ブルーナー教授の「デューイ の後...

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ブルーナー教授の「デ ューイ の後 に来るもの」について 一一デュ ーイの 「私 の教育学的 信条 」との比較一一(下) 聖子 そ一郎 3 位置づけ - 以上私はデューイ が「信条J でのべている乙とを対照させながら , フツレ ー ナー氏の「デューイ の後 J lC 主強されているととろを j 阪をおって逐条的iと似 討 してきた。以下はそ乙 で明らかになった乙とをできるだけ整理しながら, 氏の主張がデューイ の説に対してどのような位置を占めるととができるか, すなわちそれはデューイ の教育学的信条に とって代わる 乙とができる程の のであるか,それとも後者とは相反するがゆえに全く排除 さるべきもの であ るか,あるいは後者の一部として組み込まれる 乙と ができ るものであ るか, そしてもレそのよう , r'L 組み込ま れ うる ものだとしたら それはなぜであるかと いうような問題を考えることにしたい。 1)一つの教育学的信条として プルーナー氏が『教育の過程』を一つの会議のレポートとして昨いたとき には,人々は たといそれの IqJ に行きすぎを発見したにしても,そ乙は適当 に 補正してそれを |自分たちの教育学的な考え方や教育実践を改終するための矛 唆として受容するととができた。しかし今や「デューイの後」におけるごと くデューイの考え方は全体として古くて使いものにならないといったふうに 主張しているのに援すると,果たして氏自身の信条は本当に一つの教育学的 信条としてデュー イのそれに太万打ちできるほど立派なものなのだろうかと (193 )

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ブルーナー教授の「デ ューイ の後

に来るもの」について

一一デュ ーイの 「私 の教育学的信条」 との比較一一(下)

牧 聖子 そ 一 郎

3 位置づけ

- 以上私はデューイ が「信条Jでのべている乙とを対照させながら,フツレー

ナー氏の「デューイ の後JlC主強されているととろをj阪をおって逐条的iと似

討してきた。以下はそ乙で明らかになった乙とをできるだけ整理しながら,

氏の主張がデューイ の説に対してどのような位置を占めるととができるか,

すなわちそれはデューイ の教育学的信条にとって代わる 乙とができる程の

のであるか,それとも後者とは相反するがゆえに全く排除さるべきものであ

るか,あるいは後者の一部として組み込まれる 乙とができ るものであるか,

そしてもレそのよう ,r'L組み込まれうる ものだとしたらそれはなぜであるかと

いうような問題を考えることにしたい。

1)一つの教育学的信条として

プルーナー氏が『教育の過程』を一つの会議のレポートとして昨いたとき

には,人々はたといそれのIqJに行きすぎを発見したにしても,そ乙は適当に

補正してそれを|自分たちの教育学的な考え方や教育実践を改終するための矛

唆として受容するととができた。しかし今や「デューイの後」におけるごと

くデューイ の考え方は全体として古くて使いものにならないといったふうに

主張しているのに援すると,果たして氏自身の信条は本当に一つの教育学的

信条としてデューイのそれに太万打ちできるほど立派なものなのだろうかと

(193 )

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圃圃圃・司F町

- 2 -

問わざるをえないのであった。

氏は現代のより深い理解を「社会の豊富化のためばかりでなく個人の豊富

化のためにも」採用すべきだといい,また子どもに「個人的に定義された社

会的に関連のある優秀性」の発展のための有能さを与えねばならないといい,

あたかもデューイ同様に何人と社会との両方を重視しているかのどとくのべ

ていたが,その実は五つの条項のどこにおいてもその提言にふさわしい具体

的ノj策を示さず,逆に子どもの社会的活動や社会的なみヘの多加を拒けて,

もっぱらただ子どもに彼自身の文化,優秀性のイメージ, 'f tt界間,鍛えられ

た理解をうえる乙とだけを強調していた。

氏は-[-どもの生活を重視するかのどとく ,デューイと同掠に学校は「生活

そのものであって,_ttJ. ,ζ生活する乙とへの準備ではないJとか,それは一種

の「共同社会Jであるとかいっていたが,乙れらは全く言葉の上だけの乙と

であって,氏が描く子どもの住所とは頭の中だけで行なう観念的生活であっ

た。氏の叙述が全体としてその乙とを物語っていたが,デューイが社会的生

前とか共同社会~i1ïとかを強調しているのに, 氏がわざわざ「心の生活 (thelife of the mind)J という友現を用いていた一事をみてもそれは十分察せら

れると ζ ろであった。氏にとっては了-どもの社会生活への参加とか,子ども

たちn身の現在の生きたリアルな社会的生活とかいうものはどうでもよいと

とになっていた。

氏はデュ ーイ にならって教育においては過程とゴーノレとは同一だと主張し

ていたが,乙の同一性は氏の場合はただ最高度にまで発展したと偲定されて

いる今円のおとなの理解を得させるために初めから終りまで子どもを鍛え続

けるという芯味であった。それはデューイにおける教育のfl1ドではなくて,

おとなの理解を基準ないしゴーノレとした単なる準備教育の徹底だった ので

ある。

氏はデューイ lζ似せて教育は「社会変化の基本的方法Jだといっていたが,

デューイのように子どもを社会の進歩と改革との担い手として育てようとし

ていたのではなく ,ただ教育は社会変化を反映する某本的方法であるといお

うとしていたのである。

乙れらの氏がデューイに同調するかにみえた点はすべて実質をもたない空

言であった。

氏はまたデューイが主張しているような子どもの性状の心理学的および社

会学的な考察をではなくて,故新の知識の「学問的J,i論理的J,i公理主義

(194 )

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フルーナー教綬の「デューイの後lζ来るものJlCついて -3一

