ヤスパースとアーレント 「イェルサレムのアイヒマ …...influence of two...

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周知のようにアーレントは、20 世紀を代表す るアメリカの政治思想家、政治哲学者の一人であ る。しかも、彼女がもともとユダヤ系ドイツ人で あり、第二次世界大戦以前にハイデガーとヤスパ ースという二人の現代思想の巨人に師事していた こともよく知られている。また、ハイデガーとの 個人的ならびに思想的な関係に関しても、すでに 多くの研究書が出版されており、今日まで数々の 議論を巻き起こしている。しかしながら、もう一 人の最愛の師ヤスパースとの関係に関しては、ヤ ング・ブリュール等の一部の優れた研究書が存在 するものの、今なお多くの不明な点が残されたま まである。わが国において、主に政治思想の分野 で、幾度かアーレントとヤスパースとの比較考察 が試みられてはいるものの、いまだに大きな進展 は見られない。こうした事情の下、両者の思想的 な連関、特に哲学的・政治的領域における共通点 と相違点を明らかにするために、執筆者もすでに 「コミュニケーション」論をめぐる二人の思想的 関係について、さらに「道徳性と合法性」との対 立関係について言及したことがある 1) こうした先行研究を踏まえ、本稿において、 主にアーレントの『イェルサレムのアイヒマン』 (1963 年)を手掛かりにして、まず、「悪」に関 するアーレントの見解の変化について、次に、両 者の思想的交流と相互の影響について考察する。 そして最後に、ヤスパースによって計画されてい た所謂『ハナ・ブッフ(Hannah-Buch)』(アー レントに関する纏まった本)の概要を紹介するこ とを通して、学生時代からヤスパースの人格的・ 思想的影響下にあったアーレントに対して最晩年 のヤスパースがどのような評価を下していたの か、特に、彼女の思想的特徴をどのように描こう としていたのかを示唆する。 ヤスパースとアーレント 「イェルサレムのアイヒマン」をめぐって   平 野 明 彦 Jaspers and Arendt    Centering around “Eichmann in Jerusalem”   Akihiko Hirano Hannah Arendt was one of the most distinguished political and philosophical theorists of the United States in the 20 th century. She studied not only traditional, but also modern European philosophy in Germany under the influence of two leading philosophers, Martin Heidegger and Karl Jaspers, before World War Ⅱ. In this paper, first of all, I attempt to show a difference of the idea of “evil” between “The Origins of Totalitarianism” and her report on “Eichmann in Jerusalem”. Secondly, I will clarify the mutual exchanges and influences in Jaspersʼ and Arendtʼs thoughts on crime and evil especially centering around her report on “Eichmann in Jerusalem”. Finally, introducing an outline of his manuscript of “Hannah Buch”, I will point out how Jaspers evaluates the total character of Arendtʼs thoughts. 『国際関係学部研究年報』第35集 平成26年2月 1

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 周知のようにアーレントは、20 世紀を代表するアメリカの政治思想家、政治哲学者の一人である。しかも、彼女がもともとユダヤ系ドイツ人であり、第二次世界大戦以前にハイデガーとヤスパースという二人の現代思想の巨人に師事していたこともよく知られている。また、ハイデガーとの個人的ならびに思想的な関係に関しても、すでに多くの研究書が出版されており、今日まで数々の議論を巻き起こしている。しかしながら、もう一人の最愛の師ヤスパースとの関係に関しては、ヤング・ブリュール等の一部の優れた研究書が存在するものの、今なお多くの不明な点が残されたままである。わが国において、主に政治思想の分野で、幾度かアーレントとヤスパースとの比較考察が試みられてはいるものの、いまだに大きな進展は見られない。こうした事情の下、両者の思想的な連関、特に哲学的・政治的領域における共通点と相違点を明らかにするために、執筆者もすでに

「コミュニケーション」論をめぐる二人の思想的関係について、さらに「道徳性と合法性」との対立関係について言及したことがある1)。 こうした先行研究を踏まえ、本稿において、主にアーレントの『イェルサレムのアイヒマン』

(1963 年)を手掛かりにして、まず、「悪」に関するアーレントの見解の変化について、次に、両者の思想的交流と相互の影響について考察する。そして最後に、ヤスパースによって計画されていた所謂『ハナ・ブッフ(Hannah-Buch)』(アーレントに関する纏まった本)の概要を紹介することを通して、学生時代からヤスパースの人格的・思想的影響下にあったアーレントに対して最晩年のヤスパースがどのような評価を下していたのか、特に、彼女の思想的特徴をどのように描こうとしていたのかを示唆する。

ヤスパースとアーレント 「イェルサレムのアイヒマン」をめぐって  

平 野 明 彦

Jaspers and Arendt    Centering around “Eichmann in Jerusalem”  

