『宗長記』(上)の翻刻 天理大学附属天理図書館蔵紫...

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天理大学附属天理図 『 宗長記』( 上)の 『 宗長記』は連歌師、宗長が大永二年( 一 五二二) 七年碁までの 動静を旅のつ れづれに記録した日記で、宗 中でも、その独自性が最も顕著とされているものである。文 通の日記体ではあるが、そこには和歌・ 連歌・ 発句・ 漢詩など -交ぜてい る。更に興味深いことは当時、戦国時代の 様子をリアル に記述した部分もあり、ドナルド・ キ ン氏が言うように「t l f 欝は じっ はスパイではなかっ たかとさえ思わせる」ものがある。 さて'『 宗長記』とほとんど同時期に、彼自身が詠んだ句を中心 に 挟んで編んだ『 老耳』がある。この『 老耳』に ある句を『 宗長 記』を始めとし、その類本『 宗長駿河日記』( 古典文庫) 、『 宗長手 記』( 岩波文庫・ 彰考館本)等で読み比べた結果、これらの写本は かなり忠実に元の 姿を伝えているのではない かと拙稿「 森野撰の 句 集『 老耳』に 就い て 」に 於い て 推定した。その 三本の 中、今回翻刺 するm ホ 長記』は『 宗長駿河日 記』に近い とされてい る。しかし、 発句の異同や本文脱落部分には岩波文庫の『 宗長手記』と共通する ところもあ-、又、他本「 北地」とあるのを「 北路」( 一 丁オ)と 天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵T t l 所 長記J( 上)の翻刻 するなどに代表されるように、独自の 本文を持つ 所 ついても三本互いに類似するものの、またその逆の点も 今後、諸本系統を本文異同の面から考証する上で も重要な伝 ることを鑑み、敢えて翻刻を試みるにことにした。尚、大永二 月から大永六年三月三日まで、所謂『 宗長手記』の上巻に相当する 所までを便宜的に『 宗長記』( 上)とした。 〈 書誌〉 『宗長記』は天理大学附属天理図書館蔵( 桶屋文庫)書架番号れ七 - 二五によるもので、江戸初期の写本一 冊である。縦三 ・ 五糎、 横二一・ 五糎の袋綴で、表紙は水標である。題茶は左肩に蝋養親に て縦に「 宗長記」( 縦二 二ハ 糎、横三二一 糎)とあ-、その 文字 は本文とは異な-、後輩によるものと思われる。本文用紙は稽紙で 毎半葉十行である。表紙の見返し、左下に「 北田紫水蔵図書記」の 印がある。一 丁表の 書き出しの 右肩上に「 水諸蔵書」とあ-、その 下に「 わたやの ほん 」 、 左には二 重の 円の 中に北田 鮎 ポとある 。墨 付総数は1 三四 丁で ある 。

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天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

『宗長記』(上)の翻刻

『宗長記』は連歌師、宗長が大永二年

(一五二二)五月から大永

七年碁までの動静を旅のつれづれに記録した日記で、宗長の作品の

中でも、その独自性が最も顕著とされているものである。文体は普

通の日記体ではあるが、そこには和歌

・連歌

・発句

・漢詩などを織

-交ぜている。更に興味深いことは当時、戦国時代の様子をリアル

に記述した部分もあり、ドナルド

・キーン氏が言うように

「tlf欝

じっはスパイではなかったかとさえ思わせる」ものがある。

さて'『宗長記』とほとんど同時期に、彼自身が詠んだ句を中心

に挟んで編んだ

『老耳』がある。この

『老耳』にある句を

『宗長

記』を始めとし、その類本

『宗長駿河日記』(古典文庫)、『宗長手

記』(岩波文庫

・彰考館本)等で読み比べた結果、これらの写本は

かなり忠実に元の姿を伝えているのではないかと拙稿

「森野撰の句

『老耳』に就いて」に於いて推定した。その三本の中、今回翻刺

する

mホ長記』は

『宗長駿河日記』に近いとされている。しかし、

発句の異同や本文脱落部分には岩波文庫の

『宗長手記』と共通する

ところもあ-、又、他本

「北地」とあるのを

「北路」(一丁オ)と

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

Ttl所長記J(上)の翻刻

するなどに代表されるように、独自の本文を持つ所もある。傍注に

ついても三本互いに類似するものの、またその逆の点もあるなど、

今後、諸本系統を本文異同の面から考証する上でも重要な伝本であ

ることを鑑み、敢えて翻刻を試みるにことにした。尚、大永二年五

月から大永六年三月三日まで、所謂

『宗長手記』の上巻に相当する

所までを便宜的に

『宗長記』(上)とした。

〈書誌〉

『宗長記』は天理大学附属天理図書館蔵

(桶屋文庫)書架番号れ七

-二五によるもので、江戸初期の写本

一冊である。縦三〇・五糎、

横二一・五糎の袋綴で、表紙は水標である。題茶は左肩に蝋養親に

て縦に

「宗長記」(縦二〇二ハ糎、横三

一糎)とあ-、その文字

は本文とは異な-、後輩によるものと思われる。本文用紙は稽紙で

毎半葉十行である。表紙の見返し、左下に

「北田紫水蔵図書記」の

印がある。

一丁表の書き出しの右肩上に

「水諸蔵書」とあ-、その

下に

「わたやのほん」、左には二重の円の中に北田鮎ポとある。墨

付総数は

1三四丁である。

《凡例》

1、本稿は天理大学附属天理図書館蔵

『宗長記』(北田紫水旧蔵

本)を翻刻した。

二、丁移-を示すため、

一面の本文の終に」を付し、その表に丁数

を記した。数字がないのは裏である。

三、本文の翻刻に当たり、字体及踊字は原文のままを原則とした

が、「Jl」は

「々」'平仮名

l字分の繰り返しは

「、」とし、二辛

分はそのまま

「-

」とした。

四、当字、誤字、脱字、又仮名遣、「ミ」「ハ」、及送り仮名もその

とし

五、

本文の

漢字は現行通用の活字に従

ったO

六、本文を読みやす-するために、句読点、及

・点を補った。

七、朱と墨による傍注は原則として本文のままとし、墨の注は

(塞)とLt他は朱の注であることとする。

八、頭注としてある書き込み、及傍注のあるものは余白の都合上、

記号を付して本稿の後に、他の注とともに記した。

九、本翻刻は天理大学附属天理図書館本翻刻第八七七号とする。

輿翻刻》

大永二年五月北路の旅行、越前国のしる人につきて、かへる山をは

しらねとも、字津の山をこえさ夜の山にいたりて、

このたひはまたこゆへしとおもふとも老のきかなりさ夜の中や

僻冊覇撃

了に逗留。此比普請最中O外城のめくり六七百間,堀をさ

らへ土居を筑あけ、凡本城とおなし。此地岩土といふ物にて、只鉄

をつきあけた-とも云へし。本と外との間堀あり。峻々としてのそ

くもいとあやうし・此城にて発句とti.)

きみたれハ雲井の岸の柳哉

又南に池あり。岸高-水ひろ-して大海に似たり。凡龍池共いふへ

し。同発句、

池の面や岸は住の江春の海

是ハ四五年先の事也。本城に井あり。

調節中守泰胤州当国の事承始

め、此山を見立筑といへとも水かたし。鶴のはし

・かなつき

・鋤鍬

ハいふに及ハす、種々の道具数をしらす。二三百日にいたれとも水

掘る事かたし。巳に退屈に及ふ処に、黒小姓

・小地土あくる加篭に

有。さてハ水近きにやとて力をえ、終に水に堀あたる。ふもとの川

の底」とおなLo汲あ-る輯櫨の縄の千尺にも徐りぬらんかし。む

さし野のほりかねの井いか

,ありけん。此城をめ-りて大成川あ

りO仰懸川といふにや。東西都郡の大道なり。抑願申守泰胤当

国に

をきて粉骨戦忠の次第。揖

佐殿在城。配流をもって二遠州

俣の城へ退け、則尾張国当国牢人等足を空にしてか-る、所なし。

信濃

二二河国のさかひまて手裏にしたかひ'また河西村櫛堀江下野

守数年

の館、浜名

の海南北にめくり、本城外城郭山と

いふO

剰職場願稲守相談せられ、当国諸軍勢うちよせ両三日に落居す。

浜松の島

地等

行大河札]〉備鞘華等

那覇に与してうせぬ.其刻

飯尾善四郎賢連吉良より申下され暫奉行とす。すへて此父善左衛門

忠入部の時、当庄の奉行として度々の暫

他なり。剰義

忠帰国

卜鳥

凶事の時名誉の防矢数射尽し則討死。其息善左

衛門賢連

・其子善四郎乗連伯父善六郎為清迄其旧号をわすれ給ハ

す。

朝良

永正元年九月初に鎌倉山内扇谷酌㌍杉山内牟楯。扇谷は早雲

一味河越

江戸。山内ハ上戸

・鉢形。何れも合戦すへきになりて、武蔵野にも

あまるはかり成

へし。坂東路三里はかり、敵退にをよはす味方す

むにあらすO十余日」相支て注進あり。邸棚娠月十

1朋俄逝発。十

三日備中守

・福嶋左衛門尉

・駿遠両国軍勢逐日出陣す。同廿日、廿

日早雲の婚益形着陳。敵退やと見えきOおいすかひ

一夜野陣D

明る辰の刻はかりの朝霧のうち、武蔵野も深山のやうに敵味方の軍

兵みえけると也。凡電雷のことし。午刻計馬を入あひ数刻の合戦。

離討負て本陣胡明が退。其夜行方しらす二刊銘で純欄譲

廟麟断

木正元年甲子

の具充満。

一日

一夜有て大将修理大夫氏親、同十月四日鎌倉まて帰

陳。

7両日逗留。豆州熱海湯治

T七Hz、韮山二三日陣労休られ帰国

有し也。其時三嶋明神立願申侍し。則神前にして'同十日より三日

に千句独吟i])発句題四季第

7

たなひ-や千里もこ

ゝのはるかすミ

青柳やかけそふ三嶋木綿かつら

又八九年して大河内備中寺おほけなき-ハたて、浜松

庄に打入'引

馬にして当国浪人等百姓以下を楯寵らす。則発向。今度は悉寺庵在

家放火。大河内及生害処、され共吉良殿御代官につきて懇望。先以

免せられ各帰陣。泰胤義

.k

l劇

に病死。力をよ

ハす

にし

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

冒ホ長記』(上)の翻刻

て、伯父泰以暫補佐。又大河内、信濃守

・参河

・尾張をかたらひ大

氏親

乱-ハたつ。此度ハ御進発、笠井庄携厳寺に御馬立らる。諸軍勢川

を打越大菩」薩といふ山に着陣。北に鯛粥二郎深慮といふ鵬砧礎を

覚悟申,又牢人以下相集まり、毎夜の葺暁の星のことし。朝㍍やす

-

とうちおとし、武衛同奥の山に退。則尾張帰国Oこの深縁の城

中比報奨美濃守数千軍兵にて、≡ヶ年に及ひ責、終に落居せすと

也。

剰俳戦功により当国無為に属す。其後難整国武田同次郎牟楯に付

て、鬼賢

口力の事あり。また此刻をえて大河内当国浪人等信濃の国

人を催し,鵡

、天龍川前後左右在々所々押領す.其

冬当卿に兼をたてらる。旗の祝の発S])

