qolの向上を目的とした 心身のトータル緩和ケア - …243(2017) 21...
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近年、病による心身の痛みを適切な対処で軽減する「緩和ケア」への注目が高まっています。なかでも、がん治療では治療法が格段に進歩し、がんと共生する期間が延びたために、よりよい闘病生活を送るには「緩和ケア」が不可欠だと、患者も医療従事者も考えるようになりました。まず整理しておきたいのは、緩和ケアの定義が時代とともに変化していることです。昔はがんと診断されると、がん治療とともに治療中に生ずる痛みや吐き気などの苦痛をやわらげる「支持療法」を行い、治癒を目指した積極的がん治療がもはや効果を示さなくなると体の苦痛などを取り除く積極的なトータルケアである「緩和ケア」を導入していました。生命を脅
おびやかす病に対
処するために精神科やサイコオンコロジー(精神腫瘍
科)による「心のケア」はがん告知が一般化した1960
~ 70年代から始まったケアで、禁煙、がん検診、診断後から終末期までがんの進行度に応じて介入してきた経緯がありました。
早期の緩和ケアでQOLを改善
ところが2002年にWHO(世界保健機関)が、「緩和ケア」を「がんを含める生命を脅かす疾患に対するトータルケア」と広く再定義し、「支持療法」、2002年以前の「緩和ケア」、「心のケア」の全てを含むとしました。さらに、2010年には緩和医療の研究を進めるアメリカ・マサチューセッツ総合病院がんセンターのジェニファー・テメル博士らが、「早期からの緩和ケアはQOL(生活の質)を改善するだけでなく、生存期間も延長する可能性がある」という論文を発表しました。手術の適応にならない非小細胞性肺がん患者のうち「緩和ケア」を早期から定期的に受けたグループと必要な時に受けたグループとの比較で、QOLと抑うつ症状を調べたところ、前者はQOLが良好で抑うつ症状が少なく生存期間も延びたという研究結果です。この報告は世界に一気に広がり、「緩和ケア」はがん治療の中でも重要で、がん診断時の早期から導入すべきトータルケアだとする考え方に変わってきたのです。日本では2006年に制定されたがんの克服を目指した「がん対策基本法」によって、がんの予防と治療を受
Special Features 2
QOLの向上を目的とした心身のトータル緩和ケア
構成◉渡辺由子 composition by Yuko Watanabe国立がん研究センター中央病院支持療法開発センター・部門長
内富庸介
内富庸介(うちとみ・ようすけ)1984年広島大学医学部卒業。95年国立がんセンター精神腫瘍学部門の創設に研究所支所精神腫瘍学研究部室長として携わる。05年、国立がんセンター東病院臨床開発センター精神腫瘍学開発部長、10年、岡山大学大学院医歯薬学総合研究科精神神経病態学教室教授、16年より現職。「J-SUPPORT:日本がん支持療法研究グループ」代表。サイコオンコロジーの第一人者。がん告知後のうつ病の病態研究、がん医療に携わる医師のコミュニケーションスキル向上に注力。
がんから身をまもる 第3回緩和ケアシリーズ第2弾
「緩和ケア」というと末期のがん患者が受けるものと思っている人も多い。しかし、2002年以降、「支持療法」、「心のケア」、「緩和ケア」の全てを含んだトータルケアだという考え方に変わり、進行度に合わせて受けることができるようになった。では、具体的に「緩和ケア」はどうしたら受けられるのか。聞きたいことをきちんと聞けるように、患者と家族に向けてパンフレットも作られている。最新の緩和ケア事情を紹介する。
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1.医療従事者への普及と技術向上
従来はがんが進行し終末期に差しかかった患者の希望で提供していた緩和ケアを、早期からがん患者全員に提供するには、緩和ケアに携わる医師・看護師・臨床心理士など多くのマンパワーが必要です。例えば緩和ケアのために1人の医師を増やせば医療費の増大に直結するだけでなく、そもそも日本ではそこまで人的資源を割けるほど緩和ケアへの理解が深まっていません。そこで担当主治医や担当看護師の緩和ケアに対するスキルを5%上げて対処しようとする研究が3年間の予定で行われています。また、緩和ケアの提供が義務付けられているがん診療連携拠点病院等だけでなく、がん患者が居住するかかりつけ医や看護師など地域の医療従事者に対しても、緩和ケアの理解と普及が急務です。患者の病歴や生活など、患者のいい時も悪い時も把握しているかかりつけ医が緩和ケアの中心的な役割を担い、がん治療専門医と組んでがんに立ち向かうスタイルが、日本の医療にもっとも適していると考えます。
