story 1008 j| 2 | 人間の感性がレンズに宿る...

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E Fレンズの挑 戦 E Fレンズの挑 戦 EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり

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Page 1: story 1008 j| 2 | 人間の感性がレンズに宿る 焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを 内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L

EFレンズの挑戦EFレンズの挑戦

EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×誕生への道のり

EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×誕生への道のり

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超望遠ズーム、開発前夜

  013年、春。宇都宮工場で、一本のレンズがラインイン

を迎えた。EF200-400mm F4L IS USM エクステン

ダー1.4×。2011年の開発発表から、すでに2年余りが経っている。なぜ、これほどの開発

期間を要したか。このレンズをめぐる物語は、数年前にさかのぼる。

 このレンズが企画された当時、キヤノンでは超望遠レンズシリーズのラインアップを

さらに強化すべく、ズームレンズの企画を検討していた。第一線で活躍するプロフォト

グラファーたちへのリサーチからも、そのニーズの高まりは明らかだった。

 超望遠ズームレンズは、すでに市場では特別なものではなかった。キヤノンの最新の

技術とノウハウを投入すれば、高画質な超望遠ズームレンズを生み出すことは十分に

可能な話のように思われた。

 しかし、レンズ事業の企画担当者と光学技術研究所の開発者たちは、もっと高い

開発目標を掲げた。「一般的にズームレンズは、単焦点レンズの光学性能に劣る。

しかし、その常識をくつがえすレンズを作りたい」と。

 当時、報道やスポーツの領域でプロの定番といえば、EF400mm F2.8L IS USM。

「それに匹敵する高画質を、ズームレンズで実現しよう」と、皆の意見が一致した。

 プロは、体力や撮影スペースの都合から、現場に持ち込めるレンズに限りがある。

その使い勝手や実用的な大きさと重さを考慮するなら、200-400mmF4が限界だ。

しかし、ただの2倍ズームではない。画質最優先の設計思想から生まれた単焦点レン

ズの光学性能をターゲットにした、超高画質ズームレンズなのだ。当然、開発のハード

ルは次元が違う高さになる。

 検討を開始した開発者の脳裏にふとひらめくことがあった。

 「エクステンダーを内蔵するというのは、どうだろう」。キヤノンには、放送用レンズを

開発してきた歴史があり、それは、古くからエクステンダーを内蔵していた。それならば、

ズーム比2倍の光学系を展開し、実質的な焦点距離を伸ばせるかもしれない。

 そのようなレンズは一眼レフカメラ用では過去に例を見ない。しかし、プロは

400mmを使いこなし、400mmで届かない世界に外付けのエクステンダーをつけて

撮影している。エクステンダーを内蔵することで、さらなる利便性が生まれるのでは

ないか。また、キヤノンには史上初と呼ばれるレンズを生み出してきた伝統がある。単

焦点に迫る画質でエクステンダーを内蔵したレンズも、また、レンズ史の新しい歴史を

拓くエポックとなりうるのではないか。

 「超高画質で世界初のエクステンダー内蔵レンズか・・・、いいね。やってみよう。」

開発者たちの言葉で、新しい超望遠ズームレンズの開発プロジェクトがスタートする

ことになった。

プロローグ

EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×(手前)とEF400mm F2.8L IS USM

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EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり

エクステンダーを内蔵したキヤノン放送用レンズ

Page 3: story 1008 j| 2 | 人間の感性がレンズに宿る 焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを 内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L

