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Instructions for use Title 根本原質の考察 : タットヴァサングラハ第一章訳註 Author(s) 今西, 順吉 Citation 北海道大學文學部紀要, 20(2), 147-227 Issue Date 1972-07-29 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/33369 Type bulletin (article) File Information 20(2)_P147-227.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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Instructions for use

Title 根本原質の考察 : タットヴァサングラハ第一章訳註

Author(s) 今西, 順吉

Citation 北海道大學文學部紀要, 20(2), 147-227

Issue Date 1972-07-29

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/33369

Type bulletin (article)

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Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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原タ

;質ヴ

ア のサ

F考フ

長察一訳章

西

)1買

土口

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国民

一一気 h ム司王ト令〉、 lトく総 1~時幅制一一

明~Q 寝耳匝長

* 出判

引ロ匹回4r

lA山申同

l

~8f. 1ト 1\-1-(ム

Tattvasai・¥grahaof Sãntarak~ita with the commentary of Kamala釘la,with an introduction by the editor and

a foreword by B. Bhattacharya, Gaekwad's Oriental Series Nos. 30, 31. か,,("ム信士:1、えぬ λ騒~óキ~1~騒~~臣長,..) 12 0

年単 -14匝餌 e常国民

,J 0制士i去三011C¥ 0信中長心盤的。

宇一),%-t-単 Q 十+1~長。平一 1 }司略。

1 1く一国岡部。

総 H時

ミヨヰ誘起4ミ心0l区出

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iJlR 1 1

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根本原質の考察

サlンキヤ派の主張

そこで根本原質(匂

grt)は作用を離れてい託ことを説明せんがためにサlγキヤ説を説示して云く、『あらゆる能

力を具備する』云々と仏

〔第七碩〕

ただあらゆる能力を具備する根本質料因(買主

EE)

る種々なる結果が生ずる。

のみから、本性上それ

(1根本質料因

と同一の性質を有す

『あらゆる』大なるもの

(目統覚機能

EEE)等の結果の集まりを生じ、

力を具備する』、

換言すれば

(かかる能力と)結合しているもの、

(根本質料因の)本質となっている『能

即ち純質

(g門吉田)・激質(円山古田)・騎質

(gBS)

-150-

るの』平

と衡カ状ピ 態ラを派3特(質11 とサすl るγ

キヤ派

これら大なるもの等の『種々なる結果が生、ず

(主張する。)『根本質料因のみから』という強調は時間・プルシヤ等を排除せ

『ただ』という語は主宰神を認めるサ

lンキヤ派

(ω忠

gg品gwS白)が想定している主宰神を排除

『根本質料因』

なるもの、

それ

『のみから』

んがためである。

せんがためであるo

『生ずる』とは直接的或は間接的に生起する、という意味であるo

それら

は次の如くであるo

根本質料因から第一に統覚機能

(σ昆仏

E)が生起し、統覚機能から自我意識(白

E巴内問

g)、

意識から声・触・味a

色a

呑より成る五の微細なる要素(窓口BMHR同)と一一器官官ロ仏ロヨ)が生ずる。(それらは次の

(u大なるもの等

の生起する生成過程

自我

ごとくである0)

五知覚器官

(ZEE昆5S)は耳・皮膚・眠・舌・鼻から成り、

五作業器官

(F258骨々と

は発声

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器官

-排滞器官・

あり、

ら水

呑tラミ 主':1戸 己嘱bつ出

w 地室長がで

:5jg寺三泊 n -0

主ぞ五れにのでご主徴いじ翠

。~ IJ:

らは五一元素が

る。9

苦 手ン

最品本 ナ

震ィー費容1う為雨 戸

主委長定:しさミふ持久h 、

Zに懇のよ N

って

(次のようにサ

iンキヤ

である。

は}イ:シ品ヴプラグ

それ〈芸大なるもの

から自我意識、

それから

ムハの集まりが

吏らにこ

の一六のものの中の五の

徴細なる要素

から

(生ずる0)』

と。こり組の中で

るあの』と法統覚機能の名称である。そして統覚機能とは、

れは瓶である

るしと

対象に関す

の作用を本賓とする。

しかる

「われは

「われ

しいL

云々の我

は執貰い「をうft!!.i特の糞

とす

」れに一反して

(gHMMZfと

る11O~

即ち次の如くである。

ラモ

γの)

に食物が存するい、

とそのように鐸いて、そこで被乙次の

{波}

惑があるだろうかと。かくの

は行かん。そ

t主

-1:51-

の酪があるだろうか、或は

(単な

の働きが意である。放に以上

のように統覚機能・自我意識・意の

は相互に差別府があると知るべきである。

(

F

したサ

iyキヤ績の中の)残りの

一五原理であ一明次に裁かれてい

は容易に理解され得る。これら大なるもの等と根本質料悶及

び純粋縞神GCHC羽田)

ウいのニ五露還を知れ

である。

如何なる

満足するとも、

また一掃髪・

するとも、

る。この占一に

H時

}

1bo』

北大交学部紀要

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根本原質の考察

上述の如くこれら『種々なる結果』が根本質料因から生ずるのであるが、仏教徒等によって認められているように

種々なる結果は原因から絶対的に差別されるのではない。そうではなく『それと同一の性質を有する』

(S骨ロ

zf)の

と分解して理解すべきであ(ヤ即ち三種の構成要素

である。

『それ』即ち根本質料因の性質即ち本質を有するもの、

(官官)より成ること等によって根本原質の本質を有するものとなっている。例えば世間に於て原因があるものを本質

とするならば結果もそれを本質とすることが認められる。例えば黒い糸で織った布は黒く、白い

白い如くである。それと同様に根本質料因もまた三種の構成要素を本質とし、同様に

糸で織った布は

(その結果たる)統覚機能、自

我意識、微細なる要素、器官、

元素から成る既顕現(〈吉宮出)

もまた三種の構成要素より成ると認められる。それ故

(既顕現は)『それ

(1根本質料因)と同一の性質を有するo』

また(構成要素と物質的諸原理とは)無区別(同三

2Eロ)である。即ちこれらは純質等(の一一一種の構成要素)である、

152

これは大なるもの等の既顕現である、と区別することは不可能である。そうではなくて構成要素なるものが既顕現で

あり、既顕現なるものが即ち構成要素である。

更らに既顕現・未顕現の両者は共に対象である。享受の対象

(F。理由)たることを自性とするが故に。

一切の純粋精栴の享受の対象なるが故に。稗女の如し。

吏らに

既顕現・未顕現

は共通的である。

また精神を本質としない。楽・苦・巌を感受しない故に。

また能生性を有する(匂

ggg門

F25古)。即ち根本質料因は統覚機能を生じ、統覚機能も自我意識を

意識も(五の)微細なる要素と一一器官を

(生じて自我

(生じて

微細なる要素は元素を生ずる。

それ故に三種の構成要素より成

ること等によって

『それ

(1根本質料因)

と同一の性質を有する』これらの『種々なる結果が生ずるo』

次に説かれ

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ている通り

る。

であり、

本繋料国間もその拐し。純粋精神はそれと反対にしてまたその如くなり

J

一一一穫の

ら成今、無区別加

対象にして

にして能生伎を有す。制松

と反対論者認次の如くに言うかも知れぬ

li「も

々なる結果がそれ〈日毅本管料因)と関

の性質を有する

であ

しからばどうして

(サ

1γキヤ

の)教典には

ているのか

J

ちイ

iシュヴァ一フグヲ

γ品ナによって次の如く説かれている。ド

吋援顕現は

れと反無対常なにりaしぷ)て

せず、作用をおし、多にして〈飽に〉依存し、沼市設し、

従属すσ

-153

と。ここに

る。統覚機能は根本資料閣によって

統党機詫

(原菌を有する〉

五の微細な

しかし未顕現はその招くではない。創作となれば未援護は知荷なるものか

よって原因配有し、

元素は微細な

よって

によって原因を翁し、

ることがないか

らである。

同様に既顕現は

である。生起

るが放に。しかし未顕現はその如くではない。米顕現は生記を

ない故に。

ぎた担本質料開削と純粋精神とは

-地上・空中の部制なる所に

のとし

るが既顕現はそ

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根本滋賀の考察は

既顕現は統党機能、自我意識、(

依って輸m畑、ずる塔禾額一部はその拐くではない。開となれば未一碧設

の如くに

輪廻時に

のとしては

ぃ。そうではなくて、既顕現は

ない』もの

〉器官から成る

の機官

(ZH問視同)

して、微細身に

のであるから作用を有することは

るが設に。

既顕現は

-自我意識等の

よって多種なり

められるが、

そうではない。

唯一で

あって、

の療関なるが故にc

援鎖視は吋(他に)依存する。い取が乙か

ならば甲は乙に

そのおくではない。

地の知府内なる涼悶の)結果でもない放に。

二二器官拭自我意識の中に、

微離なる要素と

は統党機艇の中に、そして統党機能は根本質料閣のやに帰減す一告しかる

即ち帰波時には諸元棄は徴績な

の市?に一婦滅し、

-154

焼額環は

帰滅に楠聞くいか放に。

に未顕現は都紛れなるものの中にも帰誠しない。部となれば未顕混には際闘が存在しない

崎支た既顕現は

O

る。』声・触・味・生・香を本質とする部分(白,

guN世話)

せるが放に。

しかるに未

その如くではない。根本質料爵

には声等は

められない故に。

に、既顕現は常に競悶闘を依り一刻としている故に他に耗麟し

に票田叫に依存することがない放に。

吏らに服部えば交の事命中は(彼の〉子は独立でないよう

ている。しかるに米露現はその知くではない。

(以上既述の〉

てを顧慮して

(rzwvE)云く、

とO

即ち第一義的な印川和自営芸岱)

2こt~仁

(既顕現は〉

しかし椴本原賀と罵畏物右民側却する特殊な開震にもとづいて上述

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の如き(根本原質と開展物との)区別があることは矛盾しない、

という趣意である。或はまた『本性上』即ち自性上

(印

gσ「同

42与)一二種の構成要素から成ることによって、

ものとして生ずるo

(従って)純質・激質・騎質の

(結果は原因たる)それ

(l根本原質)と同一の性質を有する

(釘)

(何れかが)多いか少ないかの差別にもとづく故に、

大なるもの

等という区別による一切の多種性

(gHSSE可苫)が

成り立つことは)矛盾しない、

という趣意である。

故に以上によって結果は原因自体の中に予め存在するということが主張されているのである。

しからば結果はいかにして生起する以前に予め存在すると知られるのであろうか、

問うならば)答えて云く、

『もしも』云々と。

〔第八頭〕

-155-

しかるにもしも結果が原因自体の中に潜勢的に存さずとするならば、結果を作ることは出来ない。無体(ロ丘町口匂苫)

なるが故に。空中の蓮華・のごとし。

敵者

(1サ

lンキヤ派)

は因中有果なることを成立させるために五種の理由を説く。

二定の果を得るためにはその)質料因を取るが故に、

とはない故に、能力あるものが可能なるものを作る故に、原因性の故に、因中有果なりo』と。この

『無なるものは作られざるが故に、

一切のものが生ずるこ

中の第一の理由を確立せんがために次のことが説かれるo

(以上の五因の)

『もしも結果が存さずとするならば』云々。

もしも原

因自体の中に、生起する以前に結果が存在しないとするならば、

(無なる)結果は何ものによっても作られないであ

北大文学部紀要

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根本原質の考察

ろ(勾o

空中の蓮華のごとくである。即ち次の論式が成立する||〔主張〕如何なるものであっても無なるものは何も

のによっても作られず。〔実例〕空中の蓮華のごとし。しかるに他拠の説によれば、結果は生ずる以前には存在しな

い。これは主張命題の述語(司削宮}S)と矛盾するものを認める誤りに陥ることになる。しかるにそのごとくではな

ぃ、それ故に胡麻種等によって作られる胡麻油等の結果は

作られる)以前にも存在する、

ということが確定す

るO

開顕せる状態として

『潜勢的に』(宮

rEf)とは潜在的形態(炉停止

HS由)に於て

(結果は生起する)以前に

という意味である0)

何となればカピラ派といえども

(原因の中に)存在することは認めないからである。

『無体なるが故

に』とは無自性なるが故に

という意味である0)

156 -

第二の理由(日ある結果を求めるときには一定の質料因を取る)

を成立せしめるために云く、『何故に』云々と。

(蜘)

もしも(因中無果ならば)無なることはこ切に)等しく妥当するにも拘らず、何故に籾等を区別して、

〔第九頚〕

一定の質

料のみを取り、他を

取ることが

ないのであろうか。

もしも結果が存しないとするならば、

その場合には人々がそれぞれ二疋の質料を取ることはないであろう。即ち米

粒を得ょうと欲する者は

(その質料因として)米籾のみを取って、雑穀の種子を

取ることは

雨入、。

ふん、LV

同様に、

一「

日われはバラモンに食事を供せん」と(予定して)酪を得ょうと欲する者は乳のみを取って水を

取ることは

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ぃ。この場合に

(もしも原因中に結果が存在しないとするならば)米粒が籾等の中に存しないのと同様に、雑穀等の

それ故同γ

米粒等が存しないことは全てについて等しいのに、どうしてそれぞれ

中にもまた存しないのであるから、

一定の籾等のみを取って、雑穀等を

取ることは

ないのであろうか。

「米粒を得ょうと欲する者によって雑穀等もまた

しないことは(全てに関して)差別、が存しない故に。」

(質料因として)取られるべきである。

(結果が原因の中に)存

という

(サ

キヤ派の帰謬論法に対して)もしも(仏教徒

が)「米粒等の果は無(古ロ苫)なるが故に人々によっては取られないのであるo」と云うならば、もしもそのごとくで

あるならば、

籾もまた米粒を得ょうと欲する人によって取られるべきではない。

米粒は無なるが故に。

雑穀の種子

(の中に米粒がない)ごとし。しかるに

実際には

その如ではない。

それ故に原因の中に

(SRとその結果は予め

-157-

存在するということが知られる。

第三の理由を成立させるために云く、『またすべての」云々と。

〔第一

O煩〕

またすべての生起する性質あるものはすべての事物(寸「似〈とから生起することになるであろう。

何となれば

果の)同一性を離れていることはこの世に於いてはすべてに関して差別されない故に。

もしも「予め存在しない結果が生起する」

泥-粘卦干のすべての事物(冨吉正)から金・銀等のすべての結果が生ずるであろうo

何故であるかo

『何となれば

というのが、

汝ら

(仏教徒)

の主張であるならば、

その場合には草・

北大文学部紀要

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根本原質の考察

(因果の)同一性を離れていることはすべてに関して差別されない故にo」即ち

汝の主張によって)言おうと欲せ

られているところの、

草等の事物との同一性を離れていることは、

(金・銀等)生起するすべての事物に関して差別

(因中有果論を成立せしめる論拠の聞には)前には原因の面から帰謬論法が説か

れさ、 れ

こ なれいか 故らにt土3s、結)と芳ミ し、の内面趣か意りで

あるO

(帰隈論法が説かれる)

という区別が存する。そしてすべてのものからすべてのものが

生ずることはない。それ故に「甲に於てのみ乙は生ずる故に」というこの定めのあることが理解される。

反対論者は次のように言うかも知れぬ!||「それぞれ一定の結果に対して原因の能力は一定している。それ故に結

果が

(原因の中に)予め存在しているとしても、或る結果のみが作られ、空中の蓮華は

ある質料因のみを(原因として)取るのであって、何ものでもよいというのではない。或る(結果)のみが或る

ない。しと0

(

この

作られ

ない。或る能力の原

-158 -

因)から生ずるのであって、如何なるものであっても如何なるものからも(生ずるというのでは)

非難に対する)

返答を述べることを装って、第四の理由を成立させるために云く、「能力の』云々と。

〔第一一頭〕

これらの

原因の)能力は決定している故に、

キヤ派が仏教徒を攻撃して主張する)如くではない

(u結

果は原因の中に予め存するのではないて

る原因は可能なる結果のみを作る故Ur

という(仏教徒の主張)もまた返答とはならない。

何となれば能力のあ

(頭の中の)『これらの』

とは原因として認められている事物の

という意味である0)

『そのごとくではない』

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は既に述べたごとき論難(告官恒印)は成立しない、

という趣意である。

仏教徒等のこの

返答

は返答とはならな

ぃ。何故であるか。何となれば能力のある原因であっても結果を作り出す際には作り得る

結果

のみを作るのであ

って、

不可能なる

(結果)を

作ることは

ないからである。

反対論者は次のように主張するかも知れぬ

ll「汝が禁ずるところの、

(原因は

不可能なる

(結果)

を作る、

いうことを誰が言ったのであるか。

そうではなくて、

(予め原因の中に)存在しないとしてもその結果を作る、とい

(結果は)それらの原因にとって作ることの可能なるもか凶外な

うだけのことが説かれているのである。そしてこの

らないOL

これに対して答えて云く。

しかるに無体にして不変成であり、

添加的限定を附加され得ない(国防

Mq阻止宮百)ものは、

変成する際に本質をお

-159~

〔第一二頭〕

のずから捨て去ることになる故に、どうしてそれらの

(原因

によって作られることがあろうか。

(サ

Iンキヤ派

は次のごとくに考える。

(汝等仏教徒は、原因は)予め存在しない結果を作泌)ということを認め

るのであるから、作り得ない

であり、無体なるものは兎の角等の如く「添加的限定を阿加され得ないもの』である。即ち添加的限定を附与され得

ないものである。そして添加的限定を関与され得ないものは虚空の如く『変成しないもの』(間三

E巳同乙である。かく

(結果)

を作る、

ということが意味されている。

即ち無なるものは

『無体』即ち無自性

の如き限定的性質が添加されないものがどうして何ものかによって作られるのであろうか。もしも(仏教徒が)「(無

北大文学部紀要

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根本原質の考察

であっても)有叫ん仏態を獲得する故に変成するo」

と云うならば、これに対して云く

『変成する際に本質をおのずか

らー捨て去ることになる故に。』と。即ち、何となれば『変成」を認めるとするならば、存在しないと説かれるその『本

質』即ち自性をおのずから捨て去ることになるからであるo

実に無なるものが自性を捨てずして有限を獲得すること

は正しくない。或はまた

(自性を)捨てるならばその場合に無なるものが有性を獲得するということは成立しないで

あろう。何となれば有性と無性とは異るからであるo

何となれば両者は互に他を排除することによって成立する故

に。それ故に予め存在しないものは決して作られ得ない。実にかくの如き事物を作ることを認めるならば、諸の原因

は不可能なるものを作ることが認められたことになるであろう。しかるに不可能なるものは如何なるものによっても

作られることはない。例えば空中の蓮華のごとくであるo

それ故に「能力はそれぞれ二疋せるが故に」という(仏教

徒の主張は

正しい答ではない。

~ 160.,.

