『メアリー・ポピンズ』の神話世界...and their nanny mary poppins, and they do the...

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― 30 ― In the 11 th chapter of Mary Poppins, Maia, the eldest daughter of Atlas and Pleione in Greek mythology, comes to a department store in London. There she meets the Banks children and their nanny Mary Poppins, and they do the Christmas shopping. It sounds silly, but this episode is the key to understanding the mythic world of Mary Poppins. 2006 年に現代英米児童文学評伝叢書全 12 巻の1冊として森恵子著『P. L. トラヴァース』が出 版された。多くの優れた英米児童文学作家の中からトラヴァースが選ばれたことをうれしく思う。 彼女が書いた『メアリー・ポピンズ』は楽しい作品であるだけでなく、謎に満ちた不思議な作品 である。しかし、一般読者の評価は必ずしも高いとは言えない。森恵子氏も「あとがき」で、30 年近く前に修士論文に『メアリー・ポピンズ』を取り上げたいと言ったとき、指導教授に「あん な子どもだましの、でたらめな作品はない」と言われたと書いている。それから 30 年近く経っ た今も、その教授の感想が大人の読者の本音かもしれない。というのは、『メアリー・ポピンズ』 は謎に満ちた作品なのに、まともに論じられたことがないからだ。謎は解決されるどころか、謎 があること自体が認められないまま、「子どもだましの、でたらめ」と考えられているように思え る。そう言う私も、以前はそのように考えていた。 10 年ほど前、論文「えっさかほいさ、牝牛が月を飛び越えた−『メアリー・ポピンズ』の不思 議な世界−」 1 を書いて、『メアリー・ポピンズ』第 5 章「踊る牝牛」の謎の解明を試みた。その 章が当時最も謎に満ちた章に思えたからだ。しかしその当時、私には全く理解できず、「子どもだ ましの、でたらめ」という印象を持っていた章があった。第 11 章「クリスマスの買い物」であ る。ところが昨年、『メアリー・ポピンズ』を読みなおしたところ、その章の謎の一部がわかって きた。第11章は「でたらめ」どころか『メアリー・ポピンズ』の構想の根底にある神話世界と関 わっていたのだ。『メアリー・ポピンズ』は解剖も解明もできないと言われているが、尻尾をつか 人間科学部研究年報 平成 23 年 『メアリー・ポピンズ』の神話世界 The mythic world of Mary Poppins 河崎 良二 Ryoji Kawasaki

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人間科学部研究年報 平成 23 年

In the 11th chapter of Mary Poppins, Maia, the eldest daughter of Atlas and Pleione in Greek

mythology, comes to a department store in London. There she meets the Banks children

and their nanny Mary Poppins, and they do the Christmas shopping. It sounds silly, but

this episode is the key to understanding the mythic world of Mary Poppins.

 2006 年に現代英米児童文学評伝叢書全 12 巻の1冊として森恵子著『P. L. トラヴァース』が出

版された。多くの優れた英米児童文学作家の中からトラヴァースが選ばれたことをうれしく思う。

彼女が書いた『メアリー・ポピンズ』は楽しい作品であるだけでなく、謎に満ちた不思議な作品

である。しかし、一般読者の評価は必ずしも高いとは言えない。森恵子氏も「あとがき」で、30

年近く前に修士論文に『メアリー・ポピンズ』を取り上げたいと言ったとき、指導教授に「あん

な子どもだましの、でたらめな作品はない」と言われたと書いている。それから 30 年近く経っ

た今も、その教授の感想が大人の読者の本音かもしれない。というのは、『メアリー・ポピンズ』

は謎に満ちた作品なのに、まともに論じられたことがないからだ。謎は解決されるどころか、謎

があること自体が認められないまま、「子どもだましの、でたらめ」と考えられているように思え

る。そう言う私も、以前はそのように考えていた。

 10 年ほど前、論文「えっさかほいさ、牝牛が月を飛び越えた−『メアリー・ポピンズ』の不思

議な世界−」1 を書いて、『メアリー・ポピンズ』第 5 章「踊る牝牛」の謎の解明を試みた。その

章が当時最も謎に満ちた章に思えたからだ。しかしその当時、私には全く理解できず、「子どもだ

ましの、でたらめ」という印象を持っていた章があった。第 11 章「クリスマスの買い物」であ

る。ところが昨年、『メアリー・ポピンズ』を読みなおしたところ、その章の謎の一部がわかって

きた。第 11 章は「でたらめ」どころか『メアリー・ポピンズ』の構想の根底にある神話世界と関

わっていたのだ。『メアリー・ポピンズ』は解剖も解明もできないと言われているが、尻尾をつか

人間科学部研究年報 平成 23 年

『メアリー・ポピンズ』の神話世界The mythic world of Mary Poppins

河崎 良二

Ryoji Kawasaki

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まえたと思った第 11 章から『メアリー・ポピンズ』の謎に迫ってみたい。

