チベット論理学における ldog pa...チベット論理学におけるldog pa の起源...

7
チベット論理学における ldog pa の起源 はじめに ダルマキールティの論理学書で用いられるサンスクリット語の vyatireka nivṛttivyāvṛtti(あるいはそれらの動詞形)はチベット語訳では大部分 ldog pa と訳 される.これらのサンスクリット語原語が異なったコンテキストで用いられるに もかかわらず,同一のチベット語訳が与えられていることは,これらの原語がほ ぼ同じ意味で使われていたことを示唆している.一方チベットでは,vyatireka ldog khyabvyāvṛtti は独特の ldog pa の用法,あるいは don ldograng ldoggzhi ldog(以下 ldog pa gsum と略称)という三つ組みの概念の中に組み込まれ,異なった 文脈が術語の違いとして定着していくことになる.本稿では,このうち vyāvṛtti の意味で使われる ldog pa が初期のチベット論理学においてどのように独自の概念 として意識されていったかを探ることを目的とする. 1ダルマキールティにおける vyāvṛtti の用法 まず初めに,チベット論理学における独自の ldog pa 概念が形成される元となる vyāvṛtti についてのダルマキールティの用法を見ておきたい. vyāvṛtti はダルマキー ルティが,ディグナーガの “apoha” の代替として用いた用語の一つであり,ダル マキールティの最初期の著作『量評釈』 PV1 章の長大なアポーハ論の総論に あたる第 4042 偈で導入された. (k. 40) sarve bhāvāḥ svabhāvena svasvabhāvavyavasthiteḥ / svabhāvaparabhāvābhyāṃ yasmād vyāvṛttibhāginaḥ / (k. 41) tasmād yato yato ’rthānāṃ vyāvṛttis tannibandhanāḥ / jātibhedāḥ prakalpyante tadviśeṣāvagāhinaḥ / (k. 42) tasmād yo yena dharmeṇa viśeṣaḥ sampratīyate / na sa śakyas tato ’nyena tena bhinnā vyavasthitiḥ / 全ての存在は,その本性上(svabhāvena),〔それ以外のいかなるものとも共通性を持たな い(cf. PVSV: te na ātmānaṃ pareṇa miśrayanti)〕固有の存在として(svasvabhāva = svarūpa別々に(vy-)存在している(avasthiti)(k. 40ab).それゆえ,〔それら全ての存在は,〕同 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 平成 28 12 115─ 410 ─

Upload: others

Post on 27-Apr-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: チベット論理学における ldog pa...チベット論理学におけるldog pa の起源 福田洋一 はじめに ダルマキールティの論理学書で用 いられるサンスクリット語の

チベット論理学における ldog paの起源

福 田 洋 一

はじめに

ダルマキールティの論理学書で用いられるサンスクリット語の vyatireka,nivṛtti,vyāvṛtti(あるいはそれらの動詞形)はチベット語訳では大部分 ldog paと訳される.これらのサンスクリット語原語が異なったコンテキストで用いられるにもかかわらず,同一のチベット語訳が与えられていることは,これらの原語がほぼ同じ意味で使われていたことを示唆している.一方チベットでは,vyatirekaはldog khyab,vyāvṛttiは独特の ldog paの用法,あるいは don ldog,rang ldog,gzhi

ldog(以下 ldog pa gsumと略称)という三つ組みの概念の中に組み込まれ,異なった文脈が術語の違いとして定着していくことになる.本稿では,このうち vyāvṛtti

の意味で使われる ldog paが初期のチベット論理学においてどのように独自の概念として意識されていったかを探ることを目的とする.

1.ダルマキールティにおける vyāvṛttiの用法

まず初めに,チベット論理学における独自の ldog pa概念が形成される元となるvyāvṛttiについてのダルマキールティの用法を見ておきたい.vyāvṛttiはダルマキールティが,ディグナーガの “apoha” の代替として用いた用語の一つであり,ダルマキールティの最初期の著作『量評釈』(PV)第 1章の長大なアポーハ論の総論にあたる第 40–42偈で導入された.

(k. 40) sarve bhāvāḥ svabhāvena svasvabhāvavyavasthiteḥ / svabhāvaparabhāvābhyāṃ yasmādvyāvṛttibhāginaḥ / (k. 41) tasmād yato yato ’rthānāṃ vyāvṛttis tannibandhanāḥ / jātibhedāḥprakalpyante tadviśeṣāvagāhinaḥ / (k. 42) tasmād yo yena dharmeṇa viśeṣaḥ sampratīyate / na saśakyas tato ’nyena tena bhinnā vyavasthitiḥ /全ての存在は,その本性上(svabhāvena),〔それ以外のいかなるものとも共通性を持たない(cf. PVSV: te na ātmānaṃ pareṇa miśrayanti)〕固有の存在として(svasvabhāva = svarūpa)別々に(vy-)存在している(avasthiti)(k. 40ab).それゆえ,〔それら全ての存在は,〕同

印度學佛敎學硏究第 65巻第 1号 平成 28年 12月 (115)

TK Guru bkra shis. bsTan pa’i snying po gsang chen snga ’gyur nges don zab mo chos kyibyung ba gsal bar byed pa’i legs bshad mkhas pa dga’ byed ngo mtshar gtam gyi rolmtsho. Beijin: Krung go’i bod kyi shes rig dpe skrun khang, 1990.

