kaseaa 52(6) 380-386

7
【解説】 380 化学と生物 Vol. 52, No. 6, 2014 一つの卵に対して一つの精子が受精することこれは一部の 例外を除き正しく次世代の個体を形作るうえで必須の条件 である動物の卵は熾烈な競争を勝ち抜いた最初の精子だけ を受精させる多精拒否という仕組みを備えている植物の 生殖においても卵細胞を内部にもつ胚珠に対して精細胞 を運ぶ花粉管が通常 1 本しか侵入しないように調節する「多 花粉管拒否」現象が存在する本総説ではこの細胞レベル のメカニズムと受精の成功率を高める植物の戦略について 解説する花粉管ガイダンスと多花粉管拒否 花粉管は花粉が発芽してできる細長い細胞であり精細 胞を輸送する役割をもつ花粉管が雌しべ組織によって 卵細胞のある場所まで誘導される現象は花粉管ガイダ ンスと呼ばれる雌しべ先端の柱頭から伸びる花粉管 伝達組織という管状組織を通る(1-A) シロイ ヌナズナの場合伝達組織の外側には50個ほどの胚 珠が並んでいる伝達組織内部を競争的に伸長する花粉 管が未受精の胚珠の近くまで来ると伝達組織の壁を抜 胚珠の入り口から内部にある胚嚢へと到達すること で受精が起こる胚珠の周りの花粉管ガイダンスには胚嚢が必要であ (1) 減数分裂後の細胞に由来する胚嚢は多くの場 1 個の卵細胞2 個の助細胞3 個の反足細胞そし て1個の中央細胞の計7細胞で構成されている(図 1-B) そのなかでも助細胞が花粉管誘引に必須の役割を 果たすことがトレニアの胚嚢の各細胞に対するレー ザー傷害実験で証明された (2) そして近年助細胞で高 発現を示す遺伝子群からLURE1 および LURE2(トレ ニア) ZmEA1(トウモロコシ) AtLURE1(シロイヌ ナズナ)などの花粉管誘引活性を示す分泌性ペプチドが 同定された (3~5) 誘引物質によって花粉管は精確に胚嚢 へとたどり着くが不思議なことに雌しべ内部での激し い伸長競争があるにもかかわらず複数の花粉管が一つ の胚珠に集中することはほとんどないそのため一つ の胚珠に対して 1 本の花粉管で効率良く受精するように 調節する機構があると古くから推測されていたがその 花粉管の誘引停止の制御機構と受精戦略 丸山大輔 * 1 東山哲也 * 1, 2 Cessation Mechanism of Pollen Tube Attraction and Fertilization Strategy Daisuke MARUYAMA, Tetsuya HIGASHIYAMA, * 1 名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 (WPI-ITbM) , * 2 ERATO 東山ライブホロニクスプロジェクト

Upload: others

Post on 18-Oct-2021

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

【解説】

380 化学と生物 Vol. 52, No. 6, 2014

一つの卵に対して一つの精子が受精すること,これは一部の例外を除き,正しく次世代の個体を形作るうえで必須の条件である.動物の卵は熾烈な競争を勝ち抜いた最初の精子だけを受精させる,多精拒否という仕組みを備えている.植物の生殖においても,卵細胞を内部にもつ胚珠に対して,精細胞を運ぶ花粉管が通常 1本しか侵入しないように調節する「多花粉管拒否」現象が存在する.本総説では,この細胞レベルのメカニズムと,受精の成功率を高める植物の戦略について解説する.

