ifrs適用のアナウンスメントが 日本市場に与える...

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IFRS適用のアナウンスメントが 日本市場に与える影響 1 本稿の目的と内容 2IFRS 適用が純利益に与えた影響 2.1 リサーチ・デザイン 2.2 分析結果 3IFRS 適用のアナウンスメントが株価に与えた影響 3.1 先行研究のレビュー 3.2 リサーチ・デザイン 3.3 分析結果 3.4 追加的な分析 4 本稿の結論と今後の課題 1 本稿の目的と内容 国際財務報告基準(InternationalFinancialReportingStandards:IFRS )が日本におい ても普及している 1 2005 年の欧州連合(EuropeanUnion:EU )の域内上場企業に対する IFRS の強制適用をはじめとして、世界各国で IFRS が適用され、現在 100 ヵ国を超える国家 IFRS を適用しているとされる。日本においても、2010 3 月決算期から IFRS 任意適用 が認められ、2015 3 月決算期までに IFRS を適用した上場企業は 60 社になる。また、2015 4 月以降に IFRS を適用した企業、あるいは今後 IFRS 適用を予定している企業は 62 社存 在する(2016 5 月現在) 2 海外では、IFRS の強制適用が EU域内企業、ならびに市場に与えた経済的帰結についての 実証分析が多く存在する 3 。一方、日本においては、IFRS の任意適用に至る企業数が最近ま で少数であったことから、筆者の知る限り日本を対象とした先行研究は非常に少ない。また、 日本においては、IFRS を強制適用するかどうかについて最終的な決定まで至っていない。こ のような状況の中で、IFRS 適用が日本企業、ならびに市場に与えた経済的帰結についての証 拠を提示することは、今後の IFRS 強制適用に対する議論に一定の示唆を与えることができる という意義を有する。本稿は、IFRS 適用が日本企業、ならびに市場に与えた経済的帰結を明 137 キーワード:国際財務報告基準(IFRS )、純利益の押し上げ効果、IFRS 適用のアナウンスメント

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IFRS適用のアナウンスメントが日本市場に与える影響

井 上 謙 仁

1 本稿の目的と内容

2 IFRS適用が純利益に与えた影響

2.1 リサーチ・デザイン

2.2 分析結果

3 IFRS適用のアナウンスメントが株価に与えた影響

3.1 先行研究のレビュー

3.2 リサーチ・デザイン

3.3 分析結果

3.4 追加的な分析

4 本稿の結論と今後の課題

1 本稿の目的と内容

国際財務報告基準(InternationalFinancialReportingStandards:IFRS)が日本におい

ても普及している1)。2005年の欧州連合(EuropeanUnion:EU)の域内上場企業に対する

IFRSの強制適用をはじめとして、世界各国でIFRSが適用され、現在100ヵ国を超える国家

がIFRSを適用しているとされる。日本においても、2010年3月決算期からIFRS任意適用

が認められ、2015年3月決算期までにIFRSを適用した上場企業は60社になる。また、2015

年4月以降にIFRSを適用した企業、あるいは今後IFRS適用を予定している企業は62社存

在する(2016年5月現在)2)。

海外では、IFRSの強制適用がEU域内企業、ならびに市場に与えた経済的帰結についての

実証分析が多く存在する3)。一方、日本においては、IFRSの任意適用に至る企業数が最近ま

で少数であったことから、筆者の知る限り日本を対象とした先行研究は非常に少ない。また、

日本においては、IFRSを強制適用するかどうかについて最終的な決定まで至っていない。こ

のような状況の中で、IFRS適用が日本企業、ならびに市場に与えた経済的帰結についての証

拠を提示することは、今後のIFRS強制適用に対する議論に一定の示唆を与えることができる

という意義を有する。本稿は、IFRS適用が日本企業、ならびに市場に与えた経済的帰結を明

137

キーワード:国際財務報告基準(IFRS)、純利益の押し上げ効果、IFRS適用のアナウンスメント

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らかにすることを目的とする。具体的には、IFRS適用が日本企業に対して、平均的に純利益