第五の理由を成立させるために云く、『かくの如く結果は』云々と。

〔第二ニ頚〕

かくの如く(以上説いたところによって因中無果の主張では)結果(の形成)は不可能である故に、(種子等は)何

を作り出して原因となるのであろうか。それ故に種子等、が原因であることもまた想定されない。

「かくの如く』即ち直前に説かれた道理によって、換言すれば前述の四つの根拠にもとづいて、因中無果論の主張

に於てはどのようにしても『結果は不可能なるが故に』種子等は

『何を作り出して原因となるのであろうか。』

それ

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故に次のように

ことが出来る。

露関ではない。結果が存在しない

に。空中の

のどとし、

とG

しか

みに

には

かくの

炉、キlh

ト点、

o

v

p

b

電子Jtv

に反対である。

って、生起する以前に結果は存在する、ということ

が確定した。

反対論者は次のように言うかも知れぬ

;i「結果は

る以前広

に)存在するということが以上むよ

うに

々なる結果が根本綾料問のみから生ずる、

ということはどうして成立するのぜ

O L

それ故に一辺く、

そき

…広々と。

担額〕

また議議現は楽等を具有する

(毛田}伯仲間HHM)

るO

'-

に於て浄福(育器開門山由〉・

(SM)岱)

-161 ~

等の結果が認め

{円制

V

る故に。

ところで線本質料閣の

ために五つの誇定的論法

(452む)が

ーンキヤ援の中に

lr」、

ふ々ぃ

IUW

次に読かれている通つである。

限定がある設に、

間加が存する放に、多様相

t土

間以遠の)能力によ-って生ずる故に、

(本質的には)無差別別なるが故に、露国たる禾顕一視は存在す一学』

に)属する故に、

の在

。〉

〈サ

1ンキヤ

付根本資料悶は存在する。諸の

は間限定がある放に。この世に於いては如何なるもの

の能作者が存住

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根本原質の考察

するならば、それには限定があることが経験される。例えば陶師は限られ土塊から一プラスタ或いは一アlダカを容

れる限られた瓶を作るごとくである。そして大なるもの

(1統覚機能)等の既顕現は限定されていることが経験され

ている。即ち統覚機能は一であり、自我意識は一であり、微細なる要素は五であり、器官は一一であり、

元素は五で

あるo

それ故に我々

木質料因は存在する、

(サ

キヤ派)

は次のように推論によって論証する。||限定ある既顕現を生ずるところの根

と。もしも根本質料困が存在しないとするならば既顕現は無限定となるであろう0

0また次の理由によって根本質料因は存在するo

個物は

原因の類に)属することを経験する故にo

実に甲が乙と

甲は乙から成る原因から生じたのである。

瓶、小皿等の個物は粘土を本質とする原因から生じたごとくである。そして既顕現出ぼ・苦・厩等に属することが認

いう類に属していることが認められるならば、

例えば粘土の類に属する

められる。如何なる根拠によってであるか。何となれば静福・苦痛・落胆等という結果が認められる故に。即ち純質

の結果は浄福(官同国包日)・軽性(戸間関『ミ同)・渇望(同

FJgbm山田)・喜悦(ロ

EEZ同)・歓喜(官HH乙であるo

楽(田口

rg)と

は純質そのものが意味されているのであるo

激質の結果は苦痛(片山ー宮)・乾燥(吉田国)・破壊

(FE出)・凝結(印

gBF出)

・怖れ

(E4巾官)・不幸によって心が動揺すること(同宮号巾ぬとであるo

そして激質は苦

(ErFE)である。騎質の結

果は落胆(宣ロ苫)・覆蔽(同

428白)・疲労(閉包

iN・消滅

(FS召g)・嫌悪

(σHFLM)・重性

(mgES)であるo

-162ー

そして錨質は廃

(B。}g)という語によって言い表わされる口大なるもの等には浄福・苦痛・落胆等の結果が認められ

の特殊な配合である、という

るo

それ故にこれら

大なるもの等の既顕現

は楽・苦・療という三種の

(構成要素)

」とが確定するo

それ故にこれら

(既顕現)

の浄福等の結果にもとずいて、楽等の

を具有することが成立す

る。そしてそれ(三種の構成要という類)

に属する故に、それから成る根本原賀から生じたものであることが成立す

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る。またこのことが成立するならば、うちに含められた意味にもとづいて根本原質なるものは根本質料因であるo

れ故に「根本質料因は存在する。

回出品川u+4

,411dnHEBUu‘

原因の類に)属することが経験される故に。」

という(頭の主張)が確定

した。同

開また次の理由によって根本質料因は存在する。

『(結果は原因の)能力によって生ずる故にo』

」の世に於ては如

何なるものに対してであってもそれに対して働く者はそれに対して能力を有する者

(EEとである。

(働く)ごとくであるo

それ故に我々は次のように論証する。根本質料

vf

布を

織る能力ある)織人が布を織ることに対して

因にはそれによって既顕現を生ずる能力が存する、

と。そしてこの能力は依所なくしては成り立たない。それ故にそ

」に於て能力が存するところの根本質料因が存在する

帥また次の理由によって根本質料因は存在するo

『因果の区別が存する故にo』この世に於ては因果の区別が経験さ

-163-

れるo

例えば土塊は原因であり瓶は結果である。そしてそれ

(1瓶

は土塊から区別される白性を有するo

即ち瓶は

蜜・水・乳を容れることが可能であるが土塊はそうではない。同様に大なるもの等という結果を見て、

(原因である)根本質料因が存在する、と我々は論証する。

それから大な

るもの等の結果、が生じたところの

同また次の理由によって根本質料因は存在するo

『多様相は

(本質的には)無差別なるが故にo』多様相とは=一世が

意味されているo

これらは帰滅時には或るものに帰して無差別となるo

即ち五元素は五の微細なる要素に帰して無差

(帥)

別となり、微細なる要素と五器官は自我意識に、自我意識は統覚機能に、統覚機能は根本質料因に

(それぞれ)帰

して無差別となる。それ故に以上のようにして帰滅時には三世は無差別となるo

『無差別』(同三

σrz一回)とは無区別

(間三4岳山)である。例えば乳の状態に於ては乳と酪とは異る、

と区別することは出来ない。同様に帰滅した時にはこ

北大文学部紀要

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根本原質の考察

れが既顕現であり、これが未顕現である、

と区別することは出来ない。それ故に大なるもの等という帰投するもの

(-zm同)がそれに帰して無差別となるところの根本質料因は存在する、

それ故に頭の中で(え

E)尊師(シャ

lンテイラクシタ)によって、

とわれわれは考えるのある。

サーシキヤ顕一五の五つの理由の中から)「(結

果は原因の類に)属する故に」という理由のみが説かれ、他の

四つの理由

を暗に含めて意味しているのである。

頚の中で『楽等』という『等』(包

ip)

の語によって苦と療とが意味されている。『既顕現』とは大なるものをはじめと

(元素に)終るまでである。『明瞭に検証される』とは明らかに認識される、という意味である。どのようにしてで

しあるか。故に云く、『浄福等』云々と。『等』という語は

浄福・苦痛・落胆という三つの語の)それぞれに結びつけ

られる。このことは既にわれわれが説明したところである。

以上のように『(結果は原因の類に)属する故に』というこの理由が成立することを示して

(次に)証明根拠

-164-

(℃

55MH恒国

i)

を構成するために云く、『それ故に』云々と。

〔第一五頭〕

それ故に

既顕現は

それ

(l三種の構成要素

より成る

原因

から生じたものである。(既顕現が

その類に

属することを経験する故に。瓶等の個物(はその原因たる粘土の類に属する)ごとし。そしてこの

原因

は根本

質料因である、

とカピラ派は

(説く0)

「それより成る

(原因)

から生じた』(窓口自由吉田山Brr宮田)とは楽等から成る原因から生じた、

という意味であ

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る。

これは論証さるべき命題(印包-rヨ)の提示であるo

『その類に属することを経験する故に』

(SUMHd・-22国MS・-

円四日小山口同件)とは理由である。即ち=一種の構成要素を特質とするその類に属することを経験する故に、

という趣意であ

る。『瓶(吉宮)等の個物のごとし』とは瓶

(my丘戸)等の個物のごとし、

である。

それ

(l一ニ種の構成要素

より成

る原因なるものが『根本質料因』である、

と『カピラ派』即ちサ

lγキヤ派は説く。

仏教徒からの反駁

『そこでこの問題に関して』云々という(次の頚)

によって論駁を開始する。

〔第一六碩〕

-165-

そこでこの間題に関して思慮ある人々は次のように言う。(結果が予め原因の中に)存在するという(サ

キヤ

派の)主張に対してもまた

(サ

lγキヤ碩第九に説かれるのと同一の)詰聞が等しく妥当する。(そしてまた)この

詰問

に対する汝等(サ

lγキヤ派の

返答は思慮ある

(仏教徒)

にとってもまた等しく(返答となる0)

(臼)

さて先ず最初に根本質料因のみから(生じた)

これら(大なるもの等の)種々なる結果は根本質料因と同一の性質

と説かれたこと(内閲して、次のように考察が加えられるo

もしも種々なる結

を有するもの

(g骨口宮)に外ならない、

果が根本質料因を自性とするものに外ならないならば、

しからばどうしてこれらがそれ

(H根本質料因

から結果と

して生ずることがあり得ょうか。何となれば甲と乙とが区別されないならば、甲は乙の結果であるととも原因である

北大文学部紀要

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根本原質の考察

である、

ことも正しくないからである。何となれば、原因と結果とは木質を異にする故に。そうでないとすると、これは結果

これは原因である、という裁然たる限定がどうしてあり得るであろうか。それ故に根本原質(自己名門長田)

元素と器官とから成る一六の集まりは結果たるのみであり、統覚機能と自我意識と微細なる

は原因なるのみであり、

要素とは

開展の系列に於いて)前の

(原理)

と後の

(原理)

との相対的関係によって原因でもあり結果でもある、

という、汝等によって作られた限定は成立しないであろう。

(汝等のこの主張はサ

Iγキヤ頭の中に次のように

かれている通りである。

『根本原質は非開展物であり、大なるもの等の七は原質にして開展物であり、

る。純粋精神は開展物でも原質でもないo』

一六のものは開展物なるのみであ

のは相互に異ならない故に、すべてのものが結果であるか原因であるかの何れかである、

という過失が附随するであ

-166 -

とO

(それにも拘らず汝等は既顕現は根本原質を本質とするものである、

と主張するのであるから)実にすべてのも

ろう。

或いはまた因果関係は相対的依存関係官官FtEオとであるから、

(今の場合すべてが結果或いは原因となっ

て)依存すべき他のものが存しない故に、すべての

(原理)

は純粋精神のように原質でも開展物でもないことになる

であろう。そうでないとすると

(原質でも開展でもないと汝等らが主張するところの)純粋精神をも原質にして開展

物であると呼ぶことになるであろう。そして次の如くに説く。

『酪なるものは乳であり、乳なるものは酪である、

(田)

説かれた。』

と説者ルドゥリラによってヴィシドゥヤヴァ

lシンたることが

また既顕現は原因を有すること等の性質と結合し、

未顕現はこの反対である、

と説かれたこともまた子供の鏡舌

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〈のご

のないもの

外ならない。

ば開↑が乙

工、立

中/zuw

ナJ

弔(有国など)が乙の

反対(無因など〉

ということは悲しくないからである。持となれば

〉対立するもの

は(平と異る

市品,4

2

ること

る故に。

でない場合には

い表わすこと

ることになる

ぅ。それ放

。激質・殴羽質と精神伎の根立の

めることは根拠のないことになるであろう。そして全世界

ば一体(各部品刷出)であることになるであろう。それ故に生起と消滅とが同時に起るという過失が附鑓ずることにな

(れ〕

にするもの〈開設苫-m向}同君誌となるが放にc

それ放に

る。何となれ

るこ

しているものは

の自体と異ならないの

るから、

に露間仰を有すること等の

1して

いることとなる。

いは既顕現もま

い故に、その

(持)

米顕現の)自体のごとくである。

{t~こる不こ定とで、 Vと二

あ(なるきる。で

そるうろでうな O

L 、とすると

なれば未顕現のI性

-167 -

を破壊してまで

った佐賀が〉

に広三適用される

とになるであろう。

に支た間果関係は宵建的論法窓口

44とと石川定的論法

(43Rrとにもと、すいて

るということ

によって根本費制約儲から大なるものが

ずる)云々のことが成立するところの、根本質料問等から大なるもの

いて認められている。

かるに

大なるものから自我意識が

Lr)

ることに関しては、お

持なる肯定的論法も夜定的論法も成立しない。それ故に線本質料器等か

hh

、。

チん‘,v

るもの等が生ずるというこの言い表わ

しt主

ないもの

吏らにま

るものにはそれによって張本質料開か

々なる結果が生知的ずることが成立するところの原菌性

(w町民営

15m仰ぎ〉は存在しない。何となれば常訟なるものにとっては、議時にでも問時にでも実擦の

るこ

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,l: ?ま

る設に。

(サ

lγキヤ派時以〉次のように

るかも知れぬ;!i「以前には

しなかったす

ZHS〉自性が主起すること

によって器果関係が成立するのである、

(サ

キヤ

は認めているのマは沿い。その

こみlh

7dt

〈原因と結巣の

区間加が

いとすると、

(日間果関係

t主

てしまう。

ではなくしてわ

れわれの

る因巣問機係は

に採られているの

野ち

(とぐろ

いていた)蛇

一おわれ、大なるもの

11

根本質 zl料も問先の)叩等

の形態

(宮HFtzg)

に、大なるもの

の第密であると

ける)等のごとく、議本質料国

」“

ぃ。仰となれば(次

にそれの

して

い表わ

る。そして

変化は同一の実体役依り所とするものであるから

)区尉きれないとして

ないよと。

守口℃出)を捨て

ることによって

立っか、

て去らずして成り立つかの何れかである。

mw)

るで怠ろう。何となれば老年なるこ

もしも捨て

168

は正

即ち変化は以前の木

ずして

が成立する〉

るならばその

の状慈

に於てもまた

の状態である

の状態が存するこ

めることになる、

という過失が樹認し

に。また

以前の

捨て去ることによって

(変化が成立する)

とする

その場合に

ることになるという過失が慰絡して

それ故にHM読の自性が滅して、以前に存在しなかっ

の自性が生認

するのである。それ故に知仰なるものにとっても変化は或立しない

にまた

は(同一のもの

一日憶を保ちながらしかも)飽のものになること守口事手側一法的吉田)を特

質とするい

るのそして他のものになる

とは(事物について〉部分的にである

いは全体的にであるかの

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何れかであろう。先ず最初に部分的に

起る

のではない。

一なるものには部分は存在しない故に。また全体的にも

起ら

ない。何となれば

(全体的に他のものになることによって)それとは異なる他のものが生起する場合には以

前のものは滅する、

という過失が附随する故に。それ故に同一のものが

自己同一性を保ちつつしかも)他のものに

なる、

ということは正しくない。何となればそれ

(1他のものになること)

は他の自性が生起することにもとずく故

Vこ。またもしも(サ

キヤ派が)「変化とは現象的存在である属性の主体の或る属性が退隠すること(巳

4E)によ

って他の属性が顕現すること(官包己rr同J

主であると云われるのであって、自性が・他のものになることにもとづ

(位)

いて(変化があると言われるの)ではない。L

と言うならば、

この(主張)は正しくない。即ち顕起しな542S白川吉田)ま

-169 -

た退隠する属性は属性の主体とは異なれるものたるものであるか、或いは同一のものたるものであろう。もしも異な

れるものたるものであるとするならば、属性の主体は同一の状態を保っている故に、

どうしてこれが変化したと言い

得るであろうか。何となれば(瓶等から)異なったものたるものである布や馬が生起したり滅したりする場合に、

れによって)自体に影響を受けることのない瓶等には変化は起らないからである。(或るものの変化がそれと無関係

な他のものに対してまでも)過度に適用されるという過失の故に。かくのごとくであるならば

無変化

であると汝

等の主張する)純粋精神もまた

(それと無関係な根本原質等によって)変化するものとなってしまうであろう。もし

も(サ

lソキヤ派が)「或るものと結合している二つの属性(の一方が)生起し

ものに変化が起るのであって、

他方が)滅することによって、その

(それと関係のない)他のものに変化が起るの)

ではない、」と言うならば、それは正

しくない。何となれば有とであっても無とであっても結合することは存在しないから、(属性の主体が)属性との結合

北大文学部紀要

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根本原質の考察

の依り所(窓口宮ロ〈FE)であることは成立しない故に。即ち結合は有(なる属性)

とであるか、或いは無(なる属性)

とであるかの何れかである。先ず第一に有(なる属性)

とではない。何となれば有(なる属性)

は残りなく自性を獲

得することによって存在する

(gB包E官Sl同宮古田SZug-gB間宮邑)のであるから

って何ものかに従属することは正しくないからである。(結合は)無(なる属性)とでもない。無(なる属性)

(他のものを)

必要とせず、

という名称以外の

一切の二次的名称(石川HFF可同)を離れていることを特質とする故に、

ことはあり得ないからであるo

何となれば兎の角等が何かに依存して存在する(忠岡町田)ということは正しくないから

如何なるものにも依存する

である。

(属性の主体である基体から)離れた他の属性が生滅する場合に変化が

起るのであるとは)汝等によってもまた

状態が異なる場合に汝等にとっては変化が確定するo

しかるに

(退隠する属性と顕起する属性というこつの)属性

170 -

確立されているのではない。しからばどうなのであるか。本質たるものである一なる自性は存続(白ロロ4立広)するが、

が属性の主体と異なっているのであるならば、

(皆目白ロ)は属性の主体に外ならず、しかもそれは

一なる自性の存続は存しない。何となれば二つの属性の一なる本質

(二つの属性)

と異なっているからである。それ故に本質たるもの

また顕起しつつある属性及び退隠しつつある属性と異なり、

(幻)

れ得るという特質を獲得せる属性の主体は如何なるものにとっても認識の領域に入ることはない。それ故にかくのご

である一なる自性の存続は存しない。

しかも)知覚さ

ときものは賢者にとっては無として言い表わされる対象に外ならない。

(叫

またもしも(サlンキヤ派が)「(属性は属性の主体と)異なれる'ものではない」と主張するならば、その場合にも

また退隠し生起するこつの属性は一なる属性の主体の自体と異ならないのであるから、

(この二つの属性)もまた属

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性の主体の自体のごとく一であることになる。それ故に何を依り所として属性の主体或いは属性は変化するのであろ

うか。また二つの属性は状態の主体(毛田洋ゲ虫色たる属性の主体と異ならないのであるから、状態の主体の自体と同

様に退隠することも顕現することもない。また属性の主体は二つの属性と異ならない故に属性の自体と同様にそれま

で存在しなかったもの(毛可

S)が生起し、それまで存在していたもの(℃ロヨ白)が滅するo

それ故に如何なるもので

あっても同一なるものが変化することは成立しない。それ故に変化にもとずいてであっても汝等(サ

1γキヤ派)が

因果を言い表わすことは正しくない。

(

)

(

)

以上の論難は明瞭である故にこれで打切り、反対者が因中無果論に対して説く論難を後に反論することにしよう、

(サ1ンキヤ派が因中無果論に存すると主張する)過夫に同意することを

装って(百円吉l仏O官

18同EE14旦g同)先ず第一に因中有果論を論難する、「そこでこの問題に関して』云々と。

『思慮ある人々』(田口岳山苫『)というのは仏教徒(怒己官芯}乙であり、彼等が三一口う』のである。「無なるものは作

(回)

られざるが故に」云々ということによってなされた五通りの難語

(8岳ロU)

は『(結果が原因の中に)存する

著者シャ

テイラクシタは)考えて、

-171-

という

主張)

に対しても』即ち因中有果論

(g停同

42包向)に対しても等しくあてはまる。

即ちこれを次のごとくに言い表

わすことが出来る

ili「有は作られざるが故に

(8仏l白EHZ聞け)、質料国を取る故に、

因中有果

あら-""~切己J90が

切から

生ずる

J01il「因中有果」

はない故に、

に「あらず」吉田)、

能力あるものが可能なるものを作る故に、原因性の故に、

と離れて説かれている言葉と結合するo

何故であるか。「有は作られざるが故に、質料因を取る

故に、

云々」の理由によってである。そして

となるのであるから、

その

(同じ理由)

