持続可能なまちづくりと 都市のレジリエンス · 持続可能なまちづくりと...

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持続可能なまちづくりと

  都市のレジリエンス

藤 

田 

裕 

と き 

平成三十年二月二十一日(水)

ところ 

ホテルグランヴィア京都

レジリエント・シティ京都市統括監

目 次

はじめに………………………………………………………………………………6

 (京都が注目を浴びる数々の事業)……………………………………………9

 (レジリエンスの意味)………………………………………………………11

 (ダボス会議などで二〇一三年に大きく注目)………………………………13

 (レジリエンスによる災害用語の定義)………………………………………17

 (レジリエント・シティとは何か)…………………………………………20

 (CRO(チーフ・レジリエンス・オフィサー)の配置)…………………22

 (世界一〇〇のレジリエント・シティ)……………………………………24

 (二つの東京オリ・パラの狭間で)…………………………………………28

 (高度経済成長時代の忘れ物)…………………………………………………31

 (京都の強みは何か)…………………………………………………………34

 (人口減少と少子化)…………………………………………………………37

 (人口減少の影響…どうなっていくのか)……………………………………41

 (人口減少への対応…どうすれば良いのか)…………………………………43

 (少子化対策に本腰を)………………………………………………………45

 (社会全体での子育て支援)……………………………………………………47

 (若者支援と子育て支援の融合)………………………………………………49

 (レジリエンスの視点でみた災害対応)………………………………………50

 (学区単位の取組を見直す)……………………………………………………53

 (地域の拠点としての学校の役割)……………………………………………57

 (三・三・三の原則)………………………………………………………………59

 

本冊子は、平成三十年二月二十一日、内外調査会京都支部例会で講演させていた

だいた内容に修正・加筆してまとめたものです。

 

必ずしも、行政としての公式見解を紹介したものにはなっていないと思います

が、レジリエント・シティの取組について、市職員の皆様はもとより、地域や各種

団体の方々をはじめ幅広い市民の皆様に知っていただき、より関心を高めていただ

くことを期待して発行する運びとなりました。

 

講演の中でも触れておりますが、レジリエント・シティの取組は、行政が戦略を

策定すること自体を目標とするものではありません。レジリエンス戦略を策定する

プロセスを通じて、施策や組織や活動、さらには市民生活のあり方についても、市

民ぐるみで見直し、未来に向けて改めていくことが究極の目標なのです。

 

そうした取組の第一歩として、本冊子が皆様に少しでもお役に立つことを念願し

ております。

平成三十年三月 レジリエント・シティ京都市統括監

藤田 裕之

 (京都ならではの課題)………………………………………………………61

 (改めて、地域のレジリエンス)……………………………………………64

 (区役所の役割の重要性)………………………………………………………67

 (地縁団体と志縁団体の連携)…………………………………………………69

 (個人のレジリエンス)………………………………………………………71

 (京都の歴史とレジリエンス)…………………………………………………73

 (世界のレジリエント・シティとして)……………………………………75

 (今後の取組の展開に向けて)…………………………………………………78

  〈参考…レジリエント・シティ京都市民フォーラム(平成三十年一月二十日開催)〉……82

5

 

本日は内外調査会の、貴重な機会を与

えていただき感謝を申し上げます。

 

私は、京都市に奉職し、去年の三月ま

では公務員という立場で過ごしてまいり

ました。せっかくですので、私の自己紹

介を少しだけさせていただきます。

 

私は、市役所では、長年、教育委員会

で教育行政一筋に関わってまいりまし

た。役所に入ったときの直属の所属長の

課長が、桝本頼兼前市長、隣の係の係長

が門川大作市長でして、将来、市長にな

られるお二人にお仕えしてきたことは、

貴重な経験でした。

 

特に、教育委員会当時から、子ども

の育みということを全ての重点、第一に

置いて、チャイルドファーストという観

点で社会をつくっていくことの重要性

にこだわり続けて仕事をしてまいりま

した。

 

ただ、その中で大変残念な、また、私

自身が拭い去ることのできない辛い経

験が、伏見区の日野小学校で起こった、

当時2年生の児童が校庭に侵入してき

た若者に殺されるという事件でした。

 

ちょうど当時、生徒指導課で課長を

しておりました関係で、現地にもずっ

はじめに

67

も、ちょうど右京区政八十周年というタイミングに出くわしたのですが、区役所

がいかに重要な存在か、特に、大都市であり、かつ直接行政を司る京都市にとっ

て、区役所は、市民の方が京都市を評価するうえで、あるいは京都市に住んで良

かったと実感していただくためにどれほど重要な窓口であるかを実感することが

できました。

 

そのような経験を経て、平成25年に副市長を拝命し、教育や子育て支援、ある

いは福祉、医療、文化、芸術、スポーツ、また、区役所行政、さらには危機管理や

国際交流などの仕事を担当させていただいたことは、大変有り難かったと思って

おります。

 (京都が注目を浴びる数々の事業)

 

さて、昨今、二〇一五年の琳派四百年以降、次いで伊藤若冲生誕三百年、昨年

は大政奉還百五十年、今年は明治百五十年、また、来年は、ICOM・国際博物

と詰めて、親御さんや地域の方々あるいは学校現場の関係者と、緊迫した時間

を過ごしつつ、学校現場で子どもの命が失われるようなことを二度と繰り返さ

ないためにはどのようにしたらいいのかをひしひしと感じながら、事件の対応

に没頭したことは忘れられない記憶です。

 

事件を受けて、学校の安全をどのように守っていくのか緊急の委員会を立ち

上げた際に、文化庁長官も務められた河合隼雄先生が、「これは、開かれた学校

づくり、学校が地域とともに歩んでいこうという取組に対する挑戦だ。だから、

ここで門を閉じて学校を閉鎖的にしてしまうのではなく、今こそ地域住民の方

に毎日、学校にたくさん来ていただいて、そのことによって人の垣根で子ども

の命を守っていく、そういうことがこれからの社会で絶対大事なんだ」という

ことを熱く語られたことが今も記憶に残っています。

 

その後、教育委員会の生涯学習部長としてPTAや「おやじの会」など地域や

家庭の教育などを所管し、次いで右京区の区長をさせていただきました。この時

89

 (レジリエンスの意味)

 

さて、この「レジリエンス」という言葉、

元々はラテン語で、英語としては、回復

力、弾力性、しなやかな強さ、強靭さな

どが、その定義になる名詞ですが、実は

幅広い分野で用いられています。(ちな

みに、「レジリエント」は英語の形容詞で、

「強靭な」といった意味で用いられます

が、本冊子では「レジリエント・シティ」

の表現以外は、「レジリエンス」で統一し

て使用しています。)

 

例えば、自然環境が一度破壊されても

元に戻る様子をはじめ、一人の人間がト

館会議京都大会が開催され、二〇二〇年

の東京オリンピック・パラリンピックを

経て、翌年には、開会式が京都で行われ

るワールドマスターズゲームズと、京都

が大きく注目を浴びる取組がめじろ押

しになっています。

 

しかし、京都が今のままで安住して

いていいのかと考える際に、「レジリエン

ス」というフィルターを通して、社会の

あり方や私たちの生活を見ていくこと

で、少し違った受け止めをしていただけ

たらありがたいです。

1011

ば、企業、組織の在り方にも当てはめられることです。

 

そして、そのレジリエンスの概念を都市のあり方に適用したのが「レジリエン

ト・シティ」なのです。

 

このように、レジリエンスの概念は、非常に幅広く使われて、自治体や社会の

在り方にもつながっていくわけですが、二〇〇一年の九・一一ニューヨーク同時テ

ロや二〇一一年三・一一東日本大震災と結び付けて用いられる機会が多かったこと

から、ややもすると災害に限定した言葉だと思われがちなのです。しかし実は、

そうではないということをまず押さえていただきたいと思います。

 (ダボス会議などで二〇一三年に大きく注目)

