と き 特 集 人 生 と 本 迷い...

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宿三島由紀夫 豊饒の海 第一巻 春の雪新潮文庫(2002有島武郎 或る女新潮文庫(1995谷崎潤一郎 痴人の愛新潮文庫(1947しばた・しょうじ 国際日本学研究院教授 日本近代文学 ΒΙΟΣ ΚΑΙ ΒΙΒΛΟΣ 集  38

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    ハムレットの「迷い」“to be or not to be”

    は、多くの作家・芸術家に影響を与えた。

    『バートルビー

    │偶然性について』でア

    ガンペンも論じたメルヴィルの短編の主

    人公は、“I prefer not to.”

    と繰り返しつつ孤

    独な死を遂げる。フォークナーの『野生

    の棕櫚』の主人公は、恋人を亡くした「悲

    しみと無の間にあって」悲しみを選び、

    自死を拒否する。ハムレット的なタイト

    ルを持つ『存在と無』の著者サルトルは、

    他人にアドヴァイスを求める際にも、そ

    の相手を決めているのは自分なのだと指

    摘する。

    しかし二○世紀中葉以降、二項対立的

    な選択の必然性が疑われ始めた。『サイレ

    ンス』などの著書があるジョン・ケージ

    は沈黙を音楽に取り込み、『エクリチュー

    ルと差異』その他で知られる哲学者デリ

    ダは、哲学とそうでないものの境界を取

    り払った。男性でも女性でもある「オー

    ランドー」なるキャラクターを生み出し

    たヴァージニア・ウルフが、現代フェミ

    ニズムの先駆けとして評価された。村上

    春樹は『ノルウェイの森』で「死は生の

    対極としてではなく、その一部として存

    在している」と書き、『ニューヨーク三部

    作』のポール・オースターや『私を離さ

    ないで』のカズオ・イシグロは、真実で

    も噓でもある物語を書き紡いでいる。

    ぼくたちはそうした「ポスト・ハムレ

    ット」的な、“or”

    ではなく“and”

    の時代を

    生きている。S語かC語か、バスケかテ

    ニスか、I大かG大か、場合によっては

    生か死か。迷ったら、迷いの前提が有効

    かチェックしないと馬鹿馬鹿しいことに

    なる。選択を迫らない解放感と柔軟さこ

    そが生の感覚を際立たせ、日々の迷いや

    シェイクスピアなどの古典にも新たな意

    義をもたらすのではないだろうか?

    楽家ハービー・ハンコックが自伝『新し

    いジャズの可能性を追う旅』で、明らか

    に誤った選択ですら次の一歩の正しい始

    まりになりうると強調していたのがとて

    も印象的だ。

    かとう・ゆうじ総合国際学研究院教授 アメリカ文学・文化

    ハービー・ハンコック『ハービー・ハンコック自伝新しいジャズの可能性を追う旅』川嶋文丸訳、DU BOOKS(2015)

    迷い

    加藤雄二

    ΒΙΟΣ ΚΑΙ ΒΙΒΛΟΣ特 集  人

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    と 本

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    恋愛は通例他者に強く魅せられる感情に

    駆り立てられた行動として展開していく

    が、そこには二面的な情動が生起してい

    る。つまり恋愛は感情的主体としての自

    己を証し立てる機縁であるにもかかわら

    ず、それを押し進めていこうとする主体は

    相手に対して受動的にならざるをえず、運

    良く相手と相愛の関係になっていけば、相

    手との和合にのめり込んでいく情念をもは

    や自身で統御することはできなくなる。そ

    れは情念一般の特質でもあるが、恋愛は能

    動性と受動性が反転する情念のあり方をも

    っとも典型的に示す場にほかならない。

    文学作品に描かれる恋愛が精彩を放つの

    も、そうした反転的な二面性が浮き彫りに

    された時である。日本の近代文学で代表的

    な例となるのは三島由紀夫の『春の雪』

    で、主人公の清顕は自分を保とうとしてい

    る間は相手の聡子に冷ややかな態度を取り

    つづけるのに対して、聡子と皇族との婚約

    に勅許が下ったことを契機として、あたか

    も恋の情念が降り立ったかのように、彼女

    との禁断の関係にのめり込んで行き、二〇

    歳で命を落とすことになるのだった。

    情念が自己統御しえない受動性に主体を

    宿命づけてしまうために、恋愛の行動者は

    しばしば自己を破壊する地点にまで進んで

    しまう。有島武郎の『或る女』の主人公葉

    子がシアトルに向かう船上で荒々しい男

    倉地に惹かれるのは半ばは自己発見の行

    為であったが、日本に帰って彼との愛欲

    にまみれた生活をつづけることで自己を

    精神的にも身体的にも破壊してしまう。

    そうした恋愛の相手に魅せられる愚かしさ

    を極限的に描いたのが谷崎潤一郎の『痴人

    の愛』で、ナオミという魔的な少女に魅せ

    られた譲治は、それが愚かしいと分かって

    いながら、彼女に屈従しつつ共生すること

    を選ぶ。最後の地点では二人の関係はすで

    に恋愛とはいえなくなっているが、自己喪

    失をもたらすほどの魅惑に身を委ねること

    が恋愛の起点にあることをこの作品は物語

    っているともいえる。近年の若者は恋愛を

    しなくなったとはしばしば語られることだ

    が、それは自己喪失を回避しようとする心

    性の所産であるのかもしれない。

    三島由紀夫『豊饒の海 第一巻 春の雪』新潮文庫(2002)有島武郎『或る女』新潮文庫(1995)谷崎潤一郎『痴人の愛』新潮文庫(1947)

    しばた・しょうじ国際日本学研究院教授 日本近代文学 恋

    柴田勝二

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