パウル・クレーのangelus novusとpaul klee's "angelus novus" and twilight of...

21
ژܗڀݚNo.1 ÆÆ ύϧɾΫϨʔͷ "Angelus Novus" ͱ ϰΝϧλʔɾϕϯϠϛϯͷԫ৹ඒओͱχ¬νΣ ֆըɹϑΥʔϚʔτɾ1989 ¬1999 ʻਫ਼ਆͱϑΥʔϚʔτʼ௨తͱڞʹΑΓͼΔֆըݪÆÆΛରԽÆÆ On the Production of Subject in Japanese and English Agrammatism Initial Low Tones of Japanese Nouns, Basic Tone Melodies, and Typology of Japanese Dialects υΠπلͷମจԽͱज़ ÆÆɽݐஙͱͷମ ٶݡͱʮ൴؛ʯͷΠϝʔδ ܗඒज़ڭҭͱײͷڭҭʹͷҰߟ ÆÆϩʔΣϯϑΣϧυͷʹڀݚরΒ߹Θ INCORRECT CONTINUITY ޱ005 Ճ౻ ໜ 017 ାढ़ 035 Ҫ ࢠߒݪ069 ௩ዳ077 ୩ ষ 087 105 123 129 Journal of Tokyo Zokei University 1 2000

Upload: others

Post on 30-Jan-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

東京造形大学研究報

No.1目次

パウル・クレーの "Angelus Novus" とヴァルター・ベンヤミンの黄昏

審美主義とニ-チェ

絵画 フォーマート・1989 - 1999<精神とフォーマート>通時的視点と共時的視点により浮かび上がる絵画原理

自作を対象化して

On the Production of Subject in Japanese andEnglish Agrammatism

Initial Low Tones of Japanese Nouns, Basic Tone Melodies, and Typology of Japanese Dialects

