デカルト 『省察』の形而上学と 論証構造...

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人文研究 大阪市立大学文学部紀要 199 1 43 巻第 4 分冊 1 -"'21 デカルト 『省察』 の形而上学と 論証構造 -序論- 小林道夫 第一軍 『省察』の解釈上の方法論につ いて 哲学史上,同じ哲学者が様々に解釈され,時には全く相反する解釈が提示 されるということは荷なことではなし、 。 デカルトの場合はその典型的なケ ー スの一つである。デカルトの哲学は一方で数学的知性を軸とする合理主義哲 学史の典型と見なされるとともに,他方である慮の形而上学的,唯心論的経 験を骸とする哲学と見られたりする 。 このことはその哲学の豊かさを示すこ とでもあり,そのこと自体はネガティブなことではなし、 。哲学者のテキスト から独特の解釈を引き出し,そこから新たな哲学を打ち出そうとするならば, それはむしろ生産的なこととして歓迎すべきであろう 。 しかし多くの場合, 解釈か織々であるという事情は,解釈者が自ら是とする哲学的立場を当の哲 学のうちに読み込み,自分の哲学的見解の正当化を試みているにすぎないと いうことに由来するように恩われる 。そのような場合は,解釈者が当の哲学 者のテキストにと っては外来的な思怨をそのうちに反映させ,テキストを理 L ょうとしているのではなくして自分の見解にひきつけ活用しているに他 ならないということになる O そこで哲学史上のテキスト解釈という作業は解 釈者の‘見地や忠凶に従属したものとなり,そこに哲学者自身の思想の再構築 は望むべくもないということになる t 一言 でいえば哲学史研究は哲学の仕事 にと って単なる副次的役割 l を果たすにすぎないということになる 。 L かし,自らを予め独創的な思怨家と任じるならばともかく,そうではな くして留学史上の人きな思想家から何らかの啓発を受けようとするならば, 首学史上のテキストを解釈するにあたってある多少とも厳しい条件を自らに 諜さなければならなし、。私見によれば,テキスト解釈からある堅固て確かな 知識を狼得しようとするならば少なくとも次の 三つの条件が必要であると考 (193)

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人文研究 大阪市立大学文学部紀要199 1年 第43巻第4分冊 1頁-"'21頁

デカルト 『省察』の形而上学と論証構造 -序論-

小林道夫

第一軍 『省察』の解釈上の方法論について

哲学史上,同じ哲学者が様々に解釈され,時には全く相反する解釈が提示

されるということは荷なことではなし、。デカルトの場合はその典型的なケー

スの一つである。デカルトの哲学は一方で数学的知性を軸とする合理主義哲

学史の典型と見なされるとともに,他方である慮の形而上学的,唯心論的経

験を骸とする哲学と見られたりする。このことはその哲学の豊かさを示すこ

とでもあり,そのこと自体はネガティブなことではなし、。哲学者のテキスト

から独特の解釈を引き出し,そこから新たな哲学を打ち出そうとするならば,

それはむしろ生産的なこととして歓迎すべきであろう。しかし多くの場合,

解釈か織々であるという事情は,解釈者が自ら是とする哲学的立場を当の哲

学のうちに読み込み,自分の哲学的見解の正当化を試みているにすぎないと

いうことに由来するように恩われる。そのような場合は,解釈者が当の哲学

者のテキストにと っては外来的な思怨をそのうちに反映させ,テキストを理

解Lょうとしているのではなくして自分の見解にひきつけ活用しているに他

ならないということになる O そこで哲学史上のテキスト解釈という作業は解

釈者の‘見地や忠凶に従属したものとなり,そこに哲学者自身の思想の再構築

は望むべくもないということになるt 一言でいえば哲学史研究は哲学の仕事

にと って単なる副次的役割lを果たすにすぎないということになる。

Lかし,自らを予め独創的な思怨家と任じるならばともかく,そうではな

くして留学史上の人きな思想家から何らかの啓発を受けようとするならば,

首学史上のテキストを解釈するにあたってある多少とも厳しい条件を自らに

諜さなければならなし、。私見によれば,テキスト解釈からある堅固て確かな

知識を狼得しようとするならば少なくとも次の三つの条件が必要であると考

(193)

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えられる。第一は,テキストのある一部分ないし断片を取り上げ.それを解

釈したり分析しようとするのではなくして,テキスト全体を扱い.そのなか

てテキスト中の個々の思想を位置つけるのでなければならないということ。

第二に,テキストのなかで展開される個々の思想の間の内的関連ないしそれ

らを貫く内在的論理を解明し,それに従って哲学者の思想を再構成しようと

試みること。 したがって,そういう内的連関や内在的論理にとっては外在的

な歴史的背景や心理的要素というものをテキスト解釈に持ち込むことは極力

排すること。第三に.テキストの成り立ちゃ背景というものについては.当

の哲学者自多の言明にできるかぎり依拠しようとすること。

このような哲学史上の主要なテキストの解釈にあたっての方法論.とりわ

けテカルト解釈の方法論として画期的なものと考えられるのはM. ゲルーが

『理由の順序によるデカルト jで示し たものである。 この著作てゲルーは

『省察Jを貫く内在的論理ないし構造を明らかにし,それに従って『省察』

全体を建築学的に再構築しようとした。我々が採用しようとしている方法論

はこのゲルーの方法論に,とりわけ上の初めの二点において負うものである。

我々も原則的にゲノレーの方法論をモデルとしつつ 『省察』全体の解釈を試

ょうと思う。

ところで.このような方法論に従ってテキストを解釈しようとする照合に

一つの縦泊か生ずる それは,向し哲学者が幾つかのテキストを.それもm っ

た年代に4!?き著している場合,それらのテキストの間の述関をどう見るかと

いう問凶であるO それというのも,忠惣が.テキストに内在するものとして

みられるかぎり.災なるif代に脅かれた異なるテキストはまた異なる思想、を

~k l -ているとも与えられるから Cあふ、デカ )1トのjijA.T!?年期の思想は?

|!ij地外としてt r規則論』から『方法序説』 ー 『省察.,n, r哲学i以開』を

て『情念、愉』に琵る帯作をt 'i.] l見地からヰ!Fかれため]t思;出品喧を式寸も,,1)

とはもちろんみなすことはぐ与はt'l :~規HIJ論』とそれ以外の 円:作付制 |ふ h

に誕lなる見地から性かれており,県なる内符をトl-ζいる。また『省察』や

『留学!尽J1H~ と『↑iY念、論』の内等は同じみ;7このこととしてはおかれていない。

これらのテキ λ トのunに'わなくとも相対的な自立性を認める乙とは解釈t-.t

じIJ欠なこと ζある。 r:仏!.UlJU命J(1) ¥'1μb}と『行捺J(. ~'11'は終的な哲学的立地とを

区~J1) ~.ることなく -Fカルト tη"問決愉を愉じたり t I~行察』で袋IU]されてい

心身'ニ元協が日!?念論J'Cそのまま11徹されているなどと解すると}J,1mい

は!l!l!併を:f守:つことになる。

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ハ刊、i

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デカノレト 『省察jの形而上学と論証構造 一序論 ー ・ 3

しかしながら,同じく形而上学,また同じく自然学を論じながら異なる時

期に書かれた異なるテキストについてはどう考えるべきか。これらもまた個々

独立するものと考えるべきであろうか。この点については,ゲルーとは全く

違った見地からであるが一つの方法論上の見解がゲ、ルーに先立つてはっきり

提示された。それは 『デカルトにおける人間の形而上学的発見』の著者,F.

