ネパール、カトマンズ市の仏教僧院における僧院運営の変容が ... · 2015....

4
公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集 No.13, 2015 2 Reports of the City Planning Institute of Japan, No.13, February, 2015 * 非会員・京都大学地球環境学堂(Graduate School of Global Environmental Studies, Kyoto University) ** 正会員・京都大学地球環境学堂(Graduate School of Global Environmental Studies, Kyoto University) ネパール、カトマンズ市の仏教僧院における僧院運営の変容が建物保存に及ぼす影響 A study on the transformation in the traditional monastic management and its impact on the buildings of Buddhist monasteries in Kathmandu, Nepal 川﨑悠平*・落合知帆**・岡﨑健二** Yuhei Kawasaki*Chiho Ochiai**Kenji Okazaki** The Kathmandu Valley, where is located nearly the center of Nepal, was listed as a wolrd heritage site owing to its cultureal specificity—2000 years’ lively Newar culture. Buddhist monastery has an intimate relationship with Newar Buddhism which is developed independently in Nepal. It is also considered as a “living heritage” which still holds a variety of local gathering regional events. This study identifies and reveals the ideal way to maintain the lively cultures which are the inheritance of Buddhist monastery and the management body of monastery called Sangha, due to the relationship of the change of the monastic management (according to the decrease of Buddhism’s influence) and the preservation of the Buddhist monastery. KeywordsKathmandu, Buddhist monastery, monastery management, building preservation カトマンズ、仏教僧院、僧院運営、建物保存 1. 序論 1-1. 研究の背景と目的 カトマンズ盆地は、ネパールのほぼ中心に位置し、二千年の歴 史を経た現在でもなお、先住民族のネワール族による文化が息づ く地として世界遺産に登録されている。その中でも仏教僧院はネ パールで独自の発展を遂げ、文化的にも重要な位置付けにあるが、 都市化に伴い、その姿を大きく変えており、伝統的な僧院建物の 喪失が危惧される。本研究は、世界遺産カトマンズ盆地の生きた 文化遺産としての仏教僧院における継承保存の現代的あり方に 有益な知見を得ることを目的として、以下の事項を明らかにする ものである。 仏教僧院の建築的変容 宗教コミュニティを中心とした仏教僧院運営の変容 僧院運営の変容が仏教僧院建築の建物保存に及ぼす影響 1-2. 研究の方法 本研究では 1970 年代のユネスコによるカトマンズ盆地におけ る歴史的遺構の全数調査(以下ユネスコ調査)以来、その実態が 把握されてこなかった仏教僧院を対象とした。ユネスコ調査によ る報告書 1) に記載のカトマンズ市旧市街地内に位置する仏教僧院 の中で、写真と配置図の確認できる 76 件の僧院から後述する標 準形に従う僧院を中心に、すべての主僧院を含む (1) 64 件を選出し (2) 。僧院建築の変容を明らかにするため、文献調査、居住者への インタビュー、目視調査を通じて、ユネスコ調査から40 年を経た 現在の僧院建築の保存状態を調査した。現地調査として、トリブ バン大学仏教学科のN M Bajracharya 教授、 Lotus Academic College S MBajracharya 教授、講師の I S Bajracharya 氏へのイン タビューによりカトマンズにおける僧院運営の概況を把握した 後、各仏教僧院へのインタビューを行った。現地調査の期間は第 一回調査として2014 9 16 日〜 10 8 日、第二回調査として 2014 11 28 ~ 12 17 日の計41 日間であった。 1-3. 既往研究と研究の位置づけ 仏教僧院に関して1970 年代には、 Pruscha らとUNESCO、ネパ ール政府考古省による歴史的建築目録が発行され、カトマンズ盆 地に存在するすべての寺院、仏塔とともに仏教僧院の歴史、写真、 配置図が掲載されており貴重な資料となっている 2) 。またW Korn は、カトマンズ盆地の伝統的建築のひとつとして仏教僧院の建築 様式を紹介しており、複数の仏教僧院の建築的様相を調べている 他、仏教僧院の平面の変遷および王宮建築との関連について研究 を行った 3) 1980 年代にはJ K Locke によってカトマンズ盆地 の仏教僧院を対象とする全数調査がなされた 4) 。日本工業大学調 査団は 1990 年代に老朽化したパタン市の 1 件の仏教僧院の復元 にあたり、復元前から完成まで調査研究を行った 5) 。また仏教僧 院を平面形式から4 つに分類し平面形式の変遷について言及して いる。佐藤はネパール、北インド、中国の寺院研究から、ネパー ルにおける仏教僧院がインドのビハーラ石窟に起源を持つとし 6) 。最近では仏教僧院の管理所有、実態調査、衰退と転用に関 する体系的な研究がL Shakya らによって行われた 7) R Dongol はカトマンズ市旧市街地に立地する1 つの仏教僧院に関してその 住宅への転用に着目した研究を行っているがカトマンズ市への 報告書にとどまり、論文としては発表されていない 8) 。本研究は 旧市街地の現存する3 都市の中でも都市化の影響の著しいカトマ ンズ旧市街地を対象とするものである。また、仏教僧院の運営主 体であるサンガの僧院運営の変化に着目した、僧院運営の変化が もたらす建物保存への影響に関する研究は未だなされていない。 2. ネパールとネワール仏教、仏教僧院の概要 2-1. ネパール、カトマンズ盆地の概要 ネパールはインドと中国という2 つの大国に挟まれ、美しい ヒマラヤの山々に囲まれた南アジアの小国である。約2,650 万人 の人々がヒンドゥ教や仏教、キリスト教、イスラム教など様々 な宗教を信仰しながら、 53 の少数民族を抱えて調和の中で暮ら している。 5 世紀頃にはすでに存在したといわれる仏教僧院建築 は、空虚な遺構としてではなく、現在においても人々の生活が 営まれており、過去から現在までの時間的な連続性を示す稀有 な建築群である。また、首都であるカトマンズ市はその人口増 加において突出しており都市化の進行は最も顕著である。 - 192 -

