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月と鏡はともに他者の像を反映するという点で相似の機能を持ち,しばしば無意識世界を象 徴するのに用いられるという点でも互いに相似ないし隣接の役割を持つ。両者は地上の現実世 界を反映すると同時に,異次元世界へと人を誘う扉でもあり,我々のなじみ深い世界にぽっか り空いた未知の世界,夢の世界への入り口である。そのためか西洋の文芸には鏡があまた描か れる。フランドルの画家ヤン・ファン・エイクの描いた有名な『アルノルフィーニ夫妻像』は, 室内に立つ夫妻の背後に掛かる凸面鏡が室内の様子を映し出すという「紋中紋」の手法で描か れており,制約された空間内に世界観を描く絵画にふさわしい道具となっている (1) 。またマ ネの描く『フォリー・ベルジェールの酒場』のように,不自然な角度でバーメイドの背後に紳 士が映り込む鏡もある。凸面鏡はそれ自体がすでに,現実をありのままに反映していないとい う意味で「不実な鏡」であるが,現代の平面鏡をも画家はこのようにある意図をもって扱う。 その意味では,平面鏡もまた不実な鏡である (2) 鏡は左右が逆に映る(ように見える)ことから,文学や童話作品においても,現実とは逆の 倒錯した世界の象徴として,しばしば印象的な仕方で登場する。鏡の虜となってひがな自らの 容姿を映して楽しむ白雪姫の邪悪な女王や,空間だけでなく時間的にもあべこべの迷宮たる鏡 の世界に入り込むアリス,物語世界の勇者アトレイユが覗く鏡に映し出される読者の少年バス チアンなど,鏡の持つ魔力に振り回される人間を描いたものは枚挙にいとまがない。 月もまた太陽の光を反射して輝く天の鏡であり,月の影は地球の影であることから,地上の 研究ノート 月と鏡に関する東西考 秋の夜の鏡と見ゆる月影は昔の空を写すなりけり 藤原定家 〔要 旨〕 月と鏡はともに他者の像を反映するという相似の機能を担い,心理的にも互 いに隣接する観念である。両者は地上の現実世界の反映であると同時に,異次元世界へ と人を誘う扉でもあり,我々のなじみ深い世界にぽっかり空いた未知の世界,夢の世界 への入り口である。しばしば絵画や文学作品の主題ともなり,重要な場面に欠かせない 道具ともなる月と鏡であるが,これらは偶然というより,見かけの相似以上のつながり があるのではないだろうか。西洋とわが国の文学作品を比較した時,その結びつきはよ り明らかになるが,東西の違いもまた浮かび上がる。月は西洋では不吉な事件の前兆と なることが多く,日本では異界への入り口の象徴になることが多い。また鏡は西洋では 現実の真実を現すのに使われ,日本では裏面の真実が語られる。 〔キーワード〕 比較文学,不吉な月,不実な鏡,他者,異界 113

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月と鏡はともに他者の像を反映するという点で相似の機能を持ち,しばしば無意識世界を象徴するのに用いられるという点でも互いに相似ないし隣接の役割を持つ。両者は地上の現実世界を反映すると同時に,異次元世界へと人を誘う扉でもあり,我々のなじみ深い世界にぽっかり空いた未知の世界,夢の世界への入り口である。そのためか西洋の文芸には鏡があまた描かれる。フランドルの画家ヤン・ファン・エイクの描いた有名な『アルノルフィーニ夫妻像』は,室内に立つ夫妻の背後に掛かる凸面鏡が室内の様子を映し出すという「紋中紋」の手法で描かれており,制約された空間内に世界観を描く絵画にふさわしい道具となっている(1)。またマネの描く『フォリー・ベルジェールの酒場』のように,不自然な角度でバーメイドの背後に紳士が映り込む鏡もある。凸面鏡はそれ自体がすでに,現実をありのままに反映していないという意味で「不実な鏡」であるが,現代の平面鏡をも画家はこのようにある意図をもって扱う。その意味では,平面鏡もまた不実な鏡である(2)。鏡は左右が逆に映る(ように見える)ことから,文学や童話作品においても,現実とは逆の

倒錯した世界の象徴として,しばしば印象的な仕方で登場する。鏡の虜となってひがな自らの容姿を映して楽しむ白雪姫の邪悪な女王や,空間だけでなく時間的にもあべこべの迷宮たる鏡の世界に入り込むアリス,物語世界の勇者アトレイユが覗く鏡に映し出される読者の少年バスチアンなど,鏡の持つ魔力に振り回される人間を描いたものは枚挙にいとまがない。月もまた太陽の光を反射して輝く天の鏡であり,月の影は地球の影であることから,地上の

研究ノート

月と鏡に関する東西考

秋の夜の鏡と見ゆる月影は昔の空を写すなりけり藤原定家

〔要 旨〕 月と鏡はともに他者の像を反映するという相似の機能を担い,心理的にも互いに隣接する観念である。両者は地上の現実世界の反映であると同時に,異次元世界へと人を誘う扉でもあり,我々のなじみ深い世界にぽっかり空いた未知の世界,夢の世界への入り口である。しばしば絵画や文学作品の主題ともなり,重要な場面に欠かせない道具ともなる月と鏡であるが,これらは偶然というより,見かけの相似以上のつながりがあるのではないだろうか。西洋とわが国の文学作品を比較した時,その結びつきはより明らかになるが,東西の違いもまた浮かび上がる。月は西洋では不吉な事件の前兆となることが多く,日本では異界への入り口の象徴になることが多い。また鏡は西洋では現実の真実を現すのに使われ,日本では裏面の真実が語られる。

〔キーワード〕 比較文学,不吉な月,不実な鏡,他者,異界

中 村 久 美

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様子を反映すると考えられ,特に血のように赤く見える時は地上に動乱が起こる前触れともされてきた。ワイルドの『サロメ』では,月は暗雲漂う地上の様子を反映するとともに,少女サロメの冷酷,無情,移り気の表徴ともなっており,月がいわば無意識ないし下意識の象徴の役割も果たしている。『ロミオとジュリエット』において,ロミオがジュリエットへの愛を誓うのに,まず月に誓おうとして制される場面もまた忘れがたい。月は夜ごとに変わるその姿から,男性にとって理解しがたい女性の象徴ともなっている。イェイツの『幻想録』では人間の(無)意識の象徴であるとともに奇跡と異界を司る超自然の象徴でもある。このように西洋ではしばしば文学作品の主題ともなり,重要な場面に欠かせない道具ともな

る月と鏡であるが,これらは偶然というより,見かけの相似以上のつながりがあるのではないだろうか。そしてそれがもし人間存在一般の意識形態としてあるのであれば,わが国の文学作品と比較対照してみることで,その結びつきはより明らかになってくるだろう。

