マーケティングの定義の再検討 - doshisha...behavioral system of exchange,”journal...

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マーケティングの定義の再検討 問題の所在 P. コトラーの定義をめぐって マーケティングの本質とは何か 単なる販売を超える新たなマーケティングの特徴とは何か Ⅴ 「マス・マーケティング」の行方 問題の所在 定義を語るとは,単に用語説明をするということではなく,原理的にマーケティング を理解しようという試みであることを意味する。 マーケティングをめぐる言説は今日さらに活発に展開されるようになっており,社会 的に注目されているが,その議論はしばしば混乱・混迷を深めている。その最大の理由 は,語っている当事者それぞれにとってマーケティングの意味するところが大きく異な っていることが多いからである。 そのようになってしまう,やむを得ない事情というのもある。第 1 に,マーケティン グの具体的な機能・業務というものが多岐にわたっており,具体的に例示したり,イメ ージしようとするとそれぞれに展開されてしまうからである。第 2 に,マーケティング はビジネスの最前線のコンセプト,戦略,ノウハウに密接に結びついているために,つ ねに新たなアイデアや言説,ネーミングなのが提唱されており,定まった固定的なイメ ージが持ちにくいという状況がある。 したがって,マーケティングの定義を再検討することを通じて,原理的にマーケティ ングを理解しようという試みには,より見通しの持てるマーケティングの見方というも のを提示したいという意図を持っている。すでに筆者は,拙著『顧客志向のマス・マー ケティング』において,マーケティングの定義についての考察を試みた。にもかかわら ず,あらためてマーケティングの定義を検討しようというのは現代のマーケティングを めぐる状況が新たな課題を提起していると思われるからである。 そこで本稿では,マーケティングの定義をめぐる,これまでの検討を整理し,その上 で新たな状況を提起し,マーケティングを理解するための新しい視点についてのスケッ チを試みたい。 431 115

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Page 1: マーケティングの定義の再検討 - Doshisha...Behavioral System of Exchange,”Journal of Marketing, 1974 October. 荒川祐吉,前掲,112~113 ペー ジ。マーケティングの定義の再検討(若林)

マーケティングの定義の再検討

若 林 靖 永

Ⅰ 問題の所在Ⅱ P. コトラーの定義をめぐってⅢ マーケティングの本質とは何かⅣ 単なる販売を超える新たなマーケティングの特徴とは何かⅤ 「マス・マーケティング」の行方

Ⅰ 問題の所在

定義を語るとは,単に用語説明をするということではなく,原理的にマーケティング

を理解しようという試みであることを意味する。

マーケティングをめぐる言説は今日さらに活発に展開されるようになっており,社会

的に注目されているが,その議論はしばしば混乱・混迷を深めている。その最大の理由

は,語っている当事者それぞれにとってマーケティングの意味するところが大きく異な

っていることが多いからである。

そのようになってしまう,やむを得ない事情というのもある。第 1に,マーケティン

グの具体的な機能・業務というものが多岐にわたっており,具体的に例示したり,イメ

ージしようとするとそれぞれに展開されてしまうからである。第 2に,マーケティング

はビジネスの最前線のコンセプト,戦略,ノウハウに密接に結びついているために,つ

ねに新たなアイデアや言説,ネーミングなのが提唱されており,定まった固定的なイメ

ージが持ちにくいという状況がある。

したがって,マーケティングの定義を再検討することを通じて,原理的にマーケティ

ングを理解しようという試みには,より見通しの持てるマーケティングの見方というも

のを提示したいという意図を持っている。すでに筆者は,拙著『顧客志向のマス・マー

ケティング』において,マーケティングの定義についての考察を試みた。にもかかわら

ず,あらためてマーケティングの定義を検討しようというのは現代のマーケティングを

めぐる状況が新たな課題を提起していると思われるからである。

そこで本稿では,マーケティングの定義をめぐる,これまでの検討を整理し,その上

で新たな状況を提起し,マーケティングを理解するための新しい視点についてのスケッ

チを試みたい。

( 431 )115

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Ⅱ P. コトラーの定義をめぐって

コトラー(P. Kotler)は,マーケティングについて社会的定義と経営的定義の 2つを

挙げ,社会的定義については「マーケティングとは社会活動のプロセスである。その中

で個人やグループが価値ある製品・サービスを作り出し,提供し,他者と自由に交換す

ることによって必要なもの(needs)や欲するもの(wants)を手に入れ1

る。」と述べ,

経営的定義については「マーケティング・マネジメントは,少なくとも 1つの潜在的交

換を望むグループが他方のグループから望ましい反応を得る方法について考えるときに

生じる。マーケティング・マネジメントとは,標的市場を選び出し,優れた顧客価値を

作り出し,分配し,コミュニケーションをすることによって,顧客を獲得し,維持し,

増やすための技術と知識であ2

る。」と定義した。

この定義の第 1の特徴は,ニーズ・ウォンツを実現するプロセスとしてとらえている

点である。第 2に,自由な交換を手段として提示している点である。第 3に,経営的に

は顧客に働きかける側の行為としてとらえている点である。

そして,これらの特徴からわかるように,コトラーの定義からはマーケティングがど

のような歴史で成立し,どのような主体によって担われるかという点はまったく欠如し

ており,マーケティングの意味するところを非常に一般化・拡張している。

マーケティングについての歴史的研究では,この点を批判的にとらえている。

たとえば,森下二次也は,マーケティングの成立・導入時点に注目して,「独占資本

の市場獲得・支配のための諸活動の総3

称」とマーケティングをとらえた。19世紀末か

ら 20世紀初頭にかけて,アメリカで「マーケティング」は生まれた。「マーケティン

グ」という新しい用語法がその時期に生まれたのは,そのような新しい言葉を作り出す

ことが必要な新しい現象が起こっていたことを意味している。

そしていったん先駆的に特定の業界,企業が創造した,新しい市場に働きかける行為

が大きな成果をおさめて,当該企業が成長拡大すると,競合他社も同様のマーケティン

グ行動を採用し,さらに他業界でもそれを模倣・革新して新しい行為を展開するように

なるというようにして,マーケティングが支配的な企業行動となっていったのである。

マーケティングの普及・一般化は多くの産業での大企業の行動にとどまらない。中小

────────────1 P. Kotler, Marketing Management : Millennium Edition, Tenth Edition, Prentice-Hall, 2000. 恩蔵直人監修・月谷真紀訳『コトラーのマーケティング・マネジメント ミレニアム版』ピアソン・エデュケーション,2001年,9ページ。

