vajravidāraṇa-dhāraṇī における イェーシェードルジェーの注 …

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-(187)- Vajravidāraṇa-dhāraṇī におけるイェーシェードルジェーの注釈と儀軌について(田村) Vajravidāraṇa-dhāraṇī における イェーシェードルジェーの注釈と儀軌について 田村 宗英 抄録 本稿では、イェーシェードルジェーの活躍年代を翻訳者から推定し、8 世紀には 活躍していたと考える。特に、タントラの分類法では 4 種類の分類法が示されてお り、流伝前期には翻訳されていた可能性を鑑みると非常に興味深い。儀軌について は、イェーシェードルジェー作が半数以上を占める「百八法」というまとめ方が古 くからあったと推定され、一定の権威を持っていたものと考えられる。 さらに、タントラの分類や親近行のひとつである六種本尊に言及している点は、 Buddhaguhya と似通った思想がみられる。奥書から判断すればイェーシェードル ジェーは Buddhaguhya よりも以前に活躍していた人物と考えられ、Buddhaguhya 含め、後代に影響を与えた可能性もあることから、今後も引き続き注意して追って いきたい。 0.はじめに Vajravidāraṇa-dhāraṇī は、日本においては全く馴染みのない陀羅尼ではあるが、 これまでの研究成果から 8 世紀頃にはすでにチベット地域において広く流布してい たと考えられる 1 。人々の罪障を浄化する功徳が大きい陀羅尼として篤い信仰を集 めていると共に、現代では山や川などの浄化、日本でいうところの地鎮法や地鎮祭 にあたる儀礼を執行する際にも用いられている。 注釈については合計 10 本あり、著名な人物たち(Śāntarakṣita,Padmasaṃbhava, Buddhaguhya など)が名を連ねている。今回は、その中でも特徴的な注釈を加えて いるイェーシェードルジェー(Ye shes rdo rje /Jñānavajra)に着目し、考察を進めて いきたい。 1 田村 2014,2015a,2015b

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Vajravidāraṇa-dhāraṇīにおけるイェーシェードルジェーの注釈と儀軌について(田村)

Vajravidāraṇa-dhāraṇīにおけるイェーシェードルジェーの注釈と儀軌について

田村 宗英

抄録 本稿では、イェーシェードルジェーの活躍年代を翻訳者から推定し、8 世紀には活躍していたと考える。特に、タントラの分類法では 4 種類の分類法が示されており、流伝前期には翻訳されていた可能性を鑑みると非常に興味深い。儀軌については、イェーシェードルジェー作が半数以上を占める「百八法」というまとめ方が古くからあったと推定され、一定の権威を持っていたものと考えられる。 さらに、タントラの分類や親近行のひとつである六種本尊に言及している点は、Buddhaguhya と似通った思想がみられる。奥書から判断すればイェーシェードルジェーは Buddhaguhya よりも以前に活躍していた人物と考えられ、Buddhaguhya を含め、後代に影響を与えた可能性もあることから、今後も引き続き注意して追っていきたい。

0.はじめに Vajravidāraṇa-dhāraṇī は、日本においては全く馴染みのない陀羅尼ではあるが、これまでの研究成果から 8 世紀頃にはすでにチベット地域において広く流布していたと考えられる

1

。人々の罪障を浄化する功徳が大きい陀羅尼として篤い信仰を集めていると共に、現代では山や川などの浄化、日本でいうところの地鎮法や地鎮祭にあたる儀礼を執行する際にも用いられている。 注釈については合計 10 本あり、著名な人物たち(Śāntarakṣita,Padmasaṃbhava,

Buddhaguhya など)が名を連ねている。今回は、その中でも特徴的な注釈を加えているイェーシェードルジェー(Ye shes rdo rje /Jñānavajra)に着目し、考察を進めていきたい。

1  田村 2014,2015a,2015b

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智山学報第六十九輯

1.原典とその内容 原典である Vajravidāraṇa-dhāraṇī(Toh.750=949 / Ota.406=574)については筆者のこれまでの論考で度々言及しているが、理解の便を図る上で、簡単にまとめておきたい。 これまでの研究成果から Vajravidāraṇa-dhāraṇī の成立年代は、7 世紀末~ 8 世紀頃と目される。文献上の位置について、Padmasaṃbhava や Buddhaguhya の注釈書では所作タントラとしている。『プトゥン仏教史』(Toh 蔵外 5197)・第 4 章「目録部」

2

に従うと、所作タントラのうちの金剛手タントラ(金剛部)に属するものである。また、ネパールでまとめられ、現在でも重んじられている短い 7 つの陀羅尼経典集Saptavāra

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の第 2 番目を構成するものである。陀羅尼の内容については、金剛手が仏の不可思議な力(加持)をうけ、忿怒金

剛手となって説いているものである。「一切の有情を恐れさせる」、「停止させる」、「惑乱させる」など荒々しい内容が中心となっており、最後に陀羅尼の功徳を偈の形で説いている。

2.注釈者イェーシェードルジェーについて イェーシェードルジェーには、Karuṇoudaya-nāma-bhāvanājapavidhi(Toh.2524/Ota.3346)

と Vajravidāraṇā-nāma-dhāraṇīpaṭalakramabhāṣyavṛttipradīpa-nāma(Toh.2687/Ota.3511)

の 2 本の著作があり、チベット語への翻訳と校訂、また引用文献から活動期を 8 世紀ころと見做す先行研究がある

4

。 また、アーンダガルバが教えを受けたとされる 4 人の師匠の中にイェーシェードルジェーの名前が挙がっている

5

。『如来心荘厳』(Tathāgatahṛdayāiaṃkāla,Toh.4019)の作者はジュニャーナヴァジュラ(Jñānavajra)で同名ではあるが、内容から判断して別な人物だとする指摘がある

