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Hiroshima Journal of International Studies Volume 22 2016 キーワード:漢語、意味用法、意味変化 欒 竹 民 Changing Meanings of Chinese Origin Words: Continuing Explorations of the Word "Chiso" Until the Heian period the word "chiso" retained the original Chinese meaning of "hasehashiru" (to run fast, be busy, exert oneself). However, during the Kamakura period its meaning evolved. On the one hand, it continued to be used in the same way as in the Chinese language, but, on the other hand, a new usage of the word, which cannot be found in the Chinese language, emerged. In the Muromachi period, new meanings such as "gochiso" (big meal, feast) and "wine and dine someone lavishly" appeared. Moreover, in the beginning of the early modern period a new usage, to indicate "delicious food," emerged. Thus, in comparison with the original Chinese word the meaning clearly changed and became more refined. Ⅰ.はじめに Ⅱ.「馳走」のよみについて  Ⅲ.中国文献に於ける「馳走」の意味用法について Ⅳ.日本文献に於ける「馳走」の意味用法について Ⅴ.結び Zhu Min LUAN 近年来「馳走三昧」などのような日本料理の看板 が中国各地の街に登場し、また、料理屋の情報とし ても中国のインターネット上に発信されたりしてい る。ここの「馳走」という表現は明らかに現代日本 語の「食事などを出して相手をもてなすこと。また、 そのための料理」 1 ということを示すものとして用い られている。斯様な意味を為している「馳走」また は「御馳走」がネット、マスコミといった媒体を介 して中国に逆輸入されたのであろう。「馳走」は下 記に列挙してある日本語の古辞書や古文献からも察 知できるように、歴然たる中国語出自の漢語である が、中国語に典拠を求めることが出来る「馳走」は 現代中国語辞典などには収録されていないようであ 2 。つまり、「馳走」はもともと漢語であるという ものの、現代中国語においては日本語のように常用 されていない現状であると言ってよかろう。だから、 「馳走三昧」という名称は日本語の「馳走」を下地 に付けられたものだと考えられ、また、これによっ て日本料理のイメージも一層浮き彫りにさせること になる。 漢語の意味変化と言えば、和語と同様に多岐に亘 るが、意味の幅(増幅と縮小)の変化の他に、ある 語がある特定のコンテクストの中で殆ど規則的によ い(プラス)意味か悪い(マイナス)意味のいずれ かで用いられるようになった事例が存する。一般に 意味が「よく」なったのを意味の向上、一方、意味 が「悪く」なったのを意味の下落と称する。 現代日本語では、美味しい食べ物等で人を持て成 すことを「(御)馳走」すると言い、また、立派な、 美味しい食事、食べ物を「(御)馳走」とも言うよ うに、いつも「馳走」はよい意味で用いられるので ある。美味しい食べ物を以て人に振る舞うことにせ よ、振る舞うために設えられる美味な食べ物である にせよ、いずれも「よい」または「プラス」という 語感を伴う意味としての「馳走」となると首肯され よう。この点に関しては既に江戸時代の伊勢貞丈著 日本語における漢語の意味変化について -「馳走」の続貂- Ⅰ.はじめに

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Hiroshima Journal of International Studies Volume 22 2016

キーワード:漢語、意味用法、意味変化

欒 竹 民

Changing Meanings of Chinese Origin Words:Continuing Explorations of the Word "Chiso"

Until the Heian period the word "chiso" retained the original Chinese meaning of "hasehashiru" (to run fast, be busy, exert oneself). However, during the Kamakura period its meaning evolved. On the one hand, it continued to be used in the same way as in the Chinese language, but, on the other hand, a new usage of the word, which cannot be found in the Chinese language, emerged. In the Muromachi period, new meanings such as "gochiso" (big meal, feast) and "wine and dine someone lavishly" appeared. Moreover, in the beginning of the early modern period a new usage, to indicate "delicious food," emerged. Thus, in comparison with the original Chinese word the meaning clearly changed and became more refined.

Ⅰ.はじめにⅡ.「馳走」のよみについて Ⅲ.中国文献に於ける「馳走」の意味用法について

Ⅳ.日本文献に於ける「馳走」の意味用法についてⅤ.結び

Zhu Min LUAN

 近年来「馳走三昧」などのような日本料理の看板が中国各地の街に登場し、また、料理屋の情報としても中国のインターネット上に発信されたりしている。ここの「馳走」という表現は明らかに現代日本語の「食事などを出して相手をもてなすこと。また、そのための料理」1ということを示すものとして用いられている。斯様な意味を為している「馳走」または「御馳走」がネット、マスコミといった媒体を介して中国に逆輸入されたのであろう。「馳走」は下記に列挙してある日本語の古辞書や古文献からも察知できるように、歴然たる中国語出自の漢語であるが、中国語に典拠を求めることが出来る「馳走」は現代中国語辞典などには収録されていないようである2。つまり、「馳走」はもともと漢語であるというものの、現代中国語においては日本語のように常用されていない現状であると言ってよかろう。だから、「馳走三昧」という名称は日本語の「馳走」を下地に付けられたものだと考えられ、また、これによっ

て日本料理のイメージも一層浮き彫りにさせることになる。 漢語の意味変化と言えば、和語と同様に多岐に亘るが、意味の幅(増幅と縮小)の変化の他に、ある語がある特定のコンテクストの中で殆ど規則的によい(プラス)意味か悪い(マイナス)意味のいずれかで用いられるようになった事例が存する。一般に意味が「よく」なったのを意味の向上、一方、意味が「悪く」なったのを意味の下落と称する。 現代日本語では、美味しい食べ物等で人を持て成すことを「(御)馳走」すると言い、また、立派な、美味しい食事、食べ物を「(御)馳走」とも言うように、いつも「馳走」はよい意味で用いられるのである。美味しい食べ物を以て人に振る舞うことにせよ、振る舞うために設えられる美味な食べ物であるにせよ、いずれも「よい」または「プラス」という語感を伴う意味としての「馳走」となると首肯されよう。この点に関しては既に江戸時代の伊勢貞丈著

日本語における漢語の意味変化について-「馳走」の続貂-

Ⅰ.はじめに

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『貞丈雑記』の巻六飲食においても次のように言及されている。「馳走といひ又奔走と云心は馳走奔三字ともにはしるとよむ字なり客人のもてなしに亭主はしり廻りて珍物をもとめ食物のあんばい等に心をつくすを云客人もてなしに限らず精を出し心をつくし物事を取調ぶるを馳走とも奔走とも云なり」とあるように、「馳走」と「奔走」の類義関係にも触れている。尚、『新村出全集』第四巻の「「馳走」といふ語の歴史のため」には、「この語が原義で用ゐられはじめたのは鎌倉時代にでもあらうか。『東鑑』にも原意の儘で、「馳走」の語がみえた。(略)即ち饗応の意で確かに用ゐられ始めた年代は、いつであらうか。尚ほよく調査せずばなるまい」と述べられている3。 さて、「馳走」という漢語はいつの時代にどのように日本語に進入したのか、更に、日本語に入って、どのように使用され、現代日本語のように変容してきたのか。以下にこれらの点を巡って中国語との対照を行いながら考究を加えてみたい。それに先立ち、先ず「馳走」のよみについて考えてみよう。

 古辞書、古文献、訓点資料に確認されている「馳走」を列挙してそのよみについて検討してみよう。先ず、古辞書に於ける「馳走」を挙げてみる。馳走 (二巻本世俗字類抄・巻上畳字 39 オ⑦)馳走 (二巻本色葉字類抄・巻上畳字 39 オ⑥)馳(去声)走(平声)ちそう(前田本色葉字類抄・巻上畳字 71 オ①) の如く、「馳走」は、畳字として扱われ、「ちそう」と字音読みされていることから、夙に平安時代に一熟語として認知され、辞書に採録されていたと言えよう。その背景には漢文訓読の場においては「馳走」が一語として音読みされることが確立できた由があるであろう。例えば、恐怖し馳走して象王の所に詣(り)て(東大寺本地蔵十輪経三之一、元慶七年 883 点:中田祝夫解読による)(平仮名はヲコト点を示す。以下同)飢渇に逼(め)所れて叫喚し、馳走す(龍光院本妙法蓮華経譬喩品、平安後期加点) とあるように、「馳走」が字音よみのみならず、更に日本語化が進み、サ変動詞としても使用されていることが明らかになる。但し、同じ訓点資料では

訓読みの「馳走」の所在も確認される。例えば、嶮難(の

「ノ」

)處に「ニ」

於「シ」

いて、馳「ハセ」

「-」(訓合符)走し「シテ」

て食を「ヲ」

求む「ムル」

。(最明寺本往生要集巻上 23 ウ、院政時代または院政時代末期加点:築島裕解読による)(朱点と墨点の仮名は「 」で示す) のように、訓読みを示す訓合符から「馳走」は文意に沿って訓読みされていることが分る4。尚、江戸時代に下っても訓読みの例も依然として見られる。飛脚馳

ハセ

ニ(訓合符)走ハシリ

東(音合符)西 _(寛永版吾妻鏡、建保二年四月二十三日条) 以上の考察から「馳走」は日本語に入って、訓読みと音読みとの二通りの読み方が存在していたが、早い時期に字音読みの方が主流となり、今日に至っている。この点については中世以降の古辞書に掲載されている「馳走」はいずれも「ちそう」と字音読みされることから示唆される。例えば、馳チソ ウ

