(3) 抗体医薬品の特性解析:糖鎖 までは 部分の構造解析法...

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東レリサーチセンター The TRC News No.107(Apr.2009) 19 ●〔特集〕医薬品分析(3)抗体医薬品の特性解析:糖鎖部分の構造解析法及び実例 1.はじめに 抗体とはウイルスや細菌などの異物(抗原)が体内に 入った際に、それらを攻撃するために体内で産生される タンパク質である。抗体医薬品とはこの抗体が抗原を認 識する性質を利用して、治療に用いる医薬品である。抗 体医薬品は、抗原に対し高い特異性と親和性を有するた め、効果的な医薬品として注目されている。抗体医薬品 はほとんどの場合糖鎖が結合しており、その糖鎖部分は 抗体医薬品の生理活性、安定性、体内動態及び溶解性な どに大きく関与している。そのため、糖鎖構造解析は抗 体医薬品の承認申請に必要な特性解析(構造解析)のう ちの1つとなっている 1。また、抗体医薬品の糖鎖は一種 類ではなく、ほとんどの場合混合物である 2。糖鎖構造 解析とは、糖鎖混合物から各糖鎖を単離し、それぞれの 構造、つまり各糖鎖を構成している糖残基の種類と、そ れぞれが互いにどのように結合しているのかを決定する ことである。糖鎖構造解析には、非常に煩雑かつ複雑な 分析が必要である。 本稿では、弊社で実施している抗体医薬品の糖鎖構造 解析について、実例を交え紹介する。 2.抗体医薬品の糖鎖構造解析 1に抗体医薬品の糖鎖構造解析の概要を示した。 はじめに、試料から糖鎖を切り出すためにヒドラジン 分解または酵素消化を行う。切り出した糖鎖はそのま まではUV吸収や蛍光がないうえ、逆相カラムに保持さ れないため、2-アミノピリジンで蛍光標識(PA化)す る。次に、PA化糖鎖混合物を高分解能LC/MS/MS析(弊社では装置としてLCMS-IT-TOF(㈱島津製作 所)を用いている)または逆相HPLC分析する。逆相 HPLC分析では各ピークを分取し、それぞれMALDI- TOF/MS分析する。各PA化糖鎖の構造は、上述の分 析で取得した保持時間と質量の2種の情報から推定す る(詳細は2.2項参照)。しかし、保持時間と質量が同 一であっても構造の異なる糖鎖が複数存在する場合が 多い。従って、構造を確実に決定するためにはMS/ MS分析、糖特異的酵素による逐次分解、糖組成分析、 1 H-NMR 及びメチル化分析などを併用する必要があ る。 本稿では、保持時間と質量から糖鎖構造を推定し、 さらにMS/MS分析で構造を確認するまでの方法につ いて、高分解能LC/MS/MS分析による解析法と、逆相 HPLC分析及びMALDI-TOF/MS分析を組み合わせた 解析法の2種類を紹介する。実例として、弊社保有の抗 メチル化DNA5-methyl-2-deoxycytidine)モノクロー ナル抗体(以下、抗メチル化DNA抗体と記載する)の 糖鎖構造解析を示す。 2.1 高分解能LC/MS/MS分析による解析例 抗メチル化DNA抗体からヒドラジン分解により糖鎖を 切り出しPA化して得たPA化糖鎖混合物を高分解能LC/ MS/MS分析により解析した結果を図2に示した。高分解 LC/MS/MS分析では一度の測定で各PA化糖鎖の保持 時間、質量及びプロダクトイオン情報が得られ、ハイス ループットな解析が可能である。図2aはトータルイオン カレントクロマトグラム(TIC)である。ここで各PA [特集]医薬品分析 (3)抗体医薬品の特性解析:糖鎖 部分の構造解析法及び実例 生物科学研究部 森脇 有加 図1 抗体医薬品の糖鎖構造解析の概要

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東レリサーチセンター The TRC News No.107(Apr.2009)・19

