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esBiliJII !I{[ -

An Interpretation of the World within Mr.Seamus Heaney

Koichi YAKUSHIGAWA

Mr Seamus Heaney has once made a lecture at an International Wordsworth

Conference, the title of which lecture was "Place and Displacement". Though the

lecture was about some of the modern Irish poets, the title seems to be a helpful

key phrase to open the door into the world within Mr Heaney himself.

Using the key words, I am trying to inteprete Mr Heaney's poetical world. He

has published nine books of his own poems. Herein picked up is the first two books,

with the others left to be read in the following papers.

First, we have to know sQmething about the Irish historical background and about

Mr Heaney's own biological background.

Next I will pick up his first book of poems, cal!ed Death of A AIdturalist. Herein

disclosed is his longing to be one with Place, not with the superficial Place but with

the genius loci. The Irish Potato, it may be right to say, is an objective correlative

of the genius loci.

Thirdly,Iwill proceed to read his second book of poems called, Door into the Darle.

We will find the image of the genius loci changes into water and eel. The change

from potato to eel seems to be very significant. The one is a product of his families

own making, while the other has nothing to do with them. To be one with other

lives is far more difficult task but he has to do it in order to overcome the sense of

Displacement and make close contact with the genius loci.

The water and eel changes itself gradually into the bog and reliques but the sense of

displacement still keeps haunting with him. Mr Heaney's pilgrimage has to continue

in order to regain PIace, discarding Displacement.

(to be continued)

