後期 中観派の学系 と...

47
中観 の学 ダ ル マ キ ー ル テ ィの 因 果 論 Catuskotyutpadapratisedhahetu 1.Satyadvayavibhangakarika〔SDK〕12-15と ダ゜ ルマキールティ 因果論を巡って 1.1.ダル マ キ ール テ ィの理 論 〔1〕〔⇒SDK12〕. 1.II.ダ ルマキールティの理論 〔2〕〔⇒SDK13〕. II.SDK14a. III.SDK14b. IV.1.SDK14c. IV.II.SDK14cとSDK15,29. V.1.SDK14d. V.II.Madhyamakaloka(Mal),Purvapaksa. 拙稿 〔1〕;Kamalasilaの 唯識思想と修道論 唯 識 説 の 観 察 と 超 越(佛 教 大 学 人 文 学 論 集 第19号,S.60.Dec.)pp.43-77. 〔2〕;カマ ラ シ ー ラの無 自悔 論 証 と ダル マ キ ール テ ィの 因果 論Sarva- dharmanihsvabhavasiddhiの 和 訳 研 究(3)(佛 教大学研究紀要通 巻 第71号,S.62.Mar.)PP・19-73・ 〔3〕;ヵマ ラ シ ー ラの唯 識 批 判 と ダル マ キ ール テ ィの経 量 部 説 無 自性 論 証 の 視 座:tatsarupyaとtadutpatti(同 ・第72号,S・63・Mar・) pp.1-45, 〔4〕;Kamalasilaの8α7"α4加 α痂加抛う肋"α5`44痂(SDNS)解説 一1一

Upload: others

Post on 13-May-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

後 期 中 観 派 の 学 系 と

ダル マキールテ ィの因果論

Catuskotyutpadapratisedhahetu

森 山 清 徹

目 次

略 号

1.Satyadvayavibhangakarika〔SDK〕12-15と ダ゜

ル マ キ ール テ ィ 因 果論 を 巡 って

1.1.ダ ル マ キ ール テ ィの理 論 〔1〕〔⇒SDK12〕.

1.II.ダ ル マ キ ール テ ィの理 論 〔2〕〔⇒SDK13〕.

II.SDK14a.

III.SDK14b.

IV.1.SDK14c.

IV.II.SDK14cとSDK15,29.

V.1.SDK14d.

V.II.Madhyamakaloka(Mal),Purvapaksa.

結 論

略 号

拙 稿 〔1〕;Kamalasilaの 唯 識 思 想 と修 道 論 唯 識 説 の 観 察 と 超 越(佛

教 大学 人文 学 論 集 第19号,S.60.Dec.)pp.43-77.

〔2〕;カ マ ラ シ ー ラの無 自悔 論 証 と ダル マ キ ール テ ィの 因果 論Sarva-

dharmanihsvabhavasiddhiの 和 訳 研 究(3)(佛 教 大 学 研 究 紀 要 通

巻 第71号,S.62.Mar.)PP・19-73・

〔3〕;ヵ マ ラ シ ー ラの唯 識 批 判 と ダル マ キ ール テ ィの経 量 部 説 無 自性

論 証 の視 座:tatsarupyaとtadutpatti(同 ・第72号,S・63・Mar・)

pp.1-45,

〔4〕;Kamalasilaの8α7"α4加 筋 α痂加 抛 う肋"α5`44痂(SDNS)解 説

一1一

佛 教大 學 研 究紀 要 通 卷73號

(佛 教 文 化 研 究 第33号,S.63.Mar.)pp.1-24.

〔5〕;KamalasilaとHaribhadra一 切 智 者 の 証 明 を 巡 っ て(印 仏

研Vol.35-1.Dec.1986.)pp.115-119.

SDNS(1):カ マ ラ シ ー ラ のSarvadharmanihsvabhavasiddhiの 和 訳 研 究(1)

(佛 教 大 学 大 学 院 研 究 記 要,第9号,S.56.Mar.)PP.60-100.

SDNS(2):同(2)(同,第10号,S.57.Mar.)PP.109-158.

SDNS(3):同(3)e拙 稿 〔2〕.

SDNSIV:AnAnnotatedTranslationofKamalasila'sSarvadharmanihs- ●抛 莇 伽 α5∫44痂PartIV.(佛 教 大 学 研 究 紀 要 通 巻69号,S.60.Mar.)

pp.36-86.

PartI;TheYogacara-MadhyamikaRefutationofthePositionofthe

SatyakaraandAlikakara-vadinsoftheYogacaraSchool .PartI:

ATranslationofPortionsofHaribhadra'sAbhisamayalamkaraloka

Prajnaparamitavyakhya(佛 教 大 学 大 学 院 研 究 紀 要 第12号 ,S.59.Mar.)

pp.1-58.

PartII;Idem,PartII・(坪 井 俊 映 博 士 頌 寿 記 念 仏 教 文 化 論 攷,S.59.Oct .)

pp.1-35,

PartIII;Idem,PartIII・(佛 教 大 学 人 文 学 論 集 第18号,S .59.Dec.)PP.

1-as.

AAPV;Haribhadra,AbhisamayalamkaralokaPrajnaparamitavyakhya,

ed.byU.Wogihara.1973.

BhkI;Kamalasila,Bhavanakrama,MinorBuddhistTextPartI&II,

ed,byG.Tucci1978.RinsenBookCompany,Kyoto .

D;thesDedgeedition,preservedattheFacultyofLetters ,University

ofTokyo.

HB;E,Steinkellner,Dharmakirti'sHetubinduh,TeilI ,TibetischerText

andreconstruierterSanskrit-Text,Wien1967.

Ichigo;M.ICHIGO,MADHYAMAKALAMKARA.1985.

桂 論 文;'桂 紹 隆 『、ダル マ キ ー ル テ ィの 因 果 論 』(南 都 仏 教 第50号)pp.96-114.ノ

MAK;Santaraksita,Madhyamakalamkara-karika,cf.Ichigo .

Mal;Kamalasila,MadhyamakaZoka(P.No.5287.Vol.101 .Sa143b2-275a¢,

D.No.3887.DBUMA,Vo1.12.Sa133b4-244a').

MAP;Kamalasila,Mα 〃 加 脚 嫋 嬬 肋 プα.ρα彫 肋,cf.Ichig6.

一2一

後 期 中 観派 の学 系 とダル マキ ー ル テ ィの因果 論

MAV;§antarak§ita,Madhyamakalamkara・"ノ 漉,cf.Ichig6.

NB(T);Dharmaklrti,Nyayabindu.Dharmottara,Nyayabindu-Tika,

BibliothecaBuddhica.VII.MEICHO-FUKYIJ-KAI,1977.

P;ThePekinedition,TheTibetanTripitaka,ed.byDaisetzSuzuki,

Tokyo-Kyoto1954-1963.

PPVT;Kamalasila,Z【 プツ⑫ 厂勾碗妙 あプα擁'伽 勾舮α6漉 θ漉 緬 一tika・(P・Vo1・96・

No.5216.E

PV;Dharmakirti,Pramanavarttika.

PVP;Devendrabuddhi,Pramanavarttikapanjika,D.No.4217.

PVP(き);自akyabuddhi,P短 挧 勿 α滋 π彡ゼ々 αΨ 犲げ,D.No.4220.

SDK;7nanagarbha,Satyadvayavibhanga-karika,D.No.3881.ノ

SDP;Santaraksita,8σ 妙 α伽 αッα豌 兢 αカgα・panjika,D.No.3883.

SDV;Jnanagarbha,8σ 妙 α踟 の2α豌 う加 力gα一vrtti,D.No.3882.

戸 崎 ㈹ ㈲;戸 崎 宏 正,『 仏 教 認 識 論 の 研 究 』 上 巻(1979),下 巻(1985).

TS,TSP;Tattvasangraha・fSant・ ・ak§it・,-panjika・fK・m・1・S11・ ・ed・

byS.D.Shastri.

VNPV;忌antarak§ita,V観 απッ勿 砂rα 肋 プαμ 曽ψ αガo伽 プ彡肋,ed.byShastri

SwamiDwarikadas,BauddhaBharatiSeries8,Varanasi1972.

§antarak§ita,Kamalasila,Haribhadraの 学 系 で,重 要 な無 自性 論 証 の方 式

で あ り,か つOriginalityに 富 む も の と言 えば,ま ず は 《一 ・多 を欠 い て い る

こ とを 理 由 とす る(ekanekatvaviyogahetu)無 自性 論証 》 を挙 げ 得 る で あ ろ

う。 こ の方 式 を軸 と して,6antarak§itaは,Madhyamakalamkara〔MAK,

MAV〕(中 観荘 厳 論)を 著 わ した 。Kamalasilaは,そ のPanjika〔MAP〕 で ・

師 の方 式 を 熟 知 し,官 ら もMadhyamakaloka〔Mal〕(中 観 光 明論)で ・ それ

を活 用 し て いC1)。 さ らにHaribhadraは,AbhisamayalamkaralokaPrajna-

paramitavyakhya〔AAPV〕(八 千 頌般 若 釈 大 註)で,そ の論 証 式 に 基 づ い て・

原 子論 批 判,有 形 象 唯 識 ・無 形 象 唯 識 批 判,中 観 の真 理 の論 証 を 大 々的 に 展 開

(1)MalP238a7-246bz,D215bi-222b1.

一3一

佛教大學研究紀要通卷73號

し て い る。 このAAPVの 説 は,全 面 的 にMAK,MAV,<z)MAPさ ら に は

K・m・1・s・1・のBhavanakramaに も飾 てい る もの で あ(3)。

他 方 ・ 上 記 のekanekatvaviyogahetuに 匹 敵 し得 る,あ るい は そ れ 以上 に

重 要 な意 義 を有 す る と 思 わ れ る も の に,後 世 チ ベ ヅ トでCatuskotyutpada-

pratisedhahetu(mubshiskeba'gagPa'igtantshigs)「 四極 端 の生 起 の論

くの

難 」 と呼 ばれ る も のが あ る。 これ は,Jnanagarbhaの8α 砂 α4凱 ッα窃莇 αヵgα

(二 諦分 別 論)〔SDK14〕 及 びそ のVrtti〔SDV〕 に起 源 を有 し,Santaraksita

の そ のPanjika〔SDP〕 及 び 砺4α ηツ勿 αηノ癖 吻 硴`♂'∂プ漉α〔VNVV〕 に,ま

たKamalasilaのMal,Sarvadharmanihsvabhavasiddhi〔SDNS〕 に,さ らに

は ・HaribhadraのAAPVへ と継 承 され る もの で あ る。 そ れ 故 ,Jnanagarbha

を も含 め ・ 彼 らの学 系 を 明瞭 に 示 す も の と して,ekanekatvaviyogahetu以 上

に 重 要 性 が 推 知 され るの であ る。 そ こで,筆 者 が 最 も問 い 明 らか に した い と こ

ろ は ・ この 「四極 端 の生 起 の論 難 」 す なわ ち,Jnanagarbhaが ,SDKl4及

び そ のSDVで,誰 の,い か な る理 論 を 対 象 とし て,そ の論 難 法 を 形 成 したか

とい うこ とで あ る。 結 論 を 先 取 りす るな らぽ 〈筆 者 が 「四極 端 の生 起 の論 難 」は

Dharmakirtiの 理 論 に 向 け られ た も の であ る とす る直 接 の根 拠 は,Jnanagar-

bha以 下 の 論 述 の要 所 とHetubindu〔HB〕 の それ とが 逐 字 的 に一 致 す るか らで

ノあ り,ま た そ の 「論難 」を展 開 す るSantarak§itaがVNVVでPramanavdrttika

くるの

〔PV〕 現 量(534)を 引 用 し ・、そ れ がKamalasilaのMal,purvapksaに も 反

映しているからに徹 らない.〉 その骨子はすで醗 表済であ現 また,そ れ

に 先 立 って 筆 者 は,か つ てKamalasilaのSDNS(2)の 訳 注 及 びTibetan

(2)PartI.pp.37-58.fn(101)一(217),PartII.pp.19-35,fn(101)一(148).

(3)1QAAPV6405-6=BhKI(21419x402AAPV64024-6411=BhKI(212)17a4-

5●AAPV6415-s=BhKI(214)19a5●AAPV641s-ia=BhKI(216)20b1-4

⑤AApV641・3-・8=BhKI〔219〕22x6-b1〔=MalP184b5-185a1,D169b卜4〕 詳 細 は,

拙 稿 ・KamalasilaとHaribhadra‐Haribhadraの 引 用 す るB肋"砌 観 プ砌3α1-(仏

教 論X32号,昭 和64年9月 掲 載 予 定).

(4)1Canskyagrubmtha',TomJ.F.Tillemans,TwoTibetanTegtontheノ"NEITHERONENORMANY"A

rgumentforSunyata.p.371.16.cf.拙 稿

r後 期 中観 派 の ダル マ キ ール テ ィ批 判 一 因果 論 を 巡 って 一 』(印 度 学 仏教 学 研 究37-1) .

(4a)p.3818剛19cf。 本稿(134a)(135),(134b)(136)(140).

(5)ま 出稿cf.(4).

一4

後期中観派の学系 とダルマキールティの因果論

Textを 発 表 し,そ こで,SDKl4,SDV,SDP,Mal,AAPVと の比 定 を 示

し廻。しかしながら,そ れらの発表で,ま だ十分に比定し尽し得ていない不備

を 感 じて い た 。そ の後,M.D.Eckel氏 がSDK,SDVの 全訳,注,研 究 を 発

表(?)L,研 究 は 進 歩 した か に見}る が,彼 は,Jnanagarbhaが,Dharmakirtiくの

に大 い に 負 うて い る点 を指 摘 し なが ら も,SDK14,及 び そ のSDVが,Dh・

armakirtiの 因果 論 を論 難 の対 象 と して い る こ とを見 出 し てい ない し,さ らに,

そ のSDK14,SDVがKamalasilaのMalやSDNSに 継 承 され て い る こ

とは,全 く気 付 か れ て い な い。 ま た,HaribhadraのAAPVと の比 定 は,部

くの

分 的 に 示 され てい る もの の,散 発 的 で あ る。 そ の先,天 野宏 英 氏は,Haribha-

draのAAPVの そ の 部 分 を訳 注 共 に研 究 され,学 恩 は大 な る も のが あ る。 ま

た,《 多 な る因か ら単 一 な る果 が 生起 す る提 言へ の論 難 》 〔=SDK14a〕 は ・

HaribhadraがDharmakirtiのPV自 比 量 を 典 拠 に,Dharmakirtiの 因 果

くユの

論を論難するものであることを示された。 しかし,SDKl4bcdに 相 当す る

部分,す なわち 《多因→多果》《一因→多果》《一因→一果》の論難が,誰 の理

論を対象としているかを特定す ることはなされていない。また当時としては関

連するものの研究の進度からして,や むを得ない ことであろ うが,そ の論難がノ

Jnanagarbhaに 起 源 を もつ こ と,さ らに は,Santaraksita,Kamalasilaと の

密 接 な 関係 に つ い て は全 く示 され な か った。 そ こで筆 者 は,自 身 の 先 に述 べ た

不 備 に加 え,こ の重 要 な無 自性 論 証 の方式 を解 明す る必 要 性 を 思 って い た 。今

回,明 らか に した い こ とは,1)元 来Jnanagarbhaは,DharmakirtiのHB

及 びPV現 量 章(533)(534)で の因 果 論 を 論 難 の 対 象 とし て,SDK14abcd全

て と,そ のSDVを 論述 し て い るが,そ の論 難 の方 式 を解 明す る こ と。2)そ れ

が,きantarak§ita,Kamalasila,Haribhadraへ と継 承 され る点 の比 定 を 具 体 的

(6)SDNS(2)pp.119-128.fn(22)一(36).

(7)M.D.Eckel.Jnanagarbha'sCommentaryontheDistinctionbetweentheTwo

Truths.1987.StateUniversityofNewYorkPress.

(8)Eckel(cf.(7))ch.4.esp.p.56.

(9)Eckel(cf.(7))note63-65,68,76.

(10)天 野 宏 英 『因 果 論 の 一 資 料 一 ハ リバ ド ラ の 解 釈 一 』(金 倉 博 士 古 稀 記 念 印 度 学 仏 教

学 論 集)esp.p.344(7),p.345(13),p.346(16).同 氏 『因 果 論 に つ い て 一 ハ リノミド

ラ の ダ ル マ キ ー ル テ ィ批 判 一 』(印 度 学 仏 教 学 研 究15-2)pp.(104)一(112).

5

佛教大學研究紀要通卷73號

に 示 す こ と。3)そ れ は,単 にSDK14の み を 巡 る問 題 で は な く,SDK12-15

等 に 直接 関 わ る,す な わ ちDharmakirtiの 《因果 効 力》(arthakriyasamartha)

を 軸 とす る因果 論 及 び二 諦 説 とい う構 造 全 体 に 関 係 す る こ と。4)Haribhadra

は,HBやPV自 比 量 で のDharmakirtiの 見 解 の み な らず,Devendrabud一

dhiやSakyabuddhiの 見 解 を も,論 難 の 対 象 と し,JnanagarvaのSDK14 ,

SDVの 土 台 の上 に,論 議 をつ け 加 え,展 開 して い る こ と。

この四 点 の証 明 方法 とし て,ま ずSDKl2-15の,Dharmakirtiの 理 論 と

の関 係 及 び6antarak§ita,Kamalasila,Haribhadraへ の影 響 ,そ してSDK14

及 びSDV,SDPの 訳 出 とそ の 比定 をSktの 得 られ るHaribhadraのAAPV

の もの か ら示す 。 そ し て対 応 す るDharmakirtiの 理 論 を 指摘 す る。 訳 注 で,

必 要 に応 じMal,SDNS等 と の比 定 をSDNS(2)か ら示 す 。

1.SDK12-15と ダ ル マ キ ー ル テ ィ 因果論を巡 って

Jnanagarbha,Santaraksita,Kamalasila,Haribhadra四 師 間 に 師 資 相 承 の あ

くユリ

ることは,こ れまでにも示して来た ところである。それは,端 的に言って,次

の二点に集約し得 る。つまり,哲 学の段階的向上と深化を修道論の体系としてくぬ

樹 立 して い る こ と。 この点 は,瑜 伽 行 唯識 学 派 の特 に,AsangaやVasubandu

の形 成 した修 道 論 を踏 襲 し,唯 識 派 の 哲 学 を も克 服す る も の と して 確 立 して い

る。 そ れ が一一切 法 無 自性 へ の 「道」で あ る。 他 方,Dharmakirtiの 経 量 部 説,唯

識 説 を踏 襲 し,さ らに 批判 的 に克 服 し よ うとす る点 で あ 署。 巨 匠Dharmakirti

の理 論 に 負 い つつ 論 議 を 展 開 す る こ とは,彼 らがDharmakirtiの 影 響 下 に あ

った こ とを如 実 に示 して い る。 しか し なが ら,Dharmaklrtiの 理 論 を 批 判 的

に 克 服 しな い 限 り,一 切 法 無 自性 は 立 論 し得 な い状 況 下 にあ った こ と も事 実 で

あ る。 この こ とは,彼 らが,Dharmaklrtiの 因果 論 を批 判 の対 象 と して い る点

か ら知 られ るの で あ る。 そ の最 初 はSDK12~15に 見 られ る。 そ こ に展 開 さ

れ るDharmakirtiの 因 果 論 批判 を検 討 し,彼 ら の学 系 を 把握 し よ う とす る。

(11)拙 稿PartI,II,III.及 び 拙 稿 〔5〕.