花粉管ガイダンスと多花粉管拒否

花粉管は花粉が発芽してできる細長い細胞であり精細胞を輸送する役割をもつ.花粉管が雌しべ組織によって卵細胞のある場所まで誘導される現象は,花粉管ガイダンスと呼ばれる.雌しべ先端の柱頭から伸びる花粉管は,伝達組織という管状組織を通る(図1-A).シロイ

ヌナズナの場合,伝達組織の外側には,50個ほどの胚珠が並んでいる.伝達組織内部を競争的に伸長する花粉管が,未受精の胚珠の近くまで来ると伝達組織の壁を抜け,胚珠の入り口から内部にある胚嚢へと到達することで受精が起こる.胚珠の周りの花粉管ガイダンスには胚嚢が必要である(1).減数分裂後の細胞に由来する胚嚢は,多くの場合,1個の卵細胞,2個の助細胞,3個の反足細胞,そして1個の中央細胞の計7細胞で構成されている(図1-B).そのなかでも助細胞が花粉管誘引に必須の役割を果たすことが,トレニアの胚嚢の各細胞に対するレーザー傷害実験で証明された(2).そして近年,助細胞で高発現を示す遺伝子群から,LURE1およびLURE2(トレニア),ZmEA1(トウモロコシ),AtLURE1(シロイヌナズナ)などの花粉管誘引活性を示す分泌性ペプチドが同定された(3~5).誘引物質によって花粉管は精確に胚嚢へとたどり着くが,不思議なことに雌しべ内部での激しい伸長競争があるにもかかわらず,複数の花粉管が一つの胚珠に集中することはほとんどない.そのため,一つの胚珠に対して1本の花粉管で効率良く受精するように調節する機構があると古くから推測されていたが,その

花粉管の誘引停止の制御機構と受精戦略丸山大輔*1,東山哲也*1, 2

Cessation Mechanism of Pollen Tube Attraction and Fertilization StrategyDaisuke MARUYAMA, Tetsuya HIGASHIYAMA, *1名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 (WPI-ITbM), *2 ERATO東山ライブホロニクスプロジェクト

381化学と生物 Vol. 52, No. 6, 2014

仕組みは不明であった.

受精過程の変異体と多花粉管拒否

最近になって「多花粉管拒否」と呼ばれるようになったこの現象について,新たな知見をもたらしたのが,胚珠が2本以上の花粉管を頻繁に誘引するシロイヌナズナの変異体の解析である.これら変異体の多くは受精の過程に異常をもつ.被子植物の受精過程について順を追っ

て説明すると,まず,花粉管が胚珠に侵入した後に花粉管と助細胞で細胞間の認識が起きる.そして,花粉管内容物の放出とともに2つの助細胞の片方が崩壊をする.このとき崩壊した助細胞は崩壊助細胞,そして残されたほうは残存助細胞と呼ばれる.崩壊助細胞へと放出される2つの精細胞のうち,片方は卵細胞と受精して次世代の植物体である胚を作る.もう片方の精細胞は中央細胞と受精して胚へと栄養を供給する胚乳を作る.この2つの受精を合わせて重複受精と呼ぶ(図2).多花粉管拒否の異常を伴う変異体のなかでも,助細胞の機能異常によって胚珠の周辺における花粉管ガイダンスに欠損を示すものとして,magatama3, myb98, cen-tral cell guidance などが挙げられる(6~8).これらの胚珠では,胚珠の入り口に分布するはずのAtLURE1が免疫染色によっても検出できず,花粉管が胚珠に侵入できずに迷走をする(5).また,助細胞と花粉管の認識に異常があるため精細胞を含む花粉管内容物の放出が起きずに助細胞も崩壊しないferoniaやnortiaなどの変異体も多花粉管拒否の異常を示す(9, 10).われわれが多花粉管拒否の研究を開始した2010年当初,以上のような情報から,花粉管の内容物放出以降の過程が多花粉管拒否を作動させるカギを握ると考えた.