Akihiko Hirano

 Hannah Arendt was one of the most distinguished political and philosophical theorists of the United States in the 20th century. She studied not only traditional, but also modern European philosophy in Germany under the influence of two leading philosophers, Martin Heidegger and Karl Jaspers, before World War Ⅱ. In this paper, first of all, I attempt to show a difference of the idea of “evil” between “The Origins of Totalitarianism” and her report on “Eichmann in Jerusalem”. Secondly, I will clarify the mutual exchanges and influences in Jaspersʼ and Arendtʼs thoughts on crime and evil especially centering around her report on “Eichmann in Jerusalem”. Finally, introducing an outline of his manuscript of “Hannah Buch”, I will point out how Jaspers evaluates the total character of Arendtʼs thoughts.

『国際関係学部研究年報』 第35集 平成26年2月 1

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1 アーレントの「悪」に関する見解の変化  「根源悪」から「悪の陳腐さ(凡庸さ)」へ 

 (1)『全体主義の起原』における悪の定義

 戦後、政治思想家としてデビューしたアーレントの大著『全体主義の起原』(1951 年)において、道徳性と人間性との破壊を目的とする全体主義支配の特徴が、次のように述べられている。

   自己の良心と、死の手先として生きるより犠牲者として死ぬ方がとにかくましだという主観的な心の慰めとに頼ること   道徳的人格のこの個人主義的な逃道を、全体主義政府は良心の下す決断そのものをまったく不確かな曖昧なものとすることによって封じてしまった。

   自分の友人たちを裏切り、そしてそのことによって彼らを虐殺させるか、もしくは自分があらゆる意味で責任を負っている妻子を死に追いやるかの選択を迫られている人間が、どのような決定を下そうとももはや全く問題ではない。   ここでは二者択一は善か悪かの選択ではもはやなく、この殺人かあの殺人かということなのだ 2)。

アーレントによると、事実上個人の善悪の判断を無効にする全体主義的支配は、道徳的人格を抹殺するだけではない。それは、「道徳的人格」のみならず「法的人格」を、最終的には人間の

「個体性」そのものをも徹底的に破壊する。そして「その後に残るのは、   例外なしに死にいたるまで唯々諾々と反応を  反応のみを   つづけるパブロフの犬と同様にふるまうあの操り人形なの」である。「というのは、個体性の破壊ということは、自発性の   つまり、環境や事件に対する反応では説明され得ない或る新しいものをみずから進んで創始する能力の   抹殺にほかならないからである」3)。さらに、生きた人間の個性や人間性を抹殺し、人間を単なる動物や死んだ機械のように「余計なもの」にする全体主義体制の本

質を、アーレントはキリスト教的な起源を連想させる「根源悪」(radical evil)と命名している。アーレントの見るところ、単なる殺人ではなく、人間のもつ人間性をことごとく破壊しつくす全体主義の殺戮は、従来のいかなる犯罪や悪とも異なる新しい種類の「悪」を世界にもたらしたのであり、「不可能なことが可能にされたとき、それは罰することも赦すこともできない絶対の悪となった」のである。「この悪は、利己主義や貪欲や利欲や怨恨や権力欲や怯惰のような悪い動機をもってしてはもはや理解することも説明することもでき」ない。「この最も新しい種類の犯罪者は人類が共通に担う罪業というものの枠をすら超えている」4)。

(2)「�イェルサレムのアイヒマン」における悪の�定義

 『全体主義の起原』においてアーレントは、いわば人間性そのものをも破壊しつくす全体主義体制における悪を従来の悪から区別し、「根源悪」と呼んだのであるが、その後、実際に目撃したナチスの残党の一人、アイヒマンを糾弾する裁判のレポート(『イェルサレムのアイヒマン』、1963年)では、同じ全体主義体制下でなされたアイヒマ ン の 悪 が「 悪 の 陳 腐 さ( 凡 庸 さ )」(the banality of evil)として定式化されている 5)。

ナチス・ドイツによる 600 万人におよぶユダヤ人虐殺は、アーレントの見るところ、一般に考えられていたように、決して鬼畜のような異常性格の人間によってなされたのでもなければ、ユダヤ人への憎悪や偏見を抱く特別な人間によってなされたわけでもなかった。イスラエルの法廷に現れたアイヒマンの証言によると、あたかも淡々と日常のノルマをこなすかのように、彼は一官僚として、当時のドイツ社会の「法」と「命令」に従ったにすぎなかった。しかも驚くべきことに、アイヒマンは、カントの有名な「道徳法則」(定言命法)を引き合いに出して、ユダヤ人の人間性を奪い虐殺へと追いやった自らの行為を、ある種の順法精神の帰結と正当化しているのである 6)。すなわち、「法律は法律であり、そこには何らの例外もあり得ないということである」7)。

