第3章 nairu概念の検討と、kalman filterによる可変nairuの推計 · -62- 第1節...

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-61- 第 3 章 NAIRU 概念の検討と、Kalman Filter による可変 NAIRU の推計 1 自然失業率と類似した意味を持つ NAIRU (インフレを加速させない失業率 non-accelerating inflation rate of unemployment)は、長期的な均衡概念である自然失業率とどのような関係が あるのだろうか。 NAIRU の意味通りの名称は、インフレ率を上昇させない失業率(non-increasing inflation rate of unemployment)である。この NAIRU が、構造的失業と摩擦的失業に必ず等し いならば、推計された NAIRU を用いて雇用関連の政策を評価、検討することができる。 「構造的失業率+摩擦的失業率」に対応すると言われる失業率に、NAIRU、自然失業率、 さらに UV 分析の均衡失業率の三者がある。いずれも均衡失業率と呼ばれることがあり、互 いにどのような関係があるのか、わかりにくい。とりわけ推計される機会が多いのは、 NAIRU UV 分析の均衡失業率だが、NAIRU 推計で得られた「構造的失業率+摩擦的失業率」と UV 分析で得られた「構造的失業率+摩擦的失業率」の数字は直接比較可能なのだろうか。 こうした問題意識をふまえ、やや冗長になるが、NAIRU と関連概念の整理を行う。 自然失業率は、永続的供給ショックが一定の値になる期間という意味での、長期的な「構 造的失業率+摩擦的失業率」の水準に対応する。一方、 NAIRU については自然失業率と同一 視されることも多いが、 NAIRU を、もし一時的な供給ショックが無かったものとすると、イ ンフレ率を一定に保つような失業率と定義してみよう。すなわち、 NAIRU の値を「構造的失 業率+摩擦的失業率」とする場合には、永続的供給ショックによる経済の構造変化を反映し た「構造的失業率+摩擦的失業率」を求めることになる。新たな永続的ショックが生じると、 NAIRU の値は変化する(可変 NAIRU)。ところが、一時的供給ショックが起きても NAIRU は変化しないという性質を持つことになる。一般に、永続的ショックが一定となる長期に対 応する自然失業率よりも NAIRU の方が頻繁に変動し得る。さらにもう一つの違いとして、 自然失業率は、合理的期待の下での一般均衡概念と結びついており、期待の錯誤の有無を問 わない NAIRU の概念とは異なることを示す。 賃金に一定のマークアップを上乗せして企業が価格を設定すると仮定すると、失業率が NAIRU に等しい時には、経済の平均的な賃金上昇率が上がりも下がりもしないので、労働市 場全般には、需要の超過も不足もない状態にあり、需要不足失業は存在しない。この時、需 要不足失業以外の摩擦的失業+構造的失業だけが存在するはずである。従って、 NAIRU にお いて存在する失業は、職探しの際に十分な情報を持たないために生じた摩擦的失業や、より 深刻な構造的失業であると考えられている。 NAIRU=摩擦的失業率+構造的失業率という関 係を厳密に示すことは困難だが、NAIRU とミスマッチとの関係を紹介する。 次に NAIRU の先行実証研究を紹介し、推計された NAIRU がインフレ予測に役立たないな どの問題点を述べる。最後に、カルマン・フィルターを用いて日本の可変 NAIRU を推計し た。 1 推計にあたっては日本総合研究所の新美一正氏の TSP プログラムをもとに改変して分析を進めている。ご教 示いただいたことにも記して感謝いたします。

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Page 1: 第3章 NAIRU概念の検討と、Kalman Filterによる可変NAIRUの推計 · -62- 第1節 失業の種類 米国の標準的な教科書であるEhrenberg and Smith(2002)とBorjas(2005)には、次のよ

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第 3 章 NAIRU 概念の検討と、Kalman Filter による可変 NAIRU の推計1

自然失業率と類似した意味を持つ NAIRU(インフレを加速させない失業率 non-accelerating

inflation rate of unemployment)は、長期的な均衡概念である自然失業率とどのような関係が

あるのだろうか。NAIRU の意味通りの名称は、インフレ率を上昇させない失業率(non-increasing

inflation rate of unemployment)である。この NAIRU が、構造的失業と摩擦的失業に必ず等し

いならば、推計された NAIRU を用いて雇用関連の政策を評価、検討することができる。

「構造的失業率+摩擦的失業率」に対応すると言われる失業率に、NAIRU、自然失業率、

さらに UV 分析の均衡失業率の三者がある。いずれも均衡失業率と呼ばれることがあり、互

いにどのような関係があるのか、わかりにくい。とりわけ推計される機会が多いのは、NAIRU

と UV 分析の均衡失業率だが、NAIRU 推計で得られた「構造的失業率+摩擦的失業率」と

UV 分析で得られた「構造的失業率+摩擦的失業率」の数字は直接比較可能なのだろうか。

こうした問題意識をふまえ、やや冗長になるが、NAIRU と関連概念の整理を行う。

自然失業率は、永続的供給ショックが一定の値になる期間という意味での、長期的な「構

造的失業率+摩擦的失業率」の水準に対応する。一方、NAIRU については自然失業率と同一

視されることも多いが、NAIRU を、もし一時的な供給ショックが無かったものとすると、イ

ンフレ率を一定に保つような失業率と定義してみよう。すなわち、NAIRU の値を「構造的失

業率+摩擦的失業率」とする場合には、永続的供給ショックによる経済の構造変化を反映し

た「構造的失業率+摩擦的失業率」を求めることになる。新たな永続的ショックが生じると、

NAIRU の値は変化する(可変 NAIRU)。ところが、一時的供給ショックが起きても NAIRU

は変化しないという性質を持つことになる。一般に、永続的ショックが一定となる長期に対

応する自然失業率よりも NAIRU の方が頻繁に変動し得る。さらにもう一つの違いとして、

自然失業率は、合理的期待の下での一般均衡概念と結びついており、期待の錯誤の有無を問

わない NAIRU の概念とは異なることを示す。

賃金に一定のマークアップを上乗せして企業が価格を設定すると仮定すると、失業率が

NAIRU に等しい時には、経済の平均的な賃金上昇率が上がりも下がりもしないので、労働市

場全般には、需要の超過も不足もない状態にあり、需要不足失業は存在しない。この時、需

要不足失業以外の摩擦的失業+構造的失業だけが存在するはずである。従って、NAIRU にお

いて存在する失業は、職探しの際に十分な情報を持たないために生じた摩擦的失業や、より

深刻な構造的失業であると考えられている。NAIRU=摩擦的失業率+構造的失業率という関

係を厳密に示すことは困難だが、NAIRU とミスマッチとの関係を紹介する。

次に NAIRU の先行実証研究を紹介し、推計された NAIRU がインフレ予測に役立たないな

どの問題点を述べる。 後に、カルマン・フィルターを用いて日本の可変 NAIRU を推計し

た。 1 推計にあたっては日本総合研究所の新美一正氏の TSP プログラムをもとに改変して分析を進めている。ご教

示いただいたことにも記して感謝いたします。

Page 2: 第3章 NAIRU概念の検討と、Kalman Filterによる可変NAIRUの推計 · -62- 第1節 失業の種類 米国の標準的な教科書であるEhrenberg and Smith(2002)とBorjas(2005)には、次のよ

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第1節 失業の種類

米国の標準的な教科書である Ehrenberg and Smith(2002)と Borjas(2005)には、次のよ

うな説明がある。

1.摩擦的失業

摩擦的失業とは、労働市場の求人・求職情報、労働者と企業が労働契約を結んだ場合のマ

ッチングの価値などについて不完全な知識しか持っておらず、求職者と求人企業がお互いを

知るために時間が必要であることから生じる失業である。摩擦的失業は完全雇用状態でも存

在する。財・サービスへの需要が企業 A から企業 B に移る時、企業 A では雇用の喪失が、

企業 B では雇用の創出が起こる可能性がある。このような場合、失業者が他の企業の求人内

容を把握し、企業が求職者に関する情報を得て、雇用関係を開始した場合のマッチングの価

値を判断できることは稀である。さらに、労働市場に新規参入する労働者も、求人情報を集

める際に時間がかかる。

摩擦的失業は、一般に短期間の失業に関わっており、政府が も懸念すべき失業形態では

ない。政府や民間企業が、より効果的に求人、求職情報を提供すれば、摩擦的失業は減少す

る。

摩擦的失業と同様に、比較的深刻度の低い失業として季節的失業がある。これは、産業や

工場の繁忙期が季節的な周期性を持っているために、失業確率が高まる時期が予めわかって

いる失業である。

しばしば摩擦的失業に関連づけられる概念に、自発的失業と非自発的失業の区別がある。

摩擦的失業は自発的失業とされ、ケインズ的な需要不足失業は非自発的失業とされる。とこ

ろが Pissarides(1989)は、失業には自発的失業と非自発的失業の 2 種類があり、それぞれ別

の政策対応をすべきであるという考えに反対している。その理由として、失業という現象は、

労働供給側と労働需要側の双方の意思決定の結果、生じている現象であり、失業に至った理

由を理解するためには、雇用関係の解消までに労働者と企業がどのような役割を果たしてき

たのかを知る必要があるはずで、労働者が自発的に失業しているかどうかを問題にするだけ

では不十分であると指摘している。

2.構造的失業(structural unemployment)

構造的失業とは、地域や職種間の移動が困難であるため、需要される技能と供給される技

能との間のミスマッチが生じ、労働者が他の地域、職種で就職することができないために生

じる失業である。構造的失業は、賃金が完全に伸縮的に調整され、かつ、職種間あるいは地

理的な移動に伴うコストが低いならば存在しない。現実には、これら 2 つの条件が満たされ

ないことが多く、構造的失業が生じる可能性がある。

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たとえば自動車産業の労働市場では賃金が伸縮的に調整されるが、銀行業の労働市場では

実質賃金の下方硬直性があるものとする。ここで銀行業が不況になった場合、銀行業の賃金

は下方硬直的なので銀行業で失業が発生する。銀行業の失業者が、自動車産業の労働市場に

移動し雇用されることが困難ならば、雇用機会を失ってしまう。

一般に長期失業につながりやすい構造的失業への政策対応は容易ではなく、政策的に克服

するには職業訓練や産業誘致などが必要になる。

ただし、摩擦的失業と構造的失業の区別には曖昧さが残る。摩擦的失業と構造的失業の違

いは、失業状態から脱するために必要な調整コストの大きさや労働市場における賃金の下方

硬直性に依存する。どの程度の調整の困難さがある場合を摩擦的失業と構造的失業の境目と

すべきなのか、説得力のある議論を展開することは難しい。

それに関連して、UV 分析やフィリップス曲線などの多くの実証分析では、「構造的失業率

+摩擦的失業率」を推計することになるが、「構造的失業率+摩擦的失業率」を見るだけでは、

重要な両者の区別ができないという難点がある。失業者に占める長期失業者の割合などを考

慮して、構造的失業率と摩擦的失業率の各々の割合を把握するなどの工夫が必要と思われる。

3.需要不足失業(demand-deficient unemployment)

需要不足失業とは、財の総需要が不足して、労働サービスに対する総需要が低下したため

に起きる失業である。景気循環の下降局面で生じることが多い。

実質賃金が下方硬直的でなければ、財の総需要が減少すると、労働サービスの超過供給が

生まれても労働市場の需給を一致させるように実質賃金が低下し、失業は解消するものの、

より低い賃金水準になり雇用者数は減少する。

また、名目賃金が名目賃金 W=W0 において下方硬直的である場合には、需要不足で労働

需要曲線が左にシフトすると、実質賃金の低下をもたらすための物価上昇が起きない限り、

実質賃金調整により需給を一致させることができず、失業率が上昇してしまう。名目賃金が

硬直的である理由として、労組の賃金引き下げへの抵抗や、有能な従業員が流出しないよう

につなぎ止める目的から賃金引き下げを稀にしか行わないことなどが指摘されている。

第2節 「構造的失業率+摩擦的失業率」関連の諸概念

1.フィリップス曲線と自然失業率

フィリップス曲線は、Phillips(1958)が、1861 年~1957 年の英国のデータを用いて、縦

軸に名目賃金変化率を横軸に失業率をとり、プロットしたところ、名目賃金変化率と失業率

との間に負の相関を見出したものである。ケインジアンの経済学では、名目賃金が伸縮的に

動かないために失業が生じる。しかしフィリップス曲線が示す負の関係によれば、名目賃金

は完全には粘着的ではない。

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その後、フィリップス曲線の推計が盛んに行われ、説明変数として失業率以外の変数を含