重複受精による助細胞の不活性化

多花粉管拒否のシグナルの候補としては,少なくとも①花粉管内容物の放出,②花粉管の受容による助細胞の崩壊,③重複受精の3種類が考えられた.これについて検討するためにわれわれは,精細胞膜上に局在する受精

柱頭

胚珠

花粉

花粉管

花粉管

中央細胞

助細胞

反足細胞

卵細胞胚珠

胚嚢

伝達組織

(A) (B)

伝達組織

図1 ■ 雌しべと花粉管の模式図(A) 受粉後のシロイヌナズナの雌しべの様子.柱頭から競争的に伸長する花粉管は伝達組織を通った後に外側にある胚珠へと精確にたどり着く.図ではすべての胚珠に花粉管が到達している.(B) 胚珠近傍の拡大図.胚珠内部には胚嚢が存在する.胚嚢は減数分裂後にできる半数体の胚嚢細胞(大胞子)に由来する7つの細胞,すなわち1個の卵細胞,1個の中央細胞,2個の助細胞,3個の反足細胞からなる.助細胞が分泌する誘引ペプチドの作用で花粉管は胚嚢に到達する.ほとんどの胚珠で1本の花粉管のみを受け入れて効率的に受精が起きることから,「多花粉管拒否」の存在が示唆される.

花粉管

中央細胞

助細胞 卵細胞

精細胞

残存助細胞

崩壊助細胞

胚乳

重複受精助細胞の崩壊花粉管の内容物放出

花粉管が助細胞に到達 残存助細胞の不活性化

(A) (B) (C) (D)

図2 ■ 重複受精の模式図(A) まず,花粉管と助細胞との相互作用が起きる.(B) 次に片方の助細胞に2個の精細胞を含む花粉管内容物が放出される.これにより崩壊した助細胞は崩壊助細胞と呼ばれ,他方は残存助細胞と呼ばれる.(C) 精細胞の一つが卵細胞へと受精し,もう一つが中央細胞と受精するという重複受精が起きる.(D) 受精後に卵細胞からは胚が,中央細胞からは胚乳が作られる.受精後しばらくして,残存助細胞も何らかのメカニズムで不活性化されるために花粉管誘引停止が起きる.

柱頭

胚珠

花粉

花粉管

花粉管

中央細胞

助細胞

反足細胞

卵細胞胚珠

胚嚢

伝達組織

(A) (B)

伝達組織

花粉管

中央細胞

助細胞 卵細胞

精細胞

残存助細胞

崩壊助細胞

胚乳

重複受精助細胞の崩壊花粉管の内容物放出

花粉管が助細胞に到達 残存助細胞の不活性化

(A) (B) (C) (D)

382 化学と生物 Vol. 52, No. 6, 2014

に必須の因子である GENERATIVE CELL SPECIF-IC1 (GCS1)/HAPLESS2 (HAP2) の変異体を解析した(11).gcs1 変異体は花粉管の内容物放出と助細胞の崩壊を起こすものの,精細胞が卵細胞や中央細胞と受精できない.授粉した3日後の雌しべを調べると,gcs1 変異体の花粉管を受け入れた胚珠の約80%が2本目の花粉管を誘引することが示された(12, 13).したがって,多花粉管拒否には,花粉管内容物の放出や助細胞の崩壊ではなく,重複受精の完了が必要ということが明らかとなった.興味深いことに,magatama3やferonia変異体では3

本以上の花粉管が誘引されることは珍しくないのに対し,gcs1変異体はほとんどが2本目までしか花粉管を誘引しない(6, 9, 12).これはgcs1変異体の場合,2本目の花粉管を受け入れた時点で残存助細胞も2つ目の崩壊助細胞へと変わるため,3本目以降を誘引できる機能的な助細胞が枯渇するためと考えられる.そうだとすると,重複受精で制御される多花粉管拒否の実体は,残存助細胞の不活性化による花粉管誘引の停止であることが示唆される(図2).実際,残存助細胞では重複受精に依存して,核局在タンパク質が局在を維持できずに細胞全体へと拡散するという,細胞の不活性化に特徴的な生理的変化が報告されている(13).

