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23 I Lewis Carroll,本名 Charles Lutwidge Dodgson(₁₈₃₂-₉₈)は,子供好きであっ たため,『不思議の国のアリス』Alice’s Adventures in Wonderland(₁₈₆₅)と『鏡の 国のアリス』Through the Looking-Glass and What Alice Found There(₁₈₇₁)を代表 とする多くの童話を残している。『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』は, 「アリス物語」(the Alice books)として世界中の子供を空想の世界へ誘い込み,さ らには大人までも,幅広く魅了してきた。これらアリス物語の面白さは,何といっ ても,その言葉にあるという。言葉遊びを始めとする知的な部分が,大人の読者を も引きつける所以であろう。 本研究では,アリス物語の内,『不思議の国のアリス』(以後『アリス』と略記) を,文の枠を超えた談話レベルで分析することにより,言語表現における,この作 品の面白さと作者 Carroll の意図を探るものである。 先ず,『アリス』をマクロ的に見ると,どんなジャンルの作品なのか。ジャンル とは様式と内容によって区分される談話(または文章)のタイプであり ₁) ,『アリス』 は,ファンタジーとしての物語文である。橋内武は,その著『ディスコース談話 の織りなす世界』において,「物語文」について次のように述べる。 物語文はどのような出来事が起きたかについて語っていく。ふつう,初めに舞 台設定(orientation)が行われ,その話がいつ(time),どこ(setting)で起き たのかをはっきりさせる。昔話ならば,「むかしむかし」("Once upon a time") で始まり,「はるか遠くの国に」("In a land far away")といったような文句が 続く。そして,登場人物(character)が現れる。…大抵の話では,舞台設定 のあと,登場人物の目標(goal)が示され,その主人公が問題(problem)に 直面し,首尾よくその解決(resolution)をみたあと,終結部(coda)に至る 『不思議の国のアリス』における談話分析 小 西 弘 信 A Discourse Analysis of Alice’s Adventures in Wonderland Hironobu Konishi

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小西:『不思議の国のアリス』における談話分析 23

I

 Lewis Carroll,本名 Charles Lutwidge Dodgson(₁₈₃₂-₉₈)は,子供好きであったため,『不思議の国のアリス』Alice’s Adventures in Wonderland(₁₈₆₅)と『鏡の国のアリス』Through the Looking-Glass and What Alice Found There(₁₈₇₁)を代表とする多くの童話を残している。『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』は,「アリス物語」(the Alice books)として世界中の子供を空想の世界へ誘い込み,さらには大人までも,幅広く魅了してきた。これらアリス物語の面白さは,何といっても,その言葉にあるという。言葉遊びを始めとする知的な部分が,大人の読者をも引きつける所以であろう。 本研究では,アリス物語の内,『不思議の国のアリス』(以後『アリス』と略記)を,文の枠を超えた談話レベルで分析することにより,言語表現における,この作品の面白さと作者 Carrollの意図を探るものである。 先ず,『アリス』をマクロ的に見ると,どんなジャンルの作品なのか。ジャンルとは様式と内容によって区分される談話(または文章)のタイプであり₁),『アリス』は,ファンタジーとしての物語文である。橋内武は,その著『ディスコース―談話の織りなす世界』において,「物語文」について次のように述べる。

物語文はどのような出来事が起きたかについて語っていく。ふつう,初めに舞台設定(orientation)が行われ,その話がいつ(time),どこ(setting)で起きたのかをはっきりさせる。昔話ならば,「むかしむかし」("Once upon a time")で始まり,「はるか遠くの国に」("In a land far away")といったような文句が続く。そして,登場人物(character)が現れる。…大抵の話では,舞台設定のあと,登場人物の目標(goal)が示され,その主人公が問題(problem)に直面し,首尾よくその解決(resolution)をみたあと,終結部(coda)に至る