124 東海孊園倧孊玀芁 第3号

1居堎所の喪倱

 シェむマス・ヒヌニ䞀䞖の䜜品を仲間達ず蚳しおいるず、其凊には䜕かしっかりしたものに

寄り掛かりたいず願いながら、そんな郜合の良いものなど芋぀かる筈もなく、さりずお、䞀人

ではこの䞖のなか、なかなか安心しお立っおいられるものでもない。い぀もむラむラしながら

どう仕様もない私達ず同じ平凡な人間が、内心の苊しみを冗舌な論理ず晊枋なむメヌゞに蚗し

お、なんずか生き延びようずしおいる、そんな姿が浮かび䞊がっおくるようだ。ヒヌニ䞀䞭は

95幎床のノヌベル文孊賞受賞詩人、そんな偉い詩人を私颚情ず同じ次元で考えるのは䞍届きで

あるこずは先刻承知のうえで、なぜか芪しみの持おる圌の䞖界を私なりに読み解いおみようず

思う。

 ヒヌニヌ氏は嘗おWordsworth Conferenceで二床ばかり講挔をしたこずがある。ある時、

その衚題を“Place and Displacement”ず付けられた。内容はアむルランドの珟代詩人論であっ

たが、この衚題の蚀葉はそのたたヒヌ八䞀氏の䞖界を読み解く時の鍵蚀葉ずしお有効である。

圌は実に“Place and Displacement”の詩人ず蚀っお良いだろう。

 ヒ䞀八ヌ氏は北アむルランドのカトリック蟲民の子ずしお産たれた。北アむルランドずいえ

ば私達にずっおは文字の䞊だけにしか過ぎないが、それでも様々な耇雑な問題を抱えたずころ

だずいうこずは知っおいる。1R Aやシン・フェむン党の名前ずか、カトリックずプロ

テスタントずの血の抗争ずかだけは倚分誰でも知っおいるだろうし、むギリス領土である北ず、

独立した共和囜である南のアむルランドずに別れた䞀぀の島囜であるこずも知っおいる。熱心

なサッカヌ・ファンなら南のアむルランドがサッカヌの匷囜だずいうこずも知っおいるだろう。

私達の理解は倧䜓この蟺が最倧公玄数的な知識ではなかろうか。だがこれだけの知識さえ持っ

おいれば、ヒヌニヌずいう人の立堎のややこしさは倚少ずも感じ取れるのではないか。圌の䞖

界を読み解くためには、圌ず圌の先祖たちがくぐり抜けおきたややこしい歎史を知らなければ

どう仕様もない。考えおみれば、今日、䞖界のここかしこで起こっおいる玛争に぀いお僕たち

は䞀䜓どれだけのこずを知っおいるのだろうか、歎史を識る事は共通の認識を持ったあの第䞀

歩だなどず偉そうなこずを蚀うっもりはないが、戊埌五十幎にわたる疑䌌平和のなかで歎史の

恐ろしさを忘れおしたったように芋える僕たちも、他人様の歎史ずは蚀え、ヒヌニヌ氏の䞖界

を芗こうずすれば、嫌でも圌らの歎史を倚少なりずも識っおおかなければならない。そうすれ

ば僕たち自身のこずを昇るための手掛かりも少しは手に入るかもしれない。そこで早い摘んで

アむルランドの歎史を振り返っおみよう。

 ガヌリック語を話しおいた圌らの先祖たちは、もはや殆ど居ないずいっおも良いだろう。勿

論あの䞍思議な髭文字を曞く人は今では皆無ずいっお良い。勿論、髭文字の蟞曞は今も店頭で

売られおいるが、それを䜿う人は特殊な人に限られおいる。道路の亀通暙識もロヌマ字に替え

シェむマス・ヒヌニヌの䞖界を読み解く 125

られたガヌリック語の地名ず英語の地名ずが䜵蚘されおいるのはり゚むルズの堎合ず同じであ

る。䜵蚘されおはいおも実際は英語の地名衚蚘で党おは枈たされおいるようである。小孊校で

はガヌリック語を教えおいるそうだが、マン島のマンクスの堎合ず倧差はないようである。そ

れほどむギリス化が北でも南でも進んでいるのだが、心の䞭の䞖界ではただただ先祖の血が脈々

ず流れおいる。たった䞀床の戊争で敗けたからずいっお、長い歎史をすっかり忘れた振りをし

おいる囜民ずは蚳が違うのである。歎史だけではない、童謡も民謡も忘れられ、コマヌシャル・

゜ングずSF童話のキャラクタヌ達、぀たり、ロボットずポケ・モンがっぎ぀ぎず珟れお子䟛

の゚トスを圢成する暇もないのが今日の僕たちの囜情である。其凊ぞ行くず、アむルランドで

は今でも劖粟たちが昔の名前で掻躍レおいる。野性の倧鹿に泚意、ずいう鹿の絵を描いた道路

暙識ず共に、悪戯劖粟に泚意、ずいう意味でお銎染みの劖粟の姿を描いた道路暙識もあるのだ

から、アむルランドの人々の心の䞭には今も先祖の心が生きおいるのである。

 玀元前䞉千幎の頃に建造されたずいわれるニュヌ・グレンゞの叀墳に描かれた矎しい枊巻き

文様に代衚される曲線の組み合わされたケルトの文様は近頃日本でも小さなブヌムを起こしお

いる。アングロ・サク゜ンの文化には芋られぬ、ケルトの文化の個性的な魅力は経枈力や軍事

力では遥かに及ばぬむギリスの文化を芋事に圧倒しおいるようである。そういえば、ケルト文

化に察応できるような文化がむギリスにあったかず真面目に問われればはたず困っおしたうの

ではないか。玅茶や茶噚の文化はケルト文化に察抗できるずは思えないし、りィリアム・モリ

スのデザむンはケルトのデザむンに比べれば昚日・今日の誕生である。むギリスの叀い遺蹟は

ロヌマの遺蹟だ。むギリスの自前の文化は䜕凊にある。

 そのむギリスがアむルランドを埁服し、怍民地にしたのは十二䞖玀、1166幎ヘンリヌ二䞖の

アむルランド出兵に始たる。それ以埌むギリスはアむルランドにおける暩益を着実に拡倧しお

いったが、むギリスから出向いおアむルランドの領䞻になった以たちのなかにはケルト文化に

吞収され、ケルトの民俗に同化するものも倚くなっおきた。そこでリチャヌドニ䞖は1399幎、

自ら倧軍を率いおアむルランド埁服に乗り出した。だがその埌のむギリスによるアむルランド

支配は、むギリス囜内の事情によっおたびたび頓挫し、アむルランドの完党埁服は成功しなかっ

た。

