2012 13 america

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2012-13 America ~Exchange student~

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交換留学 交換留学の「交換」は、はお互いの国の文化や考え方の交流・交換を意味していると考えられています。

多様な文化や価値観に気づき、国際理解を深め、広い視野を持ち、自分自身や自分の国についても知ることができる。

-実際、私も日本にいたときには見えなかったもの考えたこともなかったことに気づきました。英語力だけでなく、自分自身大きく成長できたと感じています。

私のプログラムは「カルチュラルアンバサダープログラム」といって、「英語を学ぶ」だけでなく、「日本語・日本を伝える」アンバサダー(大使)としてアメリカに派遣されました。

-このプログラムで派遣される地域には必ず「日本語クラス」や「日本語クラブ」などがあり、それらに必ず参加して、積極的に日本文化を伝えます。

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留学試験中学3年生の6月に願書を提出。その年の7月に一次試験( SLEPテスト *、日本語・英語面接)

3月にやっと結果と二次試験(英語面接)の案内をもらう。

2週間後に合格通知書をもらい、夏の出発に向けて大急ぎで準備を始めた。

-SLEPテストの勉強は大変でした。日本の学校では絶対でないような形式の問題ばかりで戸惑いました。対策本を購入し、ボロボロになるまで勉強しました。ネイティブが使う独特の単語や、学校などの特有の単語もあり、このテスト勉強がなかったら知れなかった単語もたくさんあったと思います。-2次面接は「カルチュラルアンバサダー」を希望する人のみで、ネイティブの方が面接官でした。学校で対策してくれたおかげもあってなんとか乗り切ることができました。

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事前オリエンテーション 全国から留学予定者(約100人)が集まり、合宿型の3日間のオリエンテーションを行いました。

留学の心構えやルールを学び、日本に来ている留学生や交換留学を経験した先輩たちの経験談を通して留学の目的を再確認する機会となり、出発までに準備しておくべきことなどの指導されました。

「自力で合宿地のホテルまでたどり着くこと」などルールはとても厳しかったけれど、自分自身を成長させるいい機会になりました。

また、行く先は違うけれど、同じ目的、強い目標を持ったみんなに刺激され、出発までモチベーションを高く維持することができました。

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シアトル研修(現地研修) アメリカに到着して2週間、シアトルパシフィック大学で研修をしました。

英語の勉強をはじめ、留学生活についての心得やプレゼンテーションの練習、日本を代表する留学生としての責任と使命についての理解を深めました。

日本人30人、中国人10人、韓国人5人いて、ルームメイトは必ず外国籍の子(私は日本人なので、中国の子とルームシェアをしました)

-4つのクラスに分かれて9時半から3時まで授業形式で研修を受けました。クラスには高校3年生の子や中国の子もいて、みんな英語が上手で落ち込んだ時もありましたが、授業では積極的に発言して頑張りました。クラスの先生に個別で「あなたの英語は上手なんだから、もっとがんばれ」と言われた時はうれしかったです。学んだことは数えられないほど多く、留学生活にも生かされたことが多かったです。-この研修が始まった時にはすでに私が派遣される高校は新学期が始まっていて、終わるころには二週間の遅れがでてしまいましたが、この研修のおかげで英語も改善され、良いスタートをきることができました。

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ケンタッキー州 アメリカの中東部に位置する州で、夏は高温、冬は比較的寒く、乾燥する地域です。首都は Frankfort、大きな都市は Louisville、 Lexingtonで、私はその二つの都市の真ん中、 Georgetownに滞在していました。

ケンタッキー州の名物といえば「馬」「 Bourbon(ウィスキー)」といわれるくらい、かなり田舎でした。そこらじゅうに馬が放牧されていて、毎日牧場の中にいる気分でした。

日本と違って、交通手段は車。 Georgetownの電車は貨物列車くらいで、バスも見たことがありません。また、学校やダウンタウンまでは歩いていける距離ではなかったので、どこかに行きたいときはホストペアレンツにお願いして連れて行ってもらいました。

Georgetownにはアメリカで最初の大きなトヨタの工場があり、人口が増えたのはそれのおかげだそうです。また、名古屋の田原市と姉妹都市の関係を持っていて、学校の近くに「友好園」と言われる日本風の公園がありました。

ケンタッキー州出身の有名人はエイブラハム・リンカーンやジョージ・クルーニー、ジョニー・デップがいます。

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Scott County High School 約 2500 名の生徒が在籍している中規模の学校ですが、州の中で一番の在

籍数です。移動時間の廊下はいつも込み合っていて、まるで満員電車の中のよう、人をかき分けやっとのことで教室にたどり着くというようなことを毎日繰り返していました。

履修科目は現地のコーディネーターと学校のカウンセラーと相談して決めました。アメリカ史はビザの関係で必ず取らなければならない教科でした。

*4 時間目の間にクラスごとにわけられた時間でランチを食べます。私の場合は11:45~1:15でした。ランチの時間で友達と話すことはとても楽しかったです。

最初のスケジュール

二番目 最終

8:45~9:45 English English English9:50~10:45 Japanese  Ⅰ Japanese  Ⅰ Food&Nutrition10:50~11:45 Pre-Calculus Pre-Calculus Pre-Calculus11:50~1:45* U.S.History U.S.History U.S.History1:50~2:45 Japanese  Ⅰ Japanese  Ⅰ Japanese  Ⅰ

