リカードウ地代論の語句修正をめぐる...

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-55- リカードウ地代論の語句修正をめぐる スラッファの解釈について (ー) 本稿は、別稿(,リカードウ地代論の“限定"について J) を準備する 過程で検討する必要が生じた論点の一つを、覚え書き的にまとめたもの で、ある。 ,地代」章末 尾の文章を、第二版(1 819 年)と第三版(1 821 年)との間で、次のよう に変更した。すなわち、「地主の地代を論ずる際に、私たちはむしろそれ を全生産物の割合とみなし、その交換価値には全く論究しなかった J(I, p.83) 1) という文章中、アンダーラインを引いた「全生産物 thewhole produceJという語句を、第三版では、「ある一定の農場において一定の 資本を用いて獲得された生産物 theproduce obtainedwithagiven capitalonanygivenfarmJ に変更したのである O リカードウは自ら の地代論の適用範囲を、一国レベルの「全生産物」から「ある一定の農 場」、つまり個々の土地のレベルへと限定したわけだが、そのことと、“穀 物法"批判の理論的基礎としての地代論、つまり文字どおり一国レベル の体制的課題を担ったリカードウ地代論という側面とは、どのように整 合させてとらえることができるのだろうか。 『リカードウ全集』の編集者である P. スラップアは、この変更につい て下記のようなコメントをおこなっている。本稿は、このコメントを検 討の対象として取り上げる。あらかじめ結論を述べておけば、スラッフ

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-55-

リカードウ地代論の語句修正をめぐるスラッファの解釈について

佐 藤 滋

(ー)

本稿は、別稿(,リカードウ地代論の“限定"についてJ) を準備する

過程で検討する必要が生じた論点の一つを、覚え書き的にまとめたもの

で、ある。

周知のようにリカードウは、「経済学および、課税の原理~ ,地代」章末

尾の文章を、第二版(1819年)と第三版(1821年)との間で、次のよう

に変更した。すなわち、「地主の地代を論ずる際に、私たちはむしろそれ

を全生産物の割合とみなし、その交換価値には全く論究しなかったJ(I,

p. 83) 1) という文章中、アンダーラインを引いた「全生産物 thewhole

produceJという語句を、第三版では、「ある一定の農場において一定の

資本を用いて獲得された生産物 theproduce, obtained with a given

capital on any given farmJに変更したのである O リカードウは自ら

の地代論の適用範囲を、一国レベルの「全生産物」から「ある一定の農

場」、つまり個々の土地のレベルへと限定したわけだが、そのことと、“穀

物法"批判の理論的基礎としての地代論、つまり文字どおり一国レベル

の体制的課題を担ったリカードウ地代論という側面とは、どのように整

合させてとらえることができるのだろうか。

『リカードウ全集』の編集者である P.スラップアは、この変更につい

て下記のようなコメントをおこなっている。本稿は、このコメントを検

討の対象として取り上げる。あらかじめ結論を述べておけば、スラッフ

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po FhJV

ァの解釈には賛同しがたい所があり、したがってリカードウの“限定"

についても異なる解釈の余地が存在しうる、ということを本稿では明ら

カ吋こしたい。

問題のスラッファのコメントは次のようなものである。以下の議論の

ために、[i ] -[ivJの四つの文節に分けて引用しておこう。

i[i ]マルサスは彼の『原理』のなかで、リカードウが『割合または

労働で、の費用』という尺度を地代に適用したこと、そしてその結果とし

て、耕作の拡張につれて土地の総生産物に対する地代の割合は増加する

だろうと示唆したことを、批判していた。[ii ]リカードウは、彼の『評

注』の一つを自らの主張の再説に当て、地代は実際には、|日い諸土地の

生産物の増加した割合、あるいはもし同一土地に追加資本が投下される

のならば、『以前に獲得された各分量の』増加した割合を取り立てるであ

ろう、と説明した。 [iiiJ Wマルサス評、注』の中の消去された一章句で、

彼は次のように簡潔に自分の意味するところを説明している。すなわち、

『地代は獲得される生産物の割合ではない一一一それは賃金や利潤のよ

うに割合によっては支配きれない一一一地代は、実際にそうであるよう

に、二つの等しい資本によって獲得される生産物の分量の差に依存する

のである。それゆえに、もし私がどこかで、地代は獲得される生産物が

増加するか減少するかに比例して騰落すると言ったとすれば、私は誤り

を犯したことになるだろう。しかしながら、私はそう言った覚えはない。』

[ivJそれにもかかわらず、彼は第三版において、マルサスからの批判を

うけた多くの章句を修正した。これらのうち典型的なものは、『地主の地

代を論ずる際に、私たちはむしろそれを全生産物の割合とみなした』と

いう、初版および第二版の語句の変更であって、第三版ではこの最後の

語が、『ある一定の農場において一定の資本を用いて獲得された生産物の

割合』に書き換えられるのである。 J (1, p. lvi)

ここでスラップアが言及している『マルサス評注』は、リカードウが

マカァロクの依頼に応じて、 1820年11月頃に作成したものである。それ

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は、同年 4月に出版きれたマルサスの『経済学原理J2)を読む中で、 リカ