 第 11 章「クリスマスの買い物」は、メアリー・ポピンズと一緒にジェインとマイケルがクリス

マスの買い物をしているロンドンの百貨店に、プレイアデス星からやってきたマイアが現れ、メ

アリーたちと一緒に買い物をした後、再び星へ戻って行くという話である。遠い星座からロンド

ンの百貨店にクリスマスのプレゼントを買いに来る。例の教授でなくても、「でたらめな」話と思

うのは当然である。これまで書かれた研究書を見ても、この章を論じている論文はほとんどない。

しかし、以前第 5 章を中心に論文を書いたとき、第3章、4章、5章に分別を超えた世界の豊さ

という共通したヴィジョンが見られた。『メアリー・ポピンズ』はでたらめに書かれているわけで

はないのだ。ここでも、前後の章を読めば第 11 章を理解する糸口があるのではないか。そう思っ

て第 10 章「満月」を読みなおした。この章は前の論文でも指摘したのだが、第 9 章「ジョンと

バーバラの物語」を受けて展開されている。第 9 章は、1 歳の誕生日を迎えるまでは日の光やム

クドリの声が理解できたのに、誕生日を過ぎるとそれらの声の意味がわからなくなっただけでな

く、それらの声を理解していたことさえ忘れてしまった「ジョンとバーバラの物語」である。つ

まり人間も 1 歳までは自然の一部であり、自然の生き物と話すことができるという話である。そ

れを受けて第 10 章では、何十年(あるいは何百年かもしれない)に一度、満月とメアリー・ポピ

ンズの誕生日が重なる夜の、夢のような世界が描かれる。それは現実の弱肉強食の世界では手を

つなぐことなどありえない動物たちが輪になって踊る特別の日である。動物たちが普段の敵対関

係を忘れて、「私たちは、全て、同じもので作られている」、「全て、同じ目的に向かって動いてい

る」2 ことを祝う日なのだ。つまり第9章と第 10 章には人間も自然界の全ての生き物も同じもの

で作られており、全て同じ目的に向かって動いているという考えが根底にある。

 では、第 10 章と第 11 章にも何らかのつながりがあるのか。第 11 章は「クリスマスの買い物」

という章である。読者の関心は百貨店で家族へのクリスマス・プレゼントを買うジェインとマイ

ケル、そしてメアリーに向けられ、後半は星からやってきたマイアに向けられる。ジェインたち

は父母や幼い弟妹のためにクリスマス・プレゼントを買っている。読者の意識はそのことにくぎ

付けにされて、それ以外のことを考えることが難しい。たとえば、買い物がクリスマスという特

別な日のためのものであることさえ案外意識できない。しかし、誰でも知っているようにクリス

マスとはキリストの降誕を祝う日、つまりキリストの誕生日なのだ。そう思って第 10 章を振り

返ったとき、第 10 章がメアリー・ポピンズの誕生日であったことに気づく。驚いたことに、2つ

の章はメアリーとキリストの「誕生日」ということでつながっているのだ。何度も読んでいたの

に、今回読みなおすまでこのことに気づかなかったために、第 10 章と第 11 章とのつながりが全

くわからなかったのだ。では、このつながりが意図的なものであるとしたら、第 11 章は一体どの

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ような意味を持っているのだろう。

 第 10 章でメアリーの誕生日を全ての動物を代表して祝福する動物の王キング・コブラは、メア

リーの母方の従兄弟であるとされている。とするなら、第 11 章でもメアリーとキリストとの間

に何らかのつながりがあると考えていいのだろうか。しかし、それを暗示する言葉はどこにもな

い。では、プレイアデス星からやってきたマイアは何を意味しているのだろう。このような疑問

を抱くと、メアリー・ポピンズの謎は実に深いことがわかる。一つひとつ解きほぐしていく以外

にないだろう。先ず第 10 章でキング・コブラがどのような存在であったかをもう一度確認してお

こう。

 人間が檻に入れられ、動物たちが互いに腕を組んで輪おどりをおどる満月の夜、ヒグマはジェ

インとマイケルに、キング・コブラは「わたしたちの世界の王さまで—わたしたちのなかで、一

番賢く、一番恐ろしいのです」(167)と言った。そのコブラがメアリーに「いとこよ」と呼びか

け、「あなたの誕生日が満月の日に重なったのはずいぶん前のことだし、今夜のようなお祝いをし