アルキエのものである。それについてまず言及しておくことにしよう。

アルキエはデカルトの諸著作を解釈するにあたって,著作全体を共時的な

体系としてみる見地を特に排し, Iあるテキストを年代的に後なるテキス ト

によってけっして解明しないこと,そしてデカルトの各々の作品をあたかも

時間上後に続く作品を知らないごとくに読むように努めるJ(1 )べしとする方

法論を採用する。このような方法論に従う結果,アルキエは 『規則論Jから

『方法序説』までの時期を科学的技術一元論ないし主知主義の段階とみなし,

デカルトの科学はこの時期にすでに完了していたと解する。そして 『省察』

と 『哲学原理Jの時期を 「コギト 」の 「存在論的経験」が切り開く 「人間の

形而上学的発見」の段階として理解し,これがさらに晩年の 『情念論』にみ

られるような 「受肉した人間」の考察に引き継がれると考えられる。このよ

うにアルキエはデカルトの思想は年代を経るに従って根本的に異なる様相を

呈 し,歴史的に進展したものと解する (2)。このような解釈からすると,例え

ば以下で我々が言及する一六二九年から一六三O年にかけての,デカルトが

形而上学に特に専念、したと述べる時期の思想と 『省察』や 『哲学原理Jの思

想と関係づけることなど許されない。また逆に 『省察Jや 『哲学原理Jを解

釈するのに,その前の段階のちのと見なされる自然学の構築を推進した科学

的主知的主義見地を引き合いにだすことはその聞の思想の歴史的進展を無視

することとして退けられることになる。このようにアルキエは初めから歴史

主義的観点に立って異なる年代に書かれたテキストを異なる哲学的見地に立

つものと受けとめるのである。

しかし,このアルキエの歴史主義的解釈は対象がデカルト哲学である場合

は全く当を得ていないと思われる。確かに,対象とする作者によっては,歴

史的経過のなかでのある種の経験がその都度,作者の根本的立場を変えていっ

たと解して良い場合があるであろう。同じ哲学者においても哲学上のいわゆ

るケーレ〈転回)というものが当の哲学者を理解する場合に重要な意味を持

つ場合がある。しかしデカルトの場合はそのようなケースと考えることはで

きなし、。我々が次章で改めて詳しく論じるように,デカルトが一六二八年に

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-4-

オランダに隠静し,哲学の体系の構築に向かつて以来,彼か書き表すものに

は一貫したテーマが認められ, しかもデカルト自身がオランダに隠静した当

初での形而上学的思索が自分の哲学構築の原点をなしているということを幾

度も述べているのである。

デカルトは, I一生に一度」ものごとを根底から疑い,そうして確固不動

の一点を確立しなければならないということを一度ならず表明している哲学

者である。またデカルトは,周知のように, r哲学原理』の仏訳序文で哲学

全体を一本の木にたとえ,その根は形而上学であり,その幹は自然学であり,

その幹からでている枝が医学や道徳、,機械学であるとのべている。実際に

『形而上学的省察』はその後半で自然学の基礎づけに直接かかわる「物質的

事物の存在Jの証明を含んでおり, しかもこの後者はアノレキエのいう科学的

主知主義の段階ではその形跡がはっきり認められないものである。また『哲

学原理』では,いうもでまなく, I人間的認識の原理Jにかかわる形而上学

に続いてデカルトの自然学が最も本格的な仕方で展開されていて,そこでは

『世界論』には見られない「有樹立子」なる概念、に基ずく 「字宙論」や「磁

石論」が展開されている。デカルトの科学は 『方法序説』までの科学的主知

主義の段階で終了しているどころか,その後も新たに発展させられているの

である。このような点はアルキエの解釈においては驚くほど無視されてい

る(3)。いづれにせよ,デカルトの場合ほど,その哲学が形而上学を根とした

体系を構成するものであることが強調されているケースは少ないのである。

にもかかわらずアルキエのようにデカルトの思想の体系性と一貫性を無視し

て歴史主義的見地からデカルトの諸著作を分析することは,当の思想にとっ

て全く外在的な視点に初めから立って思想を解釈しようとすることに他なら

ない。

このような,歴史主義的見地から異なる年代に書かれた異なるテキストを

異なる思想内容を表すものとする解釈上の主張は対象がデカルトの哲学であ

る場合は全く当を得ていないと思われるが,それでは我々が解釈の方法論上

のモデルとするゲルーはアルキエの方法論も含めてこの問題にどう対処して

いるのであろうか。ゲルーの方法論の妓心は先にも述べたように,哲学者の

テキストを貫く内在的論理ないし内証的機造を明るみに出し,それに従って

哲学者の思想を建築学的に再桃成することである。そこでデカルトの『省察J

を解釈する場合,デカルトが『省察Jの序文で読者に「私の諸々の理由のJI頂

序Cordre;series)と結合Cliaison;nexus)とを理解することを心掛けるJ(4)よ

(196)

B

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デカノレ ト『省察Jの形而上学と論証構造 一序論 -5-

