

  • れらは画帖などに纏めて貼り付けられたものであることがわかる。国会図書館と早稲田大学図書館に所蔵される「源氏後集余情(げんじこうしゅうよじょう)」と国会図書館所蔵の「源氏五十四帖」は同じ内容の作品であることが確認できたことから、「源氏後集余情」という名称は、『源氏物語』五十四帖を強く意識していることが窺える。 さらに、実作品を丹念に見ていくと、短冊形に「源氏後集余情」と書かれた右肩に「げんじごしふよじやう」とルビを付したものが散見できる。ルビが付されているのは四軒の版元のうち、Bの林屋庄五郎、Cの若狭屋与市が出版した一部の作品で確認できる。これは揃物として最初に出版された安政四年十一月の改印のある林屋庄五郎版の「第二巻はゝき木」(図2)「第六巻わかむらさき」を端緒とする都合十一組であり、現存作品のおよそ三割を占めている(【別表1】)。したがって、本作品は発売当初から「げんじごじゅうよじょう」と『源氏物語』の五十四帖をもじった名称であることを鑑賞者に明確に示すことによって、これが『源氏物語』のパロディ作品として意図したものであることを印象づけているのである。 ちなみに、『国書総目録』に記載されている岩瀬文庫所蔵の「源氏五十四帖」は、歌川国貞が嘉永五年から安政元年(1852 ~ 54)にかけて五十四組の揃物として制作した中判錦絵で、「今源氏錦絵合」の名称で知られるが、本稿で取り上げる「源氏後集余情」と一部で類似する図様が認められるものの、全体の構成は全く異なる別作品である 15。

    【図 2】「源氏後集余情」「第二巻はゝき木」、林屋庄五郎版、安政四年(1857)

    3.2 巻数と巻名

     「源氏後集余情」は【別表1】によると第一巻から第五十一巻まであるが、巻数や巻名が重複して別の版元から出版されているものや、あるいは同じ版元から別の年に異なる図様で出版されている例が見受けられるため、揃物の構成を考える上で注意を要する。例えば第十一巻の「花散里」は若狭屋与市が安政五年に出版したが、翌年の安政六年には魚屋栄吉が全く異なる図様で出版しているのである。また魚屋栄吉から二

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    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-(村木 桂子)

  • 種類の「あふひ」が出版されているが、安政四年は第十四巻として光氏と紫を、安政五年は第十三巻として阿古木と光氏を組合せて新しい図様を創り上げているのである。 このような合板の状況をみると、版元同士の足並みは必ずしも揃っていなかったように感じられる。現状では五十四組の揃物としては不完全なものであるが、「十九世紀初頭以前の錦絵の揃物が数枚、もしくは十数枚程度で一揃いを構成しているにもかかわらず、今日完全な揃いの形で収蔵されている例は必ずしも多くはない」といい、その理由として、「当初から揃いで所蔵・鑑賞するという意識がそれほど強くはなかった」ことを挙げている 16。したがって、「源氏後集余情」の出版状況から鑑みると、今で言う高額な豪華本のように画帖として一括販売をしたのではなく、一枚ずつ売り出していったことがわかる。つまり、光氏と女性の組合せや情景、衣裳など、購買者が自分の好みに合った錦絵を選択して、 一枚ずつコレクションしていく楽しみ方があったと思われる。 ところが、「源氏後集余情」の画中には「第一巻桐壺」「第二巻はゝき木」など巻数と巻名が記されているが、典拠となった『偐紫田舎源氏』には、第一編から第三十八編まで編数が示されるのみで、『源氏物語』のような帖名(巻名)は付けられていない。 そこで、「源氏後集余情」の巻数、巻名について考える上で、国貞が「源氏後集余情」に先んじて制作した中判錦絵の《今源氏錦絵合》(嘉永五~安政元年、1852 ~ 54)を参考にしたい。これは『源氏物語』と『偐紫田舎源氏』の各巻から一場面を選んで、五十四帖の揃物にしたものである。

    【図 3】「源氏後集余情」第廿四巻胡蝶 【図 4】『偐紫田舎源氏』第二十四編口絵

     例えば、「源氏後集余情」(図 3)は、『偐紫田舎源氏』第二十四編上の口絵(図 4)に基づいて描いた図である。第二十四編は『源氏物語』の「澪標」「蓬生」「関屋」の趣を移して翻案したものであり、光氏と空衣が逢坂の関で邂逅するこの図は、『源氏物語』第十六帖の「関屋」での光源氏と空蝉の出会いをやつしたものであることは明白である。図 3の「源氏後集余情」は、網代の屋根、竹で編んだ円形の底で、垂れの無い、

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号

  • 山道専用の山駕籠が画面中央に置いてあり、光氏は駕籠のなかを覗き込んで、文を結び付けた紅葉の一枝を置いている。駕籠の底には、旅浴衣を敷き、駕籠の内に裾の一部を残して、向う側へ抜け立つ空衣を描いている。一方、図 4の『偐紫田舎源氏』の口絵では、本編の主要人物を紹介するという口絵の性質上描かれた画面右の少女磯菜は、「関屋」を翻案したこの場面には本来登場しないため削除し、二重枠の外側に描いた山路と左上方の逢坂の関も削除している。そうすると、「源氏後集余情」とほぼ同じ図様になることから、『偐紫田舎源氏』が図様の典拠になっていることがわかる。 そこで「今錦源氏絵合」を見ると、駕籠を挟んで光氏と空衣が向かい合う図様は『偐紫田舎源氏』の見開き一枚分(一丁分)を半丁の画面に再構築しているため、やや窮屈な感は否めないが、『偐紫田舎源氏』とほぼ同様の図様を踏襲している。画中には「関屋 十六」と『源氏物語』の帖数と帖名を明記しているとはいえ、当世風の衣裳をまとった足利光氏を描いている。つまり、原典の帖数や帖名を付けることによって、鑑賞者に『源氏物語』のどの情景をやつしているのかを明確に示しているのである。 この慣例に従えば、「源氏後集余情」では、「第十六巻関屋」と記すところを「第廿四の巻胡蝶」と記しており、図の内容と原典の帖数、帖名が合致していない。これは「源氏後集余情」の受容者が、「今源氏錦絵合」の受容者のように画中の人物と原典の帖名をセットにして物語の情趣を鑑賞しようというよりは、雅やかな帖名をある種記号のようなものと捉えていたことを意味している。したがって、その帖名を冠することによって、雅な王朝世界の雰囲気を感じることの出来る、いわば源氏名のような機能と同一視されていた可能性はあるだろう。