 やがおヘンリヌ八䞖のアン・プリンずの結婚隒ぎが元ずなっお、むギリスの宗教改革が起こ

り、ロヌマ・カトリックず断絶したむギリスはプロテスタントの教䌚を起こし、ロヌマ教䌚に

察しむギリス教䌚を立おお、囜王が教皇になり、宗教的独立を果たしたのである。むギリス囜

教䌚が誕生したのは1534幎のこずであった。勀勉倹玄をモットヌずするプロテスタント粟神は

1649幎のピュヌリタン革呜によっお䞀挙に興隆し、近代資本䞻矩粟神の基瀎を築いたこずはよ

く識られおいるが、その指導者オリバヌ・クロムりェルがアむルランドを培底的に䟵略したこ

ずは案倖識られおいない。䞀説によればこの革呜は財政の砎綻しおいたむギリスがアむルラン

126 東海孊園倧孊玀芁第3号

ドでの暩益を回埩するために仕組んだものだずさえ蚀われおいるほどだった。クロムりェル軍

によるアむルランド䟵略は猛烈を極め、その圧倒的な軍事力によっお、アむルランドは壊滅的

打撃を受けた。むギリスに近代垂民瀟䌚の基瀎を築いたずいわれるクロムりェルの名声はアむ

ルランドにおいおは蛇蜎の劂く忌み嫌われおいたのである。こうしおむギリスによるアむルラ

ンド支配は着々ず進められ、1800幎の統合法によっおアむルランドは完党にむギリスの支配䞋

に入るこずずなった。この「統合法」Act of Unionを、文字どおり「結合の行為」ず重ね

た痛烈な颚刺詩をヒヌニヌは曞いおいる。

 やがお第二次䞖界倧戊埌1949幎にアむルランド共和囜が独立し、北郚のみが英囜領ずしお残

るこずになる。叀来アむルランドはロヌマ・カトリックの垃教が進みむギリスの宗教改革埌も

カトリックが䞻流を占めおきた。それに察し、むギリス囜教䌚を抌し立おるむギリスはカトリッ

ク教埒に察し数々の匟圧を加えおきた。勿論自由平等を求める近代垂民瀟䌚にあっおは、圓然

のこずながら、カトリック解攟を求める声も匷く、幟床か「解攟什」も出されたが、宗教的察

立は根匷く、最近に至るたでその差別は続いおきた。䟋えば、カトリック教埒は倧孊ぞの進孊

も蚱されず、軍隊でも高官ぞの道は閉ざされおいた。特にその差別は北アむルランドでは厳し

かった。

 そんな北アむルランドのデリヌ州、カトリック系の蟲堎モス・バンで1939幎4月13日に生た

れたのが我らが詩人シェむマスであった。政治的にはむングランドに䜵合され、倧英垝囜の䞀

郚ずはなっおいるが、北アむルランドは長い歎史ず文化を持぀土地ずしおヒヌニヌ氏の身䜓の

䞭に存圚し぀づけおいるのである。圌がその土地に執着するのは圓然ずいえるだろう。ずりわ

け圌が生たれたずころアナポリッシュAnahorish䞀それは土地の蚀葉で「枅氎の湧くず

ころ」を意味した䞀に限りない愛着を抱いおいるのはこれたた極めお圓然ずいわねばならな

い。土地から湧き出る枅氎、それは土地の呜であり、土地の霊genius lociである。圌は

垞に土地䞀Place䞀に繋がっおいる詩人であった。

   アナポリッシュ

僕の〈枅氎の湧き出るずころ〉

そこはこの䞖の最初の䞘

小道の床に散らばる

黒ずんだ小石や茝く草を

掗うように泉が流れるずころ

〈アナポリッシュ〉

子音の緩やかな傟斜

シェむマス・ヒヌニヌの䞖界を読み解く 127

母音の牧堎

ず歌う土地こそ圌のやすらぎの堎所Placeなのである。しかし運呜は圌をこの土地から匕き

はなすこずになる。

 先祖代々の蟲民の家族であり、敬床なカトリック信者であったヒヌニヌ家は圓然のこずなが

ら高等教育ずは無瞁な䞀家であった。ずころが戊埌、1947幎むギリス教育特別法が成立し、貧

しい人々にも、カトリック教埒にも、倧孊ぞの進孊の道が開かれるこずずなった。シェむマス

はヒヌニヌ家で始あお倧孊教育を受けるこずずなった。このこずは奜運であるず同時に、䞀家

のなかで圌のみが浮いおしたうずいう結果をもたらす事になった。先祖䌝来の蟲民の血が圌で

ず切れる事になる。家族の䞭での違和感、居心地の悪さ、立堎の喪倱、そんな耇合芳念が圌の

なかで芜生え始ある。やがお、1972幎の1月30日の血の日曜日がやっおくる。デリヌ垂は倧混

乱に陥る。それが原因ずいう蚳ではないだろうが、その幎の8月シェむマスヌ家は北を捚おお

南に移䜏し、ダブリン近郊に䜏むこずになる。すでに詩人ずしお名前の出おきおいたシェむマ

スにずっおそれは敵前逃亡にも等しい行為であった。北の人々ずの連垯を断ち切り、南にきた

シェむマスはそこで民族の䞭での違和感、居心地の悪さ、立堎の喪倱感を芚えたこずであろう。

やがお詩人ずしおの名声が䞊がるに぀れ、むギリスのなかでも最もむギリス的なオックスフォヌ

ド倧孊が圌を詩孊教授ずしお迎えるこずになる。兞型的なむギリス玳士たちのなかで兞型的な

アむルランド蟲民である圌が、名声ずは裏腹に厳しい違和感を芚えたであろうこずは容易にに

掚察できるずころである。土地ぞの執着を歌った詩がある。

     アンタむオス

地面に接しお暪たわっおおればこそ

俺は朝のバラのように玅朮しお立ち䞊がるのだ

戊いでリングに倒れるずきも

䞍老長寿の劙薬の働きをする土のうえに

倒れようずするのだ

俺は倧地の長い地平線からも

川の氎脈からも乳離れするこずはない

俺は朚の根や岩を

梁にしたこの地底の掞窟のなかの

小さい䞘のようなこの俺は

128 東海孊園倧孊玀芁 第3号

闇の胎内を揺り篭ずし動脈の隅々たで

逊われおいるのだ

 やがおヘラクレスによっお倧地から匕きはなされお滅びるアンタむオスにヒヌニヌは自らを

擬しおいるのである。土地から匕きはなされた詩人䞀ディスプレむスメントの詩人䞀ず私

は圌を䜍眮付ける。したがっお以䞋に述べるヒヌニヌ詩の解釈はこうい぀た角床からなされる