 

さて、世界経済フォーラム、通称「ダボス会議」が、今年も一月に開催されまし

た。実は、このダボス会議の二〇一三年の年次総会の一つのテーマが、レジリエン

ス・ダイナミズムでした。この二〇一三年は、この「レジリエンス」という言葉が、

ラウマになりそうな大きな経験をして

も、そこからまたはい上がっていく力、あ

るいは組織や社会においても、様々な外

圧や内面的な問題を乗り越える場面でレ

ジリエンスと言う概念が用いられます。

 

同時に、大事なことは、そのようなレ

ジリエンスをどのようにすれば獲得でき

るのかということであり、レジリエンス

な状態になるために自己有用感や自尊

心、頑張れば何とかなるという楽観思考

などが必要だということも心理学では

指摘されています。もちろん、それは、

個人だけではなくて、集団、もっと言え

1213

あるいはアメリカなどはどちらも高いというようになっています。

 

わが国でもこの年にレジリエンスが取り上げられており、国土強靭化計画、

英語に直すと「ナショナル・レジリエンス・プラン」の基となる「国土強靭化基

本法」が制定されています。もちろん、ここでの国土は社会全体を指すわけです

が、ただでさえ「レジリエンス」の直訳である「強靭さ」が、今日の日本語の語感

ではハード的な意味合いであると誤解されがちな中で、ややもすると「国土強

靭化計画」も、土木や建設の課題だと、受け止めておられる方も少なくないので

はないでしょうか。

 

しかし、実際には、経済や暮らしなど社会生活の幅広い分野に関わる課題です

し、この「レジリエンス」についての第一人者の一人である京都大学レジリエンス

実践ユニットの藤井聡先生も、レジリエンスは、成長戦略の要であり、過剰な市

場原理の回避や人のつながりなども重要な概念だと強調されています。

 

少し状況が変わりますけれども、この「レジリエンス」という言葉と一見よく似

一気に盛り上がった年でもあります。社

会のレジリエンスをどのように強化して

いくのかといった具合に、この辺りから

「レジリエンス」という言葉が国際的な

会議や社会の在り方を論じる際に良く

用いられるようになりました。

 

また、このダボス会議の中でレジリエ

ンスの力がそれぞれの国にどの程度ある

かが図式化されていますが、経済的な競

争力とレジリエンスの力との対比関係に

関する評価において、日本は、経済競争

力はあるのにレジリエンスは低く、一方、

ヨーロッパのドイツやイギリス、スイス、

1415

つ持続可能性と創造性を兼ね備えている概念であり、先行き不透明な現代社会の

中で、今後、益々用いられる機会が増えるものと確信しています。

 

同時にこの落ち込みから回復する場合の、社会状況が良くなっていくというこ

とが、果たしてどのような状態を指しているのか、非常に難しい課題であること

も事実です。

 (レジリエンスによる災害用語の定義)

 

レジリエンスは災害に特化されるものではないと申し上げましたが、ここでは、

災害で用いられる「復旧」と「復興」という言葉の違いに少し触れたいと思います。

一般的には「復旧」も「復興」も、ほぼ同じ意味で使われることが多いですが、「復

旧」が元どおりに戻すことに主眼を置くとすれば、「復興」は、復旧した上でより

活性化した状態にするということになろうかと思います。つまり、レジリエンス

の観点では復興と言う概念が近いということです。

ている概念が「持続可能性」やSDGs

(持続可能な開発目標)という、これもま

た最近よく使われている言葉です。

 

一言で言うと、レジリエンスというの

は、落ち込むことは必ずあると言う要素

が特徴なのですが、それに対して持続可

能性というのは、どちらかと言えば、現

状維持的な響きがあるように感じます

し、様々なショックやストレスによって

落ち込んだ後、また復元していく際に重

要な要素が「クリエイティブ」、つまり創

造性です。このように、レジリエンスは、

落ち込む場合があることを前提にしつ

1617

防ぐことはできない。富士山の噴火にせよ、南海トラフ地震にせよ、これはいつ

か必ず起こるわけで、いかに被害を少なくするのか、特に人的被害を少なくする

のかが減災、そしてレジリエンスの概念になってくるかと思います。

 

もう一つ、東日本大震災での津波対策で象徴的な事案を申し上げたいと思いま

す。女川町という宮城県の小さな町があります。ここは、東日本震災で大変深刻

な被害を受けた町なのですけれども、この女川町は、津波対策で国が高さ最高

十二mの四百㎞にわたる防潮堤を造る作業を進めようとしているときに、いち早

く独自の復興計画を立ち上げ、町民の合意の下に「私たちは海とともに生きてき

た。海の見える景色の中で暮らしてきたので、高さ十二mの海の景色が全く見え

ない防潮堤は要らない。その代わり、津波が来ない安全な場所で安心して住める

条件を確保してほしい」ということを復興事業として要望されたわけです。

 

この辺りも先ほど来の復旧と復興、あるいは自然と人間がどのように共生する

のかというレジリエンスの観点からいくと、女川町のこの復興事業は、ある意味

 

もう一つ、「防災」と「減災」についても、

レジリエンスという観点から言えば、ど

のようになるのかを考えてみたいと思い

ます。

 

私たちは、何気なく「防災」という言

葉を使います。もちろんサイバー攻撃や

テロなどを防ぐという意味では「防災」

という言葉は広く妥当しますが、自然災

害との関係に限ると、実は「防災」という

言葉は、必ずしもレジリエンスにふさわ

しい言葉ではない側面もあるわけです。

 

つまり、人間は自然を支配するような

立場ではないので、自然災害そのものは

1819

ではレジリエンスに沿ったものに近いと、

私個人の意見としては考えております。

 (レジリエント・シティとは何か)

 

さて、そこで京都市のレジリエント・

シティの取組であります。レジリエンス

の概念は、元々は「物体、物が元に戻る

力」「復元力」「弾力性」「回復力」という

ことでした。そこに自然界や生態系の事

象、あるいは心理学での「ポキっと折れ

ない心のしなやかさ」、といった意味が

加えられ、「強靱さ」や「しなやかな強さ」

という定義になっています。

 「強靱」という言葉は、正確に理解で

きれば「しなやかな強さ」というレジリ

エンスに相応しい言葉なのですが、近年

の語感では「強靱」という言葉は、鎧兜

のような頑強さに近いニュアンスに感じ

てしまいます。「強靱な都市」と言ったと

きには「要塞都市」のようなイメージが

浮かんでしまいます。

「しなやかな強さを持った都市」と言う

のもまどろっこしいので当局は「レジリ

エント・シティ」という言葉を普及する

しかないかなと思っています。

 

それをアメリカのロックフェラー財団

が、世界レベルでのグローバル化や気候

2021

いう肩書の日本人は私一人だという自

慢にも何にもならない話があるわけで

すが、いずれにしても、CRО、チーフ・

レジリエンス・オフィサーというレジ

リエント・シティとしての取組に対し

てアドバイスする人間を必ず置くこと、

そして、そのCRОの活動経費につい

てはロックフェラー財団が面倒を見る

というのが、この仕組みの一つでありま

す。しかし、それ以上に、レジリエンス

という概念が今後、京都のまちづくり

にとって、大きな財産になってくると

考えています。

変動を踏まえて、ちょうど財団の創設百周年である二〇一三年、奇しくも先ほど言

いましたダボス会議があったこの二〇一三年にレジリエント・シティ(通常RCと

略します)のネットワークとして、百都市で組織することを世界に呼び掛けて提唱

しました。(100RCプロジェクト発足)

 

三年掛けて募集を行い、世界中の都市から千都市以上が応募したと聞いています

が、残念ながら、日本ではさほど話題にならなかったように記憶しています。何都市

かは応募をされたようですが、結果としては、富山市と京都市だけが選定されました。

 (CRO(チーフ・レジリエンス・オフィサー)の配置)