2:50~3:45 Japanese  Ⅲ Band-Concert Band-Concert

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授業時間割は毎日同じで、ホームルームは2か月に一回くらいのペースでした。

1st English Ⅳ-シニア(高校3年)の生徒のクラスだったので、すごく難しかったのですが、先生や友達の助けもあって、なんとか乗り越えました。文法の勉強やシェイクスピアなどを学びました。” College Essay(大学に提出する願書と一緒に提出するもの)”はすごく苦労しました。自分のことをいかにアピールするか、どう面白い (interesting)人間だとアピールするかが重要なのですが、ネガティブなこと、言葉はダメと言われ何回も直され書き直しました。でも、今となってはその苦労が Breakthrough(困難や障害を突破すること)に繋がったのかなとも思っています。

2nd Food and nutrition名前の通り「食べ物」と「栄養学」の授業です。最初は科学系の言葉や料理特有の単語に戸惑いましたが、調理実習を通して友達もでき、アメリカの食文化をきちんと学べて、よかったなって思っていました。

3rd Pre-Calculus “Calculus”は「計算法」や「微分積分法学」と訳され、関数等を学びました。日本の数学に比べて、難しくはなかったのですが、最初は英語力が足りなかったこともあって大変でした。アメリカでは” Algebra( 代数学)”” Geometry( 幾何学)”” Calculus( 微分積分学)“にわかれていて、 Calculusはその中では一番難しい教科でした。アメリカの計算機はグラフまで計算してくれるので、簡単に感じました。

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4th U.S. Historyアメリカ史です。アメリカ人視点から考えるアメリカ史は、おもしろかったです。最初は、たくさんある歴史用語に苦戦しましたが、単語帳などを作って覚えました。 Civil war( 南北戦争)の” D.B.Q( Document-based question)” には、とても苦労しました。ドキュメント(5枚くらい)を読んで、お題に沿ったエッセイを書くのですが、” I think”など、「そう思う」「そう考える」という言葉は使ってはいけなかったこともあって大変でした。それを乗り越えたあとの達成感は今でも忘れられません。

5th Japanese ⅠTA(Teaching Assistant)として、日本語クラスのお手伝いをしました。このクラスは一番下のクラスで、ひらがな・カタカナを覚えたり、日本文化について紹介したりしました。今年の生徒たちは優秀で歴代で一番早くひらがな・カタカナを覚えてくれました。他の TAの子は日本語クラス3~4年目のシニアの生徒で、たくさん助けてくれました。「日本の~のことについてどう思う?」と言われることが多く、今までそんなこと考えたこともなかったから、答えるのは大変だったけど、日本を違う視点から学びなおすことができ、とてもよかったです。

6th Band-Concert吹奏楽の授業のようなものです。また、このクラスを選択すると自動的に” Marching Band”も加入となりました。私は小学6年生の時に運動会の鼓笛隊のためにトランペットをやっていたので、トランペットをやりました。最初はひどい音だったけれど、先生やホストファミリーの支えもあって楽譜を渡されたら吹けるところまで上達しました。

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日本語クラスでのお手伝い ひらがな・カタカナをお手本としてホワイトボー

ドに書く。-もともと字は上手ではないほうだったのですが、綺麗に見えるように努力しました。知らない間にできた文字の癖(はね、はらいなど)があり、改めて日本語を学びました。

日本語の発音練習外国人の前で発音してみると、なぜか外国人のアクセントにつられてしまったりして大変だった時もありました。特に私が担当したクラスは「こんにちは」「ありがとう」など生活には必須の重要な言葉ばかりだったので責任重大でした。

宿題・課題・テストの丸つけ問題が英語でたまに理解しにくくなってる時があるので、その時は他の TAに助けてもらいました。宿題が多いので毎回すごい量がありました。

日本文化のプレゼンテーション自己紹介や伝統行事(月見や大晦日、お正月)などを紹介しました。日本特有のニュアンスを英語で伝えるのは大変でした。ネイティブの前でのプレゼンテーションはとてもとても緊張しました。

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Band Class/Marching Band 10月いっぱいまで、毎週木曜日の6時~8時はMarchingを練習しました。

-みんなパーフェクトに覚えているので、遅れて入った私はとても苦労しました。でも、これのおかげでたくさん友達ができたのでいい思い出になりました。 11月前半までのほぼ毎週金曜日の6時からは Footballの試合の応援に行きました。

