さくらのレンタルサーバ0a2b3c.sakura.ne.jp/rh11.pdfcreated date 7/13/2016 11:19:06 am

10
( 1.) EB?!4 A+7 E 1 E 1 1973年 7月 1日 共産主義者 向■ 11号 100円発行人 1発 盟 (RG) 野村 "gl llけ スタ ー リン主義打倒、反スタマル クス主義止揚、革命的 マル クス・ レー ニ ン 主義復権の旗を更に高 く 揚げ、国際非合法党を建設せよ/ 〒 峰火 派の 組織 関する 根本思想 批判― .. ¨ ¨ ¨ れる ¨ 総ヵゝ 西 西 西 西 ¨ 西 西 西 西 西 西 ι ¨ 西 ‐こ ‐‐ ―剖牌 ~」

Upload: others

Post on 31-Jan-2021

3 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

  • ( 1.) EB?!4 A+7 E 1 E

    1 1973年 7月 1日

    共 産 主 義 者 向■

    第11号 100円 発行人

    1発 行

    盟 (RG)

    野村 忠

    "gl llけ

    スターリン主義打倒、反スタマル

    クス主義止揚、革命的マルクス・

    レーニン主義復権の旗を更に高く

    揚げ、国際非合法党を建設せよ/

    〒 峰 火 一 派 の組 織 に関 す る根 本 思 想 の批 判 ―

    一一.、.「一)..

    悌一二章

     蜂

    火 一 派

    の組構

    t      一一一̈¨̈癬一っ一一

    一れる一師「剛一一一̈いい総ヵゝぃ』師け嗜)無″哺態.

    関する根本思想

     (I) 

     

     

    一一一”輔一緯碑譜諭増一率一漱”摯資まった形“公表して蒼

    一派のメンバーではなか

    ったのだ

    は見解を述べておく必要がある。

    党中央直轄正規軍=RCの結成

    過程は、同時に党内間争、分派凹

    争の過程でもあ

    った。

    東京

    においては、われわれは、

    赤軍派との分派闘争と同時

    に、軍

    事反対派であ

    った情況、叛凛派更

    に、赤衛軍論者であ

    った南部地区

    委員会

    (コ一の蜂起派。

    彼らは九

    回大会の組織過程にお

    いて正規軍

    に成長した)と

    の党内閣争をB

    L派

    (書記局を掌握、東京の正規

    軍派)と同盟して闘い、九回大会

    に於ける中央軍事委員会、RCの

    結成を準備したのであり、 〓4

    関西では、赤軍派との分派闘争と

    同時に

    「北摂、西

    フクシ

    ョン」

    (当初このフラク

    ションは、RC

    建設

    に反対し地区に於る

    ″プ

    ロレ

    タリ

    ア階級軍薗

    ″の建設を主張し

    たのであるが、九回大会

    (六九年

    八月)の前にはRC建設に賛成し

    た)との党内闘争に於ける

    「在阪

    静墾

    峯愕

    を中心とする)の勝利によ

    つてR

    C建設は進められたのであ

    る。

    RCは、経火

    一派が言う様に

    関西地方委員会独自」の

    「軍」で

    はない。

    九回大会の決定

    に従

    って、中央

    事委員会の下に、三隊のRC建

    設が開始された。

    一隊は、東京駐屯の学生出身の

    部隊

    (この部隊はBL派の影IP

    最も強く受けていた)。

    二隊は東

    京駐屯の労働者出身の部隊

    (この

    部隊は、南部地

    区委員会の影響が

    最も強か

    った)。三隊は、関西駐

    電の労学出身の潟成部隊

    (この部

    隊は、在阪中央委員グ

    ループの影

    一い一一

    一[一一一一一一¨一一一

    の党

    内闘争

    に参加しており、九回

    大会

    にも出席しているのだから、

    これらの事案を知

    らな

    いはずはな

    い。にもかかわらず、この党内閣

    争や九回大会、そして、東京駐屯

    二つの部隊

    について述べないの

    は、七二年秋の脱走以降、彼らの

    思想が、地方主義に毒されてしま

    なされた事実を思

    い出し

    たくないのであろう。

    爆火

    一派のな図は、自分達が関

    西出身である事をいいことに、又

    脱走後東京から関西に逃げ帰

    った

    自分のはずかしさをおお

    いかくす

    おに、RC建設の歴史的事実を奎

    由し、あたかも

    「関西地方委員会

    」が

    「独自」に建設したかの如く

    見せかけ、翼に、事実を知らない

    人達に対し、あたかも、当時、蜂

    一派の政治局員が中心にな

    って

    「党内関争の過程でそれまでの

    街頭武装閣争の

    一線

    をにな

    った学

    生活動家の大半を失

    ったわれわれ

    の軍建設は、地区の労働者の中か

    ら党直格の車隊

    (RC)を創出す

    る事から始められた

    。」 

     

     

     

    「また、地区党

    にと

    っては、R

    Cの隊員を輩出する過程は、地区

    党及びその全同盟員が党指導部と

    の関係をその組織的関係において

    も軍事的な質においても、予定さ

    るRCと同質のものに変革する

    過程であ

    った。

    「政治過程論的党

    組織―手段としての党―の上場」

    とはまさしくこの様な条件と赤軍

    の無政府主義的党内聞争に対す

    る批判から生み出されたものであ

    った」

    (同、蜂火

    二六八

    ・九号)

    当時

    (一九六九年九月)の関西

    おける部隊の建設が述

    べられて

    いるのであるが、ここでも事実は

    一面的にしかとらえられていな

    一部はの舞設の過程で、われわれ

    rCへの組織0為には、

    「北救、

    西地区フラクション」的傾向tの

    党内闘争が不可欠でぁったことを

    鶴薇してはならない。

    「北摂、西地区フラクション」

    ιりわせ、北摂地区委惧会は、党

    内闘争の初期

    (六九年六月)にす

    でに意見審

    (「同盟0当面する任

    務=いかにして党を建設するか」

    一)饉却れ

    一ぃ

    一け

    様・述^でい一

    「一般的に寧団建設

    に賛成か反

    対か、とか、秋の翻時革命政俯壼

    言に与するかしないか、とかだけ

    ¨次

    設(I)

    その

    「関西地方委員会

    独自」の

    軍」を指導したかの様

    に言

    いふら

    し、自分達の政治的権威を維持す

    るために歴史

    の偽造を行

    って

    いる

    のである。

    事実は、現在の蜂火

    一派の政治

    局員中誰れ

    一人として、第

    一次R

    C指導を直接担

    った者はいない。

    彼らは、当時の地区委員、地方

    委員の眼から第

    二次

    RCを総活し

    反動的評論を行な

    って

    いるにすき一

    いのである。

    縮するのではなくて、あまりに

    簡単

    に互解の危機

    に突入してしま

    ったわが同盟の組織的欠陥はどこ

    にあ

    ったのか、この危機をとの様

    に見服し、更

    に強固な党を建設す

    のか、を全生命

    をかけて討議し

    なけれはならない。

    これのみが、唯

    一、正し

    い解決

    の道を拓くものとわれわれは確信

    する」

    (同意見書P

    ,)と

    いう様

    に、党内闘争に対する工し

    い組織

    的態度を出発点にしながら、思想

    には藤本進治の

    「革命の哲学」

    政治的には、各地区マッセシスト

    から武装蜂起、組織的には、集中

    央直轄軍団反対、地区プロレタリ

    ア階級軍団を主張した。

    これらの主張は地区党における

    当時の階級的労働運動と北摂地区

    党における

    「地区軍団」の建設を

    実践的背景にしたものであった。

    だが、実際には、わが党が、全

    国的な政治情勢に対処するために

    は、革命戦争の開始を準備するた

    めの党の改組

    (党中央直轄軍団の

    建設を中心とする)が不可欠であ

    ったのである。

    北鎮

    フラク

    ションは、党

    内聞争

    に対して、エルい組漱詢潤携点に

    立ちながら、地区党の立場にとと

    まつ、地区主薔、肛方二〓

    とい

    た組織上の分権主義を克服する事

    が出来ず、その点から、

    「党中央

    直轄の軍団」

    (RC)を地区軍団

    結 の ‐こ と醐

    一一

    お こ 治 ‐‐の機

    一輪

    ・・

    の目的にしてしまい。そこから、

    概要ヽ次の様な党の改組の提案を

    するに至りヽそ0フテクシ〓ンの

    成算は明確になったのである。

    ―剖 牌口日~」

    ゴ ♪

    」■・●■■一一

  • 11, 赤 ′ 報 昭 和 48年 7月 1日 (2)一開し、最終的には地区ツグ

    ェト権

    一カ樹立

    へ向けての武装蜂起を準備

    一すること」

    (北摂地区委意見書)