(12)拙 稿 〔1〕.

(13)才 出稿 〔2〕,〔3〕,〔4〕.

6

後期中観派 の学系 とダルマキールテ ィの因果論

批 判 の 対 象 とな るDhamlakirtiの 因 果 論 を 以下 に示 そ う。(14a?

〔1〕事物 は,結 果 を もた らす にふ さわ しい特 徴 を有 す る もの で あ る。(arthak-

riyayogyalaksanamhivastu.HB3*14)因 果 効 力 を 有 す る もの こそ が,勝

義 的存 在 で あ る。(saparamarthikobhavoyaevarthakriyaksamah)(pV≪4>

1166ab)〔 ⇒・SDK12〕

〔2〕因 果 関 係 の証 明 は,直 接 知 覚 と無 知 覚 とに よ って な され る。(pratyaksa・(15)

nupalambhasadhanahkaryakaranabhavastasyasiddhih.HB4*11-12)〔 ⇒・

SDK13)

〔3〕感 官 知 の生 起 に 関 す る立 論,例 えぽ,眼,色,光,注 意 力 等 の 集 合(sa-(i6)

magr3)か ら眼識 が生 起 す る。 ~ 〔8〕〔:>SDK14,15〕

(17)

〔4〕原因の区別 と無区別が結果の区別 と無区別を設けるとの理論。

〔5〕結果は単一であるが,そ の果の有する特殊性(visesa)に 多様性(e区 別)(18)

が存するとの理論。

〔6〕種 か ら芽 が 生起 す る場 合 の よ うに,刹 那 の 連 続(santana)に 基 づ い て,さ(19)

らに諸原因の集合に卓越性(atisaya)が 具わ り,結 果が生起するとの理論。

〔7〕種等から芽等が生起す る場合には,そ の種等 は,芽 等 を生起 す る自性

(svabhava)を 有し,倉 庫等にあって芽等を生起しない種等は,芽 等を生起むの

す るsvabhavaを もた な い,と の理 論 。

(14a)DevendrabuddhiGこ よ るarthakriyaの 解 説 に つ い て は,松 本 史 朗 『仏 教 論 理 学

派 の 二 諦 説 ㈹ 』(南 都 仏 教 第 四 十 五 号)P.116注(1)参 照 。Haribhadraも,同 様 な 解 釈

を 示 し て い る 。 「arthakriyakaritvaと は 結 果 を もた ら す 作 用(karyakriyakaritva)と

い う こ と に 他 な ら な い 」(AAPVp.9727-a).

(14)cf.戸 崎 ㈹P.61.fn(13).cf.SDNSIV.PP.573-581,TibetanTextpP.7919-

802.SDNS(2)pp.1152-11712,TibetanTextpp.1451"'-14712.拙 稿 〔4〕pp.13-14.fn

(206)(206a),p.6.fn(21).

(15)cf.YuichiKajiyama;Trikapancakacinta,DevelopmentoftheBuddhist

TheoryontheDeterminationofCausality(イ ソ ド学 誌 論 集Nos.4-5,1963,10.)

cf.拙 稿SDNS(2)PP.1383-1394,拙 稿 〔2〕PP.22-41.VNPVp.3581-zz本 稿(46a).

(16)本 稿fn(46a),(49)cf.PV自 比 量(73),戸 崎 ㈲PP.212-213.fn(361).本 稿

(47),VNPVp.3017‐ia.

(17)本 稿fn(61),(61a).

(18)本 稿fn(86)=(81),(81a),(82),(82a).

(19)桂 論 文p.100下,103,107下,108上,109下,100,111.

(20)戸 崎 ㈹PP.62-63.fn(16).,桂 論 文P.101.

7

佛教大學研究紀要通卷73號

〔8〕,〔3〕の感官知の生起 と〔6〕〔7〕の種から芽が生起する場合 とを異 った因果

の形態 としてDharmakirtiは 峻別する。前者は条件が整えば一一刹那に結果

が生起し,後 者の場合は,諸 原因が不備な く整っても,結 果が生起するに多

刹那を要し,結 果を生起する直前の諸原因の集合(kalapa)にatisayaが 付むの

加 され る。

〔3〕~ 〔7〕の因 果 の 理 論 に 先 立 ってDharmakirtiは,彼 の因 果 論 の基 盤 と も言

い 得 る理 論 〔1〕〔2〕をHBに 於 て展 開 して い る。 このDharmakirtiの 基 本 的 立

場 をJnanagarbha及 びSantaraksitaは,ど う対 処 して い るか を 〔1〕に 関 し て

はSDK12に よっ て,〔2〕 に関 して は,SDK13に 対 す るvrtti,panjikaを

も とに 順 に 見 て み よ う。

1.1.ダ ル マキール テ ィの理論 〔1〕〔:>SDK12〕

〔1〕の理 論 はPV現 量(3)で も周 知 の も ので あ る。 す な わ ち,「 因 果 効 力

(arthakriyasamartha)を 有 す る もの が,勝 義 的存 在(paramarthasat)で あ り,ゆラ

そ うで な い も の は,世 俗 的 存在(samvrtisat)で あ る 。」 このDharmakirtiの

因果 効 力 の有 無 を 巡 る二 諦 説 を 以下 に示 す よ うにJnanagarbha,螽ntarak§ita,

Kamalasila,Haribhadraは,因 果 効 力 を 有 す る も のを 実世 俗(tathyasamvrti),

そ うで ない も の を邪 世 俗(atathya-,mithya-sarhv#i)と 規定 し,結 局 の と こ ろ

は,Dharmakirtiを 批判 し てい る。JnanagarbhaはSDK12で 次 の よ うに

世 俗 を二 分 し てい る。 「顕 現 して い る もの とし ては,等 し く と も,因 果 効 力

(arthakriyasamartha)を 有す るか ら,ま た 有 さな い か ら,実(tathya)と 邪

(。・。thy。)世 俗 が 区 別 さ諤.」 こ のJ伽 。g。,bh。 の見 鰍 こ6・n・。,ak§it。はく の

そ のSDK12に 対 す るpanjikaで,さ らにMAK64,65及 び そ のMAV

讐 踏 襲 し て い る.K。m。1。s・1。 をま,MAP讐Jnan。g。 。bha,Sian・ 。,aksi,。 の

見 解 を受 け 継 い でい る し,さ らに,SDNSで 次 の よ うに述 べ て い る。

(21)桂 論 文P.110上.

(22)本 稿fn(14).

(23)SDV6b5.

(24)SDPD26b'-27a'.

(25)(26)M.Ichigopp.202-211.

8

後期中観派の学系 とダルマキールティの因果論

糀あ者(Dharmakirti)達 〔仏教論理学派〕は次のように提言する。「因果効

力(arthakriyasamartha)を 具 え た も のが,勝 義 的存 在(paramarthasat)

で あ るが,そ うで ない も のは,世 俗 的存 在(samvrtisat)で あ る 。」 と,そ れ

は,こ の 場 合,実 世 俗(tathyasamvrti)に 基 づ い て,凡 夫(prthagjana)を

摂す る 〔為 に〕 勝義 的存 在 の特 徴 で あ る と述 べ る の な ら,そ の と き,こ の

〔言 明〕 は,道 理 に 適 ってい る。 … … 勝 義 とし て,あ らゆ る事 物G'-..,因果 効むアとンロをの

力 のあ る こ とは 成 り立 た な いか ら。

またHaribhadraは,

髏勅 に,自 我(atman)等 を否定する点で,外 界の対象を設定し,そ れから,

遍 計 所 執 性,依 他 起 性,円 成 実 性 を述 べ る こ とに よ って,三 界 唯心 の理 解 へ

と入 っ て,そ の後,正 し く(samyak)結 果 を もた らす こ と(arthakriya)に ・

適 合す る もの と,し ない も のが,実 ・邪(tathyatathya)の 区 別 に よ って・ 二

種 の世 俗 諦,つ ま り,吟 味 しな い 限 り素 晴 し く(avicaraikaramya),そ れ ぞ

れ 前 の 自己 の 因 に依 存 す る こ とを 説 示 して,実 世 俗 に基 づ い て,見 ら れ る

(顕 現 す る)が ま ま に(yathadarsanam),幻 の 人 に よ って こそ・ 布 施 等 が 実

践 され な くて は な らな い 。 ま た勝 義 と して は,不 生 が修 習 され な くて は な ら

だ野1。りの

特 に 下 線 部 は,MAK64,65及 び そ のMAVに 従 った もの で あ ろ うし・ さ

らに また,

くヨび ひ 

世 俗 とは ど うい うも のか とい うな ら,

因果 効 力(arthakriyasamartha)を 有す る も の こそ,考 察 の重 みY'耐 え得 なゆの

いか ら,世 俗 的 な(samvrta)実 在(vastu)と 言 わ れ る。

この よ う),rY`.Haribhadraに あ って も,実 ・邪 の世 俗 諦 の区 分 を ・Jnanagar・

bh。 以 来 の 。,th。k,iya・am・・th・の 撫 を基 準 に 設 定 して い る・ こ の 点 で は

Dharmakirtiの 理 論 〔1〕を踏 襲 しつ つ も,因 果 効 力(arthakriyasamartha)を

(27)本 稿ifn.(14)のSDNSIV,拙 稿 〔4〕.PP・13-14・fn(206)(206a)・

(27a)cf.SDV6b',SDPD27a6で 〈効 果 的 作用 も無 自性 〉 と述 べ られ て い る。

(28)AAPVp.594is‐za.

(29)本 稿fn(25)(26).

(30)AAPV637zs-zv,

9

佛教大學研究紀要通卷73號

有するものを実世俗(t・thy・・amvr・i)と位鮒 ける点で獄 臟 として,批

判 的 克 服 を 図 ろ う と し て い る。 こ の 見 地 が,Jnanagarbhaか ら,Santaraksita,

Kamalasila,Haribhadraへ と 継 承 され る こ と が 知 ら れ た。 さ ら にKamalasila

に あ っ て は ・ こ のarthakriyasamarthaの 有 無 と い う観 点 が,常 住 性(nityatva)

批 判 説 一 賄 部 の 三 無 為 説 批(32)..lfs三世 実 有 説 鏘 さ らY`Sant。,ak,i,、.一 一一,

くヨの

Haribhadraも 含 め て形 象 虚 偽 論 批判 の 際 に運 用 され るの で あ る。

1・II・ ダ ル マ キ ー ル テ ィ理 論 〔2〕 〔:>SDK13〕

〔2〕の理 論 に 対 す るJnanagarbhaの 論 難 は次 の もの で あ る。SDK13に 関

す るSDVで,くヨひ

因果 関 係(karyakaranabhava)を 確 定 す る に,汝(Dharmakirti)に は 方

法 が ない 。 とい うのは,1)無 形 象 知(nirakarajnana)が 対 象 を 把 握 す る こ

くヨヨひ ロ

とは 不 合 理 で あ る 。 〔こ の 知 覚 は 青 色 で あ る が,黄 色 で は な い と い う決 定 が

成 り立 た な い 。 近 接 し た 因 が な い か ら で あ る 。 そ れ 故,そ の 〈無 形 象 知 〉 に

よ っ て,対 象 を 把 握 す る こ と が,ど う し て あ ろ う か 。(SDP≒...85a)TSP))形 象

(akara)は,確 実 な 認 識 手 段(pramana)で は な い か ら で あ り,不 合 理 で あ

る か ら で あ る 。2)有 形 象 知(sakarajnana)〔 に よ っ て,対 象 を 把 握 す る こ と

は 〕 不 合 理 で あ る 。 な ぜ な ら,形 象(akara)は,確 実 な 認 識 手 段(pramana)

で は な い か ら 。 〔事 物(bhava)が 形 象(akara)を 遍 充 し な い 。 無 常(anitya)

(31)こ の見 解 自体 は,Jnanagarbhaよ りも,さ らに 先行 す る清 弁(Bhavaviveka)に

よ って,確 立 され て い た 。cf.野 沢静 証 「中 観 両 学派 の対 立 とそ の真 理 観 」(仏 教 の根

本 真 理)p.475.戸 崎 ㈹pp.64-65.

(32)SDNS(1)pp.76-83.拙 稿 〔3〕pp.19-22.BhKI〔201〕loal-z.

(33)SDNS(2)pp.111-119.esp.p.115.fn(IOb)TS.1737ab,1820.し た が って,こ

の視 点 か らの三 世 実有 説 批 判 はiSantaraksitaに 範 を得 た もの と言xよ う。

(34)PartII.pp.2323-2513.拙 稿 〔3〕pp.15-16.fn(33).

(35)SDV7a2-4,PartII.p.11-12.fn(25)(26).

(35a)SDPD27b4.

TS.535cd.

nakaranankitatve'stipratyasattinibandhanam

TSPp.226s‐io.

athanakaraxntadanilaspadamsamvedanaxhnapitasyetivyavasthanamna

siddhyetsarvatrabodharupatayavisesabhavenapratyasattinibandhanabhavat

cf.PPVTP225as-bl.

一10一

後期 中観派 の学系 とダルマキールテ ィの因果論

(35b)

性 が,認 識 対 象(prameya)を 遍 充 しな い よ うに 。 … …〕 何 故 か とい え ぽ,

多 様 な 本 性 を 有 して 顕現 し て い る 単 一 な も の く知 〉 に と っ て,諸 の 形 象

(akara)が,ど うして 真 実 で あ り得 よ うか 。 そ の 〈知 の〉 単 一 性 が 崩 れ て し(35c)

まうからである。 〔そ うであれば,知 の本体が,単 一であることは不合理で

ある。諸の形象(akara)と く知は〉別ではないか ら,形 象自体のように,

〈知は多なるものとなろう。〉また,〈知は〉諸の形象と区別 されない。 〈諸

の形象は〉知の単一な本体 と区別がないから,〈 諸の形象は〉知の本性のよ(35d)

うに く単一となろ う〉。〕そうであれば,〔 無形象あるいは有形象知が,対 象くあの

を把握しないのであれぽ〕直接知覚(pratyaksa)と 無知覚(anupalabdhi)

によって,因 果関係は成立しない。 〔有形象あるいは無形象の直接知覚によ

って,対 象を確定することは不合理である。 〈直接知覚に,有 形象あるいは(35f)

無 形 象 〉 以外 のあ り方 は な い。 無知 覚(anupalabdhi)と は,壷 等 を 欠 い てC35g)

い る 大 地 等 を 認 識 す る 故,直 接 知 覚(pratyaksa)で あ る 。 直 接 知 覚 と 無 知

近 接 性(pratyasatti)が,認 識 成 立 の 根 拠 と し て 述 べ ら れ る 点 に つ い て は,PV現 量

(47)(324d)(325).戸 崎 ωp.115,的p.8.そ し てpratyasattiが 無 形 象 知 識 論 批 判 の

ポ イ ン ト と な る 点 に つ い て は,拙 稿 〔3〕P.33-34.〔1.1.II〕.ま た,KamalasilaはTSP

で,Haribhadraは,AAPVで(35a)の 見 解 全 体 を 反 論 者 の 弁 と し て 取 り挙 げ,無 形

象 知(nirakarajnana)の 有 す る そ の 矛 盾 点 が,一 切 智 者(sarvajna)の 智 で は 克 服 さ

れ て い る こ とを 示 し,一 切 智 者 の智 の 整 合 性 を 論 証 し て い る 。cf.拙 稿 〔5〕P.(116).

注16),17).

(35b)SDPD27b5.

(35c)cf.TS.535ab.

sakarenanuvijnanevaicitrya血cetasobhavet

TSP.p.226'-9.

yadisakaramjnanamtadacitrastaranadisujnanasyacitratvambhavet/na

caikasyacitratvamyuktamatiprasangat/

Eckel〔cf.(7)〕p.80,p.129.Note(60).PV現 量(357),戸 崎 ㈲pp.43-44.

anyathaikasyabhavasyananarupavabhasinah/

satyaxnkathamsyurakarastadekatvasyahanitah//

(35d)SDP.D27b7-28a1,PartI.II.III.,拙 稿 〔5〕.p.(117).〔2〕.

(35e)SDP.D28a2.