1.月のロマンス

月は古来洋の東西で神秘的なものとして崇められてきた。その夜ごとに変わる姿は便利なカレンダーとして太陰暦の基本となったが,太陽が毎日同じように東から上っては西に沈むのに比べて,月の出は毎日50分ずつ遅れ,夜ごとに膨らんでいき,満月を過ぎると今度は夜ごとにやせていき,やがて見えなくなってしまう。月はその公転軌道が楕円であり,地球の自転運動との関係から,新月から満月までは毎月正確に15日ではなく,14日や16日のこともあり,まさに人の心のように気まぐれな天体である。太陽暦以前の西洋の暦,例えば古代ローマでは毎月を30日と定めて,年末を20日ほどとり祝祭の期間とするなど,何とか一年を365日にして月の運行と季節を一致させる工夫が凝らされた。シーザーの時代には30日の月と31日の月を配してバランスをとり,一方日本では29日の月と30日の月を交互に配し,数年に一度30日を足す閏月を採用して各月の十五夜が満月に近くなるよう工夫が凝らされた(3)。観世流謡曲『羽衣』では月には白衣と黒衣の乙女が15人ずついて,一人ずつ順番に舞を踊る

と語られる。

地「白衣黒衣の天人の。数を三五に分つて。一月夜々の天少女。奉仕を定め役をなすシテ「我も數ある天少女地「月の桂の身を分けて。假に東の駿河舞。世に傳へたる曲とかや(4)

作中では残念ながら月の宮殿の様子は詳しく語られることはなく,舞台で舞が舞われるのみが び

なのだが,月には美しい天女が住むという中国の娥媚伝説を踏襲するとともに,月の周期は約29.5日であるという観察的事実を詩的に表現しているのは興味深い。またこの舞が舞われるうちに,この地上も天上さながらの美しい光景となったこと,天と地の隔たりがないこと,太陽神を崇める日本では月もまた曇りなく照ることが語られる。かぐや姫はこのような美しくも神秘的な世界からやってきて竹の中に生まれ,わずか三ヶ月

の間に美しい娘に成長して数々の求婚を三年間断り続けた挙げ句に中秋の名月,八月十五夜の晩に迎えに連れられて帰って行ったということだが,ここでは月は地上での誕生から成長,そして死という人の一生のサイクルを端的に象徴するモチーフとなるとともに,かぐや姫のこの世離れした清らかさ,わがままや気まぐれをも象徴している。このあたりは,現存する最古の写本の『竹取物語』(天理大学付属図書館蔵)に見られるような,求婚者たちが唐や天竺など

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外国にしかない秘宝を持ち帰るように命じられる求婚難題譚にも如実に表れている。西洋の物語ではおなじみの求婚難題譚は,実は『今昔物語集』のようなより古い年代の日本の説話にはないタイプのエピソードであるという(5)。外来の思想を含む複数の要素を破綻なく日本古来の物語にまとめあげるその知識と力量から,現存の物語の作者は紀貫之であろうと推定されているが,月がこの世と対比される汚れなき世界でありながら,その汚れなき世界においてなお罪が犯されて地上へ追放されるという設定は,作者の仏教的世界観を反映しているようである。天界道をも含む六道における幾多の輪廻転生を経て涅槃に至るという仏教の世界観では,天

界の人とて完全ではなく,この世の人として人間道に生まれ変わらなければならないのである。仏教用語でいう真如の月ないし仏性の月とは,人としての完成を月が満ちるさまに例えた表現であるが,釈迦如来が陰暦2月15日,満月の夜に入滅したことにちなんで西行がそれにあやかった歌―例のきさらぎの望月の歌―を書いた満月とは,飽くまでもこの世での完成に過ぎないというのである。紫式部はこの紀貫之の手になる『竹取物語』をそもそもの物語の祖といって激賞し,石山寺に上る月を眺めて『源氏物語』の明石・須磨の巻の着想を得たというが,なるほど光源氏とはかぐや姫の男性版なのかもしれない。紫式部は満月を眺めて光輝く源氏の君の着想を得たのだが,上田秋成はおもに有明の月を眺

めて『雨月物語』をものした。タイトル通り,物の怪の類いが現れる場面では雨か月の描写があるが,月はたいてい有明の月(下弦の月)となっている。雪月花として称えられてきた満月では明るすぎて怪奇事件の起こる場面にふさわしくないこともあるが,満月は人として完成した様子に例えられることから,魔性の者の出現する夜によりふさわしい描写として有明の月が頻出する。小泉八雲の耳なし芳一の原型とも見える「吉備津の釜」でも,溝口健二が後に映画に仕立てた「浅茅が宿」でも,事件の起こるのは暗夜であり,月は事件の後に昇ってきて有明の空にぽっかりと浮かぶのである。月と怪事件と言えば,皆既日食及び皆既月食といった天体現象がある。『古事記』や『日本

書紀』ではアマテラスオオミカミが岩戸に隠れたとの記述が見られるが,卑弥呼の時代に実際に皆既日食があり,卑弥呼は日食が起こったことの責任を追求されて殺されたと見られることから,アマテラスとは卑弥呼を神話化したものだとの説がある(6)。同じような話は古代中国にも見え,日食の予知に失敗した神官がその責任を追求されて処刑されたという。『アングロ=サクソン年代記』にも日食と王の治世の終わりを結びつける記述があり,王権神授説にとって太陽が隠れることは洋の東西を問わず由々しき問題であったことが窺われる(7)。1999年のトルコの大地震の直前にも皆既日食が観測され,実際に皆既日食が天変地異の前触れとなることが多いのは,新月の時には太陽と月が地球の片側に並び,引力が最大になるため,大地震を引き起こしやすいからである。太陽神を皇室の祖先とする日本ではことさら皆既日食は忌むべき事態であった。そのため宮

中には天文の専門家たちがおり,彼らは暦を計算作成して次の日食を予測するのが仕事であった。日本列島は細長いため皆既日食は稀であったが,平安時代には日食が予想される場合は天皇はむろで覆った室内に籠り,官吏も出廷を中止したこと,この日実際に日食が起きたことなどが日記に綴られている(8)。また奈良時代の終わりまでには道教の知識を活かした陰陽道が発達し,陰陽寮という天文観測所が置かれた。陰陽師たちの時代には月が海水だけでなく地殻にも潮汐力を及ぼして地震を起こしたり,昼日中に太陽を遮って日食の原因となることを知っていたようだ(9)。月の28相が知られるようになり,日食の周期もおおよそ計算できるようにはなっても,月と地球の自転公転の関係で,コンピューターのない時代には全く月の見えない

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完全な新月の瞬間を見定めるのは難しく,月が最初に人の目に映る姿である三日月を基準に暦を作成した。そのため古くは新月とは三日月のことであり,また月の見えないはずの朔日に月が見えることもあったという(10)。とまれ新月,今で言う三日月は地球照(地球からの反射光)によって欠けた部分もうっすら

丸く見えるため,古い月が新しい月として再生するという考えが生まれた。コールリッジもその詩の中で「古い月に抱かれた新月」と言及しているが,満ちては欠け,欠けては満ちる月はやがて永遠の生命の象徴となり,古代中国では月には仙人(一説にはうさぎと蛙)が住み,桂の木の下,不死不老の霊薬を杵でついて作っているという伝説が生まれた。また古書に曰く,

ようすい

方諸または鑑という器で得た月の水を明水と呼び,陽燧という道具で太陽光を集めておこした明火とともに,永遠の生命を願って死者に捧げたという(11)。月の水は不老不死の霊薬であるという考えは日本でも「月のをち水」(月の変若水)という表現となって万葉集などの古歌に散見される。

天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て君に奉りて をちえてしかも(12)

をち水とは若返りの水のことであり,この歌は月神の持つ若返りの水を君に贈ったところ効果がてきめんであったことを歌ったものという。三日月は陰暦では文字通り三日の夜に出る月であり,月という漢字の元となった形でもある