    一 

    このフラクシ

    ョンは、組織上で

    一は、レー

    ニンの

    「なにをなすべき

    一か」や

    「一同志に与える手紙」に

    その根本思想を求めようとした。

    だが、それは、結局のところ、

    スターリン経営細胞論

    に立脚した

    【地区党」

    (レー

    ニンのポリ

    ィキ党

    には地区党=地区委員会

    はない)の立場から

    レー

    ニン主義

    を語ることを意味したのである。

    この主張は従来の大衆的実力関争

    を指導してきた党を^武装蜂趙を

    織する党

    へ転換すると

    いう点で

    は前進であ

    ったにもかかわらず、

    他方で、地区党

    の限から全党の改

    組を構想するといぅ地区主義の理

    論的根拠

    にレー

    ニンの文献を利用

    した結果、地区党

    に党の実践的指

    の全権を要求するという誤りに

    陥り、そ

    の結果、党

    中央の役割を

    全党

    0案鷹約指導t切り離

    した思

    想的指導

    一面化することによ

    て、当時要求されていた党中央直

    轄軍の建饉を軸とした党の革命、

    とりわけ党中央の革命

    に対する自

    らの無能、その政治姿勢の技算を

    証明したのである。       ・

    地区軍団は党中央直輸の正規軍

    と結合してのみ正しく位置ずけら

    れる。特

    に閲西にお

    いては、党中

    央直轄の正規軍建設を主張する点

    で、当時

    の在阪中央委グループど

    「在阪中央委員グループ」は綱

    領上では

    「田原プ

    ロレタリア独裁

    論」、戦術上では中央描力闘争、

    マッセンスト、恒常的武装闘争、

    組織上では、党

    中央直轄の正規軍

    建設を軸とした事事を組織する党

    への改組をかかけ、

    更に7

    ●6事

    件以降の分派闘争に関して、

    「党

    は組織である」

    「各分派の党内闘

    への態度は意識しようが、しま

    いが、実は各分派の党建設の略線

    のあらわれである」

    (六九年八月

    火花

    10)と

    いう態度をと

    ったの

    である。

    そして、それらの点から、

    「在

    阪中央委員グループ」は、十

    一月

    前段階蜂起、臨時革命政府樹立、

    蜂起軍建設、ドブ

    レ組織論

    (ゲリ

    ラから軍

    へ)、紅衛兵型党内関争

    を批判したのである。

    赤軍派が、蜂起、臨時革命政府

    を主張しなければ、革命軍の菫設

    は出来ないという見解をと

    ったの

    に対」

    て、在阪中央委グループは

    蜂起、臨時革命政府樹立は日程に

    っていな

    いという態度をとりつ

    つ、同時に党中央直轄の正規軍建

    設を主張した。すなわち、当時の

    階級闘争を

    「平時からのツプィエ

    ト」が建設されている状態、

    「あ

    る種の戦争状態」であると分析し

    って

    「平時からの軍隊」の存在

    条件はあるが、それが

    「恒常的武

    装」とな0ためには、党中央直轄

    正規軍を軸に改組され織領によ

    て意志統

    一された党、革命された

    党が必要であるという態度をと

    た。

    パ注)北摂、西フラクションは

    当時、在阪中央委が赤軍派の

    臨時革命政府樹立」のス

    ローガ

    ンと軍建機の主張とを

    「恣意的

    に分離」して

    いるとして批判し

    たが、このことは彼等もある意

    味で赤軍派と同じ土後の中にい

    たことを示している。すなわち

    蜂起、臨時革命政府樹立が問題

    にならなけれは、党中央直籍の

    正規軍は問題にならないとする

    考え方であり、彼等はこの考え

    方の上に立ち

    っっ、赤軍派とは

    逆に情勢は蜂起、臨時革命政府

    を日程

    に上げていないから党中

    央直轄正規軍は問題にならない

    と主張したのである。

    在阪中央委グ

    ループは、この様

    な党中央直轄正規軍に関する主張

    の上に立

    って、地区軍国建設をも

    党中央直轄正規軍と政治的軍事的

    に結合し、地区党の組織改組の漁

    になるものとして位置すけたので

    ある。

    (更に樹立す

    べきプ

    ロレタ

    リア独裁権力を、世界プ

    ロレタリ

    ア独裁

    に向けた世界革命戦争の機

    関であるとすることによ

    って、世

    界党l世界赤軍をめざすものとし

    て、党―軍を位置すけた。この位

    置すけは当時の国際情勢を世界革

    命戦争として把握することと結び

    ついていた。)

    さて、九回大会から開始された

    RC建設は、関西において、たし

    かに

    「地区党にと

    っては、RCの

    隊員を輩出する過程は、地区党、

    及びその全同盟員が党指導部

    との

    関係をその組織的関係

    においても

    予定されるRCと同質のものに変

    革する過程であ

    った。」

    (「痒火

    二六八

    ・九号)

    だが、問題はこの過程が地方委

    員会及び地区党内部における赤軍

    派的傾向の残

    シとの、またとりわ

    け北摂

    ・西フラクシ

    ョン的傾向と

    の新たな党内綸争の過程であ

    った

    ことなのである。

    北摂、西フラクシ

    ョン的傾向は

    党中央直轄正規軍建設に対して、

    なお消極的であり、地区軍国

    に地

    区党の力を集中していたのであり

    関西における第

    一次RC特に第

    期生の摯出は、在賦中央委員グ

    ープの影響下にあ

    った地区党の闘

    いによ

    って実現したのである。

    当初、第二期生の中

    に特

    に多く

    の政治上の問題を後に生み出した

    原因の

    一つには、六九年10

    ・2‐、

    H月間争という緊急な視実的要籠

    の前に澪朧し、中央軍事委員会、

    関西地方委員会が、赤軍派的傾向

    及び北餞、西

    フラタション的傾向

    の残津との関争を充分組織せず、

    その結果、共産主義突撃隊的性格

    をRCに刻印したことにあ

    ったと

    言わなけれはならない。

    北摂地区委員会は、

    その後、六

    九年冬から七〇年春、全党的な憶

    常武的装闘争の中で、革命の実物

    教育によ

    って、RCに対する積極

    的評価をするに至

    った。

    蜂火

    一派が、当時の在阪中央委

    員グループと北綴、西フラク

    ショ

    ンとの党内閣争に触れようとしな

    ¨]轍¨鰤暉¨]“棚い『け』い

    を思い起したくないからであり、

    更に、この巌火

    二六八、九合併号

    を書いた人は当時、在阪中央委員

    ループに所属していた人である

    が、この人が易在では、結局のと

    ころ、〈木沢

    一派として堕落し、

    っての北摂、西フラタ

    ョン的

    傾向に属服している事を隠蔽する

    ためである。

    RC建設

    に全く消極的な今日の

    爆火

    一派の政治局は、当時の在阪

    「われわれの軍隊

    (RC)は当

    「世界赤軍」として位置付けら

    れた。これは当時のわれわれの国

    際主義の到逮点、

    「三プ

    ロック階

    級関争を世界革命戦争―世界プ

    へ」に表づけられたものであり

    民族国家の障量を打破

    って共産主

    への最初の到達点たる単

    一共和

    制としての世界プ

    ロ独に到達する

    には、それを指導しうる党を、そ

    の物質力としての

    (意識の上でも

    実線の上でも)国境を越えた党の

    軍隊が重要であることに事つけら

    れていた。

    しかし、われわれの国際的党派

    性を即、組織実態として表現する

    ことは、明らかに誤まりであ

    った

    ‥……

    (中略)‥‥‥

    われわれは今日

    「世界赤軍の即

    時建設■にこめられた世界同時革

    命―世界プ

    ロ独

    に関するわれわれ

    の主張を、わが同盟の綱領上の間

    題としてあるいは

    (軍事組織を合

    む)党

    総体の「々の実践上の世界

    性の問題として把握し直されはな

    らない」

    (降火

    一̈一六八、九合併号

    ●火

    〓ふもここでは、なかなか

    巧妙け国際主義者ぶ

    っているので

    あるが、彼らの本質はやはつ暴

    されている。

    「しかしわれわれの国際的党派

    を即、組織実態として表現する

    ことは明らかに誤りであ

    った」。

    これである。

    彼らは

    「国際的党派性」がなに

    よ嘴も

    「組織実態として表現」さ

    れなけれはならないことを否定し

    た結果、

    「わが同盟の編領上の間

    として、あるいは党総体

    の日々

    の実践上の世界性として相

    遅し直

    さねばならない。」と自分でも何

    の事を言

    っているのかよくわ力、ら

    ない混乱に陥

    っているのである。

    ⑥ 「RG=世界赤軍」論

    0清算が意味するもの

    中央委員グループの水準

    (四原プ

    ロレタリア独裁論、中権

    マッセン

    スト、慎常的武装闘争、RC建設

    )以下に後退してしま

    っているの

    みならず、武装蜂起をましめに案

    際に準備し、地区軍団

    を建設して

    いた当時の北摂意見書の水準以下

    になり下が

    っているこれの姿を、

    当時の資料を読みかえして恥じる

    べきである。

    一¨

    一蜀

    一れ

    一一錆

    一あり、

    「日本革命」のみが日本の

    共産主義者

    にと

    って現実的任務て

    あるという

    ことであるらしい。

    実際、連合赤軍の銃撃戦と粛清

    その党的載産にときもを抜かれた

    赤軍派内諸分派、蜂火

    一派、

    レー

    ニン研等は、

    「国際主義と組

    織さ

    れた暴力」の旗を公然とかかけた

    あの同盟七回大会路線が自分達の

    出発点であることをす

    っかり忘れ

    去り、日本革命派―

    一口主義者に

    転向してしま

    っている一 

     