Upload: others

Post on 21-Oct-2020

7 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

  • 公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集 No.13, 2015 年 2 月 Reports of the City Planning Institute of Japan, No.13, February, 2015

    * 非会員・京都大学地球環境学堂(Graduate School of Global Environmental Studies, Kyoto University) ** 正会員・京都大学地球環境学堂(Graduate School of Global Environmental Studies, Kyoto University)

    ネパール、カトマンズ市の仏教僧院における僧院運営の変容が建物保存に及ぼす影響

    A study on the transformation in the traditional monastic management and its impact on the buildings of Buddhist monasteries in Kathmandu, Nepal

    川﨑悠平*・落合知帆**・岡﨑健二**

    Yuhei Kawasaki*・Chiho Ochiai**・Kenji Okazaki**

    The Kathmandu Valley, where is located nearly the center of Nepal, was listed as a wolrd heritage site owing to its cultureal specificity—2000 years’ lively Newar culture. Buddhist monastery has an intimate relationship with Newar Buddhism which is developed independently in Nepal. It is also considered as a “living heritage” which still holds a variety of local gathering regional events. This study identifies and reveals the ideal way to maintain the lively cultures which are the inheritance of Buddhist monastery and the management body of monastery called Sangha, due to the relationship of the change of the monastic management (according to the decrease of Buddhism’s influence) and the preservation of the Buddhist monastery.

    Keywords:Kathmandu, Buddhist monastery, monastery management, building preservation

    カトマンズ、仏教僧院、僧院運営、建物保存 1. 序論

    1-1. 研究の背景と目的

    カトマンズ盆地は、ネパールのほぼ中心に位置し、二千年の歴

    史を経た現在でもなお、先住民族のネワール族による文化が息づ

    く地として世界遺産に登録されている。その中でも仏教僧院はネ

    パールで独自の発展を遂げ、文化的にも重要な位置付けにあるが、

    都市化に伴い、その姿を大きく変えており、伝統的な僧院建物の

    喪失が危惧される。本研究は、世界遺産カトマンズ盆地の生きた

    文化遺産としての仏教僧院における継承保存の現代的あり方に

    有益な知見を得ることを目的として、以下の事項を明らかにする

    ものである。 仏教僧院の建築的変容 宗教コミュニティを中心とした仏教僧院運営の変容 僧院運営の変容が仏教僧院建築の建物保存に及ぼす影響 1-2. 研究の方法

    本研究では 1970 年代のユネスコによるカトマンズ盆地における歴史的遺構の全数調査(以下ユネスコ調査)以来、その実態が

    把握されてこなかった仏教僧院を対象とした。ユネスコ調査によ

    る報告書 1)に記載のカトマンズ市旧市街地内に位置する仏教僧院

    の中で、写真と配置図の確認できる 76 件の僧院から後述する標準形に従う僧院を中心に、すべての主僧院を含む(1)64 件を選出した(2)。僧院建築の変容を明らかにするため、文献調査、居住者への