的jといわれる ζ とき知識そのものの構造-の研究と,そういう構造-の理解に

基づく知識を有効に旬得させる方法の研究とを重視していたと解せられる。

氏はカリキュラムの中心Kデューイ |のように子どもの社会的|諸活動を拡-える

のではなくてE |国語と数学とを白乙うとしていた。氏が子ども K期待するの

ま,デューイのよう K子どもが常時フルに生活しつつその潜在的能力を十分

,IC発達させて現災社会へ適応するという ζ とではなくて,子どもが現実の社

会変化を反映した彼自身の観念的体制をもっというととであった。世界観,

三位のイメージ,内面的文化,制察,理解などといわれるものが氏の期待

する教育の成果であった。 なるほど氏は「情報を与えられた心の諸-力 (in-

fornled po¥VerS of 'mind)J とともR:r行為において有能だというセンス (a

sense of 'potency in action)J をも子どもに与えねばならないとしている

(0. K. p.. 122..)。 前者は「理解jと同じ怠味であろうが, 後者はまた理解

の深まりからくるものといわれている lのだから,氏にとっては総じて理解が

「的であって,理解さえ与えれば教育の仕事はすんだも同然なのである。

氏にとっては生活や経験や行動は重要ではなくて,構造化された知識ないし

理解を与える ζ と,顧の中の観念体制の形成が問題なのである。

乙ういうわけであるからフツレーナ一氏はデューイの教育学的信条に全而的

lζ反対しているのである。もちろん氏もデューイ同様に教育を重要視してい

るし,学校が教育上特騒な意義をもっ機関である乙とを認めている。教育に

は題材や方法の問題が重要である乙とをも承認しているであろう。だが乙の

ような乙とで一致したととろで何になるであろうか。しかも氏が同意する点

といえば乙のようなほとんどだれでも不一致である乙とができないような乙

とだけではなかろうか。教育のE要性は認めてもすでに「教育」のな味にお

いて暴なる。学校の特極性を認めてもその特極性の内容が異なる。教育の

題材についても方法に関しでも,また教育の社会lζ対する意義lζ関しても氏

のな見はデューイのそれと呉.なっている。両者の信条は性格的l乙相反してし

て, 共通点は全くないといっても過言ではないと思う。

したがって私は氏の「デュ ーイ の後J~乙|到する|浪り, 氏の教育協がデュー

イから何ものかを継承しているとか,それを再椛成したものであるとかいう

を認める乙 とはできない。いわんや両者が本質的IC,(,ま同じであるなどと

いう解釈は全く問題にならないと思う。私は天野氏によってF 一般にフノレー

ナ-:sH冶について乙の磁の諸解釈が行なわれて lいるらしい乙とを恕倣できる

けれども (r紀要j,21瓦),乙の「デューイの後」に|均する|浪りは,それらの

(195 )

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- 4-

解釈はすべて間追っているといわざるをえない。今みたどとく乙の論文の中

にもデューイの言葉に似たぷ引は随所にあるが,それらは単なる語呂合せ程

度のものであった。われわれは氏の ζ ういう断片的な諸冨IYJ~ζ感わされない

ように注意すべきであろう。もし氏の他の著作にデューイとの親近性を示す

碓かな証拠が~~出だされるとしても , それは乙の論文の兵端性を証するだけである。

フツレーナ一氏の信条を貫いている原理としては社会主義的な面を切り捨て

た単なる個人主義,知識を fどもの生活経験に関わらせる乙となく ,知識を

知識として習得させようとする知識そのもの主義,M新の知識に早JVHζ触れ

させて,深い理解を早くから 与えようとする拙速主義,カリキュラムに関す

る伝統的なる 3R中心主義などをあげる乙とができょう。「一般的J,r組織・する J, また他の,(1f作で 「必礎的J, r基本的Jなどといわれる「観念Jまた

は「概念J, および 「構造Jといわれているものについての氏の考えぶは上

述の知識そのものと義に凶している。カリキュラム研究機関の設立の提唱は

これとさらに拙j主主義とにまたがっている。個人自身の位界観,内面的文化,

優秀性のイメージなどの主張は単なる個人主義の諸特徴である。

デューイにおいては例人ヒ義と社会主義,個人の生長と社会的適応が一致

している。個人は社会的な個人であるから,経験の山銭的再他jぷとしての生

長は社会的生活のuIJ友的再構成としてのよりよき適応にほかならない。彼は

決して知識を軽視するのではないが,知識を知識として習得させるのではな

くて,チどもをまず生き生きと生活させるなかで知識のぷ義を体得させなが

ら,より専門的な知識の沼得に|匂わせようとする。だから学校のあらゆる教

科の関辿の中心をブ、ノレーナー氏のどとく 3R ~Cではなくて, 子ども (1 身の社会的諸活動のうちに求める。 ntなる知識そのもの主義ではなくてよりよき適

応へ導く生活主義,性急な拙法主義ではなくて既得の経験の再構成を求める

述続主義, 3 R中心主義ではなくて作業中心主義,そして ζ のパラグラフの

はじめに触れたように単なる個人主義ではなくて個人主義 ・社会主義である

乙となどが,r信条Jから読みとられるデュ ーイ の与え方の特徴である。

ブノレーナ一氏の論文か氏の教育学的信条をのべたものとしては到底デュ ー

イのそれに比肩されうるものでないというととは明らかであろう。 -)jは教

育学的信条にふさわしく一つの哲学的統ーをもった休系的論稿であるのに対

し,他)Iはただ外で構造化した知識を注入するための技術的凡j仰を無理に拡

大して外見上教育争的信条にみせかけた程度のものにすぎなし、。すなわち教

(196 )

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フJレーナー教授の「デューイの後1(:来るもの」について -5-