●〔特集〕医薬品分析(3)抗体医薬品の特性解析:糖鎖部分の構造解析法及び実例

1.はじめに

 抗体とはウイルスや細菌などの異物(抗原)が体内に入った際に、それらを攻撃するために体内で産生されるタンパク質である。抗体医薬品とはこの抗体が抗原を認識する性質を利用して、治療に用いる医薬品である。抗体医薬品は、抗原に対し高い特異性と親和性を有するため、効果的な医薬品として注目されている。抗体医薬品はほとんどの場合糖鎖が結合しており、その糖鎖部分は抗体医薬品の生理活性、安定性、体内動態及び溶解性などに大きく関与している。そのため、糖鎖構造解析は抗体医薬品の承認申請に必要な特性解析(構造解析)のうちの1つとなっている1)。また、抗体医薬品の糖鎖は一種類ではなく、ほとんどの場合混合物である2)。糖鎖構造解析とは、糖鎖混合物から各糖鎖を単離し、それぞれの構造、つまり各糖鎖を構成している糖残基の種類と、それぞれが互いにどのように結合しているのかを決定することである。糖鎖構造解析には、非常に煩雑かつ複雑な分析が必要である。 本稿では、弊社で実施している抗体医薬品の糖鎖構造解析について、実例を交え紹介する。

2.抗体医薬品の糖鎖構造解析

 図1に抗体医薬品の糖鎖構造解析の概要を示した。

はじめに、試料から糖鎖を切り出すためにヒドラジン分解または酵素消化を行う。切り出した糖鎖はそのままではUV吸収や蛍光がないうえ、逆相カラムに保持されないため、2-アミノピリジンで蛍光標識(PA化)する。次に、PA化糖鎖混合物を高分解能LC/MS/MS分析(弊社では装置としてLCMS-IT-TOF(㈱島津製作所)を用いている)または逆相HPLC分析する。逆相HPLC分析では各ピークを分取し、それぞれMALDI-TOF/MS分析する。各PA化糖鎖の構造は、上述の分析で取得した保持時間と質量の2種の情報から推定する(詳細は2.2項参照)。しかし、保持時間と質量が同一であっても構造の異なる糖鎖が複数存在する場合が多い。従って、構造を確実に決定するためにはMS/MS分析、糖特異的酵素による逐次分解、糖組成分析、1H-NMR及びメチル化分析などを併用する必要がある。 本稿では、保持時間と質量から糖鎖構造を推定し、さらにMS/MS分析で構造を確認するまでの方法について、高分解能LC/MS/MS分析による解析法と、逆相HPLC分析及びMALDI-TOF/MS分析を組み合わせた解析法の2種類を紹介する。実例として、弊社保有の抗メチル化DNA(5-methyl-2’-deoxycytidine)モノクローナル抗体(以下、抗メチル化DNA抗体と記載する)の糖鎖構造解析を示す。

2.1 高分解能LC/MS/MS分析による解析例 抗メチル化DNA抗体からヒドラジン分解により糖鎖を切り出しPA化して得たPA化糖鎖混合物を高分解能LC/MS/MS分析により解析した結果を図2に示した。高分解能LC/MS/MS分析では一度の測定で各PA化糖鎖の保持時間、質量及びプロダクトイオン情報が得られ、ハイスループットな解析が可能である。図2aはトータルイオンカレントクロマトグラム(TIC)である。ここで各PA

[特集]医薬品分析

(3)抗体医薬品の特性解析:糖鎖 部分の構造解析法及び実例

生物科学研究部 森脇 有加

図1 抗体医薬品の糖鎖構造解析の概要

20・東レリサーチセンター The TRC News No.107(Apr.2009)