ドイツ世紀末の身体文化と空間芸術2.近代住宅建築と女性の身体

宮澤賢治と「彼岸」のイメージ

造形美術教育と感性の教育についての一考察ローウェンフェルドの研究に照らし合わせて

INCORRECT CONTINUITY

森口 陽 005

加藤 茂 017

母袋俊也 035

井原浩子 069

大塚惠子 077

長谷川 章 087

倉林 靖 105

楠田玲子 123

太田 曜 129

Journal ofTokyo Zokei University

1 2000

Page 2: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

Paul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin

パウル・クレーの “Angelus Novus” とヴァルター・ベンヤミンの黄昏

森口 陽

Page 3: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

 ヴァルター・ベンヤミンは 1940 年、パリがドイツ軍に

よって占領されたときに亡命した。かれは遺稿となった

「パサージュ論」ほかの論文を二つの鞄に入れ、そのうち

の一つに 1921 年にミュンヘンで購入したクレーの水彩画

を額縁からはずして、忍び込ませた。この水彩画は 1940

年9月、フランスとスペインの国境地帯ポル・ボウで服毒

自殺する間際までベンヤミンの鞄の中にはいっていた、と

いう説がとられていたが、水彩画はかれが亡命の直前に

Parisian Collège de Sociologie の知友ジョルジュ・バタイ

ユに、遺稿の一部とともに預けられていたことが、ベン

ヤミンの盟友ゲルショム・ショーレムの証言によって明ら

かになった。バタイユは、それらを Bibliotheque National

に隠したという。

 水彩画は第二次大戦の終了後、一時期ベンヤミンの弟

子であったアドルノ(アメリカに亡命、後フランクフルト

にもどった)の手に渡り、ベンヤミンの遺言にしたがって

ショーレムの許に渡った。1987 年ショーレムからイスラ

エル国立美術・博物館に寄贈されている。

 本稿は一枚の水彩画とひとりの思想家の運命、その出会

いと終焉をローリング・トゥエンティという時代背景のう

ちに論考しようとするものである。革命と前衛のうちに知

のユートピアの構築を想起し、社会変革という思想を植え

つけようとしたひとりの思想家にとって、この一枚の絵は

その思索の出発点ともいえよう。

006

Page 4: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

Aestheticism and Nietzsche

審美主義とニーチェ

加藤 茂

Page 5: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

 審美主義は、人生の諸価値のうちでもとくに美を人生最

高の喜びの源泉として賞揚し、善(道徳、実用)や真に対

してなんらか懐疑的な人生態度ないし哲学を意味する。そ

れは総じて、目的や概念に拘束されない、傍観者的4 4 4 4

、観照4 4

的4

なものの見方、無心の4 4 4

まなざしに淵源する。本論は、ま

ず芸術至上主義の歴史を概観し、とくにW・ペイターやO・

ワイルドの審美主義を一瞥したあと、同じ十九世紀末を生

きたF・ニーチェの審美主義をかれらのそれと対比しなが

ら吟味し、最後に本来の審美主義を模索する。

 ニーチェの美学は、社会的効用や道徳を重視する「人生

のための芸術」説ではないのみならず、これに敵対するデ

カダン的な「芸術のための芸術」説でもない。かれはつね

に「生と権力意志の関数」としての芸術を至上視するから

だ。それは前二者から区別される「生4

のための芸術」の熱

烈な讃歌である。

 ニーチェの審美主義は「ディオニュソス的」と特徴づけ

られる。芸術家による忘我の陶酔と高揚のうちに人生の苦

悩からの解放と生存の意味の確認を求めるからだ。それは

既存の美しい事物を「無関心」的に鑑賞する受動的な立場、

「女の美学」ではなく、作品を創作する芸術家の能動的4 4 4

創造的な4 4 4 4

「生理学」、「男の美学」からの立論である。作品

そのものでもその受け手でもなく、創り手4 4 4

の白熱した創造

活動に着眼し、その権力感情の横溢と燃焼にニヒリズム超

克の契機を求める、その点にニーチェ美学の個性と限界が

ある。

 ニーチェが美や芸術に期待するものは、「苦悩」の克服、

「陶酔」の高揚、人生の意味の「創造」である。その基本

姿勢が「美的現象としてのみ、人間と世界は是認される」

という命題に要約される。この命題の背後には重い重いニ

ヒリズムが隠れていて、それがかれの審美主義に深みを添

える。それは、花鳥風月などの美の気休めのおかげで人生

は生きるに耐えうる、というより、人間は美的価値の創造4 4

からこそ生存理由と歓喜をえ、人生はその創造の場たる限

り無意味を免れるということを言おうとする。

 ニーチェの審美主義は「生の光学」に基づくが、その「生」

は実用と道徳を旨とする社会を超越した形而上学的な概念

であり、その生を「刺激」し上昇させる力が美(その反対

の力が醜)とされる。このような「生の哲学」に奉仕する

審美主義であるために、そこには芸術の自律や自足につい

ての明確な主張がなく、したがってまた美の真に内在的な4 4 4 4

定義もないことになる。この点と、前述の生の全面的肯定

や創造性の強調とが、ニーチェの審美主義を英仏のデカダ

ン的審美主義から区別する特色をなす。

 広義の審美主義は、芸術美のみならず自然美をも含まね

ばならぬが、具体的には芸術至上主義の形をとる。芸術家

が<かたち>の形象化に専念して、芸術外的な<ものごと

>や<こころ>を二の次と考えても、結果的4 4 4

、外的には4 4 4 4

社会の福利と良俗の普及に貢献しうる。「形式の完成は徳

を導く」が、その逆は必ずしも真ではない。

018

Page 6: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

MOTAI Painting Format 1989-1999

絵画 フォーマート・1989 -1999〈精神性とフォーマート〉通時的視点と共時的視点により浮かび上がる絵画原理

自作を対象化して

母袋俊也

Page 7: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

目次/Contens

Painting ・ installation view 1998-1999036Paintigs 1997-1999 039絵画 フォーマート・1989-1999 043 ● クロノジカルなテーマの推移 044 ● フォーマートへの関心の発生と推移045 ● 精神性とフォーマートとの相関  ● 推移と代表作例