ードウが抱いた異論をセンテンスを追いながら評釈していったものであ

る。異論の中心は、価値尺度論と地代論の二つに集中している。作成時

期が、 F原理』第二版(1819年 2月)と第三版 (1821年 5月)の丁度中間

に位置していることは、両版における語句修正問題を考える上での本r評

注』の重要性を示唆するものであるo 特にスラッファは、マルサス『経

済学原理J r第三章土地の地代についてJ '第 8節 自国の人口を扶養

している国において、地主の利益と国家の利益とが緊密かつ必然的に結

ぴついていることについて」と題された一節にリカードウが与えた「評

注 109-116Jを、「割合」についての主張が明確に述べられたものとし

て注目している。以下、本稿でも『マルサス評注』のこの部分が主たる

検討の対象となる。

(司

スラッファのコメントは、用語についての予備知識なしにはとても理

解不能で、ある。しかしあえてそれを後回Lにして、全体的な展望を得る

ために、ひとまずその論旨だけでも抽出しておこう。

まず、地代を「総生産物」に対する「割合」として測定するリカード

ウに対するマルサスの批判が紹介される([i J)。次いで、「割合」は、

「総生産物」でなく既耕地(,旧い諸土地の生産物」あるいは「以前に獲

得された各分量J)、つまり収穫逓減下では“優等地の生産物"に対する

「割合」であることを述べた rマルサス評注』の諸文言に注意が喚起さ

れる ([iiJ)。さらにリカードウ自身が地代,割合」とみなすことを明

確に否定しているかに見える一節をヲ1<([iiiJ)。そして最後に、第二版

の「全生産物」が第三瓶の「ある一定の農場」に限定された事実が指摘

される([iv J) 0 このばあい「ある一定の農場」とは、最劣等地が除外さ

れた既耕地=優等地のことだから「ある一定の農場」なのだ、と解釈さ

れている。要するにスラッファは、マルサスの批判([i J)に対して、

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部分的に動揺するリカードウ ([iiJ)および全面的に動揺=強弁するリ

カードウ([iiiJ)がおり、そして、だからリカードウは「割合」という

言葉に限定を付さねばならなかった([ivJ)、という一連の筋書きによっ

て語句修正の問題を描き出しているのである。

このコメントには、しかしながら簡単には同意できない側面がある o

まず第一に、[ii ]でスラッファが引用カッコなしに傍点付きで述べた「旧

い土地の生産物」という『マルサス評注』の中の一節は、必ずしもスラ

ッファの議論を支持するものとはならない。第二に、[iiiJで引用されて

いる「地代は獲得される生産物の割合ではない」という一節であるが、

スラッファはこれを、あたかもリカードウが「割合」概念を放棄した証

拠であるかのように描き出しているが、後に述べるようにこれは事実で

なく、したがってスラッファの議論の支えとはならない。要するにスラ

ッファの議論は、問題の開示部分([i J)と語句修正の事実を指摘した

結論部分([ivJ)とに同意することはできても、肝心の論理展開の中味

([ ii ]および、[iiiJ) に承服できない部分を抱えており、したがって直ち

に賛成するわけにはいかないのである。上の引用丈の中で、「割合」と il日

い」という語に強調符が付されていたが、スラッファは自らが強調した

まさにこの二つのタームにおいて反論される、と言ってもよいかも知れ

ない。

以上が本稿で展開することの概要である。スラッファが与えた、「経済

学および、課税の原理~ i"マルサス評注』なと、‘への参照指示にも注意しなが

ら、以下、スラッファのコメントを順次吟味していこう。

(三)

まず、[i ]で指摘されているマルサスのリカードウ批判の中味が検討

されねばならない。スラッファが一部引用したように、マルサスはリカ

ードウを、「地主の地代や利益が測られるのは、たしかに実質交換価値に

よってであって、割合または労働での費用を測定する想像的な標準によ

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ってではないJ(II, p. 195) と非難する。ここで「実質的 realJと対比

して「想像的 imaginarYj と言われている「割合または労働での費用

かψortionsor cost in labourj3)による測定という言葉の意味は、リカ

ードウ『原理~ r価値」章の次の一節に明確であるo

「私たちが利潤・地代・賃金の率を正確に判断しうるのは、それぞ、れ

の階級が獲得する生産物の絶対的分量によってでなく、この生産物を獲

得するのに必要とされる労働の分量によってである。機械と農業の改良

によって、全生産物は二倍になるかもしれない。だが、もし賃金・地代・

利潤も二倍になるのならば、これら三つは相互に同じ割合を保つであろ

うし、どれかが相対的に変動したとは言えないであろう。しかし、もし

賃金がこの増加の全体にあずからない、すなわち二倍になる代わりに二

分のー増加するだけであり、また地代も二倍でなく四分の三増加するだ

けで残りの増加分は利潤に帰着するとすれば、利潤は上昇したのに地代

と賃金は下落したと言うのが、私には正しいと思われる。 j (1, p. 64)

例えば、ある時点の一国の生産物(100)の{賃金・地代・利潤}への

分割が {20,20, 60}のようであったとして、次の時点で生産物が二倍

(200) になり、三収入への分割も {35,35, 130}のように変わったと

すれば、「利潤は上昇したのに地代と賃金は下落した」と判断すべきだ、

とリカードウは言うのである。地主が獲得する地代は20→35へと四分の

三増えたとしても二倍には増えず、したがって一国の生産物に占める比

重としては明らかに低下したからである。要するに、もし一国レベルで

の地主階級の社会的地位を「地代」を通じて判断するつもりならば、そ

のばあいの「地代」は、「絶対的分量」によってでなく「割合」によって

測定されねばならぬ、とリカードウは言うのである。きわめて明瞭な主

張と言えよう。しかしマルサスは、リカードウのこのような「割合」に

よる測定を、次のように批判する。

「この言葉をわが国にあてはめてみると、私たちは、地代は過去四十

年間に著しく下落した、と言わなければならない。なぜならば、地代は

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交換価値一一一貨幣・穀物・労働・製造品に対する支配力一一一ーにおい

ては大いに増加したけれども、農務省への報告が明らかにするところで

は、以前は総生産物の四分のーないし三分のーであった地代が、いまで

はわずか五分のーになっているそうだからである oJ (II, p. 190)

マルサスにとって問題だったのは、もしリカードウの「割合」という

尺度を使ってイギリスの地代を測定すれば、過去四十年間、地代は下落

してきた、と言わなければならなくなることであった。この問、明らか

に地主の購買力は上がってきたにもかかわらずに、である。 4)それは、地

代が社会(=国家)の発展とともに増加する、したがって“地主の利益"

