共同体史を現代にどう生かすか - 福島大学附属図書館― 133 ― 林:...

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131 商学論集 第 85 巻第 4 号  2017 3 研究ノート 共同体史を現代にどう生かすか ── マルクス=大塚の 共同体に固有の二元性の再解釈と応用(上) ── 林   薫 平 はじめに 小稿では,戦後のわが国において,高度成長後の 1970 年代および近年 2000 年代の二度にわたっ て巻き起こった「共同体の再評価」をめぐる一群の議論を通じて提起された論点を概観し,現代に おける共同体(共同性)の可能性と課題に関して若干の視点を提供する。 共同体が再評価されている背景には,自立した個人が現れるためには古い共同体は解体される必 要があるというような急進的な意味での近代主義的な共同体観(共同体害悪説)が,現代に至って むしろ行き過ぎて個人個人がばらばらになってしまったという事実の経過によってほころびを見 せ,現在の様々な社会問題の中でむしろ共同性が必要だと認識されてきていることがある。 そこで,近代以前の共同体のあり方にいま一度光を当てようと提起されているのである。 さらに,近代になって狭義の共同体(土地の共有関係を基盤とする地縁的な結合体)が解体した 後にも,様々なかたちで都市農村を問わず存在してきている共同組織まで含めて,「共同体史」を 改めて現代の眼で通史的に振り返る必要があるという点も指摘されている。 ここで,「共同体」の可能性を考える際に必ず乗り超えるべき対象として意識されてきたのが, マルクス(Karl Marx),ウェーバー(Max Weber)の共同体論を独自に構成して,近代以前の共同 体の解体法則を理論化した大塚久雄『共同体の基礎理論』(1955)である 1 私見によれば,これまでの「共同体の再評価」の議論では,大塚共同体論の結論部分のみ(「近 代以前の共同体は終局的には解体する」)を取り出し,その「結論」の不十分さを指摘し,現代に おいて共同性を再構築しなければならないと主張する。 そこでは,大塚共同体論の共同体把握の論理そのものに批判的に立ち入って,共同性の再構築と いう現代の課題にとってどのように有用な意味をもちうるか検討する観点が不足していた。 つまり,共同体再評価論においては,大塚共同体論は,丸ごと乗り超える対象として意識された ために,そこから示唆を引き出す対象として十分に認識されてこなかったと言ってよい。 小稿の姿勢は,現代において共同性を再構築する必要があるという観点は共同体再評価論と共通 するが,大塚共同体論については,従来の共同体再評価論と異なる見方をとる。 具体的には,大塚が,マルクスが「ザスーリッチへの返書草稿」の中で示唆した共同体把握を援 1 大塚久雄著作集・第 7 巻(1969)『共同体の基礎理論』,1104 頁,岩波書店。初出は『共同体の基礎理論─ 経済史総論講義案』岩波書店,1955 年。

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    林 : 共同体史を現代にどう生かすか商学論集 第 85巻第 4号  2017年 3月

    【 研究ノート 】

    共同体史を現代にどう生かすか── マルクス=大塚の “共同体に固有の二元性”の再解釈と応用(上) ──

    林   薫 平

    は じ め に

    小稿では,戦後のわが国において,高度成長後の 1970年代および近年 2000年代の二度にわたって巻き起こった「共同体の再評価」をめぐる一群の議論を通じて提起された論点を概観し,現代における共同体(共同性)の可能性と課題に関して若干の視点を提供する。共同体が再評価されている背景には,自立した個人が現れるためには古い共同体は解体される必

    要があるというような急進的な意味での近代主義的な共同体観(共同体害悪説)が,現代に至ってむしろ行き過ぎて個人個人がばらばらになってしまったという事実の経過によってほころびを見せ,現在の様々な社会問題の中でむしろ共同性が必要だと認識されてきていることがある。そこで,近代以前の共同体のあり方にいま一度光を当てようと提起されているのである。さらに,近代になって狭義の共同体(土地の共有関係を基盤とする地縁的な結合体)が解体した

    後にも,様々なかたちで都市農村を問わず存在してきている共同組織まで含めて,「共同体史」を改めて現代の眼で通史的に振り返る必要があるという点も指摘されている。ここで,「共同体」の可能性を考える際に必ず乗り超えるべき対象として意識されてきたのが,

    マルクス(Karl Marx),ウェーバー(Max Weber)の共同体論を独自に構成して,近代以前の共同体の解体法則を理論化した大塚久雄『共同体の基礎理論』(1955)である1。私見によれば,これまでの「共同体の再評価」の議論では,大塚共同体論の結論部分のみ(「近

    代以前の共同体は終局的には解体する」)を取り出し,その「結論」の不十分さを指摘し,現代において共同性を再構築しなければならないと主張する。そこでは,大塚共同体論の共同体把握の論理そのものに批判的に立ち入って,共同性の再構築と

    いう現代の課題にとってどのように有用な意味をもちうるか検討する観点が不足していた。つまり,共同体再評価論においては,大塚共同体論は,丸ごと乗り超える対象として意識された

    ために,そこから示唆を引き出す対象として十分に認識されてこなかったと言ってよい。小稿の姿勢は,現代において共同性を再構築する必要があるという観点は共同体再評価論と共通

    するが,大塚共同体論については,従来の共同体再評価論と異なる見方をとる。具体的には,大塚が,マルクスが「ザスーリッチへの返書草稿」の中で示唆した共同体把握を援 1 大塚久雄著作集・第 7巻(1969)『共同体の基礎理論』,1~104頁,岩波書店。初出は『共同体の基礎理論─経済史総論講義案』岩波書店,1955年。

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    商  学  論  集 第 85巻第 4号

    用して,近代以前の共同体の諸形態を継起的に発展させ,終局的には解体させる原動力として理論の核にすえた,いわゆる「共同体に固有の二元性」(土地の共有と,生産用具・動産の私有の矛盾や,より広義には,共同体の中の集団と個人の対立)に着目し,これを逆から見ることで,共同性の再構築という課題に対して有用な分析視角として生かそうと試みる。より具体的には,小稿では,大塚のように「固有の二元性」ゆえに共同体が解体せざるをえない

    と理解するのではなく,逆に,「固有の二元性」ゆえに,共同体が構成員どうしの合議・合意にもとづいて公平・平等などの原則からなるルールを設定するメカニズムに着目する。つまり,共同体は,内的外的環境の変化の中で,構成員の中の階層分化や多様化を進展させ,そ

    れにつれて内なる遠心力を高めていく。その中で,合議・合意にもとづいて共同体(共同性)維持のための原則やルールを定め,また変化に適応させていく,このようなメカニズム,すなわち「共同体維持の論理」または「共同体における結合の論理」である。小稿では,このように「固有の二元性」を再解釈し,その見地から共同体史に改めて光を当てる

    ことで,現代における共同性の再構築という課題への示唆を引き出そうと試みるものである。また,大塚共同体論の中でキー概念の一つとなっている,いわゆるウェーバー=大塚の「共同体

    の平等原則」についても,この視点から新たな解釈を与える。ウェーバー=大塚は,近代以前の共同体における集団と個人の力関係に着目し,その力関係と平

    等原則の態様の関係性を鋭くとらえた。簡単にいえば,いわゆる「ゲルマン的共同体」においては,個人の権利の観念が十分に確立して

    いたことを論証し,その証左として,個人間の土地保有・土地占有における「形式的平等性」が確立していたことを指摘した。他方,いわゆる「アジア的共同体」においては,個人の権利が未発達であり,各構成員は共同体のいわば被扶養者であって,したがってそのような条件に対応する平等原則のあり方は,「実質的平等性」であるとする。小稿では,この着眼点をいま一歩応用し,共同体における協力や資源配分の原則・ルールがつく

    られる論理を抽出する。この場合,共同体というのは,大塚共同体論によって明確な意味づけを与えられたような,一定の範囲の土地の共有を基盤とする地縁的な結合体ばかりでなく,共同労働組織や,農業用水の配分組織を含む。冒頭に目的を述べたように,小稿では,最終的に,以上のような着眼によって共同体史をひもと

    くことにより,現代において共同性を再構築しようとする際にどのような示唆が導かれうるか考察する。それは,やや先取りして言えば,次の点に関わる。土地共有の結合体だけでなく,共同労働組織や,農業用水の配分組織などの伝統的な共同体を貫