 

富山市は、大学名誉教授のアメリカ人が都市の顧問としておられて、恐らく情報

を引っ張ってきてレジリエント・シティに早く応募されたのではないかなと思います。

 

その方が富山市ではCRОという立場になっていて、日本では富山と京都の二

人しかいないCRОのうち富山のCRОはアメリカ人なので、世界中でCRОと

2223

リスボンなど主な首都、あるいは、アジ

アで言いますと、ソウル、シンガポール、

バンコク、ジャカルタといったアジア圏

内の経済先進都市が、軒並み顔をそろえ

ていますが、いわゆる発展途上国からも

多くの都市が入っており、例えば「どの

ような課題が、あなたの都市のレジリエ

ンスを向上するうえで最優先か」と質問

すると、「安心して飲める水をどのよう

に確保するか」、「貧困の格差をいかに是

正していくか」という基本的ニーズの充

足が課題の都市もあれば、フロリダ辺り

の都市は「毎年、ハリケーンで大水害に

 

去年の二月には、「アジェンダ・セッティング・ワークショップ」という、どの

ような課題を設定していくのかを多くの市民団体の方と議論する場を持ち、四月

に私がCRОに就任して京都市として本格的な取組が始まりました。

 

また今年の一月二十日には、レジリエント・シティ市民フォーラムと銘打って、

鷲田清一先生の基調講演と、堀場厚会長や池坊専好次期家元などにもパネラーに

なっていただいて、レジリエンスについての考え方を市民の皆さんにも広く周知

をしている途中経過であります。(本冊子の最後にフォーラムの要約を紹介)

 (世界一〇〇のレジリエント・シティ)

 

世界百都市のうち、特に、アメリカの主要な都市は、地元ですから全部入って

いると言ってもいいですし、中南米では、メキシコシティやリオデジャネイロな

ど、ちょうどメキシコシティでは、来月(三月)、レジリエント・シティの地震フォ

ーラムがあり、私も参加します。ヨーロッパでは、パリ、ロンドン、ローマ、アテネ、

2425

したレジリエント・シティのネットワー

ク、その中で日本を代表して京都がしっ

かり発信していくことは、大変に意義が

あるのではないかと思っています。

 

なおCRОとしての私の任期は二年

間でして、実は、もうほぼ半分が終了し

た形になっていますので、少し焦りも出

ているのが現状です。そのために、レジ

リエンスをテーマとして、ロータリーク

ラブやライオンズクラブあるいは子ども

たちを含めた地域の方との意見交換に

も積極的に取り組んでいます。

 

なお、京都市全体の取組としては、市

遭っているので、まず地球温暖化を食い止めるしかない」という問題意識で取り

組むなど様々です。

 

また、レジリエンスということで、今日の社会情勢を考えれば当然、社会全体

や国家が視野に入ると思いますが、あえてシティを対象にしているのは、地球規

模では、人口が毎年多く都市へ移住していて、今は半分ぐらいなのですが、

二〇五〇年には地球上の人類の七割が都市部に居住するようになると推測され

ており、まず、都市の在り方を変えていかなければ、地球環境も世界の安全・安

心も確保できないという考えによります。

 

京都市としては、国家レベルではいろいろと難しい課題もたくさんある中で、

やはり都市間交流を重視してきましたし、今年はパリとの友情盟約締結六十周

年、来年はボストンの六十周年、再来年はグアダラハラの四十周年と姉妹都市の

友好も続いていきます。しかも、今挙げた姉妹都市は、いずれもレジリエント・

シティに選定されています。そのような中で言うと、やはり都市間交流を大事に

2627

 

一九六四年のときは「アメリカに追い

つき追い越せ」「高度経済成長」、そして

「右肩上がり、まっしぐら」という時代で

した。何かに取り組めば、必ずプラスに

なるという、まさに「日本列島改造論」

の世界であったわけです。

 

それに対して二〇二〇年は「モデルな

き新たな挑戦の時代」に入っているので

はないか。つまり「縮小社会」あるいは

「急激な人口減少」というような、少な

くとも明治以降、私たち日本人が経験し

たことのない社会情勢の中に突入してい

く、既に突入しかけている状況です。

長を本部長にレジリエンス推進本部を設置しており、これが行政としての推進母

体です。

 (二つの東京オリ・パラの狭間で)

 

ここまでがレジリエント・シティのおおむねの紹介でしたので、ここから先は、

少しこのような取組をしていく背景について私なりの見解を述べさせていただき

ながらご一緒に考えていきたいと思います。

 

さて、東京オリンピック・パラリンピックもいよいよ迫ってきました。一九六四

年の東京オリンピックは、私も開会式のときは学校が昼から休みになってテレビ

を見に帰ったことを覚えていますけれども、一九六四年の東京オリ・パラ、大阪

万博が一九七〇年、そして次にやってくる二〇二〇年の東京オリ・パラ、万博が

二〇二五年大阪誘致ということで、一見、流れは似ているのですが、実は、随分と

違う状況が待ち構えているのではないかということです。

2829

 (高度経済成長時代の忘れ物)

 

そうした中、いわゆる耐久消費財につ

いても、一家に一台から一人に一台とい

う時代に変わってきました。 

 

これが何を残したのか。高度経済のと

きに私たちは、やはり何か忘れてきたも

のがあるのではないかということを、今、

立ち止まって、あるいは立ち止まらない

で歩きながらでもいいですから、もう一

度、振り返って、しっかりと態勢を立て

直す時期が今ではないかなと思います。

 

先ほど申し上げたような物の豊かさ、

便利さの中での「消費中心主義」、あま

 

そこに加えて、南海トラフ地震や首都直下地震等々が心配される。文化庁が京

都に移転するということがひと筋の光明かもしれませんけれども、このようなモ

デルなき新たな挑戦の中で私たちはどのような社会を築いていくのかということ

になろうかと思います。

 

この一九六四年のオリンピック以降、物があふれる時代をずっと突き進んでき

た。私たちは、その恩恵を受けて来たわけであります。個人の生活、助け合って

支え合うというよりは、個人がいかに豊かで便利に暮らせるかということが非常

に重視されてきた側面もあるのではないか。その一方、「家族団らん」といった言

葉は死語になりつつあります。

 

さらには、今は、子どもの時代から、何が現実で何がバーチャルリアリティー

か、区別もできないような落とし穴の中で私たちは過ごし、また、子育てをして

いる、特に近年、その状況は一層進んでいます。

3031

 

このような『成長の限界』などにおい

て、既に、指摘されてきたにもかかわら

ず、私たちは、それをあまりにも顧みず

進んできてしまったことに、改めて、立

ち止まって降り返る必要があるのではな

いかと思っています。

 

そこで、私たちが、今、生きている時

代であります。「右肩下がりの時代」とい

う表現をいろいろな方が最近は使ってい

ますし、私も副市長時代、人口減少、少

子高齢化時代をどのように克服するか

というようなことを市会の答弁などで

はしばしば申し上げていましたが、今か

りにも消費が中心になっているこの在り方、あるいは便利な都市文明が強調され

過ぎて、東京一極集中で都市化が行き過ぎて地方が崩壊している。あるいは、教

育が充実して進学率も高くなっているのだけれども、いじめや不登校、引きこも

りなどが現実には起こっている。そして、福祉も大きく充実してきたにもかかわ

らず、格差は拡大していると言われています。「負け組」と言われる人が苛立ちを

持ち、一方で「勝ち組」と言われる人も何となく憂鬱感を持っている。そして、全

体として「幸福感」は低下している。少しマイナスの部分を強調しましたけれど

も、今の社会の私たちに横たわっている大きな課題ではないかなと思います。

 

実は、既に、一九七二年、ローマクラブの『成長の限界』という本の中でこのこ

とをデニス・メドウズ氏が指摘しています。そのデニス・メドウズ氏が、いみじ

くも今年、「地球環境の殿堂」で殿堂入りを果たされました。

 