3学として基本的におさえていなければならないことがら,たとえば学校の

独自かつ特積な機能も,題材と教育内容との区別も,教材としての知識の体

系性ないし構造と習得される個々の生徒の生きた知識構造とのちがいも,人

間の発達についての考慮も何らわきまえられていない。思うにそれはただ心

理学実験室で確かめられた知孔を教育の全国に無雑作に適用しようとしたも

のである。したがって私はそれは一つの教育学的信条としての資絡をさえも

もちえないものだと思う。

私は氏の乙の論文がどれだけ真面白なものかを疑う。それは氏がもらして

いたよう K単iζ練習用に習いた習作にすぎ lない lのかもしれない。あるいは臼

己の特定の理論・や迎動を宣伝するためのものだったのかもしれない。だが発

表し再録さえしているからには自信があっての乙とではなかっただろうか。

もしそうだったとしたら私は次のようにいわないわけにはいかない。すなわ

ち氏のこの論文には既述の通り,思想|内容は時代の変化につれて古くなると碩

からきめでかかったり,徳は度が過ぎると邪魔になると断じたりするような

忠恕を扱う上での安直な態度, r新ししづとか「優秀性Jとかいうことばか

り述発して新しい社会変化を反映した新しい知識の伝達にやっきとなった機

会主義的態度,正直に教えよと説きながらみずからは内容K合わない論文題

名をつけたり,言葉の上だけでデューイへの同調を示すといった不正直な態

度が看取されるが,そういう乙とでどうして将来を見通すような立任ある教

育学的信条を案出する乙とができょうかと。

ζζでデューイの立場は幼い子どもの教育に,ブノレーナー氏のそれはより

長じた青年の教育に適用したらどうかという提案が出されるかもしれない。

小 ・中学校lとだけ適用できるとか,高校 ・大学にしか適用できないとかいう

のではどの立場にせよもはや「教育学的信条」の名に値しないであろうが,

上の提案は一応だれでも気がつくと乙ろであろう。というのもデューイは家

庭と直続した社会的活動ないし作業の採用を強調しているし,プケレーナー氏

は知的な鍛練を力説しているからである。しかし両方とも適用範囲にそのよ

うな制限を設けているわけではないという乙とは上来みてきた通りであって,

その ζ とはデューイが教育の過程を個人が人類の社会的窓識ヘ参加する過程

として規定し,フソレーナー氏が何でもどの年令の子どもにも正しく教えられ

るという窓味の乙とをのべていたことを思いだすだけでも十分であろう。問

題はそれぞれの立場がその精神においてすべての年令の被教育者に適用でき

るかという乙とであろう。

(197 )

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..--

- 6 ー

デューイが料}'I!,Jぷ弁連,手工なとの社会的必活動を導入し, しかもカリキ

ュラムの小心においたのは家庭から学校への'戸習の述続性を保つという窓味

もあったが,人間の社会性といったぷド的要求に関わる乙れらの活動lζ従事

させる乙とを通して人紙文明の先圧をを:概観させるとともに,今日のより分化

した ~IiIIIJ的学習へ辺き入れるためでもあった。なるほど全く同じ社会的必活

動をlq校や大学へもち込む必要はないであろうが, その~・え方は ζ れら上級

の学校でも生かされてよいのではなかろうか。たとえば事の逆転と修理,電

気23JLの扱い)Jや直しブj,洗剤とか力、、スとかの使用法など高校で行なうに適

わしいものが~.えられるにちがいない。 それらを ~i~ζ手先の技術としてでな

く今 Uのわれわれの生活を代ぷする一つの社会的活動として扱うなら,われ

われはそれらを自然科学のみでなく人文科学や芸術における洗練された専門

的学 t1Jへと関述させて学ばせる乙とができるであろう 。私は大学で一般的教

育といわれているものは中心の話題が何であれ,それを広い社会的凶述にお

いて学押させるものとみなしたらどうかと思う 。たとえば水,ii託541,石油な

ど u'(抜 lζ は自然物と~えられているも のをとりあげようとも , それを人類の

共同作活へ関辿させて倣うときには,学習は自然科学や技術のみでなく ,社

会 ・人文諸科学へのJ及を合まざる をえないと思う 。デューイの立場では特

定の'主問を集めて「人間科学Jと称する必要はない。なぜなら,彼の立場で

は人IlD科学でない学InJはありえないからである。

フソレーナ一氏の立山ではどうであろうか。氏のノJ-法が幼い子どもに実施さ

れたら,彼は一時的に「賢く」みえるようになるかもしれないが,頭でっか

ちで身体はいう乙とをきかず,友人たちとも互いに協働する乙とができない

非社会的な人間ができはしないだろうか。乙のように危ぶむ向きは少なくな

いと思うが,それでは高校 ・大学の教育へなら適用できるか,いや適用した

ブjがよいのかというに,乙れは今デューイに関してのべたと乙ろからみてや

はり辿可ではないと巧えざるをえない。すなわちいつでも求められなければ

ならないのは技術省にせよ学在にせよ行政官にせよ,その他どんな専門的な

職業人であろうとも,公共 ・人類のtu¥f.止への!刻辿をii13Zしながらその職務lζ

励み,それのために創造的協働的な只献ができる人である。乙れは改めてい

うまでもないととであろうが,そういう人間は氏のいうように知識を巾に知

識として学び,最新のj理解を身につけ,Iミ!己自身の世界観をもつように導く

ζ とによっては育てられないのである。氏の ,'[.J誌には知識やT理解がそれlζよ

ってえられ, またそれに本仕しなければならない探先への重椀がみられな

( 198)

,.

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ブルーナー教授の「デューイの後lζ来るものJ,cついて - '7ー

い。探究がそのためになされなければならない社会的生活への重視がみられ

ない。けっきよく本来社会的で‘あると乙ろの人間への尊重がみられない。初

及の学校であれ上級の学校であれ,人間を人間として盟かに有芯義に生?活さ

せるととなしによき有能な社会人として育てる乙とができるであろうか。一

歩ゆずって氏の方法で最後lζは人間らしい人ItUが百っとしても,ますます長

くなる教育の期間を人間らしく生活させないでよいといえるであろうか。

官り返すが下級学校にだけ適用できるとか,上級学校にのみ適用できると

かいうのではどんな信条も教育学的信条に似しないであろう。ブルーナー氏

の信条でも少なくとも学校教育の全体にあてはまるものとして提示されてし

るとみなければならない。現在氏の考え方を幼児教育の分野Kも適用しよう

という窓図や期待がわが国にも感じとられるが,私は乙の「デューイの後J

や『教育の過程』にみられる考え方がそのまま幼児教育lζ適用されるならば

ゆゆしい問題が生ずると思う。私は教育を平均Hζはじめる ζ とには何も反対

しない。それはすでに行なわれており,生まれると同時K子どもは教育を受

けている。そればかりか「胎教」の言葉が示すように教育はある怒ら長では生

まれる以前からはじめられているといってもよい。問題はブルーナー氏のい

うような知的訓練としての, しかも外で梢造化した故新の知識をそのまま子

どもに与えようとする教育を幼児に施してよいかということである。かりに

年令lζ応じて幼児に与えるのにふさわしい構造化された知識が整えられたと

しても,それを一般的観念をまず理解させるといった方式で教えてよいもの

かどうか,しかもそういう教授のみをもって教育が尽くされるとしてよいカ

どうかという乙とが問題である。もしそのような教育が行なわれるならば,

今はまだジャーナリズムには現われていないかもしれないが「教背公3」と

いう言葉もやがて流行せざるをえなくなるであろう。

他方,デューイの「信条Jにはまだ「生長Jの明示的な定義や, r会L-1J

の「生長Jが教育の究極目的だというよ4解は十分には現われていないが,教

育は災質上生長の過程としてとらえられており, しかも既述のごとく生活主

'というべき特徴が十分に強調されている。彼の)5-えブjは幼児教育にはもち

ろん, 生誕から死に去る生涯教育にj~JHできるものであり,また適用すべ G

のである。

A として

「デューイの後Jtζ表明されているブルーナ一氏の_t11~の全体はデューイ

(199 )