    4 『偐紫田舎源氏』の関係4.1 『偐紫田舎源氏』の概要  

     文化十二年から天保十三年(1829 ~ 42)にかけて、柳亭種彦は『源氏物語』を室町時代の足利将軍家を舞台に移して翻案した『偐紫田舎源氏』を版元の鶴屋喜右衛門から三十八編の合巻として出版した。合巻とは、挿絵入りの通俗的な読み物である草双紙の一種で、歴史や実録を題材とした娯楽的な読み物である。『偐紫田舎源氏』は一大ブームを巻き起こし江戸後期の合巻の代表作となった。ところが、天保十三年八月、天保の改革のあおりを受けて、幕府から発禁処分が下されため三十八編で中断した。処分理由については、大奥をモデルにしたからとも、華美な体裁であったからともいわれているが、不明である。

    【図 5】歌川国貞「今源氏錦絵合」中判錦絵、「十六 関屋」

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    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-(村木 桂子)

  •  第三章では、「源氏後集余情」の巻名に『源氏物語』の帖名を借用していることを述べたが、巻数については言及しなかった。【別表2】によると、「源氏後集余情」巻名は『偐紫田舎源氏』の編数とほぼ合致していることが分かる。例外として「第十三巻あふひ」は第十二編下冊の挿絵を、「第十五巻さかき」は、第十三編下冊の挿絵を典拠としている。このような齟齬は柳亭種彦の翻案姿勢によるところが大きい。というのも、柳亭種彦は原典を翻案する際に時間的経過を重視するあまり、いくつかの帖で部分的な入れ替えが行われており、その結果、話が前後してスムーズな流れが妨げられるようになったからだという 17。 物語の梗概は、将軍足利義正の妾腹の一子である足利光氏は、才勇兼備で美貌の貴公子であったが、家督横領をねらう山名宗全の陰謀を暴くために、『源氏物語』の光源氏に擬えた女性遍歴を通じて、宗全に奪われていた伝家の重宝類を次々と奪還する。その後、須磨、明石へ退いていた山名の親族を抑えて乱を鎮圧して都に戻り、将軍の後見役となって栄華を極めるというものである。  室町時代に仮託した物語であったが、挿絵を描いた歌川国貞は、江戸時代の風俗として『偐紫田舎源氏』の世界を詳細に視覚化した。国貞の挿絵の特徴については、第二節で後述するが、美麗な服飾や調度品を精緻に描写して、江戸城大奥を彷彿とさせる世界を創り上げて大評判となり、爆発的な売れ行きによって、版元の鶴屋喜右衛門は傾きかけた身代を立て直すことが出来たほどであったという。 そのうえ、国貞が描いた服飾、髪型などは新しい流行を産みだしたばかりか、歌舞伎や浄瑠璃などでも舞台化され江戸の文化に大きな影響を与えたのである。ところが、一大ブームを巻き起こした『偐紫田舎源氏』は、天保十三年の天保の改革の際に突如絶版の処分を受け、柳亭種彦もその後ほどなくして死去したため、以降三十九編、四十編は草稿のみが残っている 18。 つぎに『偐紫田舎源氏』の体裁である合巻について述べる。合巻とは、四巻(一巻五丁で計二十丁)で一編を形成し、これを二巻(十丁)ずつ上、下二冊に分けて、各冊に袋とじの美麗な錦絵摺付表紙を付すものである。表紙に続いて口絵、挿絵付の本文の順に綴られる。表紙、口絵、挿絵の特徴について順に述べると、表紙の紙には、白地に黄と褐色の小片を金砂子のように散らし、空摺りで無数の横皺を余白全面に摺り込んで檀紙の風合いを擬えた装飾がなされている 19。「源氏後集余情」の料紙装飾に擬えた地紙は、この表紙の装飾方法と近似していることから、表紙に倣っていることがわかるが、このような美麗な装飾は、当時の合巻としては破格のものであったようで、『守貞漫稿』には、「絵表紙凡て十二三編摺、其精製にして美なること未曾有也。近世の合巻皆絵草紙也と雖ども、此の美密に及ばず。」と記され、当時の人々が国貞の絵に注目していた様子が窺える 20。 表紙の上冊と下冊はそれぞれ単独でもさほど違和感はないが、これを横に並べてみると、各編で上、下一続きの呼応あるいは連続する図様が出現する。無背景に人物を