ものである。勿論圌の詩は詩䜜の原理ずいう角床からも、政治や瀟䌚ずの関わりずいう角床か

らも、或いは神話、䌝説、宗教その他様々な角床からの解釈にも堪えるものであるが、今私は、

党おを網矅した読み方よりも、䞀぀の角床かち読んでみるこずを遞んだ事を理解しおほしい。

97幎11月9日、倚忙な日皋の䞭からわざわざ京郜を蚪れおくださったヒヌニヌ氏の歓迎䌚で私

の考えを圌に話しおみた。圌はそれで十分だず蚀っおくれたので安心しお話を進めるこずにし

よう。

2『あるナチュラリストの死』

 圌の第䞀詩集「あるナチュラリストの死』は1966幎に出版された。この詩集の特色は甚語の

感芚的な豊かさず盎栜さにあるず蚀える。だがこの特色はこの第䞀詩集に限ったものではなく、

ヒヌニヌ詩の党おを通しお流れおいる圌自身の性栌によるものであろう。

 前章で、私はヒヌニヌ氏の基本的な特城ずしお、民族的、家族的堎における立堎の喪倱感ず

いえるものを指摘しおおいた。だが少幎時代のヒヌニヌは硬い家族の絆で結ばれたヒヌニヌ家

のなかで暖かく守られおいたのである。その家族の繋がりの緊密さは埌に結婚した劻のマリヌ

も驚くほどだったずいう。「圌の家族はたるで殻の䞭でしっかりず守られた卵の様だった。そ

こには他人のはいる隙間もなかった。」ずマリヌの効、ポリヌは曞いおいる。この䞀䜓感は圓

時、カトリックずプロテスタントに分かれお互いに憎しみ合い、隣人にも心を蚱せなかった、

圓時のアむルランドの瀟䌚状況を考えるずき自己防衛のための圓然の姿勢であったのかもしれ

ない。シェむマスはヒヌニヌ家の䞀員ずしお自分の居堎所をはっきりず持っおいた。同時に圌

は家族の堎所ずしおのモスバンず蚀う土地に匷く結ばれおいたのである。

 ナチュラリストず蚀う蚀葉は今日、アりトドアヌ・スポヌツ愛奜家、自然愛奜家、自然環境

保護䞻矩者ずいった、なんずなくプラス指向の蚀葉ずしお受け取られるだろうが、ヒヌニヌが

䜿う堎合それはむしろマむナス指向の蚀葉ずなる。

 䞀䜓、自然ずは䜕なんだろう。自然に成立しおいる生態系が守られおいる䞖界のこずなのだ

ろうか。確かにそれが自然であるこずを疑うこずはできない。動怍物の生態を芳察し分類し、

その態系を乱さないように守るこずは倧切な仕事である。だが動怍物の生態系に分類され、䜍

シェむマス・ヒヌニヌの䞖界を読み解く 129

眮付けられるものだけが自然を構成しおいるのだろうか。䟋えば、䞋北半島の恐山を蚪れたず

きに感じるあの䞍思議な気分、恐怖感ずもいえるものは䜕から発しおいるのだろうか。恐山を

芳察し分類すれば、それはあの蟺りに挂う異様な雰囲気がむオり分を含んだ火山性のガスの所

為だずいうこずは説明が぀くだろうが、果たしおそれで玍埗するほど我々は単玔な博物孊者に

なり切るこずができるだろうか。ハムレットの蚀葉を借りるたでもなく、この䞖には哲孊で理

解できないこずがたくさんある、のではないか。僕たちが䜏んでいるこの京郜の町は怚霊がひ

しめいおいるずいわれる。それぞれの土地にはその土地の霊が朜んでいるだろう。地霊を博物

孊者はどのように分類するのだろうか。博物孊的分類図に居堎所を持たない地霊や怚霊は非科

孊的だずいっお切り捚おおよいのだろうか。土地ずの繋がりはそういった博物孊的分類に含た

れない、疎倖された霊類ずの繋がりもしっかり含むものであろう。「穎熊の穎の蟺りには䞍思

議な力の堎が挂っおいる。それは霊たちの領界なのだ。僕たちは沌の瞁に出没する超胜力を持っ

た男のこずを聞いたこずがあるし、人間に取り぀くものや沌の粟のこずなどを噂しあったもの

だ。これらはナチュラリストの分類には入らない存圚なのだが、やはり本物なのである」ずヒ䞀

月ヌは少幎時代を回想しお語っおいる。ナチュラリストずは博物孊的分類に入らないものの存

圚を吊定する人のこずず理解しおもよかろう。ヒヌニヌが生たれた土地ずの繋がりを倧切にし、

自然に目を向けるのは衚面的な自然を芋るのでなく、その䞋にうごめくもの、物の奥にあるも

の、それは地霊であったり、歎史であったり、神話であったりするのだが、そういったものず

の繋がりを倧切にするためなのである。『あるナチュラリストの死』ずいう詩集の衚題は、自

分の䞭にあるナチュラリスト的郚分に死を宣告したものである。

 このナチュラリストは䜜品の䞭では衚題䜜ずなっおいる「あるナチュラリストの死」では小

孊校のりオヌルズ先生ずいう姿で描かれる。

    僕は春ごずにゞェリヌで包たれた粒粒を

    ゞャムの空瓶に䞀杯詰めお家の窓敷居や

     孊校の棚に䞊べ

    粒が膚らみ突然敏捷に泳ぐ

    オタマゞャクシになるのを

     じっず埅ち望んで芋おいたものだ

    女のりオヌルズ先生はどうしお

     父ちゃん蛙は牛蛙ず呌ばれるのかずか

    この蛙が鳎くず母ちゃん蛙が

    䜕癟ずいう小さな卵を生むのかずか

    これが蛙の卵ですよずか

     教えおくれたものだった

130 東海孊園倧孊玀芁第3号

ここにはナチュラリストずしおの僕や先生がいる。そこには幌い奜奇心に満ちた目がある。だ

が、ある猛暑の日、耕地が牛の糞で臭い出すず、怒り狂った蛙たちが亜麻溜めに入り蟌んでき

た。圌等は今たでに聞いたこずのない䞋卑た声で鳎き喚いおいた。それらは瓶の䞭でオタマゞャ

クシがかえった蛙ずは䌌おも䌌぀かぬ連䞭だった。

    蟺り䞀面は䜎音のコヌラスで䞀杯だった

    亜麻溜めの真䞋の泥土には

      倧きな腹の蛙共が

     頭をふんぞりかえらし

    匛んだ銖は垆のように錓動しおいた

     䜕匹かが跳んだ

    ビチャビチャいう早早な音を聞いお

     僕は怯えた 䜕匹かは泥たみれの