助細胞の不活性化とエチレンシグナル

最近になって,残存助細胞の不活性化は,老化促進作用で知られる気体性植物ホルモンのエチレンに依存するという研究が報告された(14) (図3).エチレンシグナル経路の主要な転写因子であるEIN3とEIL1の二重変異体は,重複受精が起きた後も残存助細胞の不活性化が抑制され,2本目の花粉管が誘引される.逆に,エチレンシグナルが構成的に活性化するctr1変異体では,胚珠が未受精にもかかわらず助細胞の不活性化を示す核局在タンパク質の細胞質への拡散が観察される.ein3 eil1二重変異体はもう一つ奇妙な表現型を示す.不活性化を間逃れたein3 eil1二重変異体の残存助細胞の核は受精後まもなく胚乳核のマーカータンパク質を蓄積し始め,やがて胚乳核の分裂に同調した核分裂をする(14).助細胞核がまるで胚乳核へと変わってしまったかのようなこの現象が,どのようなメカニズムで起きるのかについてはわかっていない.

花粉管誘引停止における卵細胞と中央細胞の役割

助細胞の不活性化の仕組みの一端が明らかになる一方で,われわれは多花粉管拒否を引き起こす重複受精シグナルについて,さらに追究する実験を行った(15).上述のように重複受精とは卵細胞の受精と中央細胞の受精の両方を含んでいる.これらのどちらか,または両方が多花粉管拒否の開始シグナルとなっているはずであるが,どちらの受精もほぼ同じタイミングで起こるので,両者の影響を別々に解析することは難しかった.そこでわれわれは,成熟花粉において精細胞が一つしか作られないcdka ; 1変異体を利用することにした.この変異体の花粉を授粉させることにより,卵細胞または中央細胞のどちらかが受精した「単独受精」の状態を作り出すことができる.まず,授粉後3日目の種子に胚または胚乳が作られて

いるかどうかを指標に,それぞれ,卵細胞,中央細胞の受精が起きたかどうかを確認し,さらに,その種子に対して何本の花粉管が挿入されているか調べた.すると,胚乳のみ作られた種子,すなわち卵細胞が未受精だった種子の約30%に2本目の花粉管が挿入されていた.したがって,卵細胞の受精が多花粉管拒否の開始シグナルとなっていることが明らかとなった(図3).一方,胚のみが作られた種子,すなわち中央細胞が未受精だった種子も約30%が2本目の花粉管を受容していた.このことから,卵細胞の受精だけでなく,中央細胞の受精も多花

残存助細胞崩壊助細胞

受精した卵細胞からのシグナル

エチレンに依存した核崩壊

受精した中央細胞からのシグナル

図3 ■ 重複受精と残存助細胞の不活性化のモデル受精した卵細胞と受精した中央細胞から出る花粉管誘引停止シグナルは,独立かつ相加的に残存助細胞の不活性化を誘導する.中央細胞からのシグナルにはFIS-PRC2を介した遺伝子発現抑制が関係する.一方で,重複受精後には胚嚢でエチレンシグナル経路が活性化し,残存助細胞核の崩壊を引き起こす.

残存助細胞崩壊助細胞

受精した卵細胞からのシグナル

エチレンに依存した核崩壊

受精した中央細胞からのシグナル

383化学と生物 Vol. 52, No. 6, 2014

粉管拒否の開始シグナルとなることが示された(図3).これら2種類の単独受精が起きた種子では,確かに2

本目の花粉管の誘引率が重複受精した種子の場合(約5%)と比べて上昇しているが,gcs1変異体により重複受精に失敗した胚珠の場合(約80%)には及ばない. これらの情報を総合すると,卵細胞の受精のシグナルと中央細胞の受精のシグナルは多花粉管拒否の開始において互いに独立した役割を果たしていることが推測される.また,それぞれの受精シグナルは比較的弱いが,両者が重複受精によって相加的に機能することで,強力な多花粉管拒否を引き起こすことも示唆される.さて,それでは卵細胞と中央細胞の受精がどのような