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。 イェーシェードルジェーという人物を知る手がかりは少ないものの、本稿で扱う

2  西岡 1983:493  saptavāra:1.Vasudhārānāmāṣṭottaraśataka ,2. Vajravidāraṇa-dhāraṇī,3.Gaṇapatihṛ-daya, 4.Uṣṇīṣavijayādhāraṇī,5.Parṇaśbarīdhāraṇī ,6.Mārīcīdhāraṇī ,7.Grahamātṛkādhāraṇī. (詳細については、『梵語仏典の研究Ⅳ 密教経典編』,平楽寺書店 ,1990,p.67 を参照 )4  杉木 1996:142-1445  奥山 2016:516  羽田野 1987:110

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Vajravidāraṇa-dhāraṇīにおけるイェーシェードルジェーの注釈と儀軌について(田村)

Vajravidāraṇā-nāma-dhāraṇīpaṭalakramabhāṣyavṛttipradīpa-nāma(Toh.2687/Ota.3511) の奥書には次のような興味深い記述があり、これらを元にイェーシェードルジェーの活躍年代を探っていきたい。

素晴らしく(力がある)優れた主であり、偉大なる王、吉祥なる主ツェンポ(btsan po) の命によって、インドの偉大な師、大乗と密教に精通された賢者Buddhaguhya とチベットの大校閲翻訳師 (zhu chen gyi lo tsa’ ba) である比丘 ska

ba dpal brtsegs rakshita が翻訳し [ ことばを ] 確定してから、後代のインドの偉大な師 shraddh’a ka ra warma とチベットの翻訳官で大賢者 rin chen bzang po がインドの原典と照合して改訂した。dbang phyug dam pa’i mnga’ bdag rgyal po chen po dpal lha btsan po’i bka’ lung gis/

rgya gar gyi mkhan po chen po theg pa chen po gsang sngags la mkhas pa/ slob dpon

buddha gu hya dang/ bod kyi zhu chen gyi lo tsa’ ba bande ska ba dpal brtsegs rakshi

tas bsgyur cing zhus te gtan la phab pa las/slod kyi rgya gar gyi mkhan po chen po/

shraddh’a ka ra warma dang/ pod kyi lo ts’a ba mkhas pa chen po rin chen bzang pos

rgya dpe dang gtugs nas bcos pa’o//(Toh.2687,269a1-3/Ota.3511,285a4-6/『中華大蔵経丹珠爾』36 巻 No.1595 p.758,l.15-20)

 この奥書から、偉大なる王ツェンポの命により、Buddhaguhya とチベットの ska

ba dpal brtsegs rakshita という人物が翻訳し、後代に至ってシュラッダーカラヴァルマンとリンチェンサンポが原典と照合した上で改訂したことがわかり、すでに流伝前期には翻訳されていた可能性が高いと判断できる。さらに下線を引いたツェンポについてであるが、ツェンポは吐蕃王国歴代の王の称号である。ここでは明確な名前が記されていない

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ものの特別に賞賛する語が複数付けられていることから、仏教を保護した有力な王であったと推定される。また大校閲翻訳師 ska ba dpal brtsegs

rakshita という人物について、Dungkar Tibetological Great Dictinary では以下のような説明がなされている。  

流伝前期に説かれたものによると、ska ,cog ,zhang という 3 人の翻訳官の 1 人であり、’phan po という地域に生まれ、苗字が ska ba である。父の ska ba blo

ldan と母の ’bro bza’ rdo rje 夫人という二人の息子として生まれた … ティソン

7  佐藤 1977、ロラン: 2005佐藤 1977での引用文等を参照すると、ツェンポの後に必ずしも明確な名前が記されるわけではないようである。

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智山学報第六十九輯

デツェン王は翻訳官 ska ba dpal brtsegs と cog ro klu’i rgyal mchan と rma rin chen

mchog という 3 人に金を送って、パンチェン bī ma la(Vimalamitra か) をチベットに招きたいという目的のために [ 翻訳官 3 人を ] 派遣した …

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 ここから ska ba というのが苗字であること、またティソンデツェン王の時代に活躍した翻訳官であることがわかる。チベット大蔵経の目録を見ると ska ba という苗字が省かれた dpal brtsegs もしくは dpal brtsegs rakshita という翻訳官の名前で挙がっている。dpal brtsegs rakshita という名前については、Śāntarakṣita の法灯を継承したことを示す後代の付加であるといい、dpal brtsegs もしくは dpal brtsegs rakshita は同一人物と考えて問題ないようである

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。dpal brtsegs という名前では『大日経』や『阿毘達磨倶舎論』、dpal brtsegs rakshita という名前では本稿で扱う注釈の他に『正理一滴論』などの翻訳に携わっており、目録を確認するだけでも 90 本以上ある。吐蕃時代の大校閲翻訳師 (zhu chen gyi lo tsa’ ba) として ska ,cog ,zhang という 3 人が並べ称されるが、その筆頭に ska ba dpal brtsegs rakshita が挙げられている

10

。ska ba dpal

brtsegs rakshita が持つ称号は、大校閲翻訳師の他に mkhan po や Ācārya などがあるが、特に Ācārya という称号を持つ者は数少なく、重要な立場にいたことが示唆される

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。活躍年代について、Dungkar Tibetological Great Dictinary ではティソンデツェン