たのもずいぶん前のことだ」(167)と言って、自分の体の皮を脱いで誕生日のお祝いにする。こ

れはコブラとしての最大級の贈り物なのだ。動物の世界の王さまであり、メアリーのいとこであ

るコブラが最大の敬意を示す存在とは一体どのような存在なのだろう。そう思ってすでに読んだ

章を思い浮かべてみると、第 6 章「わるい火曜日」でメアリーが磁石を使って北、南、東、西と

世界を回ったときに出会った人々や動物がコブラと同様の敬意を示していたことに気づく。(この

第 6 章には人種差別があると批判されて作者トラヴァースは 1972 年と 81 年に、登場する人間を

動物に書き改めた。しかし岩波書店の翻訳は改訂以前の版を使用している。)これらの人々や動

物はメアリーが磁石を使ってあわただしく世界を回ることに驚きもしない。つまり、彼らはメア

リーが誰であるかを知っているのだ。東に行ったときに出会った(岩波版の)中国の老人は「ポ

ピンズ御一家にほまれ高きメアリーさま」3 と呼びかけている。改訂版を使っている Kodansha

English Library では、中国の老人の代りにパンダとなっている。

 

 パンダは黒い眼を開いた。「おやまあ、あなたなんだね」とパンダは眠そうに言った。「ど

うして来るって知らせてくれなかったんだ。」(94)

 

 西に回ったときに出会うイルカもメアリーと親しい。

 

 「あなたはアメリアなの」とメアリー・ポピンズは尋ねた。

 イルカは鼻から砂を少し吹き飛ばして驚きの声を上げた。「まあ、誰かと思ったら、メア

リー・ポピンズじゃない。」(95)

 

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 つまり、メアリー・ポピンズは昔から多くの人や動物が知っている存在ということになる。し

かし、私たちにはそのことが何を意味しているのか全くわからない。彼女は不思議な存在なので

ある。このことを別の観点から考えてみよう。

 先の論文でも取り上げたが、メアリーを称えるコブラの言葉をもう一度見てみよう。小さな動

物とそれを食べる大きな動物がどうして手をつなぐことができるのかと疑問に思っているマイケ

ルに、コブラはメアリーの誕生日と満月とが重なる夜は全く違うのだと言う。そして『メアリー・

ポピンズ』の中心をなすテーマと言ってもいい、次の言葉を言う。

 

 結局、食べることと食べられることとは同じことかもしれない。私の分別では、どうやら

そのようだ。忘れるんじゃないよ。ジャングルの私たちも、町の君たちもみんな同じもので

できているのだ。同じものが私たちを作っている−頭上の木も、足の下の石も、鳥も、動物

も、星も−私たちはみんな一つ、同じ目的に向かって動いている。いいかい、私のことを忘

れても、そのことは覚えておくのだよ。(173)

 マイケルは理解できなくて、「でも、どうして木が石なの。鳥はぼくじゃない。ジェインはトラ

じゃない」(173)と疑問を投げかける。マイケルの言う通りだが、それでも地球の始まり、宇宙

の始まりを考えると、私たちは全て同じものでできているというコブラの言葉は間違っていない。

宇宙の始原、地球創造の時点を想像すると、コブラの言葉は正しい。神による宇宙の創造という

大きな神話を持ったユダヤ教、キリスト教でも、人間は土から創られたのだから、コブラの言う

ように、人間も動物も自然も同じものでできていると言える。メアリーの誕生日に、普段は食う

か食われるかの関係にある動物たちが一体となって輪おどりをするということは、メアリーが地

球の始原、宇宙の始原に関わる存在として構想されていることを示している。クリスマス、つま

りキリストの誕生日との関わりもまた、この視点に立つときに理解できる。そして、このように

考えて初めて、少し脱線するが、第 8 章のコリーおばさんのことがわかるようになる。

 第 8 章「コリーおばさん」もまた、「こどもだましの、でたらめ」と言いたくなる話である。コ

リーおばさんは、メアリー・ポピンズがジンジャーパンを買いに行った店の主人である。このお

ばさんは一緒にきたジョンとバーバラが気にいって、ムギあめだと言って指を折って与える。と

ころが、指を取った後には、すぐに新しい指が生えてきた。この不思議なおばさんが、「あなた

は、とてもお年寄りにちがいないわ!」(121)と言ったジェインに次のように答える。

 