の押し上げ効果を与えているのかどうか、また、IFRS適用のアナウンスメントを受けて、日

本市場がどのような反応を示したのかについて検証する。

上述のように日本企業、ならびに市場を対象としたIFRS適用の経済的帰結について分析し

た先行研究は数少ないが、その中で、井上・石川(2014)は、インプライド資本コストの観点

から日本企業に対するIFRS適用の影響を分析している。この研究では、2014年3月期まで

にIFRSを任意適用した日本企業27社のうち、金融2社を除く25社と、産業・規模が類似し

たコントロール企業(21社(25企業年))を対象として、インプライド期待成長率とインプラ

イド資本コストを同時逆算推定することで、インプライド資本コストに対するIFRS適用の影

響を検証している4)。分析の結果、IFRS適用期末時点で、IFRS適用企業のインプライド資本

コストはコントロール企業を上回っているものの、この差異は統計的に有意ではなかった5)。

また、IFRS適用のアナウンスメントを受けてインプライド資本コストは上昇するものの、適

用期の決算発表日までにコントロール企業との有意な差異が消滅しているという事実も明らか

となった。

DiamondandVerrecchia(1991)やBaimanandVerrecchia(1996)は、企業のディスク

ロージャーの水準の高まりが市場流動性を上昇させ、資本コストを低下させるという理論モデ

ルを展開している。ここで、IFRSがディスクロージャーの水準を高める会計基準であるとい

う経験的証拠(たとえば、AshbaughandPincus,2001やDaskeandGebhardt,2006)を踏

まえるならば、IFRS適用は、日本企業のディスクロージャーの水準を高め、結果として資本

コストを低下させるという予想を提示することができる。しかし、井上・石川(2014)の結果

は、この予想と正反対のものである6)。

井上・石川(2014)は、まず、日本においては、市場流動性が既に相当程度高い企業が

IFRS適用を行っている可能性があることを指摘している。この場合、IFRSを適用する日本

企業においては、「IFRS適用→市場流動性上昇→資本コスト低下」という理論モデルのストー

リーが当てはまらないと解釈している。そして、IFRS適用のアナウンスメントがインプラ

イド資本コストの一時的な上昇をもたらす要因として、IFRS適用が与える短期的な利益の

押し上げ等によるプラスの経済的帰結に対して、市場が過剰反応したことで、投資家の期待

リターン(インプライド資本コスト)が上方改定された可能性を指摘している7)。これらの実

証結果を踏まえて、井上・石川(2014)は、IFRS適用が与える経済的帰結を検証する際に、

このアナウンスメント効果を考慮したリサーチ・デザインを構築する必要があると指摘してい

る。

しかし、井上・石川(2014)で指摘された、IFRS適用の経済的帰結というものを日本企業

が享受しているのかということは、これまで明らかとなっていない。そこで、本稿では、純利

益の押し上げ効果に着目し、IFRS適用が日本企業に対して、純利益の押し上げ効果を与えて

経営研究 第67巻 第1号138

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いるのかについて実証的に解明する。ここで、純利益の押し上げ効果とは、純利益が日本基準

ベースのものよりもIFRSベースの方が見かけ上多くなることを指す。たとえば、日本基準に

おいて要求されていたのれんの償却が非償却化され、費用計上されていた開発費の一部が資産

計上されることで、費用が低下し、結果として純利益が押し上げられる。実際に、個別企業レ

ベルでは、IFRS適用による純利益の押し上げ効果を享受する企業が存在している。本稿では、

統計的手法を用いて、IFRS適用が日本企業に対して、純利益の押し上げ効果を平均的に与え

ているのかどうかについて分析する。

具体的には、2015年3月決算期までにIFRSを任意適用した日本企業60社中、所定の要件

を満たす54社を対象として、IFRS適用前期とIFRS適用期それぞれの、IFRSベースの純利

益と日本基準ベースの純利益とを比較する8)。分析の結果、IFRS適用は日本企業に対して、

純利益の押し上げ効果を平均的に与えていることが明らかとなる。

このような効果に対して、市場はどのような反応を示したのか。井上・石川(2014)が提示

したIFRS適用のアナウンスメント効果を念頭におくならば、IFRS適用のアナウンスメント

時に、純利益の押し上げ効果のような経済的帰結を踏まえて、市場は何らかの反応を示してい

る可能性がある。本稿では、日本企業のIFRS適用のアナウンスメント日前後の株価反応を観

察することで、IFRS適用のアナウンスメントに対して、市場がどのような反応を示している

のかについて分析する。

分析の結果、IFRS適用のアナウンスメント日に有意なプラスの株価反応が観察される。こ

れは、IFRS適用が日本企業に、純利益の押し上げ効果のような経済的帰結を平均的に与える

ことを市場が認識して、過剰反応したことを示唆している。しかし、IFRS適用のアナウンス

メント日の翌取引日において、有意なマイナスの株価反応が観察される。さらに、アナウンス

メント日とその翌取引日の間における累積異常リターン(CAR)は、非有意であるという証

拠も提示する。これは、IFRS適用の純利益の押し上げ効果が、企業の長期的なパフォーマン

スにまで影響を与えないという市場の認識を示唆するものである。追加分析において、このよ

うな株価反応は、IFRS適用の純利益の押し上げ効果を享受する企業に対してのみ観察される

ことも明らかとなる。

本稿の構成は以下のとおりである。第2節では、IFRS適用が日本企業に純利益の押し上げ

効果を平均的に与えているのかについて分析する。第3節では、IFRSの適用アナウンスメン

トに対して、市場がどのような株価反応を示しているのかについて分析する。第4節は本稿の

結論と今後の課題である。

2 IFRS適用が純利益に与えた影響

本節では、IFRSを任意適用した日本企業を対象に、IFRS適用による純利益の押し上げ効

果が存在するのかについて検討する。IFRS適用の理由として、主に次の3つが挙げられる9)。

IFRS適用のアナウンスメントが日本市場に与える影響(井上) 139

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第1に、海外投資家への対応である。IFRSでの業績開示は、同じくIFRSを適用している海

