ishii, masayuki徳育における「忍耐」の位置づけについて...

12
徳育における「忍耐」の位置づけについて -「生きる力」及び「レジリエンス」概念との関係と問題点 - 石井 雅之 Patience and Perseverance in Moral Education ISHII, Masayuki キーワード:忍耐、生きる力、レジリエンス、徳育、徳目 1.はじめに:本稿の意図と視座 本稿は、徳育課題の立て方に関係する倫理思想を批判的に吟味することによって、徳育課題として の「忍耐」ないし「忍耐力」の扱いについて問題点を浮かび上がらせようとするものである。立論は、 倫理思想論の立場からのアプローチとなる。本稿は、その先に、以下の考察を現在的な問題把握とし てふまえたうえで、思想史を顧み、そこに見出される「忍耐」及び関連概念(「堅忍」等)に関する 諸論点を吟味して、現在の徳育の基盤にある倫理思想を明確化することを展望している。 2.「忍耐」を主題化することの重要性と問題点 「忍耐」は、否定的にも肯定的にも評価される。たとえば、苦難に抗いそれを乗り越えていく態度 や能力が不足ないし欠如しているから受動的に耐え忍ぶしかないのだとして否定的に評価されること がある一方で、自らの力のみをもってしては克服しえない苦難を受けて立ち、その重圧に持ちこたえ る態度として「美徳(徳)」とみられることもある。ここで留意したいのは、「忍耐」には、否定的評 価との緊張関係を伴いつつも、「美徳」として価値が見出されてきたことである。このことは、古今 東西を通じて珍しいことではない。 「忍耐」はまた、「日本人」にとって、自らのあり方を省み、あるべき姿を考察しようとするとき、 等閑に付すことのできない徳目でもある。なぜなら、「忍耐」は「日本人」に顕著な美徳とみられる ことがあるからである。一例として、東日本大震災時の海外メディアの報道において、被災者の忍耐 ないし堅忍不抜(perseverance)を、冷静さ、団結・協調、秩序、精神的な強さ(fortitude)・立ち直 る力(resilience)等と並べて称える論調が目立ったことが思い起こされる。そのような報道は、国際 関係における種々の意図を伴った、ステレオタイプ的な報道であるにしても、「忍耐」を含む上に列 挙したような特性が、無理なく受け容れられる「日本人」観の構成要素とみなされている点を顧みる べきであろう *1「忍耐」を日本人の特徴とする見方がとられるのは、近時に限ったことでも災害時に限ったことで もない。時代を遡るならば、戦国時代、1579 年以後、三度にわたって巡察師として日本を訪れた、 イタリア生まれのイエズス会司祭ヴァリニャーノ(A. Valignano, 1539-1606)も、 「日本諸事要録」(1583において、同様の見方をとり、日本人の忍耐強さを強調していた。彼は、その文書のなかで、「日本 人はきわめて忍耐強く、飢餓や寒気、また人間としてのあらゆる苦しみや不自由を堪え忍ぶ」(佐久 間正訳:松田毅一他(197311 頁)と始めて、自らが接した事例を活写し、またその「忍耐力」が 何に起因するかを考察してみせている *2。その記述は、宣教を推進するための何らかの意図に伴う 八洲学園大学紀要 第 9 号 (2013), p. 11 ~p. 22 ― 11 ―

Upload: others

Post on 07-Oct-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

徳育における「忍耐」の位置づけについて-「生きる力」及び「レジリエンス」概念との関係と問題点 -

石井 雅之

Patience and Perseverance in Moral Education

ISHII, Masayuki

キーワード:忍耐、生きる力、レジリエンス、徳育、徳目

1.はじめに:本稿の意図と視座

 本稿は、徳育課題の立て方に関係する倫理思想を批判的に吟味することによって、徳育課題として

の「忍耐」ないし「忍耐力」の扱いについて問題点を浮かび上がらせようとするものである。立論は、

倫理思想論の立場からのアプローチとなる。本稿は、その先に、以下の考察を現在的な問題把握とし

てふまえたうえで、思想史を顧み、そこに見出される「忍耐」及び関連概念(「堅忍」等)に関する

諸論点を吟味して、現在の徳育の基盤にある倫理思想を明確化することを展望している。

2.「忍耐」を主題化することの重要性と問題点

 「忍耐」は、否定的にも肯定的にも評価される。たとえば、苦難に抗いそれを乗り越えていく態度

や能力が不足ないし欠如しているから受動的に耐え忍ぶしかないのだとして否定的に評価されること

がある一方で、自らの力のみをもってしては克服しえない苦難を受けて立ち、その重圧に持ちこたえ

る態度として「美徳(徳)」とみられることもある。ここで留意したいのは、「忍耐」には、否定的評

価との緊張関係を伴いつつも、「美徳」として価値が見出されてきたことである。このことは、古今

東西を通じて珍しいことではない。

 「忍耐」はまた、「日本人」にとって、自らのあり方を省み、あるべき姿を考察しようとするとき、

等閑に付すことのできない徳目でもある。なぜなら、「忍耐」は「日本人」に顕著な美徳とみられる

ことがあるからである。一例として、東日本大震災時の海外メディアの報道において、被災者の忍耐

ないし堅忍不抜(perseverance)を、冷静さ、団結・協調、秩序、精神的な強さ(fortitude)・立ち直

る力(resilience)等と並べて称える論調が目立ったことが思い起こされる。そのような報道は、国際

関係における種々の意図を伴った、ステレオタイプ的な報道であるにしても、「忍耐」を含む上に列

挙したような特性が、無理なく受け容れられる「日本人」観の構成要素とみなされている点を顧みる

べきであろう *1。

 「忍耐」を日本人の特徴とする見方がとられるのは、近時に限ったことでも災害時に限ったことで

もない。時代を遡るならば、戦国時代、1579 年以後、三度にわたって巡察師として日本を訪れた、

イタリア生まれのイエズス会司祭ヴァリニャーノ(A. Valignano, 1539-1606)も、「日本諸事要録」(1583)