私も講演を聞いて感銘を受けましたけれども、非常に先見の明があったと思い

ます。

3233

はないかという危機感を持ちながら対

応していくことが必要ではないかなと思

っています。

 

そこで、先ほどモデルなきチャレンジ、

挑戦と申し上げたこの先行き不透明で

前例のない社会への突入でありますけ

れども、右肩下がり、縮小社会、あるい

は、物質的な豊かさや利便性に対する新

たな価値観、幸福感とでも言えるものが

必要になってくるのではないか、あるい

は、安全・安心な社会と私たちが口にす

るときに、大規模災害や異常気象が本当

に目の前に迫っていることを考えて対応

ら考えれば、実はもっと深刻だったのだと痛感しています。。

 (京都の強みは何か)

 

このように様々な課題が目の前で起こっている中で、では、どのようにしてい

くのか。しかし、京都には、私たちが世界に誇るべき強みがあります。悲観的に

なってばかりいる必要はないと思います。それは、やはり地域コミュニティやも

のづくりの伝統、京都議定書の都市である環境への先見的な取組、あるいは、教

育、子育て、宗教、大学先端都市、山紫水明、あらゆることが京都の魅力としてあ

るということです。

 

何よりも一人一人の市民の生活に息づいている暮らしの美学、生き方の哲学が

伝統として伝わってきていることが、この京都の強みとしてあるのではないか、

それにしがみつくだけではなくて、しかし、やはり大事にしながら、本当にその

強みがこれからも強みとして守られていくのか。放っておいては守られないので

3435

 (人口減少と少子化)

 

しかし、課題は、たくさんあります。

今日は、まず人口減少あるいは少子化問

題を取り上げながら、それに打ち克つた

めの「人が育つまちづくり」について考

えていきたいと思います。

 

人口減少は、非常に深刻です。このデ

ータは、国などもいろいろなところで

認めていますけれども、二〇一〇年の国

勢調査で一億二千八百万人を記録した

日本の人口が、実は二一〇〇年には少

なければ四千万人前後になるだろうと

と言われています。

していく必要があるのではないかと思っ

ています。

 

その大胆な改革をしていくキーワー

ドが、レジリエンス。いかなることも想

定しつつ、つまり必ず落ち込むことがあ

り得ると覚悟をしながら、しかし、「必

ずクリエイティブに復元して、前以上に

良くなっていく」という目標をしっかり

と持って行くことが重要です。

3637

 

出生数も、二〇六〇年は年間四十六万

人で、一昨年、初めて日本の出生数が

百万人を割り込んで大騒ぎになってい

ましたが、今のままの出生率で推移すれ

ば、二〇六〇年には半分以下になる。 

 

二〇一四年に増田寛也元総務大臣な

どが『地方消滅』という本を著し、遠く

ない将来に九百近い自治体が消滅する、

特に、若い女性の人数が減ることによっ

て出生数も減って、その自治体が消滅す

るという考え方で、東北地方では、ほと

んどの都市が消滅するということを述

べられました。センセーショナルでした

 

この数字をお示しすると「まさかそんなことは」とおっしゃる方が多いのです

が、現在の出生率が概ね一・四と言うことは、次の世代には〇・七掛けの人口に落

ち込むことを意味する訳ですから、もう一つ先の世代になったら〇・七の二乗で

〇・四九、つまり約半分の人口に落ち込み、さらにもう一つ先の世代へ行けば、半

分の〇・七掛けですから、ほぼ三分の一になってしまうという当然の状況が推測さ

れているわけです。

 

人口減少を全て否定的に捉える必要はありませんが、特に気を付けなければ

ならないことは、このまま落ちて行ったら限りなくゼロに近づくということです。

 

今まで、このような人口動態が一般的に話題になりにくかった背景には、平均

寿命が伸び、ご長寿の方の人口が増えて、子どもの数の減少をカバーしてしまっ

たことが理由として考えられるでしょう。

 

つまり、人口の内訳で見ると、一九九〇年代の就労人口は八千五百万人ほどい

た訳ですが、二〇六〇年には四千二百万人と、ピーク時の半分になります。

3839

出生率一・四のままなら、出生数は自動的に六割に減ることになります。

 

加えて、個人の生活設計の選択肢が多様化するなど、生涯未婚率も上がってき

ています。

 

女性の数が減るところに加えて、結婚しない、あるいは出産されない女性の数

も増えて来ることになれば、少子化の克服は、相当厳しい状況からスタートしな

ければならないことになります。

 (人口減少の影響…どうなっていくのか) 

 

そのような少子化、そして人口減少に伴って、地域の担い手が不足する、当然、

空き家も増えて行きます。あるいは、就労人口が減るし、税収も減る可能性があ

ります。

 

さらに自治体の規模、仮に京都市の人口が、今の半分になったとき、面積や文

化財の数は変わらないもとで、例えば消防職員だけが今と同じ人数を確保できる

けれども、自治体の存続そのものに視点

を向ける重要な指摘だと考えています。

 

では、京都市はどうなのか。残念なが

ら、京都も、消滅はないでしょうけれど

も、人口ピラミッドで見ると、現在

二十五歳から四十四歳といういわゆる

出産対象になる女性の人数が約十九万

人おられるのですが、ゼロ歳から十九歳

という同じ二十年間の女性は十一万五千

人と、約六割しかおられません。つまり、

このままピラミッドが推移していけば、

二十五年後には、京都における出産対象

になる女性が六割に減るということで、

4041

の京都の暮らしに息づいている文化力、歴史力という本来の強みが、十年後、

二十年後、どのようになっているのか、多くの分野で担い手が高齢化したり、継

承者が不足して、言葉は悪いですが、文化・芸術や伝統工芸の多くが「絶滅危惧

種」に近い状態で進んでいるということが現実であります。

 (人口減少への対応…どうすれば良いのか)

 

そのためには、やはり人口が減少しない都市にしていくことは重要であり、周

辺から京都が魅力的だということで移り住んで来ていただくこと自体は歓迎す

べきことではあります。しかし、私たちは、東京一極集中を批判的に捉えている

わけですので、その立場から言うと、周辺の亀岡や大津や奈良から京都に移り住

んで京都の人口が減らなければければいいというような狭いことを考えていたの

では、同じ京都の中でも周辺部の人口が減っていって中心部だけに固まるという

現象をさらに誘発しかねないと思います。 と

いうことがあり得るのかどうか。消防

職員が半分くらいになっても、まちの安

全を守るためには、どのような工夫が必

要なのか。

 

あるいは、文化、芸術や伝統分野で考

えると、今、八十代以上の方が「私が最

後です」と言いながら伝統工芸に携わっ

ておられる姿が珍しくありませんが、人

口減少の中、そのような伝統がどのよう

に引き継がれていくのかということも、

しっかりと考えていく必要があります。

 

先ほど、私たちの宝物として京都の

強みをたくさん申し上げましたが、そ

4243

人から四千万人に減るときに何千万人単位で移民を受け入れるというようなこ

とがあり得るのか。あり得たとしても、そのための条件整備をどのようにするの

かということを考えずに安直に進めることはできないだろうと思います。

 (少子化対策に本腰を)

 

改めて少子化対策は、人口が減り続けることを防ぐため、一刻も早く進めてい

かねばなりません。海外には、フランスのように少子化を食い止め、ほぼ、出生率

二に戻した先進国もありますので、日本でも、決して不可能なことではないはず

で、既に政府も希望出生率一・八の実現を当面の目標として施策を進めようとし

ており、せめてそこまでにするためにどのようにするのかを真剣に考えていく必

要があるのですが、今の程度のやり方では恐らく厳しいでしょう。相当、覚悟を

決めてやらなければ希望出生率の一・八を実現し、更には人口が減らない二以上

に戻すことは困難だろうと思います。

 