が,日本近辺の緯度では太陽とともに出て日没後短時間で没してしまうため,見つけるのにはこつがいる。気づいた時には地平線近くにあり,一句ひねる前に没してしまうだろう。そのためか古来日本の歌に歌われるものは三日の夜に出る三日月ではなく,二十六夜の逆三日月である。男性同士集まって二十六夜の月の出を待つ六夜祭という風習のある地域が今もあるというが,奈良県天理市でも月次祭は毎月26日である。万葉集にある柿本人麿の歌にある月は,明け方に西の空に出ているが,地球の自転と月の公

転周期の関係で太陽と月が同時に見える時の月は満月か逆三日月に限られる。この月の相は満月であろうか,それとも逆三日月であろうか。

ひむがし かぎろひ かたぶ

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ

月が明け方まで出ない闇夜のロマンスであったのか,満月の煌煌と照る中,雅な音楽でも奏でて風流なロマンスを楽しんだのか。月が傾いているという表現からすると,逆三日月がふさわしいようにも思われるが,一晩中天にかかっていた満月がすっかり夜も更けて地平線近くに移動してしまったともとれる。満月のロマンスとすれば,さぞや忘れがたい夜であったことだろう。東に太陽,西に月が同時に見られるという状況は,『古事記』にも見られる。黄泉の国から

逃げ帰ったイザナギが禊をした時,左の目から太陽が,右の目からは月が生じたとされる(13)。イザナギが冥界から逃げ帰っていることを考慮すると,この時の月は満月ではなく,半ば目を閉じた形の逆三日月の方がしっくりくる。三種の神器のひとつ勾玉も,三日月形であり,太陽を象徴する鏡や権力の象徴としての剣と対比させる場合,やはり月は真円でなくクレッセント形がふさわしい。

116 天理大学学報 第66巻第2号

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だがもし勾玉が本当に月を象徴し,両者が同時に見られたとする『古事記』の記述に基づいて理解するのであれば,勾玉の正しい向きはコンマ形すなわち三日月形ではなく,逆三日月形でなければならないだろう。博物館などによくある古代の埴輪を観察すると,勾玉は動物の牙のようにたくさん並べてつけており,向きも先端の尖った部分が外側に来るように並んでいて,勾玉の首飾りは本来は首回りを保護するための実用的な役割を持つものであったと考えられる。現在では主に単独かつ三日月の向きに使用されているのは,どちらかというと陰陽を表した太極を思い起こさせるためのものなのだろう。いつのまにかその見かけの姿が変わるという点にかけては,勾玉の歴史もまた月の諸相の変化に似ていると言わざるを得ない。さて今年(2014年)は171年ぶりに後の十三夜も見られるということだが,満月の十五夜だ

けでなく,満月直前の十三夜を愛でることにはどんな意味があるのだろうか。日本で十三夜を愛でる風習は宇多天皇がその日記『寛平御記』において,十三夜の月を「無

双の月」と呼んだことに端を発し,延喜十九年(西暦九一九年)九月十三日,子の醍醐天皇が催した月見の宴が広まったものとされる。九月十三夜は八月十五夜の中秋の名月の後の月見の意味で後の月見とも呼ばれ,少し欠けた月の形状が季節のお供え物の形状に似ていることもあり栗名月,ないし豆名月として広まった。西洋でも旧暦九月十三夜頃の月をHunter’s moonといってHarvest moonとともに秋の月の美しさ自体は愛でるのだが,ただしこちらは欠けるところのない満月である。宇多天皇は十三夜に何か将来への夢や可能性を見たのだろうか。同じ月相であっても月の出の時刻や月の高度は毎月異なる。まだ残暑の残る中秋の名月の頃

に比べて,秋の深まった九月十三夜の時期は日没の時間が早まっているため月は比較的長い時間空に出ており,また色も煌々と白く照り輝く。木々の梢にはちらほらと紅葉も見え始め,衣替えなどして冬支度を始める頃であり,中秋の丸く黄色い名月に比べて落ち着いた風情があり,また完全無欠,均整のとれた満月に比べ,左右が非対称でこれから満ちて行く十三夜の方が若々しさを感じさせるとは言える。樋口一葉が不幸な若奥様とさらに不幸な幼なじみの転落を描いた短篇『十三夜』も,単に人生には欠けたところがあるものだという感慨をこめて十三夜としただけでなく,あるいは今後の状況の好転を暗にほのめかしているのかもしれない。村上春樹の『1Q84』では月が二つある世界が描かれ,緑色の小さないびつな月は無意識の

世界,通常の黄色い丸い月は意識の世界を象徴するとともに,それぞれ青豆と天吾の隠喩にもなっているが,これが中秋の名月と豆名月を並べてみせたようであるのは,日本的感性のなせるものと思われる。青豆を象徴する緑色の豆名月は1Q84年という架空の時空世界でのその象徴性を強調し,結末で黄色い満月(=天吾)に統合されるのは,ハードボイルド小説から抜け出たかのような,感性の足りないところのある青豆の人としての完成を象徴していると言える。かぐや姫や天女が満月で象徴されるのが中国の影響であるとすると,満月が男性に例えられるあたりは『古事記』の月を男性神とする信仰を彷彿とさせる。村上における英米文学の影響はしばしば指摘されるが,外国人読者からは村上春樹は大変日本的な作家だと思われている理由は,こんなところにもあるのかもしれない(14)。このように日本では人格の完成を表現することが多い満月であるが,西洋では満月の夜は凶

事や天変地異の起こる夜であった。ジュリアス・シーザーが殺されたのも3月のイードゥス(ides),すなわち満月のことであったと伝えられる。古代ローマでは毎月1日をカレンドゥス,15日をイードゥスと呼んだが,これは太陰暦であったため新月と満月の日を特別にこのように名付けて目印とし,間にノーネスを置いて毎月カレンドゥスから何日め,ノーネスから何日め,イードゥスから何日めというようにして数えた。それぞれほぼ新月,上弦の月,満月に

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あたるが,厳密には月の運行とずれていた。ただしシーザーは暗殺される前年の紀元前45年にエジプトで採用されていた太陽暦を導入したユリウス暦を制定し,この年の新年1月1日を冬至直後の新月の日に定めた。ユリウス暦は1年が365日で4年に一度閏日を挿入するなど現行のグレゴリオ太陽暦とほぼ同じであり,新月を1月1日として始まったユリウス暦では翌年の紀元前44年3月15日,シーザー暗殺当夜には実際に満月であったと思われる。このような満月の不吉さについてはシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』でも繰り返し言及される。またオスカー・ワイルドは『サロメ』において洗礼者ヨハネが殺害されるシーンで月の様相

と地上の異変の照応関係をドラマチックに描いた。サロメと月についての詳細は他所で論じたたためここでは立ち入らないが,時に冷酷な美しさをたたえ,時に不気味な血の色に染まる月はまさにサロメの心象そのものの象徴となっている(15)。西洋では月は狩猟の処女神アルテミスとして夜空に君臨し,エンディミオンに永遠の生命を

