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大阪市大 r季刊経済研究l Vo l .23No.1June2000 ,pp. 61-86 ISSN0387-1789 アジア新工業化における華人企業グループの役割 は じめ に 先行研究について 1 .アジア経済論 2.「華人経済」 についての先行研究 3. 「アジア新工業化論華人財閥か ら華人企業 グループへの移行 1 .華人財閥 と華人企業 グループ 2.華人企業 グループと各国の財閥 3.華人企業 グループの確立 4.代表的な華人企業グループ は じめ に チャロン ・ポカパ ン(CP) グループの事例 1 .東南アジア最大のアグリビジネス ・グ ループ 2.CP グループの多国籍事業展開 「アジア新工業化における華人企業 グ ループの役割 1 . 日米欧など先進諸国の直接投資 との協力 2.アジア域内直接投資の出 し手 結びにかえて 本稿は,「アジア新工業化」 をささえた重要な枠組みの一つである担い手 としての華人企業 グループが果た してきた役割 を検討する. とくに,華人企業の生成,発展の跡を辿 り,華人 企業グループの歴史的な発展プロセスを詳 しく分析する.それとともに,華人企業が財閥か ら企 業 グル ー プへ 移 行 ・転 換 しつ つ あ る こ とに注 目 し, こ う した具 体 的 な変 化 を前 提 と して , 華人企業が新工業化の重要な担い手として果たしてきた役割を明らかにしたい.ここでは, タイのチ ャロ ン ・ポ カパ ン (CharoenPokphand , CP)グループなどを取 り上げる. ヨーロッパ,アメリカと違ったアジア独 自の工業化については,これまで多 くの理論的な 解釈が提出されている.その代表的理論は次の通 り整理で きる.すなわち,南克巳氏の 「ア ジア化」, 金 泳 鏑 氏 の 「第四世代 工 業 化」,冷 照彦 氏 の 「東 洋資 本 主義」, 中村哲 氏 の 「三度目 16 世紀および中川信義,古滞賢治両氏 を中心 とする大阪市立大学経済研究所国際経済研 究 グルー プの∴「ア ジ ア新 工 業 化な どが そ の代 表 で あ る..こ こで , まず これ らの理論 を表 1 :「ア ジア経 済論 とア ジア新工 業 化論 」 と して概 観 してみ た い. キーワー ド :「ア ジア新工業化」,華人企業 グループ, ファ ミリー ビジネス,「華 人経済」,財 閥

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大阪市大 r季刊経済研究l

Vol.23No.1June2000,pp.61-86

ISSN0387-1789

アジア新工業化における華人企業グループの役割

張 開 攻

はじめに

Ⅰ 先行研究について

1.アジア経済論

2.「華人経済」についての先行研究

3.「アジア新工業化論」

Ⅱ 華人財閥から華人企業グループへの移行

1.華人財閥と華人企業グループ

2.華人企業グループと各国の財閥

3.華人企業グループの確立

4.代表的な華人企業グループ

はじめに

Ⅲ チャロン・ポカパン(CP)グループの事例

1.東南アジア最大のアグリビジネス・グ

ループ

2.CPグループの多国籍事業展開

Ⅳ 「アジア新工業化」における華人企業グ

ループの役割

1.日米欧など先進諸国の直接投資との協力

2.アジア域内直接投資の出し手

Ⅴ 結びにかえて

本稿は,「アジア新工業化」 をささえた重要な枠組みの一つである担い手 としての華人企業

グループが果た してきた役割 を検討する. とくに,華人企業の生成,発展の跡 を辿 り,華人

企業グループの歴史的な発展プロセスを詳 しく分析する.それ とともに,華人企業が財閥か

ら企業グループへ移行 ・転換 しつつあることに注目し,こうした具体的な変化を前提 として,

華人企業が新工業化の重要な担い手 として果た してきた役割 を明 らかに したい.ここでは,

タイのチャロン ・ポカパ ン (CharoenPokphand,CP)グループなどを取 り上げる.

ヨーロッパ,アメリカと違 ったアジア独 自の工業化については,これまで多 くの理論的な

解釈が提出されている.その代表的理論は次の通 り整理で きる.すなわち,南克巳氏の 「ア

ジア化」,金泳鏑氏の 「第四世代工業化」,冷照彦氏の 「東洋資本主義」,中村哲氏の 「三度 目

の16世紀」および中川信義,古滞賢治両氏 を中心 とする大阪市立大学経済研究所国際経済研

究 グループの∴「アジア新工業化」などがその代表である..ここで, まず これらの理論 を表 1

:「アジア経済論 とアジア新工業化論」 として概観 してみたい.

キーワー ド:「アジア新工業化」,華人企業グループ,ファミリービジネス,「華人経済」,財閥

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62 季刊経済研究 第23号 第1号

表 1 アジア経済論とアジア新工業化論

(1)主要なアジア経済論に関する著書

著編者 ・著書 ・出版社 ・刊行年 特 色

尾崎彦朔絹 r第三世界と国家資本主義』 (東京大

学出版会,1980年)

渡辺利夫 r現代韓国経済分析一開発経済学と現代

アジアーJ(動学書房,1982年)

南克巳 「『冷戦』体制解体の世界史的過程におけ

るアメリカ資本主義- ME化 ・アジア化を軸線

として」(1986年土地制度史学会秋期学術報告要

冒),所収)

金泳鏑 r束アジア工業化と世界資本主義- 第四

世代工業化論j (東洋経済新報社,1988年)

冷照彦 『東洋資本主義』 (講談社現代新書,1990午)

朴- 『韓国NIES化の苦悩一経済開発と民主化の

ジレンマJ (同文舘,1992年)

平川均 『NIES-世界システムと開発』 (同文舘.

1992年)

久保新一 『戦後世界経済の転換- ME化 ・NIES

化の線上で』 (白桃書房,1993年)

涌井秀行 r情報革命と生産のアジア化J (中央経

済社,1997年)

高龍秀 『韓国の経済システム-国際資本移動の拡

大と構造改革の進展』 (東洋経済新報社,2㈱ 年)

「移行期の特殊形態としての国家資本主義」を初

めて発展途上国に適用 した尾崎論文をはじめ,本

多健吉 (従属派経済論),中川信義 (韓国),小川雄平 (マレーシア),西口章雄 (インド),坂田幹

雄 (国家資本主義論争一文献解題)などが収録 さ

れている

ガ-シェンクロン (Gerschencron,A)の「後発性

利益」命題をインダス トリアリズムの波及と韓国

経済に初めて適用 したもの

土地制度史学会グループのME (マイクロエレク

トロニクス)化-アジア化を,アメリカの「軍民

転換」の軸線においてとらえた最初の理論.久保 ・

涌井の以下の書と共通している

アジア新工業化論とも共通するが,第一世代工業

化をイギリス,第二世代をフランス,ドイツ,ア

メリカ,第三世代を日本,ロシア,イタリア,そ

して第四世代工業化を,韓国はじめ●ァジアや,メ

キシコ,ブラジルなどラ米や中国とする点で独自

性がある

日本 ・NIEs・ASEAN・中国を,ウェーバー (Weber,M)の 「東洋」認識 (「資本主義精神の欠如」と

「市民階級の欠如」)に立ち,敢えて 「東洋資本

主義」と呼び,その発達モデルを 「輸出主導 (依存)工業化」とする.ここから開発論 ・西洋経済

学 ・新従属論.世界システム論に対する挑戦が生

まれるとするが,一部清算主義に陥うでいる

韓国における経済開発と民主化との関連の研究が

中心課題であるが,第三世界国家資本主義 (権威

主義体制)論,日米依存の成果と歪み,支配三者

(政府 ・外資 ・財閥)関係の政治経済学,脱権威

主義社会への途 (産業民主化の苦悩)が分析 されている

1985年以前のNIES構造を,世界●システム論 と

NIESの国家論 (権威主義体制)分析 という基本

視角から考察 されているが,NIES間の共通性に

力点が置かれ,差異性 (アジアとラ米およびアジ

ア各国)に注意が払われていない

NIES化 (東アジア ・ASEAN・南アジア)をアメ

リカからのME化の線上における移動と理解 して

いる点では,土地制度史学会グループ共通の認識である

前著 Fアジアの工業化と韓国資本主義j(文責堂,

1989年)に続 く,土地制度史学会グループのME化-情報革命,アジア化論の集大成されたもの.

