新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代...

11
近年のコンテンツ配信の環境変化に対応するために,ISO/IEC JTC1/SC29/WG11 (MPEG:Moving Picture Experts Group)において,2009年から,新たなメディアト ランスポート方式であるMMT(MPEG Media Transport)の標準化が行われた。MMT は,放送や通信といった多様なネットワークでのコンテンツ配信に適するメディアトラ ンスポート方式であり,映像・音声等を取り扱う形式や伝送プロトコル,コンテンツの 構成を示す制御情報などを規定している。本稿では,MMTの仕組みについて述べるとと もに,MPEGにおける標準化の経緯と,MMTを用いる放送システムに関するITU-R (International Telecommunication Union - Radiocommunication Sector)の新勧告 作成に向けた動向について解説する。 1.はじめに MPEGは,マルチメディアの情報処理技術の国際標準化を行うISO/IEC(Interna- tional Organization for Standardization / International Electrotechnical Commis- sion:国際標準化機構/国際電気標準会議)の作業部会であり,映像・音声信号の圧縮符 号化技術,それらの提示,伝送,蓄積などのシステム技術の標準化を行っている。この MPEGにおいて,2009年から,新たなメディアトランスポート方式であるMMTの標準 化が行われた。 放送と通信の両方の伝送路を同じように用いることで可能となる,より高度な放送・ 通信連携を実現するために,新たなメディアトランスポート方式の開発が必要となった ため,NHKはMPEGにおける標準化作業に当初から取り組み,規格文書案を執筆するプ ロジェクトエディター等としてMMTの標準化に関わった。 本稿では,MPEGにおける標準化の経緯を中心に,MMTの国際標準化と規格の概要に ついて解説する。 2.新たなメディアトランスポート方式の標準化の背景 2.1 20年ぶりのメディアトランスポート方式の標準化 MMTは1994年に標準化されたMPEG-2 Systems の後継技術であり,メディアトラ ンスポート方式の国際標準規格としては20年ぶりの標準化である。MMTは,符号化され た映像,音声,その他のデータをどのように組み合わせてコンテンツを構成するか,そ れらをどのように伝送するかといったシステム技術や伝送技術を提供する。 現在のデジタル放送システムで用いられているメディアトランスポート方式の基本的 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 青木秀一 解説 NHK技研 R&D/No.150/2015.3 12

Upload: others

Post on 04-Jun-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

近年のコンテンツ配信の環境変化に対応するために,ISO/IEC JTC1/SC29/WG11(MPEG:Moving Picture Experts Group)において,2009年から,新たなメディアトランスポート方式であるMMT(MPEGMedia Transport)の標準化が行われた。MMTは,放送や通信といった多様なネットワークでのコンテンツ配信に適するメディアトランスポート方式であり,映像・音声等を取り扱う形式や伝送プロトコル,コンテンツの構成を示す制御情報などを規定している。本稿では,MMTの仕組みについて述べるとともに,MPEGにおける標準化の経緯と,MMTを用いる放送システムに関するITU-R(International Telecommunication Union - Radiocommunication Sector)の新勧告作成に向けた動向について解説する。

1.はじめにMPEGは,マルチメディアの情報処理技術の国際標準化を行うISO/IEC(Interna-tional Organization for Standardization/International Electrotechnical Commis-sion:国際標準化機構/国際電気標準会議)の作業部会であり,映像・音声信号の圧縮符号化技術,それらの提示,伝送,蓄積などのシステム技術の標準化を行っている。このMPEGにおいて,2009年から,新たなメディアトランスポート方式であるMMTの標準化が行われた。放送と通信の両方の伝送路を同じように用いることで可能となる,より高度な放送・通信連携を実現するために,新たなメディアトランスポート方式の開発が必要となったため,NHKはMPEGにおける標準化作業に当初から取り組み,規格文書案を執筆するプロジェクトエディター等としてMMTの標準化に関わった。本稿では,MPEGにおける標準化の経緯を中心に,MMTの国際標準化と規格の概要について解説する。