  ● 背景・事象 046

Painting Format 1989-1999 047List of Paintings M.9 ~M.267064略歴/Biography066

主要文献068

036

Painting・installation view1998-1999

installation view“NA・KA・OH㈼”1998.1.12-2.3 Gallery TAGA

Page 8: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

日本語と英語の失文法における主語の産出について

On the Production of Subject in Japanese and English Agrammatism

井原浩子

Page 9: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

070

失語症とは言語獲得後に起きた脳損傷によって引き起こさ

れる言語障害をいい、特に文法が選択的に障害される種類

を失文法と呼ぶことがある。Ihara and Fujita(1997)の

実験では授受動詞に関する限り、失文法患者が行為連鎖に

沿った格助詞付与という普遍的なプロトタイプを保持して

いる可能性が示された。一方、失文法を含む失語症では言

語の特異性が保持されやすいと言われている(Bates et al.

1987, Bates and Wulfeck 1989a, 1989b)。本稿はこれら

の前提を踏まえ、次の疑問に答えるために失文法患者の主

語の産出状況を日本語と英語で比較検討した。(1)行為

連鎖に沿った格付与は日本語失文法で常に優位性を持つの

か?(2)日本語失文法で見られた行為連鎖に沿った格付

与の優位性の強さは、言語が異なっても同じなのか?

日本語データは失文法患者に対する次のような実験から得

られた。移動動詞で描写できる2種類の絵(人が物を移動

させる:「男の子が本を図書館に持っていく」、と物が人を

移動させる:「バスが子供達を幼稚園に運ぶ」)を各 15枚

用意し、与えられた動詞を使って提示された絵を被験者

に描写してもらう。結果は人が主語の場合の正答率は0~

13.3%であった。一方英語のデータはSaffran et al.(1980)

の実験結果から得た。2種類の絵(人が物に働きかける:

"The girl pulls the boat."、と物が人に働きかける:"The

boat pulls the girl.")を各6枚用意し、被験者に単語カー

ドを並べ替えて提示された絵を描写してもらう。結果は人

が主語の場合の正答率は 86.7%に対し、物が主語の場合

は 53.3%であった。以上の結果は次のようにまとめられ

る。(1)日本語失文法では行為連鎖に沿った格助詞付与

が常に最も優位であるとは限らない。(2)行為連鎖(に沿っ

ていること)と有生性の相対的な強さは日本語と英語で異

なる。(3)日本語失文法では行為連鎖の先頭を最も顕現

性のあるトラジェクターとする傾向は英語の場合ほど強く

ない。これらの結果で見られた日本語と英語の違いは「す

る言語」(英語)と「なる言語」(日本語)の違いと一致し

ている。

「する言語」と「なる言語」の違いが言語の持つ視点の違

いに起因すると考えると、失文法患者は各言語特有の視点

の取り方、すなわち各言語特有の事象の解釈の仕方を保持

しているといえる。このことから、失文法患者は普遍的な

プロトタイプと同時に各言語の特異性も保持している可能

性が考えられる。

  Agrammatism is a kind of aphasic syndrome and one

of its characteristics is said to be difficulty in realization

of semantic roles of verbs into forms, e.g. word-order

problem in English and errors in case particles in

Japanese in production. A number of researchers have

pointed out that agrammatic aphasics use “cognitive

strategies” such as animacy, which seem to be universal

based on human cognition. Ihara and Fujita (1997)

showed a possibility that a prototypical case marking,

which is in accord with an action chain in terms of energy

flow, is retained in Japanese agrammatism. However,

can we say that only prototypicality based on universal

human cognition is retained in agrammatism ? This

paper aims to see if agrammatic aphasics have a

language-specific tendency in terms of the mapping

between semantic and grammatical roles by comparing

the production of subject in English and Japanese

agrammatism.

  The Japanese data come from picture-description

tasks. Three agrammatic aphasics and two normal

control subjects took part in the study. They were

required to describe each picture orally by using a

transfer-of-location verb which was provided. Two

kinds of pictures were used: one was to be described

with a human subject, e.g. Otokonoko-ga (boy-sub)

toshokan-ni (library-goal) hon-o (book-obj) motteiku

(take), “The boy takes books to the library.” and the

other was with an instrumental subject, e.g. Basu-ga

(bus-sub) kodomotachi-o (children-obj) youchien-ni

(kindergarten-goal) hakobu (carry), “The bus carries

children to the kindergarten.” The results indicated

that all the agrammatic aphasics assigned the subject

case particle correctly to human subjects (100%), while

they hardly ever assigned it to the instrumental subjects

(0-13.3% ). The English data are from Saffran et al.

