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り出した 観光 WTO・ :AttA合 同会議 か らの レポ メキシヨ 会議を 機 に協調路線 とる 世界観光機関 (WTO)と 国際航空運送協会 (:ATA)と の観光 航空輸送 に関す る合 同会議 が きる4月 17日 か ら5日間,メ キシヨシティで開かれた。 この会議には ,観 光・航空両業界の代表約 300人 が出席,熱 の こもった論議が交 わ された。日本か らは国際観光振興会(lNTO)情 報管理部・ 調査役の石井昭夫氏が出席 した。以下はこの会議の持つ 意義・ 背景か ら会議場 での雰囲気, さらに 徐 々に固 ま りつつある観光 と航空の両業界の協調関係 などについての同氏か らの レポー ト。 NTO情 報管理部 調査役 |∈ [「 翼軍慧冬眈し つつ観光需要 とともに発展 してきてお り ,チ ャー ター航空イ コール国際観光 とい う図式が成 り立 っ '8 WTO・ :ATA会 議開催 まで WTOと IATAの 共催によるこの観光 と航空輸 送 に関す る国際会議 (Il■ ternational Coゴ erence on Totlrism and Air TranspOrt)は ,1975年 2 月にマニ ラで開かれたのが最初で,今 回のメキシ 会議 はその第 2回 目にあたる。 したが って,主 催者が公式に第 2回と呼ぶのは当然なのである ,他 ,講 演者や フロアの発言の中には,今 の会議 を第 3回 会議 と呼んだ り ,マ ドリー ド ,マ ラに続 く今 回の会議 ……といった表現 をして, あえて1972年 のマ ドリー ドにおけ る会議 (The First Congress on Air Transportation and Tourismと 呼ばれた)を , この会議 と同一視 しよ うとす る発言がか な りあうた。 ドリー ド会議とい うのは,1972年 4月 ,チ ーター航空会社の団体である IACA(Inter‐ national Air Carrtrs Association)の 呼びかけ ,ス インの情報観光省が主催 し ,各 国のチャ ー ター航空会社,旅 行業者,観 光関連施設,消 者団体,ジャーナ リズムなどの各界代表 ら約600人 が参加 して開かれた もの 。会議の 目的は,増 加の 一途にあった航空観 光 旅 行 の,よリー層 の低 廉 ,大 衆化を求めて,.各 国政府や IATAに 現行 規制の緩和 を働 き 勺ダ ようとするものでみった。 しか し ,当 初参加 を予定 していた IATA加 盟キ ャ リアが一斉にこれ をボイ コッ トしたため,会 全体が IATAに 対す る激 し 非難攻撃の場 とな って しまうた。 当時,私 JNTOパ リ事務所に在勤中で,ITC の隆盛 を目の当た りに し ,違 反アフ ティ ャー ターが必要悪視 されているの を見ていたた ,マ ドリー ド会議の開催 とその成 り行きは当然 のことと映ったし ,わ が国の国際観光振興 の立場 か らも ,こ れが きっかけ となってチャー ター規制 が緩和に向か うことを期待 した ものだった。 ていた。 このため, この時′点での「観光」対「航 空」 の関係 は, 観光プラス ,チ ャー ター航空対 IATAキ ャリア とい う対立関係 が成 り立 ってい た。 したがって,観 光 サ イ ドから見たマ ドリー ド会議 の意義は,行 政的には弱者の集団でしかな い「観光」力ヽ 大 きく成長 したチャー ター航空の 応援 を得 て,国 策 を背景 とす る強者「航空」 に戦 を挑み,力 をもって観光側の要請 を航空側 に認 め させ ようと試みた初めての示威行為であった と いえる。 こうした背景か ら ,少 な くともこのマ リー ド会議は,観 光 と航空輸送が緊密 な関係 にあ りなが ら ,そ のよって立つ基盤が異なることをク ロー ズア ップ し ,異 なるがゆえに対話 と協調が不 可欠であることを認識させ ると同時に,それ以来, 消費者 パ ワー その他 の IATAに 対す る風当た り を一段 と強め るきっかけ となった。 