    通する「結合の論理」は,小稿では示唆するにとどめざるをえないが,協同組合や,協同組合どうしの協同関係や,土地私有にもとづく土地利用の共同関係などの,近代以降に現れ,現代にあってますます重要性が増している新たなタイプの共同体にも通じている。つまり,小稿では,大塚共同体論において共同体解体の法則性を理論化する際に活用されたとこ

    ろのマルクス=大塚の「固有の二元性」やウェーバー=大塚の「平等原則」を再解釈し,共同体一般に通じる結合の論理の抽出を試みる。そのことにより,現代において新たな共同性をつくっていくことを考える場合の示唆を導き出したいのである。

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    林 : 共同体史を現代にどう生かすか

    小稿の構成は,次の通りである。第 1節 共同体の再評価(1970年代)と再々評価(2000年代)第 2節 いわゆる「共同体に固有の二元性」をどう問題とするか(以上,今回)第 3節 共同労働における公平・平等の問題第 4節 農業用水の個別配分にともなう公平・平等の問題第 5節 共有地の個別割当にともなう公平・平等の問題第 6節 ウェーバー=大塚の「共同体の平等原則」の再解釈第 7節 共同体史を現代にどう生かすか ── 現代総有論への接合試論(完)

    第 1節 共同体の再評価(1970年代)と再々評価(2000年代)

    1970年代に入って高まりを見せた「共同体の再評価論」は,1960年代のいわゆる近代化農政によって大きく変貌していた農村の実態に立脚するところから始まった。玉城哲は,1979年,「“むら”論の 10年」と題する論文をまとめ,農村に暮らす者の立場から「共

    同体(むら)」を擁護する声が高まった 1970年代を概括している2。その中で,玉城は,守田志郎(1967)『村落組織と農協』3と,堀越久甫(1969)が『農村文化運動』に発表した論文「『むら』の再評価─人間回復の手がかり」に着目し4,両者を “むら”論の嚆矢ととらえ,1960年代を通じた農業の近代化,農村の急速な変貌・過疎化の進行の中で台頭してきた背景を指摘した。さらに 1970年代に入って守田志郎(1973)『小さい部落』5が同論を大きく発展させる意味をもったものとした。守田(1973)は,「『日本』がふっ飛ぶ共同体論」というフレーズを掲げ,大塚久雄『共同体の基

    礎理論』が,近代以前の共同体史を描く中で,共同体が終局的に解体し,そこから近代が始まるという論を構築していることを問題とし,その大塚共同体論が日本の「部落」(むら・集落)にそのまま適用されていることを批判して,次のように述べている6。

     日本で部落について語られる機会はけっして少なくない。その語られる言葉の意味するところの大

    部分は,部落を否定的にしか扱うことのできない角度から発せられていることは明瞭である。(中略)

     水利用における部落的な規制,その他の農業生産上の規制関係,集団栽培や協業経営などの新たし

    い組織的方向への制約性,生活における部落的規制,あるいは村八分,あるいは合議制,こういった

    部落のもっている特性をとりあげて重ねていくことによって,部落のもつ共同体的な性格が浮き彫り

    2 玉城哲「“むら”論の 10年」玉城哲・堀越久甫・内山政照・守田志郎・原田津・川本彰(1979)『むらは現代に生かせるか』農文協。

    3 守田志郎(1967)『村落組織と農協』家の光協会。 4 堀越久甫(1969)「『むら』の再評価─人間回復の手がかり」『農村文化運動』38号。のち,上掲・玉城哲ほか(1979)『むらは現代に生かせるか』農文協,に再録。

    5 守田志郎『小さい部落』朝日新聞社,1973年。のち,『日本の村─小さい部落』(2003)と改題して農文協・人間選書に収録。

    6 上掲・守田(2003)『日本の村─小さい部落』(再録版),21~23頁。

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    商  学  論  集 第 85巻第 4号

    にされるというわけで,その結果これらのすべてが農民の生産と生活にとっての阻止要因であり,ひ

    いては日本の社会発展にとって阻止的である……,したがって,このような部落は,早く「終局的な

    崩壊」に導くべきであるのだ、という論理(中略)

     今日の日本にあっては部落は悪であるとする既成の概念のなせるわざなのだ

    こうした論は,1960年代後半から 1970年代にかけて,農村部で進行していた農業近代化政策の極端な影響があらわれている中で,近代化=共同体の解体をよしとする論に対して強い違和を唱えており,農村部の自覚的な層に賛同を得た7。歴史学の領域から,1974年に色川大吉が発表した論文「近代日本の共同体」も,同時期に大き

    なインパクトをもった 8。色川は,次のように述べる9。 大塚久雄氏には,『共同体の基礎理論』という著書があり,そこではマルクスやウェーバーの共同体

    理論を解釈すると共に,かれの西欧経済史の研究をふまえて,資本主義や近代が,いかにして共同体

    を解体させ,成立してきたか述べる。「私的労働に基づく私的所有[が伸長し─引用者],ひいてはこ

    の関係をささえている共同体がこわれないかぎり,資本主義は生まれないし,真の意味での近代化を

    成立させることはできない。」「封建的生産様式の崩壊と資本主義的生産様式の展開という局面(いわ

    ゆる資本の原始的蓄積の基礎過程)は,この観点からすれば,その中に他ならぬ『共同体の終局的崩壊』

    という事実を重要な一環として含んでいるからである。」(『共同体の基礎理論』─原文)(中略)

     日本の固有の小地域共同体の実態などは,西欧社会本位の発展段階説をとる「世界史の基本法則」

    のまえには,「前近代的なもの」として一顧だにあたえられなかった。要するに「部落」や「共同体」

    は至上命令として解体さるべきものとされたのである。

    ここで色川の眼を通して短くまとめられているように,いわゆる大塚共同体論は,近代以前の農村における共同体の諸形態を継起的にとらえる理論的な枠組みを提起した。個々の構成員が共同体の共同財産・共同労働・共同生活の中に埋没している原始的な段階から,

    次第に私的な要素が伸長してゆき,終局的に共同体が解体する。その過程が,共同体からの個人の解放,近代の始まりをもたらし,さらにいえば封建制の残滓を除去し,民主制への転換をもたらすという観点であった10。

    7 農村部の自覚の高まりを如実に示す文献としては,たとえば松永伍一[編](1975)『歴史をふまえて─主体性と農民』三一書房。

    8 色川大吉「近代日本の共同体」鶴見和子・市井三郎[共編](1974)『思想の冒険─社会と変化の新しいパラダイム』筑摩書房。鶴見・市井を中心に 1969年から続けられてきた「近代化論再検討研究会」の 4年間の集大成とされる。

    9 色川「近代日本の共同体」238~39頁。10 前出・大塚久雄著作集第 7巻『共同体の基礎理論』(1969),とくに所収『共同体の基礎理論』(前掲・初出

    1955),「共同体解体の基礎的諸条件─その理論的考察」(初出 1962),「共同体をどう問題とするか」(初出1956)。大塚は,とくに「農村共同体」という概念を設定し,「われわれが「村はちぶ」という言葉で思い出すような村全体の規制──われわれはそれを「共同態規制」という言葉で呼びますが──が行われていて,その共同態規制に従って,個々の村人たちの,生産活動から日常生活のあらゆる面に及ぶすべてが規制されていく,そういう部落が農村共同体なのです」と述べる(「『共同体』をどう問題とするか」,202頁)。つづ

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    林 : 共同体史を現代にどう生かすか

    戦後,農業・農村の近代化を強く推し進める政策の方向性と合致して,大塚共同体論は,共同体解体の正当性を保証する役割をもった。そこに,1960年代後半以降,農業・農村の急速な変貌の中で,上のように強い反論が出されたわけである。色川の見方では,農村が変貌し,また都市部でも住民が孤立して公害や生活難に苦しむ現状に対

    して,1960年代以降の日本の苦しみは,むしろ地域ごとの共同体が解体されることによって生じているのではないかと提起した。結論として色川は,部分的に立ち上がってきていた都市部の市民運動の展開もにらみながら,次

    のように「共同体の再評価」を主張する11。 私はいま急速に解体しつつある伝統的な小地域共同体の意義を再評価し,また,その行方を見とど

    けたい。と同時に,いま全国で湧き起っている住民運動の経験のなかから,ふたたび地域共同体の生

    命力がよみがえり,現代独占資本の支配に抗しながら新しい質を獲得して立ち現れることを展望した

    いと思う。(中略)

