東大土木メールニュースvol.30 2018.2 - web...

8
Vol.30 2018.2.26 p1 「同窓生と語らえば」 篠原修さん(昭和43年) P2-3 「先輩の声」大成建設 田中茂義さん(昭和54年) P4 「私の同期会」五十会 須野原豊さん(昭和50年) P5 「北陸支部講演会・懇親会報告」(幹事長 田邉敏夫さん 昭和55年) P6-7 Facebook投稿から もくじ 東大土木同窓会 東大土木メールニュース メールニュース編集部 03-5800-6916(Tel/Fax)[email protected] 編集長:赤池あゆこ、副編集長:佐瀬優子 編集委員:知花武佳、高橋佑弥、鈴木明子(平21)、 森田智美(平29)、武藤裕花(平29) 顧問:伊藤學(昭28) 英文校正:Alexander Gilmore (Associate Professor of Civil Engineering Dep.) 2018.2.20 厳しい寒さの中、柔らかな日差しに春の到来を感じます。

Upload: others

Post on 20-May-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 東大土木メールニュースVol.30 2018.2 - WEB PARKpark.itc.u-tokyo.ac.jp/CEalum/MailNews/Mailnews_No30J.pdf · 2018-11-30 · ・1997年以降、名古屋の地で所長として第二名神、愛知万

Vol.30

2018.2.26

p1 「同窓生と語らえば」 篠原修さん(昭和43年)

P2-3 「先輩の声」大成建設 田中茂義さん(昭和54年)

P4 「私の同期会」五十会 須野原豊さん(昭和50年)

P5 「北陸支部講演会・懇親会報告」(幹事長 田邉敏夫さん 昭和55年)

P6-7 Facebook投稿から

もくじ

東大土木同窓会

東大土木メールニュース

メールニュース編集部

03-5800-6916(Tel/Fax)[email protected]

編集長:赤池あゆこ、副編集長:佐瀬優子

編集委員:知花武佳、高橋佑弥、鈴木明子(平21)、

森田智美(平29)、武藤裕花(平29)

顧問:伊藤學(昭28)

英文校正:Alexander Gilmore (Associate Professor of Civil Engineering Dep.)

2018.2.20 厳しい寒さの中、柔らかな日差しに春の到来を感じます。

Page 2: 東大土木メールニュースVol.30 2018.2 - WEB PARKpark.itc.u-tokyo.ac.jp/CEalum/MailNews/Mailnews_No30J.pdf · 2018-11-30 · ・1997年以降、名古屋の地で所長として第二名神、愛知万

平井敦の田中豊追悼文によれば、田中が亡くなったのは昭和39年(1964)8月、享年76歳。アジア初の東京オリンピッ

ク開幕を約2ヶ月後に控えた頃だった。私事を言えば、筆者が東大に入学した年であった。土木に進学する前だから、田

中豊の存在すら知らない。田中がすぐれた橋梁技術者で、関東大震災後の帝都復興橋梁の総指揮を採った事を朧げなが

らに知ったのは、昭和の終わり頃から橋のデザインを始め、先輩の事績を知ったからである。

復興橋梁は街路橋だったから、通常の感覚では鉄道の研究所にいた田中の出番はない。震災時に内務大臣だった後藤

新平が帝都復興院総裁となり、台湾総督府、南満州鉄道以降の鉄道人脈で帝都復興の陣容を組織し、鉄道から十河信二

(戦後国鉄総裁、新幹線の産みの親)、太田圓三(明37卒)、田中豊を引き抜いたからである。土木局長になった太田も

橋梁課長の田中も橋梁の実績には乏しかった。しかしこの後藤の人選は正解だった。田中は従来のアメリカンスタイル

のトラス橋から当時の先端を行くドイツ流のアーチ橋を隅田川橋梁の主題としたのだった。永代橋、清須橋をはじめと

する、 これらの橋梁は帝都復興の華と讃えられたのである。ここまでは土木の分野では知られている事実であろう。

デザインの修練には優れた先達の経験に学ぶしかない。樺島正義、田中、福田武夫以来の近代橋梁を見て回り、残さ

れた記録を読む。田中の橋梁で最も驚いたのは、それらが見事なプロポーションを備えていることだった。鹿児島の旧

制7高から東京帝大の土木へ、田中は何処でデザインの勉強をしたのだろうか。弟子の福田がデザインし、自身が監修し

た新潟の萬代橋も見事である。橋梁人も建築家もそのことを言わないのが不思議で、今でも不思議である。

参考文献 中井祐「近代日本の橋梁デザイン思想—3人のエンジニアの生涯と仕事ー」東京大学出版会

田中 豊(大正2)のプロポーション感覚

篠原修(昭43)

「同窓生と語らえば」(1) Page1

2018.2

新コーナー「同窓生と語らえば」では、土木造形家であり、土木史にも詳しい篠原修さん(昭43卒)に、過去の同窓

会報に目を通していただき、記事にまつわる話や、それをきっかけに思い出したこと、思いついたことなどを書いてい

ただきます。次号もお楽しみに!