TL Shes rab me ’bar. gTer ston shes rab me ’bar gyi rnam thar le’u gsum cu so gcig pa.Centre for Bhutan Studies & GNH Research. http://www.bhutanstudies.org.bt/publicationFiles/DzongkhaPublications/tertonsherabmebar.pdf.

TT Karma mi ’gyur dbang dgyal. gTer bton gyi lo rgyus gter bton chos ’byung. Darjeeling:Taklung Tsetrul Pema Wangyal, 1978.

YM Yi ge med pa’i rgyud chen po zhes bya ba / rin po che rgyal mtshan gyi rgyud / rgyal po’igdung rgyud / lta ba nam mkha’i mtha’ dang mnyam pa’i rgyud. In vol. 11 of Tb, 298.1–322.7.

ZG Ngag dbang blo bzang rgya mtsho. Zab pa dang rgya che ba’i dam pa’i chos kyi thob yiggangā’i chu rgyun. In vols. 1–4 of The Collected Works (gSung-’bum) of the Vth DalaiLama, Ngag-dbang Blo-bzang rGya-mtsho. Gangtok: Sikkim Research Institute ofTibetology.

ZN bKra shis rnam rgyal. Zab khyad gter ma’i lo rgyus gter ston chos ’byung nor bu’i ’phrengba. n.p., n.d.

ZR ’Gyur med rdo rje. Zab pa dang rgya che ba’i dam pa’i chos kyi thob yig rin chen ’byunggnas. New Delhi: Sanje Dorje, 1974.

〈二次文献〉Cantwell, Cathy, Mayer, Rob, Kowalewski, Michael, and Achard, Jean-Luc. 2006. “The sGang

steng-b rNying ma’i rGyud ’bum Manuscript from Bhutan: The Catalogue Section.” Revued’Etudes Tibétaines 11: 16–141.

Ehrhard, Franz-Karl. 2003. “Kaḥ thog pa bSod nams rgyal mtshan (1466–1540) and HisActivities in Sikkim and Bhutan.” Bulletin of Tibetology 39 (2): 9–26.―――. 2007. “Kaḥ thog pa bSod nams rgyal mtshan (1466–1540) and the Foundation of O rgyan

rtse mo in sPa gro.” In Bhutan: Traditions and Changes, ed. John A. Ardussi and FrançoisePommaret, 73–95. Proceedings of the Tenth Seminar of the International Association forTibetan Studies, Oxford 2003, vol. 5. Leiden: Brill.

Harding, Sarah. 2003. The Life and Revalations of Pema Lingpa. Ithaca: Snow Lion.Karmay, Samten. 2000. “Dorje Lingpa and His Rediscovery of the ‘Gold Needle’ in Bhutan.” The

Journal of Bhutan Studies 2 (2): 1–35.

(本研究は平成 27年度科学研究費「若手研究 B」(課題番号 15K16616)の助成に基づく研究成果の一部である.)

〈キーワード〉 ドルジェリンパ,シェラプメバル,テルマ,ニンマ派(京都女子大学非常勤講師)

(114) lTa ba klong yangsの一考察(安 田)

─ 410 ─

Page 2: チベット論理学における ldog pa...チベット論理学におけるldog pa の起源 福田洋一 はじめに ダルマキールティの論理学書で用 いられるサンスクリット語の

質が言及される箇所に,mtshan mtshon gzhi一般についての複雑な議論が挿入される 4).独立の論理学書であっても,pramāṇaの定義を述べる前に同様の議論が行われる.その議論には,ldog pa gsumの用語が多用される.そこでこの mtshan

mtshon gzhiの議論が始まった時期も,ldog pa gsumの成立時期の下限を示す徴表と言える.mtshan mtshon gzhiの規定と ldog pa gsumは極めて密接な関係があり,かつ mtshan mtshon gzhiを三つ組みの概念とする用例はインドでは確認されていないからである.

3.ゴク・ロツァワの『量決択難語釈』

現存している最も古いチベット論理学書の一つは,『量決択』に対するゴク・ロツァワ(rngog blo ldan shes rab, 1059–1109)の『量決択難語釈』(KNS)である.この著作に上記の徴表が見られるか否かを検討してみよう.まず,上に引用した vyāvṛttiに関するダルマキールティの最初の宣言である『量評釈』第 1章第 40–42偈は,『量決択』第 2章第 29–31偈に再録されているが,この箇所では実はゴクだけではなく,その後の註釈も ldog paを特別な概念として取り上げて註釈はしていない.したがって,これらの偈における vyāvṛttiがチベット独自の ldog pa概念の起源になったとする文献的な根拠はないと言わざるを得ない.また,後に『量決択』第 1章第 1偈の諸註釈に挿入されるような mtshan mtshon

gzhiについての詳細な議論は,ゴクの『難語釈』にはない.ただし『量決択』第3章第 6偈の註釈の直前に “mtshan nyid kyi rang bzhin ni mtshan gzhi dang mtshon

bya la ltos nas yin pas dang por de dpyad do //”と言って簡単な議論が挿入され,mtshan mtshon gzhiが三つ組みの概念として言及されるが(KNS, 399.2–400.9),そこに ldog pa gsumへの言及はなく,またチャパ以降の複雑な議論も見られない.

ngo bo gcig la ldog pa tha dadについても,現在のところ同様の表現は見つからない.ただし,dngos po gcig la chos tha dadという類似した表現はある.他にも ldog

pa tha dadの代わりに chos tha dadと述べられている箇所がある.ダルマキールティは vyāvṛttiが実在の側にあり,chosが構想されたものであると考えていたので,このゴクの表現はむしろダルマキールティに忠実だと言えるが,逆にチベット独自の ldog pa概念はまだ成立していなかったと言えるであろう.