与えるべく,永遠の眠りにつかせてしまったことで知られるように,誕生と再生を繰り返す月と不老不死の連想は洋の東西に共通の思想である。月は主に純潔と孤高と無情の象徴であったが,時にはまたその不老不死との連想から魔性のシンボルともされた。ゲーテの『ファウスト』に登場する,満月の夜に魔女がほうきに乗って空を飛ぶというワルプルギスとは,古代よりベルテーンとして祝われてきた五月祭の前夜祭であるが,本来ベルテーン(Beltaine)とはケルト語で白い火もしくは輝く火の意味であり,五月祭に欠かせない行事として家畜を二本のかがり火の間に通してその無病息災を願うのに使われたという(16)。古代のドルイド暦において一年の始まりであった11月1日のサワンは必ず新月であったが,五月祭にはそのような意味付けはなく,春分と夏至の中間に置かれた季節を示す目印に過ぎなかったようである。作中メフィストフェレスは孤高の月は暗すぎて鬼火の灯りが必要だと述べ,それを受けて精霊が月は空からかき消えてしまったと言うが,これは皆既月食の描写ともとれる。皆既月食の時,しばしば月がまず赤黒くなり欠けてゆく様子が観察されるが,ゲーテもまたこの観測事実を用いたのであろう。古くは聖書にも記述され,近くは阪神大震災の前夜にも見られた赤い満月は,実際に大地震

の予兆であることがある。これは厳密には大地震の前には地中でのプレート岩盤破壊に至る応力が大気中のイオンを増加させ,大気中のちりが多い状態となって光を拡散させるからだという。東日本大震災の時にはイオン増加の様子が鮮明な画像として公開された(17)。このような時,夜空は赤く,また月も不穏な色に見える(ただし3.11では上弦の月であり赤い満月とはならなかった)。天地照応という考えはただの迷信などではなく,まさに地上の現実が鏡に映るが如く天体に反映されるという事実を述べたものであることが知られる。不気味なのはもちろん満月だけではない。コールリッジの『老水夫行』では悪夢のような体

験のハイライトとして,三日月の陰の部分に星が見られたと歌われる。

The stars were dim, and thick the night,

The steersman’s face by his lamp gleamed white ;

From the sails the dew did drip―Till clomb above the eastern bar

The hornèd Moon, with one bright star

Within the nether tip.

118 天理大学学報 第66巻第2号

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One after one, by the star−dogged Moon,

Too quick for groan or sigh,

Each turned his face with a ghastly pang,

And cursed me with his eye(18).

本来陰となっている部分も月の表面であるから,三日月の裏側が透けて星が見えることはあり得ないのだが,それにも関わらず暗い部分に星が見えるとなると,これはもう老水夫の悪夢を語る上で大変効果的である。とともに,意外にも実際に見られる光景でもある。たまたま月の前を横切った金星が,満月では月が明る過ぎてかき消されてしまうが,暗い三日月の時には見る事ができたという経験を基にして書いたものと推定される。太陽から見て地球より内側の軌道を回る内惑星である水星と金星は,このように思わぬいたずらをすることがあるが,普段は見えない星が三日月の時には見られることから,自然に親しんだロマン派詩人はこれを特別意義深いものと認識していたのだろう。月と露のしずくという,日本の月のをちみずを思わせる組み合わせもあるが,ただし永遠の生命とはいってもここでは死を暗示している。このように西洋では月は満月でも三日月でも不気味な物語の背景道具として登場することが

多いのだが,もちろん西洋には名月もないことはない。中でもシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は有名である。作中ロミオが月に誠実を誓おうとしてジュリエットに制されるが,この時の月は8月1日の Lammas祭直前の真夜中に見られることから,間違いなく満月であると同定される(19)。半月や三日月ではそもそも誓う対象に値しないと思われるが,東に太陽が出たかと思ったらそれはジュリエットであり,月もその輝きの前に色あせるとされることから,時刻は明け方近く,満月が没しようとする頃と推測される(20)。まさに,「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」という和歌と同じシチュエーションであろうか。『ジュリアス・シーザー』でまだイードゥスは終わっていないと繰り返される三月の満月と

いい,ラマス祭直前の満月といい,このようにきちんと月の見られる時間と実際の月の様子が合っているのは,シェイクスピアもまた自然観察者として優れていたことを示唆している。シーザーも若い恋人たちも,月の満ち欠けのように波乱万丈の生を送った末に残酷な運命に見捨てられる。前述のワイルドと同じアイルランド出身で後輩のWBイェイツには,塔と月,猫と月,踊り

子と月といったものをテーマとする印象派風の詩が多いが,猫の眼のように,またはくるくる回る踊り子のように目まぐるしく表情の変わる月の描写が多い。彼が詩の霊感の泉としていたのはバリリーの塔に昇る月である。ノルマン様式のがっしりした要塞風の古城であるバリリーは白鳥で有名なクール荘園の中にあり,視界を遮るものとてない自然のただ中で都会の光害から離れて闇夜を照らす月の様子は,猫でなくとも目を見張るものがある。猫の瞳のように太く丸くなったり細くやせたりするさまはまた移り気な女性のイメージともつながり,「狂った月」では月はあまりに数多く出産をしたために狂ったとされ,そのイメージはやがて子供の代わりに石を抱く石女へと変化する(21)。さらに,「内戦時における瞑想」で佐藤という武士の末裔から贈られた宝刀は new moon(三日月)のように反っており,月の永遠の生命のように伝家の宝刀が代々受け継がれるさまを表している(22)。『源氏物語』を元にした謡曲『葵の上』に霊感を得て書かれた劇『エマーの唯一の嫉妬』で

は,比類なき美女エーニャは月の第十五相(満月)に属し,人間の感情を持たない存在として描かれる。これはキーツの『エンディミオン』を始めとする冷酷無比な月という西洋の伝統の

月と鏡に関する東西考 119

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影響であると同時に,日本のかぐや姫もまた想起させて興味深い。またシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』とワイルドの『サロメ』に影響されて書いた同工異曲の二つの戯曲『三月の満月』と『大時計塔の王』において,月にさらに特別な役割を担わせ,天地照応のロマン主義と現代の無機質な機械主義とを対立させた。さらに月の28相を発達心理学や円環史観,占星術などと結びつけて研究し,『幻想録』をものしてもいる。基本的に永劫の循環を繰り返す月のサイクルの中で,イェイツが満月直前の第13相を特別な奇跡の起こり得る相としているのは,日本の十三夜を想起させて興味深い(23)。日本に三度も招聘される機会がありながら,ついに来日を果たすことがなかったイェイツだが,どこまで日本の風習や伝説を知っていたのかについては,今後研究の余地があるところである。余談だが,南半球では北半球とは月の見かけの姿が鏡に映したように反対であり,北半球で

上弦の月の時,南では下弦の月であるし,北で逆三日月の時,南では三日月である。古代中国がもし南半球にあったなら,月という漢字は逆向きになっていただろう。また英語の「月の男」(the man on the moon)とは,日本ではウサギが餅つきをしているとされる部分が人の顔に見えることから生じた表現であるが,これも南半球では逆さまから見ることになるので,ウサギや人の顔ではなく,カニに見えるという。南半球の作家の作品に月やその満ち欠けがどのように描かれているのかは気になる点である。

2.鏡の物語

日本では月はもっぱら水鏡にその姿を映して楽しんだが,月と水と鏡の組み合わせは,古代かん すい

中国の言い伝えからきているようである。前述のように中国では鏡には鑑と燧の2種類があり,ひとつは陽燧といって太陽光を反射・集光させて火を得るもの,もうひとつは方諸または鑑といって氷を盛って食物を冷やしたり,月の水をとったりするための器だったという。このようにして得られた明火と明水を玄酒(黒い水)とともに祭祀に用いた。