『不思議の国のアリス』における談話分析

小 西 弘 信

A Discourse Analysis of Alice’s Adventures in Wonderland

Hironobu Konishi

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わけである₂)。

 『アリス』では,Alice(以下,登場人物の呼び名は英語で表記する)の日常生活の一端である ₅月の昼下がり,土手で本読んでいる姉の側という「舞台設定」があり,ウサギを追いかけて行くという「目標」が示され,不思議の国に辿りつき,多くの奇妙な登場人物たちが次々に現れ,彼らとの矛盾の多い会話をしなければならないという「問題」に直面し,最後にトランプの王と女王の理不尽極まりない裁判に怒りを爆発させることで問題を「解決」させ,その瞬間,姉の膝の上で目が覚めるという日常生活に戻るという「終結部」に至るのである₃)。

II

 『アリス』の冒頭で,姉の朗読に退屈していた Aliceは,懐中時計を取り出して

"I shall be too late!" (「遅くなった!」)と急ぐWhite Rabbitを目にしてしまう。その後の Aliceは,White Rabbitの奇妙さに驚いて,もちまえの好奇心を刺激され,後を追い,ウサギ穴に飛び込んでしまう。この場面では,Aliceだけが好奇心でウサギ穴に飛び込んでいくのではなく,読者もこの場面の続きが知りたくなってしまい,『アリス』の世界に飛び込んでいきたい気持ちになるだろう。ファンタジーとして魅力的な導入である。

There was nothing so very remarkable in that; nor did Alice think it so very much

out of the way to hear the Rabbit say to itself 'Oh dear! Oh dear! I shall be too

late!'(when she thought it over afterwards, it occurred to her that she ought to

have wondered at this, but at the time it all seemed quite natural); but, when the

Rabbit actually took a watch out of its waistcoat-pocket, and look at it, and then

hurried on, Alice started to her feet, for it flashed across her mind that she had

never before seen a rabbit with either a waistcoat-pocket, or a watch to take out of

it, and, burning with curiosity, she ran across the field after it, and was just in

time to see it pop down a large rabbit-hole under the hedge. (Ⅰ)₄)

 この場面で Aliceが目にしたWhite Rabbitの姿や言動こそ,非日常の光景であり,彼女が理解できるものではない。これは,通常の我々の世界とは違った世界を提示していることであり,理解できなくなるとは,日常我々が経験して得るスキーマ(Schema)を逸脱していることを意味する。「スキーマ」とは長期記憶内に貯えられている総称的概念の表現であり,日常的に経験する事物・出来事・状況・活動と

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それらの連続を理解するために利用しているのである₅)。会話においても,当然ながら相手が述べようとする具体例を予測したり,理解したりするために,スキーマは用いられるのである。 Aliceが飛び込んだウサギ穴こそ,不思議の国へ通じる秘密のトンネルだった₆)。このトンネルを Aliceは,どんどん,しかもゆったりと落ちてゆく。

'Dinah'll miss me very much to-night, I should think!' (Dinah was the cat.)'I hope they'll remember her saucer of milk at tea-time. Dinah, my dear! I wish you

were down here with me! There are no mice in the air, I'm afraid, but you might

catch a bat, and that's very like a mouse, you know. But do cats eat bats, I won-

der?' And here Alice began to get rather sleepy, and went on saying to herself, in

a dreamy sort of way, 'Do cats eat bats? Do cats eat bats?' and sometimes 'Do bats

eat cats?', for, you see, as she couldn't answer either question, it didn't much mat-

ter which way she put it. (Ⅰ)

 Aliceは,この穴に落ちながら,現実と夢との境を漂っている。その過程で,Aliceは自分の飼い猫の Dinahがいないことを寂しがり, "Do cats eat bats?"(「猫はこうもりを食べるのか?」)と疑問を繰り返していく中で,いつの間にか,"Do

bats eat cats?” (「こうもりは猫をたべるのか?」)と猫とこうもりが逆転してしまう。すなわち,主語と目的語の位置が,換わってしまうのである。それは,catと bat