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号

  • 配する図様で、多彩な色彩が施されており、「源氏後集余情」に類似する図様も散見される。初編から三十八編までこの形式が貫かれているが、中には須磨、明石での生活を描いた第十八編の上、下冊、第十九編の上、下冊の四冊を横に並べると、四枚続の連続する大画面が出来上がる(図 6)。画中の人物の衣裳には多彩な色遣いや質感、微細な文様まで丁寧に描写しており、当時流行した衣裳を描いている点などから、美麗な衣裳を描出することに力を注いでいること確認出来る。 口絵では、上冊の最初の見開き一枚分(一丁分)の画面にモノクロで、本編の主要登場人物を描いて紹介している。例えば、第二十四編の口絵(図 4)は第三章第二節で述べたように、『源氏物語』「第十六帖関屋」の逢坂の関での光君と空蝉の邂逅をやつしたもので、駕籠を挟んで光氏と空衣が描かれ、人物の傍らには「光氏 わくらばにゆきあふみちを頼みしも 猶かひなしやしほならぬうみ」「喜代之助の妻空衣 逢坂の関やいかなる関なれば しげき歎のなかをわくらん」と記されている。登場人物の名前だけでなく、『源氏物語』で光源氏と空蝉の詠んだ和歌を示すことによって、誰を擬えているのかを明示しているのである。画面右の光氏の背後に振袖姿の磯菜が立っており、「阿古木の女磯菜」と書き込まれている。ただし、阿古木の娘である磯菜は下冊で登場するため、上冊のこの場面には居合わせないが、合巻の口絵では、あらかじめ本編の主要な登場人物を同一画面に描き込んで紹介するという慣例があるため、それに則って、後段に登場する人物を予め取り合わせて筋の変化を読者に予告しているためである。 挿絵では、見開き一枚分の画面に大きく、人物、調度品、背景などを書込み、その余白を埋めつくすように細かい文字で本文が記入されている。登場人物の着物の文様に紛れ込ませるように○に光の文字を入れて光氏を示したりするなど、たとえ本文を読んでいなくても、挿絵に描かれた登場人物の名前が同定できるような配慮がなされている。

    【図 6】『偐紫田舎源氏』表紙(左第十九編上、下冊、右第十八編上、下冊)

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    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-(村木 桂子)

  • 4.2 足利光氏の図様

     光源氏に擬えられた主人公足利光氏の姿は、錦絵の源氏絵の源泉であった。光氏の顔は、江戸で女方として活躍した歌舞伎役者で、夭逝した五世瀬川菊之丞(1802 ~32)をモデルにしているという 21。光氏の髪形は、「大髷の髻に紫紐を用い、先を二つに割った海老茶筅髷」という極めて特徴のある形で描かれており 22、『偐紫田舎源氏』の七編の挿絵以降はみなこの海老茶筅髷で統一している。 柳亭種彦はこの海老茶筅について『偐紫田舎源氏』三十八編序で「此草紙に光氏が、大将髷を海老の尾の、やうに割しは亀戸の案じ。初めの程は異な髪とおのれまで思ひしが、(略)悉此姿を写すに目馴れ、怪しき髪の風ともいはぬは、前にあげたる二箇器の、論の止みしに是同。画の流行せし功なるべし」と述べている 23。これによると、光氏の海老茶筅髷は、亀戸に住んでいた国貞の発案で、柳亭種彦は最初に見たときはその新奇な髪型に驚きを隠せなかったが、『偐紫田舎源氏』の爆発的な流行によって、人々の目に触れてだんだん馴染んでいき、光氏のトレードマークとなっていったことがわかる。 また、『偐紫田舎源氏』は歌舞伎に採り入れられ、天保九年三月に市村座で「内裡模様江戸紫」(ごしょもようげんじのえどぞめ)が上演され、足利光氏を市村羽左衛門、桂樹を岩井杜若が演じて評判となった。その時の芝居絵を国貞が描いたものが図 7である。市村羽左衛門が演じる光氏の髪形は紫の紐で結んだ海老茶筅髷で描かれ、細面で鼻筋の通った顔立ち、細くつり上がった眉、やや受け口な口元など細部まで、『偐紫田舎源氏』の光氏の図様と非常に近似しているのである(図3)。このように、『偐紫田舎源氏』で光氏というキャラクターに合わせて、創り上げられた特定の図様は、定型化して、錦絵の源氏絵に踏襲されていくのである。 さきの海老茶筅髷について柳亭種彦が述べた引用文では、種彦は素直に驚きを語っていることから、ともすると他の図様も国貞の発案であったように思えるが、『偐紫田舎源氏』の図様を考案し、割り付けを指示していたのは、作者である種彦自身であった。種彦の自筆稿本である「田舎源氏四編」で第四編口絵の「光氏、黄昏を古寺へいざなひし図」を見ると、人物の姿態、髪形、衣裳、持ち物や調度などのアウトラインが描かれている 24。さらに黄昏について、「三ぺんめのすゑに出したむすめ、十九ばかり てんぽうに見えて気のちいさな娘」や、手に持つ煙管については、「たばこどうぐ此本へははじめてかき申候」と朱筆で説明が書き入れられている。また、光氏の背後に立てられた屏風については、「地ごくのゑごめんどうならすこしにてよし」と記入しているが、種彦の稿本では迦陵頻伽や釜ゆでにされる地獄の情景が判別でき、そのうえ、屏風の本紙が破損した下には反古紙の文字まで描き込まれているという、実に微に入り細をうがった描写である。完成した国貞の口絵をみると、さらに詳細な地獄極楽図を描いて種彦の熱意に応えている。 このように、国貞の挿絵は、考証学に造詣の深かった種彦の発案、指示によるもの

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号

  • がほとんどであり、『偐紫田舎源氏』の図様は柳亭種彦によって生み出されたといっても過言ではないだろう。

    【図 7】歌川国貞(三代豊国)画《内裡模様源氏紫》天保九年

    【図 6】『偐紫田舎源氏』第十九編下冊拡大図  【図 7】《内裡模様源氏紫》拡大図

    4.3 図様の典拠と変容

     『源氏後集余情』が『偐紫田舎源氏』のどのような図様を典拠としているのかを具体的に指摘し、典拠となった図様をどのように改変して、転用したのかを分析することによって、国貞が図様の改変にあたって意図した点について言及する。 【別表2】は、「源氏後集余情」三十八組の図様が『偐紫田舎源氏』のどの図様を典拠としているかを一覧にしたものである。左に「源氏後集余情」の巻数、登場人物名を示し、括弧内には対応する『源氏物語』の人物名を記した。右には「源氏後集余情」の典拠となった『偐紫田舎源氏』の編数、典拠、変容、登場人物名を示した。ただし、『偐紫田舎源氏』は第三十八編で中断したため、「源氏後集余情」第三十九巻以降は、『偐紫田舎源氏』で典拠となる図様を見つけることができないため不明とした。また、図様の変容の状況については、四つに分類して記号で示した。すなわち、○は背景の削除などの軽微な変更点を除き、典拠の図様をほぼ踏襲しているもの、◇は典拠の図様