王の時代(742-797)としているが、羽田野先生並びに原田先生は ska ba dpal brt-

segs rakshita が『デンカルマ目録』を編纂したことを根拠とし、ティツクデツェン王の時代(806-841)と推定している

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。この見解に従うならば、奥書に出てきたツェンポはティツクデツェン王を指すことになる。

さらに、ここからイェーシェードルジェーの活躍年代を推定していくと、翻

8  Dungkar 2002:208-2099 羽田野 1983、原田 201710 ska は ska ba dpal brtsegs rakshita、cog は cog ro klu’i rgyal mtshan、zhang は sna nam zhang ye she sdeを指す。原田 201211  サンスクリット語の Ācāryaを称号として用いるようになったのは、ティソンデツェン王の時代、Śāntarakṣitaがワ・パルヤンを Ācāryaに任命したことからはじまる。特別な僧職で、ワ・パルヤンとマ・リンチェンチョク、ska ba dpal brtsegs rakshitaの3人だけが持つ称号という。羽田野 1983:28512 羽田野 1983, 原田 1982,1985,2012羽田野先生並びに原田先生は、『デンカルマ目録』の成立を 836年と推定している。

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訳されるまでにどれほどの期間が必要であったのかという点が問題にはなるものの、遅くとも 8 世紀ではないかと考えられる。また奥書の記述に、翻訳には Bud-

dhaguhya と dpal brtsegs rakshita が携わったとある。Buddhaguhya が翻訳に携わったかどうかの検討が必要ではあるが、この記述通りであるとするならば、イェーシェードルジェーは Buddhaguhya よりも以前に活躍していたと導かれる。

3.注釈における特徴 【使用テキスト】Vajravidāraṇā-nāma-dhāraṇīpaṭalakramabhāṣyavṛttipradīpa-nāma

(Toh.2687/Ota.3511/『中華大蔵経 丹珠爾』36 巻 No.1595)

①タントラの分類について  冒頭でタントラの分類について言及がなされている

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。図示すると以下の通りであるが、まず仏教を 1.[ 仏教 ] 論理学の乗(=顕教 mtshan nyid kyi theg pa)と 2. 秘密真言の乗(gsang sngags kyi theg pa)とに分類している。「[ 仏教 ] 論理学の乗というのは、経典の名前によって規定され、秘密真言の乗については、タントラの

13  Toh 2687, 244a4-244b3/Ota3511,256a5-256b5/『中華大蔵経』36巻No.1595(p.696,l.7- p.697,10)de yang bsdu na mtshan nyid kyi theg pa dnag / gsang sngags kyi theg pa’o /① de yang mt-shan nyid kyi theg pa ni mdo’i ming gyis btags la / gsang sngags kyi theg pa la ni rgyud kyi ming gis btags so / ② mtshan nyid kyi theg pa la mdo sde ru ‘dogs pa’i rgyu mtshan ni dngos po’i gnas lugs ‘ga’ zhig gtan la ‘bebs pa’i mtshan nyid mdor bsdus nas bstan du rung bas na yang mdo sde zhes bya la / gnyen po rnams ‘gal bar spong ba’i sgo nas mdo sde zhes bya’o // rgyun chags phyir na rgyud ces bya // ‘khor ba rgyud du ‘dod pa yin // zhes gsungs so // yang mkh’ ‘gro ma sgyu ma bde mchog las kyang rgyud ces by aba rad ‘brel te // de yang rnam pa gsum yin te // gzhi dang thabs dang ‘bras bu’o // de bzhin ‘bras bu’i bsdu ba med // ces gsungs te / ‘dir yang rgyud rnam gsum du shes par bya ste / sbyang bar by aba rgyu’i rgyud dang / sbyangs pa ‘bras bu’i rgyud dang / sbyong bar byed pa thabs kyi rgyud do // rgyu’i rgyud ni khams gsum gyi sems cad la bde bar gshegs pa’i snying pos khyab pas de rnams so/ ‘bras bu’i rgyud ni bla na med pa’i byang chub kyi ‘bras but hob pa de rnams so // thabs kyi rgyud ni sems can gyi khams dang dbang po dang / bag lanyal sna tshogs pa yod pas / bcom ldan ‘das kyis rgyud sde bzhi gsungs te / de yang bya ba’i rgyud dang / spyod pa’i rgyud dang / rnal ‘byor gyi rgyud dang / rnal ‘byor bla na med pa’i rgyud do / bya ba’i rgyud la spyi dang bye brag gi rgyud las bye brag gi rgyud do // de la sku ta th’a’i rigs kyi rgyud dang / gsung padma’i rigs kyi rgyud dang / thugs rdo rje’i rigs kyi rgyud las /’di thugs rdo rje rigs kyi rgyud do // de yang spyi dang bye brag las / ‘di bye brag gi rgyud do // de la ‘di ni rdo rje khro bo rigs kyi rgyud do // rdo rje rigs kyi kho bo’i rgyud ‘dis ni rtogs pa yin pa la / gzungs kyi ming gyis btags so // de ni spy’i rnam par gzhas pa’o //

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智山学報第六十九輯

名前によって規定される(de yang mtshan nyid kyi theg pa ni mdo’i ming gyis btags la /

gsang sngags kyi theg pa la ni rgyud kyi ming gis btags so)」(注 12 ①参照)と述べ、経典とタントラという使い分けに依りつつ、顕教と密教とに大きく分けている。発表の際、mtshan nyid kyi theg pa を「[ 仏教 ] 論理学の乗」としたことにいくつかご質問をいただいたが、ここでの mtshan nyid は一般的な訳語である ‘ 特徴、しるし、名称 ’ という意味だけで使われているものではない。本注釈でも引き続き「[ 仏教 ]