航空観光 史のひ とつの画期 をな したこのマ ドリ ー ド会議から3年 を経て1975年 2月 ,政 府間機関 と機構改革 したばか りのWTOと IATAの 催で,第1回 の観光 と航空輸送 に関す る国際会議 がマニ ラで開かれた。 マニ ラ会議 では,オ イル・ショック後の現状分 析 をふ まえて,観 光 と航空輸送に関わる広範な問 題が検討 され,世 界観光 セ ミナー的な色彩の もの としてスター トした。 マニ ラ会議決議は,新 しい 時代に向けての観光 と航空の協調 の基礎 は固 まっ たと評イ面し , 次の よ うに総括 している。 「この会議において主催者が意図 したのは,今 日われわれが当面 してい る国際観光 の発展をめ ぐ る幾 多の複雑 な諸問題 を解決す るこ とではな く , 各国政府観光責任者 と ,世 界の観光 に対 し主要 な 役割 を果 たす各部 門の 責任者 との間に必要な対話 を可能 とす る諸条件 を整 えたい とい うこ とだけで ある。われわれは, この実験が大成功であ り ,こ こに観光全体のサー ビス面にお いて,相 互に実 り い理解が育 まれ うる諸条件が整 ったこ とを確認 す る…… このマニ ラ会議か らさらに 3年 を経 て今 回の第 2国 会議が 開催 された けだが, この 3年 間は, それ まで空の 自由化 とい う点では ヨー ロッ には るかに遅 れ を とっていた米国が,あ っ とい う間に 石井昭夫氏 いつ き追 越し ,世 界の航空界を揺るがすほど の 自由化政策 を打 ち出 して くる歴史的 な転換期 で あった。そしてメキシコ 会議の真の眼目が,米 の大転換が もたらした混乱をどう収拾 し ,将 に向か って どの よ うな新秩序 を構築す きか とい う点にあったことは明らかである。 米国の航空政策 の大転換 1972年 のマ ドリー ド会議当時,米 国は ヨー ロ パの国際観光 を育てた欧州型 ITC(OTC) え認めていないチャー ター後進国であった。各方 面で IATA批 判が高 まるなかで,米 CABの 守ぶ りは,1973年 大西洋運賃の 値上げを承認 した ことか ら ,ラ ルフ・ネー ダー を指導者 とす る消費 者 グループに定期航空会社 べ った りの態度 を攻撃 . され,連 邦裁判所に告訴 されて敗訴す るという夫 態 を演 じたほ どだった。 この時:裁 判所はCAB の反消費者的行政 を非難 したのみならず,IATA の運賃 システムその もの を反 トラス ト法の精神に 反す る と断 じたのであが る。意気上が る消費者 グ ループは「 いずれ航空会社 が 自由に運賃 を決め ら れ るような状 況 を勝 ち とるJと 景気のよ いラッ を吹 いたが,今や,当時の消費者の敵 CABが 一転 して消費者第一主義 を標榜す る自由化のチャンピ オンと変 じ ,「 ネー ダーの気炎」は空論 どころか実 現 しそ うな情勢になって きたのである。 これが他 国ならい ざ知 らず,世 界第一の航空王国 米国の 政策であり , また, 国際政策にも同一論理 をもっ て通そうとしているだけに,そ の巨大 な力 を背景 とす る政策展開の及|ま す影響は甚大である。 「航空輸送 を取 りま く経済的環境」 と題す る講 演 を行 なったブ リテ ィッシュ・カレ ド ニアン航空 のアダム・ トム ソン会長 は,次 の ように述 べ ている。 「米国の打 ち出 したゲイ トウェイ拡大政策 と低 運賃優先主義のおかげで,北 大西洋は街のスー ー・マーケット並みの 安売 り競争 の場 と化し ,各 社 とも同路線 では うま く いって も収支 トン トンが や っ ととい う異常 な状態になって しまった。 とく に新政策に沿 って次 々 と進出 して きた ノー スウエ スト ,デ ルタ ,ブ ニフ ,米 国内航空の雄は北 大西洋路線に経済的利益 よ りもプ レステー ジを求 Weettly r'α υ `JJ。 r″ α ` Jυ ′y 10′ '978