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    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-(村木 桂子)

  • に基づくが、人物の配置や構図などを改変し再構成したもの、◆は二つの図からモチーフを取捨選択して再構成したもの、▲は新規の図様および『偐紫田舎源氏』に依拠しない図様である。しかしながら、物語、挿絵の双方で典拠を見つけることが難しい▲については今回の分析では言及しないこととする。 典拠となった図様は、上、下冊の表紙を繋げた図、口絵、挿絵のそれぞれ見開き一枚(半丁二枚分)の三つに分類できた。そのうち、挿絵を典拠としたものは全体の 55 パーセントを占め最も多く、次いで口絵と出典不明のものはともに 16 パーセントで、表紙は13 パーセントであった。表紙は紙の装飾方法や彩色などの点において、最も「源氏後集余情」に近似しているにも関わらず、図様の転用が少ないのは、男女一対の図様が全体の 20 パーセントしかなかったことが要因であろう。というのも「源氏後集余情」では、『偐紫田舎源氏』でみられる女性同士や大人と子供の組合せが無く、ほぼ男女一対の図様で占められている点が注目に値するからである。

    4.3.1 表紙と変容

     表紙を典拠とするものは、三十八組のうち五組(○/ 3巻、4巻、6巻、17 巻、19 巻)であり、すべてが、表紙の上、下冊を繋げた図様とほぼ共通している。表紙と「源氏後集余情」は、料紙装飾に擬えた地紙の装飾方法や多彩な色彩などの点で共通しているため、ほとんど変更点は見られなかった。ただし、文様や色彩など軽微な変更が認められた。 典型的な例を挙げると、「源氏後集余情」第十九巻うすぐもとその典拠となった第十九編の表紙上、下冊(図5,6)である。「源氏後集余情」のほうが一見して色彩が多彩で鮮麗になっているが、上、下冊を並べた表紙の構図、モチーフの配置などはほぼ同じ図様である。衝立の前には浪間から抜け出したような唐美人が立っている。『源氏物語』「須磨」巻の末尾で、光君が夢に「そのさまとも見えぬ人」と見、「竜王」と解した怪人を、『偐紫田舎源氏』では、竜女の姿に仕立てているのである。この竜女は

    【図8】「偐紫田舎源氏」第十九編上下冊の表紙 【図 9】「源氏後集余情」第十九巻うすぐも

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号

  • 実は妖術師であり、内裏雛を手に、女雛を膝元に置いた光氏は、いぶかしげな視線を竜女に向けている。舟形の釣り花生に桃花を活けてあるのは、雛人形とともに上巳の節句を表すモチーフである。また、画面の上に舟形(花生)を配するのは、源氏物語図屏風などで明石の帖を暗示するモチーフとして広く知られており、見立てになっている。 唯一の変更点は竜女の仕草である。図 8の胸元で両腕を重ね合わせる姿から、図 9の左手を横に広げて屏風に描かれた海原を指し示す形に変更することによって、光氏の視線を浪間に誘導するとともに、竜女の腕を広げることによって大袖の文様の美しさを際立たせている。袖を振って広げる動作は能楽や歌舞伎などで、人物の美しさを強調する際に用いられることから、竜女自身を美しく見せる効果もあるだろう。

    4.3.2 口絵と変容

     口絵を典拠とするものは、三十八組のうち六組である。その中で、二組(○/7巻、10 巻)が衝立の模様や懐紙を加えるなどの変更点を除いて、典拠にほぼ忠実であったもので、あとの四組(◇/ 2巻、24 巻、26 巻、38 巻)は、几帳や棚などの背景の調度類や侍女などを削除したり、登場人物を反転したり、座り姿を立ち姿に変更したりすることによって、光氏と相手の女性の視線が呼応するように工夫している。 典型例を挙げると、「源氏後集余情」第二巻はゝき木の典拠となったのは第二編の口絵である。衝立を挟んで藤の方と光氏が背を向けて座り、『源氏物語』「桐壺」の末尾で御簾を隔てて「琴笛の音に聞き通ひ、ほのかなる御声をなぐさめにて」と光源氏が藤壺女御への思慕を募らせる情景を翻案している。 口絵の状況を踏まえつつもいくつか変更点が認められる。口絵の光君の膝元には犬と鳩の玩具があって、手に持つ笛も『偐紫田舎源氏』が出版された当時流行した玩具の「ぴいぴい」(縦笛)であるが、これを原典に忠実な横笛に変更している。また衝立ての絵柄は、『源氏物語』の絵入り版本などで見られる光源氏が横笛を吹いている図が描かれていたが、御簾を吊り下げた単純で色数の少ない衝立に変更することによって、人物の彩色や着衣の文様を際立たせようとする工夫が感じられる。 最も大きな変更は、藤の方が座り姿から立ち姿になっている点である。この変更によって、彼らの視線は依然呼応せずに、光氏と藤の方との距離がさらに遠くなり、二人の心理的な遠さも表している。しかし、それに対して両者は直角三角形の安定した構図を創り上げていることで、人物がより際立って見える。そのうえ、藤の方を立ち姿にしたことによって、着物の文様を綸子の紗綾形地から、胴と袖の部分に別の布を縫い合わせた胴抜きに変更し、二色をつなぎ合わせた配色はさらに目を引くものとなっている。この胴抜きは歌舞伎で世話傾城と呼ばれる衣裳で、傾城の普段着である。藤の方を傾城の姿にやつすとともに、当時歌舞伎で流行した麻の葉の鹿の子模様を施して、芝居的要素を採り入れている 25。

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    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-(村木 桂子)

  •  このように変更することによって、構図、心理的距離ともに光氏と藤の方を際立たせ、さらに着物に傾城の衣裳を採り入れることによって、義正の別室である藤の方をさらにやつした源氏絵として見るだけでなく、鑑賞者に芝居絵の一種として見る楽しさも与えていただろう。