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人間の感性がレンズに宿る

焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを

内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L IS

USM エクステンダー1.4×。開発を担ったのは、光学技術研究所だ。

 レンズ開発は光学設計にはじまる。担当を任された光学設計部門は、「困難だが、

挑戦し甲斐がある」と気を引き締めた。

 望遠レンズの光学設計では、特に色収差の抑制が大きな課題となる。今回のレンズ

では、その色収差への徹底的な対策と、ズーミングによる諸収差変動の極小化が求め

られた。困るのは、1.4倍のエクステンダーを挿し込むと、諸収差も1.4倍になることだ。

200-400mmを高画質にするだけでは十分ではない。最長560mmで、目標とする高画

質を達成したい。

 色収差の抑制には、蛍石レンズやUDレンズを使う。ズーム全域で収差変動を抑える

には、それら特殊硝材をどう配置するかが決め手だ。最適な構成を求め、設計者は

日々 「光学CAD(Computer Aided Design)」と向き合った。

 「光学CAD」とは、キヤノンが独自に開発したシミュレーションソフトウェアやツールを

搭載し、目指す光学性能を的確、かつ効率よく実現するための設計支援アプリケーショ

ンをいう。

 しかし、「光学CAD」は、設計者が自分の意思を反映させるための道具に過ぎない。

また、シミュレーションで得たベストな“解析解”が、人間の目で評価した“最適解”である

とも限らない。具体的にどうレンズを組み合わせるか、何を“最適解”と見なすかは、キヤ

ノンが長い歳月をかけて培ったノウハウと、コンピュータやソフトウェアを超えた、光学

設計者の感性と判断力が必要だ。

 「光学CAD」上でトライ&エラーを繰り返し、結果をフィードバックする。しかし、エクス

テンダーを内蔵するとなると光学設計は難しく、一筋縄ではいかなかった。

EFレンズ最多の、24群33枚

発の初期段階から、エクステンダーは手動式にすることが決定されていた。

人間の手に勝る高速・高レスポンスなアクチュエーター(駆動系)はない。また信頼性と

確実性という視点でも、手動式の方が合理的だろう。

 光学設計上の問題は、そのエクステンダーを、収差の発生を抑えつつどこに配置

挑戦する開発者たち

蛍石の原石・人工結晶・蛍石レンズ

するかだ。一般的にエクステンダーは、撮影レンズの全長を伸ばし、撮像面までの

光軸上の距離を拡張する。しかし、内蔵式ではそれができない分、レンズの屈折力で

焦点距離を伸ばさなければならない。レンズ群への過剰な負荷は、収差の原因に

なりかねなかった。

 光学設計者は考えた。「1本の撮影レンズの中に、200-400mmと280-560mm、

ズームレンズ2本分の焦点距離域を、収差の影響が少ない部分のレンズ群の抜き

差しで切り替えるとすれば、最高の光学系になるエクステンダー群の配置は必然的に

決まるはずだ」。

 エクステンダーのレンズ群は、この光学系に最適化した4群8枚。収差に配慮した

構成だが、大きすぎて手ブレ補正光学系と干渉してしまうことが判明した。しかし、

この場所は譲れない。信頼するメカ設計の担当者に「ISユニットを薄くできないか」

と直談判した。

 ようやく完成したレンズ構成は、通常20群25枚、エクステンダー挿し込み時で

24群33枚。EFレンズ史上最大の規模になっていた。

巨大レンズ群を保持する職人技

学設計が終わると、開発フェーズはメカ設計へと進む。最大の難関は、巨大な

第2レンズ群をスムーズ、かつ高精度に動かすことだった。

 実際にレンズを前玉から覗き、ズームリングを回すと、巨大なガラスの塊が相当な

ストロークで前後に動くのが見える。これが第2群で、光学的にはズーム変倍と画質の

要である。

 ところが、この第2群が常識はずれに重かった。この群だけで、ガラスの総質量が

200gを超えている。そんな重いガラスの塊をスムーズに動かすなど、EFレンズでは

前例がなかった。

 必要なのは、レンズを動かすズームカム鏡筒、それを支えるフレームの強度だ。メカ

設計の担当者たちは、材質、形状、部品表面の仕上げを検討した。200g超を想定

した設計基準値などない。おおよその値を経験から割り出し、3D CADに入力する。

フォーカス群の周りだけにとらわれては、過剰な強度の、重く大きなレンズになってしまう

だろう。外装との強度分担、アクチュエーターの配置など、すべてにおいて最適なバラ

ンスをとることが大切だ。

 部品点数は、超望遠単焦点レンズの2倍以上。3D CADの画面に、見たこともない

形状の部品をいくつも描いた。それらを組み合わせていけば、信頼性と操作性に

優れた、新レンズの完成に近づけるはずだ。

 しかし、EFレンズ史上最多の約900点という部品点数となったこのレンズは、ここでも

メカ設計者たちの頭を悩ませた。設計規模があまりに巨大で、高速のシミュレーションを

何度も繰り返すことが必要になった。「いかに困難な案件か、作業するほど目の前が

暗くなる思い」(メカ設計担当者)がした。シミュレーターで足りない分は、メカ設計者の

経験と知見がものをいう。いくつものレンズ開発を手がけてきた過去の事例に基づき、

部品の厚みや配置の間隔など、無数のパラメーターを決定していく。メカ設計は、

職人の領域に突入した。

レンズ数本分の時間を費やす試作と試験

計の妥当性を検証するには、試験を行い、結果を分析するしかない。EFレンズ

には画質だけでなく、耐環境性、耐衝撃、耐振動、耐久性など数々の試験項目と評価

基準が用意されている。

 しかし、品質評価の担当者はいつにも増して慎重になった。前例のない大きなレンズ

構成と精緻なメカ機構を持つレンズだけに、「想定外の不具合が生じる恐れがないとは

いえない」からだ。

 そこで、実際にプロが使用する上で想定しうる、過酷な信頼性試験を、「これでもか」

というほど実施することにした。

 たとえばエクステンダーの抜き差し機構は、可動限界を見極めるため、開発者たちが

何日もかけ、何万回とレバーの切り換え操作を繰り返した。また、落下衝撃試験では、

試作レンズをカメラに装着した状態で、落下シーンを再現した。試験室では、フォトグラ

ファーなら絶対に耳にしたくない、耳を覆いたくなるような凄惨な音が幾度となく床を

震わせた。

 そのようなハードテストをクリアした試作レンズは、さらに画質評価試験の洗礼を

受ける。ズーム全域で高画質を保証すべく、細かく焦点距離をずらしながら、解像度や

コントラスト、収差変動をチェックする。それが終わると、同じ試験をエクステンダー

挿入の状態で繰り返す。

 一本のレンズを試作するのに、これまでのズームレンズ数本分の時間と労力が必要

だった。さらに、その試験に一カ月以上の期間を費やした。その結果をメカ設計の担当

者は分析・設計にフィードバックし、あらためて試作と評価試験に臨む。何十本という

試作レンズを残し、歳月は瞬く間に過ぎていった。

レンズに知性を吹き込む

Fレンズは光学・メカ・電子の複合技術製品である。そのため、電子制御回路に

ついても、開発の初期段階から設計がはじまった。EFレンズは、レンズ自身の詳細

データをROMにメモリーしている。将来的にシステムが進展することを想定し、ROMの

容量はたっぷり確保してあった。

 ところが、EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×では、光学設計の

はじき出したレンズデータがROMに収まりきらない。そのデータ量がいかに大きいか。

エクステンダー非対応のズームレンズと比べた場合、内蔵エクステンダー有無のため

2倍、外付けエクステンダーEF1.4×IIIとEF2×III装着時でそれぞれ2倍。都合、2の

3乗と指数的にデータが増え、単純計算では約8倍の容量になる。

 EFレンズのROMはカスタムメイドで、安易に容量を増やすのはさまざまな点で

合理的でない。とはいうもののROMを増設すると、システム間の通信速度という点で

不利になる。電子制御回路の設計者はソフトウェアによるデータ圧縮を試みた。

 その作業と並行し、新たな課題の解決に着手した。それは、エクステンダー内蔵

レンズに対応したカメラ/レンズ間通信システム(EOSシステム)を構築することだった。

 EOSシステムは、時代や技術仕様の異なるボディとレンズを組み合わせても、的確に

システム連動できることをモットーとしている。どのEOSユーザーに対しても、エクステ

ンダー内蔵レンズという新機構に対応することは、キヤノンの約束だ。古いフィルムカメラ

ですら、例外ではない。そのため、すべてのEOSについて徹底的に調査を行い、内蔵

エクステンダーを活用できる仕組みをレンズ側に盛り込んだ。地道な作業だが、その

努力なくしては、このレンズを世に出すことはできないのだ。

 ここに、EOS DIGITALの進化が作業に追い打ちをかけた。電子制御のプログラ

ムは、AFシステムとの連携を考慮して書かれている。

EOS-1D X ではAFシステムが進化し、レンズに要求

されるデータもEOS-1D Mark IVとは異なるもので

あった。最新のEOS-1D X に対応するためのデータが

上乗せし、設計者はコードの圧縮をさらに進める。すべ

ての作業が終わったとき、膨大なデータはROMの容量

ぴったりに収まっていた。

EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり

【第一章】

光学技術研究所。光学技術の基礎研究・基礎開発を行っている。光学技術研究所。光学技術の基礎研究・基礎開発を行っている。

Page 4: story 1008 j| 2 | 人間の感性がレンズに宿る 焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを 内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L

人間の感性がレンズに宿る

焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを

内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L IS

USM エクステンダー1.4×。開発を担ったのは、光学技術研究所だ。

 レンズ開発は光学設計にはじまる。担当を任された光学設計部門は、「困難だが、

挑戦し甲斐がある」と気を引き締めた。

 望遠レンズの光学設計では、特に色収差の抑制が大きな課題となる。今回のレンズ

では、その色収差への徹底的な対策と、ズーミングによる諸収差変動の極小化が求め

られた。困るのは、1.4倍のエクステンダーを挿し込むと、諸収差も1.4倍になることだ。

200-400mmを高画質にするだけでは十分ではない。最長560mmで、目標とする高画

質を達成したい。

 色収差の抑制には、蛍石レンズやUDレンズを使う。ズーム全域で収差変動を抑える

には、それら特殊硝材をどう配置するかが決め手だ。最適な構成を求め、設計者は

日々 「光学CAD(Computer Aided Design)」と向き合った。

 「光学CAD」とは、キヤノンが独自に開発したシミュレーションソフトウェアやツールを

搭載し、目指す光学性能を的確、かつ効率よく実現するための設計支援アプリケーショ

ンをいう。

 しかし、「光学CAD」は、設計者が自分の意思を反映させるための道具に過ぎない。

また、シミュレーションで得たベストな“解析解”が、人間の目で評価した“最適解”である

とも限らない。具体的にどうレンズを組み合わせるか、何を“最適解”と見なすかは、キヤ

ノンが長い歳月をかけて培ったノウハウと、コンピュータやソフトウェアを超えた、光学

設計者の感性と判断力が必要だ。

 「光学CAD」上でトライ&エラーを繰り返し、結果をフィードバックする。しかし、エクス

テンダーを内蔵するとなると光学設計は難しく、一筋縄ではいかなかった。

EFレンズ最多の、24群33枚

発の初期段階から、エクステンダーは手動式にすることが決定されていた。

人間の手に勝る高速・高レスポンスなアクチュエーター(駆動系)はない。また信頼性と

確実性という視点でも、手動式の方が合理的だろう。

 光学設計上の問題は、そのエクステンダーを、収差の発生を抑えつつどこに配置

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するかだ。一般的にエクステンダーは、撮影レンズの全長を伸ばし、撮像面までの