     人は地域共同体なしに生きることができるだろうか。人間が自然の中で人と人との関係を結んで生

    きざるをえないかぎり,そうした最小限の協力の場を否認することはできまい。いわんや歴史的にも

    強靭な個我の伝統をもたない日本の大衆が現代の流砂のような個的状況の中で「人間」らしい誇り高

    い生の条件を保ちうるとは到底信じられない。(中略)

     私は,この一時的な混乱はかならずおさまり,人間の根源的な欲求や日本人の習性にしたがって,

    新しい共同体がかならず再組織されると思う。

    1970年代に現出した都市部・農村部の状況は,やみくもな近代化の反省を迫り,上記の色川に代表されるような共同体の再評価の主張が理解される土壌をつくっていた12。

    けて,「この『共同態規制』なるものが,われわれにとってとくに重要なのは,実はそれが歴史のうえで近代化以前の,たとえば封建的と呼ばれるような旧式の地主制支配と結びついていて,経済学的な表現をつかえば,『経済外強制』と呼ばれるものの実質的な内容をなしてきたということなのです」(同上,202~203頁)。さらに,「実は,こういう共同体を土台にしてあの封建制と呼ばれる生産様式,そしてそれに照応する『封建的土地所有』関係が打ち立てられていたわけなのです。この点は,わが国のばあいにも言いえて誤りのないところと思います。ところで,封建的土地所有に関しては,周知のように,土地所有者(領主や地主―原文)の支配が常に『経済外強制』を伴っていたということがいわれていますが,実はその経済外強制なるものは,こうした共同体と密接に結びついており,つねに,いま述べたような『共同態規制』の姿をとって現れた(中略)したがって,封建的土地所有──領主制であれ,寄生地主制であれ,どんな形のものであれ──が問題とされているかぎり,だからまた,そうした地盤の上での民主化が問題とされているかぎり,『共同態規制からの解放』という問題を避けて通ることはできないということになるでしょう」(204~205頁)。

    11 色川(前出)「近代日本の共同体」244~66頁。12 色川は,1960年代以降の都市部の住民運動の高まりについて,「渥美半島の公害勉強会から多摩川をよみがえらせる住民組織の巡回講習会や科学学習会(中略)その動きは小地域共同体の自衛のために,婦人たちが街頭にでて交通量調査や大気汚染,水質汚染などの自主的な調査測定を行なうところまで進んでいる」と表現し,農村・漁村部では,「たとえば,都会に出稼ぎにとられた村の働き手をよび戻すためにはどうしたらよいか。後継ぎの青年に希望をもって残ってもらえるような郷土にするためにはどうしたらよいか。そうした根本的な問題が,公害や大企業の進出とのたたかいを通じて,住民のなかにはっきりと意識されてきた」とし,「かつて,部落共同体がそうであったように,生産的な勤労生活(農村・漁村部─引用者)と消費生

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    商  学  論  集 第 85巻第 4号

    こうした動向を受けて,歴史学会は,1976年 11月にシンポジウム「共同体の歴史的意義」を開催した。解題者として,村落史家の木村礎が「『共同体の歴史的意義』を検討するにあたって」と題してテーマを次のように説明している13。

     本会が「共同体の歴史的意義」を掲げて大会を開いた根底には,単にそれぞれの共同体について個

    別分析を行なうに止まらず,それらを通して大概念としての「共同体」をいかに理解するかという問

    題が存在している(中略)

     共同体は,社会の基底部の構造,特に個人と集団の日常性にかかわっているから,当然のことなが

    らそれがもつ時間性,空間性はきわめて深く,そして広い。

     共同体の問題は,人間の歴史の全「時代」を貫通して存在している。(中略)

     共同体は特定の時代の基礎構造を明示する存在であると共に,「時代区分」を超えた持続性を持つ。

    したがって共同体の本質的理解のためには,特定の時代における検討だけでは不十分であって,本来

    は全時代を通しての共同体の持続と変質について検討することが必要なのである。(中略)

     共同体は前近代の問題だ,という理解の仕方がある。このような理解はむしろ一般的である。かか

    る理解の根源には,恐らくマルクス,ウェーバー等の理論が存在している。日本においては大塚久雄

    の諸業績が,前近代の社会構造を解明する重要な鍵としての共同体の問題を提起した。

     それはつまり,近代資本主義社会に到達すれば共同体は解体される,あるいは共同体の解体が近代

    資本主義社会を生むという考え方である。さらに要約すれば,前近代は共同体社会であり,近代は商

    品と資本の社会だ,という理解の仕方である。(中略)

     共同体は個人の自立にとって害悪しかもたらさないから,そのようなものが現代に残っていれば,

    それは早急に解体せねばならぬ。総じて,共同体は封建性と同様に悪しきものである等々(中略)

     しかし,このような考え方,理解の仕方は,大いに吟味を要することのように今の私は思っている。

    共同体は近代更には現代の問題としても存在しているのではないか,ということである。(中略)

     この点,色川大吉「近代日本の共同体」の示唆するところは大きい。(中略)

    活(都市部―同)とが共存し,個人と共同体(地域社会―原文)の全員がたがいに役立ちあい,信頼と友情をたしかめあえるような,人間疎外のない社会関係が復興されなくてはならない」と示唆する(前出論文,269~270頁)。色川の議論は,第 7節で再び検討する。

    13 木村礎「『共同体の歴史的意義』を検討するにあたって」(1996)木村礎著作集 VI『村の世界 視座と方法』名著出版,320~23頁。このシンポジウムは,1977年の歴史学会の創立記念時のものであり,その準備過程において和歌森太郎初代会長がこのテーマを発議したとされる(前出・木村『村の世界 視座と方法』「解説」393頁)。木村は,本文での引用箇所に先行して,次のように,歴史学の中で「共同体」に着目することが現代的に要請された際に根底にあった歴史観について述べている。「歴史解釈上のさまざまな概念の中で,戦後歴史学が定立したきわ立った大概念がいくつかある。中でも私にとって『発展』と『階級』という概念は巨大である。(中略)発展と階級はヨーロッパ近代市民社会が生み出した概念であり,当然のことながらヨーロッパの歴史と現状を説明する有力な武器であった。戦後日本社会──特に歴史研究者たち──が,この両大概念をさしたる抵抗なく受容したことには,もちろんそれなりの理由がある。それは一口に言って戦後日本社会の欧米的近代化と関係していたのである。私は,戦後日本歴史学が,発展と階級を基軸に展開したことを誤ちとは見ない。(中略)しかし(中略)人間の歴史は,恐らく,発展と階級を基軸とするだけでは解釈し得ないのではないかという疑問は,戦後歴史学の成熟と共に徐々に広がってきているのではないかと思う。(中略)発展や階級に匹敵するような大概念の定立が不可避なのである。私はそれは『共同体』概念ではないかと思う」(前出・木村「『共同体の歴史的意義』を検討するにあたって」319~320頁)。

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    林 : 共同体史を現代にどう生かすか

     氏が近・現代における共同体の問題を,亡び去るべき悪としてではなく,正面切って提示したこと

    の意味をよくよく考えてみる必要がある。

    手短かに見てきたように,1970年代,それまでの急速な近代化と高度成長が社会にもたらした弊害の認識のもとに,伝統的な農村社会の共同体(むら)に対しても幅のある見方が生まれ,そこから積極的な要素を取り出そうとする態度が,広い分野の専門家を巻き込んで「共同体の再評価」という一群の議論を形成した。1976年 10月の歴史学会のシンポジウムは一つの象徴であった。それからちょうど 30年経過して,2006年 6月,世紀をまたいで,新たに激変しつつある時代背

    景のもと,政治経済学・経済史学会で「『共同体の基礎理論』を読み直す─共同性と公共性の意味をめぐって」と題する研究会が開催された14。そこでは,30年を隔てて,近現代の共同体のあり方を解明しようという問題関心や,共同体の通史を見通す中から現代の共同性の再構築の可能性を抽出していく必要性が提起されたが,小稿の関心に照らして,興味ある符合であると言えよう。上記「『共同体の基礎理論』を読み直す」について,同学会理事の伊藤正直は,次のように趣旨

    を説明している15。 本学会では,ここ数年来,新自由主義,グローバリズム,公共性などに関わる問題群をとりあげ,

    そのそれぞれを,各年度の共通テーマとして設定し,検討を加えてきた。(中略)「共同性と公共性の

    意味をめぐって」も,その延長線上にある。(中略)

     ① かつて,この書物(大塚久雄『共同体の基礎理論』─引用者)をどのように読み,何を学びとっ

    たか? ② 現在までの自らの研究や関心に照らして,この書物はどのような問題をはらんでいるか? 