2.新たなメディアトランスポート方式の標準化の背景2.1 20年ぶりのメディアトランスポート方式の標準化MMTは1994年に標準化されたMPEG-2 Systems1)の後継技術であり,メディアトランスポート方式の国際標準規格としては20年ぶりの標準化である。MMTは,符号化された映像,音声,その他のデータをどのように組み合わせてコンテンツを構成するか,それらをどのように伝送するかといったシステム技術や伝送技術を提供する。現在のデジタル放送システムで用いられているメディアトランスポート方式の基本的

新たなメディアトランスポート方式の国際標準化青木秀一■

解 説

NHK技研 R&D/No.150/2015.312

Page 2: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

1990年代放送波によるテレビ番組の提供

現在放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

通信伝送路によるコンテンツの提供

放送波

無線通信

光ファイバー

映像

音声

データ

映像

音声

データ

多重化:映像,音声,データを扱いやすいよう1つにまとめる

同期:映像,音声の提示・出力タイミングを合わせる

衛星 地上波 インターネット

遅延 伝送誤り

信頼性確保:伝送誤りへの耐性を確保する

な仕組みが開発されてから,20年以上が経過した。この20年でコンテンツの構成は大きく変化し,映像と音声だけのテレビ番組に加え,静止画やアプリケーションなどさまざまなデータを含むマルチメディアコンテンツが一般的となった。また,コンテンツを利用する端末として,据え置き型から携帯型まで,さまざまな解像度やフレームレートの映像信号を表示できる多種多様な端末が利用されるようになった。さらにネットワーク技術の進歩により,コンテンツを配信する伝送路も,放送波だけでなく,光ファイバーや無線通信などの通信伝送路が加わり多様化した(1図)。こうした変化に対応するためには,従来のメディアトランスポート方式では機能不足となってきた。そのため,今後のコンテンツ配信環境にも対応できる新たなメディアトランスポート方式が必要となり,MPEGにおいて標準化作業を行うこととなった。2.2 同期,多重化,信頼性確保の機能を担うメディアトランスポートレイヤーメディアトランスポートレイヤーの主な機能は,同期,多重化,信頼性確保である。これらの機能を2図に示す。まず,コンテンツを構成する映像・音声等を,伝送後にタイミングを合わせながら提示・出力するための「同期」の機能がある。また,コンテンツを構成する種々の信号を,伝送や蓄積等の処理を容易に行える1つの形式にまとめるための「多重化」の機能がある。さらに,伝送誤りやパケットの到着順序の入れ替わりなどの伝送品質低下が,コンテンツの提示品質に影響しないようにするための「信頼性確保」の機能がある。このようなメディアトランスポートレイヤーは,3図に示すように,コンテンツレイヤーと伝送レイヤーの中間に位置し,それらを接続する役割を担っている。近年のコンテンツ配信環境の変化により,コンテンツレイヤーも伝送レイヤーも多様化したことから,その間に位置するメディアトランスポートレイヤーの役割がより重要になった。

1図 コンテンツ配信環境の変化

2図 メディアトランスポートレイヤーの主な機能

NHK技研 R&D/No.150/2015.3 13

Page 3: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

メディアトランスポートレイヤー

通信伝送路

映像符号化・音響符号化

著作権管理・暗号化

映像方式・音響方式

アプリケーションフォーマット

放送伝送路

コンテンツレイヤー

伝送レイヤー

上位レイヤー

下位レイヤー

伝送路符号化・変調

映像 音声 字幕 データ

制御情報符号化 符号化

PES セクションセクションPES PES

TSパケット(188バイト固定長のパケット)

MPEG-2 TS(1つのストリーム)