外企業との業績の比較が容易になる。このことがグローバルマネーを呼びこむことにつながる。

第2に、グループの業績管理に対するメリットである。海外子会社がIFRSを適用している場

合、IFRSを適用することで統一的な業績管理が可能になる。第3に、純利益の押し上げに対

する期待である。たとえば、日本基準において規則償却していたのれんが、IFRS適用で非償

却となる。また、開発費の一部も日本基準では発生時に費用計上だったものが、IFRS適用で

資産計上される。これらの要因が費用を低下させ、結果として純利益が押し上がる可能性があ

る。

実際に純利益が押し上がる例が認められる。そーせいグループ(株)が発表した「国際会計

基準(IFRS)の任意適用に関するお知らせ」(2014年2月12日)によれば、2014年3月決算

期の連結純利益予想は日本基準ベースで10億円の赤字に対し、IFRSベースで8億2,100万円

の黒字になると試算している。この純利益の押し上げの要因として、のれんの非償却化や開発

費の一部の資産計上を挙げている10)。

海外では、IFRS適用が純利益にどのような影響を与えているのかについて、いくつか先行

研究が存在する。たとえば、HungandSubramanyam(2007)は、1998~2002年にIASを

自発的適用したドイツ企業を対象に、IAS適用が純利益に与えた影響について分析している11)。

分析の結果、純利益は、平均値ベースではIASとドイツ基準間に有意な差は存在せず、中央

値ベースの場合ではむしろドイツ基準の方がIASよりも純利益が有意に大きいという証拠を

提示している。また、O・ConnellandSullivan(2008)は、EU域内企業を対象に、2005年の

IFRS強制適用は、純利益にどのような影響を与えたのかについて分析している。分析の結果、

IFRS強制適用は、EU域内企業の純利益を有意に押し上げたことが明らかとなった。これら

の先行研究からは、IFRS適用が純利益に与えた影響について、一貫した証拠を確認すること

ができない。

では、日本企業についてはどうであろうか。日本企業は、IFRS適用のメリットとして提示

されるような純利益の押し上げ効果を本当に享受しているのだろうか。本節では、統計的手法

を用いることで、IFRS適用が日本企業に対して、純利益の押し上げ効果を平均的に与えてい

るのかについて分析する。具体的には、IFRS適用前期とIFRS適用期それぞれの、IFRSベー

スの純利益と日本基準ベースの純利益を比較することで、IFRS適用が純利益に対して、どの

ような影響を与えているのかについて分析する。

2.1 リサーチ・デザイン

IFRSを新規に適用する企業は、IFRS適用前期とIFRS適用期について、IFRSベースの純

利益と日本基準ベースの純利益をともに開示している。つまり、IFRS適用企業においては、

①IFRS適用前期における日本基準ベースの純利益・NI・JPNt・1・、②IFRS適用前期における

経営研究 第67巻 第1号140

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IFRSベースの純利益 ・NI・IFRSt・1・、③IFRS適用期における日本基準ベースの純利益

・NI・JPNt・、④IFRS適用期におけるIFRSベースの純利益・NI・IFRSt・の4つの純利益が取

得可能である。これら4つの純利益を用い、まずIFRS適用前期おけるIFRSベースの純利益

と日本基準ベースの純利益の差、およびIFRS適用期におけるIFRSベースの純利益と日本基

準ベースの純利益の差をそれぞれ計算する。なお、企業規模を調整するために、前期末の時価

総額、総資産、あるいは売上高をデフレーター(def)として用いる。計算式は以下のとおり

である。

diff・NIt・1・NI・IFRSt・1・NI・JPNt・1

def・JPNt・2

・1・

diff・NIt・NI・IFRSt・NI・JPNt

def・JPNt・1

・2・

diff・NI:純利益の差

NI・IFRS:IFRSベースの純利益

NI・JPN:日本基準ベースの純利益

def・JPN:日本基準ベースのデフレーター(時価総額、総資産、売上高)

tはIFRS適用期を指す

(1)式、または(2)式で計算された純利益の差が、IFRSを適用することで生じる純利益

の変化分である。これがプラス(マイナス)であれば、IFRS適用が純利益を押し上げている

(押し下げている)ことになる。

では、IFRS適用で日本企業の純利益は、平均的にどのように変化しているのか。これを明

らかにするために、純利益の差が統計的に有意に0と異なるかどうかについてt検定、および

Wilcoxonの符号順位検定(いずれも両側検定)を用いて検証する。IFRS適用が平均的に純

利益の押し上げ効果(押し下げ効果)を日本企業に与えるのなら、純利益の差はプラス(マイ

ナス)に算定され、かつ0と有意に異なることが期待される。

本節の分析に用いるサンプルは、2015年3月期までにIFRSを任意適用した日本企業60社

のうち、①金融業に属している企業(4社)、②IFRS適用とともに新規上場をした企業(2社)

を除く54社から構成される12)。分析に用いる財務データ(連結ベース)、および株価データは

『日経NEEDS-FinancialQUEST』(日経メディアマーケティング(株))から取得している。

表1はIFRS適用前期、およびIFRS適用期において、IFRSを適用することで純利益が

押し上がった企業の数を示したものである。表 1から、IFRS適用前期で 53社中 39社、

IFRS適用期で51社中36社が、IFRSを適用することで純利益が押し上がっている事実が

確認できる。では、純利益の押し上げ効果は、IFRS適用企業全体で統計的に認められるであ

ろうか。

IFRS適用のアナウンスメントが日本市場に与える影響(井上) 141

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2.2 分析結果

表2は、IFRS適用前期とIFRS適用期における、IFRSベースの純利益と日本基準ベース

の純利益の差を検定した結果を示したものである。まず、どのデフレーターを用いた場合でも、

diff・NIt・1とdiff・NItの平均値、中央値はともにプラスであることがわかる。t検定によれば、

時価総額でデフレートしたdiff・NIt・1が両側10%水準でプラス有意である。また、総資産で

デフレートした場合は、diff・NIt・1とdiff・NItのいずれも両側5%水準でプラス有意である。

Wilcoxonの符号順位検定によれば、どのデフレーターを用いた場合でもdiff・NIt・1とdiff・NIt

経営研究 第67巻 第1号142

表1 IFRS適用による純利益の増加企業数

注)サンプルは、2015年度3月決算期までにIFRSを任意適用した60社のうち、所定の要件を満たす54社である。なお、入手できたデータの関係上、IFRS適用前期は53社、IFRS適用期は51社での企業数となる。

表2 IFRS適用が純利益に与えた影響

*:両側10%有意 **:両側5%有意 ***:両側1%有意注1)サンプルは、2015年3月決算期までにIFRSを任意適用した日本企業(上場企業)60社

のうち、所定の要件を満たす54社である。なお、入手できたデータの関係上、IFRS適用前期は53社、IFRS適用期は51社での分析となる。

注2)diff・NIt・1は、IFRS適用前期における、IFRSベースの純利益から日本基準ベース純利益を減じた値である。diff・NItは、IFRS適用期における、IFRSベース純利益から日本基準ベースの純利益を減じた値である。なお、各純利益の差は前期末の時価総額、総資産、および売上高で除されている。