これや世にこほらぬなかれ石清水

朝鮮儒野時茂、旗を守護し、朝国同駿州迄の御留守厳重也。明る五

月下旬彼城に

ハる。折節洪水

のことし。舟橋をかけ舟数三

百除塵、竹の大縄十重廿重只陸路に似たり。此橋の祝ひとて千句あ

り。発句

水無月はかち人ならぬ滴々もなし

いまおも

へハ、皆かち人のわた-かなと申

へかりけり。敵'川のむ

かひにうちいて射矢雨のことし。数万の軍兵やす-

とうちわた

り、敵ハ則引入ぬ。敵の城六つ七つめ-り五十余町の内おいこめ'

六月より八月まて責らるO城中そこ」はくの軍兵数日を経て相即li

九日落居。安部山の金堀をして城中の筒井悉堀崩し'水

一滴もなか

りしなり。大河内兄弟父子、巨海

・高橋、其外楯篭傍輩数輩、ある

州.離死、あるハ相討括、生捕,男女落行鉢目もあてられすそ有LO

群鶴朋子紺有て出城。ちかき普斎寺といふ蛮羊覇aして離出家。供

の人数各出家。尾張へ送り申されき。すへて禍山

・1El俣

・伊井の奥

の山、今度共に三四ケ度如此し。希代の不思議にや。此大河内備中

守、当国に敵する事、同三四ケ度也。抑、当国尾張半国、方分国中

比上意いかん。しハらく武衛御領国として御預りの事にや貢

献鮎銅締水仁五年誕

相応誕生正和五年師。朝鮎覇璽建武元卯

年。輔晦範型貞治三軍

。曜虹

水十五軍

O讃嘉載撃

空手八師

年。当国不知行ハ覇

飛掛潜璃稲荷

力ルポ五年ありて義忠入国o

子細ハ河勾庄普光院領、懸河庄普広院の改替。共に御判有て入部の

事。期靴底璽

即内少輔と云者、遠州守護代職。吉良殿の内巨海新左

衛門尉、この庄を請所にして在庄。よき城を構へ狩野と申合、入部

を違乱す。然に義忠自身進発。*<d朋よ

り十

7月まて狩野か城府中責

らる。同廿日責落され狩野生害す。此宮内少輔ハ伊豆の狩野介

類。武衛の狩野加賀守当国之郡代同名にして与力す。結句」加賀守

次郎生害させ、家督と成て当国心の儀に進退す。是又当方の力をも

って如此。されハ安部狩野介謀叛。此山中甲州に続き貴人かたくし

て三ヶ年、宮内少輔、遠州数千軍兵を引入て此山中に打入、案内者

して悉責ほろほす。いまに静謹。其忠も又異他なきにあらす。当国

の事、応仁年中舵川讃州,参河国守護代東条近江守国氏等牟楯につ

きて合力の事,鵬朝守して、被仰下.依之朗国の御判なさるへきに

て宮内少輔

・巨海退治。即三河堺引馬に両手勢衆先千計差つかハさ

れ、義思其十二月帰国。

明る年率人蜂起してさよの山口にして、関磯部鮎越不慮JJ)討死数

輩。雑然所々合戦味方理運。されとも敵の残党等不休。義息又進

発。然所に面々中あし-して、味方の凶事を

互によろこひなとし

て、はてはをの-

討死す。三箇年の間に、矢部左衛門尉

・肥後守

泰盛

・岡部左衛門尉三人病死す。是唯事にあらす。されは度々合戦

に理を失はれ義忠帰国。途中の凶事廿四年にやo氏親入離散謡とは

いへとも隣国の凶徒等経る事なし。参河の国堺ふなかたといふ山に

政戸EE

味方あ-。田原弾正忠

・諏訪信濃守巳下牢人衆催し、舟方の城うち

落す。城主多末又三郎討死ス。敵此城を持。泰以時をうつさす浜名

海渡海して、則打おとし数輩討輔。則奥郡過半発向して懸川に帰

倫中守

秀以ノコト

城。如此十ヶ年泰以補佐して泰能に」わたし暇申、駿河に下-府中

の傍に閑居。されとも御用にはのかれすとなん。

浜松庄奉行今ハ飯尾善四郎乗運、こ、に

1両日逗留。当庄の内、山

崎よ-いなさ細江をこかせ浜名備中守館、

一日連歌あり。

水はれてそらやさ月のあまつゝミ

本坂と云所をこえて西郷宿所あなひして、熊谷越後守館勝山、

一目

あ-て連歌あ-。

あふちさ-雲井をち-のふもと哉

八幡ちかき所、牧野四郎左衛門尉宿所、本野か原といふ野を分て至

り、

l日連歌ありi])

ゆく袖を草葉のたけのなつ野かな

此国折ふし俄に牟楯する事有て、矢作八橋をハえ渡らす。舟にて同

国水野和泉守館、苅屋

一宿。尾張知多郡常滑、水野紀三郎宿所

目。野間と云所に義朝の廟あ-。蒙よ-伊勢大湊へわた-山田につ

き侍-。則参宮す。かねて立願の事あ-て、当宮におゐて千句。宗

碩法師さそひ-たし侍-。七月下旬に下着。頓而八月四日よりはし

め、毎日二百韻両吟O五日にはてぬ。此千句の事今の管禦

師野

江l休寺

州より御入洛の刻、御法楽として立願申せし辛也。紫野大徳寺

庵の傍に有し時'御芳恩。且ハ其謝共可申にや。第

一の御発句、京

都よ-申下す。」

朝日影四方に旬

へるかすみ哉

梅咲て嵐もなひく柳かな

山田のをの-

馳走'めをおとろかしっ。宗碩ハ此つゐて尾張

へこ

え・顛陣ハ北地の旅行漸雪になるへくとおとろかれて、此十六日に

おもひたちぬ。雲津川、阿野の津のあなた、当国牟楯の堺にて'里

のかよひもたえたるやうな-。あなたハ関民部大輔、今ハ隠避何似

斎、こなたハたけよ-宮原七郎兵衛尉盛孝、阿野の津の八幡迄いひ

あはせ'自身平尾の

一宿まて山田をたち、平尾の

一宿のあした夜を

こめて出。たつの刻よ-雨しき-にふ-て、見わた-のふなわたり

塩たかJj)みち、風にあいて雲津川又洪水。乗物人おほくそへられ

逮-と

、けらる。此津十余年以来荒野と成て'四五千軒の家

・堂

塔'跡のミ。浅茅

・よもきか拙'まことに鶏犬はみえす、鳴雅たに

稀也。折節雨風たにおそろし。送-の人ハみなかへ-'むかひの人

はきたりあ

ハすして、途をうしなひ方をたかへた

、すミ侍る程に'

ある知人間つけて'此あた-のあしかるをたのみ'窪田といふ所二

里送りと

、けつ。其夜中に関よ-のむかひ、乗物以下具して尋ねき

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

冒ホ長記』(上)の翻刻

た-ぬ。今日の無為こそ不思議に覚

へ侍れ。此所の

一宿おり湯なと

して、其夜の寝覚に

おもひたつ老こそうらみす

、かやま」ゆ-すゑいかにならむと

すらん

あのこと-江州きのふよ-道ふたかるとな-。何似着の館亀山程三

里はかり山に入て'三町へたて、新福寺といふ律院の内'成就院旅

宿。奇麗の掃除めをおとろかし侍-。十日あま-休息。毎日の懇に

中く

心いた-そ侍-Lo連歌

一座あり。

八十の瀬の水かみたかしあきの声

鈴鹿川八十の水上といふ計也。

なかれもき-のお-ふかき山

会席の鉢歴々息三人、十七

・十三

・十

秋の野のやうにて出立

し。又ここにも牟楯。軍の用意隙もなし。江川鮎軒の城守護よお

退治目数にな-て、こ

、かしこ牢人あつま-'後詰の合戦度々とき

こゆ。道のやすからぬをあないせられしかと、何ならぬかよひはか

りハあり。乗物等の送-はか-かたきによ-'また山田に立帰なん

とすれハ雨風やますo逗留して

あっさゆミをして春雨けふもふるあすもふるとてやとやきため

しかあらハこのま

、活計逗留にもなと'俳語の筆のすさひ硯のあた

りにちりほひけるを、人'何似

へ伝へけるにや。

いかてきミヤと-きためんあっさゆみをしてけふふる雨なかり

せは」

いひを-られぬ。艶なる返しなり。窪田六大院より発句所望に

ゝかやま色-

になるこ,ろかな

此院の本尊観音の心にや。越前へ人つかハすにもこれよ-あなひし

-たる者を坂本まてそえのほさる。阿野の津を退たる里塩屋のやう

なる蓬ふきに何似よ-送らる。亦の日は宮原盛孝よりむかへの人を

待て逗留。此津の人-

懇望にて連歌あ-0

かへる世を松やしら浪秋の海

(川)