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- 8ー

の「信条Jにとってかわる ζ とができないとしても,そのすべてが否定さる

べき lだという乙とにはならないのではないか,その1・1・1にはデューイの欠けた

とζ ろを補うという芯味て‘極めて重要な主取も含まれているのではないかと

いった疑問はだれでももっととろであろう。フノレーナ一氏の主似のうちでデ

ューイの教打学的信条の改善に寄与すると乙ろがあるとすればそれはど乙で

あろうか。以下乙の乙とを少し考えてみよう。

佐藤三郎氏によればブノレーナ一氏の関心は「主として,教Jえの新しいJlJ!Hfui

をつくりだす乙とにある」という乙とである。(13) と乙ろで教奴は学習と切り

はなせないから「デューイの後Jから教授一学習理論に当たるものをとり山

してみるのがよいであろう。そのようなものとしてはカリキュラム研-究機関

役立.の提案のほか,次のようなととが主張されているといえよう。子どもは

鍛えプJ'を工夫すれば現にどういう興味をもっているかには関係なく ,乙れま

でよりもずっと早期に, また容易にM新の知識をさえ:Fm1~'!~ させる乙とができ

る。だがそのためにはわれわれの方で予め&新の知識までも合めて子どもの

学ぶ甲斐のある知識序椛造化しなければならない。そして一般的観念、をでき

るlだけ初期に把握.させ,子どもに知識の433込がのみ乙めるように指沼しなけ

ればならない。氏の乙ういう主強は知識そのもの主義と拙速主義という性絡

をもつものであるが,今氏の他の主張から切り離してみるなら,デューイの

教育学的信条のrlJ~r.位置づけられるばかりか, それをネm充する乙とにもなる

と考えられるかもしれないわけである。

もちろん教授一学習の理論というものも,とりようによっては広い純凶の

内容を合む乙とができる。だれに何を何のためにいつどのように教え,学ば

せるかという乙とになれば教有.の大部分の仕事がそれに関わってどるごあろ

う。そのようにみれば氏の 3R中心主義のごときカリキ z ラム115成に関する

1張もとりあげなければならなくたろ=だが乙の主眼はすでに触れたどとく

;時代錯誤といってもよいものであった。そ乙で教授一学習:PJl愉というものを

もう少し制限して,個々のどの教科,どの学習課程lζおいても迎j刊できると

考えられる教授と学習との関係についての一般的な考え方という程度のもの

と考えておきたい。つまり数学とか地理とか函語とかの個々の教科において

行なわれる教授一学習の理論に限定するのである。そうすれば,さきにあげ

たフツレーナ一氏の主張はほほとの範囲内に入っている乙とがわかる。

とζ ろで氏の ζ の有望ではなかろうかと想像される主肢は,分析するとど

ういう項目K整理されるだろうか。それは(i )興味と生長についての;考え方,

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7')レーナー救援の「デューイの絡に来るものJについて - 9ー

(ii)教材と教育内容との関係についての考え方7 (iii)知識と探究とについて

の.また両者の関係についての考え方,さらには(iv)知識の構造と知識の教

え方についての考え方などを合んでいると考えられよう。乙のうち(i )と

(ii)とについてはそれぞれ前節の 1)と 3)においてデューイの考えと比山

してそれの妥当でないζ とを示す乙とができた。(iii)と(iv)についても名所

で問題にしたが,それは大変ffi要であるから乙 ζでもう一皮デューイの考え

方と比べて吟味しようと思う。

すでに触れたどとくフツレーナー氏は「文化」を伝えるとともに「探究の過

Jを発展させなければならないとのべていたが,氏が学習内容として探究

の方法の習得を宕過しているわけではない乙とを証拠立てるようにみえる氏

自身の言葉はほかlζもいくつか凡いだされる。例えば氏は子どもに「世界と

自己とを知る ζ とのより深い,よりしっかりつかむ,そしてより微妙な方法」

を身につけさせなければならないといっていた〈仏 K p,. 118..)。氏はまた理

を深めるという乙とは「自己生殖する知性的探究Jから生ずるのだともの

べている (0.K. p. 124)。われわれはだから氏が知識の切符ないし理解の形

成とともに, 探究の方法をも同時に身につけさせようとしている乙とを一

応認める乙とができる。 したがって, 人々がフツレーナー氏の使う ctunder-

standing" の諮を「理解」ではなくて「理解)]Jと沢したくなるのも無理から

ぬととろがあると思われる。しかしとの誌は「デューイの後」にみられる用

dt3rijlζ照らして考・える限りは「理解」と択すほかないと思う。それは恕解す

る方法やjJではなく,何かを理解している状態を指していると考えられるの

である。そしてそういう理解を子どもに与えるために探究のみ法や過程が子

どもに要碕きれているのである。

氏が知:設を切符させるために探究のブj法や過程を辿らせようとしているの

は結構な乙とで, ど乙 {ζ も~~:錐すべきと乙ろはないではないか。人はそのよ

うに感ずるかもしれない。だがそれをデューイの考え方と比べてみるがよ

い。そうすればそれがそんなにrfl111t,ζ封成すべきものではない乙とがわかる

であろう

思考や知,~r,ζついてのデューイの担論は「器具主義J とよばれるもので

民それ の13味や内容については「デューイ只問問の研究』で切らかにして

あるつもりであるが,今その窓味について要点をのべてみると,

といえば知liaゃTLl1Jlが忠~.ないし探究 lζ対する2MLである ζ とを災わす

とみる人が多いかもしれないが, それはもっと1!~本的かつ直接的には思考カ

(,201 )