    ③ 現在どのように読み直す価値があるか? 殊に近現代あるいは今後の公共性を考える際にこの書物

    はいかなる意味をもちうるか? ④ さらに(可能ならば─原文),将来の公共性,協同性,共同性を

    構想する際に重要と考えられる論点は何か?(中略)

     大塚久雄『共同体の基礎理論』が,「資本主義の発展史を研究しようとする」前提としての「『共同

    体の解体』の問題」を検討する著作[であり],前近代社会の理論的見取り図を「共同体」を軸に描こ

    うとしたものだった[ため,]同書では,近代以降における何らかの「共同体」や「公」は直接には射

    程に入っていない。③や④の問いに答えるためには,論者が,自分自身で大塚「共同体」論を再構成

    ないし脱構築する必要がある。

    このような議論の根底には,2000年代に入り,グローバル化の進展,多国籍企業の支配力の強まり,個人の孤立・疎外の進展により,国や社会のあり方がいよいよ大きな転機を迎えているという認識がある。この背景のもとで,共同体に関する古典である大塚共同体論が,改めて現代の共同性を模索するうえでの示唆をもつのではないかという期待から,上記研究会がもたれたという背景が説明されているのである。30年前の 1970年代の「共同体の再評価」に比して,新たな局面における,より切実な要請にもとづく「共同体の再々評価」ともいうべきであろうか。

    14 小野塚知二・沼尻晃伸[共編](2007)『大塚久雄「共同体の基礎理論」を読み直す』日本経済評論社。15 伊藤正直「あとがき」前出・小野塚知二・沼尻晃伸[共編](2007)『大塚久雄「共同体の基礎理論」を読み直す』237~38頁。

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    商  学  論  集 第 85巻第 4号

    同様に,大塚共同体論を強く意識して,その向こうを張るかたちで,2010年に内山節『共同体の基礎理論─自然と人間の基層から』が刊行された16。内山は,共同体を,過去の特定の一時代にのみ存在していたものでなく,時代を通じて存在する

    ものととらえ,「共同的な生活が営まれている場であり,社会のあり方や文化などが共有されている結合体」17として広い視野から見た 100年前の古典,マッキーヴァー(R.M. MacIver)『コミュニティ』の共同体論に着目して,次のように述べる18。

     マッキーヴァー以降の流れは,コミュニティ=共同体を歴史貫通的な,社会における必要な要素と

    してとらえるものである。それは今日では一般的になりつつあるが,とするなら歴史貫通的な共同体

    とは何か,それが衰弱している今日において共同体はいかに創造されるのかが,私たちの考察対象に

    ならなければならないだろう。もうひとつの要求は,いま述べたような課題があるからこそ,「伝統的

    な共同体」がどのようなものであったのかを,民衆史的に,あるいは共同体の「歴史社会学」として,

    解き明かさなければならないということである。共同体のなかで民衆がいかに生きたのかをとらえ直

    すことによって,これからの社会における共同体のあり方をつかみ直す,それが今日の共同体論の課

    題である。

    ここで内山によって端的な説明が与えられているように,近代以前にのみ存在したもの,という限定された共同体(狭義の,一定の範囲の土地の共有にもとづく結合)の姿を超えて,歴史を通じて存在する普遍的な共同性(人と人の協力や結合の関係全般)のあり方を考察し,そこから得られた示唆を,「今後の社会における共同体のあり方」の模索に生かしていこうという態度がある。筆者はこの点で,問題関心を共有するものである。同様の課題設定が,上記「大塚久雄『共同体の基礎理論』を読み直す」の小野塚知二報告でも歴

    史家としての視点から述べられている19。 大塚自身は,近現代社会にあっても,市場(あるいは,諸個人の私的活動の結果として成立する社

    会的分業─原文)とは別に,村・町,諸種の団体に見られるような共同性(コミュニティ─原文)が

    現に存在し,また必要であることは認めるが,それがいかなる共同性ないし協同性であるのかは論じ

    ていない。むろん,共同体の土地占取(土地共有─引用者)は,近現代の共同性を論ずるのにただち

    に役立つわけではない。

     わたしは,大塚の想定した前近代/近代,共同体/個人,土地/商品の綺麗な二分法を脱構築する

    のでなければ,新たな読み直しはできないのではないかと考えている。

    この記述は,前出・木村礎「『共同体の歴史的意義』を検討するにあたって」で提起されていた

    16 内山節(2010)『共同体の基礎理論─自然と人間の基層から』農文協・シリーズ「地域の再生」第 2巻。17 内山節(2010)『共同体の基礎理論』78~80頁。18 同上,163~64頁。19 小野塚知二「『共同体の基礎理論』を読み直す」前出・小野塚・沼尻[共編](2007)『大塚久雄「共同体の基礎理論」を読み直す』11~13頁。

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    林 : 共同体史を現代にどう生かすか

    視点と重なる20。小野塚報告の結論はこうである21。 20世紀末以降の世界は,ますます寄る辺なき方向に傾いている。前近代の村落共同体はもちろん,

    近代の町・村といった地域的な共同性すらほぼ消滅し,家族も解体寸前といっても過言ではない状況

    にある。(中略)「社会的に排除された(socially excluded─原文)」人々を再び「社会的に包摂(social

    inclusion─同)」しなければならない状況である。われわれは,明らかに,こうした寄る辺なき社会の

    今後を見据えなければならないところに来ている。そこでは,有機体的な共同性であれ,個人間の契

    約ないし連帯としての協同性(association─同)であれ,より秩序感を濃厚に含む公共性であれ,お

    よそこれまで人類が経験してきた共同的なものをすべてさらい直す必要があるだろう。『共同体の基礎

    理論』を,いまあらためて読み直さなければならない必要性はここにある。

    以上見てきたように,1970年代と 2000年代に,それぞれの深刻な時代認識のもとに立ち現れた共同体の再評価・再々評価の議論では,大塚共同体論から導かれた共同体解体論を克服する意識を持ちつつ,なお,同書から,将来の共同性の再構築の手がかりを得ようとする態度も現れた。小稿では,筆者なりに,この課題設定を受け止めたいと考える。節を改めて,小稿で,どのよう

    な角度から上の課題に迫ろうとするか述べる。

    第 2節 いわゆる「共同体に固有の二元性」をどう問題とするか

    大塚共同体論は,その骨格が固まってきた 1940年代~1950年代という時期の日本の時代背景と不可分であった22。前節で概観した共同体再評価の諸説は,1970年代以降の時代変化を如実に写し

    20 木村礎(前出)「『共同体の歴史的意義』を検討するにあたって」は,マルクス(同様にまた大塚久雄)が,近代以前の,土地共有にもとづく地縁的な共同体を検討対象としたことについて,「マルクス共同体論に欠けているものは,近代における共同体の問題である。マルクスに従えば,近代は,商品─資本の社会であるから,それは当然である。また,土地所有=共同体所有と私的所有の対抗関係─という観点を共同体の主要指標とする限り,近代社会においてはそのような関係は原則的に存在しない筈のものとされているのだから,共同体は主要な問題にはならない。(中略)マルクス共同体論は,共同体は近代に入って消滅することが前提になっているように思われるから,『近代の共同体』という問題提起には答えられないのである。もしも,『近代の共同体』という問題提起が正しいとすると,前近代の共同体を土地所有関係だけを基軸として見る,という観点は大きく動揺することになる」と述べ(328頁),そのうえで,次のように「共同体論における『機能論』の復権」を唱える(333頁)。すなわち,土地の所有(共有)の側面から(近代以前の)共同体をみる「所有論的共同体論」を補う視角として,人や家の人的・社会的・協同的な関係をとらえる「機能論的共同体論」があるべきだとするのである。「『共同組織』(中略)と呼ぶにふさわしいこのような人間結合体とその機能を共同体論から外してしまっては,共同体を豊富に描けないのではないか。また,この問題を抜きにしては,近・現代の共同体について論ずることが不可能になってしまうのではないか」(334頁)。