韓国の他中国も分析されている

韓国通貨危機 (国内 ・国際要因)分析 ,IMFのコンディショナリティー下の韓国型経済システムの

変化,およびDJノミクス (金大中の経済政策).の

検討を課題とするが,財閥の多国籍化,財閥 (現

代 ・三星 ・大字)の構造改革 (大規模事業交換)

が分析されている

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アジア新工業化における華人企業グループの役割

(2)主要 なアジア新工業化論 に関 する著書

63

著編者 ・著書 ・出版社 ・刊行年 特 色

奥村茂次 ・山崎春成編 r現代世界経済と新興工業

国』(東京大学出版会 , 1983年)

奥村茂次編 rアジア新工業化の展望j (東京大学

出版会,1987年)

中川信義編 rアジア新工業化と日米経済』(束京

大学出版会 , 1990年)

中川信義絹 rアジア ・北米経済圏と新工業化J (東

京大学出版会,1994年)

中川信義編 rイントラアジア貿易と新工業化J(東

京大学出版会 , 1997年)

大阪市立大学経済研究所国際経済研究グループの

「新工業化 (新興工業固化)」論の出発点.アジ

ア新興工業国の他,ラテンアメリカ (ブラジルと

メキシコ),東 ヨーロッパ (ポーランドとハンガ

リー)まで取 り上げている

「アジア新工業化」シリーズ第-冊目の著作.金

泳鏑 (第四世代工業化), 中川信義 (韓国),劉

進慶 (台湾),杉谷滋 (香港), 平川均 (シンガポ

ール)各国・地域を取 り上げているが, 「アジア

新工業化」論の定義がない

同シリーズ第二冊目の著書. 「新従属」および 「新

国際分業」論について分析 されているが , 「アジ

ア新工業化」論の規定がない.末席昭が外国資本

とくに日本企業の対 タイ投資 ラッシュを通 して

NAIC (NewlyAgro-IndustrialisingCountry)型

工業化の可能性を考察 しているほか,西口章雄が

イン ドの経済 自由化政策 を取 り上げ,韓国や

ASEANとの異なる独自の 「新工業化」の展望に

ついて解明している

同シリーズ第三冊目の著書.(1)日本という資本

や技術の供給国の周辺に位置する 「周辺性の利益」,

(2)新工業化の担い手 (国家 ・国内資本 ・多国籍

企業の三者)相互間の 「多国籍同盟」 , (3)「アジ

ア太平洋 トライアングル貿易 ・投資・技術移転」

とくに 「対日機械 ・部品輸入-対米製品輸出」と

自動車・電機 ・鉄鋼等のグローバル産業における

アジア産業史の変遷を,「アジア新工業化」の枠

組みと提示 している.古滞賢治 (華南経済圏),

路 林 書 (中 国 の 外 資利 用 政 策 ) ,ケニ

(Kenney,M.)とフロリダ (Frorida,R)の 「日

本多国籍企業とNAm 」などが掲載されている

同シリーズ第四冊目の著書. 「アジア太平洋 トラ

イアングル貿易」に代わって,1990年代後半には

「イントラ ・アジア (アジア間 ・域内)貿易の傾

向が顕著になったこと,その転換の基礎には1985年プラザ合意以降の日本,87年と90年に 「資本の

出し手」となった台湾と韓国,および 「南巡講話」

以降対中投資に向かい始める華人企業などによる

「イントラ ・アジア直接授資」があったという新

しい課題と問題意識のもとに刊行されたもので,

本稿の出発点となった著書である.

出所)各著作 ・論文を参考に筆者作成

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64

Ⅰ 先行研究について

1.アジア経済論

季刊経済研究 第23号 第1号

第二次世界大戟後のアジア経済の発展は,1960年代からの日本の高度経済成長に始まり,

70年代後半には韓国,台湾,香港,シンガポールなどのアジアNIEsに波及し,10年後の80年

代後半にはタイ,マレーシア,インドネシア,フィリピンなどのASEAN (東南アジア諸国連

令)に及んでいった.さらに,1980年代後半から90年代にかけてこの発展のダイナミズムは

経済改革・対外開放の中国や,ベ トナム,ミャンマー,インドにまで波及 し,今日に至ってい

る.このようなアジアの発展構図は,「接替型」,あるいは 「連鎖型 (中国語 :鑓条型)」とも

呼ばれて,アジアの国々で連鎖的に伝わってきた.

1960年代前後,東アジアの新興工業諸国は,工業化を経済発展戦略の中心に位置づけるよう

になった.資源が乏 しく国内市場規模を欠くアジアNIEsは工業化の初期段階に輸出志向型の発

展戦略をとり,工業品の輸出,中間財,資本財の輸入,そして輸入代替,また,より高度な工

業品の輸出という構図によって急成長 し,経済発展が実現した.NIEsとは違って,ASEAN諸国

は資源が豊富に存在 し,工業化の実現は一次産品の輸出に大きく関わってきた.ASEANは輸入

代替 (1960年代),輸出志向 (1970年代),構造調整 (1980年代)のプロセスで工業化を実現 した.∫

アジア経済がなぜ発展 してきたかの原因を独自の視点から説明しようとする多 くの試みが

あった.これまでのNIEs論やASEAN論ではユニークな解釈が提示されてきた.まず,尾崎彦

朔編 『第三世界と国家資本主義』は第三世界国家資本主義論を初めて理論づけ,中川信義氏

が韓国,小川雄平氏がマレーシア,そして西口章雄氏がインドにおける国家資本主義論 を論

じている.他方,渡辺利夫氏の 『現代韓国経済分析一開発経済学 と現代アジアー』は,有名な

ガ-シェンクロン (Gerschencron,A.)の 「後発性利益 (渡辺利夫氏の訳語)」命題をインダ

ス トリアリズムの波及と韓国経済に初めて適用 したものである.また,「アジア化」(ME化,

NIEs化)については,南克己氏と久保新一氏の研究が挙げられる.「アジア化」の基本ポイン

トは,ME(マイクロ ・エレク トロニクス)生産のアメリカから東アジアへの移動によるもの

で,これによりアジアNIEsが成立 したと見る.この見方はMEを中心とする生産重点がアジア

へシフトしたという仮説を前提にしている.涌井秀行氏,表に掲載 しなかったが,小林英夫

氏1)や西口清勝氏2)などの所説は代表的な研究として,このME化との遠近で測られる.

金泳鏑氏の研究は,第-世代工業化にイギリス,第四世代に韓国をはじめアジア各国 ・地

1)小林英夫 『東アジアの経済成長と問題』(経済理論学会編 『90年代不況の性格- 経済理論学

会年報第32集』青木書店,1995年)を参照.

2)西口清勝 『アジアの経済発展と開発経済学』(法律文化社,1993年)を参照.

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アジア新工業化における華人企業グループの役割 65

域,メキシコ ・ブラジルなどラテンアメリカや中国を取 り上げ,「新工業化」を世代論から分

析 した.また,冷照彦氏は 「東洋資本主義」論,中村哲氏3)は 「三度目の16世紀」(「二度目

の16世紀」は日本や朝鮮の開国)を提示 した.朴-氏,平川均氏,および高龍秀氏の業績および

その内容については表 1の (1)「主要なアジア経済論に関する著書」を参照されたい.

以上のNIEs論やASEAN論の視点はアジア経済の発展に理論的な解釈を提示 してきた. しか

し,これらの視点はアジア経済の発展における華人企業が果たしてきた役割を十分に検討 し

なかった.

NIEs論やASEAN論の枠以外では,一部の研究者は 「華人経済」の役割を評価 してきた.以

下これらの日本での 「華人経済」における先行研究を中心にサーベイして,残されている課

題を提示してみたい.

2.「華人経済」についての先行研究

「華人経済」は華人企業の経済活動の総称 として筆者は捉える.華人経済は一国経済では

なく,統計 もなく,マクロの視点からのアプローチは難 しい.最近の著書,雑誌,新聞など

には 「華人経済」 という言葉が頻繁に使われているが,この漠然 とした概念が持ちこむ危険

性を十分に認識する必要がある.〉余照彦氏が指摘 したように,.従来の国家の枠を前提 とする

「一国経済」と同じようには 「華人経済」を論 じることはできない4).

最近の一部の評論では,来世紀を ドラゴン ・センチュリTと規定 し,華人がアジア経済の

影の主役として,21世紀に華人経済がアジアを支配するという主張 も一般的に見られるよう

になってきた.華人はアジア経済発展に不可欠な役割を果たしてきたとはいえ,中華文化な

どエスニックな部分により,「華人経済」がアジアを支配するなどという主張は理論的な根拠

を欠き,適切な分析 とは言えない.

瀞仲勲氏は日本では早い時期から華人研究に従事 してきた.源氏の以前の研究ではそれま

での華僑移民や農業労働者などを含む華人労働者を対象 として東南アジアの経済発展におけ

る華人が果たした役割を分析 した.源氏の代表的な著作には 『華人経済研究』(アジア経済研

究所,1969年),『華僑政治経済論j(東洋経済新報社,1976年)などが挙げられる. しかし,

源氏の最近の研究でも 「華人経済」を過大評価する傾向にある。

日本の開発経済学者のなかで,渡辺利夫氏はアジアの経済発展における華人の目覚ましい

進展に注目してきた. しかし,華人企業の具体的な分析にはあまり触れていない.

岩崎育夫氏は 「華人資本」の海外進出に着目し,華人企業の多国籍企業化を強調 してきた

3)中村哲 『近代世界史像の再検討- 東アジアの視点から- 』(青木書店,1991年所収のシン

ポジウム 「近代世界史像の再検討をめぐって」)を参照.

4)1998年7月,京都大学でのアジア地域研究会で,)余照彦氏はこの点を強調 した.

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66 季刊経済研究 第23号 第1号

(岩崎育夫 『シンガポールの華人系企業集団』アジア経済研究所,1990年,同著 『華人資本の

政治経済学 :土着化 とボーダレスの間で』東洋経済新報社,1997年)I.岩崎氏はシンガポール

の事例を取 り上げ,シンガポールの工業化のなかで,とくに金融やサービス部門で生まれて

きた華人企業グループを分析 してきた.また,井上隆一郎氏は東アジアの華人企業のケース

を詳 しく取 り上げ,アジアのビックビジネスの一環として研究 してきた (井上編 『アジアの

財閥と企業 (新版)』日本経済新聞社,1994年).両氏が取 り上げた華人企業の多国籍化,事業

の多角化などは,まさに華人企業がグループ化する過程で現われた顕著な特徴である.次節

で分析するように筆者は華人企業のこれらの特徴を 「華人経済」の実態 として重視 してい る.

3.「アジア新工業化」論

「アジア新工業化」論のアプローチは,表1の (2)「主要なアジア新工業化論に関する著

書」に見るように,奥村茂次 ・山崎春成編 『現代世界経済と新興工業国』 と奥村編 『アジア

新工業化の展望』に始 まっている. しかしこの両著には 「アジア新工業化」論の明確な規定

がない.この規定は 「アジア新工業化」シリーズの第三冊目の著書において初めて現われて

いる.中川信義氏は,「アジア新工業化」の三つの枠組みを次のように簡略にまとめている5).

