バンコク「パープルライン」の車両について...bangkok purple line -introduction of...

鉄道車両工業 480 号 2016.10 寄 稿 寄 稿 株式会社総合車両製作所 生産本部 技術部 部長 ( 設計 ) 10 1. はじめに 2016年8月6日、バンコク郊外のTao Poon( タオプーン ) ~ Khlong Bang Phai( ク ロンバンパイ ) 間 23km16 駅にパープルライ ンが開業した。これに使用される車両は 3 両 固定編成で運行されるオールステンレス製通 勤用電車であり、総合車両製作所が提供する 軽量ステンレス車両ブランド「sustina」の 海外向け第一号となった。 当初はJR東日本のE231系をベースにパー プルライン用車両の設計を進めていたが、 元々の仕様の違い、客先要望による仕様の変 更、ならびに国際規格の適用などにより、外 観や内装などはベース車とはかなり異なるも のとなった。以下に車両の概要を述べる。 2. 概要 バンコクパープルライン用車両はMc+T+Mc の 3 両固定編成で運行しているオールステン レス製通勤用電車である。室内は片側 4 ドア のオールロングシート仕様で連結面前後に車 いすスペースを設けている。現在は 3 両編成 であるが将来的には4両、6両編成化できる よう考慮されている。また現状は郊外の高 架区間のみの開業であるが、将来は地下線 バンコク「パープルライン」の車両について 西 にしがき 垣 昌 しょうじ となってバンコク中心部まで延長される予定 である。第三軌条750V集電で、主回路は IGBT インバータ制御、最高運転速度 80km/ h、最高設計速度100km/hの性能を有して いる。台車は軌間 1,435mm の標準軌で軸間 距離 2,100mm の車輪ディスクブレーキ方式 ボルスタレス台車となっている。 当初はJR東日本のE231系をベースにパー プルライン用車両の設計を進めていたが、車体 幅3,160mm(側出入口くつずり間)車体高さ 3,920mm(レール面からの空調機高さ)連結面 間車体長さ 22,140mm(Mc)21,500mm(T) と なっているためE231系はもとより20m級国 内向け通勤車よりも一回り大きくなっている。 また第三軌条750V集電、標準軌の車輪ディ スクブレーキ、前面からの非常脱出口設置など 元々の仕様が異なっている他、客先からの要望 で、側引戸の外吊り化、冷房装置を含めた屋根 のフラット化、先頭形状の半流線形化、大型ガ ラス製袖仕切、スタンションポールの三ッ叉化 など多々変更が生じたため、外観や内装などは ベース車とはかなり異なるものとなった。 適用規格も ISO、UIC、EN、NFPA( 補注 1) など国際規格に則ったものとなっている。 Bangkok Purple Line -Introduction of Vehicle- 図1 車両外観

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Page 1: バンコク「パープルライン」の車両について...Bangkok Purple Line -Introduction of Vehicle-図1 車両外観 11 鉄道車両業 号 また、この車両が運行されるバンコクは年

鉄道車両工業 480 号 2016.10

寄 稿

寄 稿

株式会社総合車両製作所生産本部 技術部部長 (設計 )