と“国家の利益"が同方向であることを主張するマルサスにとっては、

容認しがたいことであったにちがいない。

しかしながらこのようなマルサスの批判は、 リカードウにとってみれ

ば、単なる自己主張の繰り返しにすぎぬものとしてのみ映ったことであ

ろう。「農務省への報告」によって、過去四十年間、地代割合が減少して

きたというのであればそれでよいではないか。そのことは、マルサスが

言うのとはまさに逆に、“地主の利益"と“国家の利益"が異なることの

明らかな証拠となるのではないか。すでに『利潤論~ 5) (1815年)におい

てリカードウは、「地主の利益は、社会の他のすべての階級の利益とつね

に対立するJ (IV, p.21)と述べており、そのようなリカードウからすれ

ばマルサスの非難は、ただ“地主の利益"と“社会の利益"の同一性を

言いたいがための難癖の類いにすぎぬものと受けとめられたはずで、ある。

だからリカードウは、こう突っぱねるのである。

「マルサスは、この問題について私が言ったことを、いつものように

注意しては読んでいない。……もし私が、個々人の富をその所得の価値

によって測ったのであれば、若干のとがめられるべきところもあるだろ

う。だが私は、人聞の富、すなわち彼が支配できる生活の便益品および

必需品の分量は、これらの富の価値が下落しているかもしれないその同

じ時に増加しているということが、私見によれば、全く首尾一貫してい

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po

ることを示そうと、大いに骨折ってきたのである。 J (II, pp. 192-193)

「個々人」の地代が増加しているように見えるまさにそのときに、地

代の「価値」が社会総体として下落していることもありうる o このよう

に言うとき、リカードウは、個々の地主の実感的なレベルをこえて、「価

値」という固有の理論領域を拓こうとしていると言えるだろう。確かに

マルサスも言うようにここ数十年間、個々の地主が獲得する地代は増加

してきた。だがそのことと、「階級」としての地主の地位がどうであった

かとは、別次元の問題のはずで‘ある。つまり「割合」という概念は、個々

の土地に生じる地代が一国レベルの地代へと次元転換していく際に登場

させられる概念なのである。

だがここまできて、リカードウは別の問題に逢着する。この「割合」

概念を自分の地代論の理論枠に収め切ることができるか、という問題で

ある。というのは、リカードウ地代論は、基本的には地代減少でなく地

代増加を説くものであり、したがって「農務省への報告」が示す“地代

割合の減少"とは正反対の理論的帰結をもたらすものだからである。“理

論"が説く「地代」増加と“現実"が示す「割合」減少とは、はたして

両立可能なのだろうか。図 1を見ながら簡単に説明しておこう。

図 1では、資本蓄積時点がし→t2→t3→t4→t5へとすすむにつれて、耕

tj t,

1 II

t3

IIIIII

[図 1]

t4

1 II III IV

t5

1 II IIIIV V

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作地が(1)→(1, II)→( 1, II, III)→(1, II, III, IV)→(1,

II, III, IV, V)へと次第に拡張されていく状態を示している。 1は最

優等地、 Vは最劣等地であり、 IからVへと進むにつれて収穫は次第に

逓減していく。「地代」は、各時点の最劣等地と諸優等地との「豊度差」

を“自然的基礎"として発生するが(図の U部分)、見られるように、資

本蓄積につれてこの日部分は急速に増加していく。最劣等地の豊度が低

下して優等地との「豊度差」が拡張するからだが、そればかりでなく、

時点が降るにつれて優等地の数が増え「豊度差」の個数そのものも増え

ていくからである。こうして生産物に占める地代の「割合」は、資本蓄

積とともに加速度的に高まっていく。[資本蓄積→穀物需要増大→劣等

地耕作→地代増加】という枠組みで語られるリカードウ地代論は、この

ように地代「割合」の減少で、なく増加を語り出してしまう構造になって

いるのである o

では、「農務省への報告」が示したような地代割合の減少は、理論から

どのようにしたら導き出すことができるのだろうか。この問題をリカー

ドウは、“耕作地の面積構造"という要因を導入することによって解決し

ようとする。つまり、こうである O 地代を産むのは優等地のみで最劣等

地には地代は産まれないから、もし耕作地に占める最劣等地の比重が大

きければ全生産物中の地代の割合は小となる。したがって、諸優等地の

個々の地代は収穫逓減によって増加しでも、新たに参入する最劣等地の

面積を十分に大きくとってやれば、「農務省への報告」が言う一国レベル

での地代割合の減少を理論的に導出することはできる O リカードウは、

こう考えたのである。

「私が農場をもち、そこから360クオータの穀物を獲得し、地代として

四分の一、すなわち90クオータを支払っているとする。より劣等な土地

により多くの資本を投下することによって、同じ労働量をもって360クオ

ータが獲得されるのでなくて340クオータが得られるだけで、それゆえ360

クオータが獲得された土地の地代は、 90クオータから110クオータに上昇

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するであろう。この特定の農場における地代は、総生産物のうち以前よ

りも大きな割合であろうが、しかしその国の総生産物全体のうちのより

大きな割合である、ということには決してならない。というのは、一つ

の資本が、 340クオータを獲得するために投下されるのではなくて、百の

等しい資本が投下されるかも知れないからである O そのばあいには、総

生産物が 34,000クオータ増加し、地代はわずか20クオータだけ上昇する

こともありうる。地主が総生産物の四分のーをもち、以前に耕作された

全ての土地においてその割合を増加したからといって、同様に私は、地

代が、その国における全ての土地からえられる総生産物全体の中のより

大きな割合を占める、と主張しなければならないのだろうかじ(II, p.