    手留匟の様に坐り

     がおっずした頭で屍をこいおいた

    僕は気分が悪くなり身を翻しお走っお逃げた

    倧きな泥寧の干たちが埩讐のために

     あそこに集たっおいたのだ

    手でも挬けようものなら

    蛙の卵は僕のその手を掎んで

     離さないだろうず悟った

前半の長閑なナチュラリストは本物の自然から手痛い仕返しを受ける。孊校で芳察しおいた蛙

の卵や蛙たちが、いかに奇麗事の䞖界であったかを僕は思い知らされ、僕の䞭のナチュラリス

トは死ぬ。ヒヌニヌの䞖界はここから始たる。矎しく愛らしい自然が、実はその䞭に修矅を抱

えおいるこずを知るのは蟛いこずだが、そこを乗り越えねば少幎は倧人になれない。その通過

儀瀌の衝撃を綎ったのが、この第䞀詩集だずいえる。平和な自然が䞍条理な珟実を芋せ぀ける

その瞬間をヒヌニヌは正確にかっ冷静に芳察する。このころ圌が匷い圱響を受けたのは今は桂

冠詩人ずなっおいるテッド・ヒュヌズであった。ヒュヌズも自然を冷静に、正確に芳察する詩

人である。そしお自然の生呜の営みの䞭に朜む呜の䞍思議さに匕かれ、その䞍思議さを奇怪な

むメヌゞで衚珟しようずする詩人である。ヒヌニヌは其の芳察県ず衚珟力に匷い圱響を受けた。

動物たちの動きや衚情の衚珟には其のこずがはっきり珟われおいる。だが決定的な盞違は䞀方

が察象ずしおの呜の衚珟に培したのにたいし、他方はそこに自らの姿を芋たこず、ではないだ

ろうか。ヒュヌズの詩は圌の倧人ぞのむニシ゚むションを描いおいるのではなかった。ヒヌニヌ

は自然の持぀䞍条理を其のたた受け入れるこずを孊んでゆく。自然を矎しく䜜り替えようずす

シェむマス・ヒヌニヌの䞖界を読み解く 131

るのは、小賢しい人間の思い䞊がりだず圌は蚀っおいるようだ。かっおのスペンダヌのように、

われわれは砎壊的芁玠の䞭に䞀床深く沈朜しなければならない。浮き䞊がる力は其のずき芋぀

かるだろう。ず圌は蚀っおいるず私は考える。

 「あるナチュラリストの死」は通過儀瀌を終えた少幎ヒ䞀芧ヌの姿を描いお完壁である。

「黒むチゎ摘み」はそんな自然の䞍条理を珟実ずしお受け入れようずする少幎ヒヌニヌの匷靭

な神経ず悲しさずを描いおいる。

    八月も䞋旬 たる䞀週間もたっぷりず

    雚や倪陜に浞れば黒むチゎは熟しおくる

    最初 䞀粒だけ艶やかな玫色の粒ができるが

    他のものはただ淡玅色で青く 結び目のように固い

    其の最初の実を食べるず

    果肉はこくのある葡萄酒のように甘い

     そこには倏の血がある

自然の営みの矎しさ、愛しさに包たれた少幎がここにはいる。だがその自然の甘矎さは盎ぐに

少幎を裏切るのだ。

    桶が䞀杯になる頃には毛が生え

    錠色の菌が貯蔵庫に繁殖しお

    果汁も錻を぀くようになる

    朚から摘み取られた途端

    実は発酵し甘い果肉も酢぀ばくなるのだ

    僕はい぀も泣き出したくなる

    猶䞀杯に詰めた矎しい実が

    腐った臭いになるなんお筋が通らない

    毎幎 其のたたであっお欲しいず願いながら

    思い通りにならないのだ

 「予防駆陀」ずいう䜜品はさらに残酷な自然の珟実を芋せ぀ける。牧蟲家にずっお小動物に

よる病気の媒介は䞀番困ったこずである。錠はもずより、小猫や小犬も病気の䌝染を防ぐため

には予め駆陀するこずも必芁である。それによっお人間、家畜、野性の生き物だちの生態系が

保たれるのである。サバンナでの野性動物たちの共生は適床の殺し合いによっお成り立っおい

るこずを知らねばならない。そこでは生癜いヒュヌマニズムの愚かしさが露呈されるのである。

     六歳のずき 初めお子猫たちの溺死を芋た

     ダン・タガヌトがバケツの䞭に投げ入れたのだ

     「この痩せたチビ忌め」か匱い金属音がした

132 東海孊園倧孊玀芁 第3号

        ●   ●  ●         ●   ●  ●

     急にぞっずしお僕は数日間悲しくなっお

     裏庭をうろ぀き濡れた䞉぀の死䜓が

     叀びた倏の糞のように也燥するのを芋おいた

        ●  ●   ●         ●   ●  ●

     「残酷防止」は 死を䞍自然ず考える町䞭では

     癜々しく通甚するが 蟲堎をうたく経営しおゆくには

     厄病神は駆陀されなければならないのだ

䞍条理は人間の歎史には付き物なのだ。「じゃがいも掘りに行っお」は歎史の䞍条理のなかで

生きおきたアむルランドの人々の苊しみがじゃがいもの姿のなかに結晶する。自然の䞭の䞍条

理はやがお歎史の䞭の䞍条理ぞず移っおゆく。アむルランドずいう、蚀わば䞍条理其のものの

䞭で生きるヒヌニヌが歎史ずいう尀もらしい圢を取っお珟われる人間の勝手な政治に厳しい目

を向けるのは圓然の成り行きであろう。そこにはむギリスの怍民地ずしお収奪されるアむルラ

ンド蟲民の姿が冷厳な芳察県で描写される。

      盲目の生きたドクロが

      ずお぀もなくがたがたの骞骚の䞊にのっかっお

      䞀八四五幎の倧地を駆け巡り

      疫病にかかった根を貧り食っお死んだ

 自然の裏切り、人間の冷酷さ、ずずもに地霊ずの亀流の䞍思議もヒヌニヌにずっおは倧きな

芁玠である。「氎占い垫」はそういった土地の奥にある力の存圚ず、それず亀信する胜力ずの

䞍思議に目を向けた䜜品である。

     緑の生け垣から切り取られた

      二股のハシバミの枝

     氎占い垫はその小枝のV字圢の䞉枝を

      しっかり握り

     地面に茪を描きながら神経を集䞭し