(1980). In one of their experiments, five agrammatic

patients and 17 control subjects were required to

arrange sentence fragments to describe each of the

provided pictures. The pictures included two contrastive

conditions: Animate Agent and Inanimate Patient, e.g.

The girl carries the truck and Inanimate Agent and

Animate Patient, e. g. The truck carries the girl. The rates

of errors in both conditions made by agrammatic subjects

were 13.3% (A/I) and 46.7% (I/A).

  The above data show that the Japanese patients

hardly ever assigned the subject case particle to the

head of an action chain when it was inanimate, while

the English patients assigned the subject to about half

of the head of an action chain even if it was inanimate.

If animacy plays the crucial role in any language, why

is there a difference ? If the head of an action chain

universally tends to be the subject, why is there a

Page 10: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

Initial Low Tones of Japanese Nouns, Basic Tone Melodies, and Typology of Japanese Dialects

大塚惠子

Page 11: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

078

 人間の言語の普遍性と個別性を明らかにするという大

きな文脈の中で、アクセントおよび音調のシステムから見

た日本語諸方言のタイポロジーについて論じる。日本語諸

方言における名詞語頭の低音調の分析と、それぞれの方言

の音調システムを特徴づける基本音調メロディーの分析に

は、お互いに密接な相互関係があることを指摘し、ある方

言に対する名詞語頭の低音調の分析を変えるとその基本音

調メロディーの異なった解釈につながることを示す。その

結果全体的なタイポロジーも異なる概観を見せることにな

る。原口(1977、1998、1999)の中の上記の論点に関

連する箇所を検討した上で、名詞語頭の低音調の分析に関

する代案を提案する。この代案では語頭低下過程が最大限

に働き、ほとんどの方言の語頭低音調がこの過程によって

統一的に説明される。これにより日本語諸方言の音調体系

を記述するのに必要な基本音調メロディーの数を少なくす

ることができる。また、この代案の帰結として出てくるタ

イポロジーを他の分析によるタイポロジーと比較し、この

代案では、一つの方言にあらわれる基本音調メロディーの

可能な組み合わせに関して、他の分析で説明できなかった

ギャップが存在しないことを示す。

In this paper I discuss the typology of Japanese dialects

in terms of accentual and tonal systems. I point out

that there is a close relationship between the analysis

of initial low tones of Japanese nouns and that of basic

tone melodies, which characterizes the tonal system of

each dialect, and show that different analyses of the same

dialect with respect to the initial low tones of nouns will

lead to different interpretations of its basic tone melodies

and consequently give different pictures of typology.

After reviewing the relevant points of Haraguchi (1977,

1998, 1999), I propose an alternative analysis of the

initial low tones, where the process of Initial Lowering

plays a crucial role. It reduces the number of basic

tone melodies required to describe the tonal systems of

Japanese dialects, gives a unified account to every initial

low tone or every initial sequence of low tones in most of

the dialects, and offers a different picture of typology of

Japanese dialects from those by the previous analyses.