     

    塩見、佐

    野茂樹両氏に対する批

    判は別の機会にゆするとして、永

    井、八木沢両君は、 一度七回大会

    決定集と八

    ・三論文を読み返し、

    分の後退ぶりをしみしみ噛

    みし

    めてみると

    いい。

    ァメリヵSDS、プラ

    ックパン

    サー党

    、ドイ

    ツSO

    S、Z

    フンス

    ,CR等帝国主義国革命派を

    一同

    に結果して開かれた国際集会を背

    にして提起された、八

    ・三論文

    の思想

    (世界同時革命、世界党、

    世界赤軍、世界反帝統

    一戦線)を

    われわれは断固として継承して来

    たし

    ‐2

    ・‐8略線として発展させて

    来た

    (共産主義14号を参照)。

    いずれにせよ、ここで確認して

    おく

    べきなのは、

    一時代を画した

    ・三論文の思想を同盟が提超し

    ‐えたのは、七回大会路線

    にもとつ

    いてSDS、BPP、SDS、

    Rとの

    「われわれの国際的党派

    を即、組織実体として表現」し

    ようとした事の成果であ

    った事。

    峰火

    一派の様な立場をとるなら、 一

    七回大会略線や八

    ・三論文の全面

    的杏定は不可避である事である。

    ・三論文や国際集会の主要な

    問題点は、われわれの

    「党派性」

    「組織実体」として

    「表裏」し

    ようとした点にあるのではなくて

    「党派性」の

    思想的な内容が、ス

    ターリン主義を打倒し、反

    スタ

    ルクス主餞を解体し、革命的

    マル

    クスレ■

    ニン主義の復権に十分成

    功しなか

    った点に、すなわち、世

    界党1世界赤軍と

    いう以上、当然

    にも第ニィンターナショナ

    ルの総

    括から行わなけれはならなか

    った

    にもかかわらず

    「過渡期世界論」

    を主張した点にあ

    つたのであり、

    ,てヽ仮借ない国際的党派関争

    及び後者の世界武姜プ

    ロレタリア

    に対する在阪中央曇グループの

    党派性を表現して

    いたのであり、

    RC建設は、その様な見地に立

    てはじめて指導する事が出来たの

    である。

    日の爆火

    一派の様に

    「日本革

    の戦略」が最も重要だ、などと、

    っていたらRC建置を始める事

    は出来なか

    ったにちがいない。日

    本革命

    のワク内で問題を実際上立

    てていた情況、叛旗は

    「地区戦関

    団」を、北薇、西

    フラクションは

    「地区プ

    ロレタリア階級軍団」を

    かかけ、当時RCの建設

    に反対し

    ていたのである。

    地区党からの

    「RC隊員の輩出

    」の過程は、地区党に所属してい

    るが、同時

    に工場で賃金奴隷とし

    て生計をいとなんでいる労働者革

    命家にと

    って職業革命家になるこ

    とが要求された過程だ

    ったのであ

    って、彼

    は地区党の所属を離れ、

    党中央直轄

    の所属メンパーとなり

    地区主義、経営主義、地区軍国主

    義的傾向、南部地区委員会の赤衛

    軍論、首都の学生出身部隊

    (BL

    派系

    、後の日向派系)の学闘主義

    更に赤軍派ORC大衆^募制等と

    の関争が不可連であ

    ったし、綱領

    上では、地区主義、地方主餞、経

    営主義と結ひついた

    一国主義との

    関争が不可欠であ

    った。

    職業革命家としての党中央直轄

    正規軍が、自分の義務を築そうと

    真剣に考えたとき、闘争の目的手

    「その過程で、われわれはRC

    の存立にか

    かわる

    二つの問題に遭

    通した。その第

    一は党内闘争の発

    生であり、第

    二は、従前とは明ら

    かに異質な権力の攻撃であ

    った。

    一月閾争

    (注、六九年十

    一月

    )における敵前逃亡

    (文字通りの

    ′)とRCからの脱落者によ

    って

    構成された日向フラクとの党内―

    党派聞争の過程はこれまでも幾度

    持ち得

    ,その結果

    一方では準備さ

    れていた共産主義者の国際的協議

    会を国際党派関争の場として活用

    する0が出来す他方では、在外支

    部を‐独自に建設する方向を打ち出

    す事が百来なかった点にあったの

    である¨ 

    ・  

    確かに、我々は六九年当時、R

    Cを

    「世界赤軍の中核」と位置づ

    けた。´

    「世界革命戦争が、世間同時革

    命の具体的形態である以上、これ

    を満う世界赤軍は共産主義単

    一党

    の下にのみ形成される。そして、 一

    世界革命戦争の現代的道すしが、

    「帝国主義戦争を江乱へ」と

    「飛

    び火」ではなく

    「前段階決戦」で

    あると上、世界赤軍の形成は既に

    ■時点‐一らなされれはならない」

    (九回大会決定、大九年八月)

    爆火〓派―ま,、大切なことは日本

    革命の戦略問題だと開き直0こと

    によって、結局

    「RC=世界赤軍

    」論が有する実践的憲義を清算し

    てしまっているが、それは、彼ら

    が、七

    一年秋脱走後、

    ,Cを党の

    補完′にしてル■にいその結果、

    実際上RCを解体してしまってい

    るコ実のなせるわざなのである。

    。 共雌肇靡オ興諄障罐摯一に製勢

    を組織するに

    鼈鱒

    】0

    一次RGは単なる戦士

    戦闘団であったのか?

    段、方法についてあいまいさを残

    さず、原則を要求する事は当然で

    あった。           

    ・ 

    共産主義、世界社会主義、世界

    ロレタリア独裁―世界革命戦争

    世界党―世界赤軍―世界反帝統

    戦線は1階級関争に対する九回大

    会略線の原則を表わしていたので

    ありこれに対して、日本革命を主

    張するフラクションは、RC建設

    反対をとなえていたのであ

    って、

    ここでも、政治間理は組織問題と

    不可分のものであ

    ったのである。

    この

    「原則」は、の年10■■月

    閾争の後に岡田論文において、建

    軍の目的、任務、性格、建軍の思

    想として継承され、その後の12

    ‐8略線

    への

    一塁塚となるのである

    今日、われわれ、共産主義者向

    (RC)は12

    ・“略線つ確立の

    上に、そ

    「原則」を、第

    一イン

    ター

    一般規約前文

    ・七

    a↓すなわ

    ち、階級関争に対する

    マルクス主

    義の原則に基

    いて、国際見派闘争

    の理論的基準

    として継承発展させ

    ていると同時

    に、国際非合法党建

    設、すなわち、

    「組織実体」とし

    「表現」

    (爆火〓六八、九号)

    しようとしているのである。

    これこそが、共産主義の旗を掲

    け、プ

    ロレタリア階級を導

    いてい

    く唯

    一の道である。 

     

     

     

     

     