此里、もとの津還住のあらまし事なるへし。此浜の夕立」出て、

抄々たる遠近、伊勢

・尾張の海つら-まもな-みえわたされ、やす

らふほとに、こ、かしこよ-若衆誘引。所につけたる酒肴笛鼓なと

もてきた-て輿に入しかは、かの花も紅葉もなとの歌まて心に贈答

して

このゆふへはなももみちもあるものをうらのとまやの人の

こ,ろに

夜に入てかへり、まことに浪を枕の心地せLに、けふの若衆いつれ

にかありけん。旅寝を訪ひやかてかへ-しあしたいひっかハしっ。

おもハすのあしのかりねのせ

ゝのなみ」しきすてられし名残な

しやハ

九月

1日、こ、をたちておの-

もとの津のあたりまて酒もたせ、

かたみにわかれおしみて雲津川にいたりぬ。朝倉太郎左衛門数景の

使の山伏尋あひ文とも見て、平尾の宿へ伴ひ

一宿のあしたに返事か

きて

こしちにそなにそはあ-とうらみつる名ハけふかへるす

ゝかや

まかな

盛孝此

一宿をも聞つけて、けふの送りをせられしな-。同二日に山

田へかへりきて此ほとの旅の老喝を書記し侍るものならLi。j

同月二十日あま-内宮の建国寺にまか-て、西行谷とて彼上人の旧

跡各誘引あ-て、五十鈴'みもすそのすゑをわたり、山田のあせの

細道、萩

・薄の霜かれをわけ、さし入よ-、まことにこころはそけ

也。山水をかけひにて、そのよなからの松の柱'竹のあめる垣の-

ち坊に尼十徐人計'紙の裏

・麻のつゝ-、しきひのかはり、むかし

)i;i;E

をもみるやうにおほへて、ふところにうかふことを

ゝしよ-みるハあハれによをいとふむかしおほゆるすまひか

なしも

松かきのはしらにかさつけ帰り侍し。誘引の人々」発句所望に

秋ふかし神路のお-の谷の声

月はゆふへのミねの松かせ

建国寺

いつれも上人の旧歌の面影なるへし。十月に山田を立て、多気二日

三日逗留。連歌

一座。

(7マ)

無神

月もみちをふける

のきはかな

泊瀬にまうて、一日二日侍Lに、はや-京にて知人きた-て終日物

かたりしてかへられLに、申つかはし侍し。

はつせ山いりあひのかねを聞まてにむかしをいまのけふもわす

れLq.J)

多武峰より祭礼見物の誘引につきて登山して、誠にき

ゝLよりハ見

るハめおとろかれ侍り。宿坊安養院。連歌あり。発句

しもをあや木すゑをた

、む錦かな

金春七郎夜更てきた-、童形さそひ出て酒。夜明方になりぬ。翌日

橘寺

7見して大和の府八木に

一宿して、明る日、白土法眼澄英の坊

一宿。又明る日南都千手院。澄英同道。連歌あ-。発句

冬やいつわか草やまのはる日かな

一日ありて慈尊院。十日あま-に宿坊。連歌発句」

今朝ちるやあらしの花の雪の庭

蓮花院にして

ましれちれあらしの雪のはな紅葉

大仏にまい-、それよ-山城薪

へまか-のはる。門送かれこれさき

にたちて、般若寺坂にまたる。折食寵致しらす。坂の松のもとに落

葉を焼て酒あた

,めなとして、輿に入侍し。宿坊にして出たちの数

盃。坂にて乗物よ-お-侍るとて、腰を

つきそんし則

たのミこし杖

つきお-て郎等はつ、かぬ老のむさところひ

ぬ(eJ)

さて薪酬恩庵にはふ-

つきぬ。紹崇として尺八吹僧。もとハ東山

霊山の時衆。五条東洞院常福寺'紫野大仙院四五年もありて、此こ

ろハ和泉の堺草庵。尺八の弟子、たんなにて活計。伊勢参宮とて長

阿折節山田に逗留。尋来て十日飴、長阿ハ山城薪

へのはりしなり。

昼夜もてなしとそ聞えし。如か有けむ、二見浦の浪にしっミけると

った

へき

、て

無常心おこす

一曲いかにしてふきしつみけんあなうミのよや

南都にてつたへ聞し事なるへし。山田へ申

つかハし」侍し。此尺八

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

『宗長記』(上)の翻刻

物にもかえて跡の事とふら

ハんとて、妹

の尼時衆たひ-

いへと

も、つゐにのほせす。さらハあすか川かハる瀬をものはせとなん。

酬恩庵在庵きこしめLをよほれて、三条西殿道遥院殿より

おりにあふ薪

ハありとも春近かき宮この花の名をもと

へかし

御返事と

ハ侍らねとも、山家の冬を申侍し。

つれ-

と-らす薪の山さとの名をのみたのむゆきのうち哉

宗碩法師津の国へ下-のはりにも無音。かの清胤僧都6-])むかし生

田の森の初風おもひ出られ、申つかハし侍し。

君すまはとハましものを山しろの岩田のもりのゆきのしたかせ

酬恩庵にして末期のねかひ、さ-ともことし歳暮にやと、心の祝は

カりにね

かは-

ハことしの碁のたき

、きるみねのゆきよりさきにさえ

なむ

明る正月、酬恩庵侍Lに造遥院殿御詠送籍し五首。

長閑にてさらによハひものひぬへしち-のはかなるはるをむか

へて」

いとはやもたにの戸いてよ待さとのひとかたならぬはるのうく

ひす

ふしの雪清見か月をこ

、ろにてすむらん山のはるそゆかしき

山人のおへる名にあるたき

、をははなのかけにもゆさてとハゝ

や我もいま炭よ-さむきこ

、ろにてのりのたき

ゝもひろひわひぬ

右卒述卑懐呈柴屋老人

大永発ホぷ毛後

二日

禅旅下

BrHC

道遥子」

贈答申侍り。

をのつからおもふはるかなのとかにてち-のほかとはわ-身な

らねと

おとろかす都のはるのつてな-はいさしら雪のたにのう-ひす

いつこをかおもひやらましめのまへのはるの大ひえ宇治のわた

りに

やすむへきかけをそかねてみつ、せむ薪のミねも花しさかはと

あさゆふのミのりのたき

、い-とせも」よはひと

、もに君そひ

ろハん

京よ-何かと文のあ-Lに'老懐を申送りし。

老つ、もおもふこと

ゝはけふあすのいまハのほかのな-さめそ

なき

おなしとし正月に、せんへひもちひかゝみを送-候に

我よハひと-も見もうさあさな-

このか,みにハうちそえま

1

木津よ-所望に

まかすむゆ

きけの水かい

つミ川

【_●-

南都よ

-所望に」

そめか-るさほかせい-か春の色

うくひすのいとによらるゝ柳哉

樋口抽小路護国寺力量とて久朋友あり。閑居をとふらひ来て'十夜

にあまり枕をならへしに、いかにもいきたなき人にて、時衆の時を

もわかさ-しに

かそふれハ七つもむつもいつとてか時しらぬ時衆山ハふしのね

宇治白河別所辻坊よ-年始の音信とて'柳

一荷、梅

一つけ桶二、青

梅漬桶なとにそへて

はるさめの露もわすれぬこゝろさし」いと細撫のやなきとやミ

返しに扇なとそへて

あきみとり柳にむめの二桶はふたあけあへすもてはやすかな

長阿真子承龍喝食つねに閲をよほれて、やしなひにすへきなとたひ

-

の文、つ、の中より見出して、そのうらを返しこんかう経、承

龍十三'劫にしてかゝせて薪心伝庵に侍し。能勢因幡守後室慈香禅

尼むすひおかるゝ庵な-。其経を見て、奥の端に書付侍し。

露けさハた、ふ-かせにやしなひれ:jはゝそのいろのあさから

ぬあと

けさむにも入ぬよし思ひを-なと、いまはの時まてもたひ-

あり

しとなり。即僻守頼則,年来異他の芳恩遠行追善のため、東山安善

寺にして千句の弔ひし侍し。頼則歌連歌なをさ-の数奇な-し故

也。道遥院殿中たて,酢

禅師

・宗碩法師

・寺町

・波々伯部

・河原

林対馬守なと上洛。まことに珍重の事な-し也。千句第十

月にあハれあらましかはも夢路かな

慈香禅尼'此事なとをよろこひて、承龍をやしなひにとやおもひよ

られ侍りけん。」

三月薪より出京のつゐてに、宇治白川の別所辻坊にして

はるやはなつねをわすれぬ初桜

さはらひの巻のよせにや。むかひの寺なと此巻にあり、京にてある

宿所にして

うつせみのうすはなさくら咲世哉

山科より所望に

い-岩根をと羽の瀧つ春の水

丹後より所望に

松たてる霞に狼やよさの海

l川)

閏三月に」

あいにあひぬうるふの弥生花の春

人の年忌のとふらひに

花にてふふりにし玉か春のかせ

三井寺より所望に

声そせきたれすきむらの時鳥

紫野の大徳寺山門造営の事、門徒の老僧視心禅師、越前

一乗深森末

期に、京都へ乗物むかへにてそ、急ぎ罷下へきよし有て、三月十五

日に

1乗に下着。朝倉太郎左衛門数貴、造営の事申届へきよし有て

申届侍り。幾程もな-て視心遠行後罷登。則駿河へ下て翌年罷上し

に真殊庵よ-」此造営の事大功成かたし。先うち置へき書状有て、

長阿奉加の用意も、薪妙勝寺惣門修造の出銭五十貫文、山門の事

無覚悟の処に、真珠庵旅宿へ入来有て、寺の衆儀如此し。越前へ罷

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

『宗長記』(上)の翻刻

下、奉加の事再興すへきよし有。教景にも、此修造うちおかる

ゝ事

-たしつれハいか

、といなひつれと、当衆儀のきりかたきにより罷

下、教景五万疋、其外法脊中二万疋徐申調つれと今に京着せすとな

ん。真珠庵用捨、今ハけにもとこそ覚え侍れ。長阿奉加、何ならぬ

物活却。当年まて凡三万疋に及ひ侍り。寺木四郎左衛門とて京に有

しか島

国。年来異他知音により、是ハ長阿奉加合力とて、去年夏

四月迄三万疋寺柄。修功あらハ猶寺納可申なと

、書状有。越前逗留

中発句ゆ

きと-と木すゑやあふちミねの雲

雨かほるはなたちはなのさ月哉

昨雨軒とて庭の石木無比類所にて

ゆふたちやまかせし水の岩小すけ

面影はふミわけかたき

7葉かな

宗祇年忌に

松むしやよもきかもとの秋のこゑ

萩薄ふかぬ野分のあした哉」

八月十四日

月よいかにてらんあすの夜-まもなし

平泉寺より所望に

雪をきてしら山の名や月のあき

越前よりのはり侍し時江州観音寺にして

朝霧の外山は八重の晴まかな

ミLやミな木すゑうつろふ朝戸哉

鹿のねや尾上のあらしゆふ月夜

志賀にて

秋の梅花さく狼の千種かLRj

薩摩の坊の津の商人京にて興行に

磯のう

への干しほも秋のゆふへ哉

四条の坊門町にて

よるハし-れ朝戸は霜の板屋かな

有馬の湯治のつゐてに児屋寺にて

しなかと-伊な野を雪のあしたかな

あ-明や空にLもかれの花す

ゝき

城山能勢源五郎千句に

暮て猶長閑けきとしのひかりかな

越年ハ薪酬恩庵傍於寮下。炉辺六七人集-て」

田楽の塩咽のつゐて俳語度々に

あすのしるたまかきりなるあらめかな

かははしハすのはるのはつよめ

ふちハらうちかもんハふちなミ

馬くらハ金ふくりんの源九郎

引つれつ、もねはりこそすれ

津の国の湯の山ものをまくらにて

高野ひしりのやとをかふこゑ

なつの夜のや

ふれかや堂立出て

(ママ)