走(伊京集・22 ②)     馳チソ ウ

走(明応五年本節用集・40 ⑦)馳チソ ウ

走(饅頭屋本節用集・35 ⑧) 馳チソ ウ

走(黒川本節用集・22 オ②)馳走 ほんそう也(和漢通用集・95 ⑥)奔

ほんそう

走 馳ちそ う

走也(和漢通用集・61 ④)答たうはい

拜 奔ほんそう

走也(和漢通用集・178 ④) 取とりもつ

持 ちそう也(和漢通用集・80 ②) とあるように、「馳走」は字音読みとなっていることが明らかである。それのみならず、『和漢通用集』に示されるように、「奔走」「取持つ」「答拜」は「馳走」との類義関係も分ることになる。このことは下記の『邦訳日葡辞書』に於ける「馳走」「奔走」「取持つ」「答拜」の注釈からも看取される。

Chisô チソゥ(馳走)Vaxiru.(走る)世話をし,手厚くもてなすこと、(124 頁)Fonsô  ホ ン ソゥ(奔走) 歓待.例,Tôzaini fonsôsuru. (東西に奔走する)親切に心を配り,てきぱきと動き回って,非常に手厚く持て成す.招宴の座中では,時としては,褒めて次のように言うことがある.Coto nai gofonsô degozaru.(殊ない御奔走でござる)われわれに対して御主人は大変なもてなしをなさる,などの意、(261 頁)Torimochi, tçu,otta.トリモチ,ツ,ッタ(取り持ち,つ,つた)すなわち, Torifayasu .Ⅰ,Chisô suru.(取りはやす.または,馳走する)手厚いもてなしをする.(667 頁)Tappai.タッパイ(答拝)Cotaye vogamu.(答へ

Ⅱ.「馳走」のよみについて

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日本語における漢語の意味変化について-「馳走」の続貂- 91

拝む)非常に手厚い取り扱いをし敬うこと.Chisô tappai uo tçucusu.(馳走答拝を尽す)非常に手厚いもてなしをし,深い愛情と尊敬の念を示す、(612 頁) 以下に「馳走」を中心に「奔走」と関連させつつ考究を進めていく。先ず中国文献に於ける「馳走」を巡って具体例を挙げながらその意味用法を考えることとする。

 「馳走」は中国文献の散文、韻文、漢訳仏典、敦煌変文などの各文章ジャンルに現れているため、所謂文体による使用の差異は見られないと言ってもよい。先ず管見に及んだ散文と韻文にある「馳走」を列挙して考察してみよう。尚、意味分析に当って、次のことに目を注ぎたい。つまり、「馳走」の主体、目的(如何なるもの、何のために、どのようにするまたはされる)等に焦点を当てて検討を加える。1. 嗇夫馳、庶人走(左氏伝・昭公 17 年)杜預注:車馬曰馳、歩曰走(表記変更有り、以下同)

 のように、「馳走」を構成する前部要素の「馳」が馬と車馬が疾走すること、後部要素の「走」が人の足早な歩き方いわば走ることを表すことは明らかであるが、やがてその使い分けが無くなって、「馳走」は馬、車馬、人などを区別することなくその疾走、疾馳を表すのに用いられるようになった。この点については下記の用例から看取されうる。2. 於是項王乃上馬騎、麾下壮士騎従者八百余人、直夜潰囲南出、馳走(史記・項羽本紀) 

 「馳走」は、騎乗するものも歩行するものも包囲網を突き破って南へ出て、ひた走りに走った。換言すれば、一目散に遁走した意で用いられている。3. 能馳走之物、生有蹄足之形、馳走不能飛昇、飛昇不能馳走、禀性受気、形体殊別也。今人禀馳走之性、故生無毛羽之兆(論衡・道虚第 24)

 文中の「馳走」は四例とも「生まれつき蹄足をもっている」ものであるということに示されているように、人間を含めての動物が疾走することを表す意となる。無論、次の三例のように車馬を走らせたり、馬が馳せたりするという意味の「馳走」も確認できる。4. 馳道、正道、如今御路也。是君馳走車馬之處、故曰馳道也(禮記・曲禮下)5. 朱虚侯則従與載、因節信馳走、斬長楽衛尉呂更

始(史記・呂后本紀)6. 山下常有白馬群行、悲鳴則河決、馳走則山崩(水経注・河水五)

 一方、例 7、8 は人間が走り回るという意味としての「馳走」となる。7. 安得一生各相守,烧船破栈休驰走(温庭筠・东郊行)8. 夾道馳走、喧呼不禁(清波別志・巻一、宋の周輝著)

 上記の「馳走」は散文と韻文を問わずに疾走することまたは走らせることを表すが、次の用例は、単なる疾走ではなく、何らかの理由或いは目的を伴ってくるように見えるか、または明らかな目的を持って「馳走」するものである5。9. 夫蕭何安坐、樊郦馳走、封不及馳走而先安坐者、(略)衆将馳走者、何駆之也(論衡・効力第 37) 主君である高祖劉邦の天下取りという目的のために、猟犬のように必死に戦場を駆け回って働く、尽力するという意を表す「馳走」であろう。 10. 賢儒處下、受馳走之使(論衡・状留第 40) 「賢儒が下役になって、追い使われるようになる」と解されるが、「馳走」は酷使される。言わば、何かの目的に追われて懸命に働かされるという意味で用いられている。 11. 親在獄中、罪疑未定、孝子馳走以救其難(論衡・薄葬第 67) 投獄された親を助けるためにあちらこちらに奔走して「以救其難」。「馳走」は「以救其難」のために全力を尽くすという意を表す。 12. 崇譲論曰高守道之士日退、馳走有勢之門日多矣(晋書・劉寔伝) 自分の出世或いは私利私欲という欲望を満たすために、「有勢之門」に走り回る。「馳走」は、迅速にするのではなく、苦労を厭わずに多くの「有勢之門」に幾度も立ち回るという意味として用いられている。このような「馳走」は清王朝に至っても存続しているようである。かかる意味用法の「馳走」は下記の日本文献にも多く検出できた。 13. 而妄意相與之徒、謂其獲交寵於大君子之門、而能為之馳走者、此固先生之所不罪也(清・呉敏樹・己未上曽侍郎書) 斯様な意味を示す「奔走」も見られる。例えば、・祀于周廟、邦甸侯衛、駿奔走、執豆辺(書・武成)

Ⅲ.中国文献に於ける「馳走」の意味用法について

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・永之人争奔走焉(唐柳宗元・捕蛇者説)・不見林與蘇、飢寒自奔走(宋蘇軾・林子中以詩寄文與可及余、與可既没、追加其韻)

 文中の「奔走」はいずれもある目的を達成すべく尽力するという意味で使用されている。かかる「奔走」は近代に下っても依然として健在である。これは下記の用例と現代語辞典の語釈6からも察知されよう。・去到処奔走事情是他最怕的事(老舎・四世同堂)・学校急需扩建,又是靠她的多方奔走,学校最终才得以征地扩建(特区晩報・2006.2.22)

 しかし現代中国語に於ける「馳走」は「奔走」と違い、現代語辞典には収録もされていない有様である。つまり、現代中国語では「馳走」と「奔走」の曾ての類義関係が消失して、「奔走」のみが本来の意味を保っていると言えよう。次に敦煌変文や漢訳仏典に検出できた「馳走」について考察してみる。 14. 乃見己妻荒迷散髪拊膝悲号逼迫哀声周行馳走(大正新修大蔵経・金色童子因縁経巻四 871b21) 「馳走」は上接の「周行」の意味と共に考えると、慌てて駆け走るという意を表す。 15. 船人曰、子至呉国、入於都市、泥塗其面、披髪獐狂、東西馳走、大哭三声(敦煌変文・伍子胥変文) 「馳走」は上接の「東西」の意味から、例 14 のと同じくあちらこちらを走り回ることを示していると解される。以下の用例は前掲した散文のそれと同様、単に駆け走るだけではなく、何かの目的のためかまたはそれに追われて全力を挙げて行動するといった意味合いも伴っている。 16. 乃至従阿毘至大地獄出、出已馳走(大正新修大蔵経・起世経第十二 383b 9)

 17. 心各勇鋭互相推排競共馳走争出火宅(龍光院本妙法蓮華経譬喩品) 「馳走」は地獄と火宅から速く脱出しようという目的のために一所懸命に駆け走ると解釈されよう。 以上、中国文献に於ける「馳走」の用例を掲出しつつ考究したところ、「馳走」の主体は、「馳走」を構成する前部要素「馳」と後部要素「走」の各々示す意味のように、馬、人間及び人間の利用する車馬となっている。尚、「馳走」の目的を見てみると、突発した出来事や予想外の事件などによって仰天した揚句、途方に暮れて慌てて走り回ったり、逃げ惑っ

たりするようにこれといった意図はない場合も有れば、例 11、12、13 の如く「以救其難」「出世、昇進」「大君の寵愛の獲得」などのような歴然たる狙いと共起するものもある。以上の考察を通して中国文献の「馳走」の意味については次のように帰納できよう。① 人や馬等が走るまたは走り回ること。また、車馬を駆って走らせること。