め、生産性上昇率の変化などがフィリップス曲線をシフトさせることが認識されるようにな

った。なお、多くの国では、名目賃金引き上げが事実上、インフレ率を考慮して行われてい

ることもあり、Phillips の発見した名目賃金上昇率と失業率との関係を示す賃金版フィリップ

ス曲線よりも、インフレ率と失業率との間の関係を示す物価版フィリップス曲線をフィリッ

プス曲線と呼ぶことが今では普通になっている。

政府は、フィリップス曲線が示すインフレ率と失業率のトレードオフを利用して、インフ

レ率を引き上げるような拡張的財政金融政策をとることにより、失業率を引き下げることが

できると考えられていた。つまり、自然失業率という概念はなく、長期的に戻るべき失業率

の水準があるとは考えられていなかった。

Friedman(1968)らのマネタリストや Lucas(1972)らの合理的期待形成論者は、経済主体

の期待の役割を重視したマクロ経済の均衡を考え、一般物価水準について労働者が正確に認

識しているとは限らない状況こそが、総需要拡大政策の短期的な有効性の理由であると主張

する。総需要拡大政策をとることにより、労働者が一般物価水準について誤った認識を持つ

可能性が生まれる。労働者は、実質賃金の期待値を考慮して労働供給を行うため、総需要拡

大政策は短期的には失業率に影響を与えることができる。

物価に関する期待に錯誤がある可能性がある短期には、フィリップス曲線が期待物価上昇

率分だけ上方にシフトする。この期待修正されたフィリップス曲線において、期待物価上昇

率と物価上昇率とが一致する場合(長期)の失業率が自然失業率(Friedman 1968, Phelps 1968)

で、長期フィリップス曲線は自然失業率の水準で垂直になる。自然失業率は、労働市場や生

産物市場などに構造変化がない場合に、経済が長期的に収束する失業率である。自然失業率

の水準は、 低賃金法、高齢化、産業構造の変化などの構造的失業の要因や、職業紹介機能

の効率性など摩擦的失業の要因によって決まり、必ずしも常に一定であるわけではない

(Friedman 1968)。Friedman を始めとするマネタリストは、自然失業率は実物要因によって

決まり、貨幣的要因は自然失業率を変化させないと主張する。

(1)フィリップス曲線の導出・・短期と長期の用語について

Blanchard(2006)、Blanchard and Katz(1997)に基づいて、フィリップス曲線の関係を導

出する。ここでの目的は比較的簡単なモデルで自然失業率の概念を理解することにあり、第

2 節の「(1)ミスマッチと NAIRU(自然失業率)との関係」のモデルを理解する上での前提

にもなっている。類似した用語を用いると混乱を招きやすいので、今後用いる言葉をいくつ

か整理しておきたい。

① 期待に関する「短期」と「長期」・・短期フィリップス曲線と長期フィリップス曲線と

の区別のように、期待に錯誤がある可能性がある期間を短期、期待に錯誤がなくなった状

態になる期間を長期と呼ぶ。

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② マクロ経済分析の期間としての「短期」と「長期」・・これから紹介するモデルは Blanchard

(2006)による。Blanchard(2006)は、マクロ経済分析をする上での期間を 3 つあげてい

る。(ⅰ)短期・・2,3 年。生産量の変化は主に需要の増減によって説明できる。(ⅱ)中

期・・約 10 年。資本ストック、生産技術、労働力人口のような供給側の要因によって決

定される生産量に経済が戻る傾向がある。これらの要因は約 10 年の間に穏やかな変化し

かしないため所与とみなすことができる。(ⅲ)長期・・50 年以上。経済成長率を決定す

るような教育制度、貯蓄率、政府の役割が重要になる。

自然失業率は(ⅱ)の中期マクロ均衡の均衡失業率である。ただし、私たちが失業率に

ついて考える時に、(ⅲ)のような長期を考えることはほとんどない。そこで、本稿では

Blanchard(2006)の(ⅱ)中期を長期(マクロ)と呼び、(ⅰ)短期を短期(マクロ)と

呼ぶことにしたい。したがって以下では、自然失業率は供給要因によってその水準が決定

される長期(マクロ)均衡失業率とされる。これらの対応を第 3-2-1 表にまとめておく。

第 3-2-1 表 短期と長期の用語について

①期待 短期 期待錯誤の 可能性

長期 (期待錯誤なし)

②マクロ経済分析の期間 (Blanchard 2006)

(ⅰ)短期・・本稿では短

期(マクロ)と呼ぶ。 (ⅱ)中期・・本稿では長

期(マクロ)と呼ぶ。 (ⅲ)長期

本稿の区分 短期・ 短期(マク

ロ)

長期・ 短期(マク

ロ)

長期・長期(マクロ)・・・

自然失業率 (特に扱わない。)

(2)長期(マクロ)的均衡

期待インフレ率とインフレ率とが等しくなり(期待の上での長期)、さらに、供給側によ

って生産量が規定されるような長期(マクロ)的均衡について紹介する。この長期(マクロ)

的均衡で自然失業率が決定される。

第 3-2-1 図のグラフは、横軸に 1 マイナス失業率を、縦軸に実質賃金を取っている。右

上がりの(w/p)S 曲線は供給賃金曲線で、留保賃金を所与とすると、失業率が低いほど、より

高い実質賃金で労働者が雇われることを表す。

この右上がりの(w/p)S 曲線と整合的な理論としては、職探しをする各労働者と使用者との

間のナッシュ交渉の結果、実質賃金が決定されるジョブマッチング・モデルや、効率賃金モ

デルなどがある。

ジョブマッチング・モデルでは、失業率が高い時には、労働者たちが低い賃金を受け入れ

ようとするため、交渉の結果、留保賃金に近い、比較的低い賃金になる。ジョブマッチング・

モデルで、労働市場における労働者の再配分をもたらす変化は、(w/p)S 曲線をシフトさせ賃

金決定に影響を与える。例えば、採用と解雇の両方が同時に増加する場合には、失業者が就

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業できる確率が増すため、(w/p)S 曲線が上方シフトする。

pw

S

pw⎟⎟⎠

⎞⎜⎜⎝

⎛:wage setting

: price setting

効率賃金モデルでは、留保賃金よりも高い賃金を支払って、より優秀な労働者を雇用した

り、労働意欲を刺激しようとする。失業率が低い場合には、労働意欲を与えるために企業が

さらに高い賃金を払う必要が生まれ、やはり右上がりの(w/p)S 曲線となる。失業率を u とし、

z が増加した時に労使が契約する賃金が増加するようなシフトパラメーターとすると、(w/

p)S 曲線は W=PF(u,z)という u に関する減少関数、z に関する増加関数 F( )を使って表すこ

とができる。

水平な(w/p)D 線は需要賃金曲線で、企業の雇用量決定と整合的な実質賃金を表す。例え

ば、企業が全ての生産要素を自由に調整できる長期(マクロ)的な意思決定について考えて

みると、企業が支払う意思がある実質賃金は失業率とは独立になる(利潤ゼロになる場合の

企業の長期労働需要曲線と解釈される(w/p)D 線が水平になっているものと仮定している)。

資本を無視した簡単なケースを考え、Y を生産量、A を労働生産性、λ をマークアップ率と

すると、生産関数は Y=AN、価格設定は P=(1+λ)W/A となる。 後の式を変形すると需

要賃金曲線は、λ+

=1

APW

と水平な線になる。

この(w/p)D 線は、生産性、生産技術、労働所得税などが変化するとシフトする。また、

不完全競争市場では、企業が設定するマークアップ率が上昇すると、実質賃金が引き下げら

れるため(w/p)D 線は、下にシフトする。

自然失業率 u*と長期均衡における実質賃金(w/p)*が、(w/p)S 曲線と(w/p)D 線との交点

Eで決定される。特に重要なのは、生産性と自然失業率との間の関係で、非常に長い期間(約

100 年)を通してみると、生産性は大きく向上するにもかかわらず、多くの国では失業率に

明確なトレンドがない(Layard, Nickell and Jackson, 1991)。生産性上昇は(w/p)D 線を上方シ

第 3-2-1 図 供給賃金曲線と需要賃金曲線による自然失業率の決定

1-u 1-u* 0

D

pw⎟⎟⎠

⎞⎜⎜⎝

⎛E *

⎟⎟⎠

⎞⎜⎜⎝

⎛pw

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フトさせるが、(w/p)S 曲線も同様に上方シフトさせるため、自然失業率への影響がなくなる

と考えられる。これは生産性上昇が、留保賃金の上昇とともに、同等程度の非市場行動(違

法な行動など)への報酬上昇や、失業保険給付の上昇をもたらすことなどによる(Blanchard

and Katz 1997)。

(w/p)S 曲線と(w/p)D 線は、それぞれ労働経済学の標準的な労働供給曲線や労働需要曲線

と類似しているが、別のものである。(w/p)S 曲線は、雇用される労働者の比率が増えると、

実質賃金が増加するという関係を表す。通常の労働供給曲線は、所与の実質賃金のもとで働

く意思のある労働者の数(または労働時間)を表している。一方、(w/p)S 曲線の高さは、失

業率が与えられたときに、労使の交渉の結果、実現する実質賃金の水準を表している。労使

交渉の制度や、使用者が労働意欲を高めるために高い賃金を支払うことなどを反映している

点が労働供給曲線とは異なる。

(w/p)D 線は水平に描かれている。これは労働について規模に関する収穫不変を仮定した

ためである。労働について規模に関する収穫逓減があれば右上がりになる。通常の労働需要

曲線では、生産者が賃金や価格を与えられたものとして行動し、利潤を 大化する 適な雇

用量を選択している。これに対し、(w/p)D 線は、企業が市場価格を受容せず、自ら価格を

設定する状況をも考慮する。よって(w/p)D 線は、失業率を所与として、必ずしも完全競争

市場ではない労働市場で、企業が設定する実質賃金率の水準を表している。

標準的な労働需要曲線と労働供給曲線による実質賃金の決定では、現行賃金で働きたくな

い人だけが仕事をしていないので、非自発的失業問題をうまく説明できない。一方、(w/p)D

線と(w/p)S 曲線を使った分析では、効率賃金モデルに見られるように、(w/p)S 曲線で決ま

る実質賃金で働きたいけれども、雇用されない非自発的失業者が存在する。

(3)フィリップス曲線

供給賃金曲線と需要賃金曲線の式から、簡単な形のフィリップス曲線の式を導く。(2)長

期(マクロ)的均衡の節では、供給賃金曲線、すなわち(w/p)S 曲線を W=PF(u,z)としたが、

短期的に労使が賃金を決定する際には、労働協約(労働契約)期間中のインフレーションを

懸念して、交渉時の物価水準 P ではなく、将来の物価水準に関する期待(Pe)に基づいて賃

金を交渉すると仮定した方が良い。そこで賃金交渉によって決定される名目賃金 W は、期待

物価水準 Pe、失業率 u、失業率以外のシフトパラメーターz の関数であると仮定する。

W=PeF(u,z) (2-1 式)

賃金需要曲線については、以前と同様に

P=(1+λ)W/A (2-2 式)

とし、企業の価格設定は、名目賃金 W、マークアップ率 λ、労働生産性 A に依存するものと

する。

(2-1 式)を(2-2 式)に代入して、

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P=(1+λ)PeF(u,z)/A (2-3 式)

ここで、議論を簡単にするために F(u,z)の部分を次のように特定化する。

F (u,z)=1-αu+z (2-4 式)