チベット論理学における ldog paの起源(福 田) (117)

類のものから〔の異なり〕と異類のものからの異なり(vyāvṛtti)を有している(bhāgin)〔,あるいは同類のものからも異類のものからも区別されたもの(PVSV: vyatirikta)である〕(k. 40cd).それゆえ,諸々の対象(artha)が持っている様々なものからの異なり(vyāvṛtti)を根拠(nibandhana)として,その〔他のものからの異なりと同数の〕種の違い(jātibheda)が,その差異(viśeṣa = vyāvṛtti)を理解させるものとして構想される(prakalpyante)(k. 41).それゆえ,〔その対象の固有の存在は分割できないものであっても(PVSV: svabhāvābhede ’pi),〕ある差異が,ある法(dharma)によって理解されるとき,その差異は,それ以外の法によって理解されることはない.それゆえ,〔全ての語は相互に〕区別され(bhinna),別々に存在している(vyavasthiti)のである(k. 42).

実在する個々の対象は,それ自体としては分割できないものであるが,それにとっての他のものが存在している,その数だけ,それら他のものからの「異なり」(vyāvṛtti = ldog pa)を有している 1).その「差異」(= viśeṣa, vyāvṛtti)を理解させるために,一つの「異なり」に対して一つの法(=属性)が構想され,一つの語(=名称)が付与される.「異なり」は対象の側に存在する事実であるのに対し,法や語は意識の側で構想された存在であり,両者は明確に区別されている 2).このような対象の側の「異なり」は,後にチベットで don gyi ldog pa(あるいは don ldog)と呼ばれるものを連想させる.その「異なり」は,その対象が何から区別されるかという,その他者との差異によって決定される.これも後のチベット論理学の ma

yin pa las log pa’i ldog paといった表現と相似している.またそれ自体としては分割できない単一なるもの(svabhāva)に複数の異なった「異なり」があるという主張は,ngo bo gcig la ldog pa tha dadへと術語化されたかもしれない.

2.ldog pa gsumの使用時期を特定するための徴表

チベット文献において,vyāvṛttiの意味での ldog paが使われ出したのはいつ頃かを特定するための徴表を 3つ挙げておきたい.ダルマキールティの著作のチベット語訳で vyāvṛttiは ldog paと訳されているので,単に ldog paが使われていても,チベット独自の概念として用いられていると判断することはできない.チベット独自の概念は,ldog paが don ldog,rang ldog,gzhi ldogという三つ組みの概念として用いられるようになったときに成立したと考えられる.また,上に述べたように ngo bo gcig la ldog pa tha dadという定型句は,インド文献の翻訳の中には見られないので 3),これもチベット独自の ldog paの使用例と言える.また,カダム派の『量決択』註釈文献では,その第 1章第 1偈で pramāṇaの特

(116) チベット論理学における ldog paの起源(福 田)

─ 409 ─

Page 3: チベット論理学における ldog pa...チベット論理学におけるldog pa の起源 福田洋一 はじめに ダルマキールティの論理学書で用 いられるサンスクリット語の

質が言及される箇所に,mtshan mtshon gzhi一般についての複雑な議論が挿入される 4).独立の論理学書であっても,pramāṇaの定義を述べる前に同様の議論が行われる.その議論には,ldog pa gsumの用語が多用される.そこでこの mtshan

mtshon gzhiの議論が始まった時期も,ldog pa gsumの成立時期の下限を示す徴表と言える.mtshan mtshon gzhiの規定と ldog pa gsumは極めて密接な関係があり,かつ mtshan mtshon gzhiを三つ組みの概念とする用例はインドでは確認されていないからである.

3.ゴク・ロツァワの『量決択難語釈』

現存している最も古いチベット論理学書の一つは,『量決択』に対するゴク・ロツァワ(rngog blo ldan shes rab, 1059–1109)の『量決択難語釈』(KNS)である.この著作に上記の徴表が見られるか否かを検討してみよう.まず,上に引用した vyāvṛttiに関するダルマキールティの最初の宣言である『量評釈』第 1章第 40–42偈は,『量決択』第 2章第 29–31偈に再録されているが,この箇所では実はゴクだけではなく,その後の註釈も ldog paを特別な概念として取り上げて註釈はしていない.したがって,これらの偈における vyāvṛttiがチベット独自の ldog pa概念の起源になったとする文献的な根拠はないと言わざるを得ない.また,後に『量決択』第 1章第 1偈の諸註釈に挿入されるような mtshan mtshon

gzhiについての詳細な議論は,ゴクの『難語釈』にはない.ただし『量決択』第3章第 6偈の註釈の直前に “mtshan nyid kyi rang bzhin ni mtshan gzhi dang mtshon

bya la ltos nas yin pas dang por de dpyad do //”と言って簡単な議論が挿入され,mtshan mtshon gzhiが三つ組みの概念として言及されるが(KNS, 399.2–400.9),そこに ldog pa gsumへの言及はなく,またチャパ以降の複雑な議論も見られない.

ngo bo gcig la ldog pa tha dadについても,現在のところ同様の表現は見つからない.ただし,dngos po gcig la chos tha dadという類似した表現はある.他にも ldog

pa tha dadの代わりに chos tha dadと述べられている箇所がある.ダルマキールティは vyāvṛttiが実在の側にあり,chosが構想されたものであると考えていたので,このゴクの表現はむしろダルマキールティに忠実だと言えるが,逆にチベット独自の ldog pa概念はまだ成立していなかったと言えるであろう.