論理学の乗について、経典類を部ごとにまとめる一般的な理由は事物の本質(存在様態)をある規定において定めるという定義 [ に基づいて ] 経典をまとめ …(mtshan

nyid kyi theg pa la mdo sde ru ‘dogs pa’i rgyu mtshan ni dngos po’i gnas lugs ‘ga’ zhig gtan

la ‘bebs pa’i mtshan nyid mdor bsdus nas…)」(注 12 ②参照)と述べているが、仏教論理学または顕教哲学と呼ばれる分野において mtshan nyid は「定義」

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と訳される。これは、仏教論理学または顕教哲学を学んでいく過程において、正しい論理的な推理とはどのようなものか、さらには、その推理を駆使してどのように論争(教義問答)を行うかを学習していく。その中で、推理の基準となるものが mtshan nyid(定義)である。そのため、この分野を学習するものは mtshan nyid pa(仏教論理学者、顕教哲学者)と呼ばれる

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。このようなことから、上述の訳語を当てはめた次第である。また、Buddhaguhya やプトゥンにも用例が見出される

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。秘密真言の乗(gsang sngags kyi theg pa)については、原因 (rgyu)・結果 (‘bras

bu)・方便 (thabs) という 3 つの分類があるとする。このうち方便には、所作 (bya

ba)・行 (spyod pa)・瑜伽 (rnal ’byor)・無上瑜伽 (rnal ’byor bla na med pa) という 4 つの分類があるとし、現在では一般的な四種タントラ分類が提示されている。さらに、所作を総合的なタントラ(spyi gi rgyud)と個別的なタントラ (bye brag gi rgyud) と

14  福田 2015, 201815  小野田 1982:193-20516  Buddhaguhya作『タントラ義入』Tantrārthāvatāra(Toh.2501,34a6) プトゥン作『瑜伽タントラの海に入る船』rnal ‘byor rgyud kyi rgya mtshor ‘jug pa’i gru gzings(Toh.5104,『Bu-ston全集』Tome11,DA2,l.4) これらの用例については、智山伝法院非常勤講師 クンチョック・シタル先生よりご助言いただきました。ここに御礼申し上げます。また、ダラムサラにある超宗派の大学「ツェンニーダツァン(mtshan nyid grwat tshang)」は「仏教論理大学」と呼ばれている。

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Vajravidāraṇa-dhāraṇīにおけるイェーシェードルジェーの注釈と儀軌について(田村)

いう 2 つに分類しているが、この分類は Buddhaguhya の注釈にも挙げられている17

。また、個別的なタントラは、さらに如来部・蓮華部・金剛部の 3 つに分類されるとしており、Vajravidāraṇa-dhāraṇī の位置については、所作タントラのうち個別的なタントラに分類され、そのうちの金剛部であるする。金剛部にも総合的・個別的なタントラの 2 種があるとしており、Vajravidāraṇa-dhāraṇī については金剛部の個別的なタントラに分類され、その中でも「金剛忿怒部のタントラ(rdo rje khro po rigs

kyi rgyud)」に分類されると述べている。1. 論理学の乗(=顕教 mtshan nyid kyi theg pa) 2. 秘密真言の乗(=密教 gsang sngags kyi theg pa)

   ︱  1. 原因 (rgyu)

     2. 結果 (‘bras bu)

     3. 方便 (thabs)      ︱        1. 所作 (bya ba) 2. 行 (spyod pa) 3. 瑜伽 (rnal ’byor)       4. 無上瑜伽 (rnal ’byor bla na med pa)

        ︱  1. 総合的なタントラ (spyi gi rgyud)           2. 個別的なタントラ (bye brag gi rgyud)

 越智 1973:1005 によれば Buddhaguhya の時代には所作・行タントラという二分法が採用されていたとするが、イェーシェードルジェーにおいては 4 つの分類法が示されている。後代、改訂に携わったシュラッダーカラヴァルマンが整理したものとも考えられるが

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、奥書から流伝前期には翻訳されていたという可能性を含めると、すでにこのようなタントラを細分化してとらえる動きがあったものと推測される。

②名称について

 名称についての検討19

は、当然ながらイェーシェードルジェーのみならず、他の注釈家たちも行っている。特に、vidāraṇa(rnam par ’jom pa) について、Śāntarakṣita

や Vimalamitra は、vidāraṇa という部分について「誤った見解、煩悩などを破壊する、

17  越智 1973:100618  杉木 1996:143でも指摘されている。19  イェーシェードルジェー注 Toh.2687,Ota.3511,『中華大蔵経 丹珠爾』36巻No.1595(p.700.l.20- p.701.l.5)

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智山学報第六十九輯

駆逐する」とし、Buddhaguhya は「bhūta(魔物)などや妄分別を打ち砕く、破壊する」という意味であるとする

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。そもそもの skt. vidāraṇa の意味は、バラバラにする、破壊する、また大元の意味合いとしては「引き裂く」という意味が出てくるため、これらの解釈がなされることに納得がいく。 一方、イェーシェードルジェーは、4 種類の事業(四修法:息災・増益・調伏・敬愛)がこのタントラの中で説かれるとし、また、他のタントラとの違いは、ここで説かれる主な事業は「調伏の事業(調伏法)だけれども、調伏法を入り口として息災・敬愛・増益をなすのである」とする。また再度、四修法があるので vidāraṇa