同窓会報7号(1965)p.22-p.24「故田中豊先生をしのぶ」(平井敦)

Page 3: 東大土木メールニュースVol.30 2018.2 - WEB PARKpark.itc.u-tokyo.ac.jp/CEalum/MailNews/Mailnews_No30J.pdf · 2018-11-30 · ・1997年以降、名古屋の地で所長として第二名神、愛知万

今回お伺いしたのは、大成建設副社長・田中茂義さん(昭

和54年・コンクリート研究室卒業) 。これまで、設計、施工、

マネジメントの立場から多くの重要プロジェクトに従事され

てきました。今回は新宿にある大成建設本社にて、これまで

のご経験や今後の展望を伺いました。

〜田中さんの略歴〜

・1979年 入社

・1981年〜 南北備讃瀬戸大橋下部工工事 (約2年間)

・1992年〜 十勝大橋架け替え工事(約3年半)

・1997年以降、名古屋の地で所長として第二名神、愛知万

博、第二東名の各プロジェクトに従事

・2017年〜 副社長(現任)

Page2

2017.12.12

密度の濃かった若手時代

先輩の声

田中 茂義さん(昭54卒)

設計部でのスタート入社後の最初の2年は橋梁の設計に関わりました。激動の時代で、印象深い出来事が多くあります。

例えば、新幹線の現場でのプレストレスコンクリートの施工管理に単身派遣されたことがあります。知識も経験もない

状況で上司にいきなり分厚い本を渡され、「これで勉強して行ってこい」と。現場に行けばプレストレスのプロという

目で見られるわけなので、死に物狂いで勉強したのを覚えています。不安でしたが、現場に行った2日目頃からは、誰に

どう指示を出せば上手く進むのかがわかってきました。今思えば、よくこんなことを新人にやらせたなと思います。今

の若手には絶対やらせないようなことですから。当時は必死だったから気がつきませんでしたが、もちろん失敗も見越

して、その上司も先にいろいろな手を打っていてくれたことと思います。

このように、駆け出しの頃は試行錯誤の連続でした。当時の設計はかなりの割合で手計算をし、図面も自分たちで描

いていましたが、初めは上手く行かないことも多く、現場からも色々な注文を受けました。ただこの経験をしたことで、

設計段階でどう気をつければ現場が上手く動くかという想像力が身についたことは大きいと思います。

本四架橋と十勝大橋の現場設計部での仕事を経験した後、建設現場に配属されました。初めて従事したのは本四架橋現場のうちの1つです。橋脚

の気中部分にコンクリートを打設するため、軽量コンクリートのバージにプラントを乗せて広島から坂出まで運ぶこと

になり、そのバージを造る工程に関わりました。自分が一番の若手だったので、多くの先輩から可愛がってもらい、仕

事に対する哲学を教わりました。

時々、坂出の基地へ赴くこともありました。激務だったにも関わらず勤務時間外は遊びに出かけ、夜の勤務に寝過ご

して遅刻したというエピソードも。現場に駆けつけたら、所長が桟橋で仁王立ちで待っていて、それはそれは冷や汗も

のでした (笑) 。軽量コンクリートのバージは、計算上は浮くことがわかっていたものの、いざ完成して実際に水中に浮

かぶ様子を見た時には、ホッと胸を撫で下ろしました。みんなでシャンパンを開けて、「My Way」(フランク シナトラ

のヒットソング)を流しながら盛大にお祝いしましたね。

その次の現場、十勝大橋の架け替え工事では、3度の地震に影響を受けたことが印象的です。1回目は釧路沖地震、2

回目は北海道東方沖地震、3回目は阪神淡路大震災です。釧路沖地震では橋脚が沈み込む被害がありましたが、コンク

リート打設前だったのが幸いでした。また北海道東方沖地震ではタワークレーンが折損する被害を受けました。地震が

起こった夜、現場に慌てて駆けつけると、「クレーンがなくなってる」という報告を受けたんです。「なくなっている

わけないだろう」と思って見に行くと見事に折損しており、クレーンが復旧するまでに約2ヶ月もの時間を要しました。

阪神淡路大震災では、伊丹の工場に注文していたPC鋼棒の納入が遅れ、「北海道の現場が神戸の震災の影響を受けた」