よ み

月と夜と黄泉とは『古事記』においても関連づけられているが,黄泉とはあるいは月を宿した水鏡だから黄色い泉なのかもしれない。漢語の黄泉は地下にあるとされる死者の国の意で,

黄は五行思想で土を表すとのことだが,黄泉を日本語で「よみ」という時,それは既にして夜み つくよみ

見あるいは月読と不可分となり,月とは切っても切れない関係となる。とまれ月のをち水は夜のうちに月影を宿す聖なる泉に降るとされた。それを汲むための容器が前出の鑑または方諸であるが,古鏡に稀に方形のものがあるのは,もとは月のをち水を汲むためのものであったのかもしれない。方形の鏡は中国の唐に多く,日本には大変稀なのであるが,日本では天上が円,地上が方とする道教の考え方がよく理解されず,上円下方墳のはずがいつの間にか前方後円墳になっていったように,円鏡と一見同じように見える方鏡も,その用途が分からずに廃れていったものらしい。鑑も陽燧も単に鏡としか理解されなかったのだろう(24)。だが,唐の書にははっきりとこのように書かれている。有陽燧,形如圓鏡,以取明火。陰鏡形如方鏡,以取明水。(火をとる陽燧というものがあって形は円鏡のようで,水をとる陰鏡は方鏡のような形状である(25)。)なお陽燧とはガラスまたは水晶製の凸レンズのことであるとする説もあるが,なるほど燧という漢字のつくりを見ると火はあっても金はない。また現在でも中国語では日本語と同じくガラス製の視力増強器具を眼鏡と呼ぶが,こちらも「鏡」の字はあれど実態はガラスレンズである。陽燧の燧とは玻璃のことであったのかもしれない(26)。古代日本で神聖視された鏡はほぼ100パーセント円形の銅鏡であり,鏡面はほぼ平面もしく

は微かに凸面をなすという(27)。岩戸の影に隠れたアマテラスオオミカミを誘い出すのに用い

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られた八咫の鏡も凸面鏡であったはずで,アマテラスは自分の全身が映るのを見て,何事かとに

驚いて出てきたのだろう。この時の白銅鏡は後年天孫降臨の際にツクヨミノミコトの八尺邇の勾玉,スサノオノミコトの天の叢雲の剣とともにニニギノミコトに授けられ,現在は伊勢神宮にご神体として祀られているとのことである(28)。この伝世鏡は直径40センチほどの円鏡だそうだが,平面鏡に全身を映すためには鏡との距離に関係なくその人の身長の半分の大きさが必要であるため,40センチの平面鏡に全身が映るとすると,その人の身長はわずかに80センチということになってしまう。上半身を映すだけなら直径40センチの平面鏡でも用は足りるのだが,ここはやはり全身を映した凸面鏡であったと解釈したい。古事記の鏡に映る神はくまなく世界を照らす善であるが,アマテラス同様に自分の姿を見て

驚いた西洋の神はその醜い姿により人を石に変える怪物メデューサであった。こちらも自らの姿を見たのは凸面鏡においてであったと思われるが,腕力に秀でた武将が掲げる鏡は盾ほどもある平面鏡であった可能性もある。ナルキッソスをついには死に至らしめた水鏡といい,メドゥーサ退治の鏡といい,どうも古代西洋の鏡には月の冷酷さにも似た邪悪さが映し出されることが多いようである。また日本の鏡には心という目に見えないものが映るとされる。各地の神社にある人の心を映

すとされる鏡や,人の生前の罪業を映すという地獄の魔鏡「浄玻璃鏡」などである。逆に西洋の悪魔やドラキュラ,吸血鬼は魂のない存在であるために鏡に映らないとされる(29)。もっともヴィム・ヴェンダース監督の映画『ベルリン・天使の詩』では人の目にはそれと分からない天使の翼のある姿が鏡に映るので,魂は実体であるために鏡に映し出されるという点では東西で一致しているとも言える。善悪どちらの魂のありようがよりインパクトを与えたのかを考察することは,その時代・文化の特徴を知る手がかりになるであろう。日本の中世を見てみると,アマテラスのまばゆいばかりの姿を映した鏡とはかなり違うもの

が映し出された模様である。日本文学で鏡と言えば平安・室町時代の大鏡,今鏡,水鏡,増鏡の四鏡が思い出されるが,このうち最初に書かれた大鏡は他の鏡ものとは違ってただの歴史ものではなく,人間の権某術策を暴きだしたものであり,「藤原兼通・兼家兄弟の権力争いや藤原道兼が花山天皇を欺いて出家させる場面では権力者の個性的な人物像や謀略が活写されており特に圧巻である。そこには飽くなき権力欲への皮肉も垣間見える」ものだという(30)。単に時代を映すシュピーゲルであるというより,閻魔王の持つとされる魔鏡のように悪を映し出し審判を下す機能を持たせている点,また中国の史書と異なり,「鏡」の文字を用いて歴史「書」ではなく歴史「文学」の観を呈している点は日本独自の感性を表していて興味深い。その頃西洋ではチョーサーが『カンタベリー物語』をものしていたが,その中の「騎士の従

者の話」では,ダッタンの王カムブスカンの在位20年を祝って,ある騎士が四つの不思議な品物を献上したと語られるが,その中に敵味方を識別することができ,特に若い女性が見ると夫の裏切りを見通すことができるガラスの鏡というのがある(31)。騎士の従者の話はこれらがどのように活用されたかを語るはずであった肝心の第三部が語られずじまいなため,この鏡の持つ意義と使用法は推測するよりないが,語られた部分から見る限り,どうやら王の娘カナケーの将来の夫にふさわしくない人物を判別して幸福な結婚へと導く手助けをするはずであったようである。現代でも,ハロウィーンの夜に少女が鏡を覗くと未来の夫の姿が映るとされるが,そのような民間信仰の原型となったのではないかと目される(32)。話の舞台がダッタンであり,贈り物はインドとアラビアの王からのものという設定になっていることも,この不思議な鏡が日本の魔鏡と通底するところがあるように感じられる原因である。ただし日本の鏡はまだ大分

月と鏡に関する東西考 121

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後の時代になるまで銅鏡であり,一方チョーサーの鏡は既にガラス製である。当時はまだ凸面鏡の時代ではあるが,このあたりから西洋における鏡の魔力は増していくようである。時代は下ってシェイクスピアが脚本を書いていた頃,それまでより飛躍的に精度の上がった

研磨ガラスを用いた望遠鏡が登場し,大航海時代が幕を開けたが,歪んだり曇ったりしていないシャープなガラス製平面鏡を自然に向けて掲げた結果ハムレットの目に映った真実とは,兄弟殺しと王位簒奪,醜い欲望と奸計であった。けだしハムレットの真実とはまさしく等身大かつ全体的視野に欠ける平面鏡的真実であり,いかに敵の奸計を見破ったつもりでいても,結局はクローディアスの策略の方が一枚上手であるのは,ハムレットが鏡に映る外界の夢幻のごとき虚像の解明にばかり気をとられ過ぎ,現実の人間とあい対峙することを怠ったからだというのは言い過ぎだろうか。ハムレットばかりか,ブルータスの眼も鏡の中の自己を見る用をなさず,カッシウスという他者の鏡が必要だと語られるが,自己の胸中を探る間もなく鏡を向けられ,シーザー暗殺を企てる一味に参加してしまう。ところがハムレットからさらに下ること200年,夢幻の光景を映しだす鏡はロマン派詩人た