注3)tValue、およびzValueは、0と有意に異なるかについてのt検定、およびWilcoxonの符号順位検定(いずれも両側検定)を行った結果を示している。

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のいずれも、両側1%水準でプラス有意に推定されている。以上の結果は、少なくとも中央値

ベースで見た場合、IFRS適用によって純利益が有意に押し上げられていることを示している。

3 IFRS適用のアナウンスメントが株価に与えた影響

前節では、IFRS適用が平均的に、純利益の押し上げ効果を日本企業に与えるのかについて

検証を行った。分析の結果、IFRS適用は日本企業に対して、純利益の押し上げ効果を平均的

に与えていることが確認された。では、このようなIFRS適用の経済的帰結に対して、日本市

場はどのような反応を示しているであろうか。

本節では、IFRS適用のアナウンスメント日前後の株価反応を分析することで、IFRS適用

の純利益の押し上げ効果に対して、市場がどのような反応を示すのかについて検証する。具体

的には、IFRSの適用アナウンスメント日(t=0)を中心とした前後41日間(-10≦t≦30)

の異常リターン(AR)と累積異常リターン(CAR)の推移を観察することで、IFRS適用の

純利益の押し上げ効果に対して、市場がどのような反応を示しているのかについて分析する。

3.1 先行研究のレビュー

海外の先行研究では、政府機関がIFRS適用にかんする何らかの行動を起こしたなどのイ

ベントに対する株価反応を観察することで、IFRS適用に対する市場反応を分析している。

Armstrongetal.(2010)は、欧州における2002~2005年のIFRS適用に関連する16のイベ

ントに対して、市場がどのような反応を示したのかについて分析を行った13)。分析の結果、

市場はIFRS適用に対してポジティブな反応を示すことが明らかとなった。これは、IFRS適

用の便益がコストを上回っていると市場が判断していることを示している。同様に、Joosand

Leung(2013)も、米国国内の2007~2009年におけるIFRS適用に関連する15のイベントに

対して、市場がどのような株価反応を示したのかについて分析している14)。その結果、市場は

IFRS適用の可能性を高めるイベントに対して、ポジティブな反応を示すことが確認された。

これは、IFRS適用の便益に対する期待が示されている。

また、IFRS適用が与える純利益の変化に対する市場の反応について分析した先行研究が存

在する。HortonandSerafeim(2010)は、英国企業を対象に、IFRS強制適用が与えた純利

益の変化に対して、市場がどのような反応を示したのかについて分析している15)。分析の結果、

IFRS強制適用が純利益を押し下げた企業に対して、ネガティブな反応を示す一方、純利益を

押し上げた企業に対しては、どのような反応も示さないことが明らかとなった16)。

海外では、IFRS適用に対する株価反応についての証拠の蓄積が存在するが、日本について

はどのような結果が得られているのか。日本企業を対象とした数少ない先行研究の中で、IFRS

適用に対する株価反応を分析した研究としては、譚(2014)を挙げることができる。

譚(2014)は、IFRSを任意適用した、および任意適用を予定している日本企業29社を対

IFRS適用のアナウンスメントが日本市場に与える影響(井上) 143

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象として、企業がIFRSを適用予定であると新聞において報道された日をイベント日として、