光軸上の距離を拡張する。しかし、内蔵式ではそれができない分、レンズの屈折力で

焦点距離を伸ばさなければならない。レンズ群への過剰な負荷は、収差の原因に

なりかねなかった。

 光学設計者は考えた。「1本の撮影レンズの中に、200-400mmと280-560mm、

ズームレンズ2本分の焦点距離域を、収差の影響が少ない部分のレンズ群の抜き

差しで切り替えるとすれば、最高の光学系になるエクステンダー群の配置は必然的に

決まるはずだ」。

 エクステンダーのレンズ群は、この光学系に最適化した4群8枚。収差に配慮した

構成だが、大きすぎて手ブレ補正光学系と干渉してしまうことが判明した。しかし、

この場所は譲れない。信頼するメカ設計の担当者に「ISユニットを薄くできないか」

と直談判した。

 ようやく完成したレンズ構成は、通常20群25枚、エクステンダー挿し込み時で

24群33枚。EFレンズ史上最大の規模になっていた。

巨大レンズ群を保持する職人技

学設計が終わると、開発フェーズはメカ設計へと進む。最大の難関は、巨大な

第2レンズ群をスムーズ、かつ高精度に動かすことだった。

 実際にレンズを前玉から覗き、ズームリングを回すと、巨大なガラスの塊が相当な

ストロークで前後に動くのが見える。これが第2群で、光学的にはズーム変倍と画質の

要である。

 ところが、この第2群が常識はずれに重かった。この群だけで、ガラスの総質量が

200gを超えている。そんな重いガラスの塊をスムーズに動かすなど、EFレンズでは

前例がなかった。

 必要なのは、レンズを動かすズームカム鏡筒、それを支えるフレームの強度だ。メカ

設計の担当者たちは、材質、形状、部品表面の仕上げを検討した。200g超を想定

した設計基準値などない。おおよその値を経験から割り出し、3D CADに入力する。

フォーカス群の周りだけにとらわれては、過剰な強度の、重く大きなレンズになってしまう

だろう。外装との強度分担、アクチュエーターの配置など、すべてにおいて最適なバラ

ンスをとることが大切だ。

 部品点数は、超望遠単焦点レンズの2倍以上。3D CADの画面に、見たこともない

形状の部品をいくつも描いた。それらを組み合わせていけば、信頼性と操作性に

優れた、新レンズの完成に近づけるはずだ。

 しかし、EFレンズ史上最多の約900点という部品点数となったこのレンズは、ここでも

メカ設計者たちの頭を悩ませた。設計規模があまりに巨大で、高速のシミュレーションを

何度も繰り返すことが必要になった。「いかに困難な案件か、作業するほど目の前が

暗くなる思い」(メカ設計担当者)がした。シミュレーターで足りない分は、メカ設計者の

経験と知見がものをいう。いくつものレンズ開発を手がけてきた過去の事例に基づき、

部品の厚みや配置の間隔など、無数のパラメーターを決定していく。メカ設計は、

職人の領域に突入した。

レンズ数本分の時間を費やす試作と試験

計の妥当性を検証するには、試験を行い、結果を分析するしかない。EFレンズ

には画質だけでなく、耐環境性、耐衝撃、耐振動、耐久性など数々の試験項目と評価

基準が用意されている。

 しかし、品質評価の担当者はいつにも増して慎重になった。前例のない大きなレンズ

構成と精緻なメカ機構を持つレンズだけに、「想定外の不具合が生じる恐れがないとは

いえない」からだ。

 そこで、実際にプロが使用する上で想定しうる、過酷な信頼性試験を、「これでもか」

というほど実施することにした。

 たとえばエクステンダーの抜き差し機構は、可動限界を見極めるため、開発者たちが

何日もかけ、何万回とレバーの切り換え操作を繰り返した。また、落下衝撃試験では、

試作レンズをカメラに装着した状態で、落下シーンを再現した。試験室では、フォトグラ

ファーなら絶対に耳にしたくない、耳を覆いたくなるような凄惨な音が幾度となく床を

震わせた。

 そのようなハードテストをクリアした試作レンズは、さらに画質評価試験の洗礼を

受ける。ズーム全域で高画質を保証すべく、細かく焦点距離をずらしながら、解像度や

コントラスト、収差変動をチェックする。それが終わると、同じ試験をエクステンダー

挿入の状態で繰り返す。

 一本のレンズを試作するのに、これまでのズームレンズ数本分の時間と労力が必要

だった。さらに、その試験に一カ月以上の期間を費やした。その結果をメカ設計の担当

者は分析・設計にフィードバックし、あらためて試作と評価試験に臨む。何十本という

試作レンズを残し、歳月は瞬く間に過ぎていった。

レンズに知性を吹き込む

Fレンズは光学・メカ・電子の複合技術製品である。そのため、電子制御回路に

ついても、開発の初期段階から設計がはじまった。EFレンズは、レンズ自身の詳細

データをROMにメモリーしている。将来的にシステムが進展することを想定し、ROMの

容量はたっぷり確保してあった。

 ところが、EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×では、光学設計の

はじき出したレンズデータがROMに収まりきらない。そのデータ量がいかに大きいか。

エクステンダー非対応のズームレンズと比べた場合、内蔵エクステンダー有無のため

2倍、外付けエクステンダーEF1.4×IIIとEF2×III装着時でそれぞれ2倍。都合、2の

3乗と指数的にデータが増え、単純計算では約8倍の容量になる。

 EFレンズのROMはカスタムメイドで、安易に容量を増やすのはさまざまな点で

合理的でない。とはいうもののROMを増設すると、システム間の通信速度という点で

不利になる。電子制御回路の設計者はソフトウェアによるデータ圧縮を試みた。

 その作業と並行し、新たな課題の解決に着手した。それは、エクステンダー内蔵

レンズに対応したカメラ/レンズ間通信システム(EOSシステム)を構築することだった。

 EOSシステムは、時代や技術仕様の異なるボディとレンズを組み合わせても、的確に

システム連動できることをモットーとしている。どのEOSユーザーに対しても、エクステ

ンダー内蔵レンズという新機構に対応することは、キヤノンの約束だ。古いフィルムカメラ

ですら、例外ではない。そのため、すべてのEOSについて徹底的に調査を行い、内蔵

エクステンダーを活用できる仕組みをレンズ側に盛り込んだ。地道な作業だが、その

努力なくしては、このレンズを世に出すことはできないのだ。

 ここに、EOS DIGITALの進化が作業に追い打ちをかけた。電子制御のプログラ

ムは、AFシステムとの連携を考慮して書かれている。

EOS-1D X ではAFシステムが進化し、レンズに要求

されるデータもEOS-1D Mark IVとは異なるもので

あった。最新のEOS-1D X に対応するためのデータが

上乗せし、設計者はコードの圧縮をさらに進める。すべ

ての作業が終わったとき、膨大なデータはROMの容量

ぴったりに収まっていた。

レンズ構成図

エクステンダー1×時(焦点距離200-400mm)

エクステンダー1.4×時(焦点距離280-560mm)

