title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句...

19
Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 Author(s) 河野, 洋子 Citation 臨床教育人間学 (2005), 7: 17-34 Issue Date 2005-11-30 URL http://hdl.handle.net/2433/197017 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

Upload: others

Post on 19-Sep-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯

Author(s) 河野, 洋子

Citation 臨床教育人間学 (2005), 7: 17-34

Issue Date 2005-11-30

URL http://hdl.handle.net/2433/197017

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

Page 2: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

17

常 套 句 「考 え る葦 」 が生 ま れ た 背 景 と経 緯

河 野 洋 子

1.日 本のパスカル研究と邦訳 『パンセ』出版の経緯

(1) 日本におけるパスカル研究の経緯

現代 フランスにおけるパスカル研究の第一入者、J.メ ナール(Jean Mesnard 1921-)は 、

彼の著書 『パスカル(Pascal)』 の 「日本語版への序」において、 日本におけるパスカル研

究を次のように評価 している。「フランス本国を別にすれば、パスカルが最 も多 く読 まれ、

諸大学で最 も研究され、きわめて独創的な深い探求の対象となっている国は日本のほかにな

い。(中略)ま ことに多彩なひとりの天才のさまざまな面を認めることにかけて、日本の人々

は他のいかなる国の人々にもまさっている。」')パスカルを生んだ本国を凌 ぐほどの質的高さ

を有 していると評価されるとすれば、それは昭和初頭か ら現在に到 る層の厚いパスカル研究

の蓄積がもたらした ものであると言えるだろう。

その出発点は、1926(大 正15)年 の三木清(1897-1945)に よる 『パスカルにおける人

間の研究」という独創的なパスカル研究の出版にある。フランス滞在中にパスカル研究に没

頭 した三木は、現地か らすでに五編の論文を 「思想』(岩 波書店)に 投稿 し、帰国後最後の

一編を書き足 し一冊の本として刊行 した。それが 『パスカルにおける人間の研究』の誕生で

ある。 彼 の独創性 は、 人間学を 「生の存在論」 と して取 り扱 い、 それを 『パ ンセ

(Pensees)』2)に見てとった点にある。この著作は、あまりに時代に先行 していたためす ぐに

は反響を呼ばなかったが、やがて教養ある読者層に支持されるようになり、天才科学者パス

カルを人間学に軸を置 く思想家として新たなパスカル像を紹介した功績は大きい。

次に特筆すべきは、1933(昭 和8)年 に湯浅誠之助がボン大学哲学部に提出した学位論文

『パスカル哲学の実存論的基礎』(Die Existemziale Grundlage der Philosophie Pascals)

が、翌1934年 に ドイツで刊行 されたことである。 これは、8本 人がヨーロッパ言語を用い

てヨーロッパで公にした最初のパスカルに関する論文だという点で画期的である。湯浅論文

Page 3: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

・8 臨床教育人間学 第7号(2005)

