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スキナー以後の行動分析学(長谷川)
スキナー以後の行動分析学
一一3. S-R理論との混同
長谷川芳典
前鮪(長谷川.1993)では、心理学の概論書や初心者向けの論文において、行動分析学への誤解を
助長するような記述が多数見られることを、実例に基づいて指摘した。
本稿では、その続編として、主として認知心理学の立場から替かれた概論舎を引用 しながら、 行動
分析学がしばしばS-R理論と混同されている事実を指摘し、 S-R理論の欠陥を示す実験事実を示
しても行動分析学に対する反証にはならないことを主張する。
1. S-R理論との混同をまねく事例
スキナーの行動分析学がS-R理給であるとの誤解を助長する記述は、スキナーの鋭訳書の解説に
さえ見られる。まずは、スキナーの銅訳書『心理学的ユートピアjの訳者解題(宇津木・うっき.
1969)、スキナーの論文『学習の理論は必要かjを紹介した解説書(吉田.1971)を引用しよう。
. [賂]・・・・スキナーは媒介変数という概念を拒否するから、彼の見解I立、人間や動物を cmptyorganism (中身の
ない荷機体)と考える立場である。彼は被験体に内在するさまざまな特性について、あれこれと憶測することを避け、
むつばら刺激と反応との関係に器づく心理学を打ち立てようと試みる。だから、スキナー的な接近12の主要な目的は、
刺激と反応との関係を数学的に記述することにある。[宇津木・うっき.1969. p.337]o
[スキナーは]まず第 1に、媒介概念(interveningconcepts)を一切用いない。動因の影籾なども研究してはいるが、
それを独立変数として扱える範囲に話を限定する。この点では、新行動主著書に共通する特徴S-O-R図式のOを省い
た古典的形態S-R図式と一致する。[吉田.1971, p.68]o
つぎに最近に発行された学習心理学の概論替の記述(片山, 1991)を引用してみよう。
パヴロフ型にしろスキナー型にしろ、条件づけは「主ニE塁監jあるいは「述合総Jと呼ばれる学溜忍鎗に含まれる。
これに対し、ドイツの心理学者、ケーラーに代表される洞察学習は「認知理協Jと呼ばれる。この柄理論には、歴史的
にみれば、アメリカにおける行鋤主義心理E学と、ヨーロッパを中心としたゲシュタルト心理学の理論的対立がその背景
に存在する。[片山, 1991. p.130]。
もうひとつ、応用行動分析がS-R理論と混同されかねない記述を引用しておこう。
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心理学における学習の研究は、経験による行動パターンの変容のメカユズムを明らかにしようとするものである。行
動パターンの東を人格であると考えれば、学習忍論は本来心理療法の理論と草皆按に結ぴつくはずのものである。しかし
現段階では$-R理論が行動療法に.rr;・周されているにすぎない。[以下略][氏原・西村・東山(1985).p.1641.
スキナーについて全く予備知識をもたずにこれらの記述を読んだ学生が、行動分析学やその応用を
S-R理論の 1つであると誤解する危険性はきわめて大きい。
2 .行動分析学はS-R理論とどう違っているのか
それでは、じっさいには行動分析学と S-R理論とはどのように追っているのであろうか。これを
明確にするために、ここで扱う S-R理論の定義を明確にしておく。認知学習心理学の教科書として
定評のある Bower& Hillgard (1981)の『学習の理論第 5版jから S-R理論の 3つの仮定を引用
してみよう。なお、これらは、 8ever.Fodor & Garrett (1968)が、 S-R理論の基本的メタ公準
(Terminal Meta-Postulates: T M p) と呼んだ仮定である。