 「年寄りだって!」とコリーおばさんは言った。「私のおばあさんに比べたら全くのひよっ

こだよ。まあ、年寄りて言うならそれでもいいが、それに、私もかなり昔にさかのぼるから

ね。とにかく、あの人たちがこの世を作っていたときのことを覚えているが、そのときは 20

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歳をとっくに過ぎていたからね。全く、それは大変な騒ぎだったよ。」(121)

 

 この夜遅く、コリーおばさんは娘二人を連れてバンクス家を訪れ、ジェインたちが買ったジン

ジャー・パンについていた金色の紙の星をメアリーと一緒に空に張り付けるのだ。何度読んでも

「こどもだまし」にしか思えなかったが、第 11 章を読んでいくうちに、それは単なる「こどもだ

まし」ではないことがわかってきた。コリーおばさん自身が言うように、おばさんはこの世をつ

くったときにいた人として構想されている。メアリーもまたこの世の始まりから存在していた人

なのである。そう考えて初めて、第 10 章のメアリーの誕生日と第 11 章のキリストの誕生日とが

並んで置かれていることの意味がわかってくる。二人ともこの世の創世期にいた人として構想さ

れているのだ。銀色の紙で星を作るというのは、そのことを考えたときに初めて「こどもだまし」

でなくなるのだ。

 

 ここで第 11 章に戻って、プレイアデス星団のマイアについて考えてみよう。『世界大百科事典』

25 で、マイアが属する「プレイアデス」を見ると次のようになっている(引用文中の固有名詞の

ギリシア語表記を省略して引用する)。

 

 ギリシア神話で、ティタン神アトラスとプレイオネ(オケアノス<大洋>の娘)の 7 人の

娘。アルキュオネ、メロペ、ケライノ、エレクトラ、アステロペ、タユゲテ、マイア(伝令

神ヘルメスの母)の総称。彼女たちはその母とともにポイオティア地方の森の中で、狩人の

オリオンに 5 年にわたって追われつづけたため、これを憐れんだゼウスが母娘も追手もとも

に天に上らせ、オリオンを犬を連れた狩人の星に、娘たちをそのオリオン星から逃れようと

する 7 羽の鳩(古代ギリシア語でペレイアデス)の星(和名は昴すばる)に化したという。4

 ゼウスについては『世界大百科事典』15 に次のように書かれている。

 

 古代ギリシア人の最高神、オリュンポス神族の長。その名は<天空>を意味する印欧共通

基語 dyeus からきており、彼は天空神として雲、雷、雨、雪などの気象をつかさどる一方、

人間社会の秩序の維持者とされた。(中略)普通、ゼウスとその兄姉のポセイドン、ヘラ、デ

メテル、ヘスティアに、ゼウスの子として生まれたアテナ、アフロディテ、アポロン、アル

テミス、アレス、ヘファイストス、ヘルメスを加えたものを<オリュンポス十二神>と呼ぶ。

なお、ここで最後の 7 神のうち、ゼウスが正妻ヘラによって得た子はアレスとヘファイスト

スだけで、しばしばヘスティアに代えて十二神に列せられるディオニュソスも、ゼウスと人

間の女セメレの子である。このほか、ゼウスはニンフや人間の女との交わりによって、ヘラ

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クレスやペルセウスなどの英雄や、トロイア王家の祖ダルダノスや、ラケダイモン、アルゴ

スなどの地方や都市の名祖等をもうけたとされており、数多いそれらの子どもたちは、たい

てい母親とともにヘラの迫害を受けたことになっている。5

 

 「ニンフや人間の女たちとの交わりによって」というところを書き写しながら、はっとひらめい

た。マイアは神話の人物なのだ。そんなことは訳注にも書いてあり、周知のことだと言われそう

だが、本当にそうだろうか。ロンドンの百貨店にマイアが登場するとは、現実と神話の世界とが

一体になっているということだ。それはギリシア神話の世界に限らない。日本の神話においても

人と神とは交わっていた。おそらく古代の人々にとって神話世界は日常の世界の隣にある馴染み

のある世界だっただろう。第 11 章の「クリスマスの贈り物」は、そのように人と神とが一緒に暮

らしていた時代を蘇らせているのだ。『メアリー・ポピンズ』第 11 章では、それはマイアの次の

言葉によって示されている。

 ああ、ジェイン!マイケル−私はしばしば空から、あなたたちを見てきたわ。そして今、

こうして実際にあなたたちと話している、あなたたちのことで私の知らないことなんてない

わ。(183)