(21)

はんにやじ

坂の大乞食とも

こゝろミなせちへん坊や文珠ゐん

風情もつきてひきやいれなむ

人に月おもしろかられふけにけ-

ちこかおんなかねてのあかつき

前うしろさくるてに月のあり明に

しうも従者もつえをこそつけ

もろともにこしおれ歌をよミつれて

なんほうこされたはなにたハふれ

お茶のミつ梅かえこそに-ミよせて

小聖道ミなはな兄をそする」

ちこ小袖柳さ-らをこきませて

にやけのあた-ハた

、菊の花

秋風の吹上にはふとはすかみ

とりぬかしたるすハりわか俗

もてなしのはらの音こそきこへけれ

一帖二帖はりますいはら

ひきてものあふきの風になひかせて

かすみのころもすそはぬれけり

ハしろを

おいた

てられてかへる

五条あた

りにた

てるあまこ曳)

たか後家のうかれきみとはなりぬ

らん

おなしとしこそ三人ハあれ

ま男を二かたしむるはらのうち

おもしろけにもあきかせそふく

たてならへたなはたをれるあし拍子

おもきかたにはもたれこそせね

そも恋よちんにてもたれやとハれん

人のなさけやあなにあるらむ

をんなふミかしこ-

と書捨て

たのむ若俗あまりつれなや」

ひつくんてさしもいれハやちかへはや

我よりもせいたか若衆まちわひて

不動もこいにこからかす身か

神の代よりのすきのすんきり

千早振三輪山もとの茶屋坊主

ふしつころひつむかしこふらし

とやかくとすれともをえぬ物おもひ

かすみこまかに引まハしけり

うつくしなた

、丸かほのほ,は

まゆ

じ墜E

馬にのりたる人まろをみよ」

Lもにたつ中間おとこひとりにて

をいつかむく

とやはしるらん

高野ひしりのあとのやりもち

高野ひしりのさきのひめこせ

愚句ハをいつかんと云心、付まきり侍らん哉。

碁盤のうえに春は来にけり

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

『宗長記』(上)の翻刻

うくひすのすこもりといふっ-り物

朝霞すみ

-まて

ハたち

いらて

(ママ)

是も愚句附ま

きり侍らんかし。

大永四年正月

1日'薪酬恩庵。早朝に遁世者とて門外」より案内す

るをき

、て

あら玉のはつもとひきり

一とせにこそとやいはん小沙弥とやい

はん

試筆於酬恩庵院主を奉加

一首

七十に七とせのけふをくハふれは君か千とせのはるハるかなり

報答柴屋老人年頭試筆和歌

一首

行末も猶はるはるの春の日に君か齢ひを鑑にも見よ

同正月十日あまりの夜半はかりに、夢中に玉の出行

毎我玉にやと

おもひ夢覚て

みかきりて我身出行む-ひなむ銭の御玉いりかハりたまへ

此銭の御玉やかて人かはれかしとねんし入侍るなるへし。

中御門殿より

さむからぬミヤこの春にたき

、をはひろひすてこよ山さとのと

同つ‥、「紙に心中難述以

一首口王万詞に八句余。老後再会念願難尽痩

筆記。

贈答申侍り。」

一一

長閑なるミやこの道にたき

、をはひろひそすてん春のやま人

おなし正月に

とし-

の春やたちかへる朝かすみ

南都より所望に

いつ-よりわか草山のはる日かな

八幡梅房にて一折の興行に

梅の花うつ-し袖か朝霞

夜に入て児若衆あまた酒宴。老喝とて罷入侍り。たひ-

便あ-し

かと平臥なからあまり無下の事とおも隻

梅のちいさき枝につけて

いたし

おも

やれ柳のいとのみたれこゑむかしハよそに聞しはるかは

やかてさけの席詠せられし声せし也。

京にて梓

弓をしなへ春のひか-かな

三井寺勝蔵坊京に出て興行に、彼寺にてけに山のはゝいてうか-け

りのよせにや。

(ママ)

官領

一日千句に

なひ-世ハ雨のとかなる草葉かな」

三人千句。進遥院殿O.扇椀

∴示長。江州種村中務丞於月村斎張

行。

うくひすやをのかぬふはな笠やとり

豊雅楽頭薬お-られしっ‥、ヽ紙に

君も我も不老不しのくすりにてまたあいミんもこ、ろな-け-

一二

返し

これやこのとをくもとめし生くすりいまもをいせぬ君ったへけ

田舎へ下-侍る折ふしの事也。

(加)

中御門殿より」

老の友まつそとしらはかへ-こよ田子の浦浪立ハゆ-とも

盲肇

御返し君

により田子の浦はに老のなみおもひした、

ぬ日もそなからん

朝倉太郎左衛門数景宿所の庭に、鷹の巣を四とせ五とせかけさせ

て、去年始て巣た

、せ、大小二つまことに不思議の事なるへし。こ

れにつきて鷹の記建仁東堂

一花、又詩歌なともと--

侍Lに

またきかすとかへる山のミねならて」巣た

、せそむる庭の

松かえ

尾張国知人さそふ文たひ-

あ-。しはし逗留あるやうになとあり

Lに、卯月十

一日、京を立てひんかしの旅行。まつ都のみなミ八幡

近き薪酬恩庵、

一休和尚遷化の地あ-。まか-申の焼香のために-

たり侍り。京の知音の人々上ハ下京まて下ハ法性寺

・採草のあたり

まて、かたみにわかれをしみて立わかる、に

なからへはまたものほらんミヤこ人もとな-ねかふことしある

されたる歌の結句、俳譜

一咲の都人とハいまをくりてわ

hJ

)る、

人々の事なるへし。伏見津田備前入道かねて約あり。立よりて薪の

山材木、此津よ-紫野へ車力の事奉加申調へ'いまた日もたかく'

急に付て宇治の川舟きしのほらんといふに発句所望に

-れたけのなつふゆいつれ代々のかけ

此所祝はか-也。此津よ-宇治橋まて指のほさするに舟の間'美豆

の御牧

・八幡山'木津川なかれあひて'水ひろく湖水のことし。京

よりいさなはれ-る人-

'舟ハたをた

ゝきて'尺八

・笛吹なら

し'宇治の川瀬の水車何とうき世をめ-るなと、此比はやる小う

た、輿に乗し侍-。岸の卯の花汀の杜若咲合て」おもしろか-し

也。い-瀬ともなきはや瀬のほ-煩ふ綱手のふることうち吟して'

舟さしよせおる、。ミなこゝろならす。其夜ハ白河別所辻坊

一宿。

赤月水鶏のうちた、-を

谷深みくゐなのめくる外山哉

俳譜にそ侍る。当国守護所東雲軒。薪の送なといひ付らるゝ間に酒

あり。

一所の望ありしかといそ-によ-発句

ほとゝきす月やあり明の朝日山

のこりお、-そ侍-し。酬恩庵

一夜。山の材木申調へ'十三日に影

前焼香。其日三井寺勝蔵坊とて若き法師,此春京へ(山}出て連歌興行

あ-し也。此法師出あハれて大津の浜旅宿の誘引。夜に入て上光

院。相州箱根の別当童形二とせ三とせ住院。此春得度兵部卿。盃出

て夜更ぬ。あ-るあした院主

一所の興行。きり所なくて

時鳥山の井のあかぬはつね哉

むすふ手のしっ-ににこるこゝもとのよせハかりなるへし。

脇兵部卿

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

コ示長記し(上)の翻刻

いはほもしろしさける卯のはな

これも巌にもさけるなとのよせにや。宗碩

一両輩昨日坂下祭礼ミに

ありと聞て'暁人つかハして今朝来あひ'輿有し辛也。

7折果て盃

のつゐて此寺の老僧」八十の杖ちかつ-東円坊尺八。今夜兵部卿尺

八と-出られて、平調

一手二手はか-吹すてられし。身にしみてそ

覚えし。俊成八十におほくあまりて'百首の歌たてまつられし中

に'よもきかもとの松むしのねもさなからとおはゆ。夜明かたに旅

宿大津へ帰-侍-し。十五日此亭主宗珪、さ-とてハとてしきりに

興行いなひかたくて

よるなミやはなのやまこえ夏の海

老の浪さらにはなとみえしはかりなり。

連歌半に本須大和守、木の浜のあた-宿所よりむかへふねさしきた

(カ)