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- 10ー

問題的j必-而の~~Jik ~乙刻する ~~J~である乙とを表わすのである。そして知識や

31理はそういう忠J5・ないし探究のj宝物であり,またいっそうの思考や燦先へ

の涼只なのである。デューイの器具主義の成立を示す Essaysin Ex_ρeri・

nzental Logic ~ζは次の亘葉がみられる。 í思~.は環境の統御に対して泌fL

的である。J(lりこれ乙そ~~只主義の紘心を表わす苫虫色である。「信条」のrlqζ

も乙のJSえブjは顔を I~Jかせている。例えば「諸観念〈知性的で合理的な~過

程)もまた行為から結果し,行為のよりよい統御のために続いて起乙る 0 ・・・

・・・3行記号は心の発迷二における必妥なものではあるが,それらが自己の地位を

もつのは努ノJを経済的にするための必道具としてである」と記されている

(E. T. p. 13.)。さきに触れたどとく科学,歴史,文学,三語などの価値や;立

|沫はけっきよく人間の社会的,協仮h的な活動や生以lζ関主主させられている。

そして乙ういう活動や生長は環境統御とか問題解決とかいわれる経験の連続

的再織成のな|沫をもっている。

このようにデューイにとっては忠々ないし探究は環境統街!ないし問題的場

面の解決のための総只であるのに対して,ブ、ノレーナー氏においてはそれはも

っぱらただ知識の粧件ないしは理貯のための器具にすぎない。同じく係先が

3EEJJ-されているにしても,それに諜する役割は同人では大変異なっている。

もちろんデューイの以介にも知識狂仰の目的で探究が行なわれる乙とはあ

る。だがそれは知識としての知識を狂ねナるためではなくて,より正般には

知性的な場面を角l(~するためである。しかも乙のもっぱら知性的な芯図だけ

をもっ探究は, より広い社会的な~境統御としての探究の一部として行なわ

れる。と乙ろがフツレーナー氏の探究はただ単にあらかじめ外で控えられてあ

る既成の知識を知識として習得するための思考である。

探究と知識との関係についての両者の主張の乙のちがいは,次の(iv)すな

わち知識の構造とそれの教えブJとに関する氏の考えブjをデューイのものと比

へてみればいっそう明般になるであろう。というのはフノレーナー氏!ζおいて

は知識の統ーはその知識そのものの11qζ求められていた。そしてその統一が

切らかになるようにあらかじめ'メ名・たちが構造化した知識を,まずそれの一

般的観念を理解させてから ζ れをイIbl々 の以合に適用させるというプIj法で被教

育者nc伝達するというのが教綬の木筋だと考えられていた。乙れ{.~tデューイ

におけるように経験の再椛成ないし!日1油的場町の解決のための, したがって

そういうjarl:としての探先生通 して子どもも 自身に知識の終仰と統一を述成

させようとする乙ととは本質的に;fiiなっている。フルーナー氏の主仮する学

(202 )

.

.. .

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ブルーナー教授の「デューイの後!ζ来るもの」について ー 11-

Jの名にふさわしいものになりえないという乙とはこ乙に決定的

である

お同氏が主弧するよう r なら i淡町jからわが(_I~lでもよく行なわれて

ζ 「押しつけJとか「注入Jとかいって非こと恩う。そしてそれは~h ,.

されてきた主なものではないかと思う。それが今日現;命的支持を受けると

ー-l=え

だにしなかったのではなかろうか。最新の知識の組み入れも絶

てきている。それを大規般に第一線の学者を勤口して行なうえ

らといって, さきの押しつけや注入の性格が減少するわけではないであろ

う。わが同ではブルーナ一氏のように新しい知識ばかり強調して人々の共辿

な寧求に応える延本的な知識,いわゆる「エッセンシャルJなものの組織化

易怠ってきたとはいえないと思うが,それでも常に押しつけや注入におちい

る傾向があったのである

氏の教授がどうして押しつけや注入!となるかという乙とについては.特!ζ

氏の知識の臨造-について考えてみる必要がある。大切なことは氏のいう知n

の13造は,

なくて

みずかり

ー~~tt,こ

それをそのまま受容させられる子どもにとっては知識の杭迭では

》造にすぎないという乙とである。子どもn身が探究!とよって

造化したのでない「知識」は仙報にすぎない。それは高々椛造化

』すぎr

えば通常教科日:などに詐かれている「数学的知;引をもっという乙とは

定義や公理や公理たから定理や系が導出されるその体系,そういういくつかの

山の体系F あるいは特定の問題が何らかの体系の rfl で解かれ,そのPr~!lIiが

A んでいた関係が乙の体系の中へ組み入れられる乙と"乙のようなととを知

っている乙£を立味すると考えられるであろう。乙れが通俗的lζ教育界で

山的Jといわれる数学的知識の姿であろう。しかし数学者はもちろん父

生でさえも数学的知識をそのようなものと規定して満足する乙とはないで

あろう。彼らはさまざまな新しい問題が貯ける能力,さらに数学研究者の似

A だらさまざまな数学的関係を創造する能)J,つまり数学的な探究能力法:.;!

っているか否かiとよってそれの有無を判断するであろう。 「145造化」された

「学問的Jな数学的知識はほとんど数学的探究の結論のうち,特iζ推;命の対

f工ら

身の数学的

!:t:~患が今季2さにのく証明はほとんど

作をぬかした推論結果にすぎない。それが推論として正しし

れるが,乙の証明のi@f~(lを通して生徒がね・たはずの彼自

の全体l っと例性的F11M的かつ127;?であって,特京lに日'

(203 )

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- 12 -

く推論だけでは到底表わすζ とができないものである。

向織に,ある事件の閃果的な解明は歴史研究であるが,その事件の記述そ

のものがしばしばそれの角lj{Iy] R:用いられた歴史家の央大な思々から切りはな

されて「歴史的知識」とよばれるととがある。歴史の教科lmζは概してその

ような知識,あるいはさまざまなそのような知識の共通部分しか苔かれてい

ない。もちろんそれさえ7!?かれていない乙とも少なくなし"0だが其の歴史的

知識は探究者の観察,推断,および推論の全成果をもっ℃事件の閃来的な説

明をつけたものでなければならない。

どんな分野においてであれζ ういう真の知識は探究者どとに独自でゾミ変伺

性的なものである。その知識の情造も探究者の性総や関心不表わすような形

のものとなっているはずである。乙のように探究の成果を全面的に組織した

知識のみが十全な芯味でのその探究者の知識で、あって,そういう知識の構造

であって乙そはじめて探究の構造を反映したものとみなす ζ とができる。(15)