すなわち, (1)日本 という資本や技術の供給国の周辺に位置する 「周辺性の利益」,(2)新工

業化の担い手 (国家 ・国内資本 ・多国籍企業の三者)相互間の 「多国籍同盟」,(3)「アジア

太平洋 トライアングル貿易 ・投資・技術移転」とくに 「対 日機械 ・部品輸入-対米製品輸出」

と自動車 ・電機 ・鉄鋼等のグローバル産業におけるアジア産業史の変遷を,「アジア新工業化」

論の枠組みとして提示 している.アジア経済発展における国家,外国資本および国内 (ロー

カル)資本の三者同盟をその重要な枠組みとし,なかでも,経済発展の機動力としての外国

資本 とその受け皿である現地資本,すなわち,国内 (ローカル)資本を工業化の担い手 とし

て注目し,重視 してきた.この視点は国内 (ローカル)資本であるとともに,「外資」として

華人企業が果たした役割の両側面を分析する上で有益な手がかりを与えるものである.

1990年代以降,アジア諸国,とくにNIEs各国の国内 (ローカル)資本 としての華人資本は

「資本の受け手」から 「資本の出し手」に転換 した.かつて華人資本は 「資本の受け手」とし

て,外資 と合弁 し,アジア新工業化の初期段階において外資の受け皿の役割を果たしてきた.

いまや華人資本は 「資本の出 し手」に転換 して,中国をはじめ,NIEsやASEAN向けの直接投

資を急増させ,「イントラ ・アジア (アジア域内あるいはアジア間)直接投資」の主体となり,

さらに欧米などの先進諸国向け投資の主要な担い手としての役割を果たしている6).

5)「アジア新工業化」の時期 ・範囲 ・枠組みについての詳しい論述は中川信義編 『イントラ・アジ

ア貿易と新工業化』(大阪市立大学経済研究所,東京大学出版会,1997年)3・7ペ」ジを参照.

6)中川信義 「『アジア新工業化』と 『21世紀アジア資本主義』」(経済理論学会編-『経済理論学会

年報第34集』青木書店,1997年,所収)2828ページ.

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アジア新工業化における華人企業グループの役割 67

これまで見てきた「アジア新工業化」論は,歴史的視座から空間的変化を分析する方法を用

いて,時間的すなわち歴史的経過だけ・ではなく,空間的すなわち地理的な要素 も取 り入れた

新 しいアプローチである.中川信義氏を中心 とする 「アジア新工業化」論および古津賢治氏

による 「アジア新工業化」論から見た 「華人経済」論は,華人企業グループの役割分析に理

論的なアプローチを提供 してきた.

Ⅰ 華人財閥から華人企業グループへの移行

1.財閥と企業グループ

日本では,「財閥」 という名称は明治以後から戦前1940年代の第二次世界大戟前にかけて形

成された三井,三菱,住友,芙蓉,三和,第一勧業などの巨大資本を指 している.安岡重明

氏は財閥について次のような定義を与えた.すなわち,財閥とは 「家族または同族によって

出資された親会社 (持ち株会社)が中核 となり,それが支配 している諸企業 (子会社)に多

種の産業を経営させている企業グループであって,大規模な子会社はそれぞれの産業分野に

おいて寡占的地位を占める」7)といったものである.

この定義のなかでは財閥の三つの特徴が挙げられる.まず,家族 ・同族による排他的支配

である.次いで,多角的な経営,第三に傘下の子会社の寡占的な地位 といった特徴である.

しかし,この三つの特徴のなかでもっとも基本となる点は,家族 ・同族による所有と経営の

分離であると安岡氏は指摘 している.

一方,華人企業は20世紀初頭に,貿易仲介業と商業を中心とした零細,小規模企業から発

足 し,第二次世界大戦前の1940年代から戦後の70年代まで成長 し続けた.華人企業は1970年

代以降,アジア全体の経済発展 とともに,財閥から華人企業グループへ移行 しつつある.と

くに1980年代後半に,華人企業の多 くは株式上場により,企業の主な経営形態は持ち株会社

となった.華人企業は,傘下の企業数を増加 し,事業の多角化,海外進出 (直接投資)など

が顕著であった.他方,華人企業は企業内部では,企業経営者の世代交替,専門経営者の起

用などによって,近代企業へ と発展 しはじめた.その結果,華人企業グループの大規模な形

成につながっていったのである.

華人財閥 (企業グループ)は,所有と経営がその一族に集中するいわゆる 「ファミリービ′

ジネス」が大きな特徴である.「ファミリービジネス」とはなにか.末席昭氏はそれについて

次のように述べている.

「特定の家族 ・同族が企業や事業体の所有と経営の双方を支配 し,さらにそれらが生み出

7)安岡重明 『日本の財閥』日本経済新聞社,1976年,14ページ.

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68 季刊経済研究 第23号 第1号

す果実 を家族・同族成員の内部にとどめようとする経営形態がそれである」8). ただ し末寮氏

は,「主要家族 とその友人,同郷出身者 との共同事業形態 も,『広義のファミリービジネス』

に含める」という規定を加えている9).

本稿では 「ファミリービジネス」の事業規模,範囲,構成が巨大化 し多角化 しグループ化

していったものを末贋氏に従って 「財閥」10) と捉えることにする.

財閥という企業形態はしばしば日本にのみ特殊な組織 と考えられてきたが,次第にアジア

では一種の普遍的な存在だと認識 されるようになってきた.い くつかの要素さえ持 っている

なら,財閥は日本だけの特殊な企業形態ではない.中川敬一郎氏は財閥の出現について,後

進国的工業化の経済主体 として必然的に発生すると指摘 している11). また,末贋氏は,財閥は

特有な企業組織ではな く,ある意味では以下の三つの条件を満たすかぎり,普遍的な企業形

態と考えられるとしている.その一定の条件は,次の三つにまとめることができる.

① 特定の家族・同族が所有と経営を排他的に支配する.

② その事業が複数の業種 ・セクターにまたがる.

③ ひとつもしくは複数の業種 ・セクターにおいて寡占的な市場支配を行なっているグルー

プである12).

財閥は日本や韓国だけではなく,戦後,後発工業国とくにアジア各国・地域において共通す

る企業形態として多数現われてきた.

華人財閥が企業グループ化 してい く過程でもっとも顕著な動 きとして,家族 ・同族による

所有 と経営の排他的支配が弱められてい くことがある.末贋氏の見解では,企業 グループと

は財閥に見 られる所有 と経営を支配する主体が血縁集団に限定 されない場合を指 している.

この見解は華人企業グループにも当てはまることである.同氏はそのグループを広 く 「ビジ

ネスグループ」 と呼んでいる.それによると,「ビジネスグループ」の構成主体は血縁集団以

外の友人,学縁,地縁 などの人的ネットワークに基づ く緩い企業連合体や,家族の所有下に

ない持ち株会社,金融機関を中核 とする企業グループなどである13).華人企業グループの場合,

その構成主体 となるグループ企業の緩い連合のなかで,とくに地縁関係が重要な位置を占め

ている.地縁関係の強 さの代表的な例 として,各地域 ・国で年々定期的に開かれる 「世界客

家懇親大会」,「国際潮州団体聯誼年会」などが挙げられる.

8)末贋昭 「タイの企業組織と後発的工業化- ファミリービジネス試論- 」(小池賢治 ・星野

妙子編 『発展途上国のビジネスグループ』,アジア経済研究所1993年)27ページ.

ーノーnu

)

0

1

9

1

1

上同

同上.

中川敬一郎 「第二次大戟前の日本における産業構造と企業活動」(『三井文庫叢書』第3号,

1969年,所収)を参照.

12)末席昭,前掲書,27ページ.

13)末席昭,前掲書,28ページ.

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アジア新工業化における華人企業グループの役割

2.華人企業グループと各国の財閥

69

華人企業グループは各国の財閥や ビジネス ・グループと比べると,家族 ・同族による支配

が大 きいという特徴が見 られるほか,い くつかの独 自性がある.たとえば,華人企業に特有

の 「均分相続」,「合股」(パー トナーシップを組むこと),華人ビジネス ・ネッ トワークなど

がある.

表 2は華人企業グループと各国の財閥 ・企業グループとの比較である. まず形成時期につ

いて,華人企業グループは戦前から華僑企業グループがすでに見 られた. しか し,華人企業

グループの本格的な形成時期は1970年代以降である.戦前の華僑企業グループのほとんどは

衰退あるいは崩壊 して しまい,70年代 に集中的に現れてきた華人企業グループとの繋が りは

ない.華僑 ・華人企業の企業グループ化は他の国の財閥 ・企業グループの形成 と比べて,時

期的断続性が見 られる.

なぜ華僑 ・華人企業 グループは他の国の財閥 ・企業グループと比べて,時期的断続性があ

ったのか.アジア新工業化 との関連で見ると,華人企業はアジアの経済成長のなかで外資 と

提携 して,「受け皿」になったためである.すなわち,華人企業は工業化を主導 したのではな

く,む しろそれによる経済成長その ものの恩恵 を受け,企業 グループが形成 されてきたので

ある.そ して1970年代は一般的にアジア各国で高度成長 を成 し遂げた時期であったため,華

人企業 グループも群生 した.岩崎育夫氏はさきの著書において,シンガポールの工業化 につ

いて,外資系企業が主導 してきた工業部門の成長が全産業部門に波及 し,その余波 を受けて

金融やサービス業部門で華人企業 グループが生 まれたことを指摘 した.華人企業が,このよ

うな 「受け身」の立場から逆転 したのは1990年代 になってからで,積極的に対外進申 し,対

外直接投資の 「出 し手」になった時点である.