りて、まことに心あハた

しゝ-漕出侍るに'此春」京にて勝蔵房の

興行にい

つ出てかすむ山の端ゆふ月夜

発句おもひ出侍-て此寺にて

月をなとまたれのミすとおもひけんけに山の端はいてうかりけ

千載集の歌にや。まことに舟も出ておほえ侍し也。

夜に入てミなみの風吹片時はか-にやはし-渡りぬ。今夜十五夜の

月、おほろけならぬ光、かゝミの山よりたちのほり'まことに

鏡をかけたるやうにこそ。

一目あ-て又の日の連歌」

水鶏噂むら苗はこふあさ戸哉

1≡

河井駿河守のむかへの乗物。もる山まて乗りか

、ミの山をこえて翌

日連歌あり。

卯の花やミる-

ふれる木々の雪

観音寺より種村中務丞かれこれ下られ、駿河守息童形同五郎連衆、

おもしろ-老を忘れぬ。廿二日たひ-

抑留有しかと罷出ぬ。鈴鹿

山の坂の下まて乗物。巳下同行の衆、馬。其程ゐのはな

・土山

・内

の白河

・外の白河、かねてやつた

へをかれけん、酒

・肴山中の輿わ

すれかたし。所々送りの人出て、関-

とかむるものなし。坂下に

じ打E

着ぬ。亀山よりまた乗物たふ。今日の

老喝休息。其夜は坂の下の

旅宿。此山のむかし斎の宮の御下の頓首あしのかり庵なとおもひ出

る。ね覚に郭公しきりにな-。

ゝかやましのに噂けるほと

、さすミヤこにいかにきかむとす

らむ

しのに噂つるハ、す

、かのよせにや。又かの上人此山をこゆとて

、かやまうき世をよそにふ-すて

、いかに成行我身なるらむ

うらやミ侍るはかりに

、か山ふりすてぬ身のかなしき

ハ」老か

、まれるこしを

、れて

俳譜比興々。又川をわたるとて

けふわたる影はつかしき鈴鹿川やそ瀬の娘を老のしハにて

其日の昼はとはかりに亀山に着ぬ。旅宿ハ野村大炊助。頓て風呂あ

り。何似斎昨日鷺山正法寺とて山庄あり。紫野の門徒、程五十町は

かり、此寺

へ作善の事につさてとあり。廿三日早朝乗物たふ。よ所

1四

よりはされふか

、らぬとみえし。大もて行

ハ、祈ふし雨けの空、四

五菜の山雨よそほへるけしき、巌たか-苔探-、松杉い-村ともな

l=l

-、凡寺のさま高雄山神護寺」にも似たり。先さし人の寺大龍寺。

谷行水め-りて橋あり。栂尾にもおはゆ。仙家ともいふへ-や。ま

ことに斧の柄も-たしつへし。正法寺長老拝顔。何似斎点心以下盃

あり、沈酔。雨にさはひて亀山にかへりぬ。翌朔日いとよ-晴て何

似斎の館よ-起請。朝飯より晩頭に及ひ帰り侍りしなり。又連歌興

行、発句、をと

、しの秋、京へのはりしっゐてに

一所の事侍りし。

やその瀬のミなかみたかし秋のこゑ

此たひハ中-

と、たひ-

いなひ侍りしかは

とるたひにもとつ菓たかし八重榊

ゆふかけてなけ山ほと

、さす

一日をきて又

一所。

へてこなたい-今年生園の竹

又二日三日ありて、正法寺斎あり。前夕より

一宿。同道巳下風呂あ

り。またの日、鷲の巣山見にとて乗物。何似斎誘引。苔の細道なめ

らかに、うえよりみなきる水、谷ひろ-ひたして入たる海のこと

し。たまく

手をかくる岩もあしハとまらす。むかし山寺ありける

となん。牟楯の用意にや。をのつからの巌を楯。失-ら門ハ石を棟

柱。四万五十町、谷め-りてみゆ。凡数万軍兵とりむかへるともお

そるへ-もみえす。其日正法寺のならひ輿禅寺、是ハ東福寺門徒。

(刀)

住持和漢張行あり。」

わしのすむ山とやとをきほと

、さす

人如五月涼

一所の内よ-盃出て沙唱数盃に成て'帰路-れに及ひき。又今月廿

五日'月次法楽とて催しに、慈恩寺といふにて

五月雨にますけの水のすゑ棄哉

また廿九日に新福寺にて

かほる香ははなたちはなのさつき哉

ハ四郎種盛の代。

六月二日、於何似斎

一続十五百。息次郎盛禅、明題集の内書ぬかれ

て当座'又盃出て数献。夜更ぬ。人に扇をつかハし」侍り。何にて

も書附てと所望に

たれをかも友と

ハいはんなからへは君と吾とし高砂のま

扇の絵松あり。七十八、七十七。

亀山旅宿、野村大炊介'此春より雁をひとつ篭に入て、とりかハる

へきためとてあり。不便かなしさのあま-に'旅宿の小庭に水を桶

にた

、へ、せ-をはませ'色-

してなつけにけり。罷立侍るあし

た'此歌を柱に書付置ぬ。

か-にLも露かけす

つなさそひこむ秋をたのむのともにあふま

tJtgj関ノ

何似斎

郎正祥'ある夜おもひかけ侍らぬに'旅宿をとふらハれ

しあしたに申送りし。

人よりも老のおも

ハんことをしそけさはみたれてこころともな

返し

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

『宗長記』(上)の翻刻

ゝろにもあらてみたれておもふてふひとのことの葉くまやな

からむ

何似斎にて五月雨-らしかたかりLにtをのく

心う

つ-しく、日

ことに来て、慰めおはくおもしろかりし中にⅦ何縄張郁茄賑戯駁唱)物

語の次に虹朋)<聞阿",にやとて見せら」れし。うつ-しきよし申

れは'さらハたふへきよしいなひにをよハす。文してよろこひ侍る

とて

あかつきの友をそえたるいそのかみふ-にし老のかひハなけれ

人の許よ-篠ちまき'せんへいの二色をくられLに

こ、ろさしミヤまのしけきき

、ちまきかすは千秋千へいにして

道宗伊百首歌,亀山にて、自筆

一巻,こ

、かしこむしは

ミてあるをみせられ侍りし。所望して写して'本をハ今の伊賀守孝

盛上せ侍り。例の瓦gJ)

いまも世はさもこそあらめいそのかミふることの葉やたくひな

からむ

亀山

ハ慈恩寺

・新福寺

・阿弥陀寺

・長福寺等四箇寺、各律院七堂み

えたり。其外宿所々々東西市あり。

すでに尾張国へとおもひたち侍る折ふし'駿河より使をし返して二

たひ文ともあり。(野

呂内卿法印申合,同道して罷下へきのよしあれ

は、きりかた-て亀山より京

へ人たひ-

のはせ'何似斎よ-申調

られ、むかへの夫'伝馬五六十㌧みな-ちのとまり'す

ゝか山坂の

下とま-申

つけられ'六月五日亀山下着。こ

、のもてなしわつらひ

1五

いひっ-しかたし。

一日休息。七日に森隼人佐、送に」とて伊勢尾

張のあハひの舟渡り、何似斎よ-の送の人に舟をと

ーめて申送り侍

り○

しっかなる浪のあ

ハひのうみつらをかへ-みる-

ゆく空そな

亀山五十日をよひ逗留。時々刺々の何似の芳志難謝のあま-なるへ

し。六月七日尾張知多郡天野の旅宿。八日に参川苅屋といふ所璃酢

和泉守宿所

l宿o同国土羅

l向堂

7日逗留。十日庸朝鮮牡野望ゴ

(基)

宿

l日遠江善美。十二日引馬飯尾善四郎

l宿。十三日懸川

1宿

逗留。十五日駿河藤枝鬼巌寺。十六日府中。墳ふし夕立して宇津の

山に雨やとり。此

山〉茶屋むかしよりの名物十たんこといふ、

1杓子

に十宛、かならすめらうなとにすく

ハせ興して、夜に入て着府。

両日休息。職玉髄班雫

盃三献.匠作の眼の御薬等の事。逐日験気

の事。とかくして清見か関のあらましに又京よ

N

いとも

なひ侍る事を、先あなひせんとて、新潮藤兵衛尉正信宿所にいた

り、七月廿七日此磯の夕闇まか-す-るとて

なミのをとゆふやみふけて岩つたふ磯まのみちをてらすいきり

廿八日、京よりの人々のために、此磯にて

1続三十首。題

別内

府御在国申請て張行し侍り。同御詠巻頭小原親高、磯よ-」いひお

くられし。

まつらむと駒のあしなミよるいて,きよミかせきにひるねをそ

する

返し

ちきりLもわすれにけ-な老の浪あさミつしほのひるねするま

廿九日、宗祇故人、先年当国下向思出て折にあい侍れは、年忘の

1

折張行。

おもひ出る袖や関もる月となミ

此こ

、ろハ、先年此寺に誘引して関にて

l所の発

月そゆく袖に関もれきよミ潟

おもひ出るといふ愚句なるへし。新古今に

みし人のおもかけとめよきよミ潟袖に関もるなミのかよひ路

此歌本歌にや。宗祇此寺の

一宿ことし五十八年に成ぬ。

一所のつゐ

て、寄月懐旧と云題、愚歌

月はしるやこの磯なれて七十に三四まてのあきのしほかせ

哩和製庵塔よりうえにあり。杖にて腰をか

,へさせ,まかりあ

かりて、日-らしに乗するあまり俳語に」

みても-

猶またみても狼の上の雲をかたし-あかつきの寺

雲波とて京の人、此寺性海庵のかたハら、京に契りて草庵をむす

ひ、十とせあま-にや、いまはなき人にて荒し呆たるをみて

むすひをくきよミかいその草の庵あらすやなミをかたミなるら

避毎

御下向。又此磯に誘引して、三保か崎あたりまて舟をこか

せてかへるさに

(Es)