と当時のニュースにもなりました。地震の被害に加え技術的にも難しい工事でしたが、人々の協力で乗り切ることがで

き、ここでの3年半の経験はその後の自分のキャリアを方向付けたと思います。

都庁に隣接する本社ビルの応接室からは、東京西部から富士山までを一望できました。

Page 4: 東大土木メールニュースVol.30 2018.2 - WEB PARKpark.itc.u-tokyo.ac.jp/CEalum/MailNews/Mailnews_No30J.pdf · 2018-11-30 · ・1997年以降、名古屋の地で所長として第二名神、愛知万

大きな責任と新しい挑戦1997年には名古屋で所長を拝命し、第二名神、愛知万博、第二東名という、技術的な難易度が高い大きなプロジェ

クトに連続して関わりました。特に大成建設では、所長に絶大な権限と責任が与えられます。しかしプレッシャーを感

じるというよりは精神的に高揚しており、毎日が充実していました。

加えて、当時プレキャスト分野でグローバルな実績を有するフランスのBouygues社を下請けで使ったことが新しい

取り組みでした。きっかけは、名古屋に移る前に1年の期間を与えられ、世界中を視察したことです。視察の目的は、

海外の会社はどんな技術を持っているのか、自分たちが先例のないプロジェクトを始める時に知恵を借りる先はないの

かを知ることにありました。その中でBouygues社と出会い、名古屋のプロジェクトで彼らとタッグを組むことに決め

たのです。相手方はなにせ自己主張が強くて、一緒に仕事をする中で、机をひっくり返すほどの激しい喧嘩を何度もし

ました。会社側には心配されましたが(笑)、所長として自分が先頭に立ってやってやるぞという意気込みがそれだけ強

かったのです。この時出会った人々との縁は今も続いていて、つい最近も、一緒にプロジェクトをやろうという話が持

ち上がっています。

Page3

2017.12.12

名古屋での所長時代

先輩の声

田中 茂義さん(昭54卒)

土木の価値を社会の人に認めてもらうこと土木の今後の繁栄のためには、社会からその価値を認めてもらうことに総力をあげて取り組まなければならないと

思っています 。

その取り組みのひとつが大型の海外事業への参画であり、近年は政府からも推奨されてます。国内では人口減少も

あって長期的に見ると仕事は増えないわけですから、高い技術を継承する意味でも、また私達の成果を海外の人にも

知ってもらう意味でも重要だと言えるでしょう。

また、PPP、コンセッションなどを通じて、資源のス

トックに関わる事業を展開することも考えられます。大

成建設は例えば病院事業にも関わっていますし、空港に

関しては国内外での豊富な施工実績をもとにコンセッ

ション事業などにチャレンジしているところです。とは

いえ、経営に関して私達はまだまだ素人なわけですから、

もっと勉強しなければならない。それと同時に、私達の

強みはあくまで技術ですから、そこを疎かにしてはいけ

ません。

最近、ゼネコンの仕事は面白いぞと改めて思っていま

す。設計、施工、マネジメントという異なる経験をして

きましたが、それぞれ別の醍醐味があります。

設計は制約条件の中で最適解を出す点に面白さがあり

ますね。反対に施工は問題解決の手法が多岐に渡り、柔

軟に頭を使って解決策を考えて、会社の利益を確保する

ことにやり甲斐があります。またマネジメントにおいて

は、この人の言うことなら信頼できると思わせるような

人間力が重要です。

私は、学生時代はどちらかというと人と群れなかった

方ですが、会社に入って見事に変わってしまいました

(笑) 。この仕事のやり甲斐を、ぜひ若い人にも感じて欲

しいと思います。 (修士1年 森田智美)

これからの土木業界

バックの記念像は、銀座線新橋―浅草間全通のお祝いに、東京地下鉄(現東京メトロ)の根津嘉一郎社長

から大成建設に寄贈されたものです。

Page 5: 東大土木メールニュースVol.30 2018.2 - WEB PARKpark.itc.u-tokyo.ac.jp/CEalum/MailNews/Mailnews_No30J.pdf · 2018-11-30 · ・1997年以降、名古屋の地で所長として第二名神、愛知万

