「生」と「死」を考える -- 臨床工学の視点から · pdf...
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治療機器 / 生命維持装置
� 人工呼吸器 � 自発呼吸がなくても、機械が酸素化した空気を送ってくる。
� 除細動器 � 電気ショックで止まっている心臓を動かす機械
� 血液浄化装置 � 腎機能が悪くなっても、血液中の老廃物を除去してくれる。
� 体外循環装置 � 心臓が止まっても大丈夫!!?
こうした機械の適用分野は・・・
� 心臓外科手術のように、「一時的」な使用であることがわかっている場合
� 血液透析やペースメーカのように、治療で日常生活が維持できる場合
� 「急性期」を過ぎれば回復の見込みがある患者 � とにかく、急場をしのぎたい。
ある病院のある事例
� 高齢の元会社役員 � 会社に貢献した人だったため、会社は本人に感謝するため「生きている限り、毎月1千万円(仮)を支払う」契約を締結した。
� やがて持病が悪化し、意識がなくなった。 � 「生命維持装置」だけで生きている状態となった。
� 普通なら、ここで「生命維持装置」を外す判断
� 家族が「生命維持装置」を外すことを拒否 � 「生命維持」に毎月200万円かかっても、「収入」がある。
� 数年間、この状態が続いた。
サイボーグって何?
� サイボーグ(cyborg)は、サイバネティック・オーガニズム(Cybernetic Organism)の略
� 広義の意味では生命体(organ)と自動制御系の技術(cybernetic)を融合させたものを指す。
� 具体例として、人工臓器等の人工物を身体に埋め込む等、身体の機能を電子機器をはじめとした人工物に代替させたものがある。
� 国内では『サイボーグ009』の出版以降、一般に知られるようになったため、人間や動物が身体機能の補助や強化を行った場合を言うことが多い。
機械にどこまで出来る?
� 脳以外は、全部置き換えが可能 � なんて訳、ないじゃない。当然でしょ!
� 少なくとも、今は無理
� じゃあ、将来可能になったらやってもいいの?
� 「機械の体をタダでもらえる星を目指して旅をする」のが・・・
「人」をどうやって生かしておくのか
� 人の手による世話 � 介護、ケア (シモの世話、食事の世話、清拭など)
� 余談だが、栄養チューブによる点滴だけなら、導尿すると大便は出ないため 扱いやすくなる!?
� 人工臓器 � 前述した、「生命維持装置」を使う。
� 持病の薬を飲み続ける。 � 免疫抑制剤
� 高血圧の薬、etc
私の病気を抑えるためには、毎日2000円分の薬を飲み続けることが必要だ。毎月6万円の出費だが、 先進国だからできる。 先進国に生まれたから私は生きていける。途上国なら死んでいた。 でも私は何も間違ってはいない。
「命」の重さは違う!?
� 発展途上国と、先進国とで「命」の重さが違う?
� 「生きている価値」も違うのか?
� 例えば透析患者には、概算で毎月40万円がかかる。 � http://www.nmckk.jp/pdf.php?mode=magsample&category=JJCD&vol=26&no=8
� コストは年々減少はしているものの、人数は増加
� 本人負担は1万円
� 国民が透析患者の命を支えている!?
本人に決定権がある、という問題
� 救急医療では、意識のない患者が搬送されるケースが少なくない。
� 意識のない患者でも、医療従事者は治療する。 � 生と死を分ける状況下では、本人の意向に無関係に救急措置を施す。
� 頼んでもいないのに勝手に助けやがって、俺は治療費は払わん・・・
� 「救急」ではない場合は、どうなのか?
� この話題は、一旦保留にしておきます。
持病の薬を飲み続けるのと、機械を体に埋め込むのとを比べてみて・・・
� どちらも、自然に行って構わない医療行為だ。
� 薬は昔からあるので自然だけれど、機械は自然じゃないからダメ
� 体の外で使う機械と、体の中に埋め込む機械は同じ。これだけ色々な機器があるのだから、機械だって自然
� どちらも、なんだか、本当はやってはいけない行為のような気がする。(両方ナシ)
「主体」によって答えは違うか?
� 「自分」が、という問いの場合は、Yesが多数ではないか。
� 「家族が」「恋人が」という問いにすると、答えが分かれる?
� 問題となるのは「意識」の有無、だろうか・・・
「生」とは「意識」があること?
� 生きていて「意味」があるか、という問いに、意識の有無は重要な要素となっている。
� だとしたら、「生きている」とは「意識がある」ことだと言ってしまって構わないだろうか? � 違うとしたら、どこがどう違うのだろうか。
先進国と途上国の「生」の重みの違い
� 「命」の価値は、世界中どこでも同じはず。
� それなのに、「先進国なら生きられて、途上国だと助からない」ケースは少なくない。
� 「生かしておく」技術(臨床工学の機械も、薬も含めて)は 「命」の価値に「差」をつけているのだろうか?
この質問(第7回)への回答に・・・
� 発展途上国だから「答えがない」とか、先進国だから「答えがある」ということがあるだろうか? � よくわからない人は、是非「青年海外協力隊」へ!
� http://www.jica.go.jp/volunteer/
「生」と「死」� 自分としての「意識」を持っていて、誰かに働きかけることができる、ということは「生」を構成する重要な要素ではないだろうか。 � → 自分の「生」の価値は、自分だけで決められる問題ではない。
� 途上国、先進国に限らず、与えられた環境を受け入れ、活用することが大切だと、考えるべきではないか。 � →与えられた環境で、何を主体的に行動するかを「価値」とするならば、条件はどちらも同じ
� →つまり、「命」の価値も同じ
「生」と「死」� 簡単に答えが出る問題ではありません。
� (古来、どれほど多くの人が悩み、考え続けて来たか)
� ただ、簡単に答えを出そうとせずに、仕事を通じて考え続けることには、意味があるはず。(たぶん)