ヒューマン・エラーを心理学から考える ·...

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27 第182回産業セミナー ヒューマン・エラーを心理学から考える 中 村 隆 宏 独立行政法人労働安全衛生総合研究所 人間工学・リスク管理研究グループ主任研究員 1 .はじめに 人間の行動や判断、組織や社会システムというものは、事故や災害を防止する「要」として の役目を担っているはずである。しかし一方では、過去の様々な災害や事故が示すとおり、こ れらの要素が事故や災害の原因や発生要因ともなっている。なぜ同じ要素であるのに全く正反 対の結果につながってしまうのか。こうした疑問に対する答えは、残念ながら未だに見出せて いない。 「ヒューマン・エラー」は、今や聞き慣れない言葉ではなくなった。どのような職場であれ、 何らかの対策を必要としているほど、安全上の重要な課題に位置づけられている。管理側は繰 返し防止を訴え、現場で働く人々もそれに応えようとしているが、実態はそれほど単純ではな い。オフィス・ワークでは、ヒューマン・エラーが関係する事故や災害はそれほど深刻ではな いと思われがちであるが、階段や廊下での転倒、カッターやハサミといった事務用品による怪 我は少なくない。 また、ヒューマン・エラーとは、「怪我」といった分かりやすい結果として表面化するとは 限らない。1992 年には、とある金融機関で、クラークが 1100 万‘ドル’相当の株の売りを 1100 万‘株’(≒ 5 億ドル相当)と誤入力したことで、株式市場が大混乱に陥ったことがある。 これは取引が終了する 10 分前だったが、もしももっと早い時間に同じ誤入力が発生し、他の トレーダー達がそれに反応していたならば、世界大恐慌のきっかけとなってもおかしくないほ ど深刻な結果となっていただろう、と言われている。同じようなことは、つい最近でも起きて いる。2001 年には「 61 万円で 16 株売り」とすべきところを「 16 円で 61 万株売り」とした事 例と、「9000万株を売る」と誤注文するといった事例が、わずか数日間のうちに発生した。恐 らくは、こうした「誤り」の中でも報道されるほどのものはごく一部であり、日常的に頻繁に 起きていることなのかもしれない。 こうしたことからも、ヒューマン・エラーとは必ずしも特定の状況において発生するもので

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第182回産業セミナー

ヒューマン・エラーを心理学から考える

中 村 隆 宏独立行政法人労働安全衛生総合研究所

人間工学・リスク管理研究グループ主任研究員

1 .はじめに

 人間の行動や判断、組織や社会システムというものは、事故や災害を防止する「要」として

の役目を担っているはずである。しかし一方では、過去の様々な災害や事故が示すとおり、こ

れらの要素が事故や災害の原因や発生要因ともなっている。なぜ同じ要素であるのに全く正反

対の結果につながってしまうのか。こうした疑問に対する答えは、残念ながら未だに見出せて

いない。

 「ヒューマン・エラー」は、今や聞き慣れない言葉ではなくなった。どのような職場であれ、

何らかの対策を必要としているほど、安全上の重要な課題に位置づけられている。管理側は繰

返し防止を訴え、現場で働く人々もそれに応えようとしているが、実態はそれほど単純ではな

い。オフィス・ワークでは、ヒューマン・エラーが関係する事故や災害はそれほど深刻ではな

いと思われがちであるが、階段や廊下での転倒、カッターやハサミといった事務用品による怪

我は少なくない。

 また、ヒューマン・エラーとは、「怪我」といった分かりやすい結果として表面化するとは

限らない。1992 年には、とある金融機関で、クラークが 1100 万‘ドル’相当の株の売りを

1100 万‘株’(≒ 5億ドル相当)と誤入力したことで、株式市場が大混乱に陥ったことがある。

これは取引が終了する 10 分前だったが、もしももっと早い時間に同じ誤入力が発生し、他の

トレーダー達がそれに反応していたならば、世界大恐慌のきっかけとなってもおかしくないほ

ど深刻な結果となっていただろう、と言われている。同じようなことは、つい最近でも起きて

いる。2001 年には「61 万円で 16 株売り」とすべきところを「16 円で 61 万株売り」とした事

例と、「9000 万株を売る」と誤注文するといった事例が、わずか数日間のうちに発生した。恐

らくは、こうした「誤り」の中でも報道されるほどのものはごく一部であり、日常的に頻繁に

起きていることなのかもしれない。

 こうしたことからも、ヒューマン・エラーとは必ずしも特定の状況において発生するもので

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はなく、どのような状況においても、誰にとっても発生するものだといえる。