② ある目的のために労苦を厭わずに走り回って、力を尽くすこと。 

 中国語の「馳走」は、①は「馳走」という二字の持っている「速度の速い」という意味特徴に対して、②の意味には明らかにその目的の達成のために「馳走」の「速い速度」から「忙しく、頻繁に、何度も」ということに傾斜して、それを苦にせぬという意味が内包されていると言ってよい。換言すれば、具体的な人馬の「疾走」という①の意味から抽象的な「尽力」という②の比喩的な意味へと転用したこととなる。この②の意味こそ「奔走」のそれと類似して相通じるのである。しかしながら、右に触れたように、この②の意味の「馳走」は現代中国語では姿が消えたらしい。それどころか、「馳走」は使用率の低下と使用範囲の縮小のためか、現代中国語の最もポピュラーな『現代中国語詞典』には収録されていない所以であるが、下記の例のように、使用されていても、①の意味のみで用いられているようである。 18. 小四輪馳走大世界(中国城郷金融網・2006.11.23) 19. 即便是王太子、也不能随便出宮在街上馳走(史傑鵬・亭長小武第 12 章) 20. 書法家筆一上手、就龍蛇馳走、令観者無不快意(光明日報 2006.11.10) とあるように、現代中国語では、「馳走」はあくまで上述の原義である①の意味として用いられているだけであり、②の比喩的な意味は「奔走」に取って代わられたようである。それは、現代社会では馬または人馬が疾走したりするということがなくなったため、「馳走」というよりも人間が走り回ったりする「奔走」の方が現実をよく投影する所以であろう。中国文献に於ける「馳走」の意味用法については右の考察で明らかであるが、中国語出自と思わしき現代日本語の「馳走」と比較すれば、双方間の違いが明白となる。即ち、中国語出自というものの、現代日本語に於ける「馳走」は中国語の本来の意味と異なって、意味の変化が生じていると言えよう。さて、「馳走」は日本語に入って、一体いつの

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日本語における漢語の意味変化について-「馳走」の続貂- 93

時代、如何なる文章ジャンルにおいて意味が変わったのか、更に、意味変化のメカニズムと要因とは如何なるものか、などの諸点を巡って、次項では日本文献に見られた具体例を挙げて検討を加えてみる。

 この項では日本文献に於ける「馳走」の意味用法について考えることとする。先ず、日本文献での「馳走」の使用状況を見てみると、下記の表から分るように、「馳走」の漢語という素姓のため、原則として漢語を好まない和文ではその所在を確認出来なかった。「馳走」は主として日本人が作成した所謂和化漢文-古記録類に偏って使われて、僅かながら和漢混淆文にも検出されている、といった文章

ジャンルに因る使用上の懸隔が認められて、中国文献と著しい対照を為す。使用率とその範囲によれば、鎌倉時代までの「馳走」は、『色葉字類抄』に掲載されたことと古記録類での多用とを併せて考えると、書記用語の性格が具わって、書記上の常用語とも言えると考えられる。つまり、鎌倉時代以前の「馳走」は決して現代日本語のように日常必要の用語として認知されずに、使用範囲が限定されていたと言えよう。室町時代に下っても、管見に入った資料に限って見れば、「馳走」の使用は依然として公家日記を中心とする古記録類に集中する傾向が強そうである。それは『多門院日記』には 78 例もの「馳走」を検出できたことからもその一端を窺い得る。が、前の時代と比べて使用範囲は明らかに広まったと言えよう。

Ⅳ.日本文献に於ける「馳走」の意味用法について

表一

馳     走 5 後愚昧記

室 町 以 降

漢  文

用例数

文献時 代

文章ジャ

ンル

2 康富記7 宣胤卿記

78 多聞院日記1 日本書紀 奈

漢  文

2 上井覚兼日記

6 法華経義疏 9 言経卿記

1 三代実録

平 安

3 高山寺古文書

1 春記 2 武家家訓

1 吉記 1 会席往来

2 山槐記 1 消息往来

2 中右記 1 蒙求臂鷹往来

1 往生要集 3 曽我物語

和 漢 混 淆 文

15 計 1 応永本論語抄

3 吾妻鏡

鎌 倉

7 荘子抄

3 玉葉 1 毛詩抄

15 明月記 2 中華若木詩抄

3 勘仲記 1 詩学大成抄

13 鎌倉遺文 1 御伽草子集

2 百錬抄 1 伊曽保物語

1 山密往来 1 エソポのハブラス

1 帝王編年記 1 室町物語

2 今昔物語集和漢混淆文

13 狂言記

1 延慶本平家物語 27 甲陽軍鑑

4 正法眼蔵随聞記 4 大閣記

48 計 11 捷解新語

63 合計 185 合計

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 表一に依れば、鎌倉時代以降の「馳走」は使用量といい、使用範囲といい、前時代のそれを上回っていることが浮き彫りになる。それは当時代の言語活動が一層盛んになるに伴って、漢語の使用も拡大するようになったからではないかと推察されよう。亦、「馳走」は夙に奈良時代文献に登場しているため、日本語への進入が早かったことを物語っている7。 次に先ず奈良時代文献に於ける「馳走」の例を挙げ、その意味用法を検討する。1. 看二テ群卿ノ儲ノ細馬ヲ於跡見駅家ノ道ノ頭 _ニ皆令ニ馳走 _(日本書紀(北野本)・巻 29 天武天皇 8年)Cf 馳道、正道、如今御路也。是君馳走車馬之處、故曰馳道也(禮記・曲禮下)

 文中の「馳走」はその対象「細馬(良き馬)」から推して、参考例の中国語と同じく「走らせる」という意味で用いていると考えられる。つまり、群卿百官の良馬を駆って走らせると解されるが、残りの6 例はいずれも伝聖徳太子撰『法華経義疏』に現れているもので、その注釈対象である『法華経』に使われる「馳走」と同意味で用いられていると判断される。例えば、2. 譬生内凡夫善根競共馳走者(法華経義疏巻二280 中⑤)3. 而此四句但適頌競共馳走諍出火宅二句(同上・287 上⑤⑥)4. 三句競共馳走(同上・巻三 294 下⑱ 296 下⑤)Cf 心各勇鋭互相推排競共馳走争出火宅(龍光院本妙法蓮華経譬喩品)5. 梁棟譬六識言此六識縦横馳走六塵(法華経義疏巻二 277 中⑲)Cf 諸悪蟲輩交横馳走(龍光院本妙法蓮華経譬喩品)

 の如く、「馳走」は、参考例と同じく本来の中国語のままで用いられて、共起している「競共(競って共に)」の示している意味から、「駆け走る」という意味の他に「速度の速い」という意味合いも内含していると考えられる。つまり、火宅を脱出すべく競って必死に「馳走」することである。 奈良時代文献に於ける「馳走」は僅かな使用量であるが、いずれも本来の中国語と同じ意味用法で用いることが判明した。即ち、本来の意味をそのままで受容し、使っていると言える。換言すれば、奈良時代文献には現代日本語のような「馳走」の意味用

法がまだ出現していないということにもなる。次に平安時代文献での「馳走」を挙げてその意味用法を検討する。尚、管見に及んだ平安時代文献から「馳走」は下記の 8例しか検出できず、奈良時代に続き依然として使用量が少なかった。6. 御二右近衛府馬埒庭 _。令レ馳-走左右馬寮御馬(三代実録・仁和二年十二月二十五日)

 光孝天皇が行幸するに当って、武備を奨励するために、左右馬寮に飼育されている御馬を「馳走」させ、御覧に及んだ。「馳走」は前掲の『日本書紀』のと同じく「御馬」を右近衛府馬埒庭において走らせたという意味として用いられている。7. 仍下﨟車共迷下馳走太周章也(春記・永承七年四月二十一日)

 上官が下車したため、下﨟の「車」が迷って「馳走」し、大騒ぎとなった。「馳走」は車馬を駆って走ることを表すのみで、何かの目的を伴っていない。8. 予一身在座、稱神服闕如之由、空経数剋、召縫殿寮年預、雖處勘気、諸国不済、稱力不及之由、又雖語女工所、無物之間、申難構成之由、辨仰官掌馳走東西、近代公事尤以不便(吉記・寿永元年六月十一日)

 「神服闕如」してその補充をするため、辨少納言はその神服等を司る「官掌」に仰せ、東西に馳走する。前文の「申難構成之由」から推して、「馳走」は神服の用意のために「あちらこちら」を走り回ることを表しているが、しかし、ただ単に急速に「馳走」するのではなく、目的の達成のために忙しく懸命に奔走するということも読み取れる。9. 今夜猶武士囲之、女房等裸形東西馳走、可悲々々(山槐記・治承四年五月十五日)

 武士に包囲された「女房等」が裸のまま蜘蛛の子を散らすが如く慌てて四方八方に「馳走」する。ここでの「馳走」はあたふたと逃げ回る意味で用いている。 10. 大津悪僧人籠欲叛官兵、仍平家軍兵馳走河原、明暁可向大津云々(同上・治承四年十二月九日) 「馳走」は平家軍兵が悪僧の叛乱を鎮圧するために「河原」に駆け走る、言わば、押っ取り刀で馳せ参じることを表す。 11. 夜半許帰家、一寝之間車馬馳走道路、乍驚聞之新女院御悩甚重(中右記・永長元年八月六日)8