2.抗がん剤の副作用対策の標準治療
支持療法の分野では、がん三大治療の副作用対策を標準化する研究が進められ、その一つである抗がん剤の副作用対策でのQOLを下げる吐き気と痺
しびれについて
の研究が進んでいます。吐き気止めは3種類の薬物の組み合わせで効果を上げてきましたが、遅れて出てく
ける権利を国民が等しく有し、予防と治療の環境整備を推進することが定められています。施行から約10年になる2016年12
月には、がん治療の進歩や社会の変化を受けて改正法が成立。この改正法から「がん患者の療養生活の質の維持向上」を謳
うたう
第17条に、「国及び地方公共団体は、がん患者の状況に応じて緩和ケアが診断の時から適切に提供されるようにすること……」と「緩和ケア」の言葉が明記され、がんと診断された時から必要な医療の一つであるとしたのは、日本のがん治療のエポックになったと考えています。緩和ケアは、全国各地でがん治療の中心的施設である400を超えるがん診療連携拠点病院を起点に全ての施設や在宅で受けることができます。緩和ケアの介入例を挙げると、乳がんの病巣を外科治療で切除すると手術痕が痛いために緩和医療科の医師が痛み止めを処方。萎縮してしまった生活をもう一度戻すために精神腫瘍科が介入して行動を活性化させる、というように多職種によるチーム医療で患者と家族とともにがんに立ち向かいます。このような介入は理想的ですが、現在の日本の医療では、実践できる病院はまだ多くないのが事実です。さらには、緩和ケアにはもっとも推奨される標準治療が示されておらず、さまざまな医療従事者が考えるそれぞれの緩和ケアが実践されている状況が続いています。そこで抗がん剤や放射線治療、外科治療などのがん治療と同じように、緩和ケアもエビデンスを積み重ねて、ガイドラインに基づく標準治療を全国のがん診療連携拠点病院等へ示し、全てのがん患者に提供できるようにする取り組み、つまり多施設共同研究が、この2、3年でようやく始まりました。まず取りかかるのは、わが国の緩和ケアが抱えている問題を明確化し、医療従事者や患者への普及とスキルアップのための実践と、エビデンスを収集する研究で、現在進行中あるいは計画予定の7つについてご紹介しましょう。
従来は治療による効果が見込めない終末期になると緩和ケアを選択。現在ではがんと診断された時から緩和ケアを取り入れ、がんの進行に伴い緩和ケアの比率が増え、QOL向上を目指すようになった。
がんの経過
従来のがん医療
現在のがん医療
がんの治療(手術・放射線・抗がん剤など) 緩和ケア
緩和ケア(QOL向上を目指す)
がんの治療
がん医療と緩和ケアの変遷
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る吐き気も全て抑えようと第4の薬物を組み合わせた研究が、690人の患者の参加を目指して始まりました。痺れについては、社会復帰を阻む重大な副作用ですが、吐き気止めほど研究が進んでおらず、今後の研究の進展が望まれます。
3.放射線治療の副作用対策の標準治療
支持療法の研究の2つめが放射線治療の副作用対策で、看護ケアの領域で皮膚炎や口内炎に対するステロイド剤や保湿剤の使用・不使用に関する研究が行われています。
4.外科治療の副作用対策の標準治療
支持療法の研究の3つめが手術後のせん妄(一過性の意識障害により、妄想、錯覚、幻覚、異常な言動などを発症)についての研究です。手術をきっかけに高齢者に起こりやすい精神障害で、75歳以上の胃がん、大腸がんの手術例では約3割の方が発症。予防的介入に関する研究が進められています。
コミュニケーション力向上を目指す
5.医師のコミュニケーション技術力向上
私の専門であるサイコオンコロジー領域で3つの実践や研究が進行中で、実践の一つが2008年にスタートした「緩和ケア研修会」(主催:日本緩和医療学会)開催です。これはがん診療に携わる全ての医師をはじめとする医療従事者が緩和ケアの基本的な知識の習得を目指す取り組みで、全国のがん診療連携拠点病院で開催。8万5000人以上の医師が研修を修了しています。