(35f)cf.TSP.p.22611-14.

yatobhavata'pisakaranakarapaksabhyamavasyamanyatarahpakso'ngi-

karttavyo'anyatha'rthagrahijnanamnasidhyet/nacapyetatpaksadvayav-

yatirekenanyahprakaro'stiyenajnanamartha血grahi§yati/

(35g)オ 出稿 〔2〕p.39.fn(46)(46a)(46b).

cf.NB.II-13.

tatranupalabdhiryathanapradesavisesekvacid

一11一

佛教大學研究紀要通卷73號

くヨホン

覚の二〕 とは別なあり方を考}よ 。もし,因 果関係を理解 させる別な方法が

あると言 うなら,そ れを述べてみよ。請 うている我々に対して,出 し惜しみコロのヨの

す る こ とが,ど うして 正 当 な こと で あろ うか 。

〔 〕 はpanjikaに よ り,〈 〉 は筆 者 が補 った も ので あ る。ノ

このJnanagarbha,Santaraksitaに よるDharmakirtiの 〔2〕の立 論 に 対す

る論 難 は,次 の よ うに要 約 され る。 つ ま り,直 接知 覚(pratyak§a)と 言 い得 る

も のは,1)無 形 象 知(nirakarajnana)か,2)有 形 象 知(sakarajnana)か の

何 れ か で あ る と二分 し,そ れ 以 外 のpratyak§aは あ り得 な い との 立 場 か ら,

まず 無 形 象知 に よ って は対 象 は 把 握 され得 な い こ とを 述 べ る。 そ の理 由 とし て

6antarak§itaは 無 形 象知 に よ って は,青 色,黄 色 の 区別 が な し 得 ない と解 説

くヨの

し,そ の理由を 〈近接した因がないから〉 としていた。この理由として述べるくヨの

もの も,Dharmakirtiの 理 論 を逆 用 した も ので あ る。 一 方,2)有 形 象 知(sa-

karajnana)の 場 合 は,単 一 な知(jnana)と 多 様 な形 象(akara)と の 間 に存 す

る一一 多 の不 整 合 性 を 根拠 と して,有 形 象 知 に よ る対 象 の把 握 は不 合 理 で あ る

こ とを示 し てい た 。 何 れ に して も,akaraが 確 実 な知(pramana)を もた らす

も の とは な り得 ない 。 この1),2)に よっ て,ま ず 直接 知 覚(pratyak§a)に ょ

る対 象 の把 握 に 不 合 理 の存 す る ことを 示 し,さ らに無 知 覚(anupalabdhi)を,

直 接 知 覚 に過 ぎな い もの とす る ことで,再 批 判 を避 け てい る と言}xる 。 この 無

知 覚(anupalabdhi)を 直 接知 覚(pratyaksa)と 見 なす 見 解 をKamalasilaはくヨの

Malで 忠 実 に 継 承 し て い る。 これ らがDharmakirtiの 〔2〕の 立 論 に 対 す る論

ghatsupalabdhilaksanapraptasyanupalabdheriti//

NBT,p.301-a.

yadyapicanastighataitijnanamanupalabdherevabhavatyayameva

cabhavaniscayastathapiyasmatpratyaksenekevalahpradesaupalabdhas

tasmadihaghatonastityeva血capratyaksavyaparamanusaratyabhavanis・

cayah/tasmatpratyaksasyakevalapradesagrahanavyaparanusaryabhavanis-

cayahpratyaksakrtah/

cf.MalP144b3輯4,D134ba-4〔purvapaksa〕 ⇒P185b3,D170a4嚼5〔uttarapak§a〕,

AAPV.63627-63710.こ の 一 切 法 無 自 性 論 証 を 巡 る,無 知 覚(anupalabdhi)と 罕 性

(sunyata)の 問 題 に つ い て は,『 無 自 性 論 証 と 直 接 知 覚 一y・gipratyaksa』 と 題 し,拙

稿 を 準 備 中 で あ る 。

(35h)SDP.D28a2-a,

(36)cf.本 稿fn.(35a)近 接 性(pratyasatti).

(37)拙 稿 〔2〕P.39.fn(46)(46a)(46b).cf.本 稿fn(359).

一12一

後期中観派 の学系 とダルマキ ールテ ィの因果論ノ

難 で あ る。 これ に,続 い て,〔3〕 ~ 〔7〕に対 す る論 難 をJnanagarbha,Santa-

raksitaはSDK14及 び そ のSDV,SDPで 展 開 す るわ け で あ る。

上 記 の,直 接 知 覚を1)無 形 象 知,2)有 形 象知 に 区分 し,吟 味 す る方 法 及

び そ の根 拠 は,Kamalasila,Haribhadraに 於 て は,一 切智 者(sarvajna)の 智くヨの

の整 合 性 を 検 証 す る場 合 に,そ の ま まの形 で継 承 され て い る。 さ らに,〔2〕 《因

果 関係 は直 接 知 覚(pratyak§a)と 無 知 覚(anupalabdhi)に よ っ て 証 明 さ れ

る 。》 を論 破 す るに,Kamalasilaは,pratyak§aに 関 し て,

覧縁,自 己認識の直接知覚ではあっても,そ れから,因 果関係は証明されな

い。 自己の本体は,単 一である故,原 因と結果 となっている二なる自性を有

す るもの と矛盾するからである。……それ(自 己認識の直接知覚)は,無 分

別(avikalpa)で あるから。〔その直接知覚によっては〕 全 く必然的関係は把コサコヨの

握 され な い し,因 果 関 係 も把握 され な い。 過 大 適 用 の過 失 とな る か らで あ る。

そ し て,無 知 覚(anupalabdhi)に つ い て は,上 記 のJnanagarbhaの 場 合

と全 く同様,そ れ は,《 別 な ものを 認 識 す る こ とを本 性 とす る,直 接 知 覚 で あロの

る》 と表 明 して い る。

他 方,Haribhadraの 場 合 も,因 果 関 係 が 直接 知 覚 に よ って証 明 され 得 な い ・

とす る理 由 をKamalasilaと 同様,直 接 知 覚(pratyak§a)の 無分 別 な る 性 質

(nirvikalpatva)に 求 め てい る。 す な わ ち,

1竺労 ,因 果 関係(karyakaranabhava)は,確 実 な 認 識(pramana)に 妥 当

した 自性 を 有す る も の であ る と述 べ られ る ことは,直 接 知 覚(pratyaksa)に

よ って知 られ る こ とで は な い。 直接 知 覚は,無 分 別 な性 質(nirvikalpatva)

故,〔 因 果 関係 が〕 確 実 な認識 に 妥 当 した 自性 を 有 す る と決定 す る効 力(sa一コリ ユ 

marthya)を 欠 い てい るか らで あ る。

これ は,Dharmakirtiの 理 論 〔2〕を 《直 接 知 覚 の特 質 》 す なわ ち 《概 念 知 を

蜘 謎 乱無 ぎこ翳 を逆手瞰 っ備 茣隹しているものである.そ して・因果

(38)拙 稿 〔5〕PP.386-384〔A〕 ・

(39)手 出稿 〔2〕p.33.fn(35).

(40)拙 稿 〔2〕 ・f.本 稿f・(37)(359)・H・ ・ibh・d・aAAPV・P・6371-3・

(41)AAPV.97128-9722.on(SDK14a).

(42)NB.1-4,PVin.P.402,戸 崎 ωP.388・fn・(20)・PV・III・K°123・cf・ 拙 稿 〔2〕

一13一

佛教大學研究紀要通卷73號

関 係 は ・ 世 俗 と し て 承 認 さ れ る,と 導 く点 は,Jnanagarbhaの 〔SDK13〕 の

〔SDV〕 に 端 醗 しiSan…(43)aksita,K。m。1。(44)ァila,H。,ibh。(45)draへ と 継 承 さ れ た

こ と が 知 ら れ る 。

II..SDK14a

上 に見 たDharmakirtiの 因果 論 一 般 の理 論 〔1〕〔⇒SDKl2〕 及 び 〔2〕〔⇒

SDK13〕 は共 に,次 の 〔SDK14〕 及 び 〔SDV〕 で,具 体 的 な 因果 論 の検 証,

す なわ ち 「四種 の 因果 関係 の公 式 」 に ま とめ られ,組 織 的 に 論 破 され(46)。そ れ

は直 接 的 に は 〔3〕~ 〔8〕に 示 したDharmaklrtiのHB,PVに 於 け る因果 論 を

逐一 論 破 して行 くも ので あ る。 この こ とは,以 下 で の比定 に よ っ て 知 ら れ よ

う。 それ と共 に,Jnanagarbhaか らHaribhadraに 至 る学 系 をKamalasilaの

SDNS・Malと の 同定 は脚 注 で,HaribhadraのAAPVの もの は,〔SDKl4〕

の 〔SDV〕 の 訳 出 と共 に,そ のSkt文 を列 挙 す る。 以下 〔SDK14a〕 の 前提

とな るDharmakirtiの 見 解 とは,次 の もの であ る。PV自 比 量(73)の 自注

に 「例 え ぽ,感 官,対 象,光,注 意 力 が,単 一 な,色 に 対 す る知 識 を 生起 す る よ

うに(y・ ・h・nd・iy・vis・yal・k・m・n・ ・kara._rupavijnan・m・k。mj。n。 轟 も」

及 びPV自 比 量(82a)「 多 も 単 一 な 果 を 生 起 す る(ekakaryo・nek6煢1」,PV

くあの

現 量(534ab)こ れ が,《 多 な る 因か ら単 一 な 果 が 生起 す る》 理 論 と して 取 り上

げ られ,Jnanagarbha以 下 に よ って 次 の よ うに論 難 され る。

図A

〔多 因 〕 一 → 〔一 果 〕

注1力)一 眼識

fn(11),(30a),(33).TSP.p.449s‐io,

pratyaksaxnkalpanapodhamabhrantam

(43)MAK.84.

(44)SDNS(2)p.135.fn.(58b),拙 稿 〔2〕p.29.fn.(26),(53).

(45)AAPV63417,63725-27.cf.本 稿fn(30).

(46)Haribhadraも ・Jnanagarbhaの 〔SDK14〕 そ の 〔SDV〕 に 基 づ いて 「四極 端

の生 起 亅を 論難 す る 冒頭 でDharmakYrtiの 理 論 〔1〕を挙 げ,す な わ ち 厂因 果 効 力を

一14一

後期中観派の学系 とダルマキールテ ィの因果論

〔論 難1〕

面 多1こよ って単 一一な事 物 は 作 られ な い。 〔SDK14a〕

というのは,自 性の区別,す なわち眼等 〔色,光,注 意力等〕から,区 別さ

れない 〔単一な〕結果 〔眼識〕が生起するなら,因 の区別が 〔果の〕区別を

設けないであろう。それ(因)が,区 別され 〔多であっ〕ても,〔 果に〕区

別がない 〔単一だ〕 からである。(B)〔因の〕 無区別が無 く 〔多であっ〕 て

も,〔 果は〕無区別 〔すなわち単一〕 となる故,〔 因の〕無区別 〔すなわち

単一性〕 も,〔 果の〕無区別 〔すなわち単一性〕を作らないであろ う。(c)そ

れ故,〔 果の〕区別 と無区別は,無 因となろ う。全てのものも・それ 〔区別

(多)と 無区別(一)〕 とは別ではないから,あ らゆるものも無因となろう。ロぜの

そ うで あ れ ぽ,常 に 存 在 す る か,し な い か,と い う こ と に な ろ う。 〔SDV7a6

-b・〕(=AAPV96928-97・ ・(47a..(A)yady・n・k・mka・an・m・k・ka・y・krdi・i

paksastadacaksurupalokamanaskaradibhyascaksurvijnanasyaikasyotpa-

ttavabhyupagamyamanayamkaranabhede'pikaryasyabhedabhavanna

karanabhedobhedakahkaryasyasyat(B)tathacakaranabhedabhave'pi

karyasyabhedannakaranabhedahkaryasyabhedakobhavet(C)tatasca

karanabhedabhedavanvayavyatirekabhyamanapeksamanaukaryasya

bhedabhedavahetukausyatamevamcasatibhedabhedavytirekadvisvasyaサコゼ の

nityaxnsattvamasattvarnvasyadahetoranyanapeksanat)

Jnanagarbhaに よ る 〔SDK14a〕 に 対 す る 解 説 は こ こ で 終 っ て い る 。 そ れゆ の

の 前 提 と な るDharmakirtiの 理 論 と はPV自 比 量(73)に 示 さ れ る も の で あ

有 す る も のが,こ こで の勝 義 的存 在 で あ る。 と言わ れ るか ら,確 実 な認 識(pramana)

に妥 当 した 因 果 関 係(karyakaranasambandha)に よっ て・ 縁 起 した もの こそが ・真cf・

実 な如 来 で あ る,と 認 識 して い る人 の執 着 を否 定 す る為 に 述 べ る。」(AAPV969is-z°,

前 掲 論 文,天 野 宏 英 「因果 論 の一 資 料 一 ハ リ バ ドラ の解 釈 一p.323)とDharmakirti

の理 論 〔ユ〕~ 〔8〕が 〔SDK12〕 ~ 〔SDK15〕 に 基 づ いて 包 括 的 に 吟 味 され る もの であ

る こ とを 示 唆 し てい る0

(46a)ed.Gnoli(SOR.XXIII)p.〔41〕1-3,〔44〕27,戸 崎CF)pp.212-213.fn(361).cf.

本稿(137),(15).PV現 量(47),戸 崎 ㈹p.115.(46b)cf.本 稿(49)(132a).

(47)SDPD28b7-28a5,ま たMal,SDNSと の 同 定 は・SDNS(2)PP・120-121・fn

(24)一(26).⇒ 本 稿(59).

(47a)⇒ 本 稿(61)(61a)(61b)・

(47b)cf.本 稿(16),(47).

一15一

佛教大學研究紀要通卷73號

ろ う。 しか し 〔SDK14b〕 以 下 を も含 め て,そ れ 等 がDharmakirtiの 理 論

を 対 象 と して の論 難 で あ る こ とを特 定 す る為 に,さ らに そ の 継 続 し た 論 議 を

SantaraksitaのSDPに よ って見 てみ よ う。 な お,そ のSDPの 論 議 の展 開が,

HaribhadraのAAPVと 同定 され る故 ,HaribhadraはAAPVで,Jnanagar.

bhaの み な らず,6antarak§itaの 論 議 の展 開 の 仕 方 を も,そ の ま ま踏襲 し て

い る こ とが 知 られ よ う。

Jnanagarbhaの 〔p1〕 を 受 け て,SDPで は,くるひ

〔反論②〕 何故か。

〔論難2〕 別の因に依存しないからである。依存するなら,諸 事物は,時 としロリの

て 見 られ る もの(kadacitka)で あ る。

〔反 論③ 〕ゆ コるサ

果 を 生 起 す る もの は,〔 因 の〕 集 合 した もの(samagri)で あ る。 これ も区別

と無 区 別 に 従 うこ とは 明 白 で あ り,そ の 〔集 合 した 因 の〕 肯 定 と否 定(anva-

yavyatireka)に 従 うこ とに よ って,果 の 区別 と無 区 別 が 設 け られ る。 し たが

って,ど うし 撫 因 と な ろ ぢ筑'〔SDPD29。 ・一・〕(-AAPV97。 ・一・(49a…nanu,a

samagr3janayitrikaryasyatasyascabhedabhedanuvidhanacaturyimav

anvayavyatirekanuvidhayitayakaryasya ,bhedabhedauatahkathamtavココも の

ahetukaubhavisyataiticet)

〔論 難3〕

くヘ コロ

そ れ は 不 合 理 で あ る。 とい うのは,諸 の 全 体(samagra)と は別 に集 合(sa-

magri)と い うもの は,何 ら存 在 し ない か らで あ る。 そ れ 〔眼〕 等 も,相 互

に 対 立 した 自性 の もの(parasparavyavrttasvabhava)で ,区 別 され た もの で

あ って,無 区別 で 単一 な果 〔眼識 〕 を 生 起 し得 る な ら,別 の 〔因 の〕 集 合

(samagri)の 中 に あ る諸 の全 体(samagra)も,ど うし て,そ れ 〔眼識 〕 を

生 起 し な い の で あ 識 〔SDPD29。 ・一・〕(-AAPV97。 ・一・(5°a3111]、to,,a,a血

(48)SDPD29a5.cf.本 稿(61)(61b).

(49)cf.PV現 量(534ab)戸 崎 ㈲p.214.

nakincidekamekasmatsamagryadsarvasambhavah/cf .本 稿(132a).

(49a)cf.Mal本 稿(134)(134a),MalP234ai-2,D211b5-s.

(50)(50x)cf.MalP234a5-',D212a1-z.

一16一

後 期 中 観派 の学 系 とダ ル マキ ー ル テ ィの因 果論

tathahinasamagrinamanyakacanasamagrebhyahkimtarhisamagra

evabhavahsamagrisabdavacyahtocaparasparavyavrttasvabhavascaksu-

radayobhinnassantahyadyekamevabhinnamcaksurvijnanamkaryam

upajanayitumsaktastadasamagryantarantahpatino'pibhavahsamagrah

コむほラkimiticaksurvijnanasyopajananamnakuryuh)

〔反 論 ④ 〕

くル コの

それ(別 の 〔因の〕集合)と は区別されるから 〔眼識とい う果を〕生起 しな...51)(51a...

い 。 〔SDPD29a7〕(=AAPV97014bhinnatvenacaksuradibhyahk§ity.

 めロラ

adayonopajanayantiticet)

〔論 難4〕

にかロ  ゆの

〔問題 とな る と ころ は〕 同 じであ る。 〔SDPD29a7〕

〔反 論 ⑤〕くサ コ 

それ(果)を 生起する自性の卓越性(svabhavatisaya)を 体 とす るものが,

知覚を起 こすのであって,そ れ等 〔果を生起する自性を有した諸原因〕が,

それ(果)を 生起させるが,他 のもの 〔果を生起する自性 を有 しない諸 原ロもの

因〕 が,〔 果 を生 起 す るの〕 で は な い。 〔SDPD29a7-bl〕(≒AAPV9715-6くおい コathamanyaseparasparavibhinnamurtayo'picaksuradayaevakenacit

サゆヨの

svabhavatisayenacaksurvijnanajananeniyatanapareksityadayah)

〔論 難5〕

るひ コ

〔そ の反 論 ⑤ 〕 も迷 乱 し て い る。 そ れ(果)を 生 起 す る単 一 な 自性 の 卓 越 性

(svabhavatisaya)か ら区 別 の な い(多 な る)体 の もの(因)が 理 解 され る と

い う こ とは,こ れ 等,眼 等 が 相 互 に 区 別 され る場 合 であ って,そ うした こ と

は,直 接 知 覚(pratyaksa)等 の確 実 な認 識(pramana)と 矛 盾 す る で あ ろ う。

また,そ れ(単 憎な自性の卓越性)を 生起する自性のもの(因)も 区別 され

ることになろ う。自性を区別することは,眼 等を区別することであるからで

ある。そ うであれば,自 性の区別が,眼 等であると言われる誤謬となろ う。

(51),(51a).

(52)

(53)(53a)cf.PV量(27),本 稿(75)(75a).

(54),(55),(56).