αは失業率上昇が名目賃金を低下させる程度を表すパラメーターである。

(2-4 式)を(2-3 式)に代入して

P=(1+λ)Pe(1-αu+z)/A

となる。これは物価水準 P に関する式だが、この式から物価上昇率に関する式を導く。まず

両辺を 1 期前の物価水準 Pt-1 で割る。π をインフレ率、πe を期待インフレ率とする時、

π+=−

11t

t

PP

、 eet π+=−

11tP

Pという関係を用い、一般に 0 に近い x、y について xy は微小にな

るため(1+x)(1+y)=1+x+y が成り立つという近似を用いて、

π=πe+λ+z-a-αu (2-5 式)

を得る。(2-5 式)がフィリップス曲線の式である。

(2-5 式)は、インフレ率 πが、期待インフレ率 πe、マークアップ率 λ、労働生産性上昇

率 a、失業率 u、賃金設定シフトパラメーターz によって決まることを表す。1 期前の物価水

準 Pt-1 を所与とする時、今期の物価水準 Pt の上昇は、インフレーションを意味する。なお(2

-5 式)の関係は、(2-1 式)や(2-2 式)に戻って理解することができる。たとえば、マ

ークアップ率 λの上昇は、期待物価水準 Pe を所与とする時、物価水準 P を上昇させる。

(4)自然失業率

自然失業率は、物価水準に関する期待が正しく、経済が長期マクロ均衡にある時の均衡失

業率なので、(2-5 式)でインフレ率と期待インフレ率とを等しく(π=πe)すると、自然失

業率 uN は

uN=(λ+z-a)/α (2-6 式)

となる。

(2-5 式)は、(2-6 式)の関係を用いると(ここでは、πt が時点に依存することを明示

するため時点を表す t を用いる)、

πt=πte-α(ut-uN) (2-7 式)

と書くことができる。

以上が、フィリップス曲線の導出である。2より現実的なフィリップス曲線の式にするため

には、供給ショックを明示して z として導入したり、次のような要素を加味する。

① 履歴効果: 自然失業率が、現実の失業率がたどった歴史に依存すると考え、履歴効果

2 なお、近年盛んに研究されているフィリップス曲線に関するモデルとして、ニューケインジアン・フィリップ

ス曲線がある。本稿ではニューケインジアン・フィリップス曲線についての分析を行っていないが、参考まで

に Appendix で紹介する。

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を導入することがある。これは、長期失業者の再就職確率が下がったり、高失業期が続く

と政府が雇用保障を強化するといった影響を考慮するものである。

② 実質賃金・名目賃金の硬直性: 具体的な定式化の仕方は人によって異なるが、たとえ

ば、実質賃金の硬直性は失業率の変化に対し実質賃金の調整が遅い、また、名目賃金の硬

直性は生産物価格の変化に対する名目賃金の調整が遅いものとして定式化される。これら

の硬直性がある場合には、インフレ率や失業率のラグ項をフィリップス曲線の式に追加す

ることになる。

2.NAIRU

NAIRU は、Modigliani and Papendemos(1975)が提唱した概念で、インフレ率が一定にと

どまるような失業率水準である。失業率とインフレ率との間に負の関係があることを前提に

すると、失業率が NAIRU の水準にあれば、インフレ率の上昇が生じていないため失業率は

変化せず、その意味で労働市場は均衡していると考えられる。

近の 30 年間に、NAIRU が注目を集めている理由のひとつに、1970 年代の 2 度の石油危

機の後にインフレ期待の重要性が高まったことを指摘できる。Blanchard(2006)は、Samuelson

と Solow がアメリカのフィリップス曲線を実証的に求めた際のデータ期間(1900 年~1960

年)には、人々がインフレ率を十分に考慮しないで行動していたのではないかと指摘してい

る。その理由として、第一に、インフレ率がほぼ例外なく正の値をとる 1970 年代以降とは異

なり、1900 年~1960 年にはインフレ率が正の期間と負の期間が存在したため、インフレ率が

正であることを強く意識していなかったこと、そして第 2 に、インフレ率の系列相関が低か

ったため、今年の高インフレ率が来年も続くと人々が予想していなかったことをあげている。

(2-7 式)によると、もしも人々がインフレ率の重要性を無視して行動するならば

πt=πte-α(ut-uN) (2-7 式)

の πte=0 となるため、インフレ率 πt と失業率 ut との間にトレードオフ関係がある。

一方、インフレ率の重要性が認識されるようになった 1970 年代以降では、例えば、静学的

な期待 πte=πt-1 を仮定すると、

πt=πt-1-α(ut-uN) (2-8 式)

がフィリップス曲線になる。

この場合、自然失業率 uN は、一定のインフレ率(πt=πt-1)と整合的な失業率(NAIRU)

と一致する。また、NAIRU は、一定のインフレ率(πt=πt-1)となるような長期(期待が正

しいという意味での長期とは異なる)の長期均衡失業率になる。

ただし注意が必要なのは、今までの議論は、実際のインフレ期待形成が静学的である(イ

ンフレ率がランダム・ウォークしていると考えているため)という仮定に依存しているとい

う点である。直後に述べるように、インフレ期待形成が静学的期待など一定の条件を満たさ

なければ、自然失業率と NAIRU とは一致しない。また、ハイパーインフレーションが起き

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-70-

ているような金融政策のもとでは静学的な期待は、常に裏切られ πt=πte にならないため、(2

-7 式)より、失業率は自然失業率から乖離する。先の例では、静学的な期待が間違った期

待であっても、(2-8 式)で事後的に πt=πt-1 とたまたま的中したので、その時の失業率が自

然失業率に等しかったに過ぎない。

一般に、NAIRU とインフレ率との関係を表す簡単なモデルは、Πt をインフレ率、Πte を期

待インフレ率、Ut を失業率、a を定数、Ut*を NAIRU、vt を供給ショックとして

Πt=Πte-a(Ut-Ut*)+vt (2-9 式)

というものである(Ball and Mankiw 2002)。Ut*は労働市場における求職者と求人企業のマッ

チングが円滑に進めば小さな値になる。一方、vt は、失業率ギャップとインフレ率との間の

安定的な関係を攪乱する諸要因を総称している。期待インフレ率については、適応的期待や

合理的期待などが仮定される。(2-9 式)は移項により

Πt-Πte=-a(Ut-Ut*)+vt (2―10 式)

と書き換えることができる。

ここで(2-10 式)の期待インフレ率の定式化に注目する。3まず、第一のケースとして、

この期待インフレ率が、前期のインフレ率実現値に等しい場合(Πte=Πt-1)には、(2-10 式)

は、「失業率との間に負の関係を持つものはインフレ率ではなく、インフレ率の変化である」

ことを示している。この場合のフィリップス曲線を NAIRU 型と呼ぶ。さらに一般化して、Πte

=ΣiγiΠt-i(Σiγi=1)と期待インフレ率 Πte をインフレ率のラグの加重和で表し、ラグ項の係数の

和が 1 である場合のフィリップス曲線も NAIRU 型に分類する。(いずれの場合も a が有意に

ゼロとは異なることを仮定している。)このケースでは、インフレ率が安定している時(Π=

Πt=Πt-1)の失業率(NAIRU)は、NAIRU=Ut*+vt/a となり、インフレ率に依存しなくなる。

つまり長期的なフィリップス曲線は垂直になる。

これに対し、第二のケースとして、期待インフレ率をインフレ率のラグの加重和で表し、

ラグ項の係数の和が 1 未満である場合のフィリップス曲線をフィリップス型と呼ぶ。フィリ

ップス曲線がフィリップス型の場合には、失業率と期待インフレ率の両者がインフレ率の水

準を決定し、インフレ率の水準と失業率との間のトレードオフ関係が長期にも残存すること

になる。

例えば、Πte=θΠt-1(0<θ<1)と仮定すると、Πt-θΠt-1=-a(Ut-Ut*)+vt(0<θ<1)と

なる。この時、インフレ率が安定している場合(Π=Πt=Πt - 1)の失業率は、Ut=-

av

*++Ua1 t 

t

θ ∏− となるため、インフレ率が一定になるような失業率の水準は、インフレ率

の水準と負の関係を持つ。これは、長期的にも、拡張的な金融政策により高いインフレ率、

低い失業率の組合せを選択するか、緊縮的な金融政策で低いインフレ率、高い失業率の組合

3 以下の説明は、Franz(2005)、黒田(2004)を参考にした。

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せを選択するかというトレードオフが存在することを意味する。安定したインフレ率に対応

する失業率が貨幣的要因によっても変化するため、この失業率を自然失業率と呼ぶことも、

その失業率の水準が「構造的失業+摩擦的失業」と解釈することも不適切になる。

(1)ミスマッチと NAIRU(自然失業率)との関係

他の部門の労働市場へ移るには調整費用が必要であるため、構造的失業が生じてしまう可

能性がある。この種のミスマッチと NAIRU との間には、どのような関係があるのだろうか。

Layard, Nickell, Jackman(2005)は、Lipsey(1960)の考え方を精緻化したモデルで、次のよ

うにこの問題に答えている。

マクロ経済全体では、様々な種類 i の労働 Ni を用いて、コブ=ダグラス型の生産関数

∏=i

iiNY αϕ (αiは Σαi=1)で生産を行う。ここでκを生産物市場の競争度を示す指数とす

ると、名目物価 P は第 i 部門の名目賃金と

P=∏i

iiWκϕ

α (2-11 式)

という関係を持つ。この式で、物価 P を 1 に固定して対数をとると、様々な生産方法を使っ

て各種の労働Ni に支払うことができる実質賃金 wi の上限の組合せを表す、実質賃金フロン

ティアの式

A=Σαilogwi (2-12 式)

が得られる( )log(κϕ=A )。一定にする物価水準 P を 1 としている理由は、P=1 と標準化す

ると、名目賃金自体が実質賃金になるためである。

さらに、賃金関数については、イギリスでは実証的に支持されている

logwi=γ0i-γ1logui (2-13 式)

が、第 i 部門について成り立つものとする。この式を実質賃金フロンティアの式(2-12 式)

に代入すると、「失業率フロンティア」

A=Σαiγ0i-γ1Σαilogui (2-14 式)

を得る。この失業率フロンティアは、経済における賃金設定者(企業・労働者)の行動を所

与として、予想外の賃金や物価の変動が無い場合に、実現可能な各部門の失業率の組合せを

規定している。

「失業率フロンティア」の(2-14 式)の両辺に γ1logu を加え γ1 で両辺を割ると、Σαi=1

であることから、logu=const.-Σαiloguui (ここで経済全体の失業率 u=Σαiui である。また、

以下では αi=L

Liを仮定する。すなわち、αi は、労働者が第i部門に属す頻度、L

Liに等しい

ものとする。)

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と変形できる。loguui を 1 の周りで展開4して

logu≃const.-Σαi

2

121

⎟⎠⎞

⎜⎝⎛ −⎟⎠⎞

⎜⎝⎛−

uui =const.+

uuivar

21

(2―15 式)

(2―15 式)から、全ての部門において同じ失業率である時、失業率の対数 logu は、 低

の値を取り、定数部分の const.=(Σαiγ0i-A)/γ1 となる( )log(κϕ=A )。

一方、各労働部門における失業率が異なっているならば、個別の労働部門では、失業率が

低くなると急に実質賃金上昇圧力が強くなるという性質を賃金関数(2-13 式)が持ってい

る。第i部門に従事する労働者のシェア Li/L が定数 αi に等しいという仮定の下で、各労働

部門間で労働者のシェアで加重された失業率のばらつき、すなわち

2

1var ⎟⎠⎞

⎜⎝⎛ −=∑ u

uuu i

ii

i α が

大きくなるほど全国平均の失業率が高くなる。

これまでの説明では、実現可能な各部門の失業率の組合せを考え、マクロ経済の平均失業

率 u の水準が、各部門における失業率水準の分布と密接な関係があることを示した。この場

合、全部でI部門ある各労働部門の失業率が(u1,u2,…,uI)となっている時、近似式である(2

-15 式)から、経済全体の平均失業率(マクロの失業率)u を求めることができる。次に、

物価水準 P とその期待値が、このモデルで果たす役割について考えてみる。

① 物価水準 P=1 としないで、任意の物価水準 P に対して失業率フロンティアを求める。

(2-11 式)の直後で、物価 P を 1 に固定して対数をとったが、この物価水準 P=1 という

仮定が一般性を損なわないものであることを示したい。そこで今回は P=1 に限定せず、任

意の物価水準 P に対し、様々な生産方法を使って各種の労働Ni に支払うことができる実質賃

金=名目賃金/物価水準(w=W/P)の上限の組合せを表す、実質賃金フロンティアの式を

求めることにする。(2-12 式)の実質賃金 wi に wi=Wi/P を代入して。

A=Σαilog(Wi/P)= Σαi(logWi-logP) (2-12 式)′

が得られる( )log(κϕ=A )。

さらに、賃金関数については、イギリスでは実証的に支持されている

logWi-logP =γ0i-γ1logui (2-13 式)′

が、第 i 部門について成り立つものとする。この式を実質賃金フロンティアの式(2-12 式)′

に代入すると、「失業率フロンティア」

4 αi は外生で定数とみなし、αi=Li/L と仮定して、

uu

uu

uu

uu i

i

ii

i

ii

i

ii var1

22

=⎟⎠

⎞⎜⎝

⎛ −=⎟⎠⎞

⎜⎝⎛ − ∑∑∑ ααα

である。(uui

の平均が 1 になる理由は u=Σαiui)