    爆火

    一派はせいぜい民族共産党

    ―合法党でも作るがよい。

    確かにイデオ

    ロギー的原則から

    組織原則が導かれる。

    だがヽ組織原則が鋏ま

    つていた

    なら、そのままでは決して、

    マル

    ス主義の原則に立つ事は出来な

    い事も確かなことであ^。

    織火

    一派の第

    一次

    RC

    「総活」を

    続けて聞

    くとしよう。

    明らかにされてきているので、こ

    こではふれない。

    ただ非公然の軍事組織にと

    って

    党の分製

    がどれほど致命的である

    かは自明であろう。なせなら、非

    公然の諸任務は多くはその構成員

    の永続的な団結を前提

    にして初め

    て違行可能なものだから。

    同時に党の基本組織から切

    ,離

    された戦士の集団が党派関争に対

    ポーナスカンパの要請

    “年10

    ・8閥争以降の階級闘 争派への敵対者として反革命ヘ

    争が革命戦争としての発展へ進 の道を進んでいる。

    んだことに対して、帝国主義者  頂

    o八派1反自共系諸派の反

    は本能的に、革命戦争派との対 スタ

    ・マルクス主義を理論的襲

    決が不可避であることを察知し 礎とする急進民主主義路線の破

    て、政治警察を軸として、革命 産と、その分解と動稲、革命戦

    戦争派とその下に結集しつつあ 争派内部の

    一部の諸君の純粋民

    る革命的プロレタリアートに対 主主義的傾向への転落。

    して、組織壊減

    (公安三諄―極  ・てれ故、革命戦争派に対する

    た暴力取締総本部)―革命戦争 スターリン主義と反スタマルク

    攻撃体制構築

    (警察機動隊

    ・特 ス主義の影導と聞い、革命的プ

    殊部隊)―反動層の形成と動員 ロレタリァートが秘密活動に習

    (市民警察)という反革命攻撃 熱し、非合法党と結合し、革命

    を進めていること。これが最近 戦争の道に歩むことを援助し、

    の政治警察の革命戦争派に対す また我が同盟が韓になって進め

    ″不隠な動きをみせているが なけれはならないこと。

    小康漱態“という評価の真の意  革命的マルクス・レーニン主

    味である。           議の鐘原則の復権の下に国際非

    また、スターリン主義者=日 合法建設とそれによって担われ

    共は、破防法指定団体取消要求 る革命戦争によってこそ、唯

    「ディクタツーラ」改訳問題に ″年以降の日本階級闘争の革命

    端的に表わさる如く、

    マルクス 的伝統を継承発展させることが

    ・レーニン主義から背教し、社 できるし、またそうしなければ

    会帝日主義とし

    ,0

    一層の純化 ならない。

    の道を歩み、革命戦争派への敵  全国の同志、支持者諸氏へ。

    対者として立場を固定している ボーナスカンパを党中央へ送り

    他方、革マル派は組合主義者と 届けられんことを要請する。

    して純化し、日共と並ぶ革命戦

     ́       共産主義者同盟

    (RG)

    して著しく無力である事ははかり

    知れよう。  

     

     

     

     

     

     

    ¨

    「党

    の軍隊」から

    「党員の軍隊

    へ、更

    「政治軍隊」

    へと前進

    したRCの位置づけはこの様な状

    況を背景にしたものであ

    った。」

    (盗火

    二六Λ

    ・九合併号、政治局

    論文)