※ はISユニット

EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり

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人間の感性がレンズに宿る

焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを

内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L IS

USM エクステンダー1.4×。開発を担ったのは、光学技術研究所だ。

 レンズ開発は光学設計にはじまる。担当を任された光学設計部門は、「困難だが、

挑戦し甲斐がある」と気を引き締めた。

 望遠レンズの光学設計では、特に色収差の抑制が大きな課題となる。今回のレンズ

では、その色収差への徹底的な対策と、ズーミングによる諸収差変動の極小化が求め

られた。困るのは、1.4倍のエクステンダーを挿し込むと、諸収差も1.4倍になることだ。

200-400mmを高画質にするだけでは十分ではない。最長560mmで、目標とする高画

質を達成したい。

 色収差の抑制には、蛍石レンズやUDレンズを使う。ズーム全域で収差変動を抑える

には、それら特殊硝材をどう配置するかが決め手だ。最適な構成を求め、設計者は

日々 「光学CAD(Computer Aided Design)」と向き合った。

 「光学CAD」とは、キヤノンが独自に開発したシミュレーションソフトウェアやツールを

搭載し、目指す光学性能を的確、かつ効率よく実現するための設計支援アプリケーショ

ンをいう。

 しかし、「光学CAD」は、設計者が自分の意思を反映させるための道具に過ぎない。

また、シミュレーションで得たベストな“解析解”が、人間の目で評価した“最適解”である

とも限らない。具体的にどうレンズを組み合わせるか、何を“最適解”と見なすかは、キヤ

ノンが長い歳月をかけて培ったノウハウと、コンピュータやソフトウェアを超えた、光学

設計者の感性と判断力が必要だ。

 「光学CAD」上でトライ&エラーを繰り返し、結果をフィードバックする。しかし、エクス

テンダーを内蔵するとなると光学設計は難しく、一筋縄ではいかなかった。

EFレンズ最多の、24群33枚

発の初期段階から、エクステンダーは手動式にすることが決定されていた。

人間の手に勝る高速・高レスポンスなアクチュエーター(駆動系)はない。また信頼性と

確実性という視点でも、手動式の方が合理的だろう。

 光学設計上の問題は、そのエクステンダーを、収差の発生を抑えつつどこに配置

E

するかだ。一般的にエクステンダーは、撮影レンズの全長を伸ばし、撮像面までの

光軸上の距離を拡張する。しかし、内蔵式ではそれができない分、レンズの屈折力で

焦点距離を伸ばさなければならない。レンズ群への過剰な負荷は、収差の原因に

なりかねなかった。

 光学設計者は考えた。「1本の撮影レンズの中に、200-400mmと280-560mm、

ズームレンズ2本分の焦点距離域を、収差の影響が少ない部分のレンズ群の抜き

差しで切り替えるとすれば、最高の光学系になるエクステンダー群の配置は必然的に

決まるはずだ」。

 エクステンダーのレンズ群は、この光学系に最適化した4群8枚。収差に配慮した

構成だが、大きすぎて手ブレ補正光学系と干渉してしまうことが判明した。しかし、

この場所は譲れない。信頼するメカ設計の担当者に「ISユニットを薄くできないか」

と直談判した。

 ようやく完成したレンズ構成は、通常20群25枚、エクステンダー挿し込み時で

24群33枚。EFレンズ史上最大の規模になっていた。

巨大レンズ群を保持する職人技

学設計が終わると、開発フェーズはメカ設計へと進む。最大の難関は、巨大な

第2レンズ群をスムーズ、かつ高精度に動かすことだった。

 実際にレンズを前玉から覗き、ズームリングを回すと、巨大なガラスの塊が相当な

ストロークで前後に動くのが見える。これが第2群で、光学的にはズーム変倍と画質の

要である。

 ところが、この第2群が常識はずれに重かった。この群だけで、ガラスの総質量が

200gを超えている。そんな重いガラスの塊をスムーズに動かすなど、EFレンズでは

前例がなかった。

 必要なのは、レンズを動かすズームカム鏡筒、それを支えるフレームの強度だ。メカ

設計の担当者たちは、材質、形状、部品表面の仕上げを検討した。200g超を想定

した設計基準値などない。おおよその値を経験から割り出し、3D CADに入力する。

フォーカス群の周りだけにとらわれては、過剰な強度の、重く大きなレンズになってしまう

だろう。外装との強度分担、アクチュエーターの配置など、すべてにおいて最適なバラ

ンスをとることが大切だ。

 部品点数は、超望遠単焦点レンズの2倍以上。3D CADの画面に、見たこともない

形状の部品をいくつも描いた。それらを組み合わせていけば、信頼性と操作性に

優れた、新レンズの完成に近づけるはずだ。

 しかし、EFレンズ史上最多の約900点という部品点数となったこのレンズは、ここでも

メカ設計者たちの頭を悩ませた。設計規模があまりに巨大で、高速のシミュレーションを

何度も繰り返すことが必要になった。「いかに困難な案件か、作業するほど目の前が

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暗くなる思い」(メカ設計担当者)がした。シミュレーターで足りない分は、メカ設計者の

経験と知見がものをいう。いくつものレンズ開発を手がけてきた過去の事例に基づき、

部品の厚みや配置の間隔など、無数のパラメーターを決定していく。メカ設計は、

職人の領域に突入した。

レンズ数本分の時間を費やす試作と試験

計の妥当性を検証するには、試験を行い、結果を分析するしかない。EFレンズ

には画質だけでなく、耐環境性、耐衝撃、耐振動、耐久性など数々の試験項目と評価

基準が用意されている。

 しかし、品質評価の担当者はいつにも増して慎重になった。前例のない大きなレンズ

構成と精緻なメカ機構を持つレンズだけに、「想定外の不具合が生じる恐れがないとは

いえない」からだ。

 そこで、実際にプロが使用する上で想定しうる、過酷な信頼性試験を、「これでもか」

というほど実施することにした。

 たとえばエクステンダーの抜き差し機構は、可動限界を見極めるため、開発者たちが

何日もかけ、何万回とレバーの切り換え操作を繰り返した。また、落下衝撃試験では、

試作レンズをカメラに装着した状態で、落下シーンを再現した。試験室では、フォトグラ

ファーなら絶対に耳にしたくない、耳を覆いたくなるような凄惨な音が幾度となく床を

震わせた。

 そのようなハードテストをクリアした試作レンズは、さらに画質評価試験の洗礼を

受ける。ズーム全域で高画質を保証すべく、細かく焦点距離をずらしながら、解像度や

コントラスト、収差変動をチェックする。それが終わると、同じ試験をエクステンダー

挿入の状態で繰り返す。

 一本のレンズを試作するのに、これまでのズームレンズ数本分の時間と労力が必要

だった。さらに、その試験に一カ月以上の期間を費やした。その結果をメカ設計の担当

者は分析・設計にフィードバックし、あらためて試作と評価試験に臨む。何十本という

試作レンズを残し、歳月は瞬く間に過ぎていった。

レンズに知性を吹き込む

Fレンズは光学・メカ・電子の複合技術製品である。そのため、電子制御回路に

ついても、開発の初期段階から設計がはじまった。EFレンズは、レンズ自身の詳細

データをROMにメモリーしている。将来的にシステムが進展することを想定し、ROMの

エクステンダー切り換えレバー

容量はたっぷり確保してあった。

 ところが、EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×では、光学設計の

はじき出したレンズデータがROMに収まりきらない。そのデータ量がいかに大きいか。

エクステンダー非対応のズームレンズと比べた場合、内蔵エクステンダー有無のため

2倍、外付けエクステンダーEF1.4×IIIとEF2×III装着時でそれぞれ2倍。都合、2の

3乗と指数的にデータが増え、単純計算では約8倍の容量になる。

 EFレンズのROMはカスタムメイドで、安易に容量を増やすのはさまざまな点で

合理的でない。とはいうもののROMを増設すると、システム間の通信速度という点で

不利になる。電子制御回路の設計者はソフトウェアによるデータ圧縮を試みた。

 その作業と並行し、新たな課題の解決に着手した。それは、エクステンダー内蔵

レンズに対応したカメラ/レンズ間通信システム(EOSシステム)を構築することだった。

 EOSシステムは、時代や技術仕様の異なるボディとレンズを組み合わせても、的確に

システム連動できることをモットーとしている。どのEOSユーザーに対しても、エクステ

ンダー内蔵レンズという新機構に対応することは、キヤノンの約束だ。古いフィルムカメラ

ですら、例外ではない。そのため、すべてのEOSについて徹底的に調査を行い、内蔵

エクステンダーを活用できる仕組みをレンズ側に盛り込んだ。地道な作業だが、その

努力なくしては、このレンズを世に出すことはできないのだ。

 ここに、EOS DIGITALの進化が作業に追い打ちをかけた。電子制御のプログラ

ムは、AFシステムとの連携を考慮して書かれている。

EOS-1D X ではAFシステムが進化し、レンズに要求

されるデータもEOS-1D Mark IVとは異なるもので

あった。最新のEOS-1D X に対応するためのデータが

上乗せし、設計者はコードの圧縮をさらに進める。すべ

ての作業が終わったとき、膨大なデータはROMの容量

ぴったりに収まっていた。

EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり

Page 6: story 1008 j| 2 | 人間の感性がレンズに宿る 焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを 内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L