を考察 している内山稔の言によると、それは真摯な哲学的精神にもとづき、主体的に信仰の

真実を追い求めるパスカルの哲学的営為を一 主として 「パ ンセ』を手懸 りに一 追体験 し

ようというものだと評される。「もっぱら救いの問題に焦点を合わせた思惟活動」を可能に

する基盤を明らかにすることが論文のねらいであるが、湯浅は、パスカルにおける救いの確

信を超越者の立場からではな く、人間の側か ら確認しようとしている。つまり、「人間の研

究」が出発点 となっているのである。 ここには、三木の先導があったことを湯浅自身 も認め

ているが、湯浅の哲学的研究の奥には三木には無かった真摯なるキリス ト者としての信仰心

があったと考えられる3)。

他方、 日本国内でのパスカル研究は、1930年 代初頭か ら東京帝国大学文学部において、

若きフランス文学者、前田陽一(1911-1987)と 森有正(1911-1976)に よって対照的なパ

スカル研究の歴史を刻むことになる。この両者の生涯におよぶ対照的なパスカル研究のあり

方については、塩川徹也(1945-)「 〔補遺〕日本におけるパスカル」4〕を参照 した。

まず前田は、ソルボ ンヌ大学でレオン・ブランシュヴィック(Leon Brunschvicg)の 指

導を受けて 『モンテーニュとパスカルとのキリス ト教弁証論』 と題す る博士論文を1940

(昭和15)年 にパ リ大学に提出するが、論文審査は戦争によって妨げられる。戦後になって、

同論文は東京大学に提出され、1947(昭 和22)年 に彼は文学博士号を取得する。 さらに、

パスカル研究を生涯にわたる研究の中心に据えていた前田は、多 くのパスカル研究者を養成

した点においてもその貢献度は高く評価 されている。こうした研究歴を有する前田の主なる

業績は、全三巻からなる 『パスカル 『パ ンセ』注解』5)に集約されていると言える。

もうひとりの研究者森有正は、東京にあって戦争中もパスカル研究およびデカル ト研究を

続け、1943(昭 和18)年 に処女作 『パスカルの方法」を刊行する6)。ところが1948(昭 和

23)年 、森は戦後初のフランス政府給費留学生としてパ リに渡 り、全身全霊でフランス文化

と接触することによって、彼のうちに知的な転換のみならず霊的な転換が引き起こされ、結

局1976(昭 和51)年 に死去するまで終生パ リでの生活を選ぶことになる。この間の注 目に

値する彼の業績は、パスカルの 「パンセ」の一句に着想を得て印象的なタイ トルを付 した一

連のエセー、『バビロンの流れのほとりにて』『遥かなるノー トルダム』などを次々に出版 し

たことである。これらのエセーは、1960年 代から7Q年 代にかけて、 日本の多くの若者にフ

ランス文学や思想への関心を呼び起こし、今に到るまで日本人のパスカル研究への興味や熱

意を刺激 しつづけていると言えるだろう。

文献的な厳密さと実証主義及び客観主義に基づく前田に対 して、深い瞑想と生きた経験の

Page 4: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

河野:常 套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 ・g

優 位及 び 主 観 主 義 を 重 ん じる森。 この よ う に、両 者 の 研 究 態 度 とそ の 方 法論 は ど こま で も対

照 的 で あ るが 、 彼 らふ た りが 日本 のパ ス カル研 究 の発 展 に決 定 的 な 寄 与 を もた ら した こ とは

紛 れ も無 い 事 実 で あ る。

そ の 後 、1960年 か ら1970年 にか けて 日本 人 が パ ス カル につ いて 書 い た もの(単 行 本 、 雑

誌 ・紀 要 論 文 等)の 総 計 は230編 に及 び、 質 量 と も にす ぐれ た パ ス カル研 究 の進 展 状 況 は継

続 して い る。 支 倉 崇 晴(1937-)の 調 査7)に よ る とパ ス カ ル に関 す る博 士 論 文 と学 位 の取 得

状 況 に つ い て は、 日本 語 で 書 か れ た もの で は和 田誠 三 郎(1963年 、 大 阪 大 学)と 田辺 保

(1975年 、 京 都 大 学)、 フ ラ ンス語 で書 か れ フ ラ ンス の大 学 よ り学 位 が授 与 され た もの で は、

岳 野慶 作(大 学 博 士 、1961年 、 パ リ大 学)、 原 亨 吉(第3期 博 士 、1965年 、 パ リ大 学)、 大

友 浩(大 学 博 士 、1970年 、 ボ ル ドー大 学)、 末 松 壽(大 学 博 士 、1970年 、 パ リ大 学)、 塩 川

徹 也(第3期 博 士 、1975年 、 パ リ大 学)が 挙 げ られ る。 そ して、 塩 川 の 博 士 論 文 『Pascal

et les Miraclesパ ス カ ル と奇 跡」 は、 J,メ ナ ー ル の 高 い評 価 を受 け、1977(昭 和52)年 、

パ ス カ ル に つ い て 日本 人 が フ ラ ン スで 出版 す る最 初 の 本 と な った 。 こ の他 、 松 浪 信 三 郎

(1913-1989)や 赤 木 昭三(1928-)の 業 績 も特 筆 に 値 す べ き もの で あ るが 、 と りわ け博 士

論 文 「パ ス カル と そ の 時 代 」8)の著 者 、 中村 雄 二 郎(1925-)の 仕事 は 、 戦 前 の 三 木 清 に通

ず る役 割 を 果 た して い る と言 って よ い。

個 人 の パ ス カ ル 研 究 とは 別 に、1944(昭 和19)年 に は、 森 有 正 、 串 田 孫一(1915-)ら

が 「パ ス カ ル研 究 会 」 を 発 足 させ る。 そ の研 究会 の模 様 が うか がえ る 日記 を 串 田 自身 が 記 し

て い る。 空 襲 激 化 の た め 研究 会 は 中止 とな らざ るを得 な か った が、 そん な 空 襲 の 恐怖 と危 険

の 中 を、 パ ス カ ル に 関 す る講 義 を聴 き に教室 には溢 れ るば か りの人 々が 集 ま った とい う。 そ

の理 由 の一 つ と して は、 す で に数 々の抄 訳 や解説 書 な どでパ ス カル がか な り知 られ て い た と

い うこ と、 ま た他 方 で は 、 明 日の 《生》 す ら覚束 な い不 安 と恐 怖 の どん 底 に あ って、 人 々 は

パ ス カ ル に 自己 の存 在 理 由 を、 人 生 の 意 味 を、 そ して魂 の慰 め を求 めて いた か らで あ ろ う9)。

串 田 は、 東 京大 学哲 学 科 の 出 身 で あ り、 パ ス カル に 限 らず 哲 学 的著 作 も少 な くな い が 、 彼 を

著名 な文 筆 家 と して知 ら しめ るの は、 随 筆 ・エ ッセ ー とい う ジ ャ ンル に おい て で あ る。 そ の

串 田 が パ ス カル に つ い て書 いた 有 名 な も の と して は、 「考 え る葦 』(雲 井 書 店 、1951年)、

『永 遠 の沈 黙 一 パ ス カル 小 論 』(筑 摩 書 房、1946年)な ど が あ る。 前 者 は パ ス カル の思 想

とは直 接 的 関 係 を もた な い随 筆 で あ る が、 『パ ンセ』 の 名 句 を 題 名 に付 した 両 著 作 は と も に

版 を重 ね て い る こ とか ら、 多 くの読 者 を得 た書物 で あ る こ とが推 察 され る。 つ ま り、 串 田 の

著 作 活 動 が もた ら した功 績 は、 パ スカ ル研 究 を学術 研 究 の枠 に 囲 い込 まず、 一 般 のパ スカ ル

Page 5: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

・・ 臨床教育人間学 第7号(2005)

愛好家の裾野を広げることに重要な一翼を担ったと考えられることである。

そして、1963(昭 和38)年 には再び、前田陽一、由木康(1896-1985)を 中心に 「パス

カル研究会」が結成される。 この研究会は戦時下のものと同様、大学の研究者とアマチュア

をつなぐ貴重な研究の場を提供するものであり、やがて全国規模の研究会へと発展 し、パス

カル研究の海外向け窓口の役割をも果たすようになっていった1°)。

三木清の 『パスカルにおける人間の研究』が世に出てから、やがて80年 が経つことにな

る。その間、国内外を問わず多 くの日本人パスカル研究者によって研究実績が積み重ね られ

てきた事実は言うまでもないが、在野のパスカル研究者や愛好家の貢献、また幅広いパスカ

ルの読者層の存在によって、 日本のパスカル研究が支えられ推 し進められてきたことを軽視

するわけにはいかないだろう。

(2)邦 訳 『パ ンセ」出版の経緯

パスカルの未完の断章集 『パンセ』は、まず護教論としてキリス ト者のあいだに、また優

れた文学、哲学 ・人間学の著作 として学究の徒のあいだに、そして文芸書 ・人生の書として

一般教養人のあいだにと、広範で異質な領域に読者層を有する作品である。

『パンセ』をはじめとするパスカルの著作が、多 くの日本人読者を獲得 している大きな要

因の一つは、おそらく邦訳の充実ぶ りにあると言えるだろう。最初の全集の公刊は、1959

(昭和34)年 に人文書院から出版 された 『パスカル全集』(全三巻)で ある。その後、1980-

84(昭 和55-59)年 には、教文館から田辺保全訳の 『パスカル著作集』(全 九巻)が 出版さ

れた。現在 も、白水社から 『メナール版パスカル全集』(全六巻)の 公刊が1993(平 成5)

年に開始され、現在第二巻まで刊行済みである。また、『パンセ』に限れば、最初の全訳は

1948(昭 和23)年 に刊行 されたが、それ以降、主要なもので も五種類の邦訳が出版されて

おり、そのうちの三つは文庫にも収められて、現在も容易に入手することが可能である。 こ

れらの代表的刊行物を中心に、邦訳 『パンセ」の刊行にかかわる経緯の概略を以下に紹介す

る。

『パ ンセ』の断章が部分的に邦訳されて日本の著作物に登場 し始めるのは、19世 紀の終

わり頃である。まず宗教 ・思想の領域においては、1883(明 治16)年 に植村正久(1858-

1925)が 、 キ リス ト教批判 に対す る反論に際 して 「パ ンセ』 や 『プロヴァンシャル

(Provinciales)』 からの引用を用いた。さらに翌年植村は、キリス ト教擁護の書 「真理一般』

を著 し、『パンセ」断章(397)を はじめとして、全9章 のうち3章 にわたってパスカルを引

Page 6: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

河野;常 套旬 「考える葦」が生まれた背景 と経緯 2、

用 して い る。1890(明 治23)年 に は、 カ トリ ックの 『公教 雑 誌 』 第17号 に 「考 え る葦」 の

断 章 を 含 む い くつ か の 断 章 が 翻訳 紹 介 され た。 これ に は 訳者 名 が 明 記 され て い な いが 、 後 に

『パ ス カ ル感 想 録 』 を 訳 出 した前 田長 太(1867-1939)で あ ろ うと推 測 され て い る。 支 倉 崇

晴 の 研 究IUに よ れ ば、20世 紀 に入 る と、 新 渡 戸 稲 造(1862-1933)に よ るパ ス カル へ の 言

及 が 目 につ く と言 う。1903(明 治36)年 に 「ク リス マ ス所 感 」 と題 して 発 表 さ れ た新 渡 戸

の 文 章 は 、 そ の 後1907(明 治40)年 に 「随想 録 』 と して 刊 行 され る。 これ に続 くよ う に

『パ ンセ」 に か か わ る文 章 が、 毎 年 各 領 域 か ら出版 さ れ る。1908(明 治41)年 に は、 植 村 正

久 の 「ブ レエ イ ス ・パ ス カ アル 悔 改 の 由来 」 が 週刊 誌 「福音 新 報 」(656、657号)に 、1909

(明治42)年 に は川 島 全五 郎 の 「パ ス カ ルの 感想 録 を読 む 」 が 「哲 学 雑誌 」(265号)に 、 そ

して1910(明 治43)年 に は 広 瀬 青 波(広 瀬 哲 士)訳 「パ ス カ ル の パ ン セ」 が 、 総 合 雑 誌

「日本 及B本 人」(三 宅 雪 嶺 主 宰、 政教 社刊)に 断続 的 に11回 連 載 され る。 これ は、 ブ ラ ン

シ ュヴ ィ ック版 の断 章(4)か ら(233)ま で が訳 出(抄 訳)さ れ て 、 一 般 文 芸 物 と並 ん で

パ ス カ ル が扱 わ れ た 点 で画 期 的な 出版物 で あ る。

哲 学 ・思 想 の領 域 で 特 筆 に値 す る もの と して は、1911(明 治44)年 に、 パ ス カル 研 究 の

起 点 と な った三 木 清 の 師 で あ る西 田幾 多郎(1870-1945)が 、 近 代 日本 哲学 の記 念碑 的著 作

『善 の研 究 』 の 第 三 篇 ・第 三 章 「意 志 の 自由」 の項 にお い て、 「考 え る葦」 の 断章 を次 の よ う

に 引用 して い る こ とで あ る。 す な わ ち、 「パ ス カル も、 『人 は葦 の如 き弱 き者 で あ る。 併 し人

は考 え る葦 で あ る、 全 世 界 が彼 を 滅 ぼ さん とす るも彼 は彼 が 死 す る こ とを、 自知 す る が故 に

殺 す 者 よ り尚 し』 とい って い る。」12)

