ポライトネスとアカデミック・コミュニケーション...

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ポライトネスとアカデミック・コミュニケーション ミード‒フリーマン論争における「批判」をめぐって松 木 啓 子 1. はじめに 本稿の巨視的な目標は、社会行為としてのアカデミック・コミュニケーショ ンの考察である。中でも、Brown and Levinson (1987) によるモデルに基づき、 「ポライトネス」(politeness)の問題に注目したい。この問題を考察するにあ たって、1980年代のアメリカ文化人類学で有名になった「ミード‒フリーマ ン論争」(Mead-Freeman Controversy) を取り上げる。同論争の発端は、オー ストラリアの文化人類学者デレック・フリーマン (Derek Freeman) による著 書、Margaret Mead and Samoa: The Making and Unmaking of an Anthropological Myth (1983) であった。その中で、フリーマンがアメリカ文化人類学の象徴 的存在であった故マーガレット・ミード (Margaret Mead) の文化記述に異議 を唱えたのである。それは表面的にはサモア文化に関するものであったが、 本質的にアメリカ文化人類学の学問分野をめぐるものであった。これをきっ かけに20世紀の人類学理論や方法論に関する議論が活発化するが、その意味 では、同論争はメタ・人類学論争であったと言える (Marcus and Fischer 1986)。更に、コミュニケーション研究にとって意義深いのは、アカデミック・ コミュニケーションとは何かを模索したメタ・ディスコース論争でもあった という点である (Matsuki 2007)。そして、本稿では、もうひとつ別の視点か ら考察することを試みたい。ポライトネスの視点である。 ミード‒フリーマン論争はテレビやラジオなどのメディアも巻き込んだ論 争である。更に、論争に関わった人々の立場も複層的であり、それぞれの視 点によって複数のシナリオがある。本稿は同論争の全貌を検討するのではな 『言語文化』10-4597618ページ 2008. 同志社大学言語文化学会 ©松木啓子

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ポライトネスとアカデミック・コミュニケーション―ミード‒フリーマン論争における「批判」をめぐって―

松 木 啓 子

1. はじめに

 本稿の巨視的な目標は、社会行為としてのアカデミック・コミュニケーショ

ンの考察である。中でも、Brown and Levinson (1987) によるモデルに基づき、

「ポライトネス」(politeness)の問題に注目したい。この問題を考察するにあ

たって、1980年代のアメリカ文化人類学で有名になった「ミード‒フリーマ

ン論争」(Mead-Freeman Controversy) を取り上げる。同論争の発端は、オー

ストラリアの文化人類学者デレック・フリーマン (Derek Freeman) による著

書、Margaret Mead and Samoa: The Making and Unmaking of an Anthropological

Myth (1983) であった。その中で、フリーマンがアメリカ文化人類学の象徴

的存在であった故マーガレット・ミード (Margaret Mead) の文化記述に異議

を唱えたのである。それは表面的にはサモア文化に関するものであったが、

本質的にアメリカ文化人類学の学問分野をめぐるものであった。これをきっ

かけに20世紀の人類学理論や方法論に関する議論が活発化するが、その意味

では、同論争はメタ・人類学論争であったと言える (Marcus and Fischer

1986)。更に、コミュニケーション研究にとって意義深いのは、アカデミック・

コミュニケーションとは何かを模索したメタ・ディスコース論争でもあった

という点である (Matsuki 2007)。そして、本稿では、もうひとつ別の視点か

ら考察することを試みたい。ポライトネスの視点である。

 ミード‒フリーマン論争はテレビやラジオなどのメディアも巻き込んだ論

争である。更に、論争に関わった人々の立場も複層的であり、それぞれの視

点によって複数のシナリオがある。本稿は同論争の全貌を検討するのではな

『言語文化』10-4:597-618ページ 2008.同志社大学言語文化学会 ©松木啓子

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く、フリーマンのミード批判とそれに対するアカデミック・コミュニティの

反応を中心に考察する。その中でも、書きことばのディスコースに焦点をあ

てる。書きことばによるアカデミック・コミュニケーションは様々な制度的

制約が媒介する領域である (松木 2007)。まず、それは「書く」ということ

において、文字をめぐるイデオロギーから切り離せない。更に、英語のディ

スコースであれば、英語と文体の近代史とその基底にある言語イデオロギー

からも切り離せない。そして、特定の学問分野とその「知識」をめぐる権威

の問題からも切り離せない。最後に、アカデミック・コミュニケーションは

特定の学術制度をコンテクストにして発展してきた社会行為であり、アカデ

ミック・コミュニティの問題から切り離してはあり得ない。つまり、「書く」

こと自体が既に社会行為であるという前提に立つ時、アカデミック・コミュ

ニティとその成員をめぐる社会学的問題につきあたるのである。その意味で

は、「論争」は恰好の題材であると言える。

2. フリーマンのミード批判

 フリーマンによる著書Margaret Mead and Samoa: The Making and Unmaking

of an Anthropological Myth (1983) において批判の対象となったのは、1928年

に出版されたミードの著書 Coming of Age in Samoa である。16もの言語に翻

訳された同書はサモアの思春期に焦点をあてた民族誌であり、20世紀のアメ

リカ文化人類学史における意義、及び、一般のオーディエンスに与えた影響

とその社会的意義の面から考えても象徴的な存在である。ミードは同書の中

で、思春期を迎えるサモアの若者が同じ年頃のアメリカの若者が経験する葛

藤やストレスからは全く解放されており、「思春期」そのものが極めて文化

的な要因によって左右されるものであるという文化相対主義的視点を呈示し

たのだが、フリーマンが異議を唱えたのは、まさに、この視点であった。フ

リーマンによれば、サモアの若者はミードが描くような楽園的な人生を送る

わけではなく、ミードはその民族誌的記述において根本的な間違いを犯して

しまったということになる。そして、フリーマンはこのようなミードの誤り

の原因が彼女の未熟で非科学的なフィールド調査にあったと批判するのであ

る。更に、フリーマンの批判はアメリカ人類学の父であり、彼女の師であっ

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たフランツ・ボアズ(Frantz Boas)にまで及ぶ。ボアズは20世紀の文化相対主