    以上が、RC=政治軍隊につい

    ての歴史的経移に関する峰火

    一派

    の総括のすべてである。

    「永統的な国結」とは、 一体何

    を指しているのか明らかにされて

    いないが、われわれは

    一般に党及

    び軍事組織の国結の基準を綱領と

    規約

    に置いているのだから、そう

    いう意味から箇えば、党

    の公然組

    織のメンパーも、又、

    「永続的な

    国結

    を前提にしてはじめて」任務

    を遂行出来るという点では、軍事

    組織と何らかわるものではな

    い。

    だから、我々は

    「党の分製

    」と

    軍事組織について問題にする場合

    なによりも、軍事組織に対する党

    の思想的、政治的、組織的指導の

    内実を間題にすべきなのである。

    必要な分裂なら、分製を革命的

    に押し進める事は全く正しいので

    あり、軍事組織においても、その

    場合分裂は断固実行される

    べきで

    ある。

    にもかかわらず、ここで爆火

    派の政治局員が

    「党の分裂がどれ

    ほど致命的であるかは自明のこと

    であろう」と

    一見軍事組織の指導

    について熟達しているかの様なロ

    ふりをしているのは、彼自身、軍

    事組織とは、

    「戦闘をほとんど唯

    一の活動とする軍隊」

    (痒火

    二六

    ・九合併号)といぅ様な固定観

    を持

    っており、この誤

    った前提

    から、党

    の分製は、その軍事組織

    にと

    って

    「致命的」であるという

    結論に達しているにすきないので

    ある。            一

    一赫

    一「

    【“〓蒔〓裁【¨い』お

    かかけ革命戦争を国ぅている軍

  • (3)昭 和 48年 7′51日 報赤 第 1 1サ

    一I〓

    一卜一鉾準

    隊である限り

    「戦間をはとんど帷

    一の活動とする軍隊」などは存在

    しないし、又実際存在しえない事

    は自明の事だ。

    峰火

    一派の言う軍隊はブ

    ルジ

    ア軍隊以下的な代物なのである。

    党の分製はある歴史的条件の下

    では不可避なのであるから、役の

    様に問題をたてるなら軍事組織建

    設は不可能であるという結論

    に達

    するか、又は党の分製

    に左右され

    ない

    (,)軍事組織の建設

    (これ

    はいわば私兵とでも言う

    べき組織

    でしかないが、彼らの非公然軍事

    諸機関とはいわ

    はそういうもので

    あろう。

    )という実践的結論に達

    するしか他はない。そして、現実

    には両者は度々植

    〓補完関係

    にな

    る。実

    際、彼らは腸走したRCを

    方で、合法党の別名である戦士=

    組織者

    に事実上解休し、他方では

    非公然軍事諸機関

    に解体してしま

    っている。

    一次RCにと

    っては

    「党の分

    製」が致命的であ

    ったわけでもな

    く、又、党派問争に対して著しく

    無力であ

    ったわけでもない。

    一次RCの時期における

    「党

    の分裂」とは、具体的

    には、七〇

    年春の情況、坂旗派との分裂及び

    七〇年夏から冬

    にかけての日向派

    の分裂を指すわけであるが、これ

    理論であ

    った田原理論の持

    ってい

    た思想的欠陥

    (「階級概念」の曖

    昧き、プ

    ロレタリア独裁=社会主

    、RCの組織的位置に対する曖

    味さ)を克服して12

    ・‐8路線を準

    備したのである。

    日向派との

    「分裂」が第

    一次R

    Cに対して

    「致命的」で

    ,あ

    ったこ

    とはなく、むしろ

    「赤報論争」が

    日向派との分派闘争、

    12

    ・‐8略線

    の強立に対するわれわれのフラク

    ョンの

    「原動力」にな

    ったので

    ある。

    に、峰火

    一派のもう

    一つの命

    題である

    「同時

    に党の基本組織か

    ら切り離された戦士の集団が党派

    関争に対して著

    しく無力である」

    という点

    について述べておくと、

    この様な命題は

    一般的には成立し

    い。

    例えば、わ年

    2月における赤軍

    派との党派閲争

    において、第

    一次

    Rё

    「著しく無力」であ

    ったと

    いうのは事実ではない。当時、R

    Cは党派閾争の中核部隊であり、

    赤軍派、中央軍との闘争

    において

    彼らを除いては、われわれは

    一切一

    の計画をたてることはできなか

    た。二

    o一四の関争とそれに続く赤

    軍派中央軍との党派間浄の勝利及

    び阻西におけるOC、AIFの建

    に果したRCの役割は大きく、

    決定的と言

    ってもよか

    った。

    赤軍派に対する軍事的膀利によ

    って、われわれは、

    「ブントの壊

    減」という赤軍派の当初の政治目

    的を粉砕して、 一定の政治的勝利

    を確保した。問題は主要に次の点

    にあ

    った。

    メダルの凝表の阻係にあるが、R

    Cの指導部

    (直接には中央諄事委

    員会)は、主要に前者の見解を批

    判し、

    「党の軍」を強調すると同

    に、軍自身の党内開争、党派闘

    に対する思想的、政治的、組織

    的自然発生性、すなわら、軍事的

    決着の優先、戦硼団主義的傾向を

    克服するという点からも、七〇年

    二月後半―二月に至るRCの地方

    委員会と協同したUC、AIF建

    設、二月に於ける中央軍事委員会

    指導下の全国的な政治展開による

    地方委員会の改組、四月、党内闘

    争に対する政治的態度を決定する

    の綱領

    ・規約論争を開始したの

    である。

    この時期にも、党は階級闘争の

    要請に答える為には、RCをェ紺

    軍以上の何かに組織する点から、

    基本組織との結合の為の新たな組

    織内容生要求されたのである。

    蜂火

    一派の正治局の組織観によ

    ると、RCは

    「党の基本組織から

    切り離された職士の集団」であ』

    たとされる。

    だが、彼らは、当初RCを基本

    組織から切り離した事の革命的憲

    につい述

    べず、次

    に、党中央直

    結正規軍が、 一方では、軍内部

    との様に党

    を建設しようとしたか

    他方では、RCが基本組織の革命

    にどの様な役割をはたしたのかを

    忘れ去

    ってしま

    っており、従

    って

    RC=政治軍隊という規定の内容

    を理解せずに、規定を規定として

    同競反復するにととま

    ってし意

    ている。

    「党の軍隊から、党員の軍隊

    に政治軍隊

    へと前進したRCの

    位置づけはこの様な状況を背景に

    したものであ

    った

    。」と彼らが言

    うとき、具体的な

    「状況」や

    「背

    景」を清算的に招

    えてしま

    ってい

    る結果

    「政治軍隊」の目的や任務

    織性格

    について、 一言の内容も

    明らかにする事が出来ていない。

    彼らは、事態の本質

    に迫ろうと

    せず、後

    に述

    べるように、降格者

    の断片的な反動的な心情の吐露の

    間きかしりをそのまま受け売

    ,し

    たりしていうにすきない。

    だが、彼らが清算主義に陥

    って

    いる真の原因は、七

    一年秋、革命

    戦争再開と党の改組に反対し、脱

    走したことにある。

    脱走の合理化の為に、又、RC

    を解体してしま

    っている事を言

    つくろう為に、総績なるものが必

    要だ

    ったのである。

    って、

    われわれは嬌火

    一派の

    清算主義的

    「総構」の誤りをも

    て反論するために、RC=政治軍

    に関する歴史的考察とわれわれ

    の見解を述

    べておきたい。

    RC=政治軍隊という規定にわ

    れわれが到達した賦史的意義

    に,

    いて述

    べる場合、第

    一次RGの組

    織性格をめくる党内及び軍内の歴

    史的論争をふりかえり、党及び軍

    の目的、任務との躙係で、い基本

    組織とRC、い政治局、軍事委員

    会とRC、い軍の中の党とい

    った

    組織性格を検討しておく必要があ

    る。

    ●、九回大会から七〇年十

    一月間

    争まで。

    共産主義、世界プ

    ロレタリア多

    裁をかかけて、先進的プ

    ロレタリ

    アート人民の武装闘争

    への熱望の

    高まる中で中央権力蘭争L

    マッセ

    ンスト、恒常的武義閾争を遂行す

    る時期。RCは党中央直轄の正規

    軍として中央軍事委員会の直轄下

    で、基本組織直結下の軍事組織

    地区軍国)、コ一の共同作機のもと

    に安保決戦を国

    つ。

    党中央直轄正規軍の建設過程で

    の主要な論争は、赤軍派のドブ

    理論に基く組織観

    (すなわち、ゲ

    ラから党

    へ。党は政治局のみ、

    中央軍事組織委員会によるプ

    ロレ

    タリア人民の指導。赤軍建設

    にお

    ける大衆公募制の導入)の批判、

    及び情況、叛旗派の

    「地区戦闘団

    」主義、南部地区委員会の赤衛軍

    路線、北摂、西フラク

    ションの

    地区プ

    ロレタリア階級軍団」主義

    に対する在阪中央委員グループと

    BL派による批判として行われた

    (も

    っとも、BL派は分派の均

    の上で、ポナパルテイズム政治

    っていたにすぎず、当時の分派

    の力関係で、戦術左案としてふる

    ったと

    いうことであるが)。

    九回大会以降、軍事委員会、R

    C内部で党と軍の組織性格をめぐ

    る論争は、主

    に戦術との関係で行

    われた。九月、地区軍印建設に関

    するRCの事事的指導、九

    ・二

    闘争での地区軍国に対するRCの

    戦術上の指導、これらをふまえた

    RC=将校団論の提起。

    o二

    一開争準備期における共

    産主義突撃隊=RCの強調。

    ・二

    一闘争敗北と十

    一月閥争準

    備期においては、0

    、軍嚢

    に対する政治局の指導という点か

    ら政治局の改組すなわち軍事4員

    長の政治局

    への編入。mヽRC三

    隊の共同作戦、バ0値常的武装閲

    争、奇襲、近撃戦術の採用.0

    o二

    一闘争における指揮上の失

    敗から、反帝戦線、地区軍国

    に対

    するRC=将校団論的傾向の反省

    恒常的武装開争という点から正規

    軍の強調。0)、基本組織、特

    に地

    区委員会

    における政治委員、軍事

    員制度の導入、ω

    、RC内部

    おける政治委員、軍事委員制度の

    導入。

    この時期は大衆も党も熱病の様

    に武装闘争にとり

    つかれる。あら

    ゆる困難を乗

    ,越えて進軍し突撃

    がくり返される。たが、十

    ・二

    閲争以降、 一回の決戦でなく、長

    に渡る革命戦争遂行と

    いう点か

    ら、軍事に対する党の指導の為の

    党と軍の改組がはじめられた事が

    この時期の後半における特徴の

    つをなしていた。

    ②、六九年十

    一月闘争以降、七〇

    二月まで。         一

    関争の中でためされた党と軍の

    綱領、戦術、組織を点検ル、ま訓

    を学び組織を整備する時期。 

    BL派系の東京駐屯隊は一十

    月戦国を、当日になって、分派聞

    争関係から考えて部隊温存をはか

    るために中止したことと脱走によ

    って崩壊。

    (この隊のほとん‘の

    メンパーは、後に日向の出漱後自

    向派として結果。日向派は七〇年

    寿その出生の当初から暗ぃ過去を

    もって登場することになる)南部

    地区委員会系

    (現在の蜂起派)東

    京駐」労働者部像は沐衛軍主義的

    残泣ときっばりと快別出来ず,そ

    の結果

    ヽ、正規軍として拠一十活動t

    力を集中出来ず、その弱僚を政治

    警察に攻撃され中枢達捕。■ ¨

    関西駐屯隊ては、軍の目”、任

    務、性格をめくる論争開始。  ¨

    戦術上では、恒常詢武壌瀾争■

    遊撃戦

    (六九年十一月山田騨凛苺

    闘争七〇年

    一月電通反ルパ聞一等一

    地区軍国との共一作戦)の構一ギ

    組織上では、(0一一T〓一方式、規檬

    丼伺生活への移行

    (Z時間の党生

    中央軍事委員会が、政治局から、

    RC指導

    について委任されている

    のだから、直接

    には中央軍事委員

    会を示しており最終的には政治局

    のことなのであるが、この論争が

    提輝されさるを得なか

    った根拠は

    地区党、地方委員会との論争、七

    〇年

    一月合宿における東京駐屯隊

    と関西駐嘔隊間での若千の論争と

    いうことが背景にありRC自体が

    いわゆる正規軍の任務のみならす

    地区党、地方雪

    彙会を

    一定程度軍

    事的のみならず政治的

    にも指導出

    来ヽRC候補を地区党から募集す

    る権限と政治力を持ち、又、党内

    綸争を指導しうる党中央直轄の、

    いわは

    「政治的軍隊」に改組され

    る事が要求されていた点にあ

    った

    以上の様

    な問題に直面していた

    (十分には自露していなか

    ったに

    せよ)RCにと

    って、

    「党中央」

    が実質的に、政治局なのか中央軍

    事委員会なのかといった問題は切

    実な意味をも

    っていた。

    なぜなら、七〇年初頭、このR

    Cの中央集権主義の

    「原則」の要

    求に対し、政治局は当時関西派

    (うち中央軍事委員長

    一人)、

    情況派

    一人、BL派

    一人、仏派

    人といった勢力分布であ

    って、基

    本組織に対する指導が中心であり

    同時にグループ間の論戦に明け暮

    れきるを得なか

    ったのに対し、中

    央軍事委員会のグループ分けは、

    関西派

    二人、最初BL派、後

    に神

    奈川左派の指導部にな

    ったメンパ

    一人、仏派

    一人であ

    ったが、B

    L派系及び仏派系RCが崩壊、違

    捕されているといった条件があり

    関西派以外のグ

    ループはほとんと

    独自の意見を持

    たなか

    ったことも

    って、

    関西派の見解を基本的に

    貫徹出来る状態にあ

    ったのであり

    RCが、正規軍の任務のみならず

    「政治軍隊」としての役割をはた

    す為には指導部の政治内容そのも

    のが特に関われたのである。

    社会主義、プ

    ロレタリア独裁の

    不可避性の

    「軍事戦略」による証

    明、国際共産主議運動の

    「事事間

    らなければならなか

    ったのである

    その為には、結局のとこう、政

    治局と軍事委員会を基本的に分離

    している党の組織的性格そのもの

    を、政治局=軍事委員会

    に改組し

    なければならないわけであり、従

    って、この点から言

    っても、七〇

    年の

    一年間、情況、叛旗丞、日向

    派との激しい党内―分派闘争が不

    可避であ

    ったゎけであるが、当時

    の中央軍事委員会が、政治局=軍

    事委員会

    への改組

    をかかけて党内

    閣争を中心にな

    って組織する事が

    来なか

    ったその原因は、第

    一に

    思想的

    には次の命題の限界を見服

    していなか

    った点

    にある。

    その命題とは九回大会決定の次

    の規定である。

    「¨、党と軍の基準

    につ

    いて、

    党の基準は、世界共産主義綱

    領である。綱領

    を認識したその

    前術としての組織である。

    軍の基準は、世界

    ・プ

    ロレタリ

    ア独裁、世界戦略であり、国家

    権力に対する関争で

    一致であ

    る。この点を明らかにしな

    い限

    り、党が軍に解体され、軍隊、

    軍団

    における同盟、SSL、K

    NMの独「活動、そのヘゲモ

    ーの獄徹は出来ない。」

    (共産

    主義十

    二号、口82)

    この規定は、九回大会において

    政治局提起に対する補足の

    一項と

    して関西派から提案されたもので

    あり、その意図は、赤軍派のグリ

    ラからの党建設

    (赤軍公募略線、

    水平主義、戦闘団主義)

