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38
Kobe University Repository : Kernel タイトル Title <研究>フッサールの現象學における還元の思想(3)(""Reduction"" in Husserl's Phenomenology (3)) 著者 Author(s) 北川, 宗藏 掲載誌・巻号・ページ Citation 国民経済雑誌,51(3):459-495 刊行日 Issue date 1931-09 資源タイプ Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI 10.24546/00054366 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00054366 PDF issue: 2021-06-05

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  • Kobe University Repository : Kernel

    タイトルTit le

    フッサールの現象學における還元の思想(3)(""Reduct ion"" inHusserl's Phenomenology (3))

    著者Author(s) 北川, 宗藏

    掲載誌・巻号・ページCitat ion 国民経済雑誌,51(3):459-495

    刊行日Issue date 1931-09

    資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文

    版区分Resource Version publisher

    権利Rights

    DOI

    JaLCDOI 10.24546/00054366

    URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00054366

    PDF issue: 2021-06-05

  • ッサ

    ールの現象学における琴九の思想(其

    三)

    ..T

    現象学的還元,̂J現象学的来場

    々を感性的嘗泰の世外より純粋形相の領域に導き入れたところのものはー経験的意識そのものに必然的に作

    へる先験的なる内在的知覚の反省的はたらきであった.本質の世界誓

    たと払それが既に経験的嘗在からの還元

    によって純粋化された内在者であるとしても.いまだ形相といふ超越相にお

    ける存在であるが敗に、す+(ての甥

    象がそれにおいてそのごとき現象たり得もろ-

    の超越的存在規定がそれとしてそれにおSて構成され得るとJJ

    ろの絶封的なる

    「窮極的根源」(letZteU

    rs

    priinge〕T)

    即ち

    「物そのもの」(Sachensetbst)へ払たすらにたちか

    らんとする我々の拳的態度は'到底か1る形相的世界にとゞまることにも亦満足することができない。それ故に

    々は.再び同様にtJJの形相的なる意識に必然的に件

    へる鼠にヨ旦向次の反省的なる内在的知覚-

    ・「現象拳

    的内在的知魔」

    (ph.anomenotogisch・immanenteWahrnehmung)

    (2)I

    に本づいて.形式的および質料的なる

    形相の立場を去って'それに即して在る薪しき絶対的なる洗場

    へ進み行かねばならない(I?)。

    か-のピと-して

    々がこの場合再び同様に経験する立場の慶攻をIr現象拳的還元」(phがnomenE.gischeReduktf.n〕(4)、或は「先

    フジサ

    Iかの現象撃における琴光の思想

    (四五九)

    八五

  • 第五十

    …巻

    邦二親

    (四六

    〇)

    八六

    験的還元LCtranszendentaieReduktion)(5)'或はまた「先験的純粋化」(transzendentalleReinigung)(6)と名づけ、

    しかしてか1る新しき還元によって到達された薪しき立場を、「現象準的立場」(phhomenologischeEinsteltuntq)

    (7)~或はー

    先験的立場」(transzendentaleEinstetlung〕(8)と名づける。発散的還元においでも.形相的還元におけ

    ると同様

    に、皮省的なる内在的知覚は、まづ第

    7に.形相的立崩に『轡枝的「括弧」』(modifiZierende

    HKlammer。)

    (9)をほど

    こすJJとによって.「現象撃的判断中止」(phtan.menotogische仙7rOXlj)(10)或は

    「先験的判断中止」

    (tr

    anszendentate恥7"

    X4)

    (11)I

    これはまた

    「特に現象革的なる排除」

    (die

    speziかsch

    phtanomenologis

    che

    Ausschaltung)(㍑)としはれる1-の作業としてはたらき'攻に、か-して中和化されたものを、何らの超越的規

    定をみづからの中に.ふ-まや却ってもろ-1

    の規定の無限に豊かなる源泉たる根源的絶対者或は純粋内在者と七

    て.それ故にもはや形相的内在者としてゞはな-'十重的に明親する本質直観の積極的能作としてはたら-(。3)o

    従って'こ1に判断中止とい払或は本質痩観といっても.それはもはや'形相的還元におけるがごと-、自然的

    立場に関して、JJの立場における苦茶や縄験的諸革を排除Lt以てJJれをイデアに投じ視る戊省の流動ではな-

    して.それよりは

    T段高き段階において.形相的なるものに関して、か1る水質界および本質的諸嬰を無用のも

    のたらしめ(14)、これを『先験的なる「絶対者」』(dastransZendentate"Absolute")(tTZ')の中にうつLとるヨヱ尚次

    の戊省のはたらきでなければならない(捕)。

    それ故に現象堺的式場における本質直観は、もはや形相的立場を基

    礎づける形相的諦視ではな-して'却ってこれに礎底づけられた-

    それ政に今やたゞ現象聾的立場においての

  • み活動する

    I

    ヨリ高次の「反省的客質直親」(diereRektiveWesensintuition)(誓

    であり、従って、この立場にお

    ける絶対的存在も亦'もはや…単なる本質或は形相即ち「超越的本質」

    〔transzendenteWeSen)(18)ではなくして'

    いはゞ本質の本質或は形相の形相即ち

    「内在的本質」

    (immanenteWesen)(19)でなければ怒らな5(禁

    (1)

    Hussert.PIW

    osophiealsstrengeWissenschafi.S.347.

    (2)

    Hussert.ideen.S.139,

    (3)

    H

    usserI.a.a.0.S19i195,軸59160.S,Ill-LtS畳鰯。

    それ故にー我々はこの鎗合11も亦、形相的琴刃においてさうであっi1やうに、形而上車的なるものへ担越しょう1)する

    ・りではない。この新しさ立場における『絶封的髄験に、形而上聾的構成ではなくして、笛該聖止揚り撃見によって、その

    鵜封性の申t二おいて疑ひもなくあらほになるこミのできるiめ.直壕的直観_こおいて輿

    へられるものである。』(H

    usser1.

    a.a.0

    .S

    .)06_)

    (

    4)

    Uusserl,a.a¶OIS.69,94.

    (JLこ

    Husser】,

    a.a.PS.60,.109.

    6

    )Husserl,a.a.0.S.i)ll

    へ7)

    Husserl,a.a.0,S.204=.これは

    『純粋_こ形相的なる、すべての穣額の超越者を「排除する」立場』(Husserl,a・a・0・S・

    177)

    ミもいほれる

    .

    (8)

    Husserl,a.a.0,S.95.フッサ

    ール1.現象魂的立場にこ封して'他の二つの立象印ち形相的立教寸」自然的立教ミ私包括

    して'も

    ちろん認識論的に見てゞにあるが、「猫

    断的立場」(dogmatischeEinstelJung)ミ呼んでゐる(HussertBa・a・0・

    S,119,)O

    フッサ

    ールの現象学における琴

    九の思想

    (四六一)

    八七

  • 第五十

    一巻

    第三戟

    (四呆二)

    八八

    (9)H

    usser1.a.a.0,S,

    2相・3.

    (10)

    Husserra.a.PS,55-57,

    (‖)

    Husserl,a.a.0,S159.

    (

    12

    )

    H

    usserJ.a.a.0.S.i】9.

    (13)現象単に

    -のご,rJ古手経にょつて我々_二塁露され半枚界の措智なる記述をその謀W

    rJするものであるが故に'我々は

    =9,,Wからして~キナスfLのいふやうに~現象聾の方法ミして、「記述の性格」(derCharakterderDeskripti

    o

    n)1,

    「本質諦戒」(dieWesenserschauung)i.括弧に入れるこミ」(dieEinklammerung)ミの三

    つを数へろこ

    ミが

    できる

    であ

    らう(Kynast,DasProbZemd

    erPhanomenologie・S.33参照、)0

    (14)

    H

    usserl,Ideen,S.〓

    4畳鰯~

    (

    )

    Hussert,a.a.PS

    .163,

    (16

    )Hussert,a.a10.S,)01参照、

    (汁)Hussert,a,a.OIS,tSJ,

    (18)HussertJa.a.

    0.S・lt4・

    (1

    )

    fhsserZ,a.a.O.S,ill.

    ,,れほ質料的(materiajJTILGるもりであるTJ喋られるハ芯usser3,Pa・O・S・)33,236参照')。

    (州U

    I,・の意煉

    .1二おいて、現象撃的琴

    刀も亦、

    1t種の形相的革

    光-与

    りろん本束の形相的革

    冗よりもヨユ続き段階における

    もりでけちるが-

    である?)考

    (や

    J・rJができるであらう

    O『イブエソ』四賀の形相的,m元なる爵ほむしろ,lの廉

    い意味

    .1こ解せらるベJrJであらうO

    しかしながら'形相

    的還元と先験的還元とは-全

    -異

    つき

    山つの方法

    ではを-し

    て.むしろ同

    山の戊省的活動

  • の連結であるO現象撃は、その翠的着手を日常的なる事象性に求めはするが、畢にか1

    る経験的に規定せられた

    存在をぽかりでな-~形利的なる或はまたその他の何らかの規定を括ふ

    叫切の相封的存在

    -従ってそれについ

    てのもろ′1

    の認識-

    を.それに必然的に伴

    へる反省的意識のはたらきによって排除すると共に、如何覆る規定

    にもとらはれざる(1)絶対的純粋現象としての鵜原監

    退り行-ものでなければならなS。しかも'もし現象率的

    立場以外の何らかの立場をそのまゝ

    現象撃の中に導き入れるならば、それはまさしく立場の

    FL8-TdPa]E巾であり'

    またかもる立場の艦爵こそは現象鍵の厳密なる畢間性を撹乱するものであるハエ

    が故に、現象学は常に細心なる

    厳密さを以て琴

    冗の手続をあらゆる鏡野に徹底せしめなければならない(3)。か-して.特定の立場を

    ヨ且向き

    立場

    へ払るが

    へし見る「反省的なる璽様」(refieJLtiveModi欝ationen)(4)こそはー現象学

    kJして現象畢たらしめる

    鼓も根本的なる方法であるとSはねぼならなSo賞に

    『現象輿的方法

    (dieph即nomenologischeMethode)

    は金-

    反省の作用の中に劫Sてゐる』(lユのであってー従って'『現象撃は本質確立を反省に詳し-は反省的なる本質直

    観に負ふてゐる0誓6)

    形相的還元とい払~或は先験的還元とSふも.たゞ

    か1

    る反省そのものが-

    1は自然的

    立場に闘して'他は形相的立場に闘してp活動することに準かならなSt)それ故にこれら二つの還元は同

    叫の現

    象饗的方法に包括され椙べ-.還ればこそ蕊取これらは験

    sBf息味に忠霊

    し包括的に

    「現象笹的還元」と名づ抄ら

    れること

    もできるであらう(7)0

    (1〕

    Husserl,PaIO.Sll)

    6参照、

    フツサーかの現象撃にかけろ琴冗.り思想

    (四六三〕

    八九

  • 第五十

    1番

    第三磯

    (2)

    H

    usser・],ldeen,SL75・

    (3)

    H

    ussert,a

    ,a.0,S.Lt7,

    (四六四)

    九〇

    (4)

    Husserl・a・a・0・S。)48・『す

    べての

    相戦の「

    反省」隻

    識壁

    棟(BewuS

    StSein,smodiB

    ka

    tion)

    Sl-

    しかも原理的にすべ

    誠が

    経験する=

    のできろ意識蟹

    機り

    '

    性格をも

    。』

    (fJusserl,a.ad

    o.S・

    1

    48・)

    (5)H

    u

    ss

    ert,a.a.0.S.)44.