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ナチスによる全体主義支配によって惹き起こされた「悪」が、前者では、その特異性と異常性を連想させる<ある種悪魔的な特性>と見なされていたのに対して、後者では、むしろその一般性と日常性とが強調される「陳腐さ(凡庸さ)」と表現されたことは、到底看過され得ない事態であり、それゆえ、当時様々な誤解や議論を生んだだけでなく、彼女の死後も論争が尽きることはなかった 8)。

ところで、なぜ、全体主義体制下における犯罪と悪とに対するアーレントの評価が、これほど大きく変化したのだろうか。ここで注意しなければならないのは、『イェルサレムのアイヒマン』において「陳腐さ(凡庸さ)」という言葉が指示しているのは全体主義体制下でなされた「悪」そのものではなく、悪しき命令に従ったアイヒマンの意志と動機にほかならない、という洞察であろう。さらに、そもそも「根源悪」の「根源的」“radical” という表現で彼女が何を言わんとしているのかが問われなければならない。「根源悪」という言葉からまず想起されるのは、本性的・生得的に人間が持っている性質であり、キリスト教の

「原罪」ということになる。しかしながら、有名なカントの「根源悪」“das radikal Böse” においてさえ、すでにそうしたキリスト教的な性質は弱められており、基本的に、理性に反する人間の感性的(動物的)な我意や欲求が主題化されているように 9)、アーレントにとって、そこで、「原罪」に起因する根源的・生悪的な人間の罪が問題とされているわけではない。したがって、前者で悪を「根源的」と命名したことと、後者でそれを

「陳腐(凡庸)」と定義したこととが単純に矛盾するわけではない、と考えることもできるだろう。しかしやはり、バーンスタインも指摘しているように、悪の考察をめぐる両者の間に少なからぬ相違があることも否定できない 。つまり、「以前のアーレントは、根源悪は人間的に理解可能な動機からは説明ないし演繹できないと主張した。けれどもエルサレムの裁判でアイヒマンに直面したとき、怪物的に悪しき意図を有しないまま、彼が怪物的な犯行に及んだという結論に彼女は達した」のである 10)。

2. 「アイヒマン」をめぐる両者の思想的交流と相互の影響について   「悪の陳腐さ(凡庸さ)」と「人類に対する犯罪」をめぐって 

(1)アーレントの「悪の陳腐さ(凡庸さ)」に�   おけるヤスパースの影響

ここで再び、次のことが問われなければならない。そもそも、一体何がアーレントに「悪」に関する見解を変えさせたのであろうか、と。1963年7月にショーレムに宛てたアーレントの手紙と、1946 年 10 月にアーレントに宛てたヤスパースの手紙を対照すると、15 年以上におよぶ年月の隔たりがあるにもかかわらず、それがヤスパースの直接的な影響であることは疑い得ない、と思われる 11)。というのも、アーレントの主張や比喩がヤスパースのそれと酷似しているだけでなく、前者の手紙では「悪魔」“Dämonie” や「陳腐さ(凡庸さ)」“Banalität“ という用語 12)が、後者では「悪魔的なもの」“Dämonischen” や「陳腐さ

(凡庸さ)」“Banalität“ という用語 13)が使われているからである。つまり、すでに『全体主義の起原』を出版する前に提起されていた、悪に関するヤスパースの定義が、実際にアイヒマンを目の当たりにしたアーレントの心に呼び起こされ、最早、悪の本質がその深さ(根源性)にではなく、むしろその浅薄さ(凡庸性)に置かれたとしても、少しも不思議ではない。そして最終的に、ヤスパースの忠告を受け入れたアーレントは、全体主義体制の命令に従順なまでに従ったアイヒマンの犯罪を、小説や劇やドラマの主人公のような悪魔的、英雄的行為ではなく、偉大さとはおよそ無縁の、浅薄で凡庸(陳腐)な所業とみなしたわけである。

ところで、およそ凡庸としか言い得ないアイヒマンが怪物のような犯罪を引き起こすことができたのは、なぜだろうか。アーレントによると、それはむしろ彼が余りに陳腐で凡庸であるがゆえに、ということになる。換言すると、無辜の市民の人間性を奪い計画的に殺害するという、聖書以来の古い掟や道徳に反する「命令」に従ったアイ

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ヒマンには、自分自身で考え判断する能力が欠如していたのであり、それゆえ、彼の「現実離反」と「思考性の欠如」(thoughtlessness)14)こそ、その主たる理由にほかならないのである。さらに、自らの置かれた現実から逃避し、もっぱらマニュアル通りに行動するという、一見従順でロボット的な人間のもつ〈危険性〉と〈非人間性〉とを、ヤスパースとアーレントが共有していたことも看過できないだろう。