華人企業グループの目覚 しい発展はアジア経済全体のなかで注 目されている.イン.ドネシ

アの場合,1970年代,華人企業 グループの数は20あ り,80年代の初めまでに華人企業グルー

プは迅速な発展を成 し遂げた.90年代初めにはインドネシアの個人企業 グループ総数200のな

かで167が華人企業グループであった.そのうち, トップ20の華人企業 グループの総営業額は

約325億米 ドル (1992年4月の平均 レー トで換算)でイン ドネシア個人企業グループの総売上I

高の55.3%を占めるまでに至った14).

華人のビジネス ・ネットワークは華僑 ・華人社会の人的ネッ トワーク,血縁,地縁,業縁

などの縁由関係に基づ㌦、て形成 されている.

血縁関係は華人企業の所有 と経営 における家族 ・同族支配の重要な背景であるが,中国の

長い歴史のなかで保持 されてきた.楊天益氏は 「華人家族企業の国際的特色」で次のように

14)重義恒編 『東南亜企業集団研究』度門大学出版社,1995年,3ページ.

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表2 各国の財閥 (企業グループ)と華人企業グループとの比較

国 別 形 成 時 期 政府との関係 金融横関との関係 活動産業分野 国民経済への影響力 専門経営者の登用 ネットワーク 備 考

日 本 19世紀末から1945年まで 若干の保護と干渉 大財閥は銀行を持つ 多種の産業,関連産業へ拡大 大きい 委任度高い 一般的

韓 国 1950年代以降 保護と規制 政府が銀行株を持ち統制 多種の産業 大きい 次第に登用 一般的 分割相続

イ ン ド 20世紀初頭以来 国営企業が多い時期に抑制される 1969年以降は国営かそれ以前は日系の銀行をもつ 多種の産業 大きい 一部の財閥は育成に努力 分割相続

タ イ 1945年以降 官僚軍人との 財閥の銀行は資金 銀行,保険,繊維, 大きい 一部にあり 緊密 男子均分相続

形成は明確ではない華僑.華人が多い 結びつきあり 力大 自動車 により分散 の可能性

フィリピン 20世紀初頭からか,政府は干渉せ 日系の銀行を持た 食品,製紙,建設, 外資系とともに 経営代理商会 緊密

本格的には1945年以降 ず1932年独禁法は形式化 ないものが多い 石油など 影響は大きい の利用

華 人 戦前から華僑企業 所在 国によっ 日系の銀行をもつか,多種の産業,とく 外資や現地系と 次第に登用の 華人ビジネスネットワーク 男子均分相続

グループがすでに てかなり違う 地元の銀行と密接 に不動産,金融, ともに影響は大 方向 は社会の人的ネットワーク

出所)各国 (日本 ・韓国 ・インド・タイ ・フィリピン)財閥 (企業集団)については安岡重明 『財閥経営の歴史的研究- 所有と経営の国際比較』岩波書店,1998年,292-293ページを参照に筆者作成.

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アジア新工業化における華人企業グループの役割 71

述べた.「帝制中国では,地方の半自治的な血縁集団が上からの家産制的支配に対立 して血縁

関係が常に戟略的役割を演 じ,親族 (家族 ・氏族)がその成月 の社会関係を一切その中に吸

収 して,血縁関係が本来の社会関係に直接代位 していた」15)のである.しか し,華人企業は,「鞘」

による基本の結びつきが企業間の有力なネットワークとなっている.広東耕 (広東人),潮州

郡 (潮州人),客家鞘 (客家人),潅南鞘 (海南人),関南鞘 (福建闇商人)の五大掛 まその代

表となっている.華人企業グループの企業の連合の構成主体においては,地縁関係が強いも

のである.この企業間のネットワークについて,地縁関係は華人企業にとってより重要な位

置を占めている.

華人財閥の企業グループへの移行一には,その社会的文化的な背景が深 く関連 している.華

人家族のなかには 「合股」(パー トナーシップ)という伝統がある.華人企業の場合は均分相

続の慣行があるため,財産は系譜の相続を担う複数の男子に分けられ,継承されるのである.

「合股」は一種のパー トナーシップである.楊天溢氏は 「合股」について,次のように指摘 し

た.複数の世代では収入支出は家長が管理する共同会計であるが,嫁の持参財や夫婦が外で

働 きまたは内職で稼いだ金銭などの 「私房銭」をもって 「会」に参加 した り,独 自の資産運

用により得た利益や,均分相続された家産の 「持分」を兄弟が 「相互に持ち寄って」,「合股」

つまりパー トナーシップを組む.あるいは別々の友人がパー トナーとなり,「合股」によって

新 しい事業に投資するのである16).

以上,華人企業グループは形成時期の断続性,ネットワーク,均分相続および 「合股」な

どにおいて他の国の財閥にない独自性を持っていることは明らかである.

3.華人企業グループの確立

1970年代に入 り,華人企業は大 きな転換期を迎えた.その転換によって華人企業は伝統的

な財閥から企業グループへの移行プロセスに入った.

華人企業における家族 ・同族による所有 と経営の構造変化は,財閥から企業グループへの

移行プロセスに現れている.華人企業は,一般に1970年代 まで所有 と経営が排他的,すなわ

ち家族 ・同族による過半数支配がほとんどであった. しかし,1970年代以降,華人企業の所

有と経営の構造に再編成の動きが見 られ,「ビジネスグループ」が大規模に形成されるように

なた.

華人企業の構造転換における外的要因としては,第-に,アジアにおける株式市場の急速

な発達がある.華人企業は次々と株式市場へ上場 し,また,子会社を数多 く設立 し,企業の

15)楊天益 「華人家族企業の国際的特色」(森川英正 ・由井常彦編 『国際比較 ・国際関係の経営史』名古屋大学出版会,1997年)24ページ.

16)同上,29ページ.

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72 季刊経済研究 第23号 第1号

経営規模 を拡大 した.第二に,先に見た 「アジア新工業化」の進展に伴 って,近年 目覚 しい

「イン トラ ・アジア貿易」の増加 による多国籍企業化の動 きが進んでいることが挙げられる.

NIEs,ASEAN諸国の経済力が増大 したことから,「アジア太平洋 トライアングル貿易」 に代

わって,1990年代後半 には,アジア城内取引,すなわち「イン トラ ・アジア貿易」の傾向が顕

著になった.古津賢治氏が指摘 したように華人企業は 「急速に発展 してきた域内取引におけ

る重要な主体」 となった,その 「イン トラ ・アジア貿易」の発展は, 日米欧など先進資本主

義国の多国籍企業がアジアに製造拠点を設け,本国への逆輸入あるいは第三国輸出を増や し

てきたことが基礎 にあるだけでな く,アジア企業が多国籍化 し, さらに遅れた地域 を国際経

済に結びつけるといった新 しい状況が生 まれてきた17).その転換の基礎には1985年プラザ合意

以降の 日本,87年 と90年 に 「資本の出 し手」となった台湾 と韓国,および 「南巡講話」以降村

中投資に向かい始めた華人企業などによる 「イン トラ ・アジア直接投資」があった18).

華人企業の構造転換 における内的要因は,第二,第三世代の専 門経営者,技術者の出現,

事業規模の拡大,競争の激化,世代交替などがあげられる.華人企業の内容において企業組

織 と経営の近代化が進むに連れて,華人企業経営 における 「ファミリービジネス」が変化 を

見せて きた.華人企業の所有 と経営における変化は,多 くの華人財閥をパー トナーシップ型

へ移行 させて きた (表 3はアジア諸国,地域における華人企業の所有 と経営の家族 ・同族型

(財閥)およびパー トナーシップ型 (企業 グループ)について現状 を整理 したものである).

表3 東アジアの国 ・地域における華人企業の所有と経営

国 別 家 族 .同 族 型 パー トナーシップ型

シ ン ガ ポ ー ル 大 多 数

香 港 少 数 多 数

台 湾 少 数 典 型 的

タ イ 大 多 数 ご く 少 数

マ レー シ ア 両 者 並 存

イ ン ドネ シ ア 両 者 並 存

出所)小池賢治 「多角化の新展開と所有経営構造の変化」 (小池 ・星野妙子編 『発展途上国の

ビジネスグループ』アジア経済研究所,1993年)を参考に筆者作成.

アジア諸国 ・地域 には多 くの財閥があると一般的に見 られている. しか し,近年では所有

と経営がひとつの家族 ・同族下 にあるとは限らない.た とえば, イン ドネシアについて,佐

藤百合氏による上位20の企業 グループ (1990年)に対する現地調査の結果では,家族 ・同族

型による所有形態が75%,パー トナーシップ型 (総師家族 と共同事業者 との共同所有)が25%

17)古滞賢治 「華人経済とイントラ ・アジア貿易」(中川信義編 『イントラ ・アジア貿易と新工業

化』の第三章,東京大学出版会,1997年)を参照.

18)華人企業の独自な対中直接投資については,古滞同論文,91・92ページを参照.

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アジア新工業化における華人企業グループの役割 73

を占めていた.その調査結果を詳細にみると,家族 ・同族型では,グループ外部者からの出

資に対 して開放的なタイプが主流をしめ,財閥に相当する閉鎖的な「家族型」所有タイプは支

配的な形態 となっていなかった.また,佐藤氏は 「パー トナーシップ型」の所有形態はグル

ープ外部に対 して開放的な点で共通 していたと指摘 している19).現在,アジア諸国 ・地域には

パー トナーシップ型の大規模などジネス・グループは多数存在 している.