 新女院が病膏肓に入ることを聞いた百官は「馳参院」のため、車馬が道路を馳走する。「馳走」は公

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日本語における漢語の意味変化について-「馳走」の続貂- 95

卿達が車馬を駆って走らせる意味として使われている。次の例も同じような意味で用いている。 12. 南京大衆已企参洛者、聞此語京中上下騒動、天下武士馳走道路(同上・天永四年四月十八日) 「武士馳走」は、騎馬兵が馬を駆って走らせたり、歩兵が駆け走ったりすることを表し、鎌倉時代文献にもよく見られる表現形式である。 13. 嶮難(の

「ノ」

)處「ニ」

に於「シ」

いて、馳「ハセ」

「-」(訓合符)走し「シテ」

て食を「ヲ」

求む「ムル」

(最明寺本往生要集巻上 23 ウ、院生時代または院生時代末期加点:築島裕解読による)(朱点と墨点の仮名は「 」で示す) 「馳走」は走り回る意味として用いる。つまり、食を求めるために危なく険しいところを駆け回ると解釈される。「危険を恐れず懸命に食を求める」ことが「馳走」の目的となるのは今回調べた限りの日本文献の中で右の『往生要集』の例が最も早いものとなる。 以上、平安時代文献に見られた「馳走」の全用例について考察を施したところ、平安時代に於ける「馳走」の意味用法は前の時代と変わることなく、それを継承したと明らかになった。言わば、奈良時代と同様に本来の中国語の意味をそのまま摂取して、車馬またはそれに乗じる人をも含める使用に集中しているとも言えよう。但し、中国文献にも奈良時代文献にも確認されなかった、『往生要集』に現れている「馳走」の「求食」という目的は初めて登場したと見られる。後程言及することであるが、このことは、現代日本語の「馳走」の意味が生まれる契機であり、素地の一つでもあるとなると考えられる。平安時代文献の「馳走」の意味には依然として何かの目的のために力一杯で努力するという意味的特徴も看取されるが、奈良時代と同様、中国文献の②の意味に相当する「馳走」はまだ見当たらないようである。そのような意味は下記の例のように「奔走」などによって分担されていると思われる。 ・妻子漸倦裁縫之苦、僮僕長厭奔走之役(久遠寺  本本朝文粋・155.10)(訓点等略) ・如御書到来者、御節料不相叶候歟、雖然令奔波  東西、随尋得小柑子三百、所令進上候也(平安  遺文・2092)・社司等奔営東西借用借上物(同上・4128)・為官仕企京上候事者、以此両卿励微力、奔営仕候之処、被抑召候之条(同上・132)

 ・號海判官代、奔営東西、表丁寧志(中右記・天

 仁二年十一月六日) のように、文中の「奔走」や「奔営」等はある目的のために走り回って、尽力するという意味で使用されている。つまり、平安時代では、前掲した室町時代に成立した古辞書のように「馳走」と「奔走」との類義関係はさほど強くないように思われる。 次に鎌倉時代文献に目を転じて「馳走」を考察する。鎌倉時代文献では、「馳走」は前の時代に続いた古記録類とこの時代になって初めて完成期を迎えた和漢混淆文とに用いられて、使用範囲の広がりを見せる。古記録類に見えた「馳走」はいうまでもなく前の時代の継承であるが、和漢混淆文に使用されている「馳走」は和文にはその所在が確認できなかったので、和文からの受容とは考え難く、古記録類のそれを受け継いだものであると考えるのが自然である。先ず、古記録類に於ける「馳走」の意味用法について検討を加えてみる。本来の「馬」が走るか駆け回るかの意味を表す「馳走」を挙げよう。1. 又輔通馬馳走懸右大将下﨟随身御馬之間(明月記・嘉禎元年十月二十八日)

 Cf 夜前今朝車馬奔走(同上・元久元年七月二十七日) 「馳走」は参考例の「奔走」と同じく用いられているように思える9。つまり、日本語では「馬」や「車馬」が走るか駆け回るといった意味においても両語の類似点が見られる。2. 雖達天聴、已無勅許、只今参内可奏去夜院宣云々、即馳走内了(玉葉・治承二年二十八日)

 太子の事について、「去夜の院宣を奏すべし」のため、「内(裏)に馳走」する。「馳走」は忽ち宮中に馳せたことを表し、「速度の速い」という意味特徴が備わっている。3. 人告云、東軍已付勢多、未渡西地云々、相次人云、田原手已着宇治云々、詞未訖、六条川原武士等馳走云々、仍遣人令見之処、事已実(同上・寿永三年正月二十日)

 範頼、義経の軍勢が宇治に到り、義仲の軍を破って上洛し、六条川原に已に軍勢が見えた。「武士等馳走」は合戦のため、武士等が激しく迅速に走り回っていることを述べている。平安時代に続く「武士等馳走」という表現形式であるが、武士だから、当然なことながら、歩兵が疾走し、騎馬兵が馬を駆って走らせることになる。つまり、「馳走」の本来の意味で用いられている。

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4. 人伝云、為搦義行武士東西馳走云々(同上・文治二年六月六日)

 「馳走」は義行を逮捕するために、武士が疾くに町中に繰り出すことを表す。例 2 と同様、「馳走」が「武士」と共起した語形式で、原義のままで使われる。次の例も「武士馳走」となる。5. 今日剋許路頭騒動、武士馳走、日吉北野神輿重可奉振之由、有巷説、皇居武士群参云々(勘仲記・弘安六年二月二日)6. 閭巷物騒、武士等捧干戈馳走東西、不知何由緒、馳集武家之由有其説(同上・弘安十年三月四日)7. 武士馳走、天王寺別当猶可被付山門之由衆徒訴申(百錬抄・延応元年八月二十日)8. 武士馳走京中、申剋於六波羅合戦(帝王編年記・424. ⑮)9. 巷説嗷々、武士馳走(明月記・建仁三年九月十三日)

 鎌倉時代の文献に多用されている「武士馳走」という表現形式はほかでもなく武士社会の特色を投影するものであろう。下記の例は「馳走」の主体は「武士」ではないが、迅速に走るまたは走り回るという意味は変わっていない。 10. 関東飛脚参洛、洛中馳走(百錬抄・仁治三年正月十九日)

 11. 官兵宿廬各放火、数箇所焼亡、運命限今夜之由、都人皆迷惑、非存非亡、各馳走東西、不異秦項之災(吾妻鏡・承久三年六月十五日)

 Cf 火災盗賊、大衆兵乱、上下騒動、緇素奔走、誠是乱世之至也(玉葉・安元三年四月二十八日)

 参考例では例 11 と同じ火災に見舞われた場面であるが、人々が慌てふためいて一刻も早く逃走することを表す「奔走」は「馳走」と同じく用いられ、類義関係となる。 12. 所飼給之小鳥飛去自籠内、在庭前橘之梢、若君周章給之間、緒大夫侍等雖馳走、無所于欲取(吾妻鏡・嘉禎四年五月十六日)

 脱走した若君の小鳥を捕まえるための「馳走」は、速度の速いだけでなく、全力で庭中をあちらこちら走り回るという意味と解されよう。つまり、一所懸命に捕まえることに励むという含意も読み取れる。次の例も苦労を厭わずに雨の夜に駆け回りながら奉納用の写経を十部「奉埋」した。 13. 於横川号殿下御願被書如法経、十部、一昨日奉納、雨夜馳走、所々奉埋之(明月記・嘉禎元年

十月十九日) 14. 参院、奏聞臨時祭條々事、庭座公卿殿上人日来無領状、仍昨今終日催促馳走、次参内、次参殿下(勘仲記・弘安七年十一月二十二日)

 臨時祭に関する「領状」の提出を催促するために、「馳走」は、昨今二日間に亘って宮中をはじめとする関係者の家々に忙しく回る、言わば全力疾走することを表す。ここの「馳走」の意味は中国語の②に極めて近づき、「馳走」の持っている本来の「速い速度」という意味特徴が希薄となっていると考えられる。以下、『明月記』に見えた例は更に進んで中国語の②と同意味を示すものである。これは参考例として挙げる「奔走」からも示唆される。先ず、昇階または昇進のために「除目」、「小除目」及び「直物」などに際しての猟官活動に精を出して働く「馳走」の例を挙げてみよう。 15. 明日小除目云々、貴賎馳走、成功者多可有雑任

云々(明月記・建仁三年十二月十九日) Cf 依辨官昇進、天下貴賎或申身望、或挙子息、東西奔走、予獨絶望(同上・建仁三年二月三日)

 「馳走」は「小除目」に当って、朝廷上下が猟官運動に励むことを表し、その結果として「成功者多可有雑任」となる。一方、参考例の「奔走」を見れば、「辨官昇進」に依って、「天下貴賎」が或いは自身のため、或いは子息のため、任官できるように東奔西走する。つまり、「馳走」と同じく四方八方に走って懸命に猟官運動を展開させたことを表す。 16. 除目近々、上下馳走、入夜帰参、今夜書状一通付清範、為家申侍従事也(同上・建永元年十月十三日)