(2)ヤスパースの「人類に対する犯罪」におけ�   るアーレントの影響

 すでに『全体主義の起原』が出版される以前の1946 年にヤスパースに宛てた手紙の中で、アーレントは、全体主義体制下で行われたナチスの犯罪と悪とがもはや従来の法概念では裁きえないことを、したがってその犯罪のもつ特別な意味を強調していた 15)。前述したようにヤスパースの返信に心打たれ、一方でナチスの悪が決して英雄的でも悪魔的でもなく、平凡で陳腐なものに過ぎないことを認めたものの、他方でアーレントは、その犯罪が、たとえばヤスパースによって『戦争の罪を問う』“Die Schuldfrage”(1946 年 ) の中で定義されているような「刑法上の罪」を超えた犯罪であり、その罪が従来の刑法上のどんな罪にも該当しない或る新しい罪であることに関しては、基本的に意見を変えていない。それゆえ彼女は、従来のあらゆる犯罪から区別するために、ニュルンベルクの国際軍事裁判所の憲章を引き合いに出して、敢えてそれを「人類に対する犯罪」“the crime against humanity, das Verbrechen gegen die Menschheit” と呼んだのである 16)。『イェルサレムのアイヒマン』の中で、「人類に対する犯罪」の特徴をアーレントは次のように述べている。

   反対にそれは、一民族全体の抹殺とか、一地方からその住民を一掃することとかの前代未聞の残虐行為、すなわち単に「いかなる軍事的必要の観念をもってしても認められない」犯罪ではなく、事実上犯罪とは無関係な、そして平和時にもつづけられる組織的殺害政策を予告する犯罪がおこなわれ

ているという報告だったのだ。事実この犯罪は国際法にも国内法にも規定されていなかった。そのうえこれは、≪ tu quoque ≫の論理が通用しない唯一の犯罪だった 17)。

 他方、ヤスパースは、アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』に関するレポートを読む以前には、ナチスによる犯罪や罪に対して基本的に

「人類(Menschheit)に対する犯罪」という用語を使っていない。実際、アーレントも『イェルサレムのアイヒマン』のエピローグで指摘しているように 18)、『戦争の罪を問う』の中でヤスパースは、ニュルンベルクの国際軍事裁判所規定の定義を引用して、ナチスのユダヤ人殲滅を「人類

(Menschheit)に対する犯罪」ではなく、「人道(Menschlichkeit)に対する犯罪」と呼んでいるのである 19)。

さらにそこで、ナチス政権下で行われた罪(Schuld)が、次の4通りに区分されている。第一は「刑法上の罪」であり、刑事犯罪や明白な法律違反が相当する。第二は「政治上の罪」であり、「為政者の行為」とその国家の「公民たる地位」において成立する。第三は「道徳上の罪」で、政治的・軍事的行為だけでなく、およそ各人の行ったすべての行為に当てはまる。第四は「形而上学的な罪」で、これは前の三つの罪とは異なり、直接本人と無関係な犯罪に対しても、負わされる。しかしそれは、「あらゆる人間の連帯性によるのでもなければ、国家の公民の連帯性によるのでもなく、――きわめて緊密な人間的結合にだけ見られる」20)。そして前述したように、ナチスによるユダヤ人殲滅は、基本的に第一の「刑法上の罪」に分類されているわけである。 以上のように、少なくとも 1946 年の時点で、ヤスパースはナチスによるユダヤ人殲滅を「人道に対する犯罪」と呼んでいたのであるが、しかし1965 年の「シュピーゲル」誌のインタヴューでは、それを「人道(Menschlichkeit)に対する犯罪」ではなく「人類(Menschheit)に対する犯罪」と定義している。つまり、「何らかの人間の集団が別の集団を殲滅する場合には」、従来の犯罪の法廷に代わって、「人類という法廷が登場し

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なければならない」というのである。また、このインタヴューの中でヤスパース自身述べているように、この用語がアーレントに由来していることは言うまでもない 21)。しかもここで彼は、これまでのようにナチスによるユダヤ人殲滅を単なる

「刑法上の罪」と分類するのではなく、従来のあらゆる「犯罪」や「罪」には当てはまらない、全く新しいタイプのそれであることを、それゆえ一般の犯罪のようには「時効」が適用され得ないことを強調している 22)。 さらに、イェルサレムにおいてアイヒマン裁判が開始される少し前の 1961 年に、あるインタヴューの中で、ヤスパースは「人道に対する犯罪」と「人類に対する犯罪」の区別をアーレントから直接聞いたことを告白している 23)。ここでは、ヤスパースの文章を引用しておきたい。