の発音が類似していることで,Aliceは自分の言葉に混乱してしまう。それはまるで彼女が現実の世界から非現実の世界に移行するような感覚を読者にも持たせるようだ。 不思議の国に到着してからの Aliceは,自分の体を伸縮させることになり,大きくなった時に流した大粒の涙は,小さくなった時には,涙の池に変わり,その池に自分がはまってしまうなど,経験したこともない奇妙な出来事に,次から次へと巻き込まれる。しかも不思議の国には,彼女も顔負けの,個性豊かな生き物が次々と現れて,彼らは,それなりの論理をふり回しては,彼女を煙に巻くのである。

III

 Aliceと不思議の国の住人たちとの会話を考える際に,単なる字面だけを追うのではなく,談話の流れの中で部分と全体を見ながら解釈すると興味深いことが分かる。 談話の原則について,福地肇は,その著『談話の構造』において,「談話とはい

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くつかの文が連なったもので,全体として ₁つのまとまった内容をもっており,これが効果的に相手に伝わるためには,中心となるテーマがあり,それに沿って各文が有機的につながることによって文から文への流れがスムーズになっていなくてはならない」₇)と述べている。そして,さらに「文を作るのに文法が必要なように,談話を作り上げるために『談話の文法』のようなものがあると考えるべきである」と述べている₈)。「談話の文法」には,「情報の流れ」を基本的なものとし,「くりかえし」「照応」「省略」「隣接対」「話者交代」「談話標識」といった談話展開の仕組みがある。この「談話の文法」によって,『アリス』を分析することで,この作品の面白さを探ってゆく。 Ⅱでも述べたように Aliceと不思議の国の住人たちとの会話のほとんどは分かり合えないことが多い。では,分かり合える,すなわち,円滑な会話とは何だろう。稲木昭子・沖田知子は,その著『アリスの英語―不思議の国のことば学』において,円滑な会話における談話の特徴について以下のように述べる。

談話は,通常複数の関与者の間でとり行われるものなので,あるテーマをやりとりしながら,お互いにさまざまな努力や手加減をする。つまり,うまく言葉のやりとりをするためには,お互いに協調の原理(cooperative principle)にもとづいた,それなりの態度や心がまえが必要になってくる。あくまでも受け取る側が受けやすいところに投げたり,また逆に,受け取る側がボールの来そうなコースを予想して構えるという気配り(tact)や,まともに話をするための会話のルール(conversational postulates)や,掛け値なしにものを言う実意条件(sincerity condition)などは,会話を円滑に行ううえで,忘れてはならないものである₉)。

 このように会話は「協調の原理」にもとづいたものでなければ,常に誤解をともない,積極的な会話は行えず,互いの人間関係においても信頼を損なうものになってくるのである₁₀)。 Duchessの家を出た後,森の中で Aliceは Cheshire-Catに再び出会い,彼に道を尋ねるが,どの道に行っても狂ったやつにしか会えないとにべも無く伝えられる。さらに,Aliceも狂っているとさえ言われてしまう。ここでの会話のやりとりは,まるで彼女が生徒で猫が生徒を教え諭す先生のようで面白い。通常の人と動物の関係が,逆転しているようで,まさにナンセンスの道理が通らない面を表して面白い。

...'we're all mad here. I'm mad. You're mad.’'How do you know I'm mad?’ said Alice.

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'You must be,' said the Cat, 'or you wouldn't have come here.'Alice didn't think that proved it at all: however, she went on: 'And how do you

know that you're mad?''To begin with,' said the Cat, 'a dog's not mad. You grant that?''I suppose so,' said Alice.

'Well, then,' the Cat went on, 'you see a dog growls when it's angry, and wags its

tail when it's pleased. Now I growl when I'm pleased, and wag my tail when I'm

angry. Therefore I'm mad.''I call it purring, not growling,' said Alice.