仕組みで多花粉管拒否の原因である残存助細胞の不活性化を引き起こすのか? これを明らかすることが多花粉管拒否の次なる研究課題であるが,今のところ手がかりとなりそうな情報がいくつかある.まず,エチレンシグナルの活性化を示すEIN3の安定化が重複受精によって起きることがわかっている(14).しかし,卵細胞の受精と中央細胞の受精のどちらがこのEIN3の安定化を引き起こすのか,それはEIN3の発現上昇によるものなのか,それとも分解の抑制によるものなのか,そもそもエチレンが合成される細胞はどこなのかなど不明な点がたくさんある.一方,われわれは中央細胞や胚乳に特異的に機能するポリコーム抑制複合体2(PRC2)であるFIS-PRC2が多花粉管拒否に関与することを示した(15, 16) (図3).FIS-PRC2の構成因子をコードするMEDEAや FERTILIZATION-INDEPENDENT SEED2 (FIS2), FERTILIZATION-INDEPENDENT ENDOSPERM (FIE) の変異体は,重複受精が起きた後も2本目の花粉管を誘引する.これら遺伝子が中央細胞で機能することから,この多花粉管拒否異常の表現型も中央細胞の受精シグナル経路の欠損によるものと推測される.しかし,エチレンシグナル経路との関係を含め,その残存助細胞の不活性化に対する仕組みは不明である.今後,これらの点が解明されることで多花粉管拒否の仕組みへの理解が進むと期待される.

花粉管の集中を避ける仕組み

多花粉管拒否を実現するには,上述の残存助細胞の活性制御だけではなく,受精の成否がわかる以前にもほかの花粉管が接近しないようにする必要がある.われわれがGCS1を欠損する変異体を用いてタイムコース実験を行ったところ,最初の花粉管が到達してから数時間は2本目の花粉管が胚珠に来ないことが示された(12).まる

で後続の花粉管が己の不利を悟って身を引くようなこの興味深い現象については,メカニズムが全くわかっていない.現在のところ,magatama3変異体では1本目の花粉管を避けるように2本目以降の花粉管が珠柄を登るという観察から,花粉管同士の反発作用が存在すると言われている(6).詳細な研究はされていないが,この反発作用が受精前の2本目の花粉管の接近を防いでいる可能性がある.

多花粉管拒否の意義と多精拒否

以上のように,多花粉管拒否の仕組みは徐々にわかってきたが,その存在意義については不明なことが多い.まず,胚嚢が2本の花粉管を受け入れて計4つの精細胞が供給されてしまうと,卵細胞や中央細胞で複数回の受精が起きる多精のリスクが生じると考えられる.ただ,エチレンシグナルの変異体やFIS-PRC2の変異体において多精が起きたという報告がないことからも(14, 15),被子植物には多精を防ぐ多精拒否の仕組みが存在すると推測される.実際,単離したトウモロコシの卵細胞と精細胞を用いた in vitro 実験では,受精後の卵細胞が精細胞と融合しないことが報告されている(17).また,2個よりも多い精細胞をもつ花粉が作られるtetraspore変異体を用いた解析からも,卵細胞が多精拒否の仕組みをもつことが示唆された(18).一方で,中央細胞はある程度の多精を許してしまうようである(18).胚乳では雄側ゲノムのコピー数が増加すると,種子の過剰発達を促して場合によっては致死の原因となる(19).多精拒否というセーフティネットが存在していても,多精のリスクを極力低下させる意味で多花粉管拒否の意義は大きいのかもしれない.もう一つ多花粉管拒否には,受精後の胚珠に向かっていく花粉管の「無駄死に」を減らすことで限られた雄と雌で作られるペアの数を最大にするという役割が考えられる.しかし,自家受粉をするために柱頭に付く花粉が胚珠の数より何倍も多いシロイヌナズナでは,雄側を節約する意義は相対的に薄れるはずである.そのため,この仮説は今後の検証が必要である.