 Cf 除目近々、人々奔走(同上・承元元年十月二十六日)

 猟官運動と言えば、今も昔も多種多彩で様々な営為と想定されるが、その複雑な概念を簡潔に表すべく「馳走」がそれを担うことになるかと思われる。例 16 のように、「馳走」の目的である任官、昇階に関する活動の一つとも思しきこととして、定家は次男の為家が侍従になるため時の内蔵権頭「清範」に依頼の書状を書き、働きかけたと考えられる。さて、除目等に際して、一体如何にして「上下馳走」が展開されたのか、つまり「馳走」振りはどのようなものか。これについては、時代を再度遡上した『枕草子』の記述からもその一斑が窺えよう。・除目の頃など、内裏わたりいとをかし。雪降

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日本語における漢語の意味変化について-「馳走」の続貂- 97

り、いみじうこほりたるに、申文もてありく。四位五位わかやかに心地よげなるはいとたのしげなり、老いてかしらしろきなどが人に案内いひ、女房の局などによりて、おのが身のかしこきよしなど、心ひとつをやりて説ききかするを、わかき人々はまねをしわらへど、いかでか知らん。「よきに奏し給へ、啓し給へ」などいひても、得たるはいとよし、得ずなりぬるこそいとあはれなれ(枕草子二段)

 正月には地方官を補任する県召である「除目」は中下流貴族の受領階級に属する作者にとっては一族郎等挙げて最大の関心事である。換言すれば、叙任、任官できるか否かは一族の繁栄、俸禄に関わる最重要な出来事であると言ってよい。だからこそ、全力を挙げて苦労をものともせずに猟官活動に励むといった「馳走」が欠かせないのである。文中の「申文もてありく」のように、任官申請の文書を持ちながら、後宮の后妃や大臣・納言・参議などの有力者の伝手を求めて所々に立ち回ること、「人に案内いひ」のように縁故を求めて取り次ぎを依頼すること、「よきに奏し給へ、啓し給へ」のように、どうぞよろしく主上に言上くださいませ。皇后様にも申し上げてくださいませなどと陳情すること、それらはほかでもなく「馳走」の内容の一部であると同時に、「馳走」の風景も如実に投影している。言い換えれば、「馳走」一語のみで斯様な猟官運動の在り方を実によく活写したのであろう。除目の「馳走」の光景について下記の菅原道真の詩にも示唆されている。・除目明朝丞相家、無人無馬復無車、況乎一旦薨已後、門下応春枳棘花(菅原文草・春日過丞相家門)

 いつの時代も変わらぬ官界の虚偽、無情を辛辣に批判している内容であるが、詩の「県召の除目の明朝は、大臣の家は前日の慌ただしい雑閙と打って変わってひっそりとして人影もなく馬も居らず、また牛車も居なかった」という上の二句からも、除目のために大臣の門前市を成すが如く、「人」「馬」「牛車」の必死たる「馳走」の情景が生き生きと伝わってくるように思われる。 17. 直物近々上下馳走云々、巷説、親長可被棄(明月記・寛喜元年七月八日)

 Cf 又除目之由、門々戸々奔走、是可有任大臣之故也(同上・建暦元年九月二十日)

 Cf 明後日除書所望之輩奔走(同上・建仁三年十月

 二十一日) 除目の結果を記した召名の誤りを改め直す、言わば任官の見直しである「直物」に近づき、諸々の関係者が力を振り絞って最後の追い込みをかけるという意味の「馳走」となるが、しかし、その懸命な活動が必ずしも報いられるとは限らず、「親長可被棄」という空しい結末もある。 18. 明日可有小除目、(略)、頭被補通忠歟、有親馳走、御気色宜云々(同上・寛喜二年三月十六日)

 正に猟官運動の結実と言ってよいが、「平有親」の「馳走」のため「源通忠」が「蔵人頭」と補された。それでその「有親」が「御気色宜」。「馳走」は他人の昇階のために一肌を脱ぐ、言わば昇進の世話をすることを表す。以上の例は官位のための「馳走」であるが、次の例は公務、公用のために忙しく懸命に働くという「馳走」となる。 19. 辞退了、毎事馳走、頗過身分限、欲相触騎馬、所労出来由云々(同上・寛喜二年十二月二日)

 20. 参院御鞠名謁、今日列見無人、午時催無人由、依無僮僕不能参、所々鞠興被裁切立、日々馳走云々(同上・天福元年三月七日)

 21. 申終許有長朝臣来臨、自去春不音信、驚謁種々病悩無其隙、聊得減之時、被召出馳走又更発(同上・天福元年八月二十八日)

 Cf 相励無益之身、奔走貧老之身、病與不具(同上・建仁二年五月二十八日)

 有長は「病が聊か減を得るの時、召し出され馳走し又更に発る」と解される。「馳走」は官吏としての職務を懸命に全うする意味として用いられる。その故に折角軽減した病気は再び重くなった。参考例の「奔走」も同じく病身を顧みず職務に励むことを意味する。 次の「馳走」は懸命に得難い物を求めたり不可欠な物を用意、世話したりする意味で使われる。 22. 近年天子上皇皆好鳩給、長房卿、保教等本自養鳩、得時而馳走、登旧塔鐘楼求取鳩(同上・承元二年九月二十八日)

 鳩を求め取るために時を得て「馳走」する。その「馳走」振りは、「旧塔鐘楼」に登ったりして努力を惜しまない。次の「馳走」は猟官の計略のため奔走することを表す。 23. 権官之輩遇選別當闕之時、(略)、求媚時権之処、追従賄賂之営、馳走計略之苦、宛費身命(鎌倉遺文・2287 条)

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 24. 亥時触催、当時無公事之時、陣座無畳、出納俊基主殿寮年預専一者、馳走、掌灯敷座云々(明月記・寛喜元年十二月二十一日)

 「俊基」は、割り注に依れば、内裏に於ける消耗品の管理、供給を掌る職掌とした主殿寮であるため、陣座を敷く畳を用意、或いは用意の世話をする責任を負うのである。「馳走」は陣座用の畳を用意したり、敷いたりすることなどの世話をする意味を表すかと考えられる。 25. 於片野狩猟之興、幕府公雅卿尊実僧都供奉馳走云々(同上・安貞元年一月二十二日)

 「狩猟之興」に供奉するための「馳走」は供として加わり、世話する意味として用いられる。次の『鎌倉遺文』の「馳走」も同様の意味を表す。 26. 法師只今雖馳走候臨時雑役事、不催□出令安候(鎌倉遺文 .1284 条)

 27. 雖不始今事、世間、只禅室之任意歟、供物馳走者之外無宥恕憐憫事(明月記・嘉禎元年十二月二十一日)

 「馳走」は「供物」の調え、用意または世話をすることを示すかと思われる。 28. 毎事無兼日之用意者、弥可為臨時之纏頭歟、仍馳走奔営之外、無他候(山密往来・281 ⑧)

 「馳走」は臨時の纏頭を忙しく懸命に調えるという意味として用いられている。次の「馳走」は上記のいずれの例と異をして、馬、車馬でもなければ、人間でもなく、情報または噂が速く広まるという意味として用いられているように見える。 29. 未時許右馬権頭来談、移時刻夕帰、修理亮時氏於関東受病、大略如待時、京畿馳走云々此家猶可有事歟、尤不便(明月記・寛喜二年六月七日)

 北条時氏は二十二才で上洛、第二代六波羅北方探題となった。安貞元年(1227)四月二十日に修理亮に任官され、以後六波羅修理亮・匠作と称された。寛喜二年(1230)四月十一日に叔父北条重時と交替して鎌倉に下向、ところが、五月二十七日病を発し、六月十八日二十八才の若さで没した。死期の来るのを待つが如き時氏の重病説が京畿の人々にとって一大事であったため、忽ち京畿の巷に広がったと解される。 以上、鎌倉時代の古記録類に於ける「馳走」の意味用法について考察を施してきた。「馳走」は、前の時代の意味用法を踏襲している一方、主体や目的の多様化によってある事態や出来事に善処すべく、

その関係者や関係するところを忙しく懸命に駆け回ることから、ある事態や出来事のために力を尽くしたり、ある物を努力して用意したりするということを表すようになり、中国語の②の意味と重なったところもあれば、一致しないところもある。 次に和漢混淆文に見えた「馳走」を挙げてその意味用法について検討してみよう。前述の表に示されるように、管見に及んだ和漢混淆文から「馳走」は僅か七例しか検出できなかった。以下にその七例をすべて列挙して考察する。1.(餓鬼ガ)手ヲ以テ自ラ手ヲ掴ミ音ヲ挙テ吼ェ叫テ東西ニ馳走ス(鈴鹿本今昔物語集・巻二75 裏③)

 Cf 飢渇所逼叫喚馳走(妙法蓮華経譬喩品) 「馳走」は参考例と同様、餓鬼があちらこちらに走り回ることを示すが、次の例は明確な目的のために力を惜しまずに求め廻るという「馳走」とする。2. 笋ノ盛リナル時ニハ求メ得ル事易シ笋ノ不生サル時ニハ東西ニ馳走シテ掘リ出シテ母ヲ養フ(同上・巻九 5裏⑪)