において、同様の見方をとり、日本人の忍耐強さを強調していた。彼は、その文書のなかで、「日本

人はきわめて忍耐強く、飢餓や寒気、また人間としてのあらゆる苦しみや不自由を堪え忍ぶ」(佐久

間正訳:松田毅一他(1973)11 頁)と始めて、自らが接した事例を活写し、またその「忍耐力」が

何に起因するかを考察してみせている *2。その記述は、宣教を推進するための何らかの意図に伴う

八洲学園大学紀要 第 9 号 (2013), p. 11 ~ p. 22

― 11 ―

石井 雅之

― 12 ―

ものとも考えられるが、そうであるとしても、日本人の特徴が「忍耐強さ」として説得的に説明でき

ると考えられた点は顧みるべきである。

 また、日本の倫理学説の歴史において国内外で注目された業績の一つに和辻哲郎(1889-1960)の

風土論があるが、彼がその風土論の文脈において、「日本の人間」の「忍従性」に論及していたこと

も思い起こしたいところである。和辻哲郎(1935)は、その第三章「モンスーン的風土の特殊形態」

の二「日本」において、「忍従性」を「受容性」とともに「モンスーン的風土」に共通する「人間の

存在の仕方」として位置づけつつ、「日本の人間」におけるそれらの「特殊形態」を濃やかに分析・

表現してみせたのであった。その場合、「忍従」と「忍耐」の異同は問題であるが、両概念は一部意

味内容の重なり合う概念とみられる限りにおいて、「日本人」の「美徳」が「忍従性」の「特殊形態」

としてとらえられていた点が注目される。同書の論によれば、日本の場合、対するものに立ち向かい、

それに打ち勝とうとする能動的・対抗的な態度にも積極的な価値を認め、「反抗や戦闘は猛烈なほど

嘆美せられる」のであるが、 しかしながら、「反抗や戦闘」は「執拗であってはならない」ともされ

るという(岩波文庫版、165 頁)。そして、今まさにその時と判断されたならば、思い切りよく「忍

従に転ずること」こそが「日本人が美徳としたところであり、今なおするところ」だというのである

(同)*3。

 さて、「忍耐」はしかし、その価値がなんらか認められるにしても、その概念の内容を明確にする

ことなく徳目として人のあり方の目標に掲げることには、危惧が伴う。「忍耐」と呼ばれうる行動・

態度のうち、「徳(美徳)」として評価されうる範囲を画定することを怠るならば、たとえば、耐える

ことが適切でないことをも耐え忍ぼうとする態度を助長したり、権力に無批判に服従する態度を植え

付けることをゆるしたりすることになりかねない。

また、「徳(美徳)」としての「忍耐」を取り出し画定するにしても、Bollnow, O.F.(1960)の言葉

を借りて言うならば、「忍耐(Geduld)の徳」は「ひじょうに多様な本質をもっている」(訳書、77 頁)

こと、あるいは「その本質の特殊な面が、その都度とくにはっきりあらわれるといった、ひじょうに

まちまちな形態をもっている」(同)ことを、十分考慮に入れることが求められる。

 それゆえ、「忍耐」は、その概念を現在の徳育論議から排除することなく、また、意味内容を曖昧

にしたまま紛れ込ませることなく、むしろ、その内容を十分に明確にしつつ、徳育課題のなかに的確

に位置づけることこそが必要だと考えられるのである。

3.新学習指導要領における「忍耐」概念の不在

 では、まず、新学習指導要領において「忍耐」概念(類義語によって表現される場合も含むものと

する。以下、同様)が取り入れられているか否か、さらに、「忍耐」に関連づけられうる事柄がどの

ように示されているかについて、簡単に確認しておくことにする。

 周知のように、平成 20(2008)年に改訂された新しい学習指導要領は、小学校では平成 23(2011)

年 4 月、中学校では平成 24(2012)年 4 月から全面実施されている。その新しい学習指導要領は「生

きる力」を育むことを理念として掲げている。その「生きる力」は総合的な力として考えられており、

教育内容の主な改善事項の一つとして挙げられている「道徳教育の充実」も、そのような総合的な力

を育むために重要な要素として位置づけられている。

 「中学校学習指導要領」(文部科学省、平成 20(2008)年 3 月;平成 22(2010)年 11 月一部改正)