ちが自らの内面を凝視するために用いられるようになる。その様子を評して,MHアブラムズはロマン派詩人たちは鏡の中をのぞきこんで自我にとりつかれ,後世の詩人たちは世を照らすランプとして行動したと指摘した(33)。周知のように文学のロマン主義はカントの観念論並びに絵画におけるロマン主義に触発されたのだが,クロード・ロランを始めとする当時の画壇の寵児たちは,肉眼で見た実際の自然の風景ではなく,携帯用の鏡に映った景色をカンヴァスに写し取ったのである。クロード・グラスと名付けられた小型の凸面鏡はガラス面が赤や青に着色され,風景に味わいを与えていたという。柔らかい色彩,淡い光,きれいに額縁に収まる絵画。風流な景色や趣のある廃墟を主題とした,現実の風景でありながら夢の光景のような画風はこうして完成した(34)。カントによれば現実への眼差しとはあくまで主体の主観的な眼差しに過ぎず,どのようにしても超越的な客観は人間には不可能なのだが,文学におけるロマン主義とはそのような色付きのサングラスを通して見るような世界をよしとする風潮であった。むしろ,そのような自己の投影を積極的に行った。鏡を覗き込むようにして得られた自己の内面のイメージとはしかし,泡立つ海に開いた魔法の窓の中のつれなき美女であり,蛇女であり,贖罪の老水夫であった。鏡の中の迷宮は不思議に月夜の似合うものたちで満ち満ちており,やがてアリス的倒錯世界へとつながっていく。鏡はさらに他の鏡と組み合わされて,際限なく虚像が再現されていくとともに,現実世界との接点を失っていく。鏡の中の虚像が現実と入れ替わり,鏡の世界の方が真実と思われた時,まだ自分の手足が思うように動かせない幼児が自己の姿を先取りして驚喜するように,鏡像的自己に満足して想像界の住人となり,やがてはジョイスの如く鏡を粉々に砕き,文学を終焉へと導く。翻ってわが日本では,鏡の製法の発達した近世以降はおもに女性の化粧道具となり,かつて

のように鏡を魔力を持つものとして扱った文学作品は消失してしまう。実用品に成り下がってしまったものが文学的主題にならなくとも特に不思議ではないが,西洋ではナルキッソスの水鏡以来大変ポピュラーな文学的主題であり,鏡そのものの普及とともに広く人口に膾炙し,かつはラカンの鏡像段階論のような重要な理論まで生んだのである。それだけに,自己や他者を映す鏡面ではなく裏面の彫刻の方に焦点が当てられる日本の文化との対比は際立つ。かつて鏡がどれほど重要な意味を持つ貴重品であったのかは,天皇陵や有力豪族の墳墓から

必ず鏡が出土するのでも分かる。男女問わず高貴な身分の者の副葬品にふさわしいからこそ,勾玉や剣,玉といった神聖な品々とともに墳墓に納められたのであろう。以後も鏡は長らく祭

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祀に用いられ,現在でも神社のご神体に納まっていることが多いが,日本の鏡で重要なのはいつも装飾のある背面の方である。日本製の鏡で鏡面に装飾のついたものはほぼ皆無であり,西洋のような見事な額縁のついた壁掛け鏡やデコラティブな手鏡もない。なぜ日本人は鏡面には殆ど無関心といってよいのに背面の模様にそれほどこだわったのか。長年筆者の抱いていた疑問は,今年1月,ついに解明された。3Dプリンターを用いて古代の鏡を精巧に復刻したところ,古代の銅鏡は背面の模様をそのまま壁などに映し出してみせる魔鏡だったことが確認された(35)。背面の文様がそのまま壁面などに照射されるからくりについては,金属鏡ゆえに背面の厚みの差が鏡面にわずかの凹凸を作ることによるという。このような鏡は中国古代の銅鏡においても見られ,透光鏡として知られているとの由(36)。柄がついて実用品となった江戸時代の鏡にも,魔鏡であるものが散見されるという。使用し

ない時には鏡面に覆いをかけて大事に扱ったのは,なるほどこのような意味があったのであろう。江戸川乱歩の『鏡地獄』や和久峻三の『鏡のなかの殺人者』に登場する魔鏡とは,背面の文様を投影する実在の魔鏡のことであったのだ。自らの容姿をとくと眺めて主観と客観について哲学したり,入射角と反射角を計算して自分

の背後や死角にあたるものを見たり,鏡をいくつも映し合わせて虚像と実像について思いめぐらすための西洋の鏡と,古来から現実の事物の反映ではなくその裏の真実を見通す力を授けるものであった日本の鏡。何が真実で何が不実なのかは鏡面を覗くことによってではなく,心を澄ますことによって知ることができるという伝説の鏡は,まさに鏡の裏の真実を表すものなのであった。夏目漱石の『薤露行』はアーサー王伝説に取材したテニスンの物語詩を漱石が自由に編訳し

たものとして知られるが,作中シャーロットの女は高台の一室に籠もり,外界は一切見ずに鏡に映った世界のみを見て暮らす。生身の現実よりも清く美しい鏡の中の世界のほうが彼女の機織りの題材としても好ましいからだが,ただ一度,凛々しい騎士ランスロットの姿を鏡の中に認めた時,女は現実の外界を見ようと窓から外を覗く。その時鏡は粉々に割れ,女の織っていた織物も千々に解けて女は息絶える。鏡の中の夢幻世界こそ女の命そのものであったのだという結末は,鏡には魂をもつ実在のものしか映らないという西洋的主題をそのまま踏襲したものであり,魂がなくなれば鏡も砕け散るよりない。ところが『夢十夜』の鏡の方は独特の東洋的印象を与えるものとなっている。作中主人公が

床屋の鏡に映る女の姿を確認しようと振り返って見ると,そこにはいたはずの女がいない,というごく短い話であるが,いない者の影が映るという鏡は,まさしく実像と虚像の科学的認識の正反対を地で行く日本文学的主題である。鏡の中の映像は蜃気楼にも似た虚像に過ぎないが,現実にも十の夢の中の一話であるので,いわば二重の虚像の話になっている。この女はラカンの言う女という徴候に過ぎず,主人公の無意識の心の動きが夢の鏡に映し出されたものであろうが,夢の中でさえ実在しない。文字通り夢のまた夢,虚無のまた虚無の存在なのである。実在のものの影を映すのが西洋の鏡であるとすると,心象という不在のものを映す『夢十夜』の鏡は,まさしく日本古来の魔鏡の復活したものである。村上春樹の『羊をめぐる冒険』にも,行方不明の友人の影が鏡の中に現れ,主人公に話しか

けるというシーンがあるが,こちらは漱石の鏡よりもはるかに積極的な,話しかける鏡だ。長い間行方不明であったことの顛末を語り,最後には自分が既に死亡していることを告げる鏡の中の像は,友人の亡霊なのである。サルトルの想像力論の中に不在の者を心に想起する時,いないはずの者は実際に目の前にいて動き回るように思われるので虚無は実在するというくだり