伝送路符号化・変調

MPEG-2Systems

クロック

PCR

符号化符号化

2.3 これまでのメディアトランスポート方式とその課題MPEG-2 Systemsは,ビデオCD*1*1

CD-ROMに1.5Mbpsでビデオを記録するフォーマット。

等で用いられたMPEG-1 Systemsを,デジタル放送やDVDビデオへの適用を目的として拡張し,1994年に標準化されたメディアトランスポート方式である。現在のデジタル放送は,その多くが,MPEG-2 Systemsの伝送形式であるMPEG-2 TS(Transport Stream)を用いている。MPEG-2 TSの仕組みを4図に示す。MPEG-2 TSは,固定長(188バイト)のTSパケットが連なるストリームである。ストリームとは,伝送路の種類や信号形式にかかわらず,「データの流れ」を意味する。4図において,符号化された映像・音声等は,復号時刻や提示時刻などの情報を含むPES(Packetized Elementary Stream)と呼ばれる形式に変換される。復号時刻や提示時刻は,エンコーダーのSTC(System TimeClock)の値として表されている。このSTCをサンプルした値が,PCR(ProgramClock Reference)と呼ばれる参照クロックとして,映像・音声等と合わせて1つのTSに多重化される。4図の「制御情報」は,コンテンツを構成する映像・音声等を示す情報である。また「セクション」は,データを伝送するための形式である。このように,MPEG-2 TSでは,コンテンツを構成する映像・音声等を参照クロックと合わせて1つのストリームに多重化する。この仕組みは,1つのコンテンツの映像・音声・クロックを,伝送品質が確保された信頼できる1つの伝送路を用いて伝送することが前提となっている。MPEG-2 TSのこの前提は,放送波という1つの伝送路で1つのストリームを伝送する現在のデジタル放送の仕組みに合致していたため,多くのデジタル放送でMPEG-2 TSが用いられることとなった。

3図 メディアトランスポートレイヤーの位置付け

4図 MPEG-2 TSにおける各種信号の多重

NHK技研 R&D/No.150/2015.314

Page 4: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

放送と通信のように物理的に異なる伝送路を用いて,コンテンツを伝送

放送局

インターネット

衛星放送

地上放送

しかし,放送と通信のように物理的に異なる伝送路を用いてコンテンツを伝送するハイブリッド配信(5図)においては,複数の伝送路が存在するため,MPEG-2 TSの「コンテンツを1つのストリームにして1つの伝送路で伝送する」という前提が成り立たない。そのため,MPEG-2 TSを用いて,ハイブリッド配信のような放送・通信連携を実現することは困難であった。

3.MPEGにおける新たなメディアトランスポート方式の標準化前章で述べたような問題意識を背景に,既存のメディアトランスポート方式の課題と新たな方式の必要性を議論するワークショップが,2009年7月のMPEGロンドン会合2)

と2010年1月のMPEG京都会合3)で開催された。MMTの標準化に関係する主な出来事を1表に示す。2回開催されたワークショップでは,すでに認識されていた前記の課題に加え,次のような課題が挙げられた。・MPEG-2 TSにおいて情報を一意に示すために割り当てる値であるコードポイントが不足しつつあること。・TSパケットのサイズが小さく,UHDTV(Ultra-High Definition Television)やマルチビュー*2

*2複数のカメラで撮影した映像を同期して提示する映像サービス。などの新たなサービスに適していないこと。

年月 MPEGの会合 主な出来事

2009年7月 ロンドン会合 第1回ワークショップ

2010年1月 京都会合 第2回ワークショップ

2010年4月 ドレスデン会合 アダプティブストリーミングの方式とMMTを分離し,前者のCfPを発行

2010年7月 ジュネーブ会合 MMTのCfPを発行

2011年1月 テグ会合 提案内容のプレゼンテーションと作業原案(WD※1)作成

2012年7月 ストックホルム会合 委員会草案(CD)発行

2013年1月 ジュネーブ会合 委員会草案第2版発行

2013年4月 インチョン会合 MMTの標準規格案を複数のパートに分割し,主要パートの国際規格案(DIS)を発行

2013年11月 ジュネーブ会合 主要パートの最終国際規格案(FDIS)発行

2014年7月 札幌会合 AL-FECの符号化方式のパートの最終国際規格案発行

2014年10月 ストラスブール会合 実装ガイドラインのパートの技術報告書案(DTR※2)発行※1 Working Draft※2 Draft Technical Report