    インタビュー、目視調査を通じて、ユネスコ調査から40年を経た現在の僧院建築の保存状態を調査した。現地調査として、トリブ

    バン大学仏教学科のN・M・Bajracharya教授、Lotus Academic CollegeのS・M・Bajracharya教授、講師の I・S・Bajracharya 氏へのインタビューによりカトマンズにおける僧院運営の概況を把握した

    後、各仏教僧院へのインタビューを行った。現地調査の期間は第

    一回調査として2014年9月16日〜10月8日、第二回調査として2014年11月28日~ 12月17日の計41日間であった。 1-3. 既往研究と研究の位置づけ

    仏教僧院に関して1970年代には、PruschaらとUNESCO、ネパール政府考古省による歴史的建築目録が発行され、カトマンズ盆

    地に存在するすべての寺院、仏塔とともに仏教僧院の歴史、写真、

    配置図が掲載されており貴重な資料となっている2)。またW・Kornは、カトマンズ盆地の伝統的建築のひとつとして仏教僧院の建築

    様式を紹介しており、複数の仏教僧院の建築的様相を調べている

    他、仏教僧院の平面の変遷および王宮建築との関連について研究

    を行った 3)。1980年代にはJ・K・Lockeによってカトマンズ盆地の仏教僧院を対象とする全数調査がなされた 4)。日本工業大学調

    査団は 1990 年代に老朽化したパタン市の 1 件の仏教僧院の復元にあたり、復元前から完成まで調査研究を行った 5)。また仏教僧

    院を平面形式から4つに分類し平面形式の変遷について言及している。佐藤はネパール、北インド、中国の寺院研究から、ネパー

    ルにおける仏教僧院がインドのビハーラ石窟に起源を持つとし

    た 6)。最近では仏教僧院の管理所有、実態調査、衰退と転用に関

    する体系的な研究がL・Shakyaらによって行われた 7)。R・Dongolはカトマンズ市旧市街地に立地する1つの仏教僧院に関してその住宅への転用に着目した研究を行っているがカトマンズ市への

    報告書にとどまり、論文としては発表されていない 8)。本研究は

    旧市街地の現存する3都市の中でも都市化の影響の著しいカトマンズ旧市街地を対象とするものである。また、仏教僧院の運営主

    体であるサンガの僧院運営の変化に着目した、僧院運営の変化が

    もたらす建物保存への影響に関する研究は未だなされていない。 2. ネパールとネワール仏教、仏教僧院の概要

    2-1. ネパール、カトマンズ盆地の概要

    ネパールはインドと中国という2つの大国に挟まれ、美しいヒマラヤの山々に囲まれた南アジアの小国である。約2,650万人の人々がヒンドゥ教や仏教、キリスト教、イスラム教など様々

    な宗教を信仰しながら、53の少数民族を抱えて調和の中で暮らしている。5世紀頃にはすでに存在したといわれる仏教僧院建築は、空虚な遺構としてではなく、現在においても人々の生活が

    営まれており、過去から現在までの時間的な連続性を示す稀有

    な建築群である。また、首都であるカトマンズ市はその人口増

    加において突出しており都市化の進行は最も顕著である。

    - 192 -

  • 公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集 No.13, 2015 年 2 月 Reports of the City Planning Institute of Japan, No.13, February, 2015

    2-2. 仏教僧院とサンガ

    サンガとは、仏教僧院を運営するネワール族の僧侶カーストに

    よる、父系の血統の集団である。バジャルチャルヤもしくはサキ

    ャと呼ばれる、僧侶カーストの息子のみがサンガへの入門の儀を

    受けることができ、父親の僧院に所属することとなる。サンガは、

    僧院運営のための土地を持っており、サンガ構成員は全員順番で

    一定の期間で僧院の管理業務を行う義務がある。管理義務では神

    殿部分の日常儀礼が最も重要であり、僧院建物の安全対策、清掃

    なども含まれる 9)。 2-2-1. 日常儀礼

    カトマンズ盆地の仏教僧院では、本尊の安置されているクワパ

    デョ(Kwapadyo)への日常儀礼がなされる。元来は仏教僧院では終日、儀礼がなされていたようだが、これはもはや限られた例を

    のぞいて行われていない。一般的に僧院は日の出とともに公式に

    規定された朝の日常儀礼を行う。日没頃には、本尊への点灯を伴

    った夜の日常儀礼を行う。ネワール仏教の儀軌では、1 日に 4 度の日常儀礼を行うべきであると定められているが、今日でも4度行っている僧院は64件中2件のみであった。 2-2-2. 年中儀礼

