新製品と新技術...etcs車上装置開発における主要な開発課...

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1. はじめに 日立製作所では、グローバル市場におい て、交通ビジネス拡大を積極的に進めてい る。現在英国では、HS1(High Speed 1) 線 向け高速車両であるClass 395車両や、ロ ンドン近郊区間を走行するClass 465車両 向けインバータ装置が稼働中であり、いずれ も高い信頼性で好評を得ている。これらの実 績が評価され、次期都市間高速車両である IEP(Intercity Express Programme) 車 両 製作および保守作業の受注も獲得した。 信号ビジネスについてもグローバル市場 展開を図るべく、欧州統一規格信号システ ム で あ る ETCS(European Train Control System)車上装置の開発に着手、完遂した。 本稿では、システム概要と製品開発の取り組 み等を中心に紹介する。 2.ETCS の概要 2.1 導入状況 近年、鉄道交通の利便性と世界的な鉄道輸 送の需要拡大を背景として、信号システムの 標準化に向けた動きが盛んである。欧州で は、ETCSと呼ばれる統一規格信号システム の開発が、欧州連合主導で進められている。 欧州規格対応信号システムの開発 (ETCS) 39 鉄道車両工業 473 号 2015.1 ETCS は、EU(European Union) 加 盟 国 間 で共通に使用でき、相互乗り入れを可能にす ること、すなわちインターオペラビリティの 実現を最大の目標としていることが特徴であ る。ETCSは、欧州各国の政府機関だけでなく、 鉄道事業者、車両保有会社、インフラ管轄会 社、サプライヤー、工事業者など、多数の機 関が関わっている。 ETCS機能仕様を定義する関連仕様書は ERA(European Rail Agency) 取 り 纏 め の もと、一般に公開されている。そのため、中 国やインドなど、欧州以外の地域においても ETCS導入が積極的に進められる大きな要因 となっている。現時点で、全世界で述べ68, 000km 以 上 の 路 線、 お よ び、9,000 編 成 以上の車両に車上装置が搭載されており、今 後も唯一規格化された信号システムとしてグ ローバルに展開される可能性が高い。 2.2 システム構成 ETCSの全体システム構成を図1 に示す。 位置基準や特定の制御情報を送るために、 「ユーロバリス」と呼ばれる地上子が設置さ れ て い る。 点 制 御 方 式 で は LEU(Lineside Electronic Unit) と 呼 ば れ る 地 上 装 置 が、 信号機の現示に応じた走行許可位置情報 (Movement Authority:以下「MA」と記す。) を生成し、「バリス」を介して車上装置に伝達 する。一方、連続制御方式では、RBC(Radio Block Centre) と呼ばれる地上装置が MA を 生成し、GSM-R(Global System for Mobile Communication - Railway)無線ネットワー クを介して車上装置に伝達する。いずれの場 合も、列車検知は地上側(軌道回路など)で行う。 新製品と新技術 新製品と新技術 株式会社 日立製作所 日立レールヨーロッパ エンジニアリングチーム こいわ ひろあき

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  • 鉄道車両工業 473 号 2015.1

    1.はじめに 日立製作所では、グローバル市場におい

    て、交通ビジネス拡大を積極的に進めてい

    る。現在英国では、HS1(High Speed 1)線

    向け高速車両であるClass 395車両や、ロ

    ンドン近郊区間を走行するClass 465車両

    向けインバータ装置が稼働中であり、いずれ

    も高い信頼性で好評を得ている。これらの実

    績が評価され、次期都市間高速車両である

    IEP(Intercity Express Programme) 車 両

    製作および保守作業の受注も獲得した。

     信号ビジネスについてもグローバル市場

    展開を図るべく、欧州統一規格信号システ

    ム で あ る ETCS(European Train Control

    System)車上装置の開発に着手、完遂した。

    本稿では、システム概要と製品開発の取り組

    み等を中心に紹介する。

    2.ETCSの概要2.1 導入状況 近年、鉄道交通の利便性と世界的な鉄道輸

    送の需要拡大を背景として、信号システムの

    標準化に向けた動きが盛んである。欧州で

    は、ETCSと呼ばれる統一規格信号システム

    の開発が、欧州連合主導で進められている。

    欧州規格対応信号システムの開発 (ETCS)