    (6)

    Hussert,

    a.a,0.S.tSS〟

    へ7〕Husser

    1.

    a.

    a.0.SL59,9Ll.103,it5重昭州、しかしながらフッサールに、形相的なろ琴冗な

    「第

    一次的琴冗」、塊駿的達

    元を

    「第

    二次的琴

    寸し呼び'前者が基礎的f・/みろ・'J述べてゐる

    (fTusser】,a・a・()・S・lt・5・).

    何らかの具鰹的覆る-

    自然的なるものであらうと形相的なるものであらうと-

    規定を膳

    へる意識と対象と

    の組向関係が、革に潜在的なる関係にとゞまらすして、現茸にそのごとき税向関係として成立するとき'またそ

    の限り、か1

    る硯資的なる意識開係は、常

    に自費的なる梗省的意識-

    内在的知覚

    -によって件はれて居り.

    また必然的に伴ほれてゐなければならないT

    )。

    か-のL)とく内務的知覚によって自覚せられ斥省

    せられる七と

    なくしては'意識と封象

    との関係は斬在的にそれとして現象することは到底不可能

    であるから-内在的知覚によ

    る斥省的志向は、もちろんそれみづから孤立して在り得ず常

    に何らかの規蜜的規定的なる硯向関係と共に在らぬ

    ばを

    bないとしても、それにも拘らず却

    ってもろ

    -の意識と封象との関係生

    り詑ならしめる根源的なる永質的

    意識でなければならないOそれ故にか1る「内在的

    に知覚する反省LCdieimman

  • は「腰鹸領域の根本特性」(Gi・undeigcntdmlichkeitderErlebnissphare)(3)を形づくるOブレンタノは、精紳現象を~

    7に「対象の志向的内奄」(dieintentionaleinexistenzeinesGegenstandes.)或は「内在的封象性」

    (dieimmanente

    G

    egenstJandlichkeit)として(4)'夏に第二にかもる志向性が「

    内部知覚」(dicinneTeWahrriehmutlg)によって伴ほ

    れてゐるとJJろの自覚的意識として(一ヱ~特性づけ(6)、しかもこれを以て「精紳税象」.‥psychischesPh.anomen)敬

    「物理現象」(physischesPhanomenjから直別する鍵鎗たらしめんとした(7)。

    しかしながらブレンタノにあつて

    はT内部意識」(inneresBew

    usstsein〕(ccjが現宵的なる志向性に件

    へることは'もちろんそこには内部意識が規鷺

    的なる志向閲係を可能ならしめる木質的場面であるとの思想の萌芽もないではなかつたが(9)、

    Sまだ単なる心

    理率的事賓として考

    へられてゐたに過ぎなS(川)。

    しかしフ′ヰ

    -ルはか-のどとき

    「ブレンタノの劃時代的な

    る提起」(11)の中に、現象笹的思想

    へ純化され牽展せしめらるべき意味深き示唆皇

    試みとるととができた(S)。

    アササールにとつては~常に規茸的なる志向に伴ってありしかもこれがこれとして辞在することを得せしめると

    ころの反省的なる内部知療(ほ)は、ブレンタノにおけるごと-軍に意識の事鷺的なる

    7作用に過ぎ夜Sものでは

    良-して.却ってすべての朗在的なる意識と対象との税何周係がそれにおSてか-のどとき鳩のとして構成され

    るところの発散的なる意識の本質的場面(巴

    でなければなら夜かった(15)。しかもかくのごとき免験的なる本

    質的場面は'内在的知覚の直観的意識であるが故に、それみづから既に、作用のその客鰹

    への関係、即ち志向性

    の構造を以て特性づけられてゐる。か-して、ブレンタノによって単なる心理拳的事象と考

    へられた志向性その

    フッサールの現象聾における琴冗の思想

    (四六華)

  • 第五十

    一番

    第三親

    (四六六〕

    ものも亦'先験的なる意識の構造にまで純化されざるを得なかった(16)。

    寛にかくのごとき接省的なる志向性の

    意識とそは、もろ′~

    『「精細現象」或は

    「作糊L

    の泰質規定性

    (Wesensbestimmtheit)』(17)を形成するもので

    なければならない.内部知魔が常に薪在的意識に伴ってゐるとSふことは、貫に心理嬰的なる偶然約番葦を意味

    するのではな-して-何らかの超越約

    -自然的或は形相甲

    -

    規定煙を櫓ふ顕在的なる硯向関係が、内在的知

    盟の自費的反省的なる本質的意識におSて在り、またそれにおSてのみ構成せられてあることの

    「木質必然性」

    (Wesensl"tWendibUkeit)を意味するのである(18)。それ故に内在的軸線は規定的翫在的なる志向の段階よりも

    l段

    高き次元の党験的意識JJして~低次のもろ-1の現象をみづからにおSて顕現せしめ得る本質的場面でこそあれ'

    決して寄算的なる精紳現象と同列におかる+(き低次の意識であってはならなS。自然的立場における意識と対象

    との揮散的なる硯向関係も~それがそれとして現象して在らんがためには-必然的に.先験的なる内在的知覚-

    形相的世界を形成するところの-

    によって件はれてあるべきであり~それ故にこそ、鷺に.自然的経験的意識

    紘.か1る高次の本質的意識において蜜在的に構成されたものであると共に、ま充簡弧に入れられることによっ

    てか1る高次の形相的世界に還元され、か-して薪しき立場において見直され得るJJとムもなるのである0か-

    して到達された形相的立場におけるイデアと本質直観との形相的縄向舶係はーさらにまた.それがなは形相とS

    1種の超越的規定を帯同するものである眠り¥同様に、ヨユ向次の絶対的意識としての内在的知覚~

    「現象

    塾的領域」(dasphB.nomcnolo賢

    cheFeid)〔19)を形成するところの~

    ・によって必然的に伴はれてあるべきであり、

  • しかしてこの必然性とそはまた、形相的立場が判断中止の手紙を経ることによって現象拳的立場に払るが

    へさる

    べきことを可純ならしめるところのものであるQ

    か-のピと-.形相的還元と先験的還元との二つの

    「立場の轡

    更」(Einsteliungs即ndelu3gen

    )(20

    )揺.自然的立場或は形相的立場のそれ

    Ar、に必然的に伴

    へるm.ヱ向攻の反省的

    意識に、その根域をもってゐるのである(那)O

    それ故に現象撃における還元の塾的方法は悉-か-のどとき存在

    自身の反省的構造の必然性の中に終始するものとSはぬぼ怒らなS

    (讐。葦に反省jJそは現象革的方法の精髄で

    ある(讐

    。「純粋なる鰐駿領域

    」(dieTeineErlebnisregion〕(警

    は'たゞか1る反省によってのみ'我々にそのあか

    らさま覆る姿を露口三するに至り.か-してはじめて現象笹的研究の主題となることができる。反省とは、まさし

    『その中において.すべてのその多様なる出凍事

    (照助の諸契横.志向的なるもの)を有する鰹験流が、明澄

    的に把捉し得るものとなり、分析し得るものとなるところの作用に封する名』、或は『意識

    7股の認識にとつての

    意識方法の名』である(翌

    (1)

    Husserl,IdeerT.・S・345148;LogischeUntersuchullgen・Bd.I{・Te:,二・S・)06⊥07,Sr)4=巷照ーフッサールii、LrP経験

    的鴨故にに、そ望風味の前提寸Jして'砲封的醒駿が封立してゐろ』(Husser)Ldeen.S.106・)ミ述べてゐろO

    (2)

    Hussert,Ideen・S・150・

    (3U

    Husser]Ja.a・0・S・144・

    (4

    )

    ブレンタ

    ノほ次のやう

    に述べてゐろ

    -『すべての

    檎紳現

    象(jedes

    psychisc

    hePh

    a

    n

    omen)i

    .中世の

    Tl

    ラ哲学

    者が

    ~

    封象の志向的なる

    (ま

    た箕

    に措柵的

    怒る〕内在(dieintentionat

    e(a

    uchw

    oht

    menta

    leこnexistenzeinesGe

    genstandeS〕

    フッサールの現象学における,ql光り思想

    (四六七)

    九三

  • (5〕(6

    )

    (7)

    (8)

    (

    9)

    (

    10)

    第五十

    1懸

    第三瀦

    (四六八)

    九四

    1J名づけた言

    のもの、まi1我々が、もちろん全く隊味でないではない1J,、ろ望

    百葉を以てで托あるが.内容

    へ由緒

    係J等醒(このも1Jに,)ゝでは箕を性が理解さるべきで托ない)

    への方向、或は内衣的封象性

    (dieimmanenteGee,uen・

    standlichkeit)ミ考つけたでちらうところのものによって、樺色づけられてゐろ。』

    匂.Brentano,Psychologie

    vom

    e

    mpirischenStandpunkt.BdL,PhitosophisheB].btiothek,Bd,)92,S.124-5,)

    アレン

    タノはさらに攻誓

    ・J・いふ--

    『すべての結納現象の、他の共通なろ一韓性に、それらがi1ゞ内部意識におい

    てのみ知覚されるミいふこ

    Jヾである。』(Brentanota.a,0.BdL.S.)28.)