ζれらの ζ とは「伝条J~ζぷ rYl されているのではないが,デューイ の考え)Iおよびそれの合占?として卜分認める乙とのできるものである。いうまでも

なく「信条J~r は ζ れらの~ぇノ!jtζ反する言葉は何もないと思う。念のため

た「民主主義と教育Jのrjlから「知識」の本性を語ったと思われる彼の言葉

空?つだけあげておきたい。 rわれわれをして,環境をわれわれの諸要求た

ーさせ, そしてわれわれの d々の目的や欲望をわれわれがそれの巾で生

治している湯而へと j必介させる乙とができるようにするために, われわれ

…ャ中へ組織づけけられてきていると ζ ろのものだけが料附識であ/0) oJ、・v

フルーナ一氏の念頭にあると忠われる知識やそれの椛迭はこれとは毘な(

たもので,たとえていえば認'予防いて生徒が憶える文法的知識や文糊ふ

のどときものであろう。文法規則jは一般的観念で,乙れをいくつかの伺別的

問 団用させるとそ とは法的な知識がつくと考えられているわけであ

。。だが一つの言語を駆使するノ'J,いや生きた文法的能ノJでさえも,その他

K会話をしたり,書物を読んだり,手紙や論文を書いたりしなければ身につ

かない。しかもとれらの活動はただζ れらを意志するとか,外部から強制さ

れるとかするだけではほとんど実行できないのであって,その語学ノJを円己

の仕事や遊びに役立てるという生活上の必要に支えられない限りなかなか続

けられるものではない。文法規則を憶えて,それをただ例々の例庖に応用す

るだけでは其の語学ノJも文法ノJもつかないのであって,ただIt?i報としての文

(204 )

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ブルーナー教綬の「デューイの後iζ来るものJIζついて - 13一

法が開くの間記憶iζ残るにすぎない。文法も文法学者Kとっては証拠と理子

(乙支えられた個性的体系的構造的な知識で・ある乙とができょうが,それを既

まの体系として学ばせられる生徒にとっては単[ζ桁報にすぎない。

bし教授がいすれも l乙のような情報の伝達K終始するとしたら,部jたされ

た情報は其の知識を駆遂するであろう。それは被教育者の自主的で社会的な

要求lζ逆らって外而的な情報を押しつけることとならざるをえない。そっい

ま工夫次第では容易に伝達できるであろうが,真に知識といわれうる

りのではないから逃げ出すのも早い。すなわちそれは注入となる。入れるに

D手悶がかからないかわりに,容れものを傾けるだけですぐ外へ疏れ出てし

まうのである。

押しつけや注入に終る乙ういう情報伝達としての学習指導は「客観的J,

「系統的J,r学問的jなどといって称拐されている情報的知識を集駁させ,

また情報の整理能力を発達させるとともあろうが,現実l乙直面する問題的均

面を一一日常的であれ専門的であるを問わず一一次々に解決し,互いに協働

しでものを創造し発見していく探究能力やそれに基づく其の知識を25う機会

ょうものである。われわれはだからデューイの「信条Jの中の教授一学羽

の酪iζ当たる部分をブルーナー氏のも|ので代田したり補充したりする乙と

まできないのである。

ブルーナー氏の「発見の行為 (The.A,ct of Discoveηr)J ~C共鳴する人々は上の私の歯じ方lζ不請をもっ乙とであろう。というのは乙の論文には十分と

はいえないまでも問題解決学習への近接がみられ, 注入教授は極力回避さ

れていると考えられるか|らである。換官すればそれは「デューイの後J,ζ比べではるかにヲューイ lζ近い立場を表わしている。だが乙れは氏における?

述の不舶を証明するだけで,私がもっぱら附している「デューイの後Jを弁躍する乙とにはならない。もし氏が乙の論文で「発見の行為Jの立坊を

とっていたとしたら,どうして既述のごとく何から何までデューイに反対す

る必要があったであろうか。 rデューイの後Jでは構造や統一を知識その

ののうちに求め,それをそのまま子どもに受容させる乙とが主張されていた

のであるから,他のと ζ ろで何が要求されていたとしても,乙乙では結果ド

いぜんとして注入教授とならざるをえないのである。

:3)仙報伝述と知識の構造化

そうすると「デューイの後」にみられる教授一学習に関する氏の考えには,

(205 )

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- 14ー

デューイの主張を補充したり改詳したりする点で寄与すると乙ろは何もない

のであろうか。)5_えられる乙との一つはそれを的報伝達の理論として捉え直

すととであろう 。 的報のi~{Jtや伝達そのものは教行J二必JAi イミ Iす欠なことであって, 押しつけや注入の教筏はそれによって教授の仕 Jj~そのものが尽くされるとみなすと乙かろらくるのだからである。

伝達された'情報は探究に利用される乙とを通して知識の一部となる。情報

は子どもの探究のrllでテストされ,その結果是認されるにせよ否認されるに

せよ,子どものトイそな怠!沫での知識,すなわち探究の全体的結論としての知

識の構成要ぶとなる。的報は乙のように探究の一手段,一材料として使用さ

れる乙とによって,みずからがそれの一部となると乙ろの良正な知識の獲得

に寄与せしめられることができる。情報は複雑になるにつれて受容させる乙

と自体に手間がかかる。だからそれを容易にするための工ノミは大いに必要で

ある。 しかしそれは教ず?にとってはもちろんの ζ と教俊にとってさえも主な

仕事,いわんや唯一の仕zjEとなってはならない。たとい的報の伝達にかなり

の11.):悶が方IJかれなければならない湯介が生ずるとしても,それは:泣の問題に

すぎない。学初指導の質もしくは性絡に関しては,全体としてはいつでもも

っと大きなものをねらっていなければならない。どの教科の指呼も,もとも

とすでに社会的存在である個人を社会的に適応させるために彼の経験を連続

的に再構成させる社会的な過程としての教育の一環でなければならない。

したがって乙のような分脈のr:l:ll L佼Eefづけられる間報伝達の克Il論としてな

ら,ブノレーナー氏の主張を犯否する理由はないといえよう。しかしながら整

備しておくべき的報的教材がすべてブ、ノレーナ一氏のいうような芯味で締造化

された知識でなければならないということはないし,Jt ,1;報伝述の{上ノJがすべ

て氏のいうどときノJ法によらなければならないという乙ともないであろう。

情報の教育上の;広義はそれが傑先に役立てられる点にあるのであるから,

それは必ずしも体系化され構造化されている必要はなく ,あるときは巾なる

何察データ,あるときは一般的観念,あるときは探究の事例であるといった

とともあってよいはずである。そしてそれらは被教育手?の傑究の程度や進行

に応じて自由に提供され利用されるととが必要であろう。シュウォブ (J.J・

Schwab)氏が提唱するドラ イラボその他の教授ノj法(17) は乙のような'情報提

供のさまざまな絞態をぷ唆しているように思われるが,それは氏がデュ ーイ

のように情報を生徒自身の探究に寄与せしめようとしているからだと思う。

さらに,一般的または組織する知念ないし概念、によって知識を構造化する

(206 )