義の推進者として不動の地位を築いたが、フリーマンはボアズの文化決定論

的視点こそが科学的根拠のない妄信的イデオロギーであったと批判したので

ある。こうしたイデオロギーこそが弟子のミードに虚像としての楽園的サモ

アを描かせたというのである。

 既に述べたように、ミード‒フリーマン論争はメディアを巻き込んだ論争

であるが、その発端は1983年1月31日のニューヨーク・タイムズ紙夕刊の第

一面記事 “New Samoa Book Challenges Margaret Mead’s Conclusions” である。

この記事がきっかけとなって、フリーマンが様々な新聞や雑誌、更に、テレ

ビのメディアで注目されることになる。55年前のミードの著書の批判がどう

してこのような話題を呼んだのかについては、フリーマンの本の出版を手が

けたハーバード大学出版の広報戦略が一因として指摘されてきたが、何より

も、1978年に亡くなるその直前まで、アカデミック・コミュニティの内外で

一定の存在感を維持し続けたミード自身の知名度によるところが大きい (cf.

Yans-Mclaughlin 1986)。例えば、同年2月のタイム紙の記事 “Bursting the

South Sea Bubble” は、“An anthropologist attacks Margaret Mead’s research in

Samoa” という書き出しで始まっている (Time, P68, February 14, 1983)。同年4月にディスカバー紙に掲載された記事 “The Case Against Margaret Mead” と

いう見出しに続くコメントでは、“A new book charges that her views on Samoa

were flawed, because deeply held beliefs about the role of culture blinded her to

reality” と書かれている (Discover, P.33, April 1983)。ニューヨーク・タイムズ紙の “challenge”、タイム紙の “attack”、ディスカバー紙における “charge” に

見るように、これらの戦闘的なメタファーを通して、アメリカの一般のオー

ディエンスには全く無名であったフリーマンによるミード批判がセンセー

ショナルな視点から取り上げられている。

 フリーマンの著書やこうしたメディア騒ぎに対するアメリカ人類学者の反

応の一例として、1983年の Natural History 誌に掲載された Schneider による

書評の辛辣な書き出し部分を紹介したい。

This is a bad book. It is also a dull book. To make matters worse, the book

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has been promoted in ways that seem to me to have precluded whatever

useful, serious discussion it might have provoked. I do not know whether the

publisher should take the burden of the responsibility for this or whether the

author shares a large part of responsibility by virtue of the inflammatory

statements he has made to the media. (Schneider 1983:4) (下線は筆者によ

る)

ここで興味深いのは、Schneider の書評は直接的なフリーマンの本の批判で

始まってはいるものの、下線部にあるように、フリーマンの問題提起そのも

のが根も葉もないものではないことを示唆している点である。Clifford (1986)

も指摘するように、一般オーディエンスに向けて書かれたミードによる民族

誌が極めて寓話的であることは、1980年代当時既に明確であった。ハーバー

ド大学出版からフリーマンの本が出版されるに当たり、査読者として推薦し

た Stocking (1992) も論争を振り返りながら、改めてフリーマンの議論の妥当

性を強調している。20世紀の文化人類学の知識構築の歴史の中で文化相対主

義はイデオロギー的課題であり、確かに、ミードやボアズはその中心的な推

進者であったのである。つまり、フリーマンの批判の方向性は巨視的な視点

から見てそれ程見当違いではなかったということができる。更に、Murray

and Darnell (2000) が指摘するように、Coming of Age in Samoa は一般オーディ

エンスにとっては有名なベストセラーであっても、アカデミック・コミュニ

ティの内側では人類学的専門書として同じような注目を集めていたわけでは

なかった。しかし、それでも、当時のアメリカ人類学のアカデミック・コミュ

ニティの反応は感情的であり、フリーマン批判が次々に現れることになるの

である。ある意味ではフリーマンのミード批判は妥当でありながら、どうし

てそのような展開となったかについて、Shankman (2000) はフリーマンの独

特な書き方に原因のひとつがあったと指摘する。Shankman の見解は他の多

くの研究者によっても共有されているものであり、Matsuki (2007) も論じる

ように、論争の過程では多くのメタ・ディスコース ― 特に、アカデミック・

コミュニケーションとはどうあるべきかというメタ・ディスコース ― がフ

リーマンのスタイルへの反発から生まれたのである。ミード‒フリーマン論

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争におけるこうした書きことばのコミュニケーションの諸相をより深く理解

するために、本稿ではポライトネスの問題に焦点を当ててみたい。

3. ポライトネスとは何か?