5図 ハイブリッド配信の例

1表 MMTの標準化に関係する主な出来事

NHK技研 R&D/No.150/2015.3 15

Page 5: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

・TSパケットが固定長のため,IP(Internet Protocol)を用いる現在のネットワークに適していないこと。さらに,IPを用いる放送システムが開発されていることや,前述のハイブリッド配信の観点から,MPEGにおいて新たなメディアトランスポート方式の必要性が認識された。新たに標準化するメディアトランスポート方式は,移動通信システム技術の標準化を行うプロジェクトである3GPP(Third Generation Partnership Project)で開発された既存方式を前提とし,HTTP(Hyper Text Transfer Protocol)を用いるアダプティブストリーミング*3*3

ネットワークの状況に応じて,コンテンツの品質を変化させるストリーミング方式(データを受信しながら同時に再生を行う方式)。

の方式と,放送のような一方向伝送路での利用など,より広範な用途に対応し,中長期的に用いることを想定した方式の2つとし,それぞれ別のプロジェクトで標準化作業が行われた。前者の方式は,ISO/IEC 23009-1として標準化されたMPEG-DASH(Dynamic Adaptive Streaming over HTTP)である。そして,後者の方式が現在のMMTである。MMTが想定するユースケース(利用形態)4)とその要求条件5)がまとめられ,2010年7月に方式提案を募集するCfP(Call for Proposals)文書が発行された6)7)。2011年1月のテグ会合では,このCfPに応じてさまざまな技術が提案され,具体的な方式の審議が開始された。中長期的に用いる方式とされたこともあり,当初は,想定するネットワーク環境をIPに限定せず次世代のネットワークにも対応した方がよいとする意見もあったが,その具体的な内容が示されなかったため,MMTはIP上のメディアトランスポート方式とすることになった。2012年7月には,MMTの規格文書(4.1節参照)の委員会草案(CD:CommitteeDraft)が発行された。MPEGでは,CDの発行以降は各国の投票による承認を受けて規格文書の作成を進める。投票では,学術論文投稿時に査読者から示されることがある「採録の条件」のようなコメントを付けることが可能である。それらのコメントに対応し,必要に応じて規格文書を修正しながら,CD→国際規格案(DIS:Draft InternationalStandard)→最終国際規格案(FDIS:Final Draft International Standard)→国際規格(IS:International Standard)と標準化を進める。MPEGは,2013年1月のジュネーブ会合で,CDの投票時に各国から寄せられたコメントに基づき規格文書の修正を行った。通常であればこの段階でDISを発行するが,会合の終盤に,カナダ,アメリカ合衆国などの国の一部の参加者から,文書の修正が多いことやHTML5(Hyper Text Markup Language 5)に関わるコンポジッション情報*4*4

映像信号の提示制御のためにHTML5を拡張した情報。

に懸念があることを理由に,DISの発行を遅らせるべきであるという意見が出され,発行が延期された。2013年4月のインチョン会合では,DISの代わりに発行されたCD第2版に対して,コメントに基づき修正を行ったほか,規格として課題が残る部分を別のパートに分離し,議論が成熟していた主要パートのみから成るDISを発行した。2013年11月のジュネーブ会合では,DISに対する投票結果を処理してFDISを発行し,最終的に2014年3月にISとして承認された8)。

4.MMTの仕組み4.1 MMTを含む標準規格(ISO/IEC 23008)の構成MMTの標準規格は,ISO/IEC 23008の中で規定されている。ISO/IEC 23008は

「High Efficiency Coding and Media Delivery in Heterogeneous Environments」と名付けられた標準規格であり,MPEG-Hとも呼ばれる。MPEG-Hの主なパートを2表に示す。