   人類に対する犯罪において、人間のある集団は、次のことを決定するのだという要請を掲げる。すなわち、恒常的な一定の目印によって特徴づけられた人間の別の集団は生きることが許されない、したがって殲滅されなければならない、という。   人類に対する犯罪とは、人間存在の意味における人類そのものを脅かし、人類としての人類の生存を危険にさらすような犯罪にほかならない 24)。

 第二次世界大戦直後にヤスパースが、ユダヤ民族という集団を殲滅しようとしたナチスの犯罪を美化することを避け、それを単に従来の「刑法上の犯罪」の延長線上に位置付けたのに対して、アイヒマン裁判を契機にそれを、人類そのものの生存を脅かすような<比類なき犯罪>として定式化していることは、二人の思想的な交流の中でも、やはり特別な意味をもつように思われる。というのも最晩年のヤスパースは、アイヒマン裁判を中心に、アーレントに関する纏まった本を出版すべく、周到な準備を進めていたからである。

3.ヤスパース『ハナ・ブッフ』の概要とアーレ   ントの思想の特徴について 

 すでに 2006 年にハンス・ザーナーによって、その僅かな概要が示されてはいるものの 25)、最晩年、ヤスパースがアーレントに関する本格的な書物に取り組もうとしていたことは、これまでほとんど知られることはなかった。それどころか私見によると、少なくともその全貌に関しては、今日までまったく明らかになっていないと言っても過言ではない。そこで本稿の最後で、ザーナーの簡単な報告のみならず、マールバッハの『ドイツ文献資料館』に保管されている資料、原稿等を参考にして、ヤスパースがアーレントの思想をどのように特徴づけ、評価しようとしていたのか、さらに「アイヒマン」をどのように見ていたのかを、可能な限り明らかにして行く。 ザーナーも指摘しているように、マールバッハの『ドイツ文献資料館』には、所謂 “Hannah-Buch” と呼ばれるアーレントに関するヤスパースの膨大な資料、手書きのノートおよびタイプ原稿が保管されているが、しかしこれにはかなりの重複があり、しかも到底一冊の本として出版に耐えうるような完成度にはない。したがってここでは、まず、その全体のアウトライン(目次)を概観しておきたい 。

第1章、自主独立の思考の本質について第2章、 『イェルサレムのアイヒマン』レポート

のテーマ第3章、ハナ・アーレントに敵対する論争第4章、ハナ・アーレントの批判者としてのゴロ

ー・マン第5章、公衆の精神的状況と文筆家の役割第6章、ハナ・アーレントの人生第7章、ハナ・アーレントの作品と思考形式第8章、 依存性と自主独立の問いの下での歴史的

人物;マックス・ヴェーバー、ローザ・ルクセンブルク、ビスマルク等 26)。

 以上のように、アーレントの思想と論争とを網羅すべく計画されていたヤスパースの本は、全部

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で8章からなるもので、このうち、ある程度内実が描かれているのは、第1章と第2章のほか僅かに過ぎない。実際、前述したザーナーの報告書では、第1章「自主独立の思考」と第6章「ハナ・アーレントの人生」のみが略述されている。そこで次に、アーレントの思想の根本的特徴とも言いうる「自主独立の思考」に関するヤスパースの見解を紹介する。(1)「 思 考 に お け る 自 主 独 立 性 (Unab- hängigkeit) とは、一つの道を意味するのであって、存在を意味するわけではない。その規定的本質は、そこで人間が際限なく自らを訂正することができる、ということにほかならない」。しかし

「自主独立性は、思考と行為のうちで様々な意味において責任を負う」27)。(2)「自主独立の者は、自分自身で立っているのであるが、それは、自身が贈り与えられていることを感得する源泉としての超越論的な力によってである」28)。(3)

「自主独立性は無地盤ではない」。もっぱら否定的で空虚な独立性とは異なり、「肯定的であるがゆえに満たされた自主独立性は、存在の根源に基づく」29)。(4)こうした自主独立の者には、二通りの結びつきがある。一つは、数千年におよぶ自主独立の仲間たちの理性的なサークルに加わることであり、もう一つは、生きている自主独立の者との出会いである。(5)自主独立の者たちは、具体的な社会の中で様々なものに依存しているが、本来的にはそうした集団の中で生きているのではない。(6)思考と自分自身の意見の自主独立なしには、自由はあり得ない 30)。 こうした「自主独立性」の特徴を見ると、それが、アーレントという同時代の思想家(であり、嘗ての弟子)に対して言われたことではなく、むしろ『真理について』における実存や理性に対して、『大哲学者たち』における偉大な者たちに対して向けられた言葉であるかのような印象を受ける。それゆえ、少なくともこのことから、ヤスパースがアーレントを真に偉大な思想家たちの延長線上に据えようとしていたことは、明らかと思われる。また、それとともに注目すべきは、何といってもアーレントの自主独立の思想のもつ二面性と浮動性を強調している点にあると言えよう。換