     専門家らしく隒ぎもせず

      氎脈の匕きを探した

突然 匕きが刺されたように鋭く来た

杖が震えながら正確にそこを指す

地䞋の氎が緑のアンテナを通じお

其の秘密の発信局を䌝えおくるのだ

シェむマス・ヒヌニヌの䞖界を読み解く 133

 詩人ずはこの氎占い垫のようなものだずヒヌニヌは蚀う。自然ず繋がるずいうこずはこのよ

うなこずなのだ。ナチュラリストではこうはいかない。詩人ず自然ずの間には䞍思議な力の堎

ができる。詩はそこから生たれおこなければならないのだ。其のように宗教も倧袈裟な圢匏の

なかにあるのではなく、町の教䌚の片隅に膝た぀く貧しい女たちの姿のなかにこそあるこずを

「町の教䌚の貧しい女たち」は描き出しおくれる。

 巻頭詩「土を掘る」にはじゃがいもに察する想い入れが、父芪から祖父を通しお䌝わっおき

たヒヌニヌ家の蟲家ずしおの䌝統が、アむルランドの歎史ず重なり合っお歌い蟌められおいる。

同時にそれは歎史の流れから倖れた自分の姿ず察立するものずなる。

     人さし指ず芪指ずの間に

     ずんぐりしたペンがある

      銃のように銎染んでいる

窓のしたでカリカリず良く響く音がする

鋀が小石混じりの土に食い蟌んでいるのだ

芪父が土を掘っおいる 芋䞋ろしおいるず

     花壇の䞭で尻に力がこもり

     ぐいず䞋がっおは䞊がっおくる

     それはじゃがいも畑で芪父が

       土を掘るずきのリズム

     䞊䜓を屈めた二十幎前の姿だ

父は今も昔も同じ姿で土を掘り、じゃがいもを掘り出しおいる。じゃがいもを掘る鋀は父の手

にすっかり銎染んでいる。ずころが息子は畑に出るこずもなく、鋀を握る代わりに指にはペン

が銎染み、しかもそこには、鋀を握る手には銎染たぬ血で血を掗う同じ民族同志の争いが重なっ

おいる。息子は二階の曞斎で詩を曞き、父は䞋の畑でじゃがいもを掘っおいる。父ず息子の隔

たりは倧きい。

     じゃがいも畑の衚土の冷たい匂い

       湿った泥炭土のぐにゃぐにゃで

     しかもぎしゃっずした感觊

       生きおいる根っこを

     そっけなく切った鋀の刃の

       切り口が僕の頭に蘇る

     だが僕の手にはこうした人の埌を嗣ぐ

134 東海孊園倧孊玀芁 第3号

鋀はない

     人さし指ず芪指の間には

     ずんぐりしおペンがある

     僕はこれで掘るのだ

 「僕はこれで掘るのだ」ず自分に蚀い聞かせおはいるが、ただこの第䞀詩集では䜕をどう掘っ

およいのか刀らない。それどころか、「だが僕の手にはこうした人の埌を継ぐ鋀はない」ずい

う立堎の無さ、断絶感、が重苊しくのしかかっおいる。

 立堎の喪倱ず少幎から倧人ぞの通過儀瀌ずを䞭心に第䞀詩集を考えお芋たが、ここにはそれ

以䞊に倚くのこずが蟌められおいる。其のこずは第二詩集以䞋を読みながら考えるこずにしよ

う。

3 「闇ぞの入り口』

 第二詩集『闇ぞの入り口』は1969幎に発刊された。第䞀詩集『ナチュラリストの死』で垞識

的な䞖界芳に決別したヒヌニヌは、垞識的、合理的䞖界芳に替わるものずしお地霊genius lo

ciずの繋がりを求めたのであった。「掘る」ずいう行為は圌にずっお䜕か䞍動のものずの繋が

りを求める行為なのである。同時にそれは掘るこずによっお生きおきた父、祖父ぞず遡る家の

血脈に繋がろうずする願いでもあった。displacementの詩人ずしおのヒヌニヌにずっお掘る

こずは必然的な営みであったず蚀えよう。

 第二詩集の衚題に぀いおヒヌニヌ自身の説明によれば、「詩ずいうものは隠された情念の䞖

界ぞの入り口、或いは、出口」であり、「蚀葉はそれ自䜓ドアなのだ」ず蚀っおいる。たしか

に詩は名付け埗ない状況䞀フロむト颚に蚀えば䞀ファンタスム、あるいはTS゚リオッ

ト颚に蚀えば䞀暗黒の胎児、に向かう入り口であり、それを匕き出しおくる出口でもある。

この詩集は圌の詩論集ずいっおも良い。ヒヌニヌの心に幡るものは、勿論個人的なファンタス

ムでもあるが、それは同時にアむルランドの抱えるファンタスムでもある。厳しい政治的状況

が個人的ファンタスムずなっお衚象されるずころにヒヌニヌの詩の魅力があるずも蚀えるだろ

う。

 第䞀詩集がいわば圌の旅立ちの宣蚀であるずすれば、これは求めるものを探す自己発芋の曞

である。

 掘るこずによっお確かに生きるための糧である薯を掘り出すこずが出来たし、それ皋確実な

生きるこずの蚌はなかった。だが、その営みに、圓然のように埓うこずから決別したヒヌニヌ

にずっお、「僕はこれペンで掘るのだ」ず宣蚀しおみおも、圌が掘り出すものは薯のよう

シェむマス・ヒヌニヌの䞖界を読み解く 135

に倧地にどっしりず根付いた固いものではない。氎占い垫が探り圓おる地䞋の氎も流れる氎で

はなく地䞋に淀んだ溜り氎であった。動かぬものではなく、䜕か新しい、動きだすものを圌は

求めおいた。第䞀詩集は「掘る」ずいう動䜜は描かれおいるが、䞍思議に静かな、動かぬ感じ

を挂はせおいた。どこかぞ行かねばならない、ずいう想いが第二詩集には溢っおいる。圌の関

心が倧地のなかの薯から氎に倉わるのは象城的である。

   「鮭釣り垫から鮭ぞ」

突き出した口を䞊流に向け

おたえは再び殻竿を打぀ように内陞に向かう

海での流浪の旅は故郷の川の匕力に匕かれお

無条件に取りやめずなった

僕は川の真ん䞭に立っお釣り糞を投げる

足元でひしめき合う川の氎は腰に䞋げた魚鈎や網

斑ら色の矎しい毛針を飛ばす

癜い手銖を映しおいる

●  ●  ● ●  ●  ●

おたえが殺るずき 僕も殺る

僕らは毛針をはさんで共に無の境地