人間の感性がレンズに宿る

焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを

内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L IS

USM エクステンダー1.4×。開発を担ったのは、光学技術研究所だ。

 レンズ開発は光学設計にはじまる。担当を任された光学設計部門は、「困難だが、

挑戦し甲斐がある」と気を引き締めた。

 望遠レンズの光学設計では、特に色収差の抑制が大きな課題となる。今回のレンズ

では、その色収差への徹底的な対策と、ズーミングによる諸収差変動の極小化が求め

られた。困るのは、1.4倍のエクステンダーを挿し込むと、諸収差も1.4倍になることだ。

200-400mmを高画質にするだけでは十分ではない。最長560mmで、目標とする高画

質を達成したい。

 色収差の抑制には、蛍石レンズやUDレンズを使う。ズーム全域で収差変動を抑える

には、それら特殊硝材をどう配置するかが決め手だ。最適な構成を求め、設計者は

日々 「光学CAD(Computer Aided Design)」と向き合った。

 「光学CAD」とは、キヤノンが独自に開発したシミュレーションソフトウェアやツールを

搭載し、目指す光学性能を的確、かつ効率よく実現するための設計支援アプリケーショ

ンをいう。

 しかし、「光学CAD」は、設計者が自分の意思を反映させるための道具に過ぎない。

また、シミュレーションで得たベストな“解析解”が、人間の目で評価した“最適解”である

とも限らない。具体的にどうレンズを組み合わせるか、何を“最適解”と見なすかは、キヤ

ノンが長い歳月をかけて培ったノウハウと、コンピュータやソフトウェアを超えた、光学

設計者の感性と判断力が必要だ。

 「光学CAD」上でトライ&エラーを繰り返し、結果をフィードバックする。しかし、エクス

テンダーを内蔵するとなると光学設計は難しく、一筋縄ではいかなかった。

EFレンズ最多の、24群33枚

発の初期段階から、エクステンダーは手動式にすることが決定されていた。

人間の手に勝る高速・高レスポンスなアクチュエーター(駆動系)はない。また信頼性と

確実性という視点でも、手動式の方が合理的だろう。

 光学設計上の問題は、そのエクステンダーを、収差の発生を抑えつつどこに配置

するかだ。一般的にエクステンダーは、撮影レンズの全長を伸ばし、撮像面までの

光軸上の距離を拡張する。しかし、内蔵式ではそれができない分、レンズの屈折力で

焦点距離を伸ばさなければならない。レンズ群への過剰な負荷は、収差の原因に

なりかねなかった。

 光学設計者は考えた。「1本の撮影レンズの中に、200-400mmと280-560mm、

ズームレンズ2本分の焦点距離域を、収差の影響が少ない部分のレンズ群の抜き

差しで切り替えるとすれば、最高の光学系になるエクステンダー群の配置は必然的に

決まるはずだ」。

 エクステンダーのレンズ群は、この光学系に最適化した4群8枚。収差に配慮した

構成だが、大きすぎて手ブレ補正光学系と干渉してしまうことが判明した。しかし、

この場所は譲れない。信頼するメカ設計の担当者に「ISユニットを薄くできないか」

と直談判した。

 ようやく完成したレンズ構成は、通常20群25枚、エクステンダー挿し込み時で

24群33枚。EFレンズ史上最大の規模になっていた。

巨大レンズ群を保持する職人技

学設計が終わると、開発フェーズはメカ設計へと進む。最大の難関は、巨大な

第2レンズ群をスムーズ、かつ高精度に動かすことだった。

 実際にレンズを前玉から覗き、ズームリングを回すと、巨大なガラスの塊が相当な

ストロークで前後に動くのが見える。これが第2群で、光学的にはズーム変倍と画質の

要である。

 ところが、この第2群が常識はずれに重かった。この群だけで、ガラスの総質量が

200gを超えている。そんな重いガラスの塊をスムーズに動かすなど、EFレンズでは

前例がなかった。

 必要なのは、レンズを動かすズームカム鏡筒、それを支えるフレームの強度だ。メカ

設計の担当者たちは、材質、形状、部品表面の仕上げを検討した。200g超を想定

した設計基準値などない。おおよその値を経験から割り出し、3D CADに入力する。

フォーカス群の周りだけにとらわれては、過剰な強度の、重く大きなレンズになってしまう

だろう。外装との強度分担、アクチュエーターの配置など、すべてにおいて最適なバラ

ンスをとることが大切だ。

 部品点数は、超望遠単焦点レンズの2倍以上。3D CADの画面に、見たこともない

形状の部品をいくつも描いた。それらを組み合わせていけば、信頼性と操作性に

優れた、新レンズの完成に近づけるはずだ。

 しかし、EFレンズ史上最多の約900点という部品点数となったこのレンズは、ここでも

メカ設計者たちの頭を悩ませた。設計規模があまりに巨大で、高速のシミュレーションを

何度も繰り返すことが必要になった。「いかに困難な案件か、作業するほど目の前が

暗くなる思い」(メカ設計担当者)がした。シミュレーターで足りない分は、メカ設計者の

経験と知見がものをいう。いくつものレンズ開発を手がけてきた過去の事例に基づき、

部品の厚みや配置の間隔など、無数のパラメーターを決定していく。メカ設計は、

職人の領域に突入した。

レンズ数本分の時間を費やす試作と試験

計の妥当性を検証するには、試験を行い、結果を分析するしかない。EFレンズ

には画質だけでなく、耐環境性、耐衝撃、耐振動、耐久性など数々の試験項目と評価

基準が用意されている。

 しかし、品質評価の担当者はいつにも増して慎重になった。前例のない大きなレンズ

構成と精緻なメカ機構を持つレンズだけに、「想定外の不具合が生じる恐れがないとは

いえない」からだ。

 そこで、実際にプロが使用する上で想定しうる、過酷な信頼性試験を、「これでもか」

というほど実施することにした。

 たとえばエクステンダーの抜き差し機構は、可動限界を見極めるため、開発者たちが

何日もかけ、何万回とレバーの切り換え操作を繰り返した。また、落下衝撃試験では、

試作レンズをカメラに装着した状態で、落下シーンを再現した。試験室では、フォトグラ

ファーなら絶対に耳にしたくない、耳を覆いたくなるような凄惨な音が幾度となく床を

震わせた。

 そのようなハードテストをクリアした試作レンズは、さらに画質評価試験の洗礼を

受ける。ズーム全域で高画質を保証すべく、細かく焦点距離をずらしながら、解像度や

コントラスト、収差変動をチェックする。それが終わると、同じ試験をエクステンダー

挿入の状態で繰り返す。

 一本のレンズを試作するのに、これまでのズームレンズ数本分の時間と労力が必要

だった。さらに、その試験に一カ月以上の期間を費やした。その結果をメカ設計の担当

者は分析・設計にフィードバックし、あらためて試作と評価試験に臨む。何十本という

試作レンズを残し、歳月は瞬く間に過ぎていった。

レンズに知性を吹き込む

Fレンズは光学・メカ・電子の複合技術製品である。そのため、電子制御回路に

ついても、開発の初期段階から設計がはじまった。EFレンズは、レンズ自身の詳細

データをROMにメモリーしている。将来的にシステムが進展することを想定し、ROMの

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容量はたっぷり確保してあった。

 ところが、EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×では、光学設計の

はじき出したレンズデータがROMに収まりきらない。そのデータ量がいかに大きいか。

エクステンダー非対応のズームレンズと比べた場合、内蔵エクステンダー有無のため

2倍、外付けエクステンダーEF1.4×IIIとEF2×III装着時でそれぞれ2倍。都合、2の

3乗と指数的にデータが増え、単純計算では約8倍の容量になる。

 EFレンズのROMはカスタムメイドで、安易に容量を増やすのはさまざまな点で

合理的でない。とはいうもののROMを増設すると、システム間の通信速度という点で

不利になる。電子制御回路の設計者はソフトウェアによるデータ圧縮を試みた。

 その作業と並行し、新たな課題の解決に着手した。それは、エクステンダー内蔵

レンズに対応したカメラ/レンズ間通信システム(EOSシステム)を構築することだった。

 EOSシステムは、時代や技術仕様の異なるボディとレンズを組み合わせても、的確に

システム連動できることをモットーとしている。どのEOSユーザーに対しても、エクステ

ンダー内蔵レンズという新機構に対応することは、キヤノンの約束だ。古いフィルムカメラ

ですら、例外ではない。そのため、すべてのEOSについて徹底的に調査を行い、内蔵

エクステンダーを活用できる仕組みをレンズ側に盛り込んだ。地道な作業だが、その

努力なくしては、このレンズを世に出すことはできないのだ。

 ここに、EOS DIGITALの進化が作業に追い打ちをかけた。電子制御のプログラ

ムは、AFシステムとの連携を考慮して書かれている。

EOS-1D X ではAFシステムが進化し、レンズに要求

されるデータもEOS-1D Mark IVとは異なるもので

あった。最新のEOS-1D X に対応するためのデータが

上乗せし、設計者はコードの圧縮をさらに進める。すべ

ての作業が終わったとき、膨大なデータはROMの容量

ぴったりに収まっていた。

EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり

Page 7: story 1008 j| 2 | 人間の感性がレンズに宿る 焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを 内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L