2 Ibid . 同上邦訳,10ページ。3 森下二次也「Managerial Marketing の現代的性格について」『経営研究』第 40号,1952年 2月,26ページ。

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企業や個人,さらには非営利組織などにもその技術と知識は一般化され,活用されるよ

うになっている。

Ⅲ マーケティングの本質とは何か

(1)交換

歴史的な現象としてマーケティングを理解するという立場からは,マーケティングが

社会の中で無から誕生成立したものではなく,何らかの基礎,本質から展開されたもの

として捉え直すことが,マーケティングとは何かを理解する上で重要である。以下,マ

ーケティングの本質に関わる代表的なとらえ方である,交換,取引,偶有的な交換,そ

して販売についてみていきたい。

第 1の立場は,マーケティングの本質を「交換(exchange)」ととらえるものであ

る。

交換は人類社会の中では相対的に社会化が進んだ行為=現象である。人間が何かを入

手する場合,自分で生産するか,他者から強奪するか,あるいは他者から贈与・施しを

求めるか,そして他者と交換するという 4つの方法があ4

る。分業が発達し社会の生産力

が向上するなかで安定的かつ円滑に製品を入手しようと思えば,交換経済=商品流通が

拡大し,市場が成立することになる。

コトラーの定義においても,交換を通じて行われるものとしてマーケティングをとら

えている。マーケティングの理論史としては,マーケティング境界論争の帰結として,

1970年代後半にレヴィ(J. Levy),ザルトマン(G. Zaltman),バゴッツィ(R. P. Ba-

gozzi)らにより「交換」ないし「交換システム」が主張されている。この考え方にお

いては,マーケティングは,特定の主体の行動ではなく,複数主体間の相互関係,すな

わち「売手」と「買手」の間の「交換」関係としてとらえられた。そして,交換関係に

は営利的なものも非営利的なものも含まれるということで,マーケティング概念の拡張

が合わせて主張されてい5

る。

このような概念拡張は,現代において寡占製造企業のみならず,小売業やサービス

業,中小企業,個人,非営利組織などに対しても,マーケティングの技術と知識が展開

されている状況にふさわしい認識である。しかし,交換一般をマーケティングと呼んで

いいのだろうか。

歴史的見地から言えば,大量の商品交換,グローバルな規模での商品交換,大規模企────────────4 P. Kotler, op. cit. 前掲邦訳,16ページ。5 S. J. Levy and G. Zaltman, Marketing, Society and Conflict, 1975. R. P. Bagozzi,“Marketing as an Organized

Behavioral System of Exchange,”Journal of Marketing, 1974 October. 荒川祐吉,前掲,112~113ページ。

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業,特に大規模製造業による交換の組織化(広告や流通チャネルのコントロール等)と

いうのが,マーケティング成立期における交換の特殊性と言うことができる。マーケテ

ィングとは単なる交換ではないというアプローチから,マーケティングの特殊性,革新

性を見いだすことが求められよう。

(2)取引

そこで,単なる交換ではなく,より具体的にマーケティングをとらえようということ

が課題となる。つまり,マーケティングの本質を取引ととらえる第 2の立場である。こ

れは一見,交換と変わらないように思われるが,厳密には,交換ととらえるということ

とは同じではない。

「取引(transaction)」をマーケティング論の認識対象の核心として主張したのはハン

ト(S. D. Hunt)である。ハントはマーケティング理論は科学か,科学たりえるかとい

う問いを立てて,マーケティングが単に営利セクター・ミクロ現象・規範的アプローチ

で研究がなされるなら科学ではないし,科学たりえないと言う。そして,マーケティン

グ論の概念的範囲がミクロ・実証的アプローチ,マクロ・実証的アプローチまで拡大さ

れるなら,つまり,消費者行動や流通システムの研究を含むなら,それは科学たりえる

とみた。科学であるための第 1の要素として,科学はそれぞれ特異な研究対象を持たな

くてはならないとした。では,マーケティング論の基本的対象は何か。ハントの解答は

取引である。経済学や心理学,社会学でも取引は研究対象とされているけれども,マー

ケティング論では唯一,取引を研究の焦点としているという点が他の科学とは異なると

主張する。ハントはこのように取引を強調するが,そこから先の理論的体系や命題を展

開はしていな6

い。

荒川祐吉は,商業学ないし商業論,貿易論,金融論,証券市場論,交通論,保険論な

どを包摂する「商学」の基本原理は何かという問いを立て,「商学」の基本的認識対象

を「財の社会的移動にかかわる人間行動」「交換を形成するにいたる人間相互行為」「取

引」の究明におかれるべきであると主張し7

た。そして,取引の一般理論として取引対象

(客体)については社会的交換理論にもとづいて広義の財,すなわち,愛,地位,情

報,貨幣,財,用役の 6範疇をとりあげ8

た。つぎに,より具体的な特殊理論として「マ

ーケティング・トランザクション」という概念を提示した。それは,取引客体として,

狭義の財(生産物),用役,貨幣,取引主体として,基本的に利己的な個人,集団,お

よびこれらの独特の編成である組織を想定する独特の取引であり,従来「商取引」と呼────────────6 S. D. Hunt, Marketing Theory : Conceptual Foundations of Research in Marketing, 1976. 阿部周造訳『マーケティング理論』千倉書房,1979年。荒川祐吉,同上,114~118ページ。

7 荒川祐吉『商学原理』千倉書房,1983年,23~26ページ。8 同上,72~76ページ。

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ばれていたが,営利主体だけとは限らないので「マーケティング・トランザクション」