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Page 1: IMG 0003 結合 - BIGLOBE › ~aki141 › airtravel.pdf二人三脚で走り出した「観光」と「航空」 一WTO・:AttA合同会議からのレポートー メキシヨ会議を機に協調路線とる

二人三脚で走 り出した「観光」と「航空」一WTO・ :AttA合同会議からのレポートー

メキシヨ会議を 機に協調路線とる世界観光機関 (WTO)と 国際航空運送協会 (:ATA)と の観光 。航空輸送に関する合同会議が

きる4月 17日 から5日 間,メ キシヨシティで開かれた。この会議には,観光・航空両業界の代表約

300人が出席,熱のこもった論議が交わされた。日本からは国際観光振興会(lNTO)情報管理部・

調査役の石井昭夫氏が出席した。以下はこの会議の持つ意義・背景から会議場での雰囲気, さらに

徐々に固まりつつある観光と航空の両業界の協調関係などについての同氏からのレポート。

」NTO情報管理部調査役

|∈マ[「翼軍慧冬眈しつつ観光需要 とともに発展 してきてお り,チ ャー

ター航空イコール国際観光 という図式が成 り立っ

'8

WTO・ :ATA会議開催 まで

WTOと IATAの共催によるこの観光と航空輸

送に関する国際会議 (Il■ternational Coゴerence

on Totlrism and Air TranspOrt)は ,1975年 2

月にマニラで開かれたのが最初で,今回のメキシ

コ会議はその第 2回 目にあたる。したがって,主

催者が公式に第 2回 と呼ぶのは当然なのである

が,他方,講演者やフロアの発言の中には,今回

の会議を第 3回会議と呼んだり,マ ドリー ド,マニラに続く今回の会議……といった表現をして,

あえて1972年 のマ ドリー ドにおける会議 (The

First Congress on Air Transportation and

Tourismと 呼ばれた)を , この会議と同一視しよ

うとする発言がかなりあうた。

マ ドリー ド会議というのは,1972年 4月 ,チャ

ーター航空会社の団体である IACA(Inter‐

national Air Carrtrs Association)の 呼びかけ

で,スペインの情報観光省が主催し,各国のチャ

ーター航空会社,旅行業者,観光関連施設,消 費

者団体,ジ ャーナリズムなどの各界代表ら約600人

が参加して開かれたもの。会議の目的は,増加の

一途にあった航空観光旅行 の,よ リー層の低 廉

化,大衆化を求めて,.各国政府や IATAに 現行

規制の緩和を働き勺ダようとするものでみった。

しかし,当初参加を予定していたIATA加 盟キ

ャリアが一斉にこれをボイコットしたため,会議

全体が IATAに 対する激しい非難攻撃の場とな

ってしまうた。

当時,私はJNTOパ リ事務所に在勤中で,ITC

の隆盛を目の当たりにし,違反アフィニティ・チ

ャーターが必要悪視されているのを見ていたた

め,マ ドリー ド会議の開催とその成り行きは当然

のことと映ったし,わが国の国際観光振興の立場

からも,こ れがきっかけとなってチャーター規制

が緩和に向かうことを期待したものだった。

ていた。このため, この時′点での「観光」対「航

空」の関係 は, 観光プラス,チ ャーター航空対

IATAキ ャリアという対立関係が成り立ってい

た。したがって,観 光サ イ ドから見たマ ドリー

ド会議の意義は,行政的には弱者の集団でしかな

い「観光」力ヽ 大きく成長したチャーター航空の

応援を得て,国策を背景とする強者「航空」に戦

いを挑み,力 をもって観光側の要請を航空側に認

めさせようと試みた初めての示威行為であったと

いえる。こうした背景から,少なくともこのマ ド

リー ド会議は,観光と航空輸送が緊密な関係にあ

りながら,そ のよって立つ基盤が異なることをク

ローズアップし,異なるがゆえに対話と協調が不