193)

厳密に言えば、ここでリカードウが展開している議論には数値的に特

定しきれない余地が存在している。しかし、とりあえず次のように解釈

することは可能だろう。すなわち、360クオータ生産する優等地Aがあり、

地代は生産物の四分の一、つまり 90クオータであったとする。収穫逓減

は、次第により劣等な土地を耕作に参入させる。そして限界生産性の逓

減は、「以前に耕作きれた全ての土地」の地代を増加させる。これによっ

て、例えば優等地Aの地代は 90クオータから 110クオータに増加するか

90 も知れない。すると、「この特定の農場」における地代の「割合」は、一一

360 110

から へと明らかに増加する。だがこのことは、「その国の総生産物全360

体」の中に占める地代の割合が増加することを、直ちに意味しない。な

ぜならば、もし新たな最劣等地に投下された資本が優等地Aの百倍の大

きさであるならば、新たな地代増加分 (20クオーダ)は総生産物の増加

分 (34,000クオータ)に比べて極端に小さく、したがって「その国の総

生産物全体」中に占める地代の割合はむしろ減少するからである o

リカードウの議論は、おおよそこのよ 7に解することができるだろう。

“限界生産性"が低下しでもそれ以上に“平均生産性"が低下すれば、

全体としての地代割合の減少は導出可能で、ある、と言ってもよいだろう。

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このように“最劣等地の面積"という要因を動員することによってリカ

ードウは、地代論の枠組みを保持したままで“一国レベルの地代割合の

減少"を導出することに成功したわけである O このことは、「農務省への

報告」が示す統計的事実がリカードウ理論に十分取り込み可能なことを

示している。上の引用文中、「地主が総生産物の四分のーをもち、以前に

耕作きれた全ての土地においてその割合を増加したからといって、同様

に私は、地代が、その国における全ての土地からえられる総生産物全体

の中のより大きな割合を占める、と主張しなければならないのだろうか?J

というリカードウの問いかけに対して、私たちは容易に、「特定の農場に

おける地代は、総生産物のうち以前よりも大きな割合であろうとも、し

かしその国の総生産物全体のうちのより大きな割合である、ということ

には決してならない」というリカードウ白身の言葉をもって答えること

ができるだろう。リカードウにとって、自らの理論と「農務省への報告」

が示す統計的事実とは、十分に両立可能と考えられたのである。

スラッファは以上の議論を、「全生産物」から「ある一定の農場」への

『原理』第三版における例の語句修正の問題と絡めてくる。マルサスか

らの批判を受けてリカードウは、「割合」概念を「その国の生産物全体」

から「特定の農場」あるいは「以前に耕作された全ての土地」に限定し

た、と解するのである。すなわち、“優等地の生産物に対する地代の割合"

という全く新しい尺度をもち出すことによって、 リカードウは自らの理

論の言わば“聖域"を死守した、と解するのである。だがこれまで述べ

てきたことからも分かるよっに、リカードウにとってマルサスの批判は、

理論の根本的修正を迫るものでは決してなかった。とするとスラッファ

は、リカードウの真意を正確に伝えていると言えるのだろうか。この点

を念頭に置き、コメント[ii ]の部分に進もう。

(四)

[ ii Jでスラップアは、マルサスからの批判に対するリカードウの才莫索

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の跡を辿り、リカードウが「割合」概念を定義し直したかのように印象

づけようとしている。問題の一節を、再度引用しておく。

「リカードウは、彼の『評注』の一つを自らの主張の再説に当て、地

代は実際には、!日い諸土地の生産物の増加した割合、あるいはもし同一

土地に追加資本が投下されるのならば、『以前に獲得された各分量の』増

加した割合を取り立てるであろう、と説明した。 J (I, p. lvi)