(サ

キヤ派と仏教徒の)両者にとって(同一の理由が等しく)過失

によって一方(のみ)が難詰されのは正しくない。反対論者は次のように主

北大文学部紀要

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根本原質の考察

張するかも知れぬ1il「一方にとっては無は作られざるが故に、というかくのごとき難詰があり、他方にとっては有

というかくのごとき難詰があるのに、どうしてこの共通性

(852凶)が存すると言えようかOL

は作られざるが故に、

それは正しくない。何となれば

ソキヤ頭の中で、因中有果と無なるもの向田由同とを除いた)作られざること(同

EE21)、

のみを言おうとしてこのことが説かれるからである。因中有果論に於てもまた作られざること等は等しく(根拠とし

て採用されている)故に。そしてこの難詰に対する因中有果論者たる汝等の返答なるものは因中無果論者たる思慮あ

ともなるであろう。

(汝等は仏教徒の反論の)趣意を熟知していないからであるo

何となれば

前掲サl

一定の質料因を取ること等

る人々、即ち仏教徒の

(返答)

どうしてこの

(難詰)

は共通なのであろうか。これに関して

次に)述べる1||

『もしも酪等が』云々と。

-172-

〔第一七頚〕

もしも酪等(という結果)が(その質料因である)乳等の自体の中に完全に存在するのであるならば、既に存在し、

原因等と類似する本質を有するそれら

(の結果

にとって、何が生ぜられるべきであるのだろうか。

'-ー

(頭)

は「有は作られざるが故に」というこの(根拠)を成立させるために(説かれたの)である。もしも『乳

等の自体の中に』即ち乳等の自性(印

S吾川吉田)の中に『酪等』を特質とする結果が『完全に』

(822E)即ち全的に

(g352似)、換言すれば現実態に於けるように吉田舎五〈SE4kq特殊な味

(gg)・薬効

(4HH苫)・消化(〈宮町白)

等の点で

乳等から)区別される本質守口宮)

によって予め存在するとするならば、その場合には予め存在するそれ

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にとって如何なる本質が生ぜらるべきであろうか。そのこと(1生ぜられるべき本質が存すること)によ

って酪等は乳等という原因によって生ぜられるのであろうけれども。『原因等と類似する本質を有するもの』とは原

因等と類似せる本質がそれにとって存在するもの、と分けて解すべきであるo

『原因』とは根本原質である。『等』と

(叩)

いう語によって精神(口巳窓口百)が意味されている。

ら(酪等)

また『それら

酪等

の』本質は現実態に於て存在するもので

あり、

(従って)更らに生ずべきものにあらずして完成せるもの

(己申宮口口問)

であると知られる。

以上によって

(サ

iンキヤ説に於ては)因果関係が破壊されるという過夫が附随することを証する二種の証明根拠

が説明された。

〔第一八頭〕

-173-

さて証明根拠を明らかに説くために云く、「原因から生起せるもの』云々と。

その結果(である大なるもの等及び酪等)

は原因(である根本質料因及び乳等)

から生起せるものではない。何と

なれば

(結果は)

予め存在する故に。あたかも原因(たる根本質料因)

と知(たる純粋精神)

とのごとし。それ故

に想定せられたる

根本原質や種子等

は原因ではない。何となれば

それら

t主の)

本成性立のせご しと(めし~らO る

"" きものカミ

在しない故に。あたかも(原因を有さずと想定されている)他者(なる純粋精神)

『即応因』とは根本質料因及び世間一般に認められている乳等であ問。

『その結果』

とは大なるもの等及び世間一般

に認められている酪等である。『存在する故に』

(82E品)とは存在するが故に

(83、同乙であるo

『原因と知

(i邑)

北大文学部紀要

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根本原質の考察

る。

原因とは根本質料因及び世間一般に認められている乳等であり、

この両者に等しい、という意味で

とは、

知とは精神

(SEロヨ)であ

とのごとし』

『原因と知とのごとし』と言う。

(従って)次の論式が成立する。

(主張)完

全に

(gヨ凶}内間同2同)存在しているものは如何なるものによっても生、せられない。(実例)例えば根本原質或いに精神

のし完Eごカミ とるしVこ O

(原因の中に)現実態に於て存在するo

敵者の主張によれば酪等は完全

(サ

Iγキヤ派によれば)結果は

に予め存在している「それ故に能遍

(43宮}S)

(問)

のではない。生じ得ない特性(阻止宮古)が生ずるとするならば、

と矛盾せることを認めるという過夫が附随する。また理由が不定な

(山)

ご切のものが)生ずることになる、

という過夫が

附随すること、及び無限湖及(同

E52E)の過夫が附随することとが

(サ

lγキヤ派の主張

を無効にする根拠であ

-174-

るo

何となれば既に生じたものであっても再び生ずるという過夫が附随する故に。

(サ

lγキヤ派によって)結果たることとして想定されているものが結果ではないことになる、

(防)

う過夫が附随することの論証

(S似合E)がなされた。

以上のように

とL

さて次に原因として想定されているものが原因ではないこと

になるという過夫の附随することの論証をなさんがために云く、

『それ故に想定されたる云々』

と0

(

この文には

想定されたる事物(宮仏側三宮)

と言葉を補って解すべきである。

それ故にこの意味は次のごとくであるo

根本原質

(50FHUErt)等及び種子・乳等(原因として)想定されたる事物は

汝等が)言おうとするように大なるもの等及

び酪等の原因なのではない。能生因

(VEE)という言葉にふさわしいものとはならない、

という趣意であるo

如何

なる理由によってであるかo

『成立せしめらるべきものを有しない故に。』成立せしめらるべきものを有しないとは、

このものには成立せしめらるべきものが#在しない、

という意味であり、

その状態が成立せしめらるべきものを有し

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ないこと

(宮山門

-ru『

m54同)

である。

このことは直前に説かれた結果たることの排斥にもとづいて確立する。

それ故に

(直前をうけて)『それ故に』と説かれたのであるo

『他者の本質のごとし』とは他のものの自性のごとし、

であるo

原因を有しないと想定されている実体の自性のごとし、という趣意である。そして原因を有しないと想定されている

(削)

実体は精神であるo

何となれば「純粋精神は原質にもあらず、開展物にもあらずしと説かれている故に。次の論式が

成立する。(主張)(それにとって)成立せしめらるべきものが存在しないものは原因ならず。(実例)例えば精神のご

とし。しかるに

(原因として)想定されている事物は成立せしめらるべきものを有じない。それ故に能遍が知覚され

なし、

(推論)

である。

以上の二つの

(論議)

は共に帰隈論法の論証方法(℃58bm町田l

印包EE)である。それ故に

(サlンキヤと仏教の

-175-

両者に於て成立している壁面輸は何ら必要がない。

サlγキヤ派は純粋精神にとっても、

反映(官三

Esg)が生起するという道理によって享受に対する能作者性が

存する、と考える。これに対して次のごとく注釈する。(頚に言う匂民営自由ロとは)

」れは最高(官

E)にLてアlト

γであるo

解脱せる者という意味である。それは解脱せるが故に享受に対してであっても能作者性は存しない。そ

れ故に誓輸は成立しない、

ということはない。

「さて

(反対論者は次のごとく主張するかも知れぬ』云々の文句によって敵者(サlγキヤ派)

の主張に於ける理

由は成立しない、と考える。

〔第一九頭〕

北大文学部紀要

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根本原質の考察

さて

(サ

lンキヤ派は次のごとく主張するかも知れぬ。)顕現せる相(同

σEd出宮山)等を特質とする何らかの特性

(由民

EUS)が存在する。それを現出せしめる故に原因は非難さるべきではない。

(附)

さてもしも第一の理由が「顕現せる相等の相によってもまた完全に存在する故に」という限定の言葉を附されるな

らば、

(汝等仏教徒が論駁の根拠とするこの理由は)成立しない。

る相等の相によってもまた結果が存在することを認めないからであるo

(ET--B官官)(結果は原因中に存在するのである0)

もしも(理由が)

(巳HJLbZ白告白!)ならば不定となるであろうo

何となれば顕現せる相等を特質とする特性がまさに生起する故に、

てのものが結果であることになる、という過失は附随しないからであるo

何となればわれわれは

生起する以前に)顕現せ

しからばどうであるのか。

潜勢態にょっ

一般的に限定する言葉を附されていない

すべ

-176-

それ故に(第一八頭の)第二の理由もまた成立しない。(想定されたる原因には)成立せしめらるべきものが存在す

る故に。『顕現せる相等』という中の『等』の言葉によって豊富

(EZE)等の特殊な状態が意味されているo

『それ

を』(可回思)

とは特性を、

であるo

『非難さるべきこと

ESSE苫SF同ロロ・)

とは論難さるべきこと

(4MH

ロヨHSB)で

あるo

『(原因として)想定されたる(根本質料因等)は原因ではない。(それらにとっては)成立せしめらるべきもの

(同)

が存在しない故に』一五々という過失は存在しない、という程の意味である。

『以前に存在した』云々の文句によって返答して云く、

〔第二

O頭山

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もしもこの(特性)が(生起する)

以前に既に存在していたとするならば

(われわれの論難に対して汝等によって)

何らの解答も述べられていない。もしも(その特性が生起する以前に)存在しないとするならば、どうして諸の(原

困)から顕現することが出来るであろうか。

の中では二つの場合に分けて考えられてある。即ちこの特性は顕現せる相等の状態より以前のある時

に、根本原質の状態に於てもまた存在したか、或は存在しなかったかの何れかである。もしも存在していたとするな

らば、その場合には

(第一八頭の)二つの理由が共に成立し得ないこと等の答は汝等によって少しも述べられていな

いことになる。またもしも(生起する)以前に存在しなかったとするならば、その特性はどうして諸の

(川)

顕現することが出来るであろうか。「無なるものは作られざる故に」という汝等の(主張する)道理によってこのこと

原因

から

は正しくない、

という趣意であるo

-177 -

(山)

かくのごとく先ず最初に「有は作られざるが故に」という理由が確立された。さて次に「質料因を取る故に」一E

の四つの理由を成立させるために云く、『それ故に成立せしめらるべきものは存在しない』云々と。

〔第二一頭〕

それ故に(想定されたる原因にとって)成立せしめらるべきものは存在しない。それ故に質料因を取ることはない。

定の

(質料因)

から生起することもない。能力

(Ewt)も存在せず、作用(町守山)も存在しない。

北大文学部紀要

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根本原質の考察

既に述べたごとき道理によって(原因にとっては)成立せしめらるべきものが存在しない故に、質料因を取ること

はあり得ない。何となれば、質料因によって成立される結果を得ょうと欲することによってのみ思慮分別ある人々は

質料因を取るからであるo

酪等は乳等一定のものからのみ生ずるということにもならない。何となれば

(それら原因

として想定されたものには)成立せしめらるべきものが存在しないからであるo

このことは「一切のものが

ご切か

ら)生ずることはない故に」という理由を成立せしめる。既ち

(ここでは

一切のものから生ずることはない、

一定

ということが説かれているo

そしてこのことは因中有果論の立場に於ては成立せしめ

らるべきものが存在しないのであるから正しくない。同様に(「能力ある者、が可能なるものを作る故にしという理由に

(原因)

のみから(生ずる)

於ける)能力ある者及び可能なるもの、という二つは共に正しくない。何となれば成立さるべきものが存在しない故

に。もしも甲によって乙が生起せしめられるならば、生起せしめる者(甲)に能力の存在することが確立するo

また

-178 -

生起せしめらるべきもの

(乙)を作り出すことは成立するであろう。そうでない場合には成立しない。それ故に説く

『能力も存在せず、作用も存在しない』と。

(出)

諸の事物には「原因性が」存在するということもまた正しくない。成立せしめらるべきものが存在しない故に。

そのことを説いて云く、『完全に』云々と。

〔第二二頭〕

(因中有果論に於ては結果は)既に完全に生起(巳沼山正)せるが故に、如何なる結果も存在しないo

それ故に原因

という名称もまた可能ではないQ

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(頭)

は「原因性の故にしという理由を成立せしめるo

しかるに

因中有果論に於ては

そのごとくにはなら

ない。それ故に因中有果ではない。それ故に

(サ

lンキヤ頚第九に説かれた因中有果を証明する)全ての理由に対し

て帰謬論法の観念が結合さるべきであるo

更らに他の方法によって因中有果論を論難して云く、『またすべての』云々と。

〔第二三頭〕

またあらゆる証明根拠が作用するとき、

誤謬(及び疑惑)

を減し、

また確かな知識を生起せしめるo

(因中有果論

の証明根拠は

かくのごとき道理に合はない。

-179ー

『作用する』

(43S)とは働く(℃542とである。『誤謬』という言葉によって疑惑もまた含めて意味されている。

何となればそれ

(1誤謬

(疑惑と誤謬との)両つの部分によって誤まれる認識を起させるものたることが成立す

るが故である。実にすべての認識手段が自己の対象に対して作用するときには次空一(段階の作用)をなすのであるo

け認識さるべき事物を対象として起った誤謬と疑惑とを滅し、りそしてそれに関する確かな知識を生起せしめるo

のことは因中有果論に於ては道理に合わない。

何故にであるか。故に次に云く、『疑惑::・::ならず』と。

北大文学部紀要

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根本原質の考察

〔第二四頭〕

(汝等サ

1γキヤ派の説に於ては)疑惑と誤謬とは減せられず。何となれば

因中有果論に於ては両者は)常に存

続する故に。

同一の理由によって確かな知識の起ることもない。(それ故に汝等の説く)すべての

認識根拠

t土

無意味である。

即ち汝等(サ

lンキヤ派

の主張によれば疑惑と誤謬とは精神を本質とするものであるか、統覚機能及び意を自性

とするものであるかの何れかであろう。(しかるに)二つの場合の何れの場合に於ても(疑惑及び誤謬の)両者を減す

ることは不可能であるo

何となれば

(汝等の主張によれば)精神と統覚機能と意とは常住である故に、両者

(U疑惑

-180ー

と誤謬)もまた常住となるからであるo

また認識手段にもとづいて確かな知識が生起することもまた不可能であるo

『同一の理由によって』即ち『常に存続する故に』という理由にもと、、ついてo

それ故に汝等(サ

キヤ派)によっ

(出)

て説かれた認識手段は『すべて』即ち全部が無意味であるo

これによって白語相違(の過失)が説かれているo

即ち確

かな知識を生起せしめんがために認識手段(が役立つ)

と言うならば、無であった確かな知識の生起することが承認

されたことになるであろう。

しか

とるな にる 因の中で有あ(果るg:;とo ¥, 、

う主張

よって

無なるものの生起すること

は排斥されてい

る。それ故に自語撞着(の過失)

〔第二五頚〕

もしをた(サ

lンキヤ派が)「無であっても確かな知識は認識手段にもと、、ついて生起するであろう」と言うならば、

その

(理由)

によって

(汝等によって因中有果論の根拠とされたY

諸の

理由

は錯乱せるものとなるであろうo

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もしも(サlンキヤ派によって)「認識手段を使用することが無意義であってはならない。

それ故に確かな知識は

「無L

(同

σr宮田)即ち非存在(山由主)であるが、認識根拠にもとずいて生起するのである」と承認されるならば、

その

ごとくであるならば、「無なるものは作られない故に」云々という(因中有果を証する)理由の集まり全体は不定とな

る。(無なる)確かな知識(が生起するのと)同様に、(原因の中に)存在しなかった

結果)が生起することは予盾

しない故に。

(川)

それ故にけ確かな知識は無であっても作られる。。それを生起せしめるために特定の認識手段を取る。日開それは似

而非の認識手段などすべてからは生じない。同これは無であっても能力ある諸の原因によって作られる。日開この場合

(川)

にも諸の原因には原因性が存在する。他の場合に於てもそれと同様であろうo

-181-

〔第二六顔〕

未顕現なる

確かな知識)が諸の

認識手段にもとずついて)顕現する、

と云うならば、この

確かな知識)

の顕現

は何であろうか。

本質の限定的特性が生起することはない。(それは確かな知識の本質と)区別されない故に、

た結合しない故に。

(サlγ

キヤ派は)次のごとく主張するであろう。一たとい確かな知識は認識手段を使用する以前にも存在すると

し℃も、そうではあっても認識手段は無意義ではない。何となれば以前には顕現していなかったこの

γ官、刀品/牛久円詞

が後に諸の認識手段にもと、、ついて顕現するからであるo

それ故に

確かな知識を)顕現せしめるために認識手段は作

北大文学部紀要

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根本原質の考察

用するのであるから、

」れら

(の認識手段

は無意義ではないo」と。

これは正しくない。何となれば顕現は成立しない故に。即ち顕現とは自性の限定的特性が生起することであるか、

それに関する知識であるか、或いはその知覚の障害を除去することの何れかであるo

その中で先ず最初に、白性の限

定的特性が生起することではない。即ちこの自性の限定的特性は確かな知識の自性と異ならないか、異なるかの何れ

かであるo

もしも異ならないとするならば、それは確かな知識と『区別されない』即ち異ならない故に、確かな知識

の自体のごとくに常に存続している故に生起することは正しくない。

また異なるとするならば、

その場合にもまた

「甲は乙に属する」という結合関係は成立しない。即ち結合関係は支持するものとそこに置かれるもの

特質とするか、所生と能生との関係を特質とするかの何れかである。先ず第一に前者ではない。何となれば相互に協

(の関係)を

力されるものと協力するものではない

両者

にとってかかる

結合関係

は成立しない故に。また協力という場合

-182ー

に、

この協力もまた別の

(原理)

であるならば、結合関係は成立しないから、無限湖及の過失が附随する故に。また

協力が

別の

(原理)

でないとするならば、認識手段

(1協力するもの)

を使用することは無意義である。何とな

れば協力と異ならない限定的特性は確かな知識のみから生起する故に。限定的特性は無形であるから落下することは

あり得ない故に、如何なるものもそれを支持するものであることは正しくない。何となれば落下を妨げることによっ

て支持するものは確立するが故に。

また

(結合関係は)所生と能生(との関係)

を特質とするものでもない。如何なる場合にも確かな知識と称せられ

る原因は存在しているから、限定的特性は常に生起するという過失が附随する故に。また認識手段の使用によって確

かな知識が限定的特性を生起せしめることは正しくない。協力するものに非ざるものによることは不可能なるが故

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に。もしも協力するものであるとするならば、前に述べたごとく過失と無限湖及(の誤り)

とが存する。

また異なれるものとされている二つの限定的特性なるものは無であるか有であるかの何れかである、と二つの場合

に分けて考えることはこの場合にも(確かな知識の場合と同様に)可能であるo

その中で無であるとするならば、前

(川)

のごとく諸の認識手段は不定であることになるo

また有であるとするならば認識手段を使用することは無意義であ

る。この場合にもまた顕現を承認するならば、

無限湖及の過失が附随することは妨げることが出来ない。それ故に異なっているという場合に於ても『結合しない』

」の顕現とは何であろうか。それ故に

順次追求することによって

.blP ち

(確かな知識と)結びつかない故に本質の限定的特性が生起することは正しくない。

(顕現とは)

それ

(1結果たる確かな知識)

に関する認識ではない。また認識の障害が滅することでもない。何と

-183

〔第二七碩〕

なれば認識は常住なるが故に。また

(それに代る)第二の

京地也帆

三口-口

は成立しない故に。

顕現はそれ

(1確かな知識)