    39 鉄道車両工業 473 号 2015.1

    ETCS は、EU(European Union) 加 盟 国 間

    で共通に使用でき、相互乗り入れを可能にす

    ること、すなわちインターオペラビリティの

    実現を最大の目標としていることが特徴であ

    る。ETCSは、欧州各国の政府機関だけでなく、

    鉄道事業者、車両保有会社、インフラ管轄会

    社、サプライヤー、工事業者など、多数の機

    関が関わっている。

     ETCS機能仕様を定義する関連仕様書は

    ERA(European Rail Agency) 取 り 纏 め の

    もと、一般に公開されている。そのため、中

    国やインドなど、欧州以外の地域においても

    ETCS導入が積極的に進められる大きな要因

    となっている。現時点で、全世界で述べ68,

    000km 以上の路線、および、9,000 編成

    以上の車両に車上装置が搭載されており、今

    後も唯一規格化された信号システムとしてグ

    ローバルに展開される可能性が高い。

    2.2 システム構成 ETCSの全体システム構成を図1に示す。位置基準や特定の制御情報を送るために、

    「ユーロバリス」と呼ばれる地上子が設置さ

    れている。点制御方式では LEU(Lineside

    Electronic Unit) と呼ばれる地上装置が、

    信号機の現示に応じた走行許可位置情報

    (Movement Authority:以下「MA」と記す。)