1914(大 正3)年 に は 、前 田長 太(越 嶺)訳 「パ ス カル 感 想 録 」(洛 陽堂)が 単 行 本 と し

て は初 め て の 邦 訳 『パ ンセ 』 と して 刊 行 され た。 そ の 後1934(昭 和9)年 に、 竹 村 清 訳

『パ ス カ ル の 随想 録 』(新 生 堂)も 刊 行 され た が、 これ らは まだ 抄 訳 で あ る。 つ い に は じめ て

の 完 訳 が 刊 行 され る の は、 先 述 した よ うに1948(昭 和23)年 の 由木 康 訳 『パ ス カ ル 瞑想 録」

(上 ・下)13)で あ る。 由木 は戦争 中 に多 くの苦 難 の な か で 完 訳 を 成 し遂 げ たが 、 刊 行 に も大 き

な 苦難 が 伴 い 、 訳 了 後9年 を 経 てつ い に刊行 が実現 した もの で あ る。

この 後 は、 現 在 ま で刊 行 が続 く主 要 な 邦訳 「パ ンセ 』 が 続 々 と刊 行 され る こ と とな る14)。

主 な 邦 訳 「パ ンセ 」 は以 下 の とお りで あ る。

◇ 津 田穣 訳rパ ンセ(瞑 想 録)』 新 潮 社 、1950(昭 和25)年 。(現 在、 新 潮 文 庫 上 ・下2

巻)

◇ 関 根秀 雄 訳 「パ ンセ 』 創元 文 庫 、1953(昭 和28)年 。(テ ユ ル ヌ ール 版 に依 拠)

Page 7: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

22 臨床教育人閤学 第7号(2QQ5)

◇ 松 浪 信 三 郎 訳 「パ ンセ」 河 出文 庫 、1955(昭 和30)年 。(1959年 に 『パ ス カル全 集 」 第

3巻 に所 収)

◇ 前 田 陽一/由 木 康 共 訳 『パ ンセ』 中央 公論 社 、1962(昭 和37)年 。(「パ ス カル(世 界

の名 著 第24)』 所 収)1973(昭 和48)年 に は 同 「パ ンセ」 が 中 公 文庫 とな り、1978(昭

和53)年 に は前 田陽 一責 任 編集 に よ り、 中公 バ ックス版 「パ ス カル 』 「世 界 の名 著29」

に も入 った。

◇ 田辺 保 訳 『ラ フ ユマ版 に よ るパ ンセ 』新 教 出版 社、1966(昭 和41)年 。

◇ 松 浪 信 三 郎 訳 『定 本 パ ン セ 』上 下2巻 、 講 談 社 文 庫、1971(昭 和46)年 。(ラ フ ユマ版

に依 拠)

◇ 由木 康 訳 『パ ンセ(改 訳 新 版)』 白水社 、1978(昭 和53)年 。

◇ 前 田陽 一/由 木 康 共訳 『パ スカ ル パ ンセ1・H』 中央 公 論 社(中 公 ク ラ ッシク ス版)、

2001(平 成13)年 。 これ は刊行 さ れ た ばか りの最 新版 で あ る。

上 記 の通 り、数 々の 邦訳 が さ まざ ま な タイ トル の も とに 出版 され て き た が、 現在 で は 「パ

ンセ』 が作 品 名 と して 日本 人 の 間 に定 着 して い る。 依拠 す る版 に つ い て特 に 記 述 して いな い

出版 物 に つ いて は、 これ まで邦 訳本 の底 本 と して最 もポ ピ ュラ ー な ブ ラ ン シ ュ ヴ ィ ック版 に

依 拠 す る こ とを 表 わ して い る。

この よ う に、 「パ ンセ」 の邦 訳 本 は 完 訳版 にな って か らで も、 す で に60年 間 に わ た って 日

本 人 に読 み つ づ け られ て い る こ と にな る。 また、 「パ ンセ』 の ペ ー ジを め くっ た こ とは な く

て も、 『パ ンセ」 とい う題 名 を耳 に した こ との あ る人 は 決 して 少 な くな い だ ろ う。 パ ス カ ル

に よ っ て創 出 され て 『パ ンセ』 に お いて は じめ て紹 介 され た表 現 で あ りな が ら、 いつ の 間 に

か 『パ ンセ 」 を は な れ て 一 人 歩 き して い る名 言 は い くつ も あ る 。 「ク レオ パ トラの 鼻 」 や

「考 え る葦 」 は そ の代 表 的名 旬 で あ り、 これ らは 「パ ンセ』 を 知 らず と も耳 慣 れ た名言 と し

て 日常 の言 語 生 活 の な か で 用 い られ る こ とは そ う稀 で はな い。 『パ ンセ』 に登 場 す る比 喩言

説 は、 名 言 も し くは格 言 ・こ とわ ざ と して遠 く離 れ た 日本 に お い て、 日常 言 語 の なか に位置

つ い て人 々 の語 りの な か に 自然 に現 われ る表現 とな って い る。

2.教 科 書 に登場 す る 「考 え る葦 」

(1)パ ス カル の 思想 の紹 介

「考 え る葦 」 が教 科 書 には じめて 登 場 した ケー ス だ と推 察 され るの は、1934(昭 和10)