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があるが,村上の作品はこれを換骨奪胎したものであると言える。鏡の中の他者という発想自体が,すぐれてサルトル的な発想であるが,ここには既に,鏡の世界を異界への入り口とするアリスの不思議な鏡の影響も見てとれる。そもそも村上文学のテーマともいえる死者の属する異界は,イザナギノミコトが黄泉との往来を封じ込める岩を置いて閉じ込めてから,日本の純文学には存在しないものである。鏡の中に映る真実とは飽くまでも現実の自己もしくはせいぜい自己の内面なのであって,自己とは絶対的に異なる他者の影を宿すことはない(37)。もしも鏡に異界が映るとすれば,その鏡面はある角度をつけて置かれているからであり,ヴェラスケスの『ラス・メニナス』における鏡のように画面の中にない外側世界を眺めるためにはどうしても鏡面を他者に向けなければならないが,日本では『大鏡』以降,本来の鏡面を生かしたこのような機能は封印されてしまうようである。そしてよくよく検討してみると,村上作品には他者というものが存在せず,「僕」とその影だけが存在することに気づく。友人とは実は「僕」の影なのであり,鏡に映るのは「僕」の内面の真実なのだ。

結 論

月と鏡とは異界という観点から見ると同じような働きをすること,一方は凶事や悪夢のような真実をもくまなく照らし,無意識に光を当て,警鐘を鳴らす役目をし,他方は人の心の奥深く隠され容易には知られず語られない下意識を象徴することが理解される。月は日本では雪月花として人生においてよきものの象徴であるせいか月夜に怪奇事件は起きないようであるが,西洋では凶事を告げることが多い。ただし月が冷酷無比,感情喪失,移り気といったものの象徴とされる点は東西に共通しており,永遠の生命との連想もまた両者に見られ,人類の意識の奥底に共通して見られる欲望も垣間見られる。ところで人の手の届かない距離にある月とは違って鏡の方は人が使用する道具であるためか,その意味には東西で大きな違いが見られる。西洋の鏡は影に隠された部分を照らし,日本の鏡は不在の者の影を映す。角度をつけて斜めに置かれた西洋の鏡と,背面の文様が浮き上がる日本の鏡。両者を合わせてみれば,月の裏側の真実も映すことができよう。

註(1) リュシアン・デーレンバック著,野村秀夫・松澤和宏訳『鏡の物語 紋中紋手法とヌーヴォ

ー・ロマン』(東京:ありな書房,1996年)13―14頁によると,ジッドの用いた例のような,室外の様子が映り込むファン・エイクの鏡は厳密な意味で同一のものが繰り返される紋中紋ではないが,ここではジッドに倣い主題が繰り返されるという意味で用いる。

(2) ミシェル・テヴォー著,岡田温司・青山勝訳『不実なる鏡―絵画・ラカン・精神病』(東京:人文書院,1999年)は絵画に見る鏡とラカンの鏡像段階論についての傑出した考察であるが,21―22頁でベラスケスのタブロー『ラス・メニーナス』について触れ,鏡が絵画の担っていた「他者」の眼差しを隠喩化していること,「一方は他方の先取りである」とするメルロ=ポンティの考察を紹介した後,「私たちは鏡の前に再びわが身を置き,鏡のものとされる忠実さが本当にそこにあるのかどうか問いなおしてみる」必要があると述べる。ここではこのラカン的用法も含めて「不実」な鏡と呼ぶ。

(3) 志賀勝『月的生活:天の鏡「月と季節の暦」の時空』(東京:新曜社,2007年)より。(4) 世阿弥『羽衣』「謡曲百番」(日本文学叢書刊行会,1922年)国立国会図書館近代デジタルラ

イブラリー http : //kindai.ndl.go.jp/info : ndljp/pid/950238 2014年9月16日アクセス。

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(5) 阪倉篤義校訂『竹取物語』(東京:岩波文庫,2012年)解説による。(6) 戸矢学『ツクヨミ―秘された神』(東京:川出書房新社,2007年)120頁に,西暦247年の日食

と卑弥呼暗殺の関連が述べられている他,この時の日食をもとにアマテラスを卑弥呼の神格化と見る学者は多い。安本美典『真説邪馬台国 天照大御神は卑弥呼である』(東京:心交社,2009年)224頁では斉藤国治の学説を紹介している。なお『日本書紀』には推古天皇の崩御の直前(628年)にも日食があったと記されている。

(7) 『アングロ・サクソン年代記』には,1133年8月2日,ラマス祭翌日の日食は同年12月2日のヘンリー1世の崩御の予兆であったとする記述が見られる。‘King Henry went over the seaat Lammas ; on the second day that he lay asleep in the ship, the day darkened over all

the land, the sun became like a three−day−old moon, and there were stars around it at

mid−day. Men wondered greatly, and dreaded, and said that a great thing should come

thereafter ; so it did for that same year the king was dead, the second day after St

Andrew’s Day. Then the land was waste, for every man plundered it over who might.’ cf

Anne Savage編訳 The Anglo Saxon Chronicles (CLB Publishing Ltd). 斎藤尚生『有翼日輪の謎―太陽磁気圏と古代日食』(東京:中公新書,1982年)にはアッシリアなど外国での日食と王の交代の関わりも述べられている。

(8) 藤原実資『小右記』長元2年(1029年)8月1日の項による。御所を包み隠すことの理由は定かではないが,日食すなわち太陽の死は天皇の死であり,天皇を死者としたとする見方がある。

(9) 戸矢学『ツクヨミ―秘された神』(東京:河出書房,2012年)138頁によると,「著名な陰陽師が地震の予知を外したときに,それを驚きをもって」国史や公卿の日記に記したとある。

(10) 志賀勝『月的生活:天の鏡「月と季節の暦」の時空』(新曜社,2007年)。(11) 江川式部,「唐朝祭祀における玄酒と明水―『大唐開元礼』の記載とその背景―」(『駿台史

学』113,1―26,2001)。(12) 許曼麗「月の伝説と信仰―詩歌に見るその成立の一側面―」『藝文研究』65,288―309,1993

(慶應義塾大学)より。(13) 『日本書紀』ではイザナギノミコトが鏡を手にした時,という部分が付け足されており,月

と鏡はここにおいて既に結びついている。(14) 柴田元幸他編集『世界は村上春樹をどう読むか』(東京:文藝春秋,2006年)によると,村上

の英語への翻訳作品の表紙はいずれも和風テイストのものであり,このことからも読者に受ける要素として日本情緒があることがうかがわれるという。

(15) 中村久美「ワイルド,イェイツと月のシンボリズム」『異文化の諸相』21,65―77,2000年(日本英語文化学会)参照。

(16) ‘Beltane’, Wikipedia. http : //en.wikipedia.org/wiki/Beltane アクセス2014年9月14日。(17) Dimitar Ouzounov, Sergey Pulinets , Alexey Romanov, Alexander Romanov, Konstantin

Tsybulya, Dimitri Davidenko, Menas Kafatos and Patrick Taylor, ‘Atmosphere−Ionosphere

Response to the M 9 Tohoku Earthquake Revealed by Joined Satellite and Ground

Observations. Preliminary results’ (arXiv : 1105.2841 [physics.geo−ph], Geophysics 2011年5月)によると,震災当日の震源地上空には電子の異常な増加が見られたという。原文には‘anabnormal TEC variation over the epicenter. From March 3―11 a large increase in electronconcentration was recorded at all four Japanese ground based ionosondes, which return to

normal after the main earthquake.’とある。(18) S T Coleridge, Ancient Mariner. The Poetical works of S. T. Coleridge, ed. E. H.