可欠であることを認識させると同時に,そ れ以来,

消費者パワーその他のIATAに 対する風当たり

を一段と強めるきっかけとなった。

航空観光史のひとつの画期をなしたこのマ ドリ

ー ド会議から3年 を経て1975年 2月 ,政府間機関

へと機構改革したばかりのWTOと IATAの 共

催で,第 1回の観光と航空輸送に関する国際会議

がマニラで開かれた。

マニラ会議では,オ イル・ショック後の現状分

析をふまえて,観光と航空輸送に関わる広範な問

題が検討され,世界観光セミナー的な色彩のもの

としてスター トした。マニラ会議決議は,新 しい

時代に向けての観光と航空の協調の基礎は固まっ

たと評イ面し, 次のように総括している。

「この会議において主催者が意図したのは,今日われわれが当面している国際観光の発展をめぐ

る幾多の複雑な諸問題を解決することではなく,

各国政府観光責任者と,世界の観光に対し主要な

役割を果たす各部門の責任者との間に必要な対話

を可能とする諸条件を整えたいということだけで

ある。われわれは, この実験が大成功であり,こ

こに観光全体のサービス面において,相互に実り

多い理解が育まれうる諸条件が整ったことを確認

する……」

このマニラ会議からさらに3年 を経て今回の第

2国会議が開催されたゎけだが, この 3年間は,

それまで空の自由化という点ではヨーロッパには

るかに遅れをとっていた米国が,あ っという間に

石井昭夫氏

追いつき追い越し,世界の航空界を揺るがすほど

の自由化政策を打ち出してくる歴史的な転換期で

あった。そしてメキシコ会議の真の眼目が,米政

策の大転換がもたらした混乱をどう収拾し,将来

に向かってどのような新秩序を構築すべきかとい

う点にあったことは明らかである。

米国の航空政策の大転換

1972年のマ ドリー ド会議当時,米国はヨーロッ

パの国際観光を育てた欧州型 ITC(OTC)さえ認めていないチャーター後進国であった。各方

面でIATA批 判が高まるなかで,米 CABの保

守ぶりは,1973年 大西洋運賃の値上げを承認した

ことから,ラ ルフ・ネーダーを指導者とする消費

者グループに定期航空会社べったりの態度を攻撃 .

され,連邦裁判所に告訴されて敗訴するという夫

態を演じたほどだった。この時:裁判所はCABの反消費者的行政を非難したのみならず,IATAの運賃システムそのものを反トラスト法の精神に

反すると断じたのであがる。意気上がる消費者グ

ループは「いずれ航空会社が自由に運賃を決めら

れるような状況を勝ちとるJと 景気のよいラッパ

を吹いたが,今や,当 時の消費者の敵CABが一転

して消費者第一主義を標榜する自由化のチャンピ

オンと変じ,「ネーダーの気炎」は空論どころか実

現しそうな情勢になってきたのである。これが他

国ならいざ知らず,世界第一の航空王国・米国の

政策であり, また, 国際政策にも同一論理をもっ

て通そうとしているだけに,そ の巨大な力を背景

とする政策展開の及|ます影響は甚大である。

「航空輸送を取りまく経済的環境」と題する講

演を行なったブリティッシュ・カレドニアン航空

のアダム・トムソン会長は,次 のように述べている。

「米国の打ち出したゲイトウェイ拡大政策と低

運賃優先主義のおかげで,北大西洋は街のスーパ

ー・マーケット並みの安売り競争の場と化し,各

社とも同路線ではうまくいっても収支 トントンが

やっとという異常な状態になってしまった。とく

に新政策に沿って次々と進出してきたノースウエ

スト,デルタ,ブラニフ等,米国内航空の雄は北

大西洋路線に経済的利益よりもプレステージを求

Weettly r'α υ`JJ。“

r″α` Jυ

′y 10′ '978

Page 2: IMG 0003 結合 - BIGLOBE › ~aki141 › airtravel.pdf二人三脚で走り出した「観光」と「航空」 一WTO・:AttA合同会議からのレポートー メキシヨ会議を機に協調路線とる