チベット論理学における ldog paの起源(福 田) (117)

類のものから〔の異なり〕と異類のものからの異なり(vyāvṛtti)を有している(bhāgin)〔,あるいは同類のものからも異類のものからも区別されたもの(PVSV: vyatirikta)である〕(k. 40cd).それゆえ,諸々の対象(artha)が持っている様々なものからの異なり(vyāvṛtti)を根拠(nibandhana)として,その〔他のものからの異なりと同数の〕種の違い(jātibheda)が,その差異(viśeṣa = vyāvṛtti)を理解させるものとして構想される(prakalpyante)(k. 41).それゆえ,〔その対象の固有の存在は分割できないものであっても(PVSV: svabhāvābhede ’pi),〕ある差異が,ある法(dharma)によって理解されるとき,その差異は,それ以外の法によって理解されることはない.それゆえ,〔全ての語は相互に〕区別され(bhinna),別々に存在している(vyavasthiti)のである(k. 42).

実在する個々の対象は,それ自体としては分割できないものであるが,それにとっての他のものが存在している,その数だけ,それら他のものからの「異なり」(vyāvṛtti = ldog pa)を有している 1).その「差異」(= viśeṣa, vyāvṛtti)を理解させるために,一つの「異なり」に対して一つの法(=属性)が構想され,一つの語(=名称)が付与される.「異なり」は対象の側に存在する事実であるのに対し,法や語は意識の側で構想された存在であり,両者は明確に区別されている 2).このような対象の側の「異なり」は,後にチベットで don gyi ldog pa(あるいは don ldog)と呼ばれるものを連想させる.その「異なり」は,その対象が何から区別されるかという,その他者との差異によって決定される.これも後のチベット論理学の ma

yin pa las log pa’i ldog paといった表現と相似している.またそれ自体としては分割できない単一なるもの(svabhāva)に複数の異なった「異なり」があるという主張は,ngo bo gcig la ldog pa tha dadへと術語化されたかもしれない.

2.ldog pa gsumの使用時期を特定するための徴表

チベット文献において,vyāvṛttiの意味での ldog paが使われ出したのはいつ頃かを特定するための徴表を 3つ挙げておきたい.ダルマキールティの著作のチベット語訳で vyāvṛttiは ldog paと訳されているので,単に ldog paが使われていても,チベット独自の概念として用いられていると判断することはできない.チベット独自の概念は,ldog paが don ldog,rang ldog,gzhi ldogという三つ組みの概念として用いられるようになったときに成立したと考えられる.また,上に述べたように ngo bo gcig la ldog pa tha dadという定型句は,インド文献の翻訳の中には見られないので 3),これもチベット独自の ldog paの使用例と言える.また,カダム派の『量決択』註釈文献では,その第 1章第 1偈で pramāṇaの特

(116) チベット論理学における ldog paの起源(福 田)

─ 408 ─

Page 4: チベット論理学における ldog pa...チベット論理学におけるldog pa の起源 福田洋一 はじめに ダルマキールティの論理学書で用 いられるサンスクリット語の

mtshon gzhiおよび rang ldogが関連している例を挙げておこう 8).

mtshan nyid kyi mtshan nyid ni / chos gsum dang ldan pa ste / rang ldog nges pa rnam ’jog girgyu mtshan la mi ltos pas rdzas yod yin pa dang / mtshon bya las don gyi ldog pa gzhan du mignas pa dang mtshan gzhi la ldan pa’o // (YMS, 17a4 = p. 466)「mtshan nyidの mtshan nyidは,三条件(chos gsum)を持つものである.すなわち,rang ldogの確定が,設定根拠(rnam’jog gi rgyu mtshan)に依拠しないので実有であること,don gyi ldog pa(= don ldog)が〔その mtshan nyidの〕mtshon byaとは別の〔mtshon bya〕に存在していないこと,mtshangzhiに属していることである.」rang ldog gi rnam ’jog gi rgyu nges pa la brten nas nges par bya ba ni / mtshon bya’i tha snyadkyi mtshan nyid de / (YMS, 22a3 = p. 476)「rang ldogの設定因を確定することに依って確定されるべきものというのが,mtshon byaという名称(tha snyad)の mtshan nyidである.」mtshan gzhi tsam gyi mtshan nyid ni / rang ldog la mtshan nyid dang mtshon bya gnyis ka brtenpa’o // (YMS, 26a1 = p. 484)「mtshan gzhi一般の mtshan nyidは,rang ldogに mtshan nyidとmtshon byaの両者が属しているものである.」mtshan nyid de’i gzhi ldog ba lang gi tha snyad la sogs pa rang ldog gi rnam ’jog gi rgyu nges pala brten nas nges par bya ba yod na / mtshon bya’i tha snyad kyi mtshan gzhi ma yin par ’gal basgzhi ldog mtshon bya’i tha snyad kyi gzhi ma yin pa gcod pa yin no // (YMS, 22a8 = p. 476)「その〔mtshon byaの〕mtshan nyidの gzhi ldogである牛などの名称が,〔その〕rang ldogを設定する因が確定されることに依拠して確定されるべきものであるならば,mtshon byaという名称の mtshan gzhiでないことは矛盾するので,gzhi ldogは mtshon byaという名称の(mtshan)gzhiでないことは排除されるのである.」

この最後の引用文は長い議論の最後の部分なので,これだけでは文意を捉えることは難しいが,gzhi ldogが mtshan mtshon gzhiと密接に関係していることだけは見て取れる.