に関する認識の生起を特質とするものである、と云うことは正しくない。それに関す

る認識は常住なるが故に。即ち、

それに関する認識なるものは因中有果論者たる汝等の主張によれば常住なるもので

(川)

その認識はどうして生起し得るであろうか。『また第二の』認識は『成立しない故に』顕現はそれに関す

あるから、

る認識の生起を特質とするものである、

というのは正しくない。『また』という言葉は追加の意味であって、

順序を

異にしている0

(

即ち)『成立しない故に』という言葉の直後にあるべきであるo

それによって次のことが意味されて

北大文学部紀要

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根本原質の考察

いる。汝等(サlγキヤ派)

の主張によれば認識は唯一であるo

創造から帰滅まで統覚機能は唯一である、という定

説がある故に。それが確かな知識であるo

その場合に、その外に、諸の認識手段によって作られるような、顕現と称

(問)

せられるその知覚が存在するであろうか。

反対論者は次のごとく主張するかも知れぬ。「『それ

(E確かな知識)

れは正しくない。』統覚機能、知覚、確認、意、

(邸)

Aノ。

関する認識は統覚機能を自性とするものではない。しからばどうであるのか。意を自性とするものである」と。こ

(削)

認識等は異なるものではない故に。

」のことは後に説かれるであろ

また顕現はそれ(確かな知識)

に関する知覚の障害、が滅することを特質とするものでもない。次の二つの理由の故

に。即ちハ円それの知覚の障害なるものは常住なるが故に滅することはあり得ない。また滅は帰滅を特質とするもので

成立しない故に知覚の障害は存在しない。実に無なるもの

(日第二の知覚)

に対して障害が存在するということは正

一184-

あるということもまた正しくない。以前の本質を捨てざるものにとっては帰滅は成立しない故に。また第二の知覚は

しくない。何となれば障害は実体として存在するものを対象とするが故に。それ故に障害が滅すること、

というのは

正しくない。

M

M

(

頚の中で)『常住なるが放に』

というのはそれを対象とする認識は常住である故に障害は成立しな

ぃ。障害が成立しない故に

(障害が)滅するということは正しくない、

という趣意であるo

また障害の滅することは

如何なるものによっても作られない。障害は無自性なるが故に。

困中有果論に於ては単に認識手段の使用が無意義であるのみではない。束縛と解脱は存在しないという過失が附随

すること、及び一切の世間の活動は断滅するという過失が附随することは避け得ない。即ち汝等によれば、根本質料

(山)

と承認されている。

因と純粋精神が独存であることの了得を特質とする諸原理の認識が生起するとき解脱が

(起る)

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しかるにこの諸原理の認識は常に存続しているo

それ故にすべての個我は解脱している。

それ故に繋縛は存在しな

ぃ。また誤まれる認識によって繋縛があると承認されているo

しかるに誤まれる認識は常に存続しているのであるか

ら、すべての(個我)は常に繋縛されている故にどうして解脱が起るであろうか。また世間は為になるものを獲得

し、為にならないものを捨棄するために活動する。しかるに因中有果論に於ては獲得されないもの、捨棄されないも

(出)

のは何ら存在しない。それ故に世間は無意欲となるであろうo

それ故に一切世間の活動が断滅することになる、とい

う過失が附随するのである。

かくのごとく先ず第一に因中有果論を論駁し終って、

われわれ仏教徒の)因中無果論に存する

(とサ

lンキヤ派

〔第二八頭〕

-185ー

が主張する)諸の過失を排斥せんがために云く、『三種の構成要素から成ること』云々と。

(すべてのものが)三種の構成要素から成ることは差別されないとしても、すべてのものはすべてを生ずるもので

はないように、

そのごとくに

(結果が)存在しないとしても、すべてのものがすべてを生ずるのではない。

因中有果なることの排斥によって、内に含められた意味にもとずいて因中無果なることが確立した。何となれば有

と無とは相互に排除することによって存立する特質を有するのであるから、(有と無以外に)他の類は成立しない故

(防)

に。そうではあっても、反対者によって説かれた論駁が似而非の論駁であることを説示せんがために

れるのであるo

そこで先ず最初に、

「それ

(1結果)

(さらに)説か

(邸)

は作られない。何となれば無体なるが故に』と説かれたことは

北大文学部紀要

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根本原質の考察

成立しない。何となれば事物の自性は作られるものであることは認められる故に、

(財)

また事物の自性は無体であること

は成立しない故に。

もしも(サlンキヤ派が)

「それ

(日自性)

は生起する以前には無自性である」と言うならば、

それは正しくないo

それが無自性であることは正しくない故に。実に自性が無自性であるということは正しくない。

何となれば無自性たることは事物の自性を排除することを特質とするものなるが故に。またそれによって自性が無自

(

)

性であることが成立するであろうところの、現に作られつつある事物は、生起する以前には存在しない。もしも(反

対論者が)「事物を離れていることを特質とする無体なる属性の主体を依り所として、

無体なるが故に、という理由

(問)

が立てられる」と言うならば、その場合には既に成立せることを成立さるべきこととなしている誤りがある。何とな

れば事物を離れたものは如何なるものによっても作られるものとして認められないからであるo

また理由は不定でも

(問)

ある。何となれば異口問を無効にする知識根拠が説かれていない故に。何となれば原因の能力はそれぞれ限定されてい

-186-

る故に、

それに対して生起せしめる原因が存在する或る無は作られるけれども、空華など、それに対して原因の存在

しないものは作られない。それ故に不定だからである。

実に一切のものが一切のものの原因であるとは認められていない。また如何なるものでも無なるものが作られる、

という周延関係は認められていない。しからばどうなるのであるか。作られ得るものは生起する以前には無であると

(川)

(が認められているのである0)

反対論者は次のように主張するかも知れぬ。「原因が無なるものを作る、と

(

)

(

)

(すべてに)等しいとしても、何故すべてがすべての無の原因ではないのであろうかo」

いうこと

いう点では

とO

汝等

の論難

t土

(次のごとく)汝等に対してもまた等しく難詰さるべきである。実に

原因は)有なるものを作ることが

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(国)

等しいならば、何故すべてがすべての有の原因ではないのか、

と。また汝等の主張によれば、それによって結果が作

られないところの如何なる無も存在しないo

もしも(サ

lγキヤ派が)「原因の能力は限定されている故に、存在する

(邸)

ものであっても兎の角等は作られないのである、」

と言うならば、

その

議論

は他方(因中無果論者

の場合にも

等しく適用される。

また汝等にとっては、三種の構成要素から成ることはすべての場合に差別がないとしても、

一切が一切を生ずるも

(原因の)能力はそれぞれ限定されている故に。(頭の『すべてを生ずる』という語は)す

(財)

べてを作るもの、或いはすべての結果を作るもの、と分けて解すべきである。『そのごとくに』結果或いは因果関係

(即)

にある何らかの本質が『存在しないとしても、すべてのものがすべてを生ずることにはならない』であろう。

のではない。

何となれば

このことを承認して「同様に』(可邑

S寸

:S仏〈伊丹)と説かれているのであるo

更らに等しい点があるのではない。即

(問)

(因果の)差別が存在するとしても、或るもののみが或るものの原因となるo

何となればそのような自性の差別の

-187 -

限定はそれ自身の原因に連続して起ったものなるが故に。

それ故に矛盾しない。

これに反して

因果が)差別され

ないならば、同一の状態が同一時に於て相互に矛盾する原因性及ひ非原因性であることはどうして成立するであろう

か。何となれば事物の差別は矛盾する属性を帰属することにもとずく故に。

それ故に説く、「実に

因果の)差別が

存在するならば、原因は事物の性質を有するものとして存在するであろう。しかるに無差別であるとするならば、同

(悶)

一のものに作用と受動の存することは矛盾する」と。

(凶)

『制限が』云々という文句によって敵者(サ

lンキヤ派は)能力に限定がないことを成立せしめながら反論して

北大文学部紀要

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根本原質の考察

云く、〔

第二九頭〕

諸の制限は起らない故に汝(仏教徒

にとっては

(原因の)能力は限定されない。しかるに因中有果とすればそれ

らの

(能力)

に制限を伴うのであるから限定が存することは正しくないのであろうか。

『汝にとっては』即ち因中無果論者たる汝仏教徒にとっては諸の原因に存する能力が限定されているということは

正しくないo

何故であるかo

結果たるものである制限は起らない故にo

知に制限なくしては制限されるものは存在し

な明。次の論式が成立するO

(

主張)如何なるものであっても実有なる結果に対する制限が空無なるものは、限定され

(実例)恰かも兎の角等のごとし。籾等の事物は実有なる結果に対する制限が空無で

ある、

という能遍は知覚されない。

-188-

た能力を有するものではない。

(そこで)自派の主張がよく確立していることを示さんがために云く、

(凶)

果とすれば』云々と。(因中有果とすれば、とは)結果の実有性が存するならば、という意味である。『それらの』と

『因中有

は能力の、

(という意味であるo

『そのごとくではない』云々の文句によって

(サ

1ンキヤ派の立てた)

理由は不定であることを説いて云く、

〔第三

O頚〕

そのごとくではない。それら

(の制限)が起り得ないからと言って、そのような言葉があってはならない。

一切の

添性を離れた実体は排斥されない。

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即ち『これらの』制限が起り得ない故に、もしも乳には酪を生起せしめる能力がある、

(凶)

ないとしてもかくのごとき一切の添性が空無であり、増益されることのない実体にして、

という言詮があってはなら

その直後に以前には経験さ

れなかった他の実体が生起することは排斥されない。

反対論者は次のように主張するかも知れぬ。尋問と分別とが働かない場合には、事物の自性もまた滅する。しそれ故

(国)

に云く、『名辞は本質ではない』云々と。

〔第=二頭〕

名辞は事物の本質ではない。何となれば様々な種類の分別と語とが無区別なる

(同一の事物)

に対して習慣的に作

一189-

用する故に。

る'"口ミニニムh」 三 目6

遍何

でと 中な J

;h ~

ば昆カミ

滅するとき

t土

それ自身の所遍を滅せしめるo

或いは原因が

(滅するとき)結果を

(減せしめ

両者の聞には)結合関係が実在する故に。

他のものが

所遍を滅する

のではない。

何となれば

過度に広く適用される過失が起る故に。

「乳には酪が生ずる能力がある」等という名辞による言詮は『事物の本質』即ち自性ーーーその

(国)

らば、かくのごとき種類の事物を滅してしまうであろうようなーーではない。「名辞』と云う言葉は内に含めた意味

(凶)

がある。即ち名辞が結合している分別もまた意味されている。また『本質』と云う言葉もまた内に含めた意味がある。

言詮)が滅するな

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根本原質の考察

名辞は

(事物の

ないばかりで

事物の京商

ぃ。持となれば

(芸名辞)

ない場合であっ

ても事物は成立する故に。このことに関する

である。叶分別一』とは

結合から或り立つものである。

とはことばである。

(とい

々なる種類の』と

なれば

々な

、である。

るものに対して

の存夜が常住等として

とは、

なし、

物に対して、

った教理に立っている論蘇達によって分別され

である。

叶習慣抽出に』働く、即ち唯一なる

のf詰詮で)さ

あれるる~

ともにしな もる 諾治込 と

,0.. )j

iJlj Jニ

一である

L 、

のである

物は多様なるも

J

は士事物の自性のごとくに語と分別とは

一の本質を有するものであるという誤りが開箆

何となれば喰

なるものが多緩であるということは正しくないから。

(もしもそうだとすると

に広く適

(作られる

のではない。

に一無体なる

に、ある無なるものが作られるのであって、すべてのものが

(山川)

でもある。

(思

不定でるる。即ちもしも一定の質料簡を歌

-1告。

期されることになる故に。それ放に

にもとずいて「鷺科歯を取る故に

云々という四つの

ることが或る場合

もとずいてのみなされるのであることが確恕するならば、その

(向山)

る、ということが正しい限りに於て

wri}

十点、

Et 一定の

賞制科歯を取ることは原爵の能カの妓定、役七とずいて

は成立する〉であろう。

の主張すること

iま

の能力に限定があることにもとずいてのみ、すべてのもの

てか

しなるし、こ

故(とにミさは

O なし、

ので

となればすべてのもの

ての実際の働ぎをなすこと

るということは

さらに「しかるに限定的特性を船関与され得ないもの

〆を

と説かれたこともま

(一反対論者の

趣意を熟知せ

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に説かれたのである

D

何となれば、無なるものが作られる、

ということをわれわれは説かないからである。それを説

くならば、変成が存在する場合に無なるものの本質が害われることになるであろうo

そうではなくして実体のみが作

られるということが既に説かれた。しかるに知覚され得るという特質を獲得しているものであってもよ生起する以前

(邸)

には)知覚されない故に、

また既に生起せるものが結果ではあり得ない故に、

」の実体は生起する以前には無であ

乙なるそれに似たものが生起するならば、

(即)

乙は甲によって作られた、と言詮されるのであって、(原因の中に存在した)作用が関与することにもとずいて或るも

る、と云われるのであるo

甲なる原因が近くに存することによってのみ、

のによって或るものが作られるのではない。何となれば一切諸法は作用を有しない故に。無と称せられる何むのかが

存在するとか或いはそれが変化することはない。何となれば非存在は事物の自性を排除することのみを特質とする故

(m) に。

-191-

(別)

また若しも「限定的特性が附与され得ない故に無は作られない」と説かれるならば、有もまた自性が既に成立して

(別)

いる故に、限定的特性が附与され得ない故に、どうして作られ得るであろうか。それ故に「能力ある者が可能なるも

(

)

のを作る故1」というこの(理由)は不定であるo

また因中無果論に於ても原因性が存在することは正しい故に、「原

因性の故に」というこの

(理由〕もまた不定である。

或いは、有が結果であることは成立しないことは既に説明した故に、

また因中無果論に於てのみ質料因を取ること

等の限定は正しい故に、「質料因を取る故に」等の四つの理由は予盾している。

(問)

を論証する故に。

何となれば論証さるべきことの反対

北大文学部紀要

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根本原質の考察

lγキヤ派は次のように一石うかも知れぬ。「若しも有ならざるもののみが生起する、というのが汝らの主張である

とするならば、どうして経典に於ては有と無の生起が排斥されているのであろうか。次に説かれているとうりである。

『すぐれたる智慧を有する者よ、

一切法は不生なり。有と無とは不生なるが放にo』とo」

これに対して答えて云く、「生起云々』と。

〔第三二頭〕

しかるに生起は事物の本性であるo

それは有とも無とも結合しない。単に有ならざる分別的思慮と

(結合する)

0

「しかるに』という言葉は制限決定する意味である。もしも他の区別を排除して、それ

(胤)

うと欲するならば、生起とは事物の、前後際が空無である刺那の聞のみ存続する自性であると説かれる。しかし

(別)

起は)見婆沙師によって分別計執されている有為相としての生ではない。何となればこれは後に排斥されるであろう

(附)

から。

(1生起

のみを認識しょ生

192ー

(問)

またヴァイシェlシカ派によって想定されている有性の内属でも、それ自体の原因

(1内属因)に内属することで

(郎)

もないo

この両者もまた後に排斥されるであろうから。またこの両者は反対論者の主張によれば常住なるが故に。そ

うして常住なるものには生起は不可能なるが故に。次に説かれているとうりである。

『有性がそれ自体の原因に内属することによって原因が存在する、

(附)

る。しからば常住なるものに於て如何なる結果があるだろうか。』

と伝えられるo

」の有性と結合とは常住であ

と。かくのごとき本質を有する生起は無と同一のものとして結合することはない。有と無とは

互いに)矛盾する故

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O

(m)

何となれば無は存在しないのであるから。

(m)

また以前に存在していた無と結合することもない。

何となればそれ

(1生起

は以前には存在しない故に。

八サ

Iγキヤ派〉しからば汝ら因中無果論者はどのように

主張するのであるか。

答えて云く

ll『分別的』云々と。分別的思慮とは能作者たること或いは作具たることである。単に無なる能作者

と結合する、結合に導かれる、という趣意である。実に生起するところの相何なる無と呼ばれるものも存在しない。

(問)

そうではなくして「無が生起する」という分別作用にもとずく言詮が存する、という程の意味である。

更らにその際にそれによってこの表現が是認されるところの思惟の種子とは何であろうか。それに対して答えて云

-193-

わく、

lii『これなるもの』云々と。

〔第三三頭〕

一なる事物の直後に存する事物の本質にして以前には存在しなかったと認められることがその思惟の種子である。

それに反して

(事物の本質が現実態より)以前に存在していたとするならば、このことは成立しない。

或る一なる一定の事物の直後に知覚されるところの、

それ以前には知覚されなかった事物の本質なるものは現実態

以前には存在しなかったのであるo

何となれば知覚という特質を獲得していたとしても、知覚されなかったのである

それ故に「以前無であったものが生起する」

く、『以前存在していたとするならば』云々と。

からo

ということが思惟の種子なのである。

即ち事物の本質が現実態よりも以前に現実態に於けると同様に、

何故であるか。

答えて云そ

北大文学経紀要

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根本原質の考察

(

m

)

(

日)

(H本質)たるものとして存在していたとするならば、「生起する」というこの思惟の成立する根拠は存在しない。

すなわち「生起する」ということによって、現実態にある一定の自体のみが意味されているのである。そうしてもし

も自体が

(現実態より)以前に於てもまた存在するとするならば、

その場合には現実態にあることに外ならないと限

定されているこの自体なるものは害われることになろうo

何となれば虚空のごとく常に存続するものには前後中間

(問)

という状態は存在しない故に。それ故に常にすべてのものが生起する、とかくのごとく表現

(未来・過去・現在という)区別は存在しないのであるからo

(日未来・過去・現在)

さるべきであろうo

何となれば

更らに因中有果論を他の方法で論駁せんがために云く||『また乳等の中に』云々とo

〔第三四項〕

-194-

(原因たる)乳等の中に(結果たる)酪等は可能態に於て存在するというのが(汝ら因中有果論者の)主張であるo

もしも酪等が乳のごとくに知覚されるのであるならば、その際の可能力とは何であろうか。

汝ら(因中有果論者)によって「原因の中に結果は(予め)存在する」と説かれることには如何なる趣意が意味さ

れているのであろうかo

一町現態に於てであるのかo

それは正しくないo

何となれば乳等の状態に於てもまた酪等が、

(生起した)後のごとくに、知覚されねばならない、という過失が附随する故に。またもしも可能態に於てであると

(間)

いうならば、その場合にもこの可能態なるものは知覚という特質を獲得せる酪等の結果自体と異っているのか、或い

その場合には前の場合と同様に結果は

は同一であるのか。もしも同一であるとするならば、

(原因の中に存する時に

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すでに)知覚される、

(m)

という過失が附随する。

〔第三五頭〕

もしも(結果は可能態と)異なると言うならば、甲が存在するときに、壁田愉的な意味に於てでなくして、どうして

それと異なる乙が存在すると言われ得るであろうか。実に純質が存在するということは苦と療の存在することを

意味し)ない。

もしもまた

(結果は可能態と)異なるという主張であるならば、

その場合には結果は原因の自体の中に存在すると

-195 -

いう(因中有果論者の)主張は捨てられることになるであろう。何となれぽ結果とは異なった可能力と称せられる原

理が存在することを承認するが故に。すなわち特定の味・薬効・消化力等の性質を具足した顕現せるもののみが酪等

(結果たる酪等)は乳の状態に於ても知覚さるべきであるのに知覚され

という結果であると言われる。そうしてその

ない故に、無という言詮の対象である。そうして

(結果とは)異なる可能態なるものは結果そのものではない。或る

ものが存在するからと云って、

それとは異なる他のものが存在することにはならない。何となれば

異なっていると

いう点では全てのものが共通なるが故に)過度に広く適用されることとなる故に。

(m)