    「前段階

    峰起」戦術を党の武装

    (党中央直

    轄正規事建設、軍事を組織する党

    「値常的武装関争―内戦」の観

    点から批判し、党の軍に対する智

    導の基準を明らかにしようとした

    ものだ

    ったし、又、そのような意

    図にもとづいて、党中央直轄の正

    規軍を創設することが出来た。

    たが、六九年十月

    ―十

    一月の熱

    装閾争の中でコわれたRC=共産

    主義突撃隊論的傾向を克服し、R

    Cを

    「正規軍」―

    「政治的軍隊」

    に改組する為には、思想的には、

    この

    「命題」そのものの克服が間

    われていたのである。

    この

    「命題」がRC創設期には

    たした役割にもかかわらず、また

    RCの基準を明らかにしようとし

    たにもかかわらず、結局は、日本

    共産党から同盟が受けついだスタ

    る。ま

    た、RC艤走

    グループである

    日向派との党内―分派闘争は、共

    産〓議、革命戦争、RC建設をめ

    って行なわれ、日向派が革

    マル

    一派の思替を密輸入し、共葦主義

    一神学にま

    つりぁげ、革命戦争、R

    一G建設

    に反対したのに対して、わ

    一れわれの見フラク

    ションは、これ

    一と岡いヽ共産主義=革命的実践、

    革命戦争、rG建設、革命的

    マル

    ・クス主義

    の復

    権という点いら、R

    Cの数回にわたる戦凹とRC内部

    .で闘わされていた

    「岡田論文」提

    連以降の綸争と

    「赤報綸争」

    (七

    ・〇年

    〈―十月)を総括し、その指

    を通して、フラク

    ションの指導

    一 

    すなわち、

    この闘争におけるも

    こつ

    アつの政治目的であ

    った党内右

    .派

    (情況、坂旗派)をたたきつつ

    一党内左派の

    ヘゲ

    モニーをとると

    一う計画を充分に実現できなか

    った

    一ことである。

    この様な事態は、

    ・一四にお

    .ける戦術問題、強制収奪闘争問題

    もからんで、RCの組織的性格を

    めくる論争を引き起したのである

    すなわちその

    一つは、

    「事の独

    立機能」の強調、

    「軍の党からの

    相対的独立」の強調であり他の

    つは、

    「やとわれ兵」意識として

    「党の軍」の

    一面的強調であ

    た。こ

    れらRO内部の二つの見解は

    いヽ批判を自己批判、自己点検と

    れ,

    点検の作風、共産主義的団結

    d)、政治展開

    (地区展佛

    、RC徴

    ‘党内討枷の組織化、中央政治

    Om区党

    への直接導入)この展瀾

    はヽ隊

    内にあ

    った

    「RCはどの様

    に大象

    と結合し指導するのか」と

    でつ間

    に対し、地区委員会を媒介

    ■ルてそれを行うという一つ0解

    冬でもあ

    つた。地区展開の指導は

    議蝉一曜持『一野一中

    なる。

    てれら十

    一月―十

    二月の閲

    一̈一一̈一]一一̈̈『一一一

    躙榊一一一一韓い一

    a肛殴軍団がなつていた一常的武

    姜=争、遊撃戦を全党の問題とし

    一一り組0ために一中央から地区

    」〓る党の〓本組織にも軍事組織

    を建設

    (「重層的軍事組織の建設

    」)する計画をたて、東にRCに

    対する思想的、政治的指導及び重

    鳳的軍事組織の建設という点から

    中央軍〓委員会の

    「統合機紺」0

    確立の為の計画を進めた。

    .rC内では、政治委員が、中央

    .奏財会、中央率事委員会の検料伝

    達係、財政係、機爛紙係以上の役

    学習、訓練、労働、技術)。

  • 第 1 1号 報赤 EB和 48年 7月 1日 (4)

    I■r一一̈■一,一午〓・●〓一幹■シ酔一〓】一‐・‐・打”

    一難諄紹針難馨嚇鉾一一,■■●

    ●t一

    ・■

    況頒旗派、BL派、仏派との党内

    閣争を組織しようとしていたので

    あるが、この

    ヘゲモ

    ニー論的な党

    内聞争の方法によ

    ってはヽ党内閣

    争を充分に組織することはできな

    ったのである。

    以上、思想的には、共産主義、

    組織的には、政治局と軍事委員会

    の中央集権的指導、政治的にはヽ

    武装闘争と党内闘争について考察

    する事

    によ

    って当時の中央軍事委

    員会

    が直面していた問題を明らか

    にしたわけだが、それらの諸問題

    は同時に全党の中心問題でもあり

    ・一四赤軍派との党派闘争は、

    それらの問題をめくる党内闘争の

    契機でもあ

    った。

    ・一四赤軍派との党派闘争は

    党内左派

    (当時tは、BL派ヽ日

    向派)間における六九年赤軍派と

    の党内―分派闘争、六九年―七〇

    年初頭に至る武装闘争

    と党の革命

    の総指をめぐる論争の合図とな

    た。中

    央軍事委員会は、関西地方委

    員会のUC建設の成功を全国化す

    る為、政治局の承認を得て、二月

    に愛知県委員会に対するRC政治

    展開を実施するが、ここでの最大

    の問題は、数

    日前にBL派系の政

    治局員が愛知県委員会

    に対して党

    内事情の説明と政治オルグを行

    ており、その結果、RC政治展開

    は愛知県委員会の党内論争に対す

    る政治的態度を追ると同時に、R

    Cの個々の隊員に対しても同様の

    政治的決断を迫

    った事にあ

    った。

    二月

    二三日、秘爾技術上の曖味

    摯萎

    たが、それを契機により

    一層徹底

    した地下活動

    に入り、RCは赤軍

    派との党派闘争、愛知展開から教

    訓を学

    び、党内門争に対する理論

    的準備

    の為に、関西派の指導理論

    であ

    った田原理論を研究し、組織

    的準備の為に関西を離れて、首都

    での党建設に向

    った。 

         一

    ク固めを行

    っていたが、RC脱走

    を自己批判することは億武関争略

    の承認につながり、フラク

    ショ

    ンの解体につながることを自寛す

    るや否や、綱領、戦術、組織上の

    全ゆる粉飾をこらし、軍事組織の

    解体と合法党建設に血道を上げ始

    めたからである。

    脱走兵集団であるが故

    にわれわ

    れに対する最も執拗な論敵

    にな

    た日向派は、組織的にはRCの解

    体及びML派との党派闘争の時点

    での二人委員会といった形での政

    治局の築質上の解体の促進、戦術

    には、革命戦争反対、ツグ

    ェト

    革命を主張し、綱領的には共産主

    義革命を未来社会の図式にかえて

    しまい、思想的には黒寛理続を密

    輸入してひそかに華

    マル派

    L政治

    的屈服をするにとによ

    って、六九

    年以降の党建設と武装闘争を清算

    した解党主義、軍事反対派として

    立ち現われたのである。 

     

     

     