A1. 心理学的説明に必要な唯一の要素は、観察可能な要素と 1 対 l に対応しうるものである。これらの~索は、観
察可能な刺激、もしくは反応、それらの派生物でなければならない(派生物の例としては、媒介反応、浴在反
応、反応生成刺激などがある)。
A 2. 仮定 1 で述べた要素は、それらが客飢的な意味で、時IUJ的、あるいは~IUJ的に随伴して生起する場合にのみ紡
合し、迷合が形成される。
A 3. すべての観祭可能な行動は、仮定2で述べた迎合リンクを鎖状につないでゆくことによって説明されうる。
[梅本(監訳). p .1441。
S-R理論のこれらの仮定、あるいは、上に紹介した宇津木・うっき (1969)、吉田(1971)、片山
(1991) らによるスキナー“紹介"の記述は、これまで長谷川(1992,1993)が紹介したスキナーの
行動分析学とは、次の3点で相当に異なっている。
2. 1 刺激、反応の捉え方の遣い・
刺激や反応の定義は、立場によって著しく異なっている。たとえば、 Hebb(1972)によれば、刺
激とは“感受性をもった細胞(受容器あるいはニューロン)に働きかける外的エネルギー"であり、
行動とは“観察可能な筋および外分泌腺の活動"である。行動分析学が扱う“刺激"や“行動"はこ
のような定義とはまったく異質であるにもかかわらず、しばしば混同されている。
たしかに行動分析学は、弁別刺激→オペラント反応→強化子という 3者の関係(=3項随伴性)を
分析する。しかし、それは、行動を単一の刺激S一応答Rのユニットに分析'し一義的な対応関係を探
ろうとするものでは決してない。環境とそれに対する働きかけとしての行動の相互のかかわりを機能
的かつダイナミックに捉えようとしているのである。以下に、エヴ7 ンズの質問に対するスキナーの
回答を引用してみよう (Evans,1968)。
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スキナー以後の行動分析学(長谷川)
. [略]・・・・まずはじめに、本は自分がS-R心理学者・だとは考えていないということを強制しておきます。刺激は
多数の変数のなかの一つにすぎません。また、反応という概念も、今のままでは非常に有用な概念だとは思われません。
行動はきわめて流動的なものです。それは小さな反応がたくさん集まってできたものではないのです。[宇津木訳,
p.47-48.]。
2. 2 “S-R連合"
認知心理学の入門書では、しばしば、 S-R連合(結合)では説明できない実験事実を列挙するこ
とによって行動主義の“誤り"や“限界"をアピールしている。しかし、行動分析学は、そもそも S
-R連合を仮定していないし、それを説明に使うこともない。
Skinner (1977)は“連合"とは単に“つなぐ"、“結ぴつける"という意味であり、たとえば、パ
ヴロフの実験で“犬はペルの音と食物を速合させた"という認知的説明がなされているが、本当にペ
ルと食物を結びつけたのはパヴロフ自身ではないかと説いている。
認知学習心理学の概論番の中でも、スキナーが“S-R連合"を認めていないことを明確に指摘し
たものもある。以下に Bower& Hillgard (1981)の 『学習の理論jの記述を引用しておこう。
スキナーは行動主義者ではあるが、 S-R心理学者ではない。・・・・[中途略]・・・一・スキナ-1主連合という概念が不必
要だと知っている。刺激と反応は環境内で(同時に生起して)r迎合」され、反応を行うレディネスへと移っていくの
かもしれない。しかしながら、環境と反応の心的表象問の心の中での迷合という考えは、ちょうど重さの制限を超過し
た手荷物のように、災自Eレベル以上の誇張を含んだものだとスキナーは批判するだろう。 [p.171、訳は梅本 (1988.
