五 十 音 索 引º” 十 音 索 引 わ 743 ら 720 や 705 ま 665 は 569 な 533 た 470 さ...
TRANSCRIPT
五 十 音 索 引
わ�
743
ら�
720
や�
705
ま�665
は�569
な�
533
た�
470
さ�
271
か�
122
あ�
1
り�
721
み�
674
ひ�
590
に�
540
ち�
495
し�
303
き�
160
い�
23
る�
733
ゆ�
710
む�
686
ふ�
603
ぬ�
567
つ�
501
す�
433
く�
187
う�
80
れ�
733
め�
698
へ�
622
ね�
567
て�
503
せ�
441
け�
203
え�
94
ろ�
735
よ�
715
も�
698
ほ�
631
の�
568
と�
516
そ�
457
こ�
231
お�
113
あい−あいべ
1
あ 【あ】
あい【愛】 物や人を貪む
さぼ
り求めること。十二因縁の
一つ。天てんじん親の倶く
しゃろん
舎論によれば、愛には①有う
ぜんま染汚(妻
子などを貪愛すること)②無むぜんま染汚(師匠などを信愛
すること)がある、とされている。
御書 一〇〇㌻ 五五四㌻など
あいおん【哀音】 悲しく、哀れな音声のこと。
日蓮大聖人は、「近来二つの妖ようかい怪有り、人の耳じ
もく目を
驚かす。所いわゆるだるま
謂達磨の邪法と念仏の哀音となり」(御
書一七二㌻)と仰せられ、まさに不幸を身に招き寄
せる、念仏を唱えることを、哀音であるとせられて
いる。
あいぎょう【愛楽】 愛護し願い求めること。楽
には願うの意がある。涅槃経聖行品には、迦かしょう葉
菩薩
の言葉として「若も
し大乗経を愛楽する者有らば、我
躬みずか
ら当ま
さに往ゆ
いて恭く
ぎょう敬
し、供養し、尊重し、讃嘆すべ
し」とあるのを始め、他人に大乗経典を受持・愛護
せしめることなどの大功徳を説いている。
御書 一五二㌻ 一六五九㌻
あいくだいおう【阿育大王】 ⇒阿あ
そかだいおう
育大王
あいぜんみょうおう【愛染明王】 愛染王の
う
ともい
う。愛染とは愛欲貪と
んぜん染の義。真言宗における本尊の
一つで、承久の乱の時、御ご
と
ば鳥羽上じ
ょうこう皇が武家を調ち
ょうぶく伏す
るためにこれに祈きとう祷したが、かえって朝廷方は敗北
してしまった。日蓮大聖人の仏法においては、不ふどう動
明みょうおう王が生死即涅ね
はん槃をあらわすのに対して、愛染明王
は衆生の煩悩を浄化し解げだつ脱させる煩悩即菩提の功徳
をあらわし、それぞれ、御本尊の向かって左端には
愛染、右端には不動が、梵字で認したた
められている。
御書 一三〇〇㌻ 一五〇八㌻
あいった【阿逸多】 ①弥み
ろくぼさつ
勒菩薩のこと。梵語
Ajita
アジタの音写で、無能勝、最勝などと訳す。
②波は
ら
な羅捺国(ベナレス)の長者の子。父を殺し、母
を殺し、さらに阿あらかん
羅漢を殺し、多くの僧坊を焼いた。
しかし、釈尊に会って出家を許され、重罪を少しず
つ滅して菩提心を起こすようになったという。涅槃
経梵行品に出てくる。
⇒弥勒菩薩
御書 七七㌻ 五五一㌻ 九六二㌻など
あいべつりく【愛別離苦】 死などによって愛す
る者と別れなければならない苦しみ。四苦八苦とい
われる八苦のうちの一つ。
⇒八苦
御書 三八二㌻
あう−あかに
2
あ
あう【阿漚】 阿傴とも書く。阿は無、漚は有の義
で、法華文句によれば、バラモンの経典はこの二字
を初めに置くという。それは、バラモンの見解が、有・
無のいずれかに偏することを表わしている。
御書 一一八六㌻
あうざし【青麨】 あおざしの音便。⇒青あ
おざし麨
御書 一二二六㌻
あおかのこだいふ【会賀の小大夫】 生没年未詳。
伊勢神宮権ごんのねぎ
禰宜・度わ
たらい会光倫(あるいは生倫)のこと。
会あおか賀は、伊勢神宮近辺の逢鹿の地名に由よ
るもので、
相鹿とも書く。小こだいふ大夫は、二郎(次郎)大夫ともい
い、地位の呼び名である。源頼朝より安あわのくに
房国東条
御みくりや厨を委ゆ
だねられた神主。
御書 七六五㌻
あおざし【青麨】 青麦を炒い
り、臼う
す
でひいて糸状
にし、より合わせて作った菓子のこと。
御書 一二二六㌻
あか【閼伽】 水、功徳水と訳す梵語。argha
アル
ガまたはarghya
アルグヤの音写。後に転じて、仏
前に供える清水をさす。
御書 四四一㌻
あかずのもん【不開門】 勅ち
ょくし使
門ともいう。日蓮
正宗大石寺の、客殿の正面前方にある小門。古来、
広宣流布達成の暁あ
かつき
、天皇の使者(勅使)がこの門を
通って、天皇の帰依を告げにくる、という言い伝え
があり、普段は閉ざされているのでこの名がある。
あかだせんにん【阿伽陀仙人】 阿あ
か
だ竭多仙人とも
書く。古代インドで、ガンジス川の水を通力によっ
て十二年間片かたみみ耳の中に留めた、といわれる外道の仙
人。涅槃経に説かれる。大聖人は、小利益があった
ことをもって自宗が優れるとする邪宗があっても、
この仙人の通力にはかなわない、しかし、それさえ
も末法の凡夫の正法を信ずる功徳に較べれば百千万
倍劣おと
る、と説かれた。また、通力にも、如に
ょらいひみつ
来秘密
神じんづうしりき
通之力という仏の最高の通力もあれば、鬼畜の低
級な通力もある。鬼畜の通力を根本とすれば、やが
ては自ら鬼畜に感応して不幸になることは自明の理
であるが、人間は往々にして、通力の不可思議にの
み目を奪われ、惑わされがちである。ゆえに、大聖
人は、通力の有無によって宗教の是非を決める危険
性を、「法門をもて邪正をただすべし。利りこん根
と通力
とにはよるべからず」(御書二三三㌻)と説かれて
いる。
御書 二二一㌻ 三六六㌻ 三九三㌻
あかにだてん【阿迦尼吒天】 梵語Akanist44ha
ア
カニシュタの音写で、色しき究く
きょう竟天と訳す。色界十八天