鋌の針がっかえた喉を お前はどう仕様もない

僕は魚の臭いをさせ鱗だらけで家路に向かう

 氎の䞭から鮭を釣るこずは、畠からゞャが芋を掘るこずに䌌おいるが、ゞャが芋は先祖の耕

した土地から、自分の手で䞹粟しお育おあげたもの、鮭は党く自分に属さない独立した存圚。

ゞャが芋ず自分ずの間には深い絆があるが、鮭ず自分ずの間には戊いしかない。ヘミングり゚

むの『老人ず海』で描かれるサンチャゎ爺さんずカゞキマグロの愛のこもった䞀階打ちを思い

出させるようである。鋌の針を劂䜕にしお鮭の喉に匕っ掛けるか、それは肉䜓的な戊いではな

く、極めお゜フィスティケむトされた静かな戊いである。それは䞀芋閑かな颚景に芋えるが、

呜を懞けた真剣な戊いなのだ。流れる氎の䞭から、自分の物ではない他人の呜を釣り䞊げるこ

ず、ヒヌニヌはそこに自分の進む道を芋出したのではなかろうか。

136 東海孊園倧孊玀芁 第3号

   「いなくなった」

光るく぀わの䞡端で

泡立っおいた緑のあぶくは

蜘の巣のような草の接

捻れた腹垯は汗で堅くなり

手に冷たい目隠し革の圓おものが

膚らんで衚地からはみでおいる

手綱や金茪や匕き革は

垂れ䞋ったたただ

圌奎のむんむんした臭いはなくなった

ここには圌奎の臭いが培のように残っおいる

圌奎は蹄だけを぀けお

急いでいっおしたった

この銬小屋を散らかしたたた

“GONE”ずいう英語の衚題は文字通り「行っおしたった」ずいう意味ではあるが、それ以倖

に「逝っおしたった」ずいう意味でもある。銬は売られたのかもしれないし、死んでしたった

のかもしれない。䜕れにしおも掌䞭の玉は無くなったのである。残ったものは、実感ずいうか、

存圚感のしっかりした銬ではなく、埜のような臭いだけなのだ。

  「倢」

手䜜りだから頭郚が

ずっしりず重い銘鎌で

電信棒ほどの倪い朚の幹を

僕はぶった切っおいた

䞡袖をたくり䞊げおいたので

刃先を振るっお打ち蟌むずき

倧気がひんやりず䞡の腕を煜った

それから刃を匕き抜こうず躍起になった

もう䞀床振り䞋ろすず

男の頭が鉋の䞋に珟われた

シェむマス・ヒヌニヌの䞖界を読み解く 137

僕は鉋の刃がそ奎の額の骚に

食い蟌んで止たる音を聞いたずたん

目が芚めた

 僕がぶった切っおいる倪い朚の幹は連綿ず先祖から続いおいる呜の朚、あるいはFamily

tree、であろう。気が付くず僕が振り䞋ろした鉋の刃は男の額に食い蟌んでいたのである。男

は父であり、祖父であるかもしれない。氎占い垫が抛の枝で地面を探り、止たったずころには

氎脈があるのず同じように、切ろうずした倪い朚の幹の䞭には先祖の男たちがいる。「いなく

なった」では生き生きず倧地を駆けるはずの駿銬が、倧地を駆け抜ける代わりに埮の臭いずなっ

お消えおしたった。「掘る」だけでは駄目なので、どこかぞ行かねばならないのに、䜕凊ぞも

行きようのない閉塞感のみが残る䞖界である。

 第䞀詩集の最埌で

子䟛の頃 呚りの者は僕を釣瓶や巻き䞊げ機のある

井戞や叀いポンプのそばから遠ざけるこずは出来なかった

僕は暗い穎 閉じこめられた空

氎草や埜や湿った苔の臭いが奜きだった

ず歌い

今どこかの井戞を芗き蟌んで浮草を調べたり泥を觊ったり

倧きな目のナルキ゜スを芋぀めたりするこずは

党く倧人げない僕が詩を䜜るのは

自分を芋るため 闇を朚霊させるため

ず歌ったのを受けお生たれた第二詩集「闇ぞの入り口』ではあるが芋぀める自分のなかの闇は

朚霊しおくれそうにない。それでも「僕」は遊り出る開攟を求めお自分を芋぀め続けねばなら

ないのだ。圌はポンプが奜きだ。詩人はポンプのようなものだず圌は考える。地䞋に朜む氎を、

たるで掘り出すように、ポンプで汲み䞊げるず、眠っおいた氎が生き生きず送る。溜たっおい

た地䞋の氎が筒先から送る快感を求めお圌は闇ぞの入り口を探る。「鍛冶屋」ずいう詩では

「僕にわかっおいるのは闇ぞの入り口だけ」ず嘆きながらも、その入り口の奥では鍛冶屋が早

いピッチで鉄床を打っおいる音を聞いおいる。其凊では火花が飛び散り、真っ赀に焌けた蹄鉄

を氎に入れるず湯玉がじゅ぀ず匟ける。その激しい営みのなかから䜕かが生たれるずいう予感

138

が詩人を駆り立おるのだ。

東海孊園倧孊玀芁 第3号

   「春の祭兞」

こうしお冬は拳を握り締め

その拳をポンプのなかにぐっず抌し蟌んでいた

ピストンは凍っお

喉元に氷の固たりを詰め

鉄の肌には氷が凍お぀き

ポンプの手は斜めになっお麻痺しおいた

そこでがく達は麊藁をよっお

荒瞄を䜜り ポンプの胎ず

筒先にしっかり巻き付けた

火を぀けるずポンプは炎に包たれ

それが冷えるず僕らは氎の堰を倖した

圌女の入り口は濡れ そしお圌女は遊぀た

やがおこの氎は神話の氎の粟りンディヌヌずなり、

    「りンデむヌヌ」

掘割りが川の近くで亀わる蟺りでは

私は小波を立お泡立っおいた

やがおあの人が私の腰に鍬を䞀ず掘り深く食い蟌たせ

  私を自分のものにした 私は圌の生呜の溝を

  喜んで飲み蟌み その根元たで深く圌の愛を求めお

  我が身を炞裂させ 艶やかな穂に巻き付いた

 こうしお人間ず亀われば生呜を埗るずいわれたりンディヌヌは、人間の圌僕ず亀わっお目

的を達成する。ヒヌニヌは明らかにりンディヌヌになるこずを求めおいた。それは新しい生呜

を埗るこずなのである。りンディヌヌは人間ず亀わるこずを求め、ヒヌニヌは地霊ず亀わるこ

             シェむマス・ヒヌニヌの䞖界を読み解く            139

ずを求めおいた。「りンディヌヌ」はヒヌニヌの願いを鏡文字で衚したものずいえよう。

 「母」ず題された䜜品も氎に繋がっおいる。ポンプから出る氎の音はヒヌニヌに取り぀いお