NHK技研 R&D/No.150/2015.316

Page 6: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

制御情報

MMTPパケット

MMTPペイロードMPU

MFU

蓄積形式 伝送形式

GFD

映像・音声等 ファイル

格納

連結

格納

格納 格納格納

格納

MPUメタデータ

ムービーフラグメントメタデータ

MFU MFU……

MPEG-Hのパート1はメディアトランスポート方式であるMMTを規定し,パート2,パート3はそれぞれ映像符号化方式であるHEVC(High Efficiency VideoCoding),音響符号化方式である3D Audioを規定している。このようにMPEG-Hは,MPEG-2やMPEG-4と同様に,伝送・蓄積技術,映像符号化技術,音響符号化技術を規定し,多様化するコンテンツ配信に適した新たな標準規格となることが期待されている。この他,MMTに関連するパートとして,パート4がMMTのリファレンスソフトウエア*5 *5

MMTを実現するために参考となるソフトウエア。

を規定し,パート10が,伝送路上で消失したパケットを復元することで伝送品質を向上させる,MMTのためのAL-FEC(Application Layer - Forward Error Correc-tion)の符号化方式を規定している。さらに,2015年中の標準化完了を目指し,パート13として,MMTの実装ガイドラインの作成が進められている。4.2 MMTが規定する要素MMTが規定する主な要素を6図に示す。MMTでは,映像・音声等を取り扱うデータ形式としてMFU(Media Fragment Unit)とMPU(Media Processing Unit)を規定している。MFUは映像・音声等を伝送するときのデータ形式であり,MPUはそれらのデータを処理するときの単位であると同時に,蓄積するときのデータ形式である。MPUはISOBMFF(ISO Base Media File Format)形式のファイルであり,6図に示すように,MPU全体の情報の属性を示すMPUメタデータ,MFUの情報の属性を示すムービーフラグメントメタデータと,複数のMFUとから構成される。また,MMTでは,ファイルの伝送方法としてGFD(Generic File Delivery)を,さらに,データを送受信するためのデータ形式としてMMTP(MMT Protocol)のペイ

パート 内容

1 MMT:多様なネットワークでの伝送を想定したメディアトランスポート方式

2 HEVC:MPEG-4AVC※よりも符号化効率の高い映像符号化方式

3 3D Audio:3次元音響方式の符号化方式

4 MMTのリファレンスソフトウエア

10 MMTのためのAL-FECの符号化方式

13 MMTの実装ガイドライン※ Advanced Video Coding

2表 MPEG-HのMMTに関係する主なパート

6図 MMTが規定する主な要素

NHK技研 R&D/No.150/2015.3 17

Page 7: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

UTC(協定世界時刻)

AU※提示時刻

AU提示時刻

AU提示時刻 制御情報

制御情報提示時刻

MPU1(AU※)

AU提示時刻

AU提示時刻

AU提示時刻

制御情報

制御情報提示時刻

(a) MMTのコンテンツの構成(あるAU※を異なるコンテンツで共通に用いることができる)

(b) MPEG-2 TSのコンテンツの構成(それぞれのTSは独立している)

※ Access Unit:アクセスユニット

あるトランスポートストリーム

別のトランスポートストリーム

あるMMTコンテンツ

別のMMTコンテンツ

クロック

クロック

クロック

MPU2(AU)

MPU3(AU)

MPU4(AU)

MPU5(AU)

MPU6(AU)

ロード(正味のデータ)の形式と,MMTPパケットの形式を規定している。MMTPパケットは,UDP(User Datagram Protocol)やTCP(Transmission Control Protocol)などのIP上のプロトコルを用いて伝送されるパケットであり,IPパケットによる伝送に適するよう可変長形式となっている。これらの要素に加え,MMTでは,コンテンツの構成要素などの情報を示す制御情報を規定している。MMTのコンテンツの構成の概要を,MPEG-2 TSと対比して7図に示す。MPEG-2TSでは,1つのコンテンツは1つのTSであり,互いに独立しているのに対して,MMTでは,あるコンテンツを構成するMPUを,別のコンテンツから参照して利用することができる。また,MPUの物理的な伝送路が異なっても,同一のコンテンツに含めることができる。両方式のアクセスユニット(映像のフレームや音声の符号化単位など,同期が可能な最小単位)の取り扱いについて,主な違いを3表にまとめる。MMTでは,複数の伝送路を用いるハイブリッド配信においても映像・音声等を同期して提示するために,協定世界時刻(UTC:Coordinated Universal Time)*6*6