    21 小野塚(前出)「『共同体の基礎理論』を読み直す」13頁。ここで,「前近代→近代」,「共同体→個人」,「土地→商品」という大塚が前提したクリアカットな二分法的把握を乗り越え(上の引用箇所),「およそこれまで人類が経験してきた共同的なものをすべてさらい直す」という意思が端的に述べられているが,その際に普通であれば『共同体の基礎理論』を捨て去らなければならないと言うものであるが,ここではそうでなくむしろ同書を「読み直さなければならない」と発想されているところに,ここでもう一度注目を促しておく。

    22 この時期,敗戦後の日本で,戦前と異なる新たな社会の指針が必要とされた。この課題に貢献する宿命を背負って大塚共同体論が著されたことに筆者は畏敬の念を惜しむものではない。なお,菊池壮蔵(1994)「近代的労働者類型と『スミス的』なるもの─『インダストリの精神』への覚書」『商学論集』63(1)は,スミ

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    商  学  論  集 第 85巻第 4号

    ている。さて,共同体再評価論では,大塚共同体論は,丸ごと乗り超える対象として意識されたために,

    そこから示唆を引き出す対象として十分に認識されてこなかったと言ってよく,2000年代に入って現れた「読み直し」の試みも,一定の成果を生んだが,共同性の再構築が必要であるという主張を具体的に「読み直し」によって導き出すものではなかった23。

    ス(Adam Smith)の『国富論』は,1770年代の英国において発表されたものであるが,それは当時の英国の中心部の資本主義の発展を理論的に跡付ける意味をもっただけでなく,同時に後進地域であった英国北部スコットランドに残る封建制や伝統的価値観の問題を解決する方向性を指し示そうとしたものであることを指摘している。さらに,スミスがアンダーソン(James Anderson)と応酬した政策論争の中で,資本主義後進国スコットランドの事情を汲まざるをえない逡巡を見せていたことは,のちの 1880年代にマルクスが「ザスーリッチへの返書」(後述)の草稿を何度も書き直した迷いと重なり合う面があると言えないだろうか。菊池壮蔵(1984)「アンダソン『考察』(1777年)のスミス批判と『国富論』増訂(1784年)問題」『商学論集』53(2)。

    23 前出・小野塚・沼尻[共編](2007)『大塚久雄「共同体の基礎理論」を読み直す』において提出された注目すべき主張を列挙すれば,次の通りである。第一に,黒瀧秀久「『共同体の基礎理論』の現代的位相」(第 1章)では,「[大塚は]共同体解体後の地域社会の展開に関して『「むら」共同体がつぶれてしまったあと……人々が砂粒のようにバラバラになってしまう,それが共同体の解体であり歴史的に望ましいことだ,などと私は考えていません。むしろ,日本の現状がそういう方向に動いていることを憂えているのです』と述べ,『新しい共同体』への契機を展開している。(中略)晩年の 1980年代になると,大塚は(中略)『市民社会と民主主義にふさわしい新しい共同体』概念を提言するように変化をしてきている」(29頁)ことを確認したうえで,「しかし,『新しい共同体』が形成されるべきその理論的根拠は明確ではない」(同前)と指摘し,そこでマルクスの「ユートピアとしての未来社会は,『ゲゼルシャフト』的構成(小稿ではさしあたり,近代資本主義社会の下で地縁・血縁の紐帯を離れた合理的・打算的な人間関係や組織─引用者)を基本としながらも,そこにおいて同時に『直接に他の人間との現実的なゲゼルシャフト的結合』を取り結ぶ限り,『ゲマインシャフト』(同じく,近代以前の伝統的な地縁・血縁にもとづく結合─同前)的でありうる」(34頁)という,いわば「否定の否定」方式の把握を参照することにより,「現代的な新たな意味での,“共同体の解体”以前への理論的回帰が必要」(同前)であると結論づけ,「アソシエーション論」を提示する。それは,「長い間人間史の過程で培われてきた,いわゆる共同労働,共同社会の延長上にある概念であり,そこには個々人が分離できない連帯した集団としての人間が前提されている社会であって,個々人に分離した市民社会レベルに止まる議論を克服する概念」(34~35頁),すなわち「かつて共同体が備えていた共同労働,共同所有を基礎とした現代的なアソシエーションの復活という概念」(35頁)であると説明される。例えば,現代日本の農林業(農山漁村)をめぐって,「共同体の再構成」(37頁)を主張する。すなわち,「近代社会におけるコミュニティや共同体から極度に分離した個人の形成は,近代家族そのものの動揺・解体や農林業の農民的経営の空洞化をもたらし,そのことが地域社会の動揺や解体を惹起することにつながってきたのである。家族,コミュニティ,農民・農家への資本による包摂はこれらを解体させることにつながってきたのであり,この再構成の課題は,コミューン=コミュニティ・コモンズ・集落・協同組合などによる解体からの再建としての再構成の課題」(38頁)であるとし,「地域社会の解体から再構成にいたるコモンズの再生と地域社会の再構成の論理には,各地で起きている新しい共通の実態と運動にその契機を見ることができる」(41頁)として「地域」または「ローカル」の概念への注目を促しつつ,「エコマネー」(LETS・地域通貨─原文),「地産地消」,「産消提携」,「食農教育」,「CSA」(地域内の様々な主体の結びつきで支える農業─引用者),「スローフード・フェアトレード」,「再生可能なエネルギー」,「コミュニティ再生運動」を挙げ(42頁),「かかるコモンズやコミュニティへの参画や NPOによる地域再建の運動や課題は,世界潮流が国境をなくしてグローバルな市場原理の貫徹を要求する動きから,それへの対抗軸・アンチテーゼとしての解体の危機を克服するためのローカルな動きとしての共通性をもつものである」(44~45頁)と現代的な意義をとらえる。そして,

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    林 : 共同体史を現代にどう生かすか

    そこで小稿では,大塚共同体論における共同体把握の論理そのものに批判的に立ち入って,共同性の再構築という現代の課題にとってどのように有用な意味を引き出せるか検討してみたい。ところで,1970年代に,共同体の再評価の中で,共同体(むら)を遅れたものであるとか,人

    類の発展の障害物とみなすことは一面的であるという見方が生まれたことを上で見たが,逆に,一面的に共同体(むら)を賛美することもできないという論点も出されている。共同体は,利害対立する個々人の集合体だからである。玉城哲にきこう24。

     部落は,個々の農民の私的な利害の葛藤を内包しながら,部落の平和のためにこれを抑制する装置

    として働いているのである。個々の農民の私的な利害に対して,部落という集団の存続の方が優越し

    ているといいかえてもよいかもしれない。部落は異質な原理を内包した共同体的な地縁集団なのであ

    る。異質な原理とは,共同体的な原理と私的所有の原理の二つである。(中略)

     個が未成熟であるに(ママ)かかわらず私性が肥大し,そのゆえになお個を補完する共同性をも存

    このようなローカルレベルの「萌芽的」実践を大きな視野から統合的に見て,「個人的な所有を前提としても,その地域的な伝統や資源を新たな形で住民協同のもので管理し,利用し再生させること」,あるいは,「新たな “機能的”な共同体=コミュニティ(コミューン─原文)に編成替えしていくこと」が必要であると提唱する(45頁)。ところでこの主張に筆者は大いに賛同するが,ここで見たように,黒瀧の立論は,必ずしも『共同体の基礎理論』に代表される大塚共同体論自体から演繹されたものでなく,大塚が実は「新しい共同体」に期待を寄せていたのだというところを現在の観点から膨らませて展開した性格のものである。もう少し “大塚共同体論から学ぶこと”によって現代における新たな形での共同体・共同性・アソシエーションの再構成・再構築という課題に取り組んでいく際の手がかりを引き出せないかというのが小稿の着眼であり,その成果は,黒瀧のような議論をサポートするものと考えている。なお,同書第 2章・荒井聡「現代における『農業共同体』の性格と機能」では,黒瀧と同様の視点に立ち,磯辺俊彦(2000)『共(コミューン)の思想─農業問題再考』(日本経済評論社)の,たとえば「都市・農村の共働で,都市社会には新しい『共』を創り,農村社会では『むら』をリフレッシュしていく」(86頁)という記述などを手掛かりとして,今日の日本の農業・農村の課題に対する「共同体論」的なアプローチの可能性を検討している。後出・脚注 30を参照。