    4.3.3 挿絵の典拠と変容

     挿絵を典拠とするのは、三十八組中二十一組であり、このうち図様をほぼ踏襲するものは、四組(○/ 1巻、13 巻、15 A巻、23 巻)で、十三組(◇/ 5巻、9巻、11 C巻、16 巻、18 巻、22 巻、25 巻、27 巻、30 巻、33 巻、34 巻、35 巻、37 巻)が口絵で行ったのと同様に人物の向きを変更することによって、男女が視線を交わす構図に変更したり、侍女などを削除したりすることによって、画中の男女に鑑賞者が焦点をあてるような工夫を行っている。あとの四組(11 A巻、15 B巻、20 巻、31 巻)は、二枚の挿絵から主たるモチーフである光氏、女性を抽出し、画面を換骨奪胎して一枚の新たな図様を創り上げている。 例えば、「源氏後集余情」第廿七の巻 篝火は、第二十七編の挿絵に基づいており、光氏は朝顔の花を介して菊咲と発句を応酬し、彼女の素性を推測する場面である。菊咲は光氏から顔を背けて恥じらいながら、朝顔と薄の花束を光氏に差し出すと、光氏は菊咲に歌を記した扇を差し出している。光氏の傍らには文箱と料紙があるが、光氏はそれを使わず扇を差し向ける芝居的な仕草で、菊咲に対峙している。菊咲の恥じらう姿も芝居の型を連想させる。また、挿絵に描かれた村荻を削除することによって、光氏と菊咲に鑑賞者の視線を集中させ、感情移入を促している。 最も特徴的な変更点は、光氏の着物が片輪車と双葉葵模様に変更されていることである。片輪車は、源氏車と呼ばれている御所車を連想させることから、『源氏物語』の源氏を、さらには武家の統領である源氏を暗示していると考えられる。また、片輪車はしばしば流水とともに描かれるが、ここでは代わりに双葉葵が添えられている。双葉葵は、徳川家の一部や松平家の家紋としても知られていることから、徳川家に代表

    【図 10】『偐紫田舎源氏』第二編口絵 【図 2】「源氏後集余情」第二巻はゝき木

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号

  • される大名家を表していると思われる。 このように着物の文様が片輪車と双葉葵に変更された例は、「源氏後集余情」においてしばしば見受けられる。したがって、この二つの文様の組合せは、武家の統領の象徴である徳川家を表す記号と見ることもできることから、鑑賞者は、徳川家および大名家に関係のある人物、もしくは関心を持っている人物であることが窺える。

    4.3.3 登場人物の男女の組合せ

     【別表2】で三十八組の登場人物をみると、男女の組合せが三十四組、女同士の組合せが三組である。男女の組合せでは光氏(光源氏)と紫(紫の上)が突出しており、後は藤の方(藤壺)、桂樹(朧月夜)の四組、朝霧(明石の上)、玉葛(玉鬘)、菊咲(朝顔)が二組、そのほか阿古木(六条御息所)、黄昏(夕顔)、空衣(空蝉)などが一組となっている。 確かに紫は魅力的な登場人物であるが、突出して描かれた理由は物語の代表的な女主人公というだけはないだろう。肩上げをした少女の頃から成人女性に成長するまでの長い期間を描くことができるため、絵師にとっては年齢ごとにバリエーションをつけて描き分けることが出来る魅力的なモチーフだからである。ことに国貞は柳亭種彦の薫陶を受けて、調度類や衣裳の微細な文様までも緻密に正確に描き分けることが得意であったことは、前述したとおりである。 つまり、男女一対という図様にすることによって、鑑賞者にとっては、富と権力、美貌を兼ね備えた光氏の相手として自らを恋愛物語の主人公に重ね合わせるという楽しみ方が出来るだろう。そのうえ、版元にとっては、紫の絵を描かせて幅広い年齢層の女性を購買者層に取り込むことができるという思惑もあっただろう。

    5 おわりに ここで最初に挙げた《今様見立士農工商 商人》(大判錦絵、三枚続、安政四年、図1)を見ると、魚屋栄吉の店先では、吹輪に花櫛を挿し赤い振袖を着た、いわゆる歌舞伎で赤姫と呼ばれるお姫様が役者絵を手にしており、その傍らの付き人らしき御殿女中

    【図 11】『偐紫田舎源氏』第二十七編 【図 12】「源氏後集余情」第廿七巻篝火

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    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-(村木 桂子)

  • は合巻を持っている。彼女が御殿女中であることは、上臈の髪形である片はずしからそれとわかる。 また、国貞が描く錦絵は当時の女性達に熱狂的に迎えられたといい 26、三田村鳶魚は『偐紫田舎源氏』を「御殿女中小説」と呼んで、その購買者を当時最も多く草双紙を買っていた「嫁入支度の部屋方連中」であったと述べている 27。このように、錦絵の受容者が町人だけでなく大名や奥方、また奥御殿に仕える御殿女中たちにも及んでいたという 28。 では、御殿女中とはどのような社会階層に属していたのだろうか。大名の奥御殿で夫人や姫君に仕えた御殿女中は、下級武士、富裕な商家や農家(庄屋)などさまざまな出自の子女で構成されており、奉公の理由もそれぞれ異なっていたという 29。例えば、武士の娘は「親の家貧しく養育成りがたく、是非なく奉公」したものが多かったが 30、町人の娘は結婚前の一時期に御殿女中として教養、礼儀作法、歌舞音曲などの高等教育を修得し、その後良縁を得て子どもをもうけることが女性の幸せと考えていた 31。三田村鳶魚が「嫁入支度の部屋方連中」と称したのは、まさにこのような富裕な町人出身の子女であったといえるだろう。 以上のことを踏まえると、国貞は「源氏後集余情」の受容者として、大名の夫人や姫君に仕えた御殿女中と、良縁を得るためのステータスである御殿女中に憧れていた富裕な町人や下級武士の子女などのいわば御殿女中予備軍というべき人々を想定していた可能性がある。 すなわち、御殿女中として奉公している者にとっては、その職制に入ることによって職業的に自立し、かつ栄達への道が開ける可能性がある。例えば側室となって栄華に充ちた生活を手にする者、キャリアアップを図って高給を手にする者など、御殿女中は当時女性が社会階層を脱却して成功する唯一の道であったといえるだろう。彼女たちは、地位、財力、美貌を兼ね備えた光氏と女性が一対となった「源氏後集余情」を見ることによって、描かれた女性に未来の自分の姿を投影し、生来の社会的階層を越境しようとする欲望を掻き立てたことであろう。また、その予備軍である子女にとっては、華美な生活や芝居などの流行を享受できる御殿女中になりたいという憧憬を増幅させるものであったにちがいない。 つまり「源氏後集余情」は、御殿女中そのものとその予備軍にとって、理想的な人生設計を視覚化したものであった可能性を指摘する。