●〔特集〕医薬品分析(3)抗体医薬品の特性解析:糖鎖部分の構造解析法及び実例

化糖鎖の保持時間情報が得られる。図2aのクロマトグラム中、矢印で示した保持時間27.2分のピークのマススペクトルを図2bに示した。括弧内の数字は価数を示している。複数のイオン( [ M + 2H ] 2+、 [ M +N a +H ] 2+及び[M+2Na] 2+)が検出されているが、これらは全て同一糖鎖(モノアイソトピックイオン( [M+H]+)の質量:1541.61)由来のイオンであり、いずれも2価イオンである。一般的にLC/MS分析では、多くの場合このように複数のアダクトイオンが検出され、かつ検出されるイオンは多価である。そのため、多価イオンの質量からの1価イオンの質量の算出やアダクトイオンの判定を解析ソフトを用いて、あるいはマニュアルで行い、モノアイソトピックイオン([M+H] +)の質量を算出する。ここで得

られたモノアイソトピックイオンの質量及び先に得た保持時間から推定した糖鎖構造を図2cに示した。さらに、図2bのm/z 793.2915をプリカーサイオンとしてMS/MS分析して得たマススペクトルを図2dに示した。推定糖鎖(図2c)の各糖残基の結合が開裂した構造の質量と一致するプロダクトイオンが複数検出された。m/z 711.2549はフコースとN-アセチルグルコサミンの結合が開裂して生じたイオンである。これらの解析結果を構造図とともに図2dにまとめた。以上のとおり、推定構造を支持する結果を得た。 本項で述べてきた高分解能LC/MS/MS分析では、一度の分析で保持時間、質量、プロダクトイオン情報まで取得できるため、構造が予想されている糖鎖の構造確認には、網羅的な解析をハイスループットで行えるため有用である。しかし、確実に構造決定するためには、PA化糖鎖混合物から逆相HPLC分析により各PA化糖鎖を単離し(2.2項参照)、先に述べたような糖特異的酵素による逐次分解、糖組成分析、1H-NMR及びメチル化分析などの種々の分析を行う必要がある。

2.2  逆相HPLC分析及びMALDI-TOF/MS分析による解析例

 2.1項で分析した抗メチル化DNA抗体のPA化糖鎖混合物について、逆相HPLC分析及びMALDI-TOF/MS分析を組み合わせた方法で解析した。 抗メチル化DNA抗体のPA化糖鎖混合物を逆相HPLC分析して得たクロマトグラムを図3に示した。ここで、各PA化糖鎖の保持時間情報が得られる。各ピーク、すなわち各PA化糖鎖の保持時間は、構造推定に必要な重要な情報であるため、逆相HPLC分析ごとの誤差をなくす必要がある。そこで、PA化糖鎖混合物の分析に先立って同条件で標準品(グルコースオリゴマー)を分析し、各PA化糖鎖の保持時間補正値(グルコースユニット(GU))を算出する。例えば、図3のメインのピーク4の保持時間は44.2分であるが補正後の値は11.7(GU)

図2  抗メチル化DNA抗体のPA化糖鎖混合物のLCMS-IT-TOF分析

図3  抗メチル化DNA抗体のPA化糖鎖混合物の逆相クロマトグラム

東レリサーチセンター The TRC News No.107(Apr.2009)・21

●〔特集〕医薬品分析(3)抗体医薬品の特性解析:糖鎖部分の構造解析法及び実例

であった。また、その隣のピーク5は、保持時間が47.8分であり、補正後は12.0(GU)であった。 次に、質量情報取得のため図3の主要ピーク1~8を分取しMALDI-TOF/MS分析した。図4に、図3の主要ピーク8本のうち比較的小さいピーク5のマススペクトルを示した。m/ z 1 3 3 8 . 4 3(モノアイソトピックイオン([M+H]+))が検出され、ピーク5の質量情報を取得することができた。以上のとおり、PA化糖鎖の構造推定に必要な保持時間及び質量情報を取得した。 次に、取得した保持時間と質量から構造推定するが、この際、弊社では独自開発ソフト2Dmapを用いている3)。2Dmapは、400種のPA化糖鎖の保持時間、質量及びその構造をデータベース化したソフトである。2Dmapを用いることにより、効率的かつインハウスでの検索のため機密厳守で構造推定を行うことができる。図5に、