土地耕作の進展には、より劣等な土地に資本が“並行的"に投下され

るばあいと、同一土地に追加資本が“継起的"に投下されるばあいの二

通りの方法があるが、地代の「割合」を問題にする際にリカードウは、

前者のばあいには「旧い諸土地の生産物の増加した割合」、後者のばあ

いには「以前に獲得された各分量の増加した割合」に、「割合」概念を限

定している、とスラッファは言いたいのである。「旧い諸土地の生産物」

および「以前に獲得きれた各分量」を産み出すのは、“収穫逓減"下では、

当然、“優等地"あるいは“優等資本"ということになる。つまり、「そ

の国の総生産物全体」から最劣等地あるいは最劣等資本の生産物を除い

た、その意味で「特定の農場」の生産物に対する「割合」としてリカー

ドウは「地代」をとらえ直そうとしている、とスラッファは言うのであ

る。ここからは、「原理』第三版での「全生産物」から「ある一定の農場」

への語句修正の理由説明までは一本道となるだろう。

だがスラッファがここでほのめかす、“優等地の生産物に対する地代割

合"という「割合」概念が、はたして本当にリカードウに存在したかど

うかについては疑問が残る。例えば上記引用文中、「旧い諸土地の生産物

の増加した割合」と述べられている箇所はリカードウ自身の言葉ではな

いし、また資本投下が継起的におこなわれるばあいについて述べられた

「以前に獲得された各分量」という語にしても、それが語られた『マル

サス評注』中のパラグラフはリカードウ自身によって消去されている。

論拠とするにはあまりにも薄弱と言わなければならない。とはいえスラ

ッファのこの短い一節には、問題についての核心が凝集されていると考

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po po

える。そこで私たちはしばらくここに留まり、検討を加えてみることに

しよう。

まず、リカードウ自身からの引用も含むiW以前に獲得された各分量の』

増加した割合」という一句について。この句を含む『マルサス評注」中

のパラグラフはすでに述べたように消去されているが、そこでのリカー

ドウは、同一土地に三つの等量の資本が継起的に投下されるばあいを設

定し、第三次資本(最劣等資本)の分量次第では、総生産物に対する地

代の「割合」低下も数値的に導出可能で戸あることを証明しようとしてい

るo つまり第三の最劣等資本の投下は、すでに投下されていた先発の第

一および第二の“優等資本"の「差額」を増加させるが、そのことは“総

生産物"に対する「割合」増加と必ずしも結びつくものではない、すな

わち「以前に獲得された各分量の割合は増加するけれども、獲得される

全量のうちの地主に割り当てられる割合は減少する J (II, p. 198)可能

性もあることを証明しようとするのである。これは先に述べた、“最劣等

地の面積"要因を導入することによって、「特定の農場における地代は、

総生産物のうち以前よりも大きな割合であろうが、しかしその国の総生

産物全体のうちのより大きな割合である、ということには決してならな

い」ことを証明した日と全く同様の議論であると言えよう。スラップア

はこれを、リカードウに“優等地の生産物に対する地代の割合"なる概

念が存在することの論拠としているが、この解釈はすでに示唆したよう

に必ずしもリカードウ自身の真意を伝えるものではない。アンダーライ

ン部分だけを抜き出すスラップァの引用の仕方、およびこのー匂が消去

されたという事情も併せ考えるならば、スラッファの解釈を反駁するの

は、それほど困難ではないだろう。

次に、「地代は実際には|日い諸土地の生産物の増加した割合・…..を取り

立てるであろう」という、資本投下が“並行的"におこなわれるばあい

のー句について。このー匂はリカードウからの引用ではないが、それに

付されたスラッファの注を頼りに、私たちは『マルサス評注』の中から

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次の一節を抜き出すことができる。

「マルサスは言う。『農業の改良は、リカードウの譲歩に従ってさえも、

全生産物のうちの地主の分け前になる割合を増加させる傾向がある』と。

私がどこでこのようなことを言ったのか知らないが、もし私がこのよう

な誤りに陥っているのならば、割合という言葉の代わりにマルサスが使

っている『部分」という言葉にこの章句を訂正したいと思うし、あるい

はもし割合という言葉を残すのならば、それはより肥沃な土地で獲得さ

れる生産物の割合でなければならない。J (11, p. 197)

引用文中アンダーラインを付した箇所が、恐らくスラップアの「地代

は旧い土地の生産物の増加した割合を取り立てる」という語句のベース

になったものと推測される。“収穫逓減"下では、「より肥沃な土地J='旧

い土地」だからである。またここで、「割合 proportionJに対比して「部

分 portionJという語が出てくるが、それはマルサスが、「生産物の価値

のうち地主に帰属する部分(割合ではない)J (II, p. 195)と注記したこ

とに対応してリカードウが用いた語と考えられる。「部分」とは、すでに

述べたように、地主が購買し支配できる財貨の実際の分量のことと解し

ておけばよいだろう o

きて、リカードウのこの一節についてのスラップァの引用の仕方を問

題にするために、私たちは少々回り道でも、「農業の改良」をめぐるリカ

ードウとマルサスの議論の概要を一瞥しておく必要がある。以下、本項

ではこれをおこない、上に掲げたリカードウの問題の一節の本格的検討

は、次項でおこなうことにする。

マルサスは次のようにリカードウを批判していた。

「私は、地主の利益について語るにあたって、地主の実質地代および

実質利益と私が呼ぴたいと d思っているところのものに、すなわち、これ

らの地代が全生産物のうちどれほどの割合を形成するにせよ、あるいは、

どれほどの労働分量が生産に費やされたにせよ、労働と生活の必需品お

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oo

pb

よぴ便益品とを支配する地主の力につねに言及するつもりでいるという

ことは、ほとんど言うまでもないことである。しかし実際には、農業の

改良は、ほどほどの時聞がたてば、リカードウの譲歩に従ってさえも、

全生産物のうちの地主の分け前になる割合を増加させる傾向がある。こ

のため、問題をどのように考察しょっとも、輸入の問題は別として、私

たちは、地主の利益と国家の利益とが密接かつ必然的に結ぴついている

ことを認めねばならぬのである。 J (II, pp. 195-198)

地主の地代は単純に「労働と生活の必需品および便益品とを支配する」

地主の購買力で測定すればよく、リカードウがもち出す「割合」のよう

な概念は必要ない。だがもし「割合」という尺度を用いたにしても、リ

カードウは「農業の改良」は「ほどほどの時間がたてば ina moderate

timeJ地代の「割合」を増加させる傾向があると述べているのだから、

「リカードウの譲歩に従ってさえも」、「国家の利益」と「地主の利益」

との同方向性が主張できる。こうマルサスは言うのである。引用文中ア

ン夕、ーラインを付した部分がリカードウによって引かれた箇所である。

ここでマルサスが言及している「農業の改良」についてのリカードウの

見解は、『原理~ r地代」章中、次のように表明されていた。

「私は、あらゆる種類の農業上の改良が地主にとって有する重要性を

過小評価している、と理解きれないよう希望する。一一一改良の直接の

効果は地代を引き下げることである O しかしそれは人口に対して大きな

刺激を与え、また同時により少ない労働でより劣等な土地を耕作するこ

とを可能にするから、究極的には地主に大いに有利となる。しかしなが

ら、地主にとって明らかに有害な一時期が経過しなければならぬのであ

る。 J (1, p. 81)

見られるようにリカードウは、「農業上の改良の直接的効果は地代を引

き下げることである」と述べ、改良は地主にとって不利に作用すると明

言している。改良による農業生産性の増加は劣等地耕作を不要にし、最

劣等地の撤退による限界生産性のアップは、価格引下げ→地代減少を結

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果するからである。それは、“収穫逓減"下で、の価格上昇→地代増加と正