一17一

佛歡大學研究紀要逋卷73號ロコのヨの

ま さし くそれ 故 に,そ の 主 張 は,正 し くな い と言 う。 〔SDPD29b1-3〕

〔反 論 ⑥〕にひコそ れ等(諸 原 因)か ら,そ れ(果)を 生 起 す る 自性 の卓 越 性(svabhavatisaya)

 むの

は,区 別 され る。 〔SDPD29b3〕

〔論 難6〕おひの

そ うで あ る とし て も,次 の誤 謬 が あ る。 果 を成 立 させ る 効 力(samarthya)

とい う卓 越 性(atisaya)を 有 した そ の も の 自体 が,知 覚 を起 こす 。 果 を 生起

す る作用 が,卓 越 性(atisaya)を 有す る と認 め られ るが,眼 等 の 別 の も の

は,そ うで は ない(卓 越 性 を もた な い)。 そ うい うわ け で,〔 眼等 は〕 あ らゆ

る効 力(Sakti)を 欠 い て い る状 態 に あ る故,無 存在 を 自性 とす る も の(眼

等)と は,別 な何 らか の そ の 自性 が あ るな ら挙 げ て み な さ い。 そ れ 故,汝ぜの

(Dharmakirti)は,直 接 知 覚(pratyaksa)等 の 矛盾 を 有 して い よ う。 〔SDP

D29b3-5〕

以上 見 た とお り,〔 論 難1〕 はJnanagarbhaに よ って な され た もの で あ り,ノ

〔反 論 ② 〕 よ り 〔論 難6〕 ま で はSantarak§itaのSDPに よる も の で あ る。

Skt文 はHaribhadraのAAPVか らの 回収 で あ る。Haribhadraの もの は,

くヨの

KamalaァilaのSDNS,Malと 共 に,部 分 的 に はか つ て示 した 。 この よ うに 彼

等 の学 系 は 具 体 的 に知 られ る とし て も,こ れ 等 の論 議 の展 開 が,Dharmakirti

の,い か な る理 論 を前 提 とし て い るか を 検 討 す る 必要 が あ る。 この ことを 通 じ

て,彼 ら の学 系 の 内 実 が知 られ 得 る。

くヨの

SDK14aは,い き な りJnanagarbhaの 〔論 難1〕 に よ って始 ま るが,こ

くヨの

の 〔論 難1〕(A)V'一 先 行 す る も のが,DharmakirtiのHBに 見 出 され る。 そ こ

で はDharmaklrtiが,対 論 者 か ら 同様 な 詰 問 を投 げ掛 け られ て い る。 す なわ

ち,るレコ

区 別 さ 再 た 自性 を 有 す る 眼 等 の 協 同 因(sahakarin)か ら ・ 単 一 な 結 果(eka-

(57)cf.本 稿fn(47).

(58)本 稿(47)(47a).

(59)HB9*13-14.

bhinnasvabhavebhyascaksuradibhyahsahakaribhyaekakaryotpattaunaka-

ranabhedatkaryabhedahsyaditicet.:〉 本稿(47)(47a).〔 桂 論 文 〕p.104に

訳 出 。

一一18一

後期中観派の学系 とダルマキ ールテ ィの因果論

karya)〔 眼識 〕 が 生 起 す るな ら,原 因 の 区別(karanabheda)か ら,結 果 のコもの

区 別(karyabheda)が 起 こ ら な い で あ ろ う。 〔HB9*13-14〕

く の

この詰 問 が,Jnanagarbhaの 〔論 難1〕(A)に,そ の ま ま活 用 され た こ とは 明

らか で あ ろ う。 この 論難 も含 め,〔 反 論 ②〕 以下 〔a6〕 に 至 る まで の も.の

が,Dharmakirtiの い か な る理 論 を タ ー ゲ ッ トに して い るの で あ ろ うか 。

Dharmakirtiは,<異 な った 種(vijatiya)の もの か らも,同 種 の果 が あ り得

めの

る。例えぽ,牛 糞 〔の形象〕から蓮根 〔の形象〕 が 〔知覚される〕 ように。〉

との対論者の詰問に対して,次 のように答論している。く レ

異 種 の 電 のか ら,〔 同 種 の も のが 〕 生 起 す る こ とは な い。 … … なぜ な ら,諸

事 物 に,全 く同 じ形 象(akaratulyata)が あ るに し て も,真 実 と して は,〔 そ

の 類 似 し た形 象 は 〕 特 相(nimitta)で は ない 。 何 らの諸 の形 象 め 区別 が な く

と も,〔 形 象 とは 〕 別 の特殊 性(visesa)か ら,種 の 区別(jatibheda)が 知

ゆ ひ ロ

られ るか らで あ る。 さ もな け れ ば,異 な った特 徴(vilaksana)を 有 す る集 合

(samagri)に よ って さえ も,異 な ら ない(同 じ)特 徴 を有 した 果(avilaksa-

nakarya)が 生 起 す る な ら,原 因 の 区別 と 無 区別(karanabhedabheda)か

ら,結 果 の 区別 と無 区 別(karyabhedabheda)が,起 こ らな い 故,全 て の もコの ユの

の(visva)の 区別 と無 区 別 が,無 因(ahetuka)と な ろ う。 とい うのは,〔 原

因 の〕 区 別 か ら,〔 結果 の〕 区 別 が起 こ らな い 故,〔 原 因 の〕 無 区別 か らも,

〔結 果 の〕 無 区別 は起 こらな い。 ま た,そ れ 等 〔区別 と無 区別 の二 〕 とは別ゆ い  

な 何 ら か の 事 物 の 自 性(bhavasvabhava)と い う も の は な い 故,諸 事 物 は 無

(60)HB20*18-19.

nanuvijatiyadapiki血cidbhavaddrstam,tadyathagomayadehsalukadih.

(61)HB20*19-21*io.

navijat3yadutpattih.....,nabyakaratulyataivabhavanamtattvenimittam,くのレ  

abhinnakaranamapikesamcidanyatovisesajjatibhedadarsanat.anyathahi

vilaksanayaapisamagryaavilaksanakaryotpattaunakaranabhedabhedabhyam...gla)

karyabhedabhedavityahetukauvisvasyabhedabhedausystem.tathahina

bhedadbhedaityabhedadapinabhedah,tadvyatiriktascanakascid

(61b・bhavasvabhavaityahetukatvadbhavanamnityamsattvamasattvarnvasyat,

リリリれ  

apeksyasyabhavat.apeksayahibhavahkadacitkabhavanti.:〉 本 稿(47)

(47a).

(61a)cf.AAPV97110-13

一19一

佛教大學研究紀要通卷73號

因 で あ るか ら,常 に 存 在 す るか,存 在 し ない か,と い うヒ とに な ろ う。 〔原

因 に〕 依 存 し ない か らで あ る。 な ぜ な ら,〔 因 に〕 依 存 す る こ とに よって,…61b)…61)

諸 事物 は,時 として 見 られ る もの だ か らであ る。 〔HB20*19-21*10〕ノ

Jnanagarbhaに よ る 〔論難11〕 とSantaraksitaに よ る 〔論鄭12〕1は,い ま

見 たDharmakirtiの 言 明 を逆 用 し て な され た もの で あ ろ う。 また 〔反 論 ③,

④ 〕 も,そ のDharmakirtiの 言 明 か ら導 出 され よ う。す な わ ち,眼,色,光,ぼ の

注 意 力 とい う諸 原 因 の 集 合(samagri)か ら眼識 は 生起 す るが,.種,大 地,水

とい う異 った 諸 原 因 の 集 合 か らは生 起 し ない 。 この相 違 の根 拠 をDharmakirti

は,種 の 区別(jatibheda)と 言 って い る と思 え るが,こ の こ とが,〔 反 論 ③,

④ 〕 及 び 〔論 難3,4〕 の焦 点 で あ る。

Haribhadraは,〔 反 論 ⑤ 〕 に 先 立 って,そ れ は,〔 反 論 ④ 〕 とも関 連 す るが,

因果 関 係 を 成 立 させ る 自性(svabhava)の 問 題 につ い て 論 議 を 展 開 し て い る。

つ ま り眼等 の集 合 か ら眼 識 は 生 起 し得 るが,大 地 等 の 集 合 か ら は 生 起 し 得 な

い。 そ の根 拠 を,反 論 者 は,〈 眼等 に は,眼 識 を 生起 し得 る 自性 が あ るか ら〉

(62)(62a)

(janakasvabhavyad)と い う点 に 求 め て い る。 そ こで 自性(svabhava,prakrti)

が論 点 とな る の で あ る。 こ こ で の論 議 の対 象 とな るDharmakirtiの 理 論 とは,<62a)

PV現 量(533abc)及 び 次 の も の で あ る 。 〈種 等 は,芽 等 を 生 起 す る 自 性 を 有

す る け れ ど も,水 等 の 別 の 原 因 に 依 存 す る か ら(種 等)だ け が(芽 等 を)生 起

tasmadevaxnvidhahetuparaxnparayascestatvenanavastha'pinaksati皿avahati

evarnvilaksanakaranakalapaccavilaksanamkaryaxnjayataityetavataivaxn-

Senahetubhedabhedabhyamphalasyabhedabhedavuktaviti.

cf.PV自 比 量Gnoli〔22〕17-18.

tasmatkaranabhedabhedabhyamkaryabhedabhedau/tannadhumo'rthad

drstakaravijatiyadbhavatyahetukatvaprasangat/

cf.PV現 量(251),戸 崎 旧p.350.

(61b)cf.PV自 比 量(35).

nityamsattvamasattvamva'hetoranyanapeksanat/

apekssatohibhavanamkadacitkatvasambhava//

天 野 宏 英 前 掲 論 文 『因 果 論 の 一 資 料 』p.343.(2).

(61c)cf.本 稿(47).

(62)AAPV970is

(62a)cf.PV現 量(533)abc.戸 崎 的p.212-213.及 びfn(361),PV自 比 量.(73).

「事 物 は,多 あ る い は 単 一 な 効 力 を も た な い 場 合 で あ っ て も,自 性 に よ っ て こ そ,多

あ る い は 単 一 な 果 を 生 起 す る,と 述 べ た 。」(nanaikasaktyabhave'pibhavonanaika-

karyakrt/prakrtyaivetigaditaxn)cf.本 稿(114).

一20一

後期中観派 の学系 とダルマキールテ ィの因果論

く の

す るの で は な い 。〉 との 対 論者 の詰 問 に 対 し,Dharmakirtiは

(64・°ちで は な い 。 そ の 〔果 を生 起 し得 る〕 自性 を有 す る も のが,〔 そ の 果 を〕

生 起 す る(janana)か ら,し か し,〔 そ の果 を〕 生 起 しな い もの(ajanaka)のの

に は,そ の 〔果 を 生 起 し得 る〕 自性 が 存 在 しな い か らで あ る。 〔m8*18-19〕

と因 果 論 に 関 す る 自性(svabhava)に 言 及 し てい る。

同様 に,彼 は また 次 の よ うに述 べ る。(藷ゐ

結果の自性には,原 因の自性に よって作 られた性質があるから,ま た原

因 に依 存 し な い も の は,無 因 とな って し ま うか らであ る。 し た が っ て,煙

〔結 果 〕 を 生起 す る も の は,火 等 〔諸 原 因〕 の集 合(samagri)に よ って起

こる特 殊 性(visesa)で あ る。 火等 の集 合 に よって 起 こ る特 殊 性 に よ って生

起 せ し め られ た もの が,煙 で あ るか ら,因 果 の 二 は,そ の よ うに,自 性

(svabhava)に よ って確 定 され るか ら,そ の 〔自性〕 とは異 な った 種 の もの

(tadvijatiya)か ら生 起 す る ので は な い 。 そ の 果 が,原 因を 逸 脱 す る こ と は

な い 。 し たが っ て,因 果 関 係(karyakaranabhava)が,成 立 す るな ら・ 結ぜ の

果は,原 因によって遍充されることが成立する。

つまり芽等を生起し得る自性を有した種等にこそ,因 果効力が存するわけで

あ り,し たが って倉庫等にあって芽等を生起し得ない種子等には,因 果効力と

い う自性が存在しないのである。したがって,条 件が整い,結 果(芽 等)を 生

起する直前の諸原因(種 等)に こそ,結 果をもたらし得る効力す なわ ち 自性

(,vabhav。)が 具 認 とDh。,m。k…iは 述 べ る尉 で あ る.そ こで対 論 者

は,さ らに 問 うて い る。

そ の あ らゆ る協 同 して作 用 す る因 に 効 力 とい う自性 が あ るな ら,他 の もの の

機 能 とは何 で あ るの か。(tesusarvesusahakarisusamarthasvabhavesuゆの

ko,parasyopayogaiticet)〔HB9*5-6〕

こ の 問 い をHaribhadraは 自 ら の 問 い と し て 活 用 し て い る と 思 え る 。 す な わ

(63)HB8*16-18,〔 桂 論 文 〕p.101上.に 訳 出 。

(64)HB8*18-19,〔 桂 論 文 〕p.101上.に 訳 出 。

(65)m20*1卜17.

(66)cf.戸 崎 ㈹pp.62-63.fn(16),〔 桂 論 文 〕p.101下.

(67)HB9*s-s

一21一

佛歡大學研究紀要通卷73號

ち,

も し,そ の よ うに 単 一 な もの に よ って,そ の 果 が 作 られ る な ら,そ の因 果 に

関 し て,諸 の他 の もの の 必要 性 とは 何 で あ るの か。(yadyevamekenaiva

t・tka・y・mkrt・mi・ikim・p・ ・esamt・ ・ka・y。k・・an。p,ay。j。n。 織AAPV

9'7024-25〕

こ の詰 問 に対 す る応 答 す なわ ちHaribhadraか ら す れ ば 反 論 者 の 弁 明 と

は ・HBに 於 け るDharmak1rtiの 以下 の見 解 に他 な らな い。

くが り

諸 事物 に は,何 らか の英 知 を 先 に働 らか せ る とい うこ とは 決 して な い の であ

る。 とい うの は,〔 も し,あ り得 るな ら〕 これ は,単 一 な もの で あ って も,

達 成 され 得 る,そ の場 合,我 々に よ って,何 が な され る必 要 が あ る のか ,と

他 の 〔原 因 〕 は 退 い て し まお う。 なぜ な ら,そ れ 等(他 の 原 因)は,意 図 無

き作 用 を持 ち,自 己 の原 因 の転変(parinama)に よ って 近 づ く属 性 を 有 す る 。

そ の 本 性(prakrti)か ら,そ うい うふ うに 存 在 し て い る も の は,批 難 に 価 し

な い ・ 〔AAPV・C」'7026-28=HB9*6-1° 〕(n・v・ibhavanamk・ ・itp・aksa-

purvakaritayato'yameko'pisamarthahkimatrasmabhirityapare

(69a...gga)(69b)(69c)nivarterantohinirabhiprayavyaparahsvahetuparinamopanidhidharmanas

…p・akr・ ・・ …habh・van・ ・n・P・1・mbh。m。,h。 爺13

これ は ・Haribhadraが 直 接HBを 典拠 と して い る場 合 であ るが,と ころ で

Jnanagarbhaの 〔論 難1〕,Santaraksitaの 示 す 〔反 論 ② 〕~ 〔論 難4〕 の展 開

に加}xて ・ 自性(svabhava)を 巡 る論 議 を つ け加}て い るが ,そ の 理 由 は,次

の よ うに考 え られ る。 〔反 論 ④〕 で,果 を 生起 し得 る諸 原 因 の集 合 と,そ れ と は

別 の 因 の集 合 と は 区別 され る,つ ま り果 の生 起 に 対 して 効 力 の あ る も の とない

も の・ と 区別 され るが ・ そ の区 別 の根 拠 をDharmaklrtiは,自 性(svabhava)

くクの

に 求 め る わ け で あ る か ら,Haribhadraは,そ の 論 議 に 言 及 す る わ け で あ る。

し か し ・ 中 観 派 に と っ てsvabhavaと は,他 に 依 存 す る こ と の な い も の で あ

(68)AAPV9'7024-25.

(69)Haribhadraが ・ 自 ら直 接HBを 典 拠 に,対 論 者(Dharmak3rti)の 見解 として 取

り上 げ る もの で あ る。

(69a)HB9*8で はteは 無 く,hiの み が(69b)の 位 置 に あ る。

(69c)HB9*9で はdharmasで あ る。

(70)cf.本 稿(66).

一22一

後期中観派 の学系 とダルマキ ールテ ィの因果論

くゆ

り,因 や 縁 に よ って 作 られ ない,は ず の もの で あ る。Dharmakirtiは ジ あ る諸

原 因 の集 合(samagri)に 果 を 生起 し得 る効 力 を有 したsvabhavaが ・ あ り得

る と考 え るか ら,中 観 派 か らす れ ば,そ のsvabhavaは 作 られ た もの とな り・くゆ

svabhavaと は 言 い 得 な いわ け であ る。 した が って,svabhavaと 言 う限 りは,

単 一 な 因 に こそ,あ り得 べ きで あ る。 これ に 対 して,Dharmakirtiは,上 に 見

た よ うに,単 一 な因 のみ な らず,他 の諸 原 因 も結 果 の生 成 に対 し て作 用 す る 旨

を 述 べ た の で あ る。 が しか し,こ の論 議 は,結 局,〔 論 難1〕 と同 じ問題 に返

って し ま うの で あ(73).そ れ が 〔論(74)4〕 に示 され る事 柄 で あ る。

〔反 論 ⑤ 〕 以 下 は,自 性 の卓 越 性(svabhavatisaya)が 論 点 で あ る。 この 点

に 関 してDharmakirtiは,PV量(27)で 「自性 の卓 越 性 が 存 在 しな い 場 合,

個kY`能 力 のな い も のが,集 合 した とし て も,効 力 は存 在 しな い。 し た が って,

卓 越 性 が 成 り立 つ の で あ る 。」(prthakprthagasaktanamsvabhavatisaye'sati/ロの くおの

samhatavapyasamarthamsyatsiddho'tisayastatah〃)と 主 張 し,ま たHB

で も,こ の 点 に言 及 し てい る。 この見 解 が 〔反 論 ⑤ 〕 以 下 の論 議 に反 映 し て いロの

る と考 え られ る。 な お きakyabuddhiも,atisayaに 言 及 して い る。

atisayaを 巡 る論 議 で6antarak§itaは,こ の 〔SDKl4a〕 《多 因 →一 果 》 のロの

検 討 を終 え て い る が,Haribhadraは,さ らに 論 議 を 展 開 し てい る。 そ こで

(71)cf.MMKXV-1.

nasaxnbhavahsvabhavasyayuktahpratyayahetubhih/

hetupratyayasambhutahsvabhavahkrtakobhavet//

(72)cf.MMKXV-2.

svabhavahkrtakonamabhavisyatipunahkathaxn/

akrtrimahsvabhavohinirapeksahparatraca//

(73)AAPV9711-4.