年 に北 星 堂 か ら出版 され た河 野 正 通 編 注 「The Thoughts()f-Blaise 1)ascal, selected with

Page 8: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

河野:常 套句 「考え る葦」が生まれた背景 と経緯 ・3

notes by M. Kohno(英 語 学 習 用 教 科 書)」15)であ る。 こ こ に は、 『パ ンセ」 の代 表 的 な 断 章

が8章 編 成 で 掲 載 さ れ て い る 。 そ の第3章 「人 間 の 偉 大 と卑 小(The Greatness and

I.ittleness of Man)」 に は、 『パ ンセ』 か ら23の 断章 が 選 び 出 され配 列 さ れ て い る。 そ の な

か に、 「考 え る葦 」 お よ び 「人 間 は 自然 の 中 で最 も弱 い一 本 の葦 に す ぎ な い 、 だ が そ れ は考

え る葦 で あ る」 と い う言 説 が登 場 す る。 これ は、「パ ンセ」 の な か に見 出 され るパ ス カ ル の

思想 の 中核 部 分 を ま とめ 上 げ た哲 学 的 内容 の英 語 読 本 で あ る。 この 教 科 書 は 、 国 定教 科書 お

よび検 定 教 科 書 一 覧 の な か に は登 録 され て い な いが 、 内 容 か らみ て 旧制 中学 校 で採 用 され て

い た可 能 性 が あ るの で は な い か と推 測 で き る。

上 記 の教 科 書 に取 り上 げ られ た様 態 とほ ぼ 同様 に、 パ ス カ ル とい う思 想 家 に つ い て の概 説

とそ の代 表 的 名 言 と して 「考 え る葦」 を紹介 して い る のが 、 串 田孫 一 が著 した 「考 え る あ し」

とい う タ イ トル の 文 章,E〕で あ る。 串 田 の 「考 え るあ し」 は 、1950(昭 和25)年 発 行 の 『新

生 国語 読 本1下 』(波 多 野 完 治 監 修 、 冨 山房)に 掲'cさ れ て い る。 これ は、 筆 者 が 調 べ た 限

り、 義 務 教 育 の検 定 教科 書 に 「考 え るあ し」 と い う表 現 が登 場 した最 初 の ケ ー ス で あ る。 た

だ し、 こ の教 科 書 の 出版 は翌 年 度 で終 了 あ る い は打 ち 切 り とな り、 これ以 降 パ ス カル 思 想 の

紹介 を意 図 して 「考 え る葦 」 が 取 り上 げ られ る こと は な くな る。 この 時 点 で 一 度 、 「考 え る

葦 」 と教 科 書 の 関係 は中 断 す る時 期 を迎 え る こ とにな り、 再 度 登 場 す る まで に は約10年 を

経 る こ とに な る。

(2)パ ス カル の格 言 ・名言 の紹 介

「考 え る葦 」 の取 り上 げ方 に は、 教科 書 編 集 の基 本 方 針 の動 向 が影 響 して い る と見 られ る。

この点 に関 して は、 東 書 文 庫 展 示 資 料 の一 つ 「戦後 の 国語 教 科 書 と こ とわ ざ ・格 言 」 に示 さ

れて い る教 科 書 の編 集 傾 向 につ い て の指 摘 が 有 力 な手 がか りを与 え て くれ る。

「1952(昭 和27)年 か ら2000(平 成12)年 まで の48年 間 に こ とわ ざ を扱 った 教 科

書 は71件 あ るが、 明 治 期 の よ うに正 面 か ら取 り上 げ るの で は な く、 コ ラ ム 的 に 扱 う こ

と が多 く、 ど ち らか とい う と低 調 にな って きて い た 。 と ころ が1957(昭 和32)年 、 柳

田 國男 編 集 の 『新 しい 国語 中学 一 年 下 』(東 京 書 籍)で は 〈こ とわ ざ〉 を真 正 面 か ら

取 り扱 っ た。 柳 田 の編 集 の 基本 方針 は、 今 ま で の教 科 書 の よ うに純 文 学 ・芸 術 に よ らな

い で 日常 の言 語 生 活 に必 要 な 能 力 を育 て る こと で あ った。」'7)

Page 9: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

・4 臨床教育人間学 第7号(2005)

大 手 教 科 書 出版 会 社 で あ る東 京 書 籍 と著 名 な民 俗 学 者 ・柳 田國 男(1875-1962)に よ って

つ く られ た教 科 書 編 集 の基 調 が 、 他 の教 科 書 出版 の編 集 方 針 に影 響 を与 え た で あ ろ う こ とは

十 分 に 推 測 で き る。 柳 田 の編 集 へ の参 画 は、 この後1962(昭 和37)年 発 行 の 教 科 書 まで継

続 して いた が 、 この 間 に復 活 した、 い わ ゆ る くこ とわ ざ ・格 言 路 線 〉 は、 「考 え る葦 」 が 国

語 教 科 書 に格 言 も し くは名 言 と して取 り上 げ られ る事 態 に影 響 を及 ぼ した と考 え られ る。以

下 の よ うな事 態 が 、 そ の こ と を物語 って い る と言 え な い だ ろ うか 。

1951(昭 和26)年 以 降 、 教 科 書 か ら姿 を 消 して い た 「考 え る葦 」 が 再 び教 科書 に登 場 す

る の は、1962(昭 和37)年 発 行 の 『中 学 国語2年 』(佐 藤 春 夫 監 修 、 大 阪 書 籍)に 掲載 さ れ

た松 浦 佐 美 太 郎(1901-1981)の 随 筆 に つ け られ た タ イ トル 「考 え る あ し」 に よ って で あ る。

松 浦 の 「考 え る あ し」 は、 「考 え る こ と」 が 特 別 な難 しい行 為 で はな く、 人 が 日常 的 に行 っ

て い る行 為 で あ る こ と と して、 中学生 に 「考 え る こ と」 の す す めを 説 く文 章 で あ る。 内 容 か

らみ る限 り、 パ ス カル に も 「パ ンセ」 に も関連 性 は見 当 た らな い が、 『パ ンセ 』 に登場 す る

比 喩 「考 え るあ し」 を そ の タ イ トル と して採 用 して い る こ と は明 らか で あ る。 ここ に用 い ら

れ た 「考 え る あ し」 は、 「パ ンセ』 の文 脈 に位 置 す る比 喩 と して意 味 す る こと と は全 くと言 っ

て い い ほ ど無 関係 に、 ひ た す ら 「考 え る こ と」 の 重要 性 を喚 起 す る こ とを 目的 と した 、 半 ば

ス ロー ガ ン的 な役 割 を 果 た して い る。 そ の意 味で 、 この 「考 え る あ し」 は、 もは や単 な るタ

イ トル で は な く、 「考 え る こ と」 の重 要 性 を教 訓 的 に示 して い る極 あ て簡 潔 な 格 言 で あ る と

言 え るだ ろ う。

同 年 発 行 の 『新 中学 国語2』(石 井 庄 司 監 修 、大 修館)の な か で は、 「考 え る葦 」(格 言)