反対の連鎖を考えればすぐ分かるだろう。もちろんリカードウは、改良

が「究極的には地主に大いに有利になる」ことも認めはする。改良が引

き起こす農産物価格の下落が、長期的には資本蓄積を進展させ、人口が

増大し農産物需要が増加することによって、再び、最劣等地の耕作参入

→農産物価格上昇→地代増加をひき起こしていくと考えられるからであ

る。しかし、その前には明らかに有害な「一時期 aperiodJが経過しな

ければならず、したがって改良が「究極的には ultimatelyJ地主に有利

になるとは言っても、基本的には地主に不利に作用すると考えるべきだ

というのが、リカードウの大筋での主張なのである。だからこそマルサ

スが、「農業の改良は、リカードウの譲歩に従ってさえも、全生産物のう

ちの地主の分け前になる割合を増加きせる傾向がある」と述べたとき、

リカードウは、「私がどこでこのようなことを言ったのか知らない」と言

ったわけである。

とはいえ農業の改良が、「ほどほどの時間」かどうかはともかくとして、

「地主にとって明らかに有害な一時期J の後に「地主に大いに有利とな

る」結果をもたらすことをリカードウが認めようとしていたこともまた

確かである。だからリカードウはこうも言ったのである。「私がどこでこ

のようなことを言ったのか知らないが、もし私がこのような誤りに陥っ

ているのならば、割合という言葉の代わりにマルサスが使っている『部

分』という言葉にこの章句を訂正したいと思うし、あるいはもし割合と

いう言葉を残すのならば、それはより肥沃な土地で獲得きれる生産物の

割合でなければならないJ (II, p.197)、と o それは、マルサスが言うの

とは違った意味での「リカードウの譲歩」とでも言えるものだろう。

スラップァはこの丈章を、「割合」を問題にする際にリカードウは、「よ

り肥沃な土地で獲得される生産物の割合」、つまり“優等地の生産物に対

する地代の割合"に限定しようとしていた、という自らの主張へと誘導

していこうとする。それは正当なのだろうか。

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(五)

「改良」に関するマルサスの引用の仕方に不満を表明しながらも、リ

カードウは、敢えてマルサスの土俵に上って議論しようとする。つまり、

百歩譲って、「農業の改良は、……全生産物のうちの地主の分け前になる

割合を増加させる傾向がある」と自分が言っていたとして、「もし私がこ

のような誤りに陥っているのならば」、①「割合」という言葉を「部分」

という言葉に訂正すればよいし、あるいは「割合」という言葉をあくま

で保持するのならば、②その語意を「より肥沃な土地で獲得される生産

物の割合」に限定すればよい、こう言うのである O

あらかじめ注意すべきは、①にしても②にしても、上のリカードウの

二つの留保的丈言は、あくまで仮定的なものだということである。リカ

ードウは、「もし私がこのような誤りに陥っているのならば」と言い、そ

れが「誤り」とさえ言っている。スラッファの「旧い諸土地の生産物の

増加した割合」への読み換えは、リカードウの問題の一句がこのような

ネ力、ティブな仮定的叙述の中で発せられたものであったことを少しも念

頭に置いていないように見える。

実際、リカードウがあくまで否定的に述べようとしたように、「改良」

によっていったん減少した「地代」は、「有害な一時期」の経過の後も、

「部分J (①)および「より肥沃な土地で獲得される生産物の割合J (②)

の両面で、そう簡単に「地代J を増加させはしないのである。簡単な数

[表 1]

時点 産出量(1 II III) 差額(I II) 価格

tn 510 (180十170+160) 30 (20十10) 1

tn' 525 (270十255 15 (15 160 255

tn" 765 (270十255十240) 45 (30十15)160 240

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値例で説明してみよう。

いま表 1のように三つの時点{tn,tn', tn"}を設定する。三種類の土

地(1, II, III)が耕作されていた時点 tn。改良によって各土地の生産

性が1.5倍になり、そのため最劣等地IIIが駆逐される時点 tn'。次第に穀

物需要が増加し最劣等地IIIが再ぴ耕作に復帰してくる時点 tn"。これら三

つの時点は、{改良→最劣等地駆逐→穀価下落→地代減少→資本蓄積→穀

物需要増大→劣等地参入→穀価上昇→地代増加]という、「改良」に伴う

一連のプロセスの三つの局面に照応するものである。見られるように、

「産出量」は 510→525→765、「差額」は30→15→45、「価格」は時点 tnを

160 立 1601 として、 1 →~~~ 1. →~~~ ftfへと動いていく。( )内は、各土地ご255 ロ 240 口

との数値を示したものである。

きて表 1において、「改良」は地主にとって「究極的に」有利に作用し

たと本当に言えるのだろうか。それを確定するためには、改良前の時点

tnと改良の結呆が現れる時点 tn"

「笥割j合」でで、あるが、「産出量」に占める「差額」の「割合」は両時点で同

30 45 ーのままで、増加は認められない(一一三一一一)。分子である「差額」

510 765

(30→45)と分母である「産出量J (510→765)とが、ともに同一比率(1.5

倍)で増加しているからである。この点から、「改良」は地主にとって必

ずしも有利に作用するものでないことが分かるだろう。もちろんH時寺点を

tn"

てくる状態を考えれば、 i:t也代」の「割合」増加が確認できる。だがそれ

は、「改良」という“収穫逓増'局面がすでに終わり、再び“収穫逓減"

局面が始まった段階での地代増加といつことであり、ここでの考察範囲

から外れてしまう。「改良」がもたらす地代への影響の検証は、あくまで

時点 tn→tn'→tn"のプロセス内でおこなわれなければならない。そしてこ

の範囲内では、上に見たように地代の「割合」増加は決して確認するこ

とはできないのである。「農業の改良は、リカードウの譲歩に従ってさえ

も、全生産物のうちの地主の分け前になる割合を増加させる傾向がある」

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とマルサスが述べたとき、リカードウが、「私がどこでこのようなことを

言ったのか知らない」と反論した背景には、このような事情があったと

想像されうる。

しかしながら、「誤り」と言いつつもリカードウは、「もし私がこのよ

うな誤りに陥っているのならば」と述べて、さらに仮定の議論に進んで

いく。「もし私がこのような誤りに陥っているのならば、割合という言葉

の代わりにマルサスが使っている唱防h という言葉にこの章句を訂正

したいと思うし、あるいはもし割合という言葉を残すのならば、それは

より肥沃な土地で獲得される生産物の割合でなければならないJ(II, p.