p.205)による]。
しかし、残念なことに、この概論番は、学習理論を"行動一連合主義的理論(Behavioral-
Associationist Theories"と“認知一体制化理論(CognitiveーOrganizationalTheories)"に二分し、
スキナーを前者の中に含めてしまっている。いくら上のような記述があったとしても、全体としては
“行動分析学は行動一連合主義的理論の一分野である"との誤解を防ぐことはできないように思う。
2. 3 オペラント反応と誘発刺激
オペラント行動とは、誘発刺激が存在せず、生活体みずからが自発する行動のことである。長谷川
(1992)がまとめたように、行動分析学では、オペラント反応の出現自体はあくまで事実として受け
入れ動物の属性のようなものとして扱う。我々は、ふつう、魚に羽根があること、魚に尾ひれがある
ことをあたりまえの事実として受け入れる。鳥が飛ぶ、魚が泳ぐというオペラント反応を自発するこ
とも、それらと何ら変わらない事実なのである。このようなオペラントの概念は、“刺激により反応
は決定論的に定まる"とする S-R理論とは相容れない。
刺激統制 (stimuluscontrol )、すなわち弁別刺激とオペラント反応との関係はしばしばS-R理
論と混同されやすい。しかし、弁別刺激はオペラント生起の手掛かりを与える刺激である。レスポン
デント行動における誘発刺激とは本質的に異なる。
佐伯 (1988)は、“行動主義心理学は、しばしば俗に rSR理論J(刺激一反応強化理論)とも呼ば
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れているが、厳密にいえばこれはあまり正確でない。 [p.401]"としたうえで、スキナーの行動分析
はともかくはじめに R (反応)ありきであるから、これはむしろ R-S-R理論といった方がいいだ
ろうと述べている。しかし、何度も指摘したように、“R-S-R"と呼ぽうが“S-R-S"と呼
ぽうが、それらは環境事象と行動とのかかわりを述べるべきものであって、決.してそれらのあいだの
“迎合"による説明をめざしたものではない点に留意すべきである。なお、佐伯(1988)は、スキ
ナーはS-R理論ではないと述べておきながら、徹底的行動主義に対する批判の根拠としてはもっぱ
らS-R理論の反証実験をかかげるのみである(p .403-405)。
3 .ワトソンとスキナー
行動分析学がS-R理論と混同されやすい原因の 1つは、ワトソンとスキナーの区別が明確にされ
ていないためであろう。
じっさい、概論替の中には、行動主義心理学としてはワトソンだけを紹介・批判し、認知心理学と
対照させたものもある。
行動主義はワトソン(Watson. J. B. 1878-1959)により提唱された客観心理学の体系である。.. [中途略J...ワトソン
は行動を単一の刺激S一応答Rのユニットに分祈することができると考え、あらゆる心理学的な問組とその解釈は、 S
-Rに観訳できるとし、 SとRの中間の過程つまり愈織過程には、手を触れるべきではないという立場をとった。[中
川大倫・星波(縦)、 1988.P .14].
それではじっさいのところ、ワトソンはどこまでS-R主義者であったのか。このさいワトソンの
“行動主義者綱領"(Watson, 1930) を引用しながら、確認しておこう。
次の物差しが行動主義者の?古にもちだすものなのである。私が見ているこの行動は[料自民と反応]という曾楽で記述
できるだろうか[Watson. 1930; ~沢は小)11 (1989. p.4)による]。
ワトソンはまた、“行動主義の定義"に関して次のようにも述べている。
[略]行動主義者は、物理学者・が自然現象を支配し、偽作するように、人間の行動を支配したい。人間の活動を予言
し、支配することは行動主義心涯学の仕事である。これを行うためには、災験的方法で、科学的なデータを集めなけれ
ばならない。そのときはじめて、訓斜!された行動主義者は、この刺激を与えれば、どういう反応が起こるかを予言でき
るし、またその反応を告げれば、どういう状況、あるいは刺激がその反応を引き起こしたかをあてることができる。
[ Watson, 1930;択は安田 (1980,p.28)による]。
ワトソンの主張についてはいずれ本稿の続編以降で詳しく論じる予定であるが、その基本は、①心
理学の目的は行動の予測と制御にあること、②心理学における概念は、すべて刺激・反応・習慣など
の行動概念でなければならないこと、③反応は刺激により決定論的に定まる、という 3点にみる。し