うに注意している点に特に注目し,この 「理由の順序」という表現にデカル

トの 『省察』の内在的論理の象徴を読み取る。彼の著作の表題はこの表現か

ら取られている。この点はデカルトが 『省察第二答弁Jで, ζの書物で自分

は分析的方法に従ったこと,と りわけ,先なる事柄は後なる事柄の助けなし

に知られ,後なる事柄は先なる事柄によってのみ論証されなければな らない

という 「理由の順序」に従ったことを明記していることからしても十分納得

のいくことである (5)。ゲルーはそこでこ の 「理由の順序」を明らかにしよう

という方針に従いつつ, w省察Jの全体を 「第六省察」に至るまで文字どう

り建築学的に再構成しようとしている。その結果, 当然のことながら, r省察Jがデカルトの自然学の基礎ずけの役割を果たしていることを明らかにし

ている。

このような解釈上の方針からしでもちろんゲルーは, Iコギト」を 「存在

論的経験」と同一化し, しかも 『省察』全体をこの「存在論的経験」の一点

に集約させるようなアルキエの解釈をはっきり退ける。アルキエのように

「哲学者のデモン」に訴える解釈は 「テキストを担造することにしかなるま

い」と断ずる (6)。ゲルーにすればアルキエの解釈は 『省察』のなかの内在的

論理を全く無視し,自分の哲学的立場をそこに投影させたものに他ならない

のである。ゲルーの『理由の順序によるデカルトJは,一つには,こ のアル

キエの歴史主義的実存主義的解釈に反発しそれを排することをねらって書か

れたものなのである。

このようなゲルーの方法論やアルキエに対する批判には我々も十分説得さ

れるのであるが,ここでゲルーの方法論に関して一つの問題が提起される。

それは,ゲルーによれば,テキストの内在的論理というものが強調されるあ

まり,同じ哲学者の著作についても,あるテキストを解釈するのに他のテキ

ストが内包する思想や論理を適用することは当のテキストにとって外在的な

見地にたつことになり避けられねばならないとされることである。このよう

な方法論的意識から,ゲルーにおいては, r省察』を解釈するのに 『哲学原

理』や 『省察の答弁Jのなかの思想や論理さえも援用しではならず,まして

『方法序説』やそれ以前の一六三O年前後のものを介入させてはならないと

いう。そこでデカルトの諸々の著作における哲学的一貫性ないし統一性とい

う問題がゲルーにおいてもアルキエとは全く異なる意味において棚上げされ

ることになるのである。

しかしこの点については,これはあまりに過度なデカルト自身も読者に要

(197)

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は正月三 」

-6-

求しないような条件であるように思われる。確かに, r省察』の解釈は 『省

察』のなかで展開される内在的論理を解明し,それに従つてなさなければな

らない。 r欺く神Jの想定や「普遍的懐疑Jが展開される『省察』の前半部

を解釈するのに後半の常長命を持ち込んだり.他のテキストでの結論を介入さ

せるようなことは 『省察』における議論展開の順序を無視することであって

避けねばならない。これが解釈者の第一の義務である。 しかしそのことを

きまえたうえで.テキストの個々の内容の十全な解釈のために他のテキス

に言及することは.特に思想の一貫性と体系性を強調するデカルトの場合は

01・されてよいと考えられ lる。我々がそう主張する娘拠とはとくに次のようム

デカルト自身の諸々の言明である。

まづ第一に 『哲学原理』 についてであるが.これは f省察JIの出版のあと

三年後(一六四四年〉に世にでたものであるが, しかしデカルトは『哲学原

理~~ という形で出版されるものの構惣をすでに 『省察』 |出師以前に

た。一六四O年十一月十一日のメ Jレセンヌ宛の手紙で.デカルトは 「

べての服部!Jを智き上げるという構想をIJ"こし 「この|国(オランダのラ

イデン〉を発つ前にそれ|らlの原理を,,_}き上げ,できれば一年以内に|出版する

ことに決心しました」とのベo(7)。 この r私の哲学のすべての原理Jという

のが, この後『留学原理』となるものに他ならない,n この手紙・をF円、た|時と

の手胞がメルセンヌに送られる闘である。つ品山

Jlぺzンヌに対して新たま

旅行にもtlJまいと決心したのは. r~j察』の f:Jj

がやりとりされる以前のことr行線』とほぼ向11寺JU1.その狂長官卜

t~r い ものなのである。そこでデカル トがこ

た11守に考えていた構想と f<.t

た。そして" 一部と i

‘ .. 」

とみr・d

l刀めて J

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J11を拠にしていて f-1j と展開されてい 治2.

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デカノレト 『省察』の形而上学と論証情造 一序論一 一7ー

『省察』の個々の内容の解釈については 『哲学原理Jを援用することは許さ

れるのである。

さらに 『省察Jの 「答弁」についていえば.ゲルーが強調する 「型[1.Jの順

序と結合とを理解するように心掛けるJべしというデカルトの読者に対する

忠告が見られる箇所の次のところでデカルトはまた, r反論とそれらに対す

る答弁とのすべてに目を通したうえでなければ.これらの省察について判断

をくだされることのないように, くりかえし読者にお願し、しておく J(10)との

べている 。 ~,~、かえれば 『省察』 を十分理解するためには反論と答弁をふまえることが不可欠なのである。

それでは 『方法序説』や一六二八年から一六竺O年にかけてのデカルトの

思想についてはどうか。この点については,一六二八年から一六四一年の間.

当然,恩想の深まりはあって,それを考慮することなくこれらの異なる時期

の思想を同じ内容のものとして論しることはもちろん許されることではなし、。

しかし次に見るように,デカルト自身の言明からしでも,当初の考えが後の

哲学の基礎として取り上げられており,これらの期間を通じて一貫したテー

マが認められる。とするならば,そこから 「省察』における中心的テーマが

何かということに対する推察を得ることが許される コそうすることは, u省

察』の中心的テーマが何かということについて多様多様な解釈が見られる以

上有効なことだと考えられる。 ゲルーについてさ らにいえば,彼打身, 実

は, r省察』の解釈の様々な箇所でこのテキスト以外の,あるし、はこのテキ

スト以前のテキストを援用している 3 たとえば一六三O年に初めて表明され

た 「永遠真理創造説」について,これを一方で『省察』では現れていないと

主張しながら, r省察』の形而上学を解釈するのに介入させている(l%また

ゲルーによる『省察Jの「コギトJの解釈において決定的意味をもっ「思惟

するためには存在しなければならなしリという,彼が 「公理」とみなす命題

は実は 『省察』 においてではなく, r方法序説』に現れるものに他ならない{12ヘ2トを決して援用してはならないというのではなくして,ほかのテキストを参

照することで『省察』自身の内在論理から自をそらしてはならないというこ

とだと考えられる 〉

以上のような理由から我々は『省察』の解釈において,あくまでこのテキ

ストの内在的論証構造の解明を目的としつつ,このテキストの個々の内容の

十全な理解のために他のテキストに言及することにしたし、。しかし 『省察J

(199)

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-8一

.,」・

='・a胃・

-・1申

の形而上学の解明を手がける前に,先のアルキエに代表される歴史主義的解

釈をはっきり退け,我々が繰り返しいうところのデカルトにおける哲学的一

貫性ないし体系性というものを確認しておくために,デカルト哲学の原点と

しての一六二九年から一六三O年にかけてのデカルトの思想をとりあげてお

きたい。

第二章 デカルト哲学の原点

一一六二九年から一六三O年にかけての思想-

句.