市場がどのような反応を示したのかについて分析を行った17)。分析の結果、IFRS適用の報道

に対して、市場はポジティブな反応を示していることが明らかとなった。さらに、このポジティ

ブな反応は報道後一定期間を経た後に再び観察され、長期間に渡って持続することも確認され

た。この結果について、譚(2014)は、IFRS適用で価値関連性、比較可能性、および市場流

動性が向上することを期待するので、市場が日本企業のIFRS適用を好意的に評価していると

解釈している。

ただし、譚(2014)のイベント日は、あくまで新聞紙上に日本企業がIFRSを適用予定であ

るという情報が報道されたものであり、企業が正式にIFRSを適用する旨をアナウンスメント

する以前にこの報道がなされている事例があることに注意しなければならない18)。さらに、

新聞報道は、IFRS適用が検討段階でなされている可能性がある。つまり、正式なアナウンス

メントとは異なり、企業がIFRS任意適用を本当にするのかどうかについて、市場に明確な情

報が提供されていない可能性がある19)。また、IFRS適用を予定するすべての企業について、

新聞報道がなされているわけではない。よって、IFRS適用予定にかんする新聞報道と、企業

自身のIFRS適用の正式なアナウンスメントは、異なる株価反応が確認される可能性があり、

別途分析されなければならないであろう。本節の分析は、企業自身がIFRSを適用する旨を正

式にアナウンスメントした日をイベント日として設定し、これに対する株価反応を分析してい

る点が先行研究と異なる。

また、譚(2014)では、IFRS適用の新聞報道と同時に開示された情報の影響がコントロー

ルされていない。もし、このイベント日に決算短信等の情報が開示されているとするなら、

IFRS適用以外の反応が、株価に含まれている可能性がある。本節の分析は、IFRS適用のア

ナウンスメントとともに同時開示される情報をコントロールし、株価反応分析を行っている点

も先行研究と異なる。

3.2 リサーチ・デザイン

日本企業は、IFRSを任意適用する際に、適用を開始する決算期、あるいは理由を記載した

資料を適時開示情報閲覧サービス(TimelyDisclosurenetwork:TDnet)に開示している。

本節では、このTDnetでの資料開示を企業が正式に行ったIFRS適用のアナウンスメントと

みなし、この資料の開示日をアナウンスメント日(t=0)とする20)。なお、分析期間はアナウ

ンスメント日を中心とする前後41日間(-10≦t≦30)とする。

まず、銘柄iごとに各日次の終値・Pit・を用いて株価変化率・Rit・を計算する21)。同様に、

同日次の東証株価指数(TOPIX、Pmt)を用いて、市場全体の平均的な株価変化率・Rmt・を計

算する。RitからRmtを減ずることで、市場全体の影響を排除した銘柄iに固有のリターンで

ある異常リターン・eit・が算出される。以上の計算は(3)式のように表される。

経営研究 第67巻 第1号144

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eit・ Rit・Rmt・Pit・Pit・1

Pit・1

・Pmt・Pmt・1

Pmt・1

・3・

eit:日次tにおける銘柄iの異常リターン

Rit:日次tにおける銘柄iの株価変化率

Rmt:日次tにおける市場全体の株価指標(TOPIX)の変化率

Pit:日次tにおける銘柄iの終値

Pmt:日次tにおける市場全体の株価指標(TOPIX)の終値

ただし、-10≦t≦30

次に、各日ごとにeitのサンプル平均を計算する(平均異常リターン:AR)。これを日次-10

から日次T(-10≦T≦30)まで順番に累積することで、累積平均異常リターン・CART・が算

出される。以上の計算は(4)式のように表される。

CART・ ・T

t・・10

1

n・n

i・1eit・ ・ ・4・

CART:日次Tにおけるサンプル全体の累積平均異常リターン

eit:日次tにおける銘柄iの異常リターン

n:サンプル数

ただし、-10≦T≦30、-10≦t≦30

以上のように算出されたAR、CARが0と有意に異なるかどうかを検証するために、日次

ごとにt検定(両側検定)を行う。もし、IFRS適用の純利益の押し上げ効果のような経済的

帰結に対して、市場がポジティブ(ネガティブ)な反応を示すのならば、アナウンスメント日

のARは有意な正(負)の値となることが予想される。

本節の分析に用いるサンプルは、2015年3月決算期までにIFRSを任意適用した日本企業

60社(上場企業)のうち、①金融業に属する企業(4社)、②IFRS適用とともに新規上場を

した企業(2社)、および③TDnetにてIFRS適用のアナウンスメントを開示していない企業

(1社)を除く53社である。

また、IFRS適用のアナウンスメントの際に、決算短信等の業績に関連する情報と同時開示

を行っている企業が存在する。この同時開示情報の影響を除外するために、上述の53社から

IFRS適用のアナウンスメントと同時に、決算短信、業績予想修正、あるいは配当予想修正の開

示を行っていない企業21社を抽出した分析も行う。分析に用いる株価データは『日経NEEDS-

FinancialQUEST』(日経メディアマーケティング(株))から、アナウンスメント日はeol

((株)プロネクサス)から取得している。

3.3 分析結果

表3は全サンプルを用いた分析である。AR、CARそれぞれについてt検定(両側検定)を

IFRS適用のアナウンスメントが日本市場に与える影響(井上) 145

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行った結果を示している22)。まず、アナウンスメント日(t=0)のARはプラスを示している。

しかし、t検定の結果は非有意である。CARについても、アナウンスメント日、およびそれ

以降の日次における結果は非有意である。

以上の結果は、IFRS適用のアナウンスメント時に、市場が有意な反応を示していないこと

を示唆する結果である。しかし、この結果は、決算短信等の同時開示情報に対する反応と、

IFRS適用のアナウンスメントに対する反応とが混在している可能性がある。では、同時開示

サンプルを除外し、IFRS適用のアナウンスメントに限定した場合、どのような反応が観察さ

れるのか。

その結果が表4のPanelAに示されている。表4のPanelAからアナウンスメント日(t=0)

のARがプラスであり、かつ両側5%で有意であることがわかる。また、興味深いことに、

経営研究 第67巻 第1号146

表3 全サンプルにおける株価反応

*:両側10%有意 **:両側5%有意 ***:両側1%有意注1)サンプルは、2015年3月決算期までにIFRSを任意適用した日本企業(上場企業)60社

のうち、所定の要件を満たす53社である。注2)IFRS適用のアナウンスメント日は、適時開示情報閲覧サービス(TimelyDisclosure

network:TDnet)にIFRSを適用する旨を開示した日時と設定している。なお、15時以降の開示は株式市場の取引終了後であるので、翌取引日に株価反応が観察されるとし、IFRS適用のアナウンスメントを行った日の翌取引日をアナウンスメント日としている。

注3)分析期間は、アナウンスメント日を中心とした前後41日間(-10≦t≦30)である。注4)異常リターン(AR)、および累積異常リターン(CAR)は、市場リターン控除法により

算出されている。なお、市場リターンには東証株価指数(TOPⅨ)が用いられている。注5)tValueは、0と有意に異なるかについてのt検定(両側検定)を行った結果を示してい

る。注6)紙幅の関係上、分析結果はt=-5~10の期間を抜粋して掲載している。なお、抜粋さ

れていない期間において、IFRS適用のアナウンスメントに起因する有意な結果は確認されていない。

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アナウンスメント日の翌取引日(t=1)のARがマイナス、かつ両側5%で有意であることも

確認される。以上の結果は、IFRS適用のアナウンスメントを受けて、市場はポジティブな反

応を示すものの、アナウンスメントの翌取引日に一旦上昇させた株価水準を元のレベルに戻し

ているという可能性を示唆している。

そこで、この可能性を検証するために、t=0および1の間のCARを測定し、t検定(両側

検定)を行う。表4のPanelBはその結果を示している。表4のPanelBからCARはプラ

IFRS適用のアナウンスメントが日本市場に与える影響(井上) 147

表4 同時開示企業除外サンプルにおける株価反応

*:両側10%有意 **:両側5%有意 ***:両側1%有意注1)サンプルは、2015年3月決算期までにIFRSを任意適用した日本企業(上場企業)60社

のうち、所定の要件を満たし、決算短信、業績予想修正、配当予想修正を同時開示した企業を除外した21杜である。

注2)IFRS適用のアナウンスメント日は、適時開示情報閲覧サービス(TimelyDisclosurenetwork:TDnet)にIFRSを適用する旨を開示した日時と設定している。なお、15時以降の開示は株式市場の取引終了後であるので、翌取引日に株価反応が観察されるとし、IFRS適用のアナウンスメントを行った日の翌取引日をアナウンスメント日としている。