    ノほ、構紳現象の特色),して、以上竺

    7つのほかに、さらに「現賓的箕存性」(wirklicheExistenz)

    寸J.「潜に統

    言Jして

    現象するこ1JL(immeralsEinheiterscheinenU1,竺

    な数

    (てゐる(a,a.OIS.1Lr!6ff.参照、)o

    Hussert,LogischeUntersuchungen・Bd・II・Tei12,Beitage竃・S・229-2∽)を参照ぜよ。

    Brentano,Psychotgie.Bd.I.S,)28,

    Brentano,a.a.0.Bd.I.S.196ff.;HusserL,LogischeUntersuchungen.BdLl.T

    eit2.Beiiagea4,S.231-233参階、

    Husserl,LogischeUntersuchungen,Pd・Ii・Teit2・S・2相8-239・ブレンタノが、熔紳現象に件

    へろ内部知覚を、現賓的

    なる志榊性そのものミ同様に.心理学的事軍~)して考

    へた,JT,1'心理聾者1,して、まさにこ然るべき=亡であらう。ミ

    =ろが彼に、p,れミ共1-内部知覚に「硬質性および直額的明澄性」

    (dieUntragtichkeitundunmittelbareEvidenz)

    の埠性を認めi1(BI・entanO.Ps

    ychotogie,Bd・I・S・196;Husserl,Log山scheLTntersuchun

    gen,Bd.ⅠⅠ.Te]IL2・Beilage

    芸.S.231-2?,3巷照、).しかしながら、仔細に吟味するならば、『内部知覚ミ外部知覚.明

    託的知覚,iJ非明静的知覚、な

    ろ封概念ー工合致する=TJのでJrJない』(Husserl,a・a・0・Bd・II・Teit2・S・239・)ものである.即ち前者は寒害的経験的

    なる封立を亦す_こ放してー後者に-

    これはフ

    ッサールによって十全

    的知覚?}非十全的知覚・rJの封立に攻められたので

  • にあるが

    -先験的認議論的bf・iる封立をポすもり

    しヾいはねばならな

    い。ブレ

    ンタノ_二あつてに、か-のご亡く食致すろ

    こミのできない二様の封立が~明確に剤別されそ

    JTJなく~不明瞭_二浪汚されてゐた(Husser

    1.

    a,a.0.Bd.IZ.Teit2.

    Bei】agea6・S・237-240し。=~に'フッサールが、ブレンタノの内部知覚右党験的意識に吹樺

    て、現象拳的領域布鞄

    拓するに至つi1意味深さ二が唾がびそんでゐたのでみる。

    HusserZ,

    PhitosophiealsstrengeW

    issenschaft.S.304.

    Husser],Ideen,S.174;LcgischeUntersuchungen,Bd.If・Teilt.S.36i;Bd.lIITeit2,Beilage伽3-6.S.229-t240;

    FormaleundtransZendentaTeLogik.S.2i4慶照、

    Husserl)Zdeen,S.8…T84参照

    '術語上の疑義に柵ひぜられないiIめに-1フッサールによってp「内部知慢」(innere

    W

    ahrnehmung)は「内木的知発」(immanenteW

    ahl・netmung)にこ、「外部知覚」(AussereW

    ahrnehmung)に「超越的知

    覚」(transzendenteW

    ahrnehmung)に晩や.rrL㍗

    (Husserl,a.a.0.S.68;LogischeUntersuchmgen.Bd.iI.Tell

    1.S.439-440.)O

    『第

    l石意詫

    概念〔内部知覚〕托

    「ヨ?機転的なろ」概念、しかもrそれ自醍発行」の概念である』(Husser],Logis

    che

    U

    ntersuchungen,BdLf.Teiこ.S,3・56.)ミフッサー

    ルは述べてゐろO

    Husserl,Zdeen.S.)最上

    47;LogischeUntersuchungen,BdLl.Teil山.S,Ir354-359参照、

    ラ,tヅ

    ほこりこ?J私目して次のやうにいってゐる

    -『これミ共に、フリサー

    ルは

    、それにおいては志向の板(d

    iePole

    derlntention)にもはや心的作用

    (derpsychischeAkt)言ての客髄,,Jではなくして、捜念的知識

    (dieidea]eW

    issenI

    schaft)ミ捜念的存在(dasideaieSe]tnt)rrJであるやうなヨユ抱き段階の志向性の草

    ‥Lehrevonlntentionalitath6herer

    Ordnung)に基礎私輿

    (Li。』(H.Lanz,DasProblemderGegenstandlichkeitindermodernenLogik.Kantstudien.

    7,,hサーかり現象聾における琴光の思想

    (四六九)

    九五

  • 第五十

    一食

    第三携

    (四七〇)

    九六

    ErganZungSheft・Nr.

    26,]9㍍・S.SP一箪

    )

    (17)

    Ilusserl,L

    ogisch

    eUntersuchungen.dd.(Ⅰ.Tei二

    .

    S..368.

    (18

    U

    Hussert,Ideen.S.(6参

    照、

    (19)

    Hu

    sser1.a.a.0.S.139.

    (20

    )

    Husse

    rI.a.a.O.S.)48.

    (21)Husse

    r1.a.a.P

    S

    .148,

    (

    22)

    Husser1.

    a,a.0,S.144,

    (23)

    それ

    故_

    '

    学的

    態度

    に、『尿管

    しながら.また超越的諸定立を排除

    しながら.絶対的な、純粋な意識に向ひ行きPし

    かして今

    紹封的髄験の状態把損な見出すJ(Husserl,a・a・0・S・104=・)?J,え

    の態度である・,Jいふこ.,,がで与る。

    (24)

    Husserl,a.a10.S.)14.

    (

    25)

    Husserl,a.a.0.S.147.

    現象軍的立場は.ちようど形相的立場が自然的立場に嘩底づけられてゐると同様に、形相的立場に礎底づけら

    れてゐる。従って現象拳的立場は、直接に自然的立場に連るものでは夜-して.直接には形相的式場に接するこ

    とによって、たゞ間接的に自然的立場に蓮るに過ぎ

    ない0本質なる

    7種の超越的性格を培ふ形相的意識は.二剛に

    述べたやうに~ヨユ向次の内在的知覚の反省的志向によって-必然的にそのどときものとして自覚せられてゐな

    ければならないのであるが、JJの内在的知覚は、形相的意識よりも

    一段高位の意識として'それに形相的意識が

    還元され解ると共に.それにおいて本質的意識が構成的に成立し得ると,Uろの先験的なる場面である。しかして

  • かJる党政的なる意識の領域は.もちろん形相的存在紅綬底づけられてゐなければならなSのではあるが、それ

    政にこそ却って形相的聴牌から巌祭に笛別せらるべき「套鰹の現象軍的なる領域」〔dicbUdnNephanomermlogische

    Region)(1)を形成するものである。それ故にか1る現象聾的領域を基礎づけこれを可紹ならしめるものは

    '恵さ

    し-かの内在的知覚の直観的志向

    ・-伽ち「現象輿的直観」(die首homeno】ogischeintuition)(2)--幸

    なはれば

    ならなS(3)O自然的立場を基礎づゆるものが感性的なる直親であ歩'形相的立場を貰-ものがか1

    る経験的直

    観に礎底づけられた本質直観であったやうに、今や現象嬰的立場を可能

    にするものはー笹に茶庭なる概念的思惟

    の活動ではなくしてー形相的直観に~従って間接にはまた経験的直観に、礎底づ抄られながら.r先験的現象嬰的

    領域」(tl・dnSZendentat旦tanomeno

    io

    gis

    chcSph.are〕(4)をあからさまに諦視する本質直観でなければ在らない。こ

    こに等しく本質直観といってもpそれはもはや形相的立場におSて超越的イデアを諦翫する本質蔵相ではな-し

    て'それよりも高次の現象拳的立場におSて、何らか

    の・-II-r・-経験的或は形川的

    -規定をもはやみづからの中に

    ふくみ得ざる絶対的内在者を明翫する別榛の本質直観であるべ-P従って雨着の混同さるべきでなSILとも-ち

    はや明かなことで象るであらうO現象輿的立場の根捗と覆る本質直観は、もろ~

    、の形相的意識を′-・-従って間

    接には

    小切の経験的意識をもぎ

    -

    すべての限小疋性の根源たる絶封者の中にうつしとる十令的直観tL.あるが故に'

    本質直観の作用そのもの私-今や何らかの超越性を帯同する限定的相対的なる作梢ではな-して、却ってもろも

    ろの限定的直観--

    1経験的直観や形相的立場における本質直観等・--

    の絶封的なる根娠たるべき作用でなければ

    ッサ

    ールの現象聾における琴刀の思想

    (四七二

    九七

  • 第五十

    一魯

    第三溌

    (四七二)

    九八

    ならない。

    (1)

    Hussert.Ideen.

    S.59.

    (2)

    Husserl,Log叫scheUntersuchungen.Bd.il,Teit1.S.410,

    (3)Husserra.a.0.Bd,ll・TeitT,S・439-440・こ~_ニーェ次のや

    うな注目すべき文革が見出される-

    『現象準的東態の

    碇立は.その認識根接私決して心理学的経陵の中に、特.1また自然的なる言葉の意味における内部知覚の中に'もっこミ

    がでJr,ないのであって、むしろiiゞ本質他的現象尊的本質諦成(d).eideirende

    phanomenologischeWesenSerSChau-

    ung)の中にのみもっこ亡ができろ。』(i:Iussert,a,a.0.B山,iIITei二・S・439,)

    (4)

    Husser1.7deen.S.)15.