めている。これらは正当な競争といえず,各国航

空会社の経営基盤に大きな脅成を与えている」

同氏は, この中で,米国の追求する行きすぎた

航空規制撤廃(デ レグ)の下では,航空企業は純粋

酸素の中で燃えるローソクの如く,た ちまち燃え

つきてしまうであろうと警告している。

一方,本紙 5月 29日 号にその講演要旨が紹介さ

れているエア・カナダのクロー ド・テイラー社長

の場合には,定期航空会社としてエア・カナダは

最後の最後まで活路を見出そうと努力したが,つ

いに継続の見通しが立たず,い くつかのヨーロッ

パ路線を運航停止にせざるを得なかったと, BC

ALの トムソン会長の言葉を裏付けている。

しかし,現在の危機的状況を誰がもたらしたか

という点については具体的に触れていない。むし

ろ,直接言及するのを注意深く避けながら, しか

も米国だけを責められないということを暗黙のう

ちに表現しているように思われる。

もう一人,今後の新しい航空秩序をどう整える

かの俯取図を提示したスイスの航空局長は,米国

の新航空政策は,性急にすぎ極端すぎるとはいえ,

その進もうとする方向自体は不可避的であり, ま

た望ましいとさえ評価している。

これらメキシコ会議のスピーカー達に限らず,

米国の政策転換をどう見るかは,見る人の立場に

よって微妙に,あ るいは決定的に違っているもの

の,― 米国ユの攻撃目標が戦後の空の秩序を

支配してきたIATAの運賃体制そのものにあり,

IATAが これにどう対処するかが問題の焦点で

あるという点では,ほぼ一致している。

ここでも間われるlATAの姿勢

1972年のマ ドリー ド会議の時点では,観光と航

空の対立関係はチャーター航空対 IATAと いう

図式で表面化したことは先に述べたが,デャータ

ー便の定期的運航,ス カイトレイン型定期便の“発

車"と ,こ れに伴う定期航空各社の多様なプロモ

ーショナル運賃の導入によって,定期,不定期の

差が不明瞭になり, この図式は過去のものとなっ

た。そして今,米航空当局が観光すなわち消費者

の利益の代弁者をもって任ずるに及んで,観光対

航空は米CABttI ATAの対立へと予想外の展

開をみせてきたのである。

振 り返れば, IATAが 60年代から70年代へか

けての航空観光旅行の急激な大衆化のなかで,ギ

ア・チェンジに失敗してオーバー・ヒー トしたの

がマ ドリー ド会議であった。マ ドリー ド会議で,

人々は IATAを 「傲慢な富者のカルテル」とか

「醜い肥った豚の集まりJな どと口ぎたなくのの

しったし,半年後ロンドンで開かれたIATA年

次総会では,来賓のヒース英首相が,「 IATAは

その果たすべき任務を果たしていない」と公然と

批判し,「 もし定期航空会社が簡単で安価なサービ

スを提供しないならば,人々は別の方法を探すで

あろう。そして誰も彼らを非難することはできな

い……」と,そ の後の展開を暗示するような発言

をしている。

このような成り行きに対してIATAは ,マニ

ラ会議でともか く観光側との対話を始めたもの

の, その硬直した体質のために,終始その場しの

ぎの微調整しかしてこなかった。