いる䜕か根源的なものかもしれない。この詩では出産のむメヌゞずダブうせお母を歌っおいる。

私がポンプを動かしおいるず

今汲み出しおいるロヌプのような氎を

雚粒を含んだ颚がほぐしおいる

ピストンがゎボゎボ動くたびに

空気の埌産のように氎は出る

●  ●  ● ●   ●  ●

暪になっおも立っおいおもこの暎れん坊は抑えられない

私の井戞のなかのこのガボガボいう音

●  ●  ● ●   ●  ●

ああ この私の䜓が自分の生呜の出口になるずき

倪腿にスカヌトを巻き付かせ

喉に空気を詰め蟌むあの颚に

私の氎を解いおもらいたい

 ゎボゎボず音を立おおポンプの口から遜しる氎は、「春の祭兞」を思い出させる。たさに暗

やみの胎児の出珟である。氎は鮭を育お、その呜を抱えおゎボゎボず滋しり出る。氎の䞍思議

な力はそれだけではない。

    「思い出の遺物」

湖の氎で

朚は石化し

叀いオヌルやマストは

長い幎月の果おに

朚目を硬化しお

瑞々しさず季節の霊を

140 東海孊園倧孊玀芁 第3号

幜閉する

●   ●  ● ●  ●  ●

冷える星

石炭 金剛石

あるいは 燃え぀きた流星の

突然の誕生は

䜙りにも単玔で

この遺物が貯えおいるほどの

魅惑を持たない

孊校の棚にある

オヌトミヌル色をした

石の砎片

 朚の切れ端が長い間沌の氎に浞っおいお石ずなったのは、明らかに氎の䞍思議な䜜甚による。

石化した朚切れは鮭のように、りンディヌヌのように、呜を秘めおいる。詩人の務めは氎のよ

うに朚片にも呜を䞎えるこずではないか。朚片を石化しお歎史ず呜を封じこめるには詩人自身

のなかに沌の持぀力がなければならない。その力は詩人のなかに朜むファンタスム或いは暗黒

の胎児が吐き出す気の力であろう。この詩に぀぀いお「ネ゚湖連詩䞀持倫達に捧ぐ」が䞊ぶ。

其凊では湖ず鰻ずサルガッ゜ヌの海が䞻題になる。

     1

湖は幎毎に生け賛を芁求する

湖は朚を固めお石にする力を持っおいる

氎底には沈んだ町がある

マン島の残した傷跡だ

 ●   ●  ●         ●  ●   ●

     2

内陞二癟マむルの所では

内分泌腺が泥を掻き立おおいる

氎の鱗が氎に乗っお

            シェむマス・ヒヌニヌの䞖界を読み解く            141

   河ロぞず進んで行く

   こ奎は挂い流れお

   倧西掋を半ばよぎる

     o  ●   ●         ●   ●  ●

 鰻の皚魚は氎の粟であり、氎底の町の䜏人の怚霊でもある。人は氎の粟ず䌝説の恚みに察し

生け賛を捧げ続けながら鰻を釣る。それは博物孊者には理解できない正圓な代䟡なのだ。歀凊

には霊ず人間ずのみごずな共生がある。そこには党おが所を埗た生きざたがあり、displacement

の悲哀の入る䜙地はない。氎占い垫は地底の氎ず亀感するこずでdisplacementの寂蓌から逃

れおいるようであった。だが鰻釣りの持垫には鰻ずの共慈はない。どれだけの時が流れおも鰻

は「恐怖の倪綱」であり続ける。

   数幎埌倜川原に立っおいるず

   恐怖が卿化したかのように

   鰻が氎草の䞭を通りぬけ

   氎草の原が流れおゞェリヌ状の道になる時

   歀凊に立っお

   鰻が地面を暪断するのを芋おいるず

   僕の䞖界の生きた腰玐が解けお行くようだった

 サルガッ゜ヌの海を回り、どうしお故郷の川を芋付けるのか刀らないが、鰻は確実に戻っお

くる。そしお今、氎草の原にゞェリヌ状の道ずなっお戻っおきた鰻は「泥檞の王」ずなっお僕

を嚁嚇した蛙のように、

   筋ばったぬるぬるの燐光が

   足元に続いおいた

のである。「倕暮に倧きな倪陜を薄切りにしお行く倧草原は歀凊にはない䞀」ず歌われ

るアむルランドの沌地は「数癟䞇幎をかけおも最埌の段階に達しおいない」のである。

      「沌地」

     ●  ●  ●        ●  ●  ●

   この囜の開拓者たちは

142 東海孊園倧孊玀芁 第3号

内ぞ䞋ぞず掘り続ける

掘りだされたそれぞれの地局には

人が䜏んでいた跡がある

沌の氎はひょっずするず倧西掋の滲み氎

沌の真ん䞭は底無し

そこが鰻の故郷だずすれば、

こは氞遠のdisplacement。

ヒヌニヌ氏の垰る堎所もそこ以倖にはないのかもしれない。そ

続く

TextSeamus Heaney

Poems

    DΞα‘ん。ゟノ1Nα臚rα髭8‘FaberFaber London1969

    ゚σor〃τご。疏ΞDαrんFaberFaber1969

     『シェむマス・ヒヌニヌ党詩集19661991』薬垫川他蚳泚釈 囜文瀟、東京、1995

Prose

    PrΞoccÎŒpα‘ぬπ8 SΞごeαe∫ProsΞ19681978FF1980

    7んΞGoびΞrπηLΞ鷹ゟご1乙Ξ70πgΌΞ The l986 T S Eliot

    Memorial Lectures and Other Critical WritingsFF1988

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RF Fostered7んe Oガordl 1〃Όs‘rα‘Ξd H‘s‘orンゟ1RELAND

 Oxford UP Oxford1991

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 1995

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