Page 12: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

2. modern housing and women's body

Body culture and space art at the end of the 19. century in Gerrmany

ドイツ世紀末の身体文化と空間芸術2.近代住宅建築と女性の身体

長谷川 章

Page 13: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

 本論は近代建築を身体文化から捉え直し、建築を文化史

として再構築する事を目的としている。その結果として新

たな近代建築史を再編することを最終の目的としている。

今回は特に近代住宅建築と女性の解放運動に着目し、大き

く二つの側面から近代建築の歴史の社会背景について考察

している。

 第1章ではイギリスに発祥した田園都市運動と衛星都市

構想がいかにドイツへ導入され展開していったのかその経

過を述べながら、ドイツの戦後の都市計画の理念を俯観す

る。その一方で世紀末からワイマール時代にかけて広まっ

た女性の解放運動に言及し、その二つの大きな歴史の流

れが融合して近代住宅建築へと結実した過程を詳述してい

る。特にこの過程で重要な役割を果たした女性建築家マル

ガレーテ・シュッテ=リホツキーに着目し、彼女が提案し

た通称「フランクフルト・キッチン」という合理的台所が

近代住宅建築の成立に重要な役割を果たした事実を検証す

る。更に彼女の設計した学校での実習用台所が女性の労働

の近代化と合理化の啓蒙に寄与し、単に建築としてのハー

ドの開発ではなく、近代社会において解放された新しい女

性像の構築に大きく貢献したものとして評価した。

 第2章では、女性がビーダーマイヤー時代の保守的な家

庭の拘束から解放され、一個の自立した社会人として社会

に進出していく近代女性像の成立の過程を詳述した。そし

て職業婦人としてのライフスタイルの構築過程と、近代住

宅建築の成立過程が相互にどのように影響を及ぼし合った

かを、当時のドイツ工作連盟がドイツ各地で開催した住宅

展を題材にして検証した。一方で産業革命による家事の電

化による家事労働の合理化に平行して、社会での男女平等

化が追求され、その結果として、職業婦人のための「台所

の無い集合住宅」という特異な建築が誕生したことに注目

した。この建築が象徴するのは、田園都市に追求されたユー

トピアにおける理想的な「新しい人間像」が、ドイツの近

代住宅建築の成立の過程でも共通の思想として貫かれてい

たことである。

 このようにドイツでは女性の身体の解放という社会思想

の流れと、近代住宅建築の成立が不可分な社会現象であっ

たことを本論において検証した。

088

Page 14: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

Kenji Miyazawa and his image of the future life

宮澤賢治と「彼岸」のイメージ

倉林 靖

Page 15: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

 本論文は、日本の代表的詩人・童話作家である宮澤賢治

(1896 ~ 1933)の作品がどのようにして生まれてきたか、

その背景を探ろうとするものであり、ことに彼が作品を創

造する際に抱いていた「イメージ」とは何だったのか、そ

れがどのように作品に反映され生かされているか、を追及

しようと試みるものである。私は 、賢治の作品の成立基盤

を成している創作の原イメージを、ひとつの罪障感である

というふうに考えた。この世界では人間は各々の孤絶した

意識のなかで生きなければならないという、人間の基本的

な存立条件を、賢治はある罪障感として感じ取っている。

それは例えば『グスコーブドリの伝記』において、主人公

が殉教することでようやく世界-内-存在として世界に帰

属して生きることを許されるという 、逆説的な物語の構図

において、端的にあらわれている。ところで賢治の罪障感

のなかでも特に際立っているのは、妹のトシ子が死んだと

きに 、彼女といっしょに死後の世界まで付き添ってやるこ

とができないというときに感じられた罪障感であり、これ

も結局は各々人間が孤絶して生と死を生きなければならな

いという、人間の基本的な存在条件に関わる感覚であった。

賢治はこの 、死後の世界にまつわる罪障感を、「青森挽歌」

や「オホーツク挽歌」といった詩、それに「銀河鉄道の夜」

といった童話において、鉄道旅行のイメージに結晶させて

表現した。

 私が本論文のなかで表現したかった最大の問題は、イ4

メージ(表象)4 4 4 4 4 4 4

と倫理4 4