と表現しようと提案す9

る。

この場合のマーケティングの意味について,荒川祐吉はまず,「マーケティングの事

実」のうち「基底的な事実」は「生産物の社会的移動」であり,「現実的ないし歴史的

に限定された事実」は「寡占製造企業およびその集団の市場支配獲得行動と,それに関

連する他の一般企業(製造および流通を含む)やその集団,消費者個人および集団,そ

して政府の行動,ならびにこれらの定型化様式」であると指摘する。ややこしいけれど

も,マーケティング事実の二重規定は,マーケティングの歴史的限定性をおさえるため

に不可欠だとその意義を強調する。そして,マーケティング事実がかかる二重規定を持

つならば,「マーケティング技法」も「マーケティング論」もこれに対応した規定を持

つことになると言い,「広義の」マーケティング論は「生産物の社会的移動とそれにか

かわる人間の個人・集団・制度の行動およびそれらの定型化様式」を研究対象とし,

「固有の」マーケティング論こそが「寡占製造企業およびその集団の市場支配獲得行動

と,それに関連する他の一般企業,消費者(個人の集団),政府の行動ならびにこれら

の定型化様式」を客観的に究明する課題を持つと主張し10

た。なお,先の「マーケティン

グ・トランザクション」におけるマーケティングは後者の寡占企業のそれではなく,前

者の生産物の社会的移動にかかわるものである。したがって,固有のマーケティングと

いう取引論はさらにその先にある特殊的なものという規定になると思われる。

田村正紀は同じく流通システム認識の核心に取引を見る。マクロ流通フローを分解す

れば,多数の取引連鎖が見出され,流通は流通機関の取引活動によって担われている。

田村正紀によれば,「取引とは,目的実現の機会を握っている他者に向かっての主体の

働きかけと,それへの相手の反応である。取引は,交換成立を目指した売手と買手の相

互行為的な過程である。しかし,取引は必ずしも交換を生み出すとは限らない。なぜな

ら,取引の成立が売手の意思だけでなく,買手の意思にも依存しているからである。交

換には売手と買手の合意がいる。交換は売手と買手の共同意思決定の結果である。こう

して,交換不確実性は取引の宿命である。」というように,取引は交換をめざす二者間

の行為であり,交換はめざされるがつねに成立するわけではないと言11

う。

そして,取引概念を出発点に,流通機能の編成,市場生成過程,垂直構造の生成,す

なわち,中間業者介在の必要十分条件を論じる。そして中間業者の介在条件である中間

業者の取引費12

用優位性と間接取引利用者(仕入先と販売先)の取引費用節約効果の双方────────────9 同上,129~135ページ。10 荒川祐吉『マーケティング・サイエンスの系譜』千倉書房,1978年,9~16ページ。11 田村正紀『流通原理』千倉書房,2001年,43ページ。12 ここで言う取引費用は,コース(R. H. Coase),ウィリアムソン(O. E. Williamson)に代表される経済

学における取引費用論のそれより範囲が拡張されている。経済学での取引費用概念はもっぱら探索,�

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が充たされる必要があるとし,いかにして中間業者はそれを実現するのか。そのための

中間業者の独自の取引戦略が「社会的品揃えの形成を目指した商業モードによる取引」

であると言う。その内容は第 1表の通りである。

商業モードの取引を行う中間業者がいわゆる商業者であり,この取引は生産者や消費

者ではなく,商業者のみが全面的に採用できる戦略であるという点が重要な特質であ

る。これに対して,ある歴史的段階において登場するのが新しい取引モードであるマー

ケティング・モードである。マーケティング・モードは商業モードのように介在型の取

引ではなく,「マーケッターの商品のミクロ流通フローを,消費者に至るまで全体とし

て組織化し,管理しようとする取引モー13

ド」である。マーケティング・モードの取引は

多様な展開を遂げているが,その特徴は第 2表に示すような「市場を眺める独自の視

座」にあると言う。

マーケティング・モードは,機関代替性という新しい視座から生まれた商業排除・統

制,すなわち流通組織化を,異質需要という新しい視座から生まれた市場細分(マーケ

ット・セグメンテーション),すなわち最終顧客志向,そして個別市場という新しい視

座から生まれた非価格競争,すなわち「ブランド化」,これらの特質を持つのであ14

る。

このように田村正紀は流通の革新を取引としておさえた上で,それには商業モードと

マーケティング・モードがあるというように,商業とマーケティングを流通機関の取引

戦略の類型として位置づけ直したのである。荒川祐吉,田村正紀両者ともに,商学,流

通という視角からマーケティングとその一般的形態を論じている点が特徴的である。

────────────� 交渉という取引に際して市場を利用する費用を意味する。それに対して,田村正紀が流通研究で採用する取引費用概念は探索,交渉の費用に物流を含む履行過程の費用を加えている。同上,47ページ。

13 同上,236ページ。14 同上,242~247ページ。

第 1表 商業モードの取引

取引相手 複数の生産者(売手)から仕入れて,多数の消費者(買手)に再販売する。取引対象 複数の生産者の多様な商品からなる社会的品揃え物を取り扱う。社会的品揃

え物とは,複数の生産者の商品を含んでいるという意味である。取引様式 競争市場での取引交渉によって取引条件を決める。

出所:田村正紀『流通原理』千倉書房,2001年,67ページ。

第 2表 マーケティングの視座

機関代替性 流通機能を機関代替性の観点から捉える異質需要 顧客を同質需要の観点ではなく,異質需要の観点から捉える個別市場 競争を産業市場の観点からではなく,個別市場の観点から捉える