そ うで あれ ば,そ の とき,一 つ の因 に よっ て結 果 の 自性 が 生 ぜ し め られ る,と い うこ

とが,ま さ し く別 の もの に よ って あ る,と い うこ とが 得 られ る。 同様 に また,異 った 特

徴 を有 す る 因が 存 在 す る場 合,異 った 特徴 を 有 す る果 が知 られ な い か ら,因 の 区別 が,

似 た 性 質 の 区別 され な い果 を 生起 す る故,〔 果 の〕 区 別 は,存 在 しない で あ ろ う。cf.本

稿(47).

本 稿(52).(74)

(75)PV-KARIKA,ed.by.Y.MIYASAKArイ ソ ド古 典 研 究 豆』p.(6).cf.木 村 俊

彦 『ダル マ キ ー ル テ ィ宗教 哲 学 の原 典 研 究 』p.56.

(75a)HB15*11-i2,16*5.cf.本 稿(53)(53a)・

本 稿(114).(76)

(77)cf.本 稿(114u)AAPV9719-10,(61a)AAPV97110‐is(41)AAPV97128-9722.

一23一

佛教大學研究紀要通卷73號

は,直 接 知 覚(P・aty・ks・)の 無 分 別 性(ni・vik・lp・(78)tva),結 果 を も妨 す 作 用ロの

(arthakriyakaritva)が 争 点 で あ る。 した が って,こ の点 か ら も,こ の 〔SDK

14a〕 に関 す る全 体 の 論 議 が,Dharmakirtiの 理 論 を 対 象 とす る論 難 で あ る と

知 られ る・ そ の 中枢 部 分 が,Jnanagarbhaに よ ってHB,PVを 典 拠 とし て形

成 され た こ とは上 に 示 し た通 りで あ る。 これ を 継 承 し,Santaraksita以 下 は,

さ らに論 議 を 上 乗 せ した と言 え よ う。

III.SDK14b

以 下 で は,《 多 数 に よ って,多 数 な 〔事 物〕 は 作 られ な い》 〔SDKl4b〕 を

巡 って 展 開 さ れ る 論 議 は,元kは,Jnanagarbhaが,DharmakirtiのHB

に 於 け る因果 論 を対 象 とし て形 成 した もの で あ る こ と を 具 体 的 に 跡 付 け,さ

らに そ れ 等 が ・SDPを 著 わ したSantaraksitaに つ い て は言 うまで もな い が,

Kamalasila・Haribhadraに 継 承 され る こ とを 合 わ せ て 示 す こ とにす る。

Jnanagarbhaは,《 多 数 に よ って,単 一一な 事 物 は 作 られ な い》 〔SDK14a〕

を検 討 した こ とに 続 い て,以 下 の 論議 を展 開 して い る。くゆ コ 

〔反 論① 〕(1)そ うで はな い 。 そ の理 由は,多 な る 〔因 〕に よ って多 な る 〔果 〕

が 作 られ る(anekamevakaranamanekalhkaryamkuryad)か らで あ る。

ど うして か と 言 うな ら・ 〔因〕 の 自性(svabhava)通 りの特 殊性(visesa)

が,そ の(果 の)特 殊 性 に機 能す る故,因 の機 能 に よ って果 の 自性 で あ る特

囃 が 混 同 さ泌 こ とは な い か らであ 翠.〔SDV7b・ 一・〕(=AAPV972・ ・-23ねむか コ

karanasvabhavavisesasyakaryasvabhavavisesevyapriyamanatvenakarya-

...gpa)karanavyaparaviracitanamsvabhavavisesanamasamkirnatvat)

く レ

(2)〔2a〕 とい うのは,1)等 無間縁である知に基づいて眼識が,知 覚を本体 と

する。2)眼 根に基づいて,そ の知覚の本体自体が,色 を把握し得るとい う一

(78)AAPV97128-9722,本 稿(41).

(79)AAPV9727-s,本 稿(14a).

(80)SDNS(2)P・121・fn(27),ま たvisesaが 混 同 さ れ な い こ と をKamalasilaは

具 体 的 に 示 し て い る 。cf.SDNS(2)p.12211-15.

(80x)cf.MalP235b1,D213b'-214x1.

(81)(81・)-SDPD30aユ ー2・・f・ 本 稿(86),SDNS(2)P .121-122.f。(28)(29).

一24一

後期中観派の学系とダルマキールティの因果論

定した対応関係を有する。3)対 象に基づいて,そ れ(対 象)と 類似した性質りもユラ ゆユひ ロ

の も の(形 象)が,生 起 す る 。 〔SDV7b2-3〕(=AAPV97223-25tathahi

1)samanantarapratyayadvijnanaccaksurvijnanasyopalambhatmata2)

tasyaivopalambhatmanascaksurindriyadrupagrahanayogyatapratiniyamah

ゆユの3)visayattattulyarupatety)

くけ ココ

〔2b〕事実としては,結 果に区別はな くとも,諸 原因の自性の区別に基づいて,

〔結果の〕諸の特殊性が,ま さしく区別される。したが って,原 因の区別に

よっても,そ の結果の特殊性に区別がないのではない。他の場合も,同 様にロぜの くおレサリ

考 え ら れ な く て は な ら な い 。 〔SDV7b3〕(=AAPV97225-27abhinnatve'pi

vastutahkaryasyanirvibharupasyakarananambhinnebhyahsvabhavebhyo

 サが の

1)hinnyevasvabhavabhavantitinakaranabhede'pyabhedastatkaryasyeti)

こ の 〔反 論 ① 〕 全 体 がDharmaklrtiの も の で あ る こ と を ま ず 示 そ う。

(1)に 相 当す る も のは,ねひ コ

(3)区 別 され た 自性 を 有 す る眼等 の協 同因 か ら単 一 な 結 果 が生 起 す るな ら,原

因 の区 別 か ら結 果 の 区別 が あ りは し な い で あ ろ う。(bhinnasvabhavebhyas

caksuradibhyahsahakaribhyaekakaryotpattaunakaranabhedatkaryab一のもの

hedahsyaditicet)〔HB9*13-14〕

と の 詰 問 に 対 し てDharmakirtiが 以 下 の よ う に 答 弁 し て い る も の で あ る 。

ねゆの 

(4)そ うで は な い。 そ れ ぞれ に 〔諸 の 因 の〕 自性 の区 別 に よ って,そ の(結 果

の)特 殊性 に機 能 す るか ら,そ れ(因)の 機 能 す る結 果 の 自性 で あ る。 特 殊

性 は,混 同 され は しな い か らで あ る。(na,yathasvamsvabhavabhedenaロもの

tadvisesopayogatastadupayogakaryasvabhavavisesasankarat)〔HB9*15-16〕

おの

続 い てDharmakirtiが 言 明 す る もの は,(2)と 全 体 に 亘 って逐 語 的 に一 致

す る 。 そ の 訳 文 を 挙 げ る こ とは 重 複 故,省 略 す る が,特 に,論 議 の 焦 点 と な る

部 分 で あ る の で,そ のmのSkt文 を 挙 げ 比 較 検 討 の 便 と し た い 。

(82)(82a)=SDPD30a2-3.cf.(86).

(82a)一 部svabhavaはHB11*3-4〔 本稿(86)〕,AAPV97319に よ りvisesaの

方 が 良 い で あ ろ う。

(83)cf.本 稿(80)(80a).

(84)cf.本 稿(80)(80a).

(85)本 稿fn(81)~(82a).

一25一

佛激大學研究紀要通卷73號

(5)ゆのの

(2a)tathahi1)samanantarapratyayadvijnanaccaksurvijnanasyopalamb-

hatmata2)tasyaivopalaml)hatmanahsatascaksurindriyadrupagrahana-

yogyatapratiniyamo3)visayattattulyarupatety

(2b)abhinnatve'pivastutahkaryasyakarananambhinnebhyahsvabha-

vebhyobhinnaevavisesabhavantitinakaranabhede'pyabhedastatkar

…86)

yavisesasya.〔HB10*22-11*5〕

以上 の よ うに,Jnanagarbhaが,SDK14b及 び そ のSDVで,対 論 者 の

言 明(1)(2)と して 取 り挙 げ て い る も のは,HBで のDharmakirtiの 見 解 に

基 づ い て の も ので あ る こ とが,い ま見 た 各kの 対応 部 分 よ り明 らか とな ろ う。むの ねの

このJnanagarbhaの(1)(2)をKamalasila,Haribhadraは,そ の ま ま継 承

し て い る ので あ る。 このDharmakirtiを 対 論 者 と して い る こ と及 び,Kama-

lasila,Haribhadraが 踏 襲 す る点 は,続 い てJnanagarbhaがSDVでSDK

14bを 巡 って 展 開 す る論 議 を 検討 す れ ぽ,一 層 明 瞭 に な る。 先 の 〔反 論① 〕 に

対 し てJnanagarbhaは 次 の よ うに 論 難 す なわ ちDharmakirti批 判 を 行 う

の であ る。

ゆレ  

〔a1〕 それは不合理である。1)知 覚を本体 とすること等 〔2)色を把握す

ること,3)そ れ(対 象)と 類似した性質のもの(形 象)〕 が相互に区別され

るなら,そ の知は多となろ う。 〔知は〕それ(知 覚を本体 とすること)等 とい の ゆ ひり

区 別 さ れ な い か ら。 〔SDV7b4〕(-AAPV9722し9732tadayuktamyasmad

upalambhatmatadinamparasparatobhede'abhyupagamyamanetadvijna-

namanekamsyadupalambhatmatadibhyo'bhedadupalambhatmatadisva-

 コゆ の

tmavat)

ゆ コロロ

〔知と〕それ 〔知覚を本体とすること〕等が区別されるなら,〔果である知は〕

無因となろう。因の作用が 〔知と〕別のもの 〔知覚を本体 とすること等〕に機

(86)cf.本 稿.(81)(81a),(82)(82a).

(87)SDNS(2)PP.121-122.〔 反 論 〕fn(27)一(29).

(88)本 稿(80a)(81a)(82a).

(89)(89a)cf.SDNS(2)p.1235-'.

(90),(90a),(91).

一26一

後期中観派 の学系 とダルマキ ールテ ィの因果論

…90)(90a…

能 す る か ら で あ る 。 〔SDV7b4〕(=AAPV9734-5bhedetebhyo'bhyupa-

gamyamanetadvijnanamnirhetukamevasyatkaranavyaparasyavijnanadサココのの

anyatropalambhatmatadisupayogat)

くル リ

それ 〔知覚を本体 とすること〕等が相互に区別のないものとなろ う。単一な

知と別ではないか ら。そ うであれぽ,因 の 〔機能する〕対象が区別されるとゆ の

構 想 す る こ とに,何 の意 味 が あ ろ うか 。 そ れ故,〔 特 殊 性visesaと 知 と の〕コゆつ ゆエレれ

状 態(avastha)の 誤 謬 と な ろ う。 〔SDV7b4-5〕(-AAPV9738-11tatha

casatyupalambhatmatadinamparasparabhedonasyadekavijnanad ゆのananyatvadvijnanasvatmavatatahkaranavyaparavisayabhedakalpana一

ゆ のvaiyarthadbhinnasvabhavebhyascaksuradibhyaityadinapraguktodosah

ロのユゆ

samapatati)

この 〔論 難1〕 の ポ イ ン トは,次 の 点 に あ る。 果 で あ る知 と知 覚 を本 体 とす

る こ と等 の 果 に 具 わ る特 殊 性(visesa)をDharmakirtiは 区 別 す る,な ぜ な

ら,彼 は 前 者 を 単 一 と し,後 者 を多 な る も の とす る か ら で あ る。 こ の 点 を

Jnanagarbha等 は,ま ず 論 破 の端 緒 と して い る。Jnanagarbha等 は,知 と知

に具 わ るvisesaと を 区別 せず,そ の 立場 か ら,果 の属 性(dharma)と し て の

visesaが 多 で あれ ば,そ れ 等 と区別 され な い知 は,同 じ く多 とな る か,逆 に

visesaも 単 一 な 知 と区別 され ない 故,単 一 とな る,と 知 識 論 を 破 す 場 合 の常 套

く の

句 に よ って 追 及 して い る。 なお また,下 線 部 分(91a),す な わ ち,〈 因 の機 能

す る対 象 が 区 別 され る との構 想 〉 とは,(5)〔2a〕 〔2b〕の直 前 に 述 べ られ て い

る次 のDharlnaklrtiの 見 解 を指 す であ ろ う。

ゆ ヨゆコロ

した が って,事 実 上,結 果 の 自性 は単 一(ekatva)で あ って も,諸 の 協 同 す る

縁(pratyaya)は,多 な る機 能 に よ って 対 象 に 作用 す る(naikopayogavisaya)。

した が って,そ の 〔壷 の 製作 の〕 場 合,原 因 の 区別 が,区 別 の あ る特 殊 性 に

(91a)cf.HB10*1-2.

両 者(粘 土 と陶工)に と って,特 殊 な効 力 の働 きか け る対 象 が 区別 さ れ る と し て も

(saktivisesavisayabhede'pi),そ の両者 の生 起 した特 殊 性 の区別 を 具 え た 結果 には,自

性 の区別(svabhavabheda)は 存 在 しない 。

(91b)

(91c)cf.〔SDK14a〕,本 稿fn(47),(47a).

C92),Cgs>.

一27一

佛教大學研究紀要通卷73號

機 能 す るか ら,多 な る果(naikakarya)を 取 る。 同様 に,眼 等 か ら知 が生 起ロゆの

す る場 合 に も,推 し量 られ な くて は な らな い 。 〔HBlO*19-22〕

さ らに(5)〔2a〕 一 〔反 論① 〕〔2a〕を 指 す こ とは 明 らか で あ ろ う,そ の 関 係 を

図示 す れ ば,

図B

多 因 一→ 多 な るvisesa《 単一 な果 》iiii

dharmadharmin

l鷺 三轡 欝 こと): ,:〔反論②〕

ゆひ  

多 と矛 盾 した(一 単 一 な)結 果 の属 性(dharma)が,因 と同 じ く区 別 さ れ

る,と 想 定 す るな ら,そ の(因 の)作 用 す る対 象 が 区別 され る と,考}ら れりつの くぬれりけ

る 。 〔SDV7b5-6〕(=AAPV97312-15karyasvabhavasyanekasmadanupa-

lambhatmatadervyavrttimatahsamutpattidharsanaddharmabhedakalpa-

namasthayabodhatmakanmanaskaradbodharupatetyadinakarana-

nurupyenopalambhatmatadidharmabhedahkaranavyaparavisayabhedenaのの の

kalpanasamaropitah)

この 〔反 論 ② 〕 は,す で に,先 の 〔論1〕 の下 線 部(91a)で 取 り挙 げ られ

て い た もの の反 復 で あ るが,以 下 の 〔論難2〕 で は,因 の作 用 が 問わ れ る。

〔論 難2〕く ひ  

因のその作用は,構 想 とい う作用によってなされたものであって,そ れ故,

実効 という点では,ま さしく構想されたものである。そ うであれば,結 果は

無因ということになろう。因の作用が,諸 の構想された本体 を有 す るものコゆの

〔知 覚 を本 体 とす る こ と等 〕 に 機 能 す る か ら で あ る。 〔SDV7b6-7〕(一くあ ゐのサロ

AAPV97320-28tathasatikalpanasilpighatiitesvevopalambhatmatadisu

karanavyaparovyavasthapyamanahkalpanikaevabhutarthonasyat

ロコロおの

evamcakaryamahetukamkaranavyaparasyakalpitasvabhavesupayogat)

(94),(94a),(95),(95a)

一28一

後期 中観派 の学系 とダルマキールテ ィの因果論

この 〔論 難2〕 で は,知 覚 を 本 体 とす る こと(upalambhatmata)等 のk

な特 殊 性(visesa)の 区別 を 主 張 す るDharmaklrtiに 対 し て,そ のkの

visesa(-dharma)を 作 り出す 因 の作 用(karanavyapara),Dharmakirtiの 用

く の

語ではupayoga,saktiに 相当するであろ うものを,構 想 されたものと難じ・

その構想された因の作用によって形成される知覚を本体とすること等の種kの

visesaも,構 想されたものと暗示している。

〔反論③〕(97......97)

事実上,結 果に区別はな くとも,諸 の特殊性には区別がある。 〔SDV7b7〕(97a...一...97a)

(=AAPV97324abhinnameka血karyamvisesascabhinnah)

この 〔反 論 ③ 〕 は,す で に 〔反 論 ① 〕 〔2b〕一(5)の 〔2b〕に表 わ れ て い た通

り,HBに 見 出 され るDharmakirtiの 見 解 を再 出 した もの で あ る。 そ れ に 対

し,

〔論 難3〕

磐 ち で あ るな ら,・〔果 の〕 属 性(dharma-visesa)と 〔果 で あ る〕基 体(dhar-

min,こ の場 合,caksurvijnana)が,事 実上,区 別 され てい る こ とに な ろ う。

〔一 つ の 果 が 〕 区別 と無 区別 とい う二 つ の 自性 を有 す るか ら であ る。 そ うでコのの

あ れ ば,以 前 に 述 べ た 誤 謬 が あ る こ と に な る 。 〔SDV7b7-8a1〕(-AAPV

(98a...97325-9741evamtarhibhinnabhinnasvabhavadhyasitatvaddharmadhar-

minorvastutaevacandratarakadivadbhedannakevalamvyatiriktamevaのゆび ラ

samanyambaladapatatinanekatvayohparasparahatilaksano'pidosal})

こ の 〔論 難3〕 は,種kなvisesa(dharma)と 単 一 な 果(dharmin)と が,

別kの も の と な る と 難 じ て い る 。

〔反 論 ④ 〕

㌦ 等の欟 性(。1S。S。)構 想されたものに徹 ら最311〔SDV8・ ・〕(≒(99εい… 。・99a)

AAPV97317-18yadievamteviァesahkalpanoparacitatvena)

こ の 反 論 は,Dharmakirti自 身 が く事 実 上,結 果 に 区 別 は な く と も,諸 の 特

(96)HB10*i-z.本 稿(91a),HB10*19-22本 稿(93).