197)。私たちは、表 1において「差額」が 30→45に1.5倍に増加したこ

とをもって、「割合という言葉の代わりにマルサスが使っている『部分』

という言葉にこの章句を訂正したいと思う」と言ったリカードウの一節

の論拠とすることはできる。地代となる「差額」が、量としては確かに

rrnc..... ,,, 160 1 増加しているからである(とはいえこのばあいにも、「価格」が十一=一一

~N 240 1.5

倍へと、丁度「差額」の逆数倍だけ下落しており、したがって地主が獲

得する購買力は不変のままだから、「部分」としての増加は必ずしも確定

できない、とも言えるのではあるが)。他方、「もし割合という言葉を残

すのならば、それはより肥沃な土地で獲得される生産物の割合でなけれ

ばならないJ (II, P. 197)という条りについてはそうはいかない。時点

tnと時点 tn"の聞で、生産物に占める地代の「割合」は、すでに確認した

ように決して増加しておらず同ーのままだからである。

スラッファはこの問題について、すでに再三述べてきたように、「より

肥沃な土地で獲得される生産物の割合」というリカードウの言葉を「旧

い諸土地の生産物の増加した割合」と読み換え、“優等地の生産物に対す

る地代の割合"なる尺度で時点 tn'の「割合」を測定することによって解

決しようとする。すなわち時点 tn"

産物 (=7河65ω)に対してでなく 「円1旧日い諸土地の生産物J=優等地 1. IIの30 _ 45

生産物(二525)に対して測定されるのであり、 tn< tn" ( ,...v,v" <一一)510 '525

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だから、「改良」による「割合」の増加が確認できると言うのである。

だがこのようなスラッファの解釈が、ほとんど無意味なものであるこ

とはすぐ分かる。スラッファがおこなったことは、「割合」を測定する分

母を単に「総産出量」から「優等地の生産物」に変更しただけだからで

ある。分母が小きくなれば、商(,割合J) は当然大きくなるだろう。ス

ラッファは、「割合」の増加を得るために、測定基準の数値操作をおこな

ったにすぎない。しかもこの新しい基準で測定されるのは時点 tn"のみで

あり、時点 tnの「割合」は従前どおり「総産出量」を分母としたままに

してなのである o スラッファは、リカードウがダブル・スタンダードを

用いていると主張したいのだろうか?

私たちは、時点 tn"

割合"で測定してよしとするスラッファの解釈に同意することはできな

い。とすると、何故リカードウはここで、「もし割合という言葉を残すの

ならば、それはより肥沃な土地で獲得される生産物の割合でなければな

らない」と言ったのか、という問題が残る。どうしてリカードウは、「よ

り肥沃な土地」という語をもち出すことができたのであろうか。

これについて筆者は次のように考えている。時点 tn'と時点 tn"

時期に注目してみよう。すなわち「改良」によつて最劣等地IIIが駆逐き

れて地代が激i減成した時点 tn】JFと、需要の増大によつて再びぴ、最劣等地II凹IIが参

入し地代が増加する時点 tn"

「穀価」は次第に上昇し「地代」も漸増してしい、ベ〈。とはいえ最劣等地III

は、「生産費」が補償される時点 tn"

ここに、 f優憂等地 Iおよびぴ、IIのみが耕作きれ、 したがって「産出量」は時

点 tn'のままだが「地代」は増加していく、という状態がうまれてくる。

地代の「割合」は、当然、増加していく。リカードウの「より肥沃な土

地で獲得される生産物の割合」という概念は、この時に現実的なものと

なっている。リカードウが「より肥沃な土地」をもち出すことができた

のは、時点 tn'と時点 tn"のこの中間期を念頭に置いてのことだったので

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はないだろうか。

いま、この解釈の当・不当についてこれ以上の議論をする必要はない。

それは別稿の課題である。ここで最低言っておくべきことは、リカード

ウの「より肥沃な土地で獲得される生産物の割合」という言葉を、スラ

ッファのようにいきなり何の説明もなく「旧い諸土地の生産物の増加し

た割合」に読み換えることには大いに問題があるということである。問

題のー匂が、ネIi、ティブな仮定的叙述の中での一句であったことも十分

考慮に入れられるべきであっただろう。また、ここでの議論が「改良」

を対象としており、リカードウ地代論が普通想定する“収穫逓減"前提

とは正反対の、言わば“収穫逓増"的プロセスの中で展開されているこ

とについても、配慮、されるべきではなかったろうか。“全生産物に対する

割合"とは別に“優等地の生産物に対する割合"なる概念がリカードウ

自身にあるかのごとくに私たちに印象づける、スラップアの[iiJの叙述

に対しては、このような疑問が投げかけられるのである。

(六)

[iii]においてスラッファは、リカードウが「割合」概念を自ら放棄し

たかのように描き出そっとしている。そこでは、『マルサス評注』の次の

一節がそのまま引用される o とはいえこの一節もまた、消去された一節

なのではあるが。

「地代は獲得される生産物の割合ではない一一一一それは賃金や利潤の

ように割合によっては支配されない一一一地代は、実際にそうであるよ

うに、二つの等しい資本によって獲得される生産物の分量の差に依存す

るのである。それゆえに、もし私がどこかで、地代は獲得きれる生産物

が増加するか減少するかに比例して騰落すると言ったとすれば、私は誤

りを犯したことになるだろう。しかしながら、私はそう言った覚えはな

い。 J (II, p.196)