4.代表的な華人企業グループ

1970年代から,多 くの華人企業がグループ化 し,その後,大規模な企業グループが確立 さ

れた.例えば,シンガポールのUOB (UnitedOverseasBankLtd.,大華銀行)は1970年にシ

ンガポールの株式市場に上場するとともに多 くの子会社を設立 した.そ して,わずか 4年後

の1974年には,大華銀行はシンガポールの代表的金融集団の一つ となった.インドネシアの

サリム (Salim)一族は1960年代末から70年代の初めにかけて子会社30社を設立 した.1973年

に中核会社サリム経済開発企業公司の傘下に大規模なサ リムグループが形成 され,インドネ

シアの トップ企業グループになった.また,マレーシアでは,クオツク ・ブラザース (Kuok

Bros.Group)は製粉業から事業を始めたが,グループの形成は1970年代半ば頃であった.現

在クオツク ・ブラザース ・グループはマレーシア最大の企業グループにまで成長 した.

華人企業は次々と株式市場へ上場 し,子会社を設立することで,企業の経営規模を拡大 し

始めた.株式の公開は閉鎖的,排他的な家族支配の華人企業に大 きな影響を与えた」これま

で,華人企業は,特定の家族,同族が所有と経営を過半数(排他的)支配する,いわゆる 「ファ

ミリービジネス」を特徴 としてきた. しか し,証券市場の発展に伴 う株式市場への上場が所

有の比率を薄めた,さらにまた,血縁関係以外の人的ネットワークにもとづ く緩い企業連合

体が多数現われたことで,華人企業の所有と経営による排他的支配は薄められてきた.

香港の代表的企業 グループである長江実業グループは,グループ形成において次のような

過程を辿った (拙稿 「香港経済における華人企業集団の生成と発展」『アジア研究』第45巻第

4号,アジア政経学会,2000年3月,参照).まず,1971年に 「長江地産有限公司」と 「長江置

業有限公司」を設立 し,事業を拡大 した.次に,1972年と73年に香港証券交易所,遠東証券

交易所,金銀証券交易所およびロンドンの証券取引所で株式を公開 した.

このようにして,華人財閥は,伝統的な 「ファミリービジネス」体制による所有 と経営の

排他的支配が薄められた.また,世代交替に伴 う経営組織の改革および対外直接投資による

多国籍企業化の動きなども華人企業に顕著に見られる.

19)佐藤百合 「インドネシアにおける企業グループの所有と経営- 『パー トナーシップ型』企

業グループを中心に- 」(小池賢治 ・星野妙子編 『発展途上国のビジネスグループ』アジア経

済研究所,1993年,所収)80ページ.

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74 季刊経済研究 第23号 第1号

表 4は産業別に分類 されたアジアの代表的な華人企業グループを整理 したものである.有

力な華人企業は主に次の中心産業を軸に総合企業グループを形成 してきた.すなわち,不動

産業,製造業,金融機関をもつ総合企業グループ,または銀行をコアビジネスとする金融 グ

ループである.

アジアの有力な華人企業は何れも,株式の上場,世代交代,海外投資などによってグルー

プ化 してきた.例えば香港の長江実業グループは株式上場,世代交替などによって,所有 と

経営の分離が見 られる.また,シンガポールのホンリョン (豊隆,Hong・Leong)グループ,

次に見るタイのCP (CharoenPokphand)グループなどは海外投資による多国籍企業化の動

きが顕著である.

華人財閥のなかには,企業グループへの移行過程で,内部的調整がうまくゆかず,崩壊す

るもの も決 してないわけではない.華人企業の成功の実績は注目されるが,華人企業の崩壊

などを容易に見逃されがちである.シンガポールのYHS (楊協成 ・YeoHiapSeng)グループ

のケースは企業崩壊の一例である.

YHSグループは1901年に中国の福建省で自営の醤油製造所を始めた.その後,1930年代に日

本軍の侵略によって,当時福建移民の多かったシンガポールへ移転 した.同グループは,

1930年代後半に醤油製造所 として事業がスター トしなが らペプシコーラ等のシンガポールで

の販売代理店となった.その後,業務を拡大 し,1960年代にシンガポールで総合食品メーカ

ーとしてシンガポールのソフ ト・ドリンク業界での トップの地位を確保 した.

1990年代まで,YHSはシンガポールでは華人企業の 「優等生」 として大 きな発展を成 し遂げ

た.YHSグループは典型的な一族所有経営の企業であ りながら,これまで発展 してきた要因と

して,一族メンバーが専門的な教育を修め,とくに,欧米式の近代技術 と経営手法 を習得 し

た第二,第三世代の経営者が家業に加わ り,絶えず進んだ経営スタイルと近代技術 を導入 し

続けてきたと言われていた20). しかし,1990年代以降,海外投資の失敗,一族の内紛によって,

中核企業のYHS社がシンガポールの他の華人に買収され,結果として,YHSの事業活動 も停止

することになった21).

Ⅲ チャロン ・ポカパン (CP)グループの事例

タイは,1970年代後半の韓国や台湾などのアジアのNICS(NewlyIndustrializingCountries)

と異なる工業化のプロセスを歩んできた.NICSは繊維,電子工業を中心に輸出産業の育成を

20)岩崎育夫 『シンガポールの華人系企業集団』アジア経済研究所,1990年,84ページ.

21)YHSの崩壊については,1999年11月にマレーシア経済を調査したとき,もとMAYBANKの職

員黄氏に対するインタビューで聞き取ったものである.資料不足のため,やむを得ず具体的な分

析を今後に譲る.

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アジア新工業化 における華人企業 グループの役割

表4 アジアの代表的華人企業グループ

75

中心産 業 企 業 名 称 創始者 (所有者) 企業所在国 そ の 他

不動産 長江実業グループ 李嘉誠 香港 経営範囲は不動産を中心にエネルギー,コンテナー運送ターミナル,セメント,電力,などの基幹産業を始め,小売業,貿易,投資など

恒基兆業グループ 李兆基 不動産を中心に投資,建築など

新鴻基地産グループ 郭氏兄弟 不動産を中心に運輸,インフラ整備,ホテルなど

新世界グル-プ 鄭裕形 不動産を中心に投資,通信,~建築,ホテル,インフラ整備など

遠束機構 黄庭芳 シンガポ-ノレ良木園ホテル 邸徳抜

名勝世界 林梧桐 マレ-シア

アジア世界 鄭周敏 フィリピン

製造業 チ ャル ンポ - カバ ン 1921年 ,謝少初 ,少飛 タイ 東南アジア最大のアグリビ

(Charoen PokphandorCP, ト蜂集団機構)グループ の両兄弟による 「正大壮行 (HangChiaThi)」の設立現所有者 は三世の ダーニン .チアラワ-ノン) ジネスグループ

南亜プラスチック 王永慶 台湾 プラスチック関連の製造業,繊維,化学原料など

クオツク .ブラザース(KuokBros.Group) マレ-シア郭氏兄弟 マレーシア 農園からホテル,貿易,海運,不動産開発,食品,化学,保険,メディアなどコングロマリット型

Ⅵ一.機構 楊粛斌 製造業以外に電力,建築など

PT HanJaya Mandala●Sampoema 林天宝 インドネシア タバコ産業

関 連 金 融 機関 を もつ 創業 企 業 グ ル イン ドネシア中央 アジア銀行サ リムグループ スドノ.サリム (Salim) インドネシア 食品が圧倒的,不動産関連イン ドネシア国際銀行 黄変聡 商業と産業 分野から金融

-プ 金光グループ 分野まで

豊隆銀行 と豊隆 グルー 郭令明 (Kwek Hong シンガポー 不動産開発,ホテル経営,産

プ Pug ク アック .ホ ン ノレ 莱.消費者金融,貿易,製造

プ ンら四兄弟による設 業など多岐に,コングロマリツ

立) ト型

豊隆銀行 と豊隆 グループ 郭令燥 マレーシア 同上

力宝銀行リツポグループ 李文正 インドネシア

銀 行 を コ アビ ジ ネ ス とす る金 融 グル-プ バ ンコク銀行 陳有漢 タイ

首都銀行 鄭少堅 フィリピン

中国信託商業銀行 事梶甫 台湾

出所) 「国際華商500」 『亜洲週刊』 (1999年)より筆者が整理.

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76 季刊経済研究 第23号 第1号

すると同時に重化学工業化を促進 し,工業化を実現 した.これに対 して, タイはコメをは じ

めとする農業 と農産物加工を中心に輸出産業を育成 し,工業化を実現 したのである.タイで

は農業が工業化政策をつねに支えてきたのである.そのため,タイd)工業化は,表 1に見た

ようにNAIC (ナイク,すなわち,NewlyAgro-IndustrializingCountry)と呼ばれていた22).

タイの工業化の特別なプロセスのなかで,チャロン ・ポカパン (CP)グループ (以下CPグ

ループと略称する)はタイ最大のアグリビジネスであるとともに,有力な華人企業 グループ

として,タイの経済発展に大きく貢献 した.また,「アジア新工業化」のなかで,CPグループ

は中国を中心にアジア,世界各地域へ と進出 し,典型的な 「外資」 としての資本の出 し手 と

なった.この節ではCPグループのケースを取 り上げ,タイの工業化における華人企業グルー

プが果たした役割を具体的に検討する.

1.東南アジア最大のアグリビジネス ・グループ

チャロン ・ポカパングループ (CharoenPokphandGroup)23)の事業のスター トは,1921年

にタイ華僑の謝易初と謝少飛の兄弟が貿易商社 「正大商行 (HangChiaTaiChung)」を設立 し

た時点にまでに遡ることができる.「正大商行」は香港から野菜の種子や野菜を輸入 し,タイ

から鶏卵を輸出 していたが,1953年に養鶏,飼料などの農業関連産業にまで事業を拡大 した.