-・2司句ヨヨ・

デカルトが自分の最終的な哲学の構想を口にし始めるのは一六二九年から

一六三O年にかけてである。まづ初めに,一六二九年七月一八日のジビュ ー

フ宛の書簡で彼は 「私が書き始めている小さな論考Jというものについて触

れ,この論考を 「二,三年たっても仕上げられるとは期待していないJ(13)と

いう。この論考はしかし仕上げられなかった。というのも,同じ年の十月の

メルセンヌ宛の手紙でデカルトは,二カ月以上前に彼の友人がもたらしたあ

る自然現象の記述が機縁となって, r全気象現象を系統的に機守するために,

手がけていたもの(当の論文)を中断せざるをえなくなった」ωといってい

るからである。これは,その年の三月シャイナー神父によって観測された幻

日現象がデカルトの友人ルネリによって彼に報告され,その説明を求められ

たことから気象学に取り組むことになったという事情をさす。

ところで,デカルトは,この一旦書き始められながら中断された論考に関

することで,翌年の四月十五日付けのメルセンヌ宛の書簡で次のようにいっ

ている。 r神によって(この)理性の使用を付与された人々はすべて,理性

を主として,神を認識し,自己白身を認識せんがために用いる義務がありま

す。私が自分の探求を始めようと努めたのもそこからで、す。私は貸方にいう,

もしこの途によって探究したのでは;なかったならば,私はけ勺 Lて自然学の

諸々の基礎(lesfondements de la physique)を見出しえなかったでありま

しょう,と。実際,この(形而!こ学の)主題こそ私があらゆることのなかで

設も探求したことでありますし,そのことに神のお除で私は令く満足してお

ります。少なくとも私は,いかにして形而上学上の点現を幾何学の論証より

もIりjiii;的な仕方で論証しうるかということを見出したと考えます。 (・・)

このi叫に来て最初の九カJJ,私はこれ以外のことに専念しませんでしたfヘいいかえれば デカルトはオランダに来てからの最初の九カ月(この九カ月

(200)

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デカルト 『省察Jの形而上学と論証構造 一序論一 一9-

というのは,形而上学上の思索が上述のように気象現象の研究によ って中断

されたとすると一六二九年の七月までの九カ月ということになる),神を知

り自己自身を知るという形而上学上の思索に専念し,そうして得られた形而

上学上の真理が幾何学の論証よりも明証的に論証されうるということを発見

したのである。そしてその探究の成果が上述の 「論考」に書きまとめられた

のである。

この点の事情をはっきりさせるものとして,同じ一六三O年の十一月二十

五日のメルセンヌ宛の書簡のなかでこの 「小さな形而上学論考J(un petit

Trait色deM etaphysique)について言及した次のような文面がある。 r私はそれをフリースラント(オランダの州)にいた時に書き始めたのですが,

その主な論点とは,神の存在と,我々の魂が身体から分かれた時のその存在

とを証明することですJ(へ この書簡のなかでデカルトはまた,神性に抗す

る者や無神論者に答えるために神の存在の明証的論証が必要であることを強

調して,さらに次のようにいっている。 r私はといえば,私を完全に満足さ

せ,何で、あれ幾何学上の命題の真理について知っている以上に確実に,神が

存在するということを私にしらしめる証明を一つ見出したことをあえて誇り

にしておりますJ(九 これらの点は先の四月十五日の書簡の内容と完全に符

合する。つまり,デカルトがオランダに来てすぐ取り組んだ形而上学の論考

は,幾何学の論証以上に明証的な神の存在証明と身体から切り離された魂の

存在の証明とを主に含んでいたのである。そしてこの形而上学上の探究が彼

に 「自然学の基礎」をもたらしたというのである。

この 「小さな形而上学論考」のより具体的な内容はこれが紛失してしまっ

ている以上確定することはできなし、。しかし,その内容が一六三七年の 『方

法序説J第四部の内容と比較してそれ以上に詳しく展開されたものであると

いうことは次の書簡からして明らかであ名。デカルトは一六三七年三月(?)

メルセンヌ宛の書簡で 『方法序説Jのことで次のようにいっているのである。

「貴方の第二の反論,すなわち,私が魂が身体と分かれた実体であり, その

本性は思惟すること以外にないーこのことが神の存在に関する私の論証を不

明瞭にする唯一のことなのですがーということをどこから知ったかというこ

とを(W方法序説』では)十分詳しく説明しなかったということについては,

私は貴方が書かれていることは全く正しく, しかもそのことが神の存在に関

する私の論証を理解しがたいものにしているということを認めます。しかし,

私はこの主題を,感覚や想像力に依存するあらゆる判断にみられる虚偽や不

(201)

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-10-

確実性を十分に説明するという仕方による以外, うまく扱うことができませ

んでした。それも,そうした後で,純粋知性にのみ依存する判断とは何であ

るか,いかにそれらが明証的で確実なものであるかということを示すために

そうするという仕方による以外できませんでした」。 しかし,デカルトは続

いて 「そうするのを私は (r序説』では)全く意図的に考慮して省きましたJという。とりわけ,この書物は弱い精神の持ち主が困惑しないようにと通俗

の言語 (フランス語)で書いたためにそうしたという。ところが,このよう

にのべた後でデカルトは次のように言明する。 rしかし今から約八年前,私

はラテン語で、形市上学の緒論(uncommencement de M etaphysique)を書

きましたが,そこではそのことは十分詳しく展開されております(celaest

deduit assez au long)。それで、,その準備がなされているように, この本

( W序説~ )のラテン語版が出されるのなら,私はその緒論をそれに付け加

えさせることができましょうJ<へ ここでいう「形而上学の緒論」 というの

はいうまでもなく上で問題にした形而上学の小論考のことである。

以上の文面からして,メルセンヌが 『序説』で十分に説明されていないと

批判し,デカルト自身そこでは意図的に簡略して書いたという点,すなわち

「魂が身体から分かれた実体であり,その本性は思惟すること以外にない」

ということが 「約八年前に書かれた形市上学の緒論Jにおいて 『序説』にお

けるよりも詳しく論述されていたということは明らかである。それも 「緒論Jにおいては,感覚や想像力による判断の虚偽と不確実性と純粋知性にのみ依

存する判断の明証性と確実性とをよりはっきりさせるという仕方で論述され

ていたということは明らかである。というのも前者の点の十全な説明は後者

の点を十分説明することによる以外に不可能であるとデカルト自身が明言 し

ているからである(へ ここでデカルトが純粋知性にのみ依存する明証かっ確

実な判断といっている事柄は,以下でさらに言及することになるが,純粋知

性に基づく物質的事物の本性の検討のことをさすと考えられる。いづれにし

ても 「緒論Jの内容が 『序説J第四部の内容よりも上の点で形而上学的によ

り詳しく徹底したものであったということはデカルト自身の言明からして確

かなことなのである。加うるにt r序説Jの第三部の終わりから第四部の初

めにかけての文面はこの IJ~併にまさしく呼応する。いわく 「今からちょうど

八年前,私はこの国(オランダ〉に隠れて住む決心をした ・・・ 。この悶で

の私の最初の思索について沼るべきかどうか私にはわからない。というのは,

それはきわめて形而七学的で、,J斡通の考えからかけ離れているので.だれも

(202)