(rnam par ’jom pa) であるといい、4 種類あることと vidāraṇa が相関関係にあるという趣旨のことを述べている。つまりは vidāraṇa を、破壊する、バラバラにする、というような意味合いで解釈するのではなく、四修法という 4 つの分類立てのことをvidāraṇa と解釈している。ただ、これら四修法によって煩悩や魔物などが駆逐されるため、そこに自ずと vidāraṇa の意味が含まれてくるとも考えられるが、そのような言及はなされていないようである。そのため現時点では vidāraṇa を分類立て、さらに四修法と関連付けられて解釈されている特異な例として報告する。

③親近行について―六種本尊 (lha drug)

 親近行のひとつに「六種本尊 (lha drug)」というものがある。これについて酒井真典先生は『大日経の成立に関する研究』の中で言及しており、「六種本尊」を根拠として Vajravidāraṇa-dhāraṇī が『大日経』「説本尊三昧品」の成立に深く関わっているのではないかと指摘している

21

。Vajravidāraṇa-dhāraṇī における注釈の中で「六種本尊」が登場するものとして、Buddhaguhya とイェーシェードルジェーのものが挙げられる。Buddhaguhya については、注釈内での言及はごく簡素であるが、イェーシェードルジェーに関しては詳しく言及しており、注目に値する

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20 Śāntarakṣita注 Toh.2678,Ota.3502,『中華大蔵経 丹珠爾』36巻 No.1585(p.432.l.10 - p.433.l.3)Vimalamitra注 Toh.2681,Ota.3505,『中華大蔵経 丹珠爾』36巻 No.1588(p.520.l.16-19)Buddhaguhya注 Toh.2680 , Ota.3504 , 『中華大蔵経 丹珠爾』36巻 No.1587(p.491.l.21- p.492 l.1)21  酒井 1972:16-2222  Buddhaguhya注で「六種本尊」に言及している該当箇所は、次の通り。Toh.2680,179b6-7,185a3-4/Ota.3504, 185b7-8,191b6-7/『中華大蔵経 丹珠爾』36 巻

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Vajravidāraṇa-dhāraṇīにおけるイェーシェードルジェーの注釈と儀軌について(田村)

注釈において Buddhaguhya は「六種本尊」の各項目を挙げてはいないが、酒井先生は Buddhaguhya の『上禅定品広釈 Dhyānottarapaṭalaṭīkā』(Toh.2670)と『大日経逐語釈』(Toh.2663)に詳述されているとし、これらの記述を元にして六種本尊をまとめている

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。これらに基づいて、Buddhaguhya とイェーシェードルジェーの述べている各項目を並べると以下の通りとなる。

【Buddhaguhya】空 (stong)・文字 (yi ge)・音声 (sgra)・色 (gzugs)・印 (phyag rgya)・相 (mtshan ma)

【イェーシェードルジェー】無分別 (rnam par mi rtog pa)・音声 (sgra)・文字 (yi ge)・陀羅尼 (gzungs)・印 (phyag

rgya)・三昧 (ting nge ’dzin)

Buddhaguhya が「空 (stong)」と挙げている箇所について、イェーシェードルジェーは「無分別 (rnam par mi rtog pa)」、また「相 (mtshan ma)」を「三昧 (ting nge

’dzin)」というように使用していることばに違いがみられる。第四の本尊については、「色 (gzugs)」、「陀羅尼 (gzungs)」と相違があり、一見誤植を疑うが、両者ともに一貫してそれぞれの語を使用しており、その可能性は低いと思われる。修習する過程に違いがあると考えられ、詳しい検討が必要である。内容についてみてみると、Buddhaguhya の「空の本尊」のとイェーシェードルジェーの「無分別の本尊」の修習の仕方を比較すると、ともに「自身と本尊は真実であり、ひとつである」ということがいわれており、内容的にはほぼ同じであるといえる。より踏み込んだ検討をすべきであるが、「六種本尊」については他稿を予定しているため、項目の列挙と注目点を指摘するにとどめたい。

No.1587,p.498.l.2-11, p.511.l.8-11.同じく、イェーシェードルジェー注では、次の通り。Toh.2687,249b7-257a6/Ota.3511,263a3-272b8/『中華大蔵経 丹珠爾』36巻 No.1595,p.710.l.14- p.729.l.6.また、Buddhaguhyaを引用しつつ「六種本尊」について詳述しているものに、ツォンカパ『真言道次第広論(sngags rim chen mo)』(Toh.5281)やケートゥップジェ『タントラ概論 rgyud sde spyi’i rnam par gzhag pa rgyas par bshad pa)』(Toh蔵外 5489)がある。田村 201623  酒井 1972:19

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智山学報第六十九輯

④功徳の中心である「浄化」について

 筆者は、これまでの研究から Vajravidāraṇa-dhāraṇī の功徳で最も中心的なものは「浄化」

24

であると考えており、各注釈家の解釈についてもまとめている(田村2015)。功徳が「浄化」であるため、その浄化の対象についても種々説かれている。原典では「あらゆる罪悪

25

は浄化されて、あらゆる苦しみはなくなる26

」とあり、罪悪というものがこの陀羅尼を用いることによって浄化され、結果として苦しみが消滅するという功徳が説かれている。浄化の対象である「罪悪」について、イェーシェードルジェーは殊更に強調していることは興味深い。該当箇所を示すと以下の通りである。

それもまた、「あらゆる罪悪は浄化されて」などと述べられているのであって、それ [ について ] もまた罪悪というのは、インドの言葉から引用されたものでpāpaṃka