米国は1975年頃を境に,は っきりと航空規制を

緩和する方向に転じ,そ の過程のなかでIATAの運賃規制は反消費者的であるとする批判を強め

てきた。そして米国は,ついにIATAは 反トラ

スト法違反の疑いありとする “伝家の宝刀"を抜

くまでに至った。これにはさすがのIATAも飛

び上がつた形で,仮 に米国のこの痛棒がなければ,

なお, ぐずぐずと解決を先に延ばす可能性が強か

ったことを思えば,観光側に立つ人間なら,あ るい

はIATA内 の改革派をも含め,米国の行きすぎ

を云々する前に, IATAに 腰を上げさせたこと

に対して拍手を送 りたくなるのは当然であろう。

その意味からは米国の新航空政策が, メキシコ

会議を開かせ,会議の方向をリー ドしていたかも

しれない。が,政策そのものについての論議はそ

れほどなかったようで,メ キシコ会議の決議では,

「極端な自由競争,極端な保護主義に陥らない政

策をめざすこと,が望ましいJと ,改革をはばむ

保守派と抱き合わせの反対決議となっている。

受け入れ側に歓迎すべき米政策

以上,観光と航空の関係を,「観光」イコール「消

費者の利益Jと いう図式,い わば送 り出し市場国

側の問題としてみてきたが, これと反対に,外客

誘致,す なわち受け入れ国の立場から現体制を攻

撃したのが発展途上諸国であった。

IATAの 運賃体形は形骸化しているとはいつ

ても,それは北大西洋上だけであつて,そ の他の

地域ではそう揺らいてはいない。「観光の発展を妨

げる障害」というテーマ 。ブレゼンテーションを

行なったベネズエラ代表は「ラテン・アメリカに

おいては,事態はマ ドリー ド会議から一歩も前進

していない」と怒りをこめて証言し,北大西洋と

南北交通との間の差別的ともいえる運賃格差を是

正するよう要求した。

この運賃格差問題も観光と航空との昔ながらの

争点であり,観光サイドからの度重なる要請に I

ATA側 が門前払いをくわせてきた問題である。

しかし,北大西洋が「スーパーの安売り合戦にも

似た」廉売市場と化して,本来なら自分達の方に

来てくれるはずの客まで, ごつそりさらってしま

う情勢となり, あまつさえ「北大西洋の損は他路

線で取り返すしかない」(BCAL・ トムソン会長 )

などと言われるに及んで,一体, 自分達のことは

どうしてくれるんだと,発展途上諸国が一歩も引

かない構えで立ち上がったのは,け だし当然とい

えよう。

メキシコ会議では,米 CABの政策のもたらし

た不安の旋律を底に響かせながら,表ではこれら

発展途上諸国のIATA運 賃体制非難の声が終始

議場内を支配していた。

発展途上諸国のキャリアは,先進国のそれとま

ともに競争しては到底太刀打ちできない。だから

カイロの気ノ浮レン経由の

●コベンハーゲン

0ンドンo Oフランクフルト . ●ベイし―トパ"浮動 3ン

ニコシァ畷霧

ジネ ーブ●oシ‐ ジャ

●ローマ .ァ テネ ●アンマン oクウエート

エジプト航空は、7月から現在の水曜便、土曜便に加え、月曜便のフライトカ`曽便となり、カイロヘ週3便。経由地はバーレンカ渤口わり、中東への旅カミよリー層便矛■こなりました。