地域のかかりつけ医への研修についても、拠点病院の責任において努力目標としており、今後の進展が期待されています。また、がん告知、再発告知、抗がん剤中止の告知などバッドニュースを伝える時に、医療従事者がしっかりとした共感を持って伝えられるコミュ
ニケーション力が必要です。同時にバッドニュースを伝える側の医療従事者にとっても大きなストレスを伴います。「コミュニケーション技術研修会」(主催:日本緩和医療学会、共催:日本サイコオンコロジー学会)は患者が納得したうえで安心して治療法等の選択ができるように、上記の患者と医師間のコミュニケーションの質の向上を目的とする研修会で、これまで約1360人が修了しました。「受け持ち患者のうつ症状が減った」というエビデンスも見出しました。今後は、腫瘍医の必須技能として捉え、がん治療認定医5単位も得られることから受講者がさらに増えることを願っています。
6.がん患者のコミュニケーション力向上
医師は患者の生存期間の延長を目指して治療に取り組みますが、例えばもはや治癒は難しいとなった時に患者にとって治療よりも優先すべきことが何なのか、患者自身が問題を整理し、しっかりと伝えることが望まれます。そこで、自己決定を促すツールとして2011年に当時所属していた国立がん研究センター東病院臨床開発センター精神腫瘍学開発部で、「質問促進パンフレット」を開発・作成しました。治療選択など重要な面談に臨むがん患者や家族が医師とのコミュニケーションを促進するため、病状や治療に関する質問例を記載したパンフレット『重要な面談にのぞまれる患者さんとご家族へ』で、患者や家族からよく尋ねられる質問50あまりが並んでおり、それぞれに当てはまる質問を選択して面談時に役立ててもらいます。2017年4月からはパンフレット使用による効果などを検証する研究がスタートしました。
「コミュニケーション技術研修会」では、演技力に定評のある模擬患者を相手に2日にわたり合計8時間のロールプレイ実習で「バッドニュース」の伝え方を学び、患者と医師間のコミュニケーションの質向上を目指す。
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訪ねるのをためらう人が少なくありません。そこで、患者自らが認知行動療法や行動活性化療法などを駆使して自分自身でマネジメントし解決に導く研究を計画しています。例えば、スマートフォンのアプリケーションに導入してセルフマネジメントに活用していただくことが可能ではないかと考えています。
以上のような緩和ケアの実践や研究の道筋を作るために設立されたのが、2015年1月発足の「国立がん研究センター中央病院支持療法開発センター」です。また、恒常的な多施設臨床試験・臨床研究のハブとなるべく、「J-SUPPORT(日本がん支持療法研究グループ:Japan
Supportive, Palliative and Psychosocial Oncology Group)」が国立がん研究センター研究開発費の支援を受けて設立されました。世界的にも研究者の少ない支持療法の分野で、専門家が力を合わせて支持療法の開発や患者の心身の苦痛を測る方法の確立などを目指し、緩和ケアの発展と普及に寄与し、全てのがん患者に届けられるよう活動していきます。
Special Features 2
(写真・図版提供:内富庸介)
がんから身をまもる第 3 回 緩和ケアシリーズ第2弾
『重要な面談にのぞまれる患者さんとご家族へ』の表紙(左)と中ページ(上)。治療の選択など重要な面談に臨む患者や家族が、医師とのコミュニケーションを促進するために、病状や治療に関する疑問点や不安なことについて質問する時の例文や、よくある質問の説明をまとめた。患者がよりよい治療を選択し、よりよい生活を送るためには、問題の理解や伝える力が求められる。自己決定を促すツールとして内富氏らによって開発された。
7.サバイバーシップ
がんの治療法が格段の進歩を遂げ、治る患者が増えています。一方で日常生活のさまざまな面に影響を与えるのが、再発不安などの問題です。がん経験者(がんサバイバー)が自分らしくがんとともに生きていくための、とくにセルフサポートが必要で、これを「サバイバーシップ」と呼んでいます。例えば、再発不安は就労などに影響を及ぼし生活を萎縮させる原因になります。再発不安を医師に相談してもよくなるものでもなく、また心のケアを求めて精神科や精神腫瘍科を