2 .ヒューマン・エラーとは

 では、ヒューマン・エラーとは何であるのか。これを明確に説明することは、それほどたや

すいことではない。なぜならば、ヒューマン・エラーの定義や分類については未だに確立され

たものはなく、現象面や心理面、脳の情報処理の面、対策面など、様々な分野において様々に

用いられているからである。一般的には「……し間違い」や「……し損なう」といった現象が

ヒューマン・エラーと理解されがちであり、設備的な対策や制度的な対策を講じていても、人

間の仕業によって事故が発生してしまった時にそうした人間の仕業がヒューマン・エラーであ

る、と見なされることが多い。一方で、学術的な定義を注意深く読んでみてもどうにも理解し

にくい、といったことも事実である。

 ではここで、自動車を運転している最中の衝突事故を例に挙げて考えてみよう。ある運転者

が赤信号であるにも関わらず交差点に進入し、交差側を走行してきた別な車と衝突してしまっ

た。信号機は正常に作動しており、交差点は特段複雑な形状ではなかった。天候や他の車両の

影響もなく、物理的には衝突の原因となるものは何も見当たらない。一方、当事者である運転

者は「赤信号に気付かなかった」と話している。こうしたことから、この運転者の赤信号の見

落とし以外に事故の原因は見当たらない。

 さて、この場合の「見落とし」という現象は「ヒューマン・エラー」だろうか。もしも自分

の会社の部下が仕事の最中に起こした事故だとすれば、原因を明らかにして再発を防止するた

めの対策を早急に講じなければならない。

 ここで、見落としという現象についてもう一度考えてみたい。例えば、「赤信号を見落とし

たが他の交通がなかったので、事故を起こすことなく交差点を通過した」という場合や、「赤

信号を見落としたことにすら気付かず、そのまま交差点を通過した」という場合、さらには「青

信号を見落としたまま交差点を通過した」という場合もあるかもしれない。いずれも「見落と

し」という現象は発生しているが、運転者は事故を起こすことなく交差点を通過し、無事に目

的地に到着している。この場合の「見落とし」はヒューマン・エラーなのだろうか。確かに、

本来であればきちんと認識し従うべき赤信号を見落としたという意味ではエラーといえるが、

結果として無事に目的地に到着しているという意味ではエラーとは言えないのではないだろう

か。

 さらに、ここで留意しなければならないことがある。もしもこの衝突事故の原因が見落とし

だったと判断されれば、「今後は見落としをするな」という再発防止対策が掲げられることが

少なくない。さらに、事故や災害の原因はヒューマン・エラーだと判断されれば、「ヒューマン・

エラーをなくせば事故や災害は防止出来る、今後はエラーをするな」といった再発防止対策が

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ヒューマン・エラーを心理学から考える

掲げられ、「ヒューマン・エラー撲滅運動」なるものが展開されがちである。これらの再発防

止対策は果たして妥当なのだろうか。達成可能なのだろうか。

3 .エラーへの対処方法の妥当性

 『エラーとは、どこかに気の緩みがあったり、疲労や二日酔いのように体調管理が出来てい

なかったりした場合に発生するものである。真剣に取り組んでいればエラーなど起こさない。』

といったまことしやかな説明を、誰もが一度ならず耳にしたことがあるだろう。では、実際に

はどうなのだろうか。

 事故を防止するために、「ちゃんと見ろ」「しっかり見ろ」と言われることは多い。しかし人

間の場合、「何を見ようとするか」という意図の違いによって「気付きの程度」が異なり、す

ぐに気付けるはずのおかしな点も意図の仕方によっては気付けないことがある。すなわち、人

は「見えるもの」を見るのではなく、「見ようとしているもの」を見るのである。安全確認の

ために行われる「指差呼称」「指差確認」も、こうした人間の特性を考慮した上で運用されな

ければ、容易に形骸化してしまう。

 同様に、目の前の事象が明らかに変化していてもその変化に気づかないこともあれば、意識

して注意を向けていてもその変化に意識して注意することはできない、という特性がある。さ

らに、それまでの意識経験下にある外界の変化に気付くのは容易だが、予期せぬ変化を検出す

ることは困難なのである(change blindness効果)。

 誰かに指示をする場合や伝達を行う時に、「誰にでも分かることだから」という「無意識の

意識」が、思わぬ悪影響を及ぼす場合もある。情報が示される順序や空間的な配置によって、

人は意識することなく既存の知識を当てはめて判断することがあるためである。通常はこうし

た処理を行うことによって効率的な情報処理に役立つが、誤った処理につながることも少なく

ない。

 日頃からやり慣れていないことをいきなり「上手くやれ」と言われても、そうそう簡単に出

来るものではないのは当然だろう。では、日頃からやり慣れている簡単な課題であればどうだ

ろうか。それほど多くのエラーが起きるとは考えにくいのだが、ある一定の条件下である課題

を与えられた場合に多くの人が誤りを起こすことも、一つの事実である。

 ここで再び、「見落としをするな」「エラーをするな」といった対策、例えばこれを「エラー

禁止型対策」とするならば、その妥当性・有効性について考えてみたい。結論から述べれば、

こうした「エラー禁止型対策」では再発防止を達成することは出来ない。なぜならば、人間の

仕様(スペック)にはもともと「エラーゼロ」はなく、どれほど強く禁止されてもエラー発生

を個人の努力でコントロールすることは出来ないからである。逆説的に表現すれば、エラーが

発生するということは人間であることの証でもある、といえよう。

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 さらにここで再び、ヒューマン・エラーの定義を振り返ろう。ヒューマン・エラーとは「原