10

1.はじめに 2016 年 8 月 6 日、バンコク郊外の Tao

Poon(タオプーン) ~ Khlong Bang Phai(ク

ロンバンパイ)間23km16駅にパープルライ

ンが開業した。これに使用される車両は3両

固定編成で運行されるオールステンレス製通

勤用電車であり、総合車両製作所が提供する

軽量ステンレス車両ブランド「sustina」の

海外向け第一号となった。

 当初はJR東日本のE231系をベースにパー

プルライン用車両の設計を進めていたが、

元々の仕様の違い、客先要望による仕様の変

更、ならびに国際規格の適用などにより、外

観や内装などはベース車とはかなり異なるも

のとなった。以下に車両の概要を述べる。

2.概要 バンコクパープルライン用車両はMc+T+Mc

の3両固定編成で運行しているオールステン

レス製通勤用電車である。室内は片側4ドア

のオールロングシート仕様で連結面前後に車

いすスペースを設けている。現在は3両編成

であるが将来的には4両、6両編成化できる

よう考慮されている。また現状は郊外の高

架区間のみの開業であるが、将来は地下線

バンコク「パープルライン」の車両について

西にしがき

垣 昌しょうじ

となってバンコク中心部まで延長される予定

である。第三軌条750V集電で、主回路は

IGBTインバータ制御、最高運転速度80km/

h、最高設計速度100km/hの性能を有して

いる。台車は軌間1,435mmの標準軌で軸間

距離2,100mmの車輪ディスクブレーキ方式

ボルスタレス台車となっている。

 当初はJR東日本のE231系をベースにパー

プルライン用車両の設計を進めていたが、車体

幅3,160mm(側出入口くつずり間)車体高さ

3,920mm(レール面からの空調機高さ)連結面

間車体長さ22,140mm(Mc)21,500mm(T)と

なっているためE231系はもとより20m級国

内向け通勤車よりも一回り大きくなっている。

また第三軌条750V集電、標準軌の車輪ディ

スクブレーキ、前面からの非常脱出口設置など

元々の仕様が異なっている他、客先からの要望

で、側引戸の外吊り化、冷房装置を含めた屋根

のフラット化、先頭形状の半流線形化、大型ガ

ラス製袖仕切、スタンションポールの三ッ叉化

など多々変更が生じたため、外観や内装などは

ベース車とはかなり異なるものとなった。

 適用規格もISO、UIC、EN、NFPA(補注1)

など国際規格に則ったものとなっている。

Bangkok Purple Line -Introduction of Vehicle-

図1 車両外観

Page 2: バンコク「パープルライン」の車両について...Bangkok Purple Line -Introduction of Vehicle-図1 車両外観 11 鉄道車両業 号 また、この車両が運行されるバンコクは年