エジプト腔 。 》."」叫"ヵワ♂・ こヽヲJ・・誅スメロ唄兄「・」鶴

●ルクソJレニューバレー●

ル %週3便になりま陵 。灯BOEING 707週3便 月・水・土曜 15:00

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世界の空の自由化という米国の政策は彼らにとっ

て迷惑であり,現体制の良否はともかく,便数制

限や路線制限を行なって,フ ラッグ・キャリアを

保護しようとするのが一見,論理的のようである。

しかし,例 えば,広大な国土に定期航空会社30余

社,サプリメンタル 8社 を擁する大米国と対等,

平等と言ってみたところで, それは幻想にすぎ

ない。自国キャリアの能力を超える部分については,

国籍の如何を問わず,ま た,チ ャーター便であれ定

期便であれ,観光客を腹一杯に積み込んで飛んで

きてくれるのは多ければ多いほどよいはずである。

だとすれば,米政策は今は北大西洋ばかりを利

して (外客誘致の観点から)い るけれども,そ の

基本の思想は, 目的地はどこであれ, より多くの

観光客を, より安 く運ばせようというところにあ

る以上,歓迎すべきことであっても反対する理由

はないのである。

これは発展途上国に限ったことではなく,米国

自身を含め外客誘致に熱心な先進諸国にとっても

同じことである。というより,国籍を問わず,定

期,不定期を問わず,外国人観光客を満載して航

空機が飛来するのは,い くら多くても結構である

というのが「観光」の側の基本的論理なのである。

もちろん,だからといって無規制でよいというの

ではなく,一定の秩序を維持し,公正な競争が行

なわれるべ く規制されることは,観光の立場から

も望ましいことであるのは言うまでもない。

しかし,今 日のように航空サービスの料金は減

茶苦茶であるといわれ,規制が実態に合っていな

いことがほぼ明らかであるのに, いつまでもその

抜本的改正に手をつけないならば,運賃設定機構

としてのIATAは ,不当なカルテルと排斥され

ても仕方がないであろう。今となっては,IATAが多少の譲歩をする程度では事は収まらないので

はないだろうか。スイスの航空局長が提案してい

るように,新 しい空の秩序は,観光というシステ

ムの中の一つのサブ・システムとして,定期,不定期を問わず,世界の航空サービス全体を包含す

るものとして発想されねばならないだろう。

lATAは生 まれ変われるか

IATAは そのような新 しい空の秩序の担い手

として,生 まれ変わることができるだろうか。今回

のメキシコ会議は, その開催自体がこの問いに対

する IATAと WTOの 合意の回答であり,「 IATAは 変わる」 という共同宣言であると考えてい

る。

トムソンBCAL会 長は,米政策の行 き過ぎを

公けに批判 した一人だが,そ れでもなお,その自

由化政策が IATAと か,航空権益とか,1日 米の狭

い思考の枠から人を解放する効果を果たしたと評

価 し, IATAが 過去の誤 りを反省 し出直すべ き

であると言っている。また,テ イラー・エア・カ

ナダ社長は自らIATAの 機構見直 し委員会 (タス

ク・フォース)の 長 として,IATAあ 側に発想の転

換が必要であるとの勧告を出 し,IATAの 現状か

らの脱皮が可能であることを確信 している。

観光と航空の対話と協調の第―歩

マ ドリー ドからメキシコヘの道は,観光 と航空

の対立の表面化 と,そ のエスカレー トの歴史であ

った。 しか し,こ のメキシコ会議を境にようや く

真の対話 と協調が生まれようとしていると見るの

は楽観にすぎるであろうか。

対話 と協調の第一歩は,こ のメキシコ会議 n~w

TOと IATAが 運賃問題見直 しのための共同作

業部会の設置を決議 したことであり,す でに,その早期発足を目ざして人選に入っているという。

われわれにとってこれ以上嬉 しいニュースはな

い。いったい諸々の交通機関の中で,その運賃体

系の検討に「観光」カシ ―ヾ トナー として参画する

という例があったであろうか。この小文では,あ

えて観光 と航空の相反する部分 を拡大 してみたの

だが,今発足 しようとしているWTOと IATAの合同運賃会議こそ,観光 と航空運輸の関係がい

かに密接なものであるかを示す ものである。

開催国メキシコのロセル・デラ・ラマ観光大臣

は,そ の基調演説の中で,観光政策と航空政策が

一体であるべきことを強調し,観光と航空運送と

の対立は競争に対する間違った観念から生ずるも

のであると断言している。

マニラにおいて合意された対話と協調の「総論」

は, ようやく「各論Jの段階に入ろうとしている。

メキショ会議は観光大臣の祈願どおり,対立から

協調への転回′点となるかもしれない。

立ち遅れ甚 しいわが国の現状

ひるがえって,わが国における状況はどうであ

ろうか。残念ながら,観光と航空が車L礫 を起こす

ところまでもいっていない,い わばマ ドリー ド以

前の段階といえないだろうか。

日米航空協定の改訂や待ったなしの新チャータ

ー政策など,わが国の航空と観光も今,大 きな変

革期を迎えているが,「観光」は未だ「航空」に物

申すまとまりを欠いているし, これをバ ンクアッ

プする消費者パワーも弱い。応援のチャーター航

空というものも存在しない。

しかし,航空政策は同時に観光政策でもあるこ

と, とくにチャーター政策やプロモーショナル運

賃の問題は航空政策である以上に観光政策である

という認識を,観光の側に立つ人も航空の側に立

つ人もひとしく持っていたいものである。一国の

国際航空政策は,国際観光政策と無縁のものであ

ってはならないからである。

当面の問題であるチャーター規制の緩和につい

ては, ITCの 追加だけという意見もあるようだ ,

が,世界の情勢からみて, いかに何でも, これだ

けでは寂しい限りである。日本の消費大衆のため

にも, インバウンドの促進のためにも,ABC型チャーターを含む大幅のチャーター緩和を期待し

たい。

わが国においても,観光という分野における各

パー トナーの間の対話は, もっともっと必要では

ないだろうか。