27

から引かれて [ 翻訳され ]、  罪悪 [ という訳語があてられたの ] である。罪悪の本質は、好ましくないことに入り込むことである。nges pa という言葉がなぜ罪悪なのかというならば、すべては移ろいゆく存在として未来へ進みゆくものなので、罪悪なのである。もしくは、罪悪というのは、身体などから生じ、未来において薫習する力があることについて述べているのである。もしくは、罪悪というのは、苦しみが次から次へと続くことであって、[ 苦しみが ] 生じたことそのものが駆逐されるべきものなので、苦しみと述べられているのである。もしくは、「あらゆる罪悪」というのは、有情のあらゆる煩悩を [ 指しているの ] である…  「苦しみ」というものの固有性質は、身体と心を害するという特徴 [ を持ち ]、

24  「浄化」という訳語をあてたチベット語は、後に示す Vajravidāraṇa-dhāraṇī原典では byang に相当する。また、注釈の中では文意を汲み取り、dag pa , sangs pa , sbyong ba (sbyang ba) についても同様に、汚れを取り除き清らかな状態にするという意味で適宜「浄化」という訳語をあてている。25  先ほどの「浄化」と同じく、「罪悪」という語について注記しておくと、原典中における sdig pa に対する訳語としてあてたものである。「罪」などとも訳されるが、罪深い過ち・自分が犯した悪行、という意味をも含めてここでは「罪悪」という語を採用した。26  Vajravidāraṇa-dhāraṇī原典。底本は Toh.750である。sdig pa thams cad byang byas nas// sdug bsngal thams cad med par byed//(266b2-4)27 skt. pāpaあるいは pāpakaのことだと考えられる。

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Vajravidāraṇa-dhāraṇīにおけるイェーシェードルジェーの注釈と儀軌について(田村)

飢えと渇きと殺生と悪い性質などという [ ものの ] 本質である。…「あらゆる」というのは、三苦もしくは八 [ 苦 ] などについて [ 指しているの ] である。三苦というのは、苦苦・壊苦・行苦である。八苦というのは、生苦と老苦と病苦と死苦と怨憎会苦と愛別離苦と求不得苦と五取蘊苦である。[ これらが ] 消滅するということは、[ 苦しみをもたらす ] 原因である煩悩も消滅するので、結果である苦しみは生じてくることがないのである。de yang sdig pa thams cad byang byas nas // zhes bya ba la sogs pa gsungs te / de yang

sdig pa zhes pa ni rgya gar gyi sgra las drangs na pāpaṃka las drangs na sdig pa zhes

bya ste / sdig pa’i ngo bo ni mi mdzes par ‘jug pa’o// nges pa’i tzhig ni ci phir sdig pa

zhe na / rnams par smin pa yid du mi ‘ong ba ‘byin par byed pas na sdig pa’o // yang na

sdig pa zhes bya ba ni / lus la sogs pa las byung ba mi ‘dod pa’i bag chags sems la yod

par bya’o zhes gsungs so // yang na sdig pa zhes bya ba ni / sdug bsngal gcig nas gcig

tu brgyud de / rab tu byung ba nyid kyis shin tu ‘joms pa nyid yin pa’i phyir na / sdig

pa zhes gsungs so // yang na sdig pa thams cad ces pa ni / sems can gyi nyon mongs pa

thams cad do//…

sdug bsngal zhes bya ba’i ngo bo ni / lus dang sems la gnod pa’i mtzhan nyid bkres pa

dang / skom pa dang / bsad pa dang / yid mi bde ba la sogs pa’i rang bzhin no // nges

pa’i tzhig ni ci’i phyir na sdug bsngal / lus sems ngal zhing dub pas na sdug bsngal lo

//… thams cad ces pa ni sdug bsngal gsum mam / brgyad la sogs pa la bya’o // sdug

bsngal gsum ni sdug bsngal gyi sdug bsngal dang / ‘gyur ba’i sdug bsngal dang / ‘du

byed kyi sdug bsngal lo // sdug bsngal brgyad ni / skye ba’i sdug bsngal dang / rgas

ba’i sdug bsngal dang / na ba’i sdug bsngal dang / ‘chi ba’i sdug bsngal dang / dgra

sdang ba dang phrad kyis dogs ba’i sdug bsngal dang / gnyen byams pa dang bral gyis

dogs ba’i sdug bsngal dang / ‘dod ba btsal gyis mi rnyed ba’i sdug bsngal dang / yod pa

brlag gis dogs ba’i sdug bsngal lo // med par byed ces pa ni / rgyu nyon mongs pa med

pas / ‘bras bu sdug bsngal mi ‘byung ngo // (Toh. 2687, 262b4-263a6/Ota.3511, 278a7-

279a2/『中華大蔵経 丹珠爾』36 巻 No.1595(p.742,l.21-p.744,l.8)

「罪悪」について、五逆罪や十不善行など、わかりやすい解釈を示す注釈家もいるが、イェーシェードルジェーはその中でも言葉を変えながら何度も説明している。好ましくない物事に入り込むことだと一般的な説明を施した後、誤った考え方についての一例や、苦しみそのものも罪悪だとする言及、また「あらゆる罪悪」と範囲

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智山学報第六十九輯

を広げた場合は、有情のあらゆる煩悩を示していると述べている。さらに、罪悪を苦しみそのものと見做す解釈もしている。苦しみの元を辿ればやはり煩悩に起因し、それが罪悪を生み出す行いの原因だと解釈しているものと考えられる。そのため、罪悪も苦しみそのものも駆逐されるべきもの、つまりは「浄化」の対象であると述べている。このように繰り返し言及される理由のひとつには、やはり陀羅尼の功徳として罪悪の浄化に優れた効力を持つ陀羅尼であったからと推測される。