    々は先験的還元の手粒を経て漸く

    「現象笹的世鼻」(diep

    hがnomen.1.gischeWeL-UT

    )にさまよひ入ることが

    できた。現象嬰的立場における「拓封界」(dieabsotuteSphare)(2

    )

    はー形湖的還元にょつてあらはにされた本質

    界が'再び現象嬰的還元を経て.夜はそこに嘩るところの耽界であるが故にーこれを

    「現象拳的竣基L("Ph.bLn?

    menologischesResiduum")(3)或は「党政的竣基」(t・L・anSZendentalesResiduum)(4)と呼ぶことができるであらう。

    しかしながら.こ1打「韓基」といっても、それは決して経験的なるもの及び形相的なるものを引去った韓飴を意

    味する(5〕ものではなくして、却ってこれらのものを荊弧につ1

    みつJ(

    -)みづからの中にとり込むJJと収よっ

    て、

    1朝のものを験すところな-包括する鼻腔者を意味するものでなければならなS。それ故

    に、現象撃的亀封

    存在は、それにおSて苦在的ならびに観念的諸現在性

    (diercat{mundidepLILCnW

    irklichkeitenjが「代表し(Vertreten〕

  • (7)されるところの、きはまりなく豊かな、最の意味にお

    ける.r垂肥者」(dasAtldesabsolutenSeins)(8)でこそ

    あれ、決して内包の費しき抽象的

    7般者であるべきではないQそれは、

    1切の超越的存在準

    正の琴

    冗し毒された

    るものであるが故に、みづからの中にもはや何らの超越的限定をふ-まざる「純

    現象」(diereinenPh即nomenej

    (9)である+(-.さればこそ語の最‰緊密なる意味にお

    Sで艶封的なる「純粋内在」(reinelmmanenz)(10)と呼ぶ

    に値するものである。か-のどと-、現象啓的領域はそれみづから「不規定的Lハunbestimmt)なる内在者であるの

    であるが、またその耳由から、却って

    …朝の存在規定がそれにおSて構成せられ'あらゆる超越的現象がそこよ

    りきはまり夜-豊かに生れ出づべき「可視是的」{best山mmbar)なる「創造的姶原」(schapferischerAnfang)(ll

    )

    でな

    ければならない。それはまさし-すべての超越者をみづからの中に減しみづからにお5て「構成し("

    konstituiel・en'')

    する「絶対的存在

    」(dasabs.IuteSein)である

    〔誓。かくして、感性的なる超越者や形相的なる超越者はSはすもが

    な、抱封者として思惟された形而上翠的なる「神の超越性」(dieTranszenden2;Gottes)-

    『世界からばかりで夜

    -明かにまた「拓封的」なる意識からも超越的である』ところの-

    すらも亦

    (13Utか

    1る純粋現象の場面に、そ

    の母胎をもつものでなければならない

    (S).それ故に現象拳的領域は.『その中にすべての他の諸存在領域が根ざ

    し.それにそれらがその水質に従って関係し、それ故にそれらが悉-本質的に依存してゐるところの.存在

    1般

    の根汝的範噂(Urkategorie)(或は我

    々の語を以てすれば根源的領域(Uri・eg州on))ら(LB)換言すれば

    「抱封的柏原の存

    在領域」(Sei

    n

    ssph.areabsoluterUrsprdnge)(16)であって、さればこそもろ-

    の存在灯おける露に存在的なるもの

    フッ

    ールの現象学_こおける琴Rの思想

    (四七三)

    九九

  • 弟五十

    一番

    第三魂

    (四七四)

    100

    とSふ'(-、また最も厳密なる意味

    において「存在」と呼ぶに値するものである0絶対的内在

    の領野は、か-

    のピと

    -.すべての超越性がそこより出でてそこに還り行く「産出

    の源泉」(UrquellevonEr

    zeugungen)(汀)であるが故に'

    まねもろ

    -1の遠元の窮極

    であり.従

    ってみづからはもはや還元されることを要せざる

    「範封者」("Absolute肝rL)

    蒜)たるものであるLTか1

    「必然的なるまた絶対的なる存在」(19)の世界こそはサブリ

    ールによってはじめて

    我々に開示された「新LS墳問的領域」(die

    neuewissenschaftLicheD・mane)爺)-

    軸ち

    F現象串の税渡的領野」

    (dasGrL

    mdfeldderPh㌻omen.i.gie).(巴

    1

    であって-

    .'.7カル㌧

    -ム'カントはたゞ自覚な-してか1る

    偵域に接近はしたれへ警

    -

    いまだ如何なる先哲

    によっても.厳密在る畢間の主題として開示されることのなかっ

    た「新しS世界」(ncucWclt)(班)である。

    1〕

    tiusserl,ldeen・S・芦

    〔2

    )

    Husserl,ala.0.S・97・

    (ctU

    Husserl.a.a.O・S・59994・

    (

    14)

    Husseこ,a.a仲o,S・109・

    (5)

    もLかく警

    "

    さものミして謀り考へられるならばざ

    れはまさしく「アプリオりの賓窮地」〔Re].mach,tjTberPhanome・

    nologie.泡J探三欝書二二八貢Jである。

    (I_-

    現桑野的残基にこれらのものみ決してそのま~みづからの坤tiF,Jり込む-

    かくの二)・F言Jはまき.1二大いなゑ且凝り

    ju

    eTdJ?rXま

    であゑ

    IhIsscrl,Irieen・S・=5・)-・の∴‥)にないO我々は『意警

    在性

    JヾSL問に意味の大いなる深淵がよ

  • 二六につてゐる』ハHusserl,2・a・0・S・93,)こ寸志

    あくまでも忘れてはならない。

    〔7

    )

    Ilussert,a.a.0.S.2791

    (8)

    Husser山,a.a.O.S.(36.

    (9

    Husse1・l,LoeEischeUntersuchung声

    .忠

    .Te〓'1.S.2:36.

    ,]10

    Husserl,Ideen.S.ご:?.

    (‖

    HussLitJ叫,a.a.〇暮S.9.芸:3.

    (ほ

    )

    誌ttsserj,a.㌘

    O.S.9i.

    (描

    )

    Husserl)a.a.0,S,uO-

    〓山・

    (i4

    )

    H

    usserl,a,a.O・S・93-94,蛋-

    1/t2重招、糾ち略言すれば『笑へての存在者は--尭

    鮫的主観性

    へdietranszendentaZe

    Subjektivitat).1こ関係的(Telativ)である0』(fiusserlZFormaleundtranszendentaleLogik,S.241,)

    我々ほ超越或托"An・sichふe年長

    る語にニ数かろべ与ではない。意識.iこ無線であるどいふ意醸_こおいての超越に全く恕点

    線である.物の超越牲JJいふ是正の概念は'我々望息識¢蜘有

    の本質即ち内在者から汲みごろよりほか.1托何鹿よりJJ

    汲みざるニP~私許されな

    (詫usser!,a,a。0・S・89・)。超越性_ェlたゞ

    r意識の中において構成されl意識.1酪びつけ

    られた存在の超越性

    」露ち「全

    点鼓的-ニ構成され

    る超越性」i1るのみ

    usserl,a・a・0・S・102・)Cされば超越性寸,内衣健

    ミほ決して矛盾する概念ではない。また,Jiらのこ

    Jヾからして、我々Liミつてまづ最初Li二に最も近い亨

    ,ろの経験的存

    在に'有季

    でのもり即ち内在的紹封者から見れば、却って遠さものである

    (H

    usserl,a,a.0.S.93.)こぞも'明かに理

    解されるであらう。

    (

    1LCl)

    ftusserl,Idecn.S.i4'・

    フソサーかの現象学にかける夢死の思想

    (ー拘七五)

    一〇l

  • 弟五十

    山番

    二親

    (四七六)

    7〇二

    (16

    )

    Husser1.a.a.0,S.107

    .

    (17

    )

    Husserl,a.a.PS.26・'3,

    (1g)

    H

    tJsser7,a.a.O.S.已.

    (

    19

    )

    Hussert,a.a.0,S,93,

    (20U

    Husser],a,a,0,S,56,

    〔21

    )HusserI.a.a,0,S

    .95,

    (出

    )

    Husser1.a.a,0

    .S

    .118⊥]9.

    へ23

    )

    Husser1.a.aIO.S

    .3

    .

    範判的なる本質直観によって基礎づけられた現象単的立場にお

    ける存在罪誓

    自然的立場および本質的立場の

    現象鼎も亦さうであつたやうに~直観する作用と庶親せられる客鰹との直接的なる踊係の構造をもってゐる。し

    かしながら現象輿的立場においては、拓封的に志向する本質直観の作用も'またJJれによって明観せられる純粋

    なる客鰹も、従ってまたこれら両者の間の志向的係そのもの

    -これは「妹介されざる統

    (eine

    unvermittelte

    Einheit)T

    )を形成する

    -Iも'・この立場が既に形棚的還元と兜験的還元との二段の還元を経て自然的および形

    相的なる超越性から敵視したものである以上は、ありとあらゆる規定性から純化し轟された絶対的内在の中に見

    出さるべきものであるー「規魚鱗的領域六dasphanomenologischeGebietU(2)を形成する「志向性」(Tntentionatitat)

    (3)性、か-のごと-.不規定的なるものであると共に、却ってそれ故にこそ可規定的なる具既着として、経験

  • 的に性格づけられた意識と客鰹とのC1然的組向関係や形相的性格によって規定づけられた疏向関係のごとき何ら

    かの超越的規定性を培ふもろ-1

    の志向が、そこから豊かに生れ出づ+(き根源的なる場面たるものである。経験

    的現象輿や形相的なる存在のせ鼎が常に意識とその客間との硯向的関係の構造をもってゐるのは.これら

    7切の

    存在の本質を形成する現象琴的領域が.既に「志向鰻験」

    (intentionatesErtebnis)(4)の構造によって特性づけら

    れてゐるからにはかならない(5)。しかも現象軍的鰹験傾城を作りなす志向性は、固定的なる静止物ではなくし

    て'みづからを限りな-展開することによって'創造的なる流れを形成する(6)。志向性は'始めも夜-終りも

    なき耽れとして、

    きることなき豊かな弼創性にほか怒らなS。か-のどとく純粋昭験の世鼎は不断に流動して

    やむJJとなき

    一の掬聯を形成するのであるが、それはそれ故に決して蕪雑なる浬頓ではな-してー却って個

    々の

    純粋現象をみづからの中にふ-みつ1これらを分照験的に連結することによって-

    一の統

    一-

    「無限の統

    (eineunendlicheBinheit)(7)~

    を形成する「根源的意識」(Urbewusstsein)〔8)である(9)。

    現象夢的立場におけ

    る純粋現象としての志向性は、か-のごとく、みづからを無限に展開する純粋標験の猫創的創造的作用であって'

    その展開的創造において個々の鰹験

    -或る時にはじまり或る時に終るのであるがーその間はとにか-「持籍的」

    (dauernd)であるところの(10)~

    を限りな-荷田すると共に'またこれらを飴すところなく流動的流

    1に包み

    とむJJとによって'「充賛せられた連精」(daserft5rtLteKontinuum〕(ll)を形成する動性そのものにはかならない。

    これらのことからして'また現象革的立場における木質直観が能動的なる日章性であるJJとも'容易にうなづか

    フグサ

    ーかの現象拳における琴刀の思想

    (四七七レ

    70三

  • 第五十

    一巻

    第三流

    れるであらう。

    (凹七八)

    1〇四

    1

    U

    HusserJ.Ideen.S・68.