〈サ

lγキヤ派〉「しかるにバターは寿命なり、沼沢の水は足の病なり」

る他のものの存在することが説かれることが経験されているではないか。

と或るものが実在する時に、

それと異な

これに対して答えて云わく、『壁面輪的な意味に於てでなくして』と。

瞳国愉的な意味に於てでなくして、

とは畳一国えて

北大文学部紀要

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根本原質の考察

云う意味によってでなしに、

という意味であるo

実に原因の中に結果があるという警愉的な意味によって、バターは

寿命なり、と言われるのであって、本来の意味に於てではない。しかしもしも汝らによってもまた警愉的な意味に於

て原因の中に結果が存在する、

と説かれるのであるならば、如何なる矛盾も存在しない。これに反して本来の意味に

於てであるとするならば矛盾が説かれている。

『実にならず』云

このことを実例によって説明せんがために云わく、

(削)

々とo

汝らによって純質の本質なるものは苦と療としては確立されていない。何となればこれらは相互に異なれる特

質を有するものとして存立する故に。

さて次に「諸の個物は

(原因の性質に)従う、

(凶)

ということを経験する故に」というこの理由は成立しないことを説

-196

明せんがために云わく!「純質等を具有する』云々と。

〔第三六頚〕

われわれにとっては既顕現が純質等(のコ一種の構成要素)

を具有するということは絶対に成立しない。何となれば

楽等は内面的である故に。(また)それ

(1楽等が意識を木質とするものであること)

の自証は明瞭なるが故に。

『既顕現』は音声等を特質とするものである、すなわち『楽等』を本質とするものであるo

(これは)『われわれに

とって』即ちわれら

(仏教徒)

にとっては成立しない。何故であるか。何となれば『内面的なるが故に』すなわち意

識を本質とするものなるが故に。音声等は非精神的なるが故に、どうしてこれらが楽等を具有するものであり得ょう

(問)

か0

(

故に)次の論式が成立する。(主張)意識を本質とするにはあらざるものは楽等より成るものではない。(実例)

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(m)

例えば敵者によって承認されている非精神的なるプルシャのごとし。しかるに音声等は意識を離れたるものである。

(胤)

であるo

それ故に能遍が知覚されない

(推論)

反対論者は次のように主張するかも知れない。

「もしも楽等より成るものたることは必らず意識を本質とするもの

たることである、という周延関係が成立するとするならば、その場合には、意識を本質とするものたることが否定さ

れるならば、音声等が楽等より成ることを否定することになるであろう。しかしこの周延関係は成立しない。何とな

(郎)

(楽等から成るものではない)純粋精神は意識を本質とするものとして認められている故に。」

れtまこ

れに対して答えて云わく、『それの自証は明瞭なる故に』と。『それ』すなわち楽等が意識を本質とするものであ

(郎)

ることは成立する。

楽等の自証すなわち白から意識することは『明瞭なるが故にo』音声等の対象の

(即)

近くにあってもなくても、他からの光に依存することなく、楽等すなわち歓宣弓苦悩等として白から光照するという

固有の特質を有するところの自証は極めて明瞭である。他からの光に依存せず楽等として白から成立するものが精

(

)

(

)

(

)

神・楽・意識・認識等という同義語によって呼ばれるのである。もしも楽等が楽等と異なる意識によって感受される

(飢)

故に感受知が成立するとするならば、その場合には楽等の意識は楽等を本質とするものではないことになるであろ

(

)

(

)

うo

何となればそれ自体は楽を本質とするものではない故に。例えばヨlガ行者や推論家が他人に存する楽等を

人に存するものとして)意識するごとくであるo

もしもそうでないとするならば

何故であるか。

-197 -

すなわち楽等の意識一般が楽等及

びそれと異なる意識との結合によって生ずるとするならば)病人等のごとくに直接的に楽等を経験することになるの

(胤)

であろうo

或いはヨ

Iガ行者等のごとくに他の(通常の)人々にとってもまた満足と傷心とが存しないことになるで

あろうo

何となれば

(感受の成立する根拠に関して)両者の聞に区別が存しない故にo

そうして意識が快感等を本質

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根本原質の考察

とするものであると認めるならば、楽等が意識を本質とするものであることが成立するo

何となればわれわれにとっ

ては快感及び不快感の意識が楽及び苦だからである。

(『楽は内面的なるが故に』すなわち意識を本質とす

(間)

という理由は不定でも不成でもない。何となれば外界の対象が実在すると主張するすべての論者

それ故に

るものなるが故に)

にとっては音声等が意識という本質を離れているものであることが確定している故に。そうでないとするならば唯識

(間)

論者の主張が承認されることになるであろう。そしてこの

主張)が

われわれによって)承認されているに外なら

FA

、。

チ九、しVま

た理由は矛盾していない。何となれば

理由は

(即)

同口問に存するが故に。

反対論者は次のごとく主張するかも知れぬ。

「意識は青等の相を有しないものであっても、

外界に存する青等の近

198 -

くにあることによって青等の相を有するものとして現われるのと同様に、快感等の相を有しないものであっても楽等

(

)

(

)

(

)

をより所とすることによって、快感等の相を有するもののごとくに見なされるのであるo

それ故に意識は快感等の相

を有するものであるとしても楽等が意識を本質とするものであることは成立しない。それ故に

という汝らの根本理由は不定である。

快感等は意識を本質

とするものである)

(このような質問がなされるのではないか)

と考えて、答えて云わく||「同一の対象に対して』一五々と。

〔第三七頚〕

音声等の同一の対象に対して、習気と性向の区別に従って一定の執着等が起るのであると明らかに見なされるo

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(制)

『習気と性向の区別に従って』とは、『習気』とは数習であり、『性向』とは生まれつきの本性である。この両者の

『区別』とは差別である。『執着等』とは、「執着』とは欲求であり、

『等』という言葉によって、

歓喜等と嫌悪と怒

等と憂と憂愁等という三種の構成要素の結果の集まりが意味されている。

「一定の』とは唯一の相を有する、

(加)

意味である。即ち習気の差別によって、酒や女性等に対して美・醜等の相を心に植えつけ、欲求を有する者にとっ

(

)

(

)

て、(或いは)また性向によってある舟羊や若い象等にとって、それぞれ一定の歓喜が起るo

そうしてすべてのもの

に起るのではないo

音戸等が楽等を本質としているとするならば、このようなことは正しくないであろうo

という

何故であるのか。故に答えて云わく11l「同一の事物に従属して起るならば』云々と。

〔第三八頭〕

199ー

JUU7レJも

執着等が)同一の事物に従属して起るとするならば、

(同時に)

多様な意識が存在することになる、

とし、

う過失が附随する0

(

もしもサl

yキヤ派が)

不可見力等によって、そのごとくにはならない、と言うならば、

識は)実体に従属するものではないことになるであろうo

それら(執着等)がすべて同一の事物を対象とする故に、青等を対象とする意識のごとくに、それぞれ『多様なる

(拙)

意識が存在することになる、という過失が附随する。』

反対論者は次のように主張するかも知れない。

(蹴)

すなわち良い行い等を特質とする協力因によって、或る者には或る相のみが現われるのであって、すべての者にすべ

事物は三種(の構成要素

から成るものであっても、

『不可見力』

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根本原質の考察

ての

相)が

(現われるのでは)

(加)

h

i

h

'

-

ハV

RK1villi--3と

『等』

という言葉によって習気と性向の区別にもとずいて獲得せんと

する欲求等が意味されている。

もしも(サ

キヤ派の主張する)如くであるとするならば、『事物に従属するものではないことになるであろう』

すなわち意識は事物を対象とするものではないことになるo

何となれば

意識には)事物の相が空無なるが故に、と

いう趣意であるo

その

(日事物の)相が空無であることを説かんがために云わく、||『三種の相を有する』云々と。

〔第三九頚〕

(サ

lンキヤ派は説く。)事物の本質は三種の相を有するo(しかし)カミ

純粋精神の)意識は唯一の相を有する

-200-

のみ

とO

(しかし)

その

(土日土戸生一寸)

と異質であるそれらの

意識

は如何にして実際にその

(音声等)

に相応す

るのであろうかo

(『事物の本質』とは)純質・激質・騎質という相である。『かの意識は唯一の相を有するのみ』とは、『かの』すな

わち純粋精神の『意識』すなわち知性は個々に関して常に欲望等のみの唯一の本質を有する故に『唯一の相のみを有

する』と認められる、という趣意である。『それら』とは意識であり、『それに』とは音声等に、

であるo

『実際に』

とは勝義に、

という意味であるo

何故『相応』しないのであるか。『それと異質である』すなわちそのより処たる事

物と異質である、という意味である。

次の論式が成立するo

(主張)甲が乙の相を意識することがないならば、

甲t主

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乙を対象とするものではない。(実例)例えば

ある。

(蜘)

(音声を識別しない)眼識は音戸を対象とするものではないごとくで

既に述べたごとく意識には三種の本質を有する事物の相が空無である、という態遍が知覚されないことが、過度に

(捌)

広く適用されるという過失が附随して起るという誤謬を無効にする知識根拠であるo

反対論者は次のように主張するかも知れぬ。

等によって利那滅性等という或る側面のみに関して確認が起るのであって、すべての側面に関してではないごとく、

(制)

それと同様に不可見力等によって意識は唯一の相のみを有するものであろう。」

(山)

これは正しくない。何となればわれわれは剰那滅性等の分別が勝義に於いては(直接的に)事物を対象とするもの

(出)

であるとは認めないからであるo

何となれば事物は一切の分別を超えている故に。そうではなくして(分別は)間接

的に事物と関係している故に、かくのごとき事物に到達する原因として分別は正しい知識たり得るのである。しかる

に敵者によって歓喜等は勝義に於いて事物を対象とするものであると認められている。実に他の場合には

「音声等の事物が直接知覚によって完全に知覚されるとしても、

習気

-201-

(すなわち

分別が直接事物を対象とするのであるならば、意識は)

より処を有しないものである故に、楽等を本質とする音声等

を知覚する故に、楽等の感覚知が起るということはないで企のろう。またこれら歓喜等は有分別知なるが故に、如何な

る未確認の相も存在しない。それ故に完全に感覚知が成立することになるであろう。何となれば確かな知識の対象を

(m)

了得することが確実に知ることであるo

(M)

「浄福・苦痛・落胆等の結果を知覚する故に音声等は楽等から成るものであることが成立する」と(サlンキヤ派

北大文学部紀要

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根本原質の考察

によって)説かれたことは不定である、

ということを示さんがために、『浄福・怒り等』云々と。

〔第四

O頭〕

(根本原質と異なる)唯一の純粋精神に於いてヨlガを行ずる者にとって、浄福・怒り・心のふさぎ等が生ずる。

しかるに純粋精神は三種の構成要素を本質とするものであると敵者は主張しない。

(出)

すなわちサlγキヤ・ヨlガ派の者達が純粋精神を根本原質と異なるものとして念じ、純粋精神を縁としてよくヨ

lガを数習したときに、彼らに浄福と歓喜とが起るo

(

純粋精神を)見ざる者には怒

ヨlガに打ち克たず、速やかに

りが起るo

本性上知力の劣れる者には心のふさぎが生ずるo

しかるに敵者はこの純粋精神はそれを本質とするもの、

に」という(理由は)

不定である。

-202-

すなわち三種の構成要素を本質とするものであるとは認めない。それ故に「浄福・苦痛・落胆等の結果を知覚する

4

ならば、その

もしも(反対論者が)「歓喜等は分別にもとずいて起るのであって、

は音声等(の外的対象)に対してもまた等しく適用され得る。それ故に

純粋精神にもとずくのではない」

と主張する

(道理)

(これらが分別)

にも

とづいて起るのであるとするならば、楽等は外的対象としては成立しない。何となれば分別は意識を本質とするもの

(川)

なるが故に。またそれ故に「意識は外的楽等をより処とすることによって、楽等の本質を有するものになる」という

こともまた錯乱であるo

何となれば外的対象をより所とすることなくしても純粋精神を縁として歓喜等が生起するこ

とを経験する故に。好ましきもの或いは好ましからざるものを分別することによって、外的対象の近くにあることに

は無関係に、楽等の意識が起ると一般に認められているのであるから、どうしてそれが他のものをより処として起る

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のであろうか。もしも(反対論者が

「意もまた三種の構成要素から成るのであるから、

意をより処として起るので

(町)

何となれば「他からの光に無関係にみずから成立するもの」

玄々と

ある。」と主張するならば、

それは正しくない。

性いなうる文が句故にVこ2i8よL一、J

ペコ

とてL 、、

う理由t土成立しなし、

O

意もまた意識を本質とするものであることが説かれている故に。

それ故に「(結果は原因と)同

さて次に理由の成立することをひとまず承認したあとで、

不定であることを説明せんがために云わく1||

『成立す

るとしても』云々と。

門第四一頭〕

既顕現が三種の構成要素から成ることが成立したとしても、

その原因にして且つ唯一常住なるものとしては根本質

-203 -

料因は成立しない。何となれば根本質料因は唯一の類的特性を具有するのみではない故に。

たとい既顕現が三種の構成要素を本質とするものであることが成立するとしても、

その原因として

(サ

キヤ派

によって)承認されている根本質料因は成立しない。何となれば如何なる場合もかくのごとき原因と論理的根拠との

肯定的結合関係は成立しない故に、

という趣意であるo

すなわち(サ

lンキヤ派は)既顕現の原因

(1根本原質)が

(制)

三種の構成要素から成り、唯一ゼあり、常住にして遍在であることを論証しようと欲する。しかるに如何なる場合に

もかくのごとき原因と論理的根拠との結合は成立しない。また結果があるものを本質とすることが認められるからと

(瑚)

いっても、必らずしも原因がそれを本質としなければならないことはない。

何となれば結果と原因は区別される故

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根本原質の考察

テ」

0

(制)

ると汝らによって認められている。しかるにその原因がそのような性質を有することは認められていない。それ故に

すなわち既顕現と称せられる結果は原因を有すること、

無常であること、

非遍在であること等の性質を具有す

理由は不定であるo

(m)

有法差別相違因を成立せしめる故に矛盾してもいるということを説示せんがために云わく||『その原因にして唯

(加)

一なる』云々と。唯一一にして常住であり三種の構成要素から成り原因たるものである有法が存在することが論証され

ねばならない。しかるにそれはかくのごときものとしては成立しない。しからばどうなのか。その反対である、

とL 、

う趣意であるo

答えて云わく『何となればそれは唯一の類的特性を有するのみではない故に』と。

(出)

『何となれば』という語は理由を意味する。何となれば、既顕現と称せられる結果は唯一にして三種の構成要素から

何故であるか。

成るというそれ自体の本質たるものである類的特性を具有することは成立しないからであるo

しからばどうなのか。

-204-

多なること、無常なること等の性質を具有することのみが認められているo

もしも既顕現が既に述べたごとき唯一と

いう類的特性を具有するのであるならば、

その場合にはその原因もまた前述のごとき特殊な性質を有するものである

ことが成立するであろうo

しかし結果は無常、多であることを経験する限りに於ては、その原因もまた同様であると

(出)

推知される。何となれば常住なるものには順次にせよ一時にせよ実際の作用が存することは矛盾する故に。また結果

の多様性は種々なる原因によって作られる故に。そうでないとするならば無因であるという過失が附随する故に。

それ故に常住にして唯一なる本質を有する根本質料因は成立しないo

またもしも無常にして多なる本質を有する原

因が根本質料因と称せられるのであるとするならば、

その場合には論争は存在しない、

という趣意である。

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しからば何故既顕現は唯一の類的特性のみを具有するものではないのか。これに対して答えて一五わくi11

『鉄製の

ピンに愉えられる』云々と。

〔第四二頭〕

実に一切の個物は鉄製のピンに愉えられ、

(生起の)

順序と結合せる形態を有するものであり、

想定の混合せる本

質を有するものであることが経験される。

(拙)

あたかも鉄製のピジが相互に結合しないごとく、同様に音声等の個物はそれぞれ自性が確定している故に、空間的

位置、時間、能力、顕現等の区別があるから、相互に浸透することはない。これによって

現象世界

は多種である

(この合成語は)生起の『順序』と『結合せる』すなわち包含されている形態を有するもの、

と分けて解すべきで

-205ー

ことが説明された0

(

次に)無常なることを説明するために云わく『順序と結合せる形態を有するもの』と。

ある。

(町)

〈サ

lγキヤ派〉「しからば諸の個物には有である等という一つの本質と、

品)

たる自性とを具有することはどうして確定されるのであろうか。」

」れはそれに外ならない、

という確固

(ぬ)

これに対して答えて云わく「想定の混合せる本質を有する』と。すなわち対象には本質性があると理解することは

(加)

誤まれる分別である、という趣意であるo

このことは後に剰那滅等を説く際に説明されるであろう。

以上のごとく先ず最初に

「(結果は原因と)向性なるが故に」

というこの理由が不成・矛盾・不定であることを説

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根本原質の考察

明し終って、

「瓶等の個物のごとし」

(肌)

という実例は所立法或いは能立法と肯定的結合関係を有しないことを説明せん

がために云わく

ll『土の開展物等』云々と。

円第四三煩〕

更らに

(或いは、同様に)土の開展物等たる個物は唯一の類的特性を具有するものではない。また唯一の原因を有す

るものであることは成立しない。何となれば土塊等は区別される故に。

(土の開展物等という中の)『等』という言葉によって金等の開展物もまた含めて意味されている。『また』という

語は他の論難を附加する意味或いは類似性の意味である。『唯一の類的特性を具有するのではない』という文句によ

って、能立法の誤謬が説示されるo

『また唯一の原因を有するものではない』というのは『成立している』と説かれて

-206-

L 、る

(言葉)

と結合するo

これによって所立法との肯定的結合関係の存しないことが説示されている。

〈サ

lγキヤ派〉「土塊・金等はそれら

結果

の唯一の原因であることが成立しているo

また土性・金性等の類

的特性はこれら

(の原因)

に具有するものであることが経験されている。しからばどうして両者の場合に誤謬である

のか。」」

れに対して答えて云わく『土等は区別される故に』とo

実に一なる全体たる土塊等は存在しない。(もしも存在

するとするならば)

一なる地点を覆う場合には全ての(地点)を覆うことになるという過失が附随する故に。また(土

性は)唯一の類的特性ではない。個物(としての個々の土塊)ごとに異った顕現が存する故に。

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更らにまた

「(結果は原因と)向性なるが故に」

というこの理由はそれ自体不定であることを説明せんがために云

わく||『精神性』云々と。

〔第四四頭〕

純粋精神は精神性等(の性質)

を具有するとしても(類似せる)唯一の

原因

にもとづくのであると汝らは認め

ないo

もしも(純粋精神がこれらの性質を有するということは)本来の意味ではない、

と言うならば、そのことは

何故この

既顕現

の場合にも等しく適用されないのであろうか。

すなわち純粋精神は精神性と享受者性等の無数の性質を具有するものであることが認められている。しかるに汝ら

(抑)

はそれらが同様な一なる原因にもとづくものであると認めない。

-207-

もしも(サlンキヤ派が)「純粋精神が精神性等を具有するということは本来の意味として認められているのでは

(出)