の第3章「道徳」(99-102 頁)では、「道徳教育の内容」として示される記述のなかに多数の徳目が

ちりばめられているが、「忍耐」ないし「忍耐力」ということばは盛り込まれない。「道徳教育の内容」

のなかには、たとえば「主として自分自身に関すること」5項目の(2)として挙げられている「よ

り高い目標を目指し、希望と勇気をもって着実にやり抜く強い意志をもつ」のように、「忍耐」概念

― 13 ―

徳育における「忍耐」の位置づけについて

に関係の深い事柄に触れた項目が含まれてはいるが、それにもかかわらず、「忍耐」概念によるとら

え方は示されないのである。

 「小学校学習指導要領」(文部科学省、平成 20(2008)年 3 月)の第3章「道徳」(90-94 頁)でも、

事情は同様と言ってよい。たとえば、第5学年及び第6学年の「主として自分自身に関すること」6

項目の(2)として挙げられている「より高い目標を立て、希望と勇気をもってくじけないで努力す

る」のように、「より高い目標」「希望」「勇気」「くじけない」「努力」といった、徳論の歴史上「忍耐」

概念に関連して取り上げられてきた事柄に言及する語句によって注意深く組み立てられているともい

えようが、やはりここでも、「忍耐」の語は、一度も用いられないのである。

4.新学習指導要領解説での「忍耐」への言及とその特徴

 しかしながら、新学習指導要領の「解説」においては、わずかながら、「忍耐」概念への言及が認

められる。その言及の仕方の特徴をみてみよう。

 「中学校学習指導要領解説 道徳編」(文部科学省、平成 20(2008)年 7 月)では、「道徳教育の基本

的な在り方」と題する第1章第2節の2「道徳の意義」において、「道徳が『自律』や『自由』を前

提にしている」ことに言及し、その理由を述べる部分の一部として、「自己を律し節度をもつとき、

はじめてより高い目標に向かって、忍耐強く進むことができ、そこに人間としての誇りが生まれる」(15

頁、下線筆者)と、ただ一箇所のみ、「忍耐」の概念を用いている。この記述に関しては、「忍耐」を、

「自律」「節度」「高い目標」「人間としての誇り」といった事柄との関係のなかでとらえた、含蓄のあ

るものとなっているとは思われるが、それらの関係に関する論の展開は差し控えられたままとなって

いる。

 「小学校学習指導要領解説 道徳編」(文部科学省、平成 20(2008)年 6 月)のほうでも、「忍耐」と

いう語が二箇所だけだが用いられる。一つの箇所は、第1学年及び第2学年の「主として自分自身に

関すること」4項目の(2)に挙げられている「自分がやらなければならない勉強や仕事は、しっか

りと行う」に関する解説として「忍耐力」の語を用いている箇所で、解説者の「忍耐」理解を窺い知

るうえでより重要である。そこでの記述は次のとおりである。「児童が自立し、よりよく生きていく

ためには、自分がやらなければならないことはしっかりとやり抜くことが大切である。そこには、何

事にも粘り強く取り組み、努力し続ける忍耐力も求められる。しかし、それは見通しもなく取り組む

のではなく、よりよい自己を実現しようとする向上心と結び付いてこそ、前向きな自己の生き方が自

覚されてくるといえよう。そのためにも、児童がより高い目標を立てたり、自分としての夢や希望を

掲げたりして、その達成や実現への志をもち、勇気をもって取り組むことができるようにすることが

重要になる」(39 頁、下線筆者)。

この記述では、「忍耐力」を、「努力し続ける忍耐力」と限定し、それを「向上心」「前向きな自己

の生き方」「目標」「夢や希望」「志」「勇気」に関係づけていっていることから、「忍耐」概念を用い

ているとはいっても、その能動的側面に限定した言及とみられる。「忍耐」は、目的・意志・希望と

の関係においてはたしかに単なる受動にとどまらない能動的・積極的側面があると考えられ、この記

述では、「忍耐」に関しても専らその面からの認識を促しているものともみられよう。

 「小学校学習指導要領解説 道徳編」ではまた、第7章第2節「家庭や地域社会との連携による道徳

教育」の記述中で「忍耐力」に言及している。そこでは「忍耐力」概念を用いた論の展開はみられな

いが、先の箇所とあわせて考えると、「忍耐」「忍耐力」という語を意図的に完全に排除しているとま

ではいえないということになろう。

 しかし、両解説を通じて、あくまでも、「忍耐」概念に依拠した説明を前面に押し出すことはない

のであって、それに言及するにしても、上にみた通り、「自律」「節度」「高い目標」「人間としての誇

石井 雅之

― 14 ―

り」あるいは「向上心」「前向きな自己の生き方」「目標」「夢や希望」「志」「勇気」との関連におけ

る限りでの言及であることから、「忍耐」とはいっても、自律的な個人の、目標に向けての能動的側

面のみが考慮されているといってよいと思われる。

5.「生きる力」に対する「忍耐」の位置

 ところで、新しい学習指導要領が理念として掲げた「生きる力」にとって「忍耐」はどのような関

係においてとらえられるのであろうか。そのとらえ方にかかわる問題点を示唆する重要な例として、

森敏昭他(2002)の立論に注目してみたい。それは、「レジリエンス」概念を持ち込む立論である。

 まず、「生きる力」について確認しておく。中央教育審議会のまとめた「21世紀を展望した我が

国の教育の在り方について(第一次答申)-子供に[生きる力]と[ゆとり]を-」(平成 8(1996)

年 7 月 19 日)では、その第1部「今後における教育の在り方」の(3)として「今後における教育

の在り方の基本的な方向」を示すなかで、次のように言われていた。「我々はこれからの子供たちに

必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に

判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに

協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるため

の健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しい

これからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要

であると考えた。」

 そこでは、「生きる力」として、明らかに、各個人の主体的・能動的な態度・行動を伴う「資質や能力」

が強調されているといえる。その点は、「21 世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第二次

答申)」(中央教育審議会、平成 9(1997)年 6 月 1 日)においても同様で、「個人が主体的・自律的

に行動するための基本となる資質や能力をその大切な柱とするもの」(第1章(1)一人一人の能力・

適性に応じた教育の必性と基本的な考え方)と明言されている。

 さらに、「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について

(答申)」(中央教育審議会、平成 20(2008)年 1 月 17 日)においてはさらに、「1990年代半ばか

ら現在にかけて顕著になった、「知識基盤社会」の時代などと言われる社会の構造的な変化の中で、「生

きる力」をはぐくむという理念はますます重要になっていると考えられる」(2.現行学習指導要領

の理念)との認識を示している。その場合、「生きる力」のうちには、「社会の構造的な変化」の中に

あって「変化に対応する能力」が考えられている(同)。

 それらの答申には、そうした能動性を「支える基盤」への言及もあるが、その「基盤」として考え

られているのはあくまでも「健康や体力」(という、おそらくは「身体的」な事柄としてとらえられ

ているもの)のみである。その「健康や体力」については、「こうした資質や能力などを支える基盤

として不可欠である」と言われ、重視されているといえる。

 さて、その間、森敏昭他(2002)は、上記の「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について

(第一次答申)」に言及したうえで、「『生きる力』のもう1つの構成要因と考えられる」ものとして「レ

ジリエンス」を取り上げていた(180 頁)。その際、当時において「レジリエンスは、我が国ではま

だほとんど知られていない新しい概念であり、レジリエンスの測定尺度もまだ作成されていない段階

である」としながらも、その「欧米の臨床心理学および健康心理学の学会において注目され始めた新

しい概念」の説明として「逆境に耐え、試練を克服し、感情的・認知的・社会的に健康な精神活動を

維持するのに不可欠な心理特性」という、「忍耐」概念に交わる部分をもつ説明をあげた(同)*4。

 同論文では、先行研究に基づいて「レジリエンス」の測定尺度を作成し、大学生を対象とした調査

結果から、「レジリエンス」を次のような4つの因子から構成されると判断した。①「本当の自分」

― 15 ―

徳育における「忍耐」の位置づけについて

をみつめ、知る力。そして、自分自身の良いところも悪いところもひっくるめて、自分自身を受け入

れていく力。②他者との信頼関係を築き、学びのネットワークを広げていく力。③試練を乗り越え問

題を解決していく力。④自分自身で目標を定め、それに向かって伸びていく力。(183 頁)