(97)(97a)cf.本 稿(86).

(98),(98a),(99),(99a).

一29一

佛教大學研究紀要通卷73號

ゆゆ ゆの殊 性 が 区 別 され る。〉 〔反 論 ① 〕 〔2b〕e(5)〔2b〕 と表 明 し てい た こ とか ら導 出 さ

れ よ う。

〔論 難4〕くりひの 

そ うであれば,諸 の原因の区別ある自性から,諸 の特殊性の区別 こそが生起

する,と いうことも不合理である。構想概念によって設け られた 区別 といいユ の くユむほ りの

う も の は,原 因 の 作 用 に 依 存 し な い 。 〔SDV8a1〕(=AAPV97318-19na

hetuvyaparamapeksantaitikarananambhinnebhyahsvabhavebhyo

 ロくむむ  

bhinnaevavisesabhavantitinayuktamabhidhatum)

〔論 難4〕 に よれ ば,諸 のvisesaが 構 想 され た も のな ら,そ れ 等 は 無 因 とい

う ことに な り,Dharmakirtiの 感 官 知 の生 起 を 巡 る因果 論 の根 幹 が 崩 れ て し ま

うこ とに な る。

以 下,Jnanagarbhaは,〔SDK14b〕 を巡 る論 難 を 中 間 偈(antarasloka)に

よ って ま とめ て い る。 この部 分 に関 して も,Kamalasila,Haribhadraと の 同

定 を示 し て お く。

〔論 難5〕くエむト

〔1〕結 果 の 区別 は な くと も,諸 の特 殊 性(visesa)に 区 別 が あ り1な お か つ 〔諸

のvisesaと 結 果 は 〕 別 でに な い,と 汝(Dharmakirti)は 主 張 す る。 そ れ

故,〔 そ うい った神 業 めい た こ とは〕 あ あ!Isvaraに よ って な さ れ た こ と...101)

__(101a...

な の か 。 〔SDV8a1-2〕(=AAPV97324-25abhinnamekaxnkaryamvisesas ロコゆユ ラ

cabhi皿ahnacakaryadvyatiriktaitimatih)

この 〔・〕も,す でに 〔反論①〕齟 一(5)1騎 〔反調 蔽 わされていた

ものの反復である。くユむヨロコリ

〔2〕〔知 は〕 知 覚 の本 性(bodharupa)と 別 で は な い。 そ れ 〔知 〕 は,色 か ら生

起 しな い。 そ の 〔対 象 の〕 形 象 と別 で は な い か ら,〔 知 は 〕 色 か ら も生 起 し ロユむゐ くユむヨレのコ

よ う。 〔SDV8a2〕(=AAPV9741-3bodharupadananyatve'bhyupagamya一

(99b)本 稿(82)(82a),(99c)本 稿(86).

(100)cf・ 〔反 論 ① 〕 〔2b〕本 稿(82)(82a).

(100x),(101),(101a).

(102)本 稿(97)(97a).

(103)(103a)cf.SDNS(2)p.1238_12,fn(30c).

一30一

後 期 中観 派 の 学 系 とダル マキ ー ル テ ィの 因果 論

manerupadvijnanakaryasyanasambhavobodharupadananyatvad

bodharupasvatmavatvisayakaradananyatvadrupato'pitasyasambhavo

のコユ ヨみラ

visayakarasvatmavad)

ロむひ コ

〔3〕一 つ の もの に 同時 に生 起 と不 生 起 は,同 様 に,生 ぜ しめ る もの と,生 ぜ し

め な い もの とは,実 効 とい う点 で,ど うし て矛 盾 が な い で あろ うか。 〔SDV

ヨゆ くりるレココ8a2-3〕(=AAPV9744-5ekatrakaryesambhavasambhavaukaranecai一

コヨゆは katrajanakajanakauyugapattattvatovirudhyate)

くユむの くユむの

〔2〕〔3〕の 前 提 とな って い るDharmakirtiの 理 論 とは,(5)(2a)一 〔反 論 ① 〕(2a),

つ ま り図Bに 示 した 〈原 因 の 区別 が 諸 の特 殊 性(visesa)の 区 別 を 設 け る〉 と

の 因 果 関 係 の理 論 一 因 果 の 関 係 は個 々 にそ の 対 応 関 係 が確 定 し て い る との 主 張

で あ る こ とは,明 らか で あ る が,Kamalasilaは,そ の反 論 者 の主 張 を さ らに

詳 し く挙 げ てい る。くユい コ 

感官(indriya)と 対象から知覚を本体 とすることは起こらないし,感 官と等

無間縁からは,対 象を自性とするもの(形 象)は 起こらないし,対 象 と等無

間縁か らも,そ れぞれ一定した対象は起 こらない。とい うことによって原因

の区別が,ま さしく 〔結果の〕区別を作る。諸原因の区別から 〔結果の〕諸のサね の

の特 殊 性(visesa)の 区別 が 生 起 す るか らで あ る。

つ ま り,諸 原 因 と諸 の特 殊 性 と の対 応 関係 は一 定 し てお り決 して 混 同 され る

こ とは な い,と い う こ とを具 体 的 に 示 して い るわ け で ある 。 こ の 点 の 矛 盾 を

〔2〕〔3〕は 指 摘 して い る。 す な わ ち,色(rupa)は,対 象 の形 象(visayakara)

を授 け る とい う点 で は,知(vijnana)を 生 起 せ しめ る もの(janaka)で あ る と

も言 え,等 無 間 縁 を 考 慮 した場 合 は,生 起 せ し め ない も の(ajanaka)と も言 い

得 るの で あ る。 また 同様 な 点 で,知 は 色 か ら生 起(sambhava)す る と も,生 起

(104)(104x)cf.SDNS(2)p.124'-3,fn(30c).

(105)本 稿(86)1),2),3).

(106)本 稿(81)(81a).

(107)SDNS(2)p.12211-1s.fn(29),SDPD30a1-2.

cf.Dhar皿ottara,Pramanaviniscayatika.〔 現 量 〕D.No.4229.261b6,肯 定 的 随伴

性(anvaya)と 否 定 的 随伴 性(vyatireka)に 基 づ い て,非 知 覚 と対 立す る もの(知 覚

の本 体bodharupa)が 等 無 間縁(samanantarapratyaya)か ら こそ 〔生 起 す る 〕の で あ

るが,対 象 と感 官 の二 か ら 〔生 起 す る〕 の では な い。

一31一

佛教大學研究紀要通卷73號

しな い(asambhava)と も言 い 得 る こ とが 出 来 る。 この論 難 は,Dharmak1rti

が,ま た く因 の機 能 に よ って果 の 自性 で あ る特 殊 性 が混 同 され る こ とは な い〉

くユむの くユむの

〔反 論① 〕(1)e(4)と 主 張 して い た 点 に打 撃 を与 え よ うとし た も の で あ ろ う

し,ま た 〔3〕の一 者 に,同 時 に 相 矛 盾 した 事 柄 が存 在 して し ま うこ とに な る と

の 問題 点 は,Dharmakirtiの 次 の言 明に も抵 触 し よ う。

相互 に依 存 し合 う こ とに よ って,因 果 の二 は,生 起 せ しめ る こ と と生 起 せ し め

られ る こ と とい う 自性 を 特 徴 と して有 す る も の で あ る。(parasparapeksaya

janyajanakasvabhavalak5anekaryakarane)〔HB*4-5〕

〔2〕〔3〕及 び,こ の言 明か らす れ ぽ,知(vijnana)と 色(rupa)と は因 果 の関 係

に な い とい うこ とに もな って しま うわ け で あ る。 また,〈 等 無 間縁 か ら知 覚 の

本 体(upalambhatmata,bodharupa)が 生 起 す る〉 とい う理 屈か らす れ ば,色

くユエの

(rupa)が 知 の成 立 に と って必 ず し も不 可 欠 と も言 い得 ない 。 つ ま り,等 無 間

縁(samanantarapratyaya)の み,す なわ ち 単一 な 因か ら認 識 は 成 り立 つ,と

も言 い 得 る。 こ の問 題 に 対 す るDharmakirtiの 見 解 は先 に 示 した と ころ で あ

る。 さ らに は,感 官(眼,耳 等)も 不 必 要 とい うこ とで あれ ぽ,こ の 問 題 は,

単 一 な 因(等 無 間縁)か ら単 一 な果(眼 識 あ るい は耳 識 等)が 生 起 す る 場 合くユユの

(-SDKl4d)と も類 似 した 事 柄 とな る。 そ れ は さ て置 き,上 述 の 〔2〕〔3〕に よ

れ ば,Dharmakirtiの 〈事 実 と して は,結 果 は 無 区別,単 一 で あ るが,原 因

の 区別(々 性)に 応 じて,結 果 の特 殊 性(visesa)が 区別(k性)を 有す

る〉 との理 論(図B参 照)は,眼 識 の成 立 を合 理 的 に説 明 す る もの で は な い こ

とに な って し ま うの で あ る。 等 無 間 縁(samanantarapratyaya)の み を 立論 す

れ ば,事 足 りる とも言 い得 るか らで あ る。

《多 数 の 因 か ら単 一 な果 が 生 起 す る》 こ との 問題 点 はDharmakirti自 身 のくユエユの

理 論 〔4〕「原 因 の区 別 と無 区 別 が結 果 の 区別 と無 区 別 を 設 け る」 と抵 触 す る点

に あ った。 そ の論 難 がJiianagarbha以 下 に よ って 〔SDK14a〕 に展 開 され て

(108)本 稿(80)(80a).

(109)本 稿(84).

(110)cf.本 稿(67)~(69).

(111)本 稿(128)以 下.

(111a)本 稿(17)(61)(61a).

一32一

後期 中観派の学系 とダルマキールテ ィの因果論

ゆ い ラ

い た 。 こ の問 題 点 を 回 避 す べ く,Dharmakirtiは,理 論 〔5〕す なわ ち,結 果 は

単 一 で あ りつ つ も,そ の果 の 有 す る特 殊 性(visesa)の 多 様 性(諞 区別)を 立

論 し,理 論 〔4〕との整 合 性 を 図 ろ うとし た。 しか し,果 は 単 一 で,か つ そ の属

性 と して の特 殊 性(visesa)の 多様 性 を主 張 す る,い わ ば,果 の有 す る,単 一一・

さ と多 様 性 との二 重 構造 をJnanagarbha以 下 は許 さず,糾 弾 し てい た の が,

〔SDK14b〕 での 論 議 で あ る。 した が って,こ こ で の 論 議 の 展 開 が,'Dhar-

makirtiの 理 論 と最 も符 号 し,HBに 跡付 け られ る と こ ろで あ った 。

IV.1.SDK14c

以下では,〈 単一な因から多なる果が生起する〉との第三のケースが争点と

なる。ゆかコ

〔論 難1〕 眼等 の 〔汝 の主 張 す る〕 そ れ 自体 の卓 越 性(atmatisaya)と い うも

のに よ って,単 一 な果 〔眼識 〕 を 生起 す る な ら,そ の 同 じ(卓 越 性)に よ っ

て,別 の もの 〔果 〕 を も作 るの で あ る か。 〔SDV8a5-6〕(諞AAPV97414-15

saheturyenatmatisayenaikamkaryamjanayatikimtenaivaparam)

〔反 論 ① 〕 そ の 同 じ(卓 越 性)に よ って 〔別 の 果 も 作 ら れ る。〕 〔SDV8a6〕

(=AAPV97416tenaiva)

〔論 難2〕 ど うし て 〔果 の〕 区 別 と無 区別 が,無 因(ahetuka)と な らない であ

ろ うか 。 因 が無 区別(単 一)な ま まで あ って も,果 が 区別 され る(多 で あ る)

か らで あ る。 〔SDV8a6〕(≒AAPV97410-1anakaranabhedahkaryasya

bhedakaitibhedo'pibhedasyanaheturiti.tadabhedabhedauvisvasya-

hetukausyatam)

〔反 論② 〕 別 の(卓 越 性)に よ って 〔別 の果 が 作 ら れ る 。〕 〔SDV8a6〕(-

AAPV97417anyena)

〔論 難3〕 そ うで あれ ば,そ の 事 物(因 とし て の卓 越 性)は,単 一 な も の では

な か ろ う。 〔別 の卓 越 性 は〕 そ れ 自体 の卓 越 性(atmatisaya)か ら区別 が な(112a)…112)

い こ とは な い 〔区別 され る〕 か らで あ る。 〔SDV8a6〕(≒AAPV97417-18

(111b)本 稿(18)(86)=(81)(81a)(82)(82a).

(112)cf.SDPD32a7-b2,SDNS(2)pp.127-128(1.B.2.2.3.3).fn(35)(35a)(35b).

一33一

佛教大學研究紀要通卷73號(112a)

evamtarhikaranabhedonayuktiman.nabyatmatisayadananyobhavah)

以 上 で,〔14c〕 に 関 す るJnanagarbhaの 論 議 の 展 開 は 終 了 し て い る 。

Santaraksitaも,そ れ 以上 の解 説 を 加 え て い な い。 した が って,こ の部 分 のみ

か らは,〔SDK14a〕,〔SDK14b〕 の場 合 と異 な り,反 論者 とし てDharmakirti

を 想 定 す る根拠 は 明 白 では な い 。 し か1し,こ こで の反 論 者 の主 張 は 〈単 一 な因

か ら多 数 の 果 が生 起 す る〉 とい うもの で あ るか ら,こ の見 解 は,Dharmakirti

がPV現 量章(533d)で 対 論 者 の 追及 「多 は一一か ら生 起 しな い」(nanaikasman

くユむゆ

nacedbhavet)に 対 し て,(534cd)で 「単 一 な もの で あ って も,二 つ の集 合

に また が るか ら,そ の(単 一 な もの)は,多 な る もの を生 起 す る も の であ る と

くユむ の

言 わ れ る 」(ekalhsyadapisamagryorityuktamtadanekakrt),ま たPV

くのゆ自比 量(83a)で 「単 一 な も の も多 な る 〔果〕 を生 起 す る(anekakrdeko'pi)」

と言 明す る も のに 根 拠 を 求 め 得 る。またHaribhadraは,先 のJnanagarbhaの

〔SDKl4c〕 に加 え て さ らに 論 議 を展 開 し,以 下 で言 及 す る,そ のHaribhadraノ

の論 述 か ら,反 論 者 は,Sakyabuddhi,Devendrabuddhiで あ る ことが,知 ら

れ て くる。 した が って,〔SDKl4c〕 も元kは,J飴nagarbhaが,Dharmaklrti

を 反 論 者 と して,論 議 を展 開 した も の と考xら れ る。

まず,こ こで の,Haribhadraの 対 論 者 が,Sakyabuddhiで あ る可 能 性 を示

そ う。

くエユむ

Dharmakirtiは,PV現 量 章(251)~(254)で 楽(sukha)等 も知(vijnana)

であ る こ とを,知(心)も 楽 等(心 所)も 共 に,同 じ因(感 官,対 象,注 意 力

等)か ら生 起 す る こ とを根 拠 に論 じて い る。 この 点 を解 説 す るに 際 しSakya-

buddhiは,以 下 の よ うに 述 べ て い る。 そ の 核 心 部 分 を,Haribhadraは,

AAPVで,対 論 者 の 見解 とし て,〔SDVl4c〕 に基 づ く部 分 の 論 議 の展 開 中

(112a)SDPD32b2に ょ っ て,...:riidkyikhyadparlasthadadpamedpa

mayinpa'iphyirと 読 む 。 ま たAAPV9748はanyaで あ る が,前 述 の 読 み に 従 っ

てananyaと す る 。

(112b)戸 崎 的P.213.

(112c)戸 崎 ㈲P.214.cf.SantaraksitaVNPV.P.3819.本 稿(134b).

(112d)ed.byGnoli.(SORXXIII.)p.〔45〕2.cf.戸 崎 的p.213.fn(361).本 稿

(134b).

(113)戸 崎 ㈲PP.350-353.・

一34一

後期 中観派の学系 とダルマキールテ ィの因果論

に取 り上げている。先にSakyabuddhiのPVT6)の 訳出を挙げ,対 応する

部 分 のSkt文 をHaribhadraの もの か ら挙 げ る。

鬼.

僑akyabuddhi〕 ど うし て,事 物 に,同 時 に,二 つ の 自性 は,あ りは しな い の

に,何 故,同 時 に,一 つ の(同 じ)自 性 に よ って 生起 す る も の が,別kの も

の であ ろ うか 。 した が って,因 の 区別 に よ って 諸 の果 が 区 別 され る。 もし,因

の区 別 が 無 くと も(単 一 で あ って も)〔D212b〕 果 が 区別 され る(多 で あ る)

くユユの

な ら,〔 果 は〕 無 因 とい うこ とに な って し ま うだ ろ う。くむるの

〔反 論 〕 楽 と苦 の 自性 あ るい は 心 と心 所 の 区別 を 述 べ る よ うに,知(bodha)

と知 で な い もの に よっ て設 け られ て も 〔果 は〕 区 別 され よ う。

〔蕊kyabuddhi〕 内的 な 因 の特殊 性(visesa)故 に とい うのは,感 官 と対 象 と注

意 力 を本 性 とし て い る も のか ら,卓 越 性(atisaya)が 生 起 す るか ら,と い う

意 味 で あ る。 つ ま り,あ るそ れ 自体 の 卓 越 性(atmatiァaya)に よ って,集 合

(samagri)が,楽 の本 性 を有 した知(bodha)を 生 起 す る,そ れ とは 別 な卓

越 性(atisaya)に よ って,別 の刹 那 に あ る も のが,苦(duhkha)の 本 性 を

く ほの

生起 す る よ うに,別 の知(bodha)で あ る。 各kの 刹 那 に,区 別 され た 自性くユむの

を有して存在するからである。各kの 刹那に区別があっても,知(bodha)

を生起する共通した効力(Sakti)を 超えない故;果 の区別をも生ぜしめるな

ら,知 の自性を生起するのであるが,知 の自性でな い ものは 〔生起し〕 な

い。例えば,稲 の種子は,大 地等 〔P262b〕の特殊性(visesa)に よって卓越

性(atiァaya)を 具える故,卓 越性(atisaya)を 有した 〔稲の〕芽を生起する

場合に も,稲 の芽をこそ生起するのであるが,大 麦の芽を 〔生起するの〕でゆるの

は な い 。 共 通 し た 効 力(Sakti)を 超 え な い か ら と 言 わ れ る 。 … …

〔反 論 〕 同 時 に(tulyakala)存 在 す る戒(sila)を 具axた 者 の 心 と 心 所 の 二 が,

ど う し て,相 互 に 区 別 さ れ る の か 。

(114)PVT(S)現 量P262a3-263a7,D212a7-213as.,cf.本 稿(75).