おわりに

vyāvṛttiの意味でのチベット独自の ldog paの用法がいつごろ誰によって始まったかを,現時点で確定することはできない.それはゴクからチャパに至るまでの半世紀の間の議論の集積の結果であったと言うべきだろう.既にチャパにおいても ldog pa gsumはより新しいテーマである mtshan mtshon gzhiの関係を論じる基礎概念として使用されている.今後は,この mtshan mtshon gzhiの複雑な議論を分析することによって,それらに用いられる ldog pa gsumの概念を確定する作業が必要となる.

 1)k. 40dの vyāvṛttiを,その個物が他の全てのものから絶対的に異なっているという意

チベット論理学における ldog paの起源(福 田) (119)

4.チャパの論理学書

ゴクの没年に生まれたチャパ(phywa pa chos kyi seng+ge, 1109–1169)の論理学書のうち現存するのは,短い『量決択要義』と『量決択』註(SOZ)および独立の論書『心闇の除去』(YMS)の三書である.『量決択要義』は『量決択』に対する詳細な科段のみの著作であり,その性格上 mtshan mtshon gzhiの議論も ldog paの特殊な用法も見られない(Hugon 2009).ここでは『量決択』註より古いと考えられる論書『心闇の除去』のみを取り上げる 5).ゴクの著作からほぼ半世紀後の同書には,以下に見るように上記の ldog pa概念形成の徴表が見出せる.まずチャパは ldog

pa gsumを既知の概念として自由にしており,これらの概念をチャパの創始したものとは考えられない.ただし ldog pa gsumについては特に主題的に論じられずに使用されているのに対し,mtshan mtshon gzhiの議論は ldog pa gsumの用語を使いながら複雑な議論の応酬をしているので,mtshan mtshon gzhiの議論はチャパが初めて整理したのかもしれない.次に ngo bo gcig la ldog pa tha dadについて何度か言及されるが,特に,“ngo bo

dbyer med pa la bcad bya tha dad las phye ba’i ldog pa tha dad yin” という,より詳細な表現も見られる 6).ここで ldog pa tha dadの根拠が,それによって「排除されるものの相違」であると述べられている点も,ldog paを apohaの代替概念としてダルマキールティが用いたことに由来し,後代のチベットで定式化される ldog paの初期使用例と考えられる.論理学書ではないが,中観自立派の立場を概説した『東方中観三家』では,勝義諦と世俗諦の関係が “ngo bo gcig la ldog pa tha dad” であるとされ(BSS, 10.12),後代のツォンカパと同じ主張も見られる(福田 2013).一方,“dbyer med kyi ldog pa tha dad” という表現も何度か用いられるが 7),この

場合は dbyer medは ldog pa tha dadの修飾語である.内容的には ngo bo dbyer med

の ngo boが省略されているにすぎないと考えられるが,この表現は珍しいものであり,チャパ以外では,著者不明の『量の真実要綱』(DND)にしか見られない.この著作がチャパの『心闇の除去』と近い関係にあることは福田(2015)で指摘したが,この “dbyer med kyi ldog pa tha dad” という表現の使用についてもその関連の深さを窺わせる.チャパの mtshan mtshon gzhiについての複雑な議論内容については別稿に譲る

として,ここでは,それぞれの mtshan nyidに当たる部分に “rang ldog” と “don

ldog” が用いられていること,そしてそれを前提として gzhi ldogについても mtshan

(118) チベット論理学における ldog paの起源(福 田)

─ 407 ─

Page 5: チベット論理学における ldog pa...チベット論理学におけるldog pa の起源 福田洋一 はじめに ダルマキールティの論理学書で用 いられるサンスクリット語の

mtshon gzhiおよび rang ldogが関連している例を挙げておこう 8).

mtshan nyid kyi mtshan nyid ni / chos gsum dang ldan pa ste / rang ldog nges pa rnam ’jog girgyu mtshan la mi ltos pas rdzas yod yin pa dang / mtshon bya las don gyi ldog pa gzhan du mignas pa dang mtshan gzhi la ldan pa’o // (YMS, 17a4 = p. 466)「mtshan nyidの mtshan nyidは,三条件(chos gsum)を持つものである.すなわち,rang ldogの確定が,設定根拠(rnam’jog gi rgyu mtshan)に依拠しないので実有であること,don gyi ldog pa(= don ldog)が〔その mtshan nyidの〕mtshon byaとは別の〔mtshon bya〕に存在していないこと,mtshangzhiに属していることである.」rang ldog gi rnam ’jog gi rgyu nges pa la brten nas nges par bya ba ni / mtshon bya’i tha snyadkyi mtshan nyid de / (YMS, 22a3 = p. 476)「rang ldogの設定因を確定することに依って確定されるべきものというのが,mtshon byaという名称(tha snyad)の mtshan nyidである.」mtshan gzhi tsam gyi mtshan nyid ni / rang ldog la mtshan nyid dang mtshon bya gnyis ka brtenpa’o // (YMS, 26a1 = p. 484)「mtshan gzhi一般の mtshan nyidは,rang ldogに mtshan nyidとmtshon byaの両者が属しているものである.」mtshan nyid de’i gzhi ldog ba lang gi tha snyad la sogs pa rang ldog gi rnam ’jog gi rgyu nges pala brten nas nges par bya ba yod na / mtshon bya’i tha snyad kyi mtshan gzhi ma yin par ’gal basgzhi ldog mtshon bya’i tha snyad kyi gzhi ma yin pa gcod pa yin no // (YMS, 22a8 = p. 476)「その〔mtshon byaの〕mtshan nyidの gzhi ldogである牛などの名称が,〔その〕rang ldogを設定する因が確定されることに依拠して確定されるべきものであるならば,mtshon byaという名称の mtshan gzhiでないことは矛盾するので,gzhi ldogは mtshon byaという名称の(mtshan)gzhiでないことは排除されるのである.」