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プノレーナー教授の「デューイの後に来るものJについて - 15ー

というフツレーナー氏の主張は,その構造化された知識をそのまま子どもに受

容させようとするのでなく ,教師の準備のーっとしてもつのが望ましいとす

る提案なのだと解釈し直すならば,それはそれとしてまた一つの新しい芯義

をもっととができるであろう。

組織する観念や一般的概念Kはさまざまなレベノレのものが考・えられ,物llli

学でいえば氏が例にあげているカの観念もその一つであろうし,ニ ュートン

の迩動の諸法員Ijもその例lζなろう。だが悶果性とか決定論とかいうもっと原

理的なものも考えられない乙とはないであろう。そして教師は知識を構造化

してみるとと なしKは何が一般的観念、であるかを見定める ζ とも悶難であろ

う。また構造化といってもいわゆる論理的な体系化もあろうし,歴史的な組

織化もあろう し,探究すま例としての整序という ζ ともあろう。教師が自己の

知識を乙のようにさま ざまな仕方で構造化しておくときは,彼は子どもの興

味や力量K応じてその一部を情報的教材として提示したり,また他の一部を

子ども自身lζ探究の途中または終り!とおいて恕倒させ宵得させる回線ーーし

たがって教育内容一ーとして用いたりすることができる。それはだから却に

教材iζ使われる要采だけで・なく,教育内・綜となる要采をも合んでいるもので

ある。

ヴァーゲンシャイン (l¥1artinVlagenschein)氏はいわゆる範例学習の主導

者の一人と恩われるが,物理学の学習の指導を例にとってニュー トンの迩助

法則のどとき一般的観念一一氏はこれを「要来的なものくdasElelnentare)J

と呼んでいるがーーは学押の初めにではなくて終りに乙なければならないと

説いている。(:18)ζ れはブルーナ一氏が一般的観念を先に理解させよ うとし

ているのとは反対である。ヴァーゲンシャイン氏の湯合は一般的観念がまさ

しく教育内容と 十して扱われていると感ぜ られるのである。

とにかく一般的観念、による知識の椛造-化そのものは教師側の準備と してナ

変望ましいととである。デューイも『論理学』や r確実性の探求jなどで探

究の方法を解明しつつ,一般的観念にあたるものの諸相を示唆したり只体例

をあげたりしている。だが一個人でさまざまな分野にわたる知識を構造化す

るなどという ζ とはとてもできない相l談である。 したがってフツレーナー氏が

唱導し実践したような諸-専門家による共同研究も大いに必要だということに

なる。

だか lら知識の榔造化そのものはデューイの線にそっているといえよう。だ

がもちろんデューイにいわせるなら,教授に閲して何よりも大切なととは教

(207 )

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- 16-

間in斗が門己の探究能々を高めrl己の真の知識をJ杓逃させる乙と,被教育者

たちを述続的lζ係先させて社会的必此;を達成させるための彼らの興味や彼ら

の活動の社会的忠義lζ対して I~分な d司察をもっ乙と , そしてそのためにさら

に教師たちのn主的で協働的な探究の II由と便立とが確保されるととだとい

う乙とになろう。

以上のどとくブ、ノレーナー氏の「デューイの後Jにみられる主張は全体とし

てはデューイの円三条J~C対買さるべき性質のものではなく , 日々後者の部

分的主張として生かしうる点を合んでいるにすぎないっすなわちそれは'情報

伝達の理論や伝達さるべき↑l!j報の整jF法を強調したものとして,さらには子

どもの探究に関辿した教nrlj自身の知ぷの盤理にとって参)5-となるような精進

化された標準的知識を整備しておくととの必要を示唆するものとして志議を

もっているのだと考えられる。

だが学習指導上の乙れらの強弱点、はデュ ーイ の思忽分脈の巾で生かさるべ

きものであって,乙れと独立に,あるいは乙れに反した仕方で実施されては

ならなし、。知識に関する教授一学前理論において大切な乙とは生活と傑究と

知識との関係についての把えノjであろうが,既j必-の通りデューイにとっては

知識は探究の,探究は生活の手段であるのに,フソレーナー氏においてはこの

関係が逆になっていたのである。そして ζ の関係の抱えノJはn勺ζ教授一学

11731E論だけの問題ではなく教育論の全!日に拡がる問題であり,知識論や価値

;命にもかかわっている。そ こには人類の長い哲学的な歩みが秘められてい

る。ブ、ノレーナー氏が乙 の関係について深く反行する ことがないなら発見の行

為の主要性を叫んでも,学視する乙との学押を強調しでもおそらく大した真

実味をも たないものとなるであろ う。そしてその限りまた,氏はデュ ーイの

設定したわく内で技術的な充実に得勺しそのぷ味でデューイ lζ近づくととは

できても,デュ ーイの教育学iζ到達する ととはできないであろ う。いわんや

「デュ ーイの後Jをもってデューイ の教汗学をJ也えたなどと考えるとしたら,

それは大きな錯誤という ほかはない。

おわりに

私は木稿で吟味し批判したのはブ、ノレーナー氏の思忽の全体ではなくて,氏

の「デュ ーイ の後J~ζ示されている限りの氏の思忽である 。 私は氏の心理学

における業績や教育運動への献身的努ノJを批判したのでもないし,氏の教育

学的思想、を全体として問題にしたのでもない。氏の教育観はその後発展し改

(208 )