ない。しからばどうなのかo

二次的な意味である。何となれば全ての純粋精神は非精神性等を離れている故に、精神

性という、

それ以外のものを離れている、本質を有する類的特性が純粋精神に具有していると想定される。しかし本

来このような一つの

(類)が存在するのではないしと言うならば、もしもそのように精神性等を有することが本来の

意味ではないとするならば、楽等を有するということは類似の一つの原因にもとずくものではないとしても、純粋精

神の場合と同様に?」の場合にも』すなわち既顕現の場合にもどうして『等しく』すなわち平等に適用されると想定

されないのであろうか。それ故に理由は不定である。『諸の純粋精神の』とは暗に含めた意味である。

同様に根本原質の状態に於て存在する楽等は構成要素たること、

非精神的なること、

(加)

非享受者たること等(の性

北大文学部紀要

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根本原質の考察

質)を具有し、根本質料因と純粋精神とは常住性等(の性質)

と結合している。しかるにこれらは類似せる唯一の原

因にもとずくものではない。それ故にまさしく不定である。

以上のごとく先ず最」初に「(結果は原因と)向性なるが放に」

というこの理由が排斥された。

さて次に結論を述べ

ることを装って、残りの理由を論難するために単に指示のみを説いて云わくーーー

〔第四五頭〕

根本質料困なる原因が存在しないとしても(或いはその場合にのみ)次の理由によって全ては妥当する。(すなわ

ち)因果関係等の多様性は能力の区別にもとずく。

さて先ず第一に、「(諸の個物に)限定が存在する故に、能力にもとずいて生起する故に、因果(の区別)が存在す

(

)

(

)

る故に、根本質料因は存在する」と説かれた三つの理由は全て不定である。何となれば所立

(l根本質料因は存在す

-208-

る)の反対を無効ならしめる知識根拠が経験されない故に。何となれば根本質料因と称せられる原因が存在しないと

しでも、限定が存することなどは矛盾しない故に。

すなわち先ず、もしも原因のみの存在が論証されるのであるならば、既に成立せることを論証さるべきこととなし

ているo

何となれば、我々は原因なくして結果が生起することを認めないからであるo

そうして原因のみに対して根

本質料因という名称を附与することに関しては何ら妨げられない。

もしも(サ

Iγキヤ派によっては)「一定の量を

(m)

有する個物を生起せしめ、能力にもとずいて生ぜしめるところの考察力ある原因が存在する、とかくのごとく論証さ

れるのであるL

と一一一一口うならば、その場合には不定である。何となれば考察力ある能作者が存在しなくとも、それ自体

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の原因の能力はそれぞれ限定されている故に、限定された量等と結合せる(結果)が生起することは矛盾しないから

である。また根本質料因が考察力を有することは正しくない。何となれば根本質料因は非精神的なるが故に。また考

察力は精神性の同義諾なるが故に。

また「能力にもとずいて生起する故に」というこの

(理由)

によって、もしも不離なる能力と結合せる原因のみの

存在することが論証されるのであるならば、

その場合には既に成立せることを論証さるべきこととなしているo

もし

(制)

も「(それから)離れて存在する種々なる能力と結合せる唯一の常住なる原因(の存在することが論証される)のであ

る」とするならば、

その場合には理由は不定である。またかくのごとき(原因)との肯定的結合関係は如何なる場合

にも成立しない故に理由は不成である。何となれば離れて存在する能力によって或る原因が或る結果を生起せしめる

--209-

ことは成立しないからである。何となれば能力は自体たるものなるが故に。

また「高有は(帰滅状態に於ては)区別されない故に」と説かれたことは成立しない。何となれば一切の全てのも

(

)

(

)

のは連続を有しない消滅という性質を有するが故に、如何なるものの中にも帰滅することは成立しないからであるo

すなわち帰滅が起るのはそれ以前に存在した自性を捨てる時であるか、

捨てない時であるかの何れかである。

その場合には連続を有しない消滅という過失が附随することになるo

もし

も先ず第一に捨てる場合であるとするならば、

もしまた捨てない場合であるとするならば、

その場合には帰減は起り得ない。何となれば本質が完全に存在している

ことを認める如何なるものにとっても、帰滅が起ることは正しくないからである0

(

そうでないとするならば)過度に

(組)

広く適用されることとなる故に。それ故に「寓有は区別されない故に」というこの

理由

は相互に矛盾しているo

それ故に以上のごとくであるから、根本質料因という原因が存在しないとしても、原因の能力の区別によって量

北大文学部紀要

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根木原質の考察

的限定等のある結果の多様性及び因果の区別等は可能である。それ故に

(サ

lンキヤ派の説く)諸の理由は不定であ

る。『など』という言葉によって、「能力にもとづいて生起する故に」というこの

理由)が含めて意味されている。

或いはまた『根本質料因なる原因が存在しないとしても』という中の『も』という言葉は、制限の意味であるo

それ

によって次のことが意味されているo

根本質料因という原因が存在しない場合にのみ原因の能力の区別によって結果

(抑)

の量的限定等としての多様性及び因果関係等が可能となるが故に、諸の理由は不定である、と。すなわち根本質料因

その場合には一切宇宙は根本質料因を本質とするものであるから、根本質料因

が既顕現の原因であるとするならば、

自体と同様に唯一なる実体であることになるであろう。それ故に統覚機能は一であり、自我意識は一であり、微細な

る要素は五である等の量的限定の区別は存しないことになるであろう。そのごとくであるとするならば、世間は量的

限定を有しないものとなるであろう。同様に陶師等が瓶等合一作る場合には能力にもと守ついて(結果が)生起すること

は根本質料因という原因が存在しない場合にのみ可能であって、

(拙)

用も存在しない」と前に説かれたとおりである。

それが存在する場合には可能ではない。

「能力も作

-210-

(加)

因果の区別もまた根本質料因が存在しない場合にのみ道理にかなう。既に説いた寓有の種々相は根本質料因が存在

する場合には可能ではない。

一切世間は根本質料困から成るのであるから、根本質料因自体のごとくに唯一であると

(出)

と説かれた。それ故に寓有の種々相は初めには存在しないのであるから、どうして区別さ

いう過失が附随する故に、

(加)

れるであろうかo

(如)

以上根本原質の考察終る。

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註(

1

)

サIンキヤ哲学でも根本原質が運動などの作用を離れてい

ることを説くが(サlンキヤ顔一

O)、ここで云う作用は原因

となって結果を生ずる働きそのものを指し、サlンキヤ説を批

判的にとらえて、根本原質がそのような作用を有し得ない、と

主張するのである。

(2)

チベット訳は

g]白♂

Egg-E3〈回の順。

(

3

)

サlンキヤ派の開祖はカピラ関印刷比一回とされる。なお「根本

原質(が世界原因なりと説く)論者」(育長

32同門出口)と呼ばれる

こともあり(宮与問rrmHES高・

ωC∞-

M叶・口℃・〈区広島75ωmmm

凶ぐ口・

ω∞・

-yhE4・

~~-AF--印・古田}向田町〈同門出口)、また二元論者であ

る点をとらえて清妹は「自性士夫論者」と呼ぶ(大正三

0・二

七五頁中一行)。

(

4

)

チベット訳は欠く。

(

5

)

悌典ではしばしば世界原因をこのように列挙する。中村元

教授『ヴェーダ

lンタ哲学の発展』一」一一

O!一一一一一頁参照。

(

6

)

チベット訳は「等」を加える。

ιrω匹l同)}弓戸間

ll}

白mO岡田

F

(7〉チベット訳は仏『同HTHUD-Dω『口口lmDm-

(

8

)

以上を表示すると次のごとくである。

根本原質『|統覚機能|自我意識

i」

北大文学部紀要

(

9

)

lシュヴアラクリシュナはサ

l

ンキヤ頚の作者として伝

えられるが伝記などは不明である。「金七十論』の漢訳などか

ら一般に四世紀の人とされる。以後サ1

ンキヤ頚はサlンキヤ

哲学の代表的作品として自他に於て認められ、多くの文献に引

用を見出す。

-211

(叩)テキストは白『広島『削口問(言詮)であるがチベット訳

B匹。ロl

-Mm-E岱白lω間同と

(H州

LUES同ロ同)により訂す。円『-mσEB悶ロ0・

}出昨日向削

SF∞白召rr苫

EHFEN品・

(HU)チベット訳に欠く。

(ロ)テキストは単に円宮内日Eなるもチベット訳は凹rom2mヲドと

する。

(日)テキストは目立古田出

gi哲郎丘町内咽同信

ZZ〈削巳・チベット

一訳は

ωrgirElr同

fLFl《

rmlE仏

mlrrolEl出HLPユω白lE同

(

M

)

これは有名な句でサlンキヤ頚の注釈書は殆んどが引用

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vedasastrarthatattvajno yatra tatrasrame vasan. Manu XII.

102. ab. yatra tatrasrame vasan. Manu III. 50.

E塁足掛伊記述!と, 11 十同権主主制〈累…… (~j唄も朕剰署長縫, -1く同111

11・11司平岡ト。〉

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4誌侭-<'思l蛍~~~定〉儀 P 部Eも官:(:' i選蛍,l!R' o 0 0 0 0 。

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杓如ν 的活 (HindnPhilosophy p. 55. n. 1)' l' K土迫感11・

111 ・民 U ム-t~":!;! b H一、許制辺やムν'JQ 111~禅定市1;;有力兵ド~

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(ピミ)_ vigraha. Tib. tshig-rnam-par sbyar-ro.

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広田Bl巳門同ゲ白

DlHE-世田l}同]制OW

門日rETH】

D出回目白lH岡可巳iH】凶

rfowb田

Hmu邑1巳

ED--同]MPEG-E同20lrol}白FFBl由同巾・これを表示す

るん』、

。。。

元素

1v微細なる要素

1v五器官

lv自我意識↓統党機能lv根本質料

因なお五器官のみを挙げる例はサンスクリット・テキストにも後

出。(注目の箇所。なお注

7を参照)。しかし右のチベット訳と

合う例は見当たらない。開展の順序に関する諸説については拙

稿「大般浬般経に言及されたサ

i

ンキヤ説」(印度学仏教学研

究第九巻第二号)参照。

(お)この讐除は富同門

554E2・5・ミ・申IHC)及び金七十論

にある。苫-F酢匂

FSH-』円〈印片岡田包RDEmm〈ωZEE52-2恒

dQωrgB-陣営如下父存時見不よ

v得二自在一。

(部)二諦説はサ

l

ンキヤでは説かない。これは併教(宇井「悌

教汎論』上巻三四九頁以下)以外ではバルトリハリ、シャン

カラ等ヴェーダ

l

ンタ学派に存する。中村教授『ことばの形而

上学』一一一九頁以下、ロ

2印国

Subsめいえ向き仏間的てミbミ白"ω・

ロデ参照。

(幻)ロ長田宮l自己ESl〈5ug向・チベット訳

Emml官官

rrELl宮門

(部

)ω同局長円延長削ユ富由・

(却)チベット訳は第八頭の前半全体をここに出している。

芯認可戸}MFE問問

lE仏-pfgBir戸Eml宮

MND門HBEiE-

北大文学部紀要

mm-ー

(叩山)チベット訳は「一体誰によって作られるのであろうか」

回戸曲iruS岱「可巾仏!日)同H・lfm同口同lH0・

(泊)ニヤ

lヤ派、ヴアイシェ

Iシカ派など。備教を含むことも

ある。拙稿「マ

Iダヴア『全哲学綱要』の一考察||第一四章

サIンキヤ哲学」の文献学的研究」(『古代学』廻

213号)参

照。(辺)〈同削℃印}向田己吋ロハ]仏「ωl己匂

mrr門Hr--H)同回目岱岡山

-zu、同百『宮内rHHH・ω由

dMH官官三

EEEA宮FEEの実例として「ここに霜の接

触なし、火あるが故に」合同

HEE芯514Rbcgrロゆると述べ

る。即ちカマラシ

lラは第一の理由を因中無果論者に対する反

証であることを明白に述べているのである。

(鈎

)EEE24〈ぬなるも吋

F・5EIHUREωZEDωEによっ

て訂する。

(お)

5

7

同,

F・仏巾凹l口白・

(川品

)gmB同庁をチベット訳含ZZZ(S仏削)によって改む。

(お

)-c叩門田・チベットは

rmw岱llrm(宝玉〉。

(叩山〉チベット訳による0

}

h

F

可O門ア}qHFmTru戸町・

(幻〉第八、九回明を指す。

(お)第一

O、一一一鎮守}指す。

(お)テキストは広告白

EO〈CU

H

)

間ι帥口同日正}劃仏ぞ巳巾-uRWL

巾〈戸

EBR吾回目・しかしチベット訳によって百仏の前のタンダは除

くべきである。ロEUωー間白砂

-oロlH)釦fFH悶可ロ

EP--E仏]巾口1宮Hi

-213ー

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根本原質の考察

rU12凶

lr〕ユ・

(紛)この頚及び注釈に於てはハ以下も含めて)単数の結果

(}内問々とに対して原因は複数

(F22∞廿)で一不されている。こ

れは悌教的観念であって、偽教に於ては原因は唯一の質料因の

みではなく、諸縁を含めたものである。サlンキヤでは原因は

質料因のみである。

(剖)チベヅト訳は『苫ーlr目4212H凹l官(広田}qmrユ苫)とする

が、この顔の序の最初にも「不可能なるものを作ること」は悌

教徒も認めない、と主張しており、サンスクリヅト・テキスト

と同様に百円を除くべきである。

(必)山田白門}内骨三日内町一lチベずト訳は

rmHHFを除いてある

ofrg凹i

rEBal宮1出正-

(必)チベット訳は「無休」の語を欠く。

(HH)

凹邑・チベット訳は白色!古田・ここはチベヅト訳の誤りであ

ろう。

(必)テキストは

g仏同国也巳同しかしチベット訳の

U10門門司mwfFDDl

0・によって

gL吋回目)旦仰と読むべきである。

(日明)州出山内同チベット訳は

BO仏lH)同国三

gmwM込口司m-

(釘)口問】・出D仏E口RU『削〈同仲間Hm匂凶出』HryH)・印由ω・

(川崎)根本質料因の存在論証として肯定的(己宮)と否定的

(ミ聞広)の二種の推論が説かれるが、この論理学について、文

献など、拙稿「因中有果の論証法」(「印仏研』第十七巻第二

号、五八頁以下)を参照。

(的自

)ω旧同明日向「

3E1rm同

5・

5F

(印)チベット訳は「種々なる既顕現」(悶ω凶]igfrsmLl宮門・)

とする。

(日〉チベヅト訳は

gb目l宮で合わない。

(臼)チベヅト訳に欠く。

(臼)チベット訳は、純質・障問質についてと同様に「激質は苦と

いう語によって言い表わされる」邑己ーヨ-bmLロmlgpLl匂-F

mm『岳山ゲユD仏ILO-

(弘)

ω包白口同とすべきであろうo

チベヅト訳

(ωι051宮

)

はこれと合わない。

(日)チベヅト訳に欠く。

(白川)凹凶召巨〈Zmwlirdmチベット訳は間口忠]己岡田昨日ユ

EqR日luR

で、回同召ω岳削HE--bO2であろうか。後者の語については寸山口a

sr口百戸内出℃・

MM-N-H印wmRSL白山田自由gHHH雪印間同

MH〈-FJ可∞参

照。意味上の大きな違いはない。

(町)チベヂト訳はここで再び「というこの理由からも根本質料

因は存在する」という。佐官ゲヨトgfb-回目宵苫降四件ωo-ro

u『

D仏lU同

M1H口lロ0・

(回)チベット訳による

ofymum-

(臼)テキストは単に田尚昆rmFSIB-チベヅト訳は門出吉lmgDゲ

D-

(回)一一器官とあげるべきである。チベヅト訳は複数形で出す

214 -

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のみ

(LED-℃ClL山間)なお五器官について注討を参照。

(日

1m)チベヅト訳にはこの部分を欠く。

(臼)テキストはヨ∞ゲ出品問念宮HUE-HHZヨなるも、チベヅト訳によ

って補う。口ygH5ggmml宮宰

lgfHEHEfp口問l

宮廿0・

(臼)テキストは以上のように主張命題、理由の順巳出すが、チ

ベット訳はこの二段の文章のうち理由の部分を主張命題の前に

出している。

(山田)官凶門戸『酌口問

LRをチベット訳四円mol-rorrqlロml-Bによって

訂す。

(白山)第七煩。

(

)

Hm}門叶同時とヨ口一右足瓦巳は同義であるが、前者は能生者

一般、例えば統覚機能などをも指すことがあるのに対して、後

者は根本質料因のみを意味する。サ

lンキヤ煩第三参照。

(同町)∞同信}向日々共同立}内問

ω・

(邸)この句は現在ここにしか見出されず、作者は不明である。

今はテキストの通りに訳したが(〈ω缶詰河戸母子MHHorrub宮仲間

〈宮内凶「可ω〈削

as〉、ルドゥリラに関しては不明であり、ヴイ

γド

ウヤヴァ

lシンは世親伝に世親と同時代のサ

lンキヤ派の学匠

として紹介されている。従って両者の関係は不明である。チベ

?ト訳は「とルドゥリラによって説かれた。同様にヴインドゥ

ヤヴ

7

1シンも説く」

23ml宮

}Elm-凹ggロ1官l

え0・《目。l

北大文学部紀要

gzロゲ})何回ゲヨ仏間口国間i宮

fEfnED)とする。『真理綱要』の

英訳者ジャーは、テキストのまま読み、、ゥィ

γドヮヴァ

lシン

には「ヴインドゥヤ山の住人」の意味があることから、後者が

直接的に意味され、且つ前者も間接的に言及される(匂・勾・ロ・)

と説明するが、明快ではない。今後の問題である。

なおヴインドヤヴァージンは『真理綱要』第一四四五煩(四二

二頁)にも出る。またこの句の主題は苫仏

2ω}内包同国号

g《同町

S

《凶白LEとして冨TEg〈叫丹江(U-M∞・~・∞)などにもあり、サ

lンキ

ヤ派としては思想的に珍らしいものではない。出『白件仲間口円阿国々苫

(H,

m門芝ωgHHMmgrm司225H仏司-vu内口)はこの句を世親の司白

EE

B仙三宮田同吉田えのものと云うが、推定に留まる。

(

ω

)

第九額。

(刊)チベット訳は純資を最後に置く。注

2参照。

(礼〉この語をこのように解すべきことについて中村教授『こと

ぼの形而上学』一

OO頁参照。

(冗)テキストは「2=B旦芝凶訟であるが、チベヅト訳により訂

す。誕百円-EB--LS宮

l-山田D岡田l宮・この点に関しては第九

頭及びサ

キヤ額一

O、一一を参照。

(河

)Z72田昌也君邑チベずト訳は母国日

HE--四回匹。lιrogEロl

円FH

と解するが、正しくない。合成畳間として読むべきである。

(叫)テキストは

Fq向日内山口仲間。〈凹であるが、チベヅト訳により。

訂す。匹。凹l宮l出広

gE芯・何れとも確定しないことを云う。

-215 -

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年単14医出足Q持!'ll*

(民一巳)'j Q指令ぎか,,(~ム隠はム-6 (',(10 ga白 gis gtsoboーlas

chen-po dan, chen-po-las古a-rgyalshes-bya-ba-la sogs-pa

i).grub-pa i).gyur-ba gtso-bo-la sogs-pa-las chen-po-la sogs

pa skye-bar-nes-pa-la rjes-su i).gro-ba da直, ldog-pa rtogs-

pa i).gai). yan yod-pa ma-yin-no. dei).i phyir gtso-bo-la sogs

、 pa-laschen-po-la sogs-pa skyes-pai).i tha-snad i).di-ni rgyu-

mtshan med-pa kho-nai).o 'j 兵 U 緊矧←時総-þ<~締μna ca

pradhanadibhyo mahadãdyutpattivyavahãra与や~,(ð~ミ心'

侭 Q,ト"(~ι伝 Qm凶器~W 話取Q ト:t\-' 時的。

(記) 'j Q .lJ:Ii~ ゃム νNyãyakandali p. 73.ll. 19 ff.州側陸。

(fこ) yavata.も"(~ム粍笠 ga古 gi phyir.