 このうち第三の「試練を乗り越え問題を解決していく力」がどうとらえられ、どう「レジリエンス」

に組み込まれるものなのかが、「忍耐」の位置づけにかかわる部分といえる。この第三の因子を、同

論文では「『I CAN』の力」と呼び、次のような簡略な説明を与えた。「人間は日々さまざまな試練や

問題に遭遇する。そうした試練を乗り越え、問題を解決していくごとに、人間の心は強く、逞しくなっ

ていく。この試練を乗り越え問題を解決していく力が『I CAN』の力に他ならない」(同)。その因子は「要

するに問題解決力と言える」とも言われ(同)、この因子の把握は以上のような限りでのものとなっ

ている。それは、先に引用した「レジリエンス」概念の説明に含まれ「忍耐」概念と重なる「逆境に

耐え、試練を克服し」という部分を、「試練を克服し」という能動的側面のほうに集約させた把握になっ

ているように思われる。

6.「レジリエンス」論における「忍耐」排除の文脈

 同時期に、小塩真司他(2002)も、「さまざまな困難や不測の事態が存在している個人の心理 - 社

会的な発達過程においては、ネガティブなライフイベントを経験してもそれを糧とし、乗り越えてい

くことこそが必要であるといえる」として、その乗り越えていく「プロセスを理解する際に」「有効な」

概念として「レジリエンス」に着目した(58 頁)。

 同報告は、「レジリエンス」概念について、A. S. Masten らに倣い、「困難で脅威的な状況にもかか

わらず、うまく適応する過程、能力、および結果」とする、「適応」概念による説明をひとまず採用

した(58 頁)。そして、「レジリエンスという概念をとらえる際に、適応の過程、能力、結果のうち

どの部分に焦点を当てるかは研究者によって異なっており、統一的な見解はみられていない」こと、

また「これまでわが国では、レジリエンス概念を扱った研究はほとんど行われていない」ことを指摘

し、「レジリエンス」の「状態」に「結びつきやすい心理的特性」を「測定するための尺度」の作成

を試みた(同)。

 同報告では、その「心理的特性」を「精神的回復力」と呼び、それを「個人の認知的側面」を重視

する「ストレス・コーピング」概念と区別し、また、「困難状況での心理的な強さ」表す「ストレス耐性」

概念とも区別して、「困難な状況において苦痛を感じながらも、その後の適応的な回復を導く心理的

な特性および能力」としてとらえた(同)。

 同報告は、先行研究に基づき、「レジリエンスの状態にある者に特徴的な心理的特性」として「肯

定的な未来志向性」「感情の調整」「興味・関心の多様性」「忍耐力」という四つの「要因」を取り出

して「精神的回復力尺度」を作成し(59 頁)、これまた大学生を対象として調査・分析したという。

その結果、「仮定していた尺度構成」は「支持」されず、「精神的回復力尺度」は「新奇性追求」「感

情調整」「肯定的な未来志向」の3要因で構成されるとの判断に至ったという(61 頁)。

 「忍耐力」は、「困難な状況にあっても、それに容易に屈することなく耐える力」という把握の限り

において仮定的な「尺度構成」にひとまず位置づけられたが、大学生を対象とする当の調査に基づく

限りで、「レジリエンスの状態にある者に特徴的な心理的特性」の、並列される独立した一つの「要因」

としての位置づけからは外されたのである。

 三要因構成としての「精神的回復力」把握(したがってまた、それに基づく「レジリエンス」把握)

は、その後も変更されていないようであるが(小塩(2011)64 頁参照)、この「レジリエンス」把握

が支持されるためには、種々の前提条件がつきまとうことを忘れてはならないであろう。すなわち、

「忍耐力」の理解の仕方、「ストレス耐性」概念との関係、調査対象、また、「困難で脅威的な状況」「困

石井 雅之

― 16 ―

難な状況」「苦痛なライフイベント」「ネガティブなライフイベント」等として具体的に何を想定する

か、といった点で、限定条件付きでのみそのような把握が支持されうるということである。

 同報告も、特に上記第三、第四の点については、「問題点と今後の課題」として注意を促していた

ところであり、「青年が日常的、一般的に経験するような困難な状況のみを扱っているという問題も

指摘することができる」と述べていたが(64 頁)、「忍耐力」の位置づけを吟味・考察する際には、

まさにこの点が重要となると考えられる。そして、それに連動するようにして「忍耐」ないし「忍耐

力」概念とその具体的事例への適用の吟味・明確化を十全に行うことが重要となってくると考えられ

るのである。

 同報告は、その時点では「災害や事故など」の「より深刻な事態や出来事」が視野に入れられるべ

きとの認識を以後の課題としてさしあたり示していたが(同)、人生全体を考えるならば、石原由紀子・

中丸澄子(2007)が列挙してみせた「事件や事故、自然災害、愛する人やものとの離別(失恋、離婚、

死別、独立など)、失業や退職、社会不安、経済的な問題、病気や怪我など」(53 頁)、種々様々なこ

とについて、それに対処する姿勢や能力が問われるべきである。他に、不当な評価や屈辱を味わう場

面等々も問題になるだろう。

 さらには、もはや避けがたく差し迫る死に対して、あるいは避けがたく死へと向かう過程において

被る苦難に対してどう処するかといった問題も、わたしたちにとってきわめて重要であるが、この場

合の対処は、「適応」や「乗り越える」といった括りの限界を意識させるものとなろう。そのような

苦難にも「忍耐」は関係づけられうるのである限り、「忍耐」概念による人間のあり方の把握は、「レ

ジリエンス」概念のうちに解消されてしまうものでもなければ、「生きる力」のうちに解消されてし

まうものでもないにちがいない。

7.育成課題として「忍耐」を打ち出した事例

 ところで、他方において、「忍耐」概念を育成課題として明示的に打ち出す事例も、並行して存在する。

内閣府に置かれた人間力戦略研究会(座長:市川伸一・東京大学大学院教育学研究科教授)の「人間

力戦略研究会報告書 若者に夢と目標を抱かせ、意欲を高める~信頼と連携の社会システム~」(平

成 15(2003)年 4 月 10 日)の掲げた「人間力」の場合をみてみよう。この「人間力」なるものは、「幼

稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について(答申)」(平成20(2008)年 1 月 17 日)において、「知識基盤社会」の「主要能力(キーコンピテンシー)」を打ち