の関係ということであった。賢治

の作品は普通、人間の生き方や社会のあり方のあるべき

姿を描き出したものとしてその主人公や物語が描き出す軌

跡が肯定的に捉えられることが多い。だが賢治が作品を生

み出す際の動機、背景、その原イメージを考えるとき、賢

治が描き出すユートピアのイメージは、実はひとりの人間

の罪障感から生み出されたものであるがゆえに、ある危険

性を帯びているのではないだろうか。それは、賢治が生き

た 20世紀初頭の世界において、万人の幸福をめざすユー

トピア思想が次々と反ユートピア思想に反転していってし

まったことと重なってみえてくる(モダニズム、共産主義、

ファシズム、etc.)。当論文では、このイメージと倫理とい

う問題を、賢治が傾注した日蓮宗、およびその対比として

の浄土教といった仏教思想について述べつつ、やや詳しく

検討している。当論文は、単に賢治の作品や思想を批判し

糾弾しようとするのではなく、むしろその弱点に触れるこ

とによって、彼の作品にいっそう深く4 4

接しようと試みるも

のであり、そのことによって未来の世紀における人間と社

会のありかたを考え、「表象」と「倫理」の問題を考える

ひとつのきっかけを作ろうとする試みなのである。

106

Page 16: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

: in the light of the Study of Lowenfeld

The Formative Art Education and Education for Rasing Sensousness

造形美術教育と感性の教育についての一考察ローウェンフェルドの研究に照らし合わせて

楠田玲子

Page 17: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

124

 現代は情報過多、マルチメディアの時代といわれるが、

むしろ人間の原始的な身体感覚、すなわち嗅覚、味覚、聴

覚、触覚、そして視覚まで、知識によらない情報がその分

欠乏し、個の能力の自然な成長が危ぶまれているように感

じる。ひいては個性や創造性という能力の大切さが二の次

になり、その子その人にとって真に大切な情報が吟味され

ない時代、ともすると情報の目隠しやすり替えにあってい

る時代、さらに言えば自分の感じ方や考え方が本人によっ

て着目される機会の少ない時代ともいえるのではないか。

 昨今の教育界に於いても感性の教育をより大切にすると

いう意識が高まっている。造形美術教育が感性の教育に貢

献できるとしたら、感覚の発達ではないか。言い換えれば

理性的認識に対する感性的認識の向上である。なかでも殊

に「触覚」の果たす役割の大きさに着眼し、実践をもとに

考察してみたところ、造形美術の教育により感性的認識が

高まり、感性的認識力が向上することにより、個性、創造

性、豊かな表現、技術の向上などに繋がることを確信した。

 そこで、敢えて「視覚」と「触覚」を対照的に見てゆき

 参考にローウェンフェルドの「視覚型」と「触覚型」を

取り上げた。また感覚で感じることや考えることを含めて

感性・こころの教育として取り上げた。

 近年の青年白書で指摘される傾向のひとつに「他者との

関わりを避ける」がある。これは単に自己と他者との関係

であろうか。むしろ「自己と向き合うことを避けている」

のではないか。自己との対峙、自己の形成や個性を見つめ

ることは青年期の課題であるなかで、ポケベル・携帯電話

のやりとりだけの関わりやプリクラに一緒に写ったら友達

という現象もある。本当の「関わり」「触れ合い」はより

自己を高め興味深く、ときに困難があっても、面白く創造

的なものであり、自己実現に繋がるかけがえのないもので

あると心から感じられるには…。

 これまで共に学び、勉強させてくれた学生、生徒の言葉

や作品を紐解きながら辿り、簡単にまとめてここに記録し

たい。

Page 18: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

INCORRECT CONTINUITY

INCORRECT CONTINUITY1999 カラー サウンド 16ミリ 9分

太田 曜

Page 19: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

 1999年に制作された映画作品『INCORRECT CONTINU-

ITY』を、フィルムの数コマ分を拡大した写真と、解説の

文章で構成した作品発表資料。

 解説の文章は人が“映画”を見る時、鑑賞者がスクリー

ン上に空間や動きを(場合によっては撮影されたそれらの

再現を)感じるのは何故かを作品の制作過程を明らかにし

つつ探求する。ここでは、それが“映画という一つの制度”