言すると、自主独立の特徴とは、絶えず自己と他者とに批判の目を向けつつ、同時にいかなる他者に対しても心を閉ざすことなく、忌憚なく自らの意見と態度を表明し続ける<開かれた精神>にほかならないのである。 最後に、イェルサレムにおけるアイヒマンに関するヤスパースのコメントに簡単に言及して、本稿を終えることにしたい。 まず、アイヒマン裁判に関するマニスクリプトを一瞥してすぐに気付くことは、アーレントの

『イェルサレムのアイヒマン』を参照しつつも、ヤスパースが自ら詳細な資料を収集し、それを検討しているという事実であろう。そこでは、a.「アイヒマンの良心」、b.「アイヒマンの真理への意志」、c.「真理と自らの人生をめぐるアイヒマンの闘い」、d.「アイヒマンの世界観」が論じられるはずであった 31)。筆者が確認できたのは僅か数十頁程の素描に過ぎないため、もちろん断定は差し控えなければならない。しかしながら、アイヒマンに対する両者の評価に多少の相違が散見されるものの、ここでヤスパースが基本的にアーレントの見解に賛同していることは間違いないだろう。特に、アーレントが不当にアイヒマンを擁護しているという誤解や中傷に対しては、明らかに彼女の側に立って反論しているのである 32)。 次に、アイヒマンに関するヤスパースの特徴的なコメントを幾つか取り上げたい。ときにアイヒマンが自意識過剰から大言壮語を述べていると疑いつつ、同時にヤスパースは、彼の真理への意志に対して驚きを隠さない。アイヒマンは、イェルサレムの裁判所に出廷することも、神の前で宣誓することも少しもためらわずに、自らに「法律上も、道徳上も、宗教上も罪がない」ことを確信していたからである 33)。しかしヤスパースの見るところ、それ以上に重要なのは、アイヒマンの一貫性の無さと錯綜的な態度であろう。さまざまな思想を都合よく引用して、場面場面で使い分ける彼の世界観に対して、ヤスパースは「ゴミの吹き溜まり」と表現している 34)。 さらに、ここでもヤスパースは、アーレントを自主独立の思考の持ち主と呼び、彼女の思考のみならず、アイヒマンに対する評価自体もまた一つ

6 国際関係学部研究年報(第35集)

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の最終結論へと到達しているわけではないことを、それどころか、依然として或る謎の前に立っていることを強調している。それゆえ、アイヒマンを特徴づける「悪の陳腐さ(凡庸さ)」というアーレントの定式化に対しても、ヤスパースは、それが最終宣告ではないと前置きし、テロや制御することのできない命令や専制という、或る特殊な政治的状況の下でのみ「陳腐さ(凡庸さ)」という言葉が有効であるにすぎない、と述べている。というのも、アイヒマンが加担したそうした行為自体は、決して陳腐でも偶然でもなく、むしろ人間存在そのものにとって根源的なものであり、本質的に悪と見なされるべきものだからである 35)。

注 

1) Vgl . Mar t in Braun , H a n n a h A re n d t s

t r a n s z e n d e n t a l e r T ä t i g k e i t s b e g r i f f ―

Systematische Rekonstruktion ihrer politischen

Philosophie im Blick auf Jaspers und Heidegger ―, Peter Lang, 1994. 本書は、ヤスパースとハイデガーの基本思想とアーレントのそれとを比較対照した数少ない先行研究の一つである。また、ヤスパースとアーレントの思想的関係を論じた先駆的論文として、小野紀明、

「政治の存在論―アレント『精神の生活』第1巻第3章第 18 節を読む―」、(『現象学と政治』所収、行人社、1999 年)を挙げなければならない。すでにここで小野は、両思想の本格的な研究の必要性を強調している。また、次の二つの拙論を参照されたい。平野明彦、「アーレントの「公的領域」に関する一考察 ―ヤスパースの「コミュニケーション」論をめぐって―」、(『国際関係研究』第32 巻第2号、日本大学国際関係学部国際関係研究所、2012 年)、「道徳性と合法性に関する一考察 ―ヤスパースとアーレントを手掛かりにして―」、(『道徳と教育』第 57 巻、No.331、日本道徳教育学会、2013 年)。

2) Hannah Arendt, The Origins o f Totali-

tarianism, A Harvest Book・Harcourt, Inc., 1951, 1948, 1994, p.452. ハナ ・ アーレント、大久保・大島訳、『全体主義の起原』3、みすず書房、1981、2001 年、254 頁。