 語用論的視点から見れば、「ポライトネス」と「丁寧であること」は必ず

しも一致しないかも知れない。Lakoff (1973)、Leech (1983)、Brown and

Levinson (1987) によって論じられてきたように、ポライトネスとは、単に、「丁

寧であること」または「丁寧な言葉使いをすること」の現象だけを指すのでは

なく、円滑な社会関係を築くための基本的で包括的なコミュニケーション行

為の総称であると言ってもよいであろう。例えば、日本語使用者の場合、尊

敬語、謙譲語、丁寧語などを包摂する敬語の使用が丁寧な言葉使いの例とし

て思い浮かぶかも知れないが、上記の研究者によって論じられるポライトネ

ス論によれば、敬語を用いなくても「丁寧である」と見なされるコミュニケー

ション行為があることになる。言い換えれば、日本語のような敬語体系を持

たない英語も日本語も、乱暴なことば使いが自動的に「丁寧ではない」とは

限らないことになる。この一見わかりにくい考え方の根底にあるものは、英

語圏を中心に発展してきたポライトネス論における「連帯」(solidarity) と「距

離」(distance) の問題である。

 Lakoff (1973) によれば、ポライトネスは三つのルールに集約される。一つ

目のルールは「(社会的)距離」の調整に関するもので、(1)「相手に強制

しないこと」(“Don’t impose”) である。二つ目は「敬意」(deference) に関す

るもので、(2)「相手に選択肢を与えること」(“Give options”) である。そして、

三つ目は「友好」(camaraderie) に関するもので、(3)「友好的であること」 (“Be

friendly”) である。元来、彼女のルールはアメリカ社会における英語コミュニケーションに基づくものであり、筆者自身の経験から言っても、特に三番

目の「友好」はアメリカの地方社会におけるコミュニティでは重要なルール

となっていることが実感される。Lakoff は1970年代当初から欧米におけるポ

ライトネス理論の発展に大きな貢献をしてきたが、彼女のより最近の論文を

読むことによって、その議論の中心に“civility” の概念があったことが改めて

理解できる (Lakoff 2005)。“civility” とは「礼儀正しさ」と訳すのが適切かも知

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れないが、その根底にあるものは、“being a civil person”、即ち、特定のコミュ

ニティの秩序を背景にした「市民性」の捉え方であり、彼女のポライトネス

論が、アメリカ社会においてコミュニティのメンバーとはいかにあるべきか

という価値観から切り離せないことが見えてくる。Lakoff はその論文の後書

きの中で興味深いことを述べている。9・11以後のアメリカ社会におけるポ

ライトネスが変化したというのである。テロリズムに対する恐怖が礼儀正し

さに優先する時代となったという。この指摘は短い印象的観察に終わってい

るが、ポライトネスが、根本的には、社会とそこに生きる人間をどう捉える

かという問題であることを考える時、示唆的な指摘である。

 Brown and Levinson (1987) は英語だけでなく他の言語によるポライトネス

を説明するための普遍的語用論モデルを呈示したが、彼らのモデルにおいて

も、連帯と距離は中心的課題である。1987年の著書 Politeness: Some

Universals in Language Usage はもともと1978年に発表された論文を改めてま

とめなおしたものであり、彼らはこの改定版の序文を以下の宗教社会学者エ

ミル・デュルケムによる一節で始めている。

The human personality is a sacred thing; one dare not violate it nor infringe

its bounds, while at the same time the greatest good is in communion with

others. (Durkeim 1915: 299; quoted in Brown and Levinson 1987: 1)

ここでいう人間の “a sacred thing”(聖なるもの)とは、他者によって侵犯さ

れたくない自己の領域を守ることと、一方で、自己の領域を出て他者と関わ

りあうことの二つの方向性を持つものである。デュルケムは宗教的な集団儀

礼がこうした聖性をめぐってどのような表象の方法を取るのかを論じたが、

Brown and Levinson によれば、デュルケムの非日常的宗教儀礼と日常的な会

話の中の儀礼的インターアクションは同一線上にあるものとされる (Brown

and Levinson 1987: 43-47)。言い換えれば、距離と連帯の社会的秩序を築くた

めに、人間は日常、非日常を通して様々なルールに基づきながら行動してい

ることになる。そして、このような儀礼的インターアクションが一番見えや

すいのがポライトネスをめぐるコミュニケーション行為ということになる。

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 Brown and Levinson のモデルの核として機能しているのは、社会学者ゴフ

マンから受け継いだ「面目」(face) の概念である (ゴフマン 2002[1967])。

Brown and Levinson はデュルケムの儀礼論に基づきながら、面目を普遍的概

念として自らのモデルの中心に据えたのである。そもそも、日常的インター

アクションにおける儀礼性の問題はゴフマンの中心的なテーマであり、デュ

ルケムからゴフマン、そして、Brown and Levinson に受け継がれてきたもの

であるが、後で述べるように、Brown and Levinson が面目の概念を普遍化す

るにあたり、デュルケムの論じる人間の聖性の二つの方向性を「欲求」

(wants) に還元したことは大きな意義がある。彼らによれば、面目は二つの

方向性を持つ。「消極的面目」(negative face) と「積極的面目」(positive face)

である。消極的面目とは、自らの権利や領域を他人からは侵害されないでい

たいという欲求であり、一方、積極的面目とは、他人とうまく関わりあいた

いという欲求から成るとされる。

negative face: the want of every ‘competent adult member’ that his actions be

unimpeded by others.

positive face: the want of every member that his wants be desirable to at least

some others. (Brown and Levinson 1987:62)

これらの一見矛盾する欲求はコミュニケーション当事者 ― 話し手と聞き手

の両方 ― に常に存在するもので、場合に応じてそれぞれに配慮されなけれ

ばならないとされるが、彼らのモデルでは、消極的面目に配慮したコミュニ

ケーション行為が「消極的ポライトネス」(negative politeness)、一方、積極

的面目に主に配慮したコミュニケーション行為が「積極的ポライトネス」

(positive politeness) ということになる。

 例えば、消極的ポライトネスのコミュニケーションにおいては全部で10の

方略 (strategy) が挙げられているが、その基になる大きな四つのルールが存

在する。それらは、(1)「決めてかからないこと」(“Don’t presume/assume”)、

(2)「聞き手に強制しないこと (“Don’t coerce H”)、(3)「話し手が聞き手の(権

利を)侵害する欲求がないことを示すこと」(“Communicate S’s wants to not

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impinge on H”)、(4)「消極的面目から派生する聞き手の欲求を和らげること」