世界各地で標準時を決めるときの基準となる時刻。

を基準時刻として,MPUの提示時刻を,制御情報の中で示す。この仕組みにより,制御情報とは別の伝送路で伝送したMPU同士を組み合わせた場合でも,それらを同期させながら提示することができる。次に,MMTとMPEG-2 TSの伝送時のパケット形式の主な違いを4表に示す。MPEG-2 TSの標準化が行われた1990年代には,ATM(Asynchronous TransferMode)*7

音声やデータなどのさまざまな情報を1つのネットワークで効率よく伝送することができる伝送方式。

*7がネットワークの主流になると考えられていた。このため,MPEG-2 TSではATMの伝送単位であるセルの大きさに合わせた188バイトの固定長のパケットが採用された。しかし,現在の主流はIPのネットワークであるため,MMTPパケットは可変長のパケットとなっている。また,MMTでは高ビットレートのUHDTVの配信も想定するこ

MMT MPEG-2 TS

アクセスユニットを含むMPUを区別できる アクセスユニットの区別はできない

世界で共通の時計を使う TSごとに異なる時計を使う

制御情報が提示時刻を示す アクセスユニット自身が提示時刻を示す

制御情報とMPUを別々に伝送することが可能 制御情報はアクセスユニットと一緒に伝送する

7図 MMTとMPEG-2 TSのコンテンツの構成の概要

3表 MMTとMPEG-2 TSのアクセスユニットの取り扱いに関する主な違い

NHK技研 R&D/No.150/2015.318

Page 8: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

(a)リアルタイムストリーミング

(b)ファイルベースストリーミング

エンコーダー 伝送路

伝送路エンコーダー

MPU

MFU

MFU

MMTPパケット

UDP TCP

MMTPパケットHTTP

TCP

MPU

IP IP IP

(a) (b) (c)

とから,パケットのシーケンス番号が拡張されている。さらにMPEG-2 TSでは,信頼性確保の手段がTSパケットのロス(消失)検出のみであったのに対し,MMTではAL-FECを用いて,ロスしたMMTPパケットを復元する仕組みを備えている。4.3 MMTの特徴MMTにおける2種類の配信形態を8図に示す。1つは8図(a)に示すリアルタイムストリーミングであり,放送での伝送や,放送と同期提示するコンテンツあるいは放送コンテンツ自体を通信伝送路で伝送する場合など,低遅延が求められる用途に適した配信形態である。この配信形態では,エンコーダーが出力する信号をMFUの形式にして,MMTPペイロードに格納し,MMTPパケットで伝送する。ファイルとしてのMPUを構成する処理を省略することで,MPEG-2 TSと同程度以下の低遅延が実現される。放送伝送路や高品質な通信回線など,低遅延の伝送が可能な伝送路では,この形態で伝送することにより,伝送レイヤーの性能を余すところなく発揮するサービスが可能となる。一方,オンデマンドコンテンツの配信などでは,8図(b)に示すように,エンコーダーが出力する信号からMPUを構成し,ファイルとしてサーバーなどに蓄積した後に伝送するファイルベースストリーミングの形態も用いることができる。MMTの伝送には,9図に示す3通りの方法を用いることができる。低遅延が必要な

MMT MPEG-2 TS

可変長パケット 固定長パケット

任意に使えるヘッダー拡張領域を備える 固定長ヘッダー(4バイト)