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従来の常識が通じない精密加工

  F200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×の

設計ステージでは、コンピューターシミュレーションを駆使

して多くの課題を洗い出し、対策を行ってきた。その性能と品質を、現物で確認する

ための試作ステージも、難易度は高かった。

 量産試作を担う宇都宮工場。部品や組み立てプロセスを検討しようと集まった

技術者たちは、図面を見て驚いた。まず、部品点数が多い。超望遠単焦点レンズの

2倍はある。しかも形状が複雑で「どの部品とどの部品がどう噛み合い、どのように動く

のか、即座にはイメージできない印象」だった。

 宇都宮工場には製品技術と呼ばれるセクションがある。設計図を理解し、生産

技術や製造、品質保証といった各部門と連携しながら、部品の加工を手配し、組み

立て手順を構築する。いわば「生産プロセスの設計」が、彼らの仕事だ。

 製品技術の担当者たちは、プロジェクターで投影された3Dの部品形状をいろいろな

角度から観察して、個々の機能と役割を理解することからはじめた。悩ましいのは、

一つひとつの部品と組み立てに要求される精度だ。部品の中には非常に複雑な立体

形状をしており、測定基準となる面や線からの測定が困難なものが少なくなかった。

可動部の“遊び”も、髪の毛一本ほどの隙間にも関わらず、ミクロン単位の厳しい管理が

求められた。こうなると、既存の測定手法や道具では歯が立たず、ひいては部品全体の

品質を保証できない。また、部品の加工手順を検討しようにも、どんな手順なら寸法

精度への影響を抑えられるか、基礎からの検証、発想の転換が求められた。

 そこで、製品技術の担当者たちは、測定手法を確立することから着手した。部品の

一部の寸法精度を保証するためには、その部品のどこから、何を、どう測定していけば

よいか。熟練した技術者と一緒に、地道で困難な作業に日々注力し続け、一つひとつ

壁を越えていった。

設計部門と工場部門、垣根を超えた総力戦

  ンズのような光学機器の部品加工や組み立てには、熟練者のノウハウが求め

られる。どれほど工作機械が進歩しても、何十年とかけて培われた人間の微妙な

指先の感覚にはかなわない。宇都宮工場では、そんな熟練職人たちを、敬意をこめて

「匠」と呼ぶ。

進化する現場力

E

 卓越した技能と豊富な経験を持っているからこそ、匠たちもこのレンズの生産が

いかに困難であるか、理解していた。

 部品や加工の検討会では、回を重ねるごとに、従来のレンズ開発とはひと味違う

光景が見られるようになった。従来はあまり検討会に参加していなかった匠たちが会議

室に頻繁に顔を出し、ときにうなずき、ときには意見やアイデアを交わしはじめたのだ。

 モノづくりにおいて「難しい」と「造りにくい」は別ものである。「難しい」とは、高度な

技術が要求されるということだ。キヤノンの匠たちは、「難しい」ことをいとわない。逆に

「腕の見せどころ」と意欲を燃やす。一方、「造りにくい」ことは、製造プロセスのどこ

かに、理にかなわない何かがあるということだ。これはダイレクトに品質に影響する。

そのため、部品を加工する匠、何十年とレンズを組み立ててきた匠たちは、製品技

術の担当者とは違う視点で改善策を提案する。それを設計部門にフィードバックし、

再び皆で揉む。

 開発の段階から、設計と生産、それぞれの垣根を超えた技術と知見の交換が加速

していった。EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×の開発は、EFレンズ

史上でも例を見ないほどの総力戦となった。

試作レンズ、「数]と「質」への挑戦

都宮工場で議論が続いていた頃、レンズ事業部の企画担当者たちは重大な

決定を下していた。2012年夏に開催される国際的なスポーツイベント。世界中のプロ

フォトグラファーが集まるその会場で、新レンズを貸し、エクステンダー内蔵レンズという

コンセプトとプロにとっての使い勝手、画質に対する評価を聞こうというのだ。企画担当

者は「そのためには10本や20本では足りない。50本以上のレンズを現地に送りたい」

と工場にかけあった。

 工場にとっては耳を疑うような提案だった。さまざまなスペックのレンズの組立経験は

あれど、設計性能を出すためには入念なチューニングが必要であり、そのノウハウも

手探りの時期だった。

 通常なら、まだ「数」に挑戦するには早すぎる。しかし、プロによる評価は早い方が

よいのは明らかだ。問題点が見つかれば、設計にフィードバックできる。また、量産化に

向けたノウハウを蓄積するためにも、これはまたとない好機ともいえる。宇都宮工場の

生産リーダーは、「やろう」と請け合った。

 それからは、昼に夜を継いでの組み立てがはじまった。単焦点レンズと異なり、目指す

のはズーム全域での高画質だ。しかも内蔵エクステンダーを使用すると、ズームレンジが

変化する。そこに外付けのエクステンダーを装着すると、また違う焦点距離のズーム

レンズになるという、過去にないレンズ。組みあがったレンズを性能評価すると、一本

ごとに異なる現象を見せ、チューニングの方向性がつかみにくい。光学的、メカ的

要素が複雑に絡み合い、部品や組み立てのわずかな差が、思わぬ形で性能に影響を

与えていた。

 工場では連日、夜遅くまで皆の検討が続けられた。現象と設計データを突き合わせて、

複数のチューニングポイントを抽出し、それを地道に一つひとつ実施して効果を確認する。

しかし、なかなか思うように反応してくれないレンズもあり、「正直、打ちのめされる気持ち」

が続くこともあった。

 しかし、彼らは諦めなかった。製品技術の担当者たちと匠たちの努力により、一本、

また一本と自信が持てる最高品質を生み出していった。

 何とか目標の本数を現地に送り届けて数日。早くも新レンズの評価が現地から届き

はじめた。「画質に関してはEF400mm F2.8L IS II USMと比べ遜色ない」。「内蔵

エクステンダーの使い勝手はすばらしい」。あるプロは、世界中が注目する陸上男子の

決勝でこのレンズを使用した。普通、このような正念場では、自分が使い慣れた一番

信頼するレンズを選ぶものだ。新レンズを使ってくれただけでも驚きだったが、その

プロは「連写したすべてのコマが使える」と太鼓判を押してくれた。その一報を耳にした

企画担当者、宇都宮工場の技術者たちは、ようやく安どのため息をついた。

新しいモノづくりへの布石

ポーツイベントで、プロたちがこのレンズに示した期待の大きさ、評価の高さは予想を

超えるものだった。その声に応えるためにも、プロが求める「時期」に、必要とされる「数」を

提供したい。宇都宮工場では、スポーツイベントに向けた量産試作で得たノウハウをフルに

活かし、量産化に向けた準備が進めはじめた。一本でもユーザー満足を損ねかねない

レンズを出荷することは、許されない。打てる手は打ち尽くす覚悟だった。

 そのために試みたのが、組み立てに関わる主要メンバーとなる技術者、匠たちが

参加しての技術研修だった。宇都宮工場では、さまざまなタイプのレンズに適合する

デリケートなチューニング技術が、長年のノウハウとして蓄積されている。そのチュー

ニング手法を皆で身に付け、エクステンダー内蔵の超望遠ズームという新たな仕様の

レンズの質と数を確保しよう。その熱意が高じ、自然発生的に開催された研修だった。

 生産ラインは、従来機種をはるかに上回る規模になった。部品点数が多いためだが、

設備も違う。高性能な最新の測定器や調整器が、随所に配されているのだ。

 これまでも超望遠レンズは、出荷に先立ち詳細検査を行い、性能を保証してきたが、

そのためには大規模な設備と、専用の空間が必要だった。そこでしかできなかった

測定項目と測定精度を、生産ラインの中で実現するのが、新ラインの特徴である。

 そのための設備の開発とフローの構築には幾度とない検討と見直しを要したが、宇都

宮工場の技術者たちには、その時間と労力を惜しまない理由があった。今回のレンズ

生産は、プロが満足する高画質を目指し、それを極限まで追い求めたかったからだ。

 EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×は、ただのレンズではない。

これからも、これまで以上に高性能なレンズを提供し続けるという、キヤノンの意思を

体現した一本なのである。

EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり

【第二章】

宇都宮工場。光学技術研究所に隣接。レンズの加工から組立まで一貫生産している。宇都宮工場。光学技術研究所に隣接。レンズの加工から組立まで一貫生産している。

Page 8: story 1008 j| 2 | 人間の感性がレンズに宿る 焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを 内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L