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デカルト 「省察』の形而上学と論証構造 一序論一 一 11-

が興味を持つとはおそらくいえないであろうから 問)。

さて, この一六二九年の 「形市上学の緒論」と後の哲学との繋がりは以上

の点に尽きるものではなし、。デカルトは上述のように, r方法序説Jのラテ

ン語訳の出版の企画に際して, 当初は 「緒論」をそれに付け加えて 『序説Jをより完備なものにしようと考えたのであるが,この計画は,新たに形而上

学上の論考を執筆しようという計画によってとってかえられる。デカルトは

一六三九年の十一月十三日付けのメルセンヌ宛の書簡で次のようにいう 。

「私は今ゃある序説を手にしており,そこで以前にこの主題について書いた

ことを明快なものにしようと努めております。それは五枚か六枚の印刷版に

すぎないものとなりましょうが,形而上学のかなりの部分を含むものとなる

と期していますJ。ここで 「以前に書いたことJというのが 「形而上学の緒

論」に他ならず, i五枚か六枚の印刷版」というのが 『省察Jとなるべきも

のに他ならない(21)。ここに 「緒論jが 『方法序説』をこえて 『省察Jにまで

連続していることが確認される。この点はさらに「第六答弁」の次の回顧的

文章から確かめることができる。そこでデカルトは 「私が初みそ,私の『省

察』に含まれている諸々の理由の結果として,人間精神が身体(物体〉から

実在的に区別されるということや,人間精神について述べられている他の幾

つかのことを結論づけたとき,私は実際それらのことに同意せざるをえない

と感じたJ<Z!)。 ここでいう 「初めてjというのは一六二九年の「緒論Jの執

筆のときのことである。この叙述からして, ,i緒論」においてコギトが確立

され,精神と身体の実在的区別すなわち心身の二元論が切り聞かれであると

いうこととともに,それが 『省察』に取り込まれたということをE鼠否できる。

ところでデカルトは, i第六答弁Jのなかの以上のような叙述に続いてさ

らに回顧的につぎのようにいう。すなわち,そのとき自分は論理的には自分

の上のような結論の正しさを確信したのであるが,ちょうど太陽の大きさを

計算してみたが太陽を実際に見ていると計算値よりもずっと小さいはずだと

判断せざるをえないでいる天文学者のように, i全面的には説得されていな

かったJ。ところが 「さらに進んで,同じ原理に依拠して私の考察を物理

的自然的事物に向け,まず各々の事物について私が自分のうちに見出す概

念、ないし観念を吟味し,ついでそれらのものを相互に綿密に区分したところ

(・・ ),私は物体の本性ないし本質に属することとしては, それが長さや

幅や深さにおいて延長し,多くの形や様々な運動を受け入れる実体であると

いうこと(・・ )以外に何もないと認めたのである」ω。デカルトはこうの

(203)

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-12

へた後,物体の本質を延長に還元することによって自然現象を統一的に説明

しうるという見通しをえて.そのことの自 4信が逆に心身の実在的区別という

形而上学の原理の正しさをさらに確信させることになったということを言明

している 3

以上のデカルト自身の言明から.一六二九年の「緒論」には幾何学の命題

以上に明証的に論証されるという 「神の存在証明Jとともに 「精神と身体

(物体〉の笑在的区別Jないし「コギトの実体性Jの主張が含まれていたと

いうこと以外に.これらの形而上学上の原理から物質的事物の本質を延長iこ

還元しようというデカルトの自然学の線本的見解がこのとき l引き出されたと

いうことが分かる。デカルトが一六三0年四月一五日の魯簡で 「この(r拘AJの形而上学の)途によって探究したのでなかったならば,自然学の諸

の以磁をけっして見出すことはできなかった」とのへているのは.とりわけ

このことに呼応すると考えられる。このように一六二九年の 「形而上学の緒

"命」はデカルトの哲学体系の形成においてその主たる原点という機能を果た

しているのである。

て,デカルトの形而上学の原点としての一六ニカ浮から一六三O年に治

けての思惣に関してもう一つ言及しなければならない重要拡点がある。それ

は, r形而上学の総論Jのことがのべられているのと閉じ一六三O年四月一

江日の暫簡で初めて表明されたいわゆる 「永遠真理創造説Jについてである。

これもまた「緒論Jと向機, I当然学の拡隠と商権.それも具{槌守にかかわる

かもこれの方は,その内容が四月一五日の料簡ではっきり提示され.しか

|司じ~1~の他の4空間においても繰り返しのべられるとともに. 後のデカ )1

の智(~: や月!f聞のなかで一貫して拠示されるテーゼなのである。

デカル トはまず四月一五1:1のメルセン

「このl量!に来てからの最初jの九カ月,それ

に専念しなかったJとのベ.で

かと いうことについては「

: .ft~ 円 tc い うちは. そうする

たように.

以外のこ

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デカルト『省祭』の形而上学と論回:縞造 ー序論一 一 13-