'Call it what you like,' said the Cat. (Ⅵ)

 Cheshire-Catは,自分が狂っている理由を論理的に説明するために,犬を例に出すが,説明の終わりには,Aliceに間違いを指摘されても, "Call it what you like"(「どう呼んでも構わないさ」)と言い放ち,彼女をはぐらかしてしまう。このような場面が次々と起こり,不思議の国では,Aliceは,住人たちとの会話において,彼らの発言に理解できないことで当惑したり,腹を立てたり,自己卑下したりすることになる。彼女が,彼らの発言に翻弄されるのは,それら自体が狂ってはいてもそれなりの筋道は通っているからである。 ここからは,Aliceと不思議の国の住人たちの会話という談話の中で,彼らが,互いにどのように会話をやりあうのか,先に述べた「談話の文法」における「くりかえし」「照応」「隣接対」「省略」の観点から具体的に分析して見てゆく。

(₁)くりかえし くりかえしは,文や談話の中で既に述べられたことをまた再び述べることをいう₁₁)。くりかえしの対象になるのは,語であったり,文の一部であったり,文全体であったりする。 自分の流した涙の池で,AliceがMouseに出会う場面である。彼女は,思わず飼猫の Dinahの話を持ち出してしまう。当然,彼は猫の話に不快感を示すが,彼女は犬の話までしてしまう。そして,彼は自分がなぜ Cや Dが嫌いか,その身の上とともに,彼女に話す約束をする。(Cは Catを指し,Dは Dogを指す。)

'You promised to tell me your history, you know,' said Alice, 'and why it is you

hate—C and D,' she added in a whisper, half afraid that it would be offended

again.''Mine is a long and a sad tale!' said the Mouse, turning to Alice, and sighing.

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'It is a long tail, certainly,' said Alice, looking down with wonder at the Mouse's

tail; 'but why do you call it sad?' And she kept on puzzling about it while the

Mouse was speaking.... (Ⅲ)

 Mouseの言う "tale" を,Aliceは目の前のMouseの実際のしっぽを見ながら, “'It is a long tail"と承認する。これは,話し手と聞き手の単語レベルでのくりかえを誤っている例であり,taleと tailの homophony(異綴同音異義性)を利用して,情報が正確に伝わらないために生じる可笑しさがある。 小さい体になった Aliceは,自分よりも大きな子犬に出くわし,恐怖感を味わった後,彼女が自分と同じ背丈のきのこを見つける場面である。そのかさの上を覗くと,なんと,今度は大きな Caterpillarが水煙管を吸っているのを発見する。そこで, "Who are you?”(「おまえは何者だ?」)と Caterpillar に聞かれて,彼女は,困惑しながら,朝から伸縮している自分に,自分が分からなくなってしまったと伝える。彼は,彼女の応答に対してさらに聞き返す。

'What do you mean by that?' said the Caterpillar, sternly. 'Explain yourself!’'I ca'n't explain myself, I'm afraid, Sir,’ said Alice, 'because I'm not myself, you

see.''I don't see,' said the Caterpillar. (Ⅴ)

 Caterpillarの "Explain yourself"(「自分の言おうとしていることをはっきりいいなさい」)を,Aliceは文字通りの「お前は何者かを説明しなさい」と解釈してしまう。さらに,彼女の "you see"(「だって~ですから」)という垣根表現を,Caterpillarは,文字通りの「見る」と解釈し, "I don't see"(「お前以外のお前を見たことはない」)と応答してしまう。これらは,句のレベルでのくりかえしを解釈の上で誤っている例であり,idiomとして意味の固定しているものを,その場に合わせてかえたり,idiomから離れて意味をとったり,語句の polysemy(多義性)を利用して,かみ合わない会話の可笑しさを出している。談話において,“…, you see" は「話者交代」の機能をもつ談話標識であるが,Caterpillarのとんちんかんな応答では,この "you

see" は,垣根表現としての機能を果たせていないことになる。 狂った森の中で Cheshire-Catに道を尋ねた後,困惑しながらも Aliceが Hatter

とMarch Hareのいるティーパーティに参加することになる場面である。彼女は,彼らからお前の座る席なんかないよと,高飛車に言われ,席なんかこんなにあるじゃないかと,彼らに応戦する。話をそらされるようにMarch Hareからは,ワインを勧められるが,そこにワインなどない。このMarch Hareの発話は会話の原則であ

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る「協調の原理」の「質の公理(The maxim of Quality)」である「十分な証拠のないことを言わないこと」を破っている。

'Have some wine,' the March Hare said in an encouraging tone.