    24 玉城哲(1978)「むらの構造と論理」『むら社会と現代』毎日新聞社,42~51頁。初出は,『現代の理論』1976年 3月号。同様の観点から,福田アジオは,雑誌『伝統と現代』43号(1977年 1月)の特集「共同体論─その原理と構造」に寄稿した論文「村の生活─村八分と噂話」の中で,「共同体再評価論は日本のムラにおける人々の連帯と助け合いの伝統を強調し,その共同性を永久に続くべきとしたり,新たな社会の基本原理にすべきだと説いている。それに対し,かつての共同体否定論者が個人の自立を抑圧するムラの因襲として示した村八分,ムラの全会一致原則とかムラの身分階層等の問題はその視野から多く除外されている。しかし,日本の伝統的なムラ(部落)を肯定的に評価し,未来に再生することを期するのであれば,これらの問題をムラの歴史的展開の中で正しく位置づける必要があろう」(88頁)と述べ,「村八分」という用語に代表されるような異端的行動をとった構成員に対する制裁や,陰口・噂話の様々な事例を民俗学の知見の中から紹介する中で,「ムラの生活を論じるときには,その連帯の強さや相互扶助の役割が強調される。しかし,ムラは互いの足の引っぱりあいであり,ねたみそねむがうずまいている所だという人もいる」(91頁)と再度強調するが,結論として,「ムラの生活を陰湿なものとして描く必要はない。人々はムラの統合を示すものとして鎮守をまつり,年に何回かの祭りをおこない,(中略)生活のリズムを作っていた。(中略)また各家の農作業にあたっては相互に労働力を等量交換するユイがおこなわれ,また病気や出稼ぎで手不足の家には手伝いがなされた。そしてムラの組織はそのような各家の維持存続に必要な諸条件を整え,各家を保護した。共同体再評価論がそのようなムラの実態に着目し,過疎化の進行に伴うムラの崩壊に対して警鐘を鳴らしたことは十分意義あることといえよう。しかしそのムラがまた同時に各家,各人に対してどのような規制をし,どのように束縛していたかも考え,ムラのあり方としてそれら全体を過去の社会的諸条件との関連で統一的に把握せねばならない」(92頁)と述べる。

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    商  学  論  集 第 85巻第 4号

    続させるという関係は,部落の様相をきわめて独自のものとした。個と共同性の補完の論理が作用す

    るかぎりでは,集団性が私性を抑圧し,私性は屈折した陰微な形で表現されることになるのである。(中

    略)牧歌的な共同体の生活ともみえるうらに,私的利害の葛藤がひそかに渦巻いているというのが部

    落の現実だったのである。(中略)

     個々の構成員の私的な利害が完全に一致するということは,現実にはきわめて稀だろう(中略)部

    分的な利害の不一致,あるいは利益の程度の量的差異を含みながら部落の共同利益として主張される

    ことになれば,それは実は部落全員の共同利益ではなく,構成員の多数の利益にすぎないものとなる

    であろう。その場合,少数者は部落の共同利益の名のもとに,私的な不利益を強制されることにもな

    るのである。(中略)

     このような多数と少数との私的利害の対立の緊張が,ある程度以上にたかまるならば,部落そのも

    のが崩壊の危険に瀕することになるのである。

    ここに共同体の両面をとらえる視点がある。つまり,共同体は,構成員が目的を共有して協力し合う相互扶助の結合体であるという側面と,

    各構成員どうしの利害対立を抑え込む束縛体であるという側面である。この性質は,大塚久雄が,マルクスが「ザスーリッチへの返書草稿」25の中で示唆した共同体の内的な法則性の把握を独自に再解釈し,近代以前の共同体の諸形態を継起的に発展させ,終局的には解体させる原動力とした,いわゆる「共同体に固有の二元性」(土地の共有と,生産用具・動産の私有の矛盾や,より広義には,共同体の中の集団と個人の対立)に対応している26。

    25 小稿で,マルクスの「ザスーリッチへの返書草稿」と呼ぶのは,1870年代に興隆したロシア・ナロードニキ運動の一翼を担っていた女性ヴェラ・ザスーリッチ(Vera I. Zasulich,日本語表記はザスーリチ,ザスリッチとも)から,1881年にマルクスの元に寄せられた手紙に対するマルクスの返書の下書きを表す。ザスーリッチは,ナロードニキの間に農村の共同体をめぐって意見の分裂をはらんでいた 1880年代初頭の状況の中で,マルクスに対し,科学的な社会主義の実現のためには,かつての西欧のように,農村の共同体の解体と農民の都市の下層労働者への転落をロシアも経なければならないのかという問題に対して,『資本論』では農村の共同体の時代は前史として置かれているのみで,共同体そのものをとらえる理論が書かれていないので教えてほしいという切実な問い掛けをおこなった。それに対して,マルクスは返書の草稿をいくども書き直した記録や痕跡が残されており,その数次の草稿から(最終的に投じられた返書そのものよりも),1880年代のマルクスの農村共同体観が知られることから注目される。大内兵衛・細川嘉六[監訳]『マルクス=エンゲルス全集』第 19巻(大月書店,1968年)に,マルクス「ヴェ・イ・ザスーリチへの手紙」および同「ヴェ・イ・ザスーリチの手紙への回答の下書き」として収録されている(翻訳および訳者注解は平田清明)。この訳者による各次草稿の詳細な考察については,後出・脚注 28を参照。

    26 前出・大塚久雄「共同体解体の基礎的諸条件─その理論的考察」。ただし,福冨正実(1970)『共同体論争と所有の原理』(未来社)が指摘するように,「共同体に固有の二元性」を,原始的な段階以後,近代以前までの共同体全般を通貫する特性(共同体を漸次崩壊させ次の段階に推し進める力)としたのは,大塚独自の方法であり(第 6章「大塚史学の構想にたいする批判と共同体の問題」),小稿では,≪マルクス=大塚の「共同体に固有の二元性」≫と表現したゆえんである。マルクスの「ザスーリッチへの返書草稿」では,共同体の中で初期的なものと位置づけられる「農業共同体」(農耕共同体とも訳される)の特性として,耕地が共有されつつ,耕作(用益)は個別で,その収穫物は私有となることに着目され,このことが独特の(「固有」)二重性を形成しているとされた。これを,共同体における集団と個人の対立関係という一段抽象化したレベルに解し,さらに,それを共同体の中で私的要素が強まっていく後期の段階まで通貫する性質として「共同

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    林 : 共同体史を現代にどう生かすか

    大塚は,この二元性に着目し,この二元性が,共同体を解体させる原動力になるとして共同体論の核においた27。

     およそ「共同体」(ここに原文では Gemeindeと付記があり,このように引用文では独語等の原語が

    しばしば挿入されるが,以下すべて割愛─引用者)とよばれる生産関係(すなわち土地占取関係─原文)

    は,その基本的諸形態のどのばあいでも,すべて同時にいわば二通りの側面をかねそなえている。一

    つは,「原始共同態」から濃淡さまざまの度合で受けつがれてきた共同態(ゲマインシャフト─引用者)

    としての側面(あるいはいっそう具体的に「共同組織」といってもよい─原文),いま一つは,そのよ

    うな共同態的外枠の内側にあって生産諸力はすぐれて<個人的>(原文では強意は傍点─引用者)な

    生産力として発展をとげるのであるが,そうした生産諸力の担い手たる共同体成員諸個人(中略)相

    互の私的(ゲゼルシャフト的─引用者)関係としての側面。この二つの側面は互いに対抗しあいながら,

    しかも両者互いに浸透しあい,離れがたく結合していることはもちろんである(中略)