鉄道車両工業 480 号 2016.1011

 また、この車両が運行されるバンコクは年

間を通じ高温多湿な気候であるため、暖房は

設置されていない。代わりに冷房装置は1両

あたり 81.4kw(70,000kcal/h) と国内のも

のよりも容量が大きい。腰掛も気候に合わせ

モケット地でなくFRP製となっている。

3.構体 軽量ステンレス構造がベースとなっている

が、強度評価をEN12663、耐衝突特性評価

をEN15227、耐火性評価をNFPA130な

ど国際規格で行う必要がある事と、パープル

ライン固有の事情による、側引戸の外吊化に

よる構体開口の拡大、冷房装置を含めた屋根

面フラット化による屋根構体の高屋根化、貫

通路拡大化等で、国内の軽量ステンレス車と

はかなり異なる構造となっている。

 使用材料は、通常国内のステンレス車で使

われているオーステナイト系ステンレス鋼

SUS301L材を主体とし、必要強度に合わせ

て調質材(HT、DLT、LT等)を適材適所に配

置した。

 床構造はNFPA130に対応するため、台

枠の上にステンレス板を敷き詰め、その上に

床根太と断熱材を、さらにその上に床パネル

を取り付け、最後にラバー系床敷物を貼付し、

全体としてファイアバリアを構成している。

なお、ファイアバリアはNFPA130を認証

取得するため燃焼試験を実施した。

 端台枠構造は連結装置の取付方法や、EN

12663、EN15227の要求事項を満足する

よう、大型の横はり、アンチクライマ、衝撃

吸収材などを入れ込んでいるため、国内車両

の端台枠とはかなり異なる構造となった。

4.窓・戸 側窓は合せガラスの固定窓、運転室前面窓

は耐貫通性能を持った合せガラスで構成され

ている。今回の開業区間は全て明かり区間で

あるが、既存の地下鉄やスカイトレイン同様、

カーテンは設置していない。

 客室側出入口引戸は、有効開口幅1,400m

m、高さ1,900mmの外吊り式両引き引戸で

引戸装置は電気駆動ラック&ピニオン式を採

用した。下レール部は溝を設けドアランナが

その中を摺動する方式とし、フラット化した。

 乗務員側出入口は日本では開戸が多いが、

仕様上引戸となっていて、こちらは戸袋式で

ある。運転妻前面には仕様上非常用脱出口が

必要で、非常時にこれを展開すれば軌道上へ

下りるためのスロープが構成される。また、

進行方向前後に停車した列車間救援を想定

し、先頭車を介して編成間を乗客が軌道上ま

で下りずに移動できる機能も備えている。

 編成内の連結部分には貫通引戸は設けず

図2 構体外観

図3 側出入口引戸

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鉄道車両工業 480 号 2016.10 12

1,400mm幅の広い貫通路とし、客室スペー

スと一体感をもった構造となっている。

5.内装・設備 日本の通勤車と異なる部分を中心に述べ

る。

 前述のように腰掛座面がFRPとなっており、

1人ずつくぼみを設け定員着席を促している。

またデザイン上ではFRP表面のパープルが

室内のアクセントとなっている。腰掛の取付

方法は、側構体に取り付けて荷重を持たせる

片持ち式であるが、蹴込みにカバーを設けた

構造になっている。腰掛両側の袖仕切は上下

方向に大きいものであるが、透明なガラスの

ため室内は解放的な印象を受けるデザインに

なっている。着席している乗客のプライバシー

保護とデザイン上のアクセントとして、ガラ

スの下部はストライプ状の柄を入れている。

 スタンションポールは混雑時の乗客流動の

妨げになるという理由で日本の通勤車では殆

ど見かけなくなったが、本案件では車いすス

ペース以外の出入口部と出入口間の車体中心

に設置されている。同時に複数の乗客が掴む

ことが出来るよう三ッ叉形状としている。

 また、日本の通勤車でよく見られる荷物棚

がないため、側から天井にかけてすっきりし

た見栄えとなっている。バンコクの既存地下

鉄やスカイトレインも荷物棚は付いていな

い。つり手は設置されているが、1つ1つに

横長の広告を挿入できる特徴のあるものと

なっている。

 空調は冷房のみで両端の空調機から天井部

を通しながらラインフローで吹き出す方式と

なっている。照明はLED式の半間接照明で

冷風吹出し口の脇に連続配置している。その

他サービス機器として、各ドア上かもい点検

フタ部にLCDの駅案内表示器、ドア横の側

図4 室内全景

図5 腰掛

図6 三ッ叉形状スタンションポール

図7 つり手

寄 稿

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鉄道車両工業 480 号 2016.1013

ル無接点型マスコンを採用している。

 補助電源装置は、T車にインバータを2台

搭載している。これは、編成内の冗長系およ

び、タイの気象条件に対する空調容量を満足

するために構成されている。また、制御電源

にはDC110Vを採用し、1インバータあた

り1台の整流装置、および蓄電池を組み合わ

せ、車両全体の電源システムを構成している。

 ブレーキ装置はKNORR社製EP2002シ