    すべての僧院には、創立の記念日を祝うブサダン(busa-dan)という儀礼がある。例祭の慣例では、儀礼とサンガメンバー全員を集

    めた大宴会を含んでいる。カトマンズでは、サンガの血縁集団が

    かつての居住地から遠く離れてしまっていたり、収入の大半を得

    ていた土地が減少していることから、この慣習も消滅し始めてい

    る。 2-2-3. 通過儀礼

    神殿で行われるバレチュエグと呼ばれる通過儀礼は、新しくサ

    ンガメンバーとして迎え入れられるために必須の儀礼であり、僧

    侶カーストの世襲において重要な意味を持つ。バジャルチャルヤ

    のカーストには特別な秘密儀礼であるアチャルヤグが存在する。 2-2-4. サンガのヒエラルキー

    各僧院はサンガの生活を見守り、規律を決める数人の年長者か

    ら構成される年功序列の集団を持つ。彼らの権限は日常生活や日

    常儀礼の取りしきりや、例祭や宴会の準備、僧院や神殿の補修、

    慣習やカーストの取り決めへの違反の取り締まりなどであった。

    今日多くの僧院では年長者たちは肩書きだけの存在以上のもの

    ではなく、バレチュエグの際に同席することと、宴会の際に目上

    の席に座るのみである。 2-2-5 仏教僧院の慣習的分類

    すべての僧院は主僧院と副僧院の大きく2つに分けられる。副僧院とは主僧院から分離独立したものであるため、一般的にその

    規模は小さい。主僧院の中からサンガを構成するカーストによっ

    て、Aムーバハ、Bサキャバハ、Cムーバヒの3つに分けられ、D副僧院を加えた4つに分類できる。カーストの社会的地位はAが最も高くB、C、Dの順に下がる。 3. 仏教僧院建築の変容 John K Locheは現在の仏教僧院はコミュニティと結びついた一連の儀礼を続けており、正式な通過儀礼を受けた仏教僧侶の住処

    であり、現在の僧院には妻帯した在家の僧侶しか存在しないが、

    かつては明白に出家僧侶のための僧院が存在したとしている。 3-1. 仏教僧院建築の標準形の定義

    仏教僧院建築の変容を考察するための標準形を定義する。

    a) 正方形平面 仏教僧院建設の手法はその平面形や方角の決定、開口の寸

    法、建設の際に必要な儀礼などがクリヤサングラハ

    (Kriyasamgraha)と呼ばれる儀軌によって決められている。仏教僧院は正方形平面を81に分割し中庭中央にチャイティアを置き、それぞれのセルに神が宿ると説明している。 b) 中庭を囲む僧院建物 正方形平面を囲む僧院建物について、Wolfgang Kornは16 Chusya Bahaを最も基本的な特徴を持つ僧院として紹介している。従って、本論文ではこの僧院を標準形とする。図-1に示すように、正方形の中庭を僧院建物が囲み、中庭への入口からの

    軸線上の一階に神殿であるクワパデョが位置する。クワパデョ

    のない3辺中央の一階にはダランが配される。 本論文ではa)正方形平面とb)中庭を囲む僧院建物の2つの特徴を満たすものを標準形とする。

    3-2. 仏教僧院の建築的変容の現状

    写真-1に示すように、仏教僧院のほとんどは中庭を囲む僧院建物を増改築や建て替えによって、一部もしくはすべて失って

    いる。本尊の安置されている部屋である、クワパデョのある神

    殿も老朽化によって崩れかかっているものや外観からは判別が

    難しいほどに改築された事例もある。

    3-3. 仏教僧院の建築的分類

    対象の64件の僧院は詳細に見れば、それぞれ64通りの建築的様相を示す。したがって、各僧院建築の保存状態を定量的に比較

    することは困難である。そこで2つの観点から各僧院建物の保存状態の分類を試みて、比較検討の参考とした。まず標準形の定義

    図-1 16 Chhusya Bahaの特徴

    写真-1 同じ僧院の神殿を同じ角度から撮影した写真。1975年当時の神殿(左)と2014年現在の神殿(右)僧院建物がRC造のマンション

    に建て替えられている。

    - 193 -

  • 公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集 No.13, 2015 年 2 月 Reports of the City Planning Institute of Japan, No.13, February, 2015