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従来の常識が通じない精密加工

  F200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×の

設計ステージでは、コンピューターシミュレーションを駆使

して多くの課題を洗い出し、対策を行ってきた。その性能と品質を、現物で確認する

ための試作ステージも、難易度は高かった。

 量産試作を担う宇都宮工場。部品や組み立てプロセスを検討しようと集まった

技術者たちは、図面を見て驚いた。まず、部品点数が多い。超望遠単焦点レンズの

2倍はある。しかも形状が複雑で「どの部品とどの部品がどう噛み合い、どのように動く

のか、即座にはイメージできない印象」だった。

 宇都宮工場には製品技術と呼ばれるセクションがある。設計図を理解し、生産

技術や製造、品質保証といった各部門と連携しながら、部品の加工を手配し、組み

立て手順を構築する。いわば「生産プロセスの設計」が、彼らの仕事だ。

 製品技術の担当者たちは、プロジェクターで投影された3Dの部品形状をいろいろな

角度から観察して、個々の機能と役割を理解することからはじめた。悩ましいのは、

一つひとつの部品と組み立てに要求される精度だ。部品の中には非常に複雑な立体

形状をしており、測定基準となる面や線からの測定が困難なものが少なくなかった。

可動部の“遊び”も、髪の毛一本ほどの隙間にも関わらず、ミクロン単位の厳しい管理が

求められた。こうなると、既存の測定手法や道具では歯が立たず、ひいては部品全体の

品質を保証できない。また、部品の加工手順を検討しようにも、どんな手順なら寸法

精度への影響を抑えられるか、基礎からの検証、発想の転換が求められた。

 そこで、製品技術の担当者たちは、測定手法を確立することから着手した。部品の

一部の寸法精度を保証するためには、その部品のどこから、何を、どう測定していけば

よいか。熟練した技術者と一緒に、地道で困難な作業に日々注力し続け、一つひとつ

壁を越えていった。

設計部門と工場部門、垣根を超えた総力戦

  ンズのような光学機器の部品加工や組み立てには、熟練者のノウハウが求め

られる。どれほど工作機械が進歩しても、何十年とかけて培われた人間の微妙な

指先の感覚にはかなわない。宇都宮工場では、そんな熟練職人たちを、敬意をこめて

「匠」と呼ぶ。

 卓越した技能と豊富な経験を持っているからこそ、匠たちもこのレンズの生産が

いかに困難であるか、理解していた。

 部品や加工の検討会では、回を重ねるごとに、従来のレンズ開発とはひと味違う

光景が見られるようになった。従来はあまり検討会に参加していなかった匠たちが会議

室に頻繁に顔を出し、ときにうなずき、ときには意見やアイデアを交わしはじめたのだ。

 モノづくりにおいて「難しい」と「造りにくい」は別ものである。「難しい」とは、高度な

技術が要求されるということだ。キヤノンの匠たちは、「難しい」ことをいとわない。逆に

「腕の見せどころ」と意欲を燃やす。一方、「造りにくい」ことは、製造プロセスのどこ

かに、理にかなわない何かがあるということだ。これはダイレクトに品質に影響する。

そのため、部品を加工する匠、何十年とレンズを組み立ててきた匠たちは、製品技

術の担当者とは違う視点で改善策を提案する。それを設計部門にフィードバックし、

再び皆で揉む。

 開発の段階から、設計と生産、それぞれの垣根を超えた技術と知見の交換が加速

していった。EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×の開発は、EFレンズ

史上でも例を見ないほどの総力戦となった。

試作レンズ、「数]と「質」への挑戦

都宮工場で議論が続いていた頃、レンズ事業部の企画担当者たちは重大な

決定を下していた。2012年夏に開催される国際的なスポーツイベント。世界中のプロ

フォトグラファーが集まるその会場で、新レンズを貸し、エクステンダー内蔵レンズという

コンセプトとプロにとっての使い勝手、画質に対する評価を聞こうというのだ。企画担当

者は「そのためには10本や20本では足りない。50本以上のレンズを現地に送りたい」

と工場にかけあった。

 工場にとっては耳を疑うような提案だった。さまざまなスペックのレンズの組立経験は

あれど、設計性能を出すためには入念なチューニングが必要であり、そのノウハウも

手探りの時期だった。

 通常なら、まだ「数」に挑戦するには早すぎる。しかし、プロによる評価は早い方が

よいのは明らかだ。問題点が見つかれば、設計にフィードバックできる。また、量産化に

向けたノウハウを蓄積するためにも、これはまたとない好機ともいえる。宇都宮工場の

生産リーダーは、「やろう」と請け合った。

 それからは、昼に夜を継いでの組み立てがはじまった。単焦点レンズと異なり、目指す

のはズーム全域での高画質だ。しかも内蔵エクステンダーを使用すると、ズームレンジが

変化する。そこに外付けのエクステンダーを装着すると、また違う焦点距離のズーム

レンズになるという、過去にないレンズ。組みあがったレンズを性能評価すると、一本

ごとに異なる現象を見せ、チューニングの方向性がつかみにくい。光学的、メカ的

要素が複雑に絡み合い、部品や組み立てのわずかな差が、思わぬ形で性能に影響を

与えていた。

 工場では連日、夜遅くまで皆の検討が続けられた。現象と設計データを突き合わせて、

複数のチューニングポイントを抽出し、それを地道に一つひとつ実施して効果を確認する。

しかし、なかなか思うように反応してくれないレンズもあり、「正直、打ちのめされる気持ち」

が続くこともあった。

 しかし、彼らは諦めなかった。製品技術の担当者たちと匠たちの努力により、一本、

また一本と自信が持てる最高品質を生み出していった。

 何とか目標の本数を現地に送り届けて数日。早くも新レンズの評価が現地から届き

はじめた。「画質に関してはEF400mm F2.8L IS II USMと比べ遜色ない」。「内蔵

エクステンダーの使い勝手はすばらしい」。あるプロは、世界中が注目する陸上男子の

決勝でこのレンズを使用した。普通、このような正念場では、自分が使い慣れた一番

信頼するレンズを選ぶものだ。新レンズを使ってくれただけでも驚きだったが、その

プロは「連写したすべてのコマが使える」と太鼓判を押してくれた。その一報を耳にした

企画担当者、宇都宮工場の技術者たちは、ようやく安どのため息をついた。

新しいモノづくりへの布石

ポーツイベントで、プロたちがこのレンズに示した期待の大きさ、評価の高さは予想を

超えるものだった。その声に応えるためにも、プロが求める「時期」に、必要とされる「数」を

提供したい。宇都宮工場では、スポーツイベントに向けた量産試作で得たノウハウをフルに

活かし、量産化に向けた準備が進めはじめた。一本でもユーザー満足を損ねかねない

レンズを出荷することは、許されない。打てる手は打ち尽くす覚悟だった。

 そのために試みたのが、組み立てに関わる主要メンバーとなる技術者、匠たちが

参加しての技術研修だった。宇都宮工場では、さまざまなタイプのレンズに適合する

デリケートなチューニング技術が、長年のノウハウとして蓄積されている。そのチュー

ニング手法を皆で身に付け、エクステンダー内蔵の超望遠ズームという新たな仕様の

レンズの質と数を確保しよう。その熱意が高じ、自然発生的に開催された研修だった。

 生産ラインは、従来機種をはるかに上回る規模になった。部品点数が多いためだが、

設備も違う。高性能な最新の測定器や調整器が、随所に配されているのだ。

 これまでも超望遠レンズは、出荷に先立ち詳細検査を行い、性能を保証してきたが、

そのためには大規模な設備と、専用の空間が必要だった。そこでしかできなかった

測定項目と測定精度を、生産ラインの中で実現するのが、新ラインの特徴である。

 そのための設備の開発とフローの構築には幾度とない検討と見直しを要したが、宇都

宮工場の技術者たちには、その時間と労力を惜しまない理由があった。今回のレンズ

生産は、プロが満足する高画質を目指し、それを極限まで追い求めたかったからだ。

 EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×は、ただのレンズではない。

これからも、これまで以上に高性能なレンズを提供し続けるという、キヤノンの意思を

体現した一本なのである。

EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり

Page 9: story 1008 j| 2 | 人間の感性がレンズに宿る 焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを 内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L