 科学的に考えることが正しいとされる現代において、マイアの言葉を、いやマイアそのものを

信じるものはいない。人は子どもから大人へ成長するにつれて非現実的なことがら、日常生活の

なかで起こる不思議な出来事を次第に受け入れられなくなる。児童文学の役割は、第 9 章「ジョ

ンとバーバラの物語」のように、私たちに常識を身につける以前の世界を提示することである。

あるいは第 11 章のマイアのように、神話世界と現実とをつなぐことである。そのとき、私たちの

意識は無意識の底に眠っていたものと結びつくのだ。

 神話は私たちの遠い祖先がもっていた思考形式である。それは現在の私たちの無意識の中に

眠っている。神話や昔話、あるいは児童文学によって眠っていた感覚が呼びさまされるとき、人

は本来の自分に出会う、とトラヴァースは考えているように思う。「ジョンとバーバラの物語」を

読んだり、「満月」の章で輪になって踊る動物の話を読むとき、読者の心は昔あったかもしれない

理想的な状態を夢見る。それは読者だけではない。登場人物もまた、物語の中で理想的な状態に

変化していく。ジェインとマイケルはメアリー・ポピンズと一緒に生活するうちに、両親の愛情

に気づく。その愛情が、第 11 章「クリスマスの買い物」の最後で、空に帰っていこうとするマイ

アに示される。二人はマイアが自分のための買い物をしていないことに気づき、マイアのために

何か贈り物をしようと考えるのだ。メアリー・ポピンズは日常と非日常を結びつけることによっ

て、ジェインとマイケル、そして読者の、無意識の中にある、人としてもっている本来の優しさ

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や思いやりを引き出す存在なのだ。

 先に、メアリー・ポピンズはキリストとともにこの世の創世と関わっていると書いたが、もう

少しメアリー・ポピンズのことを考えてみよう。第 11 章の終り近くで、マイアは空気の階段を

跳ね上がって、空に帰っていく。そのとき、ジェインとマイケルはメアリー・ポピンズの涙を見

る。「彼らはメアリー・ポピンズの目のなかに、もし彼女がメアリー・ポピンズでなかったなら涙

と言ったかもしれないものを見たからです」(191-92)と書かれている。この章の前半でマイアは

メアリー・ポピンズを指さして、「あの人は私を知っている。そうじゃない?確かに、あなたは私

のことを知ってるわ!」(182)と言っている。つまり、メアリー・ポピンズとマイアは同じよう

に星の国からやってきたのだ。だから、メアリー・ポピンズの涙とは人間の世界で言う望郷の涙

なのである。

 そのことを作者自身が暗示しているところがある。A Lively Oracle 所収の Laurens van der

Post との対談においてである。

トラバース:絨毯のカバンが星からのものだって受け入れられますか。あなたが書かれた物

語は読んでいないのですが、メアリー・ポピンズがやってきたとき、子どもたちは絨毯のカ

バンを覗きこんで、あなたの物語のブッシュマンのように、空っぽだと知るのです。しかし、

そこからキャンプ用ベッドを含む彼女のありふれた日常のものがみんな出てきたのです。全

ては星からやってきたのでしょうか。私たちにはわからないのです。ただ、空っぽとは一杯

ということです。6

 

 メアリー・ポピンズは空からやってきた。しかし、地上の何人もの人が、そして動物が、彼女

のことを昔からよく知っている。キリストに近い存在、宇宙の一部と関わっている存在でありな

がら、うぬぼれが強く、自分がどのように見えるかに気を使う普通の女性らしさを備えている。

子守ではあるが、時に不思議な魔法を使う。しかし大人と交わることはほとんどない。このあた

りに『メアリー・ポピンズ』の秘密が隠されているのかもしれない。

 ここでは作者トラヴァース自身や日本や欧米の研究者が『メアリー・ポピンズ』の神話世界をど

のように考えているのかを参考に、さらに深くその神話世界について考えてみたい。トラヴァー

スの考えは次の森恵子氏の文にうまくまとめられている。

 エッセイ「ただ結びつけることさえすれば」のなかでトラヴァースは、神話について、「神

話は創られたものではなく、呼び出されたもの」’They are not created but summoned.)で、

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それは祖先から綿々と伝えられてきた記憶としてわれわれの血のなかを駆けめぐっていて、

人は知らずに絶えず神話を再生産しているのだと言っている。続けて、妖精物語(fairy tales)