(“Redress other wants of H’s, derivative from negative face”) ということになる

(ibid.,129-211)。一方、積極的ポライトネスのコミュニケーションにおいての

大きなルールとは次の三つである。(1)「(話し手は自分と聞き手が同じコ

ミュニティに属していることを示すために)、共通の基盤 (common ground)

を主張すること」(“Claiming common ground”)、(2)「話し手と聞き手が協力

者であることを示すこと」(“Convey that S〔speaker〕 and H〔hearer〕 are

cooperators”)、そして、(3)「聞き手の欲求をかなえてあげること」(“Fulfill H’s

wants”) である。そして、これらが更に、最終的に15のより具体的なポライトネスの方略に枝分かれすることになる (ibid., 101-129)。

 Brown and Levinsonも強調しているが、彼らのモデルにおけるコミュニケー

ション行為者は「合理的」(rational) であるとされる (ibid., 9)。「丁寧である

ために」、話し手は自分や相手の積極的面目と消極的面目をそれぞれ合理的

に配慮することによって、日常的インターアクションの中で特定の言語形式

を選択しているとされる。彼らの文単位の発話行為 (speech act) にまで精緻

化された語用論ルールのモデルはこれまでも数多くのディスコース分析にお

いて援用されてきた。その理由は何よりも彼らの普遍への志向であると言え

よう。人間関係における距離と連帯が社会で生きていく上で重大な普遍的関

心事であるという前提に立ち、面目の問題を超文化的な消極的欲求と積極的

欲求に還元することによって、彼らは話し手の方略的選択の問題についてよ

りわかりやすい説明を可能にしたのである。しかし、一方で、彼らのモデル

では、そのように合理的に選択されたとされる方略が結果的にどのような社

会的意味を持つのかという問題は背景化されている。話者は聞き手との間に

連帯を築くために合理的な選択をしたつもりでも、実際のコミュニケーショ

ンのコンテクストの中では「丁寧でない」と見なされてしまうことをめぐる

問題は二次的課題なのである。その理由としては、彼らのモデルが話し手中

心の個々の発話行為を中心にすえたものであって、より大きなコミュニケー

ション事象のコンテクストを巻き込んだ「発話事象」(speech event) (Hymes

1967) に基づくものでないからであろう。本稿の目的は Brown and Levinson

のポライトネス理論自体を検証することではない。しかし、Usami (2002) が

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指摘するように、コミュニケーションのダイナミックなプロセスの中では、