とい う見 出 しの も とに、1人 間 は 一本 の葦 にす ぎな い。 自然 の うち で最 も弱 い葦 にす き な い。

しか し、 それ は考 え る葦 で あ る。」 と い う一 節 が 、 パ ス カル の 格 言 と して 取 り上 げ られ て い

る。 こ こに併 記 され て い る格 言 の 出処 は、 エ ジソ ン、 孟 子 、 戦 国 策 、 福 沢 諭 吉 らで あ る。

さ らに 同年 発行 の 『中学 国語3』(山 本 有 三 編集 、B本 書籍)で は、 「考 え るア シ」 とい う

目次 の も とに、 デ カ ル ト、 パ ス カル 、 タ ゴー ル、 シ ュバ イ ツ ア ー、 べ 一 トー ベ ン、 ゲー テ、

チ ェー ホ フ、mレ ンス、 ア ン ドレ ・ジー ド、 ミ レー、 ア イ ンス タ イ ン、 内村 鑑 三 、 本 居宣

長 、 三 木 清 らの名 言 が紹 介 され て い る。 『パ ンセ」 か らの 引 用 部 分 は、 上 記 の 教 科 書 の 掲載

文 とほ ぼ 同 様 で あ るが、 デ カ ル トの言 葉 と併 記 され、 真 の懐 疑 の難 し さを述 べ る三 木 の 文 章

の 引 用 を 最 後 に配 置 した、 そ の順 序 や 形 態 に編 集 の意 図 が うか が え る。 こ こで は、 教 訓 的 な

格 言 と して の 紹介 とい うよ りは、 各 界 の 著 名 な人 物 の 名言 が相 互 作 用 的 に多 様 な視 点 の在 り

よ うを 示 す こ とを意 図 した取 り上 げ方 で あ る ことが 推 察 さ れ る。

Page 10: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

河野:常 套句 「考える Jが 生まれた背景 と経緯 z5

同上 教 科 書 『中学 国 語3』 は、1969(昭 和44)年 版 で も同 様 に 「考 え る ア シ」 と い う 目

次 の もと に、 パ ス カ ル、 デ カル ト、 論 語 、 河 合栄 治 郎 、 六 代 目尾 上 菊 五 郎 、 ゲー テ、 エ ジ ソ

ン、 チ ェー ホ フ、 吉 野 作 造 らの名 言 を紹 介 してい る。 た だ し、 『パ ンセ 』 か らの 引用 は 「考

え る葦 」 に かか わ る断 章 の ほぼ全 体 を掲 載 した 点 に変 化 が み られ る。 つ ま り、単 に格 言 も し

くは名 言 と して 象 徴 的な 言 葉 を紹介 す る ので はな く、 名 言 が 意 味 す る内 容 を よ り忠実 に伝 え、

読 者 で あ る生 徒 の 思 考 を促 す こ と を意 図 す る取 り上 げ方 で あ る 。 と こ ろ が 、 同社 の1972

(昭和47)年 以 降 の版 か らは 「考 え る葦 」 にか か わ る記 述 は完 全 に姿 を 消 し、 筆 者 の知 る 限

りで はそ の 後 現 在 に到 る まで 申学 校 の国 語 教 科書 に 「考 え る葦 」 が 登場 す る こ とは な い の で

あ る。

(3)モ ラ リス ト 。パ ス カル の紹 介

中 学 国語 教 科 書 か ら姿 を 消 した 「考 え る葦 」 は、 そ の後 高等 学 校 の倫 理 社 会 の教 科 書 に場

所 を 移 して登 場 す る よ う にな る。 そ の 最 初 は 、1972(昭 和47)年 に検 定 を経 て1973(昭 和

48)年 に発 行 され た 「倫 理 ・社 会 』(中 村 元 他 著作 、 東 京 書 籍)で あ る。 こ こで は、 「西 洋 近

代思 想 の 展 開 」 とい う章 を構 成 す る く合理 的精 神 の確 立 〉 とい う節 の 中心 的 思 想 家 と して デ

カル ト(Rene Descartes,1596-1650)を 取 り上 げ た後 に、 こ う した思 想 の 流 れ の な か に あ

りつつ も固定 的 な人 間観 で は割 りき らな い モ ラ リス トの存 在 を補 足 的 に取 り上 げ、 そ の 代 表

者 と して モ ン テ ー ニ ュ(Michel Eyquem de Montaigne,1533-1592)と と も にパ ス カ ル を

紹 介 して い る。 そ こに 引用 され た 「考 え る葦 」 の解 釈 は、 つ ま る と こ ろ 「人 間 の 偉大 さは考

え る と ころ に あ るの だ か ら、 考 え るこ とに よ って 自 らを高 めな けれ ば な らな い」 と結 論 づ け

られ た もの で あ る。 そ の 後 も1980年 代 の初 旬 まで は、 パ ス カル 並 び に 「考 え る葦 」 の記 載

は これ 以 外 に は見 られ な い。 この よ うな状 況 のなか で 最 も早 い 時期 に 『パ ンセ』 の記 述 に忠

実 な 「考 え る葦 」 の 詳 細 な解 釈 を紹 介 したの は、1983(昭 和58)年 発 行 の 『倫 理』(勝 部 真

長 他 著 作 、 中教 出版)で あ る。 これ以 降 は徐 々に記 載 教 科 書 の数 が増 え て く る もの の、1997

(平 成9)年 時 点 で もま だ 出版教 科書 の半 数 に も満 た な い状 況 で あ った。 と こ ろが 現 行 の教

科 書 一 検 定:2000(平 成12)年 、 採 用12002(平 成14)年 一 で は、 パ ス カ ル 及 び 「考

え る葦 」 に つ い て の記 述 を掲 載 す る出 版 社 数 は、(筆 者 が調 べ た な か で は)10社 中9社 に及

ぶ 掲 載 率 の 高 さで あ る。

モ ラ リス トと して パ ス カル を紹 介 す る点 で は各教 科 書 と もほ ぼ共 通 して い るが 、 モ ラ リス

ト自体 の 位 置 づ け は著 作 者(出 版 社)に よ って異 な る。 そ こで、 現 行 の倫 理 社 会 の教 科 書 に

Page 11: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

26 臨床教育人間学 第7号(2QO5)

お け る 「考 え る葦 」 の取 り上 げ方 を考 察 して み る と、 おお よそ 三 つ の タ イ プ に分 類 で き る。

大 多 数 の教 科 書 は こ の項 の見 出 しを構 成 す る キー ワー ドと して 「人 間 の 尊 厳 」 とい う表 現 を

使 って い るが 、 「人 間 の 尊 厳 」 を どの 次 元 で 捉 え るか に よ って記 述 に差 異 が生 じて い る。 第

一 の タ イ プ は、 人 間 と自然(人 間以 外 の動 物 を含 む)と の 相 違 点 を 合 理 的 精 神 や理 性 に見 出

し、 そ の た め に 「考 え る」 と い う営 み を 唯一 可 能 とす る人 間 の 優 越 性 を 人 間 の尊 厳 と捉 え、

そ の 点 を 「考 え る葦 」 の解 釈 と して 強調 して い る。 第 二 の タイ プは 、 人 間 が 本 来 的 に有 す る

悲惨 と偉 大 を 自覚 す る こ とが 人 間の尊 厳 で あ る との理 解 に立 ち、 こ う した 人 間 の 存 在性 につ

い て の 自覚 が重 要 で あ る こ と を指摘 す る。 とこ ろが、 悲 惨 と偉 大 の 間 に い る 中間 者 と して の

人 間 の在 りよ うを 「考 え る葦 」 の解釈 と して 示 して は い るが 、 悲 惨 の 理 由 につ いて は言 及 し

て い な い。 第三 の タ イ プ は、 第 二 タイ プ と同様 に人 間 の悲 惨 と偉 大 の 自覚 を 指 摘 し、 さ らに

悲惨 の理 由 と して人 間 と そ れ を超 え た もの ・神 との関 係 の あ り方 に言 及 す る。 つ ま り、 有 限

性 を 自覚 す る人 間 と して、 人 間 を超 え た ものへ の服 従 、 神 へ の 信 仰 に こ そ、 人 間 の 尊厳 が あ

る こ とを説 い て い る の で あ る。

以 上 が 、教 科書 の記 述 に見 られ る 「考 え る葦 」 の取 り上 げ方 の推 移 で あ る。

3.常 套 句 とな る 「考 え る葦 」

(1) 「考 え る葦 」 を め ぐる通 念 と レ トリ ック

「パ ンセ」 に は、 この よ うな記 述 が あ る。

「エ ピ クテ トス 、 モ ンテ ーニ ュ、 サ ロモ ン ・ ド ・テ ユル テ ィ な ど の書 きぶ りは 、 最 も

よ く用 い られ 、 最 もよ く人 の心 に食 い込 み、 最 もよ く記 憶 に残 り、 最 もよ く引用 され る。

とい うの は 、 そ れ が 日常生 活 での 話題 か ら生 まれ た思 想 ばか りか ら成 り立 ってい るか ら

で あ る。(18)」

こ こに 名 指 しさ れ て い る サ ロ モ ン ・ ド ・テ ユル テ ィ(Salomon de Tultie)と は、 『パ ン

セ』 の 仮 名 の 語 り手 と して 想定 され た人 物 で あ る。 した が って、 上 記 の書 き ぶ りにつ いて の

評 価 はrパ ンセ 」 の 文 章 自体 へ の言 及 だ と考 えて よい こと に な る。 そ こ で、 上 記 断章 の 内容

は、 こ う言 い換 え られ な いだ ろ うか。 つ ま り、 「パ ンセ 」 の 書 きぶ り も し くは 語 り方 は、 説

得 的 な通 念 に基 づ い た言 論 の 知 識 、 す な わ ち レ トリ ック の知 識 に 満 ち た も ので あ る と。 「レ

トリ ック は、 直 接 事 物 を探 求 す るの で はな く、言 論 に関す る知 識 で あ る。 これ に対 して 、 哲

Page 12: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

河野:常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 z7

学は、直接事物がなんであるかを探求するものであり、そこに成立するのは事物についての

知識である。」18)パスカルの文章、特に 『パ ンセ』の文章が、通念もしくはレトリックの知 と

哲学的思索 との関係性のなかでどこに位置づけられるのかは、興味深いところあるが、塩川

徹也が示す次の判断は、この点を非常に明解に言い当てていると思 う。

「多 くの読者にとって、パスカルの思索は、ことわざや金言 に凝縮された俗智から本

来の意味での哲学に至る道筋の半ばに位置しています。それはいわば、哲学的な回心、

世界内存在としての人間の自覚への手ほどきなのです。とりわけこの役割をよく果たし

ているように思われるのが、 日本の読者に熱烈に迎えられた 『考える葦」の断章(347)

です。ただ し、大多数の読者がそこに、身体的存在としての人間の脆弱 と卑小との対比

で、 ひたす ら 「思考(パ ンセ)」 の偉大 さに注 目する傾向があることは否定できませ

ん。」19)