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従来の常識が通じない精密加工

  F200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×の

設計ステージでは、コンピューターシミュレーションを駆使

して多くの課題を洗い出し、対策を行ってきた。その性能と品質を、現物で確認する

ための試作ステージも、難易度は高かった。

 量産試作を担う宇都宮工場。部品や組み立てプロセスを検討しようと集まった

技術者たちは、図面を見て驚いた。まず、部品点数が多い。超望遠単焦点レンズの

2倍はある。しかも形状が複雑で「どの部品とどの部品がどう噛み合い、どのように動く

のか、即座にはイメージできない印象」だった。

 宇都宮工場には製品技術と呼ばれるセクションがある。設計図を理解し、生産

技術や製造、品質保証といった各部門と連携しながら、部品の加工を手配し、組み

立て手順を構築する。いわば「生産プロセスの設計」が、彼らの仕事だ。

 製品技術の担当者たちは、プロジェクターで投影された3Dの部品形状をいろいろな

角度から観察して、個々の機能と役割を理解することからはじめた。悩ましいのは、

一つひとつの部品と組み立てに要求される精度だ。部品の中には非常に複雑な立体

形状をしており、測定基準となる面や線からの測定が困難なものが少なくなかった。

可動部の“遊び”も、髪の毛一本ほどの隙間にも関わらず、ミクロン単位の厳しい管理が

求められた。こうなると、既存の測定手法や道具では歯が立たず、ひいては部品全体の

品質を保証できない。また、部品の加工手順を検討しようにも、どんな手順なら寸法

精度への影響を抑えられるか、基礎からの検証、発想の転換が求められた。

 そこで、製品技術の担当者たちは、測定手法を確立することから着手した。部品の

一部の寸法精度を保証するためには、その部品のどこから、何を、どう測定していけば

よいか。熟練した技術者と一緒に、地道で困難な作業に日々注力し続け、一つひとつ

壁を越えていった。

設計部門と工場部門、垣根を超えた総力戦

  ンズのような光学機器の部品加工や組み立てには、熟練者のノウハウが求め

られる。どれほど工作機械が進歩しても、何十年とかけて培われた人間の微妙な

指先の感覚にはかなわない。宇都宮工場では、そんな熟練職人たちを、敬意をこめて

「匠」と呼ぶ。

 卓越した技能と豊富な経験を持っているからこそ、匠たちもこのレンズの生産が

いかに困難であるか、理解していた。

 部品や加工の検討会では、回を重ねるごとに、従来のレンズ開発とはひと味違う

光景が見られるようになった。従来はあまり検討会に参加していなかった匠たちが会議

室に頻繁に顔を出し、ときにうなずき、ときには意見やアイデアを交わしはじめたのだ。

 モノづくりにおいて「難しい」と「造りにくい」は別ものである。「難しい」とは、高度な

技術が要求されるということだ。キヤノンの匠たちは、「難しい」ことをいとわない。逆に

「腕の見せどころ」と意欲を燃やす。一方、「造りにくい」ことは、製造プロセスのどこ

かに、理にかなわない何かがあるということだ。これはダイレクトに品質に影響する。

そのため、部品を加工する匠、何十年とレンズを組み立ててきた匠たちは、製品技

術の担当者とは違う視点で改善策を提案する。それを設計部門にフィードバックし、

再び皆で揉む。

 開発の段階から、設計と生産、それぞれの垣根を超えた技術と知見の交換が加速

していった。EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×の開発は、EFレンズ

史上でも例を見ないほどの総力戦となった。

試作レンズ、「数]と「質」への挑戦

都宮工場で議論が続いていた頃、レンズ事業部の企画担当者たちは重大な

決定を下していた。2012年夏に開催される国際的なスポーツイベント。世界中のプロ

フォトグラファーが集まるその会場で、新レンズを貸し、エクステンダー内蔵レンズという

コンセプトとプロにとっての使い勝手、画質に対する評価を聞こうというのだ。企画担当

者は「そのためには10本や20本では足りない。50本以上のレンズを現地に送りたい」

と工場にかけあった。

 工場にとっては耳を疑うような提案だった。さまざまなスペックのレンズの組立経験は

あれど、設計性能を出すためには入念なチューニングが必要であり、そのノウハウも

手探りの時期だった。

 通常なら、まだ「数」に挑戦するには早すぎる。しかし、プロによる評価は早い方が

よいのは明らかだ。問題点が見つかれば、設計にフィードバックできる。また、量産化に

向けたノウハウを蓄積するためにも、これはまたとない好機ともいえる。宇都宮工場の

生産リーダーは、「やろう」と請け合った。

 それからは、昼に夜を継いでの組み立てがはじまった。単焦点レンズと異なり、目指す

のはズーム全域での高画質だ。しかも内蔵エクステンダーを使用すると、ズームレンジが

変化する。そこに外付けのエクステンダーを装着すると、また違う焦点距離のズーム

レンズになるという、過去にないレンズ。組みあがったレンズを性能評価すると、一本

ごとに異なる現象を見せ、チューニングの方向性がつかみにくい。光学的、メカ的

要素が複雑に絡み合い、部品や組み立てのわずかな差が、思わぬ形で性能に影響を

与えていた。

 工場では連日、夜遅くまで皆の検討が続けられた。現象と設計データを突き合わせて、

複数のチューニングポイントを抽出し、それを地道に一つひとつ実施して効果を確認する。

しかし、なかなか思うように反応してくれないレンズもあり、「正直、打ちのめされる気持ち」

が続くこともあった。

 しかし、彼らは諦めなかった。製品技術の担当者たちと匠たちの努力により、一本、

また一本と自信が持てる最高品質を生み出していった。

 何とか目標の本数を現地に送り届けて数日。早くも新レンズの評価が現地から届き

はじめた。「画質に関してはEF400mm F2.8L IS II USMと比べ遜色ない」。「内蔵

エクステンダーの使い勝手はすばらしい」。あるプロは、世界中が注目する陸上男子の

決勝でこのレンズを使用した。普通、このような正念場では、自分が使い慣れた一番

信頼するレンズを選ぶものだ。新レンズを使ってくれただけでも驚きだったが、その

プロは「連写したすべてのコマが使える」と太鼓判を押してくれた。その一報を耳にした

企画担当者、宇都宮工場の技術者たちは、ようやく安どのため息をついた。

新しいモノづくりへの布石

ポーツイベントで、プロたちがこのレンズに示した期待の大きさ、評価の高さは予想を

超えるものだった。その声に応えるためにも、プロが求める「時期」に、必要とされる「数」を

提供したい。宇都宮工場では、スポーツイベントに向けた量産試作で得たノウハウをフルに

活かし、量産化に向けた準備が進めはじめた。一本でもユーザー満足を損ねかねない

レンズを出荷することは、許されない。打てる手は打ち尽くす覚悟だった。

 そのために試みたのが、組み立てに関わる主要メンバーとなる技術者、匠たちが

参加しての技術研修だった。宇都宮工場では、さまざまなタイプのレンズに適合する

デリケートなチューニング技術が、長年のノウハウとして蓄積されている。そのチュー

ニング手法を皆で身に付け、エクステンダー内蔵の超望遠ズームという新たな仕様の

レンズの質と数を確保しよう。その熱意が高じ、自然発生的に開催された研修だった。

 生産ラインは、従来機種をはるかに上回る規模になった。部品点数が多いためだが、

設備も違う。高性能な最新の測定器や調整器が、随所に配されているのだ。

 これまでも超望遠レンズは、出荷に先立ち詳細検査を行い、性能を保証してきたが、

そのためには大規模な設備と、専用の空間が必要だった。そこでしかできなかった

測定項目と測定精度を、生産ラインの中で実現するのが、新ラインの特徴である。

 そのための設備の開発とフローの構築には幾度とない検討と見直しを要したが、宇都

宮工場の技術者たちには、その時間と労力を惜しまない理由があった。今回のレンズ

生産は、プロが満足する高画質を目指し、それを極限まで追い求めたかったからだ。

 EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×は、ただのレンズではない。

これからも、これまで以上に高性能なレンズを提供し続けるという、キヤノンの意思を

体現した一本なのである。

EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり

Page 10: story 1008 j| 2 | 人間の感性がレンズに宿る 焦点レンズに迫る超高画質で、エクステンダーを 内蔵した超望遠ズームレンズ、EF200-400mm F4L

撮影領域の拡大

ームレンズでありながら、超高画質単焦点レンズに

匹敵する描写力。エクステンダーを内蔵することによる、

広いズームレンジの確保。その実現のために、キヤノンは「新しいズームレンズが何本も

開発できる」というほどの期間と開発努力を注いだ。「それだけの甲斐はあった」と企画

担当者は手ごたえを感じている。それというのも、プロたちに試作レンズを披露した、

スポーツイベントでの光景が瞼に焼き付いているからだ。

 会場で目にしたプロたちは、頻繁にエクステンダーの切り換えレバーを操作していた。

近くにいる選手を撮ったかと思うと、次の瞬間にはレバーを操作し、離れた場所の

選手にレンズを向ける。彼らは「撮れるシーンが拡大した」「これまで撮れなかった

作品が撮れる」と口をそろえた。

 「この一本は、スポーツや野生動物をはじめとする様々な撮影分野で、撮影スタイ

ルを変えることになる」。企画担当者は、新しいレンズのポテンシャルと意義を再確認

すると同時に、今後の活躍を期待している。

 EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4×。革新の一本が、今も宇都宮

工場で生まれ、世界中のプロたちの手元へと送り出されている。

エピローグ

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EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー1.4× 誕生への道のり