ポライトネスは文単位の発話行為レベルで実現されるだけでなく、より大き

なディスコースの枠組みの中で捉えられると考える。

4. 「面目を脅かす行為」とポライトネス方略

 フリーマンによるミード批判を考えるにあたって、Brown and Levinson に

よる「面目を脅かす行為」、即ち、FTA (Face-Threatening Act, 以下 FTA) は有

効な概念である。彼らはすべてのコミュニケーション行為は潜在的に面目を脅

かすと考える。従って、話し手は自分や相手の面目が脅かされてしまうのをで

きるだけ避けなければならない。個々のポライトネス方略はそのためにあるの

である。Brown and Levinson によれば、言語や社会によってその度合いには

差があるかも知れないが、「本質的に」(“intrinsically”) 面目が脅かされるリ

スクの高い発話行為があるという。例えば、「批判をすること」(“expressions

of criticism”)、「逆説的なことをいうこと」(“contradictions”)、「反対意見を言

うこと」(“disagreements”)、そして、「挑戦すること」(“challenges”) が彼らの

リストの中に含まれている (Brown and Levinson 1987: 65-68)。更に、こうし

た FTA 本来のリスクに合わせて、コミュニケーション当事者の社会関係-

距離と力 (power) 関係 ― の要素を考慮に入れることによって、その FTA 自

身の脅威の度合いが見積もられることになる (ibid., 78)。Brown and Levinson

によれば、FTA の脅威の度合いが大きければ大きいほど、話し手は特定のポ

ライトネス方略を慎重に選択しなければならないことになる。

 コミュニケーション行為者は特定の FTA についてまず二つの大きな選択

があるとされる。ひとつは FTA を行わないという選択である。FTA を行う

ことを最初から放棄することによって、自分や相手の面目も傷つけるリスク

自体を放棄するのである。一方、もうひとつがFTAを行うという選択である

が、この選択を取った場合、その後にまた二つの選択がある。ひとつは「ほ

のめかす」(“off-record”) という選択である。もうひとつは「ほのめかさずに、

発話する」(“on-record”) という選択である。最初の選択では言語化しないの

で、リスクは極めて低い。一方、第二の選択、つまり、言語化する選択をし

たとき、更に、二つの選択があるという。ひとつは、面目に全く配慮せず、「躊

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606 松 木 啓 子

躇なく、ずばりと表現する」(“without redressive action”) という選択である。

そして、もうひとつが、面目に配慮しながら、「様々な修正を行いながら表

現する」(“with redressive action”) という選択である (ibid., 68-71)。後の事例

分析で示すように、フリーマンは、「躊躇なく、ずばりと」ミード批判を行っ

たが、一方で、ミードや彼女の師ボアズの貢献を称えるFTA ― 数少ない

FTA ― においては、「修正を行いながら」間接的表現を駆使するのである。

 複数の学問分野からの「書評」(book review) のジャンルを分析した Hyland

(2004) によれば、各分野を横断する大きな特徴として、「批判」(criticism) と

「賛辞」(praise) が抱き合わせになっているという。更に、批判の対象は、通常、

「内容」(content) だけでなく、「文体」(style)、「読者(にとっての意義)」

(readership)、「テクスト(の構成)」(text)、「著者」(author)、そして、「(値段

などの)出版物(としてのパフォーマンス)」(publishing) に及ぶが、全体的

な傾向として、批判は個別 (specific) な「内容」に関するものが一番多いこと、

更に、全体的 (general) な内容について批判にはバランスを取るように多く

の賛辞が与えられていることを指摘している (Hyland 2002: 47)。フリーマン

のミード批判は本形式を取っており、通常の「書評」とは異なるが、Hyland

の議論はフリーマンのテクストを考察する上で参考になる。例えば、フリー

マンはミードの本の全体的な内容を批判しても、賛辞は皆無に近い。後年、

Caton (2000) は論争を振り返りながら、フリーマンがミードの著書の肯定的

な側面については何も論じていないことを述べている。“I have noted that

Freemen never discussed the positive achievement of CA(Coming of Age in Samoa)”

(Caton 2000:604)。更に、何よりも、彼の批判の対象はミード自身に集中す

るのである。Hylandによれば、多くの学問分野において、「著者」に対する

批判は非常に少なく、割合から言えば、賛辞の方が上回る傾向にあるという。

その意味では、フリーマンの批判の多くは、人類学者としてのミードと彼女

の限界に向けられている。多くの研究者がフリーマンの批判を個人攻撃と見

なしたのは、その批評の対象と賛辞の欠如とも関係があるであろう。

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ポライトネスとアカデミック・コミュニケーション―ミード‒フリーマン論争における「批判」をめぐって― 607

5. ポライトネスとアカデミック・ライティング

 ここまで、Brown and Levinson (1987) によるポライトネス理論の基本的枠

組みを紹介してきたが、Scollon and Scollon (1995) も論じているように、そ

の面目に基づくモデルは書きことばのコミュニケーションにおいても有効で

ある。しかしながら、彼らのモデルは「今、ここ」(here and now) を共有す

る話し手と聞き手の二項的参加者構造に基づくものであり、書きことばのコ

ミュニケーションのポライトネスを考察する上で若干注意を要する。Scollon

and Scollon が指摘するように、書きことばのコミュニケーションにおける参

加者構造は複層的である。つまり、「実際の著者」(the real author) と「想定

された著者」(the implied author) はたとえ結果的に重なることがあろうとも、

両者は認識論的に異なる存在であるとされる。一方で、「実際の読者」(the

real reader)と「想定された読者」(the implied reader) についても同様である。

彼らによれば、書きことばのコミュニケーションにおける面目とは「想定さ

れた著者」と「想定された読者」の面目であって、決して、「実際の著者」

と「実際の読者」のものではない。言い換えれば、読者が誰であろうとも、

面目の関係はあくまでも「想定された著者」と「想定された読者」のもので

あるということになる(Scollon and Scollon 1995: 90)。

 こうした著者や読者の複層的捉え方は特定の制度的状況の中で発表される

ディスコースを見る上で重要なポイントである。ここで考えてみたいのは、

アカデミック・ライティングにおいてはどのような著者や読者が想定され、

どのような面目の関係が存在するのかという点である。アカデミック・コミュ

ニケーションの究極の目標は知識構築である。そこで想定される著者と読者

は共に論理的で客観的な思考と分析に基づきながら、特定の学問分野の知的

関心を共有する。例えば、Scollon and Scollon は、こうした論理的、客観的

な学術的セルフのあり方を想定したディスコースの代表的な形式として、脱

コンテクスト化された演繹的スタイル (deductive style) に注目している

(Scollon and Scollon 1995:91-92)。

 演繹的スタイルは、通常、英語のアカデミック・ライティング教育で重視

されている模範的スタイルである。教科書にも説明されるように、主要な命

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題はテクストの最初に置かれ、その後に論証が続くという合理的なスタイル

である。そして、Scollon and Scollon によれば、ポライトネスの視点から見

るとき、演繹的スタイルは想定された著者から想定された読者に向けた積極

的ポライトネス方策であるということになる。何故ならば、著者は最初に主

題を呈示することによって、想定された読者との連帯を築くからである。著

者は想定された読者との間にこうした共通の基盤 ― つまり、主題 ― を固め

ることによって、読者の視点を誘いこみながら更なる議論を進めていくこと

が可能となる(cf. Brown and Levinson 1987: 103)。Scollon and Scollon によれば、

こうしたスタイルが前提とするのは想定された著者と読者のアカデミック・

コミュニティの成員としての平等な立場であることになる。

 しかしながら、松木 (2007) が論じるように、脱コンテクスト化されたス

タイルは確かに英語アカデミック・ライティングの模範的モデル、または、

規範として存在するが、実際のコミュニケーションは特定のアカデミック・

コミュニティやその中の人間関係を背景にした社会行為としてよりダイナ

ミックな現象を呈示している。「想定された著者」と「想定された読者」の

関係がたとえ平等であると前提しても、実際のコミュニティ内の成員同士の

関係が関わってくることによってそのスタイルに新たな社会的意味が付与さ

れるのである。つまり、「想定された読者」が単に認識論的な概念ではなく、

特定のアカデミック・コミュニティの具体的な成員から成るカテゴリーと重

なってくる場合に問題が浮上するのである。確かに、「実際の読者」と「想

定された読者」は究極的に異なる存在である。書きことばの場合、そのメッ

セージの時間と空間の越境のあり方は究極的には予測できないからである。

しかし、論争のように、コミュニケーション行為がより限定された争点をめ

ぐって、より限定された空間と時間の中で展開するとき、前提とされる実際

の読者の問題はポライトネスを考える上で重要となってくる。

 この点を考えるにあたり、示唆的なのは Silverstein (1976) の代名詞に関す

る指標作用の議論である。パースの記号論に基づきながら、Silverstein は代

名詞がコンテクストの中に実際に存在するものを指す場合、そして、コンテ

クストには存在しないものを記号作用によって新たに構築する場合について

論じている。前者の「前提的」な代名詞としては第三人称代名詞(“he” や

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ポライトネスとアカデミック・コミュニケーション―ミード‒フリーマン論争における「批判」をめぐって― 609