従って、周辺自治体からの流入に頼ら

ず、しかも人口減少しないためには、少

子化の克服しかないことは、はっきりし

ています。しかし、少子化を克服すると

しても、人口減少を食い止められるまで

時間が掛かりますので、当面は、人口が

減少しても人々が生き生きと安心・安

全に暮らせる、そして同時に少子化を克

服できるまちをつくっていく新しいスキ

ームが必要になります。

 

もちろん、発想の転換も含めて、移民

の受け入れは、ひとつの方策ではあるか

もしれませんが、日本の人口が一億二千万

4445

という社会的風潮のままでは少子化に立ち向かうことはできないと思います。ま

してや、子どもが、一人、二人でも、子育て中の親の世代の方が大変厳しい苦労を

されている今の子育て環境を抜本的に変えていくことが不可欠です。

 (社会全体での子育て支援)

 

そのためにはまず、子育て支援の在り方を、狭い意味での男性の育児支援にと

どまらず、子育てを含む男女共同参画、あるいは真のワーク・ライフ・バランス

という形で企業も全面的な働き方改革において育児の応援に繋げていく、さら

に、地域がご近所で子どもを支えていくことを、全ての世代の課題として取組直

す必要があると思います。

 

同時に、現象面だけでなく、もっと背景を掘り下げていく必要があります。例

えば、京都市では、保育所増設や保育定員増員を進め、指定都市で唯一、国基準

での待機児童ゼロを達成し、出生率も一定の上昇傾向が見られます。しかし、ど

 

例えば、どのような家庭をモデル的に

考えるのかにしても、結婚されない女性

あるいは出産されない女性が増えて来

ている中で、二人の子どもさんがおられ

る家庭を標準にしていては、平均出生率

は二にならないわけです。子どもさんに

恵まれた方については、三人は当たり前

にならなければ、あるいは、そのような

施策になっていなければ、平均して二と

いう数字は出て来ようがありません。三

人目の保育料は無料などの施策も実施

されていますが、そもそも「子どもさん

三人もおられるんですか、大変ですね」

4647

のような政策が出生率の向上により効

果があるのか、その辺りにしっかりとメ

スを入れる必要があると思います。

 

例えば、これから特に進める必要があ

ると思うのは、子育て世代、あるいは、

そこに至るまでの若者に対する、奨学金

問題をはじめとする経済的施策はもち

ろん、社会的な支援、つまり家庭を築き、

家族が一緒に過ごしていくようなモデル

を、社会の一つの目標として明確に掲げ

られるような支援だと思います。核家族

化がここまで進捗している中ですが、あ

えて三世代同居や近居の意義を見直す

ことも必要でしょう。しかし、子どもが

いて共働きをされている場合に、支援、

援助できる方がご近所にいなければ、や

はり大変難しい子育て環境にならざる

を得ないのではないか。その場合、地域

や社会的なシステムがどのような機能

を果たせるのか、こうしたことについて

も、もう一度、メスを入れていく必要が

あるのではないかと思います。

 (若者支援と子育て支援の融合)

 

ご承知のように京都市では、子ども若

者はぐくみ局を昨年四月に創設しまし

4849

た。そこでは、子育て支援、少子化対策と若者への支援はもとより、子育て支援

と地域コミュニティや男女共同参画、ワーク・ライフ・バランス等としっかり繋

げるとともに、若者から子育て家庭、さらに社会のあらゆる世代が、子育て環境

を整える上で、すべての社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)が手を携えて取

り組むために、中心的な役割を果たせる組織を目指すことになります。

 

先に述べたように、子育て支援を、子ども・若者支援へと繋げていくことが、今、

最も重要であり、そうした取組を一層進めるための条件が整備されることで、今

後の取組が充実することを期待しています。

 (レジリエンスの視点でみた災害対応)

 

さて、レジリエンスは、災害の問題に特化されるわけではないと強調しました

が、やはり「災害」が一つのキーワードになることは事実です。同時に「レジリエ

ンス」という言葉を通じて見ると災害への対応、防災・減災に対する考え方が大

きく変わってきます。

 

災害への備えは、日頃からの取組、こ

れは、施設、例えば、家具が落ちて来な

いように留め置くことなども含めてで

すが、備蓄品の確保などもあります。

 

そして、その日頃からの取組、心構え

があって初めて今度は発災直後、いざと

いうときにまず自分の身を守る、家族を

守る、ご近所と相談する、助け合うこと

をやっていく。そして、その後は、復旧・

復興に向けた活動を待つ、あるいは自分

たちもボランティアで立ち上がっていく

というあらゆる社会関係資本をつない

5051

でいく必要があります。

 

その意味では、日頃から私たちが直接、災害の備えとして意識される「見える

防災」と、一見、災害とはあまり関係ないと思われているけれども、実はつながっ

ているという「見えにくい防災」をいかに融合するのかが大事だと思います。

 「見える防災」は、そのような意味では、ハード面を中心としたものであったり、

形に表れている組織的、フォーマルな活動、避難所運営や消防団、自主防災会の

活動、防災訓練の実施などが挙げられますが、レジリエンスの観点で大事なこと

は、見えにくい防災、つまり普段、あまり意識していないけれども、実は非常に防

災につながっている活動について、もう一度、考え直していくことではないでしょ

うか。日頃からの助け合い、ご近所付き合い、あるいは、それぞれの地域団体の横

のつながり、世代間の協力、見守り活動、もっと言えば、あくまで私の経験的な

推測の範囲で申し上げると、選挙の投票率の高さと自治会の加入率、地域コミュ

ニティの濃密度は、大体比例しているのではないかと思いますが、特に京都市で

は、殆どの小学校が選挙の投票所になっており、避難所にも指定されていますの

で、投票所に行くことが避難所に行く経験にも繋がる、つまり、実は防災にも結

びついた「見えにくい防災」に当てはまるということです。

 (学区単位の取組を見直す)

 

京都は、そのような意味では、世界にも例を見ない防災のまちづくりがなされ

ている都市だと言えます。京都に住んでおられると当たり前だと思っていること

が、実は、他都市へ行ったり、ましてや海外へ行けば驚嘆されるわけです。

二百二十七ある元学区、この元学区というのは、今はもう小学校は無いけれども、

かつて小学校があった地域も含めてですが、学区ごとに自主防災会という地域の

組織があって防災訓練等が行われています。  

 

企業の第一線で活動されている方の中には、「地域の活動はなかなかできない」

「声も掛かってない」と言う方が多いのですけれども、やはり地域コミュニティの

5253

力はかけがえのない京都の宝であり強

みです。海外では、このような防災訓練

を実施している例は非常に珍しいです

し、国内でも大都市で、これほど全域で

かつ大規模で行われていることも珍しい

訳です。

 

消防団については、大阪市にはそもそ

も消防団が存在していません。そのよう

なことも含めて、京都の消防団は、成り

手がいないということで苦労はされてい

ますけれども、かなり充足率も満たして

いる方なので、素晴らしい組織力だと思

います。

 

区民運動会も、基本的にほぼ全ての学区で行われており、これも京都では当た

り前のようですが、他の地域では「一部の地域では行っている」「農村地域では行

われている」という状況で、都市部で京都市ほど、隈なく学区単位で運動会をや

っている所は、ほとんどありません。ましてや、海外へ行くと、日曜日に住民がボ

ランティアで出てきてスポーツ競技を競うことなどほとんどあり得ないことで驚

愕の的なのです。

 

しかし、考えてみると、ルールを守って、住民が協力し合って、町内単位で協力

して競い合う姿は、ヘルメットや防災服を着ていなくても、やっていることが一

緒なのですね。一見、関係が薄いように感じがちですが、このようなことが普段

からきちんとできている地域、たとえば、防災の団体とスポーツや福祉や保健等

の団体がしっかり連携できている地域は、災害への備えもできている。

 