月なからい-世のなミをきよみかた

よせてそあらす関のあら

かき

あらかきの柱に書き

つけてをかれし也。今

ハ其柱たに朽はてぬれは

かき

つけしはしらたにこそあら垣の-ちてのこらぬなミのこと

の菓

此寺回禄の後ハ

殿御影堂、開

さへ塵のかたハらにおハしま

開山也

すを拝して、ふか-悲涙して

きよミかた関のあらかきよるなみをむかしにかへせくにそさか

なと読

てかへられて後、此柱を短尺箱にさす程所望、頓て」顧義朝

曙LりよせつかはされLに、おなしく御歌をそえられてとありしに

たつね

つと都にかたれきよみかたこれそしるしの関のあらかき

此歌を箱のふたにまき絵にさせて自愛ありし。今

ハ脚肇現守護にあ

りとなむ。

藤増とて十三四の童かたち手跡まことの器量とみゆ。此父市川宿所

にて、八朔の翌日

一折興行。執筆藤増。

はやしそめてい-机のはな萩の露

此心ハ、この童の手跡の萱

迫しかるへきを褒美しお

札士のは

やしはしめのさの萩と万葉やらむ歌にや。萩

ハもとあらにす-に生

たちたるを、軸形のやうによめるにや。府中にかへりて、京より同

道の人のために興行。

さそハれは都のふしのあきのゆき

、ろハ此山さそハる

、ものならハ、都の不尽の秋の雪ならむとは

かりなり。八月中旬ころまて郭公よるひるとな-噴けれハ、斎非時

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

『宗長記』(上)の翻刻

にもたえかたくて

き-たひにむねわろけれハほと

、きす

へと

、きすとこそいふへ

かりけれ

九月のはしめにこ

、もと四五町罷出て、かへるさに落馬して」

半身

いたみ右の手かなハすして

いかにせんものかきすさむハ手

ハをきてはしとる事と尻のこふ

京よりの人々、おなし-薪酬恩庵の僧達かへりのはられ侍ることつ

てに

ハれなる我ことつてや山しろのたき

」るへき七十のはて

酬恩庵にして終蔦の事を'申送り侍る心成

へし。

神無月末つかた、興津にて塩湯の湯治のつゐてに、此城の庭の山水

3拭E

を発句にと所望ありLに」

みるたひにめかれぬ庭の木革かな

今年の暮まて何かとあれともらしつ。

大永五年正月はじめに、磁wLHP殿発句にて独吟。

雪のうちに梅さ-庭のあらし哉

はつねの日とや松のうくひす

あら玉のとしのい-春かすむらん

伊せ阿野の津より所望に

あま小舟はるやあこきの浦の松

甲斐の国より人の所望に

かすみけりはるやあさミつしほの山」

河辺の宿所にして

すゑや

ミな川かミすめるはるの水

射殿服

部離別縄堅

卜也三条撃

(注7)

郭公まことをけふ

ハは

つねかな

河原ちかき宿所にて

ゆふす

ゝみ身も日もさむし河原風

冷然の鎗りに育つらねて、京の知人のかたへ書のほせ侍る歌

みな月の

っさをあらふ

けふの雨

庭の池水

はちす葉の

(仙)

ハしら玉

かす-

つしうえを-

木も草も

まか

きの竹も

わかえ

っゝ

心よけなる

末葉にも

老をのはへて

-

みるハことなる

やとなから

おもふ事と

、おあし

にこり九こんも

まれく

さすかに人の

て入は

たゆる日もな-

みえ-れと

何もてこねは

もてな

さす

陶のミすみて

つれ-

御茶をたにと

いふはかり

むかしかたりの

老のとも

かたねふりして

はて-

立さるをさへ

しらきりき

、にしめを-

我いほは」する

かのこうの

かたはらに

竹あミか-る

窓こしのふしの煙り

ハ蚊やり火の

夕かほしろき

かき

つ、き

小家かちなる

たりにて

市め商ひと

ありあえす

な候いも候なすひ候

ろふり候と

こゑ-

門はとをれと

いつとなく

わか今

日あすの

飛鳥川

かハるへき瀬も

たえぬれはみ

、にのミふ

れすこす夏かな

l八

我等田舎の住ゐかやうかきつけ侍るにて、御をしはかられ候

へし。

l=1

又京

ハいか

、候つらん。田舎此夏大雨ふ-暮

し」いつ-かしらさし

いつへ-もな-て隣のかよひも絶侍Lに

いつ-もか木柴炭たえ茶湯たえ味噌しほしらぬ雨のつれ

時鳥さへ文月うら盆かけて、耳のまもなくなけは十三日に

あすハこむ過去Lやうれうに立かはれまつらむしての山ほ

、きす

七月廿九日宗祇年忌に発句

のこしつる夜やハわする

、秋の月

朝かほにさけいにLへの夢

ひとりしておもふかひなきいとなミに君をそけふハ恋くらしぬ

此連歌の懐紙にそへて、宗碩かた

へ申上せ侍る。

豊雅楽頭株秋

一回忌に

こそのけふ月日かき

つる

一ふてのこれをかきりとおもひけるか

ないつかミむ都のかせのつてことにこひしゆかしの宇津の山ふミ

(也)

たまゆらもか

、るとやいはんすゑのつゆ

はかなの萩のもとの

しっ-や

こひしさもかきりありけりなれく

てなきかおほくのあるか中

にも

思ひたにたゆるまもかな秋の露きえしとき

、てひる世なけれは

8

)た

、あらましのふしのしらゆき

か-そめもおしミしひなのなこ-こそかたみになかきわかれな

りけん

もろともに不老不死のことの葉は」つねならぬよのすさひとそ

おもふ

かそふれはひとつをと-も先立てこのかみにさへなる世なりけ

りはかなしやしらへの道のたくひなくきこへのけ

ゝむ名こそたか

けれ

艶粁楽頭統秋、京にありても田舎に有ても、かた時おもはすといふ

目もな-、形見に文のかよひ八十に近きまてたえす。去年の秋京へ

文のほせ侍-Lに、此月の今日十九日'いまハの析ふし、此返事起

(仙)

縁あさからぬ事なとかきて、明る廿日に身まか-侍るとなん。」抑

雌群槻ハ我道の長者として,

天子の御師範にまいり、其しらへ雲

井をひ

、かし、又やまと歌の千首をつらね叡進、所々の当座の二首

三首の歌まて、其艶なる名をえ、ものことになさけふかく、されハ

我等にいたるまてあさか-けんかし。京都ならハ彼とふらひの歌勧

進して、今日の跡をもとひ侍らん。又心をおなしくする人もおはか

るへし。遣遥院殿にしてもかならす今日の一統御興行。おもひやり

奉るのミ。扱此暁の寝覚にかのためを十首の歌につらねて、懐をの

へ侍る事しかならし。同三条内帝御在国、此十首を申請書加侍る。

統秋

一回忌に付て追善のため十首の詠歌加

1覧。哀憐を催し候。

愚」詠の事掛酌なから申さる

ゝ事に候間、瓦磯をのへ候

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

『宗長記』(上)の翻刻

小車のめ-るやハやき去こその秋のけふのわかれをおもひいつ

るに

いまはた、都のかせのつてとてもなをなをきりにき

ゝやなすら

むさ-萩のもとのしっ-やすゑの露ときえしなこりも残ることの

葉おり-

ハわれもなれきてからころも春いくあきのあハれそふ

らむ

(仙)

おもかけはまつたちきえて笛竹

の」ねのミ雲井に猶のこるらむ

露ふかミ草のかけにもうけひ-やことのはことのけふの手むけ

にょしやいま夢とな-ても宇津の山うつゝに残るおもかけもかな

秋のよのなかきやミちもまよハしなことはの玉のかすのひかり

に夢ならていまはいかてかミつくきのあとや身にそふかたミなら

のちせやましゐてのちとふことのはの」いろにやふかきなさけ

みゆらん

人のうへにいひはかハせとたれも又あすをたのまぬうき世かな

しも

去月三日尊礼。今日十九日到来。致拝見先以本懐候。

一、路次中無事御下着之由尤珍重候。殊彼御験気之由御祝着令察

候。

一九

o尽へ墨)

御約束之雁皮之紙上給候。維不始干今儀候御芳情之至、難○紙

面候。畏入候。

1'去月十五日不慮痢病煩存命限今日候処、御礼拝見年来寄縁之純

熟候哉。不可得之至候。哀致存命今

一度再会之念願計候。

T向

平臥之間以他筆中人候処存之外侯。恐憧敬白運

八月十九日

耗秋在判

柴屋

尊答

如此返礼

翌日廿日遠行。

続秋

一回忌避遥院殿十首、十

一月十二日に下着。書加奉るもの也。

悼統秋朝臣和歌十首

以法花経題号置句首

めのまへにきえぬおもかけものいはゝたえすむかしのことやか

ハさむ

うつせミの(a)軒のふしやいと竹のこゑをしるてふ人もたえゆく

法花経にちき-むすへるかひあ-て」必らすなかきやみをいつ

らむ

うちなすに花をもよふすしらへをは手にまかせてしっゝミとそ

しる

伶人の中にいてたつお--

もものにまきれぬすかたなりLを

むつましとへたてぬものにみつかきのひさし-なれし名残をそ

おもふ

けふわかれあすハとたのむこのよたに余時ハ人にかなしからす

二〇

(

捕)

君につたへ人にをLへて笛竹

」みちのきハめはたゝひとりの

\\「やよやまてとハかりたにもきかせハや老ハを-る、ほとあらし

身に

うつつあるものとはなにをおもひ川見よやきえゆ-水のうたか

一周忌自我偶を御自筆にあそはされて被下。御奥書に云

此偶者

T経所説之眼目、諸仏出世本懐也。而今迎故雅楽頭統秋

朝臣周忌辰、拭老涙染短筆。仰願幽霊増進仏果、乃至法界平等

利益。

大永五年八月廿日

褒閥尭空」

したふそよ月ハはっかの-もか-れつねにある空とおもふもの

から

旅宿の軒ちかく、萩荻をうへをきての秋

こ、ろからくらへ-るしきゆふへなりはきをきうへてかせと露

とに

この萩を折て人に

てる月もよるのにしきの萩か花をりはへけふや露もミるらむ

去年の秋尋ねはなちし鈴むしにや'おなじ庭に噴けるを

あはれこそたつねはなちしそれかあら#

j

ゝきかもとのす

むしのこゑ

五夜六夜噂ていつちかいにけむ。また松虫の噴けれは

たちかゝりをとらぬものやこれならんす

ゝむしの音に松むしの

覇臥

郎太郎親重、此年月病して、剰心たかひの,,,ありて、奉公

にもをよハす。しかあれは給恩にもはなれて後、本心に立かへりそ

のはつかしきおもひ出るにしたかひ、さし出る事もせす。されハ

又、たれとり申かたもなくて、月日をふる程に窮困いふ計なく、

7

一腰身にか-るものまて活却し、あるハまつりはらへのいのりの

ものにつかハし、あるハ今日あすの賄に」して、飢寒の二字此宿の

物ともいふへし。はて-

ハ妻子をも縁-

にはなちやり、この比

ハ独すみにてあかし暮す。旧借の返弁にも及ハねハ催促のせめっか

ひしきりにして、いかんともせす。おもひ俺ての事にや。此月の十

七日の夜、近き所の観音に参り、下向して水をのミ、縄の一尺なけ

れハにや、自在といふかきのなはに頭を入て桁にしめあかりてすへ

りくたりて死すとなり。明るあしたの巳の刻、下女見つけてあたり

に告けるとなり0如此のおもひいかはかりことにやO五日さきよ-

いさゝかの朝薯をたちて、しっかひおもひとりけむ事あハれあさか

らす。すへて人ハ当座の口論してさしもちかへ、

#

]