“she”)がある。一方、後者の「創造的」な代名詞の代表的なものは第一人

称代名詞 (“I”) である。コミュニケーション行為者は自分自身を “I” と言及

することによって、「話し手」としての自己を創造するからである。次の瞬

間には別の人が “I” として新しい「話し手」としての自己を創造するかも知

れない。Silverstein が論じるように、こうした「前提」と「創造」は同一線

上にあり、言語とコンテクストとの関わりのダイナミックな諸相の説明を可

能にするが、本論における「想定された著者」と「実際の著者」、そして、「想

定された読者」と「実際の読者」の問題を考える上でも有効な概念である。

先の Scollon and Scollon (1995) の議論における想定された著者と読者は創造

的な存在として扱われている。それは、彼らの焦点が、近代の印刷テクノロ

ジーの発展の中で書きことばのコミュニケーションのオーディエンスが会っ

たこともない不特定の人々を含有するようになったという巨視的な流れにあ

るからである (cf. Olson 1977)。一方、具体的なアカデミック・コミュニティ

を背景にしたコミュニケーションにおいては、その「著者」と「読者」は実

際の具体的な著者と読者を前提としながら想定されるのであり、結果的に

ディスコースはより特定のコンテクストに根ざしてくることになる。例えば、

Markkanen and Schröder (1997) で論じられているように、アカデミック・ラ

イティングにおける命題呈示のためのモダリティ (modality) やぼかし表現

(hedging) の問題はポライトネスとの関わりにおいて重要な視点を提供して

いる。こうしたアカデミック・コミュニケーションのコンテスト化への志向

にもかかわらず、アメリカ文化人類学のコミュニティの視点から考えるとき、

フリーマンのミード批判において想定される読者は極めて創造的な存在であ

る。そして、その受容のレベルのおいて、di Leonardo (1998) も指摘するよう

に、フリーマンのスタイルは科学のレトリックと結合しながら、文化相対主

義的視点を排する保守的傾向にあった1980年代のアメリカ社会の中で一般の

オーディエンスには好意的に受け入れられた。しかし、アカデミック・コミュ

ニティ内の反応は対照的であった (di Leonardo 1998: 298)。フリーマンがこの

論争を望んでいたとすれば、彼の脱コンテクスト化されたアプローチはまさ

に正しい選択だったことにはなる。

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610 松 木 啓 子

6. 科学をめぐるレトリック、ミード批判、そして、ポライトネス

 フリーマンの著書において、キーワードは「科学」である。それはテクス

ト全体で幾度も繰り返され、独特なレトリック効果を生み出していると言え

る。Marshall (1993) はフリーマンがその著書全体の中でどのような具体的な

語選択を行っているかを分析しているが、Marshall によれば、フリーマンは

「科学 対 宗教」、「科学 対 芸術」という二項対立的な構図の中で、常

に自らが「科学的」であり、一方で、ミードが「非科学的」であることを位

置づけようとしているという。特に、自らのセルフイメージを「特権的な観

察者」(“Freeman-the-privileged-observer”) として印象づける一方で、ミードを

「狂信的な信奉者」(“Mead-the-fervent-believer”) として印象づけようとしてい

るという (Marshall 1993: 606)。更に、Marshallによれば、フリーマンはミー

ドの研究を言及する際に、法律に関連した語句を巧みに用いながら、ミード

が弾劾裁判にかけられているかのように印象づけているという(例えば、

“case”、“testimony”、“judgment”、“evidence”、“document”、“witness” など)

(ibid., 606)。Strathern (1983) が自らの論評のタイトル ― “The Punishment of

Margaret Mead” ― で表現しているように、それはあたかもフリーマンがミー

ドを「罰している」かのような印象を与えるのである。

 Marshall は語選択に基づいた分析を行っているが、以下では、フリーマン

の批判のスタイルに注目したい。既に述べてきたように、フリーマンのディ

スコースの大きな特徴はその演繹的スタイルである。フリーマンはこの積極

的ポライトネスを通して、ミード批判を展開しながら自らの科学的権威を築

こうとするのである。1980年代はポストモダン思想が人類学においても定着

しつつあった。文化記述そのものの「客観性」や方法論の「科学性」が近代

のイデオロギーの所産であることが仕切りに論じられ始められ、学問分野の

方向性を探る議論が活発化している時期であった (cf. Clifford and Marcus

1986; Marcus and Fischer 1986; Stocking 1992)。その意味では、科学関連の用

語は決して中立的なものでなく、人類学の位置づけをめぐる政治学やイデオ

ロギーに深く関わるものであった。フリーマンの科学のレトリックはこのよ

うな学問分野のコンテクストの中で理解されるべきである。更に、こうした

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ポライトネスとアカデミック・コミュニケーション―ミード‒フリーマン論争における「批判」をめぐって― 611

積極的ポライトネス方略としての演繹的スタイルを通し、フリーマンは想定

された読者との間に科学的秩序の連帯を築き、ミードを批判するだけでなく、

その連帯のコミュニティから排除するのである。以下では、「序文」(preface)