([e)か,,( "ム~~ gtso-bo

(~) i). di-\tar. 叙*11~ ぷ,/ 0

(昆) 1ト骨代 ι~ brhattva .;:当時J か,,("ι~ (rgan-bo-nid)

11ム-6""ねが。

(OC:) dharmin --'J dharma Q ~ ~盟主4 区Jν~ :;t 11 Tattvakaumudi,

SarvadaisanasaIp.graha XIV. 62 f., YS. III. 13 .;:ヨ旬以4 程υ

必*的。 1~ 里草草~l鑓 í i"一、 b、ト W<ltl\知計~陣~ Q 1 #中国IU-114¥堕:。

(~) anyathatvad,ト,,("ム馬~判事事1"迫-r 0 ran-bshin gshan-

du i).gyur-ba一五id-ni(ma yin-no).

(自) 1卜帝代ムピ dharma--'J-rト(d.,9ト"("ι区 chos-can廷判心

1厄←。

(;;s-苫),j Q指令 Q~"(" ム係当事E笹~-0 ('ν ム的。 ítV Q軍軍司a

~.,9制,(1 1M主主当 Q +H士金協ム士~IM壁掛 ,(1)(ð.,9 Q~lや伺y 110QIM主主日

営盟主主司 Q 十tH金~oD:1$程jQ 制法--'J囲~~ヨ心 -0:, QV,骨子01ミ心':1$帯主

Q 州主主4血栓--'Jlli!: ~11~軍基-r >(d 'j 心~.0 v" 制~>(ð 'J ,吋~~:;.。

〔制w民主買11)1M童謡 Q 州主主 ~110 Qlli理組--'J副(必cD';:ヨム手話~' [MiJj:

主日叩士主--'Jlli!:~l1tV*制 \-'1キt\J,....l,!:qミ (',(1.,9 Q':f, 制 υ' 々*制や

枠制,....l,(1.,9Q ':役軍事-r>(d手当主l":, ~ミ-0>(ð.,9 Q \-,.,9lli!: I -0>(ð.,9 Q 京

阪去三か>(d--'Jユ'",j --'J ~ t語科,....l.;:ヨム。

de-¥ta-na yan chos-can nam chos-su i).gyur-ba yin chos gnis

chos-can-gyi gnas-skabs-can-lastha-mi-dad-pai).i-phyir gnas

skabs-car可 yiran-gi古o-bob出 n-duldog-pa yan med. skeームba yan med-do. chos g五時 laschos-can ma yin-pai).i phyir

chos-kyi ran-gi白o-bobshin-du sna-na-med-pa skye-shin

sna-ma i).jig-pa yin-pai).i phyir gcig i).gai). ya古 yons-su

i).gyur-bar mi i).grub-bo.

(~) upek~ya'ト 1て hι~~ yal-bar-dor-nas.

(~) 1ト骨 κ ム~ vade ~己,....l,ト"( "ム揺さ三 smras-pa--'Jヤ点。

([;;) 総 11く感。

(12) 主主総説 Q'e;井手--'J,....lド bauddha ':f, 1 j讃:1H\-,~>(ð後, saugata

(くsugata緋県)tathagata, (くtathagata主主※, Prama早ava-

rttikabha干ya,Index, s. v.) Sãkyabhik~u (Tattvakaumudi,

ChSS. p. 163. 1.1) Vainasika (id. p. 212. 1.2) -0勾.,9Ht::,

ー.ひ司

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られる。

(鈎

)ω凶召rr百「間三昨問由・

(別)チベット訳は『rgωlσ戸可D千百・(因中有果なり)とする

が、誤りである。

(引)サ1ンキヤ頚に

g邑-1長田円山口忠:::団防長身可白Bと説かれる

のを同

(H口問〉凹邑IωEHm恒

ri---と分けて解し、最初の否定辞

EHr悶々回目にかかる、と言うのである。勿論これは文法的

には誤りであるが、「無は作られず」を「有は作られず」とし、

他の理由はそのまま保存しても、因中無果が主張される、とい

う趣意である。

(回)可mwb口orrs、。同色。叩O

出国おき巾}gbncLu、ouコHrg(郎

nc仏国司同門日

53rrmH4EC・(吋

F・;・

:ιom巳mil-ω在日同lrRロmmlumgT同50)

なお句g-Eロロω句史凶同(HU

・ωι・~-M)

には『白戸})}M3

占吋仏O叩D

ロ凶

芯口出長田臨口DLU3rr吉田片岡とあり、

ZBは広口ωと読むべきであ

ろう。

(回)チベヅト訳は

38円

H

U白

fbB同三口Iロ回目・

(叫)字義通りには「中間の状態のごとく」であるo

現象の流転

について生起官庁哲三円。.存続(凹HFIG-帰滅

ZE-ミるの二一

つの段階が説かれる(〈問]・∞同HHHWS共同片山富

g・γ向削同日4・CH】-H-

N-Y向削HL・民間ユrmw口-M∞・吋巳3・d℃

-HHH・H-H,白片言削同手間・

昏日間ω58同片岡山〈-

N申・その他の説については中村教授の「東洋

人の思惟方法』上、二一七l八頁参照。)従って中間の状態とは

北大文学部紀要

存続の段階であり

d

潜在的なものが現実態として存する状態を

言う。(古代ギリシャにも「凡ての存在するものの初め、真中、

終り」という表現がある。山本光雄『初期ギリシャ哲学者断片

集』一一頁、断片四)

(部)大乗『大般混撲経』の「色味各呉服用不同」などを参照

(大正二一、五七一一頁下、七行〉

(郎防)この部分はチベヅト訳に欠く。

(

W

)

焚本に欠く。

(伺)有財釈の説明。

(叩)サlンキヤ頚では精神(口巳

g口百

HURSω)は因果関係の

外に立っている(拙稿「サ

l

ンキヤ哲学に於けるプルシヤ観の

一つの問題||邑E172について||」『印度学悌教学研

究』第十三巻二号一六二頁以下参照。)従って『真理綱要』のこ

の記述はサIンキヤ頚そのものの思想ではなく、同じく同書に

扱う「プルシヤの検討」章に見られる思想を前提している。

(問)この頚はヴェーダ

lンタを論ずる部分にも出る(第一五

二頚)。

(mlm)この部分はチベヅト訳に欠く。

(mlm)この部分はチベット訳の方が趣旨が明瞭である。「敵者

の主張によれば乳等の状態に於ても酪等の結果が完全に存在し

ている。

問団『ロ1同可ぽ室。ιl匂目的

fDl自由l]回目O岡田!日】田町口白印|ω}gr目lg三島

-217 -

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i

∞HNl

(包〉剖bya-bha.va.dヤ Tib.bsgrub-bya med-pa~i phyiro以

吋.0 1~ ←。

(吉) svav醐 n日 irodha.糾牧『窓総経割削 1111引く、 111<OJm!:'

Nya.yamukha (Tuccis tr.) p. 7. ./.ヨ勾4K¥s長。

( 自) satka.ryam iti ca pr 抗叩igh渇亘t匂a~. Tib. ~bras-bu yod-pa yin shes kyan dam bcas-nas.

de bkag-pa~i phyir ra白-gitshig dan ~gal-lo・

(吉〉 芯ト計一川午邸総兵役図吾議域以Ç\.~ ¥--'4照買初兵m

!'(d 'j AJ制緩ふ4王者宅繕11::JK,...)ド鎚Y点。

(日) ta回 cayatha. h叫 na.lllka.叫abha.vo'sti 'j 'j ¥-J :';!窓心

-R 11 k孟ral).abha.va:';! r脹図起JAJ絵杓.,;νム点。(;':jおか"("

ム伝記 jiーltarde-la rgyu-rnams-kyi byed-pa yod-pa AJ ~ヨ F

¥--';二時。)AJ ,jト0¥-J,j Q 市IIT桝田抵当心ム心主」量生J 厚生時 Q \-J~

FνP 中ー λJヤ← E草書官千ミ Q li;'g組長側iílQ~U~昔話 e 吋"'"だ早~~I明';f;,

E司'-".,;子。。

ヱbha.va ~起富岡 Q艇 AJill司 ν 「棋倒~~阪国 AJ Illi: 1 Q組組制持

←!'(d,j叫 JAJ縞li1¥1民的。 GaUdatadabhasya--k孟ral).alllyalla-

k~a早alll tallak与a早ameva k孟ryamapi. Matharavrtti-iba loke

yallak号a早alllka.ra早a早 tallak~a早alll ka.ryalll sya. t. 司持品1十

結--~II [g]車型車臣 l 断書型民主主制。 Tattvakaumudi← ka.ryasya

ka.ral).a.tmakatv孟t(= Candrika)

:o:r医図 Ql中WJAJ ~生'Ì"'!'(ð -/i! QO Jayama舟gala--ka.ral).asya

製*医嗣Q司¥['餓

sho-la sogs-pa~i ~bras-bu bdag一色idthams-cad-kyis yod-pa

ymo.

(き) na va.naika.nt加 亘 he時 Tib.gtan-tsh申 mane円 a

yafi ma ym te.

(さ) *' "( "ι引ぷ〉。

(吉〕

(吉) s旬 仙yaka.地亙 3.

(告〉 総|く感Q刷出a~ 制課←。

(喜一言)*' "( "ム係笠「ふ vQ;jAJV騒感想的要ゆ羽生組4←ぬ話士記士1 制緩,...).{.ヨム手話l1'>v.,;手話 111~首謀E眼や必::. "J -¥l 11 .{;当

時, AJ,ユm絡橋';f;,藍E量←!'(dUAJ11:';!;':j'-";':jム。J~di ltar mnon-

par gsal-ba-la sogs-pa~i mtshan-nid-kyi khyad-par-ni

bskyed-par bya-ba ma yin-pa~i phyir. des-na thams-cad

~bras-bu ma yin-par thal-bar mi ~gyur-ro.

(き〕総 1<題。

(吉) Sa.I)'拙yaka.地亘 9.

(己〉綜特山時o *' "( "ム伝記 med-pami byed-pa AJ,...) ¥--' ~ 点。り 'j :,;!草~*~同 J ユ。組 cc百) ~4K\度。

(自-S〉M hι制,jQ活魚百余思やじ。 d巴-bshin-dunus-

pa byed-pa与iphyir shes-bya-ba ~di g五iskyan rig-pa ma yin

te. bsgrub-bya med-pa-nid防 phyir-ro.

Tib. bsgrub-ba

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g24問《同日々

R任問]日・

同「因果関係」と解するもの。これは同と明確には区別出来な

いであろうo

可制与え丸町、民』

whip悶回国HF}内間同町四百円同恒

mrEJS口問的昨日・

仲間門日山、三『同

rmwHM内田}戸山、削可問]下回的立口命日岡田町削円mw一恒国ゲ}戸間〈回fgロ門戸H沼田明mwu、。田

仲間田口同間同国間同町削HU刊田口「

(なお詳くは拙稿「提婆・婆薮によって言及されたサ

lンキヤ

思想」(北大文学部紀要十八/一〉九九頁以下、「悶中有果の論

証法」(『印仏研』第十七巻第二号)五七頁以下参照。〉

〈山)第二五煩の注釈を参照。

(山)テキストの巳匂包三日を出版者は三

ZL可伊丹52であろ

うとするが、ここでもそう読む。チベ?ト訳は口

ZEmσω片山花門戸I

匂間同

σ可白lr州

WHfmヨ同・

(問)互毛EBrrpry-dmzzrS0・、吋子宮

HmT官官

mg-r白

mr岳山ゲ同国irmw-

(凶〉ここに述べられるサ1

ンキヤ派の主張は正しくない。サ

i

γキヤ頚によれば確定的認識はやはり統覚機能に帰されるべき

である。(『統覚機能とは確認の作用である』サlγキヤ額二

一ニ。)これに対するカマラシ

lラの反論に於ける知的作用を全

て同一視する態度(例えばその類別は

nEP522W13MHE

を同じものとみなすこと)はまさに悌教の立場であって、サー

ンキヤでは統党機能と意を同一視することは出来ない。

(四〉「プルシヤの考察」の章。

北大文学部紀要

(邸)このように解脱智は二五原理の智とも二元の智とも呼ばれ

る。拙稿「サ

l

ンキヤ哲学に於けるプルシヤ観の一つの問題」

一六八頁注三参照。

(国)チベット訳は「獲得されるべきもの、捨棄されるべきもの

は何ら存在しない。」

EDN巳

Porl司田町

σ百官

BD降ωl

也氏『吉区宮内島1宮・

(四)チベット訳ではここに次の文が挿入されている。庁三陸

ま邑l古田門目。口

BElιcm宮lg-

(凶)第八頚の注釈。

(凶)吉山

rES・、ロゲ

-b?『0・

(凶)口山口同匂で若包

E

Y同rEar-E三日旧宮告〈目印門戸苫口同

EL2ωEfmgrzgHM戸己

ιι73円

-dσ-mωplm-m仏

ωi巴ιgpl

grHロEEHVRHvm円EσlロmHfm吉吋lgωぞσEl-mmmPRSml

gfF

HET-】

cr可C仏

Eローロl口0・従って宮内-ECの後も切

らずに続けて読むべきである。

(四)也監Em注目何回

S-HJr・mgrl七日間三『

15・

(問〉因の一一一相のうちの異口問遍無性(三宮50.E25)を念頭

においている。

(m)党本は

Eのみであるが、チベット訳は田

EZo仏ムcと

補つである。

(四)三正当国由民百三三・吋,

FHqロ125∞B丘]宮

HBEEml

-219 -

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ICNNl

(吉ーヨ)na by avadhim antareJ;la' vadhimato' sti叫 bh亘val).

Tib. l)bras-bu med-par l)bras-bu rgyu dan-Idan-pa yod-pa-

ni yin-no. (ni t: ma ...IJ憾ねてO¥¥Jやさ守心的。)

(き〉 駅特μぷv .,d>Ti出b.y刊0吋叶dι一 na旧a計

(宝〉 川 κム笠 adhy亘むropがit匂a ¥'-'崎の徒ν,

anadhyaropita ...IJ#,活必, sgro ma btags-pa.

(ヨ) na 蜘 1叫 pamt: na nama riipam 11.ねド

(宝) ka叫岬 v亙 k亘むrya叩I町瓜I

bu Idog st巴.

( 吉) na ωE匂守irasyadadhi凶hin山1iniS匂ωa1北山刷kti王uω耐tirity eva凶 dir耐 1

vas計t百n亘I叩Tlr白pa叫耳早lSvabh亙vobhavati. yena tan nivartamanarp

tathavidharp vastu nivarttayet. Tib. (1) gan-gis de log-

pa-na rnam-pa de Ita-b吟idnos-po Idog-par l)gyur la (2)

l)o-ma-Ia ni sho-bal)i nus-pa yod-do shes bya-ba ni de-Ita-

bu-Ia sogs-pal)i min ste. tha-snad d白os-po-rnams-kyiran-

gi no-bol)i ran-bshin ni yod-pa ma yin-no. (3) ga直 gisde

Idog-pa-na d巴ーIta-burnam-pal)i dnos-po Idog-par l)gyuro.

'J 0 "'_"" ¥ト,(~ム揺 034i?:...IJt:ill!:-Þ\\'-'採択 Q組幹積叫嬰剤ト

テ,,~ミ心 l' 3~ 制騨,...J .{.2@五羽田君心£向。

(言〉 川 Kι 11.t:'J 0~ ...IJ11.軍監榊山 F 与Jk亘叫叩 gρwate

':E,健日当初 ~ν :::, I'Q 0 製mrrt:俗博者←向後 l' ~JQMm~ ,ト"( ~ι 厄 U

4枠組 ~,,'::j ム。

Tト"(~ム1i!;â1l斗心

思*睡眠0~中国日

pa-Ia.

(包) kim iti町 vamsarv町 a-a同時 k吾川町 nabhava出.

Tib. cil)i phyir rgyu-rnams can rgyu-med-pa thams-cad

rgyu mi l;tgyur s五am-dusems-na.

(さ) tulye hi satkaritve. Tib. yod-par 帥 hu白吋arーla

(自) sad api Tib yod-pa yin-na yan. ~μ恨ぽ必匂ぎ鰍巡

11 ~i牛柑J4f J二.,d> 00~ ...IJ ~\--'0"'~ ユ心兵子。。

(吉) sarvakarakam 0糧 怠同 時' 紙特 ぎ 11S拠とが協ユ

t: 1 S':E, 'J~';いとの J (sarvasya karakal11 sarvarp va karakarp

asya) ...IJ.)守的':E,'.Jr士1ホ"(~ム係 U ま記Í' .¥..! 0 thams-cad-kyi l;tam

l;tdiーlal;tbras-bu thams-cad-kyi byed-pa.

(~) 叫 vadお制a仰 eぷ, pi k王申aむry刊向S句ザ〉

na 臼 s均号r町var中Tls悶arva北karakねa叩m bha肝Vl早~yほ訓a抗刊t仕i , Tib. de bshin l;tbras-bu

m巴d-pa-named-pa l;tgal;t shig rjes-su l;tgro-ba med-pa yin

yan thams-ca thams-cad byed par ni mi l;tgyur-ro恕*0

riipa誌か"(~ム~\'-' t: asat 11. m国初望書川心~νJ二時。

(き) k抑 acit kascid eva h伽 rbhavati. T弘l;tgal;tshig nid

kyi rgyur l;tgyur-te.

(宮〉恕特Q 出 udhyete ぎ Tib. l)gal-bar l)gyur 11.吋 Fド

virudhyete ...IJ 1胞か。

(言) saktyaniyamam づい絡のo Tib. nus-pa 白es戸 pa med-pa.