Alice looked all round the table, but there was nothing on it but tea. 'I don't see

any wine,' she remarked.

'There isn't any,' said the March Hare.

'Then it wasn't very civil of you to offer it,' said Alice angrily.

'It wasn't very civil of you to sit down without being invited,' said the March Hare.

(Ⅶ)

 "Then it wasn't very civil of you to offer it"(「ないものを人に勧めるのは,ずいぶん失礼じゃない」)と,抗議する Aliceに,すかさずMarch Hareは,"It wasn't very

civil of you to sit down without being invited"(「招かれてもないのに腰かけているなんて,もっと失礼じゃないかね」)と皮肉で言い返す。このように彼が,彼女の発話を,オウム返しに引用し,くりかえすことは,彼女自身が用いた表現形式のままであるだけに,そこにつけ加えられた発話の力の反動によって,第一話者の彼女にかなりこたえるものになっている。March Hareは,首尾よく彼女をやりこめてしまう。このようなくりかえしについて,稲木・沖田は,「談話の中では,相手の使った語句や文そのものを援用することがある。これは,談話の ₁つの基調,あるいは伏線としての重層的な働きを持つ」₁₂)と述べている。

(₂)照応 英語の情報には,旧情報と新情報がある。新情報とは書き手(話し手)が読み手(聞き手)に初めて伝える情報である。一方,旧情報とはこの両者が共有している情報であり,つまり何を,また誰を指しているかが互いに分かっている情報である₁₃)。また,新情報と旧情報は常に共存していることが普通であり,それらの情報を結び付ける,つまり結束させているはたらきを担うものがある。それが「照応」である。 照応は,文のある要素の解釈が,他の要素に依存しているような表現形式であり,文や談話の中で,先行詞が先行文脈の中に求められる前方照応(Anaphora),照応形に後続する文脈の中に先行詞が存在する後方照応(Cataphora),文脈を取り巻く場面に先行詞をもつ照応(Exophora)がある₁₄)。 涙の池の場面では,AliceとMouse以外にもさまざまな動物たちが泳いでいて,全員が,彼女と一緒に岸に泳ぎつき,さっそく体を乾かす方策を練り始める。まず

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は,Mouseが driestな話を始め,語る途中に,Loryが咳払いを入れてしまい,話は中断,Mouseは彼をたしなめ,話を再開させる。次に,Duckが質問を入れてしまい,話は再度中断する。これは,談話の上で,聞き手である Loryや Duckが話者交代の機会を無視し,話し手であるMouseの発話の最中に「割り込み」を行っていることで話が前に進まない可笑しさが出ている。

'I proceed. "Edwin and Morcar, the earls of Mercia and Northumbria, declared

for him; and even Stigand, the patriotic archbishop of Canterbury, found it advis-

able―''''Found what?' said the Duck.

'Found it,' the Mouse replied rather crossly: 'of course you know what "it" means.''I know what "it" means well enough, when I find a thing,' said the Duck: 'it's gen-

erally a frog, or a worm. The question is, what did the archbishop find?'The Mouse did not notice this question, but hurriedly went on, "'—found it advis-

able to go with Edgar Atheling to meet William and of fer him the ccrown.

William's conduct at first was moderate. But the insolence of his Normans—" How are you getting on now, my dear?' it continued, turning to Alice as it spoke.