「考える葦」 は、本来 『パンセ』の文脈にあっては単なることわざや金言の域に留まるも

のではなかった。ところが、上記引用の最後の文が指摘するように、現在一般的に 「考える

葦」が与えるイメージは、「考える」が肥大化した人間像である。これが、常套句となった

「考える葦」が伝える俗智ないしは通念 と言 うべきなのであろうか。俗智(通 念)と 哲学の

中間に位置するのが 『パンセ』の 「パンセ(思 索)」であるな らば、パスカルが創出 した当

初の 「考える葦」は、現在のような格言風 ことわざとして俗智を伝えるだけのものではなかっ

たはずである。 しか しながら、皮肉にも俗智を伝える常套句 となったがゆえに、創出か ら

350年 近 く経過 してもなお広 く流通する比喩表現として生 き残 る運命を得ることになったの

だと言える。

(2) 常套句 「考える葦」の形成 ・定着過程

「考える葦」が、 ここまで常套句化 した背景としては、以上の各節で述べてきたように、

まず、 日本においてパスカル及び 『パ ンセ』の研究が質量 ともに充実 していたこと、その影

響もあって邦訳 「パンセ」の出版 も早い時期に始まり、訳本の種類 も豊富であり、現在に到

るまで版を重ねて根強い読者層を獲得 していることが挙げられる。それに加え、「考える葦」

をタイ トルとして採用 した二冊の 『考える葦』が1951(昭 和26)年 に出版されたことは、

「考える葦」という表現が存在することのアピールに力を添えることになったと考えられる。

Page 13: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

28 臨床教育人間学 第7号(2005)

このうちの一冊は、松浪信三郎によるパスカル及びパスカルの著作に関する研究書2°)であり、

もう一冊は串田孫一による随筆ZI)である。このような文化的基盤を背景に、戦後になってか

らは義務教育期の中学国語科の検定教科書に取り上げられ、それが高等学校の 「倫理社会」

に引き継がれなが ら教科書に登場し続けてきた経緯に、常套句 「考える葦」を生んだ重要な

要因があると判断できる。そこで、学校教育のなかに持ち込まれた 「考える葦」が、 どのよ

うな役割や効果をもたらしたかについて、以下に考察 していきたい。

すでに複数の、 しかも版を重ねた著作の書名として世に出ていた 「考える葦」という表現

が、文章のタイ トルとして国語教科書の目次に現われるという事態が生じた。「考えるあし」

がタイ トルに用いられるということは、「考えるあし」自体がすでに十分な知名度と表現と

してのインパ ク トをもっていることを証明している。また、「考える葦」ではなく 「考える

あし/ア シ」と表記 した理由としては、当該学年に許容されている漢字の枠組みを考慮 した

結果であることは第一に考え られるが、「考えるあし/ア シ」という表記の方が抽象度が高

く自由なイメージを喚起させやすいという効果 もうかがえる。語 りのなかで音声として 「か

んがえるあし」が伝えられる場合には特に、「かんがえる=考 える」の方が、否む しろ 「考

える」のみが人々の印象に残っていくのではないだろうか。

教科書においては、〈格言〉 と明記 して 「考える葦」を目次に載せたケースがあり、 また

有名な思想家 ・芸術家等の 〈名言〉という意味あいを暗に示 して 「考えるアシ」を目次に載

せたケースもある。教科書以外について言えば、例えば 『世界ことわざ名言辞典』zz)では、

「考える葦」にまつわる一節は くことわざ名言〉として扱われているが、訳者はより狭義に

く名言〉として捉えていることがその記述から推察できる。 このように、格言 ・名言 ・こと

わざは、明確に区別することがむずかしく、通常ほぼ同義語のように使われているのが現状

である。ことわざ研究家 ・北村孝一(1946-)で さえ、彼の著作のなかでしばしばこれらを

区別なく使用 している箇所が見 うけられるほどである。

このように区分することがむずか しい 〈格言〉と 〈ことわざ〉であるが、まずは、広辞苑

による定義の違いを見てみよう。そこには、〈格言〉とは 「深い経験を踏まえ、簡潔に表現

した戒めの言葉。金言。箴言。」とある。それに対 し、〈ことわざ〉 とは 「古 くから人々に言

いな らされた言葉。教訓、風刺などの意を寓 した短句や秀句。」と述べ られている。そこで、

この定義に先に紹介 した北村の定義を重ねてみると、それぞれの輪郭がもう少 しはっきり見

えて くる。北村は次のように両者の違いを指摘 している。「〈格言〉は抽象性が高く倫理道徳

性を強調 したものが多 く、それに対し 〈ことわざ〉は民俗性(口 承性)・庶民姓に富んでお

Page 14: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

河野:常套旬 「考える葦」が生まれた背景と経緯 2g

り、比喩を用いることが多 くユーモア感覚(笑 い)を 重視する傾向が強い。」23)

国語教科書においては く格言〉 と明記 して取り上げられたことのある 「考える葦」である

が、「人間は考えるものである」 くらいの理解で人々の日常の言語生活に定着 しているのが

「考える葦」であるとすれば、北村の説からすると 〈ことわざ〉 として捉えるのが妥当な見

方ではないだろうか。言うなれば、「考える葦」は 〈格言的要素を備えたことわざ ・格言風

ことわざ〉と言えるだろう。

こうした意味で、ことわざの定着過程について調べてみると、北村の著述のなかに注 目す

べき指摘がいくつかある24)。もちろん個 々のことわざによって異なるが、定着のための第一

条件として 「近代日本では学校教育、とりわけ国定教科書の影響を無視できない」 こと、そ

して教科書に登場して浸透効果の高い格言 ・ことわざとなるものは 「おおむね抽象的な命題

で、教訓を引き出せる格言的要素の強い表現」が多いという指摘である。また第二の条件と

しては、人々の 「感性にフィットし、ことわざが本来持 っている比喩的な説得力によって共

感を得 る」 ことができるか否かという点に関する指摘である。

上の条件に照 らし合わせてみると、「考える葦」が義務教育の教科書に登場 したという事

実をは じめ、「かんがえるあし」という言葉のもつ響き、そして 「考える」に伴 う近代的価

値への志向が、「考える葦」の常套句化を推 し進めたと判断することは無理のないところで

ある。

「考える葦」が義務教育段階の教科書に継続的に登場 した期間は10年 間であり、 これを

取 り上げた教科書会社は3社 程度にすぎない。この数字が果たす効果を、戦前の国定教科書

の記述が与えた国民への絶対的な普及 ・浸透効果に比べれば、教科書が 「考える葦」の普及

と定着に関 して圧倒的な影響力を及ぼしたとは考えにくい。 しか しながら、「人間は一本の

考える葦である」が義務教育の教科書に一時期登場 したことは、それ以降の学校教育領域で

〈格言風ことわざ〉として独自の位置を確保 しつづける契機 として効果的であったことは、

あながちまちが った推測ではないはずである。

『パ ンセ』の一断章、さらにその断片である 「人間は 〈考える葦〉である」は、国語教科

書から姿を消 した後 も 「人間は 〈考える者〉である」 という程度の理解 と主張を携えて、学

校教育を中心とする近代日本の合理的 ・理性的志向と高度経済成長期の学歴重視型の日本社

会の要請にマ ッチして、日常生活に根差した く格言風 ことわざ〉として定着 していったと言

えるだろう。この間の 「考える葦」の知名度を支えた背景には、義務教育にかわって登場場

所を与えた高校の倫理社会の教科書のはたらきがある。前節に述べたように、この段階で紹

Page 15: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

3・ 臨床教育人間学 第7号(2005)