出所:田村正紀『流通原理』千倉書房,2001年,67ページ。

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(3)偶有的な交換

同様にマーケティングの核概念を交換ととらえる場合でもその交換不確実性,交換必

然性の否定にマーケティングの本質を見ようとするのが石井淳蔵である。もちろん,マ

ーケティングは市場での行為であり,つねに販売しようとした商品が購買されるとは限

らないことは自明のことであり,だからこそ販売技術の革新,マーケティングが誕生し

たというべきであろう。そして,これまでのマーケティング研究では,結果的には売れ

ない場合もあるけれども,やはり売れる場合もあり,成功した企業は販売に成功してい

るので,それは適切なマーケティングの結果であるというように論理的に無矛盾に理解

される。この常識的理解に石井淳蔵は疑義を示した。

マーケティングに関する常識的理解への疑義のおもな命題は下記の通りであ15

る。

①「消費者のニーズに合ったから製品が売れた」と言われるが,消費者のニーズは

事前にはわからない。

②製品の意味=コンセプトを設定して製品開発をすすめるべきと言われるが,消費

者にとっての製品の意味は,消費者と製品が出会う以前に確定できない。

③消費者のニーズは消費者に訊けと言われるが,消費者にも自らのニーズを表現で

きないし自覚されない。

④消費者にとっての意味は製品の物的特性によって決定されると言われるが,製品

の物的特性とは無関係に,文化的に意味づけられうる。

⑤消費者のニーズがまず自立的にあってそれに対応して製品への要求が生まれると

言われるが,製品が登場し学習するなかで消費者のニーズが形成されていく。

⑥交換は,交換の対象物に価値があり,交換当事者相互に価値を見出し,両者の価

値が等しいのであれば,実現する,交換が実現しないのは交換の対象物の価値が等

しくない,交換比率が合意されないからであるというのが,「交換の必然的性格」

である。ここでは互いに自立した交換当事者が仮定されている。

しかし,交換はあくまでも交換当事者の一方が他方に影響を与え,それがまた自

らに影響するという相互作用のプロセスである。したがって,製品の使用価値自体

が偶然的・恣意的性格を持つ。消費が,そして製品の使用価値がしばしば文化的に

決定されているとすれば,マーケティングは文化を創造し,異文化間の交換を実現

しようとするものであると言える。

そして,マーケティング研究のあり方として,現実は単一でもなければ,必然でもな

く,「偶有的(必然でもなく不可能でもない様相)」なものであって,構造的にとらえら

れたとしても,つねにまた新しい構造が生成されており,秩序がいかに生成されるかと────────────15 石井淳蔵『マーケティングの神話』日本経済新聞社,1993年。

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いうことそのものを問わなければならないと主張し16

た。このように,マーケティングの

本質は,きわめて偶有的な秩序のうちにあると言うのが第 3の立場である。この本質把

握は,きわめて先進的で,なぜマーケティングはつねに革新的であるのか,という問い

の核心を突いている。現実が不安定で創発的であるからこそ,マーケティングは旧態依

然のままでは無効となり,つねに革新が求められているのである。

(4)販売

第 4の立場は,マーケティングの本質を販売ととらえるものである。この立場は,

「独占資本の市場獲得,支配のための諸方策,諸活動」(森下二次也)という把握の先進

性をふまえたものである。森下二次也はまた「マーケティングとは,その必要に迫ら

れ,またその能力をもつにいたった独占資本が,販売を自らの問題として,みずからそ

れを解決するために展開するもろもろの計画,行動の総称である」と定義し17

た。ここに

は,マーケティングとは販売問題を解決するものであるという意味づけがなされてい

る。

橋本勲は森下二次也の基本認識を引き継ぎ,マーケティングを批判的に把握しようと

試み18

た。そして,販売を基礎としたマーケティング認識を下記の通り提起し19

た。

まず,販売過程という対象を設定し,それは流通過程の一部であり,具体的規定であ

るとする。したがって,流通過程と同様に二重の性格を持ち,販売過程は販売労働過程

と販売取引過程の 2つに規定される。販売取引過程とは,売手と買手が合意に達し,取

引(交換)が行われる過程であり,販売労働過程とは,この取引のために必要な流通作

業を行う過程である。取引のための作業にも 2つあり,取引達成のための作業と取引達

成にともなう作業である。販売労働過程は,主体的要因としての販売労働力,対照的要

因としての販売労働対象,そして販売労働手段の 3つによって構成される。販売労働力

のみによって販売することが可能であり,それを人的販売と言う。そして重要な鍵を握

るのは販売労働手段である。元々は販売時点での販売労働に使用される販売労働手段が

主たるものであった。それらは販売用具で筆記具や計算機などである。また店舗商業に

おいては,店舗が重要な販売労働手段となる。それに対して,広告,パッケージといっ

た新しい販売労働手段の登場,とりわけ,マスメディアを使用するそれは,取引以前の

過程における販売労働手段の活用であり,ここに販売労働手段と販売取引過程が分離す

る。────────────16 石井淳蔵「マーケティングを研究するとは,何を研究することか」石井淳蔵編『現代経営学講座 11

マーケティング』八千代出版,2001年,21ページ。17 森下二次也監修『マーケティング経済論』上巻,ミネルヴァ書房,1972年,9ページ。18 橋本勲『現代マーケティング論』新評論,1973年。19 橋本勲『販売管理論』同文舘,1983年,第 1章を参照。

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独占資本主義以前の販売過程取引過程

独占資本主義の販売過程─マーケティング過程

取引過程 事後取引過程事前取引過程

マーケティング状況の成立(マーケティング空間)

販売遭遇

取引締結

こうして販売過程は時間的場所的に拡大し,その拡張された販売過程がマーケティン

グ過程である。マーケティング過程の構造は 3つの部分に分かれる。その中心は取引過

程である。しかしそれだけではない。販売遭遇,取引開始以前にも事前取引過程とし

て,マスメディアによる広告や店頭プロモーションなどが展開されている。取引締結以

後にも事後取引過程として,品質保証サービス,修繕サービス,製品の使用法のガイダ

ンス,月賦販売などの信用サービスなどが展開されている。ブランド構築による口コミ

推奨なども事後取引過程として含まれよう。このように,マーケティング過程は,事前

取引過程,取引過程,事後取引過程という時間的順序によって進行する。これをまとめ

たのが第 1図である。

また,近藤文男は,「マーケティングとは資本主義の寡占段階において,顧客のニー

ズとウォンツを競争を媒介として,pre-selling, selling, after-selling という一連の計画

的,組織的活動を通して実現する活動である」とマーケティングをとらえ20

た。ここに

は,マーケティングの前身,一般的形態は販売であったこと,そして販売が事前事後に

拡張されたということを新しい販売形態であるマーケティングの特質としてみている。

筆者もまた,これらの立場を採用し,マーケティングの基本的定義は,マーケティン

グとは「単なる販売と区別される,販売前活動,販売後活動を含む一連の統合的にマネ

ジメントされた市場への働きかけ」と提示したい。

なぜならば,マーケティングの本質を販売としてとらえる見方は,マーケティング

「する」主体とマーケティング「される」対象という一方通行を強く意識してい21

る。消

費者の行動はけっしてマーケティングではない。マーケティングする主体から見れば,

顧客は客体なのである。交換および取引という把握は,交換ないし取引当事者双方の相────────────20 近藤文男「日本の民生用電子産業の国際マーケティング」,柏尾昌哉・小野一一郎・河合信雄監修『国

