6)スイカ=西瓜花の縁03-06-06 1 1 6)スイカ=西瓜...
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6)スイカ=西瓜 スイカはウリ科の 1年生ツル草で、ツルには粗い毛があり茎は分枝して地を這う。
ツルの長さは7m にも及び、葉は互生し長い心臓型で羽状に3~4裂する。葉の付け根
からは巻ヒゲを出して他物にからみ、花は葉の付け根に 1 個ずつ付き、夏季、花冠が
5 裂した黄色い広鐘状の花を開く。雌雄同株で、両性花をつける品種もある。果実は
球形もしくはラグビーボール形で開花後約 30 日で完熟する。果皮は濃緑色から黄色、
黒色などさまざまで、果肉も赤色のほか、黄色、白色などもある。種子は平たい
卵形で、色は黒褐色、褐色、灰色、白などこれもさまざまで、1 果に 500~700 粒
含まれている。原産地は熱帯アフリカで、日本では夏の代表的な果物として、南は
沖縄から北は北海道まで広く栽培されている。和名の由来は中国名の『西瓜』の音読み
である。学名は『Citrullus vulgaris』で、属名はこの属の植物には、レモン色の
果実をつけるものがあるところから、柑橘を意味する『citrus』の名前が与えられた。
種小辞はスイカの古名に由来するものである。イギリスでの呼称は『watermelon』、
フランスでは『pasth gue』あるいは『melon d'eau』、ドイツでも『Wassermelon』、
中国では前述のごとく『西瓜』である。スイカの名前は聖書にも見えておりヘブライ語
では『avatiach』[アヴァティアッチ]と綴られ、アラビア語では『batteca』[バッテカ]となって
地中海を経由して、やがてヨーロッパ諸国と当方のアジア諸国に伝わったのである。
日本で栽培されているスイカはおおむね球形で、果皮に縞模様の際立つものがほと
んどだが、中には黒部スイカとして売られているラグビーボールのような楕円形の
ものもある。しかし最近では核家族化や、冷蔵庫に貯蔵しやすいという理由から、
むしろ小型の小玉スイカや乙女スイカに人気がある。1947 年には木原均によって種の
ないスイカが開発され、昭和 20~30 年代にかけて流行したが、栽培に手間がかかる
上に、果形がゆがみやすく晩生であるところから、栽培されなくなってしまった。
しかし最近では復活の兆しがある。またグルメが幅をきかす昨今、果皮が黒いスイカ
など珍しいものが、高値で取り引きされていることも見逃すことはできない。
スイカの栽培起源は大変に古く、古代エジプト人が紀元前 2000 年頃には栽培して
いたと思われる絵画が残っている。これが紀元前 1000 年頃にはギリシャに伝わり、
ローマには起源後間もなく伝わったものと考えられている。しかしどこの地域でも
食用の目的は果肉ではなく、種子だったようで、これが果肉を食用とするように
なったのは、ずっと後になってからのことらしい。その始まりは主に地中海沿岸地方で、
これがやがてヨーロッパ諸国に伝わったのである。しかし起源地では初期から果肉
を食用にしていたようで、現在でもこの近くで生活するブッシュマンは、食料として
また水分の補給源としてスイカを栽培している。果肉を食用とするスイカが、地中海沿岸
地域から広く欧米諸国に伝播したのは17世紀以降のことで、アメリカへはヨーロッパ
からの移民によって持ちこまれた。1629 年にはマサチューセッツ州で、また 1664 年
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にはフロリダ州で栽培されている。
スイカがインドに伝わったのは、中近東に伝播したものが、ペルシャを経由して
伝えられたといわれている。海路を通ってエジプトから直接伝わったとの説もあり、
定かではない。一方、中国へはシルクロードを経て12世紀に西域から伝わったもので、
西瓜の名前が生まれた。これが15~16世紀に日本へも伝わったのである。しかし日本
では当初は普及することはなかった。 明治になってアメリカから、甘味の強い品種が