この最後の引用文は長い議論の最後の部分なので,これだけでは文意を捉えることは難しいが,gzhi ldogが mtshan mtshon gzhiと密接に関係していることだけは見て取れる.

おわりに

vyāvṛttiの意味でのチベット独自の ldog paの用法がいつごろ誰によって始まったかを,現時点で確定することはできない.それはゴクからチャパに至るまでの半世紀の間の議論の集積の結果であったと言うべきだろう.既にチャパにおいても ldog pa gsumはより新しいテーマである mtshan mtshon gzhiの関係を論じる基礎概念として使用されている.今後は,この mtshan mtshon gzhiの複雑な議論を分析することによって,それらに用いられる ldog pa gsumの概念を確定する作業が必要となる.

 1)k. 40dの vyāvṛttiを,その個物が他の全てのものから絶対的に異なっているという意

チベット論理学における ldog paの起源(福 田) (119)

4.チャパの論理学書

ゴクの没年に生まれたチャパ(phywa pa chos kyi seng+ge, 1109–1169)の論理学書のうち現存するのは,短い『量決択要義』と『量決択』註(SOZ)および独立の論書『心闇の除去』(YMS)の三書である.『量決択要義』は『量決択』に対する詳細な科段のみの著作であり,その性格上 mtshan mtshon gzhiの議論も ldog paの特殊な用法も見られない(Hugon 2009).ここでは『量決択』註より古いと考えられる論書『心闇の除去』のみを取り上げる 5).ゴクの著作からほぼ半世紀後の同書には,以下に見るように上記の ldog pa概念形成の徴表が見出せる.まずチャパは ldog

pa gsumを既知の概念として自由にしており,これらの概念をチャパの創始したものとは考えられない.ただし ldog pa gsumについては特に主題的に論じられずに使用されているのに対し,mtshan mtshon gzhiの議論は ldog pa gsumの用語を使いながら複雑な議論の応酬をしているので,mtshan mtshon gzhiの議論はチャパが初めて整理したのかもしれない.次に ngo bo gcig la ldog pa tha dadについて何度か言及されるが,特に,“ngo bo

dbyer med pa la bcad bya tha dad las phye ba’i ldog pa tha dad yin” という,より詳細な表現も見られる 6).ここで ldog pa tha dadの根拠が,それによって「排除されるものの相違」であると述べられている点も,ldog paを apohaの代替概念としてダルマキールティが用いたことに由来し,後代のチベットで定式化される ldog paの初期使用例と考えられる.論理学書ではないが,中観自立派の立場を概説した『東方中観三家』では,勝義諦と世俗諦の関係が “ngo bo gcig la ldog pa tha dad” であるとされ(BSS, 10.12),後代のツォンカパと同じ主張も見られる(福田 2013).一方,“dbyer med kyi ldog pa tha dad” という表現も何度か用いられるが 7),この

場合は dbyer medは ldog pa tha dadの修飾語である.内容的には ngo bo dbyer med

の ngo boが省略されているにすぎないと考えられるが,この表現は珍しいものであり,チャパ以外では,著者不明の『量の真実要綱』(DND)にしか見られない.この著作がチャパの『心闇の除去』と近い関係にあることは福田(2015)で指摘したが,この “dbyer med kyi ldog pa tha dad” という表現の使用についてもその関連の深さを窺わせる.チャパの mtshan mtshon gzhiについての複雑な議論内容については別稿に譲るとして,ここでは,それぞれの mtshan nyidに当たる部分に “rang ldog” と “don

ldog” が用いられていること,そしてそれを前提として gzhi ldogについても mtshan

(118) チベット論理学における ldog paの起源(福 田)

─ 406 ─

Page 6: チベット論理学における ldog pa...チベット論理学におけるldog pa の起源 福田洋一 はじめに ダルマキールティの論理学書で用 いられるサンスクリット語の

Tibetische und Buddhistische Studien Universität Wien, 1999.DND Anonymous. tshad ma’i de kho na nyid bsdus pa. 隆欽饒絳『隆欽巴邏輯学』四川

民族出版社,2000.KNS rngog blo ldan shes rab. tshad ma rnam nges kyi dka’ gnas rnam bshad. 中国蔵学

出版社,1994.KSB 『噶当文集』百慈蔵文古籍研究室整理,全 90巻,四川民族出版社,2006–2009.SOZ phya pa chos kyi seng+ge. tshad ma rnam nges kyi ’grel bshad shes rab kyi ’od zer.