図4 図3中のピーク5のMS分析(MALDI-TOF/MS)

図5 図3中ピーク5の2Dmapによるデータベース検索

図3のピーク5について2Dmapで検索した結果を示した。ピーク5の保持時間補正値12.0(GU)及びm/z 1338.43を入力すると図5右下の糖鎖が候補に挙がった。さらに、m/z 1338.43をプリカーサイオンとしてMS/MS分析し、マススペクトルを図6aに示した。図6bに、先に保持時間と質量から推定した糖鎖構造(図5の推定糖鎖構造と同じ)を記載した。例えば、m/z 1135.36はN-アセチルグルコサミンとマンノースの結合が開裂して生じたイオンである。また、m/z 445.84はフコースが還元末端のN-アセチルグルコサミン(図6b)に結合していることを証明する重要なイオンであり、このイオンが検出されたためフコースの結合位置を確かにすることができた。 図3の主要ピーク8本のうち、残りの7本についても同様に分析し、構造推定した結果を表1に示した。 本項では逆相HPLC分析とMALDI-TOF/MS分析の組み合わせによる解析例を紹介した。2.1項の高分解能LC/

図6 図4のm/z1338.43のMS/MS分析(MALDI-TOF/MS)

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●〔特集〕医薬品分析(3)抗体医薬品の特性解析:糖鎖部分の構造解析法及び実例

 最後に、今回用いた抗メチル化DNA抗体は、(財)日本宇宙フォーラム「宇宙環境利用に関する地上公募研究」において作製したものである。

4.参考文献

1)水野保子, The TRC News, 99, 24-27(2007).2) J. Qian, T. Liu, L. Yang, A. Daus, R. Crowley, Q. Zhou, Anal. Biochem ., 364, 8-18(2007).

3) 水野保子, 二見直美, 笹川立, 第68回日本生化学会大会発表抄録集 p. 961(1995).

4) Y. Wada, P. Azadi, C.E. Costello, A. Dell, R.A. Dwek, H. Geyer, R. Geyer, K. Kakehi, N.G. Karlsson, K. Kato, N. Kawasaki, K.-H. Khoo, S. Kim, A. Kondo, E. Lattova, Y. Mechref, E. Miyoshi, K. Nakamura, H. Narimatsu, M.V. Novotny, N.H. Packer, H. Perreault, J. Peter-Katalinic, G. Pohlentz, V.N. Reinhold, P.M. Rudd, A. Suzuki, N. Taniguchi, Glycobiology , 17, 411-422(2007).

■森脇 有加(もりわき ゆか) 生物科学研究部 生物科学第2研究室 研究員 趣味:サイクリング

MS/MS分析による解析法と比べると、分取や各ピーク1本ずつのMALDI-TOF/MS分析が必要であるが、マススペクトルはほぼ全て1価イオンで検出されるためマススペクトルの解析は容易である。また、分取を行っているため、引き続き構造決定のための種々の分析が可能である。

3.まとめ

 抗体医薬品の糖鎖部分について、高分解能LC/MS/MS分析による解析法と逆相HPLC分析及びMALDI-TOF/MS分析を組み合わせた解析法の2種類の方法を述べてきた。前者は構造既知の糖鎖の構造確認試験にはハイスループットで有用である。一方、後者はマススペクトルが単純なため解析が容易である。さらに、一般的にLC/MS/MS分析とMALDI-TOF/MS分析とではイオン化法が異なるため、得られるマススペクトルに違いがある4)。従って、弊社では両者を目的に応じて使い分ける、あるいは併用して抗体医薬品の糖鎖構造解析を行っている。また、データベースにない構造未知の糖鎖については、2種類のいずれの方法を用いても構造推定できない。その場合には、PA化糖鎖混合物を逆相HPLC分析し、目的のPA化糖鎖を分取し、糖組成分析や1H-NMRなどを行う必要がある。

表1 抗メチル化DNA抗体のPA化糖鎖の推定構造