後に謝正民 (ジヤラン,謝易初の長男)とプラサー ・プングマ-ン (PrasoetPhung-kuman,

謝少飛の娘婿)が共同で飼料を輸入し,初めてチャルンポーカバンの名称を使ったのである.

チャルンは繁栄,ポーカバンは消費財の意味である.

1960年代後半,タイ国内では飼料に村する需要が増加 し,それに応 じて,タイ政府は飼料

産業への投資 を奨励 した.チャロン一族は1967年に ト蜂飼料有限公司 (CharoenPokphand

FeedmillCo.ud.)を設立 して飼料生産を始め,製造業分野へ も進出した.

その後,アメリカの多国籍企業 タールス トン ・ビューリナ社の既存工場 を買収 し,それを

St∬Feedmill社に改編 した.それ以後,引き続 き計四つの飼料工場を設立 した.1960年代には

化学肥料,種子の輸入,飼料の製造,販売を中心事業 として発展 してきた.このCPグループ

は,1970年代に飼料産業を中心 として本格的なインテグレーションに乗 り出した.

グループの総師である謝国民 (ダーニン-チアラワ-ノン)24)の発表によると,グループ

の参加企業数は実に225社に達 し,従業員は1万4000人,その事業はタイの他20カ国に及ぶ,

50社近 くの海外事業部を持つようになった.TheNatt'on誌によると、1999年度の農産品の収益

22)スイー元NESDB (国際経済社会開発庁)長官はNIEsと異なる工業化を実現したタイの工業化

を初めて 「NAIC」と呼ぶことを提唱した (梅津和郎 『発展途上国の財閥と商社』晃洋書房,1992

年,115ページ).その後,末席昭氏により広められた.

23)CPグループは中国車の投資の際,中国名の 「ト蜂集団機構」と 「正大集団」を両用 している.

24)創業者謝易初の四男であり,1969年からグループの会長に就任.

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アジア新工業化における華人企業グループの役割 77

における.タイの下ップ30社のなかで、CPグループは9杜を占めている (表 5の1999年タイ農産

品の トップにあるCPグループの傘下を参照)020年 もたたないうちにCPグループはタイ最大

の多国籍企業,そ して東南アジア最大のアグリビジネス ・グループで,かつコングロマリッ

トになっていった.バンコクのサラブリー県に1989年生産開始 したCPグループ最大の養鶏農

場 2カ所 とブロイラー解体工場がある.CPグループのブロイラー解体工場はアジアでは最大

規模である25).

表5 1999年タイ農産品の トップにあるCPグループの傘下企業

(単位 :MilHons(Br))

企 業 名 設立年(上場) 事 業 内 容 収益(Revenues)TOP30ランク利潤 ランク(profit)

1.CharoenPokphandFeedmill 1967(1987) 飼料生産 23,301.60 1 3,734.50 12.BangkokProduce 1979 アグロ関係輸出商杜, 21,244.50 2 133.90 45

Merchandising (1984) ブロイラー生産,解体3.C.P.Intertrade 1979 総合輸出商社 10,442.00 6 15.60 92

4.CharoenPokphandGroup 10,372.60 7 -240.40 1625.BangkokFeedmiu 1968 飼料生産 7,876.50 13 13.30 96

6.BangkokuVestock●Processlng 1973 ブロイラー解 7,429.80 16 80.80 587.ChiaTai 1983 農産物輸出 6,128.90 19 106.90 55

8.CharoenPokphandNortheastern 1984(1988) 飼料生産 5,333.60 24 21.00 86

出所)TheNationBusinessRevt'ewT('p10001999,Dec,を参照して筆者作成.

タイでは,1973年にシャム湾沖合で天然ガスが発見され,81年に商業生産に移った.CPグ

ループは東部臨海工業地帯計画の石油化学プロジェク トベの参加により,石油化学に進出 し

はじめた.これは,CPグループの事業多角化の動 きである. しか し,CPグループは依然 とし

てアグリビジネスを主要な部PEH二してグループの事業を展開 して きた.例えば,傘下の子会

社であるCPフィードミル●・パブリック・カンパニー (CharoenPokphandFeedmillPublicCompany

Limited)社の農産物加工は1999年現在の時点で依然 として53%の割合を占めている26).

1983年,CPグループは機構改革を行なった.現在,CPグループはその巨大な事業を10の部

門に分け,一種の 「事業部制」(図 1のCPの組織図と活動グループ 〔1997年〕を参照)を導入

し,各部の責任者には同族外の人間を任命 した.現在の事業部門は,種子 ・肥料 ・植物栽培,

アグロ ・インダス トリ,水産養殖業,国際貿易,マーケテイング ・流通,石油化学,不動産

土地開発,自動車 ・工業製品,通信 などの事業部がある.また,石油 ・動力,包装食品の両

事業部を設立計画中である.

25)末席昭 ・南原臭著,前掲書,77ページ.

26)CharoenPokph-andFeed'millPublicCompanyLimited社の詳細は以下のインターネットアドレ

スでアクセスできる :http://promes.wis呈.com/profiles/scripts/corpinfo.asp?CUSIP-C764EW370

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78 季刊経済研究 第23号 第1号

グループの資本は依然 としてチアラワ-ノン一族の支配下にあるが,1986年から,株式の

一部を公開し,その所有のパターンが改革された.すなわち,資本所有は,チアラワ-ノン

一族メンバーの直接支配 という旧来のパ ターンからグループの持 ち株会社 (CPグループ

co.,ud.),あるいは,グループの中核企業 (例えば,バンコク飼料工場Co.,ud.,CP国際貿易

co.,ud.など)の直接支配下に改革 した27) (図2のCPグループの所有構造 〔1994年〕を参照).

また,CPグループは同族外の経営者,技術者をも任命するようになった (表 6のCPグループ

図 1 CPグループの組織図 と活動グループ (1997年)

出所 :AkiraSuehiro,̀ModernFamilyBusinessandCorporateCapabilityinThailand-A

CaseStudyoftheCPGroup:JapaneseYearbookonBusinessHistow-1997/14,p.40.

27)AbraSuehiro,̀Modern FamilyBusinessandCorporateCapabilityinThailand・ACaseStudyof

theCPGroup,'JapaneseYearbookonBusL'nessHistory-1997/14,p48.

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アジア新工業化における華人企業グループの役割 79

の職階制 〔hdder〕を参照)28). 表 6に明白に示 したように,企業労働者の最低資格は高校卒

で,PC6の6Cのランクに属するが,_このランクの労働者階級は,PC4より上級のランクへの昇

進は認められない.PC4の最低ランクの4C以上は,修士学位 (理学 と工学の場合は学士が必要

条件である.PC4の4B以上のランクは修士学位プラス経験が必要条件 となっている.CPグル

ープのこうした傾向は,従来の華僑 ・華人企業の経営面での同族主義 (企業の重要なポス ト

図 2 CPグループの所有構造 (1994年)

42%

ChiaTa主Co.,ud.

Chirawanon家

CPグループ

Co.,ud.

49%

67%

33%

67%

35%

22%

高級製薬 Co.,ud.

バンコク飼料工場Co.,ud.

バンコク農場Co.,ud.

バンコク家畜加工Co.,ud.

バンコク水産養殖・農場

海底農場Co.,ud.

CP食品Co.,ud.

バンコク輸出Co.,ud.

バンコク製品マーチャンダイジング21世紀

CP国際食品タイCo.,ud.

CPセブンイレブンCo.,ud.

CPエンタープライズco.,ud.

CPエンタープライズco.,ud.

CP産業Co.,ud.

CP土地 Co.,ud.

テレコムアジアコーポレーション

バンコクアグロインダ

ス トリアル製品Co.,ud.

園亭所有地タイCo.,ud.

シーフー ドエンター

プライズCo.,ud.

CPノースイースタンPLC

KI.N.タイCo.,Ltd.

CoiaTai国際テレコミュニケーション

その他 16会社

出所 :AkiraSuehiro,̀ModernFamilyBusinessandCorporateCapabilityinThailand'- Op.ct't.,p50.

28)末席昭 「第2節 企業集団一再編 される勢力図」(末席昭 ・安田靖編 『タイの工業化-NAICへの挑戟-アジア工業化シリーズ3Jの 「第Ⅲ章 工業化の担い手一公企業 ・企業集団 ・中小企業」に所収,アジア経済研究所,1988年)95ページ.

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80 季刊経済研究 第23号 第1号

を家族 ・同族で握る特徴)から企業経営の近代化への移行 を示す典型例であると言えよう.

表6 CPグループの職階制

資 格 ランク 職 名 略 名 必 要 条 件

PC1高層管理階級 1A 総支配者 P 経 験 者1B 上級副支配者 SW 経 蕨 者

1C 副支配者 W 経 験 者

PC2中層管理階級 2A 社 長 GM/MO 経 蕨 者2B 取 締 役 GM′MO 経 験 者

2C 代理社長 GM′DGM 経 験 者

PC3下層管理階級 3A 部 長 DM,EM/ST 経 燐 者3B 部長相当専職者 DM,EM/ST 経 腕 者

3C 代理部長 .専職者 DM/DOMEM/ST 経 蕨 者

PC4監 督 者 4A 課長/監督役員 SM/SO 経 験 者4B 課長/監督役員 SM/SO 経 験 者

4C 課長/監督役員 SM/SO 修 士 学 位(理学 と工学学士)

PC5役 員 5A 役 員 1 OFl 経 蕨 者5B 役 員 2 OF2 4年生大卒

5C 役 員 3 OF3 2,3年生の短大卒

PC6★労 働 者 6A 農場職務頭 FH 経 験 者6B 労働者 1 W1 経 験 者

6C 労働者 2 W2 高 校 卒

(原注)★PC6に属す労働者階級は,PC4より上級のクラスへの昇進が認められない。

出所)Akira,Suehiro,̀ModernFamilyBusinessandCorporateCapabilityinThailand-ACaseStudyoftheCPGroup,'JapaneseYearbookonHistory,1997/14p.53.