KSB 8, pp. 35–427 (197 fols.).YMS phya pa chos kyi seng+ge. tshad ma yid kyi mun sel. KSB 8, pp. 434–627 (96 fols.).

〈参考文献〉Hugon, Pascale. 2009. “Tshad ma rnam par nges pa’i bsdus don: Phya pa Chos kyi seng ge’s

Synoptic Table of the Pramāṇaviniścaya.” http://www.ikga.oeaw.ac.at/Mat/hugon_table_version1_2009.pdf.(2016年 9月 19日閲覧)石田尚敬 2005「〈他の排除(anyāpoha)〉の分類について―― Śākyabuddhiと Śāntarakṣitaによる〈他の排除〉の 3分類――」『インド哲学仏教学研究』12: 86–100.福田洋一 2003「初期チベット論理学における mtshan mtshon gzhi gsumをめぐる議論について」『日本西蔵学会々報』49: 13–25.――― 2013「ツォンカパ後期中観思想における二諦の同一性と別異性」『真宗総合研究所紀要』30: 89–101.――― 2015「初期チベット論理学書の科段構成について」『印仏研』64 (1): (50)–(57).

(平成 26~28年度科研費基盤研究(C)26370059による研究成果の一部.)

〈キーワード〉 チベット論理学,カダム派,ldog pa,ゴク・ロデンシェーラプ,チャパ(大谷大学教授)

チベット論理学における ldog paの起源(福 田) (121)

味で解すべきではない.その個物が他のものと絶対的に異なった個別的なものであることは,svasvabhāvavyavasthitiによって表現され,vyāvṛttiは,同類や異類のものからの様々な「異なり」を意味している.それゆえ,それが k. 41aを導き出すのである.

 2)石田(2005: 88)によれば,シャーキャブッディは,アポーハに,排除された自相,他の排除のみ,分別知における現れという三つの種類を区別した.ダルマキールティ自身は vyāvṛttiが構想されたものではなく,対象の側に事実として成立しているものと考えていた.

 3)ACIPによるテンギュルの入力テキストの検索では,この表現はヒットしない. 4)チベット論理学における mtshan mtshon gzhiについては福田(2003)参照.mtshon

byaと mtshan gzhiはともに lakṣyaの訳語として用いられるので,これらが異なった三つの概念として同時に使用されることはなかった.

 5)『心闇の除去』と『量決択註』の前後関係については別に論じたい.『量決択註』第1章第 1偈の前に mtshan nyid一般を確定する必要があるとして,mtshan mtshon gzhiの詳細な議論(SOZ, 6a8–20b3,約 14枚)が展開されるのに対し,『心闇の除去』では同じ議論が約 22枚を占める(YMS, 11a6–32a2).これは 98枚からなる同書の約 22.5%に当たり,一つのテーマの議論としては極めて長い.

 6)YMS, 11b7–8: ci bden pa rtogs pa la sogs pa’i mtshan nyid dang tshad ma’i tha snyad lasogs pa’i mtshon bya dag . . . bum pa’i byas pa dang mi rtag pa ltar ngo bo dbyer med pa labcad bya tha dad las phye ba’i ldog pa tha dad yin zhe na /「真実を認識することなどの〔量の〕mtshan nyidと量という名称などの mtshon bya〔の二つ〕は,壺の所作〔性〕と無常〔性〕と同様,存在上区別のないものにおいて排除対象が異なっていることによって区別される ldog paが異なったものである,と問うならば」.他に “ngo bo gcig (la/kyi)ldog pa tha dad”,“dngos po gcig pa ldog pa tha dad”,“rdzas gcig kyang ldog pa tha dad” などの用例も見られる.

 7)YMS, 20b9: chos can la rtags dbyer med kyi ldog pa tha dad du rten par yod pa’i phyogschos tshang bar ji ltar gyur zhe na /「有法において論証因が,切り離せない ldog pa tha dadなものとして属して(rten)存在しているという主題所属性はどうして成立しているのか,と問うならば」.他に “dbyer med pa’i ldog pa tha dad” の用例もある.

 8)これらが代表的な例というわけではないが,mtshan nyid,mtshon byaの定義に rangldog,don ldogが用いられていることは,mtshan mtshon gzhiの議論がこれら独特の ldogpa概念の設定の上に成り立っていることを示している.3番目の引用がその例の一つである.

〈略号〉PV & PVSV The Pramāṇavārttikam of Dharmakīrti: The First Chapter with the Autocommentary.

Ed. Raniero Gnoli. Serie Orientale Roma 23. Roma: Istituto Italiano per il Medio edEstrem Oriente, 1960.

BSS Phya pa chos kyi seng+ge: dBu ma shar gsum gyi stong thun. Ed. Helmut Tauscher.Wiener Studien zur Tibetologie und Buddhismuskunde 43. Wien: Arbeitskreis für

(120) チベット論理学における ldog paの起源(福 田)

─ 405 ─

Page 7: チベット論理学における ldog pa...チベット論理学におけるldog pa の起源 福田洋一 はじめに ダルマキールティの論理学書で用 いられるサンスクリット語の

Tibetische und Buddhistische Studien Universität Wien, 1999.DND Anonymous. tshad ma’i de kho na nyid bsdus pa. 隆欽饒絳『隆欽巴邏輯学』四川

民族出版社,2000.KNS rngog blo ldan shes rab. tshad ma rnam nges kyi dka’ gnas rnam bshad. 中国蔵学

出版社,1994.KSB 『噶当文集』百慈蔵文古籍研究室整理,全 90巻,四川民族出版社,2006–2009.SOZ phya pa chos kyi seng+ge. tshad ma rnam nges kyi ’grel bshad shes rab kyi ’od zer.