    ハ2

    )

    HusserT,a.a.0.S.116,172,

    (。こ

    Husser

    r

    a.a.0.S.168,志向性或は志向倍散に'『論理学的諸研究Lでは、最も廉い意味において「作用」(AktU,'Jいほれた

    (Husse

    r

    l

    ,a・a.0,S,64・巷照、)Oか-りご↓」与作用の尭天的構造ハdieapr].orischeStruktur右

    形成すろ志向性=そほ現

    象験の研究封象

    ,iニほかt.よらないからしE)J'Jlのこ寸)から'現象学も

    「形相的志

    向心理学

    」(eidetischelntent30natpsycho・

    1ogiej,yJ呼

    ぶ-

    深さ用心な以てゞはあるが-

    こ1)ち.あながち不都合では七いであら、スW

    IReyer,E]frT.fl1.,.hrungin

    d

    L.ePhanom

    enotogie.

    t926.S,?,TO~tq7).)o

    (4

    U

    Husser7.Id

    een,S16,4,)70;LogischeUntersuchungen・Bcl・Ii.Tei二

    ・S.・1iLtfF,

    (5

    )

    Husserl,Ideen,S,168塗蛸、

    ッサールはすべての意誠に志向性なみTJめてゐろのではないO彼tミ

    『髄駿11すべてがすべて志向的阻験であるりでな

    いこ

    Jヾに'感覚や感覚寝食の示すTJころである』(Husserl)Lo

    gischeUntersuchungen・Ed・Il,TejlL.S・369・その他な

    S.383,397fE.参照)ミいび~或はまた『志向的開放そのも

    のゝ具髄的統

    lにおける内存的なる要素1'すべてがすべ

    ー志向性の根本的性格な、それ故に「或るもの土息試」であろ寸」いふ性質な'もってゐろのでない,'亡は、容易に理解

    される。JJのこミ托、Li?JへげSr覚的なろ物の庇親において非常に大drJT.f15役割私涜ずるすべての成州覚輿件に関係する』

    (Hussert,Ideen.S.65・),'J述べてゐろ。即ち感覚や解党的旅情のご,')さにーなるは'F,)『志向性の保碑名

    (Tl・茸erder

    lntentionah.tfit)ではあるが、しかしながらそれ白月或るものゝ

    意識ではhTiい。iCHusserl,a.a.0.S.6・5)

    (6)

    『怠詰み精確窒息味において性格づけ~ま;]同時に仝鰹の鰐敬流望

    月、識り流れP,JLt・JirGi二

    の意識の統

    〓Jして一㍍す,Jy,

  • 私是認するWころの,Jのそれが志向性なりである'』(Hussert,a.a.OIS.16S.),TJフヅサーかほ述べておろ。

    (7)

    Hussert,a.a,0.S,]65・我

    々は=の純粋機敏の流れな、『糾先

    れた髄験からその鴨験ホⅤグォンrLの新しい礁険

    へ、こ

    の新しい硯験の同定からそのホりソォyrLの新しい経験

    へ、の内在的甫観の

    「進行における触限性の仕方において、」』

    把握するこ7,ができろ(試

    usserl,a,a.0,S.166.なは

    S.82参照')。即ち『我々は曜験流な~単

    一の鴨験(e].nsingutares

    Erlebnis)ミしてゞほなく

    'カン

    rLの意味_二おけるイ

    デーの仕カにおいて、把握するDi!(tlusserl,a.a・0・S・]G6・なは

    S

    .138参照、.)

    (

    8J

    EIHussertsVorteSungenZurPhanomcnolobqJPedesirmerenZLaitT)ewusstseins.fierausgegebenvonM,Hejdegger.

    Jahrbuch.BdL

    X.

    19281S.473

    .

    (g

    U

    H

    ussert,tdeen.S.69,766-]67象照ー

    (10

    )

    Husserl,a.a,0,S・1

    6

    3

    (

    llU

    Hussert,a.a10,S.i6E3.

    純粋憾験の流れにあって、すべての個

    々の鰐験に

    7般的に嵐するぽかりでなく、これらを相互に結合して流動

    的統

    lに絞りなす「形式」(Form)は、「時間性」(Zeitlichkeit

    )である丁

    )。

    菅に「時間」ハZeit〕fJこ

    こそは、現象輿的

    領域の一般的特性(3)を、従ってまた布衣

    7椴の原範噂を.形成する0か-して純粋鱈駿の領域は「純粋王観的時

    間意識」〔dasreinsubjektiveZeitbewu

    盗sein.)(4)として特性づけられる.釦ち『現象嬰的輿件へphanomen.10gische

    Data)誓

    時間把握(dieZ?itauffassu!lgen)P却ちその中におSて時間申なるもの(Zeitliches)が客観的意味におい

    pl/現象する患ころの薦駿PであるO.JK5

    )

    か-のどとき時間誓

    それがまさし-現象嬰的領域そのもの1必然的形

    フグサーかの現象学における軍

    思想

    (四七九〕

    Tc五

  • 第五十

    一番

    第三流

    (四八〇〕

    一〇六

    歳やあ

    ると5ふ理由からして、時計等の

    「物蝕的手段」

    (physj肌CheMittel)によって測定される「寧鞘的時間」(die

    kosmischeZei

    t)或は「客観的時間」(die.bjektiv

    eZ,eit)の根源でこそあれ、決してfJれらと周

    7税さる+(きものでは

    ない(6)。従って我

    々はそれを「現象嬰的時間」(diephanomenologischeZeit)と名づけて宇宙的時間のごとき「超

    越的時間」(transZendenteZ

    e

    it)から厳密に寓別せねばならない(7)。

    純粋照験流の中枢は「生ける今」〔dastebendI

    ig

    eSJetztU(8)-「創造的時間鮎」

    (dersch6pferischeZeitpunkt)(9

    )

    としての

    tーである。「今

    」は

    「現在志向」

    (in!ention)として「同時性」(dieGleichzeitigkeit)の涛リ

    ブォントをもってゐるが(-。Jtしかし夜がら罫にそれとし

    て固定するものではな-して.たえやみづからを「奨楼」

    (modifiziercnjすることによって、「過ぎ去った今」

    (tin

    vergangenesJetZt)に準じ'「過去」(dasVergangene、Vorhin,Volher,Soeben)の漆ワッォントへ移りゆ-∩;〕Oか-

    して現在のカリッォンJ・は必然的に過去の凍リブォントに連る。しかしながら過去とても'決して現在と全-輿

    ったものではなくして'それど

    ころか却って現在自身の整枝せる様相として、たゞ「今」の

    7方

    の側面における充

    賢.従ってまた現在志向の「保留」(Retention-過去志向)に過ぎない

    (ほ)。さらに現在の凍りツヶ

    ントは.これ

    とは重-反対の例fEにおいて、たえす現在志向

    へと移りきたり常誓

    新しを今」(einneuesJetztjとなるペkvrr表凍」

    (Nachher)或は「改悪」(

    Pr.tenti.n-未衆志向)のネリツォントに必然的に建ってゐるハSS)。しかして式兼も亦.

    過去と同様に.r今」それ自身の轡様的在り方にはかならない(.川).

    か-して同時性のネジグォンJ・を有する純粋

    照験は'それみづからのたえざる創造において'常に未来の漆リフォン,Lへ躍進すると共に'他方これとは垂-反

  • 封の側面においてまたたえず過去め

    ネリブォンJ・へ後逸するところの時間的運動の中を.不断に流動する鰹験洗

    とならなければ覆らないoされば純粋鰹験の搾れば'過去と現在と未来との三つの相連結せる漆リブォントにおS

    て充資されてゐるもので(.柑)'またたゞ

    この限りにおiてのみ個

    々の鰐験は相互に相関聯し連糖しっ・二

    の純粋

    溌動の統

    1-

    「時間的惜敗諸単位の流れ」(StromzeitlicherErlelmiseinheitcn)-

    に合

    1し得るものである(16J。

    か-て純粋慣験の領域は

    『それみづからにおいて生成の流れである-それは

    Tの恒久的本質塑(einunwandelbarer

    W

    esenstypus)の根源的産出の中におSて春るもの、即ちその中におSて鰻駿の生きたる今(dastebendigeJetztdcs

    Erlcbnisses)がその「以前」("Vorhin")と「

    以後」("

    NdChher")JJJに封して意識されるところの猫創性(OriginaJitat)

    め.みづから流動する轡鞘によって鉱介された過去志向

    (LLctcntionen)と未来志向

    (Protentionen)とのたえざる練

    れPであるohK

    17〕鮎ち鞘.それは抱封的主観性(di(㌫

    bsoluteSubjektivitat)であって、比喰的には「耽れ」へ"FlussE。)と

    して示さるべきもの'即ち

    一の現賞陸離(einAktuaiitatspun打t)、根源鮎(Urqueltpunkt.1'r今」("Jet22t")の中にお

    いて鈷するもの等の絶封的性質であるO

    .也

    (,ほし

    (

    1)

    H

    usscrl,IcteeltS・lGJ716・.3・

    (Cこ

    Iiu

    ss

    erlJa.a.