注3)分析期間は、アナウンスメント日を中心とした前後41日間(-10≦t≦30)である。注4)異常リターン(AR)、および累積異常リターン(CAR)は、市場リターン控除法により

算出されている。なお、市場リターンには東証株価指数(TOPIX)が用いられている。注5)tValueは、0と有意に異なるかについてのt検定(両側検定)を行った結果を示してい

る。注6)紙幅の関係上、分析結果はt=-5~10の期間を抜粋して掲載している。なお、抜粋され

ていない期間において、IFRS適用のアナウンスメントに起因する有意な結果は確認されていない。

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スに算定されているが、非有意であることがわかる。つまり、IFRS適用のアナウンスメント

を受けて市場はポジティブな反応を示すが、アナウンスメントの翌取引日に一旦上昇させた株

価を元の水準に戻しているといえる。IFRS適用は日本企業に、純利益の押し上げ効果を平均

的に与えるという前節の結果と総合すると、IFRS適用のアナウンスメント時のポジティブな

反応は、市場がIFRS適用の経済的帰結に過剰反応したことを示唆している。しかし、アナウ

ンスメントの翌取引日で市場が株価水準を元に戻しているという事実は、IFRS適用の純利益

の押し上げ効果が企業の長期的なパフォーマンスにまでは影響を与えないということを市場が

認識していることを示している23)。

3.4 追加的な分析

では、上述のような株価反応は、純利益の押し上げ効果を原因として生じているのであろう

か。これを明らかにするために、IFRS適用期における同時開示企業を除外したサンプル(19

社)を、純利益の押し上げ効果が生じている企業と、押し下げ効果が生じている企業に分割す

る24)25)。この分割したサンプルのAR、およびCARをそれぞれ算出し、これが有意な株価反

応であるのかについて確認するために、t検定(両側検定)を行う。

表5のPanelAは、IFRS適用で純利益の押し上げ効果が生じている企業の株価反応をt検

定した結果である。表5のPanelAから、アナウンスメント日(t=0)において、ARがプラ

スかつ両側5%で有意であることがわかる。また、アナウンスメント日の翌取引日(t=1)に

おいて、ARはマイナスかつ両側5%で有意である。さらに、表5のPanelBは、純利益の押

し上げ企業におけるt=0~1のCARをt検定した結果が示されているが、この結果は非有意

である。この結果は表4と同様である。一方、表6のPanelAは、IFRS適用で純利益の押し

下げ効果が生じている企業の株価反応をt検定した結果を示したものである。表6のPanelA

では、アナウンスメント日のARは有意ではない。

以上の結果は、IFRS適用のアナウンスメントを受けたポジティブな反応、およびアナウン

スメントの翌取引日のネガティブな反応が、IFRS適用の純利益の押し上げ効果を享受する企

業に対する反応であることを示唆するものである。一方、IFRS適用が純利益の押し下げを与

える企業に対しては、市場は反応していない。IFRS適用による他の経済的メリット(たとえ

ば、海外M&Aの容易化)に対するプラス反応と、純利益の押し下げ効果に対するマイナス

反応が相殺された結果とも解釈できるが、サンプルを確保した上で、この点の検証は今後の課

題である26)。

4 本稿の結論と今後の課題

日本では、2010年3月決算期からIFRS任意適用が開始され、実際にIFRS適用に至る日

本企業が少なからず存在する。このことは、日本企業、および市場になんらかの経済的帰結を

経営研究 第67巻 第1号148

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与えている可能性がある。本稿では、IFRS適用が日本企業に対して、純利益の押し上げ効果

を与えているのかどうか、また、IFRS適用のアナウンスメントを受けて、日本市場がどのよ

うな反応を示したのかについて分析を行った。

分析の結果、IFRS適用は日本企業に対して、平均的に純利益の押し上げ効果を与えるとい

う証拠を得た。さらに、IFRS適用のアナウンスメント日に有意なプラスの株価反応が存在す

ることも明らかとなった。これは、IFRS適用が日本企業に、純利益の押し上げ効果のような

IFRS適用のアナウンスメントが日本市場に与える影響(井上) 149

表5 同時開示企業除外サンプルにおける株価反応(押し上げ効果企業)

*:両側10%有意 **:両側5%有意 ***:両側1%有意注l)サンプルは、2015年3月決算期までにIFRSを任意適用した日本企業(上場企業)60社

のうち、所定の要件を満たし、決算短信、業績予想修正、配当予想修正を同時開示した企業を除外し、IFRS適用期に純利益の押し上げ効果が生じている企業10社である。

注2)IFRS適用のアナウンスメント日は、適時開示情報閲覧サービス(TimelyDisclosurenetwork:TDnet)にIFRSを適用する旨を開示した日時と設定している。なお、15時以降の開示は株式市場の取引終了後であるので、翌取引日に株価反応が観察されるとし、IFRS適用のアナウンスメントを行った日の翌取引日をアナウンスメント日としている。

注3)分析期間は、アナウンスメント日を中心とした前後41日間(-10≦t≦30)である。注4)異常リターン(AR)、および累積異常リターン(CAR)は、市場リターン控除法により

算出されている。なお、市場リターンには東証株価指数(TOPIX)が用いられている。注5)tValueは、0と有意に異なるかについてのt検定(両側検定)を行った結果を示してい

る。注6)紙幅の関係上、分析結果はt=-5~10の期間を抜粋して掲載している。なお、抜粋され

ていない期間において、IFRS適用のアナウンスメントに起因する有意な結果は確認されていない。

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経済的帰結を与えることを市場が認識して、過剰反応したことを示唆している。しかし、IFRS