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スキナー以後の行動分析学(長谷川)
かし佐藤 (1976,P .12-21)が指摘しているように、彼の主張は1919年ころまでの前期と1925年ころ
からの後期とでかなり異なっている。また、ワトソンはしばしば行動を物理的生理的な受容器・伝導
器・効果器の過程とする要素的な見方(=分子的定義)をしていたと言われるが、いっぽうでは
Tolman (1932, p.6-7参照)が指摘しているように、生理的な反応の集まったもの以上の全体的な
反応とする見方(=総体的定義)ももっていた。たとえば、 Watson(1919)は、行動主義者は生理
学者のように筋肉と腺の個々の迎動にのみ興味があるのではなく、“個体の統合と全体的な活動に興
味がある"と明言している。こうした多面的な特徴をふまえずワトソンを要素的なS-R速合主義者
の代表であるかのように論じることは、あまりにも一面的であると言わさ.るをえない。
認知心理学の立場から脅かれた初心者向けの論文のなかには、ワトソンとスキナーとを完全に混同
してしまっているものさえある。以下に、佐伯 (1988)の一部を引用しよう。
形而上学的(徹底)行動主義 (Metaphysical(Rad ical) Behaviorism)というのは、人間や動物の存在様式につい
e て次のように考える立場である。第一に「心Jとか「心的状態Jなるものの実在を否定する。第二に、すべての経験は
筋肉運動と体液の内分泌に還元される「反応jである。第三に、いっさいの行動は、環境条件によって形成され、制御
される。第四に、「意識jなるものは行動の原因たりえず、科学的研究の対象にもならないし、行動の予測と制御には
まったく不要な概念である。
このような徹底的行動主義をとる研究者といえば、かつてのワトソン自身と、今日80畿を越してなおますます元気で、
勢力的[粉カ的?]に活動しってヰけているスキナー(B. F. Skinner )がその代表者である[佐伯.1988, p.400-401)。
[ 1は長谷川挿入。
このうち、“第一"と“第三"が行動分析学にあてはまらないことは、前鮪(長谷川.1993)で指
摘した。ここでは“第二"を問題にするが、いったいスキナーのどの著作に、“すべての経験は筋肉
運動と体液の内分泌に還元される「反応」である。"などと脅かれているのであろうか。認知心理学
の第一人者と言える佐伯教授がこのような初歩的な誤解をしていることはまことに残念である。
なお、行動主義心理学としてワトソン以外をも紹介した概論舎の中には、スキナーの記述を避けて
いるものもある。たとえば、 Pearce(1987)の入門書は、 Hull、Guthrie、Tolmanを紹介しながらも、
スキナーについては、 4箇所で実験論文を引用しているにすぎない。また、中島 (1992b,p. 7)は、
新行動主義の代表者としてトールマン、ハJレ、スキナーの3者をあげながら、“スキナーのオペラント
条件づけをめぐる考え方については現在も多くの本においてふれられているので、ここでは歴史的視
点よりトールマンとハルの考え方のみを取り上げることにする"として、なぜかスキナーについての
記述を避けてしまっている。
4 .行動分析学と Sー Q-R理論
行動分析学と S-R理論との混同の原因の 1つは、学習理論を、 S-R理論、 S-O-R理論(刺
激ー生活体一反応)、認知論に 3分割してしまう誤りにあると思われる。たしかに、行動分析学は、
SーO-R理論でも認知論でもない。したがって残りの S-R理論に機械的に分類されてしまう。こ
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の結果として、 S-R型論の諸特徴があたかも行動理論の特徹であるかのような誤解が生じる。
その一例として、 Oはブラックボックスであるとか、 01ま空成な生活a体(有機体)であるとの考え
が行動分析学の特徴であるかのように誤解されることがある。前杭(長谷川, 1993, p.54) で指摘
したように、スキナーはOあるいは意識の存在を否定したわけではない。それらを行動の説明変数と
して用いることに反対しただけである。
この点について、スキナーはエヴ7 ンズの質問に次のように答えている。
. (中途略]・・・・Oが有機体をあらわし、 S-Rが入力と出カとをあらわすとすれば、 0のm咲きに|刻する問題がお
こってきます。 1iL..は、厳W,'なS-Rの公式に反対だというよりも、むしろOの彩仰を仮定することに反刈なのだと考え
ています。[字i:lt木iUCp.47-49]。