 孝子伝、古本蒙求及び注好選などにも見られる、著名な孟宗の親孝行の美談佳話である。「馳走」は、孟宗が母の好きな筍を得るべく、苦心してあちらこちら走り回って探し求めるという意味を表すと考えられる10。前掲した『往生要集』の「馳走求食」と一脈相通じる。次の例はより明確に「食」に奔走することを表す「馳走」となる。3. 佛言ク、「衣鉢ノ外寸分モ不レ貯。乞食ノ餘分、飢タル衆生ニ施ス。」直饒受来ルトモ、寸分ニ不レ可レ貯。況ヤ馳走有ンヤ(正法眼蔵随聞記・二、十三)

 Cf 衆各所レ用ノ衣粮等ノ事、予ガ与ルト思コト無レ。皆是諸天ノ供ズル所也。我ハ取リ次人ニ当タルバカリ也。又、各々一期ノ命分具足ス。勿ニ奔走 -(同上・三、六)

 Cf 諸天応供ノ衣食アリ。又天然生得ノ命分アリ。不ニ求思 -、任運トシテ可レ有命分也。直饒走リ求テ財ヲモチタリトモ、無常忽ニ来ラン時如何(同上)

 「馳走」は明らかに食物のために手を尽くし力を惜しまずに求める意味として用いられる。つまり、たとえ余分にもらってきても、すこしでも貯えてはならない。ましてや食のために奔走することがあってはいけないと解され、参考例の「奔走、走り求め

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日本語における漢語の意味変化について-「馳走」の続貂- 99

る」と類義関係を成す。現代日本語の「馳走」の意味発生は斯様な食のために苦心して手に入れようとする「馳走」に要因の一つを求められるし、意味変化の契機とも言えよう。4. いはんやいたづらに小国の王民につかはれて東西に馳走するあひだ、千辛万苦いくばくの身心をかくるしむる(正法眼蔵・行持下)

 文中の「馳走」は、香厳禅師の言っている「百計千万只為身(あらゆる手立てをめぐらすのはただ身のためである)」という意味で用いられ、つまり、千辛万苦を厭わずに尽力すると考えられる。次の「世俗馳走」も同じであろう。5. 昔シ終南山ニオワセシ時ハ、一向下化衆生ノ心ヲ先トシテ、世俗馳走ノ思モナカリシカバ、内外共ニ清浄ナリキ(延慶本平家物語・第二本15 ウ④)

 前文の「下化」に対して「馳走」は俗事のために苦心して努力するということを示す。次の二例も同様に用いられて、参考例の「馳騁」と似通っている。6. たとひ百歳の日月は声色の奴婢と馳走すとも、そのなかの一日の行持を行取せば、一生の百歳を行取するのみにあらず(正法眼蔵・行持上)7. いたづらに向外の馳走を、帰家の行履とあやまれるのみなり(同上)

 Cf いたづらなる声色の名利に馳騁するなかれ(同上)

 以上、鎌倉時代文献に於ける「馳走」について具体例を列挙しつつその意味用法を考察してきた。当該時代の「馳走」は前の時代の意味用法を継承する一方、新たな意味も発生するようになったことが明らかになる。以上の考究に基づき、鎌倉時代の「馳走」の意味用法は次のように記述できるかと思う。① 人や馬等が走るまたは走り回ること。また、車馬を駆って走らせること。

② ある目的のために労苦を厭わずに走り回って、力を尽くすこと。

③ 苦心してある物を調えたり用意または世話したりすること。

 ①②のように本来の中国語のそれを摂取した上、更に③の「苦心してある物を調えたり用意またはしたりすること」という新しい意味用法も生じてきた。尚、前掲したように、②の「馳走」は「奔走」と意味的には重なると考えられる。せっせと怠らず物事を進めるという②の意味から③の意味が発生したと

考えられる。つまり、何かの目的のために物事をはやくするように努めることの「はやくするように努める」が具体化して③が生まれたのであろう。これと類似した意味派生を見せたのは和語の「急ぐ」である。「急ぐ」は目的を果たすためにはやく事を行うことから、下記の例の示しているように物事を行う準備を進めたり、用意したりするといった意味が生じたと思われる。「馳走」も「急ぐ」も両者とも共通した「はやく忙しくする」という意味特徴を備えているため、③のような意味産出が同じものであろう。つまり、いずれの意味も「馳走」の意味属性の一部が共有された形で属性の連鎖が生じていて、全体が家族的類似を構成していると解されよう11。・導師の前の物、政所いそぐ(宇津保物語・嵯峨の院)・御仏名果てて、つごもりになりぬれば、正月の御装束いそぎたまふ(同上)・年の暮れには、む月の御装束など、宮はただこの君一所の御ことを、まじることなういそいたまふ。(略)「ついたちなどには、かならずしも内へまいるまじう思ひ給ふるに、何にかくいそがせ給らん」と聞こえ給へば(源氏物語・少女)

 上述のように、鎌倉時代までの文献に於ける「馳走」の意味用法については考察を加えてきたが、現代日本語のような意味は確認できなかった。換言すれば、中国語にはなかった、現代日本語の「馳走」の意味は鎌倉時代に下っても依然として現れていないと言ってよいであろう。但し、その意味発生の素地とも言える②と③のような意味は見られる。つまり、人のために懸命に方々に走り回って、食または物を求めたり、用意したりするといった発生条件が具わるようになった。さて、鎌倉時代まで現代日本語の「馳走」の持つ意味は如何なる表現によって示されているのか。それは次に挙げるような語などが担うかと考えられる。・摂政御宿所被儲饗饌、近江守経頼所用意云々(小右記)・別当法印儲饗(御堂関白記)・右聊可ニ饗応相撲人材-ヲ(享禄本雲州往来・27往状)・相撲人可レ賜レタマフ食ヲ(同上・27返状)・さて仕うまつる百官人々、あるしいかめしう仕うまつる(竹取物語・38ゥ⑥)

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・ふねのむつかしさに、ふねよりひとのいへにうつる。このひとのいへ、よろこべるやうにて、あるじしたり、このあるじの、またあるじのよきをみるに、うたておもほゆ(土佐日記・二月十五日)・博士のうちつづき女子生ませたる、方たがへにいきたるにあるじせぬ所(枕草子25)・才どもの饗

あるじ

のこと、また禄ども、ものの節(宇津保物語・嵯峨の院)

 右に引いた「饗饌、饗応、饗」等の表現は「馳走」の現代日本語の意味を表しているのではないかと推定される。この点に関しては『貞丈雑記』にも触れている。あるじもふけといふは客人に食物をくわす事なり馳走することを云饗応の二字をあるじもふけとももてなしとも又あるじと計ももふけ計もいふ也又みあへとも云饗の字なりみは御也(巻六 221 ⑪) と記されている。亦、『観智院本類聚名義抄』と三巻本『色葉字類抄』からも推察される。饗 (中略)アヘス アルシ 大将-(僧上 107 ⑧)饗撰(飲食)分 キヤウセン(下 63 オ⑥)

 つまり、「饗饌、饗応、饗」等は「馳走」より早く現代日本語の「馳走」のような意味を表していたのである。言わば、双方は新旧関係にあるものであると見られる。現代語のような意味は「馳走」には生じるまで「饗饌、饗応、饗」等によって分担されていたと言えるが、「馳走」に現代語のような意味変化が起きた後は、双方の関係が如何なるものとなったのであろうか。少なくとも現代日本語では「新」の「馳走」の方が日常語として中心的に用いられているが、他方の「旧」の「饗饌、饗」が脱落して、「饗応」のみが残存しているものの、改まった、文章用語として特殊的で周辺的な存在となっているように思われる。即ち、双方が主と従の関係にある。 ともあれ、現代日本語の「馳走」の示す意味用法は鎌倉時代に至ってもまだ生じていなかった。次に室町時代に下ってそれを探ってみたい。先ず、当時代の言語資料として不可欠な好資料である『邦訳日葡辞書』に於ける「馳走」の解釈を挙げてみよう。

Chisô チソゥ(馳走)Vaxiru.(走る)世話をし,手厚くもてなすこと(124 頁)Chisô ninチソゥニン(馳走人)人の世話をし,手厚くもてなしをする人(124 頁)Tôzaini chisô suru (東西に馳走する)すなわち,

あちこちへ動き回りながら大いに歓待する(674頁) のように、「馳走」は本来の中国語の意味を踏襲してはいるが、前の時代には見られなかった、やや現代日本語に似ているような意味が発生していると言えよう。一方、鎌倉時代の②と③の意味は影を潜めたようである。つまり、多様性に富んでいた使用対象の②③はここへきて限定化する様相を見せたのである。このようになった「馳走」は下記のように「奔走」と意味的に類似することになる。つまり、室町時代に至っても「馳走」も「奔走」も変わることなく類義語として使われていたことが明らかである。

Fonsô  ホ ン ソゥ(奔走) 歓待.例,Tôzaini fonsôsuru. (東西に奔走する)親切に心を配り,てきぱきと動き回って,非常に手厚く持て成す.招宴の座中では,時としては,褒めて次のように言うことがある.Coto nai gofonsô degozaru.(殊ない御奔走でござる)われわれに対して御主人は大変なもてなしをなさる,などの意(261 頁)馳走 ほんそう也(和漢通用集・95 ⑥)奔