(Ⅲ)

 Mouseの言葉の "it" は形式目的語で後続する to不定詞を受ける後方照応の代名詞であり,質問されてもその時点で,Duckは答えられてないのに,Mouseは彼に

"of course you know what 'it' means.”(「もちろん『it』 は分かるだろう」)と言い返す。Duckにとって形式目的語の itはどうでもよく,itは外界の何かを指すと思い,現実のカエルやミミズの名を挙げて,その場をつくろう。彼は,形式目的語である it

を実際の指示対象をもつ前方照応の代名詞として取り違えているのである。話の途中で,勝手に自分で情報を盛り込んで,話がこじれてしまう可笑しさを出している。この Duck の発話は会話の原則である「協調の原理」の「量の公 理(The maxim

of Quantity)」である「必要以上に多くの情報を提供しないこと」を破っている。

(₃)隣接対 通常の会話は隣接対の単位で構成される。隣接対は通常, ₂人が交代で一回ずつ話すことができるという原則で成立する。例えば質問と応答の隣接対では,前半が質問,後半が応答となる。しかもそこに丁寧さの原則も働いて,会話の従事者はできるだけ社会慣習的に望ましい応答をすることが期待される。 涙の池で Aliceが出会ったMouseに猫の話を持ち出した無礼を謝罪している場

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小西:『不思議の国のアリス』における談話分析 31

面である。Mouseは,言葉は丁寧だが,彼女に "Would you like cats, if you were

me?”(「君が同じ立場ならそうだろう」)と不快感をもって激しく非難する。彼女は, "Well, perhaps not”(「そうねえ,たぶん嫌いでしょう」)と彼をなだめるように彼からの非難を承認する。この発話の wellは,発話するにあたって,話者の多少の思慮が必要なことを示す効果のある談話標識である。

'Oh, I beg your pardon!' cried Alice hastily, afraid that she had hurt the poor ani-

mal's feelings, 'I quite forgot you didn't like cats.''Not like cats!' cried the Mouse in a shrill, passionate voice. 'Would you like cats,

if you were me?''Well, perhaps not,' said Alice in a soothing tone.... (Ⅱ)

ここでは,通常の「非難・承認」の隣接対が見られる。 また,隣接対が二つ目の隣接対に阻まれることもある。以下は,Aliceが Caterpillar

に出会った場面の会話であるが,協調的で友好的な会話をしようという配慮は互いに見られない。

'You!' said the Caterpillar contemptuously. 'Who are you?'Which brought them back again to the beginning of the conversation. Alice felt a

little irritated at the Caterpillar's making such very short remarks, and she drew

herself up and said, very gravely, 'I think you ought to tell me who you are first.''Why?' said the Caterpillar. (Ⅴ)

 Caterpillarは唐突に "Who are you?”(「お前は誰だ」)と質問を Aliceにぶつける。彼の無礼に業を煮やした彼女は,まずはあなたが名乗るべきだと反論する。その反論に対して彼が反論し返すため,途中で発話の挿入連続(insertion sequence)が起こり,彼の最初の質問である「お前は誰だ」に対する応答は出てこないまま,会話は続くことになる。

(₄)省略 省略とは,通例文法的には必要なのだが,書き手(話し手)が脈絡から明らかなので取り上げる必要がないと想定した要素を省くことをいう₁₅)。 Duchess の家の場面で,Aliceが Duchessの側にいる Cheshire-Catが笑っているのを見て奇異に感じ,彼女に猫が笑うのは不思議だと伝える場面である₁₆)。彼女にDuchessは猫なら笑うのは当然と答える。

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'I didn't know that Cheshire-Cats always grinned; in fact, I didn't know that cats

could grin.''They all can,' said the Duchess; 'and most ’em do' (Ⅵ)

Duchessの応答には,"They all can" に後続する動詞 grinの省略が行われている。 AliceがMock Turtleと Gryphonと通っていた学校について話し合う場面である。彼らは,自分たちが海の学校に通学していたが,信じないだろうと言う。彼女は,"I never said I didn't!"(「信じられないなんて言ってないわ!」)と反論する。するとMock Turtleが "You did"(「いや信じてないね」)と応戦する。

'Yes, we went to school in the sea, though you mayn't believe it―''I never said I didn't!’ interrupted Alice.