    に従う僧院は 55 件存在し、前述の特徴を基準として目視調査より、(1)神殿及び僧院建物の残存程度(どれくらい増改築を免れたか)(2)神殿の維持管理状態(仕上げや伝統的素材の使用、損傷の程度など)の2つの観点から分類を試みた。 (1)神殿及び僧院建物の残存程度 神殿と標準形の特徴を持つ僧院建物をどの程度残しているか

    という視点から対象僧院を分類した。目視調査によって神殿の

    残存程度、僧院建物の残存程度の組み合わせから6つに分類した。調査対象では2つが該当しないため4分類(3)を採用した。 (2)神殿の維持管理状態 仏教僧院における神殿にはクワパデョとアガムという儀礼の

    執行において必要不可欠な2室が位置している。僧侶カーストとしての世襲に関係する重要な儀礼を行う場であるため、神殿

    部分には特別な配慮がされる場合が多い。従って神殿建物の維

    持管理状態を建築的分類の基準のひとつとして考慮した。標準

    形に該当する僧院を神殿部分の維持管理状態から、外観の1975年のユネスコ調査による写真との比較、インタビュー調査に基

    づいて3種類に分類した。良好:写真-2に示すように、神殿を伝統的な素材を用いて適切な維持管理を行っている。瓦屋根の

    葺替え、煉瓦の積み替え、窓枠の木彫りの付け替え、トラナの

    付け替え等が確認できる。普通:写真-3に示すように、神殿を応急的に補修している。屋根のトタンによる補修、モルタル仕

    上げ、金属製サッシ等が確認できる。不良:写真-4に示すように、神殿が維持管理をされておらず、放置されている。屋根の

    崩れ落ち、煉瓦壁の崩壊、クラック、木窓の損傷、トラナの喪

    失等が確認できる。

    (1)及び(2)の組み合わせから表-1 のように 12 種類の建築的分類に分類した。(4)

    4. 仏教僧院運営の変容

    4-1. サンガの変容

    5 世紀頃の仏教僧院は王族に匹敵するほどの租税の徴収を許されており、幾つかの村の自治権を持ちながら、時には司法機関の

    役割も果たしていた。20世紀の土地制度改革によって僧院運営に必要な収入源であった僧院所有の土地は大部分が失われ、伝統行

    事や祭りの継続は金銭的な問題を抱え始めた。また現在、大部分

    の僧院建物の所有権は運営主体であるサンガには帰属しておら

    ず、所有権が僧院を慣習的に分割し居住していたサンガメンバー

    個人に帰属している事例も多い。 4-2 保存委員会の役割

    現在、僧院の補修や建て替えをするためには考古省への申請

    が義務付けられており、カトマンズ市からの金銭的補助を受け

    ることもできる。申請に際して、僧院の法的な所有権を明確に

    示すためには権利書を提示する必要があるが、権利書には僧院

    やサンガというような慣習的な共同体の名義として登録するこ

    とができない。政府はサンガとしての僧院の所有権の登記を行

    うための組織として保存委員会と呼ばれる組織を区(Ward)に登録することを求めている。保存委員会はサンガメンバーから選出

    され、一般的に7人もしくは9人の委員で構成される。政府への補助金申請、保存委員会の登録などの作業等に通じている比

    較的若いメンバーが実質的な運営を担うことが多い。

    5. 仏教僧院運営の現状

    仏教僧院運営の現状を把握するために、a)~f)の 6 項目(3)を設定し、64件すべての僧院を対象にインタビュー調査を行った。a)慣習的分類では、32件の僧院が副僧院となった。b)僧院に所属するサンガメンバーの人数では 10 人未満の僧院が 19 件ある一方で150人以上のサンガメンバーが所属する僧院が13件あり、人数の偏りが見られた。c)保存委員会を持っている僧院は20件、d)僧院として定期的な収入がある僧院は23件であった。また、e)年中儀礼を全く行わない僧院が18件、f)日常儀礼を全く行わない僧院が4 件あり、儀礼や伝統が失われている僧院が確認された(表-2 を参照)。 6. 僧院運営の変容が建物保存に及ぼす影響 6.1 全体の傾向