のテクストに注目しながら、フリーマンのレトリックとポライトネス方略が

ミード批判とどう関わるのかを見ていきたい。

 Ben-Ari (1988) が論じているように、「謝辞」(acknowledgement) は人類学

の著書の冒頭において権威を読者に対して構築する上で不可欠な部分となっ

ている。例えば、どのようなコミュニティ内のネットワークにいるのか、ど

のようなところから研究資金を受け取ったのか、フィールドワークの折には

どのような現地の人から情報を得たのかという記述を通して、著者は自らの

「民族誌的権威」(ethnographic authority) を構築するのである。フリーマンの

本の場合、謝辞は最後に来ており、ここでは序文が重要な機能を果たしてい

る。 その冒頭の第一行目から、フリーマンはまずミードの著書の位置づけ

を行う。フリーマンによれば、ミードの著書は 「マーガレット・ミードのた

くさんの著書の中でも一番広く知られた本」(“By far the most widely known of

Margaret Mead’s”) であるという (Freeman 1983: Xi)。更に、第2パラグラフに

おいて、フリーマンは同書が1928年に「多くの注意を惹きつけ」(“attracted

immense attention”)、その「莫大な人気」(“the vast popularity”) を通して、「す

べての人類学の本の中でもベストセラー」(“the best-selling of all

anthropological books”) となり、「世界中の何百万もの人々の考えに影響を与

えてきた」(“it has influenced the thinking of millions of people throughout the

world”) と紹介するのである (ibid., Xii)。しかし、そのすぐ後に、フリーマンは自らの FTA を明らかにする。「私がこの本で行いたいのは、この非常に広

く受け入れられている結論(ミードの本の結論)の批判的な検討である」(“It

is with the critical examination of this very widely accepted conclusion that I am

concerned in this book”) (ibid., Xii)。

 この冒頭のパラグラフで、フリーマンはミードの本の位置づけを行った直

後、一番述べたい主題 ― ミードの誤りを検証すること ― をはっきりと呈示

している。更に、ここでは、もうひとつレベルでも積極的ポライトネス方策

が取られていることに注意したい。それは、ミードの著書をめぐる形容詞の

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612 松 木 啓 子

性格に関わるものである。最上級 (“most”、“best”)、大きな規模を表す形容

詞 (“immense”、“vast”)、そして、多数を表す形容詞 (“all”、“millions of”) を

重ねることによって、フリーマンはミードの位置づけを劇的に行っているが、

こうした極端さを表す修飾語は、Brown and Levinson によれば、「誇張」

(exaggeration) によって相手との連帯を築くための方策であるという。しか

し、彼らが指摘するように、もし聞き手が同じ価値判断を下してないときは、

こうした誇張の方略はコミュニケーション上潜在的にリスクがあるという

(Brown and Levinson 1987:116)。

 次の第3パラグラフ目から、フリーマンは自分の著書が哲学者カール・ポッ

パーの提唱する科学的方法論 ―「科学的反駁」(scientific refutation) ― に基

づくものであり、自らの「科学的な」アプローチを前面に押し出すのである。

Scientific knowledge, as Karl Popper has shown, is principally advanced

through the conscious adoption of “the critical method of error elimination.”

In other words, within science, propositions and theories are systematically

tested by attempts to refute them, and they remain acceptable only as long as

they withstand these attempts at refutation. (ibid., Xii)

つまり、「科学」の領域では反証に耐え得る命題や理論のみが最後まで知識

として残るのであり、言い換えれば、こうした反証に耐えられなければ正当

な知識ではないということになる。

While the systematic testing of the conclusions of a science is always

desirable, this testing is plainly imperative when serious doubts have been

expressed about some particular thing. Students of Samoan culture have

long voiced such doubts about Mead’s findings of 1928. In this book I

adduce detailed empirical evidence to demonstrate that Mead’s account of

Samoan culture and character is fundamentally in error. (ibid., Xii) (下線は

筆者による)

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ポライトネスとアカデミック・コミュニケーション―ミード‒フリーマン論争における「批判」をめぐって― 613

下線部にあるように、ここで、フリーマンはミードが「根本的に」誤ってい

たことを躊躇なく直接的にずばりと批判するのである。Shankman (2000) も

指摘するように、ここにある「根本的に」(“fundamentally”) を初めとする絶

対評価的な副詞(Shankman は例として、“purely”、“totally”、“completely” な

どを挙げている)はフリーマンのスタイルの特徴であり、こうした誇張表現

は、先にも指摘したように、Brown and Levinson のモデルによれば積極的ポ

ライトネス方略ということになる。

 この後、フリーマンは自分のこれまでのサモア研究の経過をめぐるナラ

ティブを展開する。その中で、最初はミードの研究に全面的な信頼をよせて

いたと述べている (“. . . my credence in Mead's findings was complete”)(ibid.,

Xiii)。そして、実際のサモアでのフィールドワークをいよいよ始めるが、そ

の間、フリーマンはいかにサモア語が流暢になったかやいかに現地の生活に

溶け込み、データ収集に有意義な社会的ネットワークを築けたかを中心に自

らの「民族誌的権威」を構築するのである。その過程で、フリーマンはミー

ドのサモア記述の矛盾に気がつき、また、現地の知識人からミードの誤りを

正すようにと任されたために、全面的な調査に着手した経過を語るのである。

そして、その調査の許可は現地の総理大臣からももらうほど大規模なもの

だったという。更に、調査が進行する過程で、フリーマンはミードのサモア

研究は1928年の本が出版されたときのアメリカ人類学のパラダイムとの関連

で調査すべきであることに気がついていったと述べるのである。この構造的

に見事に一貫性のあるナラティブを通して、フリーマンは自らのサモア研究

者としての権威を構築すると同時に、ミードからその権威を奪うのである。

 最後の方で、唯一、フリーマンがミードや彼女の師ボアズに対する敬意を

表現している部分がある。

My concern, moreover, is with the scientific import of these actual researches

and not with Margaret Mead personally, or with any aspect of her ideas or

activities that lies beyond the ambit of her writings on Samoa. I would

emphasize also that I hold in high regard many of the personal achievements

of Margaret Mead, Frantz Boas, and the other individuals certain of whose

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614 松 木 啓 子

assertions and ideas I necessarily must question in the pages that follow.