     およそ共同体に具わっているこうした対抗的な二つの側面は,いうならば,生産関係の基礎的な局

    面が共同体として編制されているような段階における生産諸力の発展度[一面では,各個人の生産力

    が発展し,生産要具を各自私的に集積し土地も一定程度私的に占有できてくる側面と,他面では,そ

    れでも各個人は共同体なしでは生きてゆかれない程度の生産力であることからくる総体としての土地

    体に固有の二元性」として置き直したところが大塚共同体論の核となっている。なお,その場合の,「固有」という用語または訳語の当否に関しては後述する。なお,福冨(前出書)によれば,「1881年の有名な草稿において共同体発展の三つの継起的諸段階について述べたさいには,マルクスは,<農業共同体>(強意は原文では傍点,以下同じ─引用者)の解体から生じてきた<新しい共同体>のもとでは『耕地は耕作者の <私的所有>となっている』と強調して,耕地が『共同体の譲渡しえない所有』であったような<農業共同体>からこの<新しい共同体>を鋭く区別した。ところが,大塚教授は,マルクスがゲルマン人たちの共同体にかんして<新しい共同体>として区別しているものを,わざわざ『「農業共同体」の第三の,つまり最後の基本形態』と位置づけて,<是が非でも>これを<農業共同体範疇>のなかにおしこめようとされている。これは,大塚教授が<ゲルマンにおける新しい共同体>のなかに<農業共同体>の『固有の二元性』をもちこみ,このような『固有の二元性』を『共同体』諸形態の継起的発展とそれの崩壊の原理として主張したいからにほかならなかった」(432~433頁)としているのは,事実レベルでは鋭利な整理を含んでいるが,大塚の意図についてはやや穿った見方を含んでいるとも見え,さらに,「われわれがよく注意してみるならば,大塚教授のいわれる『固有の二元性』(中略)と,マルクスの指摘した「農耕共同体の構造に固有な二重性」(中略)とのあいだには,なんらの共通性もないことがわかるであろう」(433頁)と述べているのは断定しすぎであって,筆者はむしろこの相違点からは,マルクスに着想を得て「共同体に固有の二元性」の概念の射程を飛躍的に伸ばした大塚の創見を看取するべきであると考える。もっとも,福冨の上のような主張の真意は,「<大塚史学のユニークな特徴は,共同体原理を『近代化』への否定的契機として把握しているところにある>。しかし,人間の近代的解放をめざしたイギリス市民革命期においては『共同体』の再興を志向する運動こそが,客観的には,『地主のいない地主制』(絶対地代の廃止─原文)をめざす≪農業資本主義発展におけるもっとも徹底した道≫としてあらわれた。(中略)大塚史学は主観的にはどのように意図していようとも,<客観的には>,『共同体からの個人の解放』への道を志向することによって『近代化』のあのブルジョア・地主的な路線(地主的な清掃─原文)を支持しているのである。(中略)『近代化』への道を『共同体からの個人の解放』のなかに求めるのは,汚辱に満ちた原始的蓄積の過程を『富裕なヨーマン』の視座において美化する近代主義にほかならない」(408頁)という主張にあると理解すると,小稿の問題意識に照らして肯ける部分がある。

    27 前出・大塚久雄「共同体解体の基礎的諸条件─その理論的考察」。

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    商  学  論  集 第 85巻第 4号

    共有の側面─引用者](中略)を,まざまざと表現している(中略)

     究極的には,共同体という生産関係(すなわち土地占取関係─原文)のもつ,こうした二つの側面は,

    発展しつつある生産諸力の個人的な性質と,生産手段とくに「土地」の占取関係の直接に社会的な(す

    なわち原始的な─原文)性質と,この両者のあいだの矛盾を表出しているということができるであろう。

    マルクスの(ザスーリッチへの返書草稿における─引用者)表現にしたがえば,共同体に内在する「固

    有の二元性」にほかならない。(113~ 114頁)

    (中略)

     共同体は,それを構成する労働諸主体に即していえば,私的諸個人相互のあいだのゲゼルシャフト

    的関係を共同態すなわちゲマインシャフト的関係の外枠(すなわち共同組織─原文)の中に包みこみ,

    成員個々人の恣意的な活動が全体の順当な生活の再生産を阻害したりすることがないように,「共同態

    規制」の力によって一定の伝統的な枠の中にはめこんでいく,そうした生産関係にほかならない(中略)

     したがって,その内部にはらまれている「固有の二元性」は,さしあたっては,生産諸力の一定の

    発展度に照応して,共同体の特定の形態に生命力を吹きこみ,その再生産を軌道づけていくことにな

    るが,それとともに,ひとたび生産諸力の発展が一たび一定の度合をこえて進行しはじめるや否や,

    この「固有の二元性」はこんどは正に逆に,共同体の二側面すなわち共同態的(ゲマインシャフト的)

    関係の側面と私的(ゲゼルシャフト的)関係の側面とを互いに乖離させ,一方の,発展しつつある生

    産諸力の担い手たる共同体諸成員の経済的利害と,他方の,彼らの私的活動を特定の枠にはめこみつ

    づけようとする従来からの共同態規制と,この両者のあいだに救いがたい亀裂を生ぜしめるような方

    向に作用することになる(114~ 115頁)

     マルクスが[ザスーリッチへの返書の第三草稿の中で─引用者]次のように説明している(中略)

     「共同体は自分の体内に有毒な要素をもっています。(中略)不動産の私的所有が(中略)共同地に

    対して(解体の─引用者)攻撃を加えるための基地に転化しうるのであります。(中略)私的占取の源

    泉となる個別労働(中略)は動産,たとえば家畜,貨幣,(中略)の蓄積を可能ならしめます。(中略)

     ここにこそ,原始的な平等の溶解素があるのです。それは共同体の内部に,利害と感情の対立を惹

    き起こすような異質の要素をもちこみ,それによって,まず共同所有を打ち毀し,ついで森林,牧野,

    荒蕪地などの共同所有を,私的所有への<共同態的付属物>に転化せしめたのち,結局まったくの私

    的所有に化せしめるのであります」(中略)

     すなわち,共同体に固有な二元性が,生産諸力の発展に伴って,まず原始共同態を崩壊させたのち,

    (中略)共同体の諸形態を(個人の私性が眠っていて共同体に庇護されているような姿から,漸次,個

    人がより強固な力をもつ段階へと─引用者)つぎつぎに成立,さらに解体させ,ついに共同体一般を

    終局的に消滅させることになる,というわけなのである。(115頁)

    小稿では,これを逆から見る。つまり,「固有の二元性」ゆえに共同体が解体せざるをえないと理解するのではなく,逆に,「固有の二元性」ゆえに,共同体が構成員どうしの合議・合意にもとづいて公平・平等などの原則からなるルールを設定し,変化する内的外的環境に対応しようとしてきた仕組み,すなわち「共同体維持の論理」または「共同体における結合の論理」に着目する。また,「固有」(inherent)という用語であるが,これは,マルクスは「ザスーリッチへの返書草稿」

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    林 : 共同体史を現代にどう生かすか

    を仏語で執筆しており,「固有の二元性」は仏語で “le dualisme inherent”(英訳すると,the inher-ent duality)と表現されたものである。原語の形容詞 “inherent”は,「それがそれである以上どうしても免れない,生得の,刻印された,内在する,固有の,特有の,というほどの意味である。従来のように「固有の」と訳すことについて,マルクスが原古的・初期的(一次的)な「農業共同体」を対象として,それに独特の性格を付与する文脈では,さしあたり「固有の」という訳語も妥当する28。しかし,他方の大塚共同体論において,共同体史を通貫して見る見地から,共同体史を共同体の

    内側から進展させる推進力として「二元性」という特質を位置づける場合,さらにまた,小稿のように,共同体というものを,近現代も含め時期的にも機能的にも広く一般的に人間の結合ととらえ,その内的な結合の性質や集団形成の論理をさぐって現代の共同性の再構築という課題に生かそうとする観点をもつ場合にはなおのこと,「共同体(一般)に内在する(生得の)二元性」と表現した方が適当であるかも知れない(マルクスも,ダイナミックな共同体の変化と表裏の関係にある内在論理への着眼があった)29。

    28 マルクスがザスーリッチに対して返書の草稿をいくたびも書き直す経過を詳細に明らかにしてマルクス共同体論に新たな視点を提供した労作として,平田清明(1982)「歴史における必然と選択」『新しい歴史形成への模索』新地書房,179~285頁。マルクスは,1881年に「ザスーリッチへの返書」(草稿,本稿)を仏語で執筆したことに先行して,1870年代に『資本論』の仏語への翻訳を手掛けた。パリ・コミューンが現在進行形の実践としてある中でのことである。マルクスにおける仏語の問題(『資本論』翻訳と改訂,「ザスーリッチへの返書」改稿)は,1870~80年代に現出した時代状況や東西差異に対するマルクスの認識と不可分に結びついており,スミスにおける 1770~80年代の『国富論』「改訂」問題と照らし合わせて興味尽きないところであるが,小稿ではこの点に深入りする余裕がない。なお,前出(脚注 22)・菊池二稿を通じて,筆者は経済学の古典的文献の「改訂」や「改稿」という問題領域の奥深さに目を啓かれたことを付記する。