    注 1 『源氏物語』を絵画化した源氏絵は、現存作例では十二世紀前半に制作された《源氏物

    語絵巻》(五島美術館、徳川美術館に分蔵)を嚆矢とするが、文献資料で最も早い時期

    の記録は、源師時『長秋記』(東京大学史料『大日本史料』3編 23 冊,p.171.)の元永

    2年(1119)11 月 27 日 2 条の「中宮藤原璋子、源師時に、源氏絵の紙を調進すべきこ

    とを仰せらる、亦た法皇、画図を進むべきことを仰せ給ふ」である。これによると、白

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号

  • 河法皇と鳥羽天皇の中宮である藤原璋子が源氏絵を制作させたことが記録されている。

    2 『源氏物語』あるいは源氏絵の享受については以下の文献を参照した。

    三田村雅子(2007)「源氏物語の政治学:教育システムとしての〈源氏絵〉と〈雛〉)」,『日

    本文学』第 56 巻第 3号, p.52-59.

    松島仁(2008)「新しい〈王権〉徳川将軍のための〈王朝絵画〉の創生」,『物語研究』第 8号,

    p. 43-50.

    3 中野幸一(2008)「江戸時代における源氏物語受容」,『読む、見る、遊ぶ 源氏物語の

    世界 ―浮世絵から源氏意匠まで―』(展覧会図録),京都文化博物館,p.9-11.

    4 中野幸一(1989)「 錦絵「源氏絵」総目録稿」,『早稲田大学教育学部学術研究 国語・

    国文学編』38 号,p21-44.

    5 注1,p.11. 

    6 佐藤 悟(2008)「柳亭種彦『偐紫田舎源氏』と源氏絵」,『源氏物語と江戸文化――可視

    化される雅俗』,森話社,p.163-171.

    7 国立歴史民俗博物館編(2009)『錦絵はいかにつくられたか』(展覧会図録),p.6-11.参照。

    なお、地本問屋については、大久保純一(2013)『浮世絵出版論 大量生産・消費され

    る〈美術〉』(吉川弘文館,p.13-15)が詳しい。

    8 大久保純一(2013)『浮世絵出版論 大量生産・消費される〈美術〉』,吉川弘文館,p.174.

    には錦絵の枚数を「番」の単位で数えていたことが記されている。

    9 「源氏後集余情」の現存作品を見ると、林屋庄五郎が安政四年(1857)十一月に「第二

    巻 はゝき木」「第六巻 わかむらさき」を出版したのが最も早く、続いて十二月に魚

    屋栄吉が「第四巻 末摘花」「第十四巻 あふひ」「第三十一巻 をとめ」を出版している。

    10 大久保純一(2013)『浮世絵出版論 大量生産・消費される〈美術〉』,吉川弘文館,p.25-26.

    11 国立歴史民俗博物館編(2009)『錦絵はいかにつくられたか』(展覧会図録),p.24.

    12 小林忠・大久保純一(1994)『浮世絵の鑑賞基礎知識』,至文堂,p.84-86.で小林忠は「富

    嶽三十六景」を例に挙げて、「吉祥的な図様を収めたグループの方が、そうした図を含

    まないグループよりも、揃物のスタートを切るによりふさわしいもの」と述べている。

    13 野崎誠近著、宮崎法子編(2009)『吉祥図案解題―支那風俗の一研究―』,p.139-140.

    東京国立博物館編『特別展吉祥―中国美術にこめられた意味』,p.308.

    14 『国書総目録』p.117.

    15 岩瀬文庫所蔵の「源氏五十四帖」は、「今源氏錦絵合」という名称で知られており、『偐

    紫田舎源氏』の挿絵に基づいて、各巻一場面を描いて五十四帖の揃物にしたもので、

    挿絵の見開き一丁分の図様を半丁の画面に再構成した作品である。

    16 大久保純一(2013)『浮世絵出版論 大量生産・消費される〈美術〉』,(前出),p.150-155.

    17 鈴木重三校注(1995)『偐紫田舎源氏 下』(新日本古典文学大系 89),岩波書店,p.109.

    18 偐紫田舎源氏については以下の事典類を参照した。

    吉田暎二(1990)『浮世絵事典〈定本〉中』,画文堂,p.333. 偐紫田舎源氏の項参照

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    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-(村木 桂子)

  • 吉田暎二(1990)『浮世絵事典〈定本〉上』,画文堂,p.343. 源氏絵の項参照

    鈴木重三(1981)『現色浮世絵大百科事典 画題・説話・伝説・戯曲』第四巻,大修館

    書店

    19 鈴木重三校注(1995)『偐紫田舎源氏 上』(新日本古典文学大系 88),岩波書店,p.4.

    20 宇佐美英機校訂(1996)『近世風俗志 四』,「岩波文庫 267-4」,岩波書店,p.322. 第

    二十八編遊戯の項参照

    21 中野幸一(2008)「江戸時代における源氏物語受容」,『読む、見る、遊ぶ 源氏物語の

    世界 ―浮世絵から源氏意匠まで―』(前出),p. 10.