配信のためのタイムスタンプ※を持つ 配信のためのタイムスタンプを持たない

32ビットのシーケンス番号を持つ 4ビットのカウンターを持つ

AL-FECによるパケットロス回復が可能 TSパケットのロス検出が可能※ 伝送遅延の変動による影響を取り除くための,パケットの送信時刻に関する情報。

4表 MMTとMPEG-2 TSのパケット形式に関する主な違い

8図 MMTの2種類の配信形態

9図 MMTの伝送方法

NHK技研 R&D/No.150/2015.3 19

Page 9: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

MMTPパケット

UDP

DASHセグメント

IP

サービスでは,MMTPパケットを,UDPを用いてIPパケットで伝送する(9図(a))。一方,低遅延が不要なサービスでは,MMTPパケットを,TCPを用いてIPパケットで伝送することも想定される(9図(b))。さらに,MMTPパケットを用いずに,HTTPを用いてMPUを伝送することも可能である(9図(c))。このようにMMTでは,伝送遅延やコンテンツ品質などのサービス要件や,用いる伝送路の特性に応じた配信形態や伝送方法を選択することで,伝送路の特徴を効果的に発揮させることができるようになっている。4.4 MMTの拡張MMTの拡張の1つとして,3章で述べたMPEG-DASHが規定するDASHセグメント*8*8

コンテンツを数秒単位で分割したファイル。

をMMTPパケットで伝送することがある。MPEG-DASHは伝送レイヤーを規定していない。インターネット等ではDASHセグメントをHTTPで伝送できるが,放送伝送路のように上り方向の伝送路を持たない一方向伝送路では,HTTPを用いることができない。これを解決するために,10図に示すようにDASHセグメントをMMTPパケットで伝送する。これにより,MPEG-DASHのコンテンツを多様な伝送路で伝送するMMTの配信システムを実現することができる。

5.ITU-RにおけるMMTを用いた放送システムの標準化放送と通信の両方の伝送路を同じように用いることで可能となる高度な放送・通信連携サービスを実現するために,2014年3月に情報通信審議会が答申した「超高精細度テレビジョン放送システムに関する技術的条件」のうち「衛星基幹放送及び衛星一般放送に関する技術的条件」において,MMTを用いる多重方式が採用された。この答申を受け,電波産業会(ARIB:Association of Radio Industries and Busi-nesses)において,8Kスーパーハイビジョン(以下,8K)衛星放送システムのメディアトランスポート・IP多重のレイヤーの標準規格としてARIB STD-B60 9)が策定された。MMTはISO/IECにより標準化された国際規格であるが,種々のアプリケーションを想定し,映像・音声やデータの蓄積形式など,放送システムで用いない機能も規定している。一方,放送システムを実現するためには,ISO/IECの標準規格に規定されていない制御情報が必要となる。こうしたMMT規格の拡張や制約などが,ARIB STD-B60で規定されている。また,MMTを用いた放送システム間の共通性を確保し,受信端末などの開発を容易とするためには,放送システムを実現するためのMMT規格の拡張や制約なども,国際標準として規格化されていることが必要である。MPEG-2 TSを用いた放送システムにおいては,そうした国際規格としての役割をITU-Rの勧告が担っている。MPEG-2 TSは,ISO/IEC 13818-1として標準化された

10図 MMTによるDASHセグメントの伝送

NHK技研 R&D/No.150/2015.320

Page 10: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

ISO/IECの標準規格であるが,放送システムではISO/IEC 13818-1に規定される機能をすべて用いる必要はなく,一方で,ISO/IEC 13818-1に規定されていない制御情報など種々の拡張が必要となる。こうした内容については,Rec. ITU-R BT. 1209-110),Rec.ITU-R BT. 1300-311),Rec. ITU-R BT. 130112)の3つの勧告に記載されている。Rec.ITU-R BT. 1209-1には,地上デジタル放送においてISO/IEC 13818-1に規定するトランスポートストリーム,多重方法を用いることや,TSパケット・PESパケットの構成が記載されている。また,Rec. ITU-R BT. 1300-3には,放送システムのための,ISO/IEC13818-1の制約や拡張,ID体系の使い方が記載されている。さらに,Rec. ITU-R BT.1301には,MPEG-2 TSでの文字情報の多重方法が記載されている。このように,MPEG-2 TSを用いた放送システムに関しては,ISO/IECの標準規格を放送システムで用いるための拡張や制約,あるいは詳細化について,ITU-Rの勧告に記載されている。そこで,MMTを用いた放送システムについても,同様にITU-Rの勧告に記載されていることが望ましい。以上のような背景から,2014年11月のITU-R会合において,日本は新勧告草案