然ゐろ色li法d防長走じたゐた CC'cstDicu qui a etabli des lois en la

nature)ということを.何ら恐れることなく断言し.主るところで公言して

いたたくようにお願いしますJ<判。 このように 「永遠真理創造説Jはまず自

然学において触れられるものとして受場する。この説はしたがって.伝統的

に永遠的と称せられる数学的真理も神によって創造されたとする文字通り形

而上学的テーゼなのであるが,自然学との関連において持ち出されるものな

のである 3 それではこのテーゼと自然学との関わりとは具体的にどういうこ

となのか。この点を見極めなければならなし、。そのために一六二九年の後半

からこの書簡が書かれる頃までに時期にデカルトにおいて自然学上と・のよう

なことが問題にな っていたかということを検討しておく必要かある。

その点でとくに注目されるのは,一六二九年一二月一八日のメルセンヌ宛

の書簡のなかてデカルトが,神学のアリストテレス哲学に対する従属にって

懸念を表明したあとで述べる次のような文章である )iこの点に関して,私

は貴方に,創造された事物の延長 (etenduedes choses cr e ees)について

宗教上決定された事からが何かなし、かどうかお教えいただきたいすなわち,

その延長は有限なのか,それともむしろ無限なのか,そして想像上の空間と

呼はれるすべての国には創造された真の物体があるのかとうか。といいます

のも,私はこの問題に触れたくはなかったのですか,にもかかわらずそのこ

とを証明せざるをえないだろうと思うからですJ<紛。 この文面から, ここで

はデカルトが,後の自然哲学の根本テーゼとなる 「物質と延長(空間)の同

一化」すなわち 私が延長を理解するところならどこにも,そこには必然的

に物体か存在する」附というテーゼを想定しなからもまだはっきり確立して

はいないということが分かる。し、いかえれば,ここでは物質の本質としての

延長(空間)という考えが推し進められているものの,それが真の物体とし

て物質化されると考えてよいかどう決定されないままでいるのである。しか

もこの問題はデカルトにとって神学とかかわる問題なのである。

他方, このことに関係することとして,デカルトはこの時点では真空の存

在をまだ拒否してはいない。一六二九年十一月十三日のメルセンヌ宛のき簡

でデカルトは物体の自由落下の問題を取り上げて臼阿見を提示しているが,そ

こでデカルトは,以前jベークマンと共同研究したとき(一六一八年一ーア一

九年)に書き記した覚書と思われるものをそのまま挿入しており,これは真

空と落下の際の等加速度を前提したものなのである (Z'1)。この自由港下の問題

において真空を前題する考えは,上の十二月十八日の占簡においても引き続

(205)

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き維持されている〈紛。ところが 「永遠真理創造説Jが表明される一六三O年

四月十五日の書簡では,物体について原子とは異なる「極めて流動的で微細

な実体」という概念(このような概念は,その前の二月二五日付けのメルセ

ンヌ宛の書簡で物体の膨張と収縮という問題の検討とともに現れる)が提示

される一方で、,真空がはっきりと否定さ-れることになる。そこでデカルトは

次のようにいっているのである。 Iもし貴方がその事とともに私に対して,

私が論証できると思っていますように真空はけっして存在しないということ

をお認めになりますならば,貴方は,それらの空隙が至るところたやすく侵

入するある物質によって満たされているということを認めざるをえなくなる

でしょう」倒。この点を言明したあとデカルトはメルセンヌに, 自分がその

ことで方針を決めた自然学の諸々の困難は相互に連鎖し依存しあっているの

で,すべてを一緒に論証することなしには何一つ論証することはできず,そ

れは自分が準備している論考において以外できないことだと告げる。この論

考とは『世界論Jのことであり,すぐ後のところで「私の自然学」といって

いるものである。さらに真空のことで付け加えるとすると,翌年の一六三一

年十月のメルセンヌ宛の書簡でデカルトは,一六二九年十一月十三日の書簡

での自由落下の扱いに触れてメルセンヌに,そこで述べられていることが

「確かに偽な二つのことを仮定しているので全く尊重しではならない」 と告

げている。その二つのこととは 「全く空虚な空間が存在しうるJということ

と物体の落下における等加速度ということである(紛。

以上のことから,一六三O年の当初から四月にかけて真空の否定を帰結す

る「物体即延長(空間)Jのテーゼが確立されたということが了解される。

この時期に,その前年の十二月に提起された 「想像空間と呼ばれる国に創造

された真の物体が存在するか」という問題に対する態度決定がなされ, I想像されるあらゆる空間(延長)に真の物体が存在すると」という説が確定さ

れたのである。そうするとこのテーゼの確立と「永遠真理創造説Jの表明と

が時期的に一致することになる。そこで当然,先に問題にしかけた「永遠真

理創造説」と「私の自然学」との相関関係というものが具体的にこのことに

関わるのではなし、かと推察される。おそらくは前年の七月に一旦中断された

に違いない形而上学の思索をデカルトは上のような「創造された~Wt却の延長j

という神学に関わる問題に面して再開しその結果, I永遠真理創造説」と

いうデカルトに独自なテーゼに迷して,それでもって延長と物質の関係を初

めとする自然学の越礎をさらに閉めうると考えたのではないかと推察される。

'.

(206)

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デカノレト 『省察』の形而上学と論証構造 一序論一 一15-

その点をはっきりと解明するために次にまづ一六三O年四月に表明された

「永遠真理創造説」の内容をさらに検討し,ついで同じ時期にそれと平行し

て準備された 『世界論』の内容に言及して両者の関係を考察することにした

し、。

一六三O年四月十五日のメルセンヌ宛の書簡で提示された「永遠真理創造

説」をここで改めて詳しく取り上げることにすると,それはその主張とそこ

から引き出される帰結として次のような点を含んで、いる。第ーに,永遠的と

称せられる数学的真理(本質〉は神から独立のものではなく,残りのすべて

の被造物〈現実存在)と同様に神にとって設定(創造)されたものであり,

神に依存するものであること。第二に,神が,ちょうど王が自分の国に法を

設定するように,自然のうちに法則を設定したということ〈以上の点にはす

でに言及した〉 。第三に, i (それらの法則のうちには)もし我々の精神

がその考察に向かうならば理解しえないようなものはとくに何もなく,そ

れらの法則はすべて我々の精神に生得的なものである (mentibusnotris

ingenitae)ということ。第四に,神の偉大さを我々は知ることはできるが,

包括的に理解することはできない (incompr台hensible)ということ。それで

我々にとっては永遠的で不変のものと理解される真理も,神が設定したので

あるとするならば,神の意志が望むならば神はそれらの真理をかえることが

できると考えられること。第五に結論として, i一般に我々は,神は我々が

理解しうることはすべてなしうるとたしかに断言しうる」ということ。以上

の五点である。デカルトは最後の点をのべたあと, i私はこのこと(ceci)

を二週間以内にも私の自然学に書き記すつもりである」といっている(3%デカルトはこういう形而上学の説に自分の自然学で触れざるをえないであ

ろうという。それでは, i永遠真理創造説」と自然学の基礎との関わりとは

どういうこどであろうか。それは,以上の論点から判断されるかぎりでは,

神が自然のうちに法則を設定し, しかもその法則の認識が人間精神にとって

は生得的に可能であるということ,そのことが数学的真理も被造物と同じレ

ベルに創造されてあるということから引き出されるということである。この

ことは,人間精神が自らのうちに創造され生得的に与えられである数学的真

理に従っておこなう自然の理解と現実の自然構造とが,いづれも神によって

設定されたものであるがゆえに,相対応すると考えることができるというこ

とを意味する。いいかえれば,人間精神が自らの知性に従って自然について

理解する事柄は,神は人聞が理解しうることはすべてなしうると一般的に確

(207)

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合L34がゆえに,現に自然のうちに実現されうると考えてよいという こと