私達の同窓会は、卒業年が昭和50年であったことから、会の名称を「五十会(いそかい)」

にしました。卒業後必ず年一回開催しています。開催日は、多くの方が参加しやすいように2

月の第一土曜日、午後5時からです。会のメンバーには同時期にクラスが同じで、卒業が翌年

度になった方と50年4月から修士課程入学の方もいて、賑やかです。卒業後、改めて医師の道

に進んだ村岡さんの計らいで、ここ数年は、5月と10月に、有志でゴルフ会も開いています。

毎年、幹事は所属した研究室の持ち回りで、しばらくの間、本郷三丁目近くのレストランで

開いてきましたが、店が閉店して会場は幹事に一任となりました。今年は河川研の三国さんが

担当して、四谷駅前の主婦会館で開催。

卒業後43年経ち、皆が前期高齢者の仲間入りをしました。今年は、19名が参加です。昨年

までは着席形式でしたが、今年は移動自由のビュフェ形式(テーブル、椅子付き)でしたので、

今まで以上に話が弾んだ会となりました。あっという間に時間が経ち、互いの健康と友情を確

認して、来年の再会を期してお開きに。同窓会は私たちの活力源となる楽しい会であることは

言うまでもありません。

次回からはアイウエオ順で幹事をしようとなり、2019年2月2日(土)は林康雄さん、早瀬藤

二さん、林光俊さんが担当です。よろしくお願いします。(文責 須野原豊)

同窓会は活力源!

私の同期会

五十会(昭和50年卒) Page4

2018.2.3

Page 6: 東大土木メールニュースVol.30 2018.2 - WEB PARKpark.itc.u-tokyo.ac.jp/CEalum/MailNews/Mailnews_No30J.pdf · 2018-11-30 · ・1997年以降、名古屋の地で所長として第二名神、愛知万

幹事長 田邉敏夫さん(昭55年卒)

地方支部だより

北陸支部講演会・懇親会2018.1.17

今冬の北陸は11月に初雪を観測し、12月からは雪の多い日が続き、寒い冬となっています。

新潟市内でも1月12日は積雪深が80cmとなるなど、累積降雪量は平年の約2倍となってい

ます。立春を迎えても名ばかりで、北陸各地で大雪が続いています。

さて、さる1 月17 日(水)に北陸支部懇親会を都市工学科卒業生も含めて合同で新潟市内に

て開催しました。

当日は東大土木同窓会本部から、前会長の前川宏一教授、事務局長の赤池あゆこ様にもご参

加いただきました。また、折角の機会であることから前川教授には懇親会に先立ち、「内閣

府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)が土木に寄せる期待と東大土木の責務につ

いて」についてご講演をいただきました。

前川教授、赤池事務局長を含めて参加者は15 名、女性参加者は赤池さんを合わせて2名と

こじんまりとした会となりました。懇親会では出席者の皆様から近況報告をいただきました

が、少人数であることからご活躍の状況をゆっくり伺うことができ、楽しくも興味深いひと

時を過ごすことができました。

なお、昨年10月に支部長が大熊孝様(昭42年卒 新潟大学名誉教授)から丸山久一様(昭

47年卒 長岡技術科学大学名誉教授)に交代しました。

東大土木同窓会の皆様で北陸地区在住もしくは勤務の方、新たに異動で当地区に赴任され

た方、もしくはゆかりのある方で、ご案内の届いていない方がおられましたら、是非ともご

一報下さるようお願いいたします。

連絡先 田邉敏夫 Tel:090-2970-2952 Email:[email protected]

Page5

Page 7: 東大土木メールニュースVol.30 2018.2 - WEB PARKpark.itc.u-tokyo.ac.jp/CEalum/MailNews/Mailnews_No30J.pdf · 2018-11-30 · ・1997年以降、名古屋の地で所長として第二名神、愛知万