出すという点で「生きる力」と「同様」だと位置づけられたものでもある *5。

 同研究会は、「人間力」と呼ぶものについて、「確立された定義は必ずしもないが、本報告では、『社

会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力』と定

義したい」とし、その構成要素として次の3つをあげた。①「基礎学力(主に学校教育を通じて修得

される基礎的な知的能力)」、「専門的な知識・ノウハウ」を持ち、自らそれを継続的に高めていく力。

また、それらの上に応用力として構築される「論理的思考力」、「創造力」などの知的能力的要素、②

「コミュニケーションスキル」、「リーダーシップ」、「公共心」、「規範意識」や「他者を尊重し切磋琢

磨しながらお互いを高め合う力」などの社会・対人関係力的要素、③これらの要素を十分に発揮する

ための「意欲」、「忍耐力」や「自分らしい生き方や成功を追求する力」などの自己制御的要素、であ

る。そして、「これらを総合的にバランス良く高めることが、人間力を高めること」だという。(以上、

同報告書、Ⅱ人間力の定義)

 同報告書では、「人間力」という「総合的な力」を構成する要素の一部に「忍耐力」が名指しで位

置づけられた点が注目されるが、ただ、それは、同じく「人間力」の構成要素とされた「知的能力的

要素」と「社会・対人関係力的要素」を「十分に発揮するため」の「自己制御的要素」の一部として

― 17 ―

徳育における「忍耐」の位置づけについて

の位置づけが示されるにとどまっており、それがどのような内容理解のもとに、どういう意味でその

位置を占めうるのかについては、説明されていないと言ってよい。

 この「人間力」に言及した「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領

等の改善について(答申)」においては、「忍耐」は、「ものつくり」に関して「緻密さへのこだわり

や忍耐強さ」として一度言及された。これは、再び Bollnow, O.F.(1960)の言い方を借りるならば、「仕

事における忍耐」(訳書、78 頁)と言われた、「忍耐」の一つの主要形態に言及するものと言ってよい。

同書によれば、「人間は、忍耐を、勤勉と節約、きちょうめんときれいずき、およびこの圏内に所属

しているそのほかの徳とともに、職業的生活、とりわけ手工業的生活において必要とする」(同)の

であって、「『繊細な』仕事」、たとえば「針に糸を通すには、忍耐が要る」というのと同じ意味で「精

密機械工や時計工の仕事」も「忍耐」が要るといえる(同、79 頁)。その場合の「忍耐」は、「性急(Hast)」

と「焦燥(Ungeduld)」の対極において理解されるものである。

 ただ、人間力戦略研究会の言う、「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力

強く生きていくための総合的な力」としての「人間力」を構成する要素としての「忍耐力」にしても、「仕

事における忍耐」と呼ばれうるような形態の「忍耐」のみが考慮に入れられているわけではないにち

がいない。「人間力」の構成要素となる「忍耐力」の内容については、「自己制御的要素」として列記・

例示された「意欲」及び「自分らしい生き方や成功を追求する力」との関係とあわせて、掘り下げる

必要があると思われる。

 一昨年の「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」(中央教育審議会、

平成 23(2011)年 1 月 31 日)においても、その第1章「キャリア教育・職業教育の課題と基本的方向性」

の3「キャリア教育・職業教育の方向性を考える上での視点」で、「忍耐力」が位置を与えられている。

しかし、その「忍耐力」の内容と位置づけの詳細については、事情は先と大差ないと言ってよい。

 そこでは、「社会的・職業的自立、学校から社会・職業への円滑な移行に必要な力」を「構成」する「要

素」の一つを「基礎的・汎用的能力」と呼んで括り、その「具体的な内容」を四つの能力、すなわち

「人間関係形成・社会形成能力」「自己理解・自己管理能力」「課題対応能力」「キャリアプランニング

能力」という「相互に関連・依存した関係にある」四つに整理し、そのうちの「自己理解・自己管理

能力」の「具体的な要素」として、「忍耐力」が、「自己の役割理解」「前向きに考える力」「自己の動

機付け」「ストレスマネジメント」「主体的行動」と並記して例示された。

 もしそれら「具体的な要素」間にも「相互に関連・依存した関係」がみられているとすれば、これ

は注目するべき言及だと思われるが、「具体的な要素」各々とそれらの関係に関する詳細については

説明もなく、推し量りがたいのである。

8.「忍耐」の位置づけに関する哲学的考察と展望

 「忍耐」の扱いに関する以上にみてきたような実情への対処として、教育哲学的論考、ひいてはよ

り広く哲学思想史・宗教思想史上の古典的論点がもっと参照され、考慮に入れられるべきだと思われ

る。そこには、「忍耐」概念の内容・意義・位置づけ等に関する洞察が豊富に見出されるからである。

それは、時代や文化の違いをこえて、現在のわたしたちにも大いに参考になると主張したい。

 このテーマに関しては、たいへん広範な調査・研究対象が見出されるが、筆者としては、専門領域

としてきた西洋古典思想から、わたしたちが参照するべき論点を紹介することが、自らに可能な範囲

で多少とも意義あることとさしあたり考える。その際、20 世紀後半において「忍耐」を主要な論点

の一つに位置づけた論陣を張り、日本でも広く知られたボルノー(O. F. Bollnow, 1903-1991)の所論

が示唆に富むと思われる。そこで、Bollnow, O.F.(1960)[初版 1955]の第 1 部第 3 章「忍耐」にあ

らためて注目し、その論点から以下の八つを、次段階に着目するべき点ないし問題とするべき点とし

石井 雅之

― 18 ―

ておさえておきたい *6。

1)現代における「忍耐」欠如の問題性、「忍耐」回復のための課題として「忍耐の正しい理解」が求められること ボルノーは、「われわれ現代の、とくに大都市の生活の特徴」は「忍耐」の正反対の「性急」であり、