    この日向派に対して、当時のわ

    れわれ

    「関西派」は、細領的には

    田原プ

    ロレタリ

    ア独裁論を基本的

    に継承し、戦術的には革命戦争、

    組織的には

    「共産主議を組織する

    党」

    「軍事を組織する党」

    「重層

    的軍事組織の建設」

    「RC魏設」

    を主張して党内閣争を組織したの

    であるが、この様な党の綱領、戦

    術、組織との町係でRCの組織的

    性格が

    「関西派」内部で再度問題

    にな

    った。

    その

    一つ、RCIチ

    ェカ綸につ

    いて述べておく。チ

    エカは、 一九

    一八年社会革命員による

    レー

    ニン

    暗殺未遂事件との関係で共産党中

    央直轄党員の軍隊として建設され

    たものであり、その実際上の役割

    はプ

    ロレタリア独裁権力

    に反対す

    る社会革命党、メンシ

    エグ

    イキ等

    との党派闘争、共産党首脳の防術

    スパイとの間争、ク

    ロンシ

    ュタ

    ト反乱の鋏圧、内戦と帝回主義の

    干渉戦で

    の最も困難な任務

    の遂行

    といった点にあ

    った。

    このチ

    ェカを関軽にしたのは田

    原世界プ

    ロレタリア独裁諭、 一党

    独裁論を理論的基礎にして、われ

    われが樹立すべき権力であ0プ

    レタリア独裁におけるRCの位置

    とその任務を規定する場合、RC

    ロシア共産党のチ

    ェカときわめ

    て類似ルたものになると思われた

    からであり、実際、六九年から七

    〇年に至るRCの任務と組織性格

    は、ある意味でそれと極めて似か

    ったものであ

    った。

    すでに述

    べた六九年九

    ・二

    一開

    争でのRC=将校団論、十

    oこ

    闘争での共産主義突撃隊論、十

    月でのオルグ団論等は、すべて党

    中央直暗正規軍がブルシ

    ョア国家

    権力との武装闘争や軍事組織の建

    設においてはたした役割のそれぞ

    れの

    一側面を強調する事であ

    った

    とはいえそれらが

    一面である事を

    えていた限りで、われわれは正

    規軍任務と組織性格について、よ

    り豊富な内容規定を与えることが

    出来た。

    とは

    いえ、七〇年

    二月赤軍派と

    の党派闘争、四月日向派との党内

    闘争をはらんだ地区軍団建設と

    破壊戦」、ML派との党派闘争、

    情況、叛旗派との党内―分派関争

    日向派との党内―分派闘争とい

    一連の国争において真の革命党

    の思想的、政治的、組織的基準を

    つくり、党を革命していく為には

    強固な分派が不可欠であり、RC

    は、正規軍としての役割のみなら

    ず、

    いわはこの

    「(分派関西派」

    )の軍隊として12

    ・‐8まで党内―

    分派闘争を闘うことになるのであ

    われわれは、六九年―七〇年

    至るRCのはたした任務と党にお

    ける位置、その組織性格を考慮し

    て、その総称

    を政治軍隊と呼び、

    ロレタリア独裁権力におけるR

    Cの位置を歴史的にアナ

    ロシーし

    ない疇″〔「=チ

    ェヵ

    「と

    準づけ

    七〇年七月、中央軍事委員、R

    C多数の政治警察による逮捕及び

    8中萎

    における

    「関西派」の日向

    に対する

    一時的ではあ

    つたが政

    治的敗北

    (田原芳氏の権利停上処

    分)は、われわれのフラクシ

    ョン

    (関西派)が、すでに開始されつ

    つあ

    ったRC内

    「赤報論争」に対

    する解答を準備しつつ、同時に、

    田原理論の弱点を克服して、

    フラ

    ションの思想的、政治的霧準を

    確定し改組

    する事によ

    ってはしめ

    て膀利

    に変える事が出来るもので

    った。

    (イ)

    「党とRCの内容

    をめくる論争」、とりわけ、党の

    一『一一『一摯〕¨一一

    ,一一“

    軍紀」について。

    (ハ)

    「世界革

    の展襲、就中、先進帝国主義国

    足下に於ける。恒常的軍事組織=

    RCの存在可苔

    の問題」について

    (RC内機関紙

    「赤報」

    2、七

    〇年九月)の論争が開始された。

    ます

    「先進帝国主義足下におけ

    る憶常的軍事組

    織=RCの存在の

    可番の問題」につにて述

    べておく

    と、今

    日、革命戦争派内の清算派

    がよくやる様に、植

    民地、被抑圧

    諸国では土地革命を実施し解放区

    建設できるが、先進帝国主義日

    ではできないから憶常的軍事組織

    も存在できな

    いとか、できると力、

    った問題の立

    て方は、具体的な

    特に67年以降の国際階級関争の分

    析を行っておらず、更に問題は

    一中一一一一一一一一一一一い一一

    一てこようもな

    いものなのである。

    一 

    当時、われわれの内部でもこの

    様な見解はあ

    ったが、論争の中で

    われわれは、現実の階級対立が武

    力闘争にまで発展しており、現に

    武壌欄争が党や、さまさまなグル

    ープによ

    って闘われており又赤軍

    派中央軍、日共革命左派人民革命

    軍が存在している時、問題は、党

    とRCの思想的、政治的、組織的

    内実が問題なのである事、政治警

    察の組織破壊をゆるしたのはわれ

    「鰤̈螂一̈疇審舞“̈】い一い一

    狂罐警螺蠍一 )と

    して舜設すること、各隊はそ

    れ自体党細胞であり、細胞ことの

    共同生活をすること、従

    って各隊

    員は党員でなければ‘らず、党の

    目的と任務に規定された党中央直

    轄の政治軍隊と規定したのでぉる

    政治軍隊の政治t

    いう意味は、

    共産主義的政治という意味であり

    共産主義革命のために、革命戦争

    によ

    ってプ

    ロレタリ

    ア独裁を開い

    とるために

    「稀力閣争、党派閣争

    党内闘争」

    (「党内闘争とわれわ

    れわれの任務」P4)をその任務

    としたのである。

    以上、われわれは、葉

    一次RC

    の組織性格に関する党内論争―党

    内口争―分派闘争の歴史的考察を

    行うことによ

    って、十

    o一八路

    線確立

    に至る第

    一次

    RCの組織上

    の若千の総括を行

    った。

    ここまでの論述における我々の

    図は、特火

    一派の

    「第

    一次RC

    の敗北と教訓」なるものの事実の

    歪由とね

    つ造に対する暴露であり

    組織問題に関する清算主義的

    「総

    括」に対する反論であり、その限

    りで我々の総括を公表したのであ

    る。さ

    て、次の課題は、経火

    一派の

    一次■

    C建設に関する思極上の

    「総活」――第

    一次RCの思観は、

    「隊

    内共産主義、母胎論的イデオ

    ュギー」だからRCは、思想的に

    破算したのだとする見解に対して

    事実経過´朗ちかにし、第

    一次

    C建設に関する‐思想上の総括を政

    治問題、組織間理との関連で明ら

    かにする事にある。

    ③ 「隊内共産主義、母胎

    論的イデオロギー」

    から驚かきるを得ない。

    たが、もうすこし、

    「真に迫ま

    った描写」が 火二七二号にされ

    ているので引用する事にする。

    「党の基本構造から切りはなさ

    れた隊員達は、地区からのビラ

    枚ない生活を強制され、次の戦閣

    に至るまでの待期生活を強制され

    るのである。それは、日常的に刹

    一¨¨い一一一一一一一一一一一

    とその政治的基準が明確にされな

    い中では、説走兵の読出は当然の

    帰結であ

    った。

    脱走兵達はヽ家族や恋人達の下

    へ走り、そこにおいて政治警察の

    手におちていく0である」

    ( 火

    二七三号RC被告団アピー

    ル)

    このアピールの筆者が第

    一次R

    Cからの降格者であると

    いうこと

    は我々が説明しないでもアピー

    の内容そのものによ

    って充分に証

    明されている。そして、

    これはま

    さに「浄火」

    〓派の

    「真情」の吐

    露なのである。

    このアピールの筆者が問題にし

    ているのは、おそらく、六九年十

    二月から七〇年四月までの事であ

    ろうが、第

    一に

    「党の霧本構造か

    ら切り離ヽれた隊員達は」と彼が

    言うとき、

    「基本構造」

    (,)と

    いうのは中央委員会、地方委員会

    班区委員会、細胞のことを指して

    いちのであろ

    ,メ、RCは

    「党の

    基本構造から■

    ,饉■れ●」ので

    はない。再度言

    つておくが、われ

    われは積極的に

    「切,

    議」uだけ

    である。             ・

    一一¨一

    一酔

    への参加を

    「決断」した個々人に

    とつて軍人職業革命家として、党

    に対して義務を果さなければなら

    ないことを意味したのである。

    〓さt、一この「切り離」す事の

    申い『【”¨¨¨峰け

    つ めま¨“は

    一』

    一¨嘲

    一軸

    一¨押

    事組織を作

    ったことは誤りだ

    った

    いっている事を意味する事を知

    らねはならな

    い。党中央直轄の正

    規軍を建設することから軍事組織

    を建設する略線が唯

    一の正しい道

    い生活を強制され、次

    の戦闘

    に至

    るまでの待期生活を強制されるの

    である。」

    (同)

    蜂火

    一派の立場に立

    って

    「過去

    をふり返れは」

    こんな風に地獄絵

    がえがかれる。

    外は自由な天国で

    軍隊の中は地獄であり、牢獄であ

    る。

    一 

    党は間慶大工で、隊長は鬼軍”

    であるというわけだ。さしずめ警

    擦は「仏様」と思われても無理は

    ない。

    たしかに、軍事委員会は、地区

    からのビラを特

    にRCに配布する

    ことはしていな

    い。だが、党中央

    機関驚

    「戦旗」ゃ田原理論はじめ

    様々なパンフを配布しており、地

    区展開のときには、地方委員会や

    地区のビラも入手していたのでは

    なか

    ったのか。

    「次の戦関に至るまでの往

    期生活を強制されるのである」と

    は、 一体とう

    いう

    ことなのか?

