ち 法 印 高祖日蓮大士ご降誕14...

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14 お祖師さまを毒殺しようと企てた善智法印だったが、お祖師さまのお慈 悲の深さと高徳の程を知り、心の底から懺悔改良を誓いお弟子となった 徳栄山妙法寺(小室山) 最初は仁王山護国院金胎寺という真言宗寺院で あったが、鎌倉時代に住職であった善智法印が お祖師さまと法論し敗れ、弟子となりお寺も妙 法寺という日蓮宗のお寺となった  お祖師さまと善智法印との間で法論が起きた際、善 智法印は巨大な石を空中に浮遊させた。しかし、お 祖師さまはその石を空中に留め、善智法印はその石 をどうする事もできなかった。 法論石 祖師さまと善智法印の法論の時の石(白 丸で囲った部分)と言われている。この石 を「法論石」または「吹き上げ法論石」と いい、今は石の上に小さな堂があり妙石山 懸腰寺という  高祖日蓮大士ご降誕 800年慶讃

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  • 14お祖師さまを毒殺しようと企てた善智法印だったが、お祖師さまのお慈悲の深さと高徳の程を知り、心の底から懺悔改良を誓いお弟子となった

     【善智法印】は、真言宗のお坊ぼうさんで金こん

    胎たい寺じというお寺てらの住じゅう職しょくだったんだよ。金胎

    寺は甲斐国の小室山(山梨県富ふ士じ川かわ町ちょう小室)

    という所にあり、関かん東とう地ち方ほうの真言宗のお寺

    をまとめる大おおきなお寺だったんだね。

     

    お祖師さまが、甲斐国に御題目を弘めよ

    うと旅をされている時とき、【善智法印】はお

    祖師さまに法論を申もうし込こんだんだよ。

     【善智法印】は、突とつ然ぜん、呪じゅ文もん(おまじな

    いの言こと葉ば)を唱となえて大きな石いしを空くう中ちゅうに浮うか

    ばせたんだ。お祖師さまは、大おお声ごえで御題目

    を唱え「今いまあなたが浮かべた石を動うごけなく

    したからあなたの法ほう力りき(修しゅ行ぎょうして得えた不ふ思し

    議ぎな力ちから)で下おろしてみなさい」と言いわれた

    んだね。

     「おやすい(簡かん単たんな)こと!」と【善智

    法印】は呪文を唱えるんだけど、その石は

    空中に浮いたまま全まったく動かないんだ。とこ

    ろが、お祖師さまが御題目を唱えると、大

    きな石はドスンと音おとをたてて下したに落おちたん

    だよ。

     

    法力対たい決けつで負まけた【善智法印】は、その

    場ばでお祖師さまのお弟で子しとなったんだね。

    この法論をした大きな石を【法論石せき】とい

    い、そこにお堂どうが建てられ「妙みょう石せき山さん懸けん腰よう寺じ」

    というお寺になったんだ。

     

    文永十一年の秋あき、完かん成せいしたお祖師さまの

    草庵に、法論に負けてお弟子になった【善

    智法印】が訪たずねて来きたんだよ。

     【善智法印】は持もってきたお餅もちをお祖師

    さまにさしあげたんだ。お祖師さまは大たい変へん

    喜よろこばれ、お餅を手てに取とり食べようとした時、

    庭にわから白しろい犬いぬが飛とび込こんで来て、そのお餅

    を食べてしまったんだよ。

     

    驚おどろくことは、お餅を食べたその白い犬が、

    体からだをふるわせ口くちから黒くろい血ちを吐はいて死しんで

    しまったんだ。あわてたのは【善智法印】。

    法論で負けたことが悔くやしく、おそろしいこ

    とにお祖師さまを毒で殺ころそうとしたんだね。

     

    お祖師さまは『人ひとは正ただしい心こころを持ってい

    ても、間まち違がった教えによって心が汚よごれてし

    まうんだ』と、【善智法印】を決けっして責せめ

    ることはしなかったんだよ。

     【善智法印】は、自じ分ぶんの悪わるい企くわだて(お祖

    師さまを毒で殺そうとしたこと)を全く怒おこ

    ることなく、死んでしまった犬に涙なみだを流ながし

    悲かなしまれるお祖師さまに、心を強つよく打うたれ

    感かん動どうし、懺さん悔げ改かい良りょうを誓ちかったんだよ(ごめん

    なさいと反はん省せいし、もう二に度どとしないと約やく束そく

    すること)。

     

    お祖師さまは、【善智法印】の悪い行い

    を許ゆるされ、【日にち伝でん】という僧そう名めい(お坊さん

    の名な前まえ)を与あたえられたんだ。お祖師さまは

    本ほん当とうに立りっ派ぱな方かただね。

     

    その後ご、【善智法印・日伝】は、朝あさ夕ゆうに

    お祖師さまにお仕つかえし御題目を弘めるご奉ほう

    公こうに励はげまれたんだよ。

    文永永十一年

    秋秋秋ああきあき秋秋秋秋秋

    完かんかかん成せいせ

    祖師

    おそろしい毒殺計画

    どくさつけいかく

    善智法印

    ぜん

    ほう

    いん

    徳栄山妙法寺(小室山)最初は仁王山護国院金胎寺という真言宗寺院であったが、鎌倉時代に住職であった善智法印がお祖師さまと法論し敗れ、弟子となりお寺も妙法寺という日蓮宗のお寺となった 

    お祖師さまと善智法印との間で法論が起きた際、善智法印は巨大な石を空中に浮遊させた。しかし、お祖師さまはその石を空中に留め、善智法印はその石をどうする事もできなかった。

    法論石お祖師さまと善智法印の法論の時の石(白丸で囲った部分)と言われている。この石を「法論石」または「吹き上げ法論石」といい、今は石の上に小さな堂があり妙石山懸腰寺という 

     

    文ぶん永えい十じゅう一いち年ねん(一二七四)五月、お祖そ師しさ

    ま(高こう祖そ日にち蓮れん大だい士じ)は、身み延のぶ山さん(山やま梨なし県けん)に

    草そう庵あん(草くさぶきの小ちいさな家いえ)を建たてている間あいだ、

    甲かいのくに

    斐国(山梨県)に御お題だい目もくを弘ひろめようと旅たびに

    出で掛かけられたんだ。その途と中ちゅう、小こ室むろという所ところ

    で真しん言ごん宗しゅうの僧そう侶りょ・善ぜん智ち法ほう印いんと法ほう論ろん(どちらの

    教おしえが正ただしいのか意い見けんを戦たたかわせること)にな

    ったんだね。今こん回かいは【善智法印】、後のちの【日にち

    伝でん上しょう人にん】のお話はなしをするね。

    高祖日蓮大士ご降誕

    800年慶讃