受精回復システムの発見

重複受精が成功した場合であれば2本目の花粉管が誘引される意味はない.しかし,重複受精に失敗した場合は論理的に2本目の花粉管が受精を果たす余地が残されている.ただし,胚嚢内の状況は未受精の胚珠と1本目

384 化学と生物 Vol. 52, No. 6, 2014

の花粉管を受け入れた胚珠で大きく異なる.たとえば,花粉管の内容物を受け入れた瞬間,助細胞は急激に崩壊する(12, 20).このダイナミックな変化の後,残存助細胞が2本目の花粉管を誘引するだけでなく,精細胞を受け取って受精させることができるのか検討するため,われわれは gcs1 変異体を用いた解析を行った.その結果,1本目の受精失敗で誘引される2本目の花粉管が野生型だった場合は実際に重複受精が起こり,その効率も1本目の花粉管で受精が起きる場合と遜色がないことがわかった(12).われわれは1本目の花粉管の失敗を補うこの2本目の花粉管の作用を「受精回復システム」と名づけた(図4).2本の花粉管を受け入れた胚珠は古典的研

究で少なくとも13種で観察されている(21).おそらく,受精回復システムは被子植物で広く保存されているのだろう.2本目の花粉管は,卵細胞または中央細胞のどちらか

の受精が失敗する単独受精によっても誘引される.この場合にも受精回復システムが機能するのか調べるため,われわれは精細胞の受精能力が低下して高頻度に単独受精を引き起こすkokopelli変異体を利用した(22).その結果,卵細胞と中央細胞のいずれの単独受精も,誘引された2本目の花粉管によって残されたほうの受精が補われることが示された(15) (図5).卵細胞と中央細胞が受精の成否に依存して独立に残存助細胞の活性を制御してい

2本目の花粉管卵細胞

中央細胞

残存助細胞

崩壊助細胞

1本目の花粉管

2本目の花粉管

精細胞

卵細胞の

単独受精

(A)

(B)

(D) (E)

受精の回復

中央細胞の単独受精

受精の回復

(C)(F)

図5 ■ 単独受精後の受精回復とヘテロ受精花粉管が精細胞を放出した後 (A),卵細胞のみが受精したときには,多花粉管拒否が十分ではないために2本目の花粉管が誘導され (B),これによって中央細胞の受精が回復する (C).同様に中央細胞のみが受精した場合にも2本目の花粉管が誘導され (D),卵細胞の受精が回復する (E).いずれの場合も,異なる父親の精細胞で重複受精が完了するため,遺伝的に異なる胚と胚乳が作られる.このような特殊な受精様式をヘテロ受精と呼ぶ.(F) に全身の細胞核が異なる蛍光タンパク質でラベルされた2種の父親を用いた二重授粉実験によって,胚と胚乳が異なる色でラベルされたヘテロ受精種子を示す(スケールバー,50 μm.文献15から転載).

図4 ■ 受精回復システムの概要花粉管が精細胞を放出した後(A),重複受精が成功すると残存助細胞は不活性化されて2本目の花粉管は誘引されなくなる (B).これに対し,精細胞が重複受精に失敗した場合,残存助細胞は不活性化されずに2本目の花粉管が誘引される (C).さらに2本目の花粉管が放出した精細胞で重複受精が正常に起こり,1本目の花粉管の失敗が補われる (D).(E) に2本の花粉管を受け入れて受精回復によって正常に発達する種子を示す(スケールバー,20 μm.文献12から一部改変して転載).

卵細胞

中央細胞

残存助細胞

崩壊助細胞

1本目の花粉管

2本目の花粉管

精細胞

受精に成功

受精に失敗

(A)

(B)

(C) (D)

受精の回復 1本目の花粉管

2本目の花粉管

発達した種子

(E)

卵細胞

中央細胞

残存助細胞

崩壊助細胞

1本目の花粉管

2本目の花粉管

精細胞

受精に成功

受精に失敗

(A)

(B)

(C) (D)

受精の回復 1本目の花粉管

2本目の花粉管

発達した種子

(E)

2本目の花粉管卵細胞

中央細胞

残存助細胞

崩壊助細胞

1本目の花粉管

2本目の花粉管

精細胞

卵細胞の

単独受精

(A)

(B)

(D) (E)