際流通とマーケティング』同文舘,1992年,99ページ。21 「販売」は一般に,商品交換において一方の側(売手)が商品を他方の側(買手)に提供し代価として

貨幣を得る行為である。さらに商品交換であることを捨象すると「説得・誘惑」という側面が残ることになる。

第 1図 販売過程とマーケティング過程

出所:橋本勲『販売管理論』

マーケティングの定義の再検討(若林) ( 439 )123

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互行為を意味し,マーケティングがすぐれて他者への働きかけであることを軽視してい

る。もちろん,マーケティングが成功したということは,交換ないし取引が成立したこ

とを意味するので,その限りにおいて交換および取引という把握には意義がある。しか

し,交換および取引成立をめざす一方の意識的行動こそがマーケティングであって,交

換そのものではない。

そして,この見方はあくまでも販売とみるために,偶有的な現実として見る認識から

は後退ととらえられるかもしれない。なぜならせっかくマーケティングは組織内部に閉

じてはおらず,認識不可能な他者とのコミュニケーションであるというように,交換当

事者それぞれではなく,交換当事者の相互作用,関係性そのものとして把握したのに,

再び一方の側に集中したからである。もちろん販売はつねに成功するわけではない。販

売をめざす行為であることと,販売がつねにうまくいくかどうかはまったく別のことで

ある。したがって,偶有的な現実であり「もはや素朴な実在論には戻りえな22

い」という

認識はいったん獲得してしまった後の私たちはそのような認識を引き続き共有しつつ,

にもかかわらずマーケターが冒険的に試みる挑戦として,マーケティングはとらえられ

るべきなのだろう。

Ⅳ 単なる販売を超える新たなマーケティングの特徴とは何か

(1)マーケティング成立期に注目した基本的特徴

単なる販売過程を超えて販売前過程および販売後過程を含むマーケティング過程で

は,すでに指摘したように,大量の商品交換,大規模企業,特に大規模製造業による流

通組織化,大量広告宣伝,市場細分化,非価格競争,ブランドなどが,その基本的な特

徴として,単なる販売に付加された。

別の見方をすれば,マーケティング・マネジャーという職位が誕生し,その元にマー

ケティング部が設置されるような企業が登場した。マーケティング・マネジャーの職能

や権限,マーケティング部が担当する機能というものについては,個別企業ごとにしば

しば大きく異なるが,もともとの販売マネジャー,販売部が担当していた販売管理に加

えて,製品計画,流通チャネル管理,広告宣伝,販売促進(SP),市場調査などの役割

が統合的に管理されるように編成され23

た。こうしてマーケティング・マネジメントの体

系を総括したのが,いわゆるマーケティング・ミックスであり,4 Ps(Product, Price, Pro-

motion, Place)である。つまり,単なる販売・営業管理を超えて,新製品開発,価格設

────────────22 石井淳蔵「マーケティングを研究するとは,何を研究することか」石井淳蔵編『現代経営学講座 11

マーケティング』八千代出版,2001年,22ページ。23 若林靖永『顧客志向のマス・マーケティング』同文舘出版,2003年,第 5章参照。

同志社商学 第61巻 第6号(2010年3月)124( 440 )

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定,広告宣伝・販売促進,チャネル管理が付け加えられたと言ってよい。

(2)「市場管理」概念

光澤滋朗は,マーケティングを認識する際に「歴史性」(生成事情を明らかにする,

発展過程ととしてみる)と「社会性」(行為者のみならず非行為者,客体の観点からみ

る,社会的意義や影響を明らかにする)の 2つの観点を重視すると主張す24

る。その観点

から「販売管理」から「マーケティング管理」へと発展し,さらに「市場管理」と展開

されているとみるべきであるという概念枠組みを提案する。彼によれば,マーケティン

グはあくまでも需要創造のための環境適応の方策であるために,結局のところ市場環境

の不確実性を克服しえない。そこで,市場環境の不確実性の克服のために遂行される市

場環境の整備活動およびそのマネジメントについて,マーケティングとは区別される

「市場活動」「市場管理」という呼称を与えた。もちろん市場環境はあくまでも企業の外

部,他者であり,直接にコントロールすることはできない。しかしながら,働きかけ,

何らかの関係性や制度設計が実現されることで調整したり,一定の範囲に統制すること

は可能になる。このような意味で市場管理は市場に関係する他者への働きかけを企図す

る。こうして光澤は「市場関係は焦点組織の観点から,以下の 3つの関係にまとめるこ

とができるであろう。①顧客関係(販売業者および消費者との関係),②競争関係(競

争者との関係),③公衆関係(各種の公衆との関係),すなわちこれである。またこれら

3関係の管理(調整・統制)を意図するのが,市場管理にほかならな25

い。」と言う。

従来のマーケティングの範囲を大きく超える「市場管理」の概念は,消費者や流通チ

ャネルへの働きかけに加えて,競争業者との関係と公衆との関係を含む点が特徴であ

る。競争関係の管理については,競争を抑制・制限するための,合併・買収やカルテル

や提携,さらには談合までの行為を含めている。このような反競争的行為は,これまで

マーケティングでは明示的にとりあげられてこなかったものだが,現実的には大きくマ

ーケティング成果を左右するという意味で,広義のマーケティングと呼ぶべきかもしれ

ない。

さらに,公衆関係の管理をとりあげ,支持公衆(従業員,関連会社,マス・メディ

ア),一般・地域公衆(一般大衆,地域社会)への広報活動,政治に対する陳情・ロビ

ー活動,企業イメージの形成を含めている。安定した事業展開においては,こうした公

衆関係が良好であることが前提である。さまざまな不正や不祥事,粗末な苦情対応,違

法・脱法行為などは,企業ブランドを大きく失墜させ,ひいては事業を大きく低迷させ

ることにつながる。また,中央政府および地方政府の政策決定に関与することで,自社────────────24 光澤滋朗『日本企業の市場管理』中央経済社,2001年,はしがき 1ページ。25 同上,20ページ。