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A=Σαiγ0i-γ1Σαilogui (2―14 式)′

を得る。

最後に得られた(2-14 式)′は、P=1 とした場合の失業率フロンティアの式(2-14 式)

と全く同じなので、失業率フロンティアは、物価水準 P=1 という仮定のもとで得た失業率

フロンティアと同じになる。

② 短期の失業率フロンティア(物価水準 P と期待物価水準 Pe とが異なると、失業率フロン

ティアがシフト)

物価水準 P に関する期待は長期では正しい。しかし、短期においては、そうとは限らない

ため、期待物価水準 Pe に基づき労使が賃金交渉を行う。そこで、賃金関数(2-13 式)′の

代わりに、労使の賃金交渉の結果として決定される期待実質賃金と失業率との間の関係は

logWi-logPe=γ0i-γ1logui (2-13 式)″

で表される。

(2-13 式)″をさらに書き換えて、

(logWi-logP)+(logP- logPe)=γ0i-γ1logui (2-13A 式)″

とする。一方、事後的に生産物価格 P から労働者に分配できる賃金 W は、再び(2-12 式)′

から、

A=Σαilog(Wi/P)=Σαi(logWi-logP) (2-12 式)′

となっているので、(2-13A 式)″の(logWi-logP)の部分を(2-12 式)′に代入して、

物価水準 P に期待錯誤があり得る短期の失業率フロンティアは、

A+(logP-logPe)=Σαiγ0i-γ1Σαilogui ( )log(κϕ=A ) (2-14 式)″

となることがわかる。1 期前の物価水準 P を所与とすると、実際のインフレ率が期待インフ

レ率を上回っている場合には(logP-logPe)が 0 より大きくなり、失業率フロンティアは、

左下へシフトする。その結果、経済全体の平均失業率は低下する。

一方、経済の失業率が自然失業率になる長期(マクロ)においては、物価水準 P に関する

期待も正しい(P=Pe)ものとされ、失業率フロンティアは(2-14 式)、あるいは同じ式だ

が(2-14 式)′になる。特に P=Pe となる場合の平均失業率が NAIRU(より正確には自然

失業率)である。

(2)長期マクロ均衡(第 3-2-1 図)との関連

以上のミスマッチが存在するモデルで期待錯誤が存在しないケースでは、経済の失業率が

NAIRU(より正確には自然失業率だが 1tet pp −= のような期待形成を仮定すれば NAIRU と自然

失業率は一致する。)に留まる場合の失業率を分析したことになる。しかし第 3-2-1 図の(w

/p)S 曲線と(w/p)D 線との交点で決まった自然失業率との関連については未だ十分に説明さ

れていないので、改めて第 3-2-1 図を使って考えてみたい。

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第 3-2-1 図は長期(マクロ)的均衡の図で、右上がりの供給賃金曲線は、労使が一般物

価水準について正確な知識を持ち、労使が賃金を決定している場合の曲線である。この曲線

は(2-13 式)に対応している。対照的に短期には物価水準 P について正しく予想している

とは限らず、労使がともに期待物価水準 Pe を実際よりも低めに予想していたならば、供給賃

金曲線は下にシフトする。

水平に描かれた需要賃金曲線は、全てのインプットの量を調整して企業が費用を 小化し

て生産を行う場合に、企業が労働者に支払う実質賃金を表している。費用を 小化している

ので、ある労働部門の需要賃金曲線の高さ(実質賃金)は、その労働部門で働く労働の限界

生産物と比例的な関係にある。多くの労働部門の労働者を用いて生産を行っているため、も

しも他の労働部門の労働者が多数生産に従事していれば、労働の限界生産物が増加するため、

需要賃金曲線は上にシフトする。

需要賃金曲線は、実質賃金フロンティアの式

A=Σαilog(Wi/P)=Σαi(logWi-logP) (2-12 式)′

を変形して、(logWi-logP)=A- ∑ ≠iji

logP)(logW1jj -α

α

と書き直すと、第 i 労働部門の労働者の実質賃金は、 )log(κϕ=A で表されている生産物市場

の競争度や労働生産性の水準だけではなく、他の労働部門の労働者に支払われる実質賃金に

も依存していることがわかる。

長期マクロ均衡(期待も正しい)における供給賃金曲線と需要賃金曲線との交点が各労働

部門の「自然失業率」の水準を決めることになり、それらの平均失業率が経済全体の自然失

業率になる。

なお、本稿で紹介しているモデルは、いずれも金融政策と NAIRU との関係を扱っていな

い。貨幣も含めた場合のインフレ率や NAIRU(=自然失業率)については、脚注5に譲りた

5 現在のモデルで扱っているのは、技術進歩も、労働人口の増加も、貨幣供給量の増加も存在しない静態的な経

済である。 これに対し実際のマクロ経済では、技術進歩、貨幣供給量の増加、労働力人口の増加、インフレ期待などが起

きている。生産技術、資本ストック、労働力人口などの供給サイドによって規定される産出量に経済が収束す

る傾向がある中期(Blanchard(2006)の中期)には、 ① オークン法則:ut-ut-1=-β(gyt- yg )

(gyt- yg :GDP 成長率 gyt の正常成長率 yg からの乖離、βは正の定数。)

失業率を一定に保つためには、GDP 成長率を正常成長率(労働力人口増加率+労働生産性上昇率)に等し

くする必要がある。 ② フィリップス曲線(πt-1 を期待インフレ率、uN を自然失業率として): πt-πt-1=-α(ut-uN)

③ 総需要曲線の関係から金融政策の影響だけを取り出し、貨幣供給量と均衡GDPとの関係を規定する

式:t

tt P

MY γ=

が成り立つ(γは定数)。 中期的には失業率が変化しない(ut=ut-1)ことから、①より gyt= yg 。次に名目貨幣量増加率を一定とし

て mg とすると、GDP 成長率が yg なので、③よりインフレ率が π= mg - yg と求められ一定になる。すなわち、

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い。

(3)図を用いた説明

これまでの議論を単純なケースについて図を用いて示すことにする。図の縦軸を第 1 部門

の失業率 u1、横軸を第 2 部門の失業率 u2 とした第 3-2-2 図の中に描いた失業率フロンティ

アは、経済が自然失業率水準にある場合(経済が長期マクロ均衡にあり、物価水準 P に関す

る期待が正しい場合)の 2 部門の失業率の組合せを示している。労働部門が 2 部門のみで同

じ規模(α1=α2=0.5)の場合の図である。経済が点 B にある場合には、第 2 部門の失業率 Bu2

が第 1 部門の失業率 Bu1 よりもかなり高いが、労働者は部門間の移動をできないため、低賃金

の第 2 部門から高賃金の第 1 部門に移動できない。この場合の平均失業率は、原点 0 を通る

45 度線に点 B からおろした垂線と、45 度線との交点である点Hに対応する Bu となる。一方、

経済が点 A にある時、失業率フロンティア上で 2 部門の失業率が等しく( AA uu 21 = )、賃金

も両部門でほぼ等しい。この場合の平均失業率は Au となる。

各部門の労働賦存量を所与とする時、物価水準についての期待が正しく、需要ショックが

中期のインフレ率は、名目貨幣供給量増加率と正常成長率(労働力人口増加率+労働生産性上昇率)の差にな

る。 その結果、貨幣も含めたモデルでは インフレ率=貨幣供給量増加率-労働力人口増加率-労働生産性上昇率 となる。 Blanchard(2006)は、「インフレーションは常に、どこでも貨幣的な現象である。」という Friedman の言葉

を引用して、企業の独占力、強固な労組、ストライキ、財政赤字などは、貨幣供給量増加率の引き上げをもた

らさない限り、中期的にインフレーションに影響を与えないと述べている。

第 3-2-2 図 ミスマッチと NAIRU(自然失業率)

失業率フロンティア

u1

0 u2

Au2Bu2

Bu1

Bu A

B

45 度線

H

AA uu 1=

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ない場合の失業率の組合せ(u1, u2)が、失業率フロンティア上の各点で表されている。フロ

ンティア上の点で、平均失業率が 低になるのは、両部門の失業率が等しい場合(点 A)で

失業率は uA である。これに対し、点 B に経済がある場合には、雇用機会が部門 1 に集中し

すぎており、労働者が労働部門間の移動をできないため、ミスマッチが生じ、平均失業率は

uB と高い水準にある。

この 2 つの場合の NAIRU の差(uA と uB の差)は、2 部門で失業率が等しくなっている点

A と、部門間で失業率が異なっているにもかかわらず部門間を労働が移動できない点 B との

違いによる。点 B では部門間移動をできないことによるミスマッチが生じている。既出の

logu≃const.-Σαi

2

121

⎟⎠⎞

⎜⎝⎛ −⎟⎠⎞

⎜⎝⎛−

uui =const.+

uuivar

21

(2-15 式)

という近似式に戻ると、点 A の場合と点 B の場合の失業率の差はuuivar

21

に関係しているの

で、NAIRU の水準は、各部門の失業率の平均失業率に対する比 ⎟⎠⎞

⎜⎝⎛

uui の分散に依存すること

がわかる6。

ここで、各労働部門の構成比(αi)が等しい 2 つの経済の NAIRU における状況を比べてみ

る。第一の経済では、第 3-2-2 図の点 A のように各部門の失業率が全て等しい。第二の経

済では、第 3-2-2 図の点 B のように各部門間で失業率に大きな差がある。ただし、ここで

失業率に大きな差があるとは、 ⎟⎠⎞

⎜⎝⎛

uuivar

21

が大きいということである。この 2 つの経済を比

べた場合、後者の経済の方が、平均失業率が高くなる。各部門間の労働移動はできないので、

後者の経済のように、各部門の失業率の平均失業率に対する比 ⎟⎠⎞

⎜⎝⎛

uui に大きなばらつき(αi

で加重された分散)があるということは、低失業率・賃金上昇圧力が強い部門と、高失業率・

賃金上昇圧力が弱い部門との間に大きな差があることを意味する(第 3-2-1 図参照)。失業

率が低い部門ほど、失業率を 1 ポイント引き下げるために必要となる賃金上昇幅が大きいの

で、マクロのインフレ率上昇に大きく寄与する。そのため、インフレ率を所与とした時、各

部門間で失業率に高低の差のある経済の方が失業率がより高くなる。

今、各労働部門のシェア(αi)を所与とする。各労働部門は、技能別の部門や、年齢別の

部門を考えることができる。技能ミスマッチの拡大や、年齢差別が起きると、それらがなく

各部門の失業率がほぼ等しい場合に比べ、各労働部門間で失業率の差が拡大し、uuivar

21

6 Layard, Nickell, and Jackman(2005 p310)は、

uuivar

21

をミスマッチ指標としている。

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大きくなり、マクロの失業率(各労働部門の αi で加重して計算した平均失業率)が上昇する

ことがわかる。この結論は、賃金関数などの特定化に依存してはいるものの、大筋では説得

力のある理論であるように思える。

さて、このモデルを念頭に置き、日本のデータを観察してみることにする。Phillips(1958)