場にして討死

する事さふらひの常の事也。虎ハ死て皮をと

、め、人ハ死て名を

ゝむといふ事あり。希代の事なるへし。かのとふらひのため六字

の名号を旬のかミに置、結句には六字をさなからすゑをきて、心き

しをいふ所しかなり。

名残な-露のいのちのかけところわかる、はてハ南無阿弥陀仏

むへもこそおもひ入けめともか-もかなはぬはての南無阿弥陀

仏天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

冒ホ長記J(上)の翻刻

朝かほの露の命のあきを経て風をもまたす南無阿弥陀仏」

みつせ川わたるミさほにかけゆかんミなれころも

ゝ南無阿弥陀

仏たらちねのこゝろやまたも立かへりあはれか-へき南無阿弥陀

仏ふれハかくうきことをLもミつき

、ついのちなかさの南無阿弥

陀仏

此文

旧好のあまり、芳恩又いくはくそやDかくなから

へてか、る事にあひ侍る、返ノ\遺恨に

たれとなきおちかた人のうえにてもか、るをさかハなけかきら

め4-(!J)

また此八九年の愚句に

かくおもふとは人ハしらしな

たかうきも身にかふはかりかなしきに

九月四日に野分おそろし-吹出て、夜もすから老の心たましゐもな

きやうにて、明るあしたの庭の露を

萩かはなとふしか-ふし老か身は野分せし夜のはなの朝露

紫野山門再興奉加のために、なにならぬものなから、これかれ活却

し侍りしはてに、源氏物語を老の手なれLをはなち閲とて」

けふよりはなに、かハらむあすか川この瀬をはての老のしら浪

此本はなちやる人に

見るたひの露をきそへよつれ-

のな-さめ草のことの葉こと

二一

萩を折てと人のいひおこする歌

秋かせのふきみたすらんいと萩のこゝろなき枝もおしミやハす

返し

秋かせは吹みたすともいと萩も

おりてといふやこゝろなから

旅宿の庭に、槙の一丈はかりなる'道の程五里はかりなる所よりは

りよせて、その法楽に

まきの葉はミやまの霧のあさ戸哉

此連衆,至

1瓶興に入し事也o期襲

九郎、清見か関よりかく

なんとてかきおくられし

清見かたあけま-ほしき浪のうえに月のせきもれすゑのしら雲

返しとハなくて

清見かた関もる月のことの葉のなかめをよするをちのしら浪」

此秋の九月の尽に七旬有給の長命なる事をなけきて'七十八九月尽

といふ事を我と遺して

けふことのなか月をLも先たつる老よいかなるしっのをたまき

此和の御娠枠府浄空,御方,補償,腰兼,触高、僻嘲・t"珠易

-りかへししっのをたまきなか月やいくたひけふにあハむとす

らむ

老ら-のよ-てふやとはなか月やけふい-かへりしっのをた

明星)兄

千とせへん八十ハこえんけふの鞄

くり返しく

しっのをたま

二二

さらにへん老か千とせのなか月のけふの-る、ハおしまきりけ

い-とせのなか月のけふをさきたて、老せぬやとのしら菊のは

もろともに老をそちきるけふことのなか月もなをゆくすゑのあ

老らくのなをゆくすゑも長月のけふにくれてもしつのをたまき

此御短尺奥津彦九郎所望仕侍り。稽古のためとて申送りし。

やさしきあまりに'又書-はへ侍り。

けふに-れてい-秋老のなか月やゆ-すゑも猶しっのをたまき

冬のはしめに雁を

一文にそえてもて来たる。その返事に

をとにのみはつかりかねの秋かせにつはさをかハす神無月かな

匝個よりゝんたうのしろくさけるl枝をみせられ侍るにそへられ給

あるかなかにこの一えたのいかにして雪まつはなの色にさ-ら

3載〔

む」

御返しか

す-

にめやハうつらんあるか中にまれなるはなハうとんけ

にして

下野国奈須助太郎とて出家して'草庵の庭

一見とてたちより'高野

参詣なとかたりて,瓦襟

l首懇望。その故は逢着せし明察

のを

討死させて、愁傷にたえすして跡をたにとふらハんとてなと同行の

僧かたりし。あハれにおほへて

あかつきはいかにちきりて尋ぬらん高野のお-に有明の月」

やかて此

一首卒都婆に書つ-へしなとそありし。

今川被官

此十月三浦弥太郎とて、行跡いとしかるへきあり。痢病を煩ひて日

数ありて死去す。逢着のわかき斎藤四郎其欺きおなし-、折節菊の

枝につけてつかはし侍りし。

よそにたにきくのうえの露いかはかりか

、らむ君か袖をしそお

もふ

寝覚の空雁なきて過行を聞て、郭公暁かたの一声ハ、うき世の中を

す-すなといふふることおもひあはせて

あかつきのあらしにむせひとふ鳥の声しとろなりいつちおっ

ら;])

断雲

僻法名保悟、かミこのためとて、富士綿

1把其文の返事にい

ひっかはし侍る。

なにく

にとかくするかのふしわたのたえぬすそのに雪ハふり

つ、

保倍返し

雪ハたゝけさふるふしのわたほうしたえぬすそ野もしはしまた

なん

一月十四日'父の年忌に'何のいとなみもな-て

としく

にけふのなミたの玉のミハなにのひかりもなき手むけ

」天理大学附属天理図書舘蔵紫水文庫旧蔵

Pttホ長記』(上)の翻刻

痢病日比わつらひてたハことに

おもハすもひた、れをこそきたりけれ名をは糞

一こめるといは

あるつれく

に,割前鮎㌍硝堪王、志貴駿河守璽

稲でひねもそ物か

たりして、当社造言由来の事あさらかに'代々守護の敬信'同願文

なとの事なとかたりて後、文にいひっかはし侍り。歌方の事執心あ

りたくそおほえし。

あとたれししっハた山のそのかみの道のくまな-きくもかし

7月廿日、髄も殿御元服有て、五郎氏輝。をのく

祝言馳走.(31

例年にもこえ侍るとな-。同廿五日彼祝言法楽連歌。発句

霜とをしはつもとゆひのわかみとり

古今集聞書五冊'口伝切紙八枚'氏輝へまいらせをき侍り。あとは

かもなき事恥敷思はぬには侍らねと'氏輝廿にもあまり'此道いた

りふか-ならせ給ひて後、自見ありて無用のものともおもひすて給

、、八人童子にあたへらるへからむや。

あさけれと聞しはかりをきミハこれ我家の道につたへそへなむ

宗祇故人'此道執心浅からすして、諸家の師範となり殊」には近衛

殿殿下、二道遥院殿尭空'唯受

一人の御口伝とかや。長阿同宿して

数年無執心。

1紙の物もきかすしらすかし。やう-

此集結緑はか

り只

一へんあら-

の事なるへし。此時に青蓮院殿の治郎卿法眼泰

諸岡聴。

ある人の中心よからすして、年月をふるにいひやハらけむとありし

かハ、臓月十日に連歌興行の席参会。発句

かせやはるふるとしにと-る氷哉

彼袖ひちてむすひし水のよせにや。

長谷寺観音勧請の所長谷堂。ある夜塩火のあやまちすての事なりL

(Z2)

を、無事にうちけちてそのよろこひの」法楽連歌に所望の発句

埋火のいけミつこほるあしたかな

火坑変成池の心まてなるへし。建長寺の東堂、歳暮とて出府あり。

幸のつゐてにや'下野守時茂、和漢連歌興行。

かたえ咲て片枝春まてむめの花

雪消尚腺天

建長寺

長楽寺

鴬児語学語

天龍寺

養得寺

発句ハ五郎氏輝の代に申侍る。宗碩法師月付着歌読て文にあり。中の

七もし二もしたらす。

都にハ三もしあまり

一もしの」二もしたらぬ歌もありけり

と中のほせ侍り。

表布衣師三郎五郎と云、綾の小路

・室町とのあいた、北のつらにあ

り。誹のものたひ

-のたよりに-たさす。かへりてハてまの残り

あるにより、無沙汰のよし申-たしつ。則残りのはせつかハすとて

あっらへのかきりのはせつくたきなん三郎五郎てまのせきもり

胡郁偶」電

池此雲

年月十七日御掛率

注進下着。長阿京都にてハ農

暮御芳恩。されハー七日茶湯焼香。閏十

一月十七日の御月忌始

り七円

ひかしなる人をもにLにあひミむときらぬ別れもすゑはたのも

二四

縦筋世の歌とてみせ給ひぬ。

おもひあえすあはれうちみるうちつけの袖になかる、みつくき

のあと

此御返しとはな-て、をちの人文のはしに御歌とて

みれハなをなミたをちそふ袖の上にをきところなきミつ-きの

御辞世の歌五句を句のかしらにをきて、三十

一首の題内府浄空に申

請て月忌の姶'

一続申催し侍り。此

一続中愚」歌二首。初秋露。披

書逢昔秋

のかせ荻のうハ葉も旅にして袖にや露のなれむとすらむ

後もおしあるかなきかのいそのかみ世々へてきえぬ筆のおもか

一棟御覧せられての事とて、御ちの人の文に

見てなけき聞てとふらふミな人のことのはしけき事をしそおも

一、下野守時茂炉火辺に来て閑談。歳暮の不弁、借銭返弁、扶持給

わ(莱)

分よろつに事たら

なとのつゐてに例の老のたはことi.])