である。 i永遠真理創造説Jの意味がこのような ことだとすると,この説が

一六二九年十二月十八日の書簡において提起された問題,すなわち 「想像空

間のうちに創造された真の物体があるといってよいかどうか」という問題に

たいする答えを与えることになる。なぜなら,この説によって,人間精神が

自らの知性によって数学的真理に基づき想像する空間(延長)は真の物体を

構成するものとして創造され物質化されるといえるからである。一言でいえ

ば,この形而上学説が 「延長即物質説jを根拠づける ことになるのである。

さらには,入閣が自分の知性に従って立てる自然法則か現に自然において自

然法則を構成するものとしてあると考えてよいということにもなる。ところ

で,デカルトによれば,上に列挙したような点が 「私の自然学Jすなわち

『世界論Jにおいて触れられるはずである。そこで最後に以上の点に対応す

ることをはたして 『世界論Jにおいて確認しうるかどうか吟味しておかねば

ならない。

まず [神による自然法則の設定」という点からみていこう。この点につい

ては 『世界論J第七章のタイトルに 「この新しい世界の自然法則についてj

というのがあり,それにつづ、いて 「神が自然に課した緒法員IJ(leslois que

Dieu lui a imposees)という表現がある{到。 さらには先の 「永遠真理創造説j

の表現に完全に対応するものとして 「第六章jなかにつぎのような文章がみ

うけられる。 i神は ・・ それらの緒部分がいくつかの通常の自然法則tles

lois ordi naires de la na tUfC )に従って運動を続けるようにした。 というの

は神はこれらの法則を令くすばらしくうまく設定したから (etablices lois)・

・である_j(紛。 この点からして {永述以理創造説lでいわれている i:神によ

るrl然法則の設定jということが. r世界論jにおける 「自然法則」のこと

であることに疑いの余地はない。

次に 「自然法則のぷ識の'JJU.性Jの点についてはどうかし、このことに関し

ては 「第二七読」に次のような f水述其現」という表現を伴ったて面がある。

「私は,私が説明した三つの拡ニ11IJに加えて.永述兵理から間違いなく j吊結す ・4

るもの以外の法WJはih(J:しようとは忠わない・・ 。数学者たすちは{庭らの最も

脱衣て1J):Jr.IE(I~な論3iiiをそれらの水述21羽!に越づけるのを常としたのである

これらの水越民活Hとは. ~p l l l~1 ~が.それらに従η てすべての・J~物をれと!Il.2

(~ 1I 1 "1 l lにおいて配ÙVI~ L たと い うことを f~ 匂に教えたところのものだ仏はと い

いた し、 。 そ L てこれらのふ泣民21!のぷ!設は我々の叫に非常に~t:.t{}的なものr

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デカノレ ト『省察』の形而上学と論証構造 一序論一 一 17ー

のて(sinaturelles a nos ames).孜々がそれらの22EEを判明に・:eu解すると

きには,それらを間違いないものと判断しないわけにはし、かないよ うなもの

なのである。JC判。この文面か ら.デカルトがここで考えている自然法則と

は永遠真理から帰結するものであること.神は永遠真理に従ってすべての事

物を数と重さと計主において配置 (創造)したと教えているということ,そ

して,それらの自然法則を帰結させる永遠真理の認識が魂に生得的なもので

あるという主張が読み取られる これらのことはすへて 「永遠真理創造説」

の内容にはっきり合致するものである。

最後に,さらに注目すべきこととして 『世界論』第六章の以下のような論

述がある。まづ初めの部分で次のようなことがのへられている コ 「この新し

い世界(デカルトが新たに提示する物理的世界)を私は想像上ゐ命全両に生

じさせるであろう・ ・・ 。神は新たに我々の回りにたくさんの物質をd崎L,我々の想像力かどこまでどうひろがりえようとも,我々が空虚な場所をもは

や何一つ知覚せぬようにした (初。 ここに上述の一六二九年十二月十八日の

面簡において提起された問題 .i惣像空間のうちに創造された真の物体があ

るといってよし、かどうか」ーに対する答えをはっきり認めることができる。

それが神の創造に訴えることによ って言明されているのである さらにデカ

ルトはこの想像空間のうちに 「知らぬふりをすることかできないほど非常に

完全に認識されるものしか含ませなしリ という。そういう 「判明に想像しう

るもの」のみがこの 「新しい世界」に創造されてあるという。そこで,デカ

ルトはそういう我々か完全に認識し判明に想像するものが 「新しい世界Jに

創造されうると考える根拠をまさしく,先に挙げた 「永遠真理創造説の結論」

に文字どうり呼応する言明に求めている。実際,デカルトは 「第六章]の末

尾で次のようにいっているのである。 r私がこの世界に入れたものはすべて

判明に想像することのできるのであるから,こうしたものがもとの(実際の〉

世界の中には一つもなかったとしても,神はやはりこれをこの新しい世界の

中に創造しうることは確実である。なぜならば,神は我々の想像しうるもら

はすべて創造しうることは確実であるからである」ω。 このようにデカルト

は実際に 『世界論Jにおいて, i怨像空間(延長)即物質説」の主張,およ

び 「我々が世界について判明に認識しうるもの(そういうものとしてデカル

トは具体的には幾何学者が認識するものを考えている)が現に世界のうちに

創造されてある」ということの主張を 「永遠真理創造説Jに根拠づけている

のである。このことが一六三O年の書簡で「このことを私は二週間以内にも

(209)

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-18 -

私の自然学において書き記すつもりである J といったことに対応するのであ

る。以上のことから, i永遠真理創造説」の形而上学が,デカルト自身いう

ように,彼の自然学の基礎に具体的に関連すること,そのことを彼の 『世界

論』において確認しうるということが明らかになったと思われる。この 「永

遠真理創造説」はこの後テカルトにおいて晩年まで一貫して維持される。ま

た『世界論jの自然学の内容もその後.さらに発展させられるにしても変更

それることはない。そしてこの 「永遠真理創造説Jと 「デカルトの自然学哲

学」の内的関連は 『省察』や 『哲学原理jにおいてその体系の軸として機能

[注〕

( 1 )F.Alquie, Lαdecouuerte metaphysique de l'homme chez Descartes.

P. U .F.1955,p.l0

( 2 )納品 「現代フランスにおけるデカルト研究の現状.|『理問.一九八二隼

pp.67-69

( 3 )アルキエはこのような立場から.彼の編集したガルニエ版デカルト著作

1において 『哲学原思』を除いて.科学上の著作を省いている。

( 4 ) Descartcs,ル1edita.tt:ones.(Oeu.ures C0111ple.tes,J¥.T.Tome 7) .C. N.R.S

V r i n , pp .9 -1 0

( 5 )A.T.7.p..155

( 6 )M.Gucroult,JJescartes sc/on 1・ordredes ralsons..¥ u bier. t 958, 'Tome 1

p.lO

( 7 )Lottro il l¥Jcrsonnc.lo Ll novcnllHo,16.10. .¥.T.3,pp.232・233

( 8 )Lottre U rvlo.rsonno.1c 31 d CClllbro) 640,.J¥.T.札p.276

( 9 ) :t, 11愉「デカルトの I~)然学と自然、智学J . rデカ Jllト・哲学原理j(朝日出

tl:. :t 9R8)所収解説論文, p.V1111i

( 10).A.T.7.p.110

(1.1 )f\t. (~ uoroult .op..cit.p. 381 otc.