導入されると、まず奈良県と和歌山県で栽培され、1902年になって、欧米からさらに
優れた品種が導入されると、奈良県から次第に各地に波及していったのである。
日本で最初に西瓜が見られる文献は、延文4年(1359年)の南北朝末期に、僧義堂周信
(ギドウシュウシン)が記した『空華日工集』(クウゲニックシュウ)である。『和西瓜詩』と
題した漢詩の中に「西瓜、今見ゆ東海に生うるを…」と詠われている。しかしこれは
実際に見たものかどうか疑わしい。その後、寛永年間(1624~1644 年)には確かに
伝来していたようで、正徳 2 年(1712 年)に著わされた『和漢三才図絵』には「貴賤、
老幼、皆之を嗜(タシナ)む」と記されている。初期には果肉が赤く血肉にも似ていたところ
から疎んじられたが、元禄年間(1688~1704年)には次第に普及して、一般にも食され
るようになっていたのだろう。 幕末の天保年間(1830~1843年)に記された『嬉遊笑覧』
には「西瓜の肉をほり取りて、中に火を點す事は近きことと見ゆ」などと記されている。
スイカの果実は水分が 91%を占めている。このほか糖質が 8%で、赤い果肉の
スイカにはカロチンも多く含まれている。 特に注目すべきはシトルリンというアミノ酸
(03-06-00参照)を含み、これは利尿効果が高く、腎臓病によいとされている点である。
このため果汁を煮詰めて飴状にした『西瓜糖』は、薬用にされている。それに前述
のトマトのところでも取り上げたカロチンやリコピン、ビタミンなどが多く含まれ
ている。またスイカを毎日食べていると便秘をしないために、特に若い女性など
には美容にもよいとされている。種子は炒って塩味をつけ、種皮をはいて胚を食用
にする。蛋白質や脂質のほかに、カルシウムやリン、鉄分などを含んでいる。
スイカは乾燥した砂地でよく育つ。日本での西瓜の産地は砂丘地帯や、かつては
河川敷であったようなところが多い。春に播種して苗をユウガオやカボチャの小苗に
接ぎ木して育てる。これは根から病気が発生するのを防ぐためである。ツルは放って
置くと際限なく伸びてゆくので、芯を止めて葉腋に出た子ツルを多く繁らせ、これ
に花をつけさせる。しかし家庭菜園ではある程度広いスペースがないと難しい。
西瓜の青い果皮を外皮と言い、白いところを中皮、赤いところを内皮と言う。西瓜の
中皮は最近ではパックにしたり、糠漬けにしたりで利用価値も高い。しかしうっすらと
甘味が残った中皮には、クワガタやカブトムシなどがよく集まってくる。子供たちの夏
休みにはなくてはならない素材でもあるのだ。そして何よりゴキブリの好物なので、
これで集めて『ゴキコロリ』をシュシュッと噴射することをお勧めしたい。
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スイカの雌花、茎や花には羽毛が多く、すでに子房が大きく膨らんでいる(埼玉県深谷市)。
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スイカの雄花、スイカのように収穫数の比較的少ない果実の場合は、この雄花をかいて
人間の手で雌花に擦り付けて人工的に受粉させることが多い(埼玉県深谷市)。
この農家では支柱を立てて茎を支え、乙女スイカの果実を紐で釣っていた(埼玉県深谷市)。
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こちらの農家では果実の下にビニールを敷いていた(さいたま市緑区)。
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栽培方法は品種や時期などに応じて各農家が工夫している(埼玉県深谷市)。
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かわいらしい小玉スイカの果実。最近では小家族の家庭が増えているために、昔のような
大きなスイカよりも、小玉スイカの方がむしろ好まれる傾向にあるようだ。
右はごく普通の大きさのスイカで、左が小玉スイカ、5 分の 1 ぐらいである。目次に戻る