介される 「考える葦」は、西洋近代思想史の流れのなかの一思想家であるパスカルの思想を

象徴する概念的表現 として取 り上げられている。とりわけ1998年 以降の倫理社会の教科書

では、近代合理主義的 ・理性中心的ではな く、むしろその傾向を問い直すスタンスへと移行

する動きのなかで重要な思想家としてパスカルを位置付け、彼の人間観を象徴する 「考える

葦」を 『パ ンセ」に即 して忠実に解釈 した記述が多 くなってきている。ところが、この教科

書によって授業を受けた世代にあっても、人間が思考力を持っていることの優位性を示す言

葉として 「考える葦」が受け取られている傾向は依然として根強い。それ以前の世代がもっ

ている 「考える葦」への印象的理解 と大差がないというのが、現役大学生を対象にしたアン

ケー ト調査25)の結果に対する実感である。

教科書の詳細な記述内容が変化しようとも、それを受け取 った側に残る印象的理解に大 し

た変化が見 られないということは、何を意味 しているのだろうか。

一つの解釈としては、すでに常套句としての 「考える葦」が、 日常言語生活のなかに根づ

いて固定 した意味の枠組みを形成しているということ。もう一つの解釈 としては、倫理社会

の教科書における 「考える葦」は、概念 レベルの刺激を引き起こし、読者の新 しい思想形成

に働きかけるという役割を担ったのではな く、思想史上の一つの知識 として読者の記憶 レベ

ルに働きかけたに過ぎないということ。以上の解釈が、常套句 「考える葦」が通念的意味を

保持しつづけている理由として考えられる。

学校教育において、意図的 ・目的的に 「考える葦」を使 っているという意識は、少な くと

も最近の教師にはほとんどないと言ってよいだろう。つまり、すでに常套句化 していて、話

し手にも聞き手にも特別な意識を喚起させることがな く、また違和感を生 じさせることもな

く、時に応 じて自然に語 られる比喩表現の一つとなっているということである。すでに、

「考える葦」が比喩であるということすら意識されていないかもしれない。仮に 『パンセ』

との関係を知 らないにして も、「考える葦」という言葉を知 らない教師はおそらく極めて稀

であろうが、彼 らの語りのなかで 「考える葦」が 「考える存在 ・者」と同義語のように繰 り

返 し使われてきた結果、「考える葦」が学校文化ないしは日本文化のなかで常套句、いわゆ

る決まり文句として根づ くことにかなりの貢献をしていると思われる。教科書での出会い以

後 「考える葦」は、主に口頭伝達されてきたことによって、言い換えれば、音声 一 話 しこ

とば一 として流通する機会が多かったために、複雑な思想的意味を無視 して、人々の記憶

に残 りやすい 「音 ・響き」として定着 した可能性が高い。それが証拠に、「あ し」が 「葦」

であることを知らない人々や、「葦」が何であるかを知 らない人々は少な くないのが実情で

Page 16: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

河野:常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 3・

ある。 日本語の 「音 ・響き」 として、日本人の感性に違和感を生 じさせない表現であるがゆ

えに、「考える葦」は常套句として定着 したと言える。

このような過程を経て、「考える葦」は近代学校教育の所産 として、今や常套句として一

人歩きができるようになったのである。しかし同時に、常套句もしくは 〈格言風ことわざ〉

となったがゆえに、「考える葦」は近代教育学の研究対象としての価値を手放す ことになっ

たのか もしれない。なぜな ら、学際的にことわざ研究が始まったのは、世界的にも1960年

代以降であり、 日本では1980年 代後半になって漸 く盛んになってきたのが現状であるから

である26)。柳田の言でも紹介 したように、ことわざが純文学や芸術の次元ではなく、 日常の

言語生活の次元 にあるものだとすれば、 ことわざに関する研究が従来の学問研究の水準を満

たす ものとして容易に認められなかったであろうことは想像 に難 くない。「考える葦」が

くことわざ〉に分類されるとすれば、 これについての研究が教育学領域でも稀有であること

の有力な理 由の一つになり得ると考えられる0

(3)常 套句 「考える葦」が隠蔽するもの

「ことわざとして本当に生命力があれば、いったん定着 した表現は、義務教育という強力

な装置がな くても、(中 略)ど こかで復活するはずである。」28)北村がこう指摘するように、

常套句 となって流通 し続けている 「考える葦」は、見事に 「生命力」が潜在 していたことを

証明していると言えるだろう。

谷川俊太郎はもまた、北村とは異なる角度からではあるが、 ことわざの 「生命力」にっい

て興味深い見方を提起 している。それは、おおよそ次のような指摘である。「古 くか らある

ことわざを、いわば本歌取 りする要領で、パロディ的な新しい表現が時代ごとに生み出され

るが、そこには知恵 と言 って もいいものす ら含まれており、それが古いことわざによって触

発されて出てきたところに、ことわざというものの生命力の強さがある。」29)

「制度化 された古いことわざに対 して、 自分たちのレトリックを使 って反撃を加える。」3°)

谷川はこの手法に、ことわざに不可避な新陳代謝を生 じさせる一つの可能性を見出している。

筆者の他の論考における試みもまた、陳腐なことわざに差異を仕掛けて再解釈を試み、再び

革新的な意味が発現されるように生命力を吹き込むことを意図するものである。常套句の差

異化というね らいにおいては類似点を共有 していると思われるが、その方法においては明 ら

かな違いがある。谷川の説が、類似 してはいるが異なる新 しい表現によって新陳代謝を図ろ

うとするのに対 して、筆者の試みは、既存のことわざの構造を用いて、全く同じ古いことわ

Page 17: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

32 臨床教育人間学 第7号(2005>

ざ に新 陳 代 謝 を仕 掛 け る こ とで あ る。

こ の意 味 に お い て、 貴 重 な歴 史 を もつ 常 套句 と して の 「考 え る葦 」 を、 単 な る俗 智 や 通念

的理 解 に閉 じこ め て おか ず に、 新 た な意 味 を発 現 させ る言 葉 の装 置 と して 注 目 して みた い。

そ の た め に は、 臨 床 教 育 学 が そ の方 法 論 と して用 い る レ ト リッ ク論 的解 釈 学 の手 法 に よ って、

「考 え る葦 」 の レ トリ ック論 的 な認 識 構 造 に着 目す る こ とが 有 効 に機 能 す る はず で あ る。 な

ぜ な らば 、 皇 紀 夫(1940-)が 指 摘 す る よ う に、 「常 套 句 は、 擦 り減 った マ ン ホー ル の 蓋 の

よ う に、 日常 の コ ミュニ ケ ー シ ョンを円 滑 に す る役 割 を 果 た す と同時 に、 そ れ は使 い手 た ち

の思 考 と行 動 と知 覚 を 陳 腐 化 させ る」31)機能 を もつ もの だ か らで あ る。 そ れ な らば、 使 い手

の陳 腐 化 した思 考 と行 動 と知 覚 を揺 さぶ り差 異 化 す る こ とに よ って、 新 しい意 味世 界 の 出現

の可 能 性 が 見 えて くる し、 そ の た め には 、言 説 の仕 組 み の解 明 に基 づ く レ トリ ック論 的 手法

こ そ が有 効 な ので あ る。

護 教 論 と して のrパ ンセ」 の性 格 上 、 「考 え る葦 」 自体 もまず キ リス ト教 の 領 域 で 紹 介 さ

れ た と き に は 「宗 教 性 」 を 帯 びた人 間の 在 りよ うを、次 い で 哲学 ・人 間学 の領 域 で注 目 され

た とき に は、 矛 盾 す る主 体 と して の人 間 の在 りよ うを 象 徴 的 に表 す比 喩 と して 受 け取 られ て

い た。 と こ ろが 、 戦 後 、 義 務 教 育 の教 科 書 に掲載 され る よ うに な って か ら は、 「考 え る葦 」

か ら 「宗 教 性 」 は完 全 に漂 白 され、 残 っ たの は近 代 的 理 性 の 代名 詞 「考 え る」 に収 敏 した教

訓 的 ・啓 蒙 的 イ メ ー ジばか りで ある。 この現 象 こ そ、 皇 の言 に則 して 「思 考 と行動 と知 覚 の

陳腐 化 」 と呼 ぶ に 匹敵 す るだ ろ う。

「考 え る葦 」 が 、 〈格 言 風 の こ とわ ざ〉 と して 日常 の 言 語 生 活 の な か で 常 套 旬 化 した こ と

は、 学 校 教 育 の領 域 に お いて は 「宗 教 性 」 を考 慮 す る こ とな く 自由 に使 用 で き る比 喩 表 現 と

な った こ とを 意 味 して い る。 しか し果 た して 、 「考 え る葦 」 は もはや 「宗 教 性 」 を 完 全 に剥

奪 さ れ た 陳腐 な 比 喩 で しか な い のだ ろ うか。 「考 え る葦 」 が 常 套 句 で あ る こ と に よ って 固定

さ れ て い る意 味 に ね じれ を 起 こ させ 、 そ こに 隠蔽 され て い る意 味 を 出現 さ せ るに は、 ど う し

て も言 語 的仕 組 み につ いて の解 明 に基 づ いた 「考 え る葦 」 再 解 釈 の必 要 性 が生 じて くるの で

あ る。

車註

1)J.メ ナール著 ・安井源治訳 「パ スカル』 みすず書房、1992年 〔初版1971年 〕

2)Blaise Pascal, edition de Michel Le Guern, Pensees, Gallimard:Folio classique,1977. Blaise