受精の回復

中央細胞の単独受精

受精の回復

(C)(F)

385化学と生物 Vol. 52, No. 6, 2014

るのは,それぞれの判断によって2本目の花粉管を誘引することで受精の成功率を最大にするように被子植物が進化してきた結果なのかもしれない.受精回復システムは胚珠だけでなく,伸長競争に出遅

れた花粉管側にも挽回のチャンスを与えると考えられる.GCS1の欠損によって受精の失敗を誘導してやると,2本目の花粉管を誘引して受精の回復が完了するまでに授粉後28時間までかかることが示された(12).授粉から8時間でほぼすべての胚珠に花粉管が到達することを考慮すると,われ先にと伸長すると考えられていた花粉管が何らかのメカニズムで長時間待機をしているようである.もし,これが先行組の失敗を待ってから動くという新規の花粉管の受精戦略だとしたらたいへん興味深い.gcs1 変異体による2本目の花粉管誘引には,胚珠の数に対して十分量の花粉が必要となることがわかっている(23).花粉管は周りで競争しているライバルの様子を敏感に察知しながら,柔軟に受精戦略を切り替えているのかもしれない.

今後の展望

胚珠にとって2本目の花粉管は状況に応じて毒にも薬にもなる悩ましい存在と言える.ここ数年の研究で,胚珠が受精の状態を自分で判断し,残存助細胞の活性制御を通じて賢く2本目の花粉管をコントロールする様子が明らかになった.今後は,FIS-PRC2やエチレンシグナル経路の変異体などを用いた解析を足がかりに,残存助細胞の不活性化の分子機構がわかるようになるだろう.多花粉管拒否の研究が進み,高頻度で胚嚢が2本の花粉管を受け入れて4つの精細胞が供給されるような変異体が分離されれば,次は多精拒否の分子生物学的な解析も視野に入ってくる.受精回復システムについては,単に雄雌の受精戦略が

興味深いというだけでなく,新たな受精技術として期待される.通常の受精では,1本の花粉管から供給される精細胞同士は遺伝的に同じであり,同じく卵細胞と中央細胞も互いに遺伝的に同質なため,受精の結果生まれる胚と胚乳も遺伝的に同質となる(図2).ところが,変異体で誘導された単独受精の状態が2本目の花粉管によって回復をした場合は,胚と胚乳が違う遺伝的背景をもつことになる(図5).この特殊な受精現象はヘテロ受精と呼ばれる(24).これを利用することで,たとえば胚と胚乳の間に存在するといわれるsmall RNAを介したコミュニケーションの実体の解明などに役に立つと思われる.

被子植物の生殖分野は,雌しべ組織の奥深くで起きるダイナミックな過程である.この点が壁となり,シロイヌナズナのゲノムが公開された後でさえも,研究者が攻めあぐねることとなった.しかし,今日までに,胚嚢や花粉管を構成する各細胞の遺伝子発現情報やマーカーラインの整備,生殖過程に欠損をもつ変異体の分離と同定,顕微鏡下で受精の過程を再現するsemi-in vitro受精系などの構築が地道に進められてきた.これらの蓄積のおかげで,100年以上も前から連綿と続く固定試料の観察では見えてこなかった重複受精過程の新しい姿が,最近次々と明かされている.本稿で紹介できたのは一例にすぎないが,これがきっかけで多くの方に被子植物の生殖分野の魅力が伝われば幸いである.謝辞:本稿の研究を進めるにあたり,マーカーラインや変異体種子の分与などで多くの共同研究者から協力をいただきました.皆様に対し,厚く御礼を申し上げます.

文献 1) S. M. Ray, S. S. Park & A. Ray : Development, 124, 2489 (1997).

2) T. Higashiyama, H. Kuroiwa, S. Kawano & T. Kuroiwa : Science, 293, 1480 (2001).