更に地域が狭まって地蔵盆というものがありますが、これなども京都から離れ

てしまうと、少なくとも都市部では、かなり衰退してしまいました。しかし、京

5455

都は、圧倒的多数の地域でまだ地蔵盆が

守られている。お地蔵さんにはきれいな

前掛けが掛けられてお花が生けられて

いる。

 

このようなことが当たり前のように

人々の暮らしの中に定着している所は、

間違いなく、災害に強いと言えるかと思

います。これをいかに守っていくか、実

は、このようなことの積み重ねがレジリ

エンスにつながっていくということであ

ります。

 

京都市の建設局で「道路の陥没や壊れ

ている所があったときには、アプリで報

告してください。土木事務所が状況に応じて、迅速に補修などの対応をします」

という、「みっけ隊アプリ」と言う取組も始まっています。これも、市民一人一人

が当事者意識をもって地域の安全を守っていくことで、行政に任せるだけでな

く、自分たちのまちの問題として参画していく仕組みであり、このような取組が

学区単位にとどまらず進んでいることも京都ならではだと思います。

 (地域の拠点としての学校の役割)

 

今、京都では、学校統合が進んでいます。これらの学校の殆どは、明治二年に、

地域の方が土地と建物を提供してできたわが国最初の小学校である「番組小学

校」であり、子どもたちの教育だけではなくて、公民館、保健所、税務署、消防署

などを兼ねた地域の拠点として成立した歴史が、今もしっかり地域に引き継がれ

ています。いわゆる人口のドーナツ化現象の中で、統合・廃校になりましたが、

学校としての機能が無くなっても、地域の活動拠点としての役割は維持されてお

5657

り、国際マンガミュージアム、芸術センタ

ー、学校歴史博物館、さらに総合支援学

校、こどもみらい館、ひと・まち交流館を

はじめ、様々な形で活用されていますが、

特に運動場や地域住民の活動スペースは

基本的に確保されており、防災拠点とし

ての役割もしっかり継続されています。

 

最近は、ホテル等としての活用に向け

六十年契約で民間事業者に貸し出す白

川小学校や立誠小学校の例も出てきま

したが、そこでも地域の拠点としての運

動場機能は確保されています。それは年

に一回の夏祭り、盆踊り大会や区民運動

会、さらには防災訓練など、これまでと同様、地域の方が学校跡地を拠点として

自治会活動が継続できるよう配慮することを条件としており、その結果、芸術セ

ンターの作品展の隣で地域の方がテニスをし、祇園祭の後祭の宵山では、エコ屋

台の会場として活用されている、マンガミュージアムでは入館者も地元の夏祭り

に参加して楽しむといった取組も可能になっています。

 

このように、学校としての役割を終えても、地域のコミュニティあるいは防災

の拠点としての位置づけはしっかり守っていることが、京都市の学校跡地活用に

おける原則となっています。

 (三・三・三の原則)

 

次に、「三・三・三の原則」、これもご存じの方は多いと思いますが、大規模災害

に際して、まず最初の三分間は自分の身を守る、そして三十分で周辺地域の方の

5859

安否確認、そして三時間は危険な人を救

出に行く、そして三日間は、行政の公的

支援が届くまで住民たちで避難所を運

営する。

 

東日本大震災クラスの大きな震災、大

災害が来たときには、三日間は公の物資

の支援は入らないものと覚悟して自分

たちで身を守ってくださいということ

を、行政として大胆に呼びかけているわ

けです。当然、そのようなことにならな

いように行政は可能な限りの努力をす

るわけですけれども、このような呼びか

けをなぜできるのかといえば、地域のコ

ミュニティや拠点がしっかりあるからだ

と思います。

 

もちろん、行政は行政で防災対策の総

点検をやって最大限の努力をしていき

ますし、橋りょう対策等々についても最

優先に進めています。また、雨に強いま

ちづくりということで、急な浸水害に対

して対応できるような局を越えた横断

的な取組も進んでいます。

 (京都ならではの課題)

 

京都は、それに加えてもう一つ他都市

とは大きく異なる課題があります。即

6061

ち、観光地としての役割です。安心して

訪れていただくために、多くの観光客

が、入洛している中で大災害が発生した

場合、いわゆる帰宅困難者にどのように

対処するか、清水・祇園地域や嵯峨・嵐

山地域では、特別な避難困難観光客の誘

導計画を作って実際の訓練もしていま

すし、ユニークな取組としては、京都駅

に夜の一時に、JR西日本・東日本、近

鉄さん、京都市交通局、京都駅ビルの職

員さんなど約六百人が集合し、JR新幹

線の最終列車が終わってから、誘導する

側、される側に役割を分担して、訓練し

ています。私も副市長のときに参加しま

したけれども、それは、もう真剣そのも

ので、非常に具体的に夜中の四時過ぎま

でかかって実施しています。

 

あるいは、京町家をはじめ古い建造物

が非常に多いことも、京都の魅力である

と同時に防災面では大きな課題です。海

外へ行っても、京都は古い木造家屋が多

い中で、どのようにレジリエンスを確保す

るのかと尋ねられます。これも非常に深

刻な話ですが、現実には、京町家の数は、

相当なスピードで減っていっています。

6263

 

民間の持ち物ですから、京都市が取り壊しを強制的にストップさせるわけには

いかないし、実際には補助制度を設けたりしていますけれども、やむにやまれず

取り壊されるケースが後を絶ちません。

 

併せて、京町家が残る所は、密集市街地や細街路という消防自動車どころか普

通の小型自動車も入れないような細い道に住宅が密集している場所である場合

が少なくありません。このような点については、今日は、時間がありませんので、

詳しい紹介はできませんが、細街路、密集市街地を含む街並み保全と災害への備

えを、どのように両立させ対策を融合していくのかということも、都市のレジリ

エンスを高めるうえでのキーワードになると考えています。

 (改めて、地域のレジリエンス)

 

以上述べてきたように、あらゆる災害を想定し、そのいずれにも対処できるよ

うにしていくことが大事ですが、やはりポイントになってくるのは、地域の連携

でありますし、同時に、地域以外の各種

団体、あるいは世代を超えた協力・連携

が大事になってくることは言うまでも

ありません。

 

そこで、地域のレジリエンスの在り方

について、もう少し視点を変えて考えて

みたいと思います。昔ながらの地域のレ

ジリエンス、つまり区民運動会や自主防

災会や地蔵盆など、これらは絶対に守っ

ていくべきものではあるのですが、これ

だけでは、これからは立ち行かないので

はないかと言うことです。地域を守って

いくためにコミュニティ活性化条例にお

6465

いて、例えば、新しいマンションが出来るときに自治会の会長さんに、予め情報を

提供したり、マンションの住民にマンションごと自治会に入っていただけるよう

な働き掛けをする、このような京都市独自の制度を作って取組をしており、これ

はこれで絶対に重要ですが、レジリエンスという観点では、さらに新たなコミュニ

ティづくりについても、新しいチャレンジとして必要であると考えます。

 

一点目には、俗に言う地縁組織、地域のつながりに基づいた組織だけに頼るコ

ミュニティから、大学や企業、事業所などが地域とどのように結びつくのか、あ

るいは、学校や幼稚園、保育園などの子育て機関をどのように巻き込んでいくか

ということです。

 

二点目は、地域におられる隠れた逸材の中には、地域の活動には加わっていな

いけれども、NPО活動やボランティア活動は、いろいろな職場や団体でやって

いる、そのような方もおられます。そのような方々が、いざという時に一堂に集

えるためには、インターネットやSNSを活用した新しいネットワークも必要に

なってくるのではないでしょうか。そして、そのことによって世代を超えた連携

を果たしていく必要がある。今までの右肩上がりの時代なら、わざわざそのよう

なことをしなくても今まで通りでできるということで進んでいたわけですけれど

も、右肩下がりの時代を迎える中で、ピンチをチャンスに変えていく上でも重要

なチャレンジなのではないかと思います。

 (区役所の役割の重要性)