⑤儀軌について 

 Vajravidāraṇa-dhāraṇī に関するイェーシェードルジェーの儀軌は多数あり、羽田野 1987:105 によれば Toh.2942-3049 の 108 編は後にまとめられ「百八法」と呼ばれているようである

28

。しかしながら、デルゲ版(台北版)やペキン版の目録、タイトルや奥書等にそのような表記は見られない。典拠が示されておらず難渋したが、検証していく過程でいくつか候補と呼べる記述が見出されたので、まとめておきたい

29

。 まず、プトンの『テンギュル目録』

30

に「師イェーシェードルジェーと師パドマなどが著したとされる、Vajravidāraṇa の成就法に 100 を数えるものがある」という記述がある。これについて西岡 1983:52,55 によれば 108 編から成っており、デルゲ版では Toh. 2942-3049、ペキン版では Ota.3767-3873 に該当するといい、羽田野先生が言及している内容と同じである。 次に、儀軌自体をみていくと、Toh.2942 Vajravidāraṇāmaṇḍalavidhi-nāma の冒頭に以下のような記述がみられる。

章として数えられるものにおいて確定している主要な [ 章に ]108[ あり、それらの章 ] の根本とし てこれが説かれ、[ これが ] 最初 [ の章で ] ある。le’u’i grangs la nges pa’i snying po ste / brgya brtsa brgyad kyi rtsa bar ‘di gsungs thog

ma’o /

(Toh.2942,16b1/Ota.3873.17b2/『中華大蔵経 丹珠爾』38 巻 No.1753p.50.l.6-7)

28  Toh.2942-3049の 108編のうちイェーシェードルジェー作は 60編。29  「百八法」を検証する際、東北大学大学院教授 桜井宗信先生よりご助言いただきました。ここに御礼申し上げます。30  bustan ‘gyur gyi dkar chag yid bshin nor bu dbang gi rgyal po’i p’reng ba ,Toh.5205『Bu-ston全集』Tome26,la部 (67a3)

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Vajravidāraṇa-dhāraṇīにおけるイェーシェードルジェーの注釈と儀軌について(田村)

 Toh.2942 は作者がイェーシェードルジェーであり、「百八法」の最初にあたる。儀軌に 108 あるという明確な記述ではないものの、108 というまとめ方を意図した記述であるといえるだろう。 加えて、「百八法」の最後にあたる Toh.3049Guhya-pattrikā- nāma(Padmasaṃbhava

作)をみていくと、冒頭に以下のような記述がある。『金剛須弥山頂の経典 (rdo rje l’un po ri rab zom rgyud)』[ の ] 全て [ の章は ]108

あり、それを根本としてこれを説いた。成就法には 108 あり … 生起次第については 105 あり、究竟次第を成就 [ する法には ]3 つある。rdo rje l’un po ri rab zom / rgyud do cog gi brya rtsa brgyad / de yi rtsa bar ‘di gsungs

pa / sgrub pa’i thabs ni brgya dang brgyad…bskyed pa la ni brgya dang lnga / rdzogs

pa’i rim pa bsgrub pa gsum /

(Toh.3049,94a7-94b1/Ota.3873,106a4-6/『中華大蔵経 丹珠爾』38 巻 No.1753p.246.

l.5-10)ここでは成就法に 108 あると示されてはいるものの、「百八法」のどの位置にあ

るかは判然としない。後代、整理されてこの位置になったとも考えられる。 以上のようなことから、プトンの『テンギュル目録』をはじめ、Toh.2942(イェーシェードルジェー作)や Toh.3049(Padmasaṃbhava 作)の記述に基づいて「百八法」という言及がなされており、かつ、かなり早い時期に儀軌類が整理され、重要なものが 108 にまとめられていたと窺がえる。なお、『中華大蔵経』では『テンギュル目録』でのまとめ方を採用しているとみられ、Toh.2942-3049 にあたる 108 編をひとくくりにして No.1753rnam ‘joms kyi sgrub thabs brgya rtsar grabs pa

31

としている。 また、ここでの論点から外れてしまうが、Toh.3049 に登場する『金剛須弥山頂の経典(rdo rje l’un po ri rab zom rgyud)』は Vajravidāraṇa-dhāraṇī の広本にあたるものと推測され、現時点では存在しないものであるが、Buddhaguhya の注釈には言及がなされている。しかし、それ以外の注釈では『金剛須弥山頂の経典』に触れている例がなかったため、Buddhaguhya の注釈にのみ言及されていると想定していたが、今回 Padmasaṃbhava の儀軌での言及を発見したことは意義深いことと考える。

Vajravidāraṇa の尊容について、忿怒形・寂静形の両方が伝えられているがイェー

31  しかし、目次では rnam ‘joms kyi sgrub thabs brgya rtsa brgyad grags とあり、108になっている。

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智山学報第六十九輯

シェードルジェーが伝えるものは主に忿怒形であるとみられる。例えば、Toh.