-アメフトにはまったく興味がなかったのですが、友達にルールや掛け声を教えてもらったりして楽しむことができました。10月に入ると気温が一気に下がって、とても寒かったです。 FootballのHalfTimeでは、Marchingのパフォーマンスをしました。 偶数月の最初の日曜日には学校でバンドのコンサートがありました。- コンサートは無料で、学校の講堂で行われます。いつもはふざけてばかりのみんなもコンサートに向けて猛練習していました。 12月1日にはダウンタウンでクリスマスパレードをしました。“Rudolph”と” Holly Jolly Christmas”をメドレーにして演奏しながら行進しました。

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ホストファミリー 私は二つのホストファミリーにお世話になりました。 一つ目のファミリーは、トヨタ工場に勤めるファザー、キッチン用品専門の会社に勤めるマザーと、高3、中3、小4のブラザー3人で、とてもにぎやかな家庭でした。

Thanksgivingや Christmasになると親戚全員が集まって一緒に食事をしました。 私の英語が不十分でヨーロッパからの留学生にバカにされて落ち込んだ時や、トラン

ペットが思うようにできなくて辛かった時、いつも支えてくれたのはこのホストファミリーでした。

また、ホストチェンジを通して、アメリカの家庭の違いを実感しました。 二つ目のホストファミリーは、車の部品工場に勤めるファザーと、私と同じ学校に通うシスターと、大学生のブラザー、あとグランマ(おばあちゃん)で暮らしてました。

政治の考え方も家庭それぞれ。最初のファミリーはオバマ大統領出身のDemocratic(民主党)支持、二つ目のファミリーはロムニー候補出身の Republican(共和党)支持。大統領選挙があったこともあって、意見はまっぷたつ。そんなこともアメリカの多様さを感じました。

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日本とアメリカの違い 授業の様子- ほとんどのクラスでは、授業中にお菓子や朝食、昼食を食べてもよかったり、携帯もOKだったり、またノートをとるというような授業はほとんどなかったです。結構自由そうに見えますが、罰はとても厳しく、授業中問題発言をしたり、あまりにもうるさい場合は” detention(居残り )”または” Go to the Principal room(校長室へ行きなさい)”のほぼ二択。アメリカは自由の国というイメージがあるけれど、それは「自分の責任があってからこその自由」なんだということを感じました。

HUG-「ハグ」の文化の違いは、知っていても、最初は戸惑いました。慣れてくれば、全然大丈夫なのですが…。

日本人は… SHY?-日本人はアメリカ人にくらべて SHY(恥ずかしがり屋)だと思います。でも、どこの国の人よりも「空気を読める」から、相手に伝わっているだろうと思うことも、意外に伝わらないということがあります。特に「感謝の気持ち」は、口にするだけでなく、行動しなければ絶対に伝わりません。

食事-アメリカで食べたものは正直、おいしいとは言えないと思います…。アメリカ人にとって食事は「すばやく」「簡単」で「栄養がとれるもの(体力的に)」が大事。 FastFoodは普通だったし、手料理も、油っこいもの、濃い味が好まれていました。

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言葉の壁と BreakThrough Kentucky 州についてからの一か月半はとても苦しかった。

- ヨーロッパからの留学生に英語力での差を見せつけられ、南部アクセントも若干あったこともあって、落ち込みました。なんて言ってるかがやっとわかっても、どう返したらいいかわからない…。でも、ここで黙り込んでいたらダメだ!と思って、開き直ってとにかく喋ってみることにしました。文法とか単語の使い方とか、今考えればめちゃくちゃだったと思うけど、些細なことで笑いあったり、分からない単語や教えてもらうのは楽しかった。 言葉の壁は「積極的に話すこと」と「単語ノートをコツコツ作ること」でだんだんと壊していくことができました。単語ノートは、日記のように毎日毎日書いていました。

BreakThroughは「困難を乗り越える」という意味です。私の場合は英語の BreakThroughでした。私は文法が大の苦手でした。でも、日本から持ってきた問題集でもう一度やり直すことで、会話が前よりもゆっくり聞こえるようになりました。

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まとめ 今思うことは「本当に留学に行って良かった」という気持ちです。-まったく知らない環境の中で、全く知らない人に出会い、そこで生活することは大変なことでした。でも、環境に適応していく中で新しいことを発見し、いろいろなことを学びました。この留学があったかなかったかで自分はずいぶん変わっていたと思います。それくらい価値のあるものになりました。 一番大きく変わったのは「自分自身」-留学前は親に甘えて頼ってばかりだった。でも留学して、親のありがたさを何度も実感したし、自分って思ってたよりも愛されていたんだなと気づかされました。また苦しい環境を乗り越えたことで前よりも精神的に強くなったような気がします。

感謝の気持ち-この留学を実現できたのは、自分をサポートしてくれたたくさんの人のおかげです。家族や友達、先生方に留学団体のスタッフさん、また現地のサポーターさんたちの皆様、ありがとうございました。留学して磨いた英語力、精神力、そして文化の違いから学んださまざまなことを生かし、夢に向かって頑張ります。