    OoS,

    )61

    Ff・

    (′3U

    H

    ussertPa,a・

    O・S・163・

    (4J

    H

    usserlsV

    orlesungen・

    S・368・

    ブタサーかの現象学_こおける琴刃の思想

    (四八

    一〇七

  • (5)

    〔6)

    (7)

    (3C

    )(9)㌧Oノ/-▲\

    ・目

    ・'11

    ;

    (㍑

    )

    日、、

    、LL:,

    第五十

    1春

    希三流

    a.

    a0.S.1370.

    (四八二)

    ]〇八

    Husser!,Ide

    e

    n.S.16M116.2;HusserlsVorlesuugen.S.;369-?,70.

    Husser

    T,IdeenS.261-一6・2.

    H

    ussert,a.a.0,S1149,150.

    HusserlsVorlesungen.S.4.2t31427.

    H

    usserl.Ideen.S.]6小.

    frusser

    t,a.a.0,S.1孟1165;fTussertsVortesungen.S.4・31-4?'3参照、

    Husserll.1deen.S.161,

    Husse1・l,a.a.0.S.lG4,

    Husserr

    a.a.0.SLf34=-

    )66;Hussel・tsVorlesungen・S・431巷照~

    それ故に

    過去および未来は「形式何

    1的様相」(foTmidentischeMod仙)にはかならな

    い(Hussel・tSV

    orlesungen.S.4.9,2.)

    Husserl,

    ideen.S.】64-165参照、

    厳密にい

    ならば、中枢的今に

    NaChher-Zugle叫ch-Vorherの艦担(dasNache].nander)において充箕されてゐるもり

    であるから、それみづから

    Zug]eichT,直ちに同

    1のものではない。それ故にむ

    しろそれはdasAuxionateVor・Zugle].ch

    lJ呼び七すべ与も

    のでちら

    -(HusserlsV

    ortcsungen,S14.・32-4331)

    Husserl,Ideen,S.)65;HusserlsVo1・]esungen.S.429.

    出usser],ldeen.S.149.

    HussertsVo

    rtesungen.S.429.

  • 以上によって明かであるやうに.現象拳的時間は.意識牽展の内面的形式.意識の本質相.「意識の際形式」

    (LTrf.rmdesBewusstseins〕(1)

    として.「意識の搾れそれ白身と共にあらはれその中において意識流が流れる」

    (2)ところの純粋なる時間である。我

    々は'か・̂

    る時間が過去および未来をみづからの愛校として有する

    「生き

    たる今」-「原本的所輿」(dasUrdatum〕(りり)としてのⅠ

    を中枢とする時間であるJJとを畢んだ。との

    「今」こ

    そは、常

    に進展してやまぜる純粋照験

    の流れがそこより出でてそこに還るところの「同

    7着」(ein

    ldentisches)(4)

    として-却

    ってさらに現象蝉的領域そのもの1お泉となり.またそれに統

    Tをもたらす

    「食後の.また最に、絶

    封的なるもの」(eintetztes

    undwahrhaftAbsautes)(5)であって.従ってこれこそは現象率的

    『「純粋」自我』

    (das"

    r

    eine"Ich)(6)の占むべき唯

    一の場所ではなからうか†

    〕O

    この意味において純棒自我はいはゞ「内在にお

    ける超越」(e;nTi・anSZ=・ndenZinderrmmanenZ)(S)とも呼ばれることができるであらう(9)。

    (1UHusser])Ideen,S,166,

    (。こ

    Hussert.LogischeUntersuchunuqen・BdLt・Tei

    二・S∴'・8

    〔3)

    HussertsVcirlesung

    en.S.47・3.

    (~

    )

    Husser7,tdeen・S,(09.

    (5)

    Hussert,a・a.0・S・763

    (

    6)

    H

    usserl,LogischeUntersuc.ilungen.Bt1・n

    Teこ)・S・?,54・

    (7

    )

    Husserl,Ideen.S.70

    9象照、

    フグ

    サーかの現象学における,ql刀の思想

    (四八三)

    7〇九

  • 第五十

    1懸

    第三渡

    cgI八讐

    二〇

    フッサールは時間の問題孟

    ハ.1こ形而上拳の領域-ニ密壕に梱れるこミ怨みづから感得する。彼_工

    『云

    純粋自我,".云

    すべての二三

    の冬

    空1-従って充賓された、=の充賓の中において本質的に開聯する~その内容的胞績性の中にお.J,1促

    進される'硯放流ビー.必然的なろ相陶である』(Husserl,Ideen・S・16・3・)Jヾいひ、『我々が諮率

    先によって我々に準備し

    出した'H,'ろの尭験的なる「鞄封老」に、最.1ti窮梶的なろ-.のではないーそれはそれ白月ー或る深遠なる且つ仝-将捧

    な皇瓜味において構成せら

    れーまi1その根源も窮極の文吉典に絶封的なるもの~中にもつてゐ.三

    J,,ろりものであろ』

    (tlusser],2・a・0・S.藁3・),,J述、へtT/ゐろ0し

    かしてフッサールに『我々にJ,隼b諸見解のヨリ詳細なる形成亡、それらの

    太い花ろ形而上嬰的諮結果の語明ミわー督知されたる婚光の叙述,1留保する』(flusserT,a.a.0.S.166.)といってP,'

    り形1[和上撃的錦城--「時間意識の謎」(dieRmitsetdesZeJ'tbewusstse7.nSU(Husserl,a・a・0.S.463・)-

    に深くはいり

    =むこ

    LヾJ雪

    いまだ趣けてゐろ。しかしながら'寸」11二か-~あらゆる種類望

    息識ほこり現象学的純粋自

    我にこその窮様の

    根踏みもつてゐろtTJいふこミができるであらう。即ちカ/rLの言葉をかれげ、『「我思ふ」へ"Ichdenke")ほ載りあら

    ゆる表象に件ふこ

    」ヾができればならない』(K

    ant.Kritikderrein

    enVernunft.RectamK

    eh山・bachsAusgabe.S.]7・').L

    であらう(Husserl.a.a,0,S,109,)。

    (8)

    Husserl,a.a.OIS.tJO

    (9)

    純粋自我に

    ついて1

    -HusserZ,Ideen・Ri57,SL09-110,Pz80・St59-)67私見よO

    しかしながら、他力において

    、純粋自我にi1ゞ現象学的領域におけるノエシスの側面TJも考

    へられてゐろやう

    (Hussert,a.a.PSI58,loo-)6)参照JoミLlか-純粋自我の詳細なる解明ーェ『イデエソ』第二魯_こおいてなさろべき

    こ寸,が約

    束されてゐ

    るハHu・jSerl,a・a・0・S・uO・:)Dいまだ『イデエソ』第

    1番_ニおいてほ詳細を知る由もない。

    現象聾的立場を基礎づけるものは、そ

    の立場

    にお

    いて活動する本質直観-

    形相的立場

    における本質直観から

  • 償糾せらるべき-

    であって.それ故にまた現象学的領域が志向的なる構造を有し、しかもか1る志向性は現象

    車的時間の中において流動的にみづからを展開してやむことなき自由なる別法性として特性づけられることを、

    我々

    娃以上の略述によって知ることができたO我々は、3まや、純粋隈駿の揺れにお

    ける根源的存在界としての現

    象撃的額域が.その限りなき進展

    の沃野のすみ

    ′ぐ・までも-必然的に、本質直観によって~それ故にまた志向的構

    造によって.験すところなく貫かれてゐることを.明かに理解することができる。か1る志向性は、我々がすでに

    革んだやうに、それが現象拳的領域にひろがりわたる志向性であるといふ理由からして.何らかの制限的規定を

    帯同する志向性たとへば自然的および形相的立場における志向性から必然的に院別せられると共に.却ってこれ

    らがそれにお3て構成されるとJJろの絶対的なる場面でなければならない(1)Oそれ故に志向性はいまやす.(て

    の規定性から解放された自由なる内在者たるべきものである。しかして志向性は「或るもの1意識」("Bew

    usstsein

    v.netwas")(2)として示さる'(き「囲係的なるもの」(etwasRelatives〕(3)であるOそれ故にそれ按.常にみづか

    らの中に、何らかの「主観的に方位づけられた側面」(ejnesubjektiv・orientierteSU3tF-lj-

    如ち「ノエシス」(Noesis)

    -とIJJれに対して必然的在る相緒関係

    (Korretat3on)竺且つ

    「客観的に方位づけられた側面」

    (eineobjektiv・

    orientiert

    eSeite)'い按ゞ『開放の「客照

    」』-1即ち「ノユニ

    (Noerna)~とをふ-んでゐなければならない(4).

    ノエマはノエシスによって志向せられ

    る限りのノエマであって(5)、1切の対象的規定性がそこにその滑脱をも

    つ+(き原始的封象である(6)。

    ノエシス誓

    同様にまた'ノユマに志向する限りのノエシスであって、何らかの

    フツ

    ーかの現象学にこおける琴冗の=・3懲

    (四八五)

    1

  • 第五十1番

    第三親

    へ四

    八六)

    規定を拾ふもろ

    -1の作用の母胎たるべきものである(7)。

    か-のピと-志向性は相鋸的なる「ノエシス・′エマ

    的構造」(dienoetisch・noematischenStrukturen〕〔8.1の特性をもってゐるのであるが、しからばノエシスははたして

    如何なる仕方においてノエマに志向するのであらうか。我々がノエシスの側面に探き注意を向けるとき-それに

    「感覚的ヒュレIL(sensuettebyj・?,Stoff)と「モルプ

    へIL(FLO

    PPやF

    orm)との二つの暦面を見出すであらう(9)。

    モルブ

    へIの層面は、ノエシスにお

    ける特にノヱシス的なる性格を有するが故に.また「ノエーゼ」(Noese)とも

    いはれる(10)。ノエーゼ-

    「素材なき形式

    」(stoffloseFormen)(;1)Ⅰ

    は、「現任の木質(dasSpeziaschedesNus)

    ・・・-・・・を形成する」へ12)ものであTて.ヒュレ-1

    「形式なき素材」(fo

    rmloseStoffe)(㍑)Iに「意味を附奥し」

    (sinngeben)し「魂をふきとむ」(heseelen)ことによって(1)-ヒュレーを封象づけながら、ノエマへの統

    7的志向

    を完成する(15〕ところの「機能

    」("Funktio.㌔)(捕.)をはたすものである.換言すればモルブ

    ヘ-は雑多なるヒュレ

    Iを封象的に意味づけることにおいて、ノHマを「意味」においてとら

    へると共に志向性そのものを意味的統

    7と

    して域就する。か-して意識は単に無意味なるヒュレ-の雑多ではなくして.まさに『或るもの「の」("

    von")

    識Jlであり'『みづからの中に「意味」を、いは2̂「整魂」「絹紳」「班性」の精髄を殿することがその本質である』ごと

    きものである(17).