適用のアナウンスメント翌取引日に有意なマイナスの株価反応が確認され、アナウンスメント

日とその翌取引日の間のCARは非有意であるという証拠を得た。この結果は、IFRS適用ア

ナウンスメントでいったん上昇した株価水準を元のレベルに戻していることを示唆している。

これは、IFRS適用の純利益の押し上げ効果が、企業の長期的なパフォーマンスにまで影響を

与えないという市場の認識を示唆するものである。本稿の分析で得たIFRS適用の経済的帰結

経営研究 第67巻 第1号150

表6 同時開示企業除外サンプルにおける株価反応(押し下げ効果企業)

*:両側10%有意 **:両側5%有意 ***:両側1%有意注1)サンプルは、2015年3月決算期までにIFRSを任意適用した日本企業(上場企業)60社

のうち、所定の要件を満たし、決算短信、業績予想修正、配当予想修正を同時開示した企業を除外し、IFRS適用期に純利益の押し下げ効果が生じている企業9社である。

注2)IFRS適用のアナウンスメント日は、適時開示情報開発サービス(TimelyDisclosurenetwork:TDnet)にIFRSを適用する旨を開示した日時と設定している。なお、15時以降の開示は株式市場の取引終了後であるので、翌取引日に株価反応が観察されるとし、IFRS適用のアナウンスメントを行った日の翌取引日をアナウンスメント日としている。

注3)分析期間は、アナウンスメント日を中心とした前後41日間(-10≦t≦30)である。注4)異常リターン(AR)、および累積異常リターン(CAR)は、市場リターン控除法により

算出されている。なお、市場リターンには東証株価指数(TOPIX)が用いられている。注5)tValueは、0と有意に異なるかについてのt検定(両側検定)を行った結果を示してい

る。注6)紙幅の関係上、分析結果はt=-5~10の期間を抜粋して掲載している。なお、抜粋され

ていない期間において、IFRS適用のアナウンスメントに起因する有意な結果は確認されていない。

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についての証拠は、IFRS適用が日本企業、ならびに市場に与える影響を事前に予測すること

が可能となるものである。また、この証拠は、日本における IFRS強制適用の是非を巡る議論

に、業績に対する影響の観点から示唆を与えることもでき、意義を有するものである。

ただし、残された課題も存在する。まず、本稿では分析対象企業が 54社であり、サンプル

サイズが小さい問題が存在する。IFRS適用企業数は増加傾向にあるので、サンプルサイズを

拡大し、証拠の頑健性を確認する必要がある。また、IFRS適用の純利益の押し上げ効果は、

どの財務数値が変動することで生じているのかについて分析されていない。上述のとおり、の

れんの非償却化、あるいは開発費の一部の資産計上で費用が下がり、結果として純利益が押し

上がるストーリーが想起されるが、このストーリーが果たして事実であるのかどうかについて

は必ずしも明らかにされていない。のれんや開発費以外の財務数値についての分析も必要であ

る。さらに、IFRS適用の純利益の押し上げ効果は企業の長期的なパフォーマンスにまでは影

響を与えないという推論が、果たして妥当性を有するのかについても明らかにしなければなら

ない。

1)IFRSには、前身である国際会計基準(International Accounting Standards: IAS)の時に設定され

た基準も含まれている。本稿では特に指示しない限り、IFRSという表記に IFRSと IASの両方を含む

ものとする。

2)「IFRS適用済・適用決定会社一覧」東京証券取引所, http://www.jpx.co.jp/listing/stocks/ifrs/,

2016年 5月 15日閲覧。

3)たとえば、比較可能性(DeFond et al., 2011; Barth et al., 2012; Yip and Young, 2012; Brochet et

al., 2013; Wang, 2014)、アナリスト予想(Ashbaugh and Pincus, 2001; Byard et al., 2011; Tan et al.,

2011; Horton et al., 2013)、市場流動性(Leuz and Verrecchia, 2000; Daske et al., 2008; Christensen

et al., 2013; Daske et al., 2013)、資本コスト(Daske, 2006; Daske et al., 2008; Li, 2010; Daske et al.,

2013)の観点を挙げることができる。包括的なレビューとしては、たとえば Hail et al.(2010a, b)を

参照されたい。

4)インプライド期待成長率とインプライド資本コストの同時逆算推定には、Easton et al.(2002)のモ

デルを用いている。

5)IFRS適用企業のインプライド期待成長率についても、コントロール企業を上回っているものの、こ

の差異は有意でないことが確認されている。

6)海外を対象とした先行研究(たとえば、Daske, 2006; Daske et al., 2008; Daske et al., 2013)におい

ても、IFRS適用が資本コストの上昇をもたらすことを示す結果が報告されている。ただし、法施行制

度の程度の強い国、あるいは会計報告の透明性に対する動機の強い企業において、IFRS適用が資本コ

ストの低下をもたらすことが確認されている。

7)具体的には、インプライド期待成長率の(過剰)上方改定→期待リターン(インプライド資本コスト)