や Lipsey(1960)が観察したように、賃金上昇率の実現値は失業率が低下する時にフィリッ

プス曲線より高く失業率が上昇する時にフィリップス曲線より低いという傾向があり、デー

タを結んだ線は反時計回りの円運動をすることが多い。第 3-2-3 図は、日本の年次データ

(月次データをもとに平均して計算)のインフレ率を縦軸に、失業率を横軸にとったもので

ある。このグラフでも概ね 80 年代半ばから 97 年までと、99 年から 2005 年までは反時計回

りの円運動をしているようである。

第 3-2-3 図 物価と完全失業率の推移(1973 年~2005 年)

7879

77

76

75

74

73

948385

88

86

8482

89

81

80

99

9387

97

98

959692

91

90

2000

2005 2001

2002

20032004

-1.0

1.0

3.0

5.0

1.0 2.0 3.0 4.0 5.0完全失業率(%)

物価上昇率(%)

○:70年代

△:80年代

□:90年代

◇:2000年代

上で紹介したような NAIRU と各部門間の失業率格差の関係をふまえると、このデータか

ら推測されるのは、景気が回復する際には牽引役のセクター(産業)と、そうでないセクタ

ーとの間の格差が大きくなるため、各種労働への派生需要が大きく変化する結果、マクロの

賃金上昇圧力が高く、NAIRU が高くなる(反時計回りの円運動の上部)。一方、景気が鈍化

する際には、活発な経済活動を行っていたセクターの落ち込みが相対的に大きく、マクロの

賃金上昇圧力が低下し、NAIRU が低くなる(反時計回りの円運動の下部)。もしこの推論が

正しければ、一つの円運動をしている間のデータ期間に、一本のフィリップス曲線をあては

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めて、その期間には NAIRU が一定だったと解釈しては誤解を招くことになる。NAIRU を推

計する際には、相対価格の変化に留意すべきであると考えられる。

実際、Lipsey(1960)は、一つの円運動の期間に、賃金上昇率と失業率との間に安定的な

関係(フィリップス曲線)があり、この安定的な関係の上下にデータがはずれているという

解釈をせず、労働移動が不完全な複数の労働市場で失業率格差が大きい景気過熱時には、安

定的な個別労働市場の賃金上昇率と失業率との間の関係よりも上方にマクロの賃金上昇率と

失業率との関係があるという事実を説明するモデルを展開した。

3.UV 分析の「均衡失業率」

構造的・摩擦的失業の推計に もよく用いられるのは、UV 分析である。UV 分析では、グ

ラフの横軸に雇用失業率 U、縦軸に欠員率 V をとる時、原点に対して凸な右下がりの UV 曲

線(Beveridge 曲線)と、原点を通る 45 度線との交点における雇用失業率 U=欠員率 V を「構

造的失業率+摩擦的失業率」とする。U=V である時、マクロ的には、需要不足による失業

はなく、摩擦的失業あるいは構造的失業が存在していると考えられ、この時の失業率の水準

を「均衡失業率」と呼ぶ。UV 曲線が右下がりとされるのは、通常、失業者が多い不景気の

時には、埋めることができない欠員が少なくなる傾向があるからである。

UV 分析は、労働市場のマクロ的な需給状況を量的な側面から捉え、労働市場全体に存在

する失業と欠員のうち、どちらが不足しているかを一目で把握することを可能にする。例え

ば、数年前とほぼ同じ失業水準において、欠員数が増加する傾向が定着しているならば、何

らかの理由で求人者と求職者とのマッチングが進んでおらず、UV 曲線の右シフト、すなわ

ち、均衡失業率が上昇していると判断できる。

UV 曲線は、賃金の水準についての情報を直接含んでいないため、労働者の技能水準や、

労働分配率の変化、賃金の下方硬直性などが需給不一致の原因なのかを分析するには向いて

いない。

UV 曲線については統計の上でも理論の上でも、いくつかの問題点が指摘されている。大

橋(2006)は、特に重要な問題として、日本の統計上の問題として、欠員率が公共職業安定

所の業務統計であり、職安の求人だけを対象にしているため、経済全体の欠員率とは言えな

いことから、U=V で表される 45 度線が、雇用失業率=欠員率となる状況に対応していない

点を指摘している。さらに大橋(2006)は、理論上の問題点として、実際に労働サービスの

取引が行われていなくても、失業数や欠員数を含め、単に数の上で労働の総需要と総供給が

等しくなっている状況が経済学の均衡概念と一致せず、U=V で賃金の上昇率がゼロになる

わけでも、失業率が安定するといった均衡状態を表すものでもない点をあげている。さらに、

同じ UV 曲線上にある 2 点を比較すると、欠員率と失業率の比率が異なることから、ミスマ

ッチ失業の水準もそれに応じて変動していると思われるが、UV 分析では、同じ UV 曲線上

にある 2 点では、構造的・摩擦的失業は一定であるとされ、現実的ではない(大橋 2006)。

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4.「構造的失業率+摩擦的失業率」諸概念の比較

(1)NAIRU 対 自然失業率

自然失業率仮説は、貨幣的変数が実物経済に影響を与えるのは、インフレ率期待に錯誤が

生じる短期に限られるという、古典派の二分法の流れをくむ仮説である。NAIRU と自然失業

率とを同義語のように扱う文献も多いが、「自然失業率」には、自然利子率と同様に経済がい

ずれ自然失業率水準に戻るというニュアンスがこめられていることが多い。

Calvo(1979)や Solow(1979)流の、労働者が仕事中に怠ける(shirking)ことを考慮しつ

つ企業が賃金設定をするモデルで、Phelps and Zoega(1997)は、自然失業率と NAIRU との

違いを以下のように説明する。なお本稿では労働者が怠ける水準を選択するというPhelps and

Zoega(1997)の設定の代わりに、労働者が努力水準を決定するという設定にしているものの、

本質的には違いがない。

ア 基本的な効率賃金モデル

Phelps and Zoega(1997)のモデルを紹介する準備として、効率賃金モデルをより標準的な

形で紹介し、その後で、本文のモデルとの関連を述べることにする。

w が賃金率、e が労働者の努力水準、L を労働時間とする。Phelps and Zoega(1997)では w

ではなく相対賃金 W/We だがモデルの構造は大きく変わらない。w は労働時間に依存しな

いものとする。この節では労働者は全て同質的なので代表的個人と考えて良い。さらに、こ

の企業の生産技術は、1 単位の資本あたりの企業の生産高 q が q=f(e(w)L)という生産関数 f(・)

と努力関数 e(・)によって規定される。この時、企業にとっての最適化問題は、2 段階になる。

まず第 1 段階で、企業は、効率単位あたりの労働費用を最小化する賃金水準 w を決定する。

第 2 段階では、第 1 段階で設定した最適な w のもとで、「労働の限界生産性×財価格=名目

賃金」となるように産出量を決定する。なお、本節では第 2 段階の話をしていない。

第 1 段階の最適化は、生産関数 f(・)のインプットが、努力水準 e と労働時間 L の積になっ

ているという生産関数 q=f(e(w)L)に関する仮定に依存している。生産関数に入力されるイン

プットは e(w)L なので、如何なる量のインプットであれ、もっとも安く購入すべきである。

企業は労働時間 L に対して賃金総額 wL を支払う。インプット 1 単位あたりの費用は

Lw w=e(w)L e(w) で労働時間とは独立となる。例えば、インプットを 100 単位使って生産する場

合を考える(e(w)L=100)。労働費用の総額は、インプット 1 単位あたりの労働費用×100 な

ので、100× we(w) である。企業は 100 単位のインプットを用いて生産関数 q=f(e(w)L)で、f(100)

だけのアウトプットを生産している。企業が利潤を最大にするには、どのアウトプットの水

準に対しても、その生産に必要なインプットに費やす費用を最小にする必要がある。企業は、

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f(100)だけのアウトプットを生産するための労働費用100× we(w) を 小化するため、結局 we(w)

を 小化することになる。どのアウトプット水準に対しても we(w) を 小にすべきなので、第

1 段階で we(w) を 小にするように賃金を設定する。

さて第 1 段階の選択において、努力関数eは第 3-2-4 図のような形状をしていると仮定

される。すなわち、正の努力水準を得るためには、ある賃金水準 w0 以上の賃金を支払うこと

が必要である。また、賃上げは努力水準を上昇させるが、賃金上昇が努力水準上昇をもたら

す限界的な効果は逓減する。

第一段階では、企業は)(we

wを 小にするように w を決定する。第 3-2-4 図では e(w)上

の点 A と原点 0 とを結んだ線分 0A の傾きwwe )(

が 大になるような賃金水準 w*を企業が設

定する。w=w*の時、e(w)の傾き、 de(w)dw は、e(w)上の点 A と原点 0 とを結んだ直線 OA の

傾き、e(w)w に等しい。この de(w)dw = e(w)w が、効率単位あたりの労働費用を 小化するための

必要条件で、w=w*において、努力関数の賃金弾力性が 1 に等しい、すなわち、de(w)dw × we(w)

=1 であることを意味する。(Solow 条件)企業は、労働者の努力を促すために留保賃金 w0

よりも高い賃金を設定している。

イ 拡張された効率賃金モデル

前節の基本的な効率賃金モデルを拡張し、上記の努力関数 e(.)が、現在の会社の名目賃金

第 3-2-4 図 効率賃金の設定

w0 0 w*

e(w)

e(w)

w

A

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W の、経済全般の平均期待賃金(We)に対する比率、すなわち期待相対賃金、 eWW

に依存する

ものとする。7

経済全般の平均期待賃金(We)は労働者が想像する経済全般の賃金水準である。労働者は、

We を正確に W に等しく予想できるとは限らない。一方、企業は経済全般の平均賃金につい

て正確な知識を持ち、労働者の平均期待賃金(We)についても正しく認識しているものとする。

さらに、努力関数 *,...)r,...;s;u,e eWW( をシフトさせる要因として、失業率 u(労働市場で仕

事を見つけにくいと失業から就業まで時間がかかる)、資産の水準 s や海外実質利子率 r*など

を仮定する。

企業は、効率単位あたりの労働費用を 小化する賃金を設定する。この拡張されたモデル

では、これは

,..)( eWWe

Wを 小化することを意味する。経済全般の平均期待賃金(We)は、企業

にとって所与であることから、

,..)( eWWe

Wを 小化する W は、

,..)( e

e

WWe

WW

,..)( eWWe

W×定数 eW

1

を 小化する W と同じなので、企業の 適な賃金設定は、相対賃金 eWW

1*,...),...;;,

)*,...)(,...;;,=

rsue

rsue

e

ee

WW(

WW

WW(1

(2-16 式)

となるように設定するというものになる。すなわち、第 3-2-4 図の w を eWW

に置き換えて

考えれば良い。 この 適化条件は Solow(1979)の弾力性条件で、努力関数eの期待相対賃金弾力性が 1

になるように賃金が設定される。努力関数eのシフト要因として、特に失業率 u の変化を考

えることにする。失業率 u が高くなると失業した場合に就職まで時間がかかるため、所与の

W に対し、労働者は努力水準を上昇させる。この時、企業は以前よりも低い賃金で

..),( uWWe

W

e

を 小化できる。すると、企業が設定する名目賃金は、失業率 u の減少関数になる。

別のシフト要因である平均期待賃金 We については、労働者が相対賃金に関心を持ってい

ることから、労働者が想像する平均期待賃金 We が 2 倍になれば、企業が設定すべき名目賃

金は 2 倍になる。

Friedman(1968)が明記しているように、自然失業率とは一般均衡失業率である。すなわ

7 Phelps and Zoega(1997)のモデルとはノーテーションが異なるが、本質的な内容は同じである。

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ち、労働市場だけではなく他の市場も均衡しており、現在および将来の相対価格について自

己実現的な(self-fulfilling)期待が形成されている時の失業率である。したがって、均衡では

期待は正しく、W=We となっており、

1*,...),...;;,1*,...),...;;,1

=rsuersue

(1 (2-17 式)