    それ故に今や我々は.ノエーゼとヒー

    レ-とノエマと誓

    二者を'現盛挙的領域の紋くべから

    ざる構成的契槙として、数

    へなければならない(柑)o

    TU

    『志

    (Int

    ent).on)の概念に~言葉からすれば、「意陶」ハ"Abs州chtLLU「方向」ヽ"Rie

    htung")'「関係」、"Beziehung")空瓜味

  • L~志向が「それに」紺係する

    Jヾころり「或るもの」私ふくんでゐる。』(W

    .Reimer.DerphanomenologischeEvidenz・

    begI・iff.Kantstudien.XXiiI.S1269,)

    しかしながら、それ故に「志向」(Intent仙on)か.「注意」

    (Achten,Bemerken)或

    は「自国」

    (Aすzieten)寸J同山成すろ=寸,ほ大いなる誤りである(Husserl,LogischeUntersuchungen・Bd・}l・Tei二・S・

    378-…'・

    7

    9

    ,

    〕o

    後者は'前者においてーまili1ゞ

    それにおいてのみ成立する?}ころの二別省みづからの自己巌現たる、

    次の作用であるに過ぎない。

    一般

    Liこフッサールの「作用」(Akt〕bT・.ろ概念の意味な、

    actusの楓汝的なろ意味にニミつて'

    精細的ほたら,0ミして理解すべきで托tTjい〔HusserJ,a.a,0,BdLr,Teュ).S.LO・79.)。か-.S.')TJ4Jものが「全く排除さ

    れてゐて」(Ebd・)=そはじめて、フソサーかのいけ

    e

    L

    るAktがわらほになってゐろ吟である。

    Husser].Ideen.S.16S,trJ9.

    BT

    entanO.PsychotoE,Use.Bd.IIIS.]・芦

    我々

    か~る相関絢係わまた礎底関係(Funcl3'erung)ゆl種,,Jみろこ亡ができ

    るで

    わら

    う。それ故に、琴

    北がまil同様に礎底槻係の中に動いてゐたこ.,J争

    )汁,,昌仙

    び合せるならば、嘩底閲係り思想

    に賓に現象畢仝髄を貫く貰大hT・<る思想である

    」ヾ.,つtlJも'決して過言ではないであらう。このこ

    Jヾからして、志向関係

    私因果紺係W解するこ.,)の謀りである,,ヾ」にt多l自在宴せずして明かである。

    エールりッ七は

    『一般にこの「相開関係」

    tiiフッサールにもつてはt大

    いbTJろまた不明瞭なる役割私演じてゐる』‥EhrtichJKantundHusserl,S・SS,)ミ述べてゐ

    るが、我々

    tti、却ってか~る関係に=そ~現象嬰的方法の意味深さみ

    味得しなければなら

    の。

    しかしてまi1、志向的構造においてある現象嬰的領域な、i11}ひそれが「意識」ハBewusstsein)(Hussei・1.ideen.S.921

    93・)J

    J

    純粋意識」(dasreineBewusstsein)(Husserl,a.a・O.S.101")~「東

    封的主観性」(absoluteSubjektivitat)(Husser訂

    Vortesungen・S・49・9・)~「先験的現象学的主観性」

    dietran1,7-endentarphanomenotooischeSubjektivitat)(HussetJ,

    FormaleundtranszendentaleLogik・S・2相2・

    )等ミ呼ばれるにしても

    P畢_ニ主観主義的観鮎から解するこ?Jに、それが

    ッサールの現象聾における琴

    刀の思想

    (四八七)

    二三

  • 第五十7容

    第三流

    (四八八)

    まさに相閲関係である1Jいふ理由からして、大いなる謀りである寸Jいふべ-、同様u二また客観主義的観鮎から解すろ=

    ?Jもー許さるべきではない。

    (4

    )

    H

    usserJ.Ideen.S.)6i.この意味において『意識の概念

    にけ~客隈をもつ=I'J〔einOb

    jektzuhaben)が威すろ』(W

    ,

    R

    eimer,a.a10.S.269.)ミいふ二・'Jもできるでもらう。ランプに,,の志向性在

    DualismusIJ呼んでゐるが(H.Lan鞘,

    DasProbJemderGegenstandtichkeitindermodernenLogik・S・84・)'我々にその語に欺かれて托ならない。

    (5Jl

    フッサールにi次のやうに準

    へてゐろ-~

    Tこの繭向(Bl].cksteEungJの.中において輿

    へられるものほ、今やなるほどそれ

    白月、論理的にいふならば、封象ではあるが、しかし全く非猫立的なろ封象である0

    そのesseはiiゞ"percJ.pi"の中

    に存するe』(H

    usserl,Ideen・S・oiOG・)『ノエT,の形相にノエシス的意識の形相私指示する.両省は形相

    的に関聯するO

    志向的なるiのL,daslntentionate)そりもりはー=れ_こついての意識であるWころの.か--

    の性質私有する意識の.志

    向的なるものTJして凍るTJころのもりである。』〔Hussel・1.a.a,0

    ・S.206.)

    (6

    封象〔Gegenstand)ミいふ概念にーフッサールにみつてに'普通最も磨い意味に用ひられてゐろ=1,に注意しなければ

    ならない。即ち彼に~つて'『封象〔認識の〕tf.軍衣的なるも警

    Reates)でも、よi1理念的なるもの((deales)でもあり

    得、物戒に出光事でも~ま人卜椙(Spezies)或は数祭的関係でJあり

    得~存在

    (Se].n)でもまi1存在雷

    鳥(Se]'nsot1enUでもあ

    り得ろ

    O』(Husserl,LogischeUntersuchungen.Bd.

    I.S..22tJ,)

    (7)

    Husse

    rl,ldeen,S.Lou.参照ー

    (8)

    Husser

    t,a.a.0,S.189,

    (9

    U

    Hussell,a・a・0・S・)72宣

    scheUntersuchungenBd・ILTei〓・S・383,385,397婁照ー

    (10

    )

    Husser1.Zdeen,S.山F74.

  • (托

    U

    HusserT.a.a,0.S.172.

    (1)

    Frusser1.a.a,0.S.174.

    (13)

    Hussert.a.a.0.S.)7・?.

    (14L

    Husserl,a,a.0.Stt7.2.

    (15

    )HusserJ,a.a.

    0.S.17'2,】74,)76;Lo

    Lq1PscheUntersuchunLqen.BdLZ.

    TeilL1.S∵39N'.

    (16)

    HusselJ,Ideel1,S.176_

    =り「機能」

    にまた「意詫封負性の構成」亡

    もい

    ほれろ(.Husserl,a.a.O.S1176.

    )。これに'

    ルワ

    ッ七が『カリ}rL

    ↓ヾフッサール亡は構成思想において相契合

    でろ』へFLhrlJ.ch,KantundHusser7.S.133,)ミいって

    ゐろや-に'カy

    tの構成思想を撃駕Lらしめろものがある。

    (17

    )

    H

    usser7.a.a.0.S.776.

    (柑

    )

    フッサール1'ノエマについても考搭する、ニJみ怠らないけれ+,,)ら(Husserl、a.a,0,S.161婁照)、帝_ニノエての現象

    聾的考察なるもの一倍規定しないで、たゞノエシス的側面の現象嬰的考察の

    みな規定し、これか.「素材的現象聾的考察」

    (hyletisch・phanomerLOIogischetletrachtunsenj-

    「純粋素材冶」(die

    reine.dylet小k)(H

    usserl}a″a.〇・S,478・)-

    寸,「ノエー廿的現象学

    的考察

    」(noetisch・phalmm

    enOlogItsCheBett・achtungen)ヾ」に二分し'J,の

    両者が

    現象

    撃私構成

    する亡者

    (てゐろ〔Hussel・lJa・a.0.SL75JJo

    々のた

    2二

    つの願

    ひは、ひたすら

    「物そ

    のも

    の」

    (仇achenselbst)へたち

    へら

    んとす

    るJJとであ

    ったO

    フッサールの現象学における,ql冗¢思想

    (四八九)

  • 第五十

    1巻

    一義

    (四九〇)二

    々は、まづ第

    一に、輿

    へられたる哲讐

    科挙.臆説等の何ものにも依存することを潔しとせずして、我

    々の日

    常生活における事象的照験にその革的着手を見出した。しかしながら日常性の獲ふ相封的規定性は、到底我々の

    串間的要求を満足せしめることができなかった。それ故に我々は、か1

    る経験的聴界を.還元の手籍によって'

    イデアにうつしとり、さらにこれを現象畢領域に払るが

    へしみることによって'これらすべての存在的規定の淵

    淑たるべき絶対者にまでたちか

    へらざるを椙なかったT

    U。

    かくのごとを掲封者は、還元の手招が抽象的

    7般者

    を求めんとする抽象的作業ではな-してすべてをその根源に還しみる朋特なる方法であることに思払合せるなら

    .'笹に容庇なる存在

    叫蝦の抽象的概念に過ぎないものではな-して、それどrJろか却って'すべての存在規定

    を飴すところなくみづからの中にふくみ.みづからにおいてあらはならしめる最も具照的なる金肥布衣であり'