. [略]・・・・心理学は布僚体の行動と、その行動に働きかけるいろいろなカとのIIIJにさまざまな関係を政定しようと
する学1111だといえるでしょう。ですから、有微体Oは当然平r:tl:しなければならないものですc 私は、本当1;1:r~J,信なイf
機体Jという概念をfiZじていないのです。この宮球;はなの首い出した文句ではありません。・・・・[目白]・・・・行動とそれに
先行する変数とのI[lJの|則係について、はっきりしたことが{itJも言えない場合には、その)iljのギャップをうめるようなも
のを布機体のなかに仮定しても、何の役にも'j,:ちません。ギャップは私のデータのなかにあるのです。つまり、ギャッ
プをうめるために必要なことは、分析を改良することであり、それ以外の場所からf:r-mしてくることではないのです。
[宇津木訳.p.49J。
行動とそれをとりまく環境とのかかわりから目をそらせ生活体内部に梨空の仲介変数を想定して行
動を説明しようとする試みは、結局のところ尖験心理学者の関心を“行動や環境を変えるための具体
的な方策を提起する"ことから迷ざけ、解釈やモデルの証明のための実験へと駆り立てる恐れがある。
スキナーは、このよ うな危険泊:を、“内而世界への退避 (thefligh t to the i nner rnan)" として批判
している (Skinner,1961)。
最後に、すこし長くなるが、学習型論の 3分制図式と行動分析学との|刻係を明確にするために、中
島 (1992a )の比陥を引用することにしよう。
心理学の流れを理~解するのに、一つの比倫を用いてみよう。いま、敵国のjl r.~J~工場を、静止術尽に段定されたカメラ
をiillじて、 監視しているとしようQ....[中途略]・・・・そこで、泡iび込まれた資材と徹出された生illl物とから、工場の内
等を在Jlf.~する試みが、 3 人のW~~研究家により、行われた。
A という W~J~研究家 l立、あれやこれや考えていたが、いま、客飢的lJ~尖として、自分が手にしている情報は、巡ぴ込
まれた資材と鍛山された!-Hr.物だけであるという点へのこだわりから、紘け出すことができずにいた。.... [中途
略]・・・・彼は、それから、どれくらいの氏の資材が辿ぴ込まれるとどれくらいのii'rの搬出物があるのかを在日祭すること
により、両者のJlIJの!則数式を定立した。
一方、 B という íl r.~J~研究家は、工場から巡ぴ出される生産物は、ちょっと見た目には、カパーがされているので、悶
ーの物に見えるが、よくよく在日察すると、どうも2航t3iの車両のようであることに気がついた。両者とも平たい形状を
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スキナー以後の行動分析学(長谷川)
していたが、片方のカバーの)~から、怖のようなものが111ていることから、 Bは、一つはトラッ少、一つはIj加I!だと、i リ
附した。この両者は、入りiJLざってilliぴIHされてきたが、日によって、 トラックと党しき物のほうが多いときも、 i決III
とj'i:しきものが多いときもあった。これはどういうことかと考え悩んだ求に、 Bは、一つのことに気がついた。それは、
工場の燃突からはき山される灼!のJltが多く、また、T.場J)~からもれる光の誌が多いため、工場合体が明るくがI(いた映像
となる日カミある、ということであった。よくよく 1[')(-1象をうHfr的に11守P~してみると、そのような日には、 ìJとまって、 ijiJ(1II
と 'JJ; しき生旅物の搬出来が多〈なっていることが認められた。そこで、 Bは、資材の倣山内'fj は|品l じであっても、T.~必
の活動状態が大のときにはIj没IIIがおもに!I:EITされ、通常の活動状態のときには1段取とトラックとが!Ioキに!I:_H正される、
との車占i沿をードした。
. [中途略]・・・・ C は、プラモデルの組み立て作業をモデルに、次のような~HCJて手?を考えてみた。・・・・ ['1' j金
目指]・・・・ii<lUIIとトラックという2H¥%iのよHt物があるのなら、このどこかの段階で、生産工程は二つに分岐するはずであ
る。さらに、 i伐Ij[とトラ γ クの~un:松は、二つに分岐する際に、それぞれ!Ió際社を淵節するために、流れ作業の作業
速度が自により変化させられるはずである。 CIはま、このf机iftの可自能tな工符殺uにこつき、 f税'品R々 に考考-えをめぐらした。その|際摂には、
自悶の1市lドt~事lドn平ド阿了