の中に再現された動きを見ようとする姿勢が既に含まれて

いるのではないかという点を明らかにしようとする。

 解説の文章は次のような構成となっている。

◆撮影時点で一コマ毎の撮影しない(フィルム送り時)間

隔が一定の決まった長さで連続する場合と、そうではない

場合では映写時点でどのような視覚的効果が現れるのか。

そのような視覚的効果は一般に何と呼ばれているのか。

◆全部で5シーン(シークエンス)で構成されている作品

の各シーンがどのように作られ、またそれらがどのような

視覚的効果を発生させるか。

 ここでは主として各シーンで行なわれた撮影時点での操

作とその目的、そしてそれらが映写された時どのような視

覚的効果となるか、あるいはどのような視覚的効果となる

ように期待されたかが述べられている。

 撮影時点での操作は一コマ毎の撮影しない(フィルム送

り時)間隔を変化させること。画面の連続性を保ちながら

画面を上下あるいは左右に分割合成し、それぞれの分割さ

れた画面内で上記した撮影しない間隔を変化させたもので

あった。

◆人が“普通に”ものを見る時と“映画の画面”を見る

時の違いについて。ものを見るという行為が、ギブソンの

言うように刺激に対する反応ではなく、情報抽出という行

為であるのなら、それは“映画の画面”という特別な対象

を観察するときどのように行なわれるのか? “映画の画

面(スクリーン”上(あるいは周り)にあるのは、映写機

のランプからの光を遮る色付きのフィルターとしての映画

フィルムを透過してきた“色付きの光の反射”と、フィル

ムの一コマを送るためにシャッターが閉じることで出来る

闇だけだ。この光と闇は正確に規則正しい間隔で(通常は

98分の一秒が一コマに対して二回ずつ)スクリーン上に

“投影”される。

 一方、映写されるフィルムの一コマ一コマは動いてい

るわけではない。フィルムの上には、撮影されたものであ

ろうと、撮影されなかったものであろうと、フレームで仕

切られた静止した画像がつながってあるだけだ。そうなれ

ば、“映画の画面上の動き”は規則正しい間隔でフィルム

が映写機のゲートを送られ、スクリーン上に出来る光と影

の明滅によって現れることになる。そこで作られる動きに

はフィルム上の画像が撮影されたものか、撮影されずに作

られたものかは関係ない。

 しかし、撮影された対象の“動き”の再現を“映画とい

う制度”の中に望む鑑賞者は、撮影された“現実”の空間

や動きがスクリーン上にある限りそれらは現実のものが再

現されているのだと受け取る。これは、“映画を見る”と

いう行為に含まれる“映画という制度”を受け入れる姿勢

ではないかと思われる。

 この映画『INCORRECT CONTINUITY』では、そのよう

な“映画という制度”も問題にされている。そして、作品

発表資料はこの作品が問題にしていることをコマ延ばし写

真と解説の文章で明らかにしようと試みられる。

130

Page 20: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

本号の執筆者

森口 陽(もりぐち あきら)東京造形大学教授

加藤 茂(かとう しげる)東京造形大学教授

母袋俊也(もたい としや)東京造形大学教授

井原浩子(いはら ひろこ)東京造形大学教授

大塚惠子(おおつか けいこ)東京造形大学教授

長谷川 章(はせがわ あきら)東京造形大学助教授

倉林 靖(くらばやし やすし)東京造形大学非常勤講師

楠田玲子(くすだ れいこ東京造形大学非常勤講師

太田 曜(おおた よう)東京造形大学非常勤講師

Page 21: パウル・クレーのAngelus NovusとPaul Klee's "Angelus Novus" and Twilight of Walter Benjamin パウル・クレーの “Angelus Novus”と ヴァルター・ベンヤミンの黄昏ヴァルター・ベンヤミンは1940年、パリがドイツ軍に

東京造形大学研究報

1Journal ofTokyo Zokei UniversityNo.12000発行 2000 年3月 31日

編集

東京造形大学研究報編集委員会

編集委員長長尾 信

編集委員岡村多佳夫

       鍵谷明子

       清水哲朗

       茂木 博

       森 史夫

発行

東京造形大学192-0992 東京都八王子市宇津貫 1556Tel. 0426-37-8111Fax 0426-37-8110

URL. http://www.zokei.ac.jp

Tokyo Zokei Daigaku/

Tokyo Zokei University1556, Utsunuki-machi Hachioji-shi,Tokyo 192-0992, JapanTelephone 0426-37-8111Faccsimile 0426-37-8110URL. http://www.zokei.ac.jp

DTP /株式会社 風人社印刷・製本/平河工業社