    この意味においてまた

    一朝の現象の水質として純粋現象とも呼ばれ得るものであることが容易にうなづかれるで

    あらう。しかしてそれはまた'我

    々がこれまでの論述において

    7椴的なる概観を輿

    へたどと-、志向他の根太構

    造を有すると共に、みづからは限り在き望かさにおいて'『始めもなく終りもなき内在的

    「時間」』(2)の中をたゆ

    ることな-流動する純粋照験の耽れでもあった。現象撃は、か1

    る純粋鰐験の領域(3)にお

    いて、しかしてたゞ

    それにおいてのみ、みづからの安住の地を見出すことができる。即ち現象革は'たゞ

    か1

    る純粋現象

    の傾城をの

    みみづからの研究の主題としてとり.JJれを、何らの作為を交

    へずしてPr完全に正確なるまた確茸なる概念的言

    表し(dervoltkommengetreueundfestebegrim,.cheAusdruck〕(4)を以て純粋

    「記述」

    (beschreiben〕(5)せんと

  • とを目的とする〔6)。

    それ故に我

    々はー視索撃をー『先験的に純粋なる諸昭駿

    の現基準的態度における記述的本質

    畢』(7)或は

    『先験的に純粋なる意識

    の傑野を、純粋なる直観において.くまなく研究する純粋

    に記述的なる

    7の

    原挫』(8Jと定義することができるであらう(9)。錆降現索笹は~その主題的封象たる純粋意識

    の領域が.それ

    において構成せられたもろ-も

    の低次の意識から二

    ㍍暦に置射せられると共に、これらの税源たる発験的場面を

    なすものであると榊様

    に、蘭飴

    の諸習箪ならびに諸科準から全-猶立であると共に、また却

    ってこれら諸撃

    の根

    本輿として第

    7習拳の王座に如くに値する唯

    山の啓開でなければならない(川]).

    さればこそまた

    『現象箪はいは

    ぼすべての現代曹拳の秘めやかなる憶慢無目)たるべきものであるであらう。

    01)

    フッサ

    ールに次のやうに述べてゐる-

    『我々は会規の自然的粋界およびすべての超越的形相的なろ領域私排除し、か

    -して

    「純粋」意識み獲得しなければ琴JTない。』(Husser1.Tdeen,S1191-㍍2・)

    (2

    )

    Husser),Ph州ZosophieatsstrengeWissensch…lft.S,313.

    (cl)

    純粋鰭敬の領域1

    '三日にしてつ-ぜげ、「現象の本質」或は

    「現象の意味」

    Jヾいふこ,rJがで与主

    であら-。この鮎より

    して、我々

    にリンケ・rJ共に'次のや-にいふこ,rJができるであらう1

    『すべてり現象学1'・・・・・・・・・その時々に輿へら

    れ六もの~捜念的成東

    ハdieideeEeKomponenteU

    に二、即ち意味内容

    (Bedeutungsgehait)'諸現象の意味

    (derSinn

    derPhanomene)にー向けられてゐろ。』(P.F.Linke.DasRechtderPh

    tqnom

    enotogie.Kantstudien・Bd.XXI.S.

    221,)

    (1U

    HusserrIdeen.S.123.

    グサ

    1かの現象嬰におけるml兆の思想

    (掬九

    l)

  • 第五十

    一饗

    第三碗

    (四九二)

    一1八

    (LL5)

    Hussert,a,a.O.S.)・37参照、

    『青菜_エーそれが覗茸的なろ富夫の仕方において、直観的に輿

    へられi1ものミ「一致」("decken")する亡き~

    一定の意

    味な~その,Tlに今現箕的なるまた明瞭なる意味ミして~受取る。しかしてP,'~から、言葉は嬰問的'1こ確定せられ得

    る。』(Husserl,a・a・O・S・)24・)

    缶題

    (SatZe)も亦同様である。それ故_こ

    『かゝる言葉や命題に、これらの

    「売茸的

    意味」を形成するWころ

    の、或る、南朝的に把握し緒べ4,1本質(の一義的なろ従蟻在もつてゐろ。』(Husse

    r1.a,Plo.

    S・)24・)

    現象学が厳密なろ学問Llらんミ欲すろならば、多義にして動揺的なろ不破定望

    白菜み使用すそ

    .I(,在探-煤

    まれば

    ならない。

    (6)

    lJussert,Pa.0.S.137,740重昭…、

    (t・)

    Husser].a.a10.S,139,

    へ8)

    Husserl,a.a.O,S,)13,

    (9)

    我々にi現象聾者

    }ヾしてi1ゞ

    『我々が意識そのものについて純粋内在において我々に合本質的に明かにするこミので与去

    ものより以外の何もりを-嬰求すべきではない』(HusserJPaIa.0.S,113・)TJいふ規範.1のみ徒はんミ欲するもLSであ

    る。

    (川

    )

    現象学TJその他の諸奨TJの関係についての詳細なる研究は、『イデエソ』第二番にこおいてなされるこ亡が約束されてゐろ

    (flusserl,a・a,0,S・5・

    ).しかしながら我々

    一膝‥~で現象準,I,心規準亡の関係か特

    _ニ拭意せねばならないO両者1

    共に意識を研究する拳闘である1}いふむにおいて同iJではあるが、しかしながらそれ故に雨着な浪同して現象聾在心理

    学ご恩ひなすならばそれは大いなる誤りでなければ掌b些U両者は'等し-意識の撃であるミいってもー『心理撃は

    「経

    敵的意識」に、即ち締験的立吸における意識

    -自然の関係における存在(Dqseltendes)1)しての-

    に~関係するが

  • strengeWisssenschaft.S.302.潔_Zdeen.S.1421143を併せ参照ぜよ、)りであって、ちよ,r;u経験的意識が

    純粋意

    識から明確に区別せられしかJ後者において構成されるものである・,Jいふ必然的尊茸からして、また心理聾に、現象聾

    から必然的に区別せられる

    (Husser]Ldeen.S.2;LogischeUntersuchungen・Bd・lH・Tei二・S・

    7,77118,)1J共に、

    却って現象拳に依存すべきものである(Husse1・),ldeen・S・151-だ52,L68--69;PhilosophiealsstrengeWissenschaft・

    S

    .320参照、)o即ち『現象撃に、なるはb,,)心理聾に封して基礎私供するが、しかしながらそれ白月心理学ではない、ちよ

    ・E(I,)幾何撃が自然科学でないミ同様であるO』(Th,EJsenhans、PhanomenologieJPsychologie,Erkenntnistheorie.

    Kantstndien.XX,S.227・)

    フッサー

    ルは

    『論理撃的諸研究』におい

    て~記述的

    心理学的(deskriptiv・psychotogische)

    研究を、empirisch・phanomenologische寸」呼んでゐろが

    (HusserJ,Logisc.lieUntersuchungen・Bd・Zl・TeiLt.S.

    348,)'

    =れに何も心理畢ミ現象聾?Jの同

    7親J望温暖するものではな

    い。我々にーフッサールが

    phanomenotogischミ

    いふ語をおそらくPhanomenaごJいふ語が通常であるや

    うな場合に用ひてゐろこ?Jに注意しなければTjらな

    い.

    (ll

    )

    Husser]Ldeen.S,]JB・

    しかしながら

    、現象嬰は~還元の手続

    -それがたとひ如何に困難なる、それ故にまた「煩労多き疏光の樽換」

    (mdhsameBlickabwendung)(1)

    であつても~

    によって現象撃的領域に到達することを以てみづからの任務を

    ったと児ひなすならば、それはあまりに蛭卒なる誤信であるであらう。か-

    のどときは純粋現象笹にとっては

    たゞ単なる準備的廃置に過ぎ

    いものであって'その重き任務は却

    ってこの後

    に来たるもの1上によJJたはって

    ゐる(2)O

    現象嬰は我

    々がこれまでの研究においてなしたごとき現象学的領域の粗雑なる

    7殻的概観を以て安ん

    フグサーかの現象撃_ニおけろ琴Rの思想

    (四九三)

  • 第五十

    一春

    希三味

    (四九四)

    7二

    す+(きではないo常にます-1純粋意識の中

    へ厳密なる反省を沈め行-ことによって、それにおける

    7切の契機

    と・JJれらのもろ-1

    の関係とを分析し.これを正確なる概念を以て恩賞にしかも鰻系的厳密性(8)において記述

    することに三馬全の努力をいたさぬぼならない。こ1にいふ反省は、現象尊的領域が遠元の窮極におSてはじめ

    て明かな光の中にひらげそめる世界であり'それ故にこそもはやヨリ以上の還元を要せざる絶対者の傾城である

    が故に'純粋現象の償野をさらにヨユ向き世界!

    か1る世界を考

    へることはもはや不合理であるーー

    に払るが

    へしみる還元の廃置として活動するJJとの不必要なる.いなむしろ不可能なる作用である。それ故にSまや反省

    の作用は~現象撃的頗域そのもの1内部において.或は

    「主観的に方位づけられた側面」(4)或は「客観的に方位

    づけられた側面」ハ5)のそれ

    ぐ・の探みへとひたすらに分析的に粍まりゆ-と共に、またこれらの南側南関の必然

    的関係を鋭-見きわめるJJとによって'満額なる現象撃的記述を指導する括動であるべきである。

    (1)H

    usse

    rt,ldeen.S.121.

    (2)H

    usserl)a,a,

    0.S,5'

    )79・

    (3

    )

    H

    usse

    rZ,Ph

    仙Losophi

    ealsstrenge

    W

    issensc

    haft・S・303・

    (<

    )

    H

    usser7,tdeen・S

    ・)61.

    (5)

    H

    usserr

    a.a.O

    ,S・161・

    しかしながら本論文は.たゞ純粋現象学における前階的なる方法論的思想を研究することを、その玉髄として

  • ゐたに過ぎない。それ故に私は

    7膝こ1において本論文の敦盛を閑をなければならなSo(克緒)

    --・一一 一 兆

    三 一 一一一〇CO 八 真四 九 七五四 九 四 二 六

    五 一 三 八 五 九 四 九 一

    謀標轄

    把任

    8ebende

    i1

    Russri.

    C許

    oX4

    態Adaquate

    れii

    衣横棒

    把握

    geb

    ende

    へる

    Hu

    sser1.

    OXi成

    東ad

    aquate

    へろ

    フッサ

    ールの現象聾における琴刀の思想

    (餌九主)

    7二1