    22 吉田暎二(1990)『浮世絵事典〈定本〉』上(前出),p.343.

    23 鈴木重三校注(1995)『偐紫田舎源氏 下』(前出),p.638.

    24 日本古典文学会監修・編集(1978)『偐紫田舎源氏第四編』,「複刻日本古典文学館 日

    本古典文学会編第 2期」,ほるぷ出版参照

    25 奥村萬亀子(1970)「衣服文様についての歴史的考察:麻の葉文について」(『京都府立

    大學學術報告 . 人文』22 号,p. 86-98.)によれば、 麻の葉の鹿子模様は、文政六年三月

    森田座「其往昔恋江戸染」(そのむかしこいのえどぞめ)でお七に扮した五代岩井半四

    郎が浅葱縮緬の鹿子振袖を着て一世を風靡したことから、麻の葉の鹿子模様といえば

    芝居を連想するようになったという。

    26 鈴木重三(1981)『現色浮世絵大百科事典 画題・説話・伝説・戯曲』第四巻(前出),

    大修館書店

    27 三田村鳶魚(1930)『御殿女中』(春陽堂 p.19-24)によると、『偐紫田舎源氏』の受容

    者として、「或は云ひ過ぎかも知れないが、当時に多数であつた嫁入支度の部屋方連中

    を覘(うかが)つたのではないかとさへ思ふ、其の辺が一番多く臭草紙を買ふお客様

    だつたらしい」と記述している。

    28 大久保純一(2013)『浮世絵出版論 大量生産・消費される〈美術〉』,(前出),p.9-13.

    29 畑尚子(2009)『徳川政権下の大奥と奥女中』,岩波書店,p.289-291.

    このほか御殿女中については、三田村鳶魚(1930)『御殿女中』(前出)を参照した。

    30 安政五年に出版された『諸家奥女中袖鏡』,国会図書館蔵には、奥女中に志願した理由

    が記されている。

    31 注 29 畑氏論文 p.289.

    図版出典図 1 国立歴史民俗博物館編(2009)『錦絵はいかにつくられたか』より転載

    図 2~ 6, 8 ~ 12 国立国会図書館ウェブサイトより転載

    図 5 早稲田大学図書館古典籍総合データベースより転載

    図 7 国立劇場調査養成部資料課編(1979)『芝居版画等図録:国立劇場所蔵』より転載

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号

  • 【別表1】 《源氏後集余情》の作品リスト凡例 1.版元のAは魚屋栄吉、Bは林家庄五郎 、Cは若狭屋与市、Dは恵比須屋庄七を示す。 2.刊行年は西暦の下二桁を記入した。57 ~ 59 は安政4~6年、61 は文久元年である。 3. 各所蔵先で、左列の巻数、版元、年号、巻名に合致するものを○で示し、一枚のみ残るものは△で示し男

    女の別を記した。

    巻 数 巻 名

    源氏物語の帖数

    版元

    刊行年

    刊行月

    国会図書館A

    ボストン美

    早稲田大

    都立図書館

    国会図書館B

    奈良教育大学

    大英博物館

    和哥三人左 柿本人麻呂 ○和哥三人中 玉津島明神 ○和哥三人右 山辺の赤人 ○発端 石山寺源氏の間 ○ ○第一巻 桐壷 1 A 58 2 ○ ○ ○第二巻 はゝき木 2 B 57 11 ○ ○ △(男)第三巻 空蝉 3 A 58 3 ○ ○ △(男)

    第四巻 末摘花 6 A 57 12 ○ △(女)△(女黄昏)△(女空蝉)

    第五巻 夕顔 4 A 58 2 ○ △(男)△(男)△(男)第六巻 わかむらさき 5 B 57 11 ○ △(女)第七巻 もみぢの賀 7 B 58 ○第九巻 紅葉の賀 7 A 58 6 ○ ○ ○第十巻 花の宴 8 A 58 6 ○ △(男)第十一巻 花ちる里 11 C 58 9 ○ ○ ○ ○ △(男)第十一巻 花散里 11 A 59 ○ △(男)第十三巻 あふひ 9 A 58 ○ ○ ○第十四巻 あふひ 9 A 57 12 ○ ○ ○第十五巻 蓬生 15 B 58 ○ △(男)第十五巻 さかき 10 A 58 2 ○ ○ ○第十六巻 関屋 16 B 58 6 ○ ○ △(男)巻数なし 絵合 17 A 58 ○第十八巻 松かせ 18 C 58 7 ○ ○第十九巻 うすくも 19 D 59 ○ ○第二十巻 朝かほ 20 A 58 2 ○ ○ ○第二十二巻 玉かつら 22 D 59 ○ △(男)第二十三巻 初音 23 B 58 ○ ○ ○ △(男)第二十四巻 胡蝶 24 D 59 ○ △(男)第二十五巻 ほたる 25 C 58 7 ○ ○第二十六巻 とこなつ 26 C 58 9 ○ ○ △(男)第二十七巻 篝火 27 C 58 7 ○ ○ ○ △(女) ○第三十巻 ふちはかま 30 A 58 2 ○ ○ △(男)第三十一巻 をとめ 21 A 57 12 ○ ○ △(女) △(男)第三十三巻 藤のうら葉 30 C 58 6 ○ ○第三十四巻 わか菜の上 34 C 58 9 ○ ○ ○ ○第三十五巻 若菜の下 35 B 58 ○ ○ △(男)第三十七巻 横笛 37 C 61 5 ○ ○ △(女)第三十八巻 鈴むし 38 C 61 ○ ○ △(男)第三十九巻 夕霧 39 D 58 2 ○ ○ △(男)第四十二巻 匂ふ宮 42 D 59 ○ ○ △(男)第四十六巻 椎か本 46 D 59 ○第五十巻 あつまや 50 C 58 12 ○ ○第五十一巻 うきふね 51 D 58 2 ○ △(男)