月と鏡に関する東西考 125

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Coleridge. (Oxford, 1912).

(19) O swear not by the moon, th’ inconstant moon, / That monthly changes in her circled orb/ Lest that thy love prove likewise variable. (Romeo and Juliet 第2幕2場)

(20) But soft, what light through yonder window breaks?It is the east, and Juliet is the sun!

Arise fair sun and kill the envious moon

Who is already sick and pale with grief

That thou her maid art far more fair than she.

(Romeo and Juliet 2幕2場)(21) ‘A Man Young and Old’, VII The Friends of his Youth, The Collected Poems of W B Yeats,

London : Macmillan, 1933, p. 252.

(22) Two heavy trestles, and a boardWhere Sato’s gift, a changeless sword,

By pen and paper lies. . . .

Chaucer had not drawn breath

When it was forged. In Sato’s house,

Curved like new moon, moon−luminous,

It lay five hundred years.

(‘Meditations in Time of Civil War’, The Collected Poems of W B Yeats, London :

Macmillan, 1933, pp 227―8)(23)原題は A Visionで,Macmillanより1925年に初版,1937年に改訂版が出ている。イェイツと日

本との関わりは,能楽の影響の下に書いた戯曲や武士の子孫から贈られた刀を謳った詩に止まらず,浮世絵や禅についての考察にまで及ぶ。詳細は尾島庄太郎『イェイツ―人と作品』(東京:研究社,1961年)や関根勝・Christopher Murray 共著 Yeats and the Noh : A Comparative Study(London : Colin Smythe Ltd,1990)に詳しい。

(24) 孔祥星・劉一曼著,高倉洋彰他共訳『図説 中国古代銅鏡史』中国書店,2001年。(25) 江川式部,「唐朝祭祀における玄酒と明水―『大唐開元礼』の記載とその背景―」『駿台史

学』113,1―26,2001。(26) Hong Zhenhuan, “The production time and origin and name of lens in ancient China”,

Studies in the History of Natural Sciences, April 1990 ; Xu Keming and Li Zhijun ‘On the

progress of ancient Chinese lenses from the pre−Qin period to the five dynasties’, Studies

in the History of Natural Sciences, January1989参照。(27) 天理参考館考古美術室藤原郁代氏談,2013年11月。ただし青木豊『和鏡の文化史―水鑑から

魔鏡まで』(東京:刀水書房,1992年)7―10頁によると,我が国に最初にもたらされた鏡は多紐細文鏡といって凹面鏡であった。ただし卑弥呼の鏡はやはり凸面鏡であったという。

(28) 千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』(東京:中公新書,2007年)40頁。(29) ブラム・ストーカー『ドラキュラ』などはその例である。(30) ウィキペディア「大鏡」より。http : //ja.wikipedia.org/wiki/大鏡 2014年9月1日アクセス。(31) カムブスカンとはジンギスカンのこと。また騎士が持っていたのは‘a brood mirour of glas’

(82行)であり,続く132―141行で鏡の効能が歌われる。曰く,‘This mirour … / Hath swicha myght that men may in it see / Whan ther shal fallen any adversitee / Unto youre regne

or to youreself also, / And openly who is youre freend or foo. / “And over al this, if anylady bright / Hath set hire herte on any maner wight, / If he be fals, she shal his tresoun

126 天理大学学報 第66巻第2号

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see, / His newe love, and al his subtiltee, / So openly that ther shal no thyng

hyde.’ (Chaucer, ‘The Squire’s Tale’, Canterbury Tales)

(32) この風習はアガサ・クリスティ『ハロウィーン・パーティ』などに見ることができる。(33) M H Abrams, The Mirror and the Lamp : Romantic Theory and the Critical Tradition

(Oxford UP, 1971)参照。(34) 岩井茂昭「クロード・グラスに映る「ピクチャレスク」の深層」『近畿大学教養・外国語教育

センター紀要 外国語編』2(1),97―111,2011。(35) 「「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」 3Dプリンターで復元」日経新聞2014/1/29 17:00記事。

http : //www.nikkei.com/article/DGXNASHC 2902 G_Z 20 C 14 A 1000000/アクセス2014年9月2日。

(36) 青木豊『和鏡の文化史―水鑑から魔鏡まで』(東京:刀水書房,1992年)95―98頁によると,中国の透光鏡は前漢の時代に既に見られたがその後途絶えたという。日本では単に背面の紋様が投影されるものの他に,キリシタンが用いたもののように,鏡胎に何かしらの仕掛けをして背面の図柄とは全く異なる紋様が投影されるものもとあるという。

(37) 絶対的な他者とは,外国人や内なる他者とは異なり,男女が異なるように,本来的に超越したイリガライ的水平的超越的他者のことを指す。詳細に関しては Luce Irigaray, To Be Two(New York : Routledge, 2001)及び柄谷行人『探求』I・II(東京:講談社,1992年/1994年)参照。

参照文献〈書籍〉青木豊『和鏡の文化史―水鑑から魔鏡まで』(刀水書房,1992年)M H Abrams, The Mirror and the Lamp : Romantic Theory and the Critical Tradition(Oxford

UP, 1971)

柄谷行人『探求』I・II(講談社,1992年/1994年)孔祥星・劉一曼著,高倉洋彰他共訳『図説 中国古代銅鏡史』(中国書店,2001年)小林行雄著,田中琢解説『古鏡』(學生社,2000年)斎藤尚生『有翼日輪の謎―太陽磁気圏と古代日食』(中公新書,1982年)阪倉篤義校訂『竹取物語』(岩波文庫,2012年)柴田元幸他編集『世界は村上春樹をどう読むか』(文藝春秋,2006年)志賀勝『月的生活:天の鏡「月と季節の暦」の時空』(新曜社,2007年)千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』(東京:中公新書,2007年)戸矢学『ツクヨミ―秘された神』(河出書房,2012年)ミシェルテヴォー著,岡田温司・青山勝訳『不実なる鏡―絵画・ラカン・精神病』(東京:人文書院,1999年)

リュシアン・デーレンバック著,野村秀夫・松澤和宏訳『鏡の物語 紋中紋手法とヌーヴォー・ロマン』(ありな書房,1996年)

Luce Irigaray, To Be Two (New York : Routledge, 2001)

〈論文〉岩井茂昭「クロード・グラスに映る「ピクチャレスク」の深層」『近畿大学教養・外国語教育センター紀要 外国語編』2(1),97―111,2011

江川式部「唐朝祭祀における玄酒と明水―『大唐開元礼』の記載とその背景―」『駿台史学』113,

月と鏡に関する東西考 127

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「「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」 3Dプリンターで復元」日経新聞2014/1/29 17:00付http : //www.nikkei.com/article/DGXNASHC 2902 G_Z 20 C 14 A 1000000/2014年9月2日‘Beltane’, Wikipedia. http : //en.wikipedia.org/wiki/Beltane 2014年9月14日

128 天理大学学報 第66巻第2号