2.CPグループの多国籍事業展開

(1)日本市場向け輸出

日本で 「キャンプ (CAMP)」のブラン ド名で冷凍ブラックタイガー,天ぷ ら用 むきエ ビ,

骨付 き ・骨な しチキン, もも,手羽,焼 き鳥,冷凍春巻,鮫子などの販売 に最初に参入 した

タイ企業はCPグループであった.CIiグループは,また,冷凍果物,野菜,缶詰め,ジュース,

犬,猫用のペ ッ トフー ドなども扱 っている. CPグループは冷凍食品の世界輸出の最大手企業

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アジア新工業化における華人企業グループの役割 81

になっている.

CPグループによる日本向け輸出の歴史を辿ると,1973年に初めてタイのブロイラーチキン

を日本に持込んだ時に遡れる.CPの輸出 (年間8万 トン)は1987年から,日本のタイ ・ブロイ

ラーチキン輸入の40%を占め,またタイの日本向けブロイラー輸出の3割 (タイ産ブロイラー

の9割は日本向け)を占め,アメリカを抜 き第-位になった29).

日本向け輸出は日本ハム,西友,明治乳業を通 じて輸出 したのが最初のルー トであった.

CPは1989年に堺市で直接子会社スタンダー ド・ユニオン社を設立 し (後に東京の本社と合併

し,東京へ移った),日本での直販ルー トを開拓 した.CPグループは日本 との合併事業も展開

し,1988年に冷凍チキンの受け入れ先であった明治乳業との合弁会社キャンプ社 (CAMPCO.,

ud.)を設立 し,対 日輸出向け冷凍食品の生産を開始 した.

1990年代,CPグループの中国投資の拡大につれて,中国から日本-の輸出が増大 した.

1985年にCPは上海での上海大江公司 (上海松江県の畜禽公司および飼料公司との合弁)を設

立 し,後にブロイラー解体処理工場 を二つ建てた.ここで生産 したブロイラーの60%を日本

向けに販売 している30). cpグループは投資国の市場以上にもっと広い範囲での市場に着目し

て,対外直接投資を行なってきた.

(2.) アジアを中心とする海外事業展開

CPグループは日本へ進出しただけではなく,早い時期からアジアにおける海外事業の展開,

アジアないし世界的な輸出 ・販売網 を構築 した.CPグループがスター トした時点の主要業務

は,香港から野菜の種子,肥料,殺虫剤などを輸入,タイから鶏卵を輸出することであった.

その後,香港を.アジア全域への輸出拡大のための拠点 とした.輸出,貿易部門の中心商社は

CPインター トレー ド社 (CPIntertradeCO.Ltd.)とバ ンコク ・プロデュース (Bangkok

ProduceMerchandisingCo.ud.)であった.

貿易事業部門,投資会社,製造会社をあわせて,CPグループの海外事業はタイの他20カ国

に及び,50杜近 くの海外事業部を持ち,タイで最初の多国籍企業 となった (図 2のCPグルー

プの所有構造 〔1994年〕を参照).

CPグループの海外事業展開は,主にアジア域内を中心 としたが,1980年代からは,アメリ

カ,ヨーロッパへ も拡大 した.アメリカでは,1975年に輸入販売会社を設立 した.また,CP

インター トレー ド社アメリカ支店は1980年代の半ばに買収 した,世界最大手の小売 り企業で

あるシアーズ ・ローバ ック社のアグリビジネス部門 (SearsWorldTrade)の事業を扱ってい

た.現在CPはこの会社を通 じてブロイラー,冷凍食品をアメリカへ販売 している.

29)末贋昭 ・南原真著,前掲書,75-76ページ.

30)大西康雄 ・丸川知雄編著 『アジア企業の多国籍化Jアジア経済研究所,1996年,178ページ

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ヨーロッパにおいては,ポル トガル, トルコに飼料工場, ドイツに「骨なし精肉」を輸出,

その後,オランダ,ベルギー,ヨーロッパへの進担拠点 としてベルギーに総支店を設立 して

いる.

(3)中国への大規模投資

アジアの華人企業のなかで,CPグループはもっとも多 く中国で事業展開し,中国投資で も

先導的な役割を果たしている.CPグループの最初の中国進出は,中国対外開放直後の1・981年

であった.CPが早い時期から中国へ投資に踏み出 したのは,中国における所得上昇に注 目し

て市場拡大の目的で対中投資を進めてきたからである.当時,CPはアメリカ穀物商社である

コンチネンタル ・グレイン杜 (ContinentalGrain)と手を組んで深川経済特別区で飼料会社を

設立 し,飼料生産および養鶏事業を開始 した.そのプロジェク トは必ず しも順調ではなかっ

た.CPグループが対中直接投資へ本格的に乗 り出 したのは,1980年代半ばに,書林,北京,

上海で飼料工場 を設立 したことによる.これらのプロジェク トは中国における飼料市場のシ・

ェアを10%まで拡大する計画に基づ くものであった31).この10年あまりで,CPグループの対

中直接投資は,ブロイラー事業 (養鶏,飼料生産をはじめ,種鶏,商業用ひなの醇化,ブロ

イラー肥育 ・解体処理,鶏肉製品の販売 ・輸出までの工程 を垂直統合 している),輸送機械

(オー トバイ),石油化学,不動産,金融などにその分野を広げ,中国に設立 した関連企業は

二十六省にわた り,二百数十社に上った.1995年までに,CPの対中投資の総額は60億元 (180

億バーツ)以上に上っている32).香港では,三社の上場企業を持ち,対中投資 もほとんど香港

経由で行われた.CPが中国全土に投資 しているプロジェク トは120余 り,投資総額は100億元

(約12億 ドル),総生産額800億元 (約94億 ドル)に達 している33). 現在,中国での年間売 り上

げは,グループ全体の3分の1強を占めている.

1994年に中国は外国直接投資の障害となった二重為替 レー トを撤廃 し,多 くの外資企業が

投資で得た利益 を本国へ送金できた.しか し,CPグループは中国での投資で得た利益は中国

へ再投資 し,中国での事業拡大 ・事業多角化を図ってきた.ブロイラー事業において,商業

用ヒナの醇化,鶏卵の生産などと事業多角化を図 り,上海では, 日本の多国籍企業本田技研

との技術提携でオー トバイを組み立て生産 し,オランダのビール会社ハイネケンと合弁で ビ

ールの生産をするなど事業を拡大 した.また,フランチャイズ店の経営 (ケンタッキーフラ

イドチキンの商標を使 う)にも着手 した.

なお,CPグループの中国進出における最大のプロジェク トは以下の二つである.

31)井上隆一郎 『アジアの財閥と企業 (新版)』日本経済新聞社,1994年,187ページ.

32)同上,174-5ページ.

33)大西康雄 ・丸川知雄編著 『アジア企業の多国籍化Jアジア経済研究所,1996年,125-126ページ.

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アジア新工業化における華人企業グループの役割 83

第一は,1988年に,海南島に総額20億 ドルで石油化学,セメント (年産100万 トシ)および

養豚,エビ養殖の四大プロジェク トに参加 した.第二は,89年3月チャー トチャーイ首相の訪

中の際,第一の案件 として中国における自動車 ・同部品の製造 ・組み立ての権利を取得 した.

CPは90年3月に上海自動車工業総公司との合弁で,カーエアコンの生産を開始 した.

1989年の天安門事件以降も開放政策を放棄 しない限り,投資を継続するとCPグループのダ

ニン社長は公表 した.1997年のアジア金融危機以降,98年にCPグループはオー トバイを含

む中国での事業の一部を売却 したが,CPグループの中国事業による利益がタイの本拠地を支

えていくほど多大であることはダーニン社長の年次報告で明らかであった.

それ以外に,CPは中国の国営企業 と合弁で,通信衛星を打ち上げてお り,衛星通信産業に

も投資 し始めた.通信事業については,タイの本拠地,中国だけではなく,アジア諸国での

通信網の建設に力を入れている.CPは通信産業分野を将来の発展の軸とする意向である.

Ⅳ 「アジア新工業化」における華人企業グループの役割

1.日米欧など先進諸国の直接投資との協力

「アジア新工業化」の第一の渡 (ウェーブ)といわれる東アジア諸国 ・地域 (とくに韓国,

台湾,香港といった東アジアNIEs)は,日本から機械 ・部品を輸入 して,工業製品をアメリ

カ市場に輸出した.これは,「アジア太平洋 トライアングル貿易」といわれる構造である.こ

の構造のなかで,華人企業グループは日本,アメリカなどの先進諸国の資本と提携 したりし,

外国直接投資との協力関係を結んでいた.

1970年代後半から80年代後半にかけて,とくに日本の場合は1985年のプラザ合意以降の円

高により,日本やアジアNIEs諸国はアジア域内への投資を活発化 させた.華人企業は日米欧

やNIEs諸国などの外資と合弁するケースが多い.それは現地の企業 と比べて,華人企業グル

ープは創業者 ・オーナー (所有者),経営者,技術者のいずれにおいても現地で優位性を維持

しているので,外資の最大のパー トナーとなり得たからある.