    全体の傾向としては規模が大きい a)慣習的分類の位が高く、b)サンガ人数の多い僧院ほど、神殿の維持管理状態が良好であった

    (図-2を参照)。一方で残存程度の分類では、僧院全体を保存している僧院5件のうち2件はサンガ人数が10人未満であり、5件の

    写真-2 状態良好の神

    殿

    写真-3 状態普通の神

    殿

    写真-4 状態不良の神

    殿

    表-1僧院の建築的分類と運営状態

    図-2僧院の規模と神殿の維持管理状態

    49 113

    2

    34

    34

    213 21

    02468

    101214161820

    良好普通不良

    神殿維持管理

    状態

    サンガ人数

    300人以上

    サンガ人数

    140人以上300人未満サンガ人数

    60人以上140人未満サンガ人数

    20人以上60人未満サンガ人数

    0人以上20人未満

    712 13

    3

    15 17

    2 4

    02468

    101214161820

    良好

    普通

    不良

    神殿維持管

    理状態

    慣習的分

    類 ムーバ

    慣習的分

    類 サキャ

    バハ

    慣習的分

    類 バヒ

    慣習的分

    類 副僧院

    図-3僧院活動と神殿の残存程度

    3

    8

    13 13

    2

    7

    41

    02468

    1012141618

    分類

    1分類

    2分類

    3分類

    4

    残存程度

    保存委員

    会 あり

    保存委員

    会 なし

    36 6

    2

    3 2

    3

    4

    31

    1

    2

    1

    45

    5

    02468

    1012141618

    分類

    1分類

    2分類

    3分類

    4

    残存程度

    年中儀礼

    年に4回以上

    年中儀礼

    年に3回

    年中儀礼

    年に2回

    年中儀礼

    年に1回

    - 194 -

  • 公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集 No.13, 2015 年 2 月 Reports of the City Planning Institute of Japan, No.13, February, 2015

    うち3件は副僧院であった。保存委員会を持っている僧院や年中儀礼を多く行う僧院など、僧院の規模に関わらず僧院活動が良好

    な僧院ほど僧院全体を残している傾向にあった(図-3を参照)。各事例を見ると、S.-No.16はサンガ人数が36人の小規模な副僧院でありながら保存委員会を中心としてネパール政府、ドイツ大使館

    の援助を受けて僧院全体の建築的価値を認識し保存している(写

    真5を参照)。またS.-No.81、119、143、148、217、219のように主僧院であり良好な運営状態にあっても、神殿建物の高層化や伝

    統的な外観を再現しない近代的な建て替えを選択する僧院も存

    在した(写真 6 を参照)。上記の 6 件の僧院の 5 件は保存委員会を持たない。

    7. 結論

    僧院の神殿部分は儀礼の上で重要な意味を持ち、優先して補修

    されるため規模が大きく人数の多い僧院の神殿の維持管理状態

    は良好であった。一方で僧院建物を含む僧院全体の保存には、僧

    院全体の所有権の問題や居住者の増改築ニーズ等、神殿の規模が

    大きくなるほど全体としての保存は難しくなると推察する。規模

    が小さくとも僧院活動が良好な僧院では保存委員会が僧院全体

    としての保存価値を認識し率先して取り組んでいる事例がみら

    れた。一方で規模が大きく僧院活動が良好な僧院でも、神殿の伝

    統的外観を維持しない事例も見られ、僧院建築の価値認識は一様

    でない。現在の仏教僧院運営は、従来の年長者を中心とした年功

    序列の権力構造から、保存委員会を始めとする若年層が台頭して

    おり、サンガの枠組みを超えた、自治体や政府、NGOとの連携においては保存委員会の存在は必要である。今後は、図-4に示すような世代交代とも言える僧院を取り巻く構造の変化の中で、儀礼

    や伝統などの無形の文化も含んだネワール仏教文化の価値認識

    を次世代に継承していくことが、建物保存を中心とした生きた文

    化遺産の保全において重要であると考える。

    補注 (1)主僧院に含まれるムーバヒについては12件が旧市街地の外側に位置するため対象外とした。 (2) 論文中の僧院番号(S.-No.)は文献1)に従う。 (3)分類1神殿及び僧院建物がすべて残る、分類2神殿がすべて残り僧院建物の一部が残る、分類3神殿のみがすべて残る、分類4神殿の一部のみが残る、の4分類となった。 (4) うち1c)と4c)の2分類は該当する僧院なし。 (5) a)慣習的分類、b)サンガ人数、c)保存委員会の有無、d)定期的収入の有無、e)年中儀礼の回数、f)日常儀礼の回数の6項目を設定した。 参考文献