の(過剰)上方改定というストーリーが想定される。

8)IFRS 適用企業は、IFRS適用前に日本基準を適用していた企業のほか、米国基準を適用していた企

業も存在する。本稿では特に指示しない限り、日本基準という表記に日本基準と米国基準の両方を含む

IFRS適用のアナウンスメントが日本市場に与える影響(井上) 151

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ものとする。

9)「広がる IFRS(上)適用企業 50社超す 海外企業との比較容易に、利益かさ上げ期待も。」『日本

経済新聞』朝刊 2014年 6月 5日。

10)具体的に、IFRS適用でのれん償却費は 15億 8,800万円、研究開発費は 2億 5,800万円削減される。

11)Hung and Subramanyam(2007)の主要な分析は価値関連性にかんするものであり、IFRS適用が純

利益にどのような変化を与えたのかについては、その前段階の分析として行われている。

12)ただし、取得できたデータの関係上、IFRS 適用前期は 53社、IFRS適用期は 51社のサンプルを用

いた検定となっている。

13)Armstrong et al.(2010)では、たとえば、2002年 3月 12日の「2005年の EU域内上場企業に対す

る IFRS強制適用が、欧州議会において可決した」日をイベント日として設定されている(Table 1)。

これは、EUにおける IFRS適用の可能性を高めるイベントと解釈し、もし IFRS適用の便益がコスト

を上回る(下回る)とするなら、市場はこのイベントに対して、ポジティブ(ネガティブ)な反応を示

すと仮定されている。また、Armstrong et al.(2010)は EUにおける IAS 39の一部のカーブアウト

に焦点を当て、これに関連するイベントに対する反応を分析している。

14)Joos and Leung(2013)では、たとえば、2007年 4月 24日の「証券取引委員会(U.S. Securities and

Exchange Commision: SEC)が米国の財務諸表の作成者に、IFRS適用を認めるための計画を公表し

た」日をイベント日として設定されている(Table 1)。これは、米国における IFRS適用の可能性を高

めるイベントと解釈し、Armstrong et al.(2010)と同様に、もし IFRS適用の便益がコストを上回る

(下回る)とするなら、市場はこのイベントに対して、ポジティブ(ネガティブ)な反応を示すと仮定

されている。

15)Horton and Serafeim(2010)は、英国 GAAPベースから IFRSベースに財務報告が転換したときに

生じる差異を報告した資料(reconciliation documents)を公表した日をイベント日としている。

16)株価反応分析の他に Horton and Serafeim(2010)は、価値関連性分析も行っている。その結果と合

わせて、Horton and Serafeim(2010)では、純利益が押し上げ効果は、reconciliation documents公

表前から情報が株価に織り込まれるものの、純利益の押し下げ効果は、reconciliation documents公表

後にはじめて、情報が株価に織り込まれるので、非対称な結果が導かれたと結論付けている。

17)譚(2014)では、日経 4紙(日本経済新聞、日経産業新聞、日経流通新聞、日経金融新聞)が対象と

なっている。

18)たとえば、譚(2014)で分析対象となっている(株)電通は、2013年 5月 23日の日本経済新聞朝刊に

おいて、IFRS適用予定である旨が報道されている。しかし、後述の定義の方法で IFRS適用すること

について、(株)電通が正式にアナウンスメントを行ったのは 2014年 11月 12日である。ただし、新聞

による IFRS適用の報道が、企業の正式な IFRS適用のアナウンスメントよりも先になされていること

は、新聞報道に対する株価反応の方が大きく観察される可能性が考えられる。この点についての検討は、

今後の課題である。

19)譚(2014)で分析対象となっている日産自動車(株)は、2009年 5月 22日、(株)ニコンは、2014年

5月 22日の日本経済新聞朝刊において、IFRS任意適用を検討することが報道されている。しかし、後

述の定義の方法で IFRS適用することについては、両企業ともアナウンスメントされていない。さらに、

日産自動車(株)は、2013年 8月 24日の日本経済新聞朝刊において、日本基準を当面継続する旨が報道

されている。

20)ただし、15時以降の開示については株式市場の取引終了後であるので、IFRS適用のアナウンスメン

トを行った日の翌取引日に株価反応が観察されるとし、この日をアナウンスメント日として設定してい

経営研究 第67巻 第 1号152

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る。

21)当該日次が権利落ち日に該当していた場合は、Ritを算出していない。

22)紙幅の関係上、以下の分析結果は t=-5~10の期間を抜粋して掲載する。なお、掲載されていない

期間において、IFRS適用のアナウンスメントに起因する有意な結果は確認されていない。

23)企業の長期的なパフォーマンスとしては、たとえば長期間に渡る純利益の総計が想定される。

24)IFRS適用前期に純利益の押し上げ効果、あるいは押し下げ効果が生じている企業に分割した株価反

応についても分析したが、同様の結果を得ている。

25)取得できたデータの関係上、IFRS適用期における純利益の変化を確認することができなかったサン

プルが 2社存在するため、ここでは、19社のサンプルを用いた分析となっている。

26)また、本稿で明らかとなった株価反応は、Horton and Serafeim(2010)の結果と異なったものであ

る。これは、Horton and Serafeim(2010)が IFRS強制適用を対象とした分析であることや、イベン

ト日の要件が相違していることから、異なった市場反応が導かれた可能性が想起されるが、この点の検

証も今後の課題である。

参考文献

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<付記>

本稿の作成にあたり、大阪市立大学・石川博行先生と匿名のレフェリーから貴重な御意見をいただいた。

ここに記して感謝申し上げる。もちろん、ありうるべき誤謬はすべて筆者の責任である。

IFRS適用のアナウンスメントが日本市場に与える影響(井上) 155

Announcement of IFRS Voluntary Adoption:

Effect on the Japanese Capital Market

Kento Inoue

Summary

This paper aims to examine the economic consequences of adopting Internatio-

nal Financial Reporting Standards(IFRS), especially for Japanese companies

and the market. Specifically, this paper investigates if the adoption of IFRS im-

proved net profits for Japanese companies, and the response of the Japanese

market to the announcement of IFRS voluntary adoption.

The results of the analysis reveal that on average, the adoption of IFRS in-

creased net profits for Japanese companies. In addition, a significant positive

reaction in stock prices was observed on the day IFRS voluntary adoption was

announced. This suggests an overreaction in the market toward the adoption of

IFRS, leading to increasing net profits for Japanese companies. However, stock

prices returned to their original levels on the next day of trading following the

announcement, demonstrating that the market recognizes that the positive im-

pact on net profits resulting from IFRS adoption does not affect companies’

long-term performance.