 

以上まとめると、旧来の地縁組織を核とした地域コミュニティを大切にしなが

ら、企業、事業所、さらにPTAを含めたボランティア、またインターネットなど

によるネットワークを有効に機能させていくことが大事だということでありま

す。その場合に、大都市行政でありつつ直接行政を司っている京都市の最大の強

みは区役所だということです。

 

私は、右京区長として赴任し、区役所の大事な仕事の一つは、防災やまちづく

6667

り、福祉、保健、安全などを含め、地域

住民の総合的な窓口としての機能であ

ると実感しました。その中で、地域の

様々な人の繋がりを掘り起こすこと、住

民の皆さんに当事者意識を持って、まち

づくりに参画してもらう気運を盛り上

げ、きっかけを創り出すことだと実感し

ています。そのためにまちづくり支援事

業制度も充実し、確実に広がっているこ

とは心強い限りです。

 

そこに加えて、今回、子どもはぐくみ

室が全ての区役所・支所に設置されま

したので、従来のまちづくりだけではな

くて、幼稚園・保育園・児童館や学校をはじめ、子育て世代の方も区のまちづく

りに関わりやすい仕組みづくり、また暮らしの相談は、まず区役所へ行けば、本

庁の担当課への引き継ぎを含めて、少なくとも第一次情報は得られるという対応

も、今、各区の行政の中で目指してくれていると思っています。

 (地縁団体と志縁団体の連携)

 

そのような意味では、幅広い志でつながっている「志縁」と、「地縁」としての地

域コミュニティの京都の力強い伝統、強みとが、いかに融合できるのかが、地域の

レジリエンス力を高めていく新しい姿として目標になると思います。「融合」とい

うのは、両方が維持されていなければできない訳ですから、SNSや志縁の団体

だけがあっても、地縁団体が崩壊しては困ります。京都の場合は、地縁団体もま

だ健在であり、だからこそ新しい志縁団体やグループと融合できるチャンスが残

っています。その京都の強みをいかに生かしていくのかということも京都のレジ

6869

リエンスの非常に重要な軸になるのでは

ないでしょうか。

 

究極的には、そのように普段の地域の

コミュニティあるいは自分たちのまちを

どのようにすれば良くしていけるのかと

いう思いをいかに多くの人が持ってくれ

るのか、人口が減ったとしても、その中

でより多くの割合の人が自分の問題と

して地域や社会のために貢献しようと

チャレンジしてくれれば人口の減少は克

服できる、そのようなことを私は言いた

かったのであります。

 (個人のレジリエンス)

 

以上、レジリエンスとは、究極的には、

個人一人一人が、レジリエンス、つまり

自分でしっかりと先のことを見通して、

打たれ強く、そして回復力を備えながら

立ち向かっていける人間になっていくの

かということだと言えると思いますが、

その個人が存在する家庭あるいは職場、

地域、社会全体、それらが相互につなが

っていることが大事だと思います。これ

らが切り離されてしまったり透き間が

出来てしまうとレジリエンスとしては非

常にぜい弱なものになってしまう。

7071

 

そしてそのことが未来に向かって何

世代にもわたり永続的に営まれてきた

姿が、地球環境レベルでのレジリエンス

の大きな構造であると考えます。同時

に、レジリエンスな社会とは、誰かから

与えられるものではなく、また強制され

たり植えつけられるものでもありませ

ん。レジリエンスを形成するプロセスに

おいてこそ、担い手となる人が育ち、次

の世代に引き継がれていくのです。その

意味では、今日の私たちの社会におい

て、物は豊かで便利であり、不自由のな

い社会で育っていても幸福感が低下し

ているという課題は、社会のあり方そのものに対して、大きな警鐘を発している

と言えそうですし、その意味でも、持続可能な社会とレジリエンスはまさに表裏

一体の関係であると言えそうです。

 

別の言い方をすれば、全ての人がレジリエンスな社会を目指して努力し学び続

ける中でレジリエンスな人が育ち、そしてまた、そこでレジリエンスな社会が構

成されて螺旋状に発展していく。持続可能性を持ちながら、そこでまた人が育っ

ていく循環的な社会が、このレジリエント・シティ、レジリエンスな社会という一

つの究極目標ではないかなと思っています。

 (京都の歴史とレジリエンス)

 

元々の京都の歴史を振り返ってみると、千二百年の歴史の中で、京都は、様々

な苦難に耐え忍んできました。先人の努力は、並大抵のものではなかったと思い

ますが、直近の、今年は明治百五十年ということで考えたときに、百五十年前、

7273

明治維新の後、天皇が「ちょっと江戸へ」

と移られて、京都が非常に危機に頻した

ときにも、明治の京都策、先ほど申し上

げた番組小学校をつくって、次の世代の

子供たちを育てることからまちの再生

をスタートさせようという努力をされ

た。あるいは、琵琶湖疏水を引いてきて

本格的な水力発電をしたり、建都千百年

事業ということで平安神宮を造ったり、

時代祭を興したり、様々な取組をされ

た。そのエネルギーはどこにあったのか

というと、私は、やはり緊密な地域コミ

ュニティや、京都の町、伝統に対する町

衆の自負の中にあったのではないかと思います。危機感が、眠っていた誇り、あ

るいはエネルギーを引っ張り出した。その意味では、ピンチをチャンスに切り替

えることができたのだと思います。

 

しかし、京都の強みを、今も本当に、ピンチをチャンスに、そしてまた強みとし

て放っておいても維持できるのかというと、決してそうではないことも確かであ

り、危機感を共有しながら御一緒に取り組んでいきたいと思っています。

 (世界のレジリエント・シティとして) 

 

さて、世界100のレジリエント・シティですが、日本の中では富山と京都だ

けが選定されました。京都が日本を事実上代表してレジリエント・シティとして

世界に発信していくわけです。残念ながら、現時点では中央省庁においても全国

的にみても、レジリエント・シティの認知度は低いですが、近い将来において、レ

ジリエンスへの認識が高まり、例えば、ビジネスパートナーとして、留学生の行き

7475

先として、あるいは観光地として、レジ

リエント・シティの京都なら安心だ、信

頼できるという評価が確実に確保でき

るだろうと思います。

 

京都は、世界が憧れる歴史都市、文化

都市、観光都市であり、「訪れて良し」と

いう京都のすばらしさという、先人が残

してくれた財産を大切に守り発展させ

ていくことは必要だと思いますが、それ

以上に大事なことは、「住んで良し」とい

うことだと思います。京都に住んでいる

私たちが、京都に住んでいることを誇り

に、自らが当事者として京都の町を次の

世代につなぐという意識を持てるかど

うか、そして、そのことによって「育って

良し」、つまり、京都で育ってよかった、

京都で育ったからこのような伝統や生

き方の哲学も身に付けたライフスタイ

ルを獲得できたという実感を、一人一人

の市民あるいは団体、企業、大学の方な

どで共有できるかどうか、そうした取組

が、これからのレジリエント・シティの

柱として進められればいいと思います。

 

レジリエント・シティの取組を進めて

いく上では、様々な課題がありますが、

人口が減っても、一人一人はしっかり育

7677

つ、そして頑張ってくれている、貢献されている方の比率が高まっていく社会が

待ち望まれるのではないかと思います。そのためには、人々が支え合い助け合っ

て、文化、芸術も、街並みも大事にする、そしてそうした取組を通して、何よりも

担い手としての人が育っていく。その結果、災害にも強く、環境にもやさしいま

ちが登場する。課題が密接に関連し、融合する中で、持続可能なサイクルが展開

していくのがレジリエント・シティの構造ではないかと思います。

 (今後の展開に向けて)

 