    彼は、ここではをRCを戦関の

    ために

    「待期」し、機が熱せば戦

    闘におもむき、終れば

    「待期」す

    るという純

    「戦闘団」として霧

    ている。

    一 

    一派にと

    ってすでに「伝説

    」化されているこの様を主張が全

    くの偽りにすきな

    いことは、すで

    に前節において鮮しく述

    べたので

    ここでは繰り返きないが、峰

    派の立場に立

    ってしまうと、地区

    軍団建設

    (九―十月)、地区展開

    (十

    一1十

    二月)、UC建設

    (七

    〇年

    ニーニ月)、全国政治展開

    二月)ゃ岡田論文をめくる論争

    一―

    一月)、田原理論をめくる

    綿領論争

    (三―四月)そ

    して更

    隊の組織性格を大きく親定してい

    「共同生活」

    (313方式の下

    での学習、教育、訓練、労働、財

    政、技術、相

    互批製

    自己批判、

    規律の相互点検ヽ自己点検)、な

    どさ

    っばり記憶に残らなくな

    って

    しまうらし

    い。そして規律のす

    ては、党、軍事委員会、隊長から

    一方的

    「強制」とのみ口しられ

    るのである。

    実際この様な考えに立

    ってしま

    うと戦闘の政治目的や組織的な義

    は問題でなく、戦闘そのものは、

    党の

    「強制」以外の何ものでもな

    く強迫観念のとつてになるのは当

    然であるのかもしれな

    い。

    二に、従

    って思想上の問題に

    ついて次の様な態度をとることに

    なる。彼は続けて言う。

    「それは、日常的に刺那的感覚

    や、その防止策としての隊内共産

    主義、母胎論的

    イデオ

    ロギーを形

    成して

    いくのである」

    (同)

    彼は、

    「隊内共産主磯、母胎論

    的イデオ

    ロギー」が

    「剰那的感覚

    」の防止策として

    「形成」された

    と言う。

    当時の事実を知

    っている人達に

    っては手のつけられない笑う

    きこのアピー

    ルの筆者の相も変わ

    らすの小ブルシ

    ョア的泣き事ぶり

    にふれて、我々は思わず彼の顔を

    い浮

    べて全く馬藁らしぐな

    って

    しまうのだが、やはり、笑

    ってす

    一一

    一一]

    中一毅

    一一一一

    胎論的イデオ

    ロギ「」は第

    一次R

    Cに特有なものであり、誤りであ

    るとすることによ

    って、あたかも

    彼等自身はこの

    「ハシカ」

    に対し

    て無関係であ

    ったかのように言う

    だが、その様な態度は、実は武装

    闘争と軍事組織の建設から伺も学

    んでいなか

    ったとい・2cとを自ら

    告白しているにすきない。

    なせなら、

    「隊内共産主義、母

    胎論イデオ

    ロギー」は反スタ

    マル

    ス主義に思想的

    に立脚した六〇

    年代の新左寓が、武装闘争と軍事二

    分達には責任がな

    いと

    いう態度を

    ったりしているのは、彼らの指

    導的メンパーが、当時、RCや中

    央軍事委員会に所属していなか

    たということに大きく規定されて

    いるという

    こと以上に、彼らが今

    日軍事組織の建設と武装闘争を放

    棄したことを示しているのである

    彼らが、

    「隊内共産主義、母胎

    論的イデオ

    ロギー」を悪魔が来た

    様に恐れ、

    いみきらうのは、それ

    が、武■閥争、軍事組織建設と結

    ¨一〔蒙い藁¨犠直

    ”的に知

    って

    次の節

    からわれわれは

    「隊内共

    産主義、母胎論

    イデオ

    ロギー」に

    ついて歴史的に考察して

    いく。

    この作業を行う政治目的は、第

    一に、われわれと峰火

    一派との対

    立点を

    一層鮮明にすることであり

    二に、か

    っての第

    一次RCメン

    パーの内.閾

    いつき倒れ、今

    はは

    い上

    っているが、今だわれわれと

    連絡をと

    っていず、 一人

    「総括」

    作業を行

    っている諸君に対するわ

    れわれの

    「援助」であり、第

    二に

    連合赤軍の

    「共産主義化」に対し

    て清算主義的総括を行

    っている赤

    軍派内諸派に対するわれわれの批

    判でもあり、第

    四に、共産主義革

    の不可避性を確信し、革命戦争

    に立ち上ろうとしている先進的労

    働者人民に対するわれわれの援助

    である。

    月四争後、事態は次の様なもので

    った。東京駐屯学生部隊

    (BL

    派系。後の日向派)は、H

    ・16戦

    術上の日和見主義をRC建設その

    ものの笞定

    に結び

    つけることによ

    って崩壊した。東京駐屯労働者部

    (仏派系)は十

    一月闘争後、政

    治警察の攻撃によづ

    て多数の隊員

    が逮捕されることによ

    って解体の

    危機にさらされていた。過去の彼

    らの組織観であ

    った

    「赤衛隊論」

    に対する快別が十分なされていな

    つたことが急機の根底によ

    こた

    一一}一¨一け¨一いい

    向「

    的一一け

    ましてヽまうわけにはいかない。

    なぜなち優0この様な態嵐が、実

    際第

    一次RCの思想的総括に関す

    する蜂火」派の核心をなしている

    からであるo

    「刹那的感覚」

    「防止策」と

    して

    「隊内共産主義、母胎論的ィ

    デオ

    ロギ■」を

    「形成」してしま

    った第

    一次RCは、従

    って思想的

    にも敗北ルたとのみ彼らは

    「総精

    」するわけである。だがこの様な

    「総括」によ

    っては、

    12

    ・‐8路線

    の思想上の核心である

    「共産主義

    =革命的実験」、

    マルクスの

    「資

    本主義批判」復権

    の章

    命的な条を

    理解する事が出来ない。

    なせなら、

    「共産主義=革命的

    実践」

    「資本主義批判」の役権

    勝ち取ることが出来たのは、第

    一一¨一¨一』一

    デ つ 当 向一一一¨一¨

    歴史的意議を正しく評価し、その

    的に経験しなければならなか

    った

    「成長の病」であ

    ったからである

    われわれは、この

    「病原菌」を

    RCのみならず、関西派

    フラク

    ョン、更

    に全党に植えつけようと

    したのであ2

    この中でわれわれ

    自身の中に

    「抗体物質」を蓄積し

    『病」を治して、次の

    「成長」

    ‐2

    ・‐8路線)をとけたのである。

    実際一この

    「病」は、

    「成長の

    病」なのであるから、 一定の

    「成

    長」

    (軍事組織の建設と武装関争

    の開始)をとけな

    い間は、決して

    かかることはない。

    今日、籐火

    一派が、この

    「病」

    とちざり関係がなかった力、の様な

    態度をとったり、又¨少くとも自

    不可避

    0●「岡口論文」と

    「共産

    ¨・主義的団結」

    ・ .

    一 

    「隊内共産主義、母胎論的イア

    一オ

    ロギー」が、党内ではじめて間

    題にな

    ったのは、六九年十

    二月で

    ある。

    六九年十

    ・二

    一中央権力関争―

    マッセンスト、十

    一o

    一六首都ゲ

    リラ戦に一RC、地区軍団、Al

    Fの総力を投入して闘

    ったわれわ

    れは、その敗北の総活をめく

    って

    すでに地区戦聞団主義者から軍事

    反対派に転換しつつあ

    った叛旗派

    終始軍事反対派の立場に立

    った情

    況派

    (すなわら、党派軍団反対と

    して)とつ党内閣争を組織し

    つつ

    値常的武装闘争と党の革命のため

    に、RC、地区軍団、AIFの改

    に着手した。

    RCに関して言うならば、十

    ならない性格のものであ

    った。

    関西駐屯部隊

    (関西派系)にお

    然」だと

    ,何のことかわからない

    し、全く説明にもな

    っていな

    い。

    彼らは

    「母胎論的イデオ

    ロギト

    がかもし出される」

    「必然」性

    っいて歴史的に明らかにしている

    わけでもなく、更に

    「録胎論的イ

    デオ

    ロギー」そのものの内容につ

    いて述べているわけでもなく、従

    って、それをどのようにわ

    れわれ

    が克服して来たのかについてヽ解

    明しているわけでもな

    い。ただ

    必然」だ

    ったとのみ、彼らは言

    ているにすきない。

  • 第 1 1■号報赤(5)昭 和 48年 7月 1日いても論争は不可避であ

    った。

    一 われ

    われは、当初より、綱領上

    では世界プ

    ロレタリア独裁、戦術

    的には中央権力聞争―

    マッセンス

    ト、値常的武襲閾争

    「九回大会

    補則提案」)、遊撃戦争

    (「戦争

    一論」)、組織的

    にはRG=党中央

    直轄正規軍を主張して、RC建設

    一を進めて来上のであるが、十

    一月

    一開争の敗北は怒涛の様な

    一つの昂

    錫期の終りであ

    って、わが党と軍

    事組織

    にと

    っては、それは、長く

    一諸れい藝輸翻静』¨称唯ちがは

    一は

    蒙“「ど珈酬一静哺胸中¨]

    つ と

    一て、党と軍事組織に迫るものであ

    一一一}¨¨

    力ヽ ‐ま摯

    」¨

    け一¨

    一に

    一 

    ロレタリァ独裁とは何か、ま

    一た、それはどのようにして実現す

    ・ることができるのか。

    一 

    革命の勝利の物軍的根拠はどこ

    一にあるのか?われわれはなぜ闘

    一ているのか

    一 

    RCとは何か

    ,党におけるRC

    一の地位とはどの様なものかヽ叉、

    その団締の質

    と存在様式とはどの

    様なものでなけれはならな

    いのか

    これらの間は、まず、RCの内

    部から発せられた。

    101H月闘争の中で広汎

    に自然

    発生的

    に生まれていた共産主義実

    撃隊的な気分と闘

    い、党と正規軍

    の目的、任務