ほんそう

走 馳ちそ う

走也(和漢通用集・61 ④) 次に管見に及んだ室町時代と近世初頭の文献から検出した「馳走」を考察してみよう。先ず、この時代に初出した、中国語文献はもちろんのこと前の時代にも見えなかった、敬意を示す接頭辞「御」を冠した「御馳走」、「馳走人」「馳走顔」12といった語形態を挙げてみる。1. 抑就御入洛、早々可被進御馬候、可有御馳走之由以御神名御申候(多門院日記・永正三年二月二十八日)2. 猶々、亀山へ必可参候間、萬々御馳走頼申候(言経卿記・二 21 ⑤)3. 是へ参れば、よふ来たと有て御馳走はなさるれ共(新日本古典文学大系狂言記・居杭)

 Cf ここに日ごろ、お目をかけさせらるるお方がござるが(日本古典文学大系狂言集・居杭)

 のように、「御馳走」は室町時代文献に多数見られ、日本化が進んでいることを呈している。意味は「世話」を受けるかまたはするかとなるが、次の例は紛れもなく現代語の食事か食べ物のもてなし(をする)という意味で用いられている。4. 今日はいかひ御馳走でござる、殊にお茶と申、御酒と申、忝かしこまり候(新日本古典文学大系続狂言記・鱸庖丁)

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日本語における漢語の意味変化について-「馳走」の続貂- 101

5. かゆから御斎迄食べ、点心を食ふて、御馳走にあふは、出家の身として、是に上越す思ひ出は有まい(新日本古典文学大系続狂言記・どちはぐれ)6. そのうへ、座敷の飾り物、何々御こしらへおき候ふや。御馳走の品々を、いかにも結構めされつつ(御伽草子・猿源氏草紙)

 の「御馳走」は「苦心してある物を調えたり用意したりすること」という前の時代の「物」を「食べ物や食事」に限定させて、もてなしたり接待したりするというような意味が新たに派生したと思われる。この点については下記の『捷解新語(四本和文対照)』13から察知される。⑴けうわこのやうにあしらわしらるお(巻二)・こんにちはかやうに御ちそうの御ざつたこと・こんにちはかやうに御ちそうの御ざつたこと・ 今日はケ様に御馳走の御座つた事を⑵まかないしゆよりも御ねんころなことで(巻六)・まかないしゆよりも御ねんころなことて・御ちそうかたよりも御ねんころなことて・御馳走方よりも御念比な事て⑶せつたいのやうすとこのざッしやうのとうりお(巻七)・御ちそうのやうすとこの御ていねいのおもむきお・(欠文)・(欠文) のように「御馳走」は「あしらふ」「まかなう」「接待」と同じ意味で用いられていることが明らかになる。つまり、現代日本語の食事などを出して相手をもてなすという意味用法は室町時代に発生、形成されたと言えよう。斯様な新しい意味は「御馳走」という語形態に限らず「馳走」にも見られる。7. 仍チ供奉ノ月卿雲客、其ノ外地下ノ役人、随身以下、用意ニシ之ガ馳走 –ヲ至ニ于今 – 無ニキ休踵ノ間 –(蒙求臂鷹往来十月)

8. ことにたのふだ人は先上座へあげてちそうを致所で、われらまでうれしう御ざる(虎明本狂言集・はりだこ)9. 舅殿も機嫌がよふて、馳走に会ふた(新日本古典文学大系狂言記・岡大夫聟)亦、「馳走人」は下記のような例を検出できた。 10. 今度薪ニ上間、則大乗院殿馳走人之間、宗喜遣(多門院日記・天正十年二月十三日)

 のような実用例があって初めて『邦訳日葡辞書』に「馳走人」が収録され得たのであろう。「馳走顔」は下記のような用例が見えた。 11. 人の親疎をわきまへず、我方より馳走顔こそはなはだもつておかしき事なれ(伊曽保物語・馬と犬との事)

 次に古記録などのような和化漢文と和漢混淆文に於ける「馳走」の意味について検討を加えてみたい。1. 依此事京中馳走、持運資財雑具事以外事云 (々宣胤卿記・永正四年八月十二日)2. 此日肝付雑説聞得候、就夫、諸所へ軍衆馳走被成(上井覚兼日記・139 ⑩)3. 弓、手火矢馳走、此外諸条如常(同上・259 ①)4. 学テハ問イ、問テハ学。カクスレハ我心ヨソヘ散乱馳走セスシテ、本心ヲ不失(応永二十七年本論語抄・693 ⑤)5. 上下万民喜び身に余り、足の踏みども覚えいで、馳走奔走をして(エソポのハブラス・431 ⑰)

 上記の五例は、3 と 4 は比喩的に用いられているが、前の時代に続く「人や馬等が走るまたは走り回ること。また、車馬を駆って走らせること」という本来の意味として使われる「馳走」と考えられる14。但し、管見に入った室町時代文献にはこのような意味を示す「馳走」は前の時代と比較すれば、使用量が極めて少なくなり、周辺的な存在となっているとも言える。次に列挙する用例は前の時代に多用されていた「ある目的のために労苦を厭わずに走り回って、力を尽くすこと」という「馳走」となる。6. 此十日計持病虫腹更発以外候間、不能出頭候、尚々歓楽失為方候之間、自身不及馳走候(康富記・享徳二年五月三十日)7. いそがしい体ぞ。東西南北、馳走する者があるぞ。(毛詩抄・巻十三 181 ⑪)8. 心ヲ労シ身力ヲ馳走スルヲ云(荘子抄・三 41ウ①)9. 誰黄泉のせめをまぬかれん。是によつて馳走す、所得いくばくの利ぞや(曽我物語・399 ④)

 10. 成身院宗慶法印往生了、八十二歳歟、近来ノ果報者也、(略)若年ヨリ種々預馳走、蒙扶持、今更悲涙無極処也(多門院日記・天正四年九月十二日)

 右に挙げた「馳走」はいずれも尽力したり、尽力されたりすること、「預馳走」の示すように尽力を授け、いわば世話になることを表すことになる。次

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の例は「預馳走」に対しての返礼として用いられる「馳走(の)礼」という固定的な表現となる。 11. 新参衆七人、今度会式馳走ノ礼ニ二荷・三種持各来了(同上・天正六年十月二十九日)

 12. 宝寿院職付、今度馳走礼トテ、杉原一束持礼ニ来了(同上・天正九年七月十七日)

 次の「馳走」は前の時代に成立した「用意、世話」という意味として使われる例であろう。 13. 助二郎堺へ為配膳追々可越之由フレアリト、内儀ニテ申理了、辻源馳走了(多門院日記・永禄十三年二月六日)

 14. 大儀共候相応之御用之事、被仰越可令馳走候相構(会席往来・十二月)

 斯様な「馳走」は前掲したこの時代に成立した古辞書に示されているように「奔走」と類義関係を成していることについて以下の「奔走」の意味から示唆される。・行人ノ毎日区々トシテ名利ノ塵ニ奔走スルヲ欺キ笑フヤウナルソ(中華若木詩抄・巻四)・是によつて馳走す、所得いくばくの利そや(曽我物語・巻十一)・赤衣事種々雖致奔走、遂難得之間(康富記・康正元年八月二十七日)・明禅房得業種々馳走ニテ則今日被成御渡了(多門院日記・天正十一年七月三日)

 のように、「馳走」も「奔走」も前の時代に続き、「ある目的のために労苦を厭わずに走り回って、力を尽くすこと」ということを表している。それのみならず、次の例の如く「奔走」は室町時代に発生した「馳走」の「もてなし」という意味においてもそれとの類似性が見られるが、使用の量としては管見に及んだ文献に限って見れば、「馳走」より事例も極めて少なかったようである。これは「奔走」が「馳走」のように「立派な食事」という新たな意味の派生には至らなかった理由の一つでもあると考えられよう。・吾ガ家デ酒サカナ色々ホンソウヲシテ、モテナイテ、フネニノセテフナ津デイトマゴイナドトシテ、家エ帰リタレバ(詩学大成抄・巻五)

 以上の考察によって室町時代の「馳走」は前の時代の意味用法を継承している一方、現代語と同じく新たな意味も生じたことが判明した。 一方、「馳走」は美味しい料理すなわちもてなしのための立派な食事などというもう一つの現代語の意味用法は室町時代にはまだ発生していないようで

ある。それの出現は次の例から分るように江戸時代に下ってからではないかと考えられる。・これお みまるせうために しんしやくおこッそしまるせんせつたいの御ちそうよのつねにならず(四本和文対照捷解新語・巻六)・これおみまッせうために御じぎいたしません せつたいの御ちそうよのつねなりませぬ(同上)・御じぎいたしません 御ちそうよのつねなりませぬ(同上)・御辞儀致しません 御馳走尋常成りませぬ(同上)