について、神話がその地方の人々の心にかなうように変えられたものが妖精物語であり、言

わば「時間と場所のなかに落下してきた神話」(fairy tales are the myths fallen into time and

locality,)なのだと言っている。さらに、妖精物語の重要性について、妖精物語はわれわれの

真の姿を見せてくれるものなので、人は自分が何者であるかを知るために、つまり自分の物

語の主人公は自分であることを認識するために、妖精物語は語られなければならないのだと

主張する。7

 神話は私たちの血の中にある。すなわち記憶の底、無意識の中にある。だから、私たちは神話

を日々再生産しているのに、それに気づかない。私たちは自分を知るために神話や、それを核に

もつ妖精物語が必要なのだ、とトラヴァースは言う。しかし、この主張が本当にわかったと言え

るにはある前提が必要である。というのは、神話が必要だという主張は肯定的に表現すると単な

るお題目になってしまうからだ。私たちは自分の無意識の欲求を無視して、意識的な生活、外の

世界の価値に自分を合わせるだけの生活をしていると、精神に不調をきたしてしまう。残念なが

ら、私たちはこのように現実の世界における精神や肉体の不調などによってしか、心に深い無意

識の世界があることを知ることができない。意識の世界の変調によって初めて、私たちは無意識

の世界に私たち自身の本質をなすものが存在していることに気づく。この無意識の世界を豊にす

ることが私たちを豊にすることであり、この無意識に作用するのが神話であり、児童文学である。

「自分を知るために神話や、それを核にもつ妖精物語が必要なのだ」とは、この無意識の世界の意

味を理解して初めて言えることなのだ。

 先の論文に書いたように、『メアリー・ポピンズ』の面白さは、物語の行間や背後に世界の神秘

が見えるところにある。簡単に言えば、現実はその薄い皮の下に、深い謎の世界を秘めていると

いう感覚を読者に与えることだ。すると、読者はその認識を自分が生きている世界に適用して、

日常の世界をいつもとは違った見方で見るようになる。それは神や仏を認識することに似ている。

 トラヴァースの生涯のテーマとは、物事の真実を見せてくれる妖精物語の本質を追究すること

と、世界の調和を願うことである。これは子守としての教育的側面を指していると同時に、メア

リー・ポピンズが宇宙の創世と関わっていることを示している。トラバースは作品のなかでキリ

スト教の教えを説いてはいない。しかし、メアリー・ポピンズという存在を考えるとき、それは

キリスト教の背後にある思想と密接に関わっていることがわかる。Patricia Demers は著書 P. L.

Travers で次のような指摘をしている。

 

 明らかに宗教的であるわけでも、説教をしているわけでもないけれど、トラヴァースが受

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けてきた影響は、ある目的意識を持つときも、一般的なときも、物語の最後に彼女が書いて

いる頭字語(各語の頭字を綴り合せて作った語)に暗号化されている。それは、偶然、イエ

ズス会のモットーと同じである A.M.G.D.(ad majorem gloriam Dei:大いなる神の栄光のた

めに)か、G.I.E.D.(gloria in excelsis Deo:いと高きところには神に栄光あれ)かのどちら

かなのだ。8

 

 森恵子氏は対立するものの調和というトラヴァースの作品に見られる特徴をキリスト教よりも

もっと古いものと結びつけている。

対峙するものが和解し、全体の調和に結びつく考え方は、土着信仰、超自然のものたちと交

流するケルト民族の魂の世界であるアイルランドの神話や妖精物語を基礎に、アイルランド

人の精神世界を踏まえ、そこにとどまらず、民族の違いを超え、霊魂の不滅や輪廻、天体の

運行など悠久の円環の動きを崇拝する古代人の心に触れた結果と考えられる。世界の調和は

トラヴァースの生涯のテーマである。(31)

 Ellen Dooling Draper は論文集 A Lively Oracle の「序」で、トラヴァースの作品を読むとは

「神話の世界」に心を開かれることである 9、と書いている。確かに、トラヴァースの作品を読む

ことは「神話の世界」に心を開かれることである。しかし、それはどういうことを意味している

のだろう。ドレイパーは、「トラヴァースは、心をそそるように開いたままのドアから、規則が全

く異なる他の現実を何度も垣間見せてくれる。瞬く間に、私たちは絵のなかに、ミニチュアの世

界に踏み込み、重力の法則から解放されて、天井に浮かび上がる」(11)と言う。

 

さあ、敷居をまたぐときだ。恐れる必要はない。なぜなら P. L. トラヴァース自身がその境界

に、「ここ」と「そこ」、過去と現在、「終わり」と「その後」との間にいて、敷居をまたぐ

のを助けようと手を差し出しているからだ。彼女は物語が生きているところに立っている。

(12)

 では、敷居の向こうの世界とはどんな世界なのかと問いたくなるが、ドレイパーは何も書いて

いない。この論文集でそのことを論じているのは Jenny Koralek の論文 “Worlds beyond Worlds:

A Glimpse into the Mary Poppins Books”である。コラレクはドアの隙間から垣間見える世界を最

もよく示している作品として『扉を開くメアリー・ポピンズ』Mary Poppins Opens the Door を、

特にその第 7 章「その後ずっと幸せに」’Happy Ever After’ を考えている 10。新年を待っている

12 月 31 日が過ぎ、新年の 1 月 1 日 0 時を告げる鐘が鳴り始め、鳴り終わるまでの間、それがト

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ラヴァースの考える代表的な隙間であると言う。そこでは第 1 作『メアリー・ポピンズ』の第 10

章「満月」と同様に、メアリーに会うためにジェインとマイケルのぬいぐるみや、彼らが読んで

いる物語の主人公シンデレラ、ロビンソン・クルーソーなどが集まってきて、踊るのだ 11。そし

て 0 時を打った瞬間に消える。このエピソードについてコラレクは次のように述べている。

 

 元々 3 部作の最後と考えられていた『扉を開くメアリー・ポピンズ』において、作者は求

め、あこがれ、問題にしてきたものの核心にあるものを提示している。それは過去において

作者の最良の思想と感情の核心にあったし、将来においてもそうあり続けるもの。つまり、

対立物が出会い、別れるという事実であり、神秘であり、「その後ずっと幸せに」という言

葉の背後にある秘密なのだ。この瞬間、この意識的な瞬間、ここ、今とは、全てが一瞬に集

まる場所であり、いつでも、時間がもう一度力をふるう前の「新たな始まり」なのである。

(43)

 つまり、あらゆるものが出会う瞬間とは、実は瞬きをする一瞬のことなのだ。コラレクは、こ

こでの対立物とはメアリーと公園管理人であるという。しかし、この対立は『扉を開くメアリー・

ポピンズ』では十分描かれていない。この対立が最も明確に書かれているのは、第 5 作『桜町通

りのメアリー・ポピンズ』Mary Poppins in Cherry Tree Lane においてである。孤独で、自分の

ことがわからない人間であった公園管理人がメアリーとぶつかり、自分自身を再発見するのだ。

 第 5 作『桜通りのメアリー・ポピンズ』はシェイクスピアの『夏の夜の夢』と同様に、夏至祭

りの宵に起こる不思議な出来事を描いている。夏至祭りの宵には、空のものが地に下りてきて、

地上のものと出会い、踊る。昔の人たちの言い伝えでは、この日、キュウリの汁を耳の後ろにつ

け、目を閉じ、腕を前に伸ばして後ろ向きに歩くと、運が良ければ恋人にぶつかるという。その

日はみんなが公園での規則を忘れて戯れていた。ただ公園管理人だけが規則を守らせようとうる

さく注意してまわっていた。しかし、公園管理人は孤独で恋人もいなかった。彼は思い切って馬

鹿にしていた迷信の通りにやってみた。どんどん後ろに歩いていくと不思議な声が聞こえてきた。

そしてついに、どしんとぶつかった相手はメアリー・ポピンズだった。そこにはバンクス家の子

供たちや、コリーおばさんたちに加えて、クマやキツネ、それに空から下りてきたふたご座のカ

ストルとポルックス、オリオンなどが楽しそうに話していた。そんな馬鹿なことがあるものかと、

公園管理人は自分が見ているものが信じられず泣き出す。周りでは、やがて人と動物と空から来

たものたちが手に手をとって踊り始めた。しばらくして、公園管理人は敷石にぶつかり、眠りか

ら覚めたように目をこすった。そして彼はふと気付く。

 

 そして突然、失っていた意識を回復した男のように、公園管理人は理解した。子供の頃、

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人間科学部研究年報 平成 23 年

あの人たちやもっと多くの人たちのことを知っていたのだと。知っていたのに、忘れていた

り、知らないと言ったり、つまらないこと、嘲っていいことだとしていたのだ。彼は両手を

目に当てて、溢れる涙を隠した。12

 

 踊りが終わると、メアリー・ポピンズはみんなに元の場所に帰るように言う。オリオン、カスト

ル、ポルックス、そしてキツネも来年の再会を誓って帰ろうとした。その時、公園管理人はこれ

まで公園のものを取るな、規則を守れと言っていたことを覆し、薬草園の草を摘んで空に投げた。

 