となる。

このモデルでは、自然失業率 u は、資産などに関する正しい期待 s などに対応して、

1*,...),...;ˆ;ˆ,1(*,...),...;ˆ;ˆ,1

=rsuersue(1 を満たす失業率である。一方、労働者の期待が正確でない時、合理的期

待均衡にはなっておらず不均衡が生まれる。

では労働者の期待錯誤がある場合には、失業率と賃金との間にどのような関係があるだろ

うか。失業率と賃金インフレとの関係に集中するため、資産などに関する期待 s などは正し

いものとする。

労働者が現在の平均名目賃金を低く見積もっている場合(W>We)には、 eWW >1 となり、

怠けていると他社に再就職しても賃金が下がってしまうと予想するため、努力水準を高める。

一方、企業がなぜ、このように高い賃金設定をしているのだろうか。労働者の期待に、この

ような誤差がある場合には、 eWW >1 のまま、企業は努力関数の賃金弾力性が 1 になるよう

に賃金を設定しているはずなので、他の事情を一定にすれば、失業率が自然失業率を下回っ

ているはずである。つまり、失業時の失業期間が短くなっていることから、失業率に関連し

た努力促進効果が低く、相対的に賃上げによる努力促進効果が高まっている。結論として、

労働者の期待錯誤は、失業率の自然失業率からの乖離と明確な対応を持つ。

労働者が経済の平均的な賃金水準について錯覚していると、NAIRU は変化する。しかし、

(正確な期待に対応する)自然失業率は変化しない。Phelps and Zoega(1997)は、Paul

Samuelson による次の例を用いて、自然失業率と NAIRU とを対比させている。

不景気の時期に、企業が多くの社員をリストラしており、雇用確保のために賃金カットを

しているというニュースが巷にあふれているとしよう。この時、解雇を免れた社員は、解雇

された社員の賃金に比べ、自分の賃金水準を過大評価する可能性があるだろう。一方、解雇

された人々は自らの賃金の相対的下落を過大評価していないものとする。これらの仮定のも

とでは、平均的な労働者は、経済全体の平均賃金が、自らの賃金に比べ相対的に低下してい

ると考えていることになる。

平均的な労働者は、平均よりも高い賃金を得ていると錯覚しているため、怠けようとする

気持ちが少なくなる。そこで、企業は、賃金を引き上げて、労働者を勤勉に働かせる必要が

減り、賃金水準の低下(失業率が低下しない場合には賃金水準の錯覚と同率の低下)または

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失業率の低下がおこる。この例では、労働者の錯覚によってデフレが生じているので、賃金

上昇率(あるいは物価上昇率)の変化が 0 となる失業率(NAIRU)は低下する。しかし、自

然失業率自体は変化していない。経済全体の賃金水準について平均的な労働者が錯覚してい

るため、失業率が自然失業率から乖離しているものの、自己実現的期待と整合的な一般均衡

における自然失業率は変わっていない。

自然失業率を以上のように定義すると、失業率の自然失業率からの乖離は、平均名目賃金

に関する期待値の予測誤差と密接に関係することになる。一般に、失業率が自然失業率から

乖離すると、賃金や物価がそれらの期待値から乖離していることになる。

しかし、失業率の自然失業率からの乖離は、賃金上昇率や物価上昇率が前期の水準から異

なっていることを必ずしも意味しない。そのため、経済が NAIRU にある状態(賃金上昇率

が上昇も下落もしていない状態)では、失業率が自然失業率と等しいとは限らない。

(2)「NAIRU、自然失業率」対「UV 分析の均衡失業率」

Nickell(2006)によれば、均衡失業率に影響を与える変数には 2 種類ある。第一に、マッ

チングの容易さに影響を与える変数としては、失業保険給付制度(給付期間や所得代替率)、

Phelps が強調するように非人的資産の収益率である実質利子率、雇用保障の強さなどがある。

このうち、雇用保障を法律で強化すると、企業が新規採用を手控える効果があるが、雇用関

係の法律、人事の専門化が進み、非自発的な離職を減少させる効果がある。マッチングを困

難にする要因は、Beveridge 曲線(UV 曲線)を右にシフトさせ、均衡失業率を上昇させる。

逆に、マッチングを容易にする政策は Beveridge 曲線を左にシフトさせる。左シフトをもた

らす政策には、労働移動の障害を減少させる政策、職業訓練、スウェーデンのような積極的

労働市場政策などがある。

第二に、労働市場で超過供給があるにもかかわらず、賃金を直接上昇させる変数は均衡失

業率に影響を与えるものの、Beveridge 曲線をシフトさせない。その例として、賃金決定の制

度がある。賃金決定の制度は産業別、地域別に異なる。競争的な賃金決定に比べ、労働協約

で賃金が決定される場合には、労組の交渉力が相対的に強く、組織率が高いと賃金に上昇圧

力が加わる。さらに実質賃金の低下に対する労働者の抵抗が強ければ、失業率を高める要因

となる。実質賃金の低下に対する労働者の抵抗が起きる例として、交易条件の悪化、趨勢的

生産性上昇率の予想外の低下、手取り賃金を低下させる労働所得税の税率上昇などがあり、

これらは失業率を高める要因になる。もちろん第一の要因と第二の要因とは、互いに排他的

なものではなく、現実には、労働所得税の税率上昇は、第一の要因でもあると考えられる。

以上見たように、第一の要因である Beveridge 曲線の右シフトは、均衡失業率の上昇のた

めの必要条件ではあるが十分条件ではない。このため、均衡失業率の上昇を把握するために

は、労働市場の量的な側面を反映する Beveridge 曲線と、実質賃金の変化による価格面の調

整や労使の間の所得分配面をも考慮するフィリップス曲線の分析とを補完する必要がある。

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第3節 NAIRU 推計

1.OECD の NAIRU の定義

ここで、NAIRU とは何かをより正確に理解するために、OECD の定義(Richardson et. al.

2000)をもとに、NAIRU 関連の定義を整理しておく。OECD の定義が公式の定義であると言

うわけではないが、時間と共に変化しうる NAIRU(可変 NAIRU)を推計する際に、着目す

べき変数は何かと考える際に手がかりとなるからである。なお本節での短期、長期の区別は、

これまでの短期、長期の区別とはやや異なっている。

一時的供給ショックは、永続的供給ショックに比べ、「構造的失業+摩擦的失業」に与え

る影響は限定的であると考えられるので、一時的供給ショックの影響を除いた上で NAIRU

を定義することにしたい8。

次の期待修正版フィリップス曲線の式を用いて NAIRU を定義する。Δを一次差分オペレ

ーター、πをインフレ率、Ut を観察された失業率、ZLt を長期間影響が残る永続的供給ショッ

ク、ZTt を一時的供給ショックとする。α(L)、θ(L)、v(L)、γ(L)は、ラグ・オペレーターL のラ

グ多項式である。e はホワイト・ノイズ(分散が一定である無相関過程)の誤差項、Kt は、

他の諸変数で捉えきれていない、NAIRU に影響を及ぼすパラメターである。なお各変数の下

付添字 t は、時点 t の値であることを示す。

(3-1)式は、インフレ率が、過去のインフレ率、失業率の NAIRU からの乖離、現在及

び過去の失業率、現在及び過去の一時的供給ショックに依存することを示している。

Δπt=α(L)Δπt-1-β(Ut-U*t)-θ(L)ΔUt

+v(L)ZTt+et (3-1 式)

U*t=[Kt+γ(L)ZLt]/β (3-2 式)

(1)NAIRU

NAIRU は、(3-1 式)、(3-2 式)の U*t である。t 期の NAIRU は、一般に t 期までの永続

的供給ショックの実現値に依存する。これらの式では、NAIRU が時間とともに変化する可能

性、すなわち、可変 NAIRU である可能性も許している。一方、NAIRU が時点によらず、一

定である場合(固定 NAIRU)には、インフレ率のラグ項の係数和が 1 であることが、定常状

態において U=U*であるために必要になる。

この標準的な NAIRU(供給ショック無しの NAIRU)の定義から、NAIRU は、もしも一時

的な供給ショックがなかったとすると、インフレ率が一定にとどまるような失業率水準であ

ることがわかる。すなわち、一時的な供給ショックが起きた場合に生じたインフレ率の変化

8 Gordon(1997)では、NAIRU の標準的な定義は、供給ショックが無かったとした場合に、安定的なインフレ

率と両立する失業率であるとしている。供給ショックの影響を除去しないと、供給ショックが起きる度に

NAIRU がジャンプしてしまう。

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が、全てこの一時的供給ショックに起因するものであるならば、NAIRU は変化しない。

(2)短期 NAIRU

短期 NAIRU(US*t とする)とは、NAIRU(U*t)を所与として、(3-1)式で、インフレ

率が前期と同じ水準にとどまる(Δπt=0)ような失業率 Ut の値である。

ここで、NAIRU と短期 NAIRU との間の関係を考えるために簡単な例をあげることにする。

たとえば、一時的に物価を上昇させる供給ショックが起きた場合、NAIRU は変化しない。一

方、物価を上昇させる一時的な供給ショックが起きているため、インフレ率の変化がゼロに

なるような失業率水準(短期 NAIRU)は NAIRU を上回ることになる。

t 期の短期 NAIRU は、一般に、t 期までの永続的供給ショックの実現値に依存している

NAIRU と、t 期までの一時的供給ショックの実現値に依存する。

(3)長期均衡失業率

長期均衡失業率は UL*t は、長期的に一定の値をとる永続的ショック(ZLt=zl)に対する

全ての調整が終了した後の NAIRU の水準である。9

UL*=f{Kt+γ(1)zl}/β (3-3 式)

この長期均衡失業率は、一定の値を取る永続的供給ショックの実現値と対応している。た

とえば、労働市場における職業紹介の効率性が、ある年を境に高まったとすると、長期均衡

失業率は低下する。長期均衡失業率は、自然失業率に対応する。

2.NAIRU と NAIRU 推計

Ball and Mankiw(2002)の他、多くの米国の経済学者は NAIRU の変動をひきおこす も

重要な要因は生産性であると考えている。1970 年代に生産性が低下した際に NAIRU は上昇

し、1990 年代後半の生産性上昇に伴い、NAIRU は低下した。米国では、労働力人口の中で、

失業率が高い若者の比率が低下したために失業率が低下したという議論や、もし労働市場に

参加していれば失業率が高かったであろう囚人人口が増えたために失業率が低下したという

議論もある。

1980 年代のヨーロッパ諸国では失業率が高止まりした。失業率がしばらくの間高くなると、

失業者の技能の陳腐化が起こり、再雇用確率が低下するため、失業率が高い時期がさらに続

いてしまうという、失業の履歴効果を主張する経済学者がある。Ball(1997)は、OECD 諸

国の労働市場における資源配分上の歪みをもたらす様々な政策を国際比較した結果、ほとん

どの政策は NAIRU に影響を与えなかったが、ディスインフレ政策と長期の失業保険給付期

間を同時に実施した国では、これらの政策の組合せが NAIRU を大きく上昇させたと結論を

9 (Richardson et. al. 2000)から引用した(3-3 式)の f は、(3-2 式)と比較すると不必要だと思われる。

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得ており、労働市場における歪みが長期間、労働市場の機能を損なうという履歴効果の一種