現代は一般に「忍耐喪失の時代」として特徴づけられうるみた(訳書、79-80 頁)。そして、その「忍

耐の欠如」が人間を「常軌を逸した決意性へと追いたてる」主要因となっているなど、「忍耐の能力

の欠如は、およそ、現代の文明的生活の最大の欠陥の一つである」と断じて、強く問題視した(76 頁)。

また、「忍耐」は、「世間一般の解釈」において、「『気の小さい』精神状態」のなかに組み込まれ、「気

の弱さ」として、つまり「抵抗しない」で「すべてを甘受」したり、「自ら正当とみなした要求」も「あ

えて弁護しようとしない」気の弱い態度とみられ、せいぜい「比較的見ばえのしない徳」でしかない

とみなされる(76-77 及び 88 頁)が、そのような状況にあって、「忍耐の能力」は、「静かに待つこ

との能力」と相俟って、「性急」さに抗し「人間に世界の課題と贈物にたいして開かれている生活を

可能にすること」に「根本的に寄与することができる」能力であるとして、その重要性を強調した(同)。

そのうえで、彼は、現代において「忍耐」を回復するという目的に向けて、それを「準備する作業の

重要な一環」として、「忍耐の正しい理解」が求められるとしたのであった(同)。

2)「忍耐」の徳は多様な形態をとってあらわれ、他の諸徳と密接な関係性をもつこと 「忍耐」の徳の特質を、ボルノーは「ひじょうに多様な本質をもっている」という表現で指摘した(77

頁)。その意味は、「忍耐」の「本質の特殊な面」が、その徳の発揮される場面の相違に応じて「その

都度」「ひじょうにまちまちな形態」をとってあらわれるということである(同)。「忍耐」の徳が異なっ

た仕方で力を発揮する場面として、ボルノーは、「人間の仕事との関係」、「他の人間との関係」(ここ

に教育者としての徳としての「忍耐」という論点が含まれる)を取り上げ、そして、そのうえに、「生

が忍耐強く負わなければならない、生全般の苦悩と苦痛の関係」を挙げた(同)。そのそれぞれの場

合において、「忍耐」は、他の名称で呼ばれる諸徳と密接な関係性をもつものとして見出されるので

ある。

3)仕事において求められる「忍耐」があること ボルノーは、人間が、「職業的生活」において、「勤勉」「節約」「きちょうめん」「きれいずき」等

の諸徳とともに、「忍耐」を必要とすることに注目した(78 頁)。種々の仕事のうちには、「忍耐」を

特に必要とする種類の仕事があるともみた(79 頁)。彼が挙げたのは「手工業」ないしは「精密機械

工」「時計工」の仕事だが、彼の言う「何か困難なことが起き、思うままに先に進むことができない

ように思われるときでも」「焦燥に駆られて急ぎだす」ことなく「落ち着いていなければならない」(同)

ような仕事一般に求められる「忍耐」があるといえるであろう。

4)人間関係において求められる「忍耐」があること 他の人間との関係における「忍耐」とは、相手に「猶予を与える」ことだと、ボルノーは言った(84 頁)。

その具体例として、人の話を聴くときの態度を挙げている。相手の話がいかにまどろこしくとも、相

手のことを考慮し、決して「先を求め、語り手自身がそこに行き着く前に、出来事を先取りしようと

する」ことなく、「相手の調子に合わせて、さからわずにそれを受け入れ、注意を払って」その人の

言うことに「耳を傾ける」ことができるのが、「忍耐」の徳だということである(同)。このような場

面での「忍耐」は、「譲歩」「慈悲深さ」「温順」「慎重」「寛大」「希望」等の名称で呼ばれる徳目との

関係性を浮かび上がらせる(84-87 頁参照)。他の人間との関係における「忍耐」の重要な一つとして、

「教育者」の身につけるべき「忍耐」もある。

5)人生の種々の苦難に際して「忍耐」が求められること ボルノーはさらに、概して、「生一般にたいする関係」において「忍耐」をみる視点へと考えを進

めた(90 頁)。その場合、「忍耐」が発揮されるのは、とりわけ「生の悩めるかつ苦しめる側面にた

― 19 ―

徳育における「忍耐」の位置づけについて

いする関係」においてである(同)。「不正なこと」「不運」「病気」、その他「不愉快なこと」「厭わし

いこと」「苦しみ」を伴うこと(90-91 頁参照)が人生にはつきものである以上、それらに際して「忍

耐」が求められることになる。

6)「忍耐」は「希望」があるところに存すること ボルノーは、「忍耐」に「時間性」(87 頁)をみてとった。「忍耐」は未来に対する態度だと言って

もよい。「忍耐をもって苦しみを我慢する」ということは、たんに「その苦しみを抵抗せずに甘受して、

その苦しみに順応すること」ではなく、同時に「よりよい未来」へのかかわりを含んでいる(91 頁)。

そのかかわりとは、忍耐する当人が「能動」と「受動」のバランスをとり、「主観」と「客観」を「調

和」させつつ「よりよい未来」への途を見出し進んでいることだといえるであろう(82-83 頁参照)。

そのようにして「忍耐」は「未来にたいする信頼」を必ず前提としているということになる(91 頁)。

そして、「未来にたいする信頼に満ちた関係」において、「忍耐」は「希望」と「直接的な関係」をも

つ(87 頁)、すなわち、「希望があるところにおいてのみ、忍耐も可能」なのだと指摘した(同)。

7)「希望」の存立に必要な「信頼」の基盤は彼岸的なものと此岸的なものが考えられること、「忍耐」は宗教的な徳であること 「未来にたいする信頼」は、人間関係における「忍耐」においては、かかわる相手に対する信頼と

なる。それが「教育者の忍耐」なら、「児童にたいする信仰」(89 頁)となる。そして、広く人生の

種々の苦難に際しての「忍耐」を思うならば、「支持的な存在根底にたいする信仰的な関係」(91 頁)