KSB 8, pp. 35–427 (197 fols.).YMS phya pa chos kyi seng+ge. tshad ma yid kyi mun sel. KSB 8, pp. 434–627 (96 fols.).

〈参考文献〉Hugon, Pascale. 2009. “Tshad ma rnam par nges pa’i bsdus don: Phya pa Chos kyi seng ge’s

Synoptic Table of the Pramāṇaviniścaya.” http://www.ikga.oeaw.ac.at/Mat/hugon_table_version1_2009.pdf.(2016年 9月 19日閲覧)石田尚敬 2005「〈他の排除(anyāpoha)〉の分類について―― Śākyabuddhiと Śāntarakṣitaによる〈他の排除〉の 3分類――」『インド哲学仏教学研究』12: 86–100.福田洋一 2003「初期チベット論理学における mtshan mtshon gzhi gsumをめぐる議論について」『日本西蔵学会々報』49: 13–25.――― 2013「ツォンカパ後期中観思想における二諦の同一性と別異性」『真宗総合研究所紀要』30: 89–101.――― 2015「初期チベット論理学書の科段構成について」『印仏研』64 (1): (50)–(57).

(平成 26~28年度科研費基盤研究(C)26370059による研究成果の一部.)

〈キーワード〉 チベット論理学,カダム派,ldog pa,ゴク・ロデンシェーラプ,チャパ(大谷大学教授)

チベット論理学における ldog paの起源(福 田) (121)

味で解すべきではない.その個物が他のものと絶対的に異なった個別的なものであることは,svasvabhāvavyavasthitiによって表現され,vyāvṛttiは,同類や異類のものからの様々な「異なり」を意味している.それゆえ,それが k. 41aを導き出すのである.

 2)石田(2005: 88)によれば,シャーキャブッディは,アポーハに,排除された自相,他の排除のみ,分別知における現れという三つの種類を区別した.ダルマキールティ自身は vyāvṛttiが構想されたものではなく,対象の側に事実として成立しているものと考えていた.

 3)ACIPによるテンギュルの入力テキストの検索では,この表現はヒットしない. 4)チベット論理学における mtshan mtshon gzhiについては福田(2003)参照.mtshon

byaと mtshan gzhiはともに lakṣyaの訳語として用いられるので,これらが異なった三つの概念として同時に使用されることはなかった.

 5)『心闇の除去』と『量決択註』の前後関係については別に論じたい.『量決択註』第1章第 1偈の前に mtshan nyid一般を確定する必要があるとして,mtshan mtshon gzhiの詳細な議論(SOZ, 6a8–20b3,約 14枚)が展開されるのに対し,『心闇の除去』では同じ議論が約 22枚を占める(YMS, 11a6–32a2).これは 98枚からなる同書の約 22.5%に当たり,一つのテーマの議論としては極めて長い.

 6)YMS, 11b7–8: ci bden pa rtogs pa la sogs pa’i mtshan nyid dang tshad ma’i tha snyad lasogs pa’i mtshon bya dag . . . bum pa’i byas pa dang mi rtag pa ltar ngo bo dbyer med pa labcad bya tha dad las phye ba’i ldog pa tha dad yin zhe na /「真実を認識することなどの〔量の〕mtshan nyidと量という名称などの mtshon bya〔の二つ〕は,壺の所作〔性〕と無常〔性〕と同様,存在上区別のないものにおいて排除対象が異なっていることによって区別される ldog paが異なったものである,と問うならば」.他に “ngo bo gcig (la/kyi)ldog pa tha dad”,“dngos po gcig pa ldog pa tha dad”,“rdzas gcig kyang ldog pa tha dad” などの用例も見られる.

 7)YMS, 20b9: chos can la rtags dbyer med kyi ldog pa tha dad du rten par yod pa’i phyogschos tshang bar ji ltar gyur zhe na /「有法において論証因が,切り離せない ldog pa tha dadなものとして属して(rten)存在しているという主題所属性はどうして成立しているのか,と問うならば」.他に “dbyer med pa’i ldog pa tha dad” の用例もある.

 8)これらが代表的な例というわけではないが,mtshan nyid,mtshon byaの定義に rangldog,don ldogが用いられていることは,mtshan mtshon gzhiの議論がこれら独特の ldogpa概念の設定の上に成り立っていることを示している.3番目の引用がその例の一つである.

〈略号〉PV & PVSV The Pramāṇavārttikam of Dharmakīrti: The First Chapter with the Autocommentary.

Ed. Raniero Gnoli. Serie Orientale Roma 23. Roma: Istituto Italiano per il Medio edEstrem Oriente, 1960.

BSS Phya pa chos kyi seng+ge: dBu ma shar gsum gyi stong thun. Ed. Helmut Tauscher.Wiener Studien zur Tibetologie und Buddhismuskunde 43. Wien: Arbeitskreis für

(120) チベット論理学における ldog paの起源(福 田)

─ 404 ─