ステムを採用し、各軸制御を行っている。ま

た、主回路装置側では回生機能に加え、ブレー

キ抵抗を搭載しており、電気ブレーキ優先の

制御となっている。主回路、制御回路とは

PWM信号で接続され、ATO、主幹制御器や

電気ブレーキとの連動を行っている。

 重量物の床下機器は、仮に吊りボルトが抜

け落ちてもすぐに機器が脱落しない構造とし

て、床下吊金具をサドルマウント方式として

いる。床下の空気配管は、客先仕様を満たし

たステンレスシームレスチューブを採用し、

継手はEN規格に適合したOリング式の継手

を採用している。

 乗務員室についてはタイ人の5パーセンタ

イル(補注2)と95パーセンタイルの体格を

考慮した機器配置とし、また視野確認に関し

てもタイ人の体格を考慮した運転台として設

計している。運転台ユニットには、保安装置

のDMI(ドライバ マシン インタフェイス)、

TCMSモニタ、CCTVモニタという3つのモ

天井部に広告や次駅案内が表示されるLCD

モニタを設置した。

 防犯装置は天井部にCCTVカメラを1両4

台、出入口脇に双方向通話型インターホンを

1両8台取り付けている。

 外観はステンレス地に路線名のカラーであ

るパープルとホワイトのグラデーションと

なったフィルムが側面の大部分に貼付され路

線のイメージを演出している(図1参照)。

6.ぎ装とシステム 給電はDC750Vの第三軌条方式である。

両先頭車にCBTC車上信号装置と、主回路装

置を搭載し、中間車には補助電源装置と電動

空気圧縮機をそれぞれ2台搭載している。

 主回路装置として、Mc車に1C2M×2群

のインバータを搭載している。このインバー

タは編成で4群を有し、1群故障においても

車両基地まで通常ダイヤ内で走行可能なシス

テムを有し、車両故障時の列車遅延等を防止

している。また主幹制御装置にはワンハンド

図8 駅案内表示器

図9 CCTVカメラ

図10 運転台ユニット

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鉄道車両工業 480 号 2016.10

ニタを搭載し、それぞれ運転士が座ったまま

操作が出来る位置に配置をしている。

7.台車 標準軌および第三軌条に対応したボルスタ

レス台車であり、軸箱支持装置は円筒案内式

を採用し、軸距は日本で一般的な2,100mm

である。

 先頭のM台車には、排障器を装備している。

仕様書に基づき、M台車とT台車とで極力共

通化を行った設計とした。

 客先の仕様書を満たすことは当然である

が、実績のある構造も要望された。一方でヨー

ロッパの規格を満たすことも要望されている

ため、実績を重視しつつ規格を満足できる構

造として設計を進めた。

 台車枠の強度検証は、仕様書に基づきUIC

615-4に従って実施し、DVS1612(補注3)

により評価した。基本的な流れは、台車枠全

体を解析対象としてモデル化し、全ての荷重

条件で解析を行う。その確認のために静荷重

試験を実施し、解析と比較する。最終的に疲

労試験を実施し、問題のないことを確認した。

疲労試験は、規格の要求事項を実施できる試

験装置・機関が国内にはないため、ポーラン

ドの試験機関に依頼して実施した。

8.おわりに ベースとなったモデルはJR東日本のE231

系であるが、客先の要求を満足させるために

大幅な変更や新規設計となった部分が多く、

14

設計・製作においては苦労の連続となった。

 そのように大変な思いで完成させた車両で

あるが、車内、車外ともにシンプルかつ明る

いイメージとなり清潔感を感じる。開業後、

乗客の評判も上々と聞いている。今回の開業

区間は比較的バンコク郊外かつ全線高架であ

るため、高架線の上をさっそうと走るパープ

ルの車両が、便利な足としてバンコク市民の

間で早く定着してもらいたい。また、主要駅

には駐車場が併設されており、パーク&ライ

ドが実施されている。バンコクは渋滞の名所

であるため、パープルラインへのモーダルシ

フトが進む事で利便性向上と環境問題解決の

一助となれば幸いである。

補注(1):NFPAとは、National Fire Protection     Association(米国防火協会)の略称。

補注(2):パーセンタイル(percentile) 計測値の分布(ばらつき)を小さい数字から大きい数字に並べ変え、パーセント表示することによって、小さい数字から大きな数字に並べ変えた計測値においてどこに位置するのかを測定する単位。例えば、計測値として100個ある場合、5パーセンタイルであれば小さい数字から数えて5番目に位置し、50パーセンタイルであれば小さい数字から数えて50番目に位置し、95パーセンタイルであれば小さい方から数えて95番目に位置する。

(企業年金連合会webページ用語集より引用)

補注(3):DVS1612とは、ドイツ溶接協会の規格     である。(英文名 Design and endurance strength asse-ssment of welded joints with steels in rail vehicle constructions)

図11 台車

図12 高架を走行中のパープルライン

寄 稿