が要請されてくることを、ボルノーは認めた。その場合の「忍耐」は、「自力的な人間の干渉を要す

ることなく、良いことの方への転換が自然に生じるまで待つ、ということ」(同)になる、あるいは、

少なくとも、「誠意ある人間の努力の他に、同時に、恩寵の形でのみ人間に与えられる、もっと別な

ものを前提としている」(94 頁)ということになる、とみた。そのとき信頼される「未来」について、

ボルノーは、現状においては「現代の人間の現存在の逃げ道のないように見える苦境のなかで、忍耐

は、よりよき彼岸への希望から、おのれの力を得ている」(92 頁)にしても、「かならずしも彼岸と

解される必要はない」とし、「支持的な根底」が「現世自体のなかにも」見出される可能性をみよう

とした(同)。「支持的な根底」を彼岸にみるにせよ此岸に見るにせよ、ここにおいて「忍耐」は「宗

教的」(78, 91, 92 頁)な徳であるというべきことになる。「啓蒙主義」は、「忍耐」を「仕事の際のた

んなる根気と等置してしまった」が、それは「忍耐の本質的核心」に迫るものでは決してなかったと

裁定される(91 頁)。

8)西洋に関しては歴史的にはキリスト教の「忍耐」理解が参照されるべきであること、「忍耐」の宗教的基盤がいかなるものとしてありうるかが問題となること ボルノーにおいて、「忍耐」の宗教性は、西洋の歴史に即してみた場合、「忍耐は、明らかにキリス

ト教的徳の圏内に属する」という見方と連結されている(92 頁)。そして、彼は、「キリスト教的な

意味で、苦悩が本質的に人間の生にまつわっていると解されたときに、また人間の生がこの人間の気

の弱さという視点のもとで解釈されたときにはじめて、この徳のより深い理解が展開されえた」とみ

て(同)、「忍耐」の意義理解に関して、歴史上、キリスト教がもたらした成果を重視した。「ギリシ

ア精神は、まだ忍耐をほとんど認めていなかった」(同)とまで端的に言ったのは問題だが、歴史的

にはキリスト教的な「忍耐」理解が注目され吟味されるべき内容をもっていることは確かであろう。

キリスト教的な「忍耐」理解を、関連諸徳との関係性を含めて見極める努力をしたうえで、その成果

をふまえて、「忍耐の宗教的根底」を「特別にキリスト教的に解釈される必要はない」(同)としたと

き、そのような「支持的な根底」がいかなるものとして見出されうるのかを探り明らかにすることが、

少なくとも西洋の歴史に即する観点からは、要請される課題だということになるであろう。

石井 雅之

― 20 ―

*1 東日本大震災時の被災者の行動に関する海外メディアの報道については、溝上由紀(2013)が、多くの

実例を引きつつ批判的な考察を加えている。同論文(16-19 頁)が参照している重要な例として、ニコラス・

クリストフ(Nicholas D. Kristof)氏が、The New York Times 紙に書いた ‘Sympathy for Japan, and Admiration’

と題するコラム(2011 年 3 月 11 日付)がある。そのコラムでは、まず阪神・淡路大震災時の日本人の様

子について、“…the Japanese people themselves were truly noble in their perseverance and stoicism and orderliness.

There's a common Japanese word, “gaman,” that doesn't really have an English equivalent, but is something like “toughing

it out.” And that's what the people of Kobe did, with a courage, unity and common purpose that left me awed.”(日本人

自身の忍耐力と冷静さと秩序正しさは本当に立派だった。日本語でよく使われる単語に「我慢」というもの

がある。それは英語でぴたりとあてはまる訳はないのだが、「頑張り抜く」というような意味である。そし

て、それが、神戸の人々が、勇気と協調性、共通目的を持って行ったことであった。私は畏敬の念を抱いた)

と評したうえで、東日本大震災後の日本人の行動について、“I find something noble and courageous in Japan's

resilience and perseverance, and it will be on display in the coming days. This will also be a time when the tight knit of

Japan's social fabric, its toughness and resilience, shine through.”(日本の回復力と忍耐力に私は気高さと勇気を見

いだしている。そしてそれはこれから数日の間に示されるであろう。これはまた、緊密に編まれた日本の社

会機構、その強さと回復力が輝くときでもあるだろう)と述べており、このコラムは「その後の英語メディ

アの一連の東日本大震災報道の流れを作った重要なもの」(16-17 頁)とみられるという(括弧内の日本語訳

は溝上氏同論文による。下線は筆者)。コラム全文は、http://kristof.blogs.nytimes.com/2011/03/11/sympathy-for-

japan-and-admiration/ 参照。

*2 「日本諸事要録」の第 1 章(日本の風習、性格、その他の記述)には、次のように記されている。「日本人

はきわめて忍耐強く、飢餓や寒気、また人間としてのあらゆる苦しみや不自由を堪え忍ぶ。それは、もっと

も身分の高い貴人の場合も同様である ・・・」(佐久間正訳:松田毅一他(1973)、11 頁)。「彼らは信じられな

いほど忍耐強く、その不幸を堪え忍ぶ。きわめて強大な国王なり領主が、その所有するものをことごとく失っ

て、自国から追放され、はなはだしい惨めさと貧困を堪え忍びながら、あたかも何も失わなかったかのよう

に平静に安穏な生活を営んでいるのにたびたび接することもある。」(11-12 頁)そして、その「忍耐力」が

何に起因するかについて、「幼少の時から、これらあらゆる苦しみを甘受するよう習慣づけて育てられるから

である」(11 頁)、「この忍耐力の大部分は、日本では環境の変化が常に生じることに起因しているものと思

われる。実は日本ほど運命の変転の激しいところは世界中にはないのである。ここでは、何か事があるたび

に、取るに足りない人物が権力ある領主となり、逆に強大な人物が家を失い没落してしまう。既述のように、

かような現象は、彼らの間ではきわめて通常のことであるから、人々は常にその覚悟をもって生活している

のであり、ひとたび(逆境に)当面すると、当然予期していたもののようにこれに堪えるのである」(12 頁)