因ではなく結果としての事象」であり、事故や災害の「原因」ではない。「意図せずに」「許容

範囲から逸脱し」「期待に反した」結果がヒューマン・エラーなのである。従って、その時々

の行為者の意図や目標、その時々の外部環境やその許容範囲がどうであったのか、さらに、本

来期待していた結果と実際の行動の結果の間にどのようなズレがどの程度あったのか、といっ

た事柄をも併せて考慮しなければ、何をヒューマン・エラーと捉えるべきかは判断できないこ

とになる。すなわち、一連の行為の中のどの時点、どのレベルを対象とするかによってエラー

の解釈は異なるものであり、解釈が異なるのであればその対策も自ずと異なるはずである。

 「ヒューマン・エラー防止対策」は、文字通りエラーそのものを減少させる対策であるが、

前述の「エラー禁止型対策」に陥りやすい点に留意しなければならない。それに対し、「ヒュ

ーマン・エラーによる事故・災害防止対策」とは、発生しがちなヒューマン・エラーを事故や

災害へと発展させないための対策であり、エラーになり得る行為でも、他の条件を変化させ一

連の流れを断ち切ることで、結果として事故・災害の発生を抑止するものである。この場合、

事象の連鎖の全てを断ち切ろうとして破綻してしまっては対策としての意味を成さないことか

ら、むしろ事象の連鎖を確実に断ち切れる部分に注力することが重要となる。

 こうした対策をさらに具体的にしたものが、「エラーに対する抵抗力 error resistanceの向上」

「エラーに対する許容度 error toleranceの向上」「フールプルーフ fool proof」「フェールセー

フ fail‒safe」等である。

4 .防止対策の具体的展開

 「どんな現場にも通用する効果的なヒューマン・エラー対策」を求める声は数多い。しかし、

「どの様なエラーが起きうるのか」「何が問題であるのか」は、各々の現場で異なるのが当然で

あり、「ヒューマン・エラーの捉え方が異なればその対策も異なる」ことをもう一度念頭にお

いて考えれば、対策の内容も各々の現場によって異なることになる。こうしたことからも、ヒ

ューマン・エラーに関する一般論をそのまま現場に持ち込んでも、十分な効果を上げることは

困難だろう。その理由は、防止対策は「オーダーメイド」であることが原則であるからである。

体型に個人差があるように、現場には様々な違いがあり、それぞれの細かな違いをしっかりと

把握した上でその個性に応じた対応を図ることが出来なければ、効果は期待出来ない。細かな

点までミリ単位で把握するための第一歩はキチンとした採寸であり、安全に置き換えるならば、

現場の実態を細かな点に至るまで把握することに相当する。いい加減な採寸では良い品は作れ

ないのと同様に、現場の実態を表面的にしか把握出来なければ、効果的な対策の立案は出来な

いのである。

 現場に存在する問題点を最も反映するのは、その現場で発生した災害である。その災害を材

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ヒューマン・エラーを心理学から考える

料として原因を明らかにし、対策を講じることが最も効果的であるが、材料に事欠かない現場

はさほど多くない。むしろ、それほどまでに災害が頻発する現場であれば、その存在自体が社

会的に許容されないだろう。

 現場に材料がないのであれば、次善策として有効なのは、災害事例の活用である。幸いにも