3) S. Okuda et al. : Nature, 458, 357 (2009). 4) T. Dresselhaus & M. L. Márton : Curr. Opin. Plant Biol.,

12, 773 (2010). 5) H. Takeuchi & T. Higashiyama : PLoS Biol., 10, e1001449 (2012).

6) K. K. Shimizu & K. Okada : Development, 127, 4511 (2000). 7) R. D. Kasahara, M. F. Portereiko, L. Sandaklie-Nikolova,

D. S. Rabiger & G. N. Drews : Plant Cell., 17, 2981 (2005).

8) Y. H. Chen et al. : Plant Cell, 19, 3563 (2007). 9) N. Huck, J. M. Moore, M. Federer & U. Grossniklaus :

Development, 130, 2149 (2003).10) S. A. Kessler & U. Grossniklaus : Curr. Opin. Plant Biol.,

14, 622 (2011).11) T. Mori, H. Kuroiwa, T. Higashiyama & T. Kuroiwa : Nat.

Cell Biol., 8, 64 (2006).12) R. D. Kasahara, D. Maruyama, Y. Hamamura, T. Sakaki-

bara, D. Twell & T. Higashiyama : Curr. Biol., 22, 1084 (2012).

13) K. M. Beale, A. R. Leydon & M. A. Johnson : Curr. Biol., 22, 1090 (2012).

14) R. Völz, J. Heydlauff, D. Ripper, L. von Lyncker & R. Groß-Hardt : Dev. Cell, 25, 310 (2013).

15) D. Maruyama et al. : Dev. Cell, 25, 317 (2013).16) L. Hennig & M. Derkacheva : Trends Genet., 25, 414 (2009).

17) J. E. Faure, C. Digonnet & C. Dumas : Science, 263, 1598 (1994).

18) R. J. Scott, S. J. Armstrong, J. Doughty & M. Spielman : Mol. Plant, 1, 611 (2008).

19) T. Kinoshita : Genes Genet. Syst., 82, 177 (2007).20) Y. Hamamura et al. : Curr. Biol., 21, 497 (2011).21) P. Maheshwari : “An Introduction to the Embryology of

Angiosperms,” New York, McGraw-Hill, 1950.

386 化学と生物 Vol. 52, No. 6, 2014

22) M. Ron, M. A. Saez, L. E. Williams, J. C. Fletcher & S. McCormick : Genes Dev., 24, 1010 (2010).

23) R. D. Kasahara, D. Maruyama & T. Higashiyama : Plant Signal. Behav., 8, e23690 (2013).

24) G. F. Sprague : Science, 69, 526 (1929).

プロフィル

丸山 大輔(Daisuke MARUYAMA)  <略歴>2004年名古屋大学理学部生命理学科卒業/2010年同大学大学院理学研究科修了/2010年GCOEプレフェロー/2011 ~2013年日本学術振興会特別研究院 (PD)/2014年~名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 (WPI-ITbM) YLC 特任助教,現在に至る<研究テーマと抱負>現在は残存助細胞の不活性化機構について研究している.これに関連して,植物の細胞や組織の分化や可塑性について興味をもっている.将来的には植物細胞を作り替えるような合成生物学的テーマにも挑戦したいと考えている<趣味>猫ブログの巡回

東山 哲也(Tetsuya HIGASHIYAMA)  <略歴>1994年東京大学理学部生物学科卒業/1999年同大学大学院理学系研究科修了/同年同大学大学院新領域創成科学研究科学振PD/1999 ~2006年同大学大学院理学系研究科助手/2004年ルイパスツール大学海外研修/2007年~現在,名古屋大学大学院理学研究科教授/2007 ~2011年,さきがけ研究者/2010年~現在,ERATO東山ライブホロニクスプロジェクト研究総括/2013年~現在,名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 (WPI-ITbM) 副拠点長・教授<研究テーマと抱負>ライブセル解析により,植物生殖システムの鍵分子を同定する.「顕微鏡下で自由自在に」をモットーに,化学・工学との融合により,植物生殖を知る・見る・操作することを目指す<趣味>家族旅行,美味しいもの,4K映像