    1) Pruscha, Carl:Kathmandu Valley, Preservation of Physical Environment and Cultural Heritage A Protective Inventory vol.1, 2, His Majesty’s Government of Nepal in collaboration with the United Nations and Unesco, 1975 2) 文献1) 3) Wolfgang Korn:The Traditional Architecture of the Kathmandu Valley, Bibliotheca Himalayica, 1977 4) John K Locke:Buddhist Monastries of Nepal, A Survey of the Bahas and Bahis of the Kathmandu Valley, Sahayogi Press, 1985 5) 日本工業大学ネパール建築調査団(編):ネパールの仏教僧院 イ・バハ・バヒ修復報告書, 中央公論美術出版, 1998 6) 佐藤正彦:ヒマラヤの寺院 ネパール,北インド,中国の宗教建築, 鹿島出版, 2011 7) Lata Shakya, 他:ネパールの歴史都市における中庭型集住体の共用空間の管理システムに関する研究, 2013. 2 8) Rupa Dongol:Conservation and management of Historic buildings, Kathmandu Metropolitan City, 2012 9) 田中公明:ネパール仏教, 春秋社, 1998

    表-2標準形に従う僧院の運営状態と建築的分類

    写真-5 S.-No.16の中庭側立面全景を見ると僧院建物を含む全体を保存し

    ている

    写真- 6 S.-No.81の中庭側立面全景を見ると、僧院建物はすでにRC造の住宅に建て替えられており、神殿も一見して僧院と判別できない近代的

    な外観である。

    図-4サンガの僧院運営の変化

    - 195 -

    /ColorImageDict > /JPEG2000ColorACSImageDict > /JPEG2000ColorImageDict > /AntiAliasGrayImages false /CropGrayImages true /GrayImageMinResolution 300 /GrayImageMinResolutionPolicy /OK /DownsampleGrayImages true /GrayImageDownsampleType /Bicubic /GrayImageResolution 300 /GrayImageDepth -1 /GrayImageMinDownsampleDepth 2 /GrayImageDownsampleThreshold 1.00000 /EncodeGrayImages true /GrayImageFilter /DCTEncode /AutoFilterGrayImages true /GrayImageAutoFilterStrategy /JPEG /GrayACSImageDict > /GrayImageDict > /JPEG2000GrayACSImageDict > /JPEG2000GrayImageDict > /AntiAliasMonoImages false /CropMonoImages true /MonoImageMinResolution 1200 /MonoImageMinResolutionPolicy /OK /DownsampleMonoImages true /MonoImageDownsampleType /Bicubic /MonoImageResolution 1200 /MonoImageDepth -1 /MonoImageDownsampleThreshold 1.00000 /EncodeMonoImages true /MonoImageFilter /CCITTFaxEncode /MonoImageDict > /AllowPSXObjects false /CheckCompliance [ /None ] /PDFX1aCheck false /PDFX3Check false /PDFXCompliantPDFOnly false /PDFXNoTrimBoxError true /PDFXTrimBoxToMediaBoxOffset [ 0.00000 0.00000 0.00000 0.00000 ] /PDFXSetBleedBoxToMediaBox true /PDFXBleedBoxToTrimBoxOffset [ 0.00000 0.00000 0.00000 0.00000 ] /PDFXOutputIntentProfile () /PDFXOutputConditionIdentifier () /PDFXOutputCondition () /PDFXRegistryName () /PDFXTrapped /False

    /CreateJDFFile false /Description > /Namespace [ (Adobe) (Common) (1.0) ] /OtherNamespaces [ > /FormElements false /GenerateStructure false /IncludeBookmarks false /IncludeHyperlinks false /IncludeInteractive false /IncludeLayers false /IncludeProfiles false /MultimediaHandling /UseObjectSettings /Namespace [ (Adobe) (CreativeSuite) (2.0) ] /PDFXOutputIntentProfileSelector /DocumentCMYK /PreserveEditing true /UntaggedCMYKHandling /LeaveUntagged /UntaggedRGBHandling /UseDocumentProfile /UseDocumentBleed false >> ]>> setdistillerparams> setpagedevice