3) ibid., p.455. 前掲書、258 頁。4) ibid., p.459. 前掲書、266 頁。5) Cf. Arendt, Eichmann in Jerusalem, A Report

on the Banality of Evil, Penguin Books, 1963, 1964, 1991, 1992. Vgl. Eichmann in Jerusalem,

Ein Bericht von der Banalität des Bösen, Serie Piper, 1986, 2008. ハンナ・アーレント、大久保和郎訳、『イェルサレムのアイヒマン ―悪の陳腐さについての報告― 』、みすず書房、2000 年参照。

6) Cf. ibid., pp.135-137, vgl. S.231ff. 前掲書、107-109 頁参照。

7) ibid., p.137, S.233. 前掲書、108 頁。8) そうした事情について、ここではバーンスタ

インの的確なコメントを引用したい。「1963年2月 16 日付の『ニューヨーカー』に、彼女による全5部にわたるアイヒマン裁判レポートの第1回目が掲載された。掲載されるや直ちに、彼女は罵詈雑言を浴びせられた。それどころか、『イェルサレムのアイヒマン』の議論は、1975 年の彼女の没後にいたっても長く続いた。アーレントはアイヒマンを免責し、ユダヤ人殲滅の罪をユダヤ人自身に負わせたとして告発されたのである。彼女は、

「無情」で、「腹黒く」、「傲慢」で「軽薄」であり、事実を歪曲する「自己嫌悪的なユダヤ人」だと非難された」(Richard J. Bernstein, Radical Evil, Polity Press, 2002, 2007, p. 217. リチャード・J. バーンスタイン、阿部、後藤、齋藤、菅原、田口訳、『根源悪の系譜』、法政大学出版、2013 年、343 頁)。

9) Vgl. Immanuel Kant, Die Religion innerhalb

der Grenzen der bloßen Vernunft, in; Immanuel

Kant, WerkausgabeⅧ , suhrkamp taschenbuch wissenschaft 190, 1977, S.665ff. カント、北岡武司訳、『単なる理性の限界内の宗教』、カント全集 10、岩波書店、2000 年、25 - 71

7 ヤスパースとアーレント 「イェルサレムのアイヒマン」をめぐって 

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頁参照。10) Bernstein, ibid., p.218. J. バーンスタイン、

前掲書、345 ‐ 346 頁。11) Cf. ibid., pp.214-220. 前掲書、338-348頁参照。12) Vgl. Hannah Arendt, Gershom Scholem,

Der Briefwechsel, Herausgegeben von Marie Luise Knott, Jüdischer Verlag, im Suhrkamp Verlag, 2010, S.444. ショーレム宛てのアーレントの手紙の一部を引用する。(なお、原文は基本的にドイツ語で書かれているが、部分的に英語が差し挟まれている。)「あなたのおっしゃることは全く正当です。私は考えを改めたので、もう根源悪については語らないことにします」。「実際のところ今では、私はこう考えています。悪はつねに極端なものにすぎないのであって、決して根源的なものではない、それは深みを持たず、悪魔のごときでもない、と。悪は、まさしく菌類のように表面を覆い、はびこるがゆえに、全世界を荒廃させることがあるのです」(ibid., S.444.)。

13) Vgl . Hannah Arendt , Kar l Jaspers , Briefwechsel, 1926-1969, Herausgegeben von Lötte Köhler und Hans Saner, Piper, 1985, 1987, S.98f. 『アーレント = ヤスパース往復書簡、1926-1969,1』、L. ケーラー / H. ザーナー編、大島かおり訳、みすず書房、2004年、71―72 頁参照。アーレント宛てのヤスパースの手紙の一部を引用する。「ナチのしたことは「犯罪」として把握することはできない――あなたのこの見解は私には危ないように思えるのです。なぜなら、あらゆる刑法上の罪を上回るような罪というのは、どうしても「偉大さ」――悪魔的な偉大さ――の相貌を得てしまう。これはヒットラーにおける「デモーニッシュなもの」を喋々するたぐいの議論と同様、ナチにたいする私の感情からきわめてかけ離れている。思うにわれわれは、ことは実際にそうであったのだから、ことをその完全な陳腐さにおいて、そのまったく味気ない無価値さにおいて、とらえなくてはいけない ――バクテリアはあまたの民族を破滅させるほどの伝染病を惹きおこすこと

があるにしても、それでもやはりたんなるバクテリアにすぎないのです」( ibid., S.98f.  前掲書、71 頁 )。

14) Arendt, Eichmann in Jerusalem, p.288, S.57. ア ー レ ン ト、『 イ ェ ル サ レ ム の ア イ ヒ マン』、221 頁。翻訳書では “thoughtlessness”,“Gedankenlosigkeit” を「無思想性」と訳しているが、ここでは、自分自身で考える能力の欠如、つまり「思考性の欠如」と訳した。