と説明している。

*3 和辻哲郎(1935)における「日本の人間」の「忍従性」に関する所論の一部を次に引いておく。「次にモンスー

ン的な忍従性もまた日本の人間において特殊な形態を取っている。 ここでもそれは第一に熱帯的 ・ 寒帯的で

ある。すなわち単に熱帯的な、従って非戦闘的なあきらめでもなければ、 また単に寒帯的な、気の永い辛抱

強さでもなくして、 あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従である。 暴風や豪

雨の威力は結局人間をして忍従せしめるのではあるが、 しかしその台風的な性格は人間の内に戦争的な気分

を湧き立たせずにはいない。だから日本の人間は自然を征服しようともせずまた自然に敵対しようともしな

かったにかかわらず、 なお戦闘的 ・ 反抗的な気分において持久的ならぬあきらめに達したのである。」(岩波

文庫版、164 頁)「第二にこの忍従性もまた季節的 ・ 突発的である。 反抗を含む忍従は、それが反抗を含むと

いうその理由によって、単に季節的 ・ 規則的に忍従を繰り返すのでもなければ、 また単に突発的 ・ 偶然的に

― 21 ―

徳育における「忍耐」の位置づけについて

忍従するのでもなく、 繰り返し行く忍従の各瞬間に突発的な忍従を蔵しているのである。忍従に含まれた反

抗はしばしば台風的な猛烈さをもって突発的に燃え上がるが、 しかしこの感情の嵐のあとには突如として静

寂なあきらめが現われる。受容性における季節的 ・ 突発的な性格は、直ちに忍従性におけるそれと相俟つの

である。反抗や戦闘は猛烈なほど嘆美せられるが、 しかしそれは同時に執拗であってはならない。 きれいに

あきらめるということは、 猛烈な反抗 ・ 戦闘を一層嘆美すべきものたらしめるのである。 すなわち俄然とし

て忍従に転ずること、言いかえれば思い切りのよいこと、淡泊に忘れることは、日本人が美徳としたところ

であり、 今なおするところである。 桜の花に象徴せられる日本人の気質は、半ば右のごとき突発的忍従性に

もとづいている。」(同、164-165 頁)

*4 「レジリエンス(resilience)」は、「弾性」「復元力」「回復力」等々、様々な訳語をあてがわれる用語であり、

その概念を理論に組み入れる研究分野も多岐にわたる。「レジリエンス」概念は、物理、生態系、社会、個人等々

の把握に適用され、それらに種々の視角からアプローチする諸研究がその概念を採用している。石原由紀子・

中丸澄子(2007)によると、「レジリエンス」は「英語圏内で発生した概念」であり(57 頁)、「1970 年代か

ら諸外国では、様々な領域におけるレジリエンス研究がなされている」(53 頁)。齋藤耕二(2007)は、心理

学関連文献データベース PsycINFO による検索結果を報告しているが、それによると、「レジリエンス」につ

いての論文は、1980 年以前では 30 件にすぎないが、その後 2000 年までの 20 年間に 1568 件に急増し、さら

に 2001 年から 2006 年 11 月までの間には 2415 件と「爆発的な増加」をみせているという(168 頁)。日本に

おいて、教育・心理の分野で、「レジリエンス」をタイトルに掲げる論文が増えはじめたのは、CiNii の論文

検索でみる限りでは、2000 年代に入ってからのようである。「レジリエンス」研究に関して、その国内外に

おける歴史と動向、「レジリエンス」概念の広がりと諸種の定義、研究対象(対象者とリスク状況)の範囲、

調査法の種類、様々な尺度等について、詳細は、さしあたり、石原由紀子・中丸澄子(2007)を参照してお

くことにするが、近年、日本においても、「レジリエンス」概念に依拠して人間を把握することが流行となっ

ていることを確認しておきたい。そして、その概念は、英語圏の文化から生まれた概念であることや、物理

現象になぞらえる理解に導きやすいことなど、思想的に批判しつつ注意深く用いる必要があることに注意し

ておきたい。なお、齋藤耕二(2007)が指摘しているように(168 頁)、「レジリエンス」概念が用いられる

ようになる以前にも、たとえばエリクソン(E.H.Erikson, 1902-1994)など、「回復力」に注目した研究がなさ

れてきたことも銘記しておくべきであろう。

*5 第3期中央教育審議会(任期:平成 17 年 2 月~平成 19 年 1 月)に対する文部科学大臣からの要請には、

「『人間力』向上のための教育内容の改善充実」という事項が含まれていた。

*6 村上黎子(1991)は、「忍耐」をテーマとして、ボルノーの『新しい庇護性(Neue Geborgenheit)』第 4 版(1979)

に加え、同著者の Die Pädagogische Atmosphäre, 3 Auflage, Heidelberg, Quelle & Meyer, 1968(初版は 1964、訳

書は、森昭・岡田渥美訳『教育を支えるもの』黎明書房、1969); D. Rusterholz-Rohr, Geduld in der Erziehung,

Bern, Hans Huber, 1972 他をも参照しつつ、「忍耐とはどのような徳であり、どのような状況において忍耐が必

要になるのかなど、忍耐をめぐる諸問題」について要説したうえで、とくに「教育者の忍耐」を取り出して

論じている。他にも、教育者の諸徳を論じるなかで「忍耐」を取り上げる際にボルノーの所論に論及ないし

依拠した論考は少なくない。

石井 雅之

― 22 ―

文献

Bollnow,O.F.(1960):Neue Geborgenheit: Das Problem einer Überwindung des Existentialismus, 2.Auflage,

Stuttgart, Kohlhammer.(須田秀幸訳『実存主義克服の問題:新しい被護性』未来社、1969.)[原著初

版は 1955.]

石原由紀子・中丸澄子(2007):「レジリエンスについて-その概念、研究の歴史と展望-」『広島文

教女子大学紀要』42、53-81.

松田毅一他(1973):『日本巡察記』(ヴァリニャーノ[著]、松田毅一他訳)東洋文庫 229、平凡社。

溝上由紀(2013):「報道とオリエンタリズム ― 東日本大震災の英語報道における日本人のステレオ

タイプ的表象の批判的分析 ―」『愛知江南短期大学紀要』42, 13-44.

森敏昭他(2002):「大学生の自己教育力とレジリエンスの関係」『学校教育実践学研究』8、179-187.

村上黎子(1991):「忍耐について」『清和女子短期大学紀要』20、12-20.

小塩真司他(2002):「ネガティブな出来事からの立ち直りを導く心理的特性-精神的回復力尺度の作

成-」『カウンセリング研究』35、57-65.

小塩真司(2011):「レジリエンス研究からみる『折れない心』」『児童心理』65(1)、62-68 頁。

齋藤耕二(2007):「心の「強さ」(レジリエンスとは何か)」『児童心理』854、12-17.

和辻哲郎(1935):『風土』岩波書店(岩波文庫版、1979)

(受理日:2013 年 3 月 10 日)