マーケティングの定義の再検討(若林) ( 441 )125

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ユーザー(需要側の顧客)

プラットフォーム・プロバイダー

プラットフォーム・スポンサー(アーキテクチャ)

ユーザー(供給側の顧客)

に有利な環境を整備したり,逆に自社に不利益な環境にできるだけならないようにした

りすることができる。これもまた,現実的には大きくマーケティング成果を左右するも

のであり,光澤はあくまでもこれはマーケティングではないとしているが,マーケティ

ングの拡張としてみることができよう。

(3)「プラットフォーム」「エコシステム」

同じようにマーケティングを売手-買手間の 2者関係としてとらえるのでは現代のビ

ジネスをとらえられないとして,提起された概念枠組みが「ビジネス・エコシステム

(生態26

系)」(第 2図)である。

エコシステムとは,複数の顧客によって構成され,顧客間の取引を媒介するプラット

フォームを含むシステムのことである。まず,エコシステムは古典的なマーケティング

の 2者間関係を構成する売手と買手,供給者と顧客が存在する。加えて,彼らに取引形

成の支援を行うプラットフォーム・プロバイダーがいる。売手および買手は,双方とも

にプラットフォーム・プロバイダーのユーザーでもある。さらに,プラットフォームそ

のものの所有者,すなわちプラットフォーム・スポンサーがいる。これら 4者によって

構成されるのがプラットフォーム型ビジネスモデルにおけるエコシステムである。

注目すべきはエコシステムで仲介者の役割を担うプラットフォーム・スポンサーであ

り,プラットフォーム・プロバイダーである。仲介者であるプラットフォームには,イ

ンテグレイター・プラットフォーム(自動車組立メイカーなど),製品プラットフォー

ム(インテルのインサイド戦略など),マルチサイド・プラットフォーム(複数顧客と

取引するためのサービス提供など)があ27

る。

────────────26 中田善啓『ビジネスモデルのイノベーション』同文舘出版,2009年,22~24ページ。27 K. J. Boudreau and K. R. Lakhani,“How to Manage Outside Innovation,”MIT Sloan Review, 50, 2009, pp.69

−76.

第 2図 エコシステム

出所:中田善啓『ビジネスモデルのイノベーション』同文舘出版,2009年,25ページ。

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オンライン小売業者ゲーム・コンソールグーグルiPhone,Mac(ハードウェア)

クローズド

クローズド

オープン

オープンプラットフォーム・プロバイダー

プラットフォーム・スポンサー

クレジットカードマイクロソフトのOS携帯電話PDA

オービット(フライトの予約システム)

リナックスDVD

その具体的事例を整理したのが第 3図である。それによれば,スポンサーもプロバイ

ダーもともにクローズドな事例として,たとえばアマゾン・ドットコムに代表されるオ

ンライン小売業者は,出版社やメーカー等と消費者を仲介する機能を果たしている。ま

た,アップル社の iPhone もアップル社が企画製造を独占している。これに対して,Goo-

gle が提供する携帯電話用 OS である Android を採用した携帯電話は各携帯端末メーカ

ーから多数開発販売されつつある。この事例では,スポンサーは Google が独占してい

るが,プロバイダーは複数メーカーにオープンになっている。逆にスポンサーが複数で

プロバイダーが 1つの場合が,アメリカの複数の航空会社が合同してオービット(Or-

bit)サービスを提供している事例である。最後に,スポンサーもプロバイダーもオー

プンな事例が,いわゆるオープンソース,たとえば OS の Linux である。これは一定の

ルールのもとに誰でも供給利用でき,そして誰もが修正加工することが許可されてい

る。いわゆる所有者はいない。

このようにエコシステムにはさまざまなバリエーションがあるけれども,売手-買手

間のマーケティング,と売手間の競争という古典的なマーケティング・モデルとは異な

り,売手と買手の双方をサポートするプラットフォーム・ビジネス,そしてプラットフ

ォーム間,エコシステム間の競争が繰り広げられているという点に注目すべきである。

(4)「30のリレーションシップ・マーケティング」

生産財取引におけるマーケティングの特徴,および直接顧客との関係性が重要なサー

ビスのマーケティングの特徴から注目され,その後,一般化されたのがリレーションシ

ップ・マーケティングである。リレーションシップ・マーケティングは,顧客との関係

性,とりわけ継続的,双方向的な顧客との関係性を構築するという特徴を有するマーケ

ティングである。

E. グメソンはさらにこのマーケティングの新しい概念であるリレーションシップ・

マーケティングを拡張して,全部で 30の関係性を構築・管理することを現代のマーケ

第 3図 プラットフォームにおけるスポンサーとプロバイダの関係

出所:中田善啓『ビジネスモデルのイノベーション』同文舘出版,2009年,25ページ。

マーケティングの定義の再検討(若林) ( 443 )127

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ティングであるとした。30項目は以下の通りであ28

る。

マーケット・リレーションシップ(市場における関係者によるリレーションシップ)

クラシック・マーケット・リレーションシップ(R 1−R 3)(従来のマーケティングを

意味する)

R 1 クラシックな二者間リレーションシップ-企業と顧客のリレーションシップ

R 2 クラシックな三者間リレーションシップ-顧客・サプライヤー・競争業者に

よるトライアングル・リレーションシップ

R 3 クラシック・ネットワーク-流通チャネル

スペシャル・マーケット・リレーションシップ(R 4−R 17)

R 4 専任マーケターとパートタイム・マーケターのリレーションシップ(マーケ

ティング業務に専念する担当者とマーケティングに影響を与える関係者)

R 5 サービス・エンカウンター-顧客とサービス提供者のインタラクション

R 6 多様な顔を持つ顧客と多様な顔を持つサプライヤーのリレーションシップ

(意思決定に影響する関係者が複数であること)