「地代は獲得きれる生産物の割合ではない」などと聞くと、いかにも

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リカードウが「割合」概念そのものを放棄しているかのように聞こえる。

しかし注意深く読めば分かるように、リカードウのこの一節は、決して

「割合」概念の放棄を主張したものではない。リカードウがここで、言っ

ていることは、地代は生産物の増減に比例して騰落するものではなく(つ

まり生産物の“関数"ではなく)、「二つの等しい資本によって獲得され

る生産物の分量の差」によって決定される(つまり生産物聞の“差"だ)、

ということである。「賃金」や「利潤」は生産物の増減とともに増減し、

したがってその「割合」によって関数的に決定されていると言いうるが、

Ij也代」を支配するのは「差」である O したがってこの意味で、「地代は

獲得される生産物の割合ではない」とリカードウは言ったのである。

Ij也代」が何によって決定されるかという議論と、「地代」が何によっ

て測定されるかと言う議論とは、もちろん区別きれなければならない。

地代の“決定様式"と地代の“測定方法"とは別の事柄である。ここで

のリカードウは、明らかに前者について語っているのだが、スラッファ

はそれを、あたかもリカードウが後者について語り、「割合Jによる地代

の測定を否定したかのごとくに描き出すのである。この一節が、リカー

ドウ自身によってやはり消去きれたものである、という事情も考慮に入

れれば、スラッファの議論には容易に与しえないであろう。

情)

さてこうして見てくると、スラッファの議論立てにはかなり問題があ

ることが分かる。 [ivJにおいてスラッファは、『原理』第三版の多数の語

句修正の存在、特に「全生産物」という語が「ある一定の農場」に変更

された事実を指摘してこのパラグラフを結んでいる。

「それにもかかわらず、彼は第三版において、マルサスからの批判を

うけた多くの章句を修正した。これらのうち典型的なものは、『地主の地

代を論ずる際に、私たちはむしろそれを全生産物の割合とみなした』と

いう、初版および第二版の語句の変更であって、第三版ではこの最後の

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語が、 rある一定の農場において一定の資本を用いて獲得された生産物の

割合』に書き換えられるのである。 J (I, p.lvi)

リカードウが「全生産物」という語を「ある一定の農場」に書き換え

たのは、結局「地代」の測定基準を“全生産物にたいする割合"から“優

等地の生産物に対する割合"へと変更したためだとスラッファは言いた

いのであろう。「割合」を地代論にダ、イレクトに適用すると地代現実との

組離をきたすというマルサスからの批判([i J)を受けたリカードウが、

「割合」をめぐって模索を重ね ([iiJ)、ついには「割合」概念の放棄さ

え語っていたこと ([iiiJ)、その結果「ある一定の農場」への限定がおこ

なわれた ([ivJ)。これがスラップアが描くシナリオである。こう畳掛け

られると、私たちは“優等地の生産物に対する割合"なるスラッファ的

概念へとごく自然に誘導されてしまう。

だが、本稿がこれまで明らかにしてきたように、スラッファが自説の

論拠としたリカードウからの引用は、必ずしもリカードウの真意を正確

に伝えるものとはなっていなかった。「割合」についてある程度留保的な

叙述をのこしていることは事実であっても、リカードウが「割合」概念

そのものを放棄し、地代論を「全生産物」レベルから「ある一定の農場」

レベルに限定したと積極的に言いうる根拠はない。スラッファの解釈は、

結局のところ、リカードウはマルサスからの批判に押されて数値合わせ

で答え、そのため地代論の一国レベルの適用を放棄してしまった、とい

うことになってしまうのではないだろうかJ優等地の生産物に対する割

合"なる概念はリカードウとは無縁である O リカードウが、“個々の土地"

のレベルと“一国の土地"のレベルを区別したことは事実であるとして

も、リカードウの地代論はあくまで一国レベルに連接していくものとし

て構想されていたはずだ、からである。この議論のさらなる展開は、別稿

でおこなうことになるだろう。

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注)

1) D. Ricardo, On the p門批判es01ρolitical economy, and t,ιwtion, The W orks

and Correspondence of David Ricardo, edited by P. Sraffa with the collabora.

tion of M. H. Dobb, Vol. 1, p. 83. 本『全集」からの引用は (1,p. xxx)の

ように略記し、本文中に挿入して示すことにする。尚、傍点(、、、)を除く強

調符はすべて筆者のものである。

2) T. R. Malthus, Pη;nciples 01ρolitical economy, 1820. fリカードウ全集』第II

巻所収の『マルサス評注 (Noteson Malthus's Princψles 01ρolitical eco托omy).l

にはマルサスの原文も掲載されているから、本稿ではここから引用し、 (II,p. xxx)

のように略記することにする。

3) f,?ルサス評注.l (fリカードウ全集』第II巻)でのこの部分の訳は、「労働での割

合や労働での費用を浪rJる想像上の標準」、小林時三郎訳てすま、「労働における比例

(ρroportions) または原価を測るべき想像上の基準J (f経済学原理」、岩波文庫

(上)、 1968年、 316-317頁)となっている。羽鳥卓也は本稿とほぼ同様に、「割

合もしくは労働での費用」と訳出している(羽鳥卓也『リカードウ研究』、未来社、

1982年、 210頁参照)。

4) ,すでに示されたように、この国で過去約100年間に起こった非常に大きな地代の

増加は、主に農業の改良に負うものであるJ (II, p.188)。マルサスにとっては、

同時代における「地代」の増加は自明事なのであった。

5) D. Ricardo, An essay 0昭 theinfluence 01 a lowρrice 01 corn on the prolits 01

stock, 1815