    29 前出(脚注 28)・平田「歴史における必然と選択」によれば,「マルクスが第一草稿においてすでに,ロシアの共同体を農耕共同体[第一次的な,初期的段階のもの―引用者]として把握し,その<歴史的環境>を問うた時,彼の眼前には,『共同体の生得な二重性』にもとづく『二者択一』の可能性が開かれていたのである。/この<歴史的選択を行うことを,ロシアは,いまなお,ゆるされている>。逆にいえば,西ヨーロッパですすめられてきた歴史過程が,ロシアにとっては(あるいはアジアのアフガン等では―原文)歴史的宿命であるのではない。<これを歴史的宿命とみなすのは,ブルジョアイデオロギーにほかならない>。このまさにブルジョア的なイデオロギーが,ロシアの革命運動を,毒している。こともあろうに『マルクス主義』の名において。/マルクスが第一草稿以来,語り出そうとしていたのは,そして第三草稿に凝集した言葉遣いで語りだしたかったのは,まさしく,このことであった」(237頁)。ところで,この平田の考察に関連して,マルクス第二草稿原文から,末尾の印象的な言葉のみ,摘記しておく。「多少とも理論的な問題はすべて度外視するとして,今日ロシアの共同体の存在そのものが,強力な利権屋たちの陰謀によっておびやかされているということを,あなた(ザスーリッチ―引用者)にいまさら言う必要はない。国家の仲介によって,農民の負担で養われているある種の資本主義が,共同体に相対峙している。この資本主義にとっては,共同体を押しつぶすことが利益なのである。さらに,多少とも生活にゆとりある農民を中農階級に仕立てあげ,そして貧しい耕作者――すなわち大多数――をたんなる賃金労働者に転化することは,地主の利益なのである。(中略)ロシアの共同体の生活をおびやかしているもの,それは(『資本論』を理解していると称している知識人たちが主張しているらしいことと裏腹に,―引用者)歴史的宿命性でもなければ,理論でもない。それは,国家による抑圧であり,また,この同じ国家が農民の負担と失費において強大にしてきた資本主義的侵入者による搾取である」(前出『マルクス=エンゲルス全集』第 19巻,403頁)。最終的な返書で,マルクスによる擱筆は,「この共同体はロシアにおける社会的再生の拠点であるが,それがそのようなものとして機能し

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    商  学  論  集 第 85巻第 4号

    もともと,マルクスの「ザスーリッチへの返書草稿」では,共同体が内包する集団と個人の両要素の関係は単純に個人が集団を凌駕していく一方方向の関係としてとらえられていたわけではなく,個人の要素がまさって共同体を解体してしまうか,集団の要素がまさって共同体を維持していくかは条件によるとしている30。次節以降では,共同労働,用水配分,共有地の個別割当という共同体の 3つの側面に焦点を当て,

    それぞれの中で集団と個人がどのような関係にあり,構成員の利害を調整して結合を保つためにどのような合議と合意が行われ,変化への対応がどのようになされるかという共同体維持の論理を抽出しよう。このような見方は,「共同体に固有の二元性」を,解体の原動力とだけ見るのではなく,その中

    で折り合いをつけながら共同体を維持することを通じて,共同体にダイナミックな生命力・変化へ

    うるためには,まずはじめに,あらゆる側面からこの共同体におそいかかっている有害な諸影響を除去すること,ついで自然発生的発展の正常な諸条件をこの共同体に確保することが必要であろう」となっている(前出『全集』239頁)。

    30 本文中で引用した大塚の記述の中で訳出されていたマルクスの「ザスーリッチへの返書第三草稿」では,共同体の各構成員(成員)による個別的な土地の耕作・用益,そして収穫物の所有と財産の個別的な蓄積が,「原始的な平等の溶解素」とされ,そこから土地共有の漸次的私有化と共同体の次の形態への展開(マルクスでは,奴隷制を含む二次的な形態)が進展するとされるが,マルクスの前出「第三草稿」では,この部分に続けて,「農村共同体の歴史的生涯がそういう結果になるように宿命的に決定づけられているということを,意味するのであろうか? けっしてそうではない。この共同体の生得の二重性は次の二者択一を許している。すなわち,私的所有の要素が集団的要素に打ち勝つか,それとも後者が前者に打ち勝つか。すべては,それがおかれている歴史的環境に依存するのである」と述べられている(前出『全集』第 19巻,407~408頁)。また,「第二草稿」では,「ロシアの共同体が属している原古的な型は,内的な二重性を自己のうちに秘めている。この二重性は,一定の歴史的諸条件があたえられれば,この型の没落(その解体─著者によって消された痕跡─引用者)をもたらしうるものであることに,だれしも目をおおうことはできない。(中略)土地の共同所有と土地の分割用益という,(耕作の進歩の一要素であった─同前)ずっと遠い過去の時代に有益であったこの組合せは,現代では危険なものになっている。(中略)[動産所有など私的要素が強まってきて共同体内部の利害対立が生じてきていることは事実であるが─引用者]しかしながら,共有の草地の用益においてロシアの農民がすでに集団的様式を実行していること,(中略)ロシアの土地の地勢が大規模に結合された機械制耕作をうながしていること,最後に,こんなにも長いあいだ農村共同体の負担と失費で生存してきたロシア社会が,この改革に必要な前払資金を農村共同体に返さなければならないこと,これらのことを忘れてはならない。もとより,いまここで問題にしているのは,共同体をその<現在の>基礎の上で正常な状態におくことから始まる漸進的な改革のことだけである」(同前,402~403頁)。ここで引用した部分におけるマルクスの「集団的様式」についての見方は,前出(脚注 23)・荒井(2007)「現代における『農業共同体』の性格と機能」が,現代日本の農業問題への共同体論の応用例として,農地の高度利用方式の構築に向けた「集落を通した取り組み」,「集落内調整による集団的土地利用秩序の形成」,「集落営農,集落農場制」,「零細・分散錯圃制を克服しての合理的農業・農法の形成」(83~84頁)という課題を挙げた際の視点と通底している。この点は,小稿の後段第 7節(「現代総有論への接合試論」)で再述する。さて,以降,小稿では,マルクスが 1880年代にロシアの農村の共同体をどう見ていたかということにこれ以上拘泥することはない。ただ,筆者は,マルクスがここで示しているようなロシアの共同体の行く末についての真摯な考察に共感し,数次にわたる改稿の内容から大いに汲み取るべきものがあると考えることを前提として(なお,前出脚注 22を参照),一方では,大塚のような,より透徹した(一貫した)視点から共同体史の内在的論理に迫る姿勢も必要であると考える中で,大塚共同体論と,マルクスの「返書草稿」を併せて見ることで,マルクス=大塚の「共同体に固有の二元性」を抽出しようと試みたものである。

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    林 : 共同体史を現代にどう生かすか

    の対応力をもたらす面があることに着目することでもある。大塚共同体論の中では,公平・平等などを原則とする共同体のルールは,「共同体規制」と呼ばれ,

    構成員の自由を縛り,共同体を温存させる害悪の意味でとらえられてきた。逆に見れば,共同性を保つための様々な工夫であり,後段で具体的に述べるように,環境変化に即応して,共同体構成員は,あるルールが合わなくなったら,ルールを修正して,別のかたちの共同性を内部から生み出すということをしてきたのである。前出・守田志郎『日本の村』の末尾から改めて引用しておこう。ここで守田は,共同体規制とい

    う一面的な見方を拒絶し,集団と個人が二元性をもちながら並存している共同体の,ルールや原則を次々に生み出し修正しながら存続していく生命力について,次のように述べているのである31。

     共同体規制ということばは,部落を悪とし,ついでに小農まで存在すべからざるものにしてしまう

    という,まことに恐ろしき魔力を[もつ](中略)

     歴史としてみれば,私的所有の胎生がはじまり,共同体的所有との間に矛盾が発生したときに,範

    疇としての共同体的所有が形成されるのである。

     今日でいえば,外部からの私的所有の衝動を拒みえても内部に形成する私的所有を否定することの

    できないという矛盾を抱えている部落は,それゆえに絶えることのなかった苦悩に耐えなくてはなら

    ない。だが,その矛盾ゆえに部落は不死身なのである。

    この文章に,最終節に改めて戻ってこよう。

    31 前出・守田(2003)『日本の村─小さい部落』(再録版),222~27頁。