(114x)

(114b)D212b1に ょ る。(114c)

(114d)D212b3に よって 読 む。

(114e)D212b4に よっ て読 む 。

一35一

佛教大學研究紀要逋卷73號〆(11f…

〔Sakyabuddhi〕 これ に つ い て も,答 えな くて は な らない 。 そ の集 合(samagri)

自体 は,内 的 な 特 殊 性(visesa)に よっ て設 け られ るか らで あ る。 そ うで あ

れ ば,集 合 と 自性 の 区別 を生 起 す る と確 定 して い る本 性 を 有 す る もの が,特

殊 性(visesa)を 具 え てい る こ とか ら,知(bodha)の 区 別 を 生 起 し よ う。そ う

であ れ ぽ,い か な る矛 盾 が あ ろ うか 。 多 な る果 に基 づ い て 個 々に確 定 し ていロのユユるの

る自性を有した因が,個kの 果に対して区別を自性としてあるのである。 とくユユるみ ロコ

い うの は,〔1-1〕 因 の 自性 が 変 化 して 果 を生 起 す る ので は な い 。 もし,因 の

自性 を 捨 て た ものが,果 とな るな ら,そ の場 合,ど うして,単 一 な 自性 を 有ロロユレ ど 

す る もの 〔因〕 に よ って,多 〔な る果 〕が 生 起 し よ うか,と の論 争 とな ろ う。くユユるの

〔D213a〕単一な自性を有 す る もの,す なわち単一な果に変化するとい う

単一な自性を有す るものが,ど うして別 の果に基づい て変化 し ようか。

〔因の単一な自性が〕変化 す るな ら,果 は,単 一 な 自性を有 す る ことくユユるり

に な ろ う。(⇒AAPV97419-21syadetadyadikaryasvabhavapattya

karanamkaryamjanayatiyathaSamkhyasyatadabhavedekasyanekaru一

くユむ の ロユヒリ

papattivirodhadanekajananamayuktimat)〔1-2〕 〔単一 な 自性 を有 した 〕

因 が単 一 な 果 を も生 起 す るな ら,そ の 〔果 〕 を 生 起 せ しめ る 自性 が,近 接 し

て い るだ け で,〔 果 を〕 生起 す る場 合,多 な る果 を生 起 す る と確 定 して い る

くユぬ の

〔因の〕 自性が,近 接しているだけで,多 なる果を生起するであろ うことが,(114m)(114n)

どうして覆されようか。 因の 自性の 〔P263a〕区別 と無区別によって,果 の

区別 と無区別が起こるとい うことこそが,区 別と無区別を生起すると確定す

る自性を有した 〔因〕から,区 別 と無区別を自性とす る果が,生 起するとい らロユぬ  

う こ と な の で あ る 。(:>AAPV9'7,421-24yavatabhedabhedajanananiya-

tasvabhavakaranasamnidhimatrenabhedabhedakaryotpattauneda血

codyamaskandatiayamevahikaranabhedabhedabhyamkaryasya

(114f)D212bshas/

(114g)cf.本 稿(134d).

(114h)D213a1に よ っ て 読 む 。

(114i),(114j),(114k).

(1141)nebatsamgyis,D213a2.

(114皿)

(114n)gyis,P263a1.

一36一

後 期 中 観派 の学 系 と ダル マ キー ル テ ィの因 果論

bhedo'bhedovayadbhedabhedajanananiyatasvabhavatkaranadbhinna一

くロるのbhinnakaryotpatti「iti)

も し,区 別 を 生 起 す る と確 定 す る 自性 を 有 した 〔因〕 か ら,無 区 別 な 〔果 〕く ユるり

が 生 起 す る そ うい っ た 場 合,〔 果 は 〕 無 因 と な ろ う。(:>AAPV97519-20

syadetadyadibhedajanananiyatasvabhavadabhedotpattirnatarhiくユユるの

karanasvabhavanuvidhayikaryamsyadityahetukatvaprasamgah)

〔反 論 〕 単 一 な 自性 を有 す る 〔因〕 が,ど うし て多 な る 〔果〕 を 生 起 す る の

か 。

〔≦akyabuddhi〕 そ れ 〔因〕 が,そ うな って い る 自性(svabhava)を 有 す るか

らで あ る 。 さ もな け れ ぽ,一 な る 〔果 〕 で さえ も,ど うし て,生 起 し よ う

か 。 この 場 合 に つ い て も,何 と して も,自 性(svabhava)が 変 化 して,因 が

果 を生 起 す るの で は な い,と 述 べ 終 って い る。

〔反 論 〕 知(bodha)と 知 でな い 自性 を 有 した ものが,何 故,集 合(samagri)

に よ って 生 起 しな い の か。

〔6akyabuddhi〕 〔生 起 〕 しな い 。 そ れ 〔因〕 は,知 を 生 起 す る と確 定 し た 自

性 を 有 す るか らで あ る。

〔反 論〕 そ うな ってい るあ る 自性 を有 し た 〔因 〕 か ら こそ 〔生 起 す る の〕 で あ

るか 。

〔6akyabuddhi〕 自己 の 因 か ら 〔生 起〕す る。 そ れ は,ま た 別 の 自己 の 因 か ら〔生ゆ るのくユユゐラ

起 〕 す る 。 そ うで あ れ ぽ,因 の 相 続 は,無 始 以 来 で あ る 。(:>AAPV9719-10

sasvabhavatisayastesamsvahetorityucyatetasyapitajananatmata

くユユるの

tadanyasmatsvahetorityanadirhetuparampara)し た が って,知(bodha)

を 生起 す る と の確 定 が あ る場 合,知 は,区 別 を生 起 す る,自 性 とい う別 の特

徴 を 特 殊 性(viァesa)と して有 す る故,知(bodha)は ・ 区 別 を 生起 す る の

で あ るが,知 と知 で な い ものを 自性 とす るの で は な い。 そ うであ れ ぽ,〔 楽コじね の

も知 で あ る と〕 確 定 され る。 … …

(114p),(114q),(114r).

(114s)thogmamedpacan,D213a5に ょ っ て 読 む 。(114t).

(114u)cf.本 稿(77).

一37一

佛教大學研究紀要通卷73號'

下 線 部 及 び 〔1-1〕〔1-2〕か ら,こ の6akyabuddhiの 見 霹 翌,Haribhadra

は 〔SDK14c〕 を 解釈 し,論 議 を展 開す る に際 し,対 論者 の見 解 とし て取 り上

げ て い る こ とが 知 られ る し,ま た,K。m。1。(115)silaもMalで6aky。buddhiを 対

論者 としている可能性がある。この間接的根拠と,先 の直接的根拠 と撰号

Jnanagarbhaは,〔SDK14c〕 及 び そ のvrttiで,〔SDKl4a〕 〔SDKl4b〕

の 場 合 と同 じ くDharmakirtiを 対 象 とし て論 議 を 展 開 し て い る と知 られ る。

IV.II.SDK14cとSI)K15,29

さ らにHaribhadraは,以 下 に 示 す よ うに 〔SDK14c〕 を 解 説 す る 最 後 のくユユの

部 分 で・Jnanagarbhaの 〔SDK29〕 〔SDK15〕 及 び各kの 〔SDV〕 を 活用

す る こ.とに よって,そ の解 説 を 終xて い る。 そ の うち 〔SDK15〕 に 対 す る

Sant・ ・aksi・・ のSDPか ら,D・v・nd・ab。<li7)ddhiを対 論 者 と してU、る こ と が 知

られ る故,〔SDKl4c〕 が,仏 教 論 理 学 派 を 対 象 とし て の論 議 で あ る こ とが,ノ

先 のSakyabuddhiの 場合 と同様,知 られ 得 るの で あ る。 な お,ま た 〔SDK

15〕 の 〔SDV〕 中 に,JnanagarbhaYこ よ って 引用 され るP楞 伽 経 』 とr般 若

経 』 を 典拠 とし て 「勝 義 不 生 」 を 論 じ る のはKarnalasilaで 誘 署。 この よ うに

〔SDK14〕 〔SDK15〕 を 巡 る論 議 か ら,我kはJnanagarbhaか らHaribhadra

に 至 る学 系 を 明瞭 に見 て取 る こ とが 出来 るの で あ る。 そ して そ れ らは ,何 れ もくまユの

仏教論理学派及び唯識学派を論難の対象としているのである。

(115)特 にSakyabuddhiの 見解(114f)(1149)(114k)Yこ 示 され る,す なわ ち(114f)

で は,因 の集 合(samagri)か ら果 であ る知 に区 別 が生 起 す る,つ ま り果 の区 別 を生 起

す る 自性 を有 した 因 か ら多 な る果 が生 起 す る 趣 旨が表 わ され,(114g)か らは,因 の 自

性 が 変 化 し て果 が 生起 す る の では な い ことが 知 られ,(114k)か らは,因 の 自性 の 区 別

と無 区別 に よ って果 の区 別 と無 区別 が 生 起 す る,と の見 解 が 知 られ る。 これ ら三 点 は ,Kamalas31aがMalのPurvapaksa〔P148b7-149a?,D138a4-b2.特 に,P149a3-7,D138a7-b2.〕 で対 論 者 の 主 張 タ提 出 して い る も の と内容 を 同 じ くして い る

。 したが って,こ の こ とは,Jnanagarbha,Santaraksitaの 見 解 を継 承 して い るKamalasilaの ,Mal

で の対 論 者 は,Sakyabuddhiで あ る可 能 性 を示 して い る。cf.本 稿(134) .

(115a)本 稿(112c).

(116)AAPV97528-97612.

(117)SDPD35a5.

(118)Mal.P168a3-5,D154b4-s,

(119)Kamalasilaは 上 記(118)に 継 続 して,生 ・不 生 を巡 る論 議 〔〈:SDK15,16〕 の

締 め括 りの部 分 〔MalP168b4燭5,D155aa-4〕 で,対 論 者 の見 解 「虚 妄 分別(abhutapa一

一38一

後期 中観派の学系 とダルマキールテ ィの因果論

で は,〔SDK14c〕 を 解 釈 す る 最 後 部 でHaribhadraが ・Jnanagarbhaを

い か に 継 承 し て い るか を,〔SDK29〕 〔SDK15〕 及 び 〔SDV〕 と の一 致 点 を

中 心 に 見 て み る。

〔SDK29〕

《因 の 自 性(svabhava)に よ って 多 な る果 が 生 起 し得 る》 との対 論 者 が・ 中

観 派 も承 認 す る 《顕現 す る形 態 の もの 》す なわ ち 「顕 現 す る もの を 否 定 し は し

な い。 知 覚 経 験 され る も のを 否 定 す る こ とは,不 合 理 で あ る。 〔直 接 知 覚 と矛

盾す る.〕 〔(12°)SDK28)とのJnan・g・ ・bh・の説 を 想 定 して,因 の 誰(・vabha・ ・)

も,「 顕現 し てい る性 質 の も の(paridrsyamanarupata)と 言 う こ と は 出来 な

い 」 とHaribhadraは 答 論 して い る。 そ の理 由 として ・Haribhadraは ・ 次 の

よ うに 〔SDK29〕 の 〔SDV〕 を 運用 して応 答 して い る。

膿2惷なら,色 等の顕現を有した知に,論 書等に依拠す ることによって構想さ

れ た 性 質(parikalpitarupa)を 有 す る,実 と し て の 生 起(tattvotpatti)等

〔識 の 顕 現(vijnanapratibhasa),根 本 原 因(pradhana)・ 転 変 〕 の あ り方 を

取 るも の は,嬲 響,否 定 され るか ・らで あ る.(AAPV9761-3y・ ・mad(122x)

rupadinirbhasavatipratyaye'pratibhasamanasyasastradyasrayenapari- …122)

k。1pit。,up。 、y・t・tt・・tp・ttyadyaka・a・y・nis・dhad)〔=SDV12a7-bl〕

こ れ に 続 い て,Haribhadraは 〔SDK15〕 及 び そ の 〔SDV〕 を 活 用 し て

〔SDK14c〕 に 関 す る 論 議 を 締 め 括 っ て い る 。 以 下 で は ・Jnanagarbhaの

〔SDK15〕 と そ の 〔SDV〕 を 元 に,AAPVと の 比 定 を 示 そ う。

(SDVga2-b2)

〔反 論 〕 こ の 世 俗(samvrti)と い うの は,何 で あ る の か 。

,ik、1pa)は,三 界 の心,心 所である」r中 辺分別論』(1・8ab)を 挙げ論難 している。

このことか らも,対 論者が唯識派である との根拠 を直接,唯 識派 のテキス トに跡付け得

喬SDV、2。 ・雫 の 〔SDK28〕 カ・H。,ibh。d・aのAAPV・.93・Vこ 引用 され る こ

とは,前 掲Eckelnote(139).

(121)AAPV97528-9761.

(122)cf.SDV5b3.で の 〔識 の顕 現 〕 と雌 識 説 で はな く,ウ パ ニ シ ャ ・ 驪 の

見解 と思 わ れ る。TS,:,TSP(328)(329).中 村元r初 期 の ヴ ェー ダソ タ哲 学 』pp.378-9・

(122a)AAPV9761'2で はpratyayepratibhasamanasyaで あ るが ・SDV12a7-b1(ses

palamisnapba'irnampa)Vこ よ って読 む。

-39一

佛數大學研究紀要通卷73號

〔A〕 〔答 論〕 あ るも の に よ って,あ る い は,あ る もの に於 て,真 理(tattva)

が覆 わ れ てい る ζ とが,世 俗 であ る と 〔世尊 は〕 お っ し ゃ って い る。 〔SDK

l5ab〕 あ る知(buddhi)に よ って ,あ る いは あ る知 に お い て真 理 が 覆 わ れ て

い る,そ うい った 世 聞 の 人kの 知 識(lokapratiti)が,世 俗(saxnvrti)で あ

る と 言 わ れ る 。(-AAPV9763-4yayabuddhyatattvamsamvriyateyasyam

vabuddhausatadrsi,lokapratitihsamvrtirista)

〔B〕 〔楞 伽 〕 経 に,「 諸 の 事 物 の 生 起 は,世 俗 と し て で あ り,勝 義 と し て は ,

鮪 性である.鮨 性に対する迷乱が,実 世俗輔 鷺).」と説かれるように。

〔C〕 それ 故,こ の全 て の も のは,真 実 であ る。 勝 義 とし て は,真 実 で は な

い 。 〔SDK15cd〕 そ の世 俗 と し ては,こ の全 て の も のは ,真 実 で あ る。(-

AAPV9764-5t・ya・a・v・mid・m .p・atiy・man・ ・va・up・血visvam,aty。m.

〔anyathalikam〕)(世 俗 とい うのは)世 間 の人kの 知 識 通 りに 真 実(satya)

で あ る とい う意 味 で あ る。

〔D〕 〔般 若〕 経 に,「 ス ブー テ ィ よ,顛 倒 とは別 に,凡 夫 が,あ る と ころ に留

って,業(karman)を 形 成 す る,そ うい った事 柄 とい うもの は ,毛 髪 の先くねの

端 を置 くだ けす らもな い 。」 と説 かれ る よ うに 。顛 倒(viparyasa)と は,世

間 の人hの 知 識(lokapratiti)で あ る。 論理(yukti)の 三 相 の活 用 通 りに 導

かれる真実とい うものに至るまでのものが 〔世俗である。〕

〔E〕 《D・v・nd・abuddhiの 皮 藹 》

世 俗 が 無 存 在(abhava)で あ る な ら,生 起(utpada)が 存 在 で あ るか ら,そ

の場 合 ・ そ の 一 つ の 事物 に 〔結 果 を もた らす こ と(arthakriya)〕 に 適 合 す

(123)LankavataraSutra,ed.byB.NANJIO.ch.X-429.

bhavavidyantisamvrttyaparamarthenabhavakah/

nihsvabhavesuyabhrantistatsatyaxnsamvrtirbhavet//

BhKI(202)s-s.

bhavajayantesamvrtyaparamarthe'svabhavakah/

nihsvabhavesubhrantihsasamvrtir皿ata//

そ の 他Mal,BhKII等 で の 引 用 に つ い て はSDNSIV .P.49.fn(115).

(124)Astadasasahasrikaprajnaparamita,SOR.XLVI.ed .E.Conze.p.1233-s.

nastiSubhuteantasobalagrakotiniksepamatramapivastuyatrasthitvaba -

laprthagjanakarmabhisamkurvantianyatraviparyasena.

(125)本 稿(117).

1,

後 期 中 観派 の学 系 とダル マキ ー ル テ ィの因果 論

る こ と と し な い こ と が 同 時 に 起 っ て く る。 世 俗 が,生 起 す る こ と で あ る な

ら,ま た 世 俗 と し て の 生 起(samvrtyopada)と い う こ と こ とY'つ い て の 諸 の

学 者 の 言 葉 の 意 味 は,生 起 と し て 生 起 す る こ と(utpattyotpada)で あ る か

ら,何 と 素 晴 し い こ と で あ ろ うか 。 こ の 生 起 と い う こ と が 世 俗 で あ っ て 勝 義

と し て 不 生(anutpada)で あ る な ら,不 生 と し て 諸 事 物 は 不 生 で あ る と 述 べ

る な ら,す で に 証 明 さ れ て い る こ と を 証 明 す る こ と(siddhasadliyata)と な

ろ う。 こ の こ と に よ っ て は 主 張 と は な らず,何 が 証 明 され る こ と に な る の

か 。 論 理 に 基 づ い て,こ の や り方 で,住(sthiti)等 も 同 様 に 言 わ れ る 。(寓

AAPV976s-iiabhavahsamvrtirutpadobhavaitiyugapadarthakriyayam

yogyamayogyamvastyabhyupagatam,athotpadahsamvrtistadasam-

vrtyotpadaityasyavakyasyotpattyotpadaityabhyupagamannakimcid

anistamapatitam.tatha'nutpadaliparamarthaityevamparamarthena

notpadaityasyanutpadenanotpadaityarthah.tathacasiddhasadhya-

tetyadi.)