(ibidl, Xiii)(下線は筆者による)

下線の部分がそうであるが、批判の直接性に比べて、この賛辞は極めて間接

的である。仮定法の “would” がぼかし表現として機能し、更に、関係代名詞

に基づく巧妙な構文構造のためである。書き出しではミードやボアズの功績

を称えているが、後半になると批判を行っているかのような文構造となって

いる。つまり、視点の置き方によっては、「敬意は持つが、彼らの主張や考

えを問いたださざるを得ない」という批判の意味にも取れるのである。

7. おわりに

 本稿では、Brown and Levinson のモデルを手がかりに、ミード‒フリーマ

ン論争の批判行為におけるポライトネスの問題を考えた。言うまでもなく、

アカデミック・コミュニティのフリーマン批判に火をつけたのは様々な要因

の作用によるものであって、ポライトネスの問題だけが原因ではない。しか

し、それでも、フリーマンのミード批判の躊躇のなさは敬意の欠如として解

釈され、アメリカ人類学コミュニティのフリーマン批判につながる要因で

あったと言える。Strathern (1983) はミードの功績を称えながら、一方で、フ

リーマンの本を “cool and polite book”(「恰好よい、丁寧な本」)と皮肉って

いる。また、ポライトネスへの視点は、フリーマンの科学的権威をめぐるレ

トリックを理解する上でも有効である。彼のテクストを特徴づけるのはその

演繹的な書き方であり、想定された読者との間に共通の基盤を確立するとい

う点で積極的ポライトネス方略である。しかし、こうした積極的ポライトネ

ス方略を通して築かれる連帯のコミュニティ ― 科学的秩序に基づくコミュ

ニティ ― からはミードは排除され、更に、アメリカ文化人類学のコミュニ

ティも含有されない。フリーマンのミード批判をこの連帯と排除の視点から

考える時、彼の科学のレトリックとポライトネスの関わりがより見えやすく

なる。 

 本論で紹介したように、Brown and Levinson はFTAをめぐる脅威の度合い

を考える上で、考慮すべき要因が三つあるとした。力関係、社会的距離関係、

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ポライトネスとアカデミック・コミュニケーション―ミード‒フリーマン論争における「批判」をめぐって― 615

そして、FTA自体の脅威度である。フリーマンとアメリカ人類学コミュニティ

の関係を考えてみよう。力関係については、ここでは上下関係というよりも、

どちらがより権威を持っているのかという視点から見るのがよいであろう。

勿論、学術制度を背景にしたコミュニティであり、コミュニティの成員はそ

の権威の後ろ盾を受ける。また、社会的距離の問題については、オーストラ

リアとアメリカの距離は物理的なものではなく、社会的なものでもあった。

しかし、何よりも、アメリカ文化人類学のコミュニティの境界線を基準にし

た場合、その内側と外側の距離は大きかったのではないか。更に、批判とい

うFTAそのもの内在する脅威があることを考える時、もしフリーマンがコ

ミュニティの成員の消極的面目 ― 侵害されたくないという欲求 ― を配慮し

ながら、消極的ポライトネス方略を選択していたとすれば、また違ったミー

ド‒フリーマン論争の展開があったかも知れない。

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Politeness and Academic Communication: Criticism in the Mead-Freeman Controversy

Keiko MATSUKI

Keywords: Politeness, Academic Communication, the Mead-Freeman Controversy

The goal of this paper is to explore the issue of academic writing as social practice. Based on the universal model by Brown and Levinson (1987), it examines the phenomena of politeness in an anthropological controversy, or the Mead-Freeman Controversy.

The Mead-Freman controversy started with a specific discourse of criticism. In 1983, Derek Freeman, an Australian anthropologist, published a book entitled Margaret Mead and Samoa: The Making and Unmaking of an Anthropological Myth, which attracted public attention through, partly, the publisher’s advertising strategy. The content of the book was about Mead’s well-known book on Samoan youth and adolescence, Coming of Age in Samoa (1928). Despite the fact that half a century had passed since the first publication of the book, Derek Freeman and his book became drew much attention both inside and outside the anthropological academic community. Especially, the reaction of the community to Freeman’s

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618 松 木 啓 子

criticism of Mead and her mentor Boas, and their cultural relativism was emotionally intense, characterizing the process of this controversy itself. This paper examines how and why the controversy took such a course, especially looking at the issue of politeness.

Derek Freeman’s way of criticizing is direct and harsh, extending not only to the book itself, but also to the author Mead and her mentor Boas. The paper discusses social meanings in such a bald-on-record way of communication by Freeman, drawing from Brown and Levinson’s thoughts on human personally as sacred, face, and face wants. Also, the study finds Derek Freeman’s deductive style as a significant politeness strategy in his writing. In applying the Brown and Levinson’s model originally designed for oral communication to written communication, the paper discusses the multi-layered authors and readers, and points out how such epistemologically different concepts should be dealt with in the study of politeness in written communication.