'You did,' said the Mock Turtle. (Ⅸ)

 Aliceの発話 "I never said I didn't!” には後続する believe itが省略されている。このように省略は会話において後続するものが予測できる機能を果している。ちなみにMock Turtleの "You did" の didは代動詞である。これは,文や談話の中で,ある表現の代わりに他の表現をもってこれにあてる照応の一つである「代用」のはたらきをしている。 また,省略が機能しないこともある。AliceがHatterやMarch Hareとの会話で散々な目にあい,嫌気を出し始めた場面である。その場には彼らと一緒にいつも眠りこけている Dormouseもいて,彼らが絵を描く話の最中に出てきた "much of a much-

ness"(「似たり寄ったり」)という言葉に絡んで,Dormouseが "did you ever see

such a thing as a drawing of a muchness!"(「ところで muchnessの絵は見たことがあるのか」)と尋ねる。Aliceは "I don't think—"(「見たことはないと思う」)と困惑しながら応答を始めるが,彼らにはその意味ではなく,「見たことがあると思わない」に解釈され,すかさず Hatterが彼女の発話を遮ることで,彼女はこれ以上話すことを拒絶されてしまう。

'...you know you say things are "much of a muchness"—did you ever see such a

thing as a drawing of a muchness!’'Really, now you ask me,’ said Alice, very much confused, 'I don't think—’'Then you shouldn't talk,’ said the Hatter. (Ⅶ)

 ここで Aliceの "I don't think—”の発話で省略された後続節は that I ever saw such

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小西:『不思議の国のアリス』における談話分析 33

a thingとなるべきもので,否定は動詞 thinkにかかるものではない。こうなっては,省略のはたらきが話者の意図を正確に伝えないものになっている。彼らのコミュニケーションはうまくいかない。 このように『アリス』の会話部分を談話レベルで「くりかえし」「照応」「隣接対」「省略」の観点から分析して見てきた。この分析から,Aliceと不思議の国の住人とのどの会話も,常にちぐはぐなものになっていることが分かった。それは,そもそも不思議の国では,「協調の原理」ではなく「協調のない原理」が前提であり,会話において,互いの内面が違い過ぎて,通常相手が述べようとする具体例を予測したり,理解したりするために用いるスキーマがその機能を果たせないことからくるようだ。そして,Aliceだけでなく,『アリス』を読み進めながら,彼女と一緒に不思議の国を同行する読者もそこの住人のことばに make senseではなく,make no

senseしかできないで,煙に巻かれてしまう。しかし,全てを煙に巻くことこそが作品全体をナンセンスなものにしたいという作者 Carroll の意図では ないだろうか。

IV

 本研究では,Carrollが我々の通常のスキーマから逸脱した『アリス』におけるAliceと不思議の国の住人たちとの「会話」という談話において,彼らが,どのように互いの会話をやりあうのかについて,「くりかえし」「照応」「隣接対」「省略」の点から会話を分析して見てきた。Aliceは,不思議の国で尊大で偉そうな印象を与える住人たちに多く出会い,会話するが,そこにはあれだけ饒舌な議論やことば遊びが氾濫していながら,その会話の中に真の意味での会話のようなものはどこにも成立していないことが分かる。それは,どの会話も通常円滑な会話を成立させるため必要な「協調の原理」という会話の原則を,会話の参加者たちが,まったく破っているからだ。 では,Aliceが彼らとの会話に四苦八苦する様子通して,Carrollが読者に伝えたいことは何か。真に会話が成立し,互いが理解し合うとはどういうことなのか考えなさい,と伝えたいのではないだろうか。彼からの哲学的とも言えるこの問いかけに答えるために,常識を持っていると自負する大人の読者も,『アリス』を読み進める中で,自分と不思議の国で翻弄されるAliceを重ねて考えさせられることになる。『アリス』の面白さとは何か。『アリス』は「ナンセンス文学」と評されてきた。ナンセンス(nonsense)とは,意味(sense)がない,道理が通っていず,ばかばかしいということだが,この作品においては,意味をはぐらかし,常識(common