R 7 顧客の「顧客」とのリレーションシップ

R 8 近いリレーションシップ VS 遠いリレーションシップ(直接的で個人的な

リレーションシップと間接的で非人的リレーションシップ)

R 9 不満足な顧客とのリレーションシップ(苦情処理等)

R 10 独占的なリレーションシップ-顧客もしくはサプライヤーが囚人であるケー

R 11 メンバーとしての顧客

R 12 e リレーションシップ(IT にもとづくもの)

R 13 超社会的なリレーションシップ-ブランドやオブジェクトへのリレーション

シップ

R 14 非商業的リレーションシップ(非営利セクター)

R 15 グリーン・リレーションシップ(環境問題や健康問題)

R 16 法律ベースでのリレーションシップ(契約や裁判等の活用)

R 17 犯罪ネットワーク(組織犯罪,闇価格カルテル,談合など)

非マーケット・リレーションシップ

メガ・リレーションシップ(R 18−R 23)(マーケット・リレーションシップの上位の

レベルで経済や社会全般でのリレーションシップ)────────────28 e. Gummesson, Total Relationship Marketing, 2nd edition, 2002. 若林靖永・太田真治・崔容熏・藤岡章子訳『リレーションシップ・マーケティング』中央経済社,2007年,参照。

同志社商学 第61巻 第6号(2010年3月)128( 444 )

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R 18 個人的ネットワークと社交的ネットワーク

R 19 メガ・マーケティング-真の「顧客」を常にマーケットで発見するとは限ら

ない(ロビー活動など)

R 20 アライアンスは市場メカニズムを変える

R 21 知識リレーションシップ

R 22 メガ・アライアンスはマーケティングの基本条件を変える(企業や産業,国

家より上位レベルのアライアンス)

R 23 マスメディア・リレーションシップ(PR など)

ナノ・リレーションシップ(R 24−R 30)(マーケット・リレーションシップの下位レ

ベル,組織内部のリレーションシップ)

R 24 企業内部に持ち込まれたマーケット・メカニズム(事業部制や分社化など)

R 25 内部顧客とのリレーションシップ(企業内職能間インタラクション)

R 26 品質と顧客志向-オペレーション・マネジメントとマーケティング間のリレ

ーションシップ(内部品質管理と外部品質管理)

R 27 インターナル・マーケティング-「従業員市場」とのリレーションシップ

R 28 2次元マトリックス・リレーションシップ

R 29 外部のマーケティング・サービス・プロバイダーとのリレーションシップ

(物流サービス関連,卸・小売業者,広告会社や市場調査会社などのコンサルティング

・サービス)

R 30 株主と投資家のリレーションシップ

30のリレーションシップについて簡単に注釈を加えたが,クラシック・マーケット

・リレーションシップ(R 1−R 3)以外の内容はすべて,従来のマーケティングでは必

ずしも明確に体系化されていなかったものである。スペシャル・マーケット・リレーシ

ョンシップ(R 4−R 17)は,サービス・マーケティングで注目されたものや IT を活用

した新しいマーケティングなど,市場関係者との特殊なタイプのリレーションシップ・

マーケティングをとりあげている。もっとも革新的な拡張がメガ・リレーションシップ

(R 18−R 23)である。メガ・リレーションシップでは,市場関係者ではない非市場関係

者,マーケット・リレーションシップより上位の経済や社会全般への働きかけ,リレー

ションシップ形成を問題にしている。「販売,マーケティングを始める前にすでに勝負

はついている」というようなことが現実のビジネスではしばしばあり,それこそがこの

メガ・リレーションシップ形成の問題と言ってよい。最後に取り上げられたナノ・リレ

ーションシップ(R 24−R 30)は,企業内部でのリレーションシップの管理である。マ

ーケティングを有効かつ効率的に実行するためには,このナノ・リレーションシップの

マーケティングの定義の再検討(若林) ( 445 )129

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領域を適切に管理することが求められるのである。グメソン自身が言うように,30と

いう定式化が決定的とは言えないが,しかし,このように大胆に拡張することによっ

て,マーケティングに影響する問題を広くマネジメントの対象として認識することに成

功していると言っても過言ではなかろう。

(5)「ソーシャル・メディア」

情報通信技術の発展,特にデジタル化とインターネットは,マーケティングの具体的

なありさまを大きく変えつつある。これらの動きはすでに大きな影響をマーケティング

に与えているが,まだまだその変革,革新は始まったばかりとみるべきであろう。まさ

に現在進行形で展開されているのだ。

その進行中の事態をおもに技術的特質の点から描いたのが T. オライリーによる「Web29

2.0」である。かれはこれについて以下の 7原則を挙げている。

1.プラットフォームとしてのウェブ

2.集合知の利用

3.データは次世代の「インテルインサイド」

4.ソフトウェアリリースサイクルの終焉

5.軽量なプログラミングモデル

6.単一デバイスの枠を超えたソフトウェア

7.リッチなユーザー体験

マーケティングの革新の意味でもっとも注目したいのは,「Web 2.0」的ビジネス展開

により,消費者=ユーザーが自ら情報を生み出し,発信し,ユーザー同士がつながりあ

うことが一般化し,大量のユーザー発信情報が流通するようになったということであ

る。このようなユーザー発信情報を流通させるメディアは UGM(User Generated Me-

dia),「ソーシャル・メディア」と呼ばれる。オンライン掲示板,ブログ,コミュニテ

ィサイト,SNS, Twitter など,ソーシャル・メディアはつぎつぎと新たなものが生み出

され,淘汰されつつも,拡大普及し,私たちの日常の,あるいはビジネスの基本的コミ

ュニケーションメディアとなりつつある。

このようなソーシャル・メディアの登場により,ユーザーは自ら能動的かつ創造的に

新しいコミュニケーション行動の流儀を生み出していった。消費者行動の変化として定────────────29 Tim O‘Reilly「Web 2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル(前編)」2005年(http : //japan.cnet.com/column/web 20/story/0,2000055933,20090039−5,00.htm),同「Web 2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル(後編)」2005年(http : //japan.cnet.com/column/web 20/story/0,2000055933,20090424,00.htm)による。