15) Vgl . Hannah Arendt , Kar l Jaspers , Briefwechsel, 1926-1969, S.90f. 『アーレント= ヤスパース往復書簡、1926-1969,1』、61‐ 62 頁参照。

16) Cf. Arendt, Eichmann in Jerusalem, p.255, vgl. S.374. アーレント、『イェルサレムのアイヒマン』、197 頁。ここでアーレントが引用 し て い る “the crime against humanity, das Verbrechen gegen die Menschheit” という用語には、「人道に対する罪」という日本語が当てられているが、基本的に die Menschheit というドイツ語には「人道」という意味はない。カントの有名な第二の道徳法則に倣って「人間性」と訳すこともできるが、ここでは「人類」という訳語を当てた。

「憲章は次の三種類の犯罪についての裁判権を認めた。「平和に対する罪」  軍事法廷はこれを、「積み重ねられたすべての罪をそれ自身のなかに含んでいるという点で、  最大の国際的犯罪」と呼んでいる 、「戦争犯罪」、そして「人類(humanity, Menschheit)に対する罪」。これらのうち最後の人類に対する罪のみが新しい前例のないものだった」

(ibid., p.255, S.374. 前掲書 197 頁)。前述したように、ここでも「人類」と訳した。

17) ibid., p.257, S.377. 前掲書、199 頁。18) Cf. ibid., p.275, vgl. S.399. 前掲書、212 頁参

照。    19) Jaspers, Die Schuldfrage, Serie Piper, 1979,

S.36. ヤスパース、橋本文夫訳、『戦争の罪を問う』、平凡社、1998 年、78 - 79 頁。ヤスパースの引用は次のとおりである。「(1) 平和に対する犯罪。侵略戦争または国際条約

8 国際関係学部研究年報(第35集)

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を侵害する戦争の計画、準備、開始、遂行。 (2) 戦争犯罪。戦争法規の侵害、例えば占

領地非戦闘員の殺害、虐待、強制労働のための移送、――捕虜の殺害、虐待、――公私財産の略奪、都市または村落の故意の破壊、または軍事的必要という正当な根拠に基づかない一切の劫掠。

(3) 人 道(Menschlichkeit) に 対 す る 犯罪。いやしくも非戦闘員に対して行われる殺害、殲滅、奴隷化、移送、本裁判所の管轄に属する犯罪を遂行したときに行われた政治的または人種的または宗教上の理由による迫害」(ibid., S.36. 前掲書、78 - 79 頁)。

20) Vgl. ibid., S.21f. 前掲書、48 - 50 頁参照。21) Vgl. Jaspers, Für Völkermord gibt es keine

Verjährung, in; Schuldfrage, S.104f. また、このインタヴューの中で、ルドルフ・アウクシュタインは、ヤスパースの言う「人類に対する犯罪」がこれまでも度々為されてきたと主張し、その例として、チベット、アルジェリアの独立戦争、広島の原爆投下を挙げている。それに対してヤスパースは、チベットについては分からないが、それ以外については当てはまらない、と答えている。特に、広島のケースは「人類に対する」犯罪ではなく、

「人道に対する」犯罪である、と強調している。22) Vgl. ibid., S.97ff. 23) Vgl. Jaspers, Die Bundestagsdebatten vom

10. und 25. März 1965 über die Verjährug von

Morden des NS-Staates, in; Schuldfrage, S.137.24) ibid., S.137.25) Vgl. Hans Saner, Fragmente aus Karl Jaspers'

Vom unabhängigen Denken: Hannah Arendt

und ihre Kritiker, in; Jahrbuch Der Deutschen

Schillergesellschaft, Wallstein Verlag, 2006, S.27ff.

26) Vgl. ibid., S.29ff. また、上記のザーナーの簡単な報告書と合わせて、マールバッハの『ドイツ文献資料館』にある、ヤスパース自身の手によるマニスクリプト(ここではタイプ原稿)Jaspers, “Hannah- Buch”, Teil 0, S. 1f.を参照した。

27) Saner, ibid., S.32.28) ibid., S.33.29) ibid., S.33f.30) Vgl. Jaspers, “Hannah-Buch”, Teil Ⅰ , S. 5ff. 

上述したザーナーの報告では、「自主独立性」の特徴として(3)までしか挙げられていないが、ここでは、マールバッハの『ドイツ文献資料館』のマニスクリプトを参照して

(6)まで列挙した。31) Vgl. “Hannah-Buch”, Teil Ⅱa, Eichmann, S. 1 ff.32) Vgl.ibid., S.18.33) ibid., S. 8.34) ibid., S.16.35) Vgl. ibid., S.20.

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