前川秀和さん(昭52) 2.20

2018.1.24-2018.2.25

東大土木同窓会グループ

Facebookの投稿から Page6

平26卒の濱田です。現在、国土交通省北海道開発局に配属されて2年目の札幌の

冬を過ごしております。開発局では毎年さっぽろ雪まつりの市民雪像を作成して

いるのですが、今年は八田與一像を製作しました。昨年のカワッピー(開発局河

川のキャラクター)から格段に難易度が上がり、形になるか不安でしたが、ご存

知の方には認識できる程度にはなったかと思います。氷点下の中、1日がんばっ

た代償として、風邪をひいてしまいました。。。

札幌では12日まで雪まつりを開催しています。12条広場なので、メインの場所

からは少し離れていますが、お越しの際はお立ち寄りいただけると嬉しいです。

アムール川とハバロフスクの町が見えました。

人間の手が入ってない川は蛇行が凄まじいこと

が解ります。

濱田悠貴さん(平26)2.8 札幌より

多田直人さん(平13修)2.12 インドネシアより

派遣先のWisnu次官おすすめのKlatenに行ってきました。

ジャグジャカルタから車て1時間くらいのところです。洪

水で崩れた堤防を住民が自らの手で補修しています。もち

ろん、地元の防災局、公共事業事務所、軍、警察等も参加

しており、このような活動を毎週末しているそうです。

「行政の予算がないなら自分達で直す」ということのよう

です。現場を見せていただいたKlatenの皆様、ありがとう

ございました。地域コミュニティ活動の影響力を実感しま

した。今後の防災支援施策の検討に役立てます。

鳩山紀一郎さん(平13修)2.11

ハバロフスクの大学巡りが終わり、これからウラジオストク

に向かいます。ハバロフスク経済法科大学、極東国際関係大

学、極東国立交通大学、太平洋国立大学と巡り、交流可能性

について議論をしました。色々な可能性を追求できそうです。

Page 8: 東大土木メールニュースVol.30 2018.2 - WEB PARKpark.itc.u-tokyo.ac.jp/CEalum/MailNews/Mailnews_No30J.pdf · 2018-11-30 · ・1997年以降、名古屋の地で所長として第二名神、愛知万

2018.1.24-2018.2.25

本日、東京大学の武田先端知ビルにて、恩師の堀井秀之

先生の「最終講義」を受講してきました。出席者名簿に

よれば、講義受講者は遠隔も含め150名を超え、大盛況

でした。「応用力学」から「i.school」に至るまで先生

の教育・研究の「足跡」のことや、「転機」が何であっ

たかを伺い、懐かしさと驚きが胸の中で混じり合いなが

ら、先生の一言一言を、25年振りに噛み締めまし。.

APISNOTE(https://www.apisnote.com/)を使った講

義は、やはりユニークでした。ユニークと言えば、退職

される堀井先生が講義だけでなく、司会進行もされてい

たことは、「新たな最終講義」の在り方なのかもしれま

せん。それだけでなく、多くの旧知の方とお会いできた

のも、堀井先生ならではの「粋」なお取り計らいだった

と思っています。私事ですが、私が勤める香川大学にお

いても堀井先生には非常にお世話になって頂いておりま

す。ご興味があれば、こちら(https://www.kagawa-

u.ac.jp/topics/event/20401/)もご覧下さい。

最後に・・・恩師・堀井先生へ「長年、お疲れさまでし

た。でも、まだ、教え子たちは先生の熱意とイノベイ

ティブなマインドを必要としています。これからも、ご

指導・ご鞭撻、何卒宜しくお願い申し上げます。

文:吉田秀典(平4修)

写真:Peerapong SUTHIWARAPIRAK(平12修)

専攻日本語教室の大井先生は、毎冬希望する留学生を連れ

て、北区立柳田小学校をランチタイム訪問しています。冷

たい雨の降る一日でしたが、学生たちは子どもたちからの

温かい出迎えを受け、1時間ほどの訪問を終えました。

国際交流を文科省から求められる小学校、限られた予算の

中、各校工夫を凝らした取り組みを行っているそうです。

この企画は4年目になりますが、学生からも学校側からも

感謝されています。

東大土木同窓会グループ

Facebookの投稿から

日本語教室 小学校訪問 2.23

他、投稿協力会員

Mahesh Yadav(平28修) 関本義秀(平9)Erik Haster(特)Lee Jun(平25博)Nong Xuefeng(平25博)

田邉敏夫(昭55)有川太郎(平7)細田暁(平8)崎谷浩一郎(平13修)古橋真人(平20)Waheed Sarwar(平15修)

尾﨑真(平15)大城秀彰(平7)本間宏二(昭59)中野恒明(特)野崎大地(平2)深澤淳志(昭54)

Page7

※Facebookページ(要登録)で投稿をご覧になれます。

堀井秀之教授 最終講義 2.16

李春鶴さん(平17博)1.20

宮崎大学教授 原田隆典さん(昭52修)の最終講義にて