fたこ。[中山町1992a.p.203-20~J 。
ここで中島 (1992a . p. 203-204)は、資材を刺激Sと考え、生産物を反応Rと考えるならば、 A
はS-Rの行動主義に類似し、 Bは、工場の活動状態すなわち人1mの心の欲求ゃ動機づけの状態を示
す変数0を導入することから、 S-O-Rの新行動主義に、また Cは認知心理学の立場によく類似し
ている、と述べている。とすれば、 S-O-Rでも認知心理学でもないスキナーの行動分析学は Aに
~l1以しているということになるのだろうか。
何よりもIgJJ旭となるのは、上記では実験的分析に相当する比除が合まれていない点である。言うま
でもなく、行動分析学は、独立変数を操作しそれに1*なって生じる行動の変移を観測することによっ
て因果分析を行ない、行動の予iJllJと制御をめざす学問である。 jlliび込まれる資材はむしろ従属変数の
一部と考えるべきであろう。兵の独立変数の操作とは、その固と自国との全般的な友好(商~j'J) I刻係
(たとえばピザの管理j[や関税率などを変えること)を操作したり、あるいはトラックや戦車の製造が
もたらす結果(例えば、他国への愉:JHit、戦闘の有無ーなど)を操作することである。そして、 トラッ
クやij及率の搬出量がどのような操作に依存して変化するかを観測するのである。
くり返し言うが、上記の比取においてもっとも必裂なことは、 トラックと )j従事の搬出iitが何に依存
して変わるかということである。“資材の搬出内容は同じであっても、工場の活動状態が大のときに
は)j従事がおもに生産され、通常・の活動状態のときにはij従事とトラックとが半々に生産される、との結
論を下した"とあるが、これではまだ相関分析にすぎない。何が工場の活動状態を大にしたり通常状
態にしたりするのか、その真の原因を探るのが行動分析である。
ところで、上記の比聡では、 S-R行動主義者のAは資材と搬出Ji-l:の|刻数式を定立しただけである
のに対し、 S-O-R主義者の Bは、“よくよく制努すると、どうも2種類の車両のようであること"
に気がつき、しかもそれらが、工場の煙突からはき出される煤のiitゃ工場内からもれる光の量と関係
があることを観測したことになっている。しかし、こうしたAとBの差は決して S-RとS一O-R
‘・4ヴ
r
との違いではない。 2種類の車両の形も、煙の量や工場内からもれる光の量も、すべて客観的に観察
可能な対象であって仲介変数ではない。 BはS-O-R主義者というよりはむしろ、すぐれた観察力
をもった S-R主義者であるということになるだろう。
次にCであるが、プラモデルや自国の軍事車両工場と比較ができるのは、戦車やトラックの生産工
程がはっきりわかっており、工場の内部について実体に基づいた離論ができるからである。これは認
知心理学というよりはむしろ生理学の領域に近い。そして、そうした知識はそれなりに意味があると
しても、トラックと戦車の搬出量を予測したり変容させたりする方策を練る上では何の役にも立たな
い点に留意すべきである。
5 .おわりに
認知心理学の概論替の多くは、①かつて認知過程を研究することが行動主義によって否定されてき
たこと、②行動主義では説明できない数多くの実験事実があること、 -①それらを解決するためには認
知的なアプロ}チが必然であること、という論法で認知心理学の正当性を主張しているように思われ
る。しかし、ほとんどの場合、“行動主義では説明できない数多くの笑験事実"というのは、笑際に
はS-R理論では説明できない事実を引用しているにすぎない。そして、行動分析学を S-R理論の
中にひっくるめて否定し、 2度と省みることはないのが実情である。
本稿は、紙数の制限から、あくまで行動分析学がしばしばS-R理論と混同されている事実を指摘
するに留めた。仲介変数を導入することの是非、あるいは認知学習心理学者が掲げた種々の実験事実
が行動分析学への反証として妥当なものであるかどうかについては、本和iの続編以降で順次とりあげ
ることにしたい。
前鯖でも指摘したように、近年、認知心理学が隆盛をきわめるなかにあって、心理学を学ぴ始めた
学生がスキナーの業績に直接ふれる機会はほとんどないものと推測される。大多数は、認知学習心理
学などの概論番を通じて初めてスキナーの名前を知ることになるといっても過言ではない。スキナー
や行動分析学の考え方を否定するにせよ、肯定するにせよ、まずはその内容を正確に伝えていただく
ことを切に望むしだいである。
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