だと捉えている。

Nickell(2006)によると、多くの国では、失業率は均衡失業率の周りで変動するが、金融

部門の規制緩和に失敗して景気後退を招き、失業率が大幅に上昇したフィンランドとともに、

日本は例外的な国であり、日本では 1990 年より失業率が上昇する一方、インフレ率は低下し

1999 年にマイナスに転じたことから、失業率が均衡失業率を長い間上回っている状況が続き、

マクロ政策に何らかの問題があったとしている。

もし日本の失業率が均衡失業率の周りで変動していないならば、均衡失業率の推計はどの

ような意味を持つのだろうか。失業率を①需要不足失業と②構造的失業+摩擦的失業に分解

する際に、①の需要不足失業は循環的失業(cyclical unemployment)と呼ばれることがある。

循環的失業という語句は、趨勢的な失業率のトレンドが②の構造的失業+摩擦的失業に対応

し、失業率のトレンド周りの失業率の乖離が①の循環的失業を表すという見解を反映してい

ると考えられる。ところが、トレンド自体が変化している場合には、本来ならば構造的失業

であるものを循環的失業と見誤ってしまう可能性がある。そこで本稿では、失業率の系列に

一定のトレンドをあてはめるのではなく、ランダム・ウォークする NAIRU を推計する。

1990 年代の始めから半ばまで、経済学者の多くは、米国の NAIRU が約 6%であると認識

していた。しかし、1995 年に失業率が 6%を大きく下回り続けたにもかかわらず、インフレ

ーションは起こらなかった。そのため、NAIRU という概念に対する疑義が生じた。さらに、

NAIRU 推定値の標準誤差が大きいため(Staiger, Stock and Watson 1997)、金融政策の意思決

定をする際に、失業率の NAIRU からの乖離は、参考にならないのではないかと考えられる

に至った。

フィリップス曲線の文献では、インフレ率を測る際の物価関連のデータとして、GDP デフ

レーターのようにデータの対象を広くとるものから、通常、食品とエネルギーの価格を除い

た「コア・インフレ率」のようにせまくとるものまである。一般にコア・インフレ率を用い

て推計すると信頼区間が狭くなるが、どのコア・インフレ指標を用いるかによっても信頼区

間が大きく異なる。理論の上での望ましさと、信頼区間の幅の両方を考慮すると、どのイン

フレ指標を使うべきか必ずしもはっきりしない(Staiger, Stock and Watson 1997)。

用いるべきインフレ指標について、Fair(2000)は、米国企業が設定している価格を用い

るべきだと考え、非農業企業部門物価デフレーター(PNF)を用いている。PNF は、YY を

非農業企業部門名目産出量(nominal business nonfarm output)、IBT を間接税総額、Y を 1992

年基準のドル価格で評価した非農業企業部門名目産出量として PNF=(YY-IBT)/Y と計算

される。この PNF は、間接税、農業部門および政府部門の産出量、輸入を含まない。

Staiger, Stock and Watson(1997)は、固定 NAIRU の推定の際に、1962 年から 1995 年の年

次データによる分析を行った。インフレ率として前年比インフレ率を使い、失業率について

は 16 歳以上の全ての非軍人の失業率を用いている。被説明変数を今期のインフレ率としたフ

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ィリップス曲線の推計にあたり、例えば、2 期間の失業率のラグを説明変数に含める場合に

は、説明変数に、前年の失業率及び 2 年前の失業率の NAIRU からの乖離、現在および過去

のインフレ率やサプライ・ショックを使っている。説明変数に今年の失業率を含まない点が

多くの研究と異なるが、その根拠として、今年の失業率が外生であると考えにくく、さらに、

失業率の NAIRU からの乖離がインフレ率に影響を与えるまでに時間がかかるためと述べて

いる。

Staiger, Stock and Watson(1997)は、1961 年第 3 四半期から 1995 年第 4 四半期までの四半

期データで、可変 NAIRU の分析も行っている。NAIRU を可変として推計する場合には、

NAIRU 自体が確率過程に従って変動すると仮定するため、NAIRU の変動が大きくなり、信

頼区間もより大きくなる。Staiger, Stock and Watson(1997)は、この理由で NAIRU の信頼区

間が大きくなることには根拠があると考える。

3.日本のデータを用いた NAIRU 推計

(1)NAIRU 推計

各四半期の NAIRU は直接観察可能ではないので、各期に得ることができる情報をもとに

NAIRU の推計値を再帰的に更新する手続きとなっているカルマン・フィルターによる推計を

行う。フィルタリングでは、他に HP(Hodrick and Prescott)フィルターが有名だが、HP フ

ィルターを適用した推計値の系列は、現実の値に近づいたものになる傾向があるため、需要

の変動による失業率の変化を過小評価してしまう可能性が考えられる。

カルマン・フィルターは、新しい観測値が利用可能になる度ごとに、状態変数の推定値を

更新する一連の方程式のことである。新しい観測値が予想からずれている場合、そのずれが、

状態変数の予測が間違っていたのか、それとも、観測ノイズが大きかったために予測を誤っ

たのか判断して、状態変数についての分布の平均や分散を更新していく。状態変数の変動を

予測誤差の分散で割ったものがシグナル・ノイズ比で、このシグナル・ノイズ比が大きいほ

ど、観測値が予測からはずれた場合に、状態変数の推定量をより大きく改訂する。

カルマン・フィルターにおけるフィルタリングは、t 期において、初期から t 期までの情報

をもとにして状態変数の 適な推定量を求める手法である。一方、スムージングは、初期か

ら 終期までの全ての情報を用いて状態変数の推定量を求める。スムージングは観測値から

状態変数の推定値を求めるための 適な手法になっており、一般にフィルタリングよりも正

確な推計が可能となる。過去のデータを用いて経済構造を分析する目的にはフィルタリング

よりもスムージングの方が適している。

NAIRU はランダム・ウォーク過程に従うと仮定する。この仮定は、毎期、NAIRU が僅か

に変化することを許容するもので、vt は、以下の観測方程式に明示的に含まれていない変数

の変化などを反映している。NAIRU が特定の確率過程に従うものとして推計することも可能

だが、なぜ NAIRU が特定の確率過程に従うと先験的に仮定するのか根拠を示すことは容易

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-88-

ではない10。また、NAIRU の変化の背景には、経済の構造変化があり、構造変化の中には元

に戻らない永続的な変化もある。その結果、NAIRU の振る舞いに定常性を仮定することも適

当ではない。そこで、NAIRU については、非定常でランダム・ウォークすると仮定する。

NAIRUt=NAIRUt-1+vt vt ~ i.i.d ),0( 2vN σ (遷移方程式) (3-4 式)

推計するのは、非線形のフィリップス曲線で、インフレ率のラグとサプライ・ショックが

説明変数となる。例えば、次のような式である。

πt=β1πt-1+β2πt-2+β3πt-3+β4πt-4

+β5πt-5+β6πt-6+β7πt-7+β8πt-8+β9πt-9+β10-tCOILt

+β11PRODGAPt++γ ⎟⎟⎠

⎞⎜⎜⎝

⎛ −

t

tt

UUNAIRU

+εt, (観測方程式)

εt ~ i.i.d ),0( 2εσN (3-5 式)

πt:前年同期比の消費者物価上昇率(持家の帰属家賃及び生鮮食品を除く総合指数、下

付添字の t は時点 t を表す。)。

Ut:完全失業率(男女計・季節調整済み)

COILt:「輸入物価指数(石油・石炭・天然ガス)÷国内企業物価指数」の対前年同期比

変化率

PRODGAPt:労働生産性のトレンドからの乖離(労働生産性のトレンドについては時間

t についての 2 次関数をあてはめた。)

この観測方程式において Zt=NAIRUt γと新たな変数 Zt を定義する。この NAIRUt がランダ

ム・ウォーク過程に従うことから、その定数(γ)倍である Zt もランダム・ウォークすることに

なる。実際に推計するのは、次の観測方程式′と遷移方程式である。

πt=β1πt-1+β2πt-2+β3πt-3+β4πt-4

+β5πt-5+β6πt-6+β7πt-7+β8πt-8+β9πt-9+β10-tCOILt

+β11PRODGAPt+Zt1−

tU -γ+εt, (観測方程式′)(3-6 式)

εt ~ i.i.d ),0( 2εσN

Zt=Zt-1+vt vt ~ i.i.d ),0( 2vN σ (遷移方程式)(3-7 式)

(注:観測方程式の Zt1−

tU -γの部分は、+γ ⎟⎟⎠

⎞⎜⎜⎝

⎛ −

t

tt

UUNAIRU

という非線形のフィリップス曲

10 ただし推計期間中に日本の可変 NAIRU は上昇しつつあると考えられるため、正のドリフト付きのランダム・

ウォーク過程を仮定した方が、推計が改善する可能性がある。

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-89-

線の失業率ギャップの部分に対応しているので、NAIRUt は NAIRUt=Zt1−

tU (1/γ) tU=Zt/γとして求めることができる。)

時間と共に変化するパラメーターは Zt のみである。(各 βは固定パラメーター)

データ期間:1970 年 1 月から 2005 年 12 月まで(四半期データに変換)

分析の主眼は予測ではなく、経済の構造を知りたいので、以下ではスムージングを行った

場合の推計結果を報告する。なお、TSP のアウトプットでは、Kalman filter による各パラメ

ーターの推計で、p 値が全て 0.000 になっているため、p 値については記載を省略した。

説明変数としては、他に実質実効為替レート、20 歳~64 歳の労働力人口に占める 45 歳以

上の人の割合などを試みた。消費者物価指数については、総合指数よりも、持家の帰属家賃

及び生鮮食品を除く総合指数を使った場合の方が 2000 年代の NAIRU の上昇が高めになり、

NAIRU の動きが実感に合致しているように思われるため、持家の帰属家賃及び生鮮食品を除

く総合指数を用いた。11

多くの定式化を試した結果、第 8 期あるいは 9 期のインフレ率のラグ(PIQ8, PIQ9)を入

れないと誤差項の系列相関がゼロから有意に異なることがわかった。そこで 9 期までのラグ

を 長のラグとした。 終的に選択した定式化は、赤池の情報量基準(AIC)、誤差項の系列

相関がゼロから有意に異ならないことを重視して選んだ。第 3-3-1 表は、選ばれたモデル

で用いた説明変数の係数の推計結果を報告している。

第 3-3-1 表 NAIRU 推計(観測方程式)の推計結果

モデル 1 モデル 2 モデル 3 モデル 4 モデル 5 C -.006274 -.006752 -.006711 -.006693 -.006779 PIQ1 1.054 1.051 1.031 1.044 1.043 PIQ2 -.04916 -.04626 -.01410 -.09573 -.09460 PIQ3 -.1149 -.1151 -.1251 PIQ4 -.2253 -.2244 -.2833 -.3413 -.3396 PIQ5 .2027 .1993 .2260 .2234 . 2212 PIQ6 -.05533 -.05339 PIQ7 -.01424 -.01334 PIQ8 .06214 .06059 -.05950 -.04785 -.04676 PIQ9 .07976 .07371 .07256 COIL .006702 .006706 .006826 .006896 .006896 PRODGAP -.01478 -.01027 UNEI=1/u .02412 .02447 .02442 .02435 .02465 Log likelihood 471.705 471.384 472.780 472.223 471.889 AIC -921.41 -918.768 -925.56 -926.446 -923.798

被説明変数は PIQ(今期の前年同期比インフレ率)、説明変数は C(定数)、PIQx は(PIQ の x 四半期前

の値)、COIL(「輸入物価拍数(石油・石炭・天然ガス)÷国内企業物価拍数」の対前年同期比変化率)、

PRODGAP(労働生産性トレンドからの乖離)、UNEI(完全失業率 u の変数)

11 1989 年消費税導入と 1997 年消費税率引き上げの影響を除くため、黒田(2004)と同様に、消費者物価指数の

対前年同期比の系列のうち 1989 年Ⅱ~1991 年Ⅰからは 1.5%を差し引き、1997 年Ⅰ~1998 年Ⅰからは 1.4%を

それぞれ差し引いた。

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第 3-3-1 表が推計結果である。推定された各変数の係数は、正しい符号を示している。

石油・石炭・天然ガスの高騰はインフレを招くため正の符号が期待される。労働生産性の向

上は、効率単位の労働コストを低下させるためインフレを抑制する。失業率の逆数が高くな

る時、失業率は低下しているので、インフレを招く。

検定を行っていないものの、先行研究と同様にインフレ率のラグの係数の和は 1 よりも小

さいようである。

推計される NAIRU は 1976 年第 3 四半期から 2005 年第 4 四半期までで、次のグラフ(第 3

-3-2 図)は、第 3-3-1 表のモデル 1~モデル 5 の中で、AIC が最小になるため、選択さ

れるモデル 4 に対応する。グラフの中の線は、UNEMQ:四半期の失業率(月の平均)、NAIRU

(フィルタリング・・初期から t 期までの情報を利用)、NAIRUS(スムージング・・初期か

ら最終期までの情報を全て利用。)