2938Vajravidāraṇadhāraṇīsādhana-nāma では、「御足は 2 つで雲に [ 両足を乗せ ]、左 [ 足 ] を伸ばしてお座りになっている。御体はサファイヤ [ 色で ] 金剛精髄を伴っている。歯はむき出している。御目は赤く、額には怒りによる皺がある。頭 [ 髪 ]

は赤黄色、口は伸び広がっている。お腹は大きく、蛇で飾られている … 右手には羯磨杵、左手は期剋印で胸に当てている」(Toh.2938,8b7-9a2/Ota.3765,10a6-8/『中華大蔵経 丹珠爾』38 巻 No.1749 p.21.l.13-19)と述べられており、忿怒形を伝えている。また、イェーシェードルジェーは注釈でも尊容について述べており、「六種本尊」のうち「色の本尊」の中で、一面二臂、体が青色で右手に羯磨杵、左手に金剛を持つ忿怒形であると述べている

32

4.おわりに 本稿では、まずイェーシェードルジェーの活躍年代を翻訳者から推定していった。注釈における特徴を概観するとともに儀軌のまとめ方や尊容についても検討した。特に、タントラの分類法では 4 種類の分類法が示されており、流伝前期には翻訳されていた可能性を鑑みると非常に興味深い。陀羅尼の功徳として中心になる「浄化」についても、対象となる罪悪を一際強調している点も大きな特徴である。儀軌については、イェーシェードルジェー作が半数以上を占める「百八法」というまとめ方が古くからあったと推定され、一定の権威を持っていたものと考えられる。

さらに、タントラの分類や親近行のひとつである六種本尊に言及している点は、Buddhaguhya と似通った思想がみられる。奥書から判断すればイェーシェードルジェーは Buddhaguhya よりも以前に活躍していた人物と考えられ、Buddhaguhya を含め、後代に影響を与えた可能性もあることから、今後も引き続き注意して追っていきたい。イェーシェードルジェーという人物についてもより明確な情報が得られるよう考察を進めていきたい。

〈主な使用テキスト〉

[Vajravidāraṇa-dhāraṇī 原典 ] Tib : Toh 750=949, Ota 406=574

32  Toh.2687,251b5-7/Ota.3511,265a8-265b2/『中華大蔵経 丹珠爾』36巻No.1595(p.715.l.9-15)

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Vajravidāraṇa-dhāraṇīにおけるイェーシェードルジェーの注釈と儀軌について(田村)

skt.ed : Yutaka Iwamoto , Kleinere dhāraṇī Texte :Beiträge zur Indologie ,Ⅱ, S.7-9.Kyoto.1937

[ イェーシェードルジェー注 ]

Vajravidāraṇā-nāma-dhāraṇīpaṭalakramabhāṣyavṛttipradīpa-nāma

Tib:Toh.2687,Ota.3511,『中華大蔵経 丹珠爾』36 巻 No.1595(p.695-764)

[Buddhaguhya 注 ]

Ārya-vajravidāraṇa-nāma-dhāraṇītīkā-ratnābhāsvarā-nāma

Tib : Toh2680 , Ota3504 , 『中華大蔵経 丹珠爾』36 巻 No.1587(p.489-519)

〈参照文献〉

Dungkar Losang Khrinley2002 Dungkar Tibetological Great Dictinary(Tibetan Language),China

Tibetology Publishing House  

奥山直司 2016「注釈者と注釈書 ブッダグフヤ、アーナンダガルバ、シャークヤミトラ『空

海とインド中期密教』, 春秋社

越智淳仁 1973「Buddhaguhya の Tantra 分類法」『印度學仏教學研究』第 42 巻

小野田俊蔵 1982「チベットにおける論理学研究の問題 ― 学問寺の基礎教育課程 ―」『東

洋学術研究』21(2)

酒井真典 1972『大日経の成立に関する研究』, 国書刊行会

佐藤長 1977『古代チベット史』下巻 , 同朋舎 ,

杉木恒彦 1996「Jñānavajra の密教 ― 序論的考察 ―」『宗教研究』69 巻 307 号

田村宗英 2014「『Vajravidāraṇa-dhāraṇī(金剛摧砕陀羅尼)』の儀礼について ― 現代におけ

る実践方法の考察(1)」『智山学報』第 63 輯

2015a「Vajravidāraṇa-dhāraṇī における「浄化」について」『密教学研究』47 号

2015b「Vajravidāraṇa-dhāraṇī に基づく地鎮作法」『智山学報』第 64 輯

2016「Vajravidāraṇa-dhāraṇī における Buddhaguhya の解釈」『印度學仏教學研究』

第 64 巻第 2 号

西岡祖秀 1983「プトゥン仏教史 目録部索引 Ⅲ」『東京大学文学部文化交流研究施設研究

紀要』6

羽田野伯猷 1983「チベット流伝前期の王室仏教備考 ― 勅裁小品 Vyutpatti とデンカルマを

めぐって ―」『中川善教先生頌徳記念論集 仏教と文化』, 同朋舎出版

1987「ジュニャーナ・シュリー・バドラ著『聖入楞伽経註』おぼえがき」『チ

ベット・インド学集成 インド篇 Ⅱ』, 法蔵館

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-(203)--(202)-

智山学報第六十九輯

原田覺 1982「吐蕃王国訳経史」『東洋学術研究』第 21 巻第 2 号

1985「吐蕃訳経史」『講座敦煌 6 敦煌胡語文献』, 大東出版社

2012「吐蕃の大校閲翻訳師」『印度學仏教學研究』第 60 巻第 2 号

2017「大校閲翻訳官 dPal brtsegs 考」『印度學仏教學研究』第 65 巻第 2 号

福田洋一 2015「初期チベット論理学の科段構成について」,『印度學仏教學研究』第 64 巻

第 1 号

2018「初期チベット論理学における mtshan nyid を巡る議論」,『印度學仏教學研

究』第 66 巻第 2 号

〈キーワード〉イェーシェードルジェー、Ye shes rdo rje, Vajravidāraṇa-dhāraṇī