sense)的論理をくつがえすという働きも持っている。それゆえ,読者はそうした哲学的な思索へと誘われるのではないか。そして,哲学的な思索に誘われるだけで

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なく,読者は,単純に Aliceの愛らしさや不思議の国の住人たちの奇妙さに愛着を覚える。それは,大人の読者がその世界を抵抗なく受け入れる柔軟な子どもの心を『アリス』を通して,取り戻してもらえるからではないだろうか。このようにナンセンスによって,全ての読者を哲学者にし、純粋な子どもにする力こそ,『アリス』のもつ面白さだといえよう。

注 ₁)橋内武,『ディスコース―談話の織りなす世界』,くろしお出版,₁₉₉₉,p. ₅₁。 ₂)同上,p. ₅₁。 ₃)『アリス』のように,不思議の国から現実の世界に戻ってくるような終わり方について,谷本誠剛は,「児童文学において『行きてのち帰る』("There and

Back Again")という型であり,児童文学の物語世界はなんらかの意味で出かけることから始まり,それは再びもどってくることで終わっている」(谷本,「児童文学の表現と叙法」,『児童文学とその英語』,大修館書店,₁₉₈₈,p. ₄₇)と指摘している。

₄)『アリス』からの例は章のみを記す。引用テキストとして使用したのは,次の版である。Lewis Carroll, Alice’s Adventures in Wonderland and through the Looking-

Glass. Edited with an introduction by Roger Lancelyn Green. The World Classics.

(Oxford: OUP, ₁₉₈₇) ₅)橋内,前掲書,₁₉₉₉,p. ₁₃₄。 ₆)このウサギの穴について,佐藤さとるは,「現実から非現実へ移る場合(その逆もあるが),ファンタジーでは作中の特殊法則の一つとして,こうした一定の通路が用意されていることが多くある」(佐藤,『ファンタジーの世界』,講談社,₁₉₇₈,p. ₁₉₉)と指摘している。

₇)福地肇,『談話の構造』(新英文法選書,第₁₀巻),大修館書店,₁₉₈₅,p. ₁₁。 ₈)同上,p. ₁₁。 ₉)稲木昭子・沖田知子,『アリスの英語―不思議の国のことば学』,研究社,₁₉₉₁,

p. ₉₉。₁₀)橋内は「会話の原則」として,Griceの「協調の原理」から,「量の公理」「質の公理」「関連性の公理」「作法の公理」を紹介している(橋内,前掲書,₁₉₉₉,pp. ₇₇-₇₈)。

₁₁)佐久間まゆみ,『文章・談話のしくみ』,おうふう,₁₉₉₇,p.₃₈。₁₂)稲木・沖田,前掲書,₁₉₉₁,p. ₉₉。₁₃)四宮満,『英語の発想と表現 英米人のこころとことば』,丸善株式会社,₁₉₉₉,

p. ₁₀₀。

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小西:『不思議の国のアリス』における談話分析 35

₁₄)安井稔,『コンサイス英文法辞典』,三省堂,₁₉₉₆,pp. ₅₈-₅₉。₁₅)マイケル・マッカーシー(安藤貞雄・加藤克美訳),『語学教師のための談話分析』,大修館書店,₁₉₉₅,p. ₅₇。

₁₆)稲木・沖田 は,grinと Cheshire-Cat は当時の慣用句の to grin like a Cheshire

cat からひねり出されたものであると指摘している(稲木・沖田,前掲書,₁₉₉₁,p. ₇₈)。

─平成₂₉年 ₁ 月₂₀日 受理─