 「友よ、許してくれ!きみたちのことがわからなかったのだ!」公園管理人は空に向かって

呼びかけた。「自分のこともわからなかったのだ。子供の頃に知っていたことを忘れていたの

だ。物事をはっきり示すには暗闇が必要だった。しかしみんな、今は、きみたちが誰かわか

る。自分が誰かもわかっている。オリオンよ!キュウリがあろうとなかろうと、帽子があろ

うとなかろうと、私は公園管理人だ!」(63-64)

 公園管理人はこうして自分のことを認識し、自分自身になる。しかし、それが起こるのは一瞬

のうちにおいてである。では、それは何を意味しているのか。トラヴァースの別の作品 Friend

Monkey について James George が書いた “Hanuman in Putney” という論文がその意味をはっき

りと語っているように思う。

 最も深いレベルでは、全ての真に創造的な作品は、そのインスピレーションを普通の生活

よりも高次のレベル、私たちの中に常時動いている自動的連関とは全く違った意識から引き

出している。おそらく伝統的文化における神話や芸術の役割は、私たちの中に眠っていて、

愛に触れることで目覚めさせられ変形されるのを待っている意識を思い起こさせ、それに私

たちを再びつなぐことである。非常に多くの神話がこのテーマの周りをまわっている。同時

代の荒れ地の悲劇は、私たちが私たちを目覚めさせることのできるものと、もはやつながっ

ていないことである。私たちは平地人になってしまって、意味と人生の探求を生き生きとし

たものにすることができるものとのつながりを欠いているのである。13

私が愛することを学び始めるのは、たとえ瞬間であれ、私が実際の私と再結合するときであ

る。(70)

 

 公園管理人が自分について考え、その結果自分が何であるかを知ることができれば、そこに愛

が生れる、と言うのだ。それを現在の私たちの問題として考えれば、既に私たちは私たちの核心

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『メアリー・ポピンズ』の神話世界

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となるものと決別し、自分で自分がわからない状態にいるということだ。1 歳を過ぎたジョンと

バーバラのように、私たちはもはや、元の自己を取り戻すことができない。この苦い現状認識に

立つとき、私たちにできるのは瞬間的に元の自己と結合することである。現実においては、それ

は魔術的、呪術的、予言的要素をもつことになる。しかし、文学の世界においては、神話や妖精

物語、あるいは『メアリー・ポピンズ』のような児童文学に導かれて、私たちは瞬間的に魔法の

世界を垣間見ることができる。もはや幼児の心を取り戻せないとしても、メアリー・ポピンズと

マイアとの出会いによって、ジェインとマイケルが優しさに目覚めたように、瞬間的にであれ幼

児の心に近づくことは可能なのだ。『メアリー・ポピンズ』を読みながら、静かに自分の心の変化

を見続ければ、誰でもそのことに気づくだろう。『メアリー・ポピンズ』には魔法のかけらが残っ

ているのだ。

注河崎良二「えっさかほいさ、牝牛が月を飛び越えた−『メアリー・ポピンズ』の不思議な世界−」 1 ) 

『LANTERUNA −英米文学試論』第 18 号、帝塚山学院大学文学部英文学科、2001.Travers, P. L. Mary Poppins. Kodansha International, 1992. 173. 以下『メアリー・ポピンズ』の引用文 2 ) のページ数はこの版による。P. L. トラヴァース『風にのってきたメアリー・ポピンズ』林容吉訳、岩波書店、2000. 134. 3 ) 

『世界大百科事典』改訂新版 25 平凡社、2009. 236. 4 ) 『世界大百科事典』改訂新版 15 平凡社、2009. 463-64. 5 ) Travers, P. L. and Sir Laurens van der Post. “The First Storytellers: Excerpts from a Conversation.” 6 ) A Lively Oracle. A Centennial Celebration of P. L. Travers: Creator of Marry Poppins. Ed. Ellen Dooling Draper and Jenny Koralek. Larson Publications, 1999. 154.森恵子『P. L. トラヴァース』KTC 中央出版、2006. 61. 7 ) Demers, Patricia. P. L. Travers. Twayne Publishers, 1991. 83. 8 ) Draper, Ellen Dooling. “Introduction.” A Lively Oracle. Ed. Draper and Koralek. 10. 9 ) Koralek, Jenny. “Worlds beyond Worlds: A Glimpse into the Mary Poppins Books.” A Lively Oracle. 10) Ed. Draper and Koralek. 42-43.Travers, P. L. Mary Poppins Opens the Door. Lions, 1994. 213-15.11) Travers, P. L. Mary Poppins in Cherry Tree Lane. Penguin Group, 1982. 61.12) George, James. “Hanuman in Putney.” A Lively Oracle. Ed. Draper and Koralek. 69-70.13) 

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