また,華人企業は外資の代理店としての現地業務を行なってきた.たとえば,マレーシア

の東方公司は日本自動車企業の本田の東南アジア総販売代理店として事業を拡大 してきた34).

シンガポールのYHSグループは,最初は中国から醤油製造所を移転 してきたが,シンガポー

ルでの事業展開ではペプシコーラ等の販売代理店として業務拡大をしてきた.1960年代にYHS

グループは外国の代理業務からシンガポールでの総合食品メーカーとしての地位を確保 した.

34)東方公司の詳しい事例は 「マレーシアにおける華人企業グループの生成と発展」(大阪市立大

学-の博士請求論文 「アジア経済発展における華人企業グループの役割に関する研究」〔1999年,

12月〕第Ⅳ章)を参照されたい.

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84 季刊経済研究 第23号 第1号

日系外資企業は1980年代後半から,ASEANへの進出は華人企業 と提携 して直接投資を行な′

うケースが少なくなかった..1999年7月,大阪市立大学の中川 ・古滞合同ゼ ミが松下電器を訪

問した際のヒヤリングでは,日本の松下電器のマレーシア進出は,まず華人企業と提携 して

行なわれた事例が紹介された.

以上のように華人企業グループは日米欧などの先進諸国の直接投資 と協力関係 を結んで,

アジア新工業化において実質上の担い手として大 きな役割を果たしてきたのである.

2.アジア域内直接投資の出し手

1990年代,とくに92年の 「南巡講話」以降,中国q)対内経済改革,対外開放が急速に進む

なかで,「アジア新工業化」の 「イントラ ・アジア (アジア域内またはアジア間)貿易」が進

展 していった.アジア諸国の華人財閥,華人企業グループはアジア域内直接投資に乗 り出 し

て,「アジア新工業化」における域内直接投資の担い手となるに至った.この投資の波はNIEs

からASEANへ,そして中国へと次々と移動 していき,1990年代後半以降,華人資本はアジア

の有力資本として改めてアメリカ ・ヨーロッパ,さらに日本へ進出し,海外投資先が拡大 し

ていった.それと同時に,アジア域内における対中国投資が盛んになった.それは,1978年

末に始まった中国の改革 ・開放 (第一次開放)が 「南巡講話」以降加速 し,華人企業グルー

プの対中投資が本格的になってきたからである (第二次開放).

表7は対中投資における東アジア諸国の政府および華人企業の状況比較である.華人企業

の村中投資への対応はその所在国の政府 と密接な関係がある.タイ,シンガポールの政府は

表7 対中投資におけるアジア諸国の政府の態度および華人企業の対応状況

国 別 政 府 の 態 度 華 人 企 業 の 対 応

タイ 1989年チャ- トチャ-イ首相を団長とする投資考察団が中国北京を訪問,中国における自動車,同部品の製造,組み立ての権利を取得 華人 (華僑の二,三世)も積極的

シンガポール 対中国投資を推奨 華人 (華僑の二,三世)も積極的

マレーシア 1999年初頭から 「南南協力」を授唱. 対南投資促進のために設立 された民間団

対南投資 .貿易 .技編情報交換セン 体のマレーシア南南協会 (MalaysiaSou仇

タ- (SouthⅠnVestmentTradeand SouthAssociation:Massa)がある.華人

TechnologyDataEXchangeCenter:Sm DEC)を設立 有力企業が多数参加.

インドネシア 対中授資を抑制 対中授資の担い手は一世の華僑が中心

出所)マレーシアは原不二夫 「マレーシア企業の対外直接投資」 (『アジア経済』第39巻,第12号,1998年12月).ほかの国は各種資料を参考に筆者が整理.

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アジア新工業化における華人企業グループの役割 85

対中投資を推奨する態度であったため,華人企業の対中投資 も積極的に展開 した.インドネ

シア政府は対中投資の抑制政策をとってきたため,対中投資は華僑の一世が中心であ り,二

世,三世の華人はあまり積極的ではない.マレーシアの場合,1990年代初頭から政府は 「南

南協力」を提唱してきたため対外投資が驚異的な増大があった.

中国は,1978年12月に経済改革 ・対外開放の政策を打ち出してから20年間で,国内におい

て画期的な経済発展を成 し遂げた.中国は積極的に海外の華人資本を導入 し,対外輸出を拡

大 した.とくに1992年以降,中国の改革加速路線を契機に海外の華人企業による中国進出も

加速 してきた.まず,中国南部の 「華南経済圏」の発展は,中国における経済発展の第-波35)

である.その結果,香港,台湾 と中国南部の経済協力関係が急速に強化 され,華人経済の世

界的なネットワークの形成が促進されてきた.

海外華人企業の中国向け投資ブームについて,香港中文大学の鄭赤瑛氏は 「プッシュ」 と

「プル」の両方の要因が働いていると指摘 した.NIEsとASEAN諸国の経済成長 とともに賃金

が急騰 し,悪化 した国内投資環境から脱出するため生産拠点を海外に移 さざるをえない状況

にあった.中国がタイミングよく経済改革 ・対外開放路線を打ち出 して,華僑 ・華人マネー

を呼び込むために事実上の優遇条件を与えた36).

中国の外資導入の実績は79年-98年に1825億 ドル (実行ベース) と記録 されている.中国

は,1993年から五年連続でアメリカに次 ぐ世界第二の外国直接投資受け入れ国となっている.

この多額の外資で海外華人資本は,その60%を占めている.中国対外開放の初期段階におい

ては,海外華人資本による直接投資の比率は80%以上だったとされ,その83%は香港,マカオ

企業によるものであった37).

各国の公式続計によれば東南アジア華人企業の村中投資はわずかであった. しか し,それ

らの統計は実態を正 しく表 したもの とはいえない.なぜなら,彼 らの中国向け投資は台湾企

業 と同 じく,直接中国へ向かうのではなく,香港を経由する間接的投資がかな りあったから

である.華人企業の対外投資においては,香港の役割は極めて大 きく,香港は華人ビジネス

ネットワークの拠点 となっている.華人企業はまず香港で出先機関を設立 して,香港資本の

形をとって対中投資を行なってきた.

華人企業の対外直接投資の要因は市場,技術,政治人物 との個人のパイプなどの面から分

析ができる.市場に関 しては,cpグループの対中投資で見たように,投資国の中国の多大な

人口を有する巨大市場を狙っただけではなく,もっと広い範囲で,アジアない し世界市場で

35)中国経済第一波の華南経済圏の発展に続き,第二波の長江デルタと第三波の東北部にある環

潮海経済圏の発展が目覚ましいものであった.中国経済の全三波 (ウェーブ)については,中川

信義 「中国経済訪問記」(『経済学論究』第53巻第1号,1999年6月)を参照.

36)鄭赤瑛 「華人資本,アジアを動かす- 香港中文大学の鄭赤瑛氏」『日本経済新聞』,1994年1

月4日付.

37)丸屋豊次郎 「華人・中国人ネットワークの拠点」,『アジ研ニュース』 No159,1994年11月.

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86 季刊経済研究 第23号 第1号

の販売に着目している.技術の面では,投資国のレベルを超えた技術を持って,投資を行な

っているのである.CPの場合,オー トバイは日本の本田技研,ビール生産はオランダのハイ

ネケンから技術提携を受け,技術的な優位性を確保 した.また,中国で事業の認可がスムー

ズに運ばれたのは,CPグループのダーニン会長が宋錯基首相と個人的なパイプを持っていた

ことも有利な要素になった.

こうして,華人企業グループはアジア資本の対外進出の有力な担い手となり,「アジア新工

業化」のもっとも重要な原動力となった.

Ⅴ 結びにかえて

本稿は,タイ最大の華人企業グループであるチャロン ・ポカパン (CP)グループなどを取

り上げ,外資の受け皿と資本の出し手という 「アジア新工業化」における華人企業グループ

の役割の分析を試みた.

「アジア新工業化」の過程において,「受け手」,「出し手」という対外直接投資の二面性をも

つ華人企業グループが果たしてきた役割を検討 してきた.この過程でとくに注目される.のは,

華人企業は,「アジア新工業化」における国内 (ローカル)資本として,外国資本との提携合

弁などを通 じて,外国直接投資の受け手であるとともに,アジア諸国の国内資本 として,ア

ジア域内向け対外直接投資の担い手であるという二面性であった.この転換過程では華人企

業は,財閥から企業グループ-転換 しつつあるプ ロセスのなかで,外国直接投資の受け手か

ら出し手へ移行 ・転換するダイナミックな変化があったということも重要である.それは経

営の近代化を遂げなければ,事業の拡大は不可能だったからである.

アジアの戟後の経済発展のなかで華人財閥が企業グループへ移行 してきた背景には,大規

模な組織運営が旧来の家族経営のままでは大きな困難があったことがある.近年,華人企業

の内部において,企業組織と経営の近代化が進んできた.CPグループは,本稿で見たように,

世代交替,専門経営者や技術者が出現 し,所有と経営の分離を成功させた典型例である.

近年,中国向け投資を始めとするアジア域内投資 (いわゆるイントラ ・アジア直接投資)

が急増 し,日本やアメリカなどの先進国の多国籍企業によるアジア投資 と対抗する勢いを見

せている.華人企業の対外直接投資の要因は,従来の華僑企業時代のような,追い込まれた

危険分散のための資本逃避ではなく,技術の優位性をもって海外市場を求めるという,いわ

ゆる多国籍企業の投資傾向が顕著である.また,対外直接投資か_ら得た利益は本国へ送金す

るより投資国国内に再投資 して事業の多角化を図っている.こうした事業の発展がアジア新

工業化の第三の波を形成してきたのである.

(2000.6.1受理)