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式化したのが下記の「AIS30

AS」である。

Attention-Interest-Search-Action-Share

「AISAS」は,興味関心を持ったら検索して能動的に情報を収集,購買後は使用経験を

ふまえて情報を発信してほかのユーザーと情報を共有という,検索と共有という新しい

消費者行動のステージが一般的になりつつあると提案した。

変化はそれだけにとどまららない。ソーシャル・メディアを楽しみ,能動的に自己表

現欲求や承認欲求を満たし,自分マーケティングを展開するようになってきている。こ

れまでは企業側から消費者に一方通行的に情報が発信されるということでメディアは情

報発信者である企業がコントロールしていたが,ソーシャル・メディアでは違う。ソー

シャル・メディアでのルールはユーザー・コミュニティがコミュニケーションの累積の

中で自生的に生み出されたものである。この点について高広伯彦は「マーケター自身が

ゲストすなわち,ユーザーの情報流通網(=コミュニティ)にお邪魔する立場をとらね

ばならないということになってきている。つまりは,『よそ様にお邪魔するならそれな

りのマナーが必要だ』ということだ。ただ残念なことに,相手にとっても喜ばしいこと

をシェアするという,円滑なコミュニケーションを生み出すために当たり前のことが,

こと新しいツール/メディアの世界になると忘れられてしまうのだが31

…。」と苦言を呈

している。

先端企業では,マーケター自らが新しいメディアを構築運営し,コンテンツやサービ

スを提供するというように,ユーザーが集まり楽しむ場そのものを提供運営するという

事例も生まれてい32

る。企業と消費者との関係が販売する,広告するだけではない新しい

関係性をつくりだしつつあるのである。

以上のように,マーケティングは販売の核に拡張されたものとみるべきと筆者は主張

しているが,現代の新たな状況は直接に販売を志向していない。販売に役立つというよ

うな直接的,短期的視点からではなく,人と人のつながり,コミュニティの中に企業と

消費者とのコミュニケーションが埋め込まれ,それがブランディングやイベント的販売

促進,使用経験にもとづく製品情報の流通などに結びつき,間接的,長期的には販売に

貢献するというようなものになるのである。販売を直接の目標,成果指標とせず,消費

者=ユーザーたちの日常の生活,彼らがつくるコミュニティと接点をもってインタラク────────────30 秋山隆平・杉山恒太郎『ホリスティック・コミュニケーション』宣伝会議,2004年,参照。31 高広伯彦「監修者による序文」,ケント・ワータイム/イアン・フェンウィック著 伊東奈美子訳『次

世代メディアマーケティング』ソフトバンククリエイティブ,2009年,10~11ページ。32 江端浩人,本荘修二『コカ・コーラパークが挑戦する エコシステムマーケティング』ファーストプレ

ス,2009年,参照。

マーケティングの定義の再検討(若林) ( 447 )131

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ションを繰り返すという,新しいマーケティングのフレームワークが求められるのであ

る。

Ⅴ 「マス・マーケティング」の行方

マーケティングの成立は社会に大きく影響した。特に「中間層」の成立と連動して,

いわゆる「大衆消費社会」を形成し,大量生産,大量流通,大量消費という社会経済体

制に関与している。

そして,マーケティングはマス・マーケットを創造し,形成されたマス・マーケット

をベースにより精緻なマーケティングが展開され,さらなる革新的なマーケティングが

既存のマス・マーケットを崩壊・変質させ,新たなマス・マーケットを創造するという

ような,マス・マーケットをめぐるダイナミズムを生み出してきた。マーケティングは

市場のルールに適応して展開されるとともに,市場のルールをメイクする役割も担って

きたのである。このような意味で,マーケティングはマス・マーケティングとみるべき

である。

ここでのマス・マーケティングは通説のものとは異なる点に留意されたい。コトラー

は,マス・マーケティングをセグメント・マーケティングやニッチ・マーケティング,

地方マーケティング,個人マーケティングなどと区別して,無差別マーケティング,つ

まり,単一の製品で市場全体に展開するマーケティングととらえ,「すべての買手に対

して一つの製品を大量生産し,大量流通し,大量プロモーションする」と指摘してい33

る。

筆者はそれとは異なり,マス・マーケットの創造に関わるマーケティングという意味

でとらえている。大衆消費市場の成立に関与しており,マス・マーケットを創造し,マ

ス・マーケットに適応しようというマーケティングであるという意味で,マス・マーケ

ティングととらえたい。

現代においても,マス・マーケティングによる市場の創造的破壊は繰り返されてい

る。近年注目されている「ブルー・オーシャン戦34

略」では,まさにそのような事業戦略

に焦点を当てているほどだ。

他方で,現代のマーケティングにおいては各個人に焦点を当てたアプローチが,とり

わけ IT,ネットの活用によって進展しており,それだけをみると必ずしも「マス・マ

ーケット」をめざしているわけではないようにもみえる事態が展開されている。しかし────────────33 P. Kotler, Marketing Management : Analysis, Planning, Implementation, and Control, ninth edition., 1997,

p.250.34 W. C. Kim and R. Maiborgne, Blue Ocean Strategy, 2005. 有賀裕子訳『ブルー・オーシャン戦略』ランダ

ムハウス講談社,2005年,参照。

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ながら,その実態をみると第 1に,製品および/ないしコミュニケーションの多様化・

個別適応化をすすめることで,その総和としてマス・マーケットを生み出している。い

わゆる「ロングテール戦略」もそのようにとらえることができよう。第 2に,「中間層」

の崩壊で低所得者階層が拡大し,品質よりも価格を志向する消費者が拡大しているし,

また新興国では「中間層」までには至らない階層が大規模に広がっているために,必ず

しも多様化・個別適応化を推進せず,より集中・選別した製品ライン,マーケティング

が追求されている。第 3に,投資家市場からの圧力も強まり,より高い収益性を獲得す

るために,過剰な多様化・個別適応化を排し,全体最適化の観点からの絞り込み・標準

化がある程度まで追求されていることである。

以上のことから,引き続き現代においてもマス・マーケティングがマーケティングの

基本形態であると言ってもよいだろうと思われる。

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