一、借銭借米可償了昔なけれハ、人にはつかしめられ悪口せられ

て、さるへき人も、忽に無理非道のミにて見し人ともあらす。

所詮用脚をもとめ、利々売買をせんにハしかし。此等の人ハ仏

神ともいはす、世間の盛衰をもおもハす、雪月花の輿速をもしら

す、朋友にもうと-、むらさきのゆへをもかこたせす、唯利々売

貫の工夫暁のね覚も他事ならんや。此等を活計のなかたちともい

ふへし。又如形も知行

・寺領あらん僧俗の利々売買ったなかるへ

し。又酒屋とて'京

・堺

・南都

・坂下、こ

、もとにも利々売買世

をわたるしわさ」なるへし。

一'巡礼往来時々刻々やしなハる

ゝ事'慈悲のかきりといへと'巡

礼するものをはもろこしにハ遊手の民とて、許容せすとなん。あ

るは仏事作善のつゐてなとハあるへし。かならすとする事にはあ

らすかし。

一、なま-

の痩侍

一所懸命の知行にもあた

ハす。いかむともせ

す。さすかに妻子ハはなされす。けふあすのかてつきて、女は水

を-ミ男ハつまてをひろひ、子ハめのまへに人のやつことなりt

はいかしこまる鉢、不便のかき-なるへし。されハ心あるはくひ

をく

、りなとするもあり。

1紙半銭の事も

)此等にこそとそいふ

人侍し。是慈悲の至極なる

へし。路頭に物をこい'家々門々に

、すむものいふにたらす。

慈鎮和尚歌

たれそこのめをしのこひたてる人人のよわたる道のほとりに

此よをわたる人といふ専心あるへし。又古今やらん

わひ人のわきてたちよる木のもとハたのむかけな-紅葉ちりけ

〓.

不運のかき-にや。

一'獅子舞

・猿飼

・金た

、き

・鉢た

、きゃうの類ハ'けには手にし

わさ」あ-。あはれまさらんにはあらねと、是ハ世の中なにとな

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

r宗長記し(上)の翻刻

き人のたすけもあらん。唯いかんともせさらんハ'世を俺人なる

へし。療病以下の乞食いふに及ハす。かはゆき者のかき-成

し。

一'参禅学道の人あり。かたき大切の人なるへし。しかはあれとな

まく

の参禅,都郡随分の侍,をほくしんたひをが癒す。

T、教外別伝'不立文字の宗師、即今誰人ならん。参者凡魔魔とも

天狗共いふへからむと云人侍りし。皆これ世俗にいふ溝越天狗等

にや。今程長老

・坊主

・会下'共にあるハ菅家に交はり、あるハ

土檀那をはりもとめ'山林土薮を結構Ltほんさうし、参者を接

し,我身接する知識たれとも甲

ず。なかく

念仏三昧こそあ

らまはしき修行ならめと云人侍-。か

ゝる友こそゆかしも侍れ。

是つらハ我等やうの愚痴暗鈍の修行こそ侍れ。

一'父祖の祭

・父母過去聖霊の月忌斎粥。僧衆寄次第'座頭以下鯨

に多人数ハいかにそや。盆

・彼岸ハ各別。毎月人数定めらるへき

にこそ。

一月の内'度々の月忌寄次第粥飯の雑事、めにみえすし

て借物積るなるへし。

一、弓馬'物の具をもとめ、よき者を扶持せられんや、侍道共いふ

へからむ。又何ならぬ物ことかけぬ物、奔走結構せすともなるへ

し。朝薯の活計馳走いか

、と云人の侍りし。

宇津山の傍'年比閑居をしめおきて'五とせ六とせ京にありて'

臓月廿六日にまたかへり住侍らんとて

としの薯のたき

‥Jるへき門てのミう

つ,のやまのやともとむ

なり

二五

此門出ハ、山城薪まかりのほらんの事なるへし。

いまよ-ハ千世の薪もこ-ぬ

へしう

つゝのやまの松にまかせは

彼山居萱垣といふもの、あるハ蒋箔

.竹のすかき'かきあらためな

としてふとすまひ侍りLに、廿七日あした、大雪ふりてこ、もかし

こも埋れかハ-て'中-

あた」らし-もみえ侍れは

我庵

ハ萱屋こもかきあしすたれす

ゝろに雪をもてはやすかな

此比雪を十首。

はるかにて立かへりすむ今朝Lもあれふる郷人ハ庭のしら雪

たてうえし庭の石木に花さきていつこ荒ともみえぬ雪かな

山さとの三の友とや今朝の雪かきねのしと

ゝ窓の-れ竹

雪ふれハ垣ねもたハにふミならしそこはかとなくかよふ山さと

ったかえて日のめも

いつかミヤま路もあまりあらはに雪はふり

つゝ

をふか-道まとふらしふる雪に手児の喚坂入とよむなり

もろともにこ

ゝろほそくも消るなりかけひの竹の雪のあかつき

かすみたちさゆへき峯の春をのミまつことにする老のしら雪

(;i八十まて出ゐむ事をうれへすむやともゆきをそはつへかりける

雪のうち

つミを-といふも今そしる

一束にもたらしつま木を

彼上人の庭にうき木をつミをきて、みしょにもにぬとしの-れの満

足おもひ出られ侍-。人の心さしわつかなるを満足して申侍るもの

ならし。すてに除夜にいた-て

あけむとしのけふの今夜やあら玉の-るといふ人のまことしる

へき」

除夜のあした試筆に

-るといふ今夜も明ぬたまのをのたえなはけさの春のあハゆき

おなし二日のあした'山板にむせて息のしたにて

何もかもとりくふをいの山根にむせしにといはん名こそおしけ

正月廿八日、電郎殿御興行に

不尽やこれかすみの四方の州の春

すミの山をたち入て申侍り。

本所様

・御方入御。歴々御会席にやO二月八日

号O七日暮程よ

りT

此亭に旅行.門出

l折興行

なへて春いた-いたらぬ宿もなし

九日夜に入、捕縄蹴網戯参、三献.色々御心のとかなる御物語、蓑

もとの御催事御袖をしはり給

へるやうに候て、かなしき迷惑。此た

ひハ子細を申につけて、ともか-もと思召候事に候、必-

罷下候

へとおはせ、やかて罷下候

ハんするなと申て、やう-

に罷下候。

御折紙過分ことの葉も候

ハてこそ候つれ。

同十日、字津の山の麓丸子閑居、

一宿して作事なと申付、十

一日の

早朝に小川へ罷立ぬ.舶

川元長千句懇望.きりかたきにより

十三日始行。泰以各送りにとて同道。千句三日の発句

松の菓ハ花そミつしほ山桜

当国此会まてのこ

ゝろほそさ

一Lはおもしろかりしなり。又両日

つはめとふ雨ほのけふる柳哉

行と-といつこもかりの名残哉

餓別の会席と覚え侍れはなるへし。

同廿日'すてに小川を罷立侍るに泰以袖をひかへて

たちわかれいまより後ハたらちねのをやのいさめとたれを思ハ

返し

gjiqはち父君まて老か長生のあはれむにつけておとろかれぬる

かたみにたちわかれきよの中山のふもとかなやと云所に

1宿して

い-たひもまたこえむとそいのるなり君をね覚にきよの長やま

彼身をおもふとての心なるへし。此いのるなり'いひおほせられぬ

やうにこそおはえ侍れ。

抑長山の事'西行上人此山にして、齢ひたけたる男つれて'事とも

尋ねられけるに'男かたりていハ-、此山ハ」むかし長山と申ける

といひけれハ'いかて長山といひけるにか。男'四郡の中にあり

て'山なかなりけれはにや'ふるき歌にもありと哉らんといひけ

り。旅のふる小袖なとぬきてやられけると,礎上人の東路の記にあ

り。されハ命成けりさ夜の中山'さ夜の長山とや上人も詠せられけ

ると思ひあハせ侍り。此東路の記ハ噺匙朝卿榔綱所持と聞て,此た

ひ小川より借用して

一見し侍る也。

廿

1日、掛川泰能享。廿二目'則

一所興行。

はし鷹のとかへるはなか山さ-ら

当城数年さまく

普請。堀ハ幽谷のことく山

ハ峰のl

Sj椎樫しけく

天理大学附属天理図書館蔵紫水文庫旧蔵

『宗長記』(上)の翻刻

よそめもたゝ鷹の巣山ともいふへ-、春のはな雲のたなひくかとみ

えわたさる、を興して、鷹も花を愛してとかへるにやなと'おもひ

ょせ侍るはかりなるへし。

懸川廿

一日二日より霧雨。三月

一日まて晴間もなく降くらして、又

連歌あ-。

春の雨ののとけき真木の板屋哉

三日府中六郎殿。明日連歌、日あしけれハ今晩発句とて

花さきてなるてふ三の千とせ哉

今日桃花のよせまてなるへし。」

(注-)『日本文学の歴史

古代中世篇6』

ドナルド

・キーン

著土屋政雄訳

(中央公論社

l九九五年三月

三十四頁)

(注2)天理大学学報第

一九二輯

(一九九九年十月)

(注3)北田紫水は'名を彦三郎という。寿重工

・寿繊維工業会社

社長として経済界に重きをなし、また'古俳書の蒐集に労を尽

-Ltその集大成は

「紫水文庫」として足跡を残す。俳語史研

究にも功績を残す。昭和十九年十

一月毅。(『近代蔵書印譜

編』日本書誌学大系41育英堂書店)

(注4)傍注

「甲州勝山城二今川勢二千余人篭国人別心故宗長嘆行

正月廿八目ヨリ正月二目こイタリ和談相済帰国」(栄)とす。

(注

5)頭注

「頓阿切開阿切-テ尺八ノ名物ナリ

7ヨ切ノ尺八也」

(塞)とある。

(注6)頭注

「今川病気故清法印ヲ招請」(栄)とある。二

(注7)以下二行脱落あり。岩波文庫

FtTが長日記』所収

「宗長手

記」により補うと、次のようになる。

興津横山の城にて清見か関のちかき所也

春の雲のよこ山しるしなみの上

(注8)上旬な-、

1行空自にして記す。岩波文庫

冒ホ長日記』

所収

「宗長手記」により補うと、次のようになる。

あふたひにきよの中山なかたちも

(注9)傍注

「統秋系図ニハ信秋トモ有従四位下雅楽頭豊原信秋法

名道岨隠岐守龍秋

一男清秋孫也」(栄)とある。

付記

尚、書誌については天理大学附属天理図書館司書金子和正

氏、同岸本真実氏のご指導を賜わった。記して謝意を表する。

追記

『天理大学学報第百九十二輯』掲載

〔宗長撰の句集

『老耳』

に就いて〕の訂正。二頁上段八行目

「図書館1天理図書館」七頁

下段三行目

「二周忌1三回忌」十四頁下段二行目

「紹喜1紹借」