Pascal, translation by A. J. Krailsheimer, Pensees, London:Penguin,1995.本 文 中の引用旬 に付

Page 18: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

河野:常 套句 「考える葦」が生 まれた背景 と経緯 33

記 したフラ ンス語及 び英語 の表記 は、上記の著作 による。 また、本文中の 日本語表現 は、主 に次 の二編

の邦訳 本か らの引用 であ る。①B.パ スカル著 ・前 田陽一他訳 「パ ンセ』、『パ スカル』(世 界の名著29

巻)所 収、 中央公論新 社、1999年 。②B.パ スカル著 ・由木康訳 『パ ンセ』 白水社、1999年 。 これ以降

の本文 中への 「パ ンセ』か らの引用文には、 ブランシュヴ ィック版(上 記訳 書)に 基づいた断章番号 を括

弧に入 れて付記 している。 なお引用文の表現 は、邦訳本 に基づいているが、原典 の表記 を確認 し、英文

訳 を も参考 に して いるため、引用者 による表現の変更があ ることを断 っておきたい。

3)湯 浅誠之助 の博士論文 につ いての内容 的解説 にっいて は、内山稔 「求道の士パスカル ー 故湯浅誠

之助氏 の ドク トル論文 によって」『理想 』1981年 、7月(No,578)所 収、116-125頁 を参照 した。

4)塩 川徹也 『パ スカル考』(岩 波書店、2003年)所 収の論 考か ら287-294頁 を参照 した。

5)前 田陽一 『パ スカル 「パ ンセ』 注解」全三巻(未 完)、岩 波書店 、1980-88年 。

6)森 有正 のパ スカル関係 の論考 は、『森有正全集』(筑摩書房、1978-82年)の 第10・11巻 に所収 さ

れて いる。

7)支 倉 崇晴 「日本 におけるパスカル研 究史(一)」(田 辺保訳 『パ スカル著作集』1980年 、教文館、

月報II所 収)

8)中 村雄二郎 「パス カル とその時代』 は、東京大学出版会 か ら1965年 に初版が 出版 されてい る。

9)西 川宏人 「日本におけ るパスカル受容の変遷」、関東学院大学文学部 「人文科学研究所報」 第5号 、

16-17頁 。

10)支 倉崇晴 「「パスカル と日本』 その後」『パスカル(世 界 の名著29)』 附録参照。

11)支 倉崇 晴 「日本 におけるパ スカル研究史(三)」(田 辺保訳 「パ スカル著:作集 』1980年 、教文館、

月報IV所 収)

12)西 田幾多郎 『善の研 究』岩波文庫、1998年 〔初版1950年 〕、144頁 。

13)プ ロテスタ ン トの牧 師であった 由木康は、 ブランシュヴィック版を底本 として邦訳 『パ スカル瞑想

録』(上 ・下)を 白水 社か ら刊行 した。

14)1978年 までの 『パ ンセ』刊行の歴史については、西川宏人 「日本 におけるパ スカル受容の変遷」、

関東 学院大 学文学部 「人文科学研究所報」 第5号 、1981年 、5-29頁 を参照 した。

15)The Thoughts(ゾ β姐sεPα8cα♂translated from the text of Auguste Molinier by C. Kegan

Paul, London:George Bell and Sons,1905.よ り抜粋 した もので、巻頭 に2ペ ー ジのLife of Pascal

が掲載 され、巻末 には3ペ ージか らな る注 が付 されている。

16)串 田の この文章 は、『中学生全集:6』 として刊行 された、串 田孫一著 『世界 の思想家」(筑 摩書房、

1950年)の 「パ スカル」 と題す る項 にも所収 されている。付言 すれば、『世界 の思想家』 は、1958年 ま

でに9版 を重ね た出版物で ある。

17)教 科書 出版会社、東京書籍 に併設 され て、一般 の閲覧 のために公開 している東書文庫 には、江戸時

代 か ら今 日に至 るまで の教科書が所蔵 されている。 引用文 は、 こ この展示室 にある教科書編纂 に関す る

歴史資料 の一つで ある。

Page 19: Title [研究論文]常套句「考える葦」が生まれた背景と経緯 臨 …...17 常套句 「考える葦」が生まれた背景と経緯 河 野 洋 子 1.日 本のパスカル研究と邦訳

34 臨床教育人間学 第7号(2005)

18)浅 野楢 英 「レ トリックと哲学」、植松秀雄編 『埋 もれていた術 ・レ トリック」(レ トリック研究会叢

書5)所 収、 木鐸 社、1998年 、48頁 。

19)塩 川徹也 『パスカル考』岩波書店、2003年 、285頁 。

20)松 浪信三郎 『考 える葦 一 パ スカルの生涯 と思想』角川新書、1951年0

21)串 田孫一 『考 える葦』雲井書店、1951年 。

22)モ ー リス ・マルー編、 田辺貞之助監 修、 島津智訳 「世界 ことわ ざ名言辞典」 講談社 学術文庫、1999

年。

23)東 書文庫 展示 資料参照

24)北 村孝一 『こ とわざの謎 一 歴史に埋 もれたルーツ』光文社新書、2003年 、254-255頁 。

25)複 数 の大学 に在籍す る大学生(主 に二 ・三回生)約500名 を対象 に2年 間にわた って、「考え る葦」

とい う比 喩の浸透度 を調査 した。質問は、以下の3項 目である。① 「考え る葦」 とい う比 喩表現 を知 っ

ていますか。②知 っている人 は、 いつ頃、何 によってそれを知 りま したか。③ 「人間は一本 の く考え る

葦〉 である」 とい う文は、 どんな意味を表 していると思 いますか。

26)北 村孝一 、前掲 書、5-6頁 。

27)山 本省 「『パ ンセ」 の印象的な短 い断章 について」『信 州大学教養部 紀要人文科学第26号 』所収、

1995年 。 パ スカル もしくは 「パ ンセ』 に関す る教育学領 域にかかわ る研究 と しては、 筆者が調べた限

りではこの一編 だけである。

28)北 村孝一 、前掲 書、171頁 。

29)谷 川俊太郎 「現代 日本 の ことわざ」、柴 田武 ・谷川 俊太郎 ・矢川 澄子編著 『世界 ことわざ大事典』

所収、大修館書店、1995年 、36頁 。

30)こ の具体的 な例 の一 つと して、 「人間 が考え るの もよ しあ しである」 が紹介 されて いる。現代の若

い世代に属 する と推測 される作者 が、 ことばを遊ぶ感覚 によって生み出 したパ ロデ ィと呼べる ものであ

る。(同 上 書、 同頁。)

31)皇 紀夫 「教育学 におけ る臨床知の所在 と役割」『近代教育 フ ォー ラムNo.10』(教 育 思想史学会)

所収、2001年 、123頁 。

(かわのようこ 京都大学大学院教育学 研究科研修員)