「MMTを用いた放送システムにおけるサービス構成,メディアトランスポートと制御情報」を提案した。この新勧告草案には,ARIB STD-B60を基に,MMTを用いた放送システムのための,MMTの拡張や制約が記載されており,3つのパートから構成されている。各パートの主な内容は,次の通りである。① 「システムとサービスの構成」:MMTを用いた放送システムのプロトコルスタック,放送および放送・通信連携におけるMMTのコンテンツと放送サービスとの関係② 「メディアトランスポートプロトコルと制御情報」:MMTPパケットの拡張ヘッダーの利用方法,映像・音声の伝送方法に関する詳細,放送システムの核となる制御情報の内容③ 「ARIBが規定する制御情報」:ARIBで規定している制御情報の内容(情報文書の位置付け)この新勧告草案については,2015年中にITU-R勧告として採択・承認されることを目指して,2015年3月現在,審議が行われている。

6.むすび伝送路およびコンテンツ利用端末が多様化し,コンテンツを伝送するためのメディアトランスポート方式の重要性が増している。本稿では,MPEGにおいて新しく標準化されたメディアトランスポート方式であるMMTについて,標準化の経緯と規格の概要を解説した。また,MMTを用いる放送システムのARIB標準規格が日本で策定されたことを受け,ITU-Rにおいて新勧告作成に向けた審議が行われていることを述べた。今後は,MMTならではの放送・通信連携サービスを実現するために,8Kを通信伝送路で送るための伝送方式の規格化などが期待される。

NHK技研 R&D/No.150/2015.3 21

Page 11: 新たなメディアトランスポート 方式の国際標準化 · 1990年代 放送波によるテレビ番組の提供 現在 放送波に加え,光ファイバーや無線通信等の

1) Rec. ITU-T H.222.0 | ISO/IEC 13818-1:2006,“Information Technology- GenericCoding of Moving Pictures and Associated Audio Information:Systems”

2)“Presentations of MMT Workshop in London 2009,”ISO/IEC JTC1/SC29/WG11 Doc.N10853(2009)

3)“Presentations of MMT Workshop in Kyoto 2010,”ISO/IEC JTC1/SC29/WG11 Doc.N11200(2010)

4)“Use Cases for MPEG Media Transport(MMT),”ISO/IEC JTC1/SC29/WG11 Doc.N11542(2010)

5)“Requirements on MPEG Media Transport(MMT),”ISO/IEC JTC1/SC29/WG11 Doc.N11540(2010)

6)“Call for Proposals on MPEG Media Transport(MMT),”ISO/IEC JTC1/SC29/WG11Doc. N11539(2010)

7)“MPEG Media Transport(MMT)Context and Objective,”ISO/IEC JTC1/SC29/WG11Doc. N11541(2010)

8) ISO/IEC 23008-1:2014,“Information Technology - High Efficiency Coding andMedia Delivery in Heterogeneous Environments - Part 1:MPEG Media Transport(MMT)”

9) 電波産業会:“デジタル放送におけるMMTによるメディアトランスポート方式,”ARIB STD-B60(2014)

10)Rec. ITU-R BT.1209-1,“Service Multiplex Methods for Digital Terrestrial TelevisionBroadcasting”(1997)

11)Rec. ITU-R BT.1300-3,“Service Multiplex,Transport,and Identification Methods forDigital Terrestrial Television Broadcasting”(2005)

12)Rec. ITU-R BT.1301,“Data Services in Digital Terrestrial Television Broadcasting”(1997)

あお きしゅういち

青木秀一2003年入局。同年から放送技術研究所において,IP技術を用いる放送システムの研究に従事。現在,放送技術研究所伝送システム研究部に所属。博士(情報理工学)。

参考文献

NHK技研 R&D/No.150/2015.322