 原刊本と改修本の「御馳走」はその修飾語「接待」のための肴または料理という意味として用いられ、そのものものが「よのつねにならぬ」ほどの立派なものである。次の「御馳走」も同じく使われているかと考えられる。・さくしッつわしゆしゆ御ちそうのふるまい まことにもつてかたじけなくぞんじたてまつり候(同上・巻十)・さくしッつわしゆしゆ御ちそうのふるまい まことにもつてかたじけなくぞんじたてまつり候(同上)・さくしッつわしゆしゆ御ちそう ことにもつてかたじけなくぞんじたてまつり候(同上)・昨日者種々御馳走誠以忝奉存候(同上) 「振舞後賀状」に現れた「御馳走」は、その修飾語「種々」と掛かる言葉「ふるまい」の意味から「ふるまい」のための立派な肴或いは食事そのものを表すと解される。かかる振る舞った「種々御馳走」に対して「まことにもつてかたじけなくぞんじたてまつり候」と感謝の意を表している。ここにきて「馳走」は「食事などを振る舞ってもてなす」という意味から振る舞ってもてなすための料理や食事そのものを指すという新たな意味が生じるようになった。このような意味転用は「換喩(シネクドキ)」として「一方のカテゴリーから他方のカテゴリーへ意味が伸縮する現象である」(瀬戸 1997:166)と認知言語学的にも説明できる。「馳走」は、室町時代以降に生まれた新しい意味用法が次第に勢力を増すと共に、本来の意味の方が減退の一途を辿った結果、現代語に至って完全にその姿を消してしまった。更に、それによって室町時代まで類義関係であった「奔走」の「もてなし」という意味領域も侵された。その替り

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日本語における漢語の意味変化について-「馳走」の続貂- 103

に「馳走」の本来の意味は「奔走」によって担われるようになる。その結果、現代日本語における「馳走」と「奔走」の間には類義関係が存在しなくなっているのである。尚、何故、「馳走」はその意味変化が止まることなく、「立派な食事」という新しい意味も派生したが、一方、類義表現である「奔走」は斯様な意味変化を遂げることができなかったか。それは上述したように、「馳走」の多用に対して「奔走」の使用の少なかったという両者の使用量の格差に一因が求められよう。また、両者の原義の差異にも関わるかと思う。つまり、人間だけで走り回る「奔走」に対して、「馳走」は馬または人馬共に疾走するといった行為であるから、対人関係から見れば、より高く評価される対象となるであろう。更に言えば、「奔走」より「馳走」の方が一層「迅速、尽力」であることが人の目に映りやすいし、その「馳走」によって調えられたりする物も「奔走」以上に「振る舞う」側と「振る舞われる」側のどちらにとっても有り難い所以であろう。かかる対人的な差異は「馳走」の「立派な食事」という意味を生成させた理由の一つとも考えられる。

 平安時代までの「馳走」は基本的に出自となる中国語を継受していたが、鎌倉時代に下ると本来の中国語を受け継ぐ一方、出自たる中国語には確認できなかった新しい意味用法が生まれたのである。室町時代に入って、中国語はもちろんのこと、鎌倉時代までにも見られなかった「御馳走」という新たな用法と「酒食などを設け、もてなす」という意味も現れた。更に、近世初頭頃に「立派な料理や食事」という意味が新たに発生するようになった。いわば、意味の向上という変化が明らかに生じたのである。それ以降は変化した意味用法が「馳走」の中心的なものとなるに伴って、本来の意味は消失して行き、現代日本語に至って完全に消えた。斯様な日本語化した「馳走」は現代の中国人にとっては理解し難く日本的なイメージが強そうである。 さて、「馳走」は何故かかる意味変化が生じたのか。その要因について探ってみたい。日本文献では鎌倉時代に入ると、「馳走」の目的が本来の中国語より多様化となった。特に人のために懸命に走り回って「求食」、「物品の用意」などをしたり、人の昇進任

官などのために方々に駆け巡って働きかけるという世話をしたりする「馳走」が多く検出された。このような「馳走」を土台に、より武士の儀礼が整理され、また公家化されて行く室町時代になって腐心して求めた酒食で人をもてなす意味、続いてその立派な料理、食事という意味を生じさせたであろうと考えられる。つまり、人のために懸命にするという本意と転意との間に共有される関連性を下地に連想して意味の変化が起ったのであろう。その言語内部の要因を誘発させたものは、「振る舞い」や「饗応」などの既存語には「馳走」のような八方手を尽くし方々に奔走して求めるという人に感じさせる「一所懸命さ」言わば、「有り難さ」が共起していないことによって、その弁別差を求めるためであると思われる。

付記:本稿は欒竹民平成 26 年度海外長期研修による研究成果の一部であり、平成 5年広島大学に提出した博士論文の作成と共に調査した資料を基に執筆したものである。

1 『明鏡国語辞典』北原保雄著、大修館書店、2002.12.12 中国では発行数も使用範囲もいずれもトップである『現代漢語詞典』および『中国語大辞典』(大東文化大学中国語大辞典編纂室編、角川書店、1993.3.10)『中日大辞典増訂版』(愛知大学中日大辞典編纂所編、大修館書店、1986.4.15)などには「馳走」が掲載されていない。

3 尚、國田百合子氏は、「ちそう(馳走)ごちぃそう(御馳走)ごちそうさま(御馳走様)」(『講座日本語の語彙⑩』、明治書院、1983.4.25)において「馳走」については、中国語出自の漢語として捉えられ、馬を駆って走らせる意を表し、日本語に入って南北朝ごろまでは「馬を駆けて走り廻る意とともに、ただ、走り廻る意にも用いている」とされているが、室町時代に入り、本来の意味が保たれていながら、「走り廻ることが他の好意の表明であるという解釈が加えられ、世話をする、もてなす、または、手を尽くすの意が派生している」が、江戸時代に入ると「走り廻る意がほとんど用いられなくなり、酒肴・酒食の有無にかかわらず、もてなす、接待する意に限定して用いられるようになった」と、「馳走」の意味変化の過程を簡潔に跡付けられている。

4 左傍注の仮名から重箱読みの可能性も否めない。

Ⅴ.結び注

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5 『漢語大詞典』(羅竹風主編、漢語大詞典出版社、1994.4)「馳走」の条に①快跑。疾馳②猶奔走。為一定目的而進行活動。(用例略)と注釈されているが、特に②の「猶奔走」との解釈に注目すべきことである。即ち、中国語においても「為一定目的而進行活動(ある目的のために働く(日本語訳は筆者))」という意味としての「馳走」は「奔走」と類義関係を為していたように見え、中世に成立した日本語の古辞書に於ける「馳走」と「奔走」の意味が類似していることと趣が同じであろう。

6 「②為一定目的而到処活動」『現代漢語詞典』、「②奔走する、(一定の目的のために)走り回る、活動する、忙しく用事をする、使い走りする」『中国語大辞典』(大東文化大学中国語大辞典編纂室編、角川書店、1993.3.10)

7 先行研究はもちろんのこと、『日本国語大辞典第二版』においても列挙されている「馳走」は『中右記』の例を最古とする。つまり、いずれも平安時代後期の挙例に止まる。

8 『中右記』には、本文に挙例している 2 例の外に「馳送」という表記である 1 例も存するが、『日本国語大辞典第二版』では、それを「馳走」の「②(世話するためにかけまわる意から)世話すること。面倒をみること」という意味の最も古い例として挙げている。「暗夜尋路行三四町下人屋、爰外宮禰宜雅行初聞此事、令走下人云、早可宿我宿館者、予答云、神宮之辺寄宿有恐、又無先例、只留此小屋可待天明也、次畳三枚馬草菓子等少々所馳送也、是雖下人有此用意歟」の「馳送」は「馳走」の異字表記というよりも、寧ろ小屋での一泊を凌ぐための「畳三枚馬草菓子等」を急いで届けるという字面通りに解された方が妥当かと思われる。

9 中国語では基本的に「奔走」は人間を中心に走るなどの意味を表し、「馳走」との使い分けがされているようである。

10 ここでの「馳走」の注釈について岩波古典文学大系『今昔物語集』などにおいて「走り回る。奔走する」とされている。尚、現代日本語の「奔走」に関しては「物事の実現に向けて走り回って努力すること」(北原保雄編『明鏡国語辞典』大修館書店・2002.12.1)と意味注釈されている。

11 吉村公宏『はじめての認知言語学』(2015、8 刷、研究社)等。

12「御馳走」について『時代別国語大辞典室町時代篇』には掲載されておらず、『日本国語大辞典第二版』には虎明本狂言に見えたものが古い例として挙げられている。

「馳走人」に関しては『時代別国語大辞典室町時代篇』

と『日本国語大辞典第二版』において初出例として『邦訳日葡辞書』の例を列挙してある。

13 1625 年からおよそ十年ほどの間に成立したとされる「原刊活字本」に続き、18 世紀に入って、二回ほど改訂が行われ、改修本、重刊本が刊行され、更に日本語本文のみを抜粋して、これを漢字仮名交じり表記に改めた「捷解新語文釈」も上梓された。

14 斯様な「馳走」については『時代別国語大辞典室町時代篇』には掲載されていない。

瀬戸賢一、1997『認識のレトリック』海鳴社

本稿で調べた中日両国文献は『広島国際研究』第19巻に掲載された拙稿「漢語の意味変化について-「迷惑」の続貂-」を参照されたい。

引用文献

調査文献