現在は様々なメディアを通じて多くの情報を入手することが可能となった。しかし一方で、せ

っかくの情報を入手しても、その情報が蓄積されるだけで十分に活用されないままでは、やは

り安全への効果は期待出来ない。自らの立場に置き換え、共通する要因や課題が何であるのか

を見つけ出し、自らの現場の実情を考慮した対策について検討してみるといったところまで踏

み込むことが、「災害事例の活用」なのである。情報の入手や蓄積に満足していては、「既に十

分に安全活動に取り組んでいる」といった錯覚に陥りやすい。同じ内容の繰返しに留まってい

ては、手続きには習熟するが、実践的な効果にはつながらない。本来であれば現場の安全のた

めに取り組んでいるはずの活動も管理者のノルマ達成のためになっていては、安全の空洞化は

時間の問題である。

 競争力の強化や効率化の追及が過度になされた結果、その副作用として、多くの産業現場で

「Know How」思考への偏重が生じている。マニュアルを整備し徹底を図ることは基本的に安

全に逆行することではないはずだが、一方では、個々人が自ら「考える」ことを放棄し、言わ

れるがままに行動することが美徳であるかのような風潮を助長してはいないだろうか。過去の

災害から学び、これからの災害を防止する手立てを講じるために必要なのは、「当然のこと」「周

知の事実」であっても、「なぜか?」を問い深く考える「Know Why」思考なのである。

 災害事例の活用に際して、「事実関係が全て把握出来なければ詳細に検討する価値がない」

と考えるのは早計だろう。人間のあらゆる行動がヒューマン・エラーに発展する可能性がある

のだから、過去に発生した災害の事実関係がどうであれ、自らの立場に置き換えて類似した災

害が現実に起こり得る可能性がほんの僅かでも存在するならば、その対応について検討するこ

とには十分に意義がある。起こるかもしれない災害を、出来るだけリアルに、詳細にイメージ

することによって、様々なヒューマン・エラーへの対応の幅を広げることが可能になるととも

に、安全に対する動機付けを高めることにつながるのである。

 ヒューマン・エラーにどのように対応するかという命題は、人間そのものをどのように理解

するかという命題と不可分な関係にある。自らを含め“Human”に対する理解を深めることが、

取り組むべきヒューマン・エラーを見極めるための第一歩であると言えよう。短期間で効果を

発揮する特効薬はなく、継続した取組みが不可欠である。あらゆる人間の行動・行為が災害の

原因に発展する可能性があるのだから、継続する限り、いかなる対策であってもいつか何らか

の効果を発揮する。ただし、効果がない対策を意味もなく継続することは「対策の上塗り」で

しかなく、やがて現場はその負荷に耐え切れなくなってしまう。単に継続すること(Keep

Doing)に意味があるのではなく、より上を目指して取組み続けること(Keep Trying)にこ

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そ意味があるのである。

 ヒューマン・エラーとは、人間が否応なしに生涯付き合い続けなければならない相手である。

目を瞑って見えない振りをするよりも、正面から向き合って上手に付き合う工夫を重ねたほう

が、生産的であるとともに、人間としてより健全な姿であるに違いない。人間はエラーをなく

せない愚かな存在ではあるが、エラーを理解し対応する程度の知恵は持っているはずである。