《Jnanagarbhaの 答 論 》

そ れ ら の 〔反 論 〕 は,関 係 の な い も の で あ っ て,〔 世 俗 の 〕 言 葉 の 意 味 で な

い も の を 構 想 し て,反 論 者 は,こ の 世 俗 の 特 徴 〔10kapratitiと い う こ と〕 か

ら 逸 脱 し て お り,思 い 込 み に よ っ て 反 論 し て い る 。(-AAPV97611-12tat

samvrtilaksananabhijnatayaprakrtanupayogikamkevalamabhimanad

asa・hgatamukta・n)

論 理(nyaya)に よ っ て 考 察 す れ ば,真 実(satya)で は な い 。 そ れ 以 外 に は,

真 実 で あ る 。 そ れ 故,一 つ の も の に,真 実 で あ る こ と と,非 真 実 が あ る こ とゆの

が 〈Dharmapalaの 指摘 す る よ うに 〉 ど うして矛 盾 し よ うか 。 論 理 に よ って

考 察 す れ ば,存 在 で な い 。 それ 以 外 には,存 在 で あ る。 そ れ 故 に,一 つ の も

のに,存 在 で あ る こ と と非存 在 が あ る こ とが<Devendrabuddhiの 指 摘 す る

くねの

よ うに 〉 ど うし て矛 盾 し よ うか 。

(126)SDPD36a1.Dharmapalaの 見 解 に つ い ては,梶 山 雄一 『清 弁 ・安 慧 ・護法 』

(密 教 文 化第64・65号)p.1511a-zi.松 本史 朗 『Jnanagarbhaの 二 諦 説』(仏 教 学第

5号)p.130-131.

(127)SDPD36a3.Devendrabuddhiの 見 解 に つ い て は,松 本 史 朗 『仏 教 論 理 学派 の

一41一

佛教大學研究紀要通卷73號

〔F〕 勝 義 と して は,不 生 で あ る。 こ の言葉 の 意味 は,論 理 に 基 づ け ば,不 生

とい うこ とで あ り,他 の場 合 に つ い て も,同 様 に,理 解 しな さい 。 〔SDK

16〕

以 上 の 〔SDKl5〕 及 び そ の 〔SDV〕 を さ ら に 先 に 見 た 〔SDK29〕 を,

Haribhadraは 〔SDKl4c〕 を 解 釈 す る部分 で採 用 し てい る こ とが知 られ た 。

Jnanagarbhaの 見解 を 包 括 的 に 解 釈 す るHaribhadraの 考 証 の 仕 方 か ら,

〔SDK14c〕 で の論 難 も,Jnanagarbhaが 元 来,Dharmakirti,Devendrabuddhi

の見 解 に 向 け られ た こ とが 知 られ よ う。 ま たHaribhadraに あ って は,さ らに

6akyabuddhiの 見 解 を も,論 難 の タ ー ゲ・ッ トと してい る こ とが 知 られ た 。 続

い て第 四 の ケ ー ス 〔SDK14d〕 を設 け て論 難 す るJnanagarbhaの 論 法 を 検 証

す る。

V.1.SDK14d

ゆの〔SDV8aしb1〕

〔反 論 〕 単 一 な 因 に よ って単 一 な果 こそ が,作 られ るに 過 ぎな い 。(-AAPV

97613athaikamevakaranameka血karyamkuryad)

〔論 難 エ〕 そ うい う こと は,あ り得 な い 。 眼等 が,自 己 の種 姓 と等 しい刹 那 を

生起 す る もの で あ るか ら 〔自己 の識 を 生起 させ る性 質 が な い な ら〕 あ らゆ る

有 情 は,盲 人 や 聾 者 等 とな って し ま うか らで あ る。(=AAPV97614-1statha

hicaksuradinamsvajatiyaksanajanakatvenasvavijnanajanakatvabha-

ve'ndhabadhiraditvaprasamgahspastahprasajyate)

〔論 難2〕 自己 の識 を 生起 さ せ る性 質 が あ るな ら,〔 先 に指 摘 した 過 失 は な いゆ の

のであるが,別 の過失が存在する〕 自己の種姓 〔つま り,眼 等の種姓〕が断くユヨの

絶される故,〔知の刹那の後に,眼 等は存在せず,識 も存在 しない。〕 したが

って,何 としても不合理である。 〔単一な因によって,単 一な果が作られるくユヨエラ

と い う こ と は 〕 認 め ら れ な い 。(=AAPV97616-18svavijnanajanakatve

二 諦 説 ㈹ 』(南 都 仏教 第45号)p.102下 ~103上.

(128)SDPD32b2-7,SDNS(2)p128.〔1.B.2.2.3.4.〕fn(36).本 稿(134).

(129)SDPD32b4-s.

(130)SDPD32b5-s.

一42一

後期 中観 派 の 学系 と ダル マ キ ール テ ィの 因果 論

cabhyupagamyamanecaksuradijatyucchedenaikasmajjnanaksanad

urdhvarhnacaksuradayonapijnanamititadevandhatvadikamanaya-

senajagatahpraptarn)

〔SDK14d〕 で の 反 論 者 の 主 張 は 奇 異 に も思 え る が,Dharmakirtiの 見 解 は

《原 因 の 区 別(多)と 無 区 別(一)が 結 果 の 区 別(多)と 無 区 別(一)を 設 け

(髦》とい う点 に あ った か ら,そ の各kの ケ ース が 〔SDKl4a~c〕 に取 り挙 げ

られ た 検 討 され て い た。 した が って,こ こで は第 四 の ケ ース とし て 《原 因 の無

区別(一)が 結 果 の無 区別(一)を 設 け る》 を検 証 して い る もの と思 え る。 し

か し,《 単 一 な 因 か ら単一 な 果 が 生起 す る》 との第 四 の ケ ー スが 設 け られ上 記

の よ うに,Jnanagarbhaに よっ て論 駁 され てい る とは い},そ の 前 提 とな る理

論 が,必 ず し もDharmakirtiに よ って そ の ま まの形 で主 張 され た とは 言 い得

な い で あ ろ う。 なぜ な らDharmakirti自 身 が,PV現 量(534ab)で 「単 一 な

〔因〕 か ら単 一 な 〔果〕 は決 し て生 起 しな い 。 集 合 か らあ らゆ る も のが 生 起 すくゆ の

る。(nakincidekamekasmatsamagryahsarvasambhavah)」 と表 明す るか

らで あ り,さ らに,KamalasilaのMalのPurvapaksaで,反 論 者 自身 が,

そ の第 四 の ケ ー ス の不 合 理 な こ とを指 摘 し てい るか らで あ る。 す な わ ち,本 稿

(115)で,Mal,Purvapaksaの そ こで の反 論 者 はSakyabuddhiの 可 能性 が あ

る こ とを 示 した がzそ の 同 じpurvapaksaで,反 論 者 はJnanagarbhaに よるくユヨの

論難を取 り上げ,そ の論難が不合理であると反駁し,次 のように論じ返してい

る。

V.II.Mal,purvapaksa.

くユヨひ サ

とい うのは,ま ず,盲 人や聾者等のものとなろうと言われたことは,認 めらくエヨる み ロココ

れ な い か ら,不 合 理 で あ る。 全 て の も のは,集 合(samagr3)か ら こそ 生起

(131)SDPD32bs.

(132)本 稿(17)(61)(61a).な お,区 別 を 多,無 区 別 を 単 一 と 数 量 的 に 理 解 す る も の

は,PV現 量(278),戸 崎 ㈲p.374.

(132a)戸 崎 ㈲P.214.cf.VNPVp.3818,D.No.4239.Vol.17,82x3-4.本 稿fn(112c).

(133)MalP148b7-149a3,D138a4-'.

(134)MalP149a3-',D138x'-b2.cf.MalP234a1-z,D211bs-s,cf.PV現 量(534ab).

本 稿(49)(49a).

一43一

佛教大學硯究紀要通卷73號

する故,単 一な 〔因〕から単一な 〔果〕が生起することは,全 ぐ叢劉くユヨるゆ

単一な 〔因〕から多なる 〔果〕が生起することと,多 なる 〔因〕から単一な(134e)

〔果〕が生起することが,ど うして矛盾するであろ うか。原因の自性が,変くユヨるの

化 して,〔 果 を 〕 生起 せ しめ る とは,主 張 しな い けれ ど も,か え って,灯 火

等 に は,多 な る 自性 が 具 わ って お り,存 在 す る こ との み で,多 な る 自性 を 有くユヨベの くユヨるか   

した果を生起することが,知 られる。原因の区別が 〔果の〕区別を設けな く

なるとい うこと・もない。 原因の特殊性(visesa)か ら結果の特殊性が生起す

るからである。因の特殊性から果の特殊性が生起する,と いうことこそが,リユヨる ンロロユヨの

因の区別が 〔果の〕区別を設ける,と い うことに他ならない。

くおの

こ の(134a)は,PV現 量章(534)abで のDharmakirtiの 見 解 であ る。 し

た が って,Dharmakirti自 身 が,そ こで 「単一 な 因か ら単 一 な 果 は 生起 す る

こ とは な く,因 の 集 合 か ら,あ らゆ る果 が 生起 す る」 と言 明 し てい るか ら,こ

のJnanagarbhaに よ る 第 四 の ケ ー ス 〔SDK14d〕 の検 討 は,Dharmaklrtiぞ

批 判 とい うよ りも,因 果 各kの 一 ・多 の組 合 わ せ に よ る網 羅 的 な,言 わ ば,四

旬 分別 の 形 に整 備 され 検 討 され る必 然 性 か ら導 出 され た も の と見 るべ き で あ ろ

う。 この こ とは,次 の事 柄 か ら も支 持 され よ う。Jnanagarbhaは,こ の 〔SDK

14〕 の締 め括 りの部 分 で,

一一は,創 造 す る もの(因)で は な い。 多 も創 造 す る も の(因)で は ない 。 一

と多 以 外 に何 か別 な創 造 者(因)が あ るな ら,述 べ よ。 一 は,創 造 され る も

の(果)で は な い。 多 も創 造 され る も の(果)で は ない 。 一 と多 以 外 に何 か

別 の創 造 され る も の(果)が あ れ ば,述 べ な さい 。 〔SDV8b5-6〕

と,因 ・果各kに 一 ・多 を想 定 し,そ の 全 て を退 け てい る。

因 ・果 各kの 一 ・多 の組 合 わ せ か らな る 因果 論 の 四種 の 型 が,こ の 〔SDK

14abcd〕 で網 羅 的 に論 難 され るわ け で あ る。 した が って,こ の 〔SDK14〕 全

(134a)cf.本 稿(132a).

(134b)cf.PV現 量(534cd),本 稿(112c).PV自 比 量(83a),本 稿(112d).

(134c)cf.PV自 比 量(73),本 稿(46a).

(134d)cf.本 稿(114g).

(134e)cf.Dharmak3rtiのVadanyayaprakaranam.P.32-4.⇒SDNS(2)P.1262_4.

(134f)cf.本 稿(81)(81a)(82)(82a)(84)(86).

(135)cf.本 稿(132a).

/1

後期中観派の学系 とダルマキールテ ィの因果論

体 が,Dharmakirtiの 因果 論 の論難 を 目的 とし て形 成 され た と見 て 間 違 い な い

で あ ろ う。

な お,上 記 のKamalasilaのMal,Purvapaksaの(134b)は,PV現 量章

(534)cdr単 一 な(因)で あ って も,二 つ の 集 合(samagri)に お い て あ る か

ら,そ の(単 一・な 因)が,多 な る(果)を 生 起 す る と言 わ れ る」(ekamsyadくおの

apisamagryorityukta血tadanekakrt)に 同 定 さ れ よ う し,(134c)は,P

V自 比 量73,翻3に 比 定 さ れ る。(134d)は,鉱kyabuddhiの 見 解 本 稿(114

くエヨの くユヨの

9)に 等 し く,(134e)は,〔HB10*22-11*5〕 〔HB9*15-16〕 でDharmakirti

が 表 明 す る も の に 等 し い 。 し た が っ て,KamalaァilaのMal,Purvapaksaで のノ

そ の 反 論 者 の主 張 は,Dharmaklrti及 びSakyabuddhiの 見 解 で あ る と決 定 し

得 よ う。 ま たKamala6ilaがPV現 量 章(534)を 反 論 者,Dharmakirtiの 見 解ノ(140)

と して 採 用 す る こ とは,師Santaraksitaが,VNPVで,そ のDharmakirti

の 見 解 を 取 り上 げ,因 果 論 の 論難 を展 開す る こ とに 範 を 得 た も の で あ る。

結 論

以 上 の検 証 の結 果,明 らか に し得 た 事柄 は,次 の も ので あ る。

1)JnanagarbhaのSDK14に 端 を 発す るr四 極 端 の 生 起 の 論 難 』 で,

DharmakirtiのPV自 比 量(73)(82a),現 量(534ab)が 前 提 とな り,ま

たHBの 対 論 が 背 景 とな って 《多 因 → 一 果 》 を 破 す 目的 で 〔SDK14a〕 がノ

形 成 さ れ,PV現 量(534abc),HBの 自性 を 巡 る理 論 を 踏 え てSantaraksita

等 に よ って 論 議 が付 加 され た 。 さ らにmに 見 られ る 《多 因 → 多果 》 を破

す べ く 〔SDK14b〕 が 展 開 し,PV現 量(534cd),自 比 量(83a)を 前 提 とし

て,《 一 因→ 多 果 》 を 論 破 す べ く 〔SDK14c〕 が表 わ され,PV現 量(534ab)

が 契機 とな って,《 一 因→ 一 二果》 を 詰 問 す べ く 〔SDKl4d〕 が 示 さ れ た。

(136)戸 崎 ㈲P.214.VNPV.P.3819.

(137)cf.本 稿(46a).

(138)cf.本 稿(86)e(81)(81a)(82)(82a).

(139)cf.本 稿(84)e(80)(80a).

(140)cf.本 稿(4a)(132a)(136).

一45一

佛教大學研究紀要通卷73號

これ 等 〔SDK14abcd〕 は,言 わ ば 四句 分 別 の形 式 に 整 備 され,網 羅 的 に,

Dharmakirtiの 因果 論 を 論 破 す る 目的 でJnanagarbhaに よってr四 極 端 の

生 起 の論 難 』 と し て,形 成 され た 。 論難 の要 点 は,Dharmakfrtiの 理 論 〔4〕

つ ま り 「原 因 の 区 別 と無 区別 が,結 果 の 区 別 と無 区別 を設 け る」 に 関 し て,

区別 を 多,無 区別 を単 一 と解 し,そ れ を 逆 手 に取 っ て 因果 各kの 数 量 的矛 盾

を指 摘 す る こ とで あ る。 また そ の因 果 論 を組 成 し て い る も の が,因 果 効 力

(arthakriyasamartha)の 理 論 及 び 「因果 関係 は,直 接 知 覚(pratyak§a)と

無 知 覚(anupalabdhi)に よっ て証 明 さ れ る。」 と の 理 論 で あ る こ と が,ノ〔SDK12,13〕 と の 関 係 か ら,ま たSantaraksita,Kamalasila,Haribhadra

の 〔SDK14〕 に 対 す る 解 説 か ら知 られ る 。

くユれ 

2)そ れ が,後 代Catuskotyutpadapratisedhahetuと 呼 ば れ る 無 自性 論 証 の

方 式 と して,Santaraksita,Kamalasila,Haribhadraに 継 承 され,彼 らの学

系 を如 実 に示 す も の とし て発 展 した 。

3)彼 らは,因 果 効 力(arthakriyasamartha)を 軸 とす るDharmakirtiの 因

果 論 を活 用 し,そ の効 力 を 有 す る もの を実 世 俗(tathyasamvrti),そ れ を 有

さな い もの(外 教 や 他 学 派 の見 解)を 邪 世俗(atathyasaエnvrti)と 位 置 付 け

る。(〈:SDK12)ま たDharmakirtiの 「因果 関 係 は,直 接 知 覚(praty-

aksa)と 無 知 覚(anupalabdhi)に よ って証 明 され る」 との 理 論 を,有 形 象 ・

無 形 象 知 の観 点 か ら,ま た 無知 覚 を直 接 知 覚 と規 定す る点 か ら破 して い る。

(〈≒SDK13),こ れ 等SDKl2,13及 び15が,SDKl4す な わ ち 具 体 的 な

因 果 論 の前 提 とな る こ とは,Haribhadraの 包括 的 な論 議 の展 開 か ら知 られ

る。

くれの4)そ の こ とか ら,Haribhadraは,DharmaklrtiのHBやPV自 比 量 で の 見

解 のみ な らず,DevendrabuddhiやSakyabuddhiの 見 解 を も論 難 の 対 象 と

し,JnanagarbhaのSDKl4及 びそ のSDVを 元 に,さ らに 論 議 を 上 乗

せ して い る,こ とが知 られ る。

5)こ の論 議 に 関す るKamalasilaの1¥/lal,Purvapaksaで の 反 論 者 の 主 張

(141)本 稿(4).

(142)本 稿(69).

..

後期中観派 の学系 とダルマ キールテ ィの因果論

ノは,Dharmakirti及 びSakyabuddhiの 見 解 で あ る 。 ま た,Kamalas31aは

ノSDNS,Malで,こ のr四 極 端 の生 起 の論 難 』 を 展 開す る に,Santaraksita

のVNPVか ら も影 響 を 受け てい る。

6)Jnanagarbha,Santaraksita,Kamalasila,Haribhadraの 無 自性 論 証 の特

徴 は,Dharmakirtiの 理論 を実 世 俗 と して 踏 襲 し,か つ 又,pramanaに 基

づ い てDharmakirti批 判 を 展 開す る こ とに よ り 達 成 し よ う とす る と ころに

あ る。 す なわ ち,彼 らに と り,勝 義 で あ る 〈一 切 法無 自性 〉 を論 証 す るに

は,Dharmakirtiの 因 果 論 をpramanaに 基 づ い て論 駁 す る こ と も不 可 欠 で

あ った の で あ る。

〈1988.10.26.〉

一47一