もっとも当てはまりの良いモデルは、非線形の物価版フィリップス曲線のコントロール変

数として「輸入物価指数(石油・石炭・天然ガス)÷国内企業物価指数」を用いたものであ

った。推計期間の最終時点である 2005 年第 4 四半期の NAIRU のスムージングによる推計値

は 3.64%である。これに対し、労働生産性のトレンドからの乖離をコントロール変数とした

場合には、比較的当てはまりが良くない。

第 3-3-2 図 NAIRU(フィルタリング)と NAIRUS(スムージング)の推移(モデル 4)

1980 1985 1990 1995 2000 20052.0

2.5

3.0

3.5

4.0

4.5

5.0

5.5UNEMPQ NAIRUS

NAIRU

失業率(%)

完全失業率

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-91-

NAIRU の定義の際に、一時的ショックと永続的ショックを区別した。ここでは、便宜上、

t 期におけるショックが、2 年程度でほとんど無くなる一時的ショックと、それよりも長い期

間続く永続的ショックとを区別する。第 3-3-3 図、第 3-3-4 図のコレログラムを見ると、

労働生産性ショックについては、自己相関係数がなかなか減衰しないのに対し、石油・石炭・

天然ガス価格ショックについては自己相関係数が 4 四半期後には、ほとんど減衰してしまう

ことがわかる。すなわち、労働生産性ショックは永続的だが、石油・石炭・天然ガス価格シ

ョックは一時的であると判断できる。

通常 NAIRU は、一時的ショックがなかった場合にインフレ率を高めない失業率のことを

指すので、モデル 4 で推計されたパラメータ(COIL の係数)を用いて、石油・石炭・天然

ガス価格ショックに起因したインフレ率の変化を除去して、NAIRU を推計した。(第 3-3-

5 表 モデル 6)

次のグラフ(第 3-3-6 図)では、モデル 6 の TRNAIRUS(スムージング)と、第 3-3

-2 図 モデル 4 で推計された NAIRUS(スムージング)とを比較している。モデル 4 の

NAIRUS(スムージングで得られた NAIRU)に比べ、石油・石炭・天然ガス価格ショック(「輸

入物価指数(石油・石炭・天然ガス)÷国内企業物価指数」の対前年同期比変化率)の影響

を取り除いたモデル 6 の NAIRU(グラフの中の TRNAIRUS)は、より変動が小さくなった。

第 3-3-3 図:労働生産性ショック(PRODGAP)のコレログラム(横軸の単位は四半期)

0 5 10

0.1

0.2

0.3

0.4

0.5

0.6

0.7

0.8

0.9

1.0ACF-PRODGAP

j

当期とのラグ(四半期)

自己相関係数(PRODGAPtと PRODGAPt-jとの間の自己相関係数)

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第 3-3-4 図:石油価格ショック COIL(「石油・石炭・天然ガスの輸入物価指数÷国内企業物価

指数」の対前年同期比変化率)のコレログラム(横軸の単位は四半期)

0 5 10

-0.75

-0.50

-0.25

0.00

0.25

0.50

0.75

1.00ACF-COIL

第 3-5-5 表 MAIRU 推計(観測方程式)モデル 6:

一時的ショック(石油価格ショック)を取り除いた

モデル 6 C -.005854 PIQ1 1.138 PIQ2 -.1708 PIQ3 PIQ4 -.3435 PIQ5 .2167 PIQ6 PIQ7 PIQ8 -.0477 PIQ9 .07044 COIL PRODGAP UNEI=1/u .02531 Log likelihood 449.994

変数は第 3-3-1 表と同じ

j

当期とのラグ(四半期)

自己相関係数(COILtと COILt-jとの間の自己相関係数)

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第 3-3-6 図 NAIRUS(スムージング、モデル 4)と TRNAIRUS(スムージング、モデル 6)の推移

1980 1985 1990 1995 2000 20052.0

2.5

3.0

3.5

4.0

4.5

5.0

5.5UNEMPQ TRNAIRUS

NAIRUS

2005 年第 4 四半期の NAIRU のスムージングによる推計値は 3.55%となった。1970 年代の

NAIRU は高めに推計されており、推計期間 1976 年第 4 四半期~2005 年第 4 四半期の NAIRU

が全て 3%台になっており、これは今後の課題としたい。

(2)今回の推計の課題

これまでに得られた NAIRU のスムージング推計値を各年代のインフレ率の変化と比べて

みると、特に 1970 年代の NAIRU が高すぎるように思われる。そこで、1970 年から 1991 年

までにデータ期間を限定して再推計を試みたが、実際の失業率よりも NAIRU が激しく変動

する結果になった。NAIRU が乱高下するとは考えられないので、信憑性の低い結果である。

1970 年代にはインフレ率の変化が激しく、石油危機の経験を経て、単純な適応的期待では

近似できないようなインフレ期待が形成されたと思われる。この時期には、インフレ期待の

変化とサプライ・ショックにより、フィリップス曲線が頻繁にシフトしたと思われるため、

フィリップス曲線を正確に推計するのは難しい時期である。

最近の日本では、インフレ率や失業率の動きが比較的小さくなっている。とりわけ、イン

フレ率がゼロ・インフレ近傍にあったため、フィリップス曲線が通常とは違った形状をして

いる可能性がある。Akerlof, Dickens, and Perry(1996)は、独占的競争のモデルで、各企業が

非対称なショックを受け、名目賃金の下方硬直性に直面しているシミュレーション・モデル

(年)

失業率(%)

完全失業率

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で、インフレ率がゼロあるいはマイナスになると、賃金調整ができないため、雇用調整を行

う企業が増え、失業が増大するため、長期フィリップス曲線が非線形になることを示した。

また、名目賃金の下方硬直性があっても、経済状況がある程度悪化すれば、賃金引き下げや、

非正規雇用の拡大などに着手する企業があるので、ある程度高い失業率では、物価下落圧力

が強まるかもしれない。1994 年~2005 年の四半期データ(縦軸:インフレ率、横軸:完全失業

率)をスプライン曲線で回帰すると、そのような動きがあるようにも見える(第 3-3-7 図)。

図の中のk=6.00 は線形回帰分析の説明変数の数にほぼ対応している。このパラメーターの

値を自動的に選択した場合の図が第 3-3-7 図である。12

第 3-3-7 図 インフレ率をスプライン曲線で完全失業率に回帰(スムーズ度自動選択)

3.00 3.25 3.50 3.75 4.00 4.25 4.50 4.75 5.00 5.25

-0.020

-0.015

-0.010

-0.005

0.000

0.005

PIQ × UNEMPQ Spline k=6.00

一方、Hodrick-Prescott filter で四半期データを扱う際に良く用いられるスムーズ度(1600)

に対応するスムーズ度を使った場合のスプライン曲線による回帰では、第 3-3-8 図のよう

に k=2.00 としており、回帰式の傾きと y 切片の 2 つのパラメーターを推計する線形回帰と

ほぼ同じ回帰になる。第 3-3-8 図では、高失業率が物価水準の下落を大幅に加速させてい

るようには見えない。同じデータを用いても、第 3-3-7 図のような関係を読み取るべきか、

あるいは、第 3-3-8 図のような関係を読み取るべきか慎重な検討が必要である。

12 持家の帰属家賃及び生鮮食品を除く総合指数。消費税率引き上げの影響を除くため、消費者物価指数の対前年

同期比の系列のうち、1997 年Ⅰ~1998 年Ⅰからは 1.4%をそれぞれ差し引いた。

インフレ率(%)

完全失業率 (%)

0.5

0

-0.5

1.0

-1.5

-2.0

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第 3-3-8 図 インフレ率をスプライン曲線で完全失業率に回帰(スムーズ度 K=2)

3.00 3.25 3.50 3.75 4.00 4.25 4.50 4.75 5.00 5.25

-0.020

-0.015

-0.010

-0.005

0.000

0.005PIQ × UNEMPQ Spline k=2.00

第 4 節 結び

「摩擦的失業+構造的失業」を表すものとして、NAIRU、自然失業率、UV 曲線から求め

た均衡失業率の 3 者をあげることが多い。これらの 3 者の数値は、しばしば「摩擦的失業+

構造的失業」と同じ方向へ変化すると考えられるが、3 者が同じ数になることは、まずない

はずである。「摩擦的失業+構造的失業」という数字だけが 1 人歩きしないためにも、上記 3

者の長所、短所を意識しながら併用して、構造的失業の深刻さの判断材料にすることが必要

だと考える。

推計については、成果よりも課題の方が多い。特にカルマン・フィルターで NAIRU が尤

もらしい値に収束しない点を克服する必要がある。1970 年代のように、サプライ・ショック

が激しい時代にどのようなサプライ・ショックを使うべきなのか、労働市場で行われている

改革や構造変化をどのようにモデルに反映させるべきか、などが今後の課題である。

理論的には、NAIRU という概念の特徴を反映したモデルを作り、それを推計に活用するこ

とが望まれる。

インフレ率(%)

完全失業率 (%)

0.5

0

-0.5

1.0

-1.5

-2.0

+

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-96-

Appendix ニューケインジアン・フィリップス曲線(NKPC)

Mankiw(2001)を参考に、NKPC について紹介する。企業が確率的に価格改定の機会を得

る、Calvo(1983)モデルをもとにした NKPC を導出する。このモデルでは、毎期、ポワソ

ン過程で価格改訂の機会が訪れ、λの割合の企業が価格を改定する。

企業が所望する価格は、意思決定の時点で利潤を 大にする価格で、価格を全て対数で表

すと、利潤 大化価格 pt*は、一般物価水準 pt と自然失業率からの失業率の乖離に依存する。

失業率が低くなると利潤 大化価格 pt*が上昇する理由は、各企業は、独占的競争市場で価格

付けをしており、生産量を増やすためには右上がりの限界費用曲線に沿って限界費用が上が

るためである。

pt*=pt-α(Ut-U*) (A-1 式)

企業は、頻繁に価格を改定できないので、次回の価格改定機会までの利潤 大化価格の平

均を調整価格 xt として設定する。

xt=λ∑∞

=+−

0*)1(

jjtt

j pEλ (A-2 式)

価格改定の機会を得た企業が設定する価格 xt は利潤 大化価格 pt*の加重和になっている。

遠い将来の利潤 大化価格 pt*には軽いウェイトを置く理由は、それまでに別の価格改定機会

がある可能性が高いからである。λが大きいほど、ウェイトは急速に減衰していく。

一般物価水準 pt は、現在、各企業が設定している価格 x の平均になっている。ここでも、

λが大きいほど、遠い過去に設定された価格のウェイトがより小さくなっている。

pt=λ∑∞

=−−

0)1(

jjt

j xλ (A-3 式)

これらの式を解くと

πt=Etπt+1-[αλ2/(1-λ)](Ut-U*) (A-4 式)

となる。πt=pt-pt-1 でインフレ率である。

後の式を将来方向に展開していくと、t 期のインフレ率は、t 期から無限の将来までの失

業率ギャップの期待値になることがわかる。

ニューケインジアン・フィリップス曲線は、ミクロ的基礎を持ち、インフレ期待修正済み

のフィリップス曲線であることなど、魅力的な側面を持つが、実際のデータと矛盾するとい

う短所を持つ。

例えば、予期せぬ金融政策の変化は、少なくとも短期的には失業率に影響をあたえること

ができ、インフレ率に対し、やや遅れた、漸進的な影響をもたらすことについて幅広い合意

がある。しかし、NKPC では、価格付けがフォーワード・ルッキングなので、企業が予期せ

ぬ緊縮的な金融政策を経験すると、将来デフレが起こることを予想して、それを先取りして

現在の価格設定を引き下げる。この結果、緊縮的な金融政策は、直ちにデフレを起こしてし

まう。これは、「インフレ率に対し、やや遅れた、漸進的な影響をもたらす」という事実に全

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-97-

く反している。

同様に、信認されたディスインフレ政策がアナウンスされると、企業は将来のディスイン

フレを見越して現在の価格を低くする。すると実質現金残高が増加するため需要が増大し、

失業率が低下する。しかし、実際にはディスインフレ政策は不況を招きがちである。このよ

うに、NKPC は、現実のデータと反する特徴をいくつか持っている。

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