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ブルーナー教授の「デューイの後に来るものJについて - 17ー

lていると期待したいし,私自身もその兆候i乙誌がつかないわけではr

。ぷillE的災験的な氏の心理学的探究の精神で教育を考え続けるなら山

r教育の過程』や乙の「デュ ーイの後Jにみられるような大風呂敷をひろげ

ー乙とがすむはずはないと私は思う

「デューイ の後Jという ζのお文は自己のアイディアをデュ ーイ のそれと

対照させて性忽lζ浮彫りにしようとしたために, かえってtlIT(~c考えれば到

ーできたであろう氏の洞察をおない:,そのために不当に氏自身を狭院に示現

せる結果となったものと恩われる。私は現代における氏の拶??・を考隠する

とき, 民がもっと毘全な武任のもてる

公的!ζ符正する日の早く来てくれる乙と lを願うものである。

さて荘、は上来デュ ーイを一方的 iζ弁,~した感があるが, 彼の「信条J か奴

うつもりはないので乙の乙とを品後に少

しておくべきであろう。

Jの一段的回的については乙乙でもかなりよくのべていたといえよ

うが,個人の生長,社会への芯応,社会的立訟への彦加,社会の改本と進渉

-と 4へ lの容与などの相互関係が十分明らかにされていたようには思われなしー。

また民主主義についてあからさまな2及がなかったという点も,.彼のその後

を考えると物足りない点である

後が生長や発達の程度iζ応じたもっと只体的な日的をのべなかったという

乙とは教育学的信条としては致し方なかったと思うが!,只体的な日的がどの

ようにして決定さるべきかという乙とについてはもう少し詳しくのべてもよ

かったのではないかと思う

.'.:.1.は題討と方法との条項で自己の教授一学羽哩治についてのべていたと勺

えられる lが,学習と教授との閃係とか,教材と教育内務と lの閃係とか,知

とJ思考と|の関係とかについてもう少し理論的に明示的!ζ所信を表明しでもよ

かったのではなかろうか。そうすればブルーナー氏の論文はも っと異なった

のになったかもしれない。といってもデューイ はもちろんプルーナー氏の

批判を予想して r~J条J を3いたのではないから,ブルーナー氏の反論の不

切さのrl任がデ品ーイ |にあるというわけではないけれど"tJO

デューイの f{百条J1ζlは乙の他にもなおいろいろr3:文したい乙とは考え|ら

広であろうが,彼のj122さのrllでいぜんとして問題になると思われる乙とい,

巳にも蝕れたけれども,彼が主脹する料班,政経,手工などの社会的筋商

坊の部入という乙とではなかろうか。果たしてわオ

(209 )

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.. 固-ー

- 18 -

校と社会Jで説いているように(19) 人知の文明や生活の歴史的およひ科学的

な洞察を与え,より形式的な諸教科ヘス!?.く学習活動としてうまく指導する乙

とができるであろう か。人々は乙のように感じてそれらの導入に多少尻込み

するかもしれない。しかしわが悶で、も関両工作とか,家庭とか,技術 ・家庭

とかいう教科一一ーたといその名称、は変っても一ーのrl'~ζ社会的諸活動に使え

る時間はかなりあるし,デュ ーイの実験室学校でも学年や学級で異なるが,

それらのためには大体週 3--4 時間しか1~ されていなかーた乙とを与えるべ

きであろう (20)。問題の頂点はど乙にあるのだろうか。

学級の定只が多い乙とだろうか。進学競争が激しいことだろうか。材料が

求めに くいこ とであろうか。作業を行なわせるに十分な}JIs設がない乙とだろ

うか。そういう原閃があるととろも多いにちがいないが,それらの点で友障

がないと乙ろではどうなっているのであろうか。

私には是正すべき屯要な乙とが二つあると思う。一つはそういう諸活動を

一一乙れは必ずしも!被常にデューイの提案する通りのものである必要はない

一一-子どもたちが興味を示す時期に行なわせないで,彼らの興味がすぎさっ

てしまった時期になってはじめて,あるいはそういう時期になってもいぜん

としてほとんど強制的に行なわせるという傾向である。乙 ういう欠陥は学校

の教科時間の配分に大巾なn主性を認める ζ とによって是正できるであろ

つ。

もう一つは乙ういう治活動の指導過程で提供すべき芯味ある↑I5報について

十分な研究がなされていないのではないかという乙とである。工作の折導は

面倒だから関岡だけ捕かせておくという傾向さえみられると聞くが,こうい

う乙とではたとい料理や裁縫や工作を行なわせたとしても単に手先の技術を

教えるにとどまってしまうであろう。そういう熟練ももちろん芯義なしとは

いえないであろうが,そ乙で扱う人間的な要求,材料の性質や利用状態,も

のを作るに際して利用する エネノレギーの量や性質,それらの歴史的変遷とい

ったような問題にそれらを関連づけるには教師の側での央大な用芯が必要で

ある。どうしたらよいであろうか。乙乙に乙そフソレーナー氏から示唆される

情報的知識の構造化や整備への努力が協働的かつ精-ノJ的に行なわれる必要が

あるのではなかろうか。

夜、は現在の学校における生活を生々と腫らせるには,乙のほかにも子ども

たち自身による彼らの学級や学校生活の民主化,およびそれを中心にした彼

らの民主的生活を将入する 乙とが 必要だと思う。(21) しかしデューイの主張

(210 )

〆. .

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ブルーナー教綬の「デューイの後lζ米るものJについてー 19ー

にそって,もしわれわれがカリキュラムの片すみに押しやられ勝ちな子ども

たちの作業活動を彼らの興味K基づく社会的な活動として学習させることに

成功するならば,も ちろんそれだけでも彼らはブやルーナ一氏の「デューイの

後Jから読みとられる状態とは全く奥なった姿を示すにちがいない。

註(つづき)

(13) 佐勝三郎編著『フツレーナ一入P']J,ザj治図位、 19681p:.t14Ao (14) J. De¥vey, Essays iil Exρerinlelltal Logic, Dover PU blications, Inc.,

Jew York (Originally published by University of Chicago, 1916), p. 30.

(15) 拙著『探究の構造j.,東海大学!日版会 .t 1971 ~.J=. t ]1, 1[i;i。(16) J. 0己wey,Democracy and Educatioll, p. 4∞. (17) 大阪市立大学生物教育研究グループ『ドライ ・ラポiζよる探究学問J,切j治

図自, 1971年。 シュワプ『探究としての学習』佐藤三郎訳?明治図1!}, 1970 年。

(18) Martin ¥V.agenscheio, Zunl Begriff des ExelnρI arischcn Lelzrens, J ulius BeltYI・、iVeinhein1,1956.特iζ14頁参照のこと。

(19) ]. De¥vey, The School and Society, pp. 17-22.

(20) K. C.. Mayhe¥v and A. C. Edwards, The Dewey School, pp. 383-386.

(21) 牧野宇一郎F 羽生隆英共著『体験としての民主化学習J,新光|刻 ~!1U.i, 1971 4ド9月。

(211 )