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(凶〉

ESZErasrr削〈白・〈凹]・

ω555F出口LLYH切門戸O向日・

ロ・℃・

2・ロ-

H

・金倉円照『印度精神文化の研究』二一七五頁。

(凶〉自主

535有印℃ロotとあるもチベット訳

(E150四回l宮H

fmv『戸吋lrωlf∞B)により、♀可伊丹〈ωEに-訂す。

(問)第二八頭の注釈。

(肌〉田口出向

E5Frow立

72戸廿但しチベット訳は

mglgE問団

ロ巾臼匂白山、田口可回口。・

(切〉サ

lンキヤ額第九の五項目の理由が不定である、というの

は本書の反駁が開始される第十六頚とその注釈から一貫してい

る立場である。理由が不定であることは論理学的には理由が誤

りであることにほかならない。

(邸)可己至。但しチベット訳は丘四ωl宮

2315・

(国)由良品同門}戸田町宮町山口同〈白

35同品EBrrz旧同・ゴ

r-E自由l

町田仏門凶Cロ間三

ruN白lgp∞B印

lg仏「百円同1沼田fFEP--grE50ιl

HU白}MFH)ru--HHC-

(悶)第一一一一頚参照。

(間)「若有生、因中未レ生時果慮可レ見、貨不v可レ見、如ニ泥中

瓶蒲中席一蔭可ν見而賓不レ可ν見、是故有不v生」(十一一門論、

大正三

O'一六

O頁下)参照。

(即〉〈

m--ES548問EEEミ削nBums-E召

325rHFa

}向日同回目ぐ同削旬間叫四回世田昨ωSFH自由吋(阿山田百三回和同一回ヲミ叶同・)

北大文学部紀要

(四)口削ミ

gmロロ削

HHSEH吋HnEBFヨ仏

iX35w口問〈間ぐ82・

∞〈白『}岡山

gfw買え

SOLEErg-巳dm恒三〈同〔】

ωω伊丹門〈白間百同チベヅ

ト訳は

B止l宮

mrgsmg宮岱佐佐合同岱

lEL百千百}吉田-

Eω日!日)州民廿

mv己吋『β

巳宮田三口1口0・ョ。仏|宮

rHEZFωロ1Eι三

円同吉田|匂o-1吋田島一「凹広口『Em--出昨日山口同三口

l】)出fHU71吋iH0・今は

チベ?ト訳によった。

(四)第一七領以下参照。

(附)巳唱え台チベット訳各国BTgL悶

Erl宮・

(悶)サlンキヤ頭一第九。

(問)共に]内同

EErr同g-チベヅト訳は前の場合を同四百f-EC凹l

宮とし、後の場合を同四百可OL--出とする。なお前掲「因中有

果の論証法」六

O頁参院…。

(邸)真理綱一安のサ

lンキヤ批判の力点がここに置かれているこ

とは第一六頭に明らかである。

(胤)〈

m-・3hyEEHE53EH志向℃

ω53口円

23z

rr間四ωir白]白!昨日一同日同可削〈白出手間12白・

(邸)毘婆沙師即ち説一切有部では、現象(有鋳〉を規定する原

理として生起・持続・変化・滅の四を立てる。それら自身もま

た超現象的ではなく、現象の内に含められる。

(附)第五

O九l五二一一二頒に論じられている。

しては『中論』第七章など。

-221ー

外に四相の批判と

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根本原質の考察

(一川)ヴアイシェ

lジカ学派では抽象的実体をまず想定し、性

質・運動(生起なども含む)などはこの実体に内属するものと

みなされる。

(協)第八二三頭以下参照。

(問)この備は

NJghESミミ白

HHFH回目にある。同書の刊本

では回出門仲間同宅問。と切ってあるが、真綱理要のごとくに続けて

読むべきである。

(m)EEgErzstチベ

V

ト訳は

mamH幸

l官

EBa吉岡山EDfERlr同日間同日ロl口0・

(m)乱立

ggZ2阻害陣三ロ同

EBEFE?チベット訳は百千

宮内同同酔宮内仏匂曲目

DRfr吉PJEι同UHM}U5]lr回目。

ι1仏m-今は

チベヅト訳によった。

(問)これは中観派の立場を表明するもので、戯論が滅するなら

ば、生滅その他は存しないとされる(〈巴・、、SSN奈良》昌弘ぬ匂-

HH)。なお阿羅漢の到達する境地もまた有無、生滅などがない、

とされる。

~rh自bh刊誌N.

九九時的日匂・

ω]{由・

(m)EFBF伯仲間Lry同庁巾・チベヅト訳は

gHl空間口日l凹Erml

]曲目

mD由同1何日『-m口問回目昨ωσωrmr円ロi門】己問。

ιl口同回目い0・r仏Dml同)白内HUOm--

H)O廿HDoro可。

ιlH)mW1p口出・

(問)チベット訳は異なる。目。

ιl宮

mr旬。fomrgsmlrmf

rg岡田lH)白vfFH問問口

gzrmロ廿島可oιumwBm凶ヨロlロ0・

(同)同〈白田

Err同〈附同は宅問団吉1田匹削〈竺と切って読むべきで

ある。チベザト訳

mg目l凹EZBal宮τ匂F15・

(mlm)チベ

V

ト訳は文章が少し違っている。「顕現態に於てで

あるのか、或いは可能態に於てであるのか。もしも顕現態に於

てであるとするならば、その場合には乳等の状態に於て酪等が

(生起した〉後のごとくに知覚されるという過失が附随する故

に。」

imE-一EHZbcσcm印Effcロ円何百戸ω!官HVFPC-一『C日吉

岡町田仏・聞に

5四回目アEfbolrsヨロ15?fzzfcHEIr

O問印|官官間口自

ωEZlE目ro--ωωO四回l官

Z15FH口合

仏包括的l℃m弓円FmwアrmwfH匂

}4MHIS-

(的

)ι同LF同包巾

fEH三同国℃包毛ωFEE-ω52ω空間宮包・チベ

ザト訳は門戸口出問

T官官

BE冨口l同年仏戸間『己lgτHMcrc臼

roI

-mmcmmumffσEωlr戸l-a-

(同)本書では因中有果の攻撃のために因中無果の立場を強く出

している。これは「無より生ずる」(凶σr口言劃

rr由〈戸廿)という

定型句で偽教に於て表現される。

(Hvcg百回、可E83wRNb白門出向司-

N

B

ロ-N)

大乗の『大般湿繋経』では同じ乳と酪の響喰を用い

つつ、「亦有亦鉱山」即ち因より果の成立する点では有であるが、

因果は種々の点で区別される故に無である、として、因中有

果・無果の綜合をめざしている。大正十二、五七二頁下。

(問)〈間「』hshbE3白H-rS2wH・

s・

(

)

-222-

純質H楽、激質日音、務質H療としてサ

1ンキヤでは説か

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れる。

(悶)第一四頚参照。

(四)この指摘は非常に重要である。サ

Iンキヤ哲学ではヴアイ

シェ

lシヵ、-一ヤ

iヤなどの学派と異なって、実体とその属

性との区別を立てない。のみならず主観と客観も原理としては

区別されない。むしろ心理的現象を外界にそのまま投影する。

三種の構成要索の定義は物質としてでなく、楽・苦・療をはじ

めとする種々の心理的要素の列挙によってなされる。そこで仏

教の法の概念と比較することが出来る。(吋r・ωHnZHgzrF

bp白、、さ白白色¥HF間切実ミMHなな白WNhNS向。宮崎NSq¥急時めhSF』し志向-

H出ρ・M内・日V-J-ι日間山』凶nor-uりな同誌刊さ内町ミ宮始時ahh叫町、

CDHなに九時間噌匂-

g・また和辻哲郎「原始働教の実践哲学」一八

O頁以下の五慈

の解釈はこのような方向にある。)これはイ

γド人一般の思惟

方法として基体の明示よりは性質的規定の明示に重点を置くこ

とと無関係ではない。(中村元「東洋人の思惟方法」第一部九

九l

一OO頁参照〉構成要索が実体であると明言されるのはず

っと後代である。「純質等は実体であり、ヴアイシェ

lシカ哲学

の属性ではない」(∞刷局長円何者同国口同E-rE匂同

H・

s・同)・N∞-N-S)

一般に学者は実体概念に近ずけて解する。。RZ-h叫ね遺罫して白l

旬以』凡な伺己、』

wp・HUH寸-m-N叶Ml町一

UO戸田mm口、与とhSHhw言問。g円、に円PHm

h内町、

hu~N凡なhqhuPRFUω-hH・品NEl斗一

052『OHm-bなトhpミ

九時始、句、ミNHS白人窓口回当-m-Z∞除〉ロ5・呂町・しかしこの解釈

北大文学部紀要

を一応留保して文献に於ける表現方法に即して考察する必要が

ある。このような意味から、シャ

テイラクシタ及びカマラ

シlラのこの記述は注目に値する。

(郎)これはサ

iンキヤの主張する純粋精神ではあり得ない。サ

ーンキヤではプ凡シヤは精神である。(∞同・ロwNOU

日目〉「真理

綱要」第一七一額以下に、ニヤ

lヤ派の主張として、欲望など

の基体ではあるが精神を有しないアlトマンが説かれている。

(胤〉正

dmヨEE宮

FEr-『チベット訳は由yg芝山

E

E

rr古島1沼田円『旬。ιl官百円

ιBH四回l])戸『0・

(邸)この論式には問題、がある。前半はもρ

から

lAUl匂と

いう正しい-論式を導いているo

後半は』UHVの不成立から℃U』

も成立しないことを言う。この場合同)と

ρとの外延が同一で

あることが前提されない限り誤りである。

(国)同伊丹田

81L門口古田HS召凹crF包刊誌HHfチベット訳は仏OFH

ち吉正?El-ω凹

om凹l官lHBEEH岡山山l官官

Hbog-虫色戸と

して門巳を品。笠間】「山三と解する。しかしこれは誤解で宮貯は

前の文中の

gzsg召三ιの

Hえを指すと解釈すべきであろ

η

ノ。

一223-

(即

)ωロrr田宮豆仲間司削除門口唱。宮とあるもチベット訳は庄内IZ--ω

momω旬日

lHEB凹

ι官『

E含

HE凶lH)国lrmcmmumfFDDlrg

とあり、今はチベット訳によった。間期に

grrh山岳とあるのを

注解している、と解すべきであろうからである。

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根本原質の考察

(国)ヨι29}戸一

3

E品問ロ富山口EUゅEm同何回

ω削片山佳品官

gfmg-

ヨ召巴

EEHMHgngrgvgHH---チベ?ト訳は問団乙lg悶

ωZロ1

F

E目立gT宮

τ開口Hl官lzgmT宮]MHDoromg吉

O

EDEL--h同岡山

mgrω門巾・

LOE四日

TUm-gロ・すなわちチベット

訳は協同削内山口口官告と読んでいる。

(悶)これについては第二七煩の注釈を参照。

(削)前出の場合と共に、楽、不楽、捨合同

Fagw毛去回目S)

という表現はサlンキヤでは用いないが、悌教では一般的であ

る。(関山口正弘己ω同】・

ω由J1wN-Eいミ』fhwashbミ

t-hbbミ』白、遺品a

除。ιrHHUHhFFHbH]一・叶|∞・ち-H()。~-HJ可〉

(別)日間門間佳品宮ヨチベヅト訳耳目l宮

Em可

Zl℃1mg四回l

官ifF匹

GIro-

(

)

lガ行者には他人の心を知る特別の能力があるとされ

Q

(問)一般的な意味である。なお

U-Sミ-MN

同・では推論家によ

ってミ!?lンサ

1派の人を意味している。

(削)回同rq帥門

ErFEヨロロrE152問昨日包ミ白

fm百『・チベヅ

ト訳は・・

:Fgmml官「岳山口lL己

ιHZ凹12E。lr同]白田O岡田出回目1

2日可OD--rRf間ヨ肖0・

(防

)

E

S同3F君主口チベット訳

Z115}l問1LD口百

Ll也氏

ωBgig-ここでは勿論一般的な意味であるが、外境有論者とい

うとき、悌教では経量部を指す。これについては句むさ昌弘司三目

白書同認さ句、2hvb

口を参照。

(附)唯識では外的対象はすべて識の転変に外ならず、識を離れ

ては存しない、と説かれる。

(即)因の三相のうち、向品定有性器官

E白仰ぐ日

E53を指

す。

(防)毛色E

Sチベット訳出命lrRF守宮・

(問

)F5E0・チベット訳はユ

DB-

(捌)以上の主観と客観の関係は、鉄と磁石、事物と水晶F

など

の警喰によって表現される「反映説」である。主観に何らの変

化も生ずることなく客観が単にその映像を映すのみであるとい

う思想である。詳しくは羽田野伯猷「数論派のプ一フティビ

γパ

(反影)説について」(『文化』第十巻第九号、昭和十八年九

月)参照。

(加)習気、数習共に仏教的用語であるが、他の哲学派でも用い

られる。〈吃

-M3bHHtS岳民段、dSH-Eい見め・口門田口・

N0・

(m)rr同5spryirrrm包同区

HH】Em-チベット訳は&ロ凹l

同〕同念日凶百円凹門日ロ

mlHUm--52rm凶口

BRimo自由!日出・これについては

勺言遺書向、白紅白

ω念切

ω目。を参照。

(加)宮吋与問F

チベット訳一は江戸(馬〉とあり、チベット訳者は

zgr山田という語形を読んでいたことになる。

(制)この『宣明は宮口回目含阻止及び記口

EBB-Zの句、急き白目

前ミミlsaH白HH・M-Hに対する復註、句、白匂言ミN

戸てbHZ免除白目

-224

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的措マ白〈

HN・Hω

などにも出る。

(加)この問題は純粋精神に関して別の角度から第二九三一頒に於

て論ぜられている。

〈獅)チベヅト訳にはロrSFEl口包・とある。

(加〉この点はサlンキヤ煩及び諸注釈童日の中で詳細に論じられ

ている。それによれば、主観に存する三種の横成要索の何れか

が優勢になることによって、憂いとか喜びをもち得る状態にあ

り、他方対象もまた三種の構成要索から成る故に、同一の対象

であっても、異なる主観に対して異った仕方で受けとめられ

る。(サlγキヤ煩一一一及び諸注釈書参照)

(抑)党本には

g53四割口問とあるもチベット訳には包括

mH

百回目lHURP白l宮!とあるのに従った。サ

lンキヤ哲学でも眼識

或いは限根による認識という表現は用いられるが限識・耳識な

どの六識は偽教に特有のものである。

(抑

)E4U℃共同!自己官一岱正一戸町田己℃『凶器佐官l同宮けにl〈宮『百三

寸叶四円円Fmw}内田召百回目同恒

mwB-チベット訳は異る区切り方をとり且

つ目立電器

mrwwを主語に読む

omrgruH日igErruE仏l℃R

ru吊ιl]出

EEH

内山

SHmmlM】

mvf0・FmgpHFm-一rR廿間町民一『

mE・

g-cm1官l]仰向ロO仏l旬。lgロl凹1zgハ回目品

0・

(別〉主主

Fチベ

V

ト訳は単に

EFODE-

(加)三}内田一宮田五告(一志田宮仏え〉とあるのをヨ

ESmmB立と

む。チベット訳自由ヨl宮HH門田向lumH苫P

北大文学部紀要

(氾)ぐ問

--EE白lEEAEEロSElEミoiEEmf-5hミ・

九叫白~司、色][切由・

(加〉宮52ωEESEロZ

2

2

5

3円石田正門可ω汁

HB

HM日常回同EEH戸口問BFチベット訳

Eb--mFιc口三

cmml官官口三口i

MU同号

f岳虫色常凹l宮叶EBmgFD町田

lum〕ユロlE0・

(制)第一四頭参照。

(加)純粋精神がヨ

lガの対象とされたことはペC岡田口片岡田

HFB

などにも説かれ、またこれをより高次の神として説く』hFP・

凶HFωN0・寸mv

同・切』日ahS足

耐久尚

thqh凶円HUHHH・なども参照される。

しかしサ

lンキヤ頚は無神論的であり、ヨ

lガの実修の際にも

根本原質にもとづく諸原理の否定が中心をなす。従ってここに

サIンキヤ派をも含めて列挙していることは注意される。

(加)第三プ七頭の注釈参照。

(加)第三六頭の注釈参照。

(出)サ

I

ンキヤ額一五。

(加)サ

lンキヤ額一

O参照。

(捌)結果が本質とするものを、原因もまた本質とすべきであ

る、というのがサlγキヤの主張である。サlンキヤ頭一四、

及び諸注釈参照。

(組〉党本には

ESEZとあるも

E5225と訂す。チベ

ヅト訳は

ιmwDlEωD11H)mwHfιD仏l]回

(m〉党

R2152ωli℃山長田とあるも、

-225-

チベヅト訳

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根本原質の考察

ロYom-nmロllm-ryU1日LUR-)rubロnFF聞により門FRE--と訂

す。有法差別相違とは、主張命題の主語(有法)が矛盾を含む

ことを云う。宇井伯寿『偽教論理学」二六

O

|二六一頁参照。

(m)FREfチベずト訳は口宮田

18ロ・後者を採用した。前註

を参照。

(捌)究本には片山田BRとあるも、チベット訳に

mElm-辛苦

とあるのに従うo

(却)この点は既に第一六頚の注釈の中で論じられている。

(m)こ

sgsbb由民品切・∞ア~・申にも出ている。

(釘)党本には

(5cq注目とあるが、チベヅト訳吉島!宮

myg

『苫

gizmO四回l宮によって、

gLZB岳と読む。

(m)ω同FHZ官チベヅト訳「凹門戸守宮

τ

(m)同HBEmgE換言すれば「諸法に我ありと考えること」。

(却)第八章「堅固なる事物の考察」を指す。

(加)所立法とは主張命題の客一語であり、能立法とは理由命題の

客語である。

(

m

)

この議論の前提にはサ

lンキヤが多数の精神の存在を認め

ることが挙げられねばならない。それ自体は相互に全く差別さ

れない純粋精神が多数存在するという主張に対して、前来の論

理を適用するのである。

(

m

)

白色仲間ロヨ・チベヅト訳はお日間l宮

ABとするも誤り。

(却

)rFogs-チベット訳は単に回目l『同l旬

C-

(部

)EHElr町田恒守rrTU口口問チベヂト訳円四百

pp『rHEIE

円同

σ可。吋可

O仏lH}mwfFHvru己】勺仏回世・

(邸)サ

lンキヤ頚九参照。

(加)根本原質がかかる一種の精神性を有することを古典サ

iン

キヤは認めない。例えばサ

l

ンキヤ頚五七は根本原質の開展を

たとえて「仔牛の成長のために無知なる乳の流出があるごと

く」と一云う。カマラシ

1ラも直後に「考察力ある」原因という

想定を否定しており、その限りでは古典サlンキヤと同一であ

る。なおこの問題に関しては拙稿「サ

l

ンキヤ哲学に於けるプ

ルシヤ観の一つの問題」(『印偽研』第十三巻一一号六一

0ページ

以下)を参照。

(邸)党本にはロエ志向H

とあるが、チベット訳は

FF千官

ある。

(m)無から生じた法、か無に帰することを連続を有しない消滅と

言い、これが無常である。

(田忠弘

gEEE昌吉三口問

bog-QωHgHHHωEιr田口f

りrR52EEH

~1Hhして白』な由民宮芯」fhHYHUN]・∞山口一同・

ω門口「ゆ]司『凶仲間山}同》Jns悼町、、白町

内口実リhhvH芯誌も¥NWNhhpとに師連-℃・

ωN・ロ-HO∞・)

(却〉

TEι

品目-ミ同盟

Ezfチベ

V

ト訳は

mElp百匹

HEB

Bm向日σ凹丹市・

(加

)mirr問問D

S雪印HSEBとあるも、チベット訳

gpigZD

切口問

zyomω仏

ru可

OHBmLu--同】凶]11q町によって読む。

(純)杭九本に

SH凸

-226-

mwH口同丹Ha

Page 81: Instructions for use · a foreword by B. Bhattacharya, Gaekwad's Oriental Series Nos. 30, 31. か,,("ム信士:1、えぬλ騒~óキ~1~騒~~臣長,..)120 年単 -14匝餌

Die Prakrti-parïk~亘 im Tattvasarp.graha des S亘ntirak~ita

zusammen mit der Panjika des Kamala$ila. Ubersetzt von

w. Liebenthal. 1934.

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Santarak~ita Tattvasa白graha. With the commentary

Pa五jika of KamalaSila. Critically ed. by Dwarikadas

Shastri. 2 vols. Varanasi 1968. (Bauddha Bharati Series,

nos. 1 & 2)

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The TattvasaIlgraha of Santarak~ita with th巴 commentary

of kamalasiJa, Translated into English by G. Jha. 1937

Satkarya in der Darstellung seiner buddhistischen Gegner.

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