今後の京都市の基本計画、基本構想の次のステップにおいて、現在取り組んで

いる「まち・ひと・しごと・こころ京都創生」総合戦略や、国連の決議に挙げら

れている持続可能な開発目標・SDGsの取組、それらとレジリエント・シティ

をいかに融合していくのかということが課題になってきます。

 

加えて「日本に京都があって良かった」

という言葉は、京都の人が自分で言って

いる限りあまり値打ちがありません。全

国や全世界の方から評価されることに

よって、初めて京都の値打ちがあるので

はないかと思います。そのために、京都

市としても、レジリエンス推進本部を中

心に、従来の施策の大胆な融合や見直し

を行うとともに、市民の皆様や産学公の

緊密な連携に向けて検討を行い、今年の

末までには、京都市ならではの「レジリ

エンス戦略」を策定することになります

ので、今後とも大いに関心を持っていた

7879

だき、自分たちの地域や団体、組織では

何ができるのか何をすればよいかという

参画意識を高めていただきたいと思い

ます。

 

以上、社会のレジリエンスに向けて、

色々と申し上げましたけれども、なかな

か御理解いただきにくかったかも知れ

ません。そこで最後に、では「レジリエン

ス」の反対語は何かということを申し上

げたいと思います。それは、「自分さえ良

ければ」「今さえ良ければ」「まさかそん

なことが」。このような驕り高ぶりとい

うか、自分本位の考え方が、実はレジリ

エンスの反対側にある落とし穴なのではないかということです。「自分さえ良け

れば」「今さえ良ければ」にはならないライフスタイル、これは、恐らく、京都の人

たちがこれまで無意識に培ってきたライフスタイルに非常に近いのではないかと

思います。また、「まさかこんなことが」という油断は、自然の中で生かされてい

るという謙虚な意識があれば生じにくいのではないでしょうか。それを今、もう

一度、京都から新しい時代に向けて再認識して、その中で「さすが京都は、そうい

う市民や団体や企業が集い、活動し、育ってる都市だな」という形がレジリエン

ト・シティとして世界に発信する姿になるのではないかと思います。

 

最後に「レジリエンス」という言葉は、非常に覚えにくいですが、「レジリエン

ス」という言葉を少しもじって「レジ

4

4

る」「ちょっと今日からレジ4

4

りませんか」「今

年は、しなやかにレジ4

4

るぞ」といった合い言葉として提案させていただいて、時

間が来ましたので、私の今日の話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとう

ございました。

8081

 「レジリエンス」を市民の皆様に御理解いただく

とともに、将来に向けて、「レジリエント・シティ

京都」を目指して、「今できることは何か?」を一

緒に考え、市民ぐるみの実践につなげていくきっ

かけとするため、京都教育懇話会※との共催によ

り、「レジリエント・シティ京都市民フォーラム」

を開催し、約五〇〇名の市民の皆様が参加されま

した。

 

第一部では、鷲田清一京都市立芸術大学学長に

よる基調講演、第二部では、経済・文化・教育・

レジリエンスといった、様々な側面から、多彩なパ

ネリストによるパネルディスカッションを実施しました。

 

御来場の皆様へのアンケートでは、今後取り組みたいこととして、「楽しく仕事

をする」「近所の方々と普段から交流する」等、「レジリエンス」は決して新しいこと、

難しいことではないこと、そして、将来を見据えて一人ひとりが「自分ごと」として

考え、できることから行動していくことの重要性についても御理解いただけたので

はないかと考えています。

 

一方で、これからの京都市を担う若い世代の参加が少なかった。もっと参加し

てもらえる工夫を、といった御意見もいただいたところであり、「レジリエンス」

を広く市民(特に若い世代)の皆様に浸透させていけるよう、引き続き工夫しな

がら取組を進めていきます。

※京都教育懇話会:産・学・公と市民による次世代育成のための応援組織

〈参考…レジリエント・シティ京都市民フォーラム(平成三十年一月二十日開催)〉

8283

◆東日本大震災の被災地では、各家が様々なもの

を持ち寄って助け合った。逆に、東京は、震災時

にコンビニから水が消える等、依存型の都市で

あり、「レジリエンス」とは程遠い。

◆「個人や家族」(近景)と「社会や国家」(遠景)の間

にある「地域コミュニティ」(中景)がやせ細っている。

「中景」を厚くしていくことが重要である。

◆災害等により、生活基盤が機能しなくなった時

のために、普段から何が必要か考えることが「レ

ジリエンス」である。

①未来の視点で現在を見つめ、今できることをし

っかりと行うこと。

②普段から地域コミュニティ等の手入れ、手直しを

する。常日頃から危機意識を持ち、経験者が次

世代に語り継いでいくことが大切。

③危機に陥っても、対応方法が多くある「オルタナ

ティブ(選択肢)」が多いまちであることが大切。

普段から危機に対して、様々な対処方法を考え

ておくことが必要。

(第一部基調講演) 〜レジリエンスな都市とは?〜

 

鷲田 清一 京都市立芸術大学学長

◆「レジリエンス」なまちとなるための大事な3つの

 

観点として、以下のようなことがあげられる。

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パネリスト 

華道家元池坊次期家元、京都文化芸術都市創生審議会会長

◆96歳の一人暮らしの方が、華道を学び、教えること

を生きがいにされている。文化芸術等を通じた人

と人とのつながりは、人生に良い影響をもたらす。

◆企業には、従業員の働き方を改革し、空いた時

間を文化活動や地域活動に使える仕組みを考え

てほしい。企業と文化が融合することで新しい

ものを作りだせる。

◆自分たちのまちを見つめ、日々の暮らしの中で

できることを考えることが、「レジリエンス」へ

の一歩ではないか。

パネリスト 

京都教育懇話会会長、

株式会社堀場製作所代表取締役会長兼グループCEO

◆企業はしなやかで強靭である必要があり、魅力的な

ことに取り組まないと人も集まらず成長しない。

◆採用した人材が、仕事ができるようになるまで

5年~10年かかる。それだけ時間をかけて毎年

人を育てる必要があり、目先のことだけに投資

している会社はダメになる。

◆独創的でユニークな人は、しなやかで強靭な人

が多い。そういう人を育てる教育が重要である。

池坊 専好

堀場 厚

(第二部パネルディスカッション)

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パネリスト

京都市私立幼稚園協会会長

◆子どもたちの日々の体験は、新しい発見への幸福

感に結び付いており、「失敗」という考え方はない。

大人は子どもに向き合うことで、気付かされるこ

とも多い。

◆大人は、子どもを「社会に生きる一人の人」とし

て、じっくりと長い目で見て育てることが必要で

ある。

◆人と人のつながりは、まさに文化芸術である。高

齢者と若い子育て世代がどう関わっていけるか

を考える必要がある。

パネリスト 

京都大学学際融合教育研究推進センター特定准教授

◆思ったことが実現しなくても、プロセスに意味が

ある。失敗から学び、這い上がり、変化すること

が大切である。

◆今まで当たり前にあって失われたものを振り返

り、もう一度見つめ直すことも「レジリエンス」。

特別なことではない。

◆京都が持つ人や文化芸術といった資源を「レジ

リエンス」の視点で見つめ、組み合わせることが、

京都らしい「レジリエンス」に繋がる。

升光 泰雄

清水 美香

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コーディネーター 

レジリエント・シティ京都市統括監

◆パネラーの皆さんのお話をお聞きしてレジリエン

スの概念が、いかに幅広い分野に及び、またそれ

らの分野を繋いでいく役割があるか実感できた。

◆同時に、レジリエンスな社会は、誰かが用意して

くれるものではない。私たち一人一人が分野や世

代を越えて手を携え挑戦して初めて実現するも

の。今日のフォーラムを出発点として、是非ご一

緒に取り組んでいきましょう。

藤田 裕之

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講演シリーズ

編集・発行人

稲葉 

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