    合計数 38 組 14 組 12 組 9 組+8 枚1 組

    +3 枚1 組

    +1 枚2 組

    +16 枚

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    歌川国貞(三代豊国)筆「源氏後集余情」について-受容者としての御殿女中-(村木 桂子)

  • 【別表2】 《源氏後集余情》にみる『偐紫田舎源氏』の図様凡例 1. 左から《源氏後集余情》の巻数、登場人物を記し、つぎに図様の典拠となった『偐紫田舎源氏』の編数、典拠、

    登場人物を記した。 2. 《源氏後集余情》の登場人物名には便宜上括弧内に対応する『源氏物語』の人名を記した。 3. 変容では、○は軽微な変更点を除きほぼ典拠の図様を踏襲するもの(背景は削除)、◇は典拠の図様に基づ

    くものの、人物配置や構図などを改変し再構成したもの、◆は二つの図から取捨選択して再構成したもの、▲は新規の図様を示す。

    《源氏後集余情》 『偐紫田舎源氏』

    巻数 登場人物  左 登場人物 右 編数 典拠 変容 登場人物 

    第一巻 杉生 花桐(桐壺更衣) 1 挿絵 ○ 杉生、花桐

    第二巻 光氏(光源氏) 藤の方(藤壺) 2 口絵 ○ 光氏、藤の方

    第三巻 君吉(小君) 空衣(空蝉) 3 表紙 ○ 君吉、空衣

    第四巻 黄昏(夕顔) 村荻(軒端萩) 4 表紙 ○ 黄昏、村荻

    第五巻 黄昏(夕顔) 光氏(光源氏) 5 挿絵 ◇ 黄昏、光氏、凌雲(黄昏の母)

    第六巻 光氏(光源氏) 紫(紫の上) 6 表紙 ○ 光氏、紫

    第七巻 光氏(光源氏) 藤の方(藤壺) 7 口絵 ○ 光氏、藤の方

    第九巻 光氏(光源氏) 紫(紫の上) 9 挿絵 ◇ 光氏、紫、犬吉、稚児

    第十巻 桂樹(朧月夜) 光氏(光源氏) 10 口絵 ○ 桂樹、光氏

    第十一巻 紫(紫の上) 光氏(光源氏) 11 挿絵 ◇ 紫、光氏、言の葉、小弁

    第十一巻 光氏(光源氏) 桂樹(朧月夜) 11 挿絵 ◆ 光氏、桂樹

    第十三巻 阿古木(六条御息所) 光氏(光源氏) 12 挿絵 ○ 阿古木、光氏

    第十四巻 紫(紫の上) 光氏(光源氏) 14 挿絵 ▲ 紫、光氏、言の葉、小弁、侍女6名

    第十五巻 光氏(光源氏) 桂樹(朧月夜) 15 挿絵 ◆ 光氏、桂樹、馬之丞、糸路馬之丞

    第十五巻 嵯峨の館の侍女 光氏(光源氏) 13 挿絵 ○ 光氏、小弁、侍女6名

    第十六巻 光氏(光源氏) 桂樹(朧月夜) 16 挿絵 ◇ 光氏、桂樹、馬之丞、糸路

    巻数なし 海女 朝霧の侍女千鳥か 17 表紙 ○ 海女、朝霧の侍女千鳥か

    第十八巻 桂樹(朧月夜) 石堂馬之丞 18 挿絵 ◇ 桂樹、石堂馬之丞、糸路

    第十九巻 光氏(光源氏) 竜女(竜王) 19 表紙 ○ 光氏、竜女

    第二十巻 光氏(光源氏) 朝霧(明石の上) 20 挿絵 ◆ 光氏、惟吉/朝霧、千鳥、真柴

    第二十二巻 光氏(光源氏) 紫(紫の上) 22 挿絵 ◇ 光氏、紫

    第二十三巻 光氏(光源氏) 紫(紫の上) 23 挿絵 ○ 光氏、紫

    第二十四巻 空衣(空蝉) 光氏(光源氏) 24 口絵 ◇ 空衣、光氏、磯菜(阿古木の娘)

    第二十五巻 光氏(光源氏) 紫(紫の上) 25 挿絵 ◇ 光氏、紫、言の葉、犬吉

    第二十六巻 光氏(光源氏) 朝霧(明石の上)、明石姫 26 口絵 ◇ 光氏、朝霧、明石姫

    第二十七巻 光氏(光源氏) 菊咲(朝顔) 27 挿絵 ◇ 光氏、菊咲、村荻

    第三十巻 光氏(光源氏) 菊咲(朝顔) 30 挿絵 ◇ 光氏、菊咲、水原、鉄蔓(菊咲母)

    第三十一巻 雁音(雲居雁) 氏仲(夕霧) 31 挿絵 ◆ 氏仲、小毬/雁音、当吉

    第三十三巻 光氏(光源氏)、山吹(右近) 紫(紫の上) 33 挿絵 ◇ 光氏、山吹、紫

    第三十四巻 紫(紫の上) 光氏(光源氏) 34 挿絵 ◇ 紫、光氏、言の葉

    第三十五巻 光氏(光源氏) 玉葛(玉鬘) 35 挿絵 ◇ 光氏、玉葛、袖の香

    第三十七巻 光氏(光源氏) 玉葛(玉鬘) 37 挿絵 ◇ 光氏、玉葛、山吹、小百合

    第三十八巻 光氏(光源氏) 紫(紫の上) 38 口絵 ◇ 光氏、紫

    第三十九巻 (柏木の幽霊?) 光氏(光源氏) 39 不明 ▲

    第四十二巻 振袖の女性 光氏(光源氏)? 42 不明 ▲

    第四十六巻 光氏(光源氏) 小袖の女性 46 不明 ▲

    第五十巻 柏之助(柏木) 名称不明(女三の宮) 50 不明 ▲

    第五十一巻 光氏(光源氏) 少女(明石の姫君?) 51 不明 ▲

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    『同志社大学 日本語・日本文化研究』 第 14 号