( .1 2) 1 b i d . p . 5 J f .

CI3)Lcωωωt.tlγ'0 Il f¥ 101'、son川11¥0仇l,'ト.1018 jn.illot,162忽却n..f町,A.汀.'1'、ilj'ぺ,P】)..,川Jド.1げ17

1 ~ ) 1しJot t.r、G ゐ h恥f\.t o t'、son川\no , .lo

1日山!l)川Loω1七~ tro

t G)Lo t~ t.r{) a t¥1orsonno.l.o .25 , no"Olnbr(l. ,t 6JO t.\ . ''l' .. 1 _p. 18~

することになるのである。一六三O年の思想は一六二九年の 「緒論Jと同様.

デカルトの体系の原点を構成するものなのである向。

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デカノレト『省察Jの形而上学と論証構造 一序論 ー -19 -

(17)Ibid.p.182

(18)Lettre a Mersenne,mars(?),1637,A.T.l,p.349-350。なおこの comm-

encementというのは,単なる短い 「始めの部分」 という意味ではな

い。 I私か始めた形市上学jという意味である。 したがって我々は 「緒

論Jと点すことにした。 I始めの部分」というようなことであれば 『方

法序説J第四部よりも詳しいというニュアンスを伝えることはできない。

Cf. G, Rodis-Lewis,“Hy poth ese sur l' elabora tion progressi ve des

M editations de Descartes" ,in,Archizノede Philosophie 50,1987,p.l11

(19)村上勝三氏は,近刊の書で 「この“そのこと" celaはコギトの確立を

示すのではなく,そう読むのは 『方法序説』第四部や 『第二省察Jから

この書簡を読み込むからだjと主張されている(Wデカルト形而上学の

成立J動車Z!?房,1990,pp.21・22)。 しかしメルセンヌの批判とそれに

対するデカルトの答弁のやりとりを論理的に追跡すれば,本文で我々が

いうようにしか解しえないであろう。もしこれが 「魂は身体と分かれた

実体である ・・ ・ Jということ,すなわち 「コギトの確立Jを意味なし

とすると, IそのことJとはいったい何をさし, I緒論」ではいったい

何がより詳しく展開されているのか。また 「そのこと」が 「身体と分か

れた実体としてしコギトの確立」を意味しないのであれば, I緒論」が

『方法序説』第四部のラテン品版を補完するものであるというデカルト

の言明の窓味はいったいどこにあるのか。

(20)lJiscours de la methode,A.T.6,p.31.

(21)Lettre a Mcrsenne,le 13 novembre ,1639,A.T.2,p.622.Cf.G.Rodis-

Lewis,.op.cit.p.112: J M.Beyssade.“Presentation" in Descαrtes: M e-

dit,a.llons; F'lammarlon ,1979, p.20

(22)6l! Reponses A T.9,pp.298 299

(23)lbid.p.299

(24)Lottre a l¥lersenne,le 15 avril,1630,A.T.l,p.145

(25)Lettre a Mersenne,le 8 decembre,1629,A.T.l,p.86

(26)Lcttrc a Arnauld,le 29 )uillet,1648,A.T.5,p.224 * (27)Lettre a Mersenne,le 13 novembre,1629,A.T.1,pp.71・73

(28)Lettre a Mersenne,le 15 avril,1630,A.T.l,p.141

(29)Ibid.p.140

(30) Lettre a Mersenne,octobre, 1631,A. T.1, pp.221-222

(211)

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|一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一山 」

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(31)Lettre a Mersenne,le 15 avril,l630,A.T.1,pp.145-146。この第三の点

に関し村上氏はここでも独特の解釈を示し, ingenitaeというのは 「植

え付けられた」ということであって「生得的Jということではないと主

張する [前掲書 pp.14・16J。しかしこの点は以下の文献でジルソンや

ロディス ・レヴィスなどがすでに考証学的にはっきりさせているように,

これやこれに類する表現(naturaliterinditas, insita, innata,etc)は中

世のトマス以来,生得的という意味で、っかわれており,とりわけデカル

トの時代にはスアレスからベリュール,メルセンヌたちの間でその用法

は広まっていったのである 。Cf.E.Gilson:Etudes sur たゆた dela

pensee medi台valedans le systeme cart台sien,1951 , p p . 31-51,

Index scoZαstico-cart esien, 1979 (2 ed.) pp.150-153; G.Rodis-Lewis,

L' oeuvre de Descartes, tome 2,p.473,p.489.ちなみに Adam-Milhaud

もA.Bridouxもこれを inneと訳している。村上氏の説はこれらの考

証学的研究を見事に無視したものである。これらの書物によれば,村上

氏が奇妙な解釈をしている「真理の種子Jについても同じく生得性を示す

ものとして使われている〔前掲書p.40参照〕

(32)Le mo凡de,A.T.10.p.36

(33)Ibid. p .34。村上氏はこの点について 「これらの法を専ら自然法則に狙い

をさだめたものと解するわけにはとてもいかないJとし t natureを自

然法則の自然とは解さない(前掲書p.36・37)。しかし,この書簡で 「永

遠真理創造説」の形而上学と自然学との関連が同題になっているのは明

らかであり,かっ以上の 『世界論Jの中の表現からして 「これらの法」

が自然法則をさすことはあまりに明白である。氏はさらに一六三O年の

首簡の「永遠真理創造説」が自然学の基礎づけに関わらないなどと断定

しておられるが,ならばそもそも四月十五日の書簡でデカルトが 「私の

自然学において特に次のことに触れざるをえないだろう jといってこの

説を提示し,さらにくりかえし 「このことを私の自然学の中にこの二週

間以内にも書き記そう jといっていることがいったい何のことになるの

か,全く不可解である。氏はそもそもこの時期に準備されている 「私の

向然学(世界論)Jのことをまじめに考慮されているのであろうか。

(34)Leλイonde , A . T .1 0 . p .47

(35)Ibid. pp.31-32

(36) Ibid. p .36,なおデカルトにおいて,このような文脈では faire,disposerと

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デカノレト『省察Jの形而上学と論富E構造 ー!字論一 一21

creerが問しであることは Lettrea I¥1ersenne,.le 27 olai(?),J630,A.

T.l,pp.152-15を参照。

(37)この点は次の拙書においてぷ論している ;LαphilosophieTUl.tu.relle de

Descart.es, Vrin,Parls, aparai tre.

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