    を生成し、「バリス」を介して車上装置に伝達

    する。一方、連続制御方式では、RBC(Radio

    Block Centre)と呼ばれる地上装置がMAを

    生成し、GSM-R(Global System for Mobile

    Communication - Railway)無線ネットワー

    クを介して車上装置に伝達する。いずれの場

    合も、列車検知は地上側(軌道回路など)で行う。

    新製品と新技術新製品と新技術

    株式会社 日立製作所日立レールヨーロッパエンジニアリングチーム

    小こいわ

    岩 博ひろあき

  • 鉄道車両工業 473 号 2015.1 40

    新製品と新技術

     車上装置は、EVC(European Vital Com-

    puter)と呼ばれる論理部が主体となり、速度・

    自列車位置の算出、地上から受信したMAに

    基づくブレーキパターンの生成、パターン超

    過時のブレーキ制御などの、保安装置として

    の機能全般を担っている。パターン速度や走

    行許可位置までの距離、前方路線条件などの

    情報はDMI(Driver Machine Interface)に

    表示される。また、表示だけではなく、運転

    士識別番号や列車長といった車両特有の情報

    の入力端末としての機能も有している。列車

    の運転状態や、ETCS車上装置の動作状態は、

    JRU(Juridical Recording Unit)と呼ばれる

    装置に記録される。これは事故時の原因調査

    のために設置が義務付けられているもので、

    耐水・耐火・耐衝撃性が考慮されている。

    2.3 ETCSアプリケーション ETCSにはレベル0から3までの4段階と

    NTC(National Train Control) という運用

    が規定されてあり、インターオペラビリティ

    を実現するうえでの基本要素を構成してい

    る。またそれぞれのレベル間において、地上

    装置からの特別な信号をトリガーにして、走

    行中のレベル遷移が可能となっている。

    ・レベル NTC

     当該国の既存保安設備が実装されている

    線区において、ETCS搭載列車が走行する

    際に用いられる。ETCS車上装置は列車監

    視を行わない。

    ・レベル0

     ETCSも既存保安設備も実装されていな

    い線区、または、それらが実装されている

    もののまだ実際の運用許可がおりていない

    線区を、ETCS搭載列車が走行する際に用

    いられる。その区間における最大列車速度

    監視など最小限の機能を有する。

    ・レベル1

     ユーロバリス (Eurobalise) と呼ばれる

    地上子を用いて、地上車上間の情報伝送を

    行う。走行許可位置までの距離や速度制

    限に関する情報等はLCDを用いた表示器

    DMI(Driver Machine Interface) に表示

    され、照査速度パターンによるブレーキ出

    力機能もあるが、運転士はあくまでも沿線

    に設置された信号機の現示に従い走行する

    ことが原則である。

    ・レベル2

     ユーロバリスに加えて、GSM-R(Global

    System for Mobile Communication-

    Railway:以降無線と呼ぶ)を用いて、地上

    車上間の双方向通信を行うことが特徴であ

    る。走行許可位置に関する情報は無線により

    随時更新されるため、点制御であるレベル1

    と比較して時隔短縮が可能である。またレベ

    ル2ではDMIが車内信号機として位置づけ

    られており、地上信号機はかならずしも必要

    ではない。列車検知は従来の信号システム同

    様、軌道回路等の地上側設備で行う。

    ・レベル3

     地上側には軌道回路等の列車検知手段は

    なく、車上で認識している自列車の位置を無

    図1 ETCS全体システム構成欧州指令にて規定されているETCS全体システム構成を示す。

  • 鉄道車両工業 473 号 2015.141

    線を介して地上装置に定期的に送信するこ

    とで列車検知を行っている。これによりレベ

    ル3では、「移動閉塞」制御が可能である。

    3.ETCS車上装置の開発3.1 開発課題 ETCS車上装置開発における主要な開発課

    題は以下の通りである。

    ・多様なETCS機能に対応できるプラットフ

    ォーム開発

    ・欧州規格への適合

    ・インターオペラビィティの確保

     以下、これらの課題に対する取り組みを示す。

    3.2 ETCS機能に対応したプラットフォームの開発 ETCSは従来の信号保安装置と比較して大

    量のデータを処理する必要がある。これに対

    応するため、CPUに高速・高機能の専用フェ

    イルセーフ CPU を採用した「E-OPE」モ

    ジュールを開発した。

    このモジュールの特徴は以下の通りである。

    ・2つのCPUコアと、その動作を比較するバ

    ス照合回路をワンチップに一体化した独自

    開発フェイルセーフCPU「GEMINI」を

    採用

    ・動作周波数向上、内蔵RAM(Random Acc-

    ess Memory)容量増加、基板間伝送量削減

    により、速度照査制御の処理能力が従来比

    10倍に向上

    ・従来から使用している、速度照査機能に特

    化した専用のフェイルセーフLSI(Large-

    Scale Integration) を 引 き 続 き 使 用 し、

    「GEMINI」と併用することによって、安

    全性の更なる向上を実現。

    3.3 欧州規格への適合 ETCSが準拠すべき規格は、欧州内で相互

    乗り入れするための膨大な技術要件を定めた

    TSI(Technical Specification for Interop-

    erability)の中で、CCS TSI(Control Com-

    mand and Signalling TSI)と呼ばれる欧州

    指令に規定されている。サプライヤーが製品

    を市場に送り出すためには、NoBo(Notified

    Body)と呼ばれる認証機関の厳格な査定を受

    け、これらの規格に適合していることの認証

    を受ける必要がある。規格は大きく分けて以

    下の3種類に大別される。

    (1)電気的・機械的仕様に関する規格

    (2)ETCS機能に関する代表的な規格

    (3)RAMS(Reliability、 Availability、 Main-

    tainability、 Safety)に関する規格

  • 鉄道車両工業 473 号 2015.1 42

    新製品と新技術

     今回開発したETCS車上装置について、こ

    れらの規格で定められた手法に従って設計・

    検証を実施していること、設定された信頼

    性(稼働率)および安全性(危険側故障率)の

    目標値を達成していることを、NoBo、特に

    安全性については、独立安全認証機関である

    ISA(Independent Safety Assessor) の 査

    定を受け、認証を取得した。

    3.4 インターオペラビリティの確保 欧州相互乗り入れ技術要求の根幹をなす

    インターオペラビリティは、3.3項で述べた

    Subset076規格の試験を通じて証明される。

    この試験を、欧州で認められた独立試験機関

    にて実施した。

     これに加えて、英国の鉄道インフラを管轄

    するNetwork Rail社が保有するClass 97

    ディーゼル機関車に、今回開発した車上装置

    を搭載し、英国ウェールズ地方北部のカンブ

    リアン線にて走行試験を実施した。2013年

    4月から同年9月にかけて以下の項目につい

    ての検証を行い、保安装置として正常に動作

    することを確認した。

    ・他社製RBC(Radio Block Centre)との無

    線接続

    ・速度および位置認識機能

    ・ユーロバリス読み取り

    ・MAに対する速度照査

    ・固定速度制限および臨時速度制限

    ・緊急停止

    ・レベル遷移

     試験では延べ1,200km余りを走行し、こ

    の間大きなトラブルの発生も無く、NR 社や

    運行事業者からも高い評価を得た。また、こ

    の試験は、英国における最初の異なるサプラ

    イヤー間のインターオペラビリティ確認事例と

    なった。

    4.おわりに 今回開発したETCS車上装置は、欧州以

    外のサプライヤーが開発した保安装置として

    初めてSIL(Safety Integrity Level)4の安

    全性および欧州規格に適合する認証を取得し

    た。また、英国での走行試験を通じて、所定

    の機能・操作性含めた走行性能を確保してい

    ること、および、他社製地上装置とのインター

    オペラビリティを確認した。

    参考文献

    1)UNIFEホームページ

     http://www.unfie.org/home.asp

    図2 インターオペラビリティ試験風景インターオペラビリティ機能確認試験風景を示す。

    図3 英国カンブリアン線での走行試験風景Porthmadogで撮影した、Class 97ディーゼル機関車を示す。