h1 h4 seihan - ja宮崎経済連回 週平均しゅうへいきん3.2 か い 宮崎県の...
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回週平均3.2
しゅうへいきん
か い
宮崎県の
ごはん食の給食回数しょく きゅう しょく かい すう
9 10
日本人と「ごはん食」の歴史7に ほん じん しょく れき し
日本のごはん食は長い歴史の中で、つくり方や食べ方が変化してきました。
現代の炊飯器と同じ炊き方で白いごはんを食べるようになったのは、江戸時代の中
ごろです。
それまでは、もみがらを取っただけの玄米や、半白米を食べていました。
しょく
げんだい
と げんまい はんはくまい
た え ど じ だいすいはん き
へん かれき し
や よ い
弥生時代
ど き
む
げんまい
に
土器を使ってお米を煮たり蒸したりして食べました。(お米は玄米で食べました)
へい あん
平安時代
かた
すく
すいぶん
固がゆの水分がさらに少なくなって今のごはんのようになりました。
え ど
ちゅう き江戸時代中期
あつ で
ほ ほうほう
ひろ
厚手のふたをつけたかまが広がり、「たき干し」という方法でごはんをつくるようになりました。
かま くら
鎌倉時代に む やた
に
はってん
ごはんづくりは「煮る」から「炊く(煮る・蒸す・焼く)」に発展しました。
な ら
奈良時代
かた
ど に すいぶん
かた
「固がゆ」を食べていました。土なべで煮た水分の少ない固いおかゆを食べていました。これが「白いごはん」のはじまりです。
日本の行事食や郷土食は、お米を中心に発展してきました。
お米を使ったごはん食の給食では、この行事食や郷土食が多
く取り入れられていて、地元の食材、さらには文化を知るきっ
かけづくりにもなっています。
ぎょうじしょく きょうどしょく
ぎょうじしょく きょうどしょく
ぶん か ししょくざい
おお
ちゅうしん はってんに ほん
と い じ もと
しょく きゅうしょく2日本の食文化を知るきっかけに ほん
しょく ぶん か し
学校給食は、1日の栄養に必要な量の1/3をしっかり取れる
ようになっています。しかも、ごはん食の給食は、和風はもち
ろん、洋風や中華風のおかずまでよく合うので、元気な体を
つくるための色々な栄養を取りやすい、とてもすぐれた食事
方法です。
がっこうきゅうしょく えいよう
ようふう
いろいろ えいよう と しょくじ
ほう ほう
げん き からだちゅうかふう あ
しょく わ ふうきゅうしょく
ひつよう りょう と
1元